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明朝までに用意しなくてはいけない資料がありまして、またしてもそそくさと失礼する予定。今日は何の日というサイトが方々にあることは、皆様ご存知のとおりです。苦し紛れに眺めていたら、少々変わったところで、科学技術振興機構に「科学 今日は何の日?」というページがありました。技術者の端くれとして科学史にも通暁する必要がありましょう。日々のトピックスとしても興味深いものです。同機構には日ごろ文献検索サービス等でお世話になっております。いわば学恩に報いる意味で、紹介いたしました。今日八月三十一日は「(1878)エジソンが「白熱電灯」の特許をとる」、語呂合わせの「野菜の日」など8項。(1999)東京工大の岡田典弘教授は「クジラに遺伝子的に最も近い動物は、カバ」であることをDNA分析でつきとめたともあります。(トリビアねたですね)また、明日は関東大震災を契機とする防災の日。これは知らぬものはない。将来、こんなページに自分の名前が載ったらいいなと思います。スポーツでも言われますよね。記録に残る選手より記憶に残る選手。○○、△△の特許をとるといっても、そんな基本特許は書けるものでなし。こんなことをほざいているのは、すでに負け犬である証拠でもあるのですが…。(目下の仕事は、明日の資料の用意であります。なかば形而下の思考によどみつつ失礼いたします。なお、ここでいう負け犬とは巷間いわれる、変質した意味の「負け犬」とは大いに異なることを明言しておきます。)引用文は文意を損ねぬよう要約いたしました。本編は以下のリンクでご参照ください。科学今日は何の日
2004.08.31
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いま北上中の台風16号の話はいろいろなところで語られると思い、それを避けるつもりで話題を渉猟しましたが、力及ばずとなりました。なかば内輪ネタではじめてみることにします。掲題は楽天のトピックスにあるものです。困ったときのトピックスなんですが、なんだかひっかかる。夏休みはどこへ行った?あるべきはずの夏休みが、どうかしてしまった人たちのトピックスなのかと思った。ページを見ると「夏休みにはどこへ行きましたか?」という意味なんですな。日本語としては不完全ではないかな。まぁ、わたしの夏休みはいつになく短かったけれど。そこまで深く読むなといわれそうだが、わたしは「どこへ行った?」というくだりに反応して、いつか引いたヴィヨンの詩を思い出したのでした。『いにしえの美女たちのバラード』どこへいった?美しいローマのフローラ、アルキピアーダまた同じ血につながるタイースよ(中略)去年の雪、いまはいずこ(後略)訳は楽してよそ様のHPからリンクしようと思ったが、それとても著作物である。冒険はやめました。上掲は拙訳でございます。もう9月、灯火親しむ候。少々忙しくなるのですが、こちらはできるだけ読書日記に体裁を変えて行きたいと考えております。あれ、八月はまだ一日あるぢゃあないか、これは失礼(もう略)少々おふざけが過ぎました。
2004.08.30
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今朝は河川清掃に行ってきました。5月の時に比べて、今回は土手の草刈と藻を若干さらったくらいで終わり。関西地方は明日(8/30)にかけて台風16号の襲来が予想されており、今日の今日に川さらいをやっても、またすごいことになると思います。今年最後の河川清掃の予定でしたが、再度集合がかかるかもしれません。ともあれ、8月とは言え日差しももう強くはなく、心地よい運動になりました。お年寄りの多いこの町内では40代のわたしも洟垂れ小僧あつかいで、長老たちの指示にしたがい伝令やら雑用やらを余儀なくされております。あと40年もすれば、この町内で君臨できる日が来るかもしれませんが、先は非常に長い。このあと、子どもと連れだって隣町の図書館へ遠征。住まいのある市の図書館と違って、ここの図書館は理工学の専門書群が多く、よく利用しています。(近在に工場や研究所を擁する企業が多いこともその理由かもしれません)。今日は誘惑に駆られておよそ専門外の『宇宙物理学』(佐藤文隆、岩波書店)を借りてしまいました。家に帰ってから読み始めましたが、超絶的展開に後悔し日記をしたためているしだい。専攻の近縁の本ではないかと思っていましたが、、本書があつかうスケールは違いすぎました。現在の専門外の書籍とはいえ、斜め読みもできないのは悔しい。蟷螂の斧というやつでしたか。リフレッシュの材料になるとおもったのに、誤算でした。以上。ちょっとはやめの雑記。なお、今週の「サザエさん」は「夏休み宿題白書」です。8/26に書いた通りの展開!(カツオくん、予想にたがわずやってくれました)。 http://plaza.rakuten.co.jp/eaucourante/diary/200408260000/
2004.08.29
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表題のみ予告つづきは午後に。夏休みにかこつけてなんども雑記を書いてきましたが、これもそのひとつ。子どもの歯の治療にいったついでに、わたしも見てもらいました。虫歯歴は長く、親知らずを月一回の割で4本抜いたときの修羅場はトラウマになっており、歯医者さんは大の苦手です。結局治療要の虫歯はありませんでした。ただ、歯磨きが下手であると指摘を受けて、その場で歯科助手さんに歯磨きの仕方を教えてもらいました。この年齢で歯磨きの練習かい、情けないなぁ。同じ治療室に入っていた、息子が一部始終を見ており、帰宅後母親に報告。「歯医者のおねえさんとニコニコしながらお話してたぞ~」おまえは野原しんのすけか。少々家内の機嫌を損ねてしまった。歯医者さんは、異常がなくても半年に一度くらいはきてほしいとのことを言われました。このような事件を引き起こした手前、次回受診の際、李下の冠、瓜田の履となられなければよいのですが。
2004.08.28
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「平成狸合戦ぽんぽこ」が放映されていますね。語りが古今亭志ん朝じゃないか。懐かしいと思って耳を傾けてみると、ほかのキャストの柳家小さんや芦屋雁之助もすでに亡い。公開が1994年、すでに10年である。わたしも同様に年をとったわけだ。わたしの年代は落語を解する最後の世代かもしれない。たとえば、図書館におかれている落語のCDに群がっているのも、中年以降の男性である。寄席などない地方育ちゆえ、落語はラジオやテレビの番組で聞いたものである。1970年ころから講談社文庫が興津要編で古典落語シリーズを出しており、それをずいぶんと読み込んだものである。江戸の諧謔はともかく、なんだかわからない艶話(中学生がわかるはずがない)をこっそり読んでいたら、うしろから父親がひょいと取り上げて面白いものを読んでるなと言ったのを覚えている。「笑点」はいまにつづく番組だが、長時間の噺がかかることはなく当時もあまり好きな番組ではなかった。いまや落語は古典芸能のひとつで、演目の背景やら下げの種類を説明することができたら、世間では好事家あつかいである。わが家でも、妻は落語のおもしろみはわからないという。子どもたちにとっては江戸情緒がもう異次元の話であって、楽しむ対象でもなければ、なんら共感できるものではないようだ。テレビでは明石家やら林家やらを名乗る落語家のようなタレントがたくさんいるにもかかわらず、かれらが落語を演じているのをついぞ見たことがないのだから、この凋落もやむなしであろうか。実はこの日記の書き出し、古今亭志ん朝と入力して変換されたのが「古今低身長」、もしやと思った三遊亭円生は「三遊亭炎症」というありうべからざる誤変換。そこで後段に続く馬鹿話となった。MS-IMEは日本の芸能を軽んじているのであろうか。われらがATOKではいかがであろう。(ご利用の方がおられましたら、教えてください)
2004.08.27
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息子が自由研究のまとめのために、高倍率で花を観察したいという。手元のデジカメでもそこそこのマクロ撮影はできるので、あれこれ試してみた。ただ、レリーズをつかえないこともあり、ぶれることぶれること。PC上で確認してみるとつかいものにならない。あとは、子どものセンスとまかせていたら、不自由ながらもコツをつかんだのか、なかなか味わいのある写真が撮れるようになった。あとはレポートの本文である。休み明けには模造紙を用いて一人何分かで発表するのだそうだ。親があまり手出ししてはいけないと思いつつも、職業病よろしく添削したい誘惑にかられてしまう。子どもの自尊心を刺激しないように、文章を訂正させるのは一苦労である。自由研究というのも罪作りな宿題である。残りの一週間もこんな感じであわただしく過ぎていくのだろうか。たぶん、週末の「サザエさん」では、例年のごとくカツオの宿題を一家で仕上げるという図が放映されるに違いない。程度の差こそあれ、わが家も似たようなことをやっているようである。
2004.08.26
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『アトランティスのこころ』(新潮社、白石朗訳全2巻)昨日予告した手前、若干読み直しつつ書き進めてみます。正直に申し上げると、わたしはこの何年も大作といわれる小説は読んでおりませんでした。翻訳ものが苦手で、なおかつ2分冊ということで腰も引けましたが、とりあえず本書は読み通すことができました。あらすじを追うことは本意ではありませんので、感想のみ記しておきます。いわゆるオムニバスであることに気がついたのは2巻目に入ってから。いったいアトランティスはどこだぁと、少々不安になりはしましたが楽しく読めました。少年の心を描くことにかけては並ぶものなしと思います。下巻に入ってようやく『アトランティスのこころ』編。アメリカ史に深い影を落とすベトナム戦争の重さが感じられた。わたしの子ども時分も毎日夕刻のニュースではベトナム戦況がながれていたもので、あの時代の思い出をを共有しているような思いがします。ここがいちばんせつない章でした。残る掌編も各編が複雑な入れ子のようになっており、終章に向けての展開は超絶的でした。途中で十分楽しみまして、後半で(わたしが)ややだれてしまいましたがやはり快作というべきでしょう。一回の通読ではまだ味わいをよく理解できていないと思いますので、時間をおいて再読してみたい。ただ、わたしには翻訳文の語調はどうも合わないようで、近いうちに原語でも読む機会を作りたいと思います。(白石さんの訳がこなれていないというクレームではありません)つたなく短い文章ではこの感動をお伝えすることはできませんが、本書をご紹介いただいたchihaya-Mさんに感謝します。ちなみにアメリカ人の同僚にキングのことを聞いたら、本などを読んでいる暇があったら仕事(研究)をするべきであると一蹴されました。聞くだけ無駄だったな。かれの国の国民的作家であるはずのキングもかたなしです。
2004.08.25
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河童の川流れを楽しいことと勘違いしている中学生が過半数であるとの報を新聞で読んだように思う。弘法も筆の誤りと書くと少々不遜に聞こえるけれど、河童の川流れだと間抜けなニュアンスが伝わって、わたしはこちらのほうが好きだ。これにかぎらず、「情けは人のためならず」もよく勘違いの典型例で言われるところである。ただ、こんなことをあげつらう自分も、言い間違いや書き誤りなどの失敗をしているに違いない。さて、変な前おきではじめましたが、実は先ほどフラッシュディスク間でデータをコピーする際に、誤って利用中のそれをフォーマットしてしまいました。わずか1日、2日の差分とはいえ、会社で進行中のプロジェクトファイルの最新版を多数失ってしまった。不注意の一語に尽きる。事務仕事でも指差呼称(なになによし!と駅員さんがやっている儀式です)が必要かも知れませんね。ひたひたと背後に迫る老化現象の痛撃でした。会社での“事故”であれば始末書ものでしたが、自分のファイルであったことが不幸中の幸い。パソコンなんぞでめったなミスはしないとの自負はあったんですけどね。「まさかはいつか、いつかはすぐに」という、作者不詳氏による安全標語の本意はこれであったかと合点しました。ともあれ、河童は後半生で社内遊泳術をきわめようとしていたところなのですが、こんなことで溺れるようでは先が思いやられるところです。*出典につきましてはあいまい。テレビで見たのかもしれません。印象深いので、覚えております。なお、末文は雑記に色をつけるためのフィクションです。(予告:しばらく雑記がつづきましたが、また読書の話題に戻してまいります。とりあえずは、chihaya-Mさんに教えていただいた『アトランティスのこころ』をと思っています。)。
2004.08.24
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今日も所用で外出することになった。こんどは仕事です(神戸)。更新が遅くなると思い、言い訳として今から書いておきます。昨夜のマラソン中継は見逃せなかった。結局3時ころまで起きており、少々寝坊した。野口選手の「オリンピック発祥の地で、拍手歓声の中ゴールできてうれしかった」という言葉に素直に感動した。また、新聞を見て実感するのが、毎日のメダル量産。国別メダル一覧で日本がこんな上に位置するのは絶えてなかったのではないか。たいしたスポーツ振興予算を充てているようにも思えぬが、選手の皆さんの奮闘すばらしいものである。いつもの悪いくせで、直行直帰にしてしまった。もう少ししたら出かけます。(9:30)今日も酒食つきの会合なので、寝過ごしたりしないよう気をつけたい。(実は新幹線で一駅、二駅先まで行ってしまうのは日常茶飯事)。予想より早く戻ってきました。酒席は同行者の都合により遠慮した。しかしながら、すでに出来上がっております。新幹線の車中で同行者と痛飲。明るいうちから飲む酒はうまいものです。しか~し、帰るなりアルコールチェックに遭遇し、きつい小言を家内より食らいました。とほほ。時事ネタで下図につなぎます(著作権の点でやや怪しいかも。今日中に消します 19:20) (ムンクの絵) 23:30削除
2004.08.23
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楽天で懸賞日記を書いている方もおられるようです。自分もこの種の運はよいようで、日記でも時おり書いてきました。簡単に成果をまとめてみました。はじめての当選の記憶は小学生のころ。ガムか何かの懸賞でしたか、忍者赤影のハンカチを手に入れました。大事にしていたハンカチでしたが、ある日弟が鼻を拭いているのを発見。(これは深いトラウマになった。弟との不仲の遠因はここにあるかも。まぁこれはさておき…)。以後、お菓子のキャンペーンで数々を入手。テレビ鑑定団で結構な値のつくレトログッズをみかけますが、実家にあるものは母がほとんど処分してしまったらしく残念です。ただ、不思議なことに森永チョコボールの缶詰だけは見たことないのです。こんなメジャーな賞品なのに、都市伝説のひとつ?どなたか実物をお持ちでしたら、ぜひ写真を拝見したいものです。学生のころは、試写会の鑑賞券をずいぶんともらいました。おかげでお金を払って映画ををみた記憶があまりない。時代はだいぶん下ってこの数年。正確な時期は多少前後するかもしれませんが、こんな感じ。1999 商品券?万円 某学会に行った折り、併設の展示会の抽選で(家内に内緒で換金して書籍を購入)。2000 テレビデオ 年末商戦の抽選2001 食事券 家族で行ったホテルのビュッフェで、スピード籤にあたる。投資額を回収。2002 PDA PCメーカーのアンケートの賞品。すでに持っていた機種だったので、友人に安く転売し本代に代える。2003 ボイスレコーダ 雑誌のモニタ募集?記憶があいまい。2004 iPod (こちらは予定。グリコのキャンペーン。毎日ガムを食べて、3口ほど応募済みです。) ひと様の懸賞日記を拝見すると、キャンペーンをまめにチェックし、応募はがきには趣向を凝らしたイラストを描きという秘伝がよく紹介されていますね。そんなことは全然やらない、わたしのような無精者も神様は省みてくださるようです。ただ、人生における幸運には規定量があるとの伝でいくと、この悪強運もそろそろか。「人生細く長く」作戦で守りに転じる要ありですね、きっと。 以上雑記
2004.08.22
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二十四節気にしたがえば、もう初秋ではある。ようやく涼しさを感じてきたところで実感としては晩夏としたほうがよいかもしれない。子どもたちの夏休みも最終週にかかり、この週末は地蔵盆。子ども会の出し物のお化け屋敷の幽霊役にあたった息子は、自分がそもそも怖がりなのにほかの子をおどかせるわけがないと、やる前から半泣きである。去年さんざんおどかされたのがこたえているのだろう。きまったものはしかたない。まあ、がんばれ。そこまで面倒見るわけにはいかない。大人になったらもっと怖い目を見ることもあるのだから。お化けなんかより生きている人間(とくに女性)のほうがよほど怖い。昔の親だったら、ここで男のくせになんだというところであろうが、今はジェンダーフリーとかいうのがうるさいので、めったな事はいえない。わが地区の地蔵盆のしめくくりは花火大会である。花火師を呼ぶわけではなく、近くの学校のグラウンドを借りて子どもたちが花火に興じる。一時間もやってお土産のお菓子をもって帰宅。朝10時ころから夜の9時くらいまでの長い行事である。わたしも花火のときだけちょっとお手伝いをしにいく。きょう日、大事なお子さんたちに怪我をさせたら、来年からの行事内容が影響を被るので、運営側の親たちもこの日ばかりは真剣である。今年も無事に終わらせたいものと思う。学生さんは、楽しい夏休みの思い出を深く心にとどめてください。最後に、これは恋の歌なのですが、夏の思い出にかけて一首引いておきます。あの夏のかぎりなきそしてまたたった一つの表情をせよ 小野茂樹夏の思い出、いろいろです。(他意はないので、この部分あまり深読みしないように)地蔵盆をご存じない方もあると思いますので、こちらもごらんになってください。 → http://allabout.co.jp/family/ceremony/closeup/CU20040810A
2004.08.21
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昨日、トラフィックの重さにかまけて書きそびれたことがあった。8月19日はパスカル先生の命日であったのだ(1662年)。うっかりしていた。39年の生涯で哲学、数学に多大な業績を残した巨人である。後年、彼の思想に寄食して生きていく、哲学者、市井の偏屈じじいを産んだことも功績のひとつである。一般的に知られていないことと思うので、パスカルを引き合いに当時の数学豆知識を紹介したい。出典は例によって『パンセ』である(章節はこの際省きますが…信用してください)。「小さいものから大きいものを引き去ることはできない」。この時代、ゼロの概念が明確ではなく、貴顕パスカルにしても負数の概念はなかったようである。今も小学生が負数(マイナスの数)を理解できないのと同程度の認識しかなかったのだが、負数を便法でなく「実在」としてとらえられるようになるのは時代がもう少し下りてからである。パスカルのほぼ一世代あとにニュートンがいたけれども、その流儀による微分は現代のそれと多少異なるものである。負数やゼロという概念がいかに当時の数学者たちを畏怖させたかがわかっておもしろいエピソードと思う。高校生の皆さんも数学史を読むと、無意味と思える微積分などの背景の一端を理解できるものと思います。夏休みももう少し残っていますので、この機会にご一読をお勧めしたい。先日、夏休みの宿題を聞きに来た中学生の娘が、負数のある計算の理屈がわからない。たとえばマイナスかけるマイナスがなぜプラスになるのかという。計算技術としてはわかるが気持ち悪いと。わたしの答えは以下であった。借金(マイナス)を何回か返してみよ(マイナス)。わが財産がふえる(プラス)ことになるぞよと回答。借金を返すのも財産形成のひとつであるとの、生々しい実例に帰着したしだい。わたしも、火の車の家計を思い出し悄然とした。パスカルの話がいつの間にかわが家の貧乏自慢になってしまったが、これは夏の夜話(怪談)のひとつであろうか。今ひとつ、ひねりが足りなかったかも。(毎度お粗末)。翌日の補足コメントをいただいたこともあって、念のため本編『パンセ』に当たりましたが、見つけられませんでした。ほかのをぱらぱら眺めていたら、『数 その体系と歴史』(足立恒雄、朝倉書店)にそれらしき引用がありましたので、転記しておきます。わたしは、ゼロから4を引いた数がゼロであることを理解できない人がいることを知っている。…借金に借金を重ねてもプラスには転換できないこと,自戒といたしたいと思います。
2004.08.20
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少々帰宅が遅くなったので、あちらこちらを読ませていただいて、今日は日記に簡単なコメントのみ残すつもりでおりました。トラフィックが重いのでしょうか、コメントを書いてもサーバーエラーに遭遇する確率大です。さきほどから楽天の管理ページにも入れないようです。かくなるうえはメールで更新してみようか。…先ほどすばらしいプロットが思い浮かんだのに、サイバースペースのうたかたと消えてしまいました。「失われた美酒」、または、「去年の雪いずこ」前者はヴァレリー、後者はヴィヨンから。芸のない落とし噺で、今夜は失礼いたします。(今日もオリンピック観戦で夜更かしします)。
2004.08.19
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続き)昨日、申し訳程度に写真を載せましたが、USJに行きました。その顛末。予定されていた会議がなくなり、治療の予後が心配だったこともあり、休んで歯医者に行くつもりであった。前夜その旨を家内にいうと、あろうことか「せっかくだからUSJに行きましょう」と、子どもも和してそうだそうだと言いつのる。ずいぶん、早手回しじゃないか。わしの歯の心配より遊園地に行きたいのか。まあ、よろしい。どうせ、歯医者さんもお盆休みかも知れぬし。そして翌日、9時にはすでにUSJ着。混雑のピークはもうすぎたのかも知れぬが、夏休み中である。どこも待ち時間は1時間以上である。わたしはおよそ行列が嫌いである。いくらおいしいといわれようとも、行列のできるような食べ物屋にならんだことはない。電車はしかたないから並んで待つが、アトラクションも乗り物にはちがいないと自分をなだめて家族と並んだ。こんなに並んだのは、長女が生まれる前に行ったディズニーランド以来だ。日本人は忍耐強いとあらためて感心した。退屈しのぎになると思い持っていった、ボイスレコーダ(MP3プレイヤーでもある)が役に立ったが、父親のみがヘッドホンで音楽に興じるというのも、子どもの手前感心しないことと思い、途中でやめた。それでも、家内も娘も携帯メールに夢中。息子はゲームボーイに夢中という態で、親父は広場の孤独をかみしめたことである。終日で6箇所。シネマ4D、スパイダーマンとか混雑A級のところばかり選んだわりには、何度も行っている長女によれば、まあまあの戦果らしい。目の回るものばかり乗って、最後は本当に頭が痛くなった。年寄りには刺激が強すぎるアトラクションばかりである。(スパイダーマンで後ろに乗り合わせた老婦人は、どこかこわれてしまったか、ずっと笑い通しで気味が悪かった)。19時をすぎてまだ乗りたそうな長女ではあったが、散会を宣言。わたしたち夫婦はもちろん、長男も歩きつかれてしまい、USJをあとにした。途中大阪駅で軽く夕食をとり、JRで帰着。最後は猛烈な雨にたたられ、長い一日であった。さんざ歩き疲れたつけが今日になって出てきて、足の付け根が非常に痛む。筋肉痛ではなく関節痛かもしれぬ。今週末からは地蔵盆で、子どもたちのお楽しみ。親にとっては最後のご奉仕である。はやく夏休みが終わってくれないものか。親という稼業も楽ではない。すっかり追いやられてしまった、次回の歯科通院をどうしようか思案中。
2004.08.18
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本日は私用で関西某所へ参りました。忙しいといった舌の根が乾くまもなく、再び休みを取ったばか者であります。それにしても疲れた。詳しいお話はまた明日。写真のみ貼りつけておきます。
2004.08.17
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101回目の日記となりました。山本夏彦氏は、「作家は処女作を超えられない」と喝破されましたが、日記作家(という言葉があるなら)が超えられないものは、はてなんであろう。楽天にいちばん最初に書いた日記は自分でも気に入って、臆面もなくフリーページにまでのせてしまったが、これが、わたしの限界でしょうか。超えられないのはやっぱり(自分自身の)バカの壁かもしれません。どなたかの掲示板に、下記のようなことを書いたことを思い出しました。「中学のときから結婚後もしばらくは日記をつける習慣がありましたが、常に予期せざる読者(母あるいは妻)がありました。それがために、本心を日記につづることはありませんでした。後年、人に読まれることを前提として日記を書くことになろうとは思いませんでした」。サイバー空間では、少なくとも孤立した私的空間はないという当たり前の事実を再認識。これより苦吟して二回り目です。出張や飲み会があっても途切れず書き続けてきましたが、秋口からは学会等の重たい行事が目白押しなので少々自信がありません。 (以上雑記。昨日の日記との落差は許されたし。)
2004.08.16
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先の戦争で亡くなった方のことを思う日である。子どもと散歩をしている折、近所のお寺でもそれらしき法要をやっていたので、門前を黙礼して通り過ぎた。この日を戦争犯罪(人)や、父や母につらなる人々をあしざまに罵る日と勘違いしている向きもあるようだ。心静かに祈ることができないものかと悲しむ。戦争犯罪について、ながきにわたり前向きに前のめりに反省してきた歪もあろう。戦争の災厄を経験した方々がご存命であり、軽々にいえないことは承知している。それにしても、父祖の罪を悔いること59年である。前のめりから少しは態勢を立て直して、未来につなぐ論を交わしたいものだ。日本も悪いが○○国でも植民政策をとっていた、○○国ではこうしたという出羽守も、激烈な自虐論もお断りしたいところ。マスコミの論を見る限りは後者が勝っているように思える。深刻なのはこれらの歴史認識以前の問題で、太平洋戦争の史実を知らない若い人が増えていることである。小学生の息子も中学1年の娘に聞いても戦争のことなど習っていないとのこと。出典のわからない残酷写真を見せることをもって歴史教育と称されても困るが、このていたらくをなんとしよう。昔は年寄りが問わず語りで戦争の話をきかせてくれたもの。つまるところ、家庭教育のありようにまで飛躍するのかもしれない。めぐらぬ知恵をめぐらして、年に一度この日にほんの少し振り返り考えた。以下は8/5の日記より再掲します。Puisque les morts ne sont pas revenuesque reste-t-il A savoir aux vivantes-Jean Tardieu死んだ人々は、かえってこない以上、生き残った人々は何がわかればいい?『きけわだつみのこえ』に引かれた詩の一節。上掲は渡辺一夫氏による訳。
2004.08.15
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オリンピック開会式を見た。朝から各局でレビューをやるのだから、がんばってリアルタイムで見なくてもよかった。わたしも家内もうるう年の生まれで、家内は東京オリンピック、わたしはその前(ローマ)である。東京オリンピックはあいまいなのだが、やはり中学生くらいからの記憶が鮮明。ミュンヘンオリンピック(1972年)のおり、パレスチナのテロリストがイスラエル選手を襲撃した事件は驚いた。その8年後のモスクワオリンピックのボイコットも、選手の皆さんが気の毒と思われたできごと。オリンピックにその時々の自分のこどどもを重ねて思い出すことが多い。今回のオリンピックも紛争のさなかの開会。世界にしばしの平和をもたらしてくれるように祈りたい。平和の祭典といわれるオリンピックも、しょせんはローレンツのいう儀式的闘争のひとつとは思うが、血を流す戦いではないことを多としたい。なお、末筆ながら日本選手の活躍も期待しております。リンクしてもらっているよしべえ4311さんのところに行って書き込みをしたのが、上掲日記の動機です。ちょっと早いですが、今日の日記とします。ちなみに、家内の名前の由来をさきほどはじめて聞いてびっくり(いまさら聞くなよ)東京オリンピックの開催期間中に生まれたので、「世紀の祭典」から一文字拝借したそうです。そういえば、同級生には紀子とか、典子という女の子がたくさんいたけど、ここからとったのね。知らなかったぁ。亭主の知らない女房の秘密か。結婚して20年たつのに今ごろ教えてもらったが、喜んでいいものでありましょうか。ちなみに家内の名は上に挙げたものではありませんので、勝手にご想像ください。追記2)結婚ではなく、交際をはじめて(古いな)20年でした。結婚記念日は忘れたことがないけれど、すでにそのほかの記憶は怪しくなっております。謝意を表して→よしべえ4311さん http://plaza.rakuten.co.jp/mogura4311/diary
2004.08.14
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庄野潤三に『プールサイド小景』という作品がある。これとは関係ない話。子どもと公営プールに行って来た。今日は珍しく中学生の娘も一緒に行きたいというもので、下の子を含めて3人連れである。今時の中学生は親じゃなくて友達と行くものじゃないのかと言ってみたが、最近疎んじられていたから関係修復の兆しかと思えば悪い気はしない。日の高くなる前に引き上げてきたものの、背中も顔も日焼けがひどく非常に痛い。生卵を放置したらどうにかなろうという環境で3時間もいたのだから、まさしく年寄りの冷や水というものである。プールで気がついたのは、いまさらながらの外国人の多さ。公的統計によれば、当市は外国人人口が5%を超えておりその多くはブラジル系の労働者である。製造業がお盆休みに入ったことで、彼らも行楽に出ているのだろう。プールでの注意書きは英語、ポルトガル語、中国語と多岐に渡るものであった。国際化をこんなところで経験するとは意外な感じがした。プールで遊ぶ外国人の親子連れの様子はほほえましいもので、当然のことながらこの情景は世界どこも変わることがない。ただ、外国人にからんでの問題も仄聞する。生活習慣の違いやごみを分別しないとか、周辺住民との軋轢もなくはない。また、ためにする話ととられては心外だが、近在のコンビニ・スーパーでは例外なく簡体字で「ビデオ録画中、万引きは当局に通報」との警告が掲示されている。日本語と簡体字のみの表記というのはまた気がかりだが…。(某国のお門違いの抗議がないことを祈りたい)。娘の通う中学校ではクラスに2,3人の割合でこれら外国人の子弟がいるらしく、補習授業で保護者がボランティアで先生方のお手伝いをしている。わたくし、ポルトガル語はまだ習ったことはありません。いいかげんなスペイン語でも多少は通じると思うので、そのうち草の根交流とやらに挑戦してみようと思います。翌日の補足娘の学校は大規模校ではなく、外国人子弟の在籍数で言えば30人前後と聞いています。法務省の外国人統計を示しておきます。東京の外国人人口も相当のものです。(直リンクよいのかな?)http://www.moj.go.jp/PRESS/040611-1/040611-1.html
2004.08.13
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同じ話で何日も持たすのは感心しないとわれながら思う。明日から夏休みなのですが、16日にISO14001の内部監査を設定してくれた事務方のおかげで、今年は15日までの三連休のみ。監査の準備もしなくてはならないので、実質、うちで仕事をすることになると思います。よりによって、何でこんな時期にやるのかと恨みもないではない。監査、被監査の両方を続けてやった日にはふらふらになります。話変わって、先の関電福井原発の事故は、心が痛むものでした。亡くなった方々のご冥福をお祈りします。きわめて厳格な点検システムが機能していると思われていた原発で、基幹部ではないところが原因で4人もの死者の出る事故を起こしたことが実に衝撃的でした。自分の住まいが、そこから決して遠くはないということが、また脅威でもあります。この夏休みには電源系統の(法定)点検があり、研究所の主管電力を落とす要があり、今夕は大型の設備(電子顕微鏡やその類)の停止措置をしてきました。ほとんどが昼夜兼行で稼動する大型装置も、年に2回は人と同じく休ませてやる習い。休み明けの起動に際しては、種々の点検をおこない、次は正月まで停めることはありません。かの事故を他山の石として、類似設備を持っている事業所には、当局からも仔細な点検指示、あるいは査察等があることと思います。いかに機械やシステムが高度化しても、それらの複合システムを運転するのは人間です。「人間、この複雑な機械!」と技術屋のわたしは思っていますが、うまく考えがまとまりませんのでこのへんで。今日はありきたりな感慨を述べるに終わりました。翌日の補足わたしは冷酷な「人間機械論者」ではないつもりですが、上掲ではうまく表現できませんでした。開高健は「筆舌に尽くせぬということはない」と書きました。もう少し修行します。文豪を引き合いに出して、申し訳なし。
2004.08.12
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わたしもあさってから休暇をとる。やたら3連休が増えたおかげで、夏休みのありがたさは目減りしている。子どもたちの長い夏休みも折り返し地点である。小学生の息子が立てた夏休みの計画は、7/14の日記に紹介したとおり。早寝早起きはすでに空証文となり、比較的守っているのが早めの入浴であろうか。最近、この子が入浴中にシリトリを挑んでくるようになった。相手の言葉に自分の言葉を果てしなくつなげていくスーパーシリトリ。これは記憶力勝負になり、短期記憶のおぼつかない大人は勝ち目がない。それでも、日々やっていると、20語くらいは続けられるようになる。(負けてしまうんですけどね)。ほかにはテーマを決めて続ける、物シリトリ。食べ物や、スポーツの名前などにきめるが、同じ言葉を何度出してもよい。これはテーマ設定しだいであり、わたしにも(ときどき)勝機がある。今日のテーマは怪獣。勝負は一瞬で決まりました。息子 :ゴジラ!わたし:ラドン!…やっぱり負けた。勝敗はともかく(?)、あしたのテーマは何にしようかと子ども相手に策を練るのも、なかなか楽しい。お風呂嫌いのお子さんがおられたら、試してみてはいかがでしょう。当方、勝負が長引いてのぼせても責任はもちません。
2004.08.11
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《Le Coche et la Mouche》馬車と蝿という意味である。(表題はフランス語)ラ・フォンテーヌの寓話から紹介したい。一生懸命山道をのぼっている馬車を目ざとく見つけた蝿。馬にたかった蝿がやれ押せがんばれと、その実さんざん邪魔をしたあげくに、頂上に着いたところ「これだけがんばったのだから、わたしたちにもご祝儀をはずんでくれまいか」とほざいたという馬鹿話である。うろ覚えで、原話から多少逸脱しているかもしれません。研究者の多い分野なので、Web上でもすぐ見つかると思いますので、興味のある方は調べてみてください。この章句は名言集にも引用されていて、たとえば『フランス故事名言集』田辺保訳-大修館書店(1989)をごらんいただくとよいと思います。同書によれば成語として以下があります。 faire la mouche du couche(原義:馬車の蝿になる)原典はつぎのURLで発見。引用の大意は合っているように思う。→http://www.jdlf.com/lesfables/livrevii/lecocheetlamouche 世の中にはわれこそはという不幸な考えにとり憑かれてしまった人がいて、上掲蝿のような役割を果たしてくれることが多い。わたしの乏しい経験でも、プロジェクトが難所にかかると必ず涌いてくる輩がいたものである。自らが卑小な蝿にならぬよう肝に銘じたい。蛇足:最近の暑さのせいで涌いて来た蝿もいるようです。
2004.08.10
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今日は表題を書くにとどめます。
2004.08.09
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騒動をものともせずに勝ってくれた日本チーム、留飲が下りました。最初におことわりしておきますが、わたしはこのほかにもBlogを持っております。政治的な話題は楽天外で書いてきました。昨日のサッカーの試合やそれに先立つ日記のながれから、ここしばらくは楽天でもそちらの話題にいくような気がします。(いつもとちがう書きようになるかもしれません)今回のアジアカップの一連の非礼について、中国政府はことさらに一部のファンの暴走と言い訳しておりましたが、反日教育については言及いたしませんでした。外務省は例によって何もせず、「お宅も大変だろうけど少しは静かにしてよ、だいたいうちの子に何するのよ」とささやかな苦情を述べたのみであります。国旗国歌は、国の表札であり肖像のようなものです。今回これらがいかに粗略なあつかいを受けたかはTVでごらんになったとおり。「われわれの歴史認識が正しくないから、中国ファンの暴走を招いた」という「日本人の反省」の弁と思える驚くべき珍主張をマスコミでも見かけました。是々非々で議論できないジャーナリズムに存在意義があるのでしょうか。アジアカップに政治的意義を見出して活用しようとした、中国の大きな誤算かもしれませんね。彼らにとっては反日(抗日)教育の効果を検証できた一場でもあったと思います。ただし、これで、オリンピックのホスト国としての資質を云々されるようになってはやぶ蛇というものでしょう。いずれにしても、今回のことで中国が嫌いになった日本人は相当数に上ると思います。大人(たいじん)の国というのは看板のみということが世界に知れてしまったわけです。それやこれやで、今日の主張は「ODA返してください」であります。(これも是々非々ではない感情論ですが、今回日本人に反省を求めたマスコミ人士の論はこのレベルですぞ。毎年8月は政治的にも暑い季節なのに、今年はサッカーの話題でさらに過熱しました)。苦情、ご意見があれば承ります。先ほど"溜飲”の語義を念のためにBookshelfで調べてみたら、下記のようでした。例文どおりですね。good job. りゅういん【留飲】留飲が下がる 《形式》 feel great satisfaction [be heartily satisfied] (at, over); gloat (over one’s rival’s downfall).留飲を下げる文例ひいきのサッカーチームが久しぶりに優勝し, 彼はおおいに留飲を下げた. He felt great satisfaction when his favorite football team won the title after many disappointing seasons.New College Japanese-English Dictionary, 4th edition (C) Kenkyusha Ltd. 1933,1995,1998
2004.08.08
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前にも書いたような気がするのですが、この数日会社のメールサーバーに大量の中国発スパム、ウィルスメールが届いているらしい。システムレポートによると、アジアカップの開会直後から著しく増えているとのこと。通常のe-mail受信にも支障をきたし始めており、われら社員もいらいらしております。中国内には日本へのサイバーアタックを公言し、扇動する団体があるとか。中国の政治体制から言えば、これらが政府黙認(公認?)活動であることは明白。スポーツを国威発揚の種にするという発想が前時代的で感心しない。なんだかいやな感じがしてこの文章を書きはじめたが、つい先日『なぜ中国人は日本人を憎むのか』(石平、PHP研究所)を流し読みしていたことを思い出した。中国にとって、日本は愛国心教育のよりどころとして欠くべからざる仮想敵、悪魔なのだそうだ。幼いころからから憎悪をかきたてる教育を受けていれば、親愛感など持てるはずもない。中国の流儀では他国の教科書に容喙する権利があるそうだから、わが外務省も抗議のひとつでもしたらどうか。それにしても、そんなに日本が憎くてもODAはもらってくれるのね。彼らにしてみれば、日本のODAは懲罰的な意味合いがあるのだろうが。大人(たいじん)と名乗るのなら、矜持があるなら、もういいかげん断ってくれないものか。審判も敵に回して試合をしなくてはならないという光景は、ついこないだのワールドカップでも見た記憶が…。7日の決勝戦。日本チームの健闘を祈ります。補足よみうりテレビ「ウェークアップ」によれば、中国では歴史教育の四分の一を、現代史の反日(抗日)教育に当てている由。補足その2サッカーと同時間帯に「世界・不思議発見!」では”星の王子さまを探して”という特集があります。たぶんサッカー中継とはしごすることになりそう。
2004.08.07
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多言を費やさず、表題を書くにとどめます。昨日と同じ理由により…(以下略)
2004.08.06
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台風一過を一家と思い込み、極道か何かと取り違えていたのは中学生時分のことである。なんてお馬鹿なわたしだったのであろう。台風も去り暑さがまた戻ってきた。8月初旬で涼しさを期待するのは無駄であったか。近隣の町ではさきほどから盛大な花火をやっているらしく、ずしんずしんと腹にこたえる音がつづいている。家並みの関係で死角になってしまい、模様が見えないのが残念だ。母方の祖母は花火の嫌いな人であった。住んでいた町が空襲を受けたことがあり、花火の音が爆弾の音に聞こえるのだと語っていたものである。8月という折柄こういったエピソードは枚挙にいとまがないが、夏の風物詩にも悲しい思いをあらたにする人がいるのかもしれない。過ぐる戦争で亡くなった人々の無念や悲しみを思う。Puisque les morts ne sont pas revenuesque reste-t-il A savoir aux vivantes-Jean Tardieu死んだ人々は、かえってこない以上、生き残った人々は何がわかればいい?『きけわだつみのこえ』に引かれた詩の一節。上掲は渡辺一夫氏による訳。なお、わたしはいわゆる平和運動に与するものではなく、この日記に関する政治的コメントはお断りします。
2004.08.05
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台風が迫ってきているためか、急に蒸し暑さが増しています。今回の台風もほぼ当地を来襲予定。予定では明朝6時ころです。それにしてもよくもまあ、次から次へとくるものです。会社での台風対策をすっかり忘れて帰ってしまったが、ぼろ建屋は、だいじょうぶであろうか。それと同様わが陋屋も気がかり。(一昨日の日記に書いたカエル君たち、今夜は。ますます元気のようです)。
2004.08.04
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楽天日記のインターフェースが変わったと思ったら、いろいろ拝見するに、すでにずいぶん作りこんでいる方もおられるようです。しかし、自分のページがいじれません。「ただいま混み合っております。もうしばらくしてから、再度アクセスしてください。」楽天ユーザーが殺到している図が見えるようです。今日はたいしたトラフィックなんだろうな。書き込もうとしては再三消えてしまって、最初に何を書こうと思ったか忘れてしまい、あきらめて愚痴を書いている仕儀。危険予知して、メモ帳に書いて転記することにしました。それにしてもつながらない。ようやくつながったところで、今日の日記は完了です。それにしても、何を書くのだったか…?
2004.08.03
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昨夜のこと、息子が外から変な声が聞こえると2階から駆け下りてきた。最近、このかいわい変質者が出るとのこともうわさされていたことはあるが、変な声とは?外をみてみたが、そのような気配はない。二階から聞こえるということは、声の主は少し遠くにいるのではなかろうか。とりあえず、息子の部屋に行って聞いてみると、声の主はウシガエルであることがわかりました。ぶろろーん、ぶぅおーんと闇夜に響く不気味な鳴き声であるが、カエルとわかって安心したのだろう。息子もおとなしく部屋にもどったしだい。前任地の社宅のそばには貯水池があって、ここのウシガエルの鳴き声は夏中大変なものであった。当地に来てウシガエルを見ることはなく不思議に思っていたが、帰化動物恐るべし。全国にちゃくちゃくと勢力拡大中ということですな。草野新平の詩に出てくるようなカエルの声ならまだしも、前段のような鳴き声(うめき?)である。風情のないことおびただしい。これもこの夏の暑さの余波であろうか。(自然をめでると言いつつ、帰化生物にはきわめて冷淡なわたしであった。)
2004.08.02
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(同じ話題で3日目)読書感想文やら教育論やら、さらには脱線で書き逃げしてしまいました。言い訳させてもらいますと、わたしは決して放任主義者ではないつもりです。ただ、読書に(押しつけの)課題図書があるというのはやはり悲しいことではないか。人を説得するための文章、伝達するための文章を書く修練ということが目的であれば、題材はとくに読書にかぎらなくてもよかろうと思うのです。一方では「夏休みの楽しい思い出を書きましょう」という親泣かせの作文の課題もあるので、ほんとうに困りものですが。さて、今日は図書館に行きまして、『星の王子さま』関連の書籍などをながめてきました。本編は人気があるのか書架にはありませんでしたが、解説本だけでも十冊ほど。サン=テグジュペリの生誕百年(サンテックスは1900年生まれ)にあやかった書籍群なのでしょう。玉石混交といったところでした。ながめるだけで借り出すのはやめておきました。研究書ならともかく、思い入れのキツイ読み方指南は勘弁願いたい。こんな小さな街の図書館にも多くの『星の王子さま』をめぐる本たちがあることに、あらためておどろきました。長く愛される本ここにありですね。(一昨日には本をしまっておく旨を書きましたが、Webで読むのは大変でした。時代は変わっても、本は書籍で読むのが一番です)。
2004.08.01
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