全287件 (287件中 1-50件目)
書くところがなくて気が狂いそうなのでここに書きます。いま、自主避難をするか悩んでいます。2歳の子どものことと、お腹の子のことを考えると、東京を離れた方がいいのか本当に悩んでいます。そのせいで、夫とも口をきかないくらい喧嘩になりました。わたしだけがノイローゼだと思われています。両親にも義理の両親にも大丈夫よ、なんていわれたけど毎日不安で仕方ないです。さんざん水道水も飲んでしまったし、公園でも遊ばせているししかもピクニックして、土の上でレジャーシートでお弁当食べたりしちゃったしだんだん不安になってきた。夜中に眠れなくて、情報を集めていると、東京だってすでに年間1ミリ越えのところが多いし気が狂いそうだ。。。それでも毎日息子は外遊びしたがるし、外出しないとものすごい癇癪を起こすし。母子だけで、しかも身重で、親戚も東京以外にいないのでいったいどこへ行けばいいのでしょうか。夫も一緒にいってくれれば心強いけど、「わかっちゃいるけど、長年続けてきた仕事はやめられない」といわれました。最近じつは家を買おうかという話も出ていたのですがそんなことに今大金を使っている状況じゃない気もして保留してます。今年にはもう一人生まれるし、来年には幼稚園がはじまるしいったいどこで、安心して暮らしていけばいいのかな。疲れちゃった。久々に鬱にもなりました。明日はヒーリングセッションを受けてきます。なにかヒントがもらえるといいな。ほんと、3.11以来 疲れちゃった。
2011年05月26日
コメント(7)
久々に夜起きていられた! ので、ちょっと書きにきました。こっちでは先に言っちゃいますが、わたくし、妊娠しております。いま3か月目です。まだ安定期じゃないけど。。。とにかく、この前半戦は、身体が急激に変化していくのでお腹と腰がしんどいー、つわりがきついー。今回はかなりのオエオエ感です。吐きづわりの人は胃液まで吐くっていうけどわたしは吐けない食べづわり。たとえて言えば、24時間船酔い…が数週間続いている感じでしょうか。気持ち悪いけど、食べないともっと気持ち悪いし…さすがに一瞬体重が2キロ落ちたけど、今はもう戻りました。ピークは過ぎたのかな。+このブログを再開したのが、2009年の11月で、そのときからはずっと『動』の流れにのって、どんどん加速していってました。それが3月に講座を終えて、なんか新学期な気がするといっていたら本当にいまや『静』の流れがやってきました。動きたくてもなかなか動けない。急激な変化で、もどかしいくらい。本も読む気にならないし(船酔いだから)瞑想なんてしていらんないし一日を無事に終えるのに必死です。体弱いのう・・・『動』の時期は『夏』みたいで、ドキドキわくわくして、活発で夜更かしもして、楽しかったなぁ。『静』になって思うのは、『冬』みたいで、見た目は地味だけどしっかりと大地に根付いて、新しい命を育んでいる感覚でしょうか。夏は欲望のままに楽しんでいたけれど、冬の今は欲望はなくなったなぁ。いまのままで幸せだな~と思います。というか、動きたくても動けないから(笑)+そんないまでも、唯一関心があるのが「禅」の世界です。禅って特別なことじゃなくて、日常でも生きられる世界だからね。こんなに体が変化していく時期を経験するとそれだけで、「いま」に意識が向き続けます。禅もまずは呼吸に意識を集中することからだと思うけれどそれと同じで、常に体の「いま」に意識が向いています。会社員をしていた頃は、そういう感覚をまったく忘れていました。女としてのバイオリズムすら忌み嫌っていたから、病気もしたし。母になる経験をしてから、体を通して「いま」と結びつくことができるようになって女ってやっぱりトクだな、と思ったりします。(まあ、男性はその分、ほかのやり方がたくさんあるんだろうけど…)次回はお産のときの、陣痛と陣痛の間の、あの気が遠くなる瞬間にどんな世界にとんでいっちゃってるのかを観察できたらいいなぁなんて、いまはのん気に思うけど実際そんな余裕はなくて、気を失ったようになっているんだろうなぁ。+そうそう、『動』の時期は外と男性に興味が向いていたけれど(変な言い方ですが)『静』のいまは、内と女性に興味が出てきました。会いたいヒーラーの女性が何人かいるので、近々そういうところにもいってみたいです。ともかく、体調が安定してほしいですわーもうちょびっと動きたい。欲、やっぱりあるのだね。
2011年05月12日
コメント(2)
今日は、阿部敏郎さんとボブフィックスさんと向禅師のコラボ講演会に行ってきました。体調があまりよくないので、申し込むのも迷ったけど、わたし向さんのファンなのです。ぽ。天然でマイク持つのすぐ忘れて、何を言っているのかわからないことしばしば。「言葉じゃ真理は伝えられないわけ。言葉があるから分離しちゃうわけで、ワンネスの場に入っていけばそれしかないんだから。もうね、話すことはなにもないですよ」と講演会のしょっぱなに言っちゃうし。それを阿部さんが皮肉っぽくツッコむたび笑える。。。会場に着いたのが遅かったので、後ろから二列目に座ったんですが途中から出ることになっていたらしい向和尚が隣の席にスタンバイすることになりました!!きゃ。思わずちょっと話しちゃった。隣で深~い呼吸をしていたのが印象的でした。普段から深い呼吸なんだな、と思いました。わたしなんか、ハアハアしていたのに(笑)ボブさんは、柔和そうな笑顔のたえない人でした。真面目でピュアな空気感の人だなと思いました。会場の雰囲気もそれにつられて、真剣な感じでした。途中で瞑想をすることになって、自分の中に入っていって一瞬だけ上に突き抜けて意識がクリアになったときがあったんだけどまた下(自分)に降りていって、最後は眠ってしまった…帰りは一人で遅めのランチでパスタを食べて帰ったんですがそのあとくらいからお腹が痛くなり始め自宅についてから布団の上でのた打ち回ってしまいました。息子が心配して隣でエンエン言っていたのですが構う余裕もなく「ごめんね、大丈夫よ」と言ってはうめきなんか産まれるかと思った(笑)時を忘れる痛さで、気づいたらエンエン言いながら息子は夕飯も食べずに寝ていてわたしも、ぐったりと寝てしまっていました。デトックスでしょうか。好転反応でしょうか。いまもお腹に大きな石があるようで、すっきりしません。なんかね、講演会の途中から、違和感をおぼえちゃったのよね。ボブさんと波長が合わないのかも。そんなこんなで激動の流れの4月が終わりました。5月はどんなことがあるのかな。新緑にどっぷりつかりたいです。
2011年04月30日
コメント(0)
4月に入って、新しい空気感だな~なんて思っていたらやっぱり一気にいろんなことが押し寄せてきました。そういうことですか、ハイ…という気分です。自分でも対応おいつかず。まだ詳しく書けないけどこれもすべてプレゼントなのだと思って流れに身を任せております。震災のことも怖かったけど、阿部さんが「去年の10倍」と言っていた2011年ですからまだまだ、自分の内側と外側でいろんなことが起こり最終的に内側も外側もなくなっていくんだろうなという予感がしています。2011年はまだ4分の3残ってるんだもんね。年末にはどうなっているのでしょうか。あー、こんな話をする場所がまた欲しいなー。そうそう、3月にヒプノのクラスを修了しました。最終回は全員集まることができてそれぞれの過去生を見にいくこともできて遊びみたいで面白かったです。ほんと、みんなで過ごした時間は楽しかったな。いい仲間に巡りあえて幸せでした。感謝の気持ちでいっぱいです。最後に皆さんと握手をできて嬉しかったです。ハグ、もっとちゃんとぎゅっとしとけばよかった。恥ずかしくて、うろ覚え(笑)なんだか「みんな、いってらっしゃーい!」な気分。それぞれの場所で生きよう、そんでまた集まろう。また書きまーす。
2011年04月15日
コメント(1)
そういえば、この前、ふとビジョンがやってきたのでそれを書いておきます。たいしたことじゃないんだけど、何度も思い出すので、一応。ビジョンとはいっても、言葉とかじゃなくて、映像みたいなの。人は円の上を生きているんだな、と思いました。丸(輪)の上を、歩いたり走ったりして生きている。前に進んでいるつもりが、気づくとまた同じところに戻ってくる仕組み。はじまりもなく、終りもない。丸のこっち側も「いま」で、丸のあっち側も「いま」で永遠に「いま」というか、なんというか。うまく言えないんだけど、そう感じた。昔は、その円がらせん状になって、上に伸びていて成長していくと思っていたんだけどそうでもないんだな、と思った。1歳のときのわたしと、10歳のときのわたしと、20歳のときと、今のわたし。どれも成長してないんだな、ある意味。ずっと、わたしがあるだけ。やっぱり、うまく言えないわ。ともかく、そんな感じを感じました。+最近、妙に「自分がただ在る」感じが強くなりました。「ただ在る」感じが強くなると、それだけで揺らがなくて幸せを感じます。もうどうしても、こういうことを考えるのが好きなのはわたしの性質であって、どうにもならないなー。と認めちゃうと楽しい。ハピー ライフ
2011年03月07日
コメント(0)
阿部敏郎さんと、向禅師とのコラボ講演会に行ってきました。向さんは禅寺(臨済宗方広寺)のえらいお坊さんだけどかなり型破りだというので一度見てみたかったのです。まー、ほんと、型破りでかっこよかったぁ。わたし、型破りな人が大好きなのを思い出しました。昔、腎炎で大学病院に入院したときに主治医は、自分たちの研究のために検査、手術をすすめてきた。病名をはっきりさせたいためだけの手術。そんなのすごく嫌だったので、やりたくなくて悩んでいた。そんなときに、ちょちょっと呼び出してくれて「別に検査も投薬もしなくてもいいんじゃない?あ、でも、ここだけの話ね。そんなこと言ったら怒られちゃうから」って言ってくれたお医者さんがいて、その人に惚れ惚れしたものでしたわ。(そういえば、あのお医者さんも坊主だった…)「立場」の垣根を飛び越えて「人」として出会える人ってありがたいです。人としての気持ちをちゃんと汲み取ってくれる人。本来、人と人って、そうあるべきよね。だから、「えらい人」なんていないって最近思うのです。好きな人がいる、ってことなのです。脱線しましたが、向禅師もかっとんでた~。お坊さんなのに、葬式や戒名の無意味さとか話しちゃうしお布施をもらわないといけないからお経あげるけどさ…とか言ってがははと笑ってました。二人とも年齢を重ねて、目尻が下がって、とてもいい顔でした。いい掛け合いで、笑わせてくれました。やっぱり「笑う」ってさとりですね。笑わせてくれる人ってすごいよね。笑えるってすごいよね。今日のお話で印象に残ったこと。メモしておきまーす。・信頼すること(全体の流れを、いまここの場を、目の前の人を)・オープンにすること・気づくこと アウェアネス・心を込めること ハートフルそれがさとりへの道であり、禅である。わたし、全体の流れはとても信頼しているなぁ。だからいつも、お任せで、次はどんな流れがくるのかと楽しみにできる。もちろん、その中には苦しいこともくるんだけどそれも必要なんだって、あとからはわかるのです。そのときは苦しいけど。でもあとからわかるんだって、わかっていればちょっと楽よね。オープンにすることが、わたしはまだ苦手かな。自然体といわれることも多いのですが、まだかっこつけているところはやっぱりあると思います。自分への信頼がまだ揺らぐのかなぁ。ともかく、今日も楽しい講演会でした。禅、って興味あるー。苦行はいやだけどー。怠け者なので。しかし、向禅師もお坊さんなのにセクシーだったなぁ。あははわたし、ひょっとして坊主好きなのだろうか…
2011年03月06日
コメント(0)
久しぶりに書いてみようっと。ここのところ、平穏無事な毎日で心が動くような旅もなく、書きたい気持ちにならないのです。2011年のスタート時にわくわくした割には、もう2ヶ月が過ぎ「平穏だな~」(BGMは鳥のさえずり)という感じですが、これこそが幸せなのでしょうか。+ヒプノクラスも8回目が終わり、残り2回となりました。「もうヒプノなんてうんざりだぜー!」という気分になっていたのでまったくもって面倒だしやる気ないし、やめようか本当に迷ったのですがそれでもノコノコと出かけていってしまいました。どこか、なにか、期待してるのよねー。みんなもそんなにヒプノをやりたい風でもなかったのかカウンセリングメインで講座が進みました。ほ。わたしは、男性への怒りが自分の中に湧いて、体中にパンパンになっていたのでそれを聞いてもらいました。男性性と女性性について、みんなと考えてみて、空気が抜けたように怒りが消散して楽になりました。別に男性に怒りをもっていたのではなかったことがわかりました。権力とか暴力性に反応していたみたいです。もっと正直に書けば、それは、講座のO先生への反応なのですけどね。講座のマスターなので、そこに反応しちゃって、行きたくなくなっちゃってたんですけどね。言わなかったけど、先生、気づいたかな?たぶん、わたしも同じようなことをやりたいのじゃないかと思うのだ。でもできないし、そんな能力もないので、先生にからんでしまうというか…いろいろ投影しまくりです。お恥ずかしいので、いえませんでしたが。ま、気づいているだろうなー。+O先生のすすめていた、ダグラス・ハーディングの本を借りてきて読み始めました。『今ここに、死と不死を見る』というの。まだ半分だけど。感想ちょっと書くので、嫌な方読まないでくださいね。この本で、かなりトリップできるとか、目覚めちゃうとか言うことでドキドキしながらページをめくっていたのですが…すいません、全然トリップできませんよー!なんか、もう、それ、知ってたよ~。というか、同じことを言うにしても説明下手だよ~、と思った。顔がない、ってのは、わたしの感覚とはなんか違う。池田晶子の方が、とべるよー!! 「この世には自分の死がない」といった彼女はすごいと思った。あー、好き!+もう、どの本を読んでもあんまりびっくりしなくなってきちゃって新しいことはもうないのかなぁとか思っちゃっています。スピリチュアル倦怠期かしら。今は、本より、人の方が興味ありありです。そういう時期に入ったのかなー。
2011年03月03日
コメント(0)
わたしがはじめてヒプノセラピーをしてもらった女性セラピスト、Jさんに、久しぶりに会いにいってきました。去年の5月に最後に会って、6月からカウンセラー講座があると聞いて急に受けることにして、飛び込んで、いまのわたしがあるのです。それ以来、実に9ヶ月ぶりの再会でした。雪の降りしきる中を歩いていきました。今回はヒプノはなしで、二時間たっぷりとお話をしてきました。これまで受けてきた講座の話とか、これからのこととか…ヒプノセラピーのアドバイスもしてもらってきました。JさんもO先生のことをよくご存知なので、話が通じて、すっごい面白かったです!女二人集まると、こわいですね(笑)「わかるーわかるー!!」の連続でした。Jさんの率直な視点が好き。言い換えれば、ちょっと毒舌なところ(笑)?わたしも負けてないけど…阿部敏郎考察も、かなりおもしろかった~。最近、講座では、男性ばかりに囲まれていつのまにか、男性視点に凝り固まっていた頭をほぐしてもらった気がします。やっぱり女だからこそ見える視点ってあるよね~と思いました。なんかホッとして、柔らかく癒されたぁ。自分の好きなようにやっていいんだな、と、そうすることが最善なんだな、と改めて教えてもらった気がします。Jさんとわたしは似ているけど、少し先を歩いて道を示してくれている気がして尊敬できる女性です。とはいえ、男性も好きなので、男性に囲まれてるクラスも幸せなんですけどね。講座に行くたび、いつもわたしは母にしてもらっているなぁと思います。息子の声をみんなが代弁してくれているようで、気づかされることがたくさんあります。わたしの本質って、やっぱり「おばあちゃん」的なのかなーと最近思ったりしてます。かわいいおばあちゃんになるのが将来の夢だ。だれでもおいでーって言って、お茶入れて、お菓子でも出して話してるのが幸せな気がする。これからのわたしはどうなっていくんだろう。未来の心配はしないで、お楽しみと思っておく程度にしつついまを楽しんでいたいと思います。ついにエックハルト・トールの「ニュー・アース」が図書館からきた!どんなメッセージがぴんとくるかな~楽しみ楽しみ。
2011年02月14日
コメント(2)
そうだ、ヒプノ講座の7回目が終わりました。残り3回か~、早いなぁ。講座も佳境に入り、ぐんと深まってきておりましてもう、内容は濃すぎて書けない…(笑)落ち込んだと思ったら、すぐに癒されちゃって、ああ癒されるための落ち込みだったのね、とわかったり順番にものごとが起きているORDER の通りにということを実感してます。流れのままでいいんだな、って実感してます。いいかえれば、すべてはうまくいっている、ってことです。わたしは、内なる声はとんとごぶさた、聞こえなくなってしまったけど(あまり聞く気にならないのです、でも光は感じているけど)受講者の一人が、今度は完全につながったらしい(笑)おもしろくって笑ってしまう。ちゃんとメッセージ伝えてもらいました。助かるわ~。今年の「プレゼント」、ちゃんと受け取ってくれててわたしも嬉しかった。しかし、やればやるほど、ヒプノセラピストになるんじゃない気がしてわたし、このまま、どうなっちゃうんだろう、と思ってしまう。それが悩みといえば悩みです。あはは我ながら変なの。
2011年02月07日
コメント(0)
前にも書いたか忘れたけれど、うちの旦那さんが仏なんです。あまりにいい人だってことで、いとこたちが「仏」と命名したんです。たしかに、彼はいい人だ。忍耐強い。辛抱強い。だってわたしと結婚してるんだもん。それで、この正反対なわたしは、とかく悩んでいるのです。いつもね。もう飽きればいいのにね。きのうもそんな話をしていたら、「ふにゃ~っと生きてけばいいんだよ」といわれた。ジェスチャーつきで。わたしはすぐに泳ごうと、なんならうまく泳ごうとして「えっと、まず右腕をこうやって…」と言っているうちに溺れるのだ。「ふにゃ~と力を抜いて好きなことしてればいいんだよ。あとは成り行き。どうせ死ぬし。」だそうです。ほんとね、ブッダかと思うよ。こんな明るい「どうせ死ぬし」の言葉をはじめて聞いた気がした。考えるの好きなんだよな~。わたし。というか、悩んでるのが好きなのだろうな~。恋に恋するみたいに悩みに悩んでるのがなんか心地いいんだろうなぁ。いやな趣味。というわけで、そろそろ脱力してふにゃになり成り行きでいってみようかな、と思いました。そんなうちのブッダの話でした。あ、いまは、「聖☆おにいさん」読んでる。大英博物館所蔵のニュースみたのと、友達が勧めていたので気になり。元ネタわかると、おもしろくて笑ってしまいます。とくに仏教とかキリスト教の勉強にはならないけどねー。
2011年02月03日
コメント(2)
今日、阿部さんから携帯に電話がありました!前に瞑想の会を申し込んだので。いやぁ~。すごい人なのに、全然えらそうじゃなかった!とっても感じがよくて、大好きなはずなのに全然緊張しなかった!しかし、瞑想の会は、予定が合わず見送り…4月以降にまたお願いしようと思います。なんとなく、4月以降、わたしの新学期になりそうな気がする。日本人的感覚だからかな。ヒプノクラスも3月までだしな。阿部さんと話したせいか、また眠くなくなってしまいました!覚醒、とはそういうことなんですか?一応、電話番号登録しちゃった。登録名は「阿部敏郎さまー」にさせていただきました。ファンみたい。でも、なんか、昔から知ってる人のような気がしちゃうんだよな~。最近、そういう出会いが多いですわ。
2011年01月28日
コメント(0)
鳥の群れが 大きな鳥の形になって 空を横切るたびに大いなる一つを思い出すわたしたちは全体でひとつそう教えてくれているんだなって。+ヒプノ講座5回目は、息子の看病で欠席し先日、6回目が終わりました。もう一人の女性のNさんがリタイアされちゃったそうで女一人になってしまいました。ヒプノは過去に退行するものなのでいまここ、を生きるということと食い違うような気がしてヒプノへの情熱が落ちまくっていたのですが先生に質問したら教えてくれた。ヒプノは、「過去はない」ってわかるためにやっているんだと。そして、より、「いまここ」に生きられるようになるってことなんだね。納得。+ゆくゆくは、カウンセリングなりヒプノセラピーを一人でできるようにならなくちゃ!!というのがプレッシャーでもあったんですが(逆に、絶対一人でやりたい!とも思っていたけど)癒しは人と分かち合ってやった方が早いと先生が言っていました。ほんとう、そうだ。先生もたぶん、最近変わってきているんだろうな、と思っています。わたしはこっそりそう思ってます。分かち合いが進むんでしょうかね。おかげでヒプノ炎も再燃。
2011年01月24日
コメント(2)
ああ。停滞中です~自分の体調がおかしくて、お医者に行って、治ったと思ったら今度は子どもが嘔吐下痢。めまぐるしく日々が過ぎてゆきます。11日には1がいっぱい並ぶからなんか書こうと思っていたのに気づいたら12日も終わる頃だった。そんなところへ、以前勤めていた出版社の仲良かった方からお仕事をもらって、自宅でデータ入力のおしごと中。しかも内容は、保健体育。笑ひさびさに聞いたわ~、そのワード! って言葉が満載です。「男女の体つきの変化」・・・萌え。特に書くこともないのですがなんか書きたいので書いてみます。+エックハルト・トールの本を三冊、図書館で予約しました。まだ2冊は予約中。どの本からくるかな~、と思うのも楽しみ。最初にきたのは「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」という本でした。この邦題のセンスはなんとかならないものか・・・原題は「THE POWER OF NOW」とシンプルでかっこいいのに。まだ読み終わってないけど、おもしろいです。体の内側にある「インナーボディ」とか感情の痛みが張り付いてしまった「ペインボディ」とか。からだに関する考察がおもしろい!とかく精神世界の本って、精神ばかりに目がいってからだが軽んじられるじゃないですか。実は、昨年、興味があって次にやってみたいことがあるといっていたのは「ヘミシンク」だったんですけどこれもちょっと調べたら、なんか違うかなと思いました。その理由がわからなかったんだけどエックハルト・トールさんの本を読んですごく納得したのは「体外離脱したからって何?」ってことだったんだな、と。やっぱり、からだあってのわたしたち。だと思います。気になっていた著者の本を「読むときがきたっ!」 って感じて読み始めると、一気にごくごく体に入っていく感じでいいです。とはいえ、前のように活字中毒な感じでもなく。いい感じ。「感じ」ばっかりだけど「考える」よりも「感じる」こと。それでいいのだ。
2011年01月14日
コメント(2)
最近思うこと。すごい人と思ってる人はそんなにすごくない。たとえば「阿部さんすごい!」って思うけれど、きっと本人が言っているように当たり前の人なんだろうということ。わたしがすごいと思っている先生も、ある部分においてはわたしが先生になれるかもしれないということ。誰にでも、ものごとの起こる順番ってものがあってわたしより長生きしてる人はその分いろんな経験をすでにしているのですごく見える。その順番は完璧な流れなので、わたしにも順番にものごとが起きている。流れを止めなければスムーズに箱があいていく。ハプニング。ただ起きている。すごい人のこと、もちろん素直に尊敬もしてます。昔なら嫉妬して、自分を卑下していたけれどいまは「ああいう風になりたいなぁ」と思える。「すごい人」は「好きな人」に変わったんだなぁ。これはうまく書けないけれど、最近しょっちゅう頭に浮かぶので書いてみました。
2011年01月07日
コメント(2)
実は年末からずっと体調が悪くて熱を出して寝込んだり、痛かったり、で弱っています。どうしてこんなことになっているのか、「病は気から」というので考えてみるとちゃんと理由はわかるのです。(最近考えるまでもなくわかるようになっちゃった)そんで、その原因となっている思いをじーっと見つめてるんですけどやっぱり夫婦のこととなると、旦那さんに聞いてもらわないとダメみたいできのうも、気持ちをぶつけてしまいました。うまくいえなくて、どうしても感情的になってしまう。かっこ悪いし、気持ち悪くなるし、いやなんだけど。でも一応伝わったみたいなので、ひとつクリア。まだあるけど・・・苦笑。+おみくじを引きました。少し前から気になっていた吉祥寺の「武蔵野八幡神社」にて。出ました・・・「半凶」そんなのあるのっ!?はじめて見たよ。半って、中途半端な。でもこう考えました。今のわたしで「半凶」だったら、これからどんなによくなっちゃうんだろう~♪って。我ながらポジティブ~+阿部さんのツイッターにこんな言葉がありました。ツイッターの方が気になるわ。短いから。わかりやすいから(笑)みなさんあけましておめでとう。今年は凄いよ。外側では共同幻想で成り立っていた社会の様々な権威が失墜し、内側では自我という思い込みが崩壊しだす。それは去年から始まったけれど今年はその10倍だ。でも心配無用。人間の適応能力は神のお墨付きだから。 1:12 AM Jan 1st webから 今年は10倍かぁ。ほんと、わくわくしてしまいます。10倍もすごかったら、鼻血でそう。鼻血出しながら適応していこ。+おもしろいので、マリアと連絡(?)をとろうとしているのですが「正月くらい休め」ということらしく連絡がとれませんでした(笑)いつから始動するのでしょうか~??ついでにブログを立ち上げようかと、ちらっとほかのスピリチュアル系ブログを見たらあまりにもうさんくさすぎて、正直ひきました。本物と偽者と見分けられる!というか、結局その人の「人となり」というか人間性、どんだけ優しい人か、どんだけ面白い人か、にかかってるのね。人のことを透視(霊視?)できちゃう人でどうしようもない強欲な人にも出会ったことがある。だから、そういう能力と、人間性とはまったく関係ないのだなと改めて思い出しました。スピリチュアル系のブログを書いている人の中でもまだ悩んでいて、混乱していて、愛に近づいたり離れたりしている人が多いように見えました。阿部さんくらい突き抜けてしまうと、安定感あるな~。わたしもまだ揺れ動きまくりだし大手を振って「スピリチュアル!!」とか言っている人をみるとうさんくさすぎて恥ずかしくて…どうしようかなー
2011年01月05日
コメント(2)
2011年がやってきましたね。年があける実感がなかったけれど、やっぱり感じが違います。またマリアさんの話をしたいと思います。わたし、こういうの、公開したくないんですけど…って言ったんです。実はこの前。そうしたら、「恐れると自分を見失う」と言われたのです。自分とはつまりハイヤーセルフのことで、それはマリアさんのことで。「見失う」つまり、交流できなくなるよ、ってことらしい。公開したくないのは、恐れているからです。頭おかしくなったと思われるだろうな~、とかひかれるだろうな~、とか逆にすごいって思われるのかな~、とかそういうのを恐れているから。自分でもおかしいと思ってるし。でも交流したいしー、また話しかけると言われるんです。「まだあれ、言ってないでしょう?」って。ここに書かないと、次のメッセージがもらえないらしい。その仕組みもわかってるんだ。なので、わたしは書くしかないのです。なんと思われようと。別ブログを立ち上げた方がいいのかなぁ? ともちょっと思ってます。その時期がきたらそうなるのだろうけど。そんなわけで、今日もマリアさんの話書きまーす。+この前、朝に目覚めて、眩しい光が部屋に満ちていたときのこと。カーテンからの光が、マーク・ロスコの絵にそっくりだったの。真ん中の線が物干し竿なんだけど(笑)上下で色が違ったグラデーションで、オレンジとピンクのようなきれいな絵でした。それでふと「わたしの色ってなんですか?」って聞いたら教えてくれたこと。これは個人的なことだから、書かなくていいか、と思っていたけど。。。上がピンクで下が紫。余白として白。その全体の周りを金色の細い線が囲っている。。そういう感じだそうです…それを意識したらいいらしいので、あの日の日記はそれで書いてみたのでした(笑)+そして、もう一つ。新年のメッセージがきました。今年もたくさんのプレゼントを あなたに用意しているわよ心を開けば開くほど 受けとることができるでしょう手放して 受け取るスペースをつくっておいてねまだ あれ 言ってないでしょgiveした分だけ 受けとることができます心を開くってことは 疑わないこと疑わないってことは 恐れないことだそうです。give~のあたりは英語っぽかった。なんとなく。もう、一番疑っているのはわたし自身なんです。自分で自分が怖い(笑)でもそれ以上におもしろがっている。今年もプレゼントをひとつひとつ開けていくのが楽しみです。これはわたしにあてたメッセージじゃなくてみんなにみたいよ。
2011年01月01日
コメント(2)
神さま 思ったままを書けるわたしでありますように我がままでいられますようにこの場所とこの時間をくださってありがとう恐れは自分を見失わせますどうか恐れずに歩めますようにラブが心に満ち溢れますように愛する人たちが光の中にいることに気づきますように世界が虹色に塗られますように神さま 大好きです
2010年12月30日
コメント(2)
今朝も起き抜けにきました。マリアさんからのメッセージが。ゆうべ寝る前にやけに眩しいなぁと思ったのよね。外が眩しい気がして、カーテンを開けて確かめてしまった。翻訳してお伝えします。+明け方に目が覚める。マリアからの光。眩しい。最近、急にトルコの織物キリムが気になっていたでしょう?トルコは西洋と東洋の混ざるところ。ハワイの混血の人々の美しさを思い出してもいいでしょう。mixed culture混ざり合うところ。混ざり合うもの。これからますます混ざっていく。さまざまなものが融合していく。古いものと新しいもの。左と右。上と下。タオのマークを知っているでしょう?混ざってバランスをとって一つのものになる。だからフレキシブルであれ。柔軟であれ。頑固者は損をします。それで、トルコの地下迷宮が浮かんだ。そんなのあるのかな?行ったことないけど、夢に見たことがある。たぶん、いつか、わたしそこにいたんだろうな。それから、髪の短い女神が、走って山の方へいってしまった。追いつけない。あれがマリアか~キリスト教のマリア様じゃないみたいだった。白い服はまとっていたけれど。ギリシャ人みたいだった。行かないで。メッセージをもっとちょうだいと言ったらI Love Youと言われた。あと、Lのあたりにらくだ?(ここ、翻訳できず)なまけ者だから、瞑想すらできないわたし。瞑想で「空」に入っていくんじゃなくて「空」から出てくるときにメッセージをつかむやり方なんだなぁ~と思ってじゃ、瞑想じゃなくてなんて言うのかな?と聞いたら「起想」だって。なんで?「おきそう」 だからだって。うまい! あとから笑ってしまった。+11月の1日から感じていたそわそわはこういうことにつながっていたみたいです。あの日の阿部さんのツイッターの記事がそのまま今のわたしにビンゴなメッセージで改めて驚く。もう一度のせておこ。『すでに流れに乗った人は、ここからまた急激な変化の波が訪れるから、しっかり目を見張って、でも安心して身を任せていてね。自我は疑う事しかできないから、優しく包んで休ませてあげよう。全てはうまくいっています。 』12:09 AM Nov 1st 自我は疑うことしかできない。わたしもわたしを疑ってしまうけれど、流れに身を任せていきます。すべてはうまくいっている。この言葉、大好き。
2010年12月29日
コメント(0)
ヒプノ講座の4回目が終わりました。もう4回かぁ~。早いな。毎回かなり濃いですが…今回も面白かったです。最初に、参加者の最近感じたことなどを話してシェアする時間があるのですがわたしは阿部さんのいまここ塾にいった話や、「2011」という文字が頭に浮かんだ話なんかをしました。そうしたら、それに反応した方がいて、気分悪くなってしまったようで。感情がまたドバーっと出てきたようでした。先生がその人の背中をなでてあげていたのですが、その姿を見ていたら背中から黒いものがモクモクと立ちのぼって消えていくような感じがしました。ろうそくの炎がゆらめいてのぼっていくみたいに。悪いものが全部出て行っている感じ?(そういうこと言ってるから、刺激しちゃうんだろうな。。。だから言わなかったけど。すべて、わたしの勝手なイメージです。ちなみに、その人が落ち着いた後は、オレンジ色だった…。これってなに?)(あ、さらにちなみに、わたしも人の話には反応してしまいます。そりゃそうだよね。なんか言い訳みたいだけど)…のっけから濃いですね。+今回は、わたしはクライアント役で、カウンセリング&ヒプノをやってもらいました。Tさんこと、teratakuさん(もうこっちでいいですね)に。カウンセリングの内容はお恥ずかしいので伏せますがみなさま真剣になかば楽しそうに(?)話を聞いてくれました。カウンセリングだけでも、たくさんの気づきがありました。子育てが楽しくなかった理由もわかった。小さい頃の自分が不満を抱えていて、いま邪魔しにきているってこと。自分がしてほしかったことを、子どもに一生懸命してあげているので時々「やってらんねーよっ」って気分になるのです。それは子どもの頃の、わたしの気持ちだったのね。「話す」と「放す」になって、「離れ」ていく。自分と一体になっていた問題が、ペリっとはがれる。だからカウンセリングはすごい。わたしは、今回のことを話せてえらかった。がんばった(笑)そして、ヒプノへ。たまにはヒプノの内容も書いておこうかな。書きたくないところは省略します。。。+(まず、teratakuさんの誘導で、リラックス状態に入っていきます)最初に見えたのは大きいクリスマスツリー。てっぺんがものすごく光っている。眩しい。大きな星がにじんでいるみたい。人々が行き交う。視線が低い。たぶん10歳のとき。どうやら新宿西口みたい。わたしは母と手をつないでいる。別居していた父に会いに行く日みたい。お父さんにホテルのロビーで会った。母に怒っている。「なんで連れてきたんだ!」って。顔をあげられない。頼んだフルーツがテーブルに載っている。「本を逆から読んだことある?」ってお父さんに聞かれた。ヘンな人、って思った。なぞなぞの本、逆から読んだら答えが先にわかっちゃう。おみやげもらって帰る。あとはたんたんと日々が続く。(別の場面へ)白い三角の山。大根おろしみたい。あと、さんま。昔住んでいた家の食卓。家族で食事中。ニュース。大人たちの会話。わたしは仏壇ばかり気にしている。お茶とご飯をお供えしたから。食べてるかな?って気にしてる。一人だけ後ろを振り返って、仏壇をちらちら見ている。だれもそれをつっこまない。だから一人。ご飯食べ終わった。おばあちゃんとお母さんは、食器を洗いにいった。おじいちゃんとわたしは残ってる。ぬりえをしている。やることないし。うまく塗れる。べつに誰とも遊びたくない。たんたんとしている。(別の場面へ)雪が降った!庭が真っ白。ふっくら。いつもの木々も違って見える。窓を開けて、白い息を吐きながら、一人見ている。昼間。他にはおじいちゃんとおばあちゃんが家にいる。食事の下ごしらえか、縫い物をしているみたい。一人で外見てる。雪だるまとかはあとで作る。一人で作っても見てくれる人いないし。雪合戦も一人じゃできないし。大人じゃなくて、お兄ちゃんかお姉ちゃんがいてくれたらよかったのに。それか、もう一人自分がいたら一緒に遊べるのに。(じゃあ、もう一人の自分と遊んでみようか、とteratakuさんに言われたので)うん。楽しい。ヘンな雪だるま作ってるし。4つ重なったのとか。あと、木を揺らして、雪がどさーっと落ちてきたりして。うちにいる大人はかまってくれない。遊んでくれない。兄弟もいない。だからいつも一人だったんだなぁ~。子どもの目線に下がってきてくれる人がいなかった。いつも大人の会話をしているし。だからわたしは大人になった。加わりたいから。子どものときからずっと大人だった!いつも一人だった。慣れてたし、別にさびしくもない。いつも感受性でなにかを感じていた。一人だったから、そういう別の世界があった。(そこから離れて、現在のわたしと、子どものわたしとご対面)10歳のわたしがやってきた。白い顔して、細くて、笑ってはいない。何か言ってる。「ランドセルがなくなっちゃったんだけどね…」って。そういうたわいのない話を聞いてくれる人がほしいって言ってる。うんうん、聞こうね。一緒に探そうね。(あとは催眠をといておしまい)+今回もよく見えました。心の旅だわ、ほんと。ほとんど泣きませんでした。泣かされませんでした(笑)先生寝てるのわかりました!!(笑)たぶんね、三つ目の場面で起きたと思う。teratakuさんのときになると、安心するのか憑依するためなのか(?)先生寝ちゃうのよね~。面白いです。それでも、ちゃんと気づきがあり、楽しかったです。結局、小さかった頃のひとりぼっちのわたしが、どこか不満を抱えているので子育てのいろんな場面で、子どもを羨ましがったりライバル視してしまうため母として素直に子をかわいがれないみたいです。だから、遊ぶときなんかに、一緒に小さい自分も遊ばせてあげればいいんだって。昔から、つらいときは未来の自分が話しかけてくれてると思っていたけど実際こういう風に、大人になってから話しかける機会がやってくると「あれは本当だったんだ!」と思います。タイムマシーンみたい。だから今も未来のわたしが話しかけている。それがあの声なのかな?そうか、そうやっていつも話していたのか。後日談としては、母にそれとなく聞いてみたのです。「お父さんと会ったときあったでしょ?あれって季節はいつごろだったっけ?」「年末くらいだったかも」だそうです。ヒプノってすごいわー。まったくそんなの覚えていなかったのにちゃんとクリスマスツリーが出てくるし。あの頃は今よりももっと寒かった気がする。そういう空気だった。鼻が痛いくらいの冷たい。以上、ヒプノ体質なわたしの話でした。こんなにも長期にわたってこんなにも自分のことに関わっている(もらっている)のってはじめて。やはり、チョーーーーーーたのしい。です。
2010年12月28日
コメント(0)
三度目の阿部さんの講演会に行ってきました。実はあまり行く気がしなくてサボっちゃおうかとも思ったんだけど、お金も振込制になっちゃったし、すでに払っているのがもったいないので行って来ました。。。でも結果的には、楽しませてもらった。やはり阿部さんは面白い。今回は、瞑想のあと、最初の話題が終わるまでの10分くらいかな? それだけが彼の言いたかったことみたい。で、わたしもそれだけを聞きにいったような気がした。さとりとは、「自分」になること。「自分」を生きること。純粋な「我(われ)」を思い出し、少しでも長くそれを生きること。だそうです。シンプルでよかった。長いと忘れちゃう。自分が「いま、どうであるか」だけ。本当にそうです。ついつい、未来を想像して不安にかられ、過去を思い出してしがみついちゃう。「いま」だけなら、不安もないし、生きているだけで大丈夫って思える。一時間以上あまっちゃったみたいで、後半はたっぷりと質問タイム。いろんな人がいろんなことを質問していて、それがまたおもしろかったな。でも大体忘れちゃった。+この前また明け方にふと目が覚めて、意識が戻ってくる数秒の間に声が聞こえて「来年は飛躍の年にしたいんじゃない?」と言われた。それで2011って文字がぱっと浮かんだ。あー、わたし、いつも1はスタートの数字とか言っているけど、そういえば、2011は1がいっぱいつくんだね~、と思ったりした。どうなるのでしょうか。はてさて。
2010年12月22日
コメント(4)
カウンセリング講座のときのメンバー4人で忘年会ランチをしてきました。おいしいイタリアンでした!でもそれ以上にお話が楽しかったです。何を話してもゆるされるし一緒に大笑いできる仲間がいてくれて本当に幸せで、ラブリーな時間でした。母も妻も脱ぎ捨てて一人の女としていられる場所があるってことは(女はなかなか脱げないけど)いまのわたしにとってかけがえのないことなのです。心にわだかまっていたことも聞いてもらってシェアしてほかの角度から見られるようになるだけで気持ちが楽になりました。帰りのバスでも思わずニコニコ顔になってしまうくらい楽しかったー。あー、ラブでしたー。これがラブかー。
2010年12月18日
コメント(0)
おもしろいことがありました。今日は今年最後のフラのクラスにいってきました。いつも、気づくと話しかけてくれるKさんという人がいてわたしも彼女とは話しやすいな~、と思っていたんです。でも連絡を取り合う仲でもなく。彼女はお仕事をしているみたいで、いつも忙しそうに帰っていくし。で、今日はたまたまKさんが他の人と話しているのを耳にしたら『外来』って聞こえたのでぴんときて「あれ?お医者さんなの?」と聞いたら、「そうなの」というので「何科なの?」と聞いたら「精神科なの」と。わーい!これでわたしはもし次に落ち込んだら彼女にみてもらえるわー!!すごく話しやすくて、すごくあたたかい人で前から親近感をもっていたので、安心して相談できそう。こうやって、わたしは、必要な人にダイレクトに出会うことが多いです。そういうのって助かるのです。人と人とのつながりって、こうやってできていくのね。なんかお守りを得た気分。+「なまけ者のさとり方」タデウス・ゴラスという本を図書館で借りて読んだ。前に知ったときから気にはなっていたのだけどそのときは「さとり」なんて大それたものだと思っていたから読まなかった。でも、タイトルからしてなまけ者のわたしにぴったりだし本も薄くてすぐ読み終わるのです。宇宙とは何かの説明がいままで読んだことのない説明のしかたで目からうろこ。すごく腑に落ちた。楽しくって一気に読んで、久しぶりに興奮してほわほわとしてしまった。これは買って持っておこうかなぁ。いいバイブレーションの本です。手元においておきたいかも。なにより短いからすぐ読めるし。笑+6月にカウンセリング講座を受ける前のわたしには「さとり」なんていうキーワードはまったくなかった。それがいつの間にか、そばにある言葉になってしまって自分でもどっちへ流れていってしまうのかわからない。くわえて、最近ちらほらと入ってくるキーワードがあってこれもまた気になることになってきちゃった。「瞑想」も気になるんだけどやっぱり、なまけ者なのでなかなか取り組めないのです。「なまけ者のさとり方」の著者はLSDで何度もさとりの境地にいっているらしくそういうのを聞くと楽で楽しそうでいいなぁ~と思っちゃう。さとりへの完全な道が一つあるそうでそれはやはり「愛すること」だそうです。愛かぁ~まだ、よくわかっていない気がするわぁ。
2010年12月13日
コメント(4)
うさんくさい話を書きます。なので、信じなくていいです。最近わたし「あー、もうさとってるんだろうなぁ」と思うことが多くて。人はもともとさとっていると言われているのを実感するようになりました。信じるようになったのかな。ある日、昼寝から目が覚めて、布団の上でごろごろしていたら声が聞こえてきたんだよね。声といっても音声じゃないんだけど。「いままで本もたくさん読んだでしょう。いつも求め続けてきたでしょう。外を探すんじゃなくて 内側を探してみて。探している答えはすべてそこにあります。あなたは問いと答えを両方すでに持っています」だそうです。だそうです、と言われてもね。そんなわけで、あわてていくつか質問をしてみました。その質問は書かないけど。お答えいただきました。「好きなことや楽しいことだけを注意深く選択しなさい」だそうです。「いつもこうやって話していたんですね。」って言ったら「そうよ、もっと信頼して。あなたの能力と、私があなたを愛しているということを。もっと忘れずに信じなさい。」だって。「あなたの名前は?」って聞いたら「マリア。母なる者の名前よ」だって。それから、あ!そうだ、今度はこれをしよう!と言うことをいくつか思いつき。来年やる予定。幼い頃、ピアノの蓋の上に、幼稚園でもらったイエス様やマリア様の陶器のお人形をたくさん並べて、お祈りをしていた。鐘を鳴らして。あのころを思い出しなさいって。無垢に信じ、祈りなさいって。そう伝えられました。うへへおもしろい。そんなわけで、これからはいっぱい会話してみたいです。どうせ、それもまた自分なんですけどね。しかしもともとが詩人なため(わたしがね。笑)受け取るメッセージが詩っぽくなってしまう。きのうは、こうでした。「光のあるところにいつもいなさい太陽がそれを教えてくれるでしょう」太陽の下にいけば、光の中にいるやり方がわかるということらしいです。書いてみると、かなりうさんくさいです。仕方がない。津留さんが「伝えられました」とよく書いているのはこういう感じなんだろうなぁと思いました。もっと会話できるようになりたいな。わたし、マリア様には何度か会ったことがあるんだ。とかいうと、さらにあやしいですが。それはまたこんど。
2010年12月08日
コメント(2)
日付が変わったのでもういっちょ書こっと。2回目の講座のときに、感想として「小さい時の自分は、どういうわけか今のわたしのことを大好きみたいなんですよね~」と先生に話したら「だって優しいママだも~ん!」と言ってくださいました。その言葉にすごく救われた。心の底から嬉しくて、自信になった。子育ての。ああ、わたしのやり方でいいんだ~と思った。先生の愛を感じた。「ママ」って、ほめられないものだからなぁ。ふつうには誰もほめてくれないのよ。ほめられたいんだなぁ。わたし、こどもだなぁ。
2010年12月07日
コメント(2)
きのうは長い日記を書いて、アップしようとしたらエラー発生で全部消えてしまいました。ちーーーんという気分になり、あきらめて寝た。笑なので、また新たに書こうっと。ヒプノ講座の2回目と3回目が終わりました。1回目のあとは、本当にやめようと思うくらい悩んだけど2回目が終わったら、また楽しい講座になってしまいました。ヒプノの体験も受講生をひとまわりして受けるほうも見るほうも、新たな気づきをもらえます。わたしのヒプノ体験をまた書いてみたいと思います。今回も催眠体質をいかして(?)、過去に戻ってたっぷり体験してきました。はじめて人前でヒプノを受けるというのがどうにも恥ずかしすぎて心臓の鼓動で寝椅子が揺れているのがわかるくらいどきどきしてしまいましたが先生のやさしい誘導で、「やっぱりさすがプロだなぁ~」なんて関心しつつ徐々に催眠に入っていきました。詳細は書かないけど、子ども時代にあったことをなぞって体験しました。最初から最後まで涙がつらつらとこぼれてきてしまってあまりに涙が出るので目が開いちゃうんじゃないかというほどで。実際ちょっと見えたし。笑でも、涙がでるわりには、感情が伴わないというか出てこないのであまりすっきりしなかった。でも楽しかった。というか、ほんと、リラックスして無防備になるのって気持ちいいことなんですよね。ありがたし。ほかの方のヒプノを見せてもらうという体験もはじめてでそれはまた大きな気づきになります。なにが出てきてもOKなんだ~! とかなんか愛おしい気持ちになります。人ってわがままになったときが一番その人らしいんじゃないかいま、急にそう思いました。だからわがままに生きましょう。そうしたら楽しくなるよ。ヒプノはお産みたいでした。前はセックスかと思ってたけど。笑ちゃんと生まれたりもする。なりふりかまわず、あえいで力の限り。そうしたら生まれる。人の目が気になっているうちは、まだ生まれないよね。お産を経験できたことは、本当にわたしには大きいなぁと思います。吉村先生が「お産は天とつながる」「陣痛は神通」と言っているのがよくわかるようになりました。「無」になれる経験をできたことって大きい。女はトクかも。男の人は社会的にも感情を抑圧されて育ってきていることが多いと思うのでそれを表現するのって大変なんだろうなぁ、と感じます。だからわたしは息子に「泣かないの!」って絶対言わない。楽しいと、人って自然と笑っているじゃないですか。それと同じで、悲しきゃ泣けばいい。「男の子だから泣かない!」というのは、さらによくないよね。(母や義母はよく言っているんですがね)泣くのも怒るのも自然でいいと思う。悪い感情なんてないんだから。涙もろい男の人はやさしくて好きだな~ヒプノを体験すると、なんだか世の中が愛おしくなってきます。みんな同じでみんな子どもでかわいい子どもで。ラブだなー
2010年12月06日
コメント(2)
問題集の問題編が終わって解答編に入ったな、と思いました。あ、わたしの人生のね。いつからだろうと考えてみたら、妊婦の頃からだった。子どもが答えの冊子を持ってやってきてくれたみたい。あの頃、知りたくてたまらなかったことの「種明かし」がはじまっています。なぞなぞ大好きだったから。答えを考える時間も楽しいけれど、答えを知るのも楽しみ。そんな、34歳になりました。字面だけ見ると大人だわ~
2010年11月30日
コメント(4)
先週はきつかった。。。土曜あたりからやや回復してきました。みなさまにご心配おかけしました。気づいたらリビングのテーブルの上に花がたくさん。死んだのか!?と思うくらい。みなさまのエールに感謝です。わたしってば、愛されてるのです。知ってるけど、実感がない…とか言ってるから罰当たりと言われる。でもそうなんだもん…あまりにきつかったので、今度こそは心療内科というものに行ってみようと思い目星をつけたお医者さんに電話してみた。いままでは「わたしなんかがうつ病だなんて言ってたらもっと苦しい人に申し訳ない」と思っていたのです。ずっと。でも、それもおかしな話というか、どんな遠慮なのか…と思って。そうしたら、12月まで予約がとれないと言われたのでずこーっと思ってさ。「そんなにつらい人がたくさんいるんだー」という思いと、「ああ、残念。どういうところか見てみたかった」という好奇心を感じました。その時点で、自分のことが喜劇のように見えてきてま、いっかぁと思いました。でも行ってみたいな。興味本位。どんな風に治療をするのか興味あり。西洋医学嫌いなので、薬物療法は受けないと思うけれど。そこは、漢方もやっているようなので、気になります。そんなことをいえる程度には元気になりました。+きのうは、阿部敏郎さんの「いまここ塾」11月に行ってきました。(ちなみに、この日記の色は阿部さんの服の色です。笑)カウンセリング講座でご一緒していたHさんに久々に会えて癒されました。Hさんのとってくれていた二列目の席に座ったら、阿部さんの真正面で最前列には誰も座らなかったのでまるで個人面談のように真正面でお話を聞いてしまいました。なんか、すごい迫力だった~。汗今回は前回とは対照的に、笑いもあまり起きず、真面目な話が多くて最終的には感動のすすり泣きがあちこちから聞こえてくるような回でした。でも面白くて前回よりもあっという間に感じた。印象に残っているのはさとりの準備段階(と言ったかな?)として必要なことが二つある、という話で1、大いなる知性(天体の運行から、体内の細胞に至るまで、すべてをつかさどっているもの、ひらたくいえば神)の存在を信じること2、その存在が、いついかなるときも、まさに今も、他でもないそのままの「あなた」のことを、100%愛しているということを信じることだそうです。このメッセージを阿部さんが話しているときに大きな愛がどどんと胸に伝わってきて、同じ列の人も泣いていたなぁ。わたしは泣かなかったけれど、思い出していました。そう感じたことがあるって。それが、前にも書いた、高校の倫理の授業中の話。(2010年7月26日の日記)あの実感を思い出していました。ああ、もう準備できてるなぁ。なのに、そのことを忘れて、右往左往して勝手に苦しんで、勝手に頭を抱えているのですね。ばかだわ~こういう風に落ち込むのが、バイオリズムとしてやってくるけれどそれは、やりくりする「練習」のような気がしてきました。練習問題。ってやつです。阿部さんの質問コーナーでのお話、子育てのアドバイスも参考になりました。叱っても、往復ビンタしてもいい。子どもは傷ついても、彼の人生の中で乗り越えていく。その傷も長い目で見れば、気づきをもたらす必要なことかもしれない。お母さんが罪悪感を抱いていきるのはやめましょう。子どもの人生の流れを信頼してあげてください。だそうです。ほえー、たしかに。わたしの人生の1ピースでも狂っていたら今のわたしはないわけだしね。他にもいい話ばかりでした。忘れちゃったけど…+今日は友達のYちゃんが最近独学で学んだという占星術のホロスコープを持って遊びにきてくれました。すごく詳しく解説してくれて、いろんな角度から話をしてくれました。気質、性格、持って生まれてどうにも変わらない部分ってあると思うけれどそういうのの確認をした気分です。これが占い師だったら「当たる~!!」ということになるのでしょうね。統計学ってすごいわ。それに星ってすごいわ。それもまた神の遊びなのでしょうか。わたしの気質はやはり哲学などを好み、真理を探究する人でした。だって、そうしかできないんだもん。で、活動的な激しい気質らしいけど、まだうまく開花できてないからエネルギーの使い道がなくてモヤモヤしているみたい。あと、集団や組織が苦手、とか、事務や家事が苦手とか。旅人や芸術肌の人と恋愛傾向で、結婚はどっしり落ち着いた人と、だとか。家庭(ホームグラウンドという意味での)がとっても重要と思っている、とか。人から見た第一印象は、おとめ座風。でもほんとはいて座。とか。再確認した。うんうんうん。しか言えない。占星術も面白いですね。細かくて難しそうで、根気が要りそうだから、わたしには向かないけど。+はぁ~、また長くなりました。まだ直感的な部分が冴えるほどは回復していないのでもうしばらく様子を見ながら暮らしたいと思います。ベホイミあたりをかけながら。白魔術使える人になりたい。では。
2010年11月22日
コメント(0)
前の日記を書いたあと、自分が嫌になり消えてしまいたくなりました。あまりにハイだったので、その反動か文字通り「消えて」しまいたいくらい、落ちまして…ひっさびさの鬱で、ご飯の味がわからなかった。(自分で作れたんだけど、残した)子どもの面倒もいっさい見られず、旦那さんに全部やってもらった。お風呂にストレス用アロマオイルを垂らして嗅ぎまくってもよくならず。月曜の朝は子どもと二人になると思うと震えがきてどうやっても布団から出られずスーツをすでに着て準備をした夫が会社を休んでくれた。ひっさびさに泣きながら「たすけて~」と言ったら「よし、こういうときは自然の中にいくぞ!」と言うので公園でも連れてってくれるのかと思ったら高尾山まで連れてってくれた。ほんとに、仏ですわ~山に登って、赤いもみじ見て、深呼吸したら鬱が治った。二日で治った。よかった。真剣に苦しかった。子育て祈願の絵馬みたいのを書いておさめてきた。それをしにいったような気がする。帰りは、食欲が戻ったので、おいしい山菜そばを食べてきました。ひさしぶりに鬱に溺れて、真剣に苦しかったのでなんとか抜け出そうとジタバタともがいていたんですが「くるしいー!」と、ただただ苦しさを味わって体験してみたらふっと体が浮いて水面に顔が出て気づいたら抜けてた。という感じ。またまたお借りしている津留晃一さんの本を読んでいたら『人はその過程を体験するために生きている』というようなことが書いてあり、その言葉に助けてもらいました。だから苦しさを体験してみた。今日も公園に行って、ママ友同士が喋りながら子どもを遊ばせているのに恐れをなし別の公園に避難して、パパさんと遊びました。パパさんは群れないから楽だわ~。今もまだ色んなことがちょっと苦しい。
2010年11月16日
コメント(3)
ああ、何から書いていいのやら。怒涛の流れがはじまりました。。。ヒプノセラピスト養成講座の第一回目でした。4時間と、時間も前の倍になりました。時間自体は長く感じなかったけど、あまりに刺激が強すぎてまた帰ってきてぐったり。9時に寝てしまい、3時に目が覚めて眠れなくなるパターン。一度眠ると、あっちと回路がつながるのか「?」が「!!!」になって謎解きが進んでしまうので眠れなくなっちゃうのよね。。11月に入ってからのそわそわの意味もわかりました。「そっちか~、そう来たか!!」という気分。えーと、そんで、どっから書こう。(長くなる上、恥ずかしいのでできたら読まないでください。笑)まず、講座の感想というか。刺激が強すぎて、ほんと、しびれまくってしまって帰りのバスの記憶が半分ないんですけども。受講生4人のうち2人が新しいメンバーになって先生も入れると、男3女2になって男女比が前とは逆転しましたよ。それだけでも、バランス感覚が前と違うのです。敏感すぎかな。もう一人の女の人は、とってもパワフルで明るくて、積極的で、気さくでオープンでわたしにないものをすべて持っている気がしてわたしがなりたいものをすべて持っている気がして。(なりたいっていうと語弊があるんだけど)羨望というか、嫉妬というか「いいな~」という気持ちがありました。それと同時に「あー、わたしダメだなー」という気持ちになりました。(ま、ほんとはダメじゃないんだけど)もう一人の新しい男の人は、もうビンゴ!にあの人の再来と思う人がいてつい先日、久しぶりに行った表参道の美容院で「あ、この前ドイツから帰ってきてたMくんきたよ」てな話を聞いたばかりでそういう伏線かぁ~ と思ったのでした。(詳しくは書けないが…)そんでもって、もう一人の受講生のTさんは(見てる~?笑)前の講座から引き続きお会いする機会をもてて頼りにしているとこもあるんですけどやはり、わたしにとっては、とある人の再来と思っているとこがあって。(書けないが…。あは)そんな受講生に対して、やっぱり先生も新たな一面をのぞかせてくるわけです。(勝手なわたしの解釈を、また勝手に作り変えてるだけなんですけどね)先生が催眠療法じゃなくて、催眠術をやっていただなんて!!それで、女の人に自分のことを好きになる催眠をかけたこともあるだなんて。あはは。笑ったよ。そんな話も、男女比が逆転したから出てきたような気がします。勝手に先生を聖人君子かと思っていたので(だって、ブログ読むとそういうことをおっしゃってるので)やっぱり男だなぁ~というか、人間だな~と思ったのです。勝手に父親像を投影してたとこがあったので男なところを垣間見て、こっぱずかしいというか嫌だというか嬉しいというかヘンな気分~。どっかで知ってたけどね。そんなこんなで、新しい環境の刺激にびりびりやられまして困惑してひとまず眠りこけました。+さて。深夜に目が覚めて。やっぱりちょっと気分が悪いのです。わかってるんだ、わたし、お父さんがいなかったからお父さん的なものを独り占めしたくなってしまうこと。でもそうは言えないこと。だから新しい受講生の女の人にもああいう感情になったこと。あー、そういう気持ちはつらいですのです。なので、ひとまずそれを批判せずに味わう。じーっと。ついでに「どうしてこんな気分になってこういうことが起きているんですか?」って自分に聞いてみた。そしたら、答えがドバーっと降ってきた。+この前、友人が何冊か貸してくれた本があって、先週はそれを読んでいたんだけど。女のための官能小説っていうやつね、と紹介されたのが「ふがいない僕は空を見た」窪 美澄って本で。そんなこと言われたら、他はさておきその本を読むじゃないですか。なんでも、第8回「女による女のためのR‐18文学賞」大賞受賞作らしい。久しぶりに小説を読みました。あまりに面白くて、夜中4時間ぶっ通しで一気読みしました。登場人物のうち、5人の語り口で5人の視点から一つのストーリーが語られていくのなんかわたしが2004年に書いた小説と一緒だったよー。ほんと、へたくそな小説だったけど、やりたいことが同じだった。わたしのも、そういう満たされない男女のからみもあったし。やりたかったことを、こんなにうまく書いてくれる人がいてよかったです。それで、ブーメランのように、今のわたしに届くのね。この小説、たしかに表現はエロいんですけどやはり女性著者だからなのか、深くて重いよねー。ちゃんとセックスに意味を求めてしまうというかねー。なかでも、主婦のあんずの章はぐっさりきました。。。主婦って。不妊って。オタクって。持って行き場のない思いって。そんで、思い通りの台本どおりのセックスって。いいな。はぁ~一番シンクロしたわ。いろんな人のいろんな性が描かれていてその後ろに、ちらほらと出てくる助産院でのお産の場面。(助産師も登場人物の一人だから)結局、性は生に昇華されていく。最終章のお産のシーンはカタルシスと思いました。しかし、官能小説というには重すぎるー。笑あんずだけよかったわー。(しつこい。笑)+そんなこんなで、この本の感想もここに書こうと思いつつ書けなかったわたしがいたのですが、ついに書くときがきたんですね。なぜなら寝起きにドバーっと降ってきて解明した謎解きによりますとわたしの次のテーマは「性」です。はい。根深いあいつがまたやってまいりました。さきの小説の中に、新興宗教にはまってしまった男の子が出てきて瞑想やらタントラやらをしているわけですがひとごとと思えなかった…「タントラ」ってキーワードも最近気になってたのでびっくりした。さとりってのは「差」を「とる」ことなんだよ、って昔教えてくれた人がいた。その人からタントラの話をはじめて聞いた。あー、わたし、なんでこんなにも潔癖なんだろう。こうなってくると、聖なる自己像が邪魔するー。聖母マリアなわたしと、娼婦なわたしと。どちらもマリアなんだろうけど。変態すぎて誰にも言えないよー、と思っているこの思いもきっと吐き出してみれば、どってことないのかな。ヒプノって、セックスみたいじゃないですか。(って言っちゃったら元も子もないのかもしれないけど)あー、気持ちよくなるとこなんて人に見せらんないよ~今日も催眠誘導文の練習で何回も「気持ちよく~」「いい気持ち~」と口にしてきたんですけどほんと、恥ずかしいわ。顔真っ赤になるわーどうしよう。だから、今日やめたくなった。逃げたいけどー 気持ちよくなりたいしぃー それが変態なのだーあーーーーんとあんず風に書いてみました。とはいえ、すべて自分が起こしていることだと思うとちゃんちゃらおかしくて笑ってしまうのだが。始発の音が聴こえた。あーーーーーーん眠れない。楽しすぎるー
2010年11月13日
コメント(4)
嫌いな食べ物が、ある日突然おいしくなることがある。今年はうなぎと、とろろご飯を好きになった。それまでは何度もトライしてみても「うえー」となっていたのにある日「おいしー」に変わる。不思議です。そうやって、かぶもセロリも生姜も好物になりました。そんで、いったん好きになってしまうと嫌いだったときにどうしてまずかったのかを忘れてしまう。人がおいしそうに食べていると、なんだか損をした気になるのよね。単なる食いしん坊。。好きなものが多いほうが、得だよね。次は、かきを好きになる日が来るのでしょうか。それと同じことが人に対しても起こっている気がする。苦手なタイプだった人もそのままでいいのかぁ~と思うようになった。薬味には薬味のよさがあるのですね。そうすると、得だ。憎まなくなるし、楽になる。で、最近は人をすぐに好きになってしまうのですがその人らしさがよくわかる人の方が素敵だと思う。毒舌な人はそのままで気の強い人はそのままでずぼらな人はそのままで情けない人はそのままでそのままの人って魅力的~。隠して化粧して鎧を着ている人はあんまり好きになれない。だって、みんな同じに見えるんだもん。おもしろくないーやっぱり素材がいきてるほうがおいしいよね。と思いつつ、そういう人も愛おしいんですけどね。わたしも、わたしのことをおいしく食べられるようになってきました。
2010年11月05日
コメント(4)
そわそわしたまま日付が変わってしまいました。日付が変わる頃にそわそわの答えを見つけました。最近、「?」→「!」までの時間がほんとうに早い。疑問がすぐ解決しちゃうわーその答えは、阿部さんのツイッターで見つけた!『すでに流れに乗った人は、ここからまた急激な変化の波が訪れるから、しっかり目を見張って、でも安心して身を任せていてね。自我は疑う事しかできないから、優しく包んで休ませてあげよう。全てはうまくいっています。 』12:09 AM Nov 1st ああ、すっかり阿部ファンのようだ…でも、これ、11月1日のつぶやきなのだよね。やっぱり流れが変わったのだね~ちゃんと感じ取ってるからそわそわしてしまっていたのだね。わたしも疑わずに身を任せていけばいいのだな、と思ったらほっとしました。まだ落ち着かないけど。。。急激な変化の波とは?あー、楽しみすぎる。。。
2010年11月03日
コメント(0)
11月に入って、動き出す予感がしているせいなのか、そわそわが止まりません。「秘訣はリラックス」なんて言ったわりに、そわそわしまくりです。じっくり本も読めないし、走りたいのに「待て」と言われている犬みたい。あそうだ、この前の阿部さんの講演会でのことを追記しようと思ったのでした。最初に瞑想の時間が何分かあったのですが(時間の感覚がなくなるので実際どのくらいかわからないけど)そのときに、部屋の真ん中の頭上に、大きな大きな白い煙のようなものがもくもくもく~ と集まっていくような気がしたのです。あれが、あの日、あの部屋にいた人たちの「想い」なのかなぁ~と感じたのです。それを感じとって、阿部さんのその日の講演会のお話が始まるのではないかと。また別の話。今日ははじめて、友人相手にカウンセリングの実習をさせてもらいました。ボイスダイアログという手法で、トータル20分くらいかな。やっているほうはやっぱり面白くって、人の話を聞くのが好きだなぁ~なんて思いました。やっぱり、人の癒しは自分をも癒してくれるものだと実感もしました。友人に感想を聞き忘れたんだけど、どうだったのでしょうか。結論づけが唐突だった気もするので、これからもっと精進したいと思います。でもわたしは楽しかった!好きなんだな~、やはり。こういうのが。はぁ~、しかし、そわそわする。ひとまずお茶でも飲んでこよ。*そわそわついでに、試験的にコメント欄復活してみた。うまくスパムはじけるかなぁ
2010年11月02日
コメント(2)
このブログを再開して一年。ひとまわりして11月1日がやってきました。1はスタートの数字。また新たにはじまるのかな。ここまで流れてきて、ゴールしたと思ったらまたここがスタート地点。(it flows)にしていたところは(feel relaxed)に変えました。もうどこにも流れていかなくてもここでくつろいでいればいい。秘訣はいつもリラックス。わくわくが心に満ちてきます。深呼吸して生きよう。
2010年11月01日
コメント(0)
阿部敏郎さんの講演会にはじめて行ってきた。いまここ塾10月。阿部さんが「東京に半分移住してくることになった」とブログに書いたときに『あー、わたし、これからこの人に関わっていくのかぁ』と思ったんだけどその第一歩目を踏み出した気がする。早くに着いたので、二列目(ちょっと遠慮して)でお話を聞いてきた。阿部さんが出てきたときに、じーっと見られたのであれ?知り合いだった? とお互い錯覚したような? ヘンな感じに。彼は、エネルギーの大きな人でした。強い光でした。やられていまも胃が痛いです。帰ってきて、9時にぐったり眠ってしまって、3時に今度は眠れなくて起きてしまった。前半は結婚の話。男と女がいかに別の生き物か、理解なんてはなからできないんだ、なんて話。結婚5年がすぎて、パートナーシップを見直す時期に来ていると最近感じていたので(わたしだけかもしれないけど…)あまりにも自分のための話のようで笑いまくってしまった。いや、本当にお話がおもしろくって。パートナーシップを見直すにあたって第一条件は今生をいまの結婚相手と生きるんだ! とお互いに決めきることだそうです。過去への未練や、自分にはまだ他にふさわしい人がいるんじゃないか、という考えを捨てる、あきらめる(あきらかに見る)ことだそうです。おそろしい…(笑)でも、そこから道は開けるんだって。それから第二段階へすすめるそうな。ですよね。。。ちなみに、阿部さんの奥さんの智子さんが社会的に抑圧されている立場の「女」の怒りをいいほうに使っていくというようなことをやりたいそうで面白そう、と思いました。後半は、サマーディー(三昧)のお話でした。子どもたちはみな、さとって生まれてきて、さとって生きている。自分と自分を見つめている目とに分離していない。やっていることそのままを生きている。だからいつも全力で泣くし、歌うし、笑う。大人になるにつれて、それができなくなる。泣いているときも、笑っているときも、一人のときですら、頭の上に自分を撮っているムービーカメラがあるみたい。(マトリックスでいうところの、エージェントスミスね、監視役の自分。)ほんと、そう。そして、人はもう一度、自覚的にさとるために人生を生きているんじゃないだろうか。という話。あちらのリアルは本当に素晴らしく甘美なようで一度覗いてみたいものです。でもまだわたしにはできないとどこかで思っている。だからできないんだけどね。近々、阿部さんにまた会いにいくんだろうし関わっていくんだろうなぁ。たぶん来年あたり。講演会は、リピーターが意外と少ないみたいだったけどあれは、あのエネルギーの大きさにやられてしまうんだろうなぁ。ブログなら、自分は安全だって知っているからいくらでも読めるけどじかに会うと感じ取ってしまうから、危険だと感じてしまうんだろうなぁ。しかし、どうしてああいう人ってああいう感じになるんだろう。言葉は悪いけど、受け取り方によっては「脅威」になる。わたしですら、胃が痛くなり、騙されてるんじゃないか?という思考にとらわれたもの。男性だからかな?阿部さんは笑っているときにたまに観音様の顔になってた。そのときは、女みたいだったな。でも、もう、どうしようもなく、そっちに道が見えてます。だからどうしようもない。
2010年10月23日
コメント(0)
カウンセリング講座が10回終わりました。修了証をいただきました。無事、全回出席できました。そしてこれからは、ヒプノセラピスト養成講座にすすみます。高いので迷ったけど、自分のためだし。講座を受けていた5ヶ月間で、内面のいろいろなことが変化して少しのことには動じなくなってきて幸せと感じることが多くなって…でも、きのう久々に落ちました。前からどうしても苦手なママさんがいて見なきゃいいのに、どうしても日記を読んでしまう。その満面の笑みの写真と「大笑いしながら子育てしてます」というプロフィールにやられてしまうのです。。。落ちるわ~『なんて幸せそうなんだろう!そんなに子どもが好きで、人生を100%楽しんでいる人がいるだなんて!!』と思う反面『いや、あの人は絶対暗い気持ちを持っているはずだ、見せないだけだ…』という確信を前から持っているのです。そんなことを感じる(憶測する)自分にも嫌気がさすのです。だから、日記を読むとへこむのです。負のパワーをもらってしまうのです。文字通り、負けてしまうのです。もう引越したから、会わない人なのに。なぜか来るお誘いもいつも断っているのに。わたし、どうして、あの人だけにこんなに反応してしまうんだろう。他の人なら全然気にならないのに。羨ましいのかなぁ。女の子らしくて、おっとりで、笑顔で、お料理や子育てを楽しんでいる姿が自分にないと思っているから嫉妬しちゃうのかな。じゃあ、目指せばいいじゃない、と思うけど、そういうわけでもないっぽい。彼女に会っていた頃に、姑の悪口を言いまくっていたあの顔が忘れられない。すごく意地悪そうに。たぶん、人の裏の顔というものを感じ取ってしまうこの敏感な性質のために表向きの顔が許せないんだろうな~なんか恐怖を感じるんだよな~女の集団の怖さを久々に見せてもらったような気がしましたもの。そうか、率先して女の集団を仕切るタイプだから苦手なのかもな。本当に怖いですね。女の集団って。あー、まとまりない。いつものことか。
2010年10月20日
コメント(0)
ああ ほんとうに この場所があってよかったなぁと 急に思いましたあまり読まないんだけどちょっと昔のページを読み返していたらそのときの気持ちがよみがえってきたほんとうに 2010年は2004年に似ているなぁどこまでいくのかなぁ動いているときの自分が好きだなぁ無鉄砲で 自分に正直で 人のことが好きで胸が熱くなるよ11月1日に再開したここも もうすぐ1年経つんだなぁここだけはわたしの場所ほんと笑子はまだ生きてるんだなぁEMILIVE(エミらいぶ)なんだなぁ生きてるんだなぁわたし生きてるなぁー
2010年10月02日
コメント(0)
何年か前に、文章の教室に通っていた頃、「善いこととは何か」という宿題が出て、文章にしていったことがあったのを思い出す。「善いこと」って、わたしはその頃「生きていることそのもの」だと思った。最近また、お友達に借りて、池田晶子さんという人の本を読んで、『人生のほんとう』という本。その中に「結局人は自分さえ善ければいい」ということが書いてあって、ほんとうにそうだなぁ~、いい言葉だと思った。「良ければ」じゃなく、「善ければ」ね。人は自分が善いと思うことだけして生きていればいいんだ。それで、何年か前に「善いこと」を書いた文章を思い出したわけ。そういう意味だったのか、その頃の自分よ。わたしは今、自分さえ善ければいい、生き方を、徐々にしているところです。まだ人や世界も気になっちゃうこともあるけど、でも、世界のニュースや、ものの流行とか、ほとんど興味がなくなった。今日遊びに来た昔からの友達が、わたしのあまりの世間知らずなのに驚いて「ほんとに理想だわ~」と言った。なんかそれが嬉しかった。「えみちゃんは私の欲しいものすべて持ってるんだもん」と言われた。わたし、よく羨まれるのですが、すると、「それは違う!」とどうも否定したくなる自分がいたのですが、もう、いいのかな、幸せになっても、というか、幸せを認めるのがこんなに怖いんだな、と思います。いまの幸せをたっぷり感じると、次に失うんじゃないか、っていう不安が出てくるの。悩みがないといけないんじゃないかって思う自分がいるの。まだまだだね~
2010年09月25日
コメント(0)
カウンセラー養成講座も7回目が終わって、いよいよ終盤にさしかかり、次回から実習に入るようです。この数ヶ月で、どんどん自分が癒されていくのがわかる。やっぱり予感していたように、また心の旅をしているみたいです。どこまで流れつくかな。出会った人たちが、変わってて、おもしろくて、話が尽きません。あー、楽しい出会いになって嬉しいな。Tさんが本を貸してくれて、それをごくごく読んでいます。阿部敏郎さんの本「随(かんながら)神」がすごくよかった。日本人であることが誇らしくなったよ。「いまここ」に生きるってことが身についてきました。ますます毎日が、「いま」が楽しくなっていきます。昨日は、小池晶子さんという人の書いた「14歳からの哲学」という本を読みました。これは哲学の視点から人生を考えた本。哲学も、科学も、宗教も、芸術も、つきつめていくとみんな同じところにいきつくみたい。「なんで生きているのか」とか「なんで宇宙があるのか」なんてことを久しぶりに考えて、十代の気持ちを思い出して、きゅんとしました。そして、「考える」ことがわたしはやっぱり大好きだって気づいて身もだえするほど、嬉しくなっちゃった。興奮して夜寝付けなくなり、「自分ってどこまでだろう」とか「自分を拡大していってみよう」なんて考えていた。そのうち、「そうだ、Tさんにお礼を言いに行こう」と思い立ちぐぐーんと伸びていって、Tさんのところまで行きまして「ありがとうございました」っていって握手したら握手した手は確かに別々の人なんだけど、足元がつながっていたのです!それでよく見たら、屋久島の杉も足元がつながっていてずずっとカメラがひいていくと、地球上にいるものすべてが足元でつながっていたのです!!なんだ、これは怖いっと思って、はっと意識を戻してしまったけれど本当に世界は一つなのかもな、と思った出来事でした。こう書いてみると、なんだか怪しいです。そんな話。
2010年09月08日
コメント(0)
別に意図してやっていたんじゃないんだけど「足りないものはなにもない」ってつぶやいている日が何日かありました。そうすると、あ~、ほんとに満たされてるわ~と思えてくるから不思議。とかその程度だったんだけどある朝、顔を洗っていたら突然『わー、ほんとに足りないものはない。このままで十分!』とこみ上げてきて『今まで何が不満だったんだろう?友達が少ないとか、仕事をしてないとかが不満だと思っていたけれど、わたしが望んでいたのは、好きな人だけに囲まれて穏やかに暮らすことじゃなかったっけ? それって今、すでに叶ってたんだ~。しあわせー』と気づきました。家族や親戚、友達も、新たに出会った人たちも、嫌な人は一人もいないし、穏やかで楽しいし。そんなで、顔を拭くと、旦那のところへ歩いていって「ねーねー、今気づいたけど、あたし、幸せだわー。ありがとう」と言いました。旦那、ワイシャツを着ながら、「は?」という顔。そりゃそうだよね。よかったね、としか言えないよねー。
2010年09月08日
コメント(0)
前に読んだ山川亜希子さんの本の言葉をやけに思い出すこのごろ。自分が自分のことを100%大好きだったらこの世にはほかに何も問題がないっていうの。うろ覚えだけど、そんな内容。ほんと、結局そこなのだろね。そうしたらすべての問題は消え失せるんだろね。
2010年08月20日
コメント(0)
阿部敏郎さんのブログを読んでいて思い出したことがあったのでひとつ書いておこう。たしか高校3年のとき、「倫理」の授業が大好きで要するに「哲学」の授業なんですけどノートにびっしり先生の話すことをメモっていた。ギリシャの哲学者とか仏教とかさ。ある日、キリスト教の話を聞いていたときたぶんイエスさまの話だったんだろうな急に教室の中でわたしにだけ光がさしてきちゃってスポットライトを浴びるようにまばゆい光に包まれて涙がポロポロ止まらなくなりました。周りにばれないように必死だったしもちろん、こんな話、だれにもしてないし忘れていたけど思い出したわーなんで涙が出たのかって、嬉しくて。「きみが忘れていた間も、ずっーっと見守っていたんだよ」と声(なのかな?)がしたからです。わたしはキリスト教の幼稚園にいっていたので毎朝イエスさまに「おはよう」のお祈りをしてから教室に入っていました。その頃から、高校生のときまで、すっかり忘れていたんだけど。イエスさまは忘れていなかったんだ。見守ってくださっていたことが実感としてわかってびっくりしました。幼稚園の頃にはもっと身近に神さまを感じていたような気がする。もっと自然に。頭で考えなくても。でもその感じは忘れちゃった。とにかく、そんな体験を今33歳にしてまた思い出しました。あの感じ、不思議だな~とかいってるけど、わたしはいま、かなり左脳で生きてる気がします。右脳の直感的なものはあまり使ってない時期にいます。しかし楽しい。夜更かし楽しい。
2010年07月26日
コメント(0)
先週の土曜日に、今習っているカウンセリング講座の先生のセッションを受けてきました。男の人と個室で一対一だとなんだか怖いと思っていたけどこの人なら信頼できると思ったので安心して楽しんできました。前半のカウンセリングをしているだけでも出てくる出てくる…「いい子」「いい人」をずっと演じてきたそして今は「いい母」をやろうとしているので苦しくなってた。小さいときから人の顔色を見て人の考えていることを敏感にわかってしまっていたのでその人が喜ぶことをするのは簡単でだから「いい子」になるのは簡単だった。でも、それは本当のわたしじゃないから嘘つきで。「いい人」を必死にやめなくちゃいけないんだってわかった。もう、三十数年、身にしみついちゃってるからやめるのは簡単じゃないけど、ちょっとずつやめよ。嘘つかない正直にいこ。そんでもって、ヒプノやりますか、ということになりこれまで避けまくってきた退行催眠(幼児期)をやることにした。見たくない~何が出てくるか怖い~と逃げてきたんだけど。わたしは幼少期の記憶がまったくないのでつらかったことをすべて消去したみたいで。だから蓋をあけるのが怖かった。そして、やっぱり、もちろん、出てきました。小さい「えみちゃん」全然平気なふりをして、大人を困らせないように一人で遊んでさびしくなんてないよ、って言ってました。でも、ほんとうはママもいなくて、パパもいなくて寂しくてたまらなくてお友達のまきちゃんちにはいつもママがいるのにうちにはいないとかパパと会えなくなったのはママのせいだとかどんなにパパに会いたかったかどんなにパパが大好きだったかママは遊んでくれないとかいっぱい思い出しました。涙がいっぱい出た。小さいえみちゃんを抱きしめてきた。そんで、家に帰ってからもあとからあとから母への怒りが湧いてきてまだあったのか!と思うくらいふつふつと。それを一度全部出して、客観的に眺めてから母に伝えました。そうしたら、はじめてわたしの気持ちをわかってくれて「ごめんね」って言ってくれた。それで、すべて、洗い流された。もちろん母のことも大好きなんですけどね。でも、自分が父をこんなに好きだって知らなかった。やっぱりヒプノは楽しい。あと、副収穫(?)としてどんなに自分のエゴが大きいか、強いかもわかりました。やなやつだな、わたし。でも、かわいいやつなんだな、わたし。
2010年07月24日
コメント(0)
カウンセラー講座の3回目が終わりました。毎回ものすごく濃くて楽しい時間です。今回は、心理学的なお話。人の心の仕組みの図をもとにお話がありました。潜在意識とか無意識とか集合意識とかね。でも、もちろんプラスアルファ。心理学にはない部分のお話もしてくださいました。「愛」とか「光」とか「スピリット」とか「ワンネス」の部分のこと。わたしたちが忘れている本当のわたしたちのこと。こちらが夢であちらが実在だってこと。わたしもねー、思い出せそうなんだけど思い出せないのよね。なんだか知っている気がするの。子どもの頃に見ていた気がするんだけどいや最近も、見ていた気がするんだけど朝目が覚めて、直前まで見ていた夢を思い出せないみたいにもどかしい。。。でも知っている気がするので、そのうちわかるかなぁ。昔、たしか、あれも2004年だと思うけどネイティブアメリカンのクリンギット族ボブ・サムのパフォーマンスを見に日比谷野外音楽堂に行きました。そのとき、彼は舞い踊りながら「思い出しなさい あなたが どこからきて どこへいくのか 思い出してください ほんとうのあなたを」というメッセージを伝えていたのを、急に思い出しました。たぶん英語だったんだろうけど、上のような日本語で覚えているんだけど。それもそういうことだったんだろうなぁ。カウンセラー講座の先生が、下の人のブログを教えてくれました。阿部敏郎さんの「いまここ」http://abetoshiro.ti-da.net/目覚めの体験のことなどが書かれています。うーん、思い出せそうなんだけどなぁー。。。
2010年07月11日
コメント(0)
毎晩、寝る前に少しだけ瞑想しています。といってもそのまま寝ちゃうこともしばしばだけど。おととい、もらったメッセージが「手放しなさい」だったので「手放すってどういうことだろ。ものを?人を?」とか考えていました。今日、カウンセラー講座の2回目があってその中で「手放す」ということのお話がたくさん出てきてそういうことだったのか、と気づかされました。タイムリー「手放す」ってどういうことだったかというと「自分のルールを手放し、新しい自分に託しちゃえばいい」ということでした。今までの自分から変わっていこうとするんじゃなくて新しいもう一人の自分を作ってしまって自分のできないことは、そっちの自分にやらせちゃえばいいということ。ちょうど自分とハイヤーセルフの関係に似ている気がした。11月2日の日記に書いた「いままでのやり方をすべて忘れること」っていうのは、そういう意味だったんだ~と自分で納得。自分が作ってきたルールを手放していこ。こうじゃなくちゃいけない ってことは ないのね。あと、物理的にも手放してこ。捨てたりあげたり預けたりしてみよう。カウンセリングルームに飾ってあった絵が前回は「ろうそく」だと思っていたのが「天使さん」だったことに今日気づいた。これもつい先日ウェブでたまたま見た画家の作品だったのです。アンディ・レイキーという画家さんの。小さなパズルがパチッとはまって気持ちいい日でした。
2010年06月26日
コメント(0)
これまた前から気になっていた「パステル和アート」2時間ワークショップに行ってきました。ウェブで探したら実家の駅で教えている方がいたので近いしそこに行ってみることにしました。その講師さんのお顔をホームページで拝見して行く前から「こういう雰囲気の人だろうな~」と思っていたがやっぱりそういう人で、2時間、ちょっぴり疲れました。合わない! 合わない! と思っているので、体が反応してるのか(?)くしゃみと鼻水が止まらず、体が熱っぽくなってしまって作業に集中できず大変でした。でもパステルアートは、すごく楽しかった~!またやりたくなりました。もっと自由に描いてみたいなぁ。さっそく部屋に飾りました。写真は今度アップしよ。やはりものを習うにしても、ヒーリングを受けるにしても出会いって大切でその人にやってほしいかどうか って大切でその人が好きかどうかという一点に絞られるんだな。今回は勉強になりました。そういう意味では、好きな友達に囲まれて好きな家族に囲まれているわたしは幸せだ。そういう人たちだけで生きていくのがいいわ
2010年06月24日
コメント(0)
カウンセラー養成講座なるものを受けることになりました。隔週土曜に旦那にこどもを預けて。1回目が終わったけど、濃かった~!!来ている人が濃い…うつ病上がりの人が多いです。(わたしもそんなに変わらないけど…)みんな真面目そうで、一生懸命で、そういう人たちが嫌いではない。わたしは。残り9回でどんな変化が自分にあるか楽しみ。カウンセラーはとっかかりで、カウンセラーになるわけじゃないと思う。習っているのも、いわゆる学術的な心理学じゃないし。人の心はフローチャートじゃ計れないのだ。次々とやってみたいこと、行ってみたいところがあって楽しみです♪+++さっき、友人と電話していて「スピリチュアルな方面にいってみれば?」と言われた。そんな話、何もしていないけど。突然。出会ったかなり初期から、わたしにはそういうのがあるって感じていたって言われた。今日、このタイミングで言われたのがとっても嬉しくてやっぱりこっちでいいのだ! と思いました。WPPDと出会えたのも、彼のおかげでWPPDの体験がなかったら、今のわたしはないわけで。。。わたしもマヤ族のヒーラーさんのようにホピのおばあちゃんのようになりたいな。
2010年06月16日
コメント(0)
しばらく平穏だったけど、GWに落ちたのがきっかけで泥ってしまったのでまたヒプノにいってきましたというか、セラピストの女の人に会いたくて行ってきました素敵な人なのですだいぶ前からハイヤーセルフに会いたいと思っていましたでもそんなのできるのかな?とか恥ずかしいとか怪しい?とかいろいろあったけど、今こそ!と思ったのでそんなコースはないのにリクエストして催眠誘導をやってもらいました結果は・・・ちゃんと会えた~☆自分の中の自分「そうかなぁ」と思っていたような人でしたマリア様みたいなベールをかぶっていた眩しい白い光に満ち溢れていました最初は崇高なイメージで遠く感じたけれどだんだん近づいてきてくれて、頭に手をかざしてくれて手をつないでくれて、背中をなでてくれて途中で一瞬おばあちゃんにもなりましたやっぱり涙が出ましたたくさんメッセージをもらうことができました疑問に思っていたことをすべて尋ねてきましたそうかぁ~ そうかぁ~ と思いました感心していたら「わたしは あなた」 というメッセージももらいました白い光のベールの人とわたしは一体になりましたすごく「自分」がしっかりと確たるものだなと思いましたうまくいえないけど、自信ってことかなそんなわけで また 流れていけそうセラピストの人に本の読みすぎだって言われて本禁止令が出されましたでも中毒だからまだ少し読んじゃうそうね、本より人と関わらないと、わたし、だめねというわけで人の中に入っていこう
2010年05月27日
コメント(0)
いいタイミングでいい友達に会えたので泥から抜け出せました。「答えなんかないんじゃない? 答えを探すとつらくなるし」と言われたのが、わたしには新鮮で。でも、欲張りだから探すけど。あは使いたいエネルギーがたくさんあるのに使えないからモンモンとしていたみたい。フラでエネルギーを発散して大地に足をつけて自然のパワーをもらったら元気が出ました。よかった。ありがたい
2010年05月17日
コメント(0)
停滞しております。季節が感じられない。心の病気なんじゃないかと本当に思った。病院をいくつか調べたりもした。苦しいな。息ができていない感じ。家族はなんとか励まそうとしてくれるのでありがたいし、申し訳ない。病院にいったら楽になるのかなぁ。それとも薬づけになるのかなぁ。この暗さは泥のようです。朝の光でも暗い気がしてしまう。あー、暗い。わたし。ゴールデンウィーク以降、生活の中でやってしまったことがきっかけで毎日が苦しくなってしまいました。あの明け方の海の上の満月は「OK」のサインだと思ったの。それともこれでもOKなのだろうか?完全に煮詰まって泥っております。考えすぎとみんなに言われます。それがわたしだから仕方ない。どうせならちょっとだけでも楽しいことを考えよう。奇跡はまだプチプチ起きているのだ。
2010年05月14日
コメント(0)
日々がまた流れるようになってきました。引き寄せられるようになってきたみたい。ほかの本を借りに行った図書館でピピンと来たのでそのままずばりなタイトルですが、これを手にとって借りてきました。『実践 引き寄せの法則』 エスター・ヒックス+ジェリー・ヒックスこの手の本で教えてくれる見えない世界の人たちにもいろんな性格の人がいるなぁ~と最近思うのですがこのエイブラハムさんは、とてもユーモアがあって優しくてわかりやすくて、わたしは大好きになってしまいました。エイブラハムさんが言うには、「とにかくオールを手放してリラックスして川の流れに任せなさい」そうなの、わたしもちょうどそう思いはじめていたところでそれを確信できる本でした。でもついつい人って、上流に向かって漕いでしまうのよね。今日も実は漕いでしまったので、オールを手放すのは勇気がいるけど明日には手放そうと思います。そのほうが心地いいから。朝目がさめたら「いい一日になりますように」と起き上がる前に心の中で思うようになりました。夜は「奇跡をもっとください」ってお祈り(?)しています。そんで川の流れにのってみたら、奇跡がたくさん起こり始めました。わかりやすいこととしては「デジタルフォトフレームがあったらいいのかね~」なんて話していたら夫が友人から出産祝い(今頃!)だといってデジタルフォトフレームをもらってきたり。「写真の保存用に外付けハードディスクを買おうかな~」なんて話していたら実家で未使用でもう必要がなくなったハードディスクを見つけてもらえることになったり。今度は「コンパクトに置けるオーディオセットがほしいな~ipod接続できて、ラジオも聴けたらいいな~」と言っておこ。そのほかにも、小さいことだけどパズルのようにプチプチッとつながってこうなるといいな~ということが叶っていきます。(たとえば、友達との約束を入れちゃったけどできれば別の日にすればよかったな…と思ってたら、その人から別の日にしてと言われたり)(今日も公園でママ友軍団が群れる中、雰囲気のいいお父さんが息子と二人で遊んでいて、わたしも一匹狼だからなんか気になったのだが話せるわけもなく、だけどその男の子の持っていたお水のボトルがうちの息子のと同じだったために、息子がそれを飲もうとして近づいていってお話できちゃった!ウフ! とか)このパズルのプチプチ感がたまらなく面白くて夜眠る前に「今日あった奇跡」を数えるのが楽しい。そして、「もっと奇跡を!」と半分おもしろがって願っています。エイブラハムが「ホッとして気持ちが楽になるほうへいきなさい」と言っているのでそうするようになりました。いままで 自分の時間がない!! とか思っていたけれど本を読む時間はとれるし(2週間で5、6冊借りて読んでるかな)それに本が読めれば自分の時間はそれで満ち足りているのです。わたしが流れていく川の下流にどんな景色があるのか本当はわたしも知っているような気がしてきました。これまでは上流にばかり向かっていたからしんどかったけれどこれからはなーんにもしないで流れにまかせよっと。
2010年04月21日
コメント(0)
全287件 (287件中 1-50件目)


