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昨日放送されたTV番組『情熱大陸』で、大西兄妹が特集されていました。今年の三笠宮杯でラテン・スタンダードの両方でチャンピオンとなったお二人は、アマ競技ダンサーの日本代表として世界で戦っています。番組ではドイツのスタンダード世界選手権とアルメニアの10ダンス世界選手権の様子を放送していました。試合の合間に海外取材を受けていたんですね。今月スペインの大会でも10ダンスのオープン戦で優勝、ワールドカップで準決勝と健闘されてました。キャンプのグループレッスンで一緒だったり、ヴァレリのレッスンを受けていた時、同じスタジオでタチアナのレッスンを受けておられたりと私たちも何度か接点はあったんですが、お二人と話をしたのはスペインがはじめてでした。小さい頃から日本の競技会で頭角を表されて、いつの間にか月日は経って、兄・大西大晶 さんは26歳、妹・大西咲菜さんは23歳だそうです。両親が元10ダンス全日本チャンピオンで、富山でダンス教室を開設され、兄6歳、妹3歳の時から始めてペア歴20年とのこと。社交ダンスの場合、どうしても男子不足なので才能があっても相手がいないパターンが多いです。これは日本だけに限らず世界的な傾向で、海外のソロ競技も女子のカテゴリーばっかりなんですね。家族の中に相手がいるというのは有利です。そのせいか兄妹、姉弟で子供の頃からダンスを始めるというケースはよく目にします。瀬古薫希・知愛組とか久保田弓椰・蘭羅組とか、どちらも全日本チャンピオンに上り詰めましたね。一緒にいられる時間が長いというのは、それだけ練習時間が取れるということですから最大のメリットです。大人になってくると別の相手を探したり、どちらかが辞めてしまったりするパターンが多いようですが、咲菜さんは『大西組というブランドを守りたい』とおっしゃってました。トップクラスの選手になると、レッスン量も練習量も我々のような一般競技ダンサーとは桁違いなんですね。ドメニコ・ソアレにタンゴを習ってるシーンが取材されてましたが、一日7時間で3日連続とか言ってた気がします。タチアナのレッスンを受けに行った時も、大西組は一日中スタジオにいて、私たちはその中の一コマだけ譲ってもらったみたいな感じでした。昔ユーリとヤグダに私たちがそれぞれから1レッスンずつ習ってる時、北海道から来ていた久保田組はやはり一日6レッスン連日習ってたみたいで、チャンピオンは違うね〜なんて言ってたんです。体力的にも金銭的にも凡人には無理。外人レッスンはレッスン料も高いですからね。私たちではたくさん習っても身に付かずにもったいない感じなんですよ。大西兄妹はお兄さんが理論派で妹は天才肌と言ってました。音楽に対する二人の感性が半端ないなとスペインの試合で生で見て思いましたが、リード&フォローに関する口論とか、ルーチン間違えてもめるとか、その辺は競技ダンスのカップルならきっと経験したことあることなので、ご覧になった方は『あるある』と思われたのではないでしょうか。競技ドレスの値段に驚かれた一般視聴者も多かったかもしれません。1着30万円の勝負ドレスを今年は2着ずつ用意して…とかサラッと解説してましたけど、『あの水着みたいなのが1着で30万円?』て、やったことない方は驚きますよ、きっと。私も最初は中古のドレス6万円でひっくり返りましたからね。2024年11月25日現在、大西組は10ダンス世界ランキング5位です。今年だけでもベルギー、マレーシア、中国、セルビア、ドイツ、スペイン、アルメニアに海外遠征、合間に日本の東京オープンや三笠宮杯にも出場されてるんですね。それぞれの国でスタンダード、ラテン、10ダンスとたくさん試合をこなされて、レッスンも受けて、若いとはいえ大変なことだと思います。大西ブランドのダンス、これからの活躍も楽しみです。競技会情報はこちらから
2024/11/25
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<ルネッサンス様式>イタリアのルネサンスは、14世紀から15世紀にかけての『初期ルネサンス』と、15世紀末から16世紀初頭にかけての『盛期ルネサンス』と2種類に分けて考えるのが一般的のようです。目を引いた盛期ルネサンス作品をいくつかご紹介します。 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『鏡の前の少女』(1515年以降)盛期ルネサンスのヴェネツィア派で最も重要な画家の一人です。ヴェネツィアの聖堂に描いた祭壇画が評判となり、多くの教会から引っ張り凧になりました。この絵はティツィアーノ自身あるいは工房によるいくつかの複製があり、そのうちの1点はパリのルーブル美術館に、もう1点がチェコのプラハ城王宮美術館に所蔵されています。3つを比べてみると全然タッチが違うんですよ。ルーブルのが一番クオリティが高いです。作者不明『聖母子』(1520)ロベルト・カンピン(1375-1444) は、初期フランドル派の巨匠で『フレマールの画家』という異名があります。フランドルは現在のベルギーとオランダを含むあたりを指し、この後バロック芸術が花開いてオランダ絵画の黄金期を迎えることになります。この絵はロベルト・カンピンの描いた『聖母子』を模して顔の部分だけ切り取って描かれた作者不明の作品です。ロベルト・カンピンの描いた絵だと断言できる作品が実は一枚も現存しないらしく、これも工房の弟子が複製したもののようです。 ヤコポ・バッサーノ『東方三博士の礼拝』(1575-1580)バッサーノ・デル・グラッパの生まれで、本名はJacopo dal Ponte、ルネッサンス期ヴェネツィア派の画家です。この時代は、出身地を名前につけて呼ぶのが主流だったみたいですね。ダビンチ村のレオナルドみたいに。新約聖書に記されているイエスの誕生時に東方から祝福にやって来た三人の賢者の絵ですが、犬がいることですごく現実味が増している気がしました。 パオロ・ヴェロネーゼ『受胎告知』(1580-1582)ティツィアーノとティントレットと並んで盛期ルネサンスのヴェネツィアを代表する画家で、本名はPaolo Cagliariです。出身地がヴェローナなのでこの名前で呼ばれていました。パオロ・ヴェロネーゼの『受胎告知』をテーマとした作品は、ヴェネツィアのアカデミア美術館、フィレンツェのウフィツィ美術館、アメリカのワシントン・ナショナル・ギャラリーほか多く現存しています。背景とか表情は違うんですが、全部左上にお告げをもたらした大天使、右下にマリア様と言う構図です。イタリアではお告げは左上からと決まってるんでしょうかね。 エル・グレコ『受胎告知』(1577-1580)クレタ等で生まれ、イタリアからスペインに渡って活躍した画家です。マドリードのプラド美術館には多くの作品がありました。本名はドミニコス・テオトコプロスですが、エル・グレコ(ギリシャ人)と呼ばれていました。マニエリスムと呼ばれるルネサンスとバロックの合間の美術に属していて、首や手足が極端に長かったり、遠近法がない背景などが特徴です。 エル・グレコ『十字架を担うキリスト』(1590-1595)同じくエル・グレコの作品です。イエスの指が長すぎでしょう。でもなんか感動的ですね。この作品は大変人気があったようで、真作と言われるものだけでも11作品以上あり、ニューヨークのメトロポリタン美術館やマドリードのプラド美術館などでも所蔵されています。エル・グレコ『十字架を担うキリスト』には2タイプあるようで、一つはこれと同じタイプ、もう一つはお告げの来る左上を向いているタイプ。ティッセン=ボルネミッサ美術館にその左上を向いているタイプの一枚がありました。ルネッサンス・バロック様式芸術をもっと見たい方はこちらからどうぞ。(つづく)
2024/11/26
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人工衛星が地球の周りをおとなしく回っていられるのは、月が地球の周りを回っているのと同じで遠心力と引力が釣り合っているからです。衛星が積んでる燃料は姿勢制御のためのほんの少しのガスジェットくらいで、飛行機みたいにエンジンふかして宇宙をすっ飛んでるわけではないんですね。遠心力の方が大きければどこか宇宙の彼方に飛んでいってしまいますし、向心力の方が大きければ地球に落ちてきます。遠心力は、人工衛星の重さmにスピードVの二乗を掛けて、地球中心からの距離Rで割ったものです。引力は、万有引力定数Gと人工衛星の重さmと地球の重さMをかけて、地球中心からの距離Rの二乗で割って求められます。遠心力 = 引力ですから上の式を変形するとV2 X R = G X M (一定)となります。つまり人工衛星のスピードは地球からの距離によって決まるということです。スピードが決まるということは、1周する時間が決まるということですね。これって実は有名な天文学者ケプラーの第3法則です。そもそも静止衛星とは何かというと、地球の自転と同じスピードで1周24時間で回るのであたかもずっと真上にいるように見える衛星のことです。気象衛星ひまわりみたいな1周する時間がちょうど24時間になる距離が、高度36000キロというわけです。人工衛星の重さに関係なく、ひまわり1号から9号までみんなこの高度。地球からの距離が近くなるほど引力が強くなるので遠心力を稼ぐために速く回る必要があって、国際宇宙ステーションは高度400キロのところを90分で一周しています。参考までに概算で周期とスピードを出してみました。ご興味ない方はすっ飛ばしてください。************************************************************************V2 = GM / R ・・・ (1)G (万有引力定数) = 6.67 x 10-17 (N・m2 / kg2)M (地球の重さ) = 5.972 x 1024 (kg)GM = 398332 (km3 / s2)R = 6378 (地球半径)+ 36000 (衛星高度)(km)これらの数値を使って(1)を計算すると、V = 3.066 (km / s) ← 高度36000キロでの衛星のスピードは1秒間に3キロ!高度36000キロでの衛星の周期Tは、T = 2πR(軌道一周の距離) / V = 86805.6秒 = 約24時間 ・・ (2)(1)に(2)のV = 2πR / Tを代入して変形すると、T2 = ((2π)2 / GM) X R3周期の2乗と半径の3乗の比は一定 (ケプラーの第3法則)となります。************************************************************************さて、その高度36000キロの静止軌道に宇宙太陽光発電システムを作ろうという話が、温室効果ガスの削減に絡んで持ち上がっています。2022年度から実証実験を開始し、いかにローコストで宇宙にパネルを運ぶか、宇宙で発電した電気をどうやって地上で受け取るか、研究課題は山積ですが宇宙はいつも晴れてますから実現すれば発電効率は良さそうですね。2.5キロ四方の巨大パネルを展開して、スペースデブリの被害は大丈夫かというところも気になります。36000キロは地球上のどの国にとっても静止軌道ですから、衛星も割と密に飛んでる気がするんですよ。中国やアメリカも宇宙太陽光発電に関して、研究開発を加速させているそうです。結構遠いので、そう簡単に修理なんてできませんから、後々のメンテナンスも含めてデザインや素材にも知恵をしぼる必要があるでしょうね。
2021/09/09
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私たちはこのころ(1998年秋)、月曜日と火曜日の週2回、二つのサークルに通っていました 。月曜はラテンがメインの女性の先生、火曜日がスタンダードがメインの男性の先生で、浜崎あゆみに似ている月曜の先生のデモンストレーションは見たことがありましたが、火曜日サークルの先生のは見たことがありませんでした。この火曜日の男性の先生が、あるパーティでデモを踊るから一緒に見に行かないかとサークルの幹部の方に誘われて、二人で出かけることにしました。先生は、ご夫婦でカップルを組んで教室を開かれていて、サークルには出張して来ていただいていたのでした。長身で小顔のO先生は、まさにダンス体型。ハンサムで大変勉強熱心でこのときJBDF東部のスタンダードC級でした。今から考えてみると、プロの踊るタンゴを見たのはこの時が初めてだったと思います。曲が始まってLODに沿ってこちらに向かってくる先生たちのタンゴは、ものすごい迫力で、「これがタンゴなんだ」と衝撃を受けました。私たちが3級戦で踊ったタンゴとは全く別物の踊りのようで、歩幅も3倍くらい違うしスピードも比べ物にならないし、これがタンゴだとしたら私たちのは「お遊戯」という感じでした。首も私たちが二人でシンクロしてクリクリしているのとは大違いで、動きが「カ行」。つまり「カッ」「キッ」という動きの後に「ユラユラユラ~」というおまけがついていました。こんなふうにタンゴが踊れたら気持ちいいだろうなー、と思うと同時に、サークルに通っているだけでは多分一生こんな踊りはできるようにならないなと思いました。
2004/09/21
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休みを取って絵を見に行ってきました。6月1日で終わってしまうルーブル美術館展。本物のルーブルにはちょうど革命200年の記念日に行ったきりですが、それから何度も日本で開催されたルーブル美術館展には必ずと言っていいほど足を運んでいます。2006年、2009年、2013年と日本で開催されるたびに違った顔を見せてくれるルーブル。今回はついに私がフェルメールを好きになったきっかけとも言える作品『天文学者』が来日し、再会の日をずっと前から休暇予定を入れて待ち望んでいたんです。大将も合わせて休みが取れたので二人で六本木の新国立美術館に行って来ました。月曜なのに混んでるんですね。ちょっと意外。以前ご紹介した地理学者と対をなすような『天文学者』は今回の目玉でもありチケットになっていました。『天文学者』ヨハネス・フェルメール(1663)これ、初来日だったんです。何度も行ったり来たりして見てしまいました。学芸員さんが『前方の方は後ろの方にご配慮下さい。』と繰り返すほどにこの作品は人気で、私もいつまでも貼付いてるわけにもいかなかったので学芸員さんに質問しました。『なんでガラス入れてるんですか?』ここに展示されていたいくつかの作品が額にガラスが入っていて絵の質感まで鑑賞し辛かったんです。『ルーブルの意向でそうして下さいと言われた作品のみガラスを入れています。』プライスレスな作品ばかりですからね。『鏡の前の女』ティツィアーノ(1615年頃)『両替商とその妻』クエンティン・マセイス(1514年)『チェス盤のある静物』リュバン・ボージャン(17世紀前半)入り口に名探偵コナンが名画の謎に迫るみたいなパンフレットがあって、子供向けなんでしょうけどなかなか面白いいんです。たとえば『鏡の中の女』では、毛先の色が違うのはなぜ、とか男の人が持っている鏡に映っているのはなに、とか。『物乞いの少年』ムリーリョ(1647-1648年)少年少女を多く描いたムリーリョの作品はうちの玄関にも飾ってありますがとっても美しいんです。ただこの作品に関しては足元に散らばっている残骸がザリガニなのかサソリなのか、セビリヤにサソリはいるのかみたいなしょうもない事で大将ともめました。『オダリスク』フランツ・ブーシェ(1746年)お尻全開の女性はブーシェの奥さんがモデルだそうです。『うちの奥さんのお尻、最高でしょ!』って売りにする男の心境が私にはよく分かりません。(試合中にハンケツになった私を爆笑で迎えた大将をいまだにちょっと恨んでいる)『聖家族』レンブラント(1640年)『これってホントにレンブラントかな。』とつぶやいてしまった作品。オランダで見て来た素晴らしい作品に比べてなんだか仕事が雑に思えました。忙しくて弟子に描かせたんじゃないのかしら。『ルーブル宮グランドギャラリーの改修計画』ユベール・ロベール(1798年頃)廃墟しか描かない画家だと思っていたんですけど、お見それしました。いまのルーブルがあるのはこの方のお陰だったんですね。『たべーる・のめーる』なんて茶化すのやめます。大いに気に入って家に飾りたいと思って絵はがきを買って来たのは次の2作品。『台所の情景』マルタン・ドロリング(1815年)『夕暮れの風景』クロード・ロラン(1639年)クロード・ロランは今までも何度もご紹介している通り大好きなタイプの画家なんですね。そして図録に加えて勿論買ってきました。天文学者。サロン・ド・Startreesへようこそ!!もっと詳しくご覧になりたい方、公式サイトはこちらです。
2015/05/18
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台風8号接近中の関東地方、今日はシニアIII関東甲信越ブロック選手権がありました。A級戦も関東甲信越ブロックランキング対象競技で、都道府県対抗戦などの千葉県代表を決める代表選考会も兼ねていて千葉県の有力選手がどっさり出場する試合です。一般戦はこのほかにB, C, D, シニアIIA級戦があり、15歳以下のプレジュニア選手権、11歳以下のプレジュブナイル競技もありました。会場は成田空港の近くの成田市体育館です。家を出た朝7時頃にはまだ雨も降っていなくて、のどかな田園風景を眺めながら車で会場に向かいました。昨日の夜、大将が『頭が痛い』とか言ってたんですが、熱もなく寝たら治ったようです。久しぶりに黒のひらひらのついたゴスロリコスチュームで出場することにした大将は、ぷっくりおなかを隠すための針仕事を夜遅くまでがんばってました。台風接近の影響で曇っていて、連日の酷暑に比べると少し涼しくて楽です。最近の大会ではおきまりの健康チェックシート提出、入り口での検温も問題なし。この体育館ではヒールカバーチェックがありませんでした。ラテンA級戦はエントリー19組で3ヒートに分かれ、予選はサンバ、チャチャ、ルンバ、パソの4種目です。いきなりサンバで失敗したので予選落ちかと思いましたが、なんとか準決勝には進めました。会場内はマスク着用義務がありましたが、競技中に限ってマスクなしでもOKでした。久しぶりにジャイブも含めた5種目連続、途中の給水タイムなしです。私は目しか化粧してなかったのでマスクしたまま踊りました。最近はマスクしてないと何か忘れているような気さえします。決勝には残れませんでしたね。皆さん素晴らしいダンサーばかりです。優勝した海老原・須田組のオナーダンスはジャイブでした。さすが全日本ランキング上位の強化選手ですね。素晴らしいダンスでした。こちらはプレジュニアの決勝。かわいいだけじゃなく、大人顔負けのしっかりした踊りです。関東甲信越ブロック選手権シニアIIIラテンはエントリ−7組で準決勝、決勝の2ラウンドの予定でしたが、早めに大会を終了させようということでいきなり決勝でした。台風接近の影響で、ときおり体育館の屋根をバタバタと激しい雨が打ち付けていて、選手も含め大会関係者全員が早めに帰りたいムードだったんです。2回踊らせてもらえるところが1回ではかわいそうと思ってくださったのか、1曲がやけに長かったですね。チャチャはぴったり1分半でルーチン作ってあるんですが、なんと最後まで踊りきって2周目に突入し、リーダーはもう終わりだろうと私をお辞儀させるリードに入りそうになってもさらに音楽が続くのでちょっとパニクリました。他の選手もそうだったのか、おかげさまで優勝でした。コロナ警戒で声を出しての応援は禁止なので、フロアサイドから多くの知り合いが拍手で応援してくださっているのが励みになりました。賞金いただきましたよ。金額は3千円と往復の高速代より安かったんですが、トロフィーやメダルよりこっちのがずっと嬉しいです。ラテンA級戦で準優勝に輝いたのは茨城のエース石田組でした。金スマでおなじみ、浅田舞さんの行くてを阻む二刀流の日本代表選手です。一緒に写真撮りましょうと私たちの陣地に来てくれたので、私のスマホでも撮らせてもらいました。テレビでもいつも拝見してますけど、ますます表現力が増した気がします。新しいドレスも素敵。来月のグランプリ仙台も、そのあとの都道府県対抗戦も楽しみです。競技会情報はこちらから
2022/08/13
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2023年3月4日・5日の2日間、幕張メッセでJBDF主催のビッグコンペ『スーパージャパンカップダンス2023』が開催されました。今年も選手、大会役員、一般観戦者など、当日すべての入場者は健康チェック表の提出が求められ、マスク着用など様々な感染防止対策がとられています。ただ大声での応援が解禁されましたので、選手たちに熱い声援が飛んでいました。大会一日目の結果です。メイン競技はセグエ・ラテンでした。出場できるのは2022年の全日本選抜ダンス選手権、日本インター、JBDF全日本プロフェッショナルダンス選手権の決勝入賞者と準決勝2回以上入賞した選手に限られます。<全日本セグエ選手権 ラテンアメリカン>出場12組優勝 野村直人・山崎かりん2位 正谷恒揮・齋藤愛3位 竹内大夢・中島由貴4位 森田銀河・小和田愛子5位 髙野大樹・加藤奈々6位 清水基允・丸市美幸7位 三室雄司・武藤慶子8位 中村公紀・大塩香澄9位 中島光一・奥山智美10位 須藤達矢・庄司まゆ11位 鈴木勇人・高辻なつみ12位 岡本圭祐・塚越あみ一般戦は全日本選抜(5種目戦)とライジングスター(2種目戦)に分かれていました。全日本選抜プロ部門に出場できるのは、JBDFは全国ランキング96位までの選手及び各広域加盟団体より選抜された選手、JBDF以外はNDCJ加盟団体より選抜された選手です。<全日本選抜プロスタンダード>出場202組優勝 橋本剛・恩田恵子2位 廣島悠仁・石渡ありさ3位 福田裕一・エリザベスグレイ4位 小林恒路・赤沼美帆5位 島田寛隆・村松明香6位 金野哲也・井之口香織7位 佐藤純平・亀山聡美<全日本選抜アマラテンアメリカン>出場84組優勝 太田佳輝・三喜穂菜美2位 大木大樹・大木風香2位 高橋海・榮岩由莉那4位 押川慧悟・和田知世5位 津田琥汰朗・津田マリア6位 佐久間翔太・本白水ナナ7位 吉田篤志・礒道佑菜プロ部門でライジングスターに出場できるのは、東部日本はC・D級選手で西部日本はE級登録選手も可となっています。<ライジングスタープロスタンダード>出場89組優勝 南雲駿・南雲真世2位 茅野博行・茅野仁美3位 伊藤秀太朗・阿部奈菜子4位 奥野正嗣・大桃ゆきの5位 松永健太郎・竹内愛希6位 北岸賢明・長内智子<ライジングスターアマラテン>出場71組優勝 太田佳輝・三喜穂菜美2位 梨木勝輝・まりん3位 向山翔矢・馬場梨紗子4位 和田陽樹・町田歩美5位 中村エドワード漸・中村エリザベス永理6位 金沢剛有・中山 寧々7位 足立陽貴・足立心優スーパーシニアは大会当日満65才以上のアマだけのカテゴリーで、相手がプロでもいいようです。<スーパーシニアスタンダード>出場24組優勝 馬渕亮一・馬渕邦美2位 大嶽達・大嶽 洋子3位 村山隆英・吉川恵美4位 日下尚之・日下真理5位 古澤誠・緑谷朱三江6位 八重樫昌利・八重樫千恵グランドシニアは大会当日現在、満55才以上のアマチュア選手、パートナーはアマチュアの女性で年齢は問いません。<グランドシニアラテン>出場27組優勝 横田信之・吉田治代2位 大矢部廣昭・中川弘美3位 千葉慎太郎・吉岡由美恵4位 杉山典克・杉山美子5位 小池越路・笹口由香利6位 国松正尚・国松千絵私たちもこの試合に参加してまして、残念ながら1点足りずに準決勝7位でした。詳しいお話はまた後日。大会要項はこちら、詳しい結果はこちらをご覧ください。去年の結果はこちらです。競技会情報はこちらから
2023/03/04
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NDCJ主催マダム・ローカップ第25回統一全日本ダンス選手権大会が、グランドプリンスホテル新高輪(飛天)で2024年10月20日(日)に開催されました。2025年WDC世界ダンス選手権大会の、日本代表派遣選手選考会を兼ねています。昨年まではずっと11月3日開催でしたが、今年の世界選手権(ラスベガス)と被るのでこの日程になったそうです。結果は以下のとおりでした。<ボールルーム> 出場139組優勝 福田 裕一・エリザベス グレイ第2位 廣島 悠仁・石渡 ありさ第3位 金野 哲也・井之口 香織第4位 小林 恒路・赤沼 美帆第5位 島田 寛隆・村松 明香第6位 山本 千博・大吉 優華----------------準決勝----------------井﨑 健太・井﨑 沙織若代 愼・ 辰巳 友莉亜福田 健一郎・深井 千浩景山 雄紀・和田 有可杉野 貴史・IREP大西 亘・大西 ちかる審判は、遠田 進、家泉 尚樹、田口 周、遠山 恵美、山本 千恵子、三浦 美和子、白石 智樹、JoanneBolton-Hawkins、Green Liの9名です。大会9連覇の橋本剛・恩田恵子組が引退して、新チャンピオンは誰かという大会でした。昨年2位だった廣島・石渡組ではなく、福田・グレイ組でしたね。スコアを見るとかなり接戦で、タンゴとクイックステップは廣島・石渡組が1位でした。今年のブラックプールと日本インターで日本人最高位だった廣島・石渡組、優勝を逃してショックだったでしょうね。<ラテンアメリカン> 出場117組優勝 野村 直人・山﨑 かりん第2位 八谷 和樹・皆川 円第3位 竹内 大夢・中島 由貴第4位 鈴木 佑哉・原田 彩華第5位 髙野 大樹・加藤 奈々第6位 中島 光一・奥山 智美----------------準決勝----------------鈴木 勇人・高辻 なつみ関 勇人・長谷川 真希松岡 孝宣・三橋 櫻伊藤 光・中川 サリ鈴木 奨太・中村 安里中村 公紀・大塩 香澄審判は、松浦 孝俊、大竹 辰郎、北條 明、田中 淳、天野 京子、千田 修治、矢部 浩子、Stefano Di Filippo、David Yinの9名です。野村・山﨑組は3連覇で、八谷・皆川組が2位に浮上してきました。ロンドンインターからの勢いが続いて、これからの活躍も楽しみです。橋本剛・恩田恵子組と正谷恒揮・齋藤愛組の引退デモンストレーションがあったようです。アマ時代から知っている選手たちが引退されていくと、月日の流れをしみじみ感じます。齋藤愛さんは20年くらい前のグランプリ大分の時、石原正幸さんと組んでスタンダードで優勝だったんですよ。懐かしいなあ。橋本・恩田組の最も古い記憶は、私たちがブラックプールに遠征した2010年です。シラバスはこちら、詳しい採点結果は下記でご覧になれます。ボールルーム部門 ラテンアメリカン部門去年の結果はこちらです。10月27日までライブ配信のアーカイブ購入ができます。競技会情報はこちらから
2024/10/21
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<ゴシック様式>次はゴシック、ルネッサンス、バロック様式のエリアです。時代的にも場所的にもかなり幅があるこの3つを詰め込んだセクションを一度にご紹介するのは大変なのでまずはゴシック様式から。ゴシック様式は12世紀半ばから15世紀頃西ヨーロッパに広がった、ロマネスク様式の次に栄えた中世美術最後の様式でした。 セオ・デ・ウルヘルの巨匠『聖オットーと聖エルメンゴル』(1495-1498)ロマネスクのマンガのような2次元表現から、奥行きが出て3Dになりましたよね。 ジャウメ・シレラ『聖ミカエルと聖ペテロの祭壇画』(1432-1433)ゴシックは特に建築で大変革をもたらしました。大天才が現れて、ロマネスクの厚ぼったい低層建築を一気に天高くそびえ立つ大聖堂へと作り変えたんです。そして小さく抑えていた窓を高く大きくカラフルなステンドグラスで彩ります。 リュイス・ダルマウ『コンセラーズの聖母』(1443-1445)サン・ジョルディの伝説をご存知でしょうか。4月23日をサン・ジョルディの日(世界本の日)と言うのは知っていたんです。自分の戸籍上の結婚記念日なので。でもサン・ジョルディがどんな英雄かは知りませんでした。 作者不明『ドラゴンを殺すサン・ジョルディ』(1420-1450)昔々、カタルーニャには恐ろしいドラゴンがいて、怒りを鎮める為に生け贄を捧げていました。ついに王女様が生贄になる順番が来て、人々が悲しみに暮れていた時、騎士サン・ジョルディが現れてドラゴンと戦い知恵と力で王女様を救ったんです。ドラゴンの血は美しい薔薇となりました。それ以来カタルーニャの人々は、毎年4月23日をサン・ジョルディの日として、愛と知性のシンボルとして好きな人に薔薇と本を贈る習慣が始まりました。4月23日が『世界本の日』として、ユネスコに指定されたのは1996年のことです。 ゴシック様式芸術をもっとみたい方はこちらからどうぞ。(つづく)
2024/11/24
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長年使っているステップなんですが、どうもいい加減に踊っていたようです。ワルツのレッスンの時に分解して詳しく解説していただきました。スタンダードの場合アライメントが重視されますので、押さえておかないといけない向きというのがあるんですね。男性のステップと注意点はこうです。1 LOD背面から右足中央斜めに後退。これは回転を生むコメンス・トゥ・ターンですので、内股に着くシザーズになります。2 左足LODに3/8回転。身体は壁斜めに向いています。& 右足CBMPに前進。このとき高い位置のアウトサイドパートナーになっています。3 リバースピボットで逆中央斜めに足がオープンの状態で終了。 回りすぎて逆 LODまで向いてしまうと失敗。足がクロスした状態で終わっても失敗だそうです。 次に女性のステップと注意点。1 左足ボールフラットで前進。1歩目は通常ドライブアクションなんですが、その前のステップが何かによって変わるそうで、私たちはバウンスフォーラウェーからの続きになるのでボールフラットだそうです。2 右足中央斜めに前進してターン。& 左足CBMP。右足のヒールの下を左足のトウが通過するようにしてステップします。自分の足踏まないように注意して下さいね。左足の上で最大限のライズをして右足は後ろ少し横方向に後退してから。3 右足の上でピボットして壁斜めに終わる。 ピボットは床にドリルで穴を開けるように垂直に。左足がクロスになっていたら失敗。必ず両足はオープンになっていること。 たった4歩なんですけど二人のバランスとか向きとかダンサーのクオリティがもろに出るステップですね。私の場合、CBMPつくるところでロンデしてたんです。方向や回転量もテキトーでしたけど。最大限のライズする前にツンツンに立ってたのでそれ以上ライズできなかったし。このステップの後にスローアウェー・オーバースウェイが来るんですが、ピボットの終了方向と足の付きかたが上手くないとピクチャーポーズにも悪影響が出るようです。後に続くステップが何かによって、終了方向と足の付きかたは変わってくるのかもしれません。マーカス・ヒルトンが詳しく解説してくれています。膝を柔軟に使うようにとここでも言われていました。
2019/02/10
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パソドブレは男性の踊りと言われますが、女性の踊り次第で一流の闘牛士に見えることもあります。パソウォークは男性と女性でちょっと違って、女性の方が男性よりセクシーというか、ヒップムーブメントがあってもいいと習いました。今日ご紹介するのはアンナ・コボロバさんによる女性のパソウォークです。ありがちなミステイクと正しい踊り方が学べますよ。ポイントは以下の通りです。1 上半身と下半身が同じ方向を向いてはいけない。練習方法は、肩を正面に向け、ウエストを絞って下半身を左右斜め45度に向ける立ち方を身につける。2 腰を前に突き出してトップを忘れている人が多い。体重はボールにのせ、腰だけでなく首や胸も同じようにオープンにしておくこと。3 足を引きずるのではなく、トウからヒールへとステップする。トウはルンバウォークと同じで、ヒールに移る時に中間バランスを通る。スタイルいい人は、なにやってもかっこいいですね。ご興味ある方はこちらも参考になさってみてください。<アンナ・コボロバさんのワンポイントレッスン>ルンバウォークのコツスイブルチャチャシャッセスライディング・ドアーズ楽しくダンス練習したいです
2021/09/17
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先週土曜日、月に一度のコスモスクラブがありました。スタンダードは一進一退という感じでなかなか上達しないんですが、1ミリずつでもとにかく続けていけばいつか花咲く時も来るかもと思っています。ジャーマンオープン関連の動画を見ていて、大将がグランドスラムスタンダードに出場する選手の1次予選前のウォームアップという動画を見つけました。以前DCBでこんな感じのを習ったっけかなあという朧げな記憶。先生にその話をすると、やってみましょうということになりました。男女とも膝を緩めて相手の右足がセンターに来るように中間バランスで立ちます。ホールドして右肋骨のコネクションは外さないように、リードはフレームではなくボディで行います。足は動かさずに男性の動きに合わせて左右に体重移動して8の字を書いていきます。8の字と逆8の字。どんぶらこ〜どんぶらこ〜という感じでずっとやってると目が回ります。先生にやってもらうのと大将とでは、何か違うなと思ったんですが、何が違うのかよくわからないんです。先生が女性役で大将と組んでみたところ、どうも大将も一緒になって体重移動してる様子。これは男性が内回り、女性が外回りのパターンなので、男性も体重移動すると8の字がうまく書けないんです。ボディリードの練習になりますね。逆に女性が内回りのパターンの時は、女性が腰から下を動かさないで男性が左右に体重移動です。これを実戦でどう活かせばいいのかということで、ワルツを見ていただきました。スタンダードの8の字練習はコネクションの確認になるようです。皆さんはすでにやっておられるかもしれませんが、これは使えるなと思いました。ラテンの8の字はこちらです。
2024/08/19
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アルメニアのエレバンで2024年11月9日に開催されたアルメニア・オープンで、アダルト10ダンス世界選手権が行われました。アダルトは年齢制限なしの文字通り世界一を決めるカテゴリーです。アルメニアってどこだっけと思って地図を調べました。トルコの東、イランの北で、黒海とカスピ海の間の海のない小国です。エレバンはアルメニアの首都で、現存する世界最古の都市の1つだそうです。*********************************************************************アダルト10ダンス世界選手権 出場31組*********************************************************************1. Akim Pekunov - Masa Kastelic(スロベニア)2. Armand Fazullin - Klaudia Iwanska(ポーランド)3. Yaroslav Kiselev - Sofia Filipchuk(アルメニア)4. Vladislav Kozhevnikov - Eleonora Metelitsa(イスラエル)5. Romans Dobrecovs - Violetta Levchenko(ラトビア)6. Lorenzo Alberetti - Aleksandra Raskatova(イタリア)9月に行われたヨーロッパ選手権10ダンスでの優勝と準優勝の順位が入れ替わっています。こちらは優勝したスロベニアのカップルの去年のルンバ。開催国アルメニアの選手はどちらも3位の成績でした。出場者はスロベニア、ポーランド、アルメニア、イスラエル、ラトビア、イタリア、カザフスタン、香港、フランス、スイス、エストニア、スロバキア、ブルガリア、デンマーク、ルーマニア、ドイツ、日本、チェコ、クロアチア、ノルウェー、スウェーデン、スペイン、AIN、ポルトガル、リトアニア、キプロス、オーストリア、レバノン、ハンガリー、フィンランドから代表が参加。ジャッジはアルメニア、デンマーク、フランス、イタリア、ドイツ、ラトビア、スロベニア、ルーマニア、ジョージア、マレーシアから各1名ずつの計10名です。日本からは大西組が参加で18位の成績でした。先週スペインで10ダンスのワールドカップとオープン戦に出場しておられたのは、この世界選手権に向けた前哨戦だったのでしょうか。YouTubeでライブ映像を見ていましたが、先週とはドレスも変わっていて疲れ知らずのいい踊りでした。本当にお疲れさまです。この他の試合は、以下の通りでした。*************************************************Saturday, 9 November 2024*************************************************WDSF Open Standard Youth(出場4組、日本人参加なし)WDSF Open Standard Under 21(出場3組、日本人参加なし)WDSF Open Latin Youth(出場12組、日本人参加なし)WDSF Open Latin Under 21(出場11組、日本人参加なし)アルメニアのエレバンにご興味ある方はこちらから。去年の様子はこちらです。競技会情報はこちらから
2024/11/09
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今年のUK戦とブラックプールのアマ・ラテン部門でチャンピオンに輝いたスロベニアのユーリとヤグダが来日しました。来日の本来の目的が、全日本選抜メンバーの強化合宿コーチとしてなのか(去年そうだったようです)、ダンスメーカーの専属モデルとしてなのか(タカダンスのモデルになったとのこと)詳しくは聞きませんでしたが、親父ギャグ先生とも長い付き合いで私たちも何度かレッスンを受けたことがあり、今回こちらの教室でもグループレッスンでルンバを教えていただけるということになったので行ってまいりました。(前回はこちら)夜8時から始まったユーリとヤグダのグループレッスン、30名くらい参加されてたでしょうか。親父ギャグ先生が通訳してくれます。テーマは重心移動とコネクション。社交ダンスご存知の方は、『あー、それか。』って思う基本中の基本なんですが、実はこれがきちんとできてる人って多くないんです。まず立ち方。これもダンスの基本なんですけどじっとしてる時は出来てても踊り出すと崩れるパターンがよくあるんですね。特に『お腹をしまう、胸に光を当てる』ってところが私たちも忘れがちで、これはそうなってる時があればいいんじゃなくて、いつでもそうなってないといけない基本姿勢なんです。立ち方の次は重心移動。つま先から土踏まず、そして踵へと足の裏で重心位置を感じながら身体を前後にゆらして行きます。スタンダードもラテンもこの足の裏の重心移動がなめらかなムーブメントへとつながって行くんですね。クカラチャはこれに左右の動きを加えたものです。右つま先→右土踏まず→右かかと→左つま先→左土踏まず→左かかと。ヒップを回すのではなく足の裏の重心移動を感じながら、胸のすぐ下の当たりにヒップがあると思って、そこをゆっくりと8の字にローテーションさせます。(コレ、分かり易いです)ルンバウォークも同じ重心移動で前進後退、足が変わる瞬間に胸のすぐ下の当たりがローテーションするんですね。今度はカップルで向かい合って行いました。重心がつま先の時はほんの少し押し合う感覚、踵のときは引き合う感覚になります。パートナーをチェンジしていろんな方とやってみたんですけど、一つ気がついたのは手に力が入ってしまう方が多いですね。合気道でもそうでしたが、手の力抜くのって難しいんです。でも抜きましょう。コネクションは腕力じゃありません。(私もよく大将に押さないでって言われるんですけどね)その後、手を使わないでボディの動きだけで相手に知らせるってのも練習しました。これはかなり高度なテクニックですけど、テレパシーなくても男性にはっきりと伝える意志があって、女性に鋭い感受性があればできます。みなさん結構できてたようです。最後にユーリとヤグダがルンバ踊ってくれました。音楽の取り方もさすがでしたね。ここしかないって所から踊り始め、特に曲を選んだ訳ではないのにその曲のために振り付けしたように踊ってました。しかも二人の大きな存在感、はっきりと見える二人のコネクション、素晴らしいボディコントロール、滑らかなムーブメント、さすが世界チャンピオンだけあります。あまりの素晴らしさにアンコールの拍手が鳴り止まず、それに応えてジャイブを踊ってくれました。ジャイブって前傾で踊ると習ってはいましたが、こんなに前傾なんだっていいヒントもらえましたね。45分間はあっという間でした。参加されてた方々は親父ギャグ先生のサークルの生徒さんがほとんどだったんですが、初めて見る世界トップレベルの踊りに興奮冷めやらぬ様子で、熱く語りながらお帰りになりました。私たちはこの後、個人レッスンを受けます。その様子はまた明日。
2011/08/03
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1992年に開館したマドリードの美術館です。美術館設立が夢だったティッセン=ボルネミッサ男爵(父子)のコレクションに、2004年からはカルメン・ティッセン=ボルネミッサのコレクションが加わりました。14世紀から現代まで幅広い作品群、すぐそばにあるプラド美術館とはひと味違った美しい宝箱のような美術館でした。ここは写真撮影可なので、大喜びでたくさん撮ってます。2014年6月13日に行ってきました。ドメニコ・ギルランダイヨジョヴァンナ・デリ・アルビッツィ・トルナブォーニの肖像(1489-90)ダンサーの鏡のような美しい首。感動するのはそこじゃないだろって突っ込まれそう。ベルナルディーノ・ルイーニ The Virgin and Child with the Infant Saint John(1523-1525)レオナルド・ダビンチの絵かと思った作品です。ベルナルディーノ・ルイーニ はイタリアの画家で、レオナルドと仕事したと言われているそうですから、多くの影響を受けていても不思議はありませんね。パルマ・イル・ヴェッキオThe Virgin and Child with Saints and a Donor(1518-1520頃)エル・グレコChrist with the Cross (1587-96頃)ホセ・デ・リベラSaint Jerome in penitence(1634)カラヴァッジオアレクサンドリアの聖カタリーナ(1589)トマーゾ・サリーニYoung Peasant with a Flask (1610頃)トマーゾ・サリーニとカラヴァッジオは非常に仲が悪かったそうです。1601年に偶然サリーニに出くわすと、剣で襲いかかったと言われています。2年後には名誉棄損裁判まで起こしているとか。400年経った今見ると、どっちかというとカラヴァッジオの方が有名でしょうけど、どちらも素晴らしい画家ですね。クロード・ロラン Pastoral Landscape with a Flight into Egypt(1663)私の大好きな画家クロード・ロランの作品を発見しました。この人の絵は遠目で見てもすぐに分かって、思わず吸い寄せられてしまいます。カナレットヴェネチアのサン・マルコ広場(1723-1724)ヴィンセント・ファン・ゴッホオーヴェルのレ・ヴェスノ(1890)エドガー・ドガ緑の踊り子(1877-1879)パブロ・ピカソクラリネットを持つ男(1911-12)近代アート作品群以下は2004年に加わったカルメン・テッセン・ボルネミッサのコレクション。美しい風景画が多くて、嬉しい限りです。ヤン・ブリューゲル(父)エデンの園 (1610-1612)マルティン・ジョンソン・ヒアードロードアイスランドの沼 (1866)フレデリック・エドウィン・チャーチ---秋(1875)あえて解説をはさまずにいくつか私の気に入った作品を見て頂きましたが、いかがですか?すばらしいコレクションですよね。多くの人に自分の集めた名画たちを見て欲しいという気持ちもよく分かります。公式サイトはこちらです。
2014/08/06
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今日はラテンを教えていただいている教室の初練習会でした。毎週火曜日と金曜日の夜10時から一時間、ラテン競技ダンサーが集まって踊りこみの練習をしています。練習会が始まったのは今から3年くらい前だったと思うんですが、そのおかげで急に成績が出るようになって、とても感謝しているんです。 ところで、ダンス教室の鏡って痩せて見えませんか?そのせいか、なんだか自分がカッコよくなった気になって、ますますパワーが出せるんです。去年の暮れからシリーズでお伝えしているアメリカのダンスオーディション番組『So you think you can dance.』。全米から勝ち抜いたトップ20の中に、ドニエルという黒人女性がいます。とてもパワフルで柔軟性も素晴らしい、ニューヨークのプロダンサーです。彼女は性格も明るくて視聴者にもとても人気があるんですが、他のダンサーと違う点が一つ。デブキャラなんです。「もうダンスをやめようって考えていたの。この業界で生きていくのは本当に大変。今まで痩せようといろいろがんばってきたけどダメで、いつも劣等感を持っているのよ。太りすぎだといわれてオーディションで落とされたことも何度もあるわ。」彼女を見て励まされたダンサーは、数多くいると思うんです。私もその一人。そう言えばパパイヤ鈴木もそんなこと言ってましたね。「これで踊れなかったらただのデブの親父。でもおれは踊れるデブを目指す。」そうかあ。StarTreesさんて、パパイヤみたいに太ってるのか、なんて思わないでくださいよ。世間一般でいったら普通です。ただ、ラテンダンサーとしては太めなのでいつも悩んでいたんです。私もいろいろダイエットを試し、成功したかもしれない時もありました。でも、教室の痩せて見える鏡とドニエルの言葉に勇気をもらって、私も踊れるデブ目指してがんばることにしたんです。踊ってる間にスリムになりたいって言うのが本音なんですけどね。自分の身体的コンプレックスに悩んでおられる方がいらっしゃったら、チャンスですよ。ただの「踊れる」人はたくさんいますが、「踊れるデブ」はそんなにいませんからね。
2007/01/05
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ネットに繋がらないので見てもらえないかと職場の人に相談されました。専門家じゃないんですけど、少しは知識があるので見させてもらいました。Windowsのノートパソコンで、以前この職場を去るときはちゃんと有線でつながっていて問題なかったのに今年4月に復帰したらダメになったと言います。4ヶ月も悩んでたのね…。ipアドレスが取得できませんでしたなるほど。まずケーブルとかルーターとかパソコン本体と関係ない部分がちゃんとしてないと調べても時間の無駄なので、自分が使っているケーブルを抜いて問題をPCに絞りこみます。コントロールパネルのネットワーク設定もOKみたい。同じような症状が出てるケースはないかとネットで検索してみたらあったんですね。Windows10の高速スタートアップが災いして、DHCPでのIPアドレス取得ができなくなるという不具合が。自分はまだWindows7で仕事してるので知りませんでしたが、Windows8以降、この『高速スタートアップ機能』が搭載されたそうです。ムーンアイズ マグネット おしゃれ かわいい かっこいい アメリカ ホットロッド アメリカ アメリカン雑貨 MOONEYES 缶マグネット SPEED EQUIP 【メール便OK】_SN-MGX011-MON楽天で購入シャットダウンしても一部をスタンバイ状態にしているので、起動が速いというメリットがあるみたい。ただドライバがリセットされないので、ダメな記憶がそのまま残ってネットに繋がらない問題が起こっていたとのこと。Shiftキーを押しながらシャットダウンすると『完全シャットダウン』という従来のシャットダウンになるんですって。2016年12月以降にリリースされたアップデートでこの問題は解決したらしいんですが、タイミング悪くその時点でしばらく離職して使ってなかったとか、中古のパソコン買ったら繋がらなかったとかでこの壁にぶち当たることもあるみたいですね。結局この繋がらない問題の原因はこれではなく、職場のセキュリティに弾かれてただけだったんですが、いろいろ調べていい勉強になりましたよ。ネットに繋がらなくなったというのには様々な原因が考えられますが、OSのバグってこともあるんですね。高速スタートアップにそんな落とし穴があったとはね。
2019/08/06
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2015年2月、ロサンゼルスで開催された第57回グラミー賞授賞式で Record of the Year(年間最優秀レコード賞)を受賞した曲です。サム・スミスはこのほかにもBest New Artist(最優秀新人賞)、Song of the Year(年間最優秀楽曲賞)、”In the Lonely Hour"に対してBest Pop Vocal Album(最優秀ポップ・ヴォーカル・アルバム賞)が授与され、歴代最多の4部門受賞でした。007のテーマ曲で以前ご紹介しましたが、個人的にいま一番好きなボーカルの一人でもあります。Stay with me / Sam SmithGuess it’s trueI’m not good At a one night standBut I still need loveCos I’m just a manThese nights never seem to go to planI don’t want you to leaveWill you hold my handOh won’t you Stay with meCos you’re All I needThis aint love It’s clear to seeBut darling Stay with meWhy am I so emotional?No it’s not a good lookGain some self controlDeep down I know this never worksBut you can lay with meSo it doesn’t hurtOh won’t you Stay with meCos you’re All I needThis aint love It’s clear to seeBut darling Stay with meOh won’t you Stay with meCos you’re All I needThis aint love It’s clear to seeBut darling Stay with meこの切ない歌声に乗せて、ルンバ踊るとこんな風になるんですね。Gabriele Goffredo and Anna Matus ; Rumba
2020/06/12
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JBDF2022年前期 関東甲信越ダンス栃木県大会に参加しました。3月13日に予定されていた試合が延期になって、珍しく土曜日の試合です。雹が降った昨日とは一転、初夏を思わせる絶好のドライブ日和でした。コロナ禍の感染防止対策は続いていて、無観客試合で競技選手含め参加者全員マクス着用、入場の際には体温測定と手指消毒、濃厚接触などが直近2週間でないことを記した署名入りのチェックシートの提出が求められました。会場は栃木市の関東ホーチキにしかた体育館です。会場に来る途中に前回の栃木大会でも立ち寄ったコンビニでおにぎり買って食べました。会場は飲食禁止なので、いずれにしろ車の中で食べることになります。おかかのおにぎりをほおばりながら、日本人が一番食べる魚はカツオかもしれないなと思いました。私たちは午後のラテンA級戦に参加しました。午前中にはスタンダード競技もあったんですが、車で2時間かかりますので早起きするのが嫌でラテンだけにしたんです。受付時間に合わせて会場入りすると、スタンダード競技の準決勝が行われていました。ラテンはA級、C級、スタンダードはB級の試合があり、D級、ノービス級、ジュニアは両方のカテゴリーで試合が用意されていました。久しぶりにお会いする競技選手たちが何組もいらっしゃいました。コロナの関係で私たちも出場する試合が激減していますが、それ以外にも仕事や病気や怪我や家族のことなどいろんな事情で試合から遠ざかってしまうことがありますからね。うちも入退院を繰り返す母親の関係で綱渡り的な状況が続いています。ラテンA級戦は出場組数28組。1次予選は3ヒート、2次予選は2ヒートでチャチャ、サンバ、ルンバ、パソの4種目を踊りました。準決勝に残れば来年もA級維持決定なんです。ありがたいことになんとか準決勝に進出できました。今日は全部で12曲。会場で応援してくださった皆様、ありがとうございました。優勝は澤田・高見組、黄色いドレスの選手です。リーダーと別々の場所で決勝を観戦していたんですが、優勝だと思った選手は同じでした。JBDFの関東甲信越大会は次の茨城大会で前期終了です。競技中もマスク着用とか、声を出す応援は禁止とか、無観客とか様々なコロナ対策がとられた上での大会運営。後期は少し緩和されて行くのでしょうか。競技会情報はこちらから
2022/06/04
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ポスチャーとは、『姿勢』と言う意味です。ポーズをとるとか、モデルになるといった動詞にもなるようです。ダンスの教本には次のように書かれていました。ポスチャー(posture)姿勢のこと。脊柱の前後左右のカーブを指す場合も多い。先日のレッスンで、先生にこんなことを言われました。『posture is movement, posture is energy』ラテンの競技ルーチンの中にポーズをとるルーチンが入っているんですが、それは決して動きを止めることではないということです。ポーズをとっても完全にフリーズしている訳ではなく、次の動きへの準備としてエネルギーを貯めて、身体のどこかしらがジワジワ動いているんですね。種目はパソだったんですが、以前タンゴのレッスンでも似たようなことを聞いたことがあります。プロムナード・ポジションから次のウォークに入るまで、休憩ではないですよといった話でした。一度止まってエネルギーを切ると動き出すのにまたエンジンをかけ直す必要が生じるから、ずっとアイドリングしたままボディのエンジンを切ってはいけないみたいな感じです。観客に『ここ見て!』といったポーズとると、ついブレーキ踏んで動きを止めたくなりますけど、そうすると全然省エネにならなくて、また思いっきりアクセル踏まないと動けないから逆に疲れるんです。たとえばルンバのファンポジションになったとき、休憩してませんか?ちゃんとジワジワ動けてます?どこをどんな風に?と思ったら、こちらを参考にしてみてください。競技情報はこちらから
2024/02/19
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月に一度のコスモスクラブの日でした。大将の『もうスタンダードやめる』発言の後ですが、そんなこと言ったなんてすっかり忘れたのか、やる気満々です。A級戦2次予選で玉砕したワルツを見ていただいて、3つのご指摘をいただきました。一つ目は左手のグリップです。腕相撲で押し負けてる人の手みたいになっていて、私が力入りすぎなのかもしれませんが、見栄えが悪いとのことでした。二つ目はカップルのトップバランスについてです。女性がシェープしてるのに男性がただまっすぐ立ってるだけだとバランスが悪く見えるとのこと。胸から上をもっとストレッチして女性に呼応する必要があるようです。たとえばナチュラルターンの2〜3とか。上半身の見栄えってすごく重要ですよね。上が綺麗だと上手く見えます。先生たちが習っているイタリアのコーチは、これがものすごく上手いんだそうです。三つ目は以前もご指摘いただいたんですが、スイングに見えない点です。ワルツはスイングダンスですので、振り子みたいな動きが頭とか足とかで見えないとダメなのに、ラテンみたいに1歩ずつに乗りすぎ、頭もまっすぐすぎなんだそうです。車輪の理論と先生はおっしゃってましたが、ボディのセンターを車輪の軸とすると、その中心に近いところで少し動くと車輪は大きくグリンと動きます。それと同じように、体の末端にある頭や足はセンターに比べてずっと大きく動かなくてはいけないんですね。この3つをきちんと直せたら、今よりずっとワルツも上手く見えるんじゃないかと期待大です。せめて最初のナチュラルターンだけでも…。
2024/05/18
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このブログ『社交ダンスA級への道』も、皆さんのおかげをもちまして開設から2000日を迎えることができました。折角の記念日ですので、たまには何か競技選手の皆さんにお役に立つような情報をババーンと特集してみようかとも思いましたが、どうひねり出してもない袖は振れません。そこでTVネタから拝借して、競技会の採点基準について書いてみたいと思います。毎年3月に開催されます東京インターナショナルオープンダンススポーツ選手権。世界のトップレベルのアマチュア選手が集結する大会です。スポーツチャンネルでやっていた去年の大会の様子を録画したものをうちでは飽きもせず何度も何度も見ています。皆めちゃめちゃ上手いので、一体どこら辺を見て審査するんだろうと思ってしまいますが、解説をされているIDSFの役員の方がそのポイントお話しされていました。採点のポイントは5つあるそうです。1 ベーシックリズム&タイミング音楽に合った、無駄のない動きをしているかどうか。2 ムーブメント種目の特性を活かした動きをしているかどうか。3 バランス&ポスチャー安定したバランスで、スムーズなウエイトの移動が出来ているか。ヘッドからトウまで美しいラインが保たれているか。強さとしなやかさがあるか、ボディラインはどうか。4 カップル・コネクションリード&フォローが的確か。アクションとそれに対するリアクションの美しさはどうか。5 プレゼンテーション表情が種目に合った表現になっているか。カップルに合ったコリオグラフィー(振り付け)か。こうして見ると、自分の踊りは随分いい加減なものだった気がしますね。この中で自信を持って『これは出来てる』と言える項目がないですよ。こういうポイントで突き詰めて行く練習も必要ですね。特に3番の練習なんかは一人でも出来そうです。今年も東京体育館で3月7日に開催される予定です。ご興味ある方はコチラからどうぞ。
2010/01/30
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中学校の入学式、晴れて制服に袖を通した時の「制服に着られているような」感じ、に似ていたと思います。2級になって初めての教室の日に、先生は燕尾服を見せて下さいました。先生と主人はちょっと太さは違いますが身長が同じで、ズボンのウエストだけひろげればそのままピッタリでした。結婚式の時に着た燕尾服と違って、やけにパーツが多く、エリとボタンはシャツとは別々になっています。なんでこんなに複雑になっているんでしょうか。武士がいくつものパーツに分かれている鎧を一つ一つ身につけて戦闘気分を高めるように、燕尾服というフォーマルな服を時間をかけて着ることで厳かな気分を盛り上げようとでもいうのでしょうか。それに対して女性は簡単です。普通のワンピースといっしょで、腕を通してジッパーを上げるだけですから1分もかかりません。その分女性は髪や化粧に時間をかける必要があるからでしょうかね。とにかく先生はお下がりのその燕尾服を5万円で譲って下さいました。たくさん部品がある割には思ってたより安くてよかった、と思いました。ラテン服の方で相場は分かっていたので、前回のように値段を聞いてひっくり返ることはありませんでした。問題は女性の方です。喜んでいいのか悲しむべきか、パートナーで奥様でもある先生と私は背格好が似ていました。当然の流れとして、先生のドレスを着てみることになり、結婚式以来ドレスなんて着たことがなかったので、鏡に映る自分に正直、見とれました。たくさんのストーンやパールが縫い込まれた白に紫の羽がついたドレスは、「私をつれていって」といっているように見えて、魔法にかかったジンデレラ状態の私は値段も聞かずに「これ、いただきます」と言ってしまっていました。脱いでから我に帰りましたがもう後には引けません。江戸っ子ですし。多分20万くらいは言われるんだろうなと覚悟を決めて聞いてみると「5万でどう?」。それは25万てことかな、それともひょっとして35万??えっ!ただの5万でいいんですか?金銭感覚が社交ダンスモードにはいってしまっていたので、随分お買い得だった気がして「初めて制服を買ってもらった小学6年生」のようにウキウキ家路についたのでした。
2004/09/24
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スタンダード3級再挑戦を一週間後に控えた1998年10月、私たちは火曜日サークルに来て下さっている先生の教室を見学にいきました。先生は長身の若い女性の生徒さんにスローフォックストロットを教えていました。教室にはレッスンを終わってくつろいでいるカップルや、これからレッスンを受ける方々のほかに、レッスンをじっと見守っている女性がいました。その方はレッスン中の女性のお母さんで、とてもそうは見えませんでしたが、彼女は高校生とのことでした。そのとき、元気に「こんにちはー!」といって入ってきた若いカップルは先生の息子さんとそのパートナーでした。現在はターンプロしてがんばっておられますが、その当時はアマ。でも私たちとは全くレベルの違う「すごく上手い」アマで、ラテンを中心に練習を始めました。完全に雰囲気にのまれた私たちは、そのまま入会してすぐレッスンを受けることになりました。「来週3級戦に出るんですが」というと「3級戦?大丈夫、大丈夫。じゃ、ちょっと組んでみて」といわれ、ワルツのホールドをしました。先生はそのままじっとしててね、といわれて、男性の姿勢をギューギュー直し始めました。まるで彫刻を作り上げていくように引っ張ったり押したり伸ばしたり、彼はヒーヒーいってましたが、出来上がってびっくり。いままで当然のように立ちはだかっていた私の前の壁がなくなり、視界爽快になっていました。「次、女性ね」と先生が言われ、私もギューギュー直されました。「そのまま鏡見てみて」といわれ、目を移すと、そこには「上手い人みたい」な自分たちがいました。でも二人とも立っているのがやっとで、そのまま動いてみてといわれた途端ガラガラっと「いつもの私たち」に戻ってしまいました。たった一回のレッスンでしたが、サークル3ヶ月分くらいは進歩したような気になって、次の3級戦が楽しみになりました。
2004/09/22
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予定は未定と言いますが、昨日のレッスンはまさにそれでした。来日しているユーリたちのレッスンを受けるために仕事を半休して、行きの車の中で何を習うのが一番いいかずっと大将と話していたんです。『ユーリには前回のチャチャの続きを習いたいよね。』去年チャチャのはじめの方を作り直してもらったんですけど、随分躍動感が出て男性と女性の遊んでるような絡みが見えるようになったんです。『ヤグダはどうしようか。』ルンバはサマンサ先生に教えていただいてる課題がまだまだ練習し切れてないし、本当はいつも成績のでないパソかジャイブが習いたいけど1レッスン45分だとどうしても中途半端になるんですね。彼らは今年のUK戦のアマラテンで優勝し、今度の日曜日に行われるアジアンオープンを最後にターンプロして、ブラックプールのライジングスター戦でプロデビューする予定とのことですので、多分これがアマとしての最後のレッスンになるでしょう。外人のトップ競技選手に習うメリットは多彩な表現力と旬のルーチンを学べることだと思うんです。時間とお金が許せば毎日でも教えてもらいたいくらいなんですが、なかなかそうもいきません。そこでなるべくチャンスを見つけては来日の度にエッセンスを少しずつゲットする目的でレッスンをお願いしている訳です。結局今回はユーリにチャチャの続き、ヤグダにはルンバの特に女性の表現方法について習うことにしました。まずはユーリのレッスン。当分ラテンの試合は予定していないんで、チャチャの自分たちが違和感を持っているところ全部を大改造してもらうことにしました。より立体的に見えるカウンターバランスの作り方やローテーションの足りない部分の踊り方も教えていただき、あっという間に時間が過ぎて行きます。45分経ってもうレッスン時間の終わりが近づいた頃、ちょうど大改造が佳境を向かえていて、どんどん時間が超過して行くのにヒヤヒヤしながら必死で新しい振り付けを覚えていました。ついに次にレッスン予定だったヤグダが声をかけてきます。スロベニア語だったんで詳しくは分かりませんが、ユーリは完全にチャチャ創作にのめり込んでいるし、多分『このまま続けたら?』みたいな内容だったんでしょうね。結局2時間ぶっ通しでユーリに改造してもらったチャチャを何度もダメダシされながら踊り続け、ヤグダのレッスンはナシになってしまいました。でも30分も延長したのに超過料金なしですっごいお得だった感じです。これで先日のパーティ・デモで上手く踊れなかったところは全部消滅。私は途中で集中力切れそうになったんですがなんとか持ち直して、とてもじゃないけど明日まで覚えてられそうもないルーチンを大将と交互に踊ってデジカメ動画で記録してきました。レッスン後、汗ダクダク頭ぼさぼさだったんですけど、ユーリとヤグダに一緒に写真撮ってもらいました。写真見て分かる通り、彼らと私たちはカップルバランスが似てるんです。ヤグダにUK戦優勝おめでとうと声をかけると、『一生懸命やってるみたいだったからこのまま続けたらって言ったの。よかったかしら?』というので、『ありがとう。私たちには彼のレッスンが必要だったわ。』と答えました。アジアンオープンもブラックプールも、その先のプロとしての競技人生でも活躍を期待したいと思います。
2011/02/15
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最近ワルツでお気に入りの曲です。イギリス人のテノール歌手ラッセル・ワトソンが歌う甘い甘いラブソング。Amore E Musica(愛と音楽)です。この方、歌手目指してなくて旋盤工だったそうです。イギリスはポール・ポッツといいスーザン・ボイルといい、そう言う人多いですね。隠れた名歌手みたいなの。作詞 Felice Di Salvo、作曲 Roberto Paccoで2004年にリリースされています。イタリア語なので意味不明のまま踊ってたんですが、気になったので何歌ってるのか調べてみました。だいたいこんな感じだと思います。Amore E Musica / Russell Watson(lyrics by Felice DI SALVO/ music by Roberto PACCO)流して来たこの涙を決して無駄にはしたくない私は飛びたいのです、一人でやり遂げたいのですあなたなしに歌うこの歌でしかし劇場は空しく観客は沈黙していますまだあなたを忘れられずにいることをご存知のはず昨日まで、あなたは私にとって音楽そのものだったからだから私は一度も装う事無く歌えたのです今私は自問しています、これから一体誰のために歌ったらいいのかと愛と音楽ここに私は立ち返る息が続く限り我が声と魂、それが私の持つ全てのものこの絶望を無駄にしたくない今はどん底に落ちて歌を書けないけれど愛と音楽はメリ−ゴーランドのようにもう一度手に手を取り合うのです聴衆の待つ劇場で私はもう一度自分を取り戻しました私は自分自身を見いだしたのです愛と音楽よ合唱の中に2つの鼓動が一つになるのを感じますあなたの歌が私の誇りとなりそして二人の魅力となるでしょう暗闇を照らす光のように観客の中にいる輝く瞳の優しい恋人たちのようにそして私たちも、群衆の中に迷いながらも愛と音楽はまだ手を取り合っているのです混雑した劇場の中で私はもう一度あなたを見つけましたあなたを見つけたのです愛と音楽よ(StarTrees超訳)
2015/02/19
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スタンダード種目で相手の右足の外側に自分の右足を出すことを『アウトサイドパートナー』(Outside Partner)と言います。なんで特別に名前が付いてるかって言うと、普通右足は相手の両足の間に進むものだからです。これは『インライン』と言うそうです。『アウトサイドパートナー』はグループレッスンのときに、タンゴのオープンリバースで練習したんですが、そこにはタンゴだけにとどまらない宇宙の大原則が潜んでいたんですね。内回りの定理と頭の回転の法則と合わせて『回転の三原則』というかどうかは分かりませんが、今日ご紹介するのはこちら。『アウトサイドパートナーの法則』私が勝手に思いついた物ではありません。土曜日レッスンで講師直筆の三原則メモを頂きました。ダンスやってない方には何のことかサッパリだと思いますが、社交ダンスのスタンダード種目は男女向き合ってお互いの右サイドでくっついてる状態です。ずっと男性が前進、女性が後退で一周するのはちょっと芸がないのでどこかで入れ替わろうと思うのが普通です。自分が相手の向こう側に行きたいと思ったら、右から抜けるか左から交わすかですが、どっちかというと右側より左側に抜ける方が楽ですね。右半分がくっついてると言う事は左半分はフリーなんですから。左足出すのは簡単です。特に邪魔なものはないので。でも右足出そうとすると相手が邪魔なんですね。ここで重要なのが『絞り』です。一人がやっと通れるようなとっても細い路地を二人がすれ違うときを考えてみて下さい。人間はだいたい正面向いてるより横向きの方が細いので、お互い横向きですれ違おうとします。くっついてる状態で相手の左側を右足で抜けようと思ったら、こうします。上半身(フレーム)右回転下半身(ヒップ)左回転このぎゅぎゅっと絞った状態で右足を相手の身体の外側に出す!そして昨日お話しした頭の回転の法則に則って、頭はフレームと逆の左回転。最近認識してるんですけど、ラテンではキュッと瞬間的に絞るのに対して、スタンダード種目ってぎゅーっと雑巾みたいに絞ります。お腹に土管がある人にはきついですね。
2015/05/27
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18世紀はじめの中国、皇帝の座を争った兄弟を全て廃し、清王朝の第五代皇帝となった雍正帝(ようせいてい)時代のドラマです。日本の大奥、トルコのハーレムみたいな後宮がここにもあって、熾烈な派閥争いが勃発していました。秀女選抜をパスした両家の子女がほとんどで、時には皇帝が見染めた官女とかもいますが、後宮の中でも家柄や親の身分が相当影響します。これは持ち前の美貌と知性で側室から皇太后にまで上り詰めた女性の物語です。主人公の甄嬛(しんけん)は、宮廷に入った当初、ドロドロの人間関係に巻き込まれたくなくて病気を装い皇帝と会うのを避けていました。しかし皇帝が最も愛した故・純元皇后に容姿が似ていて、詩書に通じ、頭の回転が速く話術にも長けていたので皇帝のお気に入りになるのも時間の問題でした。しかもダンスの名手です。この時すでに皇帝の寵愛を一身に受けていた後宮の最大派閥・華妃に早速目をつけられます。兄が清軍を率いる将軍であったため、皇帝も気を使って無碍にはできないことをいいことに幅を利かせていたんです。この人に目をつけられると大変で、あの手この手で陥れられそうになるんですね。彼女のせいで命を落としたり身分を剥奪されたり流産させられたりした可哀想な女性の多かったこと。そこに一矢を報いたのが甄嬛でした。しかし敵は華妃だけではありません。純元皇后亡き後、妹が皇后の座についていたんですが、この人もかなり陰湿な手口で頭角を表す側室を排除していきます。自分の派閥に引き入れた側室たちを道具として使い、実子がいないので後ろ盾となっている第三皇子を跡継ぎにして皇太后になろうとしていました。後宮には若く美しい女性ばかりですから、いろんな恋が芽生えます。甄嬛の親友の眉荘さんは医者の温実初が好きになってしまうし、甄嬛も皇帝の十七番目の弟・果郡王と両想いに。一番偉いのは皇后なんですが、その下に貴妃→妃→貴人→常在→答応→宮女と言った順列があって、これは皇帝が決めるんですね。身分が上の方になってくると何かしでかしても謹慎ですみますが、答応や宮女レベルだと皇帝以外の男に見染められただけで死罪とかになるんです。恐ろしいでしょ。こっちがなんとも思ってなくてもですよ。全部で76話もあるので、その間に主人公もかなり浮き沈みがあります。皇帝も冷酷ですが側室たちもしたたかでした。パワハラにほとんど泣き寝入りの状況ですが、転んでもただでは起きない女性たちの生き方に共感する視聴者は多かったと思います。衣装や装飾品が高級そうで美しいです。花が明らかに造花っぽいのが残念でした。『宮廷の諍い女』(きゅうていの いさかいめ)は、2011年から翌年春にかけて放送された中国ドラマです。1ヶ月ほど毎晩見てました。おすすめです。
2022/07/07
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第5回茨城県中央地区アマチュアダンス競技大会、1998年11月3日に開催され、私たちはここにスタンダード3級再挑戦としてエントリーしました。朝から文句なしの日本晴れ。今まで家から30分以内の場所でしか試合に出たことがなかったのですが、今回同じ茨城県とはいえ、ひたちなか市で、車で2時間くらいあるのでちょっとした遠征気分でした。試合は午後からなのでゆっくり受付をすませプログラムを見てビックリ、私たちは背番号171番、あのライバル&恩人のS夫妻が172番です。いったいどういった因縁なのでしょうか。スタンダード3級戦は出場組数94組、その中の6組だけが決勝に進み2級に昇級です。私たちはまたS夫妻と一緒に予選を勝ち進み、ついに2組とも決勝までやってきました。多分1週間前にたった1回だけ受けた個人レッスンの成果でしょう。足の方はともかく、ホールドだけをずっと意識して踊りました。習った通りとはいかなくとも、9月に出た時よりはかなりよくなっていたはずです。S夫妻は4位、私たちは準優勝でした。初めてお会いしてから1年、ついに、私たちが勝手に決めた因縁のライバル対決に勝利をおさめました。(詳しくは<第22話>ライバル出現、<第32話>初めての予選敗退をご覧下さい )表彰が終わるとお互いに「おめでとう」を言い合い、「また、2級戦でお会いしましょう」といいました。しかし、それを最後に、もう二度とお会いすることがなくなってしまいました。多分、私たちがその後、北関東中心の試合参加になったことと、ラテンに絞ってスタンダードはお休みしていたせいだと思います。またいつかどこかでお目にかかれることを、とても楽しみにしています。
2004/09/23
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上野の美術館巡りをしてきました。まずは国立西洋美術館で開催中の『ベルリン国立美術館展』。今回の目玉は何と行っても初来日のフェルメール『真珠の首飾りの少女』です。このチケットにもなっている絵。去年フェルメールセンターで見た気になっていましたが、初来日ですから本物見るのはこれが初めてです。耳飾りの少女の方が有名ですがこの女性も同じ耳飾りしてますね。遠目に見たとき首飾りいじってるのが見えなかったので、窓に鳥でもぶつかって驚いてるのかと思ってました。彼女の着ている黄色いガウンもフェルメール作品によく登場します。学べるヨーロッパ美術の400年と言うサブタイトルの通り、15世紀のルネッサンス芸術から18世紀のロココ・ロマン主義まで、幅広い作品を展示してあって、中でも大航海時代の到来と共に迎えたスペイン・オランダ絵画黄金時代16世紀,17世紀の作品群はとても魅力的でした。プラドでリベンジを誓ったベラスケスの作品がここでも見られます。『三人の音楽家』ベラスケス(1616-1620年頃)そして原理かなにかひらめいた瞬間でしょうか。『アルキメデス』ジョルダーノ(1650-1653年頃)斜め左上にインスピレーションの神がいるんでしょうかね。数学と音楽って使う脳が近いらしいですもんね。隣にレンブラントの『ミネルヴァ』という作品もあったんですが、こちらの方が魅力的でしたね。『黄金の兜の男』レンブラント派(1650-1655年頃)アムステルダムやファン・デア・ハイト美術館でもご縁があったロイスダールの作品。この人の描く空や雲や木がとても好きです。今回は『滝』ロイスダール(1670-1680年頃)そういえば、世界史の教科書に載ってた宗教改革のルターの肖像画もありましたよ。鮮やかな色彩で目を引いたのはこちら。『果物,花,ワイングラスのある静物』ヤン・ダヴィッドゾーン・デ・ヘーム(1651年)作品が年代順に並んでいて、芸術が宗教と強い結びつきのあった15世紀から、時代と共に人間の生活や自然へと対象が移り変わる様子が見て取れます。彫刻や素描も多く、絵画はそれほど多くなかったんですが十分楽しめました。詳しいサイトはこちらです。東京の次は福岡で見られるようですよ。【送料無料】絵画:ヨハネス・フェルメール「真珠の首飾りの女」●サイズF20(72.7×60.6cm)●プ...
2012/08/09
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<ベラスケス>プラド美術館の看板画家と言ったらベラスケス。ゴヤ、エル・グレコと並んでスペインの三大画家の一人に上げられ、17世紀に活躍した世界的な巨匠です。プラド美術館の正面に像が建っていて、初めて訪れた時に10分しか見られなかった悔しさに再び来ることを硬く誓った思い出があります。現存する約120点の作品のうちの50点がプラド美術館に収蔵されていて、そのほとんどは宮廷画家としてフェリペ4世に仕えた約30年間に描かれたものです。最も有名なのはこの作品でしょう。教科書にも載ってました。『ラス・メニーナス』1656年ラス・メニーナスとは女官達という意味ですが、この絵の主人公はどう見ても中央に立つ王女マルガリータ。王女の両脇にタイトルとなっている女官達、左がマリア右がイザベル、左には絵筆を持つ画家ベラスケス、奥の鏡に映っているのが国王夫妻と言われています。つまり私達はこの絵を国王夫妻の目線で見ていることになるんですね。空間に対する人物配置の上手さや、ちゃっかり自分も登場するあたり、匠の技を感じますね。プラド美術館で買ったガイドブックの表紙もこの絵になっています。王の離宮を飾るために描かれた作品の一つがこれ。『槍(ブレダ開城)』1634-1655年1625年にオランダの要塞ブレダをスペイン軍が陥落したときの絵です。右がスペイン軍,左がオランダ軍とのことですが、これは解説本読むまで画家の意図するところは分かりませんでした。通常勝者は馬上から跪く敗者を見下ろすような形で描かれることが多いらしいんです。この絵は勝者が敗者と同じ地面に立ち、肩に手までかけて敗者の健闘をねぎらっているかのようで、スペイン騎士道精神を表したものとのこと。林立する槍はスペイン軍の軍事力と統率を示唆し、背景に立ち上る煙で臨場感を与えています。ベラスケスの想像力と構想の巧みさがここでも現れていますね。ベラスケスは2度イタリアに留学していますがそれ以外はずっと宮廷にいましたので、フィリペ4世と家族の絵はたくさんあるんです。『フェリペ4世の胸像』1653年頃随分顔の長い王様なので、はじめはベラスケスが上下に長く引き延ばしたような技法使いなのかなんて思ってた時期もありましたが、側に使える道化や神話の絵などを見ると普通なので、この王様は本当にこういう顔だったんだと改めて思いました。特に素晴らしいなと思うのは材質の描写ですね。質感や重みを感じられるほどのリアルさで描かれているんです。『オリバーレス公伯爵ガスパール・デ・グスマーン』1635年そしてはっと息を飲むほどの荘厳さに打たれたのはこの作品。『キリストの磔刑』1631-1632年この時代にしては宗教画の少ないベラスケスを信仰の欠如とする説があるそうなんですが、この作品を見ると信仰がない人には描けない美が現れていると私には思えますね。ディエゴ・ベラスケスは1599年にセビリアで生まれ、1623年から宮廷画家としてマドリードでフェリペ4世に仕えました。1660年8月6日、61歳で亡くなったそうです。ルーベンスとも親交があったと伝えられています。<こちらも合わせてご覧下さい>プラド美術館の思い出(1)プラド美術館の思い出(2)プラド美術館の思い出(3)
2013/08/18
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ワールドカップ決勝でライバル・ジョー・ギブソンJr.に逆転サヨナラホームランを喰らった吾郎は燃え尽きていました。メジャー(第5シリーズ)は吾郎が帰国して日本の野球仲間に励まされ再び渡米を決意した所で終わっていました。ついに吾郎が2軍から昇格しメジャーリーグに華々しくデビューします。インディアナ・ホーネッツの一員として初登板を迎えた吾郎、なんといきなり史上初の『メジャー初先発にしてノーヒットノーランなるか』という、とんでもない局面に差し掛かります。ところが吾郎は『イップス』という心の病にかかっていたんですね。ピンチに直面するとストライクが入らなくなるんです。記録は達成されず7回で自らマウンドを降りる吾郎。それからは坂道をころがり落ちるように2軍へ逆戻りです。ライバルのジョー・ギブソンJr.もスランプでした。そんな時、心臓の病と年齢的な限界で引退したかに思われたジョー・ギブソンがいきなり再起するんです。これはたまげました。親子でメジャーリーガーってあんまりいないんじゃないですか?精神科医の治療とジョー・ギブソン復帰に触発され吾郎もようやく立ち直り、ホーネッツも勝ち星が先行し始めます。しかしチームプレーですからいろんな問題が起こるんですね。トレードや解雇の話しがメンバーに持ち上がったり、新しく加入して来た選手が扱いにくかったり、故障する選手が出たり。皆の力が一つになるのって、個性の強い選手が多いとなかなか難しそうです。そんなチームを野球への情熱で牽引したのは吾郎でした。どんなに負けそうな試合でも決して諦めない、自分の出来る限りの力をつくしてチームに勝利をもたらそうと必死に頑張る吾郎を見て、チームメートが1人また1人とその意志に共感していい流れが生まれて来るんです。そしてついにホーネッツは、25年ぶりにノーザンリーグ中地区の優勝がかかった大切な試合を迎えます。しかしここに来て守護神ワッツの故障、代わりにその大役を引き継いだ吾郎は血行障害という大ピンチに。果たしてホーネッツは優勝出来るのか。そして手術が必要な吾郎のサウスポーはどうなるのか。全25話なんですが最終話でいきなり8年後とか言う映像が流れるんですよ。これで物語りは完結のようで、幼なじみの清水さんと結婚して子供もいて、ワールドシリーズで投げてました。要するに、さらっと流したハッピーエンドですね。吾郎が6歳の時から始まってメジャーの頂点を極めるまでを描いているんですが、『メジャー』と言うタイトルの割にはメジャーに入ってからが短かかったです。そんなに焦って終わらせないでもっと引っ張ってくれたらよかったのになあとちょっと不完全燃焼感が残る終わり方でした。ご興味のある方、公式サイトはこちらです。
2013/12/18
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<アクア・アルタ>ベネチア本島にもどってから水上バスを乗り継ぎサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂に向かいました。ここにはベネチアを代表する画家ティツィアーノの名作があります。『聖母被昇天』(1516年 - 1517年)冬の教会の中は暖房のない競技会場みたいに寒いです。風雨がしのげるだけ外よりはましという程度。靴の中が水浸しで足が凍っておりましたが、それすら忘れるほどの素晴らしい絵でした。『ボクはこんな絵を見ながら死にたいな。』大将がつぶやいておりましたが、このセリフが飛び出したのはアニメ『フランダースの犬』の最終回が話題に上がっていたからなんです。涙なしには見られないネロとパトラッシュの天に召されるシーン。アントワープ大聖堂にあるルーベンスの名画『キリスト降架』と『聖母被昇天』、ネロが最後に見た絵です。ルーベンスはイタリアに留学してティツィアーノの作品に多大な影響を受けるんですね。私はまだネロ少年が見たルーベンスの『聖母被昇天』を見たことはありませんが、その下絵は2回見るチャンスがありました。最初はオランダのマウリッツハイス美術館で、2回目は東京のマウリッツハイス美術館展で。プラド美術館の入り口すぐのところにティツィアーノの『アダムとイブ』をルーベンスが模写した作品が並んで飾ってありましたが、この『聖母被昇天』も二人の作品を頭の中で並べてみると、ティツィアーノの100年後に同じテーマを描いたルーベンスがどんなに憧れを持ってこの教会のティツィアーノの作品を眺めたか、そしてそれに追いつき越えたいと熱望したかが伺い知れます。きっとルーベンスは自分が今立っている場所と似たような所に立ち、何度もこの絵を眺めたに違いありません。この教会にはティツィアーノ・ヴェチェッリオのお墓がありました。ここに埋葬して欲しいというのは生前からの希望だったようで、巨大なモニュメントに守られて今も自分の作品と共にあります。ベネチアにはまだまだ見所がたくさんあるんですがすでに日も暮れてしまいました。最後にサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会だけはどうしても見ておきたいと水上バスに乗り込みます。ここにもティツィアーノとティントレットの作品があるんです。夕方の帰宅ラッシュでバスは混んでました。あともう1本乗り継げば行き着ける所まで来て閉館時間まで30分を切っていました。バス停を探してキョロキョロしていると、大将が大声を上げます。『わっ! なんだこれ!!』足下を見るとなんと海から水がちゃぷちゃぷ打ち寄せてるじゃありませんか。停泊しているゴンドラなんか今にも陸に乗り上げそうな勢い。振り向くと地元の方々が手分けして『水が上がって来たとき用』の台を並べてます。潮が満ちて来てベネチアが水没する!こんな時に島に渡って絵なんか見てる場合じゃありません。私たちはあわてて駅に向かう水上バスに飛び乗りました。そういえば昨日もこの時間みんな焦って駅に向かってました。昨日は水上バス使わずにひたすら徒歩だったんですけど、駅に向かうイタリア人たちがみんな急ぎ足だったんですよ。『イタリア人て、歩くの速いね。』なんて言ってたんですけど、それはイタリア人だからじゃなくて水が攻めてくるからだったんですね。絵は見られなかったけど、いい経験させてもらいました。翌日、ベネチア・マルコ・ポーロ空港から帰国の途に尽きます。東方見聞録のマルコ・ポーロってベネチア人だったんですね。私の西方見聞録も本日これにて幕とさせていただきます。長々とおつき合いいただきまして、どうもありがとうございました。(おわり)
2014/02/15
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アントワープに着いて真っ先に向かったのがここ、ルーベンスの住んでいた家でした。1600年から8年間のイタリア留学の後、母の危篤の知らせを受けて故郷であるアントワープに戻ります。イタリアに再び旅立つつもりでいたルーベンスですが、結婚したり宮廷画家に迎えられたことなど諸処の事情により、ここで工房を構えることにしました。当時アントワープは、スペインとオランダの八十年戦争の合間の休戦期間で、教会は建設ラッシュだったようです。イタリア帰りのルーベンスのもとには祭壇画の制作依頼が殺到しました。ルーベンスは7カ国語を操る有能な画家で外交官としてもヨーロッパ中を飛び回っていましたのでそんなにたくさんの絵を描けるはずがないんです。でも頭の切れる人ですから工房に集まる弟子達を上手く使って仕事をこなして行ったんですね。1610年から1640年に亡くなるまでルーベンスはここに住んでいました。こちらはダイニングです。この右の絵は、ルーベンスが弟子達の教育のために模写用に描いたとされる自画像です。オランダの巨匠レンブラントが生涯40作品もの自画像を描いたのに対し、ベルギーの巨匠ルーベンスは4作品しか描かなかったとされています。この絵はその貴重な作品のうちの一つで、1630年、彼が53歳の時に描かれたものだそうです。皆さんがガイドブックを読みながら鑑賞しているこの部屋はアート・ルームです。当時、街一番の膨大なコレクションを保有していたのはルーベンスでした。これは弟子のWillem Van Haechtが描いた『コーネリウス・ヴァン・デア・グリートのギャラリー』です。コーネリウス・ヴァン・デア・グリートは豪商で、ルーベンスとも友達でした。左側にジャバラの襟巻きして座っているのがこの地を治めていたアルバート大公と妻のイザベラ。そのすぐ右隣で絵の説明してるのがルーベンスだそうです。下は17世紀に描かれた作者不詳の絵画『ルーベンスと息子アルバート』です。ルーベンス自身を描いた絵画は少ない中、このルーベンスハイスで数点見ることができたのは貴重な体験でした。こちらはルーベンスの工房です。多くの弟子やアシスタントをまとめ上げ、2500を越える作品がここで『ルーベンス作品』として創作されました。ルーベンス作 『アダムとイブ』(1600年以前) 写真右下これは工房を構えるよりもっと前、イタリア留学以前の作品です。プラド美術館で見たティッツアーノの模写よりも前の作品なんですね。まだ全部自分で描いていた時代ですから、数が非常に少なく貴重な絵画の一つだそうです。その上の絵が 『受胎告知』で、大天使ガブリエルと聖母マリアが描かれています。これもルーベンス自身の作品でイタリア留学から帰ってすぐの作品と言われています。マリアの衣装には当時高価だったラピスラズリが使われ、イタリア・ルネッサンスの影響をもろに受けた派手な色使いとルーズな筆の運びでダイナミックな場面を構成しています。こちらはルーベンスが人物を、友達のヤン・ブリューゲルが花の静物を描き入れた有名な作品『花輪の聖母』で、本物はミュンヘンにあります。ルーベンスやヴァンダイクの死後、この地方で最も有名になった弟子が描いたのがこちら。『花輪の聖母』Jacob Jordeans周りのお花は別の画家が描いたようです。模写と行ってもいいくらい師匠の絵にそっくりですね。17世紀は複数の画家が合作で仕上げるのが普通だったようで、写真下の作品も二人の合作です。『市場に向かう農夫』Jan Boeckhorst (1604-1668) and Frans Snijders (1579-1657) 人物が得意な人と静物が得意な人が組んで仕上げた作品は、それぞれの得意分野で仕事するので仕上がりも速くお客さんにも人気があったそうです。ルーベンス工房で助手として技を磨き、後にイギリスの宮廷画家として活躍するヴァン・ダイクは弟子の中でも出世頭でした。これはルーベンスが描いた若き日のアンソニー・ヴァン・ダイクの肖像です。お庭の入り口にはステキなイタリア・ルネッサンス風のポーチがあります。1610年にこの家を買ったとき作ったもの。古いので装飾が落ちて来そうで現在添え木をして修復中です。お庭の方も土台が怪しいバラのアーチが修復中でしたがそれ以外はきれいに整備されています。400年くらい前にルーベンスもこの庭を散策したんだなあとか思いながら感慨深く歩きました。大聖堂の『聖母被昇天』もこの工房で制作されたんでしょうね。ルーベンスハイスの公式サイトはこちらです。
2014/05/21
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ルーベンスハイスの次に向かったのがマイヤー・ファン・デン・ベルグ美術館でした。19世紀の終わり頃、フリッツ・マイヤー・ファン・デン・ベルグは市内で最も裕福なビジネスマンでした。1879年に父親が亡くなったのを期に大学での研究をやめて稼業のビジネスを継ぎ、それを発展させ1887年には貴族に昇格します。彼が情熱を傾けたのは美術品収集でした。1901年に43歳の若さで亡くなったとき、彼の多様なコレクションは3000品目を越え、それを一緒に住んでいた母親が美術館として公開することにしたのだそうです。美男子でお金持ちで貴族で独身。さぞやモテたと思いますが、乗馬の事故で亡くなったそうです。美術館と言っても自宅をそのまま公開しているので普通の美術館とは趣が違います。まるで大きなお屋敷に招待された客人のような気分になります。階段には当たり前のように豪華なタペストリーが飾られていますし、絵画や彫刻、家具や窓のステンドグラスまでアート作品が普通にそこにあるんですね。何の前知識もなく入ってしまって、入り口で用意されていたミニガイドブック,最初はいらないと断ったのですが、あまりに充実したコレクションに途中から引き返して『やっぱり下さい』と貰って来ましたよ。驚いたことにブリューゲルの世界的に有名な代表作がここにあったんです。『悪女フリート』ピーテル・ブリューゲル(1562)左側で大口を開いているのは地獄の入り口だそうです。そのすぐ右側で右手に剣を構え鍋みたいのをかぶってすごんでるおばさんがこの絵の主人公『悪女フリート』です。「地獄の入り口で略奪し、無傷で帰還した」というフランドルの諺を描いたものだそうですが、この辺りでは『フリート』と言えば悪女の代名詞だそうです。まあごちゃごちゃと魑魅魍魎が描かれていますね。きっと一つずつに何か意味があるんでしょう。ブリューゲル・「悪女フリート」プリキャンバス複製画・ギャラリーラップ仕上げ(6号サイズ)地獄の入り口というので最初はこの口に入ると地獄に通じているのかと思いましたが、禍々しい生き物たちをみるとどうもフリートがいるのは地獄の中なんじゃないかという気がします。ベルギー王立美術館展でご紹介したヤーコプ・ファン・スワーネンブルフの『地獄のアイネイアス』でも、似たような口が冥府の入り口でした。ブリューゲル一族は画家が多いんですが、『悪女フリート』は『バベルの塔』と同じピーテル・ブリューゲル(父)の作品です。ベルギー王立美術館で見た『叛逆天使の墜落』にも変な生き物がいっぱい描かれてました。ブラックサバスのレコジャケ『死の勝利』も『悪女フリート』と同時期に描かれた作品です。これもオドロオドロしい絵でしたけど、欲しい人がいたんでしょうね、きっと。ブリューゲル・「死の勝利」プリキャンバス複製画・ギャラリーラップ仕上げ(6号サイズ)ちなみにルーベンスと仲良しなのは息子のヤン・ブリューゲル『花のブリューゲル』です。個人的にはこっちの方がまだ家に飾ってもいいかなという気になりますけどね。後に『農民画家のブリューゲル』と呼ばれたブリューゲル・パパは、そこに至る前は妖怪とか好きだったのかもしれませんね。マイヤー・ファン・デン・ベルグ美術館(Museum Mayer van den Bergh)の公式サイトはこちらです。
2014/05/27
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『迷子のお呼出を申し上げます。』行楽先やショッピングモールで場内アナウンスのお世話になった経験はありませんか?珍しい名前だと必ず誰か知り合いが聞いてて、後になって言われるんですよね。『放送聞いたわよ。この前、あの店にいたでしょう。』恥ずかしいったらありませんよね。それが2度3度となると。【送料無料】goldbug 迷子防止ぬいぐるみアニマルハーネス Animal Harness パンダ【smtb-KD】同窓会で迷子と血液型の関係について話題に上がったんです。A型の子供は迷子になり難いとか、B型の子供は自分が迷子になっているという意識がないとか。友達の話しによると、B型の子供はすぐどこかに消えて、少し知恵がついてくると自らインフォメーションセンターに出向き、母親の名前をいってアナウンスしてもらうので、まるで母親が迷子みたいな印象を世間に与えると言うんです。私もB型なんですが、思い当たる節があります。Angel Dept./エンジェルデプト 迷子ひも付きリュック 新・大きいアクマの迷子リュック レッドあれはまだ学校に行く前ですから4才か5才の頃。精一杯のおしゃれをして、母親に連れられ銀座のデパートに出かけました。屋上にはミニ遊園地があって、最上階はレストランだった気がします。母親がバーゲンかなにかに夢中になってる隙に、ちょっと冒険にでちゃったんですね。階段付近をウロウロしてるとジュースの販売機を発見しました。『これ、知ってる!』【送料無料】マイメロディ おしゃべりショッピングプラザ【soryo-tk】昔の販売機は紙コップを置いてお金を入れるとジュースが降ってくるタイプでした。私はコップをセットすると、じーっとそれを見つめながらジュースが降って来るのを今か今かと待っていたんです。もちろんお金なんて持ってませんから、ひたすら待ってたんですね。するとどこのどなたか知りませんが、優しいお兄さんがお金入れてくれたんです。 [楽天最安値に挑戦]【送料無料】【ラッピング無料】マイメロディお札スイスイ!Hiジュース『おー、やったぞ。』私は天から降って来たジュースを大切に抱えると、満面の笑みでお兄さんにお礼を言いました。お兄さんには連れの女の人がいて、多分彼女にいいとこ見せようとか思ったんでしょう。デート中に迷惑な話ですが、私はそのお兄さんが気に入ったのでついて行くことにしました。カップルは仕方なく自分たちもジュース飲むことにして、販売機の側に置いてあったテーブルに着きます。『どこから来たの?お母さんは?』そういえばうちのママちゃんはどこに行ったんだろうな。あくまでも自分が迷子という意識はまるでないんです。母親の方がどこかに行ったと思ってたんですね。ゆっくりジュース飲んでればそのうち来るかなくらいの気持ちです。そこへ思った通り母親が現れました。一人じゃなく、デパートの制服を着た人も一緒です。しかも相当慌ててる様子。『ママちゃん。こっちこっち。』私の甲高い声を聞きつけて母親がすごい形相で向かって来たのを覚えてます。ジュースをおごってくれたやさしい二人にさよならを言う間も与えられず私は母親に引きずられて行きました。ものすごく怒られましたね。お尻ペンペンの刑ですよ。ただジュース飲んでただけなのに。まあ、これがB型ってことなんでしょうか。
2012/07/26
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5年前、試合の合間にドレスのファスナーがブチ壊れたことがありました。固くなって滑りが悪かったところを思いっきり上げようとしたせいです。この週末、久しぶりにドレスを出して着てみようと思ったらファスナーが動きませんでした。太り過ぎとかいう問題以前に、着る前から動かなかったんです。大将がKURE556吹きかけてトライしてみてくれてましたがダメでした。これは5年前の二の舞になると思って、無理せず近所の洋服お直しの店に持ち込むことに。『時間かかりますけど、いいですか?』前回は3週間かかりましたからそれは覚悟の上です。『布を噛んでるわけでもなさそうですね。』店員さんは指でファスナーを撫でながら何度か動かそうとしてくれてましたけど、意地でも動かないつもりみたい。『錆びてるんでしょうかね。』もう1年以上試合に出てませんから踊り同様ドレスも錆びてるのかも。ところがなんの拍子か突然動いたんですよ。『あれ?動きましたね!』店員さんは、ファスナーの滑りをよくするペンみたいなものが裁縫グッズを売ってる店にあるからと教えてくださったので、その足で早速買いに行きました。500円くらいでした。直してもらったら多分その10倍くらいかかったと思いますのでずいぶん安上がりで助かりました。このペン、役に立ちますよ。ファスナーの動きが悪いドレスにお試しあれ。
2021/03/27
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ワルツのスピンターンで、カウント2の時に女性が足を集める動作をブラッシュと呼びます。ブラッシュは、BRUSHとBLUSHのどちらだと思いますか?BRUSHはブラシや筆などのことで、髪にブラシをかけるとか床を履くとか歯を磨くみたいな意味もあります。BLUSHは顔を赤らめるとか、頬をバラ色に染めるといった意味で、頬紅のこともこう言います。素敵さからいったらBLUSHの方ですけど、ダンスの足捌きの方はBRUSHが正解です。床をサッとハケで撫でるイメージでしょうかね。金野哲也・井之口香織組のレクチャーで、このブラッシュが話題になりました。ブラッシュには二つのタイプがあるということです。庄司名美先生から教えていただいたとおっしゃってました。ナチュラルスピンターンのオーバーターンのようにスピードが速く回転量が多い場合は、ゆっくりしている時間がないので直線的に足を寄せるとのこと。普通のナチュラルスピンターンの場合はある程度余裕があるので、寄せてくる足で小さな円を描くそうです。ルンバのファンポジションからカウント2で足を踏み替える時に似てるなと思いました。女性の右足を直線的に左足に寄せて踏み替えるのが一般的ですが、わざと内側にカーブを描いて寄せてくるやり方もありますね。この方が足の運びがきれいに見えるんです。自分たちはスピンターンがいまだに下手なので、まだ足さばきがどうこうできるレベルではないんですが、心に余裕ができるようになったらこのブラッシュの応用編を実践してみたいと思います。来月号のダンスビュウで、金野哲也・井之口香織組のDVD付きレクチャーが掲載されるそうですので、ご興味ある方は是非どうぞ。競技会情報はこちらから
2022/06/03
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競技ダンスではお馴染みのバルカーがスポンサーするテレビ番組『Dの旋律』。2022年12月14日は、石原正幸&石原蘭羅組が出演されました。ヴァイオリニスト古澤巖が奏でる名曲にのせて、日本の社交ダンス界のトッププロがダンスを披露する5分ほどの短い夜の番組です。曲は古澤巖作曲の『タンゴ・アモーレ』。ご興味ある方はこちらからどうぞ。前回のワルツはこちらです。
2022/12/19
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竜王の再来であるランドが闇王を倒したかに見えましたが、イシャミールは闇王に仕える闇セダイの一人に過ぎませんでした。生き延びたイシャミールは、モイレインの絶対力を封じ込め、仲間である闇姫ランフィアを召喚します。桁違いに強いランフィアは、前世ではランドの恋人でした。これはシーズン1に続く物語です。ランドとランフィアランドは死んだということにしてモイレインの元から旅立ち、ある街で力を隠したランフィアと出会い、再び恋に落ちます。ナイニーヴとエグウェーンは、白の塔で修練生となり絶対力の使い方を学んでいました。エレイン王女とエグウェーンアンドール王国のエレイン王女もここで学んでいて、エグウェーンと仲良しになるんですが、裏で闇王と繋がっている赤アジャのリアンドリンに目をつけられて大陸西部ファルムにテレポートさせられてしまいます。リアンドリンとナイニーヴファルムは侵略してきたショーンチャン軍によって掌握されていて、反抗的な者は容赦なく殺し、絶対力を操れるものを狩って奴隷のように服従させていました。ナイニーヴとエレインは逃れたもののエグウェーンは捉えられ、特別な首輪をはめられて犬小屋のような場所に繋がれてしまいます。生き延びたイシャミールは、ショーンチャン軍の参謀のような立場になっていました。イシャミールとショーンチャン軍闇セダイによって奪われた「英雄蘇生の角笛」を追っていたペリンは、白マント軍に捕まっていた凄腕の女戦士を助け出して共にファルムへと向かいます。女戦士とペリン別行動だったマットは、赤アジャのリアンドリンによる投獄から解放され、やはりファルムにやってきていてイシャミールに辛い前世を見せられたりしていました。闇セダイの手先とマット苦境に立つエグウェーンを救うということでランドもファルムに到着。再びイシャミールと対峙する竜王の再来ランドと仲間たち。ランドの絶対力はショーンチャン軍の強力なパワーで封印されています。モイレインの力は戻るのか、ランとの絆は、そして闇セダイとの戦いはいかに。護衛士ランとモイレインシーズン2全8話なんですけど、エピソードがてんこ盛りでとても語り尽くせません。お気付きのこととは思いますが、写真の下の名前、赤が闇側、水色が光側です。光と闇の戦い、シーズン3はまた来年でしょうか。
2023/10/24
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競技会の翌日、浜崎あゆみ(に似ている)先生のサークルがありました。ラテンだけ昇級して2級になったことを報告すると先生も大変喜んで下さいました。「ドレスどうするの?」と聞かれ、私もそこのところが一番気になっていたので、「どこで売ってるんですか」と伺ってみると、西日暮里とか渋谷とかとのことでした。「先生はどこで買ったんですか」と、一応聞いてみると、「ロンドン」。やっぱりプロは違うなあ、海外だもんね。なにしろ、今までダンスウエアは全部もらいもので、一度も買ったことがなかったので渋谷とかロンドンとかいわれても全然ピンとこなくてモジモジしていると、「もし私の着てた服で良かったら試してみる?」と先生がいって下さいました。先生が着てた服なら間違いないだろうし、「ロンドン」だからきっと凄いのに違いないと二つ返事でお願いしました。翌週のサークルの日に、いつもは終了ギリギリまで練習させてもらっていたのを早々にきりあげて、先生に家まで来てもらいました。持ってきて下さったのは、ベージュと赤の2着のラテンドレスでした。早速試着してみると、やっぱり先生とはスリム度が違いすぎるのでどちらもちょっときつめでした。でも赤いドレスは何だかとても似合って感じました。その時まで気が付きませんでしたが、これは一年前、先生のデモを初めて見て衝撃を受けたドレスでした。その時は超ミニだったのをリフォームして長いフリンジを付けてあったので私の太い足も見えなくてすむかな、とか、ちょっときついけどそのうち痩せるだろうなどと、都合のいいように考えて、その赤いドレスをいただくことにしました。気になるお値段ですが、私は相場を知りませんでしたので、非常に軽く考えてました。水着みたいなもんだろうと。ですから「アクセサリーも含めて6万」と聞いたときは、正直ひっくり返ってしまいました。でも先生はものすごくディスカウントしたつもりの様子でしたし、主人は平気な顔で「そんなに安くていいんですか」なんていっちゃってるし。「先生、無知ですみませんが、もともといくらぐらいするもんなんですか」と聞かずにはいられませんでした。買ったときは25万だったと先生は教えて下さいましたが、心の中では「この水着みたいのが25万てことはスタンダードのロングドレス、いったいいくらするんだろう」もうスタンダードは3級のままでいいや、という気持ちになっていました。とにかく新しいドレスは高すぎて買えないことは分かったので、その赤いドレスを譲っていただくことにして、「ドレスをリフォーム」でなく、「自分をリフォーム 」して2級戦を目指すことにしたのでした。
2004/09/20
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週半ばの祝日、皆さんはいかが過ごされましたか。私たちは練習の後、近所の天然温泉に行きました。水曜日はレディース・デーということで女性は割引料金で入れますので女湯は微妙に混んでました。天然温泉以外にもサウナやジャグジーがあって長く入ってても飽きないし癒されるんですよね。今日はゆっくり温まろうと塩サウナに入ってみることにしたんです。ちょっと隠れた場所にあるのでここなら空いてるかと思って。テレビもあるしゆっくり塩揉みでもするかな….。ところが扉を開けてみたらそこは異次元だったんですね。体脂肪率5%みたいな超スリムな若いお嬢さんが3人。入っていいものか腰が引けました。なんと皆さん、V字腹筋してたんです。ここ、サウナですけど…。入るか出るか速く決めないといけないので咄嗟に入ってしまったんですが、一人だけ身体の3分の1くらい体脂肪の人間が混ざっていいものでしょうか。私もV字腹筋やった方がいいですか?ドッキリ、なわけないよね。テレビでは実況アナウンサーの脳がどうのとか言う番組やってましたけど、そっちよりこっちの方が絶対面白いから。そのうち終わるかなと思って隅っこの方にこじんまりしてたんですが、皆さん凄い持久力でね。終わらないんですよ。最初にやめた奴がラーメンおごるとか、そっち系でしょうか?聞くに聞けず、かといって仲間に入る訳にもいかず、居心地悪くなって出て来てしまいました。あれは何だったんだろう。大将に話したら、爆笑して言いました。『それはきっと新体操部だ。』新体操部はサウナで筋トレですか?体育館でじゃなくて?私もやった方がいいだろうな。そんな長く出来ないけど。風呂の中より、出てからの方が無難でしょうね。
2015/02/11
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もうすぐ開花を迎えそうな上野の桜並木には、ピンク色の提灯が並んで風に揺れていました。仕事が一段落したので、今日は休暇をとって美術館巡りをします。まずは国立西洋美術館のカラヴァッジョ展から。『エマオの晩餐』 カラヴァッジョ (1606年)常設展が模様替えか何かで見られなかったので、6月まで使える鑑賞券がもらえました。光と影のドラマチックな絵画で有名なミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョは1571年にミラノで生まれました。バロック絵画の草分けとしてローマで活躍し、後のレンブラントやルーベンスなどに影響を与えたと言われています。スポットライトのような光の当て方で表情を際立たせ、見る側に緊迫した臨場感を与えてくれますね。『聖ヨハネの斬首』カラヴァッジョ(1608年) 彼は絵の才能は素晴らしかったんですが、無法者だったみたいです。飲んで暴れて傷害事件を起こし、挙げ句の果てに殺人の罪まで犯してローマからナポリへ逃亡、イタリア各地を転々としながら短い38年の生涯を閉じました。裁判の記録が展示されてるんですが、すごくくだらないことで喧嘩するんですね。アーティーチョークの油炒めとバター炒めを頼んで、運んできた店員にどっちがバターだと尋ねたら『匂いでわかるだろ。』と言われてカっとなって皿を投げましたとか。当時のローマは刀剣を持ち歩いてはいけないことになっていたそうなんですが、剣の不法所持でもなんども捕まっていたようです。彼の描く酒の神バッカスは仏顔ですね。なんでも許してくれそう。『バッカス』 カラヴァッジョ (1595年頃)日伊国交樹立150周年記念ということで今回はすごい作品が世界初公開されてました。行方不明になっていた彼の絵が2014年に発見されたんです。それがこちら。『法悦のマグダラのマリア』カラヴァッジョ (1606年)展示されていたカラヴァッジョの作品は全部で12点ですが、それ以外に彼の画法に惚れ込み模倣して継承した『カラヴァジェスキ』と呼ばれる画家たちの絵画が多く展示されていました。短命だったカラヴァッジョが残した作品は全部合わせても60点くらいだそうですからそのうちの2割が日本に集結したのは凄いことです。いままでウフィツィ美術館、トレド大聖堂、ティッセン=ボルネミッサ美術館などでカラヴァッジョの作品を見るチャンスがありましたが、どれもちょっと怖いというか深刻すぎるというか、家に飾りたくなるようなタイプの絵じゃないんですよね。日本でもボルゲーゼ美術館展でセクシーなヨハネの絵とか見ましたがこういうのもちょっとね。でもカラヴァジェスキの中には好きなタイプの絵がいくつかありました。ラ・トゥールの作品もそうです。彼がカラヴァジェスキだったというのはここで知りました。西洋美術館に常設されてる『聖トマス』も並んで展示されてましたよ。『煙草を吸う男』 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール (1646年)いつもこの中の一枚を持って帰っていいと言われたらどれにするかを考えるんですが、今回の一枚はこちら。『スピネットを弾く聖カエキリア』 オラッツィオ・ジェンティレスキ(1618-1621年)これ以外に心休まる絵が見当たらなかったせいかも。 斬首とか宗教色強いのはちょっとね。そういえばカラヴァジェスキの一人、タンツィオ・ダ・ヴァラッロの『長崎におけるフランシスコ会福者たちの殉教』という絵も印象的でした。描かれている日本人が日本人ぽくないんですよ。画家は日本から帰国した宣教師に話を聞いて描いたんでしょう。『果物籠を持つ少年』カラヴァッジョ (1593-94年)、果物は美味しそうですけど家に飾るには少年がちょっと暑苦しいでしょうかね。カラヴァッジョ展は上野の国立西洋美術館で2016年6月12日まで開催されています。ご興味ある方、公式サイトはこちらです。
2016/03/18
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展示されているのは14世紀から18世紀までのベネチア派と呼ばれる画家達の作品で、ベネチアの三大画家とされるティツィアーノ、ティントレット、パオロ・ヴェロネーゼの代表作が見られます。チケットは9ユーロで、ガイドブックに載ってた値段の倍ぐらいに値上がりしてました。2014年2月9日(日)の午後2時9分とチケットに印刷されています。日本語の音声ガイドを借りてゆっくりと回りました。チケットの裏に印刷されていたのはベネチア派第一世代と呼ばれるイタリアルネッサンス期の画家ジョバンニ・ベリーニの作品です。『サン・ジョゼッペ祭壇画 』ジョバンニ・ベリーニ 1487年頃中央の玉座に聖母マリアと幼子イエス、その下に奏楽する3人の天使が描かれています。チケットでは両端が欠けているんですが、左右3人ずつ立っている人がいます。左からフランシスコ会の創始者『聖フランチェスコ』、キリストの洗礼者『聖ヨハネ』、旧約聖書ヨブ記の『聖ヨブ』、右側には左からドミニコ会の創設者『聖ドミニクス』、疫病に対する守護聖人『聖セバスティアヌス』、ナポリ国王ロベール・ダンジューの弟で、1317年に聖人として認められた『聖ルイ』が描かれているそうです。この構図が、まるでおひな様の七段飾りみたいに他の画家の絵でも同じなんですよ。皆この絵が凄いので真似したんでしょうね。気になったのは守護聖人『聖セバスティアヌス』。三世紀末の古代ローマの近衛兵だそうですが、どの絵も彼だけ裸で身体に矢が刺さってるんです。痛そうです。『聖母被昇天』でご紹介したティツィアーノは、このジョバンニ・ベリーニの元で修行しました。今までいろんな企画展で彼の作品を見ましたが、ここベネチアが彼の本拠地なんですね。『聖母の神殿奉献』 ティツィアーノ 1534-1538年頃階段にいる小さな女の子は聖母マリアの3歳の時の姿だそうです。ティツィアーノが死の間際まで描き、弟子によって完成された遺作がこちら。『ピエタ (Pieta) 』 ティツィアーノ 1570年頃-1576年絶筆キリストの亡がらを抱く聖母マリア、死を嘆くマグダラのマリアと聖ヒエロニムスが描かれています。ティツィアーノ同様ベリーニの元で修行していたジョルジョーネの代表作がこちら。『テンペスタ』 ジョルジョーネ 1506-1508年頃この絵は解釈がいろいろで謎の多い作品のようです。女性は誰なんだとか何がテーマなんだとか。作者は何も言わなかったんでしょうかね。X線で見ると男性の描かれていた場所に2人の裸婦が描かれていたそうです。この当時の作品は全てテーマが宗教がらみか神話関係なので、この男女はアダムとイブだとか、子供はカインだとも言われているようです。通りがかりの男が川辺にいる美女に稲妻に撃たれたような衝撃をもって恋に落ちた図っていうのが私的な解釈ですね。アダムがこんな小じゃれた格好してるはず無い気がします。ドラマチックでカラフルなティントレットの代表作もここにありました。『聖マルコの奇蹟(奴隷の奇蹟)』 ティントレット 1548敬虔なキリスト教徒の奴隷が主人に無断で聖マルコの墓に巡礼したことで死刑になりそうになっている所を、天から聖マルコが降って来て救済するという凄いお話。周りで騒いでる人もとってもリアルですね。ティントレットと並び評される画家がパオロ・ヴェロネーゼで、その代表作がこちら。『レヴィ家の饗宴』 ヴェロネーゼ 1573この絵は消失したティツィアーノの祭壇画の代わりにと依頼されたそうなんです。本人は『最後の晩餐』を描いたのに、こんなに盛大なのは変だろみたいな宗教裁判にかけられ、タイトルを変えただけで許してもらったという曰く付きの絵です。時代は少しもどりますがアカデミア美術館の最後の部屋にはカルパッチョの9連作『聖ウルスラの伝説』がありました。日本語ガイドが絵の一枚ずつを全部詳しく説明してくれるので、ここで一番時間を費やしたと思います。『巡礼者たちの殉教と聖ウルスラの埋葬』 カルパッチョ 1495ウルスラはイギリス王女。結婚の前に1万1000人の処女を連れてローマ巡礼の旅に出るんですが、その帰りにケルンの蛮族に襲われて殉教するというキリスト教聖女伝説の1人なんです。 上の絵はその8枚目。中程に立つポールで場面が二つに区切られていて、左が殉教シーン、右が埋葬となっています。9枚全てがとっても細かい描写になっていて、イギリス大使など当時流行っていたおしゃれな服装が分かる貴重な資料にもなっているそうです。ベネチアは街自体が絵のような美しさなので美術館をでたあと眺めた風景の方が感動的だったんですが、後に活躍する画家達に大いに影響を与えたベネチア絵画を堪能する機会に恵まれて幸せでした。音声ガイドの日本語も割とまともでしたよ。フィレンツェにも、ミケランジェロのダビデ像が有名な同じ名前の美術館がありました。アカデミアという名前は元美術学校だったからみたいですね。ベネチアの方のアカデミアもダビデに匹敵するすごいコレクションがあります。『ウィトゥルウィウス的人体図』レオナルド・ダ・ヴィンチ作この名前、クイズ番組で出題されて答えられなかったもんで大将としばらく呪文のように繰り返してやっと覚えました。でも一般公開はされてないんです。壁に模写されてました。Tシャツも持ってます。もうヨレヨレだな。アカデミア美術館(ベネチア)の公式サイトはこちらです。
2014/03/01
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<市内観光と団結式>ホテルの無料シャトルバスを利用して空港に行き、そこからメトロ(地下鉄)を乗り継いでマドリード市街にやって来ました。2年前マヨルカで世界選手権があったとき、わざわざマドリードで一泊して試合前だというのに6時間も歩き倒したプラド美術館。そんな無謀なことはもうしませんが、そのとき行けなかったもう一つの美術館、ティッセン=ボルネミッサ美術館が今回のターゲットです。鉄鉱で財を成した男爵の個人コレクションを政府が買い取って公開しているんですが、英国のエリザベス女王のコレクションに次いで世界第2位と言われているそうです。14世紀の宗教画から20世紀のモダンアートに至るまで幅広く充実した内容に目を見張りました。中でも有名なのはこの作品。エドガー・ドガ「緑の衣装をつけた踊り子」1880年まるでクジャクドレスを着て踊る私だ…。2時間ほど堪能して美術館のカフェでサンドイッチを食べてから外に出ました。マドリードは内陸のせいか寒暖の差が激しく、日中の最高気温が30度近いのに対して夜の最低気温が6度という気温差があります。空気が乾燥しているので日差しがきつく、私はサングラスをかけた上に日傘をさして歩いてましたが他には誰もそう言う人を見かけませんでした。みんな、テレビのCMでしつこく流れていた日焼け止めクリームでも塗っているんでしょうかね。美術館前の大通りではデモをやってました。スペインの失業率の高さと経済危機に抗議し、プエルタ・デル・ソル広場で約1か月座り込みを続けていたデモ隊が12日から撤収を開始したそうで、その流れかもしれません。失業率24%を越えてるらしいですね。数万人規模の反緊縮政策デモも、ここマドリードで最近あったようです。こちらがそのプエルタ・デル・ソル(太陽の門)。大王と呼ばれるカルロス3世の像と、マドリードの紋章にもなっているヤマモモを食べようとする熊の像があります。ホントかどうかは知りませんが、アンデルセン童話によるとこんな話しがあるそうです。母親とピクニックに来ていた子供達が熊に襲われてヤマモモの樹によじ登ります。助けようとした母親に、子供が「お母さん、逃げて!(Madrehuid!)」と叫んだそうです。これが縮まってMadridになったのだとか。果たして子供と母親の運命やいかに。昔はこの辺りにたくさん熊がいたのは本当みたいです。ところでテレビではドン・フアン・カルロス1世が王位を退き、長男・フェリペ6世に王位を譲る話題で持ち切りでした。どんな旗印にするんだろうとか,日本人の自分にはどっちでもいいような話題で延々と盛り上がってましたね。太陽の広場からメトロに乗ってオペラ駅で降り、王宮に向かいます。王様達は今ここには住んでおられないようですが、時々、例えば王位を譲る儀式とかで使われるようです。広大な宮殿です。内装も超豪華。フィレンツェのピッティ宮殿もそうでしたが、ものすごいお宝絵画のコレクションがあって、それが美術館のように展示物としてではなく部屋の装飾品としてあるんですよ。ベラスケスやゴヤやカラバッジオが食堂に普通に飾られてるのってどうです?さすが王様ですよね。失業して不満を持っている若者たちが王制なんてやめちまえデモをやっているというニュースも流れていましたが、確かに国民の税金を使った豪華さの維持は本当に必要なのかという気になりました。夕方ホテルに戻ると、まだ明るいので時間感覚が変になってしまいそうでしたがすでに夜の7時半でした。8時からスタンダードのシニア3世界選手権参加の皆さんに便乗させて頂く形で明日の試合に向けた団結式に参加します。ホテルのレストランを予約して下さって、ほぼ貸し切りと言った状態でコースディナーを頂きました。ステーキが皿からはみ出るくらいでかかったです。食べきれないので半分大将にあげました。カップルごとに前に出て簡単な自己紹介をしたんですが、なんか夫婦漫才風に見えたのは関西の方が多かったからでしょうか。スタンダードは朝8時45分から試合開始ですのであまり長居せずに、明日の健闘を誓い合って2時間ほどで解散しました。(つづく)
2014/06/13
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ヴッパタールに行ってからその存在を知った美術館だったんですが、日本で1988年にこの美術館が紹介される企画展があったそうです。改築工事に伴い、19・20世紀のヨーロッパ絵画104点が日本に貸出され、滋賀県立近代美術館で紹介されていたんですね。入館料5ユーロ(約500円)と安かったし、受付でも『小さな美術館ですから30分で全部みられます。』なんて言われていたのでそれほど期待していませんでしたが、印象に残る作品があってとても充実したときを過ごせました。階段を上って最初の小部屋でまず目を引いた作品はロイスダールの風景画でした。アムステルダム国立美術館所蔵の風車の絵のような代表作ではありませんが、オランダ黄金期を代表する画家の小作品を見ることができるなんて、最初から驚かされます。学芸員さんがいらしたので写真を撮っていいかお聞きすると、撮影禁止とのことでしたので残念ながら映像はご紹介出来ません。更にビックリだったのはすぐ隣に巨匠レンブラントの自画像の素描が置かれていたこと。18世紀ヴェネツィアを代表する風景画家カナレットが描いた中央広場もありました。1740年の作品です。地元ドイツの画家の作品もあります。18世紀当時は絵画の勉強に行くと言ったらイタリア留学が一般的だったんですが、ドイツからローマに移り住み、そこで大成して後輩たちの尊敬を集めていたと言われるジョセフ・アントン・コッホの1835年イタリア風景画もありました。そして今日最もご紹介したい一枚はこれ。カール・シュピッツヴェークの『地質学者(Der Geologe)』カール・シュピッツヴェーク(Carl Spitzweg:1808-1885年)という画家を私はこの作品を見るまで知りませんでしたが、ドイツで最も愛されている国民的画家の一人だそうです。『空の三角が利いてるよね。』大将はこの絵を見てそう言ってました。彼は詩人でもあり、ビーダーマイヤーの画家とも言われているそうです。このビーダーマイヤーというのも初めて聞く言葉でしたが、ウィーン会議後から3月革命までの間(1815-48年)に中産階級が好んだ生活様式のことで、室内装飾や建築、絵画、手工芸品、音楽様式にもその名が使われるとのこと。いままで上げた絵は全て私の好きなタイプの絵だったんですが、絵はがきとして売られていたのはこの1枚だけでした。地質学者が天窓のような岩の裂け目から差し込む光のもと、採集した石を眺めて『この花崗岩はデボン紀のものか...』とか何とか言ってるような、さすが詩人だけあって絵の中に時間の流れを感じさせますね。この他にも7月5日の日記でご紹介した通り、ドラクロワ,セザンヌ,マネ,ルノワール,ゴッホ,ロートレック,ピカソ等、充実したラインナップを楽しむことができました。もともと市庁舎だった建物を1902年に市立美術館とし、銀行家であったオーガスト・フォン・デア・ハイトとその息子エドアルド・フォン・デア・ハイトが寄贈したコレクションをメインに地元住民の協力で作られた美術館だそうです。30分で見られる小さな美術館と言っても、コレクションには現在約3,000の絵画、400の彫刻と素描など30,000の作品で構成されているとのこと。ご興味のある方、詳しくはこちらのサイトをご覧下さい。von der Heydt Museum Wuppertal
2012/07/19
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いつか行ってみたいと思いつつロシアには行ったことがありません。エルミタージュ展は5年前に名古屋で見て以来になります。今回のテーマはオールドマスター西洋絵画の巨匠たちで、私の大好きな時代の絵が目白押し。エルミタージュとはフランス語で『隠れ家』という意味だそうで、女帝エカテリーナ2世がサンクトペテルブルグに作らせた宮殿です。ウィギリウス・エリクセン『戴冠式のローブを着たエカテリーナ2世の肖像』1760年代美術品の収集が趣味で、絵画だけで1万7千点だそうです。世界三大美術館の一つに挙げられるロマノフ王朝の栄華。『このたくさんの美しい絵画を見ることができるのは私とネズミだけ。』宮殿のネズミ、ラッキーでしたね。ポンペオ・ジローラモ・バトーニ『聖家族』1777年第1章はイタリア:ルネサンスからバロックへ。ティツィアーノやカナレットといった巨匠の絵が目を引きますが、甥のベルナルド・ベロットが描いたドレスデンのツヴィンガー宮殿は実際に見たことがある場所でしたので、まるでタイムスリップしたような感覚を楽しみました。ベルナルド・ベロット『ドレスデンのツヴィンガー宮殿』1752-1753年頃ほとんどすべての絵を気に入ったのでどれをご紹介したらいいか悩むところなんですが、ゴスロリっぽいこの絵も魅力的でした。カルロ・ドルチ『聖チェチリア』1640年代後半第2章はオランダ:市民絵画の黄金時代。フランス・ハルス、ヤン・ステーン、ピーテル・デホーホ、まさにゴールデン・ダッチの巨匠たちの描いた陽気な市民絵画は多く、これまでも折あるごとに鑑賞してきましたが、その中でもこころをぐっと掴まれるのはやはり天才レンブラント絵画でした。レンブラント・ファン・レイン『運命を悟るハマン』1660年代前半第3章フランドル:バロック的豊穣の時代。バベルの塔を描いたことでも有名なブリューゲルは、以前もお話ししましたが画家一族で、子供達がお父さんや叔父さんの絵を模写したりしながら絵画を学んでいるので同じ絵がいろんなところに存在するんです。それがまた本物と見まごうすごい出来栄えなんですよね。こちらも本当の作者は誰だろうということで、タイトルに?マークが付いていました。ピーテル・ブリューゲル2世?『スケートをする人たちと鳥罠のある冬景色』1615-1620年頃この時代で一番活躍したのはフランダースの犬で日本中を泣かせたルーベンスだろうと思います。ルーベンスは外交で忙しかったので実際に彼自身が全部を描いたものは少ないのではないかと思われますが彼の名を冠した絵画はありえないほどたくさん現存しています。ルーベンスの家で見た『ルーベンスと息子アルベルト』と全く同じ絵がここにも展示されてました。弟子たち何人かに勉強のため同じ構図の絵を描かせたんじゃないでしょうか。ペーテル・パウル・ルーベンスと工房『田園風景』1638-1640年頃第4章スペイン:神と聖人の世紀は作品数は少なかったのですが目を引くものばかりでした。フランシスコ・デ・スルバラン『聖母マリアの少女時代』1660年頃可愛いのでこれらの絵は人気でしたね。バルトロメ・エステバン・ムリーリョ『幼子イエスと洗礼者聖ヨハネ』1660年頃第5章フランス:古典主義バロックからロココへ、ここには私の大好きなクロード・ロランの絵が2枚もありました。クロード・ロラン『港』1630年代-1640年代クロード・ロラン『トビアと天使のいる風景』1663年トビアが大天使の助けを借りてお父さんの目を治す話はよく絵画の題材にされていて、実際に目を治療している様子として第1章のベルナルド・ストロッツィの絵がありました。廃墟画家として有名なユベール・ロベール(この人の名前をもじって、うちではタベール・ノメールとか言ってる)の絵や、ブーシェの絵も印象的でした。フラゴナールは彼の義理の妹で弟子だったジェラールとの共作が展示されています。フラゴナールとジェラール『盗まれた接吻』1780年末甘い香りのフラゴナールの香水は、競技ドレスにつけて愛用しています。第6章イギリス・ドイツ:美術大国の狭間で。これまで紹介されてきたイタリア、オランダ、ベルギー、スペイン、フランスなどに比べると若干陰が薄いドイツ、イギリスですが、ここで展示されていたどの作品よりも年代物でケットにも使われているのがこちらの絵でした。ルカス・クラーナハ『林檎の木の下の聖母子』1530年頃林檎とパンを持っているキリストもマリア様もドイツ人が描くとゲルマン民族風になりますね。エカテリーナ2世もドイツ人ですからこの絵を見て郷愁を覚えていたかもしれません。今回は見所満載で、お土産売り場でいつも以上にうろうろしてしまいました。うちに飾りたいタイプの大きな絵は売ってなかったので、1枚100円の気に入った絵はがきでも買っていこうと選んでいたらいつのまにか20枚を超えていまして、これなら図録買った方がいいとご購入。先に出口で待っていた大将がニヤニヤ笑って、やっぱり買ったのかと言わんばかりでした。図録がたまりすぎて狭い家を圧迫するのでもう買うのやめるとか大見栄切ってたんですけどね。大エルミタージュ美術館展は森アーツセンターギャラリーで2017年6月18日まで開催されています。そのあと2箇所巡回して、名古屋が7月1日から9月18日、神戸が10月3日から2018年1月14日までです。ご興味ある方、公式サイトはこちらです。
2017/05/05
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<笑(しょう)ダンスなのだ!>第一印象は大事と以前書きましたが、どのレベルの競技においても最初の種目の出だしっていうのは、もっとも審判が注目する部分です。知名度のある選手はそうでもないかもしれませんが、昇級したばかりとか、審判の顔ぶれがいつもと違う時は特に集中していいパフォーマンスをすると、『こいつは踊れる』みたいな良い先入観を持ってもらえて、その後の種目の評価も若干変わって来たりするそうです。さて、ラテンA級戦の最初の種目はサンバ。前回の試合では、先生に『間違えないで踊れるように、お祈りしますね。』なんて言われちゃったくらい踊り込みが足りなかったサンバです。この踊りはカーニバルで楽しく練り歩くみたいな明るいイメージ。くるくる回りながらスカートをひるがえして先を行く女性を男性が追かけて来て、振り向いた女性と一緒にカウンター・ランというカッコいい出だし。ところがですよ。大将がいったい誰を目指してるのか、私以外の女性を目がけて追い越して行くじゃありませんか。え、まって~。誰と踊るつもり~。わたしはここよ~。カッコいいはずの出だしはギャグになってしまいました。気を取り直して次で挽回だ。チャチャチャです。これは間違えませんよ、踊り込んでますから。ところで、今回試合の行われたフロアは広くて明るくてとても良かったんですが、もんの凄く滑るんです。つるつる。『誰かが粉撒いたんじゃないかってくらい滑るね。』もちろんなんとかそれでも踊れるように滑り止めを靴の裏につけて行くんですけど、いきなり準決勝5書目ですから、途中で滑り止め効果は失せてしまうんですね。で、チャチャチャの定番、『スプリット・キューバン・ブレイク』。男性と女性が速いテンポで半回転ずつ同じ方向を見るあれ、踊ったことある方はご存知ですよね。あんまり床が滑るので、それに入る直前に勢い余って私だけ1回転しちゃったんです。これ、実はむかしのルーチンで、脊髄指令でついタイムスリップしたみたい。つまり、大将と私と反対向いた状態から『スプリット・キューバン・ブレイク』。これも新技というか荒技というか、見る人がみたら間違ってるのバレバレだし、リードもフォローもあったもんじゃありません。しかも早くリスタートすればいいのに、いつか相手が合わせるだろなんてお互いそのまま続けちゃったりして、挽回どころかここでもギャグですよ。それでも背番号や名前呼んで応援して下さる方がいらして、もう感涙にむせびます。スタンダードでも凄いのがあったんですよ。準決勝のスローフォックストロット。スローなんて全種目の中でヴェニーズワルツの次に練習量が少ない書目なんですが、踊り慣れてないもんで、とっさの判断が出来ないんです。大将がバックするステップで、後ろに別のカップルがいたので私が止まるように合図したらまずいことにコーナーに向かってPPになってしまいました。以前タンゴで同じようなどん詰まり状態から脱出するのに苦労したんですが、こんどはスローです。手持ちの駒が無いことは重々承知してたんです。以前はこれでスローなのにワルツのシャセかましたことあったんですよね。どうするんだろ。PPのまま固まっている私達に審判の目が集まってきました。まずい。早くなんかやって。「つぎ、なにしますか?」え? 質問?わたしに?大将もそうとうパニクってたんでしょうね。「なにしますか?」なんて、誰にお問い合わせしてるんだか。ま、そんなこんなで今回も突っ込みどころ満載の競技会になってしまいました。ギャグ踊りから脱出して、次はマジで行こうね。
2008/04/08
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ルーブル展には2006年、2009年、2013年とこのブログを始めてから3回行きました。ルーブルは大きな美術館ですので何回やってもネタ切れにはならないでしょうね。今回のテーマは『肖像芸術 ―人は人をどう表現してきたか』でした。場所は六本木の国立新美術館です。チケットになっている絵は16世紀ヴェネツィア派の巨匠ヴェロネーゼによる『美しきナーニ』です。どこから見ても彼女と目が合わないという話。彼女の目は自分の内面に向いているんでしょうね。 紀元前1800年代なんていうとんでもない昔の作品や、ナポレオンのデスマスクなどなど、見所満載です。絵画ではレンブラント、ゴヤ、ベラスケス、ティッツァーノ工房など有名所の肖像作品もありました。私がつべこべ語るよりこちらの動画を見ていただいた方が内容がつかめると思います。私が一番気に入ったのはフランチェスコ・マリア・スキアッフィーノの彫刻。ルイ15世に仕えたリシュリュー公爵の像なんですが、大理石でここまでやる?というゴージャスな衣装の彫刻なんですよ。袖のレースやらマントのひだ、まあものすごい作品です。相当偉い方だったんでしょうね。2018年9月3日までやってます。今日は1時半頃に会場に着いたのですがすごい人で、40分くらいは待ったでしょうか。冷房がきつくてすごく寒いので、ゆっくりご覧になりたい方は長袖必要かも。公式サイトはこちらです。
2018/08/13
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先週、梅雨の晴れ間の暑い日のことです。仕事からの帰り、信号が青に変わって発進しようとアクセルを踏んだら妙に車の反応が鈍かったんです。前の車とドンドン距離が開いて焦りました。ギアが入ってないのかとチェックしましたが、ちゃんとDになってます。サイドブレーキも問題なし。走り始めで車内がサウナだったのでエアコン入れてたんですが、それも切ってみてもダメ。一体何が起こったのかと思いました。6ヶ月点検やったばかりでしたので、その時何か調整されておかしな事になったのかも。大将に車をもう一度ディーラーに持っていって聞いてもらおうと思ったら昨日は休みで、今日行ってきてもらいました。即日で治ったそうです。車のことはよく分からない上に大将からの又聞きなので正確にお伝えできるかわかりませんが、要はソフトのバグだったそうです。吸気温センサーがあるレベル以上の温度を感知すると発進加速を抑えるように制御されてしまうようにプログラムされていたとのこと。似たような問い合わせがいくつかあって、ちょうどタイムリーにアップデート版を入手したところだったというんです。でも去年なんか暑い日いっぱいありましたけどアクセル踏んでも加速しないなんてことなかったんですよ。今回の6ヶ月点検ではソフトはいじっていないらしいので、前回の冬の6ヶ月点検のときに更新したのかもしれません。ネット見たんですけど不具合のお知らせなんて出てませんでした。これって地域もしくは年式限定なんでしょうか。それとも当たり外れがあるとか?センサーの経年劣化とか複合的な要因かもしれません。トヨタのパッソで暑い日の発進加速が悪い方は、制御ソフトをアップデートしてもらってくださいね。今は加速バッチリです。
2020/07/08
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