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7 月末に日本に帰国する予定である。本当はもう少し早く帰る予定であったが、重要なお客様がベトナム工場に来ることになり、少し帰国が伸びてしまった。帰国した週末が地元の夏祭りに当たるので、久しぶりに花火を見ながら屋台をめぐってみたいと思う。
お父さんは昔から縁日の屋台が大好きだった。特にタコ焼き、お好み焼きなどの粉モノを食べるのが好きなのだが、最近は血糖値の問題もあってあまり食べないようにしている。それにしても最近は祭りの屋台から小動物が消えてしまったと思う。
いまだに残っているのは金魚すくいぐらいだろうか。金魚すくいは相変わらず屋台が出ているのを見かける。
お父さんが子供のころは子供向けに小動物を売ったりつかまえたりする屋台がたくさん存在していた。お父さんはそういう小動物を買いたくていつも親にねだっていたが、なかなか買ってもらえることは無かった。
どうして子供頃、あんなに小動物を飼いたいと思ったのか、今になってはよくわからないが、子供にとって小動物を飼いたいという衝動は本能的に備わっているモノなのかもしれない。
お父さんの子供のころ売っていた、もしくはつかまえる屋台としては、金魚すくいを筆頭に、ウナギ釣り、ドジョウすくい、ヒヨコ、ミドリガメ、カブトムシ、鈴虫などたくさんあった。どれも 500 円前後だったと思う。
お祭りで親からもらうお小遣いが 500 円ぐらいだったので、 1 匹でお祭りのお小遣いが無くなってしまうのだが、それでも小動物を買いたかった。
ダメと言われて一度は家に帰るのだが、こっそり後から買いに行って物置のすみで飼育していたこともある。特にヒヨコはニワトリまで育ててみたくて、何度も購入しては成長する前に死んでしまうことが多かった。
不思議なくらい縁日のヒヨコというのはすぐに死んでしまうことが多かった。その亡骸を庭に埋めてお墓を何度も作った記憶がある。
親になると、すぐに死んでしまうというイメージが強いので、子供が欲しがっても拒否していたのだと思う。我が家の子供たちも金魚すくいをよくやっていたが、 1 か月以内に大体死んでしまっていたと思う。
小動物にはかわいそうなのだが、子供のころに生き物を飼って、その死を経験するのは子供にとってそれなりに退治だと思っている。これは賛否両論あるだろうが、お父さん自体は小動物の死をたくさん経験することで、リアルに死というモノを体験してきた。そのおかげで、命の大切さやはかなさを学んだような気がする。
今の子供たちはゲームなどでバーチャルな死はたくさん経験しているが、そこに命の大切さやはかなさは存在していない。リセットすればすぐに復活してしまうからだ。お墓を作ることも死体にふれることもない。
結局死というモノを体験することなく大人になってしまう。ペットを気分で購入し、要らなくなったら捨ててしまう人が増えているのは、こういう状況も影響しているのではないかと思っている。
縁日の屋台が子供に命の大切さを教えるために存在していたはずはないのだが、子供の経験としてはとても大事なモノだったような気がする。今は子供に死を経験させないように、小動物の命を商売にしないように事前に排除されているのではないかと思う。これが幸せなこととは思えないのは、お父さんだけだろうか。