全31件 (31件中 1-31件目)
1
お父さんは20代の頃からデブと呼ばれ始めて、50歳を越えてもまだデブから卒業できていない。30年間デブとして世の中を生きている。お酒は飲めないのだが食べることが大好きで、20代も30代もたくさん食べてきた。食事を制限するようになってきたのは40代になってからだが、それも自分で節制しようとしたわけでは無く、血糖値が上がってしまい医者から体重を減らすように指示を受けたからだ。 今は人生の最高体重からは10キロほど少ない状態だが、まだBMIなどの数値では標準まで戻ってはいない。 さて、デブとして生きることはデブでない人にはあまり想像できないいろいろなことがある。まず第一に、風邪をひいてもねんざなどで病院に行っても、原因が「太っているから」と言われることがある。すべての原因を「肥満」とされてしまうのだ。確かに間接的な原因にはなるのかもしれないが、風邪を引いただけで「デブだから」と言われても困ってしまう。風邪を治すために減量をしなさいと言うことなのだろうか。デブにしかわからない悩みである。 ちなみに一般の人のデブのイメージは「なんでもよく食べる」とか「食べる量が多い」というものだと思う。実際にそのイメージは基本的に間違ってはいない。デブになるにはデブになるだけのカロリーを摂取し続けているという事実があるからだ。 しかしながら、デブから言わせると24時間いつでも大量に食べることができるわけでは無い。デブにも限界はあるし、体調が悪くあまり食欲がない時もあれば、それほどお腹が減っていない時もある。 それなのに、飲み会とかで残った料理はデブに食べさせれば大丈夫ということになるときが多い。すでにたっぷりと食べてお腹がいっぱいの状態なのに、「食べられるでしょう」と残り物をかき集めて目の前に並べられるのはかなり厳しいものがある。 食べられないと断ればいいのだが、デブにはデブとしてのプライドもある。そこまで言うなら食べてやるとか、皆の期待を裏切ってはいけないと思って頑張って食べてしまうのだ。 お父さんも飲み会で散々食べた後に、有名な大盛のラーメン屋に連れていかれて「おごるから特大のラーメンを食べろ」と言われて死にそうになったことがある。今でもその時のラーメンは写真に残っている。夏場だったので、大量の汗をかきながら食べたことになっているが、実際には食べきれなかったらどうしようという冷や汗と、お腹いっぱいで入らない状態で無理やり飲み込んでいたことに寄る嫌な汗だった。 最近はデブから老化したおっさんに脱皮をするようにイメージ変更をされるように努力している。全盛期より痩せてきたし、周囲に新しい若いデブも育ってきた。デブの代表はそろそろ引退の時期だと自分でも思っている。 ただデブがデブのイメージで頑張りすぎるのは良くないと実体験から知っているので、新たなデブの人達には健康に気を付けてデブを演じてほしいと願っている。
2024.08.31
コメント(0)
前回家族でキャンプに行ったとき、子供達はまだ中学生と小学生。キャンプの準備や食事の準備という意味ではほとんど役に立たなかった。お父さんとお母さんでテントやタープを設営して、食事もすべて準備した。 しかしながら今回は、大学生、高校生、中学生になっていたので、すべて子供達に任せるということは出来なかったが、テントの設営は大学生の娘と高校生の息子に任せた。 勝手だがお父さんはキャンプで子供達に将来キャンプやバーベキューなどを仲間とやるときに足手まといにならない程度には動ける能力を身につけてほしいと思っている。女の子はキャンプという特殊な環境での料理など、男の子はテント設営からバーベキューの準備、後片付けなど全般の作業を知っていてほしいと思っている。 お父さんも大学時代に何度かキャンプやバーベキューをしたが、当時の若者は異性の前でアピールをしたい人が多かったので、結構面倒くさかった。男は炭に火をつけて、肉を焼いたりするのがかっこいいと思っていたのかもしれないが、できもしないのに「俺がやる」といってなかなか炭に火をつけることができず、かといって周りの人に手を出させないので、かえって評価を落としている人もいた。 女の子も必死で料理ができるアピールをしていたが、これは異性のお父さんから見ればほほえましいとしか見えなかったので、同性からどう見られていたかは評価できない。たださすがにコメの研ぎ方を知らなかったり、包丁の持ち方がひどいというのには目が行ってしまった。普段まったく料理をしていないのがバレバレだからだ。普段料理をしない男から見れば気にならないのだろうが、料理をする男から見ると「あらまあ」といった感じになる。 息子や娘にそういう目で見られて陰で悪い評価を与えられないようにしておきたいという親心もあって、いろいろと子供達に教えるのだが、子供というのは今だけを生きているので、そんな親心など全く理解せずに、キャンプに来ていた。 とりあえず今回は、長女と長男に夕食と朝食を2人だけで作るように命令した。お父さんもお母さんも一切何も言わないから、メニュー決めから食材購入、調理から後片付けまですべてを自分たちでやるように指示した。 おかげで食材の買い出しでは2食分で1万円越えの食料品を購入する羽目になったが、致し方ないとあきらめた。 長女と息子は共同で料理をすることをやめて、夕食を息子が、朝食を長女が作ることにしたらしい。最初の夜は息子が一人で頑張っていた。16時ぐらいから火おこしをして、実際に「できた」と呼ばれたのは20時になろうかという時間だった。彼女がいたらかなり評価を下げたことだろう。お母さんが途中で手伝おうとしていたが、お父さんはそれを阻止した。 息子は無謀にも過去に一度も作ったことのない、トマトナンタラソースのスパゲティというのに挑戦していた。パスタを先にゆでて、そのあと2時間ぐらいかけてソースを作ったので、スパゲティはカピカピになっていて、食べられる状態ではなかった。 やむを得ず、息子がソースを作った鍋にソースと麺をすべて入れて再度加熱して何とか食べられる状態にはした。息子はうまく作れなかった自分がふがいなくて、だけど家族に指摘さるのが嫌で、完成直後から不貞腐れていた。若者の子の心理状態はよくわかるが、大人になって客観的に見ると、「何がしたいのだろう」と思ってしまう。 翌朝は娘が頑張った。前夜の息子失敗がだいぶ娘を勇気づけたのだろうと思う。張り切って作り始めたのだが、何を作っているか教えてくれない。野菜の切り方がだいぶ雑だったので、想像ができなかった。 娘もたっぷり2時間以上かけて、「火の通っていないお好み焼き」を完成させた。すでに周りのキャンパーが帰り支度を始めている時間にようやく完成して持ってきたのだ。そして笑ってしまったのだが、娘も昨夜の息子と同様にすでに不貞腐れていた。 火の通っていないお好み焼きは、はっきり言って美味しくなかった。ただそれでも家族は皆頑張って食べた。お父さんはこういう失敗から徐々に料理を覚えてほしいし、段取りもよくなっていくと思っているので、ダメ出しをするつもりはない。 自分がやれば、もっと短時間でもっとおいしく作れたとしてもここは我慢するしかないのだ。 将来といってもそれほど遠くない将来に、子供達は親とではないキャンプやバーベキューをすることになるだろう。今回の経験が生きて、活躍できれば喜ばしいし、自分はまだうまくできないと控えめに動くこともあるだろう。どちらにせよ評価を落とさないように頑張ってほしいと思う。
2024.08.30
コメント(0)
この夏は、とにかく台風に予定を狂わされ続けている。お盆休みに日本にやってきた2つの台風のせいで、当初の計画はことごとくくるってしまった。行く予定のキャンプ場は場所を変更した。そのせいで日程も変更せざるを得なくなり、かなりバタバタした日程になった。それ以外のお盆休みの予定はすべてキャンセルになってしまった。 8月末に、今度は大丈夫だろうと計画した実家への帰省も台風10号に翻弄されている。実家へ泊るだけなので、雨が降っても大きな問題があるわけでは無いが、交通機関が乱れるとそうもいっていられなくなる。 台風の困ったところは、日々状況が変化し、進路予想にズレが生じることである。台風6号、7号、10号とこの夏日本に近づいてきた台風はいずれも当初予想と異なる日程とコースをたどっていった。 お父さんは夏場に船釣りを楽しむことが多いので、陸地で遊んでいる人よりも台風の影響を受けやすい。陸地が晴れていても海上の波はかなり遠いところにある台風の影響も受けてしまうからだ。海が荒れると魚が釣れないわけでは無いのだが、安全を考えて船長が出向をキャンセルしてしまう。まあ数年に1度ぐらいの頻度ではあるが、海が荒れているのを無視して沖に出た船が転覆するような事故が発生しているので、致し方ないことではある。 ちなみにお父さんは台風が嫌いではない。直撃に近い台風が来るとなると、洪水などの心配をする一方で、暴風と豪雨を見たいという子供のような気持になってしまうのだ。子供の頃から暴風雨を見るのは好きだった。 滝のように雨が降るのを見るのもいまだに大好きである。もちろん自宅を含めて物的・人的被害が出ない範囲でという条件はある。 今回お盆に来た台風は、東北を横断する予想であり、実際に経路だけを見るときちんと横断していった。しかしながらお父さんが住む地域は台風の中心からさほど離れていなかったにも関わらず、雨も風も大したことがなかった。 台風で予定をキャンセルして家にいるのだから、それなりにキツイ暴風雨を見たかったのだが、それすら裏切られてしまった。 不謹慎なことはわかっているのだが、どうせ台風で家に閉じこもる状況を余儀なくされるのであれば、少しきつめの暴風を見せてくれてもよいのではと思うのはわがままなのだろうか。口では「たいしたことがなくてよかった」と言ってはいるが、実際は少しがっかりしている。特に今回のお盆の台風にはがっかりしてしまった。
2024.08.29
コメント(0)
今年のお盆休みは本当に久しぶりにキャンプに行ってきた。前回行ったのが2019年の夏だったと思う。その時は車で1時間ほどの、本当に近場のキャンプ場に1泊しただけで、キャンプ場でゆっくりと遊ぶというものではなかった。 今年は久しぶりに2泊3日でゆっくりと海辺のキャンプ場で過ごす計画を立てた。夏前から楽しみで、古くなった寝袋を買い替えたり新しくテントを購入したりして本番に備えていた。 お盆休み前の長期予想では天気も問題なく、今年のお盆休みは思いっきりキャンプを楽しめる予定だった。それがあっという間に発生した台風によって崩れてしまった。お盆期間というか、キャンプ予定期間に台風が東北地方を直撃する予想になった。海でのキャンプを予定していたお父さんにとっては絶望的な進路予測であった。 キャンプ行きたくない派のお母さんは、もうキャンプ中止と決め込んでいたが、お父さんはあきらめずに台風の進路予想と波の高さのシミュレーションを確認しながら、何とかキャンプが可能な場所を探し続けていた。 場所的に台風を避けられる地域をいくつかしぼり、キャンプ場を調べまくった。予約が必要なキャンプ場は空いていないので、予約不要なフリーキャンプ場を探した。 第一候補は茨城県のいわき周辺、第2候補を山形県の庄内地方に絞って検索を続けた。どちらにもフリーのキャンプ場を見つけたが、条件がよい山形県のキャンプ場に行くことを決めた。 お母さんはかなり残念がっていたが、お父さんはかなりほっとしていた。今年のキャンプのために買いこんだキャンプグッズを無駄にしないで済むことがうれしかった。 実際にキャンプに行ったが、目論見通り台風の影響はほとんどなかった。予想よりも波が高く砂浜での釣りをあきらめたこと、天気予報は晴れだったのに朝から雨に降られたこと以外は、予定通りの天候と波であった。 急遽の行き先変更でいろいろと大変な部分はあったが、無事にキャンプができたことにお父さんは満足している。
2024.08.28
コメント(0)
お父さんが若い頃、自動車というのは男の夢であった。速くてかっこいい車をブイブイいわせて乗り回したいというのが、ほとんどの男性のあこがれだったと思う。速さを追求する人、デザインを追求する人、パワーを追及する人、エンジンの排気量を重視する人など、今はほとんど車のウリにならなくなってしまったものにあこがれた。 若者は安い中でもデザインやイメージの良い車を中古で購入し、タイヤを太くしたり、シフトレバーを交換したり、ステアリング(ハンドル)を交換したりと個性を追求していた。お金のある中年以降は新車で高級車(クラウンやセドリック)を購入していたと思う。 だれがどんな車に乗っているか、誰の家にどんな車があるかというのは、その人や家のステイタスとして、よく話題に上がっていた。 当時も燃費という概念はあったのだが、ハイパワーで燃費が悪い車は一種のステイタスでもあった。今の世の中に生まれた人には想像ができないだろうが、排気音をわざとうるさくしたり、サスペンションを硬くしてさらに車高を下げて、実に乗り心地の悪くうるさい車を「かっこいい」と思っていた時代であった。 お父さんが大学生の頃、車を速く走らせることがかっこよかった。暴走族ではなく、走りやというのがもてはやされていた。週末に峠道を猛スピードで走行する「走り屋」は男性たちの中ではあこがれの存在であったと思う。 ところがお父さんが30歳ぐらいになった頃から、燃費とか環境という言葉が自動車の新たな価値として市民権を得るようになった。世の中の流れだとは思うが、大きなきっかけはトヨタのプリウスの発売だとお父さんは思っている。ハイブリットという新しいシステムで、これまでの自動車の常識を覆す燃費の良さを実現してしまった。 ガソリン代が高騰したりという追い風もあり、低燃費車に乗ることがかっこいい時代になったとお父さんは感じている。これからは自動運転がかっこいい時代になるだろう。緊急時の自動ブレーキは今や当たり前で、自動運転がこれからの自動車をけん引するウリ機能になってきている。 一般の人が気軽に買える値段になれば、自動運転の車以外は売れない時代になるのではないかと思う。 自動運転が普通になった後は、何がウリになるのかわからないが、そろそろ空飛ぶ車が出てくるのではないかとお父さんは思っている。 お父さんが若い頃にやんちゃした話を、全くあこがれることなく冷たい目で聞いている子供たちを見ていると、あの頃の楽しさを今の子供達は何に置き換えているのだろうかと考えてしまう。
2024.08.27
コメント(0)
お父さんは若い頃、電化製品をじっくり検討して買うのが好きだった。今と違ってネットもクチコミもない時代なので、電気屋にカタログを取りに行って候補にしている電化製品の機能を比較検討した。お金はないが時間は結構あったので、この比較検討する作業自体を楽しんでいたともいえる。 お父さんが若い頃は、電化製品は多機能が喜ばれるというかウリになる時代だった。カタログにはオリジナルの機能がいろいろと載っていて、正直こんな機能を使う人がいるのかというものまで存在していた記憶がある。 電化製品というのは基本的に購入してしまえば使い方はそれほど多くなく、一般的な機能を3種類ぐらい使うぐらいが通常だと思う。それ以外の機能など年に1度も使わないというモノも多くあると思う。 それでも当時のお父さんは、何に使うかという考えよりも、何ができるのかということに魅力を感じて多機能品を値段と見比べて選んでいた。電気製品を購入するまで数か月検討したということも珍しくない。 しかしながら50歳も過ぎると、まずカタログ(今はネット上の電子カタログ)を読むのが面倒くさくなっている。そして自分が使わないであろう機能に全く興味を引かれなくなってしまった。 テレビで家電芸人という人が、最新の家電製品をいろいろと紹介するのを何度か見たことがあるが、彼らが素晴らしい機能だとアピールする機能も、自分にはあまり必要ないなと感じるほどには、機能に興味がなくなってしまった。 そのため最近の電化製品の選び方は、必要機能を事前にピックアップして、それを網羅している中から一番安いモノをネットで買うということが多くなっている。まあ一応日系メーカー以外を買うことはほとんどないが、ベトナムなどでは台湾製や韓国製も購入している。とにかく使えればよいという状態である。 先日我が家のミキサーが壊れたので、新しいミキサーを買いにお母さんと電気屋に出かけた。お父さんではなくお母さんが使うモノなので、実機をお母さんが見て決めた方が良いだろうと思って、久しぶりに電気屋で電化製品を選ぶという行為をした。 残念なことにお母さんは電化製品を選ぶときに、全くと言っていいほど機能を気にしない。そのため、店について並んでいるミキサーから一番安いモノを「これでいい」と買おうとし始めた。 さすがにそれなりに長く使うモノなので、もう少し検討しようという話をしたが、お母さんは、だったらお父さんが選べというスタンスになってしまった。 しかしながらお父さんはミキサーなど子供の頃に遊びで使った記憶しかない。お母さんが今何に使うのかもしらない。 結局機能はほとんど確認せず、重さとかデザイン、あとは価格で購入するミキサーを決定した。時間にして15分ぐらいだったと思う。30年前のお父さんなら、実機をいろいろと触り、カタログを読み込んで、多機能なモノを選択していたと思う。よく調べなかったが、並んでいたミキサーにも多機能な高級品もあった。値段が高いので今回は全くそちらを見ることをなかった。 昔はお母さんをバカにして、機能をきちんと確認して買うようによく言っていたし、お父さんが代わりにいろいろと検討して買うことが多かったが、お母さんがお父さんの買い方に寄るのではなく、お父さんがお母さんの買い方に寄る結果になってしまった。改めて考えるとなんか負けたような気もするのだが、電化製品に対しての興味自体が薄くなっているので、改めて頑張ろうという気にはもうならないと思う。 電化製品の購入が趣味の世界から、実用品の買い替えぐらいの気持ちになってしまっていると感じる。ただ息子や娘たちを見ていてもそれほど機能にこだわったモノの買い方をしないので、令和の世ではそれほど多機能製品は売れないのではと思っている。安さだけで電化製品を購入されたら、日本メーカーは生き残っていけるのかと不安になってしまう。
2024.08.26
コメント(0)
お父さんには3人の子供がいる。息子が1人と娘が2人だ。お父さん自身も3人兄弟で、上に兄、下に妹がいる中間子である。事実とは断定できないが、お父さんは中間子として、常に何かあっても順番は2番目だった。年の順では上からも下からも2番目。男だけが対象の時も基本は兄が上で先、女だけの時は妹のみ。中間子として生まれた良かったと思ったことはあまり記憶にない。 またお父さんは親の注意を引くために、自分がいろいろとできるという優秀さのアピールをしようと努力していたので、手のかからない子供としてますます親からの世話から離れていた。 そんなお父さんを1番に扱ってくれたのが母方の祖父母だ。特に祖父はお父さんをひたすらにかわいがってくれた。両親からは1番にしてもらえなかったが、祖父母の元ではお父さんが1番になれるという思いがあり、あまり精神を捻じ曲げることなく成長することができた。祖父母には本当に感謝している。 前置きが長くなったが、自分が中間子としていろいろと不利な立場にいたという思いから、自分の子供は絶対に平等に育てようと考えていた。そして実際に3人の子供を持ち育てているが、この平等というのがいかに難しいかを思い知らされた。親考える平等と子供の考える平等が異なることも原因なのだが、それ以上にお父さんが難しいと思うのが性別の差である。 お母さんが長女を妊娠したとき、お父さんは男の子を希望し、お母さんは女の子を希望した。これは、初めての子供は自分の性別と同じ方が育て方がわかるという思いが強かったと思う。さらにお父さんは男として息子と男同士の絆や遊びを欲し、お母さんは女として娘とやりたいことがいっぱいあった。逆に言うと、自分と違う性別の子供とどう接してよいかわからないという思いが強かった。 結局生まれたのは女の子であった。お父さんは少し気を落とし、お母さんはとても喜んだ。ちなみに二人目で息子が生まれた時は、完全にお父さんのほうがはしゃいでいた。まだ乳飲み子のうちからグローブやボールを買ったりして、息子と一緒に遊べる日が来るのを夢見ていた。 お母さんは娘と縫物をしたり、料理をしたり、一緒に買い物に行く楽しさを夢見ていたようだ。 ところが結果として、お父さんは娘2人と遊ぶことが多くなり、お母さんは息子と出かけることが多くなってしまった。生まれる前の思いというか想像と正反対な結果になっている。 原因は、異性になる子供の方が可愛いと感じるからではない。同姓の子供に対しての思い入れが強すぎるからだとお父さんは思っている。 お父さんは息子には「こうなってほしい」という具体的な思いがいろいろあるが、娘には具体的な思いがほとんどない。逆にお母さんは娘に対して「こうなってほしい」という具体的な思いがあるが、息子にはない。 結局思い入れの少ない自分と性別が異なる子には、甘くなってしまうのだ。必然的に息子はお母さんになつき、娘はお父さんの方が優しいとお父さんになつく。もちろん息子が父親を嫌いになるとか、娘が母親を嫌いになる程ではないのだが、お父さんから見るとお母さんは息子にだけ甘いように見えるし、息子はお母さんに甘えていると思っている。 逆にお母さんは、お父さんが息子に厳しく娘に甘いと思っており、娘たちはお父さんに甘えていると思っている。 子供が成長して思春期に入ると、この構造はよりはっきりするようになった。生まれる前には息子を待望したお父さんは息子と接点を減らし、娘を切望したお母さんは娘とよくケンカしている。 世の中思い通りに行かないものだとはいえ、本当に不思議なものである。
2024.08.25
コメント(0)
お父さんはお母さんが作るお弁当を毎日会社で食べている。いわゆる愛妻弁当というやつである。そのため会社で頼んでいるお弁当屋さんを使うことはほとんどないのだが、毎日のようにお弁当を頼む社員にとっては、お弁当屋さんの質と値段はかなり重要である。 お父さんが入社した当初は、会社近くにあるローカルの食堂にお弁当を注文していた。日替わり弁当だけしかないのだが、ご主人が山菜を取ったり港町まで魚を仕入れに言ったりする人で、季節の料理が使われていてなかなか好評ではあった。唯一の欠点は、ご飯が自分の田んぼで作ったお米で、精米機もすべて自前だったのだが、ご飯に小さな石がよく混じっていたことだ。突然口の中でガリッと硬いモノに当たる。近くの人が振り向くほどの音が出ることもあった。 そのお弁当は、高齢による食堂の閉鎖で注文できなくなってしまった。その後、会社近くの農家の嫁グループが作るお弁当を頼むようになった。こちらは日替わり弁当の他にカレーなどもあって、値段も安かったので社員には好評だった。 ところが好評で他からも注文が殺到したこと、初期価格を安く設定してしまったことで、売れれば売れるほど赤字になるお弁当になってしまったらしい。地元農家の奥様達だったので、老人宅への昼食として人気があったことで、値上げをすることができずに閉店することになってしまった。 その後、少し離れた仕出しの会社に依頼したが、日替わりという名の揚げ物の種類が変わるだけのようなお弁当を1年ほど依頼したが、これならコンビニ弁当が良いという社員が増えて、1日1個や2個しか注文がない状態が続いてしまい、結局仕出し屋から利益にならないと断られてしまった。往復1時間以上かけて配達している分でやはり赤字になってしまうようだった。 結局今はチェーン店のほっかほっか亭のお弁当を注文している。以前は配達をしてくれなかったのだが、ライバル店の消滅によりそれなりに量を受注できるようになり、配達しても利益がでるという判断になったようだ。 専門のお弁当屋さんなので、今までに比べてメニューも豊富であり、何よりもハズレと思う弁当が無いことが社員にはウケている。会社としては、来客の昼食に使うにはちょっとということになるのだが、ほっかほっか亭になってから若い社員の利用が増え、毎日それなりの数を注文している。 お父さんもごくまれにお母さんが寝坊したときなどに食べることがあるが、たまに食べるととても美味しい。いつもの愛妻弁当よりも油が多く塩分濃度も高いせいで、とても美味しく感じる。3日連続食べろと言われたらちょっと嫌ではある。カロリーも高めなので、食後に眠くなるのも困りものである。 そして今、ほっかほっか亭も店を後継者がおらず、店をいつまで続けるかわからないという話が出てきている。過疎化しているお父さんの会社周辺では、これ以上お弁当を頼める店があるかどうかとても心配である。 ほっかほっか亭の存続を望みたいが、閉店するとしたら赤字とかではなくオーナー及び店員の高齢化であるため、無理して頑張ってくれとは言いだしづらい案件である。
2024.08.24
コメント(0)
お母さんの夏風邪がお父さんの知っている夏風邪に比べると熱も高いし下がらないので、何か別の要因があるのではないかと疑った。 コロナに関しては2種類の検査キットで陰性の判定が出ていたので、問題はないと考えていたが、ただの風邪とも思えなかった。 普段は病院を嫌がるお母さんだが、高熱が続いて精神的に不安もあったのだろう。病院に行くようにという言葉に、珍しく素直に従った。結果としてはこの判断は正解であった。 病院で家庭用の検査キッドで陰性だったという話をしたようだが、症状的にコロナかインフルエンザが一番疑われるということで、病院でもコロナの検査をした。そしてコロナ陽性の検査結果が出た。 仕事中のお父さんにコロナ陽性の連絡が来たのはお昼前の時間である。前日もお母さんと一緒の部屋で寝ているお父さんとしては、「やば!」という感想だった。お母さんが心配なのもあるが、自分が罹患していたら会社で周囲にまき散らしている可能性が高い。忙しい時期に会社でコロナが広がったらと思うと冷や汗が出た。 こういうときに限って、いろいろな人と会議室で打ち合わせなどを行っていて、昔で言う濃厚接触者が大量に発生していた。 自宅に購入していた検査キッドを使って陰性判定、お父さんが帰宅前に薬局で買った検査キットでも陰性判定だったのに、翌日の病院での検査で陽性になるのはさすがにひどいと思った。 医者の話では、症状が出てからしばらく検査で陰性が出る人もいるとのことだったらしいが、それなら自宅で検査をする意味がないではないかと思ってしまった。 息子がコロナになった時は、同じ検査キットで普通に陽性判定ができていたので、結構検査キットを信用していたのだが、やはりきちんと病院で検査をした方が間違いがないだろう。 それにしてもお母さんがコロナに罹患したことで家がひどいことになっている。息子も娘もまるでお母さんの代わりに家事をやるということをしないし、お父さんも仕事を休める状態ではない。 そもそも他の社員の家族がコロナになっても、会社の検査キットで陰性ならそのまま出勤してもらっているので、お父さんがお母さんのコロナを理由に会社を休むことができる雰囲気ではない。休めるとしたらお父さんがコロナに感染した場合だが、そうなったら家族全員の感染を覚悟して過ごすしかないだろう。 息子や娘に帰宅後にいろいろと家事をさせているが、「もういい、お父さんがやる」といいたくなることばかりである。「覚えるまでの辛抱」と必死で耐えたり、見ないようにしている。いつまで耐えられるかわからないが、お母さんもかなり家の状況を心配している。 お母さんがコロナに罹患すると、お父さんが罹患するよりも家庭が乱れることがよくわかった。お父さんはベトナムでコロナに罹患したので、家族に影響を与えることはなかったが、仕事には影響を与えた。 ただ自宅で自宅隔離(ベトナムからの帰国時)2週間などを経験している。その時は家の事で迷惑をかけることはほとんどなかっただろう。お母さんは家の中では心人物で、必要欠くべからざる人であるということを今回改めて痛感した。
2024.08.23
コメント(0)
お母さんが熱を出した。39度を超えたとLINEで連絡がきた。とりあえず家に合った検査キットで確認したが、幸いなことにコロナでもインフルエンザでもなかったので、ただの夏風邪だと思う。 現在お父さんの周囲ではコロナの変異株に感染する人がそれなりにいる。先日は80歳を目前にした知人の旦那さんがコロナからくる肺炎で亡くなったりもしている。社員でも家族全員コロナになったという人も出るぐらいにはコロナが身近なものになっている。 お父さんは仕事で会社に来ているが、子供達は夏休みだ。必然的にお母さんの家での仕事というか家事が増えている。少なくとも昼飯は子供の分を用意しなくてはいけないし、子供の夏期講習の送り迎えなど時間に縛られることも多いようだ。 さらに子供の就寝時間が夏休みに入って確実に遅くなっている。お父さんもお母さんも12時前には寝ているが、子供が起きているのでぐっすりと眠れていないのかもしれない。 夏風邪は○○がひくという言葉があるが、それをお母さんに言うと機嫌を損ねるので完治するまでは言わないようにしている。それとは別に、夏風邪は長引くことが結構ある。すぐに熱が治まればいいのだが、長引くと1週間ぐらいは治らないこともある。 我が家の子供は家を出ている大学生、高校2年男子、中学3年生女子である。これぐらいの年齢になれば、親が風邪で倒れたら代わりに家事ぐらいは出来て当たり前だと思うのだが、世話をさせることしか考えていない。まったくとは言わないがほとんど役に立たない。 お母さんが子供の夕食をお父さんに頼んでくるぐらいには役にたたないとお父さんもお母さんも思っている。 実際これまでも料理などをしたことがあるが、要領が悪いのは仕方がないが、まともに片付けもできないので、親の負担が増えるだけである。将来家を出た後どうするつもりなのかと心配になるが、教えを拒んだのは子供たちなので勝手にやってもらうしかない。 そんなわけでこんな時に役に立たない子供を抱えてお母さんも気が休まらないだろう。今回の夏風邪は長引く可能性がある。 困ったことに、我が家でお母さんは唯一の寒がりである。お父さんは一緒の部屋で寝ているが、夏はクーラーをかけるかどうかで毎晩のようにもめている。普段ならお休みタイマーを使用して2時間ほどクーラーをかけているのだが、高熱のお母さんが寒いと言ったらクーラーをつけるわけにはいかない。夜の気温によっては窓を開けて寝ることすらできないかもしれない。 我が家の家族は、お父さんは健康で体を壊すことはないと思っている節がある(コロナになった時もほとんど症状がなくまるで心配されなかった)が、実はお父さんもお母さんが体を壊すかもしれないとあまり思っていない。 そのため今回の様に突然熱を出されると動揺してしまう。子供達はお父さんが何とかするだろうと思っているだろうが、お父さんは万能ではない。こういう時に限って会社も忙しく来客や出張があるので、休むどころか早めに帰ることも難しい状態だ。 家族が体調を崩すと子供ですら、家の予定に影響を及ぼす。お母さんの夏風邪は今のお父さんにとっては結構しんどい。早く治ることを祈るしかない。
2024.08.22
コメント(0)
先日地元の花火大会に行ってきた。日本人の多くは打ち上げ花火を見ることが好きだと思っているがどうだろうか。人混みが嫌だとか、トイレが混むのが不安だから行かないという人は多いだろうが、純水に花火を見ることは好きかと聞かれて、嫌いだと答える人はほとんどいないだろう。お父さんも花火を見るのは大好きである。 地方都市の小さな花火大会な上に、打ち上げ場所が街中の河川敷なので花火の打ち上げ高さは低いし、花火の大きさも小さい。昔得た知識であるが、花火は大きいものほど高く打ち上げて、上空で大きな花を咲かせるものらしい。 狭いところで大きな花火を打ち上げることは法律でできないと聞いたことがある。どのような法律なのかは知らないが、例えば3尺玉という直径が1m近い花火の球を打ち上げることを許される会場はなかなかないと聞いている。 さて今日の本題に入ろうと思う。10年ほど前に、花火師の特集をしているテレビ番組を見たのだが、その番組を見て以来純水に花火を楽しめなくなってしまった。その番組は花火師が自分の理想の花火を作り上げるのに悪戦苦闘しているような話だったと思う。また海外に行って、現地の花火師と花火の優劣を競うようなこともしていた。 その時に知ったのだが、花火には優劣があり花火師は優れた花火を作り上げるのに苦労しているという。その番組を見るまでは花火をただきれいだなと見ていたが、「真球に近いほど優れた花火とされている」ということを知って以来、真球とは言い難い花火を見ると「ダメな花火だな」と思うようになってしまった。今回の花火でもダメな花火だらけであった。知らなければ余計なことを考えずに済んだのにと思ってしまう。このブログを読んだ人が、今後花火を純粋に楽しめないことになったら申し訳ないと思う。 困ったことに、上の文章を書きながら不正確だったら問題だと思ってネットで花火と真球度の事を調べたらさらに余計な知識を学んでしまった。どうやら花火の優劣は真球度だけではないらしい。純粋に花火をこれからも楽しみたい人はこの先は読まない方がいいかもしれない。 花火には何種類か評価項目があるようだが、真球度(真円度)は「盆」というらしい。真球度が高いほど「盆が良い」とされて優れた花火と評価される。 次に「座り」という評価があるらしい。打ち上げた花火が上昇している最中にはじけても、下降している時にはじけても「盆」が崩れてしまうので、最高到達点で上昇が止まり加工する前にはじけることを「座りが良い」と評価するようだ。 その他に「肩」という評価がある。これは全方向に均一にすべて花火が広がるかどうかの評価で、途中で消えて同じ位置まで広がらないと「肩のはりが悪い」という評価になってしまうという。ちなみに点火されずに一部が抜けたりすると「星が抜けている」とも言うらしい。 最後の評価は「消え口」という。花火の最後に同時に火が消えると「消え口が良い」とされ、まばらにぱらぱらと消えていく花火はダメとのことだ。 このような知識は、その世界で生きる人にとっては非常に重要な知識であり常識でもあるのだろうが、楽しむ側が知っていて良いことはあまりないと思う。今回さらに余計な知識が増えたことで、お父さんはますます花火を純粋に見ることができなくなってしまった気がする。良いことがあるとすれば、上に書いた様々な評価がとても良い花火を見ることができた時に、知らない人より「素晴らしい花火を見た」と思えることぐらいだろう。
2024.08.21
コメント(0)
先日あるセミナーで、仕事を円滑に進めるための講義を受けた。その中で「なるほど」と思ったことがあったので書いてみたいと思う。 講師の話の中に、コントロールできるのにできないと思っている事というのとコントロールできないのにできると思っているモノと言うのがあった。実際にはコントロールできる出来ないとその認識でもっと組み合わせがあるのだが、その中でもこの2つの項目はお父さんにとってかなり大きな衝撃だった。 コントロールできないと思ってできるものと言うのは、「目標達成」とか「夢の実現」と言うのが具体例としてあった。目標が達成できないとか夢は実現できないというのは、その人が思い込んでいて何もしていないだけで、実際は具体的な計画と実施により達成できるものであるという内容だった。これに関してはよくあるセミナーの内容なので、詳しく述べなくても理解できると思う。 お父さんにもっとも響いたのは、「コントロールできると思っていて実際はコントロールできないもの」についてである。具体例は「他人を変えること」「他人の行動を制御すること」である。自分の思うとおりに相手を変えようという行為は、字面だけ見ると傲慢であり不可能だと思う人が多いと思う。 しかしながら、お父さんも含めて意外と多くの人がこれをできると思って行動して失敗していると思う。 お父さんは会社で中間管理職として上司も部下もいる立場であるが、相手の意識を変えようとか、指示によって行動を制御しようというのは当たり前の感覚で実施してきた。そして、どうして部下は指示をきいてくれないのだろうとか、上司は私の言うことを理解してくれないと悩むことが多かった。実際に今でもよく悩んでいる。 しかしながら、他人の気持ちや行動を自分の言動で思うように操ることができるという考えは、改めて指摘されると確かに傲慢であるし不可能である。そもそも自分が他人からのコントロールを受け入れなければという意識がないのだから、お父さんのコントロールを相手が受け入れないのは当たり前だと気がついた。 もちろん気がついたからと言って、仕事で部下への指示などをしなくなることはないのだが、部下は当たり前にお父さんの言うことを聞くべきだと思うこと自体が間違いなのだとそれ以来思うようになった。 もっと極端な例は子供である。親と言うのは子供にとって絶大な権力を持っていると言っても過言ではないだろう。しかしながら、親は子供が言うことをきかないとか思うように成長してくれないことに日々悩んでいる。 子供だから親の言うことをきくのが当たり前であると無意識に思っているのである。だが自分の子供であっても、それぞれに自我を持っており自分と同じ考えで生きているわけでは無い。 その結果、親が子供のためを思っての言動がまるで通じないだけでなく、親の制御を全く無視して子供と言うのは成長している。親が驚いて感心するほど「よい子」になることはほとんどないだろう。そもそも自分の子供に自分以上の出来を期待すること自体傲慢である。 自分ができなかった後悔を子供を使って取り返そうという行動を、思い返せばお父さんはかなり子供達に押し付けようとして失敗してきている。 本当に冷静に考えれば、自分が子供の時よりも我が家の子供達は素直で良い子たちである。子供を叱りつけている内容を自分が子供の時にあてはめると、お父さん自身できていないことが多い。そしてそのことを後悔していることも多い。 子供は親のために生きているわけでは無いという現代の価値観で考えれば、子供の行動をコントロールするとか、性格や意識を変えようとする努力は実現できないことだと思うようになった。 もちろんだからといって、子供を叱ったり指導したりすることをやめるつもりはないし、実際にできないのだが、効果が出ないことに憤るのは無駄なのだろう。親の思うとおりに子供が成長したからといって、その子が幸せになる保証もない。 先日お母さんと話をしたが、我々夫婦は子育てに成功したとは言えないが、もう一度やり直したとしてもおそらく別の子育て方法を思いつかないから、何度やっても同じことだろうという結論になった。 まあお父さんもお母さんも最初で最後の子育てなのだから、それでいいというか、やむを得ないのだと思っている。
2024.08.20
コメント(0)
我が家の子供達を見ていると、全員が英語を苦手としている。日本語しか知らないのだから、文字から異なる英語が簡単に理解できないことは当たり前である。学校で受験に使う英語も実際に外国人と話をする英会話も、基本的にはただの言語である。自分が日本語を勉強しなくても話せるようになったのと同様に、英語も英語が母国語の国で育てば勝手に話せるようになるという性質のものだ。 では語学について、何が最も重要となるのかというと、覚えている単語の量である。語彙力とも言うのだが、単語を知らない状態で言葉を扱うことは不可能である。文法やスペルを覚えるよりも、まずは単語をひたすらに覚えなくてはならない。 子供が徐々に言語を習得し、会話ができるようになるのも単語を覚えてくるからであるとお父さんは思っている。単語さえ覚えていれば、少なくとも会話によって相手に意思を伝えることはできる。「お腹 すいた」でも「ごはん たべたい」でも「食事 まだ?」でも食事をしたいのだということは相手に通じる。だがそれぞれの単語を知らなければどうにもならない。 お父さんも高校生まで英語は苦手科目だった。テスト勉強である程度の点数は取れてはいたが、試験が終わると全部忘れるというのを繰り返していた。浪人して大学受験に再挑戦することになり、徹底的に単語を覚えた。すると文章が読めるようになる。 上に書いたように、特殊な慣用句などを除けば、単語をつなげるだけで大体の意味は理解できるようになる。単語を覚えたことによって、長文読解は普通に点数がとれるようになった。 そのあとに覚えたのが、慣用句である。決まった言い方をすると、1つの単語の意味とは異なる意味になる言い回しを覚えていった。この2つを覚えるだけで、英語はほぼほぼ苦労せずにテストの点数は上がる。 ただし実際に会話ができるかというと、これはまた別の話になる。 お父さんはアメリカで語学学校のクラス分けテストで、テストの成績が良かったために、実力以上のクラスに入れられてしまった。周りには読めないし書けないけれど会話ができるクラスメイトばかりで、会話ができないのはお父さんだけだった。 3年ほどのアメリカ生活でだいぶ英語は上達したが、日本の英語教育では英会話は習得できないと心から思った。会話にはリスニングの能力が必要である。相手の言っていることがわからなければ会話にならないのだから当たり前だ。ところが、このリスニング能力を身につけるには、まずその言葉を自分で話せるようにならなければならないのだ。 自分が話せる単語や言い回しは、聞けば理解できるが、自分が使わない単語は文字になっていれば読めるが、リスニングでは理解できないことがほとんどである。 自分が話せて初めて聞くことができる。これは自分が会話ができるようになって知った真実である。学校でどんなに英語を聞いていてもリスニング能力の習得は難しい。それよりもスピーキングの能力を高めた方が、圧倒的に効率が良い。 ただし、しょせんは語学である。英語にしろベトナム語にしろひたすらに使うことで覚えていく。そこに能力や才能はあまり関係ないとお父さんは思っている。
2024.08.19
コメント(0)
理系科目を苦手にしている人は意外と多い。我が家でもお父さん以外は基本的に理系科目が苦手である。特にお母さんと次女は理系科目のテキストや問題を見ただけで拒否反応を起こしてしまう。 お父さんはあまり理系科目で学生のころ苦労した記憶がない。もちろん東京大学に入れるほど優秀だったわけでは無いのだが、授業を受けていればそれなりに理解ができた。 お父さんにとって、数学や理科はパズルと同じである。ルール通りに解いていけば、答えにたどり着くのが理科系科目だと思っている。 そういう話をお母さんや次女にすると、「それは出来る人の言葉」と言われるのだが、今一つ納得できていない。国語などの「作者の思いを書け」などというあいまいな問題に比べれば、答えが決まっているので楽だと思うのだが、やはり違うのだろうか。 ちなみに理科系科目の勉強の方法であるが、解き方を考えるのではなくルールを覚えるのがその方法だとお父さんは思っている。次女の勉強などを見ていると、一問一問全く別の問題だと考えて解こうとしている。さらに基本的なルールを覚えていないので、解き始めのとっかかりがわからなくて悩んでいる。 この手の状態から抜け出すには、ひたすらに問題を解いていくことが重要である。ルールの理解と問題演習こそが理系科目の練習方法だとお父さんは思う。わからなければ問題集を買ってきて、答えを見ながらでも何度も解いていく。読むのではなく書いていかないとルールも解き方も覚えられない。 お父さんは大学受験の時は、ひたすらに同じ問題を繰り返し解いていたし、難しい問題は丸ごと解き方を写して書いていた。何回か書いていると覚えてしまうので、その問題を解けるようになる。 理科系、お父さんは物理と化学だったが、こちらも勉強の仕方は同じである。物理や化学は問題集を見比べてもほぼ同じ内容の問題ばかりである。基本的に計算で答えが出るのが自然科学系の特徴なので、問題もそんなに言うほどレパートリーがないのだ。 定期テストなどは、過去問が手に入ればそれを3回も解いておけば平均点以上は確実にとることができると思っている。 不思議なことに、理系科目が苦手な人はただテキストを読んでいるだけの勉強方法の人が多いと思う。見ただけで拒絶反応を示す我が家の次女は論外かもしれないが、理系科目が苦手な人は、答えを丸写ししてもよいので問題をひたすらに解いてほしいと思う。
2024.08.18
コメント(0)
今回のオリンピックでも、ロシアは国としての参加が許されなかった。ドーピングの疑惑をいまだに解消できないのが原因であるが、ウクライナ侵攻が影響しているような気もしている。真実をお父さんが知ることはないだろうが、ドーピングというモノがスポーツ界から完全に排除できる日が来ることを祈っている。 そもそもお父さんが子供の頃、ドーピングというのは公然の事実だった。ドーピングが問題視されたのは、「ズル」というよりも「選手の生命にかかわる問題」として問題になったように記憶している。 ドーピングというものがどれぐらい身体能力を高めるのかお父さんにはわからないが、陸上や水泳など単純に体力で競い合う競技ではかなり効果があるのだろうと思う。 さらに旧でも現でも共産主義国家では、国の威信をかけて、国が中心になってドーピングは行っていた。選手もメダルを取れば一生安泰が保障される制度を持った国も多いので、たとえ体を壊すとわかっていても、家族のためにドーピングをしていたと記憶している。 日本人にはそこまでしてメダルにこだわるのは見苦しいという意見が多いと思うが、家族が貧乏で食べるものや着るもの困っている状態で、メダルを取れば一生裕福な生活を国が保証してくれるとなったら、自分が体を壊してでも寿命を縮めてでもメダルを取ろうと頑張るだろう。 ただしドーピングに頼る国は、トレーニングよりドーピングに力を入れるし、ドーピングが体に合う人が代表選手になるのだと思う。練習方法の模索や戦略を練ることよりもドーピングを強化してしまえば、ドーピングなしでは勝つことができない国になってしまうのではないだろうか。 メダルを取った人への過度な褒賞も今後は問題になってくるかもしれない。家族の生活をかけてオリンピックに参加するというのも、見る方向によっては大きな問題になる可能性が高いからだ。何事も行き過ぎれば大きな反動が出るものある。
2024.08.17
コメント(0)
お父さんは30代半ばで四十肩というのを患った。会社で仕事をしていたある日、突然右の肩に激痛が走って、そのまま腕が上に上がらなくなってしまった。病院で30代だけど四十肩と言われて落ち込んだのを覚えている。 治療方法は、痛み止めや湿布を処方されたが、基本は肩を無理やり動かして筋肉をほぐすことだった。自力では腕が回らないので、船の舵輪のような機械で腕を回す訓練をしたことを覚えている。2週間ほどで完治したのではないだろうか。 それ以来、腰痛に悩まされることはあっても肩の痛みというのは無かった。ところが今年の3月に、いきなり右腕が後ろに動かすことができなくなった。とはいえ痛みを我慢しながら動かすことはできたので、ねんざのようなものだと思い病院にもいかずに肩を動かさないようにしていた。 そのままベトナムへ出張に行って3か月ほど過ごしたのだが、一向に治る様子もなければひどくなることもなかった。現状維持を3か月続けたまま日本に帰国した。日常生活に支障はなかったし、ゴルフもできていたのであまり問題にしていなかった。 日本に帰国して、病院にもいつでも行けると考えたお父さんは、ひょっとして五十肩と言うやつかなと思い、無理やりに腕や肩を動かし始めた。ベトナムにいるときは、悪化したらベトナムの医者に行かなくてはならないと思い自重していたのだが、日本ならば大丈夫と四十肩の時の理学療法を思い出して、無理やり動かすように訓練した。 その結果、一気に肩の痛みが悪化してしまった。歩きながら手を前後に振るだけで痛くなるようになってしまった。 そこでようやく整形外科で見てもらったのだが、レントゲンや超音波画像で調べた結果異常は発見されず、やはり五十肩と診断された。医者が言うには、無理やり動かすのは間違っていないと言われた。 だが3月から6月末まで安静にというか、あまり動かさないようにしていたことで、「慢性化」している可能性が高いと言われてしまった。 鎮痛剤と抗炎症薬を処方してもらい、肩は意識して動かすようにと指示を受けたので、薬を飲みながら肩を動かし続けたが、今のところ全く改善が見られない。そこで再び整形外科で診てもらったところ、確実に慢性化しているので5回1セットの注射を毎週打つという治療法をすることになった。 初めての経験だったが、超音波画像を見ながら肩に注射をして、薬液の広がりを医者と一緒に見た。医者が言うには、慢性化がひどいほど薬液の広がりが悪く、軽いほど薬液の広がりが良いらしい。だが残念なことに画像で見ていた薬液はお父さんが素人として見てもわかる程に広がりが悪かった。医者も「予想はしていたけど、広がらないね」と診断結果を言われた。 とりあえず5週間にわたって、注射をすることになったわけだが、その間肩は痛くても無理して動かすようにと言われているので、頑張ってはいる。だがいまだによくなる気配はない。30代と50代では治る時間が違うのだろうとは思いつつ、肩の痛みに耐えている。
2024.08.16
コメント(0)
性善説か性悪説かという問題は、哲学の分野に限らず世界中で議論が分かれる命題である。日本人は性善説ではないが、人の善意を信じて行動することが美徳というかあるべき姿とされていることが多い。 しかしながら世界での常識というか、行動規範は性悪説に通じるモノが多いとお父さんは感じている。例えば窃盗に関してであるが、特に貧しい人が多い国では、窃盗は大きな罪ではないことが多々ある。窃盗した人よりも、窃盗された方の不注意であるとされることすらある。 さてお父さんはこのブログで性善説か性悪説かを書こうというわけでは無い。性善説とか性悪説で白黒つけようというのがおかしいと言いたいだけである。別に世界で初めてお父さんが主張しているわけでは無く、世界中の多くの人が思っている事ではあるのだが、その主張のほとんどは善とも悪とも断言できないというものが多いと思う。 お父さんが性善説と性悪説に白黒つくことはないと思っている根拠の一つは、善と悪の定義がはっきりしないということである。人間を悪人と善人に分けなさいと言われたら、どこに教会を持ってくるのが正しいのか答えられる人はいないだろう。 もし定義を無理やりしたとしても、その善と悪の定義に対してまた議論しなくてはならなくなるとお父さんは考える。 もう一つの理由が、善と悪の定義は時代によって変わるだろうということである。性善説や性悪説が中国でできた2300年前から現在まで、善と悪の価値観は大きく変わっている。例えば王が国を支配していた封建制度では、王の命令は絶対である。王様が死刑と言えば死刑を逃れることはできない。そして王様はそれ以外の人が制御できない絶対的な権力を持っていた。 王に従い、王を助けることは常に善であり、逆らうことは悪である。これは宗教も同じで神の名のもとにすることはすべて善であり、教えに背く行為はすべて悪である。それがたとえ虐殺行為であっても神の名のもとに行われるなら善となる。 しかしながら今の先進国でこの考え方は悪である。どんな人も他者から侵されることのない基本的人権を持っていることになっている。 列強が植民地政策を実施し世界中に植民地を持っていた時代、植民地の人間に人権などは無かっただろう。アメリカ大陸に送られた黒人奴隷は人と言うより道具と同じ扱いだったとも聞く。 世の中に絶対の善も悪も存在できないのだから、性善説も性悪説も意味がなく、善と悪の定義すら実際には難しい。 哲学的には考えることに意味があるのだが、実際の生活において善も悪も入り混じっているのが人生だろう。
2024.08.15
コメント(0)
先日ベトナム工場の副社長から電話があった。お父さんの会社のベトナム工場では現在増築工事をやっているのだが、それに伴って日本人の居住スペースも拡張している。今回の電話は日本人の拡張スペースが完成したという内容だった。 今回のスペース拡張は、お父さんのベトナムの部屋にも大きな変更を伴うモノだった。お父さんの部屋の一角は、日本から持ち込んだりベトナムで購入した日本の食料、カップラーメンや醤油とかソースの調味料置き場になっていた。部屋の中にあるのではなく、部屋の一部を壁で仕切って食料品倉庫になっていた形である。 その食糧倉庫が拡張スペースに新たな倉庫を作り、お父さんの部屋の一角からなくなることになっていた。そして倉庫内部の食料品を移動した後は、壁を壊してお父さんの部屋が広くなる予定になっていた。 副社長からの電話は、倉庫が完成して食料品の移動が完了したので、壁を壊してお父さんの部屋を拡張する工事に入るという連絡でもあった。 お父さんは、次回ベトナムに行く前までに工事を終えてもらえるように頼んで、次回のベトナム行きが少し楽しみになったのだが、副社長がさらに提案をしてきた。それが今お父さんが使っているベッドが小汚いので、新しいベッドに買い替えたいということだった。 副社長にあんなベッドで寝るのはかわいそうだと言われたのだが、お父さんの感覚とはかなり異なる。 なぜなら、ベトナムのお父さんの部屋のベッドはお父さんが日本で寝ているベッドよりもよほど大きいからだ。日本で言うダブルベッドよりも大きい。ベッドに寝転んで両手を広げてもベッドからはみ出すことはない。夜中に寝返りをうってベッドから落ちたこともないぐらい広いベッドである。 確かに見た目は木製で少し古く感じるが、寝るだけなのでほどんど不便を感じないだけでなく、日本のベッドより広いので快適に感じていた。 しかしながら副社長の感覚では日本人でそれなりの役職にいるので、ベッドも豪華なモノを使わなくてはならないということだった。体に悪いとか寝心地が悪いとかそういう実機能とはかけ離れた理由である。お父さんは必要ないとは思いつつ、価値観が異なるのでベッドの買い替えを了承した。 日本では地位や財力に相応した家、家財、車、服などを求められることはあまりない。少なくともお父さんレベルではありえない。小さな家で軽自動車に乗り、しまむらの服を着ていても特におかしいと言われることはないのだが、ベトナムではそれなりのふるまいを求められるのが普通である。 よくベトナムの役所に行くときなど、副社長から社用車の中でも高級車に乗るように指示をされる。それなりの地位の人が来ていると相手に分からせなくてはならないのだそうだ。逆に車が余っていても、一般社員が高級車にのることはほとんどない。 車を地位によって使い分けるのが普通であり、ベトナムの一般常識になっているようだ。 考えてみると、ベトナムでは社会的地位が高い人は、確かに高級車に乗っている。会社を訪れる人の地位が車によってわかると言える。自宅に招かれることもあるが、局長クラスの人の家は総じて家具が豪華であるし、警察本部長や省のトップの家などは敷地の広さ、家の見た目、家具すべてが豪華である。 お父さんもベトナムでは社内である程度の地位になるので、寮の部屋の家具もそれなりにするのが文化的常識になるようである。 日本人の感覚からすると、「みっともない」となる気もしてあまり気が進まないので、これまで何度かベッドを交換するように言われたが断ってきた。だが今回は部屋も広くなるのであきらめて副社長に従うことにした。 副社長はおそらく大きさだけでなく見た目も豪華なベッドを買うのだろうと思う。日本人のお父さんとしては、あとはネタにするしかないという思いである。
2024.08.14
コメント(0)
先日毎月の糖尿病の通院があった。日本に戻ってくると毎回なのだが、徐々に体重が増えて数字が悪化することが多い。悪化はしなくても現状維持が精一杯である。糖尿病の場合、ヘモグロビンA1cという値があり、この数値は5.9以下で正常とされている。お父さんはこの値が6.5前後で、悪い時は7.0に近い値となる。 日本に帰国してすぐの数値は6.7であった。ベトナムで6キロ以上体重を落としたのだが、帰国前一か月は出張や来客が多く、会食を含めて外食が重なったのが原因だと推測された。6.5以下にはなっていると思ったお父さんにとっては、かなり悪い結果であった。これから日本で数値が上がる傾向なのにと。 実際に日本に帰ってくると食事はそれなりに節制するのだが、夕食後にアイスクリームを食べたり、子供が食べているお菓子をもらったりと結構間食が増える。食べなければよいと思うかもしれないが、目の前にあるモノを食べないで我慢できるほどお父さんは意思が強い人間ではない。 帰国後2回目の通院となる先日、体重は何とか帰国時の数値を維持できたが、生活を考えるとヘモグロビンA1cは悪くなっているだろうと思っていた。お父さんの糖尿病の主治医は悪くなるとひどく怒る人である。今の時代にそぐわないかもしれないが、お父さんはこの先生に怒られるのが嫌で、節制するという部分もあるので悪いことではないと思っている。 採血を済ませて待っている間も、また怒られるだろうなと思っていた。ところが実際に診察室に呼ばれて数値を聞いたところ、6.2と数値が改善していた。自覚がなかっただけに驚いてしまった。いつも徐々に悪くなることを知っている主治医も、結果が間違っていないかと思ったそうだ。 しかしながら、これまでの数値の変化を見て、主治医が「季節変動が要因かもしれない」と結論づけた。毎年夏になると数値が改善される傾向があったからだ。 糖尿病と言うのは、血中の糖分が高い状態を言うのだが、インシュリンという血中の糖度が高まると唐を分解するための物質が分泌されなくなるのが主原因である。インシュリンを作り出す膵臓の機能が弱まるのが原因らしい。 お父さんの場合は、それなりにインシュリンは出ていることが検査で判明している。このインシュリンの働きを阻害されて血糖値が高くなっている部分が強い状態なのだそうだ。だから処方されている薬もインシュリンの働きを補強する薬を飲んでいる。 夏になると暑さで普通に過ごしていても寒い時期よりも代謝が活発になるので、それによって数値が良くなったのだろうというのが主治医の話だった。 ということは暑い間は少し多めに食べても大丈夫なのかと主治医に聞きたかったが、「バカか」と言われるのがわかっていたので聞かなかった。それでも久しぶりの良い数値でお父さんは気分をよくした。帰りに我慢していたコンビニデザートをたくさん買って帰ってしまったほどには気分が良かった。 その2日後に年に1回の人間ドックを受けた。糖尿病の数値が良くなっていることがわかっていたので、血液検査の結果におびえることもなく人間ドックを受けることができた。実際にヘモグロビンA1cの値は6.0であった。2日前の病院の検査より良かったのは誤差の範疇なのだろう。人間ドックの医者にも昨年より改善しているということで褒められてしまった。 そしてまたデザートをたくさん買って帰宅した。今回の人間ドックはお母さんと一緒に受けたので、ドーナツ屋で家族用に大量にドーナツを買い、さらにコンビニによってテレビで特集されていたデザートをたくさん買ってしまった。 調子に乗っているとろくなことがないのはわかっているのだが、普段いろいろと食を我慢しているので、きっかけがあるとこうなってしまう。お父さんの心は子供に説教できるほど強いモノではないが、子供には内緒だ。 次回の検査は8月の末なので、それまでにまた節制をしなければならないが、今回は1週間のお盆休みがある。休みは仕事中より体を動かさないし、食事も適当になるし間食も増える。意識して節制しないととんでもなく数値が悪化するので、気を付けて過ごそうとは思っている。
2024.08.13
コメント(0)
夏休みに入って、中3の次女がいくつかの高校の学校説明会に参加している。現在次女が第一志望にしている学校説明会に先日参加して、お父さんは帰宅した後にいろいろと聞いたが、一気に不安というか寂しい気持ちになってしまった。 次女が第一希望に選んだ高校は、運動が盛んで全国レベルの部活をいくつも持っている私立の有名校である。次女も強化部(学校が優先している全国レベルの部)の一つに入ることを目標に第一志望にしている。 我が家にとってこの学校の問題点は、自宅から遠いという点である。普通に始業時間に間に合うように家を出るのなら何とか家から通えるのだが、強化部は当たり前のように朝練がある。通常朝7時からとのことだった。そうなると始発の電車に乗っても間に合わない。もし入試を突破してその部活に入ったならば、寮もしくは下宿をしないと部活動に参加できない。つまりは家を出るということだ。 さらに、当然のように土日も練習なので週末ですら家には帰れないという。お父さんの方針では、高校を卒業したら大学でも専門学校でも家から出て生活し、そのまま社会人になるようにと考えている。自宅で養われるのは高校生まで、高校卒業後は社会人になるまでに金銭的な面倒は見るが、自宅には住まわせないということだ。 逆に言うと、高校卒業までは自宅に子供がいると考えていた。ところが次女が第1志望の高校に入学したら、次女と自宅で暮らすのは中学卒業までとなってしまう。 次女の中学校卒業まではもう半年しかない。あと半年で次女と一緒に生活することがなくなると思うと急に寂しくなってしまったのだ。ちなみに長女はすでに大学生で家を出ているし、息子は現在高校2年生なので、1年半後には家を出る予定である。 ということはあと1年半後には、自宅に住んでいる子供はいなくなり、お母さんと2人の生活が残されるということである。 幸いにお母さんとの夫婦仲は悪くはないので(お父さんが勝手に思っているだけかもしれないが)、2人きりの生活が不安ということはないのだが、毎日のように話したり怒ったりしていた子供が2年も経たずに全員いなくなることは、想像していなかった。 次女は第1志望に合格しても自宅から通えると思っていたのが誤算であった。寂しいからと言って、次女に志望校を変えろとは言えない。 まだ現実にそういう状況になったわけでもないのに、一気に寂しい気持ちが沸き上がってきた。自分の生活や精神状態が、一方的に養っていると思っていた子供に支えられていることにようやく気がついたという感じである。 お父さんも高校を卒業してから、一度も実家に住むことはなく50歳を越えている。自分が子供の頃は出ていく側だったので、新しい場所での生活に必死で親の寂しさなどあまり考えていなかった。親も寂しいかもしれないが、予定されていたことであるのだから覚悟はしているだろうとも思っていた。 お父さんたち兄弟が全員家を出た後、母親がもらい子をしようと思ったという話を上段として聞いていたが、今ならその気持ちがわからなくもない。まあ我が家にはまだ犬が1匹いるので、精神的に犬への依存度が増えてしまうかもしれない。ただ犬は基本的に将来を不安視しなくてもいいので、溺愛し始めるかもしれない。
2024.08.12
コメント(0)
お盆休みはキャンプに行く予定だった。海際のキャンプ場で釣りや海水浴をしながらの2泊3日で楽しもうと思っていた。本来の天気予報ではお盆期間中の天気は晴ればかりで、雷雨やにわか雨ぐらいはあったとしても、雨の予報はなかったので楽しみにしていた。 ところが突然台風5号が発生してしまった。それでもキャンプは出来るだろうと思っていた。確かにお盆休み期間に東北地方に接近するのだが、太平洋岸を北へ進むので上陸は無いし、それなりの速度で通過してくれるようだったので、日程を1日順延すればよいぐらいだろうと思っていた。 それが突然東北縦断コースに変わってしまった。日程的にも12日~14日ぐらいとキャンプに行こうと思っていた日程にドンピシャでぶち当てられてしまった。もうがっかり以外の言葉が見当たらない。 お父さんはキャンプのプロでもマニアでもない。家族でテントに泊まってぬるーくキャンプのまねごとがしたいだけだ。家族で旅館に泊まるお金もないので、キャンプをしているレベルである。台風でもキャンプを楽しもうとも思わないし、雨予測であれば中止もしくは日程を変更する。 昨年はコロナも下火になり、キャンプに行こうとしていたら、お盆期間中ずっと息子がコロナに罹患して熱を出していたので、1週間のお盆期間をずっと家で過ごしていた。今年は大丈夫だと思っていたら、台風である。神様か何かがお父さんたちのキャンプをやめろと言っているのかと思うほど、キャンプが順調に実行できない。 考えてみれば、子供達が小学生の頃のキャンプも突然の台風の進路変更で日程を短縮して帰ったこともある。テント撤収の際に土砂降りになって全員びっしょりと濡れながら片付けをしたこともある。 どうもお父さんがキャンプをすると雨が降るようになっているように思ってしまう。お母さんがキャンプの中止をきくと喜ぶのがまた腹立たしいところだ。 来年は息子が高3で受験である。夏休みに遊びに行こうとは言えないだろう。次女が中3で本来は受験の夏なのだが、何にも勉強しないので今年はキャンプに行こうとテントまで新調したのに非常に残念である。 天気予報の台風進路が変わってくれればと思うのだが、前日に進路が変わっても準備が間に合わない。 お盆休みの過ごし方をもう一度考えなくてはならない。
2024.08.11
コメント(0)
お父さんが今住んでいる東北の地方都市は、人口が10万人もいない小さな町である。しかしながら昔はこの地域の中核都市的な町だったようで、いろいろなイベントがいまだに存在している。 また平成の大合併で、隣に合った群部をまとめて市に編入してしまったので、各地域ごとに様々なイベントが残っていて、一年中何かしらの行事があるというイメージがある。 夏のイベントと言えば、夏祭りや花火大会だが、花火大会も市営のモノは2件ある。夏祭りも神輿や山車が出る立派なもので、踊りながら山車を引くパレードも存在するのだが、残念なことに観客がほとんど存在しない。 観客が少ないので、祭りの醍醐味でもある屋台も年々数が減ってきている。主催側のやる気は年々増していて、新たな催しやイベントができるのだが、集客に繋がっていない。実に残念なことだと思う。 しかしながら、お父さんにとって夏の花火大会はとても都合の良い状態になっている。1時間半ほどのそこそこ規模の大きな花火大会が河原であるのだが、開始直前に行っても特等席に値する場所に敷物を敷いて花火を楽しむことができるのだ。 関東近郊では考えられないことだと思う。江の島や墨田川の花火大会に学生時代行ったことがあるが、混雑がすごすぎてゆっくり花火を楽しむ余裕などなかった。大学生だから何とかなったが、小さい子供を連れていくなど不可能ではないかと今でも思っている。 お父さんが子供の頃、地元の花火大会も人混みがすごかったが、今はどうなっているんだろうか。ただ昔より人が減ったとしても、今お父さんが住んでいる町の花火大会ほどゆったりはしていないだろうと思う。 人ごみで大変な思いをする花火大会も魅力の一つでもあるが、50歳を越えた今では人ごみのほとんどない東北の花火大会が自分には都合がよい。今年もお母さんとゆっくり見に行きたいと思っている。 ただし日中の炎天下のお祭りは全く行く気が起きない。歩行者天国になりゆったりと屋台などをめぐることはできるだろうが、夏祭りは夕方から夜にかけてやるべきではないだろうか。午前中から交通規制をしてやっている地元の夏祭りに、やる気以上に無駄を感じてしまう。
2024.08.10
コメント(0)
パリオリンピックが折り返し地点を越えた。注目選手が負けてしまったり、予想外の選手が活躍してメダルを取ったりと、毎回オリンピックでは波乱が起きる。4年に1度の一発勝負なのだから、実力通りの結果にならないのは致し方ないことだろう。 そしてオリンピックで毎回話題に上がるのが、「疑惑の判定」「誤審」などである。日本人選手に限らずおそらく世界中で話題になっているとお父さんは思っている。陸上や水泳の様に審判がコントロールしないスポーツでも、進路妨害とかいろいろ問題が起きることがある。だから審判が判定をするスポーツでは、毎回当たり前のように誤審騒ぎがある。 日本男子バスケの終了前のファール判定は今回の日本バスケにとってはかなりつらい出来事だったと思う。柔道などでも「待て」の声の後に締めが解かれずに負けてしまった選手もいた。柔道では毎大会ごとに何かしら問題が発生するイメージである。 ただしVTRが判定に用いられるようになってから、審判もおかしな判定は出来なくなっているし、映像によってより正確な判定が下されるようになっているのは間違いない。バレーボールやテニスの様に相手選手との物理的接触がないようなスポーツは、かなりきちんとした判定が行われるようになっていると感じる。 だがバスケットボールやサッカーでは、VTRを用いつつも最後は審判が判断するので、オフサイドやラインアウトはVTR判定であるが、選手へのファールは人間の判断である。そのため試合の勝敗を左右するような疑惑の判定は未だに続いている。 審判がコントロールする種目は、今後も疑惑の判定や誤審といった言葉はついて回るのだと思う。それも含めてオリンピックであると思うが、自分が関係者であれば割り切れないのも十分理解はできる。お父さんが関係者でないことを、誤審騒ぎが起きるたびによかったと感じずにはいられない。 今はSNSを通して、動画は拡散されるし言いたい放題の誹謗中傷もネット上に拡散されていく。お父さんは「炎上」というものを味わったこともないし、今後も味わうことはないだろうと勝手に思っているが(このブログは炎上するほど見ている人はいないだろう)、誹謗中傷されている人に「見なければいいのに」というのは無責任な意見のようだ。 わかっていても見てしまうのが人間というモノらしい。SNSでいろいろと情報発信している人なら、確実に見てしまうものであると聞いた。 オリンピックの話に戻るが、体操やスケートボード、これから始まるブレイキンなど人間が判定して点数をつける種目は、審判がいる球技以上に問題が起きることが予想される。美しさなどの感覚を数値化するのだから当然である。そもそも同じ演技を見て、審査員によって点数が異なるのだから、おかしな点数が出るのは当たり前である。 一昔前は、自国の選手には高得点をつけ、ライバルには低い点数をつけるのは当たり前に行われていた。だから最高得点と最低得点を入れずにそれ以外の点数の平均や合計を使って順位を決めていた。最近はそういう露骨なことをしなくなったように思うが、それでも国によってはやっている審査員はいる。 こういうスポーツをやっている人もその関係者も、「どうして」「なんで」とはずっと付き合わなくてはならないのだろうと思う。AIが判定する時代が来るのかもしれないが、そもそもAIはえこひいきはしなくても、新技などの評価ができるのか不明である。 結局「判定」というものが存在する限り、疑惑も誤審もなくなることはないだろうとお父さんは思っている。そして判定に激怒している関係者以外の人は、あまり騒ぎ立てない方がよいと思っているが、騒ぎ立てる人もいなくなることはないだろう。 お父さんも、SNSに投稿したりはしないが、モヤっとして気分が悪くなるので、気持ちがわからないわけでは無い。
2024.08.09
コメント(0)
夏の甲子園が始まる。先日組み合わせ抽選が行われたが、お父さんの住んでいる県の代表校も対戦相手が決まった。優勝は難しいだろうが、どこまでいけるか楽しみである。 お父さんが子供の頃、東北や北海道の代表は1回戦負けが当たり前だった。冬にグランドで練習ができないので、関東以南の高校に比べると練習量が半分になるというのが定説だったが、今は東北の高校も北海道の高校も私立高校は室内練習場などがあり、冬場でもそれなりに練習ができる環境が整っている。 そのおかげで東北の高校がかなりいいところまで勝ち進めるようになったし、一昨年は宮城県代表の仙台育英高校が夏の甲子園優勝を勝ち取った。 東北の高校が強くなった理由はもう一つある。それは全国から甲子園出場を目指してスカウトされた中学生が入学するようになったからだ。甲子園出場は球児の夢であると思うが、人口の多い県、つまりは県予選で出場校が多い県はなかなか甲子園出場が難しい。それに対して東北の県予選は強豪校がほぼ確定していて、その高校でレギュラーを取れれば甲子園出場の確率はかなり高くなる。 そのため県代表といっても出身中学が県外というチームが甲子園に出場することがほとんどである。人によっては良くないことと思っている人も多いが、夢をかなえるために高校から地元というか親元を離れて頑張っている球児をお父さんは応援したいと思っている。 ちなみに東北地方の高校は、少子化による生徒数の減少に悩んでいる。合同チームやレンタル部員というのが今大会の予選でもあったが、野球部員を9人そろえることができない学校が普通に存在するのである。 ただお父さんは、少子化の問題以外にも野球の人気が下がっていることが原因としてあるのではと思っている。お父さんが子供の頃、野球部は学校の花形でありプロ野球人気も高かったので、どこの学校も野球部は1学年で10人以上は当たり前に部員が存在した。 それに対して、今はサッカーやバスケなど「かっこいい」というスポーツが増えたことで、昔なら野球部に入った生徒が今は別の部活に入るようになっているのだと思う。 最近の甲子園大会を見ると、坊主頭ではなく長髪のチームも増えている。これについても賛否両論あるようだが、部員を増やすためにも坊主頭は止めた方がいいとお父さんは思っている。大学野球もプロ野球も普通に長髪で問題がないのに、中学や高校で坊主頭にする意味はないと思う。 ましてや坊主頭が嫌で、部員が逃げていくのだとしたら、とっとと長髪を許可するべきだろう。 お父さんは野球観戦が大好きで、プロ野球や高校野球だけでなく近くでやっているリトルリーグや草野球も散歩の途中で見ている。練習試合でもそれなりに楽しめる。野球人気が下がって野球が下火にならないことを切に祈っている。
2024.08.08
コメント(0)
子供たちが夏休みに突入して数日が過ぎている。学生の夏休みと言えば、宿題との格闘である。お父さんも夏休みの宿題をほっぽり出して遊んだので、8月末に必死で徹夜して仕上げていたのを思い出す。 お母さんは、夏休み初日から計画的に宿題を片付けるタイプだったようで、8月末に必死でやった記憶はないらしい。 そして、我が家の子供達は全員お父さんの性格を引き継いでしまった。そのためどの子もいまだにほどんど宿題に取り組んでいない。息子は時間の使い方だけの問題なので、8月末に必死でやれば終わるのだが、次女は勉強自体ができないので、今からやらないと絶対に間に合わない。 毎年宿題が終わらないまま2学期を迎えている。それでも今年は中3で受験生である。さすがに宿題ぐらいはきちんと終わらせようとお母さんと初日からはっぱをかけているのだが、それが余計にプレッシャーになっているようだ。 先日週末に庭で仕事をしながら次女に宿題をやらせていた。お茶を取りに家に入ったら宿題を広げたまま、クーラーの効いた涼しい部屋の中でぐっすりと寝ていた。まだ午前中の事である。かわいそうだが無理やり起こして宿題に取り掛からせたが、窓からのぞくと今度はテーブルに突っ伏して眠っていた。 お母さんと窓からのぞきながらため息をつくしかできなかった。 次女は基本的に勉強というものが大嫌いである。学校自体も好きではないらしく、できることなら中学校卒業で働きたいと言っている。もちろん親としては高校卒業までは何とか頑張るように言い聞かせているのだが、あまりにも向いていないのでかわいそうに思えることもある。 なぜなら次女は、勉強以外の事に関しては上の2人よりも社会性があり、仕事を始めたら上司から好かれるタイプだと思うからだ。学校の勉強がそのまま社会にでて必須になることがないことは、お父さんもお母さんもよくわかっている。 特に数学や理科系の勉強は、それを使う仕事につかなければまるで理解していなくても、生きていく上で必要でも何でもない。知っていれば便利ということはあるが、微分積分も因数分解も図形やベクトルの勉強も、知らなくても困らずに生活している大人の方が多いだろう。 そもそもお母さんもすでに次女の数学も理科も教えることができないレベルに忘れているが、今の生活に支障をきたしているということはない。 次女が高校を卒業して社会に出るにしろ、専門学校などに行くにしろ、必要ない勉強をするのはあと3年半である。その間に夏休みは今回を合わせて4回だ。50歳を越えたお父さんから見ればたったの4回であるが、15歳の次女にとってはまだ4回もあるという思いになるらしい。 夏休みに宿題がなければどんなに楽しいだろうかと、お父さんも思っていた。それでもお父さんは問題を解くことに苦労はなかったし、徹夜で何とか終わらせることもできた。次女はそれができないのだから、苦労もプレッシャーもお父さんの倍では済まないほどあるのだと思う。 あと4回、くじけずに頑張ってほしいと思う。お父さんも親として「やらなくてよい」とは言えない。お母さんが次女があまりに宿題をしないのですでにキレているが、くじけずに頑張ってほしいと思う。
2024.08.07
コメント(0)
息子が大学のオープンスクールに参加するために、今度は大阪に行くことになった。日程的にお父さんは仕事で一緒には行けないし、お母さんも前回の鳥取でお金が倍かかることを学んだので、今回は息子1人で行かせることにした。まあ新幹線を乗り継げば大阪までは大した移動ではない。 前回の鳥取はお父さんがいろいろ調べて、宿泊ホテルから飛行機チケット、レンタカーの手配まですべてやったのだが、これでは息子の社会勉強にならないことがよくわかった。息子は鳥取の地理も観光地も名産も何も調べないで、鳥取に到着し、お父さんにすべて任せて動いていた。 高校2年生がこれではダメだとお母さんを説得して、今回は宿泊場所から新幹線の手配まですべて息子にやらせることにした。昔と異なり今はスマホ一つあれば、場所も交通手段も移動時間も簡単に調べられる時代である。お父さんが学生の頃は、その地域の地図を買い、道路や電車を調べていたし、宿泊ホテルも電話番号を調べて電話で予約していた。それに比べたら、今は本当に楽になったと思う。スマホを使えない人には不便な世の中になったかもしれないが。 息子が決定した日程や宿泊場所に一切アドバイスしないで見ていたら、やはり息子の宿の場所は、お父さんがとるであろう地域とはまるで異なっていた。せっかくだから大阪観光もしてくるつもりと言っていたし、お父さんもそれには賛成していたが、観光をするとしたらかなり面倒くさいだろう場所のホテルを予約していた。 ただこういうのは自分で考えて手配し、実際に現地で経験をして徐々にいろいろと考えるようになるものである。社会勉強をするという意味ではオープンスクールよりもよっぽど役にたつように思う。 息子がとったオフィス街のホテルは値段が安いだろうが、周りに食事する場所も刊行する場所も少ないように思えた。お父さんも行ったことのない地域なので、詳しいことはわからないが、交通の便を考えてもお父さんなら絶対に宿泊しない。 予約を完了した後に息子に少しアドバイスしたが、息子は移動の利便性よりも荷物を持って移動しないで済むことを最優先したようだ。荷物などコインロッカーに入れてしまえばとお父さんは思うが、息子はコインロッカーを使うという発想自体がないのだと思う。 行き先が国内なので、治安をあまり気にしなくてよいのが親としては本当に楽である。日本人に生まれてよかったと思うことの一つである。国によっては道を1本間違えただけで命の危険にさらされることもある。本当に日本の安全には感謝である。 息子がどういう旅をして帰ってくるのかわからないが、頼れる人がいない中でいろいろと自分で考えるようになることを期待している。かわいい子には旅をさせよとことわざにある通り、息子の成長を期待したい。
2024.08.06
コメント(0)
先日息子のオープンスクールの付き添いで鳥取まで行ってきた。息子が鳥取の大学に進むとは思えないのだが、希望学部の一つだというので鳥取行きは許可した。ところが一人で鳥取まで行くのは不安があること、地方大学なので公共交通機関だけで移動するのが難しいということで、お母さんに言われてお父さんが付き添いで行くことになった。お母さんでは現地でレンタカー運転ができない(実際はしたくないだけ)ので付き添っても意味がないということで、半ば無理やり生かされた感はある。 お父さんは今まで鳥取県に行ったことはないので、鳥取を見てみたいという気持ちはあったが、1泊2日での鳥取は正直移動ばかりでほとんど何も見れないと考えていた。それでも飛行機のチケットを東北まで帰ることができるギリギリにしたりして、現地時間を確保した。 さて鳥取と言えば有名なのは何と言っても鳥取砂丘だろう。写真で見る限り、広大な砂丘が広がっていて、初夏に行くにはかなり厳しいところだと思っていた。砂丘の中を炎天下で歩くことに不安を覚えるのは仕方がないだろう。それでも日本で一番有名な砂丘であるし、そこに立つ自分を想像すると、結構楽しい気分になっていた。 グーグルマップで鳥取砂丘への場所や生き方を確認して、「おや」と思った。マップで見ると、意外と砂丘が小さかったからだ。鳥取市の市街地を覆うぐらいの広さはあると思っていたのだが、衛星写真で見ると海岸線の幅が鳥取空港よりも短い状態だった。 同僚に鳥取砂丘に行った人がいたので、「どんな感じ?」と尋ねたが、行ってみればわかると詳しいことは教えてもらえなかった。 当日の天気予報は午後から雨だったので、空港に着くとすぐにレンタカーに乗って鳥取砂丘へ行った。砂丘の駐車場からはまだ砂丘が見えず、息子と二人でゆっくりと砂丘への差かを上った。 そしてようやく砂丘を見渡せる一から全体を見たが、「あまり広くないのでは」という不安がそのまま的中してしまった。海岸から数十メートル盛り上がった砂の丘は圧巻だったが、砂丘の面積は想像していた広さの十分の一もなかった。 カメラを構えても、フレーム内に砂丘ではないところが移ってしまうレベルだ。 歩くことを考えると、実物の広さでも十分なのだが、写真を撮るとなるとズームを使って画角を狭くして撮らないと、砂丘の感じが出ない。自分で見て初めて分かったのだが、鳥取砂丘のPR用写真などは、すべて画角を狭くして撮影されたものであった。 砂丘の砂をお土産にと、次女に頼まれていたのだが、「砂丘の砂は持ち帰り禁止」という看板が立っていて、砂の持ち帰りは出来なかった。まあお土産物屋に砂入りのストラップなどが売っていたので、それを購入して渡したら、喜んでくれたので良しとしよう。逆にペットボトルに砂を入れて持ち帰っても持て余すだろうから、こちらのが良かったかもしれない。 鳥取砂丘は想像よりも小さかった。それがわかっただけでも来た甲斐はあったと思う。ただ観光であるならば2度目はないと思う。それぐらいイメージと現実の異なる有名観光地だった。 ちなみにお父さんも画角を狭めて写真を撮ったので、それをみたお母さんは「すごいね」と返事が返ってきた。お母さんの中の鳥取砂丘は訪問前のお父さんと同じく「広大な砂丘」のままになっていると思う。
2024.08.05
コメント(0)
今年の3月に間違って芝生に除草剤を撒いてしまい、芝生のほとんどを枯らしてしまった。持続効果6か月の顆粒タイプの除草剤だったので、芝生の貼り換えは今年の秋以降か来年かと考えていたが、夏に家の庭が茶色になっている姿があまりにもみすぼらしかったので、結局夏前に貼り替えることにした。 すでにブログで書いているが、ネット通販で芝生や目土などを大量購入し、これまで芝生だったが「不要」と思える部分をレンガで囲み防草土に変更するように少し設計を変えた状態で芝の貼り換えを行った。 業者に頼めば200万円近くかかるということで、自分たちでやることにしたのだが、作業を初めてすぐに後悔した。 思った以上に重労働で、思った以上に時間がかかったからだ。 作業初日、半日近くかけて予定の四分の一も終わらせることができなかった。娘も交えて3人で作業したのだが、本当に大変だった。はがした芝生はゴミ袋に入れて、ゴミの日に出そうと思っていたが、芝の根が思ったよりもかなり深くなっていて、土と一緒にはがした芝生はゴミに出せるレベルと越えていた。土の方が明らかに多かった。 そこで土嚢袋を購入して、土として捨てることにしてはがした芝生を庭に積んでいったが、これが重くて大変な作業だった。今洪水になっても土嚢袋があるねなどと言いながらやっていたが、芝生交じりの土嚢袋では、水をせき止める力はないだろうななどと考えていた。 累計で5日間ほどかけて、すべての作業が終わったのが7月末、7月はすべての週末を犠牲にしてお母さんと作業した。作業初日に、これは終わるのに8月末までかかるだろうと思い、お盆休みも作業をしなければと覚悟していたが、作業を続けるうちにどんどん容量が良くなり、最終日は予定していた免責を越えて最後までやり切ってしまった。 費用は購入した資材や芝だけでも20万円を超えていて、本当にちょっとしたミスが大変なことになったと実感したが、芝をやめて防草土にしたところが思った以上にいい感じになったので、この部分だけは良かったと思っている。 最後に土建屋さんに残土処理をしてもらったが、土嚢袋に詰めたことで袋の処理費などが加わって、3万円ほどかかってしまった。最初に聞いていた金額が1万円強だったので、ここは最後の誤算だった。 とはいえ土嚢袋に入れていなければ、作業はもっと大変なものになっていただろうし、飴などで土が流れて庭も悲惨な状態になっていたと思う。土嚢袋のおかげで、狭い面積に積み重ねることもできたので、まあ必要経費とあきらめるしかない。 新しく敷いた芝はまだまだ根がつかない状態なので、こまめに毎日水やりをしなければならないが、来年にはそれなりの芝生に成長してくれると思う。 また、除草剤から貼り替えまでの苦労とコストは一生の思い出になることだろうと思う。おそらく孫ができても語り継がれていくのではないだろうか。お父さんもお母さんも7月は本当に身も心もボロボロになったのだから。
2024.08.04
コメント(0)
お父さんが子供の頃、任天堂のファミリーコンピューターというゲーム機が発売された。それまでゲーム機と言うのは一つのゲームしかゲーム機に入っているモノだった。だからゲーム機をいくつ持っているかというのが、ゲームの種類の数え方だった。ゲームウォッチというゲーム機は1台4000円ぐらいで、親がゲーム機に寛容な友人は何個もゲームウォッチを持っていた。 お父さんの親は「ゲーム禁止」だったので、こっそり友達から借りて布団に潜り込んでやり込んでいたのを覚えている。 それがファミリーコンピューターの出現によって、ゲーム機本体とソフト(カセット)という形態に変化した。テレビに接続してソフトを入れ替えるだけでゲームが楽しめるというのは、当時は本当に画期的だったと思う。 お父さんの家は相変わらずゲーム禁止だったので、友達の家に遊びに行ったときに遊ばせてもらったが、友人と腕の差がありすぎてあまり熱中できなかった。 お父さんが本格的にゲームをやったのは大学生の時のほんの数年間である。大学に合格し一人暮らしをして最初に買った電化製品がファミリーコンピューターだった。時代はすでにスーパーファミリーコンピューター(スーファミ)に移っていたが、お父さんは今までできなかった分、中古屋で昔友人宅でやったゲームや、スーファミを購入した友人からファミコンのソフトをもらったりして楽しんだ。 このころのゲームは作り手も「楽しいモノを」という考えが強く、多種多様なゲームがあったように思う。ほとんどが2次元で平面的なゲームであり、今の若者が見たら「レトロ」となるのだろう。お父さんも子供達にはゲーム禁止を貫いているので、甥たちが遊んでいるのを見せてもらうことがあるが、3次元で360度動けるゲームというのは、脳みそが追い付かないので何が起きているのかよくわからない。 そのためお父さんが最近始めたゲームはわかりやすい2次元のパズルゲームだ。タブレットにゲームのアプリをダウンロードして楽しんでいる。しかしながら最近のゲームはものすごく商業化してしまったと感じている。 ダウンロードして無料でも遊べるのだが、結局課金をしないと楽しめない仕様になっているものが多いと感じる。 また継続的にゲームをさせ且つ課金を繰り返すように、ものすごく人間心理を研究して作られていると感じる。やり込めばやり込むほどお金を使いたくなるようにできている。数日おきに新しいイベントが始まったり、課金対象のアイテムの値下げセールがあったりと、思わず課金したくなる罠でいっぱいである。 お父さんがやっているパズルゲームは一人で楽しむものではあるが、今のゲームは通信しながら複数人数で楽しめるゲームがたくさんあると聞く。子供たちが友人と通信でゲームをしたら、誰かが課金してステータスが上がると自分もやりたいとなるのは間違いないだろう。 大人が真剣に子供を沼にはめようと考えて作っているのだから、子供に太刀打ちできるはずがない。 息子が高校生になり、スマホを与えた瞬間にゲームにはまってあっという間に生活が乱れた。いまだに息子はスマホのゲームや動画サイトで夜更かししている。そうなるように仕向けられたものにはまっているのだから、親が注意してもほとんど効果がない。 自制できないように作られたものを自制するというのは、大人でも難しい。ゲームメーカーは売り上げの為に頑張るのはわかるが、長い目で見て社会全体がどうなってしまうのだろうかと心配にはなる。一つ言えることは、息子はスマホを持ってから確実に人生をダメにする方に変化している。
2024.08.03
コメント(0)
「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」というのは石川啄木の有名な短歌である。学生の頃に習った内容から言うと、東北出身の石川啄木が上野駅で上京してきた人の東北訛り(故郷の言葉)を聞いてしみじみとふるさとを思うという歌であるということだったと思う。 お父さんもたまに上野駅を使うことがあるが、周りで東北弁が聞こえることはない。じっくり聞いていればそういう言葉も聞けるのかもしれないが、普通に上野駅構内を歩いていて、聞こえてくることはないだろう。 お父さんが地方の方言を最近聞いたと思ったのは、先日家族で温泉旅館に行ったときである。温泉旅館と言うのは、家族や友人と少し遠出して泊まるのが普通である。ビジネスで温泉旅館(2食付き)に泊まることはほとんどない。 夏休み直後ということもあって、旅館はおそらく満室だったと思う。フロントでのチェックインの時も、大浴場も夕食会場も人であふれかえっていた。 そしてあちこちで、気が緩んで楽しんでいる人々の口からその人たちの地元の方言を聞くことができた。 特に風呂でリラックスしている人が楽し気に話している時は、方言が出まくっていたように思う。比較的なじみのある東北弁や、テレビで聞くような関西弁も聞こえてきた。その他にも聞いたことがあまりない方言も聞こえてきて、いったいどこの言葉なのだろうと想像するのも楽しかった。 関西の人を例外として、東北など地方出身者は東京に出てくると方言をしゃべらなくなる。たとえ旅行であっても東京では標準語を話すことが多い。 今回の温泉は東北の温泉だったので、注意して標準語を話す人は少なかったのではないかと思う。さらに温泉でリラックスしてしまうと、もう言葉は完全に地元の言葉になるのだと思う。 ちなみに夕食会場もかなりあちこちで方言を聞くことができた。バイキング方式だったので、あちこちで「これはおいしそうだ」とか「刺身はどこにある」といったような会話が発生していた。それがみんな各々の方言でとても楽しく聞くことができた。 お父さんも今は東北に住んでいるが、もともとは東海地方の出身である。しかしながら50年の人生の中で海外も含めてあちこちに住んでしまった結果、今では標準語とも方言とも言えない不思議な言葉を話す人間になってしまった。 地元に戻っても、親と同じイントネーションで会話ができなくなってしまっている。家をでてもう30年以上経っているので致し方ないと思う反面、自分のアイデンティティーを失くしてしまったようでとても寂しい。 今回の温泉旅行で、温泉旅館ではいろいろな方言が聞けることを再認識できた。今度地元に戻ったら近くの温泉旅館に泊まってみたいと思う。きっと近郊からの宿泊客がお父さんの失くしてしまった地元の言葉をたくさん聞かせてくれることだろうと思う。
2024.08.02
コメント(0)
若狭の国とは、現在の福井県の西部で若狭湾を有するというか若狭湾を形成する三日月上の形をした地域である。お父さんは高校の頃に、若狭湾には原子力発電所がたくさんあると習ったので、何となく危険な地域という思いがあった。 大人になり知識が増えるにつれて、原発の近くだから海が汚染されているとかいうのはナンセンスであるという考えに変わったが、若狭の国に特に思い入れはなかった。 戦国大名になって天下統一を目指す信長の野望という有名なゲームがあるが、その中でも若狭の国の大名は「武田氏」と言う有名な武田信玄と同じ武田性であるのに、国力が低く、武将も弱いという弱小国扱いになっている。最近はゲームをしないので、今はどうなっているのかわからない。 ただ若狭は京都に近く、日本海の海路が盛んだった時代には良い港がたくさんあるので重要な地域だったようだ。最近読んでいる「淡海の海」というマンガにも若狭の国のトピックがあるが、米の石高は多くなく9万石程度となっている。あまり大きくないとはいえ、同じような小さな国の中でもかなり石高の小さな国である。 お父さんは昔から、どうしてこれほど扱いの軽い国なのかと不思議だったが、今回飛行機で若狭湾上空を飛行して、窓から若狭地域を見下ろしたことで、いくつかわかったことがある。 それは、平地がほとんどないということだ。今回改めて調べて思い出したのだが、若狭湾の海岸線はリアス式海岸だ。地面が沈降して海に沈んだことでできるリアス式海岸は、もともと山だったところが海上に出ているので、平地がない。 有名なのは岩手県の三陸海岸だが、こちらも平地がほとんどなく海岸は崖のように切り立っている。 隣の港とも陸上を歩くと山の上り下りが必要で、とても人が大勢で住むのに適した場所とは言えない。当然稲作にも不向きであると思う。 飛行機から見下ろした若狭地方は、ほとんど平地がなく、海岸線は切り立っていて交通の便も悪いだろうということが手に取るように分かった。 小浜や美浜と言う地域には、若干の平地があるのだが、それ以外はほとんど山である。これでは強い国にはなれないし、米も取れないということを改めて認識した。交通網が山によって阻害されるので、この地域を広く統治するのは近代化する前の日本では大変だっただろう。 家に戻ってから、お母さんや子供達にこの話をしたが、反応は薄かった。そもそも我が家の子供達もお母さんも地理や歴史に興味が薄い。「ふーん、よかったね」とよくわからない反応をされて終わってしまった。もう少しこういうことを語れる仲間が欲しいのだが、東北には友達がいないので、難しいだろう。 ちなみに初めの方に書いた原発は、上空から2つほど発見することができた。調べてみると若狭湾には原発が4つあるということなので、原発銀座と呼ばれるのもうなずける。東日本大震災以来、原発は世の中の悪として認識されるようになっている。人々の生活を支えているのにひどい事だと思う。 今回の若狭上空の飛行は、きれいに景色が見られた上に、いろいろと理解が深まってとても楽しいモノになった。
2024.08.01
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1