全30件 (30件中 1-30件目)
1
久しぶりに台湾に出張して無事に帰国した。今回の台湾出張はそれなりにハードスケジュールであったが、入国日と出国日は移動だけだったのでその点は楽だった。それでも3泊4日で毎食台湾料理を食べると体が油に浸されてしまう感覚がある。日本に帰ったらざるそばが食べたいというような、こってりはもう嫌だという気分になるものである。 さて以前に東北地方、それも雪が多く積もる地方を歩くときは上方に注意することが必要であるということを書いたと思う。足元が滑るからと下ばかり向いていると、上にはつららがたくさんあって、落ちてくることがあるからである。 お父さんはつららの直撃を受けたことはないが、太いつららは直径5センチ以上のモノもあるので、あれが落ちてきて直撃したら無事では済まないだろうと思う。 今回の台湾出張は、ホテルが街中の狭い通り沿いにあったので、久しぶりに東南アジアの上方からの洗礼を受けることになった。台湾の街中の様にそれなりに高いビルや建物が並んでいる下を歩くときは注意が必要である。まあ注意していても無駄なことも多々あるが、上方から水滴がよく落ちてくるのだ。 この水滴の出どころはエアコンの室外機だ。台湾などの建物はベランダというものがあまりない。おそらくベランダのスペースがもったいないのと、ベランダは屋上などから泥棒が侵入しやすいので防犯上の理由もあるのだと思う。 そんなわけで、エアコンの室外機は壁に貼り付くような形で取り付けられており、真下はもう道路や歩道である。 ここからぽたぽたとエアコンの水が落ちてくるのだ。下を見ながら歩いていると天気が良い日でも水たまりができたり湿っていたりするのでわかりやすい。とはいえ、それなりの量が連続して落ちてこないと水たまりにはならない。1分に数滴程度では水たまりは出来ないし、シミができていたとしても気づきにくい。 道路を歩いていると突然頭や肩に水滴が落ちてくる。上を見上げるとエアコンの室外機が並んでいることが多い。汚い水とは言い切れないが、きれいな水なわけでもない。体に掛かればそれなりに嫌な気分になるものである。 寒い国でも暑い国でも、道路を歩く問いに上方に注意しなければならないというのは、日本で温暖な気候に生まれ育ったお父さんには面倒くさくて仕方がない。
2024.09.30
コメント(0)
お父さんの会社の社員が恐れていることの一つに、創業オーナの会長とその息子の社長が会社に忘れ物をしたり無くしものをすることというのがある。どうしてこれが恐れられるかというのを書いてみたいと思う。 通常、この二人以外の社員が忘れ物をしたときは、「どこどこに置いてある」という場所に忘れ物が置いてある。なので、確認の電話があった時にすぐにモノが見つかって、あとから届けるとか、書類ならメールで送るなどの処理ができる。 ところが会長と社長が「忘れ物をした」という時は、8割ほどの確率で「どこどこに置いてある」という場所にない。 そして無いということを伝えると、「そんなはずはないからもう一度探せ」とか「誰かに盗まれたのではないか」と言い出すのだ。無論すべて勘違いで、あとから本人が別の場所で見つけて解決する。 電話を受けて対応した社員にとっては本当に迷惑なうえに、会長や社長の案件なので、自分の仕事を停止して対応しなくてはならない。 先日ベトナムに行った社長から、ベトナム用のスマホを忘れてきたと電話があった。残念なことにお父さんを指名してかかってきた電話だったので逃げることができなかった。もちろん社長が置いてあると言った場所にはなかった。 そこから3日間にわたって、ここをみてくれ、あそこを確認してくれと電話があった。もちろん指定された場所をすべて見るのだが、スマホは出てこない。おそらく社長のカバンかどこかに入っていて見つけ出せないでいるだけだとお父さんは思っている。 不思議なことに、会長も社長も自分の荷物をひっくり返してしらみつぶしに探すということをしてくれない。無駄と思いつつ、社長のカバンやスーツケースを全部空にして探してみてくださいと言うのだが、今回もそれはやらないつもりらしい。 最終的に、新しいスマホをベトナムで買うことにしたということで今回の騒ぎは終わった。実に迷惑である。 その1週間後ぐらいに、今度は書類に押すベトナム工場のスタンプ(判子のようなもの)がないと連絡があった。これは事務所の書類用金庫に入っているモノで、その金庫を開けられるのは社長とお父さんだけである。社長がベトナムにいない時、お父さんがベトナムで代理で使うスタンプである。 社長はお父さんがどこか別の場所に置いたと思って電話してきたのだ。お父さんは会社の重要なスタンプなので、使ったらすぐに金庫に戻している。押すときも金庫の横で押してすぐに戻しているので、別の場所に持っていくことはありえない。そのように伝えたのだが、社長が信じていないことは、口調で分かった。 とにかくもう一度金庫の中身をすべて出して探してくださいとお願いした。個人の問題でなく会社の重要なスタンプなので、社長も今回は本気で金庫の中身をすべて出したようだ。その結果、金庫の引き出しの奥に落ちていたのを発見したという連絡があった。 そしてお父さんのしまい方が悪いから引出しの裏に落ちたような言い方をされてしまった。面倒くさいので、とりあえずあってよかったですねと言って終わりにしたが、ひどい話だと思った。 なぜならお父さんは4月から6月末までベトナムで社長の代わりにそのスタンプを使ったが、そのあと7月に社長がベトナムに行っている。お父さんは6月末から今までベトナムに行っていないので最後にそのスタンプを使用したのは社長である。 今頃はそれに気がついているのかもしれないが、騒がせて「申し訳ない」の一言は一生社長の口から出ることはないだろう。 どうして会長も社長も自分の記憶や状況判断は絶対に間違っていないと確信したまま生きていけるのか不思議である。社員のせいにしたり、大騒ぎした失くしものや忘れ物は、結局本人の勘違いで出てくることばかりなのに、本人はその記憶をきれいさっぱり失くしてしまうのだろうか。 社員は全員「またか」としか思わないし、指名された人の徒労に対して「お気の毒様」と思っている。今回の犠牲者はお父さんだったが、多くの社員が同じ経験をしている。何とかならないものだろうか。
2024.09.29
コメント(0)
お父さんの会社にとても優秀な技術者がいる。優秀すぎて彼の言っていることを理解できる人が少ないという弊害はあるが、技術的思考も経験もピカ一である。残念なことにすでに65歳を越えて、現在は顧問契約を結んで社員ではなく個人事業主としてお父さんの会社で技術の仕事をしてもらっている。 この人は会社の創業期から働いている人で、お金がない黎明期の会社を何とか持ちこたえさせるために頑張ってくれたと聞いている。お父さんが入社したときにはすでに50代半ばだったので、細かい現場の仕事を一緒にしたことはないが、常に技術的な思考で問題を考えるので、ずっと頼りにしてきている。 これだけを書くとただのすごい人なのだが、当然欠点もたくさんある。そのうちの一つがモノの整理ができないということである。実際に現役時代の彼のデスク周辺はものであふれかえっていて、見るからに汚い状態だった。 困ったことに、頭のいい人なのでそのグチャグチャでモノにあふれた中で、何がどこに置いてあるか、本人は把握していた。 つまり他人から見れば、整理ができないだらしない人なのだが、本人にとっては整理されているという状態であったようだ。彼は約10年ベトナム工場で勤務していたが、退職に当たって日本に戻った。 本人に片付けをしてもらったが、彼が帰国した後彼のデスク周辺の整理をするのに生産技術のメンバー10名ほどで3日ぐらいかけるほどグチャグチャであった。何に使うのかわからないような金属パーツや電気部品などがたくさん出てきてどう処理するかにかなり頭を悩ませた。 そんな彼が、日本に戻ってきて日本の工場を「整理のできていない状態」だと常に嘆いている。言っていることは確かに正しいことも多いのだが、彼のベトナムでの状況を知っているお父さんからしてみれば、あなたのベトナムのデスク回りより全然まともだと思ってしまう。 わざわざ写真に撮って、お父さんに見せてくれるのだが、そこまで言うほどかと思う状態も多い。 ちなみに彼は日本の工場で、周囲の生産技術員からやりっぱなしだしっぱなしで片付けをしないとクレームが出ているほど相変わらずだらしがない。つまり彼と現役社員でお互いに相手がだらしないと文句を言い合っている状態である。そして両方がお父さんに相手がいかにだらしがないかを報告してくる。正直バカバカしくて疲れるのだが、お父さんとしては現役世代の言い分の方が正しいと思うことが多い。 顧問になった彼は、わざわざゴミ箱やゴミ捨て場を漁って、まだ使えるものが捨ててあったと持ってくるのだ。「使えるもの」と「使うもの」には大きな隔たりがあるとお父さんは思っているのだが、彼は会社創業期のモノのない時代に必死で使えるものをかき集めて機械整備や改造をやってきた人なので、そのポリシーをうかつに否定することもできない。 使う予定がないが使えるものというのは、会社でも家でも実に扱いが困るものである。しまっておいても使わない、場所も取る。今の考え方では、モノを整理する場合に使う予定がないモノは廃棄が正解である。 ただ65歳を越えた人、それも会社の大変だった時代を支えた人に、あなたの考え方は古いのでやめなさいとは言えないのが人情というか現実である。 こういう世代間の価値観や考え方の違いは簡単には融合できないので、古い世代がいなくなるのを待っているというのが現実である。
2024.09.28
コメント(0)
新しい機械の購入検討と完成品の工場出荷前検収で台湾に出張することになった。今回の機械は日本の工場とベトナムの工場両方に関係するので、日本からお父さんが、ベトナムから日本人の生産技術部長とベトナム人のアシスタントマネージャーが台湾で合流する予定だ。 今回の台湾出張はいつもよりも何かと面倒である。一つ目が、ベトナム人は台湾に入国するのにビザが必要になるため、ビザを準備しなければならない。このビザが出張予定日までに間に合うかというのがとても大きな問題になる。 予定日までにビザが取れなければ日本人だけで出張するか、ビザがとれるまで出張を延期するしかない。先進国は基本的にビザ申請から何日で発給されるというのが明確化されていることが多いのだが、多くの国はそれがいい加減である。またベトナムは共産国であるので、西側諸国の国民よりもビザ発給が難しいというのもある。 すでに先方に予定を空けてもらっているし、飛行機のチケットも予約しているので、何とかビザが間に合うことを祈っている状況である。 次に面倒くさいのが、お土産の準備である。ベトナムのお菓子やお酒などは、あまり台湾向けに喜ばれるものが思いつかないので、必然的にお父さんが日本から持っていくことになった。お菓子とお酒を持っていくのだが、今回訪問する3つの会社にそれぞれ準備しなければならない。購入も面倒くさいのだが、それよりも荷物としてかさばるのが問題になる。3泊4日の出張なので、荷物は出来るだけ小さくしていきたいのだが、大型のスーツケースを持っていくことになってしまう。帰りはスカスカになるのがわかっていて大きいスーツケースを持っていくのはかなり面倒である。 3泊とも同じホテルならまだ楽なのだが、今回は移動を続けるので3泊とも異なるホテルである。毎日大きなスーツケースを持って移動しなければならない。 最後の面倒くささが会食である。台湾は食事がとにかく美味しい国である。そして美味しいのは大衆料理である。屋台の食事だけでも十分満足できるほど美味しい食べ物であふれている。 ところが接待で使われる料理は、大衆料理とは程遠い高級な中華料理であることが多い。大阪に旅行に行ってタコ焼きもお好み焼きも食べることができず、お刺身など懐石料理みたいなものを食べるのと同じだ。香川に行ってうどんを食べられないようなモノとも言える。 さらにお酒が飲めないお父さんが、ある程度お酒を飲まざるを得ない状態にされるのが中国文化圏の会食である。今回もできる限り飲まないようにするつもりだが、どこまで耐えられるだろうか。 これらの様にいろいろと面倒くさいことはあるが、台湾は交通は便利で移動が比較的楽であるし、会食以外で食事をする機会もある。コロナ禍以来の初台湾なので仕事はきちんとしなくてはならないが、美味しいものを食べて楽しんで来ようと思う。
2024.09.27
コメント(0)
お父さんは考え方が基本的にエンジニアである。数学・物理・化学の様に理論があり、理論に沿ってものごとを解決していくのが仕事のスタイルである。職人的な勘やコツというモノも、言語化や理論化ができないだけで基本的に自然科学の法則に則っていると考えている。 そのため品質トラブルなどがあったり、新しい技術が必要な新製品などの打ち合わせでは、仮定であっても原因を設定し、それに対する対策を理論的に考えていく。お父さんの会社は製造業なので、理屈や理論をとても大事にしている。 一方で、人間関係などでは理屈より現実を見据えて対応するようにしていく。製造において物理的条件の変更はある程度できるが、人間関係は理屈や理想通りには決して動かないと考えているからだ。これはお父さんの経験から来ている考えなので、研修などで「このように相手に接すれば、相手はこのように変わります」みたいな話をされても、鵜呑みにするような気持にはなれない。 ところが、世の中には研修で言われたり、本に書いてあったことを「真実・真理」として鵜呑みにして行動する人がいる。全員が宗教的な洗脳下にいて、取るべき思考や行動が規定されている状態なら可能かもしれないが、現実の世の中で言葉や態度だけで万人を同様にコントロールすることはできない。 ましてや人の気持ちを理解して、それを変えるなどということは神様でなくては出来ないことだろう。お父さんにとっては当たり前の事なのだが、お父さんの周囲には「せっかく言葉をかけてやったのに喜ばない人がいる」とか「元気づけてやったのにいつまでもうじうじ悩んでいる」と憤慨している人を普通に見る。 あまり身近でなかったり、権力を持っている人でなければ疎遠にしていればあまり被害はないのだが、直属の上司や会社のトップだったりすると、否応なく影響を受けてしまうことになる。 現在お父さん会社の社長が、このセミナー病にはまっている。朝礼などで人心掌握術を説いたりする。それ以外にも突然の組織変更などを工場長などと一切打ち合わせをしないで決めて、いきなり全社員に発表してしまったりする。 何度かお父さんもやんわりと苦言を呈しているのだが、「あなたのやっていることは間違いです」とか「社員からおかしい人と言われています」とは言えない。言ったところで「お前は否定的な意見しか言えない」と怒られるだけだ。そのため最近は誰も何も言わなくなったので、一人で暴走している状態になっている。 人心掌握や社内改革のために受けているセミナーの効果が、社長と社員の関係悪化や社内を混乱に陥れることになっている。本末転倒なのだが、社長というのは社内の意見や考えよりも、社外の権威を信じる人が多いようだ。 理屈や理想通りに人間関係が構築できるのなら、世の中に人の争いも起きないし、離婚する夫婦もいないだろう。人間の心や行動は、理論的でも合理的でもない。だから難しいし、人によっては心が壊れるほどの事態になる。 すでに社長の理想論で心を壊しかけている人がいるのでお父さんにとっては笑い事ですまない状態になっている。
2024.09.26
コメント(0)
人間がコントロールできないものは山ほどある。天候を自在に操れるという人はいないと言えば、誰もが当たり前だとうなずくだろう。しかしながら、コントロールできないにもかかわらずコントロールできると思っているモノも多数存在する。 最近受けている研修で、他人の行動や気持ちをコントロールすることは不可能であるという話を聞いた。だから相手を意のままに動かそうという傲慢な考えではうまくいかないと。考えてみればその通りだとお父さんも思う。自分の行動や気持ちを意のままに操ることができる人がいるとは思えない。 もちろん仕事上においてだから上司は部下に指示しても意味がないという話ではない。これはコントロールというよりも、お互いが仕事の中で役割分担をし、命令系統や上下関係の中で一種の契約をしている状態である。その中で上司の指示に従う、会社方針に従うという状況が生まれている。それでも個人間の人間関係や指示の出し方によって他人の行動は変わるし、完全にコントロールできるわけでは無い。 それでも会社にいて部下を持つ立場になると、必死になって部下をコントロールしようとするのが人間なのだと思う。お父さんもどうしたら部下が指示に従うか常に考え悩んでいる。 同じような状況で、コントロールできないのだが何とかコントロールしなければと思ってしまうのが、子供の躾や教育である。生まれてからずっと親として保護しながら養育しているので、子供は自分の指示に従わなくてはならないし、親なのだからある程度子供をコントロールできると思ってしまう。 ちなみにそれがうまくいったという親にまだ会ったことはない。お父さんも先日の研修で「人生で失敗したこと」という項目に「子供の教育」と書いたぐらいである。 親として生きていると、自分が通った道に似た道を子供が歩むので、子供の悩みが理解できる、もしくは理解した気になるときが多々ある。特に学生時代の学校の悩みや人間関係、若い頃特有の強い思い込みや反抗心など、子供を見ているとつい自分の学生時代を思い出すほど同じだなあと思う時がある。 それでも彼らが悩んでいるとき、それを一発で解決するような方法を子供に教えることはできない。物理的に何が欲しいモノが買えないで悩んでいるのを買ってあげるような話なら解決できるが、そんなことで深く悩む子供は少ないだろう。親としても何でも買い与えるわけにもいかないので、お互いに悩むことはあるかもしれないが。 お父さんは、精神的なモノは本人の意識の持ち方や考え方によって解決方法がまるで異なると思っている。同じ状況で同じ内容の悩みを持っている人が、一つの解決方法ですくわれることはない。それぞれに価値観も考え方も感受性も異なるからだ。 そして自分の子供でも悩みを解決することなどできないのだから、血も繋がっていない他人の悩みを解決することなどできない。それでも人間は悩んだ時に人に助けてもらいたいと思うし、悩んでいる人を見ると何とかしてあげたいと思うものである。 どうせ人には解決できないとか、人の悩みなど解決できないから放置するという人は少ない。中にはいるのかもしれないが、そういう人は人間関係を周囲と上手に築くことは難しいだろう。 人間というのは実に面倒くさい生き物だと思う。お父さんも悩んでいるときに慰められてありがたいと思う時もあるし、余計なお世話だと思う時もある。ただどちらも悩みが解決するわけでは無い。そこは気持ちが軽くなるか余計イライラするかの違いぐらいだろうと思う。 こう言ってしまうと身もふたもないが、お父さんの経験上、悩みは時間が解決することがほとんどである。誰かに解決してもらうことは非常に少ない。
2024.09.25
コメント(0)
先日五十肩の治療で鍼灸院に行くために、退社して少し急いで運転していた。朝の通勤では、お父さんは6時半には家を出る上に、田舎道を走行するのであまり前の遅い車に詰まるということがない。遅い車がいても追い抜いてしまえるし、そもそも交通量がその時間は少ないので、あっという間に会社に到着してしまう。 しかしながら帰路は、同じような時間に帰路についている車が多くいるので、大抵の場合は遅い車が先頭になって行列を作りながら走ることになることが多い。朝は30分前後で会社に着くのだが、帰りは45分ぐらいかかる。 そういう理由で帰りに前の車が遅くても帰路では追い抜きなどはしない。その先の遅い車にすぐ追いついてしまうのでほとんど意味がないのだ。 先日も同様に、帰路の途中で前の車に追いついた。いつも通り後ろを走り始めてすぐ、お父さんは「やばい」と思った。前の車が突然左側により、道路をはみ出して左タイヤがその先の草地に乗り上げて走り始めたのだ。わき見運転や居眠り運転の典型的なパターンだった。「事故になる」と思った瞬間に、車はまた道路に戻ってきて事なきを得た。 「運転手は危機一髪だったな」と思いながら、事故にならなかったことに安心していると、前の車がまた左に寄り始めた。 お父さんは居眠りというより飲酒運転化と思った。これまでにあまり見たことのないタイプの運転だったからだ。怖いから抜いてしまおうかとも思ったが、追い抜きの際にふらつかれて接触事故になるのも嫌だし、前に出て信号待ちなどで後ろ方追突されるのも嫌なので、車間を広めにとって後ろを走ることにした。 前の車はガードレールがある場所ではガードレールギリギリ、ない場所では道路をはみ出して草地の上と異常なぐらい左に寄っては、また元に戻る運転を繰り返していた。高齢者ドライバーかとも思ったが、高齢者のマークはつけていなかった。とにかく後ろから見ていて「もうだめだ」と思うぐらい何度も左に寄っていた。 そのうちに信号のある交差点までたどり着いて、赤信号で停車した。T字路の交差点だったので、右にいくお父さん方面ではなく、前の車が左に曲がってくれることを祈ったのだが、あっさりと右折のウインカーを出されてしまった。まだ危険な運転の後ろなのかとがっかりした瞬間に、信号が青に変わった。すると突然前の車がするするとお父さんの車に向かってバックしてきた。バックライトもついていないので、ギアがニュートラルに入って自然にバックしているようだった。 運転中は長めに車間を取っていたが、まさかバックしてくるとは思わないので、信号待ちでは通常の車間まで詰めていた。 ほんのコンマ何秒と言ったところだろうが、お父さんはクラクションを思い切りならした。同時にバックミラーで自分の車も交代できるか確かめたが、お父さんの後ろには最低2台の車がいて、バックできる状態ではなかった。 後ろの車や前の前にいた車は、お父さんの激しいクラクションに何が起きたかとびっくりしたことだろう。お父さんも今までのドライバー人生で、一番大きく長くならしたクラクションだったかもしれない。 もうダメだとお父さんがあきらめかけたところで、前の車はようやくブレーキをかけて止まった。そして、お父さんがほっとした瞬間にまた少しバックしてお父さんを絶望させた後、ギリギリ接触せずに前に向かって走り出した。 信号はすでに黄色になっていたが、お父さんまではぎりぎり交差点を通過できた。 お父さんは完全に前の車が何をしでかすか怖くなり、通常の2倍以上の車間を取って、相手がキューブレーキや衝突で突然止まっても巻き込まれないように注意して走り始めた。 するとしばらく走ったところで前の車はゆっくりと速度を落として完全停止してしまった。ハザードを出して左に寄ったわけでは無く、車線の真ん中でウインカーも出さずに完全に停止したのである。 右側には産直と呼ばれる野菜などを売っている商業施設があり、そちらへ曲がるのかと思ったが、対向車がなくなっても前の車は動かなかった。いったい何が起きているのだろうと思ったが、お父さんはもうどうでもよくなっていた。 10秒ほど完全停止した後に、その車は突然動きだして、左にあった小道に左折していった。もちろんウインカーは出さないままだった。停止の意味は最後までわからなかった。 そして左折の瞬間に見せた車の左サイドは何度もぶつけてきたようで、ボコボコになっていた。リアバンパーはガムテープで止めてあった。前を走っている間、ずっと左に寄っては知っていたので、お父さんには車の右側は良く見えていた。そして右側は特に目立ったキズやへこみは無かったと思う。車がきれいな割に運転がひどかったので、最初は脇見運転だと思ったし、居眠りや飲酒運転だとも思った。 ところが左サイドのボコボコ具合を見て、普段から同じような運転をしている人だと確信した。おそらくは高齢者ドライバーで、視野が狭くなって左サイドが見えていないか、車両感覚がおかしくなっているのだと思う。 お父さんが住んでいる地域は公共交通機関がまともに整備されていないので、高齢者であってもなかなか運転免許を返上しないし、周囲もある程度仕方がないことだとあきらめている。 それでもあのような運転をするドライバーはさすがに免許を返上するべきだと思う。歩行者がいた場合に接触事故を起こす可能性はかなり高いと思う。悲劇が起きない前に自ら運転免許を返上してほしいと思うし、お父さんも将来周囲から運転がおかしいと指摘されたら、素直に運転をあきらめるべきだと痛感する出来事だった。
2024.09.24
コメント(0)
今年、お父さんの住んでいる東北の一地方は例年並みに秋が訪れている。8月はそれなりに暑かったが、9月半ばには最低気温が20℃前後までになっている。おかげで8月後半から窓を開けて寝ていたのに、すでに窓を開けて寝たら寒くて寝られない状態にまでなっている。 関東以西が残暑で苦しんでいるニュースを見ながら、他人ごととして「大変だな」と思うようになっている。温暖化が進んでいるとはいえ、東北はやはり日本の中では夏が短く涼しい気候の土地なのだと思う。 先日日帰り出張で東京に行ったのだが、新幹線を降りた瞬間の暑さに思わずひるんでしまった。自宅を出た時と気温が10℃も違うのだから当たり前なのかもしれないが、同じ日本で数時間移動しただけなのに、こんなに気温が違うのかと改めて感じた。 現在五十肩で苦しんでいるお父さんは、なるべく肩を冷やさないように日中も就寝中も薄着をしないようにしているのだが、東京ではまだまだそんな必要はなかった。駅の構内を歩いているだけで汗が噴き出てきた。 持っていったタオルは午前中でびっしょりになるぐらい汗をかいてしまった。 出張先はクーラーが効いていて涼しいのだが、外を歩くどころか座って休んでいるだけで汗が止まらないほど暑かった。おかげで五十肩の状態もいつもより症状が軽く感じるほどだった。 帰りの新幹線を降りて地元に東北に戻った瞬間に涼しい風が体に吹き付けて心地よかったが、日中東京の暑さを体験した体には少し冷たすぎるほどだった。 東北はもう稲刈りが始まっている。そもそも田植えの時期が東北では1か月ほど早い。その分稲の生長が早いので、9月に東北から関東に出張すると、稲の状態の違いでも驚くことがある。東北では8月の末には稲穂が垂れて、9月に入るともうたわわに稲が実っている状態になるのに比べて、関東に出ると8月末ではまだ稲穂は出ているが、稲穂が垂れるということはない。稲穂の色も緑が強い状態になっている。 東京の暑さには都市部で自然が無いことによる熱が影響しているというのもあるのだろうが、関東の田舎の田んぼと東北の田んぼを比べるだけでも差があるのだから、やはり気候が違うと考えて問題ないのだろうと思う。
2024.09.23
コメント(0)
スリップインというスケッチャーズという靴のメーカーが出しているシューズがある。テレビCMで紹介しているので知っている人も多いだろうが、足を突っ込むだけでかかとが滑ってスッと吐くことができるシューズである。 お父さんは靴ベラを使ったり、指でかかとを入れるのが腰にきついので、いつも緩めの靴を履いていた。そのためスリップインの存在を知ってさっそく靴屋に買いに行った。 探すまでもなく普通に靴屋に並んでいたので、実際に試してみようと思ったが、お父さんの足サイズである28㎝が売り切れていた。さらに上のサイズの29㎝があったので試してみた。確かにスポッと入るのだが、これがサイズが大きいからなのか、スリップインの効果なのかよくわからなかった。 そこでインターネットで調べてみたら、28㎝が売っていたので早速購入した。ところがここでお父さんは欲を出してしまった。ネットで調べたらナイキからも同じような靴が出ているということで、ナイキの靴を買ってしまったのだ。ところがナイキというのは、通常サイズ履くと、きついことが多いというのを失念していた。28㎝のナイキはスリップインというかかかとがスポッと入らないほどきつかった。 結局その靴は同僚にあげてしまい、スケッチャーズの靴を買い直すことになってしまった。 ようやく届いたスリップインは思っていたよりもずっと便利だった。足にフィットするのに、履くときに上から足を入れるだけで一切かがむ必要がない。CMで言っていることにウソはなかった。ナイキで失敗していた分とても素晴らしいモノに感じた。 それからはずっとスリップインを履いている。脱ぐときも手を必要としないので本当に便利である。サンダルよりも安全だし履きやすい。今はお父さんのお気に入りである。 ただこの靴でお父さんは大きな失敗をしてしまった。ゴルフの練習場に履いていって、そのまま練習をしたのだ。いつもは専用のシューズを履いていくのだが、この時はスリップインの靴でも大丈夫だと思って、靴を履き替えないまま行ってしまったのだ。 最初は特に不具合を感じなかったのだが、力が入ってくるとだんだんと靴の中で足が動くようになってきた。やはり足がスポッと入るためには少し緩めというか、内部がゴムの様に伸びる構造になっているようだ。 そのためガルフの踏ん張りをすると、靴の中で足が滑るのだ。それを無理やりにふんばっていたら、右足の親指の爪の辺りが痛くなってしまい、練習を断念せざるを得なかった。 その後しばらくして足を見たら、右足の親指の爪が黒くなっていた。爪が死んでしまったようだ。スリップインはウォーキングぐらいなら問題はないが、スポーツシューズとは言えないようだ。激しいというか、きちんとした運動をするときは専用のシューズを履かなくてはならない。それでも今でもお父さんは通勤時にも、休日も基本的にこのスリップインを履いている。次にベトナムに行くときには、一足持っていこうと思っている。
2024.09.22
コメント(0)
お父さんが会社でタバコを吸っている屋外の喫煙所の近くに石灯篭が立っている。創業者の現会長が自費で建てたもので高さが3m近くある。竜の彫刻などが施されたいかにも成金趣味のデザインだが、中国やベトナムなら大人気になりそうな灯篭である。 さてこの灯篭に、小さなアマガエルが貼り付いていた。お父さんと一緒によく喫煙している工場長が教えてくれたのだが、位置を微妙に変えながらずっと貼り付いているという。お父さんは変えるがずっと同じところにいる生物というイメージがなかったので、そんなことはないだろうと思っていた。 とりあえず灯篭にいるカエルを確認して、フーンと思いながらその時は終わった。ところが翌日、灯篭を見ると確かに前日に見たアマガエルがほぼ同じ位置に貼り付いていた。動かないというのは本当なのだなと思ったが、逆に何か原因があって動けないのかもしれないとも思った。餌となる虫がいるとは思えなかったからである。 ところが翌日も、カエルは同じ位置にいた。そしてお父さんも、このカエルはこの位置を定位置として活動しているということを理解した。なぜならそこにカエルが出したフンがあったからである。よく見ると、これまでにしたフンをいくつか見つけることができた。 それからは喫煙所に行くたびにカエルとチェックするようになった。工場長と一緒になると、「工場長の相棒が今日もいる」とまずカエルが話題になった。 通常アマガエルは周囲の色に体の色を合わせる生物なのだが、このアマガエルはキレイな緑色をずっと保っていた。 ちなみに他のアマガエルがくっついているのも見つけたが、こちらは灯篭に合わせて灰色に体色を変化させていた。このカエルは1日でいなくなったので、やはり工場長の相棒は灯篭をすみかにしているようだった。 週末を越えてまだそこにいることを確認できた時は、お父さんもうれしかった。それにしても何日も灯篭に貼り付いているのにいつまでも緑色なのは不思議だった。灯篭にたかっていると目立つので、鳥に見つかって食べられてしまわないか心配だった。 そしてついにお別れの時が来た。結構なゲリラ雷雨が夜中にあった翌日、カエルは姿を消していた。別にエサを与えていたわけでもなく、ただそこにいただけのカエルであったが、いなくなるとやはり寂しさを感じるのは不思議だった。最初は工場長の相棒とからかうだけの存在だっただけなのに、人間の感情は不思議なモノである。10日間ぐらいは毎日チェックしていたので、やはり愛着がわいたというか、縁ができてしまったのかもしれない。 これからもしばらくは灯篭をチェックしてしまうだろうと思う。だがあのアマガエルが再び戻ってくることはおそらくないと思うと、やはり寂しいものである。
2024.09.21
コメント(0)
子供の頃、政治も世の中の仕組みもわかっていない頃、「日本で一番偉い人は?」という質問に、「総理大臣」と答えていた。子供にとって「偉い」とは地位が高いというか単純に「1番の人」というイメージだからだと思う。 だからクラスで一番偉い人は「担任」もしくは「学級委員長」、学校で一番偉い人は「校長先生」「生徒会長」となる。組織のトップという意味での「偉い」である。 これがだんだん成長してくると、「偉い」は「1番」から「すごい人」「素晴らしい業績を残した人」となってきて、総理大臣を「偉い人」と答える人は減っていくと思っている。それでも日本で一番偉い人はという問いには、大人でも天皇陛下もしくは総理大臣と答えるような気がする。前提条件がなければお父さんもいまだにそう答えるかもしれない。 偉いかどうかは別にして、総理大臣とは日本の政治家のトップであることは間違いない。総理大臣がもつ権限というのは非常に大きなものである。国民から選挙で選ばれた衆議院議員を自分の権限で解散することができる。実際は党内の調整とかいろいろあるので、そう簡単に解散権を行使することはないのだが、やろうと思えばいつでもできる権限を持っている。 それ以外にも外交などで多くの権限を持っているが、各省庁の大臣を任命・罷免できる権限はとても大きいだろう。政策を実施したり、許認可の最終権限を持つ大臣を指名できるのだから、行政を牛耳ることができると言っても過言ではないだろう。 やろうと思えば、自分の言うことを聞く大臣を任命、いうことを聞かなかったら罷免するとしていれば、ある程度の独裁もできるかもしれない。 また大臣の任命権をエサにして自分の党内の権力を確立させることは、昔から政権を取った党が当たり前にやっていることである。 さて今回の総裁選であるが、政治的ポリシーや政策をある程度訴えてはいるが、本当にできるだろうと思える人がいないというのがお父さんの見立てである。それなりに自分が実現したい政策というのはあるのだろうが、実行できる行動力や統率力があるようには見えない。総理になった瞬間から、マスコミや野党が隠していたゴシップが噴出し、あっという間に支持率も低下、何もできなくなるイメージが強い。 そもそも総理総裁になることが目的、つまりは1番になることが目的であり、政策を強力な指導力で実現しようとしていると思える人はいない。結局誰がやっても弱く何もできないうちに辞職もしくは交代してしまう総裁になるのではないだろうか。 トップという意味での「偉い人」には必然的になれるが、偉大な業績を残す「偉い人」に慣れない人しかいないと思ってしまう。 長期政権の安倍総理は、モリカケ問題などというくだらない事でマスコミと野党からずっと足を引っ張られながらも、様々な業績を残している。特に経済の復活と外交的な日本の地位確立は、今の総裁選候補者にできるとは思えない。 もっと力強く、国民が安心できる指導者はいないものかと思っているのはお父さんだけではないだろう。誰が総理総裁になっても不安が残ることになりそうである。
2024.09.20
コメント(0)
五十肩が治らないまま、ゴルフをすることになってしまった。友達とのゴルフだったら絶対に断るレベルで肩が痛く上がらなかったのだが、今回のゴルフは年に1回、取引先メーカーがある地域の秋祭りに合わせて開催されるものである。前日に方針説明会などがあり、親睦パーティー、祭りの見学などをして、翌日がゴルフコンペとなる泊まり出張のゴルフだ。 毎年この時しか会えない人に合える機会でもあり、且つゴルフではなかなか話ができないメーカーの役員さんや同じサプライヤーの社長さんなどと仲良くなる貴重な機会である。 そのため、なかなかキャンセルする勇気が出ずに、鍼治療などで無理やり参加できるよう頑張った。 しかしながら、鍼士からもゴルフは止めた方が良いと診断された状態でのゴルフとなってしまった。本当に無理だったら途中棄権するつもりで臨んだのだが、痛みはあったものの、最後までプレーできただけでなく、フルスイングができず、力も入れることができなかったにも関わらず、今シーズンのベストスコアを出すことができた。五十肩で痛みに耐えながらの方が、体調万全の時よりスコアが良いということは、やはり普段のゴルフは力を入れすぎだったり、オーバースイングなのだということが理解できた。 さて何とかプレーできたとはいえ、それなりの努力はした。まずは痛み止めである。五十肩に効く痛み止めはないかと調べたが、それらしき専門の痛み止めは見つからなかった。そこで通常の痛み止めではあるがバファリンプレミアムデラックスという、なにか普通のモノより効きそうなモノを選んだ。 さらにロキソニンのテープタイプの痛み止めも購入した。試しに購入した日の夜、テープを貼ってバファリンを飲んで寝たところ、ぐっすり眠れたので少し自信がついた。 もちろんゴルフクラブを振って確かめることは怖くてできなかった。ギリギリまで治す方に集中したかった。 前日の夜、止まったホテルに大浴場があったので、長時間かけてゆっくり体を温めて、痛みに耐えながら肩のストレッチをした。 さらに当日の朝、5時から大浴場が開いていたので、5時に風呂に入ってまた体を温め、ストレッチをした。1時間弱ほど入っていたと思う。風呂から上がって肩を冷やさないように、部屋のクーラーも切って肩を保護した。 片手で右肩にテープタイプのロキソニンを貼ったが、かなり苦労した上にしっかり晴れなくてやや心配だったが、ぴったりタイプの下着で抑えるようにした。 幸いなことに、ゴルフ場で風呂に入るまでロキソニンテープははがれることなく機能を全うしてくれたようだ。ゴルフが終わって表彰式でも肩は痛くならなかった。家に帰ると寝不足と疲労でぐっすり眠ってしまった。 起きると体中が痛かったが、ゴルフの後は筋肉痛も出るのでいつもの事である。 ただ翌日は全身がだるくて一日中ごろごろしていた。何もする気力が起きなかった。肩は悪化することもなかったようだが、良くもなっていない。10月にまたゴルフコンペが予定されているので、それまでは鍼治療をしながら肩を直していきたいと思っている。
2024.09.19
コメント(0)
先日社長がベトナム工場に長期主張に行ったのだが、何度電話しても電話がつながらなかった。おかしいと思ったらどうやらベトナム用のスマホを失くしたという。社長からの連絡で、会社の指定の場所を何か所も探したが出てこなかった。結局買い直すことにしたらしい。社長だからこそできる力技である。 お父さんンお会社の社長は、海外出張でも致命的な忘れ物をすることで結構社内で評判である。パスポートを忘れて社員が車で追いかけたこともあるし、財布を忘れることはもう何度あったかわからない。今回はスマホだ。また伝説ができたと思う。 ちなみにお父さんもこれまでに海外出張で結構重大な忘れ物を経験している。これまでで一番の忘れ物は、スーツ一式だ。ベトナムから中国に出張した時だが、ホテルについていつもの様にスーツケースからスーツを出してハンガーにかけようとしたら、上着もズボンも入っていなかった。 出かける前に最後に入れようとハンガーごと脇にかけておいたまま忘れてきてしまっていた。 初めて会う取引先であり、面会相手も社長さんだったので、「スーツを忘れました。アハハ、すいません」で巣無関係ではなかった。お父さんは本当に焦った。一緒に行った同僚に話をして、周囲を観光する時間がスーツ探しになってしまった。日本ではつるしのスーツでもその日に完成することはない。お父さんは絶望的な気持ちになった。 ところがさすがは中国である。近くの商業施設に入ったらいくつもスーツを売っている店があり、どの店でもその場で裾上げをしてすぐに渡してくれるという。言葉が通じない中で、スーツを購入し何とか無事に出張先に着ていくことができた。 ただスーツ代は5万円ぐらいしたので、出費としては非常に痛かった。カードが使えてよかったと心底思った。今でもそのスーツはお父さんのベトナムのクロークに掛かっているが、ほとんど着ることはない。なぜならそのスーツはポケットがすべてフェイクで、見た目はポケットだが実際にはポケットがないスーツだからだ。 その他にもビジネスシューズを忘れたり、ネクタイを忘れたりとお父さんの忘れ物は意外と身につけるものが多い。パスポートやスマホ、財布を忘れたことは未だにないが、一度タクシーチケットを購入するカウンターに財布を置き忘れて慌てて戻ったことはある。幸いに財布はそこにあり、無事に取り戻すことができたが、あれも持っていかれていたら5万円では済まない出費になるところだった。 お父さんも50歳を過ぎ、出張なども慣れてきているので、これからも忘れ物をする可能性は高いと思う。持ち物をメモなどして、確認しながら荷造りをするように注意しているが、ベトナムから出発するときは、準備時間がないことも多い。知芽的な忘れ物だけはしないように注意したいと思う。
2024.09.18
コメント(0)
先日毎年恒例の三峰神社参拝に家族で行ってきた。今回は神社の宿坊ではなく近くの旅館に泊まった。日帰りができる距離ではないので、どうしても宿泊は必要になる。これまでは効率重視で宿泊場所を決めていたが、今回はお父さんがベトナムで精神的に疲れていた時に予約したことが原因で、少し高めの旅館に泊まった。 我が家の子供達は偏食で食べられないものが結構ある。長女は何でも食べるのだが、長男はキュウリが食べられない。アレルギーではないのだが、キュウリを食べると吐きそうになるぐらいのキュウリ嫌いである。 あとはその日の気分で何でも食べたり全く食べなかったりと、親としては実に扱いにくいのが息子である。 次女は完全に偏食で、気に入っているモノ以外に手を付けない。食わず嫌いもたくさんだし、味の好みも面倒くさい。美味しい不味いというより、単調な味の方が好きなようだ。食材を多く使った複雑な料理を特に嫌う。 こんな子供たちなので、旅館などに泊まるときは夕食朝食共にバイキングという選択肢が一番無難であり、この数年間旅館に泊まってもバイキング料理しか食べてこなかった。 しかしながら今回は、お父さんの独断で部屋食ではないが、個室でコース料理の宿を選んだ。子供達に合わせることも面倒くさくなるぐらいベトナムで疲れていたのだと思う。 久しぶりのバイキングでない旅館の夕食はとても美味しかった。やはり食材からしてバイキングとは違っていると思った。息子や次女が手を付けない料理はいくつかあったが、それでも子供達はお父さんの予想以上にいろいろな料理に手を付けていた。 長男も高校2年生、次女も来年は高校生になる。もう親が子供の好みに合わせて料理をする年齢ではないと思う。子供達には何でも食べられるようになってもらわなくてはならない。今回はよい経験だったのではないだろうか。 料理は海鮮から山の料理まであったが、テーブルの真ん中に出てきた牡丹鍋(イノシシ鍋)はとても美味しかった。お父さんはお酒を飲まないし、長男と次女も未成年でお酒が飲めない。お母さんと長女は飲めるのだが、今回はお酒を飲まなかったので、最初からおひつでご飯をもらって食事をした。 このおひつのご飯がまた実に美味しかった。長女と息子は3倍以上おかわりして、おひつをおかわりする羽目になった。笑顔で対応してくれていたが、お酒を注文せずご飯ばかり食べる家族にあきれられていたかもしれない。 翌朝の朝食もお膳の朝食だった。ご飯が夕食の時ほど美味しくなかったので、米の種類か炊き方が異なるのだろうと思う。それだけは残念だった。 お父さんはバイキングだとついつい食べ過ぎてしまうのだが、お膳だと食べすぎることはない。ゆっくりと朝食を食べるのも旅館では久しぶりだった。次女が玉子焼きしか食べていなかったのが残念であったが、致し方ない。 今回の事で、やはり旅館のご飯はバイキングよりコースの方が断然美味しいと再認識してしまったので、今後家族で旅行に行って旅館に泊まることになったら、値段によってはコース料理を選択しようと決意した。
2024.09.17
コメント(0)
先日ネットで実にくだらないが面白い記事を読んだ。本屋に行くとトイレに行きたくなる誰もが経験したことのある現象、この現象に名前があるというのである。 その名称は「青木まりこ現象」というらしい。もちろん医学的に認められているわけでもなく、全く公式な名前ではないが、1985年に雑誌に青木まりこさんという女性が「本屋に行くとトイレに行きたくなる」と投稿したところ、多くの読者の共感を呼び、特集記事が組まれて、その中で便宜的に「青木まりこ現象」と命名したという。 これが一部ではクイズなどの問題になるなど広がり、ネット時代を迎えて海外でも使われることがあるという。「Mariko Aoki phenomenon」と英語では表現するらしい。日本人だけでなく、外国人も本屋に行くとトイレに行きたくなるということだろう。 ちなみにこの多くの人が本屋に行くとトイレに行きたくなる現象、青木まりこ現象は医学会などでも注目されて研究されていたらしいが、原因は特定されていないと昔何かの記事で読んだことがある。 最近は電子書籍ばかり購入しているので、本屋に行く機会がかなり減ってしまったが、今回この記事を読んで、便秘の時に久しぶりに本屋に行ってみようかと思うようになった。それを理由に本屋に行ってもうまくいくかはわからないが、ひょっとしたらこれを実践している人が少なからずいるのではと思うと笑えてしまう。 人体には不思議な現象が結構ある。お父さんは太陽や電球の光を見つめるとくしゃみが出るのだが、この現象も名前はあるが原因はわからないらしい。 脚気の検査で膝を叩くと足が上がるのも、原因が解明されているかは知らないが、不思議な現象である。 その他にもおそらく原因不明の様々な現象を人体はもっているのだろうと思う。大けがをしたときのショック症状がなぜ起きるのかとか、呼吸が上手くできなくなる過呼吸という現象もお父さんにとっては実に不思議な現象である。 そういえば今苦しんでいる五十肩もある日突然発生して腕が上がらなくなる。医者も鍼士も肩の筋肉が炎症を起こしているとか、固まっているというが、どうしていきなり発症するのかとても不思議である。 時代が進むにつれて、解明されるモノも出てくるのだろうが、不思議なままでいるのも悪くないと思う。特に本屋に行くとトイレに行きたくなる青木まりこ現象は、命にかかわるものでもないし、世の役に立つとも思えない。そう考えると無理に原因を解明しなくてもよいのではと思ってしまうがどうだろうか。
2024.09.16
コメント(0)
五十肩がまるで治らない。治らないどころか悪化している。整形外科に通って2か月。5週間にわたって注射も打って治療を続けたのだが、肩がますます上がらなくなり、さらに痛みが腕にまで出るようになってきた。 さすがにお父さんもこのまま整形外科に通っていても意味がないと思い始めた。医師もブロック注射が聞かなかったらあまり次の方策はないような話だった。 ブロック注射を打ち終わって2週間様子を見るように言われたのでそこまでは様子を見たが、明らかに悪化してた。 そこで同僚の勧めで鍼治療をすることにした。お父さんはこれまでも腰痛などで鍼治療は何度もやっている。鍼治療は不思議なもので、相性の良い鍼士にやってもらうとびっくりするほど改善する。ところが相性が悪いと悪化することもある。 昔相性の良い鍼士に言われたのだが、鍼治療を信用していない人には効かないことが多いと言っていた。精神的なものも影響するのが鍼治療や東洋医学なのかもしれない。お父さんは10年以上前にベトナムでもベトナム人鍼士に針治療を受けたことがあるが、あまり効果がなかった。やっぱりベトナムの鍼治療を信用できなかったことが原因かもしれない。 今回行った鍼灸院は同僚の紹介で言ったところなので、比較的安心して治療を受けることができた。ただこれまで肩で鍼治療を受けたことがないので、果たしてどの程度効くのか疑問ではあった。 電話で予約をして鍼灸院に入り、問診を受けた後治療に入った。今回の鍼士は女性で視力も通常の健常者だった。これまでの経験で行くと、視力に障害を持っている人の方が治療は上手という経験則があったが、いろいろと普通に相談できるというメリットがあった。 肩の痛みと可動域をチェックされたが、お父さんの五十肩は整形外科で治療をしているうちに、1期という軽い症状から、かなり重症の2期に完全に入っていると言われてしまった。これが3期になると肩がほとんど動かなくなってしまうということだった。 鍼治療自体は、これまで受けた鍼治療の中では軽いモノだったが、その後に受けたマッサージがきつかった。肩の可動域を維持するために無理やり稼働可能範囲まで肩を動かされるのだ。激痛で思わず息が止まってしまうのだが、鼻呼吸のまま息を止めないように何度も注意された。だが痛みに耐えるために息が止まるのは、一種の反射反応なので激痛が走るとどうしても息が止まってしまう。なかなかに苦労した。 鍼士も「痛いですよね」と言いながら、まるで手加減することはなく力を込めて肩を動かしていく。久しぶりに冷や汗が全身から出るほどの痛みを感じた。 施術がすべて終わって会計をするときには右肩から右手までの全域に力が入りづらい状態になってしまった。 家に帰って、今回の鍼治療は効いたのかと不安に思ったが、その夜は久しぶりにぐっすり眠ることができた。これまでかなり肩が悪化してから、寝返りを打った時に痛みで目が覚める日々が続いていた。それが朝まで起きることなく寝ることができたのだ。 これは効いていると安心した。偶然起きなかったとは思えないほど毎晩数回目が覚めていたからだ。 2回目の治療を予約しているが、徐々に良くなっていくことを祈りたい。これからゴルフシーズンでいろいろなコンペに参加する予定になっている。ゴルフができるぐらいには早急に直したいのだが、鍼士が言うには一瞬で直ることはないので、できればゴルフは止めた方がいいと言われている。 仕事関係のコンペばかりなので、なかなかキャンセルができない。まずは最初のコンペで様子を見ようと思っている。
2024.09.15
コメント(0)
言語化というのは人間の持つ能力の一つである。言語化が得意な人は、自分の気持ちや考えをきちんと伝えることができる。逆に不得意な人は、気持ちや考えをうまく伝えられない。お父さんは、言語化能力は鍛えることで上昇させることはできるが、身体的能力同様にある程度は持って生まれたものかもしれないと思っている。 お父さんも言語化は得意な方ではない。じっくりと考えて原稿を書き、それを遂行して覚えればそれなりの話はできる。だがミーティングなどで臨機応変に自分の考えを明瞭簡潔に述べるのは、自分では苦手だと思っている。 イメージしやすいだろうとたとえなども使うことがあるが、これがまた余計相手を混乱させることがあるようだ。 最近お父さんが受けている研修の講師は、この能力を努力というか訓練によって高めた人である。どんな話や質問が出ても、臨機応変に答えが返ってくる。問いかけに対してドンピシャな回答でないこともあるが、話題をそらしたなと感じるところまで外れてはいない。ボヤっとした内容の話でも、何となく説得力を感じてしまうので、かなり苦労して訓練をしてきたのだと思う。 お父さんは訓練を意識してやってはいないが、社員を集めて話をすることが多くなってからは、聞いている人の反応をみて話の内容や、話し方を変えている。またベトナムで通訳が理解できないと、通訳に伝わるように言葉を変えることを日常的にやっているので、若い頃に比べれば言語を操ることができるようにはなったと思う。 小説家やお笑い芸人などは、この言語化技術が高い人達だと思う。お父さんがあこがれても、そう簡単になれるものではないだろう。 お父さんの場合、多くの社員の前で少し長めの話をすると、居眠りをする人がいるのでそれほどわかりやすく楽しい話ができているわけでは無いと思っている。 ちなみに言語化が上手くできていないことを認識できていない人は世の中に多い。お父さんの上司も、何を言っているのかわからない人がいるし、同僚にも「もう少し上手に話せないものか」とおもってしまうほど下手くそな人がいる。 言っていることは正しいのだが、言語化がうまくいかず相手に真意が伝わらなくて、悩むというより怒る人が多いのもお父さんの会社の特徴である。 言語化云々の前に、聞き取るとか理解する能力の問題もないとは言えないが、わかりやすく相手に自分の意志を伝えるには、言語化能力は必須の能力だと思う。 子供達の中で、会話が上手なのは次女であるが、彼女は文書化ができない。上の二人は文書化はできるが会話が下手くそだとお父さんは思っている。社会に出る前にもう少し能力を高めてくれればと思うが、訓練が必要だと自分で認識しないと言語化能力は上昇しない。
2024.09.14
コメント(0)
自民党の総裁選と民主党の党首選が連日ニュースになっている。これだけの候補者がいて、お父さんが「この人がいい」と思える人が1人もいないことに驚いている。お父さんは基本的に政治のことをこのブログに書くことはなるべくしないようにしているが、政治的信念でない部分を少し書いてみたいと思う。 お父さんは国政が最も大事にすることは、優先順位順に国防、経済、外交、福祉だと思っている。もちろんこの他にも国政が対応することというのはたくさんあるのだが、お父さんはこの辺りでどのような政策を考えているかを基準に候補者の主張を聞いている。 自民党の総裁選は事実上の次期内閣総理大臣を決める選挙である。そのため彼らの主張はそのまま次期内閣の公約に等しいのだが、細かい事ばかり主張していて誰がどんな政治をするつもりなのか全くわからない。 石破氏は他の候補の批評ばかりしているし、小泉氏の言っていることはボヤっとしすぎてわからない。河野氏、高市氏など他の人達も、お父さんが意識している国防、外交、経済、外交、福祉についての総論がはっきりしない。 誰になっても岸田政権と変わらない「何をやりたいのかわからない」という何となくの政治が続くのだろうと思う。そもそも派閥の縛りがなくなった初の総裁選挙なので、総裁になってもいつまでもつかわからない。長期政権には絶対にならないだろう。政治が安定しないで国民が苦労した時代に戻りつつある恐怖を感じている。 他方で立憲民主党の党首選であるが、マスコミの編集が意図的なのかもしれないが、「自民党の悪口」がどの候補者からも出ている。相変わらず批判だけで「政治をしている気になる」を続ける気なのだろうか。 今の立憲民主党は、野党第1党とはいえ政権交代が狙えるような議員数ではない。政権交代を訴えている党首候補がいるが、どうやって国民の信頼を得るつもりだろうか。自民党の政治の悪いところを訴えるのではなく、自分の政策を訴えなければ国民の信頼を得ることはできないだろうとお父さんは思う。 国民というのはそれほど賢いとは言えないのだろうが、政治家が思っているほど馬鹿でもないと思う。 今回の2つの政党の総裁や党首の選挙は、立候補者の人数が多い以外に見どころはない。だれがなっても停滞が続くことだろうと思う。その後にある衆議院選挙も、大きな変化を生むことはないだろうと勝手に思っている。
2024.09.13
コメント(0)
相手の立場で考える。相手の視点に立って物事を見る。人の気持ちを察する。これは人間関係を潤滑に運営するうえで必須の能力と言える。あらゆる書籍や研修などで当たり前に出てくる概念である。 お父さんも子供や部下に、「相手の事を考えて行動しろ」と言ったことはいくらでもある。 先日研修で同じように、相手の視点で考えましょうとか、相手の立場や考えを理解することから円滑な人間関係が始まるというような言葉が出てきた。さらに、相手を知るために相手にいっぱい質問をして、相手の潜在意識を理解することができれば、なお素晴らしいという話だった。 言っている意味はよくわかる。だが究極的に言えば、相手の心を知りなさいと言うことで、マンガや小説には相手の心が読める人が出てくるが、実際は不可能である。相手の心を知ろうと頑張っても、どうしてもそこには自分自身の価値観や経験のバイアスがかかってしまう。だからお父さんも相手を思ってした言動で相手を怒らせたり悲しませたりした経験が多々ある。 仕事で部下を励ますつもりで言っているのに、全く部下に響いていないと感じることなど日常茶飯事である。 結局今のお父さんの結論は、相手の事を思って行動するが間違えた時はあきらめるというものである。まあ失敗を恐れて行動しないよりは、失敗したら反省して次に生かそうということだ。だって相手の本当の心の中など絶対に分かりはしないのだから。さらに言うと、自分の本心や潜在意識だって自分ではわからないとお父さんは思っている。
2024.09.12
コメント(0)
先日のブログで、生成AIに対応しないとこれからの世界で生きていくのは難しくなるというようなことを書いた。生活のあらゆるところに今後AIは活用されていくだろう。そしてAIを使う人が増え、データが蓄積されればされるほどAIはますます発展していくというサイクルが出来上がってくると思う。 プログラムとかソフトとかアプリというモノは、今はまだ決められたロジックに従って結果を出すものである。そのためとっさの対応や、例外的なモノに対応ができない。現在では人間がソフトに合わせてあげなければ上手に動かないのが現実である。 人間の脳みそをプログラムに任せる人工知能化(AI化)というのは、人間がもつあいまいさやあいまいさへの対応ができないだろうと言われていた。だが世の中には頭の良い人がたくさんいるので、近年では人がもつあいまいさや不合理な言動にも対応できるAIが開発されていると聞いている。 そうなると指示に従わないロボットや、さぼるロボットもできてくるかもしれない。いい事か悪いことがわからないが、人間の思考というのは実に不合理にできているとお父さんは思っている。 お父さんは技術屋なので、真実は一つというか、正しい理論で正しく行えば正しい結果が出てくるというのが好きである。だが現実の世の中では、怒ってはいけないところで怒る人がいたり、言ってはいけないことややってはいけないことをやってしまう人がたくさんいる。正しいことを正しく行うことをやり続けるのは、人間には難しい。 逆にロボットや人工知能には正しくないことを正しくないやり方でやることができないと思っていた。そういう人間の不合理さまでAIで再現できるようになってきたとしたら、今度は人間の存在価値が揺らいでしまうと思うのはお父さんだけだろうか。 自分で経験したからよくわかることだが、人間が一番不合理に行動するのは「恋愛」に関してだとお父さんは思っている。恋愛にはまってしまうと行動が感情に支配されてしまう。合理的でないことを必死でやるのでものすごく気力も体力も使うことになる。 遠くない未来にはAIと恋愛、AIと結婚というのも現実に議論される時代になるのかもしれない。それが進むとAIに振られて自殺するとか、AIを取り合ってケンカするという事件も起きるかもしれない。 AIをどこまで生活に入り込ませるかは、人間が決めることだが、需要があれば倫理を無視するというか、新たな倫理やルールができる世の中である。何が起きるか怖いとも思うが、お父さんはこういうバカみたいな空想をするのを楽しんでいる。
2024.09.11
コメント(0)
最近というか、大学でワープロを使ってレポートを書くようになってから、文章を書くとはキーボードを使って文字を入力するという状態になっている。今でも打合せのメモなどは手書きで書いているのだが、正式な文章を手書きした記憶はない。強いて言えば年賀状に一言コメントを入れるときに手書きをしているぐらいだろうか。 文字を書くスピードは年々遅くなっていると感じるし、ただでさえ下手な字が、最近では自分で書いたのに後から見直した時に読めないレベルになっている。ただ、脳みその劣化もあるのだが、今のお父さんにとって文字をキーボードで書くのは思考のスピードとあっていると感じている。 頭も中で思ったことを文字にするのが文章を書くということだと思うが、手書きでは頭で思った速度で書くことができないので、書きたいことが書けないうちに頭の中から消えてしまう。 それに比べると、キーボード入力での文章作成は、早すぎず遅すぎずで思考した内容を書くことに不便を感じない。なので今後もお父さんはキーボード入力で文章を書いていくと思う。 ちなみにお母さんをはじめ、我が家の子供達もキーボードでの入力よりもスマホで文字を打つ方が早いと思う。お父さんがスマホでポチポチやっているとお母さんに「遅い」と笑われる。確かにお母さんとメッセのやり取りをしていると、お父さんが一つ入力して送る文字量の3倍ぐらいのスピードで送られてくる。そのためお父さんとお母さんのメッセのやり取りでは、会話に時差ができる。 最近会社で上司から、音声入力が早くて便利であると進められて試してみたが、音声入力だと慣れないこともあり、思考する前に言葉を探してしまう。そのため、突然やらされる乾杯の挨拶の様に、文章にまとまりが無くなってしまう。 また入力された文章の誤字や脱字、助詞の違いなどが気になって次の言葉が止まってしまう。入力終了後に文書の校正をするのも面倒くさい。 もう少し、音声認識のスピードが上がり、文章化のレベルが上がればよいかもしれないが、今のところ音声入力よりもキーボード入力の方がお父さんには合っている。長女が小学校の高学年になった時に、キーボードのブラインドタッチを練習させたが、文章をパソコンに打ち込む需要が小学生ではないので、あまり身につかなかった。第2子以下には練習もさせなくなってしまった。 おそらく彼らの時代はスマホのようなタッチパネルでの入力で素早く打ち込みをする時代になるような気がする。もしくは音声入力で簡単に文章を作成できる時代になり、誤字や脱字、さらには文章のおかしさやニュアンスの合わない部分などもAIが自動で修正してくれるのではないかと思っている。 算盤を習わなかったお父さんが、50歳までの人生で1度も算盤ができないことを不便に思ったことがないのと同様に、子供達もブラインドタッチができないことを不便に思わないで生きていくのではないかと思っている。 お父さんが、キーボードから新技術による文章入力に対応できるかが今後の問題になってくるかもしれない。
2024.09.10
コメント(0)
AIという言葉は、十数年前までは映画の中の世界だった。AI、すなわち人工知能のロボットが感情を持って悪さをしたり人を助けたりとある意味空想の世界であり、擬人化されたロボットの世界観がAIの印象であった。 時代が令和になり、AIというのは空想や未来の話から一気に現実の話になっている。生成AIという、勝手に文章や画像を創造するプログラムができ、それを我々一般人が普通に使うことができる時代になっている。 例えば生成AIに「京都の夜の風景を絵にして」と入力すれば、AIがこれまで集めた膨大なデータの中から条件に合うモノを選び出すのではなく、世界でただ一つの想像された絵をかいてしまうのだ。 世の中では新しい技術が出てくると、それを否定したり欠点ばかりを挙げて認めない勢力が一定数出てくる。一般の人達、特に知識のない人達は何となくマスコミとかで騒がれている話題を、その情報発信者が誘導したい方にきちんと誘導されていく。 鉄道ができた時、馬車や人力車で人を運ぶ仕事をしていた人たちが大反対したとか、スーパーなどの大型商業施設ができるのを商店街が妨害したりしたことと似ているかもしれない。ちなみに最終的に利便性を選ぶ一般大衆によって、どちらも結局は淘汰されてしまっている。 生成AIは世の中の仕組みをがらりと変える力を持っている。まだまだ全面的に信用できる回答や結果を得られるわけでは無いが、今の内から使い方に慣れていかないと、10年後には生成AIを使いこなす人と使えない人で生活の利便性に取り返しがつかないほどの差が生まれていくと思う。 現在スマホやアプリ、電子マネーを使えない世代が世の中で生きづらくなっているのと同じ状態になる。 私の両親を見ていると思うのだが、スマホを何とか駆使して使っている母と、電話機能とカメラとしか使っていない父とでは、丸で生活が異なっている。父はコロナの予防注射も何度も電話してようやく数か月後の予約を取っていたのに、母はスマホであっさりと数日後の予約を取れていた。 電車に乗ってどこかへ行くのも、初めての店にたどり着くのも雲泥の差である。この夏台風の影響などで交通機関が乱れた時、臨時便の飛行機やバスのチケットを手に入れた人達のほとんどがスマホを使って情報を得ている人達である。 「新しいことはわからない」と言って手を出さず、生成AIから取り残されてしまえば、お父さんの世代でも、これからは大きな差がついてしまうのは間違いないだろう。 もちろん誰にでも使えるようにとどんどん改善はされていくとは思うが、今のスマホがそうであるように、本当に覚えようとしない人たちは見捨てられてしまう。 お父さんは、生成AIを使って仕事をしたり、趣味の正解に使ったりということをまだしていないが、どんなものかというのはいろいろと試している。30年前にインターネットが普及し始めた時に、「これは!」と思った人たちがネット通販やSNSを立ち上げて世界の仕組みを一変させ、自分たちは富豪になった。 生成AIはインターネット以上の可能性を秘めている可能性がある。決してこの技術から逃げてはいけないとお父さんは考えている。 文章が書けない小説家や絵が描けないマンガ家がこれからの時代、ベストセラー作家になることも十分考えられる。楽譜がかけない作曲家もである。 お父さんは創造力を持ちながらそれを現実化できない人が世の中にたくさんいる人を知っている。そのような陰に隠れていた人が、生成AIによって世の中に出てくる可能性も十分にある。 大きな変化をもたらす技術は、現在の仕組みやルールで対応できないとか、壊してしまうという怖さを持っていることは確かだが、それを恐れていては世の中は進歩しない。時代に乗り遅れるなという言葉をお父さんはあまり好きではないのだが、AIについては乗り遅れてはいけないと思っている。
2024.09.09
コメント(0)
最近のお父さんの仕事の多くを占める部分に、今年後半から来年にかけて導入する各種機械の購入全般というのがある。それも日本の工場とベトナムの工場両方の導入機械である。 産業用機械というのは家庭用と異なり、カタログから選んで買うだけという訳にはいかない。測定器など1部の機械はカタログ通りの標準仕様を買うこともあるのだが、それでも車と同様に、どのようなグレードを購入するかから始まり、オプションをどうするか、付属品をどうするかなど細かいことを決めなければならない。 もちろん仕様が変われば価格も変わる。さらに値下げ交渉や納期の交渉もしなくてはならないのでかなり忙しいし面倒くさい仕事である。 数千万円から億を超える機械もあるので、失敗できないというプレッシャーも常にある。もちろんお父さん一人でやっている仕事ではないが、統括責任者にされてしまっているので最終的な決定はお父さんにかかっており、責任もお父さんにかかる。胃が痛い仕事である。 産業用機械は値段が高いほど、1から仕様を決めていくことが多い。上記で車の購入に例えたが、車ならばグレード選びとオプション選びで終わるのだが、産業用機械の場合は、車に例えるなら、エンジンはどうするか、トランスミッションはどうするか、座席の配置や材質はどうするか、最高速度はどこまで出せるようにするか、ハンドルやメーターの位置やボタンの形状はどうするかなど全て決めていくことになる。 ここまでくると、マイホームを注文住宅で建てるのと同じような面倒くささである。購入予定の機械は現在7種類あるので、一気に7軒の家を建てるのと同じようなものだとイメージしてもらいたい。聞いただけでやる気がなくなる人もいることだろう。 さて、この機械購入の面倒くささは仕様決定だけではない。メールやWEBでの打合せだけでは詳細を決めることができないので、機械メーカーに来社してもらったり、お父さん自身が機械メーカーを訪問しなければならない。それも1度で終わるわけでは無い。仕様決定までに最低1回、機械が機械メーカーの工場で出来上がったところで1回、さらにお父さんの会社に導入されたところから実際に稼働するまでも立ち会わなくてはならない。 日本国内だけでも神奈川や長野に出張しなければならないのだが、今回購入予定の機械は台湾、中国の機械メーカーのモノもある。つまり海外出張もしなくてはならない。無論海外メーカーとのやり取りは英語が主体になる。 さらに中国はビザがないと入国できない状態のため、ビザ申請手続きなどもやらなくてはならない。日程管理だけでもとても難しい状態になっている。 契約書の英語も読まなくてはならないし、それを上司から社長までに説明して質問に応えなくては先に進めないことも多々ある。 この忙しさが終わるのは来年3月ごろの予定であるが、それまでにさらに購入する機械が出てきたりすると、さらに忙しくなる予定である。機械購入は技術者のお父さんにとって喜ばしい事であるが、購入までの忙しさは何度やっても慣れることはない。 産業用機械というのはそれぐらい使う会社によって異なる。同じ住宅メーカーで家を建ててもすべて違う家になるのと同じである。
2024.09.08
コメント(0)
お父さんは今51歳である。人生も51年目ともなると、周囲に年上よりも年下の方が増えてくる。人口をきちんと調べれば、上には団塊の世代を含めた多くの人がまだまだいるのだが、70歳を越えた人となると仕事ではほとんど会わないし、身内などのごく少数としか接する機会がない。 会社でも完全に年配のラインを越えてしまったし、家族で一番年上なのはお父さんである。日々話をするような人はほとんどが年下で、現場のベテラン作業者ぐらいしか年上がいなくなってしまった。 お父さんが若い頃というか40歳になるまでは、年上の先輩というのは「みんな仕事ができる」「頼りになる」というイメージの方が強かった。もちろん例外となるような、仕事はできないし、文句ばかり言っているというような尊敬できない先輩もいたが、総じて年上の人達の評価は「尊敬できる人達」だった。 しかしながらお父さんももはや51歳となり、先輩の数も少なくなってしまったし、先輩とも年が近くなっている。定年間近の65歳の人でも一回り強しか離れていない。「大先輩」というイメージよりも、やや年上の同僚という感覚が強いかもしれない。 それでも先輩は先輩であり、現場仕事を続けている人は一定の職人的技や知恵を持っているので尊敬はしているつもりである。技術面で尊敬できない先輩というのはあまりいない。 ところが、性格とか行動とか精神的な面で見ると、最近では「お父さんより年上なんだから、もう少ししっかりしてくれよ」と思う人たちが増えてきている。これは歳の差が縮まったからだけではないとお父さんは思っている。 子供の頃、絶対的存在だった両親が、成長するにつれて「自分の親はこんな人だったのか」とダメな部分が見えてきてしまうのと同じように、会社の中でも地域社会の中でも自分が経験を積み成長してしまったことで、無条件で「すごい」と先輩たちを評価できなくなったからだと思う。 今では年上の部下もいる状態になっていて、年上の部下にはお父さんより優れた部分をかなり期待するのだが、精神年齢が低いと思ってしまうような事件がこのところ続いていて困っている。 先日は、仕事の打ち合わせで「口の利き方が悪い」とかの理由で年上の部下同士がけんかしたり、仕事がうまくいかないからと「もうこんな仕事辞める」と騒ぐ人がいたりと本当に疲れてしまう。 お父さんの理想は、上司としてのお父さんを年上の先輩が部下でありながらたしなめたり励ましたりしてくれる関係なのだが、そんなのは小説の中にしかないのかもしれない。もちろん尊敬できる先輩は、会社に何人か存在するのだが「絶対的」ではなくなってしまっている。 お父さんは若い頃、正論を吐いて「自分は正しい」と現実離れした理想論で周囲に迷惑をかけていた。そのころは「自分が正しい」と思っているのだから迷惑をかけているとも思わなかったが、今思い返せば、実にバカだったと恥ずかしくなる。その時に先輩や上司からたしなめられた言葉を、今はお父さんが年下の部下に言うことがあるのでよくわかる。 だが、そのようなたしなめる言葉を年上の部下に言う時ほど寂しいモノはない。「どうしてそんなにガキのような考えや態度なんだ!!」と怒鳴りたくなる時がたまにある。 自分が今は部下や年下から年上の先輩もしくは上司として評価される立場になっていることは理解している。聖人君子ではないので悪いところもいっぱいあると思うが、せめてある部分では尊敬でいる先輩として評価してもらえるよう頑張ろうと思う。
2024.09.07
コメント(0)
先日会社で使っているお父さんの個人持ちのホッチキスが壊れた。いつ買ったかも覚えていないぐらい長い間使ったホッチキスだった。まあ別に愛着があったわけでもなく、ずっと机の引き出しに入っていて、必要な時に使っていた。100円ショップで購入したホッチキスなので、もったいないと思うこともなく、また買わなければと思っただけだった。 最初はまた100円ショップで買えばよいと思っていたのだが、ふと「最近の文房具はいろいろと進化している」というネット記事か何かがあったなと思い出して、ネットできちんとした文房具メーカーのホッチキスを探してみた。 何枚までまとめられるとか、針が平坦にたたまれるとか、力が必要ないとかいろいろと機能が書いてあったが、そもそも100円ショップのホッチキスでも特に不便を感じていなかったので、どうしようか悩んだのだが、アマゾンで500円程度で買えるうえに翌日配達なので、100円ショップに出向くまでもないなと思ってネット購入を決めた。 翌日予定通り新しいホッチキスはお父さんの元に届いた。特に感慨深い思いもなく、普通にパッケージから出して針を補充した後に試してみた。その瞬間、「え!!」というほど驚いてしまった。本当に今までのホッチキスよりも軽い力で簡単に針が止まるのだ。力がいらないというのはこれほど違うモノかと感心してしまった。 止めたあとの針の形を見ると、こちらも宣伝文句の様に針がきちんと止めた紙と平行になっていて、実にきれいな状態であった。 これまでの100円ショップのホッチキスで問題があったわけでもないし、このホッチキスにしたからできることが増えるわけでもない。それでも新しいホッチキスは、これまでのモノとはまるで違うものだと確信して言えるほど良いモノだった。 世の中で100円ショップが隆盛になってから、お父さんは文房具のほとんどを100円ショップで購入してきた。ハサミ、定規、消しゴム、スティックのり、カッターなど今机の引き出しに入っているのは皆100円ショップの品である。そして不便だと思ったことは1度もない。 それでも今回のホッチキスの感動を知ってしまうと、その他の文房具も壊れたら少し良いモノを購入しようと今は思っている。おそらく数百円の違いで、使い勝手に結構な差があるのではないだろうか。100円ショップ製品には、最低限の機能しか求めていないので、ハサミやカッターならキレればよいし、定規も消しゴムも線が引けたり字が消えればよい。ただきちんとした値段の文房具は基本機能でない使い心地のようなものに、おそらく違いがあると思っている。 上にあげた文房具もいつ購入したか覚えていないほど長く使っている。買い替えるつもりはないが、壊れたりなくしたら1000円前後までは出してもよいかと思っている。
2024.09.06
コメント(0)
ちくわという食べ物がある。料理の主役になることはあまりないが、結構いろいろな料理に使われている。おでんにちくわが入っていないと寂しいし、お母さんの料理には結構ちくわが使われている。 ちくわはかまぼこと同様に魚のすり身からできている。魚のすり身を棒に巻きつけて火であぶると完成する。ちくわの穴は巻き付けた棒の跡であるので、穴をあけようとしてできたものではない。しかしながら、穴の開いていないちくわは通常ちくわとは言わないので、ドーナツと同様に穴はちくわのアイデンティティでもある。 ちくわはすり身を焼いてあるので、売っている時点ですでにそのまま食べることができる食材である。しかしながら、一人暮らしの若者がちまちまかじるのならともかく、皿の上にちくわを乗せてそれだけでテーブルに出されることはめったにないだろう。実に不思議な食材と言えなくもない。 ちなみにお母さんはひじきの煮つけや炒め物などのよくちくわを使っている。5本で100円強とスーパーで売っているちくわはコストパフォーマンスが良いので、お母さんも使い勝手がよいのではないかと思う。 ちなみにお父さんは最低でも週1回はちくわを食べている。お弁当に入ることが多いからだ。基本はちくわ単体ではなく、穴にキュウリやチーズが詰めてある。メインのおかずではないが、十分にお弁当のおかずとしてそれなりの存在感はもっている。 不思議なことにちくわは穴に何かを入れることで、食材からそれなりの料理になる。ちくわにキュウリやチーズをつめてあれば、お弁当に入っていても「手抜き」とは言われないし、食べるときもちくわともう1品の味を楽しむことができるので、お父さんも結構好きなおかずである。 そう考えるとちくわはかなりの可能性を持った食材だと言えるのではないだろうか。穴につめる食材を変えることで、異なった味や食感の料理に返信するのだから。 我が家ではキュウリが定番でその次にチーズである。それ以外をお母さんがつめたことはない。だがよく考えてみると、まだまだ詰められるものはありそうだ。そう思ってネットで検索をしてみたら、紀文のWEBページに「おくら、にんじん、ぱぷりか、ツナマヨ、タクアン、サラミ」などが紹介されていた。 野菜でも肉でも相性はよさそうである。海苔巻きの様にマグロ、干瓢、納豆、梅シソなども美味しいかもしれない。肉でいくならそぼろ、コンビーフ、ハム、ベーコン、サラダチキンなども美味しいような気がする。野菜ならば生で食べられるものなら大体行けそうである。セロリ、レタス、トマト、ピーマン、玉ねぎもいけるか。タクアンがOKなら紅ショウガやキムチも美味しいかもしれない。 書いているだけでおなかがすいてきた。この辺でやめようと思うが、ちくわの可能性は実に多岐にわたると思う。ただどれもメインのおかずになりそうにないのがちくわの限界だろうか。
2024.09.05
コメント(0)
先日出張に行って泊まったビジネスホテルのベッドが、「エアウィーヴ使用」と書かれたベッドだった。言わずと知れた有名なベッドマットである。お父さんは昔から腰痛もちで、朝起きると腰が痛くて起き上がるのが大変だったり、ひどい時は全身が痛いということもあり、昔からエアウィーヴを試してみたいと思っていた。 しかしながら10万円を軽く超える価格なので、なかなか踏み切れずにもう10年以上過ごしていた。思いがけずエアウィーヴが試せると、ホテルの部屋で興奮してしまった。お母さんに連絡してウキウキと報告してしまったほど、うれしかった。 ベッドに横になっただけではあまり普通のベッドマットとの違いは判らなかった。やっぱり過剰宣伝なのかなと思っていたが、翌朝目が覚めて驚いた。 いつもは腰が痛かったり重かったりして、起き上がるのに少し注意をしながら慎重に起き上がるのだが、その日の朝は実に体が軽かった。腰だけでなく、体全体から疲労がとれたようなスッキリ感で、起き上がるのも簡単だった。効果の高さに本当に驚いてしまった。 とはいえ、たった一晩寝ただけで数十万にトライできるほどお父さんは裕福ではない。このまま1週間ぐらい試すことができれば購入も検討できるのだが、1泊の予定だったのでそれもできないままホテルを後にした。 エアウィーヴは購入後、体に合わなければ無償で返品が可能なのだが、昭和生まれのお父さんには、一度使ったものを返品するというのはどうしても気が引けてしまう。 ちなみにテレビでよく宣伝していて、通販番組によく出てくるトゥルースリーパーというのも、今回検討してみた。エアウィーヴよりも値段が安く、それなりに評価も高いと思ったからだ。 ネットで2つのマットの比較なども読んでいろいろと検討をした。 その結果わかったのが、エアウィーヴは「高反発マット」で、トゥルースリーパーは「低反発マット」であるということだった。それを知って、お父さんはやはりエアウィーヴ1択に気持ちがなってしまった。 新婚の頃、会社の社宅に住んでいたのだが、同僚の新婚夫婦から「購入したのだが、体に合わないのでもらってくれないか?」と高級な低反発マットを譲り受けたことがある。夫婦そろって腰痛もちだったお父さんたちは喜んでその低反発マットを譲り受けた。 その結果、二人とも腰痛が悪化してしまった。どうやらお父さんたち夫婦の体にも低反発マットは会わなかったらしい。 低反発マットは、確かにマットにかかる荷重は分散されるのだが、マットが体の形状に合わせて沈み込む(へこむ)ため、寝返りを打つのが難しくなる。おそらくコンセプト的には寝返りを打つ必要がないぐらい、体への負担が少ないというものではないかと思うのだが、当時30歳強と今より体力もあった時代のお父さんたちの体(睡眠?)には合わなかった。 結局そのマットは、さらに同僚の新婚夫婦に譲った。不思議なことに彼らの体には合ったようで、その後喜んで使っていた。低反発が体に合う人もいるのは間違いないだろう。 低反発に対して、エアウィーヴは高反発マットである。反発力が強く寝返りも打ちやすいが、低反発マットと同様にマットにかかる負荷を分散してくれる機能は同じであるようだ。マットが低反発の様に沈み込まないので、寝返りも打ちやすいようだ。 少なくとも低反発よりはお父さんの体に合っていると思うのだが、ネットで値段を見るたびに「買えない」と思ってしまう。 ネットで見る限り、エアウィーヴが体に合わない人も、変化を感じない人もいるようだ。数十万円出して、体に合わなかったり変化がないとしたら大変な出費である。まあ今は子供の学費で手いっぱいでもともとそんなものを買う余裕はないのだが、お試しで使ってみたいという気持ちは、あのビジネスホテルの1泊以来ずっと続いている。
2024.09.04
コメント(0)
台風10号は東北まで届かずに低気圧に変わってしまった。こんなに迷走する台風はめったにないだろうが、前回の台風7号と同様に東北も勢力の強い台風がゆっくりと進む時代が来るかもしれない。 最近台風が東北に強い勢力のままくるという予報があるたびに、家を建てた時の自分の決断力のなさを実感している。 お父さんは東海地方出身なので、それなりに強い勢力の台風を子供の頃に経験している。台風が来る前の準備として、「雨戸」を全て閉めてガラス戸が割れないようにするのだが、東北には「雨戸」というもの自体が存在しない。 お父さんの勝手な予測だが、これまで台風というのは東北ではあっという間に通り過ぎるものであり、さらに勢力もだいぶ弱まった状態で来るものという認識だったからだと思う。東北では雨戸の必要性がなかったのだ。その前の時代、ガラス戸がない時代は木戸だったので、雨戸兼用だったのではないかと思う。 そんなわけで、お父さんは家を建てるときに雨戸をつけるように建築会社に話をしたのだが、建築会社は東北では必要ない(そもそも雨戸をつけた家を建てたことがない)という話だった。お母さんに至っては「雨戸って何?」というレベル。 それで気がついたのだが、確かにお父さんが住む地域に建っている家に雨戸がある家は無かった。いろいろと見て回ったが、現代風の建築物に雨戸つきは1件も発見できなかったので、お父さんも雨戸をつけることをあきらめた。 あれから10年、台風は強い勢力のまま普通に東北を襲撃するようになってしまった。我が家にはガラス戸を守る雨戸は無い。お母さんは毎回「大丈夫かな」と心配しているが、やはり雨戸は必要だったと痛感している。 今からでは通常の雨戸はつける場所がない。やるとしたら、シャッターを窓の上につけるのだが、莫大なお金がかかることだろう。そんなお金を出すぐらいなら、割れたガラスを新しく入れ替えたほうが安上がりである。 今後東北で、数年前の千葉県を襲ったような風の強い台風を経験するようになれば、自然と建築会社も雨戸をつけるようになるとは思う。だが我が家は手遅れである。家を建てるときは自分の信念は曲げてはいけないと、台風が来るたびに思う。
2024.09.03
コメント(0)
今年も夏休みの終わりに、次女の宿題が終わっていない。小学校に入学してから中学3年生の今回まで9回連続で最終日に夏休みの宿題を終わらせないまま新学期を迎えることとなった。 お母さんは毎年子供達が宿題を放置して夏休み前半を過ごすことが信じられないと嘆いているが、お父さんは自分もそうだったのであまり驚きはない。そもそもお母さんの様に前半でほとんど宿題が終了している子供の方が珍しいのではと思っている。 ただしお父さんは、さすがに終わらないまま新学期を迎えるということはしなかった。31日の夜は毎年徹夜にちかい状態で宿題をこなしていたが、無理やりではあるが新学期にはすべて終わらせていた。まあ威張るようなことではなく、それが周りの同級生でも当たり前だったと思う。クラスの数人が終わらないまま新学期を迎えていたような気もするが定かではない。昔過ぎて忘れてしまった。 次女が問題なのは、勉強が嫌いすぎてもう間に合わなくなるという状態でも「やりたくない」が勝ってしまうことである。これほど勉強に拒否反応を示す子供はそうはいないだろう。間に合わなくても必死でやるのが普通である。 将来次女の闇歴史になるのは確実であるが、彼女はお母さんから怒られ、お父さんからも宿題をやるように命令されると泣きながらトイレにこもってしまう。最低30分、長いと2時間弱ほどはこもっているだろうか。おそらく中で寝ていることもあると思う。そうでなければ2時間もトイレにいてやることがないだろう。 夏休みの宿題だけでなく、通常の宿題も次女はやらない。指摘されると学校に忘れてきたとウソをつく。塾の宿題も「ない」と言い切るが、塾の先生から定期的に「宿題を全くやってこない」とクレームが入る。 そういう状態を見るたびに、次女は生まれる時代を間違えたのではないかと思ってしまう。 次女は勉強以外は実に素直で以外に働き者である。気分がのらないとダメな時も多々あるが、もし彼女が江戸時代の農民の家に生まれていたら、せっせと働くよい女性として評価は高かったのではないかと思う。 親から見ても愛想はいいし、よく細かいところに気がつく。ちょっとした頼み事は嫌な顔をせずにこなしていく。 こう考えると、今の学校制度を作った人たちが彼女の人生を変えてしまったともいえるだろう。殖産興業、富国強兵をスローガンに日本人は全国民に教育をして国を強くしてきた。今でも教育の高さは日本国のウリでもある。 かつては4年間の尋常小学校のみが義務教育であったが、産業の高度化に伴い、高等小学校までの6年、中学校の3年の9年間が義務教育となっていった。これからは高校までの12年間が義務教育になろうとしている。 次女はあと3年我慢して学校に通い続ければ、この「学校教育」からは卒業できる。お父さんは次女の性格や行動を見ていて、社会で成功する素質は十分持っていると思っている。お父さんは技術系の仕事をしている関係上、数学も物理も化学もいまだに知識として必要としているし、海外で仕事をするので英語も使っている。だが古文や漢文は使ったことがないし、社会科系の知識も仕事ではあまり必要ない。ただ人生を豊かにする意味ではとても役に立っているとは言える。 お母さんは中学数学ですら、社会人になってからほとんど使っていないだろう。お父さんの両親も中学校はともかく高校の授業内容など生活に全く使っていないだろうと思う。それでも立派に生きてきて、3人の子供を育て、今では孫が8人もいる。 だから次女には、あと3年頑張ってほしいと思う。お父さんいとって知らない知識を知るというのは楽しいモノだったのだが、次女は少なくとも勉強という言葉にすでに拒否感を持っている。せめて最後の高校3年間が彼女にとって良い思い出となる生活であってほしいと切に願う。
2024.09.02
コメント(0)
お父さんは結婚してからもう20年、お母さんからゴミ出し係を申し付かっている。こう書くと、本来はお母さんの仕事なのに、お父さんが仕方なくやっているという風にとらえる人もいるのかもしれないが、実際は会社に行くときにゴミ捨て場までもっていっているだけの事である。 お父さんの住んでいる自治体は、燃えるゴミが週2回であり、お父さんの住んでいる地区は月曜日と木曜日が燃えるごみの収集日に指定されている。そのため毎週月曜日と木曜日の朝は、ゴミを集積場に持っていく。その他の資源ごみや燃えないゴミは毎週出すことはあまりない。ペットボトルや空き缶、古紙などの資源ごみはスーパーの集積所に持っていくことがほとんどであり、それ以外のごみは毎回出るわけでは無いので、基本的にお父さんが捨てに行くのは燃えるごみである。 さて燃えるゴミの日が月曜日と木曜日であることは、本来それほど大きな問題ではない。週2回もあれば十分である。また週末に草取りや植木の選定をした場合にも、月曜日にすぐ出せるというメリットもある。 ところがである。お父さんの住んでいる自治体は、祝日にゴミ収集を行わないというルールで動いている。そして、今の日本の祝日はハッピーマンデーという制度が運用されており、月曜日が祝日になる日が4日(成人の日、海の日、敬老の日、スポーツの日)ある。さらに、日曜日に祝日が重なると月曜日が振替休日となる。2024年だと月曜日が振替休日になったのが、建国記念日、子供の日、山の日、文化の日と4日ある。これだけで8日間はゴミの収集がない。これに月曜日が祝日と重なった元旦と昭和の日、秋分の日の3日間を加えると、2024年は実に11回のゴミ収集が無いことになる。 1年365日を7日で割ると、1年に52週あることになる。週2回のゴミ収集が全部で104回ある計算だ。そのうち11回が無くなるとすると、約10%ほど月曜日が収集日でない地区との差ができる。 家族5人で生活していて、1週間に1度しか生ごみを出せないとなると、どうしても家の中に貯めざるを得ない。これはかなり苦痛である。 昭和の時代であれば、庭の焼却炉というドラム缶などで紙ごみなどは燃やすことができたが、ダイオキシンが騒がれてから家庭の焼却炉はどの自治体でも禁止となっている。もちろんお父さんが住んでいる自治体でも禁止である。 年にたった11回ではあるのだが、この11回は「またか」と思うほど多いのが実感である。単純に毎月1回ゴミが出せない月曜日があるのだから、10%と言えどバカには出来ない。 隣の自治体は祝日も収集があると聞いているが、どちらかと言えば仕事をしてはいけないというのが今の世の中の風潮なので、お父さんの住んでいる自治体で祝日にゴミ収集を始める可能性はゼロに近いだろう。 この月曜問題を収集日をローテーションすることで解決する策も考えられるのだが、毎年ゴミの収集日が変わるとなると、混乱するので現実的ではない。ゴミの収集でここまで深く考えることは普通はないのだろうか、お父さんにとっては結構大きな問題である。
2024.09.01
コメント(0)
全30件 (30件中 1-30件目)
1