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今回ベトナムにきて、お父さんの寮の部屋が変わった。部屋自体は同じ部屋なのだが、これまでは一部が日本人用の食糧倉庫になっていて、部屋の四分の一は倉庫スペースとしてお父さんの部屋に食い込んでいた。 しかしながら8月に終了した増築工事で、食堂側に新しく食料倉庫ができたので、お父さんの部屋に食い込んでいた食糧倉庫が移動になり、壁も取ってしまったのでお父さんの部屋がかなり広くなった。 これまで倉庫に入れておけないお土産用のお酒などの要温度管理品などはお父さんの部屋に置かれていたが、それも含めてエアコン付きの新倉庫に移動したので、お父さんの部屋は一気にスペースが増えた。 それに伴ってローカルの副社長がベッドも交換してくれた。今までもクイーンサイズのベッドであり、一人で眠る分には全く問題がないほど広かったのだが、今回のベッドはキングサイズベッドとさらに大きくなった。 横幅が2mもあるのでどこで寝ればいいのかわからないほどである。両手両足を目いっぱい伸ばしてもベッドからはみ出ることはない。はっきり言って過剰な大きさだと思う。夫婦2人で寝るならともかく一人で寝るには広すぎる。まあ副社長の好意なのでありがたく受けはするが、せっかく広くなった部屋をベッドの拡大で使うのはもったいない気がする。 さてこの新ベッドだが、広さ以外に一つ問題があった。それはベッドマットがものすごく硬いということだ。畳の上にじかに寝ている感覚である。初めてベッドを見て、とりあえず座ってみた瞬間にお尻に来た抵抗に驚いてしまった。 柔らかく受け止められてお尻が少し沈むぐらいの感覚が来るだろうと思っていたのに、全く柔らかさを感じることができずに木のベンチに座ったような反発を受けた。 さすがに硬すぎると思ったが、せっかく副社長が用意してくれたベッドなので、とりあえずしばらく使ってみることにした。 そして初日から寝ると五十肩で痛めている方だけでなく、全身に響くということが分かった。特に五十肩はいつものように夜中に痛さで目覚めるのだが、その時の痛さが半端なく強かった。体が慣れれば大丈夫かと使い続けてみたが、一向に慣れることはなかった。 その間2回ほどハノイのホテルに泊まったのだが、ホテルのベッドは普通に柔らかさがあるのでぐっすり眠ることができた。寝る前に大浴場でかなり温まってから寝るので、それもあると思っていたが、ベッドの柔らかさも関係しているように思えた。 ハノイから戻った翌日に、自分のベッドで寝たら夜中の目覚めでの肩の痛さがあまりにもひどくて、かつ翌日も日中ずっと肩に激痛があり苦しんだ。朝も昼も痛み止めを飲んでも痛さが取れないほどきつかった。 さすがにこれはダメだと、副社長に話をしてベッドマットを交換することになった。そしてようやくベッドマットが交換された。新しく持ってきたマットを確認するように言われて部屋に行くと、元のマットの3倍ほどの厚みのマットが敷かれていた。 座ってみても寝てみても、そうそうベッドマットとはこういう柔らかさだよと思うほど、元のマットとは異なっていた。 副社長に聞くと、返品も可能だということだったので、とりあえず一晩寝て確認することになった。夜中に目は覚めたが、いつもの激痛ではなかった。そのためすぐにまた眠りにつくことができ、朝までゆっくりと眠ることができた。起きたのは午前3時過ぎの1回だけで、痛みも大したことがなく、朝目覚めたときの体の痛みもこれまでとは全く異なっていた。 もっと早くマットを交換するべきだったと後悔したが、元のベッドマットは本当にあの上に直接寝ることを考えて作られたのか疑問に思った。上にエアウィーブのような別のマットを乗せるために作られた土台用のマットだったのではないだろうか。それなら無駄に硬い理由にもなる。 とりあえず翌朝副社長に「素晴らしく良いマットだ」と報告をして、このまま使い続けることにした。ベッドマット一つでこれほど異なるのかというほど寝付きもいいし寝起きもいい。五十肩への負担も明らかに少なくなっている。 我慢して使った2週間はまるで無駄であった。最初にだめだと思ったらやはりすぐに変えるほうが賢いのだろうと思う。次回が何年後になるのかわからないが、マットを交換することがあったら最初から快適なものを選ばなくてはならないことを今回のことで学んだ。
2024.10.31
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冬が近づくと日本では冬限定のチョコレートが販売され始める。コンビニのお伝販売のようにわかりやすい季節感ではないのだが、お父さんはスーパーなどで冬限定チョコレートが販売され始めると、季節の変化をひそかに感じている。 冬限定のチョコレートは少し温めると溶けてしまうから冬にしか販売していない。夏場に販売すると室温で溶けてしまう可能性があるからだ。その代わり溶ける温度が低い分口の中に入れるとすぐに溶けて柔らかくなる。口どけがよいというチョコレートである。 ちなみにお父さんは冬限定チョコレートをあまり食べることがない。おいしくないとかではなく、チョコレートにそれほどくちどけのよさを求めていないからだ。 チョコレートはアイスクリームに使われるので、氷点下の温度でも食される。またホットチョコという飲み物やチョコレートフォンデュのように温めて溶けた状態で食されることもある。万能温度型の食材である。蕎麦やうどんのように冷たい食べ方も温かい食べ方もあるという食材は珍しくないが、チョコレートのように氷点下から沸騰温度に近い温度まで食べ方がある食材はなかなかないだろうと思う。 ちなみにお父さんは温かいチョコレートはあまり好きではない。どちらかといえば冷えているほうが好きであるし、一番好きなのはアイスクリームに入っているチョコレートだ。チョコレート味のアイスではなく、例えばバニラアイスをチョコレートコーティングしていたり、チョコモナカアイスのようにチョコレートがチョコレートのまま入っているものを好んで食べている。 製品名を出してしまえば、チョコモナカジャンボ、パルム、チョコバッキーなどといったアイスが大好物である。ある程度大きなチョコレートでないと好みではないようで、チョコチップなどのアイスはほとんど食べることがない。 ちなみに我が家の次女はチョコクリームのパンが大好きで、常温で柔らかいものを好むのかもしれない。お母さんは昔はココアなど好んで飲んでいたが、最近飲んでいるのを見たことがないので、若い女性としてのアピール的に飲んでいたのかもしれない。 それでもお母さんは比較的暖かいチョコレートが好きなタイプであるとお父さんは思っている。お父さんがチョコレートを冷蔵庫で保存していると、いつのまにか外に出してあることが多々あったからだ。 チョコレートにはいろいろな食べ方だけでなく、温度の違いがあるので、チョコレートを使用したお菓子を開発する人に、万人がうまいと感じるものを作るようにと指示してもできないと思う。チョコレートは実に奥の深い食材である。
2024.10.30
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毎回ベトナムに来ると、いろいろなものが壊れている。生産現場はもちろんだが、お父さんたちが生活する寮も様々な設備に問題が生じていることがある。今回ベトナムにきて最初に気が付いたのはシャワーヘッドを固定するホルダーがガタガタになっており、お父さんが使うシャワー室のシャワーヘッドはどんなに頑張ってもすぐに真下に向かってお辞儀をしてしまう状態になっていた。 そこで会社の設備修繕のグループに、シャワーホルダーを交換してもらった。交換してもらったその日に使ってみたが、ギリギリお辞儀をしないレベルでは固定できたが、新品にしたにも関わらず各段階での固定力は非常に緩いものだった。ベトナムだなあと思いながら、とりあえずは固定できるようになったしよかったと思っていた。 ところが翌日、隣のシャワー室を使っていた同僚から、シャワーヘッドが上を向いてしまうとクレームが出た。シャワーの勢いでシャワーヘッドが押されてしまい、シャワーが天井に向かって出る状態になっているという。 お父さんの使っているシャワー室より若干お湯の出が良かったのだろうと思う。やはり新品とは言えどちらも日本人判定では不良品だったようだ。 再び修繕グループに、きつめに固定できる品に交換するように頼んだのだが、まだ部品が届いていない。今度こそきちんとしたものが設置されることを願っている。 日本では100円ショップの製品でもあまり考えられないことだが、ベトナムでは見た目はきちんとしていても全く使い物にならない製品というのは普通に存在する。品質管理基準がなかったり、作る人も買う人も当たりはずれは当たり前と思っているのではないかと疑うほどだ。 ベトナム人が中国製でも日本で売っているもののほうが品質が高いというのも嘘ではないなと思っている。まあ日本の製品の品質がやりすぎだと思うことも多々あるが、どちらが良いかといえば、当然日本である。 ベトナムでは購入したスーツケースのチャックが動かないとか、鍵が作動しないなど当たり前で、偽物を売っているというより、粗悪品のノーブランドが普通に売られているといった感覚のほうが正しいと思っている。 そのため製品を買う前に徹底的にチェックをすることを売る側も普通にOKしてくれる。ただし、お金を払ってしまった後に文句を言ってもほとんど受け付けてくれない。 話が少しそれてしまったので戻すが、ベトナム人は日本人から見たら粗悪品が生活の中に当たり前にあるので、完全に壊れている製品でない限り気にせずに粗悪品を使用して生活している。今回のシャワーヘッドホルダーも、新しいものと交換したのにだめだという日本人はおかしいのではないかという態度だった。 ベトナム人を含めてアジアのおおらかさは嫌いではないが、日本のきっちりした生活を完全に捨てることはできない。日本人に生まれた悲劇ともいえるかもしれない。
2024.10.29
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ベトナムでは朝でも昼でも夜でも挨拶はシンチャオである。おはようもこんにちわもこんばんわもシンチャオなので、時間を気にすることなく使えて便利である。日本ではたまに「おはようございます」というあいさつに「こんにちは」と返されることがある。それで雰囲気が悪くなることはないのだが、何となく「どっちが正しいのだ?」と悩んでしまう。特に先にあいさつした時に相手が違うあいさつをしてくると悩むことが多い。 その点ベトナムはシンチャオだけで済むので、ある意味挨拶的には日本語よりも優れていないかと思ってしまう。 さてベトナムではオフィシャルな挨拶はシンチャオでいいので、日本人など外国人はシンチャオだけ覚えていればいいのだが、長年ベトナムにいると、シンチャオよりも親しみを込めた挨拶をすると受けがいいということがある。 それがチャオエムである。シンチャオのシンは日本語に訳すと「謹んで」みたいな堅さを持っている。チャオがメインの挨拶後である。日本語に訳すと朝ならシンチャオは「おはようございます」が正しいだろうか。 これに対して、チャオエムはもっと砕けた感じの挨拶だ。エムは年下に対する別称である。同年齢や女性から見たお兄さんレベルの年齢の人にはチャオアインという。男性からみた年上女性(お姉さんレベル)の場合はチャオチーという。年齢によってチャオの後にくる言葉が異なるのだが、それさえ覚えてしまえば難しくはない。 お父さんがチャオエムを初めて使ったのは、日本人に食事を作ってくれているまかないさんに対してだったが、驚くと同時にものすごい笑顔でチャオアインと返してきてくれた。お父さんとしては、おはようございますをおはように変えたぐらいの違いで使ったのだが、ベトナムでは親近感を感じるだけでなく、もっと絆が深いような感覚になるようである。それぐらい相手が驚きかつ喜んでいた。 初対面で使うのは避けたほうが良いのではと思うのだが、ある程度顔見知りになったらシンチャオをチャオエムに切り替えるのは、人間関係を円滑にするにも有効なことらしい。 ベトナム人同士はチャオエム、チャオチーで不通にあいさつしているのだから。
2024.10.28
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お父さんは五十肩のせいで、毎日肩や腕に湿布を貼っている。そしてそのおかげで50歳を過ぎてこれまで知らなかったというか、勘違いをしていたことを知った。 湿布には冷感湿布と温感湿布が存在する。整形外科などで処方される場合は多くの場合冷感湿布で、湿布を貼るとスースーと冷たく患部を冷やしている感覚になる。温感湿布は今回五十肩で初めて使ったのだが、貼っても冷たさを感じない。ただし少しピリピリするような刺激がある。お父さんは温感湿布を貼っても温かいとは感じない。 先日鍼灸院の先生に、温感と冷感どちらが五十肩に良いのか聞いてみたところ、どちらでもよいといわれた。不思議に思って「冷やしても温めてもよいということですか?」と聞いたら、「冷感湿布は冷やしていないし、温感湿布は温めていない」ということを教えられた。 冷感は冷たく感じるだけ、温感は温かく感じるだけで、成分は一緒だとのこと。添加剤にメンソールとかハッカ油などのスースーする成分が入っているのが冷感湿布で、温感湿布にはトウガラシなどに入っているカプサイシンが添加されているだけらしい。 まさに冷感であり温感であって、実際に湿布が冷たいわけでも温かいわけでもないということだった。 なので、捻挫や打ち身などで患部が熱を持ってるから冷感湿布を貼るのではなく、温感湿布を貼っても効果は同じだという。ただ熱を持っているところに冷感湿布を貼ったほうが体が気持ちよく感じるというだけらしい。 本当なのかと思って家に帰ってネットでじっくり調べてみたが、鍼灸院の先生が言うことは本当であった。世の中の人にとっては常識だったかもしれないが、お父さんは50年以上勘違いして生きてきた。五十肩になったことで蒸気温熱シートなるものが世の中に存在することを知ったが、温感湿布と冷感湿布の違いも今回五十肩にならなかったら知らないまま死んでいたかもしれない。 世の中は何がきっかけで知識を得ることになるのかわからない。五十肩はつらいが、この五十肩はお父さんに多くの経験と知識を与えてくれていることも真実である。
2024.10.27
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くどいようだがお父さんは五十肩がいまだに治らなくてつらい思いをしている。五十肩になってみて、健常者がいかに普段体全体を使って生活しているのか知ったことも多々ある。ちょっとした動作が右手や右腕を使っていないにも関わらず右肩に響いて痛むのだ。 さて今回はトイレでの話である。五十肩に響くので右の肘を曲げるのも痛いので、トイレでズボンをはくという行為が苦痛になっている。なるべくトイレの回数を減らすように努力はしているが、それでも日に何回かはトイレに行かなくてはならない。 朝夕は着替えもあるのでそのたびにびくびくしながら右手を使っている。左手だけでズボンをはいてシャツを中に入れ、ベルトを通すのは今のところ不可能である。 さて日本にいるときは気にしていなかったが、ベトナムにきてここでもつらい思いをするのかと思ったのが、トイレットペーパーの位置である。自宅でも外出先でも日本のトイレに入って、トイレットペーパーがどこにあるのか探すことはほとんどないだろう。通常左右か前のどこかに、すぐ目に入り手の届きやすいところにトイレットペーパー(ホルダー)がある。 ところが海外、今回の場合はベトナムなのだがトイレットペーパーホルダーは、使いやすい位置に設置されているとは限らない。彼らはとりあえず便器周辺であればどこにでも設置するのである。 先日止まったハノイのホテルでも、便器に座ると左が洗面台、右がバスタブとなっており、それなら前につけてくれればと思うのだが、後ろ側についていた。幸いにも左後ろだったので、右肩に大きな負担はかからなかったが、左手だけではペーパーをうまくちぎれないので、結局右手も使って苦労してトイレを済ませた。 会社で使っているトイレはそこまでひどくないのだが、お父さんが宿泊している寮のトイレはトイレットペーパーが右側についている。便座に座って右ひざの上ぐらいの位置であれば問題はないのだが、位置的には右肩の横(高さも)についている。 このため右手を使えないお父さんは体を90度近くよじって左手でペーパーを出すことになってしまった。右手はペーパーを切るときに添えるのだが、それだけでも激痛が走る。 1週間ほどその状況に耐えていたが、さすがにきついのでペーパーホルダーの位置を変更してもらった。ようやくまともな位置になったのだが、これまで何年もペーパーホルダーはその位置にあった。今回お父さんが痛さに耐えられなくなったので、位置変更を行ったが、日本人同僚はお父さんも含めて今まで不便な位置だと思いつつもそのまま使用しいた。 おそらく日本で自宅や会社のトイレで同じような位置にホルダーがあればすぐに「ちゃんと直そう」という話になると思うのだが、ベトナムでは「こんなものか」と脳がバグってしまうようである。お父さんも「ベトナムだし」とあまり気にしていなかった。 今回のことで、結構反省したのでこれからは「これぐらい」とか「ベトナムだし」という気になったら、「いやダメだ、直さなくては」となるように意識しようと思う。
2024.10.26
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今の世の中は、日本であろうとベトナムであろうとスマホを持っていることを前提に物事が進んでいる。お父さんの父親も母親もスマホを持っているが、時代についていけていない。というのも何かスマホのアプリを入れてもIDやパスワードを入力しなくてはならないものが多いからだ。50歳のお父さんがIDやパスワードを覚えていないのだから、80歳前後の両親が覚えていられるわけがない。 父親は自分の誕生日でほとんどのパスワードを設定しているようだが、数か月おきにパスワード変更を強制するアプリもあるので、はっきり言ってお手上げである。 お父さんも銀行の暗証番号などは記憶しているが、アプリのパスワードなど覚えることはできない。だからダメなことは理解しつつもスマホのメモ機能を使ってパスワードを書き込んでいる。そうしないと出先でパスワードを入力しなければならないときに対応できないからだ。 パスワード管理のアプリもあるようだが、そこまでする気になれないというか、そのアプリを入れて設定するのが面倒くさいというよりできない。すでに時代に取り残されつつあるのかもしれない。義理の父親のように、携帯電話は持たないというポリシーで今も何も持っていない人のほうが潔くていいのかもしれない。 今も現在進行形で管理しなければならないIDとパスワードは増え続けている。ネットバンキングの2段階認証などお父さんの両親には対応できないのは間違いない。ユーザー視点より、問題を起こさない銀行視点の強い精度だと思う。 意味のない文字の羅列が安全なパスワードといわれるが、そんなパスワードをどうやって覚えられるというのだろうか。パスワード管理アプリを使うしかないときがやってくるかもしれないが、もう少しユーザーにやさしく、かつ安全なパスワード管理ができる日が来ることを祈っている。
2024.10.25
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お父さんの五十肩はいまだに一進一退を続けており、なかなか快方に向かっているという状態にならない。最近は慣れてきて多くの動作を右肩をかばって左手でこなすようになってきた。それでも右手を使わなくてはいけないことは多いので、痛さに耐えている。 不思議なもので、体がつながっているということを思い知らされる毎日が続いている。右手や右腕を使わなくても、動作によっては右肩が痛むのである。先日左肩をドアに軽くぶつけたのだが、右肩に激痛が走った。普段は意識していないが、体というのは一か所にかかった力を全身で受け止めているのだろうと感じた。 毎日実施している動作で、厳しいのがズボンをはいたり脱いだりすること、Tシャツや上着を脱ぐのも同様に右肩に痛みが走る。ズボンにベルトを通すのも大変だし、風呂で頭を洗ったり、左半身を洗う時も右が使えないので苦労している。 箸も右でしか使えないし、パソコンで文字を打つのも右手、マウス操作も右手である。使うたびに激痛とまではいかないが右肩が痛む。 左手でできることはできる限り左手でするということを続けているうちに、あることに気が付いた。左手が器用になったのはもちろんなのだが、左手(左腕)の可動域が広がった気がするのだ。 右肩の背中側にも左手で湿布を貼ったりしているので、左手の柔軟性が増えたようなのだ。人間の体は使わないとだめになるというのがよく分かった。 そういえば、小学校1年生の時にお父さんは右手を骨折した。右手首に少し上を完全骨折したのだ。そのせいで使えるのは左手のみという生活を2か月ほど強いられた。若かったこともあり、当時は左手で文字もかけたし箸も使えた。右利きとか左利きというのは本来天性のものではないかもしれないとこの時の経験から今でも思っていることである。 骨折が治って、右手の生活に戻ったら左手はもとのように不器用になってしまったので、五十肩が治れば左手の可動域も元の状態に戻ってしまうだろう。意識して左手を使おうとは思わなくなるだろうと思うので仕方がないことだとはおもいつつ、せっかく柔らかくなった左肩から腕をまた不器用に戻すのはちょっともったいないと思う自分がいる。
2024.10.24
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ベトナムに出張に来ると気分がよくなることがある。それがベトナム人の笑顔である。お父さんの会社は日本の工場で80人ほどの規模である。そのため日本にいるときは全員の顔と名前が一致する。未婚か既婚か、子供がいるかいないか、どのあたりに住んでいるかまで知っている人も結構いる。それだけ近い関係ともいえるのだが、朝「おはよう」とあいさつしても笑顔で挨拶を返してくれる社員は少ない。 もちろん日本人であり仲間であるので挨拶は帰ってくる。だがそこに笑顔がある人は少ない。 ベトナム工場は海外工場なので人数も800人と非常に多い。とてもではないが名前も顔も一致しない。それでも「シンチャオ」とあいさつすると、笑顔で挨拶が返ってくる。日本人は数名しかいないので、相手はお父さんのことを知っているのだろうが、お父さんが知っているのはほんの一部である。 それでもほぼ全員が笑顔で挨拶を返してくれる。 この笑顔が作った笑顔ではなくて、ニコニコと非常に親近感を持たせる笑顔であるので、ベトナム工場で朝現場を歩いて社員とあいさつをするととても気分がよくなる。やはり笑顔は大事だと感じる。 お父さんは出張でベトナム以外の海外にも行くが、ベトナム人ほど笑顔で応対してくれる国はあまり記憶にない。微笑みの国タイなどというが、ベトナム人のほうがよほど笑顔にあふれているとお父さんは感じている。 陽気に接してくれる人はいるが、陽気と笑顔はまた違うものである。ベトナム工場ではお客さんが来た時も社員が笑顔で挨拶してくれるので、どの国のお客さんが来ても非常に評判が良い。 笑顔が万国共通で好まれる証拠だと思っている。少し子供っぽいかもしれないが、ベトナム工場の社員は遠くからお父さんを見つけただけで手を振ってくれる人もいる。お父さんも手を振り返すのだが、これがまた気持ちがいい。 日本人の大人に手を振っても、会社という空間のなかで振り返してくれる人はいないだろう。お父さんが手を振られても一瞬思考が止まってしまうと思う。 当たり前で笑顔で挨拶ができるベトナムとベトナム人がお父さんは大好きである。
2024.10.23
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先日うな重を食べた話を書いた。そう、食べたのはうな重でありうな丼ではない。鰻屋には通常うな重とうな丼があり、うな丼のほうがやや安いのがふつうである。またうな重には肝吸い以外にも1から2品茶碗蒸しなどが付きお膳に乗って出てくるものもある。うな丼はせいぜい肝吸いが付くぐらい、あとはおしんこがちょこっとというのが限界だろう。最近は肝吸いも有料になっている店も多く、うな丼とお新香というパターンも多い。 ただ基本的にはうな重とうな丼の違いは器の違いだけである。陶器のどんぶりであるうな丼に対して、漆器で出てくるうな重のほうが高級そうに見えるので、うな重のほうが値段が高いというのがお父さんが聞いた通説である。 どんぶりと重(じゅう)が混在している料理というのはウナギ以外にもある。かつ丼とかつ重、天丼と天重などである。不思議なことに親子丼はあっても親子重というのは見たことがないので、親子丼は重にするには安いイメージがあるのだろうか。 そう考えると重が存在するというのはそれなりに高級と客が認めている食材なのかもしれない。だからどんぶりに入っているそばやうどんなどがお重に入って出てくることもないのだろうか。 そばで思い出したが、もりそばとざるそばも区別が難しい食べ物である。通説では盛りそばとざるそばの違いは海苔があるかないかだという。もりそばには海苔がなく、ざるそばには海苔が乗っている。それだけで値段が50円から100円ほど異なる。 ちなみにお父さんが行ったことのある蕎麦屋はほとんどがざるそばと言いながらせいろにそばがのせてある。世の中にはこだわってせいろそばということもあるようだが、内容はざるそばと変わらない。ただせいろそばというと高級感がある気がするのはお父さんだけだろうか。 そういえば同じような食材であるうどんには、もりうどんというのが存在しない。ざるうどんはあるのにもりうどんがないのはなぜだろうか。うどんはもりうどんに格下げされたくないという強いうどん屋の思いがあるのかもしれない。まあうどんは基本的に温かい状態で食べることのほうが多いので、もりうどんがないのだろう。代わりに釜揚げうどんという温かく提供されるのに常温のつゆにつけて食べる方法が存在する。 詳しく調べていないので、上に書いたことはすべて想像の範疇であるが、詳しく調べてもおそらく諸説ありという結果になるのではないだろうか。
2024.10.22
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秋ナスは嫁に食わすなという言葉がある。秋ナスはとてもおいしいので嫁なんかに食べさせるのはもったいないという嫁いびりの言葉として知られているが、一説にはナスは体を冷やす効果があるので、嫁の体をいたわった言葉だという解釈もあるらしい。まあおそらく後者の説はこじつけだろうと思う。 さてお父さんはナスの料理が大好きである。焼きナス、揚げナスをショウガ醤油で食べると箸が止まらなくなる。それ以外にもナスの焼き浸し、ナスの煮びたしなども大好きである。少し高級な雰囲気で野菜を炊いた料理となって出てくるナスもたまらなくおいしい。 おいしいナス料理といえばナスの天ぷらも忘れてはならない。もちろんナスの糠漬けもおいしい。とにかく今のお父さんはナスが大好物である。 お父さんは東北の田舎町に住んでいるので、ナスの時期には産直などの売り場でナスをスーパーの半額以下で買える環境にいる。それでも毎年庭の小さな畑でナスを作っている。農業の技は持ち合わせていないので、我が家のナスは農家のナスに比べて皮が硬い。 そのためお母さんが料理して出してきたナス料理が我が家のナスか買ってきたものかすぐにわかる。農家の同僚に聞いたら、ハウス栽培のナスは皮が柔らかく、露地栽培では硬くなるとのことだった。それにしても我が家のナスの皮の硬さはちょっときつい。 先日次女にナスを食べるように言ったら、「ナスを食べようと考えた人は頭がおかしい」と言われてしまった。こんなにもおいしいのにと思いつつ、そういえばお父さんも子供のころはナスが嫌いで、こんなものを食べようとした人も、食べている大人も味覚がおかしいと思っていた。 ピーマンなどの青臭さのある野菜は子供に嫌われるのもしょうがないとも思うが、ナスはどちらかというと匂いは少ない。その代わり中身がふにゃふにゃだったり、ドロッとしていたりと子供には受けない触感であるし、味も不明瞭である。 お父さんが最初にナスをおいしいと思った料理は麻婆ナスなので、当時はナスの香りも味も感じていないのかもしれない。 いったいいつからナスをおいしいと思い始めたのかはっきりしないが、30歳を超えていたことは間違いない。ナスの天ぷらなどお父さんの大好きな天丼にのっていると、真っ先に食べて視界から消していた覚えがある。 ナスがおいしいと感じるようになるということは、味覚が変化したからだと思う。子供のころ好きでなかった、嫌いだった食材を食べだしたのは高校生ぐらいだったが、あの頃は腹が減っていてなんでも食べていただけで、味は二の次だった。 子供のころ嫌いだったものをおいしいと思うようになったのは30歳を過ぎたころだと思う。そのころ結婚が重なっているので、お母さんが作った料理をとにかくおいしいと言いながら笑顔で食べなくてはならなかったのも影響している気がするが、味覚も変わったのだろう。 ちなみにお母さんは子供のころから酢の物が大好きで、野菜も生でかじっていたし、ナスも普通においしいと思っていたというのでまるで参考にならない。子供が嫌いなものを苦手としていなかったお母さんに息子や次女の野菜嫌いや酢の物嫌いは理解できないようである。 お父さんは理解できるのだが、親として「全部食べなさい」と言わざるを得ないので、実に複雑な気分である。
2024.10.21
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先日52回目の誕生日を迎えた。先日50歳になったと思ったらもう2年もたってしまった。本当に人生とは早いものである。 お父さんは結婚1年少々で長女が生まれているので、お父さんになって約51年が過ぎている。この51年の中で子供立ち人から誕生日プレゼントをもらった経験はほとんどない。長女と次女は手紙や絵などを書いてくれたことがあるが、息子からは何かもらったことがあるかもしれないが、記憶にない。 今年の誕生日は次女から絵と手紙をもらった。自発的なものではなく、お父さんが無理やりリクエストして手にしたものである。それでも次女からもらった誕生日プレゼントは涙が出るほどうれしかった。 絵はベトナムの部屋に飾り、手紙はベトナムの宝物を入れてある引き出しに入れた。ちなみにこの引き出しには過去に子供たちからもらった手紙やお土産が詰まっている。 今回の絵は、大きめの色紙に書いてくれたので、ベトナムで額を買ってそれに入れてちゃんと飾ろうと思っている。今はそのまま壁に立てかけてあるが、仮の状態である。ベトナムは絵に合わせて額を作ってくれる店がいくつもあるので、実に便利である。 お父さんのベトナムの部屋は家族の思い出で飾られている。入学や卒業を記念して取った家族写真や子供たちからの修学旅行などのお土産、長女が来た時に選んでもらった絵などが壁を埋めている。 壁がそういうもので埋まっていくたびに、子供の成長を感じるとともに自分が置いていくのを感じる。ただこの時感じる老いは気分の悪いものではない。 これからも少しずつ飾るものが増えるといいなと思いつつ、ベトナムの部屋でこの文章を書いている。
2024.10.20
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久しぶりにベトナムの長期出張にやってきた。ベトナム来るといろいろと環境が変わるのだが、その一つが浴槽がなくなりシャワーだけの生活になるということだ。日本と異なりベトナムは1年のほとんどが温かいので風呂でゆっくり温まりたいという欲求が小さくなる。そのせいか浴槽がない生活でもあまり不便を感じることはない。 しかしながらたまに行くハノイのホテルの大浴場には1泊二日で2回から3回は入ってしまう。やはり日本人として、浴槽につかる気持ちよさは強烈なものがあるのだろうと思う。運よく誰もいない大浴場に入ると本当に気持ちがいい。ホテルの屋上に露天風呂として大浴場があるので、たまらなく気持ちがいいのだ。景色は何も見えないが、大浴場というのはいいものである。 ちなみにお父さんはベトナムから海外出張に行くときは入浴剤を持っていく。出張先のホテルのバスルームにお湯をはって入浴剤を入れ、ゆっくり入るのが好きである。出張に持っていくのを忘れたときは浴槽に湯をはらないので、入浴剤に操られているようでもある。 今は五十肩に苦しんでいるので、できれば湯につかって肩を温めたいのだが、ないものは仕方がないので、シャワーを肩に長めにあてて温めている。ただ浴槽につかっている時ほど肩が温まる感覚はない。やはり浴槽は偉大である。 ハノイへ泊って大浴場でゆっくり肩を温める日がくるのを待っているところである。 不思議なのだが、大浴場は部屋で浴槽に湯をはることを凌ぐのはもちろん、自宅のふろに入るよりも体が温まる気がする。我が家の風呂は温度を一定に保ってくれる機能がついているので、湯が冷めていることはないのだが、どうして大浴場は体が余計に温まる感覚があるのだろうか。気のせいなのか、科学的に違いが証明できるのかわからない。
2024.10.19
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先日長野に出張して、岡谷で名物のウナギを食べた。取引先の専務さんが連れて行ってくれたのだが、久々のうな重は本当においしかった。もちろん地元の人気店だそうで、かなり並ぶかもしれないといわれたが、雨が降っていたことも影響したのかすんなりと店に入ることができた。 ウナギには関東風と関西風があることを知っている人は多いと思うが、この店のウナギは関西風であった。 よく言われるのは、関東のウナギは切腹につながるから背中から裂いて、関西はお腹から裂くという違いである。 だがお父さんにとっての関東と関西のウナギの違いは一度蒸すか蒸さないかである。蒸したウナギはホクホクの身になって、ふっくらほっこりしたウナギを楽しめる。関西風は蒸さないで焼くので表面がパリッとした食感を楽しめる。お父さんにとってはうどんでも同じなのだが、関東風も関西風もどちらもおいしく楽しむことができる。 ただどちらかといえば、関東風のほっこりウナギのほうが好みではある。うどんはどちらかというと関西風が好きであるので、どちらかをひいきしているわけではないと自分では思っている。ちなみにたこ焼きの違いがお父さんにはわからない。たまに関西出身の人が、関東のたこ焼きはまずいというのを聞くことがあるが、たまたま食べた店がおいしくなかっただけなのではと思っている。 今回長野ということもあってか、白焼きではなく普通のうな重であるのにわさびがついてきた。これは関東も関西も関係ないと思うが、ウナギには山椒しかかけたことのないお父さんには新鮮なおいしさだった。 考えてみれば、名古屋のひつまぶしを食べるときはだしをかけてわさびも使う。ウナギにわさびが合うのは当たり前なのかもしれない。 東北には鰻屋というのが少なく、お父さんの住む街にはウナギ専門の鰻屋はない。今回の長野出張で、ベトナム行き前においしいウナギを食べることができたことは実に行幸であった。取引先の専務さんに感謝である。 ちなみにうな重の値段は「うっ!」と息が止まるほど高かった。自分一人ならともかく家族で食べに来たら焼肉屋よりも費用がかかる値段である。ウナギって本当に高価になったと感じた食事であった。
2024.10.18
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先日お母さんと次女と一緒に家具屋に行った。お父さんが自宅でパソコン仕事をするときに使うクッションを見に行ったのだが、久しぶりにソファーなどの家具のフロアを回った。新しいソファーに座ると、現在自宅にあるソファーのクッションがかなりへ立っていることが分かった。 そこで店員に、依然買ったソファーのクッションだけを新規購入できないか確認したところ、3人掛けはまだ在庫があり購入できることが分かった。2人掛けは生産販売が終了していて、クッションの在庫もないということで、とりあえず3人掛けのクッションを注文した。 家に帰って2人掛けのソファークッションがないかとネットでいろいろ探したが、同じものを見つけることはできなかった。そこで代替品になりそうなものを探しているうちに1つだけ、使えそうなクッションを見つけることができた。 我が家のソファーは木枠にクッションを乗せているだけなので、サイズが合えば簡単に交換が可能だ。だが見つけたクッションは10センチ弱ほど現在のクッションより横幅が大きかった。現物があれば、木枠に入るか確かめられるのだが、ネットではそれができない。ただお父さんの感覚では10センチぐらいはクッションの弾力で吸収できるだろうと判断して購入した。 先日クッションが届いたのだが、お父さんは五十肩のためお母さんと次女に段ボールから出してもらいセッティングしてもらった。横で見ていたのだが、やはり10センチのオーバー分があるためすんなりとは入らなかった。 そしてお母さんも次女も、「無理」と言ってお父さんの買い物は失敗だったと結論付けられてしまった。 結局お父さんの指示で入れ方を工夫する形で次女に手伝ってもらい、すんなりと新しいクッションはソファーの木枠に収まった。ほんの1分ほどの作業であった。お母さんと次女は10分ぐらい格闘していたが、無理やり入れようと何度も力技を繰り返しているだけだった。見ていてがっかりした。 今回のクッションは納期が不明確だったので、お父さんがベトナムに行ってしまってから到着する可能性もあった。たまたま予想より早く出荷されたので間に合ったが、お父さんがいなかったら、「合わない」という判断のまま捨てられてしまったかもしれない。本当に危ないところであった。 ちなみに新しいクッションは弾力があり、今までより硬めで実に座り心地が良い。家族も喜んで座っている。犬も気に入っているようでそちらのソファーにいることが多い。想定より早く出荷してくれたお店に感謝である。
2024.10.17
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お父さんは会社での役職を別にして、職業を書く時には「エンジニア」と書くことが多い。海外へ行くときの入国カードなどには英語で「Engineer」と記載する。日本で職業を記入するときは「会社員」と書くのだが、お父さんは自分がエンジニアであることに誇りを持っている。 ちなみにエンジニアというのを技術者という意味で使っているのだが、エンジニアには様々な種類が存在する。ITエンジニア、ネットワークエンジニアなどIT系のエンジニアはよく聞く名前だろうと思うが、お父さんは分類でいうとメカニカルエンジニアである。 製造工場には多くのエンジニアがいるが、お父さんにとってエンジニアとはデータを持ちに、数値で物事を検証し解決する人たちのことである。カンコツで加工をする技術職人とは言葉を使い分けている。 職人は数値や言語で表すのが苦手であるが、もの作りは一流で機械制御とか子運ピューター制御を凌駕するモノづくりができる人たちだと勝手に定義している。 お父さんの会社もそうであるが、製造業にはエンジニアと職人が混在しており、しばしばエンジニアと職人は衝突することがある。データを基にして技術を一般化しようとするエンジニアに対して、職人は感覚と経験ですべて判断するので新しい技術に挑戦するときにはなかなか話が合わない。 実際に試作をすると職人のほうが良いものを作ってしまうのも問題である。エンジニアは試作で収集したデータをもとにテストを繰り返すので、職人はそれをムダと感じてしまう。どちらが正しいというよりそれがエンジニアと職人の性格の違いである。 そして製造工場にはどちらもいないと成り立たない。職人だけでは時代の変化についていけないし、エンジニアだけでは数値にも言葉にもできない微妙な問題を解決できない。 お父さんはエンジニアであるので、数値で物事を考える。データのない感覚的な対応をすることはない、というよりできない。手に技を持っていないのだ。だから必死で数値化を試みる。何度も言うが、エンジニアとはそういうものだと思っている。 そのためエンジニア同士ではもめごとは起きないと思っていたのだが、実際はエンジニア同士でも意見の相違が出る。 見ているデータが同じでも、経験や目線の違いなどで取るべき対策に違いが出るのだ。エンジニア同士の対立は、どちらも根拠が数値化および言語化できているために解消が難しい。 よく山登りに例えて「山頂に到達する道は無限にある」といわれることがあるが、まさにエンジニアの意見の相違はこれである。どの方策をとったとしてもメリットもデメリットもあるので、最善の策がこれであるとは決めがたい。実際に会社では地位や権力が上の人の意見で進むことになる。 そして我慢していたエンジニアは、その人が退職したり部署移動したとたんに自分の方式に一気に方向を変えることがある。目指す山頂は同じなので、方策が変わっても成果は出るのだが、これがいいことかどうかはお父さんにもわからない。 それでもお父さんも「あの人がいなくなったら、こうしてしまおう」と思っていることはたくさんある。エンジニアの性(さが)とでもいうべきであろうか。 大手の取引先はこの技術の方向転換が露骨に発生することがある。特に海外工場で顕著なのだが、前任者のやり方を一気に変えてしまうのをしばしば見かける。前任者から技術指導を受けていたりすると、お父さんの会社にもとばっちりが来る。それまでやっていた方策を「だめ」と言われてしまうからだ。 エンジニアは職人と対立するが、職人は結果が出れば認めてくれることが多い。だがエンジニア同士は思想の違いや宗教の違いのように、対立してしまうとお互いを認めることはなかなかない。自分も含めてエンジニアとは面倒くさい職業だと思うことがある。
2024.10.16
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食材を扱ったテレビを見ていて、「残りはスタッフがおいしくいただきました」というテロップが出ることがある。もう30年近く前からテレビでしばしば出る言葉である。最近生まれた人は知らないのだろうが、昭和のテレビは結構食材というか食べ物を使って遊んでいた。そのころを知らない若者が見たら顔をしかめるかもしれないとは思うが、見ているのは楽しかったし、食材がもったいないとか不道徳だという人はいてもあまり気にしなかった。 悪いことではないかもしれないが、今は視聴者が虎視眈々と批判できる内容を探しているので、少しでもすきを見せたら謝罪どころか番組がなくなってしまう時代である。お父さんの偏見かもしれないが、ネタを見つける人、それを拡散して騒ぐ人、騒ぎを聞きつけて具体的な行動(抗議電話や告訴など)に出る人などそれぞれ役割を分担しているように様々な人によって問題化してしまう。 今は番組が批判されるまで行っていないが、大食いや激辛に挑戦する番組なども、いつかやり玉にあげあられるかもしれない。本当に怖い時代と言いたいが、お父さんは怖いというよりつまらない時代になっているなと思う。 おもしろいかより、批判をされないかを気にすることから始まる企画会議に参加したいとは全く思わない。 今はまだアニメでも実写でもヒーローが暴力で解決するものが許されているが、そのうちプリキュアも仮面ライダーも話し合いやゲームで解決するような番組になるかもしれない。世界的にヒットしたポケットモンスターは戦いはあっても相手は普通に生きていた。要は戦いではなく試合だったから世界が受け入れたのかもしれない。 数十年後にはアンパンマンも暴力的描写が含まれる番組に分類されていることだろうと思う。 テレビという不特定多数に電波を垂れ流しているテレビ局は、早晩消滅していくしかない時代なのかもしれない。今はオンデマンドで自分が見たいものを探して見る時代になっている。批判の対象も徐々にそういう方向へ移っていくのかもしれないが、批判ばかりしている人というのは何が楽しいのか、ストレス解消なのかつまらない人生を送っていると思ってしまう。
2024.10.15
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先日息子の予備校の3者面談に行ってきた。成績というか学力が上がらずにいるため、本人も今はあまり勉強に対する熱意がない。6月末までに終了させる予定の講義をまだ3分の1も残している状態である。息子にとっては予備校とはいえ、親と先生が自分の成績や受講状況を話す3者面談はかなりの苦痛だったと思う。頑張った部分も、結果を出した部分もないのでいい話になるわけがないと思っていたのだろう。実際にその通りなのだが、予備校についたとき息子は有罪判決前の被告人のように緊張して座っていた。 面談がはじまり、先生がこれまでの来校実績や受講実績などの話をするのだが、成績についての話は出なかった。言うまでもなくダメですというのが言外に伝わってきた。受講計画すら守れていないのだから論外だという話になっていった。 しかしながら、息子に対してきつい態度や話は一切なく、親に対して事実を淡々と話す以外、先生は一切否定的な話をしなかった。 生徒の否定的な話をする気がないというより、否定的な話ができないのだとすぐに気が付いた。お父さんもそうであるが、部下を持っていたり生徒を指導するなどの立場にいる人たちで、パワハラなどの講習を受けたことのない人は今の世の中にほとんどいない。 指導とパワハラは本来異なるものであるが、境界線はあいまいであり、相手がパワハラだと思ったらどんな理由でもパワハラだと習うので、これならパワハラではないという言動は一切存在しない。 結果として、今回の場合生徒である息子は先生から一切厳しい指導も厳しい現状の説明も受けていなかった。受講が遅れているからもっとペースを上げなさいという指導もしないとのことだった。せいぜい計画通りに進めようねとか、順調かなとか質問をする程度であるようだ。ほめるときは全力でほめ、ダメなところは指摘しない(できない)という状態に置かれている現代の若い世代は、言外の意味を理解できないと「自分は評価されている」と勘違いしてしまうだろう。 お父さんは息子にはきつい言葉を吐くが、会社では予備校の先生と同じ状態になる。その結果、仕事ができないと内部で評価されている社員が、自分はものすごく評価されていると勘違いする。 息子も同じような勘違いをしているのは明白だった。先生が「今日は受講しないのか?」と聞いてきたとき、本音は「遅れているのだから今日は受講しなさい」と言っているのだが、息子はまるで理解せず「今日は学校の勉強をします」と答えるらしい。先生は「そうか、がんばろうな」と言っていなくなるのだが、内心では「だめだこりゃ」と思っている。 パワハラという世の中の新たなルールによって、今の人たちは「間違いを指摘されたり指導を受ける」という機会を完全に失ってしまっている。失敗や間違いのレベルがどのレベルだろうと、「これから気を付けてね」という優しい指摘しか受けることができない。パワハラという言葉が一般化するまでは、レベルに応じてきつい言葉できちんと自分のやらかしたことのレベルを知ることができたのだが、今では不可能になってしまった。 国語力、状況判断力、推測力など様々な能力がないと、自分が置かれた状況、何が間違で何が正解か、自分は何をするように言われているのかなど、わからないまま人生を過ごしていくことになる。 今のままではダメだと言われないのに、昇給も昇格もない状態が続くことになる。息子の場合は、がんばれと言われて「まだ自分は大丈夫」と思っているうちに、落ちこぼれていき大学受験で志望校どころか滑り止めと思っている大学すら合格することはできないだろうと思う。 こういう人が次に思うのは、「運が悪かった」とか「何かの間違いが起きている」ということになる。否定されていないので、自分がダメだという発想にならない。 本当にいじめているようなパワハラは絶対に失くしていくべきだと思うが、厳しい指導や叱責をすればパワハラだとかブラックだとか言われる状況を打破しない限り、今の現役世代は時代の犠牲者になっていくのだとお父さんは思っている。 息子にお父さんが現実をきつめに話しても、学校でも予備校でも息子にきつく話してくれる人はいない。思春期の男が一番嫌いなのが父親である。父親の言うことなど身に覚えがあっても従わないのは、お父さん自身がそうだったからよくわかる。ちなみに母親は高校生にもなるとなめきっているので、母親の言うことも聞かない。 息子が時代の犠牲者にならないことを祈っているが、よほどの精神力やその他の能力がない限り無理なのではないかと3者面談をしながら考えていた。
2024.10.14
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お父さんは昔から様々な発表というものを聞いてきた。大学生になってからは自分でも研究内容の発表などをしていたので、発表の資料、特にスライドに投影する資料についてはいくつかの原則を作って、それを守る形で資料作成をしている。 そのほとんどが大学時代に研究室の教授に言われた内容なのだが、いまだにその教授の指導は間違っていないと思っている。 発表資料を作るときに、慣れていない人がやってしまう失敗の典型がある。それが、ひたすらに文章を知れてしまうことだ。実際の発表の時にはスライドに書いてある資料を呼んでいるだけというものがある。 聞いている人は、この人はスライドを読んでいるだけだとすぐに気がつくので、開始3分もすると、話を聞かずにスライドを読むだけになる。せっかく発表者が発表をしていても、読書と同じことをする状況となってしまう。 お父さんの指導をした教授は、資料に文章を載せてはいけない、誰も発表を聞かなくなるからと厳しく指導をしてくれた。スライドにはせいぜい5行ほどの短い箇条書きぐらいが適当で、あとは図やグラフで説明しなさいと言われた。実際に自分が何度も発表を聞いていて、上手な人の資料に長い文章が書いてあることはまずない。 次に、頭が良いと自分が思っている人がやってしまうことなのだが、難しい言葉をたくさん乗せて、「私はこういう言葉を知っています」と誇示するパターンだ。業界内の発表で、使われている言葉がその業界では当たり前の言葉であればかまわないのだが、一般の人が専門外の人が聞く発表には適さない。 最近多いのは、アルファベットを使った略称を使うパターンだ。この人もかと笑ってしまうぐらい多く存在する。スライドはスペースが限られているので略称は便利ではあるが、聞いている人が知らない場合は全く意味がない。発表者の自己満足で終わる。少なくとも略称を使うときは、最初に出したときに説明を入れるべきである。 次に発表慣れしていない人がスライドの作成ソフト、主にパワーポイントというソフトを使うときにやりがちな資料作成がある。パワーポイントには、順番に言葉を出していく機能や、矢印が動くなどのアニメーション機能などがついている。 発表慣れしていない人がこういうスライドを使った発表を見ると、なんだかかっこいいと感じてしまう。自分も使ってみたいと思うのだ。実際にこの機能を使うととても見づらい発表になることが多いうえに、パソコンのスペックによっては重くてうまく動かないことがよくある。 重いというのはデータ量(何メガとかのファイルの容量)が大きいということだが、写真などもデータの軽量化をせずに1枚10メガバイトなどの大きいものを何枚も貼っていると大変なことになる。パソコンがフリーズして発表が止まってしまうのだ。自分のパソコンで動作確認していても、発表会場のパソコンのスペックが自分のパソコンよりも低いことは多々あるので意味がない。 最後に技術系の発表でよくあることだが、すべての項目をグラフ化して近くで見ていてもどの線が、どの棒が何を表しているのか全く分からないグラフをいくつも載せているパターンがある。表なども昔の時刻表かと思うほど数字が山ほど入っていて、一瞬で理解することができないものがよくある。 グラフや表などはとにかく簡易的に作り、誰が見ても一瞬で理解できるようにしなくてはならない。 発表がうまくいったか行かないかの目安として、質問が来るかどうかというものがある。発表後に質問が来るというのは、慣れていない人には「発表内容が理解できなかったため」と思う人がいるのだが、全く逆である。 質問が多いということは、発表内容がかなり理解できて興味を引いている証拠なのだ。だからもっと知りたくて質問が来る。 逆に理解できない内容を聞いた後に、質問はできない。意味が分からなかったのでもう一回説明してくださいというぐらいの質問しかでてこない。もしくは見にくかったグラフをもう一度見せてほしいとかいう質問、というよりお願いがくる。 せっかく発表をするのだから、より多くの人に理解してもらうためには、いかにわかりやすく作るかに気を使わなくてはならない。自分は内容を理解して、自分で資料を作っているので、わかりにくいと判断することはできない。 お父さんは社外などで発表する場合は、社内の別の人に発表を見てもらって分かりにくいところがないかをチェックしてもらう。場合によっては門外漢のお母さんを使うこともある。 聞き手が理解できない発表ほど無駄なものはない。どんなに素晴らしい内容が含まれていたとしても、聞き手が理解できないならそれはただの自己満足でしかない。お父さんも社内発表資料を部下が作るときは、チェックをしているがプライドが高くこだわりが強い人は、まるで言うことを聞かない。結果として発表中に居眠りをされるぐらいつまらない発表になることがよくある。 相手にどれだけわかりやすく伝えるかが、発表資料の肝である。
2024.10.13
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五十肩がいまだに治らなくて苦労している。最初の発症から半年、ひどくなってから2か月が過ぎている。右手右腕がまともに使えず、痛みも強いという今の状況は実に不便で不都合である。 整形外科の治療が効果がなかったので、今は鍼治療をしているが、鍼治療というのは実に不思議なものである。お父さんは専門家ではないので詳しいことはわからないが、体にある「ツボ」というのを針で刺激して、患部を治していく。 薬を使わないので、基本的には人間の自然治癒力を増大させる治療といってもいいだろう。 お父さんはこのツボを使った治療、いわゆる東洋医学になるのだが、東洋医学が結構体に合っている。漢方薬というのはあまり飲んだことがないのだが、ツボ治療は効くと思っている。 初めて鍼治療をしたときに、ぎっくり腰で立つこともできなかったのに、痛みもなくなって、治療院を腰を伸ばして出ていくことができた時から鍼治療にはまってしまった。 また取引先の社長に勧められていった接骨院は、整形外科で半月板損傷をMRIを使って確認され、一生治らないと宣言されたにも関わらず、1回の治療でひざの痛みがなくなってしまった。もう10年以上前の話であるが、それ以来その接骨院には定期的に通っている。埼玉県にあるので、出張などの機会がほとんどであるが、今回の五十肩ではその接骨院に行くために新幹線で日帰りした。息をするのもつらいような痛みが一気に取れたので、やはりすごいと感じた。 西洋医学は実に合理的であるので、たいていの場合は病院へ行って薬を飲めば治るものが多い。風邪や内臓などの病気、骨折などは西洋医学のほうが優れていると思う。しかしながら関節痛や神経痛などの痛みは、西洋医学では湿布、痛み止め、炎症止めの薬が出るだけで、根本的な治療というものを行うことができない。 東洋医学はこういう分野を補うことができる優れた医学だとお父さんは考えているが、人によってはデメリットがある。 西洋医学でプラシーボ効果と呼ぶものであるが、信じていない人と信じている人で効果がまるで異なるのだ。信じている人に効果があっても信じていない人には効果がないということが当たり前にある。お父さんが今治療で言っている鍼灸院の先生は、信じていると+40%、信じていないと-40%効果が変わると言っている。その差は単純に80%もある。 この数字は西洋医学の薬の効果でも同じだというが、西洋医学で処方された薬を信じない人は少ない。それに対して東洋医学は胡散臭いと思っている人が多いので、効果の違いはかなり出ると、鍼灸院の先生は言っていた。 お父さんが神のごとく信頼している埼玉の接骨院も、お母さんにはほとんど効果がなかった。なので東洋医学を信じていない人は、鍼灸院などにはいかないほうがいいとお父さんは思っている。 最後に余談であるが、腰の痛みを鍼で治そうというときに、上手な鍼士は足首から首まで全身に鍼を打つことが多い。患部の腰だけに鍼を打つ人のほうが多いのだが、全身に打つ人のほうが効果は高いと思っているし、鍼士としての力量も上だとお父さんは思っている。鍼灸にもいろいろな流派があるようなのでよくわからないが、全身のツボを使って治療されると本当によく効くというのはお父さんの長年の体験からくる経験談である。
2024.10.12
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立憲民主党の党首選挙が野田氏の勝利で終わり、自民党の総裁選挙は石破氏の勝利で幕を閉じた。どちらも新党首が頑張っていかなくてはならないが、お父さんは野党の発言に非常に違和感を感じている。 今回の自民党の総裁選は、実質総理大臣を決める選挙であったが、候補者が多く出た割には、誰が当選しても不安になるメンバーだった。当選したのだから、石破総理にはきちんと頑張ってほしいが不安はぬぐえない。実績で実力を示してみたものである。 お父さんだけでなく同じように感じている人は世の中に多いと思う。つまり安倍政権時代の自民党よりも、今の石破政権の自民党は選挙に弱いだろうと思っている。これは野党にとってはチャンス到来といえるのではないだろうか。 お父さんは政治は素人なので実際のところはわからないが、政権を本気で取りに行きますと言っていた野田党首は、石破総理の所信表明からずっと自民党批判しかしていない。政策がないのだ。ないのか国民に伝わっていないのかわからないが、テレビで発言を見ていると、石破批判ばかりである。 どうしてこのチャンスに自党の政策を必死で説明する政治活動をおろそかにするのかよくわからない。自民党や石破総理をけなすことで自民党の人気は下がるかもしれない。でもその流れた支持者を自党の支持者にすることはできないだろう。 近く衆議院の解散と選挙を実施するという石破氏に、自民党有利の選挙をしていると批判しているが、与党が選挙で有利なのは今に始まったことではない。野党は今こそ必死で政策を国民に伝えて、きたる選挙を受け入れるべきだとお父さんは思っている。
2024.10.11
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お父さんが百円ショップに行くと、必ず立ち寄るコーナーがある。それは老眼鏡の売り場である。50歳前から老眼鏡なしでは文字を全く読むことができなくなってしまった。テレビなどはある程度距離があるので、問題なく裸眼で見ていられるのだが、本や漫画など手元にあるものは老眼鏡なしで読むことは全くできない。 たまにお母さんや子供からプリントなどをいきなり手元に持ってこられるのだが、全く読むことができないので、老眼鏡が必要になる。 きちんと眼科で検査をして、メガネ屋で購入した高い眼鏡が2本あるのだが、ほとんど使っていない。会社でお客さんが来た時や、出張で客先に行った時ぐらいにしかきちんとした老眼鏡をかけることはない。ある意味スーツとセットでしか使わない状態である。 それ以外の場所ではすべて百円ショップの老眼鏡を使っている。 お父さんは仕事でも家でもあちこちで目を使う仕事をしているので、手元にないとものすごく困る。普段からちゃんとした老眼鏡を持ち歩けばよいのだが、はずしたところに忘れてきたり、ちょっとわきに置いて落としたりするので、高い老眼鏡はあまり使う気がしないのだ。 その点百円ショップの老眼鏡は、失くしても落としても壊しても「まあいいか」で済ませることができる。また100個買ったとしても1万円である。高い老眼鏡1個分にもならない。実に精神的にやさしい優れものである。 今は作業着のポケットに常に2個の老眼鏡を入れている。机の上にも2個、家のリビングにも2個、寝室の枕元にも2個置いてある。どこに行っても最低2個の老眼鏡が置いてある。そして1つどこかになくなると、もう1本補充するという状態である。そうそう通勤に使っているカバンにも、使用で使う袋にも2個ずつ入っている。 お母さんからも子供たちからも「買いすぎ」と批判を受けているが、老眼鏡がないと何も読めないので、やめるつもりはない。百円ショップに老眼鏡があって本当に良かったと思っている。
2024.10.10
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お父さんは今の家を建てる時、3人の子供にそれぞれ一つずつ部屋を作った。お父さんが生まれ育った家も子供一人につき一部屋与えられていたこともあるが、プライベート空間というのは子供にとっても必要だと思ったからだ。 お父さんは子供のころ、自分の部屋は与えられていて、それについてはとても恵まれていたと思っているが、一つだけとても不便な部屋であった。それはただの四角い部屋で押し入れやクロークなどの収納が一つもなかったということだ。兄や妹の部屋には押し入れやクロークが複数あったので、部屋を広く使えていたが、お父さんの部屋はタンスや棚などがないとモノや服を収納できず、部屋の広さのわりに使える床面積はかなり小さかった。 そのためお父さんは、各子供部屋にきちんと押し入れとクローク、本棚を作った。ベッドや机以外は部屋に友達を呼んでも十分なスペースがあるように設計したのだ。お父さんが憧れた子供部屋を作ったつもりだ。 ところが世の中というのはうまくいかないもので、クロークも本棚もその目的通りに使われることはなかった。 中でもひどいのが息子である。それなりにしつけはしたつもりだが、成長とともに片付けも掃除もしなくなってしまった。今はごみ屋敷状態である。 一番ひどいのが服である。洗濯はお母さんがやってくれるので、汚れた服が部屋に散乱しているわけではないのだが、お母さんが選択した服が床に山積みになっている。足の踏み場もない状態である。 息子のクロークには、普段ほとんど気ない服が少し入ってるだけで、息子は床に山積みになった服から着るものを拾い上げて着替えている。何度言っても治ることはないまま高校2年生になってしまった。 息子にとって床はタンスである。友達を呼んでも十分な広さのスペースが服置き場になってしまっている。 お父さんも整理整頓がしっかりできているとは言えないのだが、息子の部屋を見ると気分が悪くなるほどに服が散乱している。本棚も使うことなく机の上に本や漫画が山積みになっている。 息子はあと1年半で家を出る年齢になる。早く家を出て、自分一人で生活してほしいと心から思う。もちろん息子に自分ですべてやる生活を体験させ、きちんと掃除や整理ができる人間になってもらいたいのがあるのだが、一方で息子の部屋を早くさっぱりと片付けてしまいたいという気持ちも大きい。
2024.10.09
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お父さんは最近出張が多い。ベトナム行きが迫っているため今まで延び延びになっていた出張を一気に片付けようとしているというのもあるが、急遽決まった出張もいくつもある。出張自体は嫌いではないのだが、通常の仕事よりも疲れるのは事実である。 さて出張から戻って出社すると必ずやらなくてはいけないことがある。それが「出張費の清算」である。出張で何にいくら使ったかをリスト化し、領収書を添付して経理に出さないと出張費がもらえない。仮払いを受けて、精算時にお釣りを返金というのもできるのだが、お父さんは基本的に交通費も宿泊費もカードで支払っているので、早めに清算をしないと口座からお金が無くなってしまう。 そんなわけで出張から戻ると翌朝すぐに出張費の清算をするのだが、これが意外に面倒くさい。日帰り出張でもネットで購入したきっぶの領収書を印刷したり、レシートや領収書を整理しなくてはならない。これが宿泊出張になると日付ごとに整理して順番にリストに記入し、領収書を順番に並べて経理が見やすいようにして提出する。 作業は単純なのだが結構時間がかかるので、出張後の出社日は朝から面倒くさい。ただでさえ出張でできなかった仕事があるというのに、出張費の清算で時間がかかるため、どうしても出張翌日は帰りが遅くなりがちである。 ちなみにお父さんや同僚たちは皆基本的には出張翌日、遅くとも翌々日には出張費の清算を行うのだが、半年以上生産を行わない人が会社に一人いる。それが社長である。お金のある人はいいなと思うが、社長は忙しいと言って出張費の清算を怠ることが多い。箱に入れて後で清算するといったまま放置している。 経理担当も社長にはなかなか催促ができないので放置である。まあ社長なので仕方がないともいえる。 そして出張から何日も何か月も過ぎてから一気に社長は清算の作業を始める。一番目立つのが決算月である。さすがに期をまたいでの清算はできないので、社長も重い腰を上げる。数か月前のレシートなど、何に使ったのかわからないものがたくさんあるらしく、仕方なく自腹を切る羽目になっている。 毎年3月に社長がぼやいているのを聞くのは恒例なのだが、社員で同情する人はいない。社長以外の全員がすぐに清算作業をしているからだが、一方で社長は清算などしなくてもお金があるから問題ないという思いがあるからだ。 出張費の清算をしないことで社長は自分の懐を痛めるだけでなく、社員からの嫉妬も買う羽目になっているのだが、本人は副次効果については気が付いていないので、二重のムダをいつまでも続けるのだと思う。
2024.10.08
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当たり前の事ではあるが、昨日から今日は連続している。時間の流れは常に連続しており過去から現在、未来へとつながっていく。タイムスリップでもしない限りは、今日の次は明日であり、明日の次は明後日である。 そして、この時間の連続性と同様に因果関係というのも連続性があるとお父さんは思っている。別に難しい話ではない。例えば毎日きちんと勉強をしていれば、テストで良い点が取れるというような話である。 毎日筋トレを続けていて、今日の肉体が出来上がっているというのも同じである。 言われてみれば、そんなこと当たり前だと思うのだが、人間というのはどうしてもこの連続性を元に行動をするよりも、ある日突然何かができるようになったり、何かが良い方に好転することを願ってしまう生き物だと思う。少なくともお父さんはそういう考え方が強い。 しかしながら、どんなに都合の良い状態を願ったところで、過去にやったことの結果しか現在の自分の状態を作ることはできない。 お父さんもお母さんも、たまに「宝くじで高額当選したい」という願いを口にすることがある。ここでお父さんとお母さんには決定的な違いがある。お父さんは宝くじを購入しているのに対して、お母さんは一切宝くじを購入しない。どうせ当たらないからというのが理由であるのだが、宝くじを購入もしくは入手していない人が、当選したという例は宝くじ史上存在しない。宝くじを購入したという行動があって、初めて宝くじに高額当選するという結果を得る資格というか前提条件が出来上がるのである。 今我が家には2人の子供が受験を控えている。一人は高校受験、一人は大学受験である。どちらの子供達もまるで勉強をしていないので、特に大学受験の方はほぼ失敗が確定している。高校受験の方は、学力レベルに合わせて志望校を決めているので、うまくいけば志望校に合格は出来るのではないだろうか。それでもこれまでやってきた勉強によって今の学力レベルなので、もっとしっかりやっていれば違う選択肢もあったと思うし、塾にもいかずに何も勉強しなければ、現在の志望校を目指すこともできなかったかもしれない。 大学受験の息子は「本気を出して勉強すれば、学力は飛躍的に向上する」という願望を持っている。しかし「本気」というモノは、彼が大学受験をするまで一度もやってこないことをお父さんは知っている。今出せない「本気」は、この先も出せないのだから。過去に「本気」を出したくても出せなかったやむを得ない理由がない限りは、彼は彼の思う本気を出す状態には絶対になることができない。お父さんがそうだったのだから、自信を持って言える。 会社の仕事も同じであるが、ある望ましい状態になりたいと思うのなら、必ず「行動」をする必要がある。別に「本気」「全力」という状態で行動する必要はないのだが、きっかけというか、原因を作っておかなければ結果は絶対にやってこない。嫌いな上司が定年になるとか、嫌な同僚が転勤になるということはあるかもしれないが、次の上司や同僚が自分の望ましい人である保証は一つもない。だからこそ、今の状態でできることはやっておくべきである。 人間50歳を越えると、人生であれをやっておけばよかったとか、こうしておけばよかったという後悔は山の様にあるものである。お父さんだけではないと思うが、「あの時やらなければよかった」という後悔は、交通違反ぐらいで、ほとんどの後悔は「やっておけばよかった」というものである。 だからお父さんは子供にも部下にも「やるかやらないかで迷ったときはやる方を選ぶべきだ」と話している。やった後悔の方が、やらなかった後悔よりも絶対に少ないからだ。逆に「やっておいてよかった」という思いも50歳を越えると結構あるものである。 突然異世界に転生してチート能力でも授からない限り、今日は過去の積み重ねの結果であり、未来は過去から現在の積み重ねの結果である。こんな当たり前の事でも、意識していないと時間を無駄に過ごしてしまうのが人間というものである。 お父さんの人生はとっくに折り返し地点を過ぎている。未来のためにも今できることを思いついたら即実行していきたいと思っている。
2024.10.07
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次女は今、実に不安定な状況にある。高校受験を数か月後に控えており、学校の雰囲気もかなりピリピリしているようだ。次女本人も勉強はしないのだが、高校受験に関する漠然とした不安を抱えている。 実際に次女は、学校へ行くのが嫌になっているし、登校しても保健室登校というモノをしている日が多いと聞いている。お父さんの学生時代にはなかった制度だが、今は一定割合の子供が保健室に登校して自習して1日を過ごしているらしい。 次女はお父さんから見ても、驚くほど勉強が嫌いである。勉強ができないというよりも、勉強という行為に拒否反応を持っている。宿題をしなさいとお母さんに言われただけで、パニック的な反応を示すので、もう勉強はあきらめるしかないというのがお父さんの見解である。 ただし、勉強をあきらめていいよというだけでは親として問題である。ならばどうやって生きていくかを次女と一緒に考えていかなくてはならない。 次女が志望している高校に合格すると、次女は家を出て寮か下宿をしなくてはならない。順調にいけば、次女と同じ家で生活する時間はあと半年しか残っていない。圧倒的に時間が足りない状態である。 高校生になれば、一緒に住んでいたとしても親と一緒に過ごす時間はそれほど多くないだろう。長女もそうだったし、長男も今はそういう状況にある。しかしながら、何かあったら親がいるという状況は、精神的にかなり安心できるはずである。 親から見ても、身近に子供を見ていられるというのはやはり精神的には安心である。 お父さんは次女との親子の信頼関係は、かなりしっかり築けていると考えているが、次女に教えておきたいことというのは、まだまだたくさんある。また次女と一緒に過ごす時間もまだまだ足りていない。次女は子供達の中で一番お父さんの趣味や遊びに付き合ってくれている。ようはお父さんが子離れ(次女離れ)する心の準備が整っていないのである。 親は無くとも子は育つと昔からいう様に、お父さんが思っているほど次女にとってお父さんの需要度は高くないのかもしれないが、お父さんにとっては末の娘で一番最後に家を出ると思っていた子供である。残り少ない次女との時間を有意義に過ごしたいと心から思っている。
2024.10.06
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遅ればせながらであるが、今年の春というか6月ぐらいだろうか、世の中にeSIMアプリというものがあるということを知った。スマホのSIMの事であるが、これまでお父さんは、海外出張に行くとその国のSIMカードを空港などで購入して、持っていく出張用のスマホにセットして使っていた。 そのスマホとデーター通信(デザリング)をして、普段使っているスマホとつなげて使うという意外と面倒なことをしていたのだが、それしか方法がないと思っていた。お父さんが使っているiPhone以外にはシムカードが2枚入る機種もあるのだが、お父さんはすでにAPPLEにすべてを握られているので、今さらどうにもならない。 物理的なSIMカードではなく、eSIMというのがあるのは知っていたが、それが使えるアプリがあることは知らなかった。6月に取引先の部長さんに教えてもらい、次に海外出張するときには利用してみようと考えていた。 そして今回の台湾旅行が記念すべきeSIMデビューの出張になった。すでに同僚が前回入りピンに出張したときにeSIMを使っていて、その時普通に使えたという情報をもらったので、trifa(トリファ)というeSIM炙りを登録して利用することにした。 日本でインストールして、台湾で使う設定までは特にもないなく終えることができた。あとは台湾に入国した後に、現地の通信とつなげれば簡単に使えるはずだった。 ところが台湾について入国審査を終えた後に、eSIMの設定を行ったのだが、うまくつなげることができなかった。 台北駅への移動中も、台北駅に着いてからも、何度も通信を開始させる手続きを行ったがまるでダメだった。スマホの地図アプリが使えないと、ホテルへきちんとたどり着けない。スマホが使えることを前提にしていたので、駅からホテルまでの地図を持っていなかったのだ。 仕方がないので、日本で使っているiPADで、フリーのWi-Fiに接続し、頭に地図を入れてホテルまで歩き出した。幸いなこととにそれほど複雑な道のりではなかったので、現地の駅構内の地図と記憶したホテルの位置を暗記して何とかホテルにたどり着いた。 ホテルについてさらにWi-Fi環境下で接続を試みたのだがそれでもダメだった。 仕方なく夕食に行っている同僚がホテルに到着後に、再度トライしてみた。この同僚は前回フィリピンでトリファを使った同僚であったが、今回はAiraro(エアロ)を使っていた。どちらが良いか比べるためとのことで、エアロは問題なくつながったそうである。 結局、それまでうまく認識しなかった台湾特有のパスポート画像登録が、突然動くようになり接続に成功した。しかしながら同僚のエアロはそんな作業は無かったという。初めて使う機能やアプリはうまくいかないことがあるが、それが切実な状況程そうなるのはなぜだろうか。今回も同僚と合流して通信の必要性がだいぶ低下した瞬間にうまくいった。 よくお母さんが、お父さんが帰宅する前は動かなかったパソコンや電化製品が、帰ってきた途端に普通に動くようになったというのだが、あながちウソではないかもしれない。 とりあえず、開通してからのeSIMは問題なく、実に快適に動作してくれたので、今後も海外出張時にはeSIMを使用していこうと思う。
2024.10.05
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五十肩を抱えながらの海外出張は、案の定大変であった。出発前から痛み止めや湿布、温熱シートなどの薬関係を準備し、なるべく右肩に負担が無いように荷物などもコンパクトにしたつもりだった。 しかしながら、お土産のお菓子やお酒など含めてスーツケースはかなりの重さになってしまった。これを4日間持ち歩くのだと思うとかなり気が重かった。 空港で荷物を預けるまでは特に問題なく済んだのでほっとしていたが、現地の台湾についてからは大変だった。空港はエレベーターもエスカレーターも完備されているので特に問題はなかったが、電車に乗ってホテルに向かうまででもう困難が待ち受けていた。 空港から台北駅への電車は荷物置き場があるのだが、そこへスーツケースを乗せるのに右手無しではできず、持ち上げてすぐに激痛に耐えることになってしまった。誰かと一緒にいれば、肩を押さえつつ話ができてごまかせるのだが、一人で肩を押さえてもだえている姿を見て、不審に思った乗客は多いことだっただろう。 駅に着いてからも大変だった。階段をスーツケースをもって上がることができないので、本来出たい出口から出ることができない。エスカレーターのある出口から出たのだが、そこから地上を歩くのも大変だった 台北駅周辺は古い町である上に、あちこちで工事をしていた。要はあちこちにスーツケースを持ち上げなくてはいけない段差があるのだ。基本的には左手で頑張ったが、ビジネスバッグを右手に持ち帰るなど、困難も痛みもあった。 ホテルにチェックインして部屋に入った瞬間に、ベッドに倒れ込んでしまった。幸いだったのは、台湾が日本に比べてまだ温かいということだろうか。冷えるよりも汗をかいているぐらいの方が肩の調子が良い。 台湾で合流したベトナム工場から来た同僚と翌日から行動したのだが、お父さんがスーツケースを持ち上げられないことで、回り道をしてもらったりと、とにかく大変だった。 また家にいるときは着替えなどもお母さんに手伝ってもらっていたのだが、出張先ではすべて一人でやらなくてはならない。一番大変なのがTシャツを脱いだり来たりする時で、どうしても痛み無しとはいかなかった。湿布も左手で右肩の後ろには上手に貼ることができないし本当に苦労した。 そして3日目の朝に悲劇が起きた。朝食会場への階段を降りていたのだが、肩にばかり気を取られていて階段の途中で躓いてしまったのだ。転ばないように体全体でバランスを取ったのだが、右肩にかつてないほどの激痛がはしった。あまりの痛さに声も出ず、呼吸もできない状態で、階段の下まで小走りで降りた後、しゃがみこんで激痛と格闘していた。通りかかる人たちが不審そうにお父さんを見ていたが、人目を気にしていられる状態ではなかった。もだえていたのは3分もなかったと思うがそこから右手に力が入らなくなってしまった。 その日も2件ほど取引先を回ったのだが、肩の痛みで半分は相手の話していることが頭に入ってこなかった。食事も右手に力が入らないので箸をうまく使うことができずに苦労した。 幸いなことに、右隣に座っていた通訳の女性が、大皿からの料理をお父さんの皿に取ってくれたので、かろうじて食事は出来た。台湾人の通訳さんが、自分も五十肩になったことがあると言っていて、つらさはわかるからといろいろしてくれたことに本当に感謝でいっぱいだった。 とにかく会談で躓いて激痛がはしってから、常に痛みは持続していたし、2日ほどは夜ぐっすり眠ることができない状態だった。寝返りなどで肩に激痛がはしり、目が覚めてしまうのだ。痛すぎてすぐに寝ることができないので、わざわざ部屋を出て、エレベーターに乗り、ホテルの外に出て夜中にタバコを吸ったりして痛みを紛らわしていた。 日本に戻り、空港からの車の運転も左手一本で9割がたこなした。とにかく右腕に負担をかけたくない一心であった。 帰国した日は何とか眠れたのだが、翌日の夜はやはり痛みで何度も目が覚めた。ベトナムの長期出張まであと2週間ほどしかない。このままの状態でベトナムに行ったらどうなってしまうのか、非常に不安である。
2024.10.04
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先日東京へ出張したときに、お母さんから東京駅のグランスタという食品街?で、おいしそうなスイーツをお土産に買ってきてくれと頼まれた。先日お母さんが東京に出た時に、帰りに「崎陽軒のシュウマイ弁当」を買ってくるように頼んだら、その時に周りにたくさんスイーツの店があって、食べてみたいと思ったそうだ。ただしどこの店の何が欲しいというのは無くて、ただおいしそうなモノがあったらというリクエストだった。 東京駅について、乗車予定の新幹線まで50分近くあったので、ゆっくり買い物ができると東京駅の地下街にあるグランスタというエリアに行ってみた。お父さんも以前から出張の際にお弁当を買ったりしていたので場所は知っていたが、あまりスイーツを見て回ったことはなかった。 今回はスイーツを目当てに初めてグランスタを回ってみたのだが、何より驚いたのは値段だ。どれもお父さんの常識の2倍以上の値段で売られている。単品で売るスイーツなどは1個500円が当たり前で、おにぎりなども小さい幼稚園児のおにぎりのようなものが、1個300円とか400円で売られていた。まあおにぎりはスイーツではないが、結構な人が並んでいたので、安くて美味しいのかと思ったらすごい値段だった。 ちなみにお父さんは洋菓子よりも和菓子が好きなのだが、お母さんは逆に洋菓子が好きである。とりあえずよくわからないので、行列ができているお店が美味しいとか有名とかなのだろうと、行列の出来ている店を中心に見て回ったのだが、どれも値段の高さと1個が小さいことに驚いた。 アンパン1個50円で育った昭和生まれのお父さんに、「フィナンシェ?」とかいうマドレーヌの四角いようなものが1個400円とか言われても価値を理解できない。他にもいろいろと初めて名前を聞くようなお菓子がたくさん売っていたが、値段に対してサイズが小さすぎてどうしても購入しようという気にはなれなかった。 時代についていけていないのか、東京の価値観についていけていないのかわからないが、今のお父さんに理解できるものではなかったのは確かである。 結局お父さんは、崎陽軒でシュウマイを購入してお土産にした。帰ってからお母さんに笑われたが、お母さんも高くて自分では買う気にならないと言っていた。昭和生まれの地方住夫婦には、地方のスイーツが身の丈に合っているのだろうと思う。コンビニスイーツでも十分に高価だし美味しいモノが揃っている。
2024.10.03
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五十肩で相変わらず苦しんでいるのだが、先日鍼の先生からなるべく肩を温めた方が良いという話の中で、蒸気シートというモノを使うと良いと指導を受けた。お父さんは知らなかったが、小豆などが入ったシートというか布袋をレンジであっためて患部にあて、温めるというもので、お母さんは常識として知っていた。 実際にお母さんは、目の疲労除去のため、「あずきカイロ」と呼ばれる種類の目を温める蒸気シートを使っていたことがあるとのことだった。言われてみて思い出したが、数年前にお母さんが夜になるとレンジで何やら温めて、目にのせていたのを思い出した。 ただのせていた時間は10分ぐらいだったと記憶していた。お父さんの鍼の先生は、寝るときにやっていると肩が冷えないと言っていたので、朝まで温かいモノだと思っていた。 薬局に行って、鍼の先生に紹介された蒸気シートを探したが、寒い季節に売るものであり、まだ入荷していないとのことだった。仕方なくネットで検索したら、あっさりと見つかったので購入してみた。 実際に温熱効果は30分程度と書いてあったので、「寝る前」と「起床後」に使うことにして、初めて蒸気シート(あずきカイロ)を使用してみた。 湿布の様に医学的というか薬品的な効果はないのだが、肩をあっためることでかなり肩がほぐれて気持ちのよくなる代物だった。今は寝る前にこれを使わないと安心して眠れない状態になるほど依存している。 五十肩はつらいのであるが、知らなかったモノを知り、それを体験できるということは、お父さんにとっては喜びの一つである。 今回五十肩になって、一番良かったと思えることが蒸気シートとの出会いだと思う。
2024.10.02
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何度も書いているが、お父さんは喫煙者である。ちなみに今は紙のタバコと電子タバコ(加熱式タバコ)を使い分けている。通常は紙のタバコを吸うのだが、周りに紙タバコの人がいなかったり、紙タバコの煙りが周りに広がるとちょっとまずいかもと思う時には電子タバコを吸うことにしている。 戦士タバコはにおいが少ない上に、灰も出ないので海外出張などではかなり便利に思える。ちなみにお父さんはベトナム出張中に自室では、電子タバコを吸うことにしている。部屋の中がすべてヤニ臭くなるのを嫌ってのことである。 灰が床などに落ちる心配もないので、紙タバコを吸っていた時よりも部屋の空気も部屋の床もきれいである。 日本はタバコ禁止というよりも、紙タバコから電子タバコへの切り替えが進んでいる国だと思う。なので、アジアで電子タバコを禁止しているタイヤシンガポールがどうして禁止しているのか不思議である。 今回台湾に出張するにあたって調べてみたら、台湾も電子タバコが禁止されている国であった。所持していることがばれると最大で40万円程度の罰金もあり得るということらしい。 今回どうして電子タバコを禁止する国があるのか調べてみたら、若者への入手が比較的楽なので、若年者の喫煙を防ぐために禁止している場合が多いらしい。またタバコを吸っているのを発見しずらいというのもあるようだ。 においが少ないので、こっそり吸われてもわからないというのが逆に問題になると考えているようだ。 そこまで意識するようなものなのかとも思うが、電子タバコはバッテリーを内蔵しているので、飛行機に持ち込まれるのを防ぎたいというのも理由の一つであるようだ。まあスマホからイヤホンなどバッテリー内蔵の機器は多数飛行機に持ち込まれているので、今さら電子タバコだけ帰省する意味があるかどうかはわからない。 とりあえず罰金は嫌なので、今回は電子タバコは日本に置いてきた。台湾では紙のタバコを吸っていたが、台湾はもう何年も前からホテルもレストランもすべて禁煙になっているので、食事の途中で一旦外へ出たり、ホテルの部屋からタバコを吸いに外へ出たりとかなり面倒くさかった。 そして帰国の飛行場で、手荷物検査場でライターまで没収されてしまった。以前の中国やベトナムもライターを没収していた時期があったが、台湾もそうなってしまったようだ。日本に到着したらまた買い直さなくてはならない。 国に寄っていろいろと考え方があるので、お父さんが何を言っても意味はないのだが、ライターを没収する前に、機内食のシルバー(ナイフ、フォークなど)をプラスチックにするべきではないかと思う。今回乗ったエバ航空は、いまだにシルバーが金属製だった。ライターより金属製のナイフの方が危険だと思うのはお父さんだけだろうか。
2024.10.01
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