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昨日アシックスのジャージを買ってもらえなかった思い出を書いたが、このジャージの話にはさらに続きがある。無メーカーのジャージを着ることになったお父さんに更なる事件が待っていたのだ。
あまりに抗議するお父さんに対して、母親は「次にジャージを買う時は必ずメーカー品を買う」と約束してくれた。どうせすぐに忘れるだろうと思っていたと今ならわかる。
ところが事件が起きた。例のジャージを着てその冬のどんと祭に参加していたお父さんに、飛んできた火の粉が落ちたのだ。場所は右肩の後ろで、お父さんは友達に指摘されるまで全く気が付かなかった。
気が付いた時には、右肩の後ろに 3 センチ以上のいびつな大穴が開いていた。
一瞬、「やばい、おこられる」と思ったが、次の瞬間素晴らしい可能性に気が付いた。こんなに大きな穴が開いたのだから、ジャージを買い直してもらえると。そして今度こそメーカー品を買ってもらえると。
家に帰って母親に火の粉で穴が開いたことを伝え、しおらしく演技をしながら新しいジャージを買ってもらえるようにお願いした。
母親も、さすがに穴あきジャージはダメだと思ってくれたのだろう。新しく買うことをしぶしぶ認めてくれた。お父さんは、今度こそメーカー品を買ってもらえると喜んだ。もうどのメーカーでも構わないので、安いモノでいいからメーカー品を買ってもらえるようにお願いした。
ところが結局お父さんの願いはかなわなかった。お父さんの母親は恐るべき人であった。翌日穴の開いたジャージを、「着られるようにした」と母親から渡された。何を言っているのかと思ったら、穴の開いた部分に継ぎあてがされていた。
戦争前後の子供ではない。お父さんの小学校時代に、継ぎをあてた服を着ている子供など一人もいなかった。そして猛烈な抗議もむなしく、お父さんはそのジャージを着て学校に行かされた。
継ぎあてを初めて見るクラスメイトがお父さんのジャージを入れ替わり立ち代わり見に来た。本当にひどい仕打ちだと思った。
最終的にお父さんがメーカー品のジャージを手にするのは高校 1 年生の時である。中学校は学校指定のジャージだったので、メーカー品を買うことは無かった。高校の部活で、スポーツ店で学校名と部活名が入ったデサントのジャージがお父さんの初メーカー品ジャージだった。
友達の前ではなんともないふりをしていたが、心の中は「とうとう手に入れた」という思いでいっぱいだった。
思い入れの強かったそのジャージをお父さんは大事に 3 年間着続けた。同級生がボロボロに使う中、汚れないように、痛まないように注意して着ていた。そのおかげで高校を卒業したときにも、まだまだジャージはきれいな状態だった。部活仲間に驚かれたほどだった。
思い入れが強すぎて、いまだにそのジャージは家に置いてある。何度も捨てる機会はあったのだが、そのたびに「初のメーカー品ジャージ」という思い出が、捨てる決意をさせてくれなかった。高校名が入ったジャージなどもう一生着ることは無いのだが、それでも捨てることなくいまだに保管している。
ちなみに子供のころ、「自分の子供にはメーカー品をきちんと買い与える」と誓ったおかげで、我が家の子供たちは小さい頃からきちんとしたスポーツメーカーの T シャツやジャージを着ている。
我が家の子供たちは、何度も何度も泣いて頼んでもお父さんにメーカー品を買ってくれなかったお父さんの母親、おばあちゃんに感謝するべきかもしれない。