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藤井英雄医師は、「マインドフルネスの教科書」(clover出版)という本で、マインドフルネスの全貌を詳しく紹介されている。私は今までマインドフルネスというと瞑想というイメージしか持っていなかった。それは完全に間違っていたことがよく分かりました。藤井医師は、マインドフルネスとは「今、ここ」の現実にリアルタイムかつ客観的に気づいていくことだと言われています。たとえば今現在一心不乱に本を読んでいる。それはマインドフルネスではありません。今一心不乱に本を読んでいる自分がいるということに気付いているというのがマインドフルネスだと言われている。ストレッチをして背中の筋肉が伸びているのを感じている。これもマインドフルネスではありません。背中の筋肉が伸びていることを感じている自分に気付いているというのがマインドフルネスだと言われています。音楽を聴いて楽しんでいることがマインドフルネスではありません。音楽を聴いてリラックスしている自分がいるということに気付いているというのがマインドフルネスです。少しわかりにくいですが、今の自分の心身の状態に気付くということだと思います。私たちは生活している中で、ネガティブな感情や思考にとらわれます。そしてミスや失敗をしたという現実、事実を否定しようとします。自分を支配している偏った信念に振り回されています。森田でいえば素直な感情、最初に湧きあがった感情が上の空になり、「かくあるべし」を含んだ二次感情に振り回されます。過去のネガティブな体験を通して得た予測、予断、執着に翻弄されています。事実を軽視して、今までの習慣、常識や先入観や決めつけで行動しようとします。マインドフルネスは一言でいえばそこに待ったをかけるエクササイズなのです。1、神経を「今、ここ」に集中させる。2、素直にあるがままに感じる。3、一歩引いて第3者的な視点から客観的に気付いていく。これは森田理論でいうと、次のように言い換えられます。1、ものそのものになる。目の前のことに集中する。一心不乱に取り組む。2、事実を価値批判しないで、あるがままに受け入れる。最悪を受け入れる。3、事実をよく観察する。両面観、多面観で見る。先入観、決めつけ、早合点を避けて事実を正しく見る。事実本位を徹底する。これらの考え方は。森田理論の核心部分ばかりです。私たちは、怒りや悲しみ、不安や恐怖などのネガティブな感情にとらわれています。その瞬間にもし「自分がネガティブな思考やネガティブな感情にとらわれていること」に気付けば、そのネガティブな思考や感情、自分を取り巻く現実や自分自身を支配している偏った信念から一瞬だけ自由になれます。そのためには、森田理論学習で認識の誤りを理解しておくことが大切です。マインドフルネス認知行動療法というのが広く知られるようになりましたが、これを機会にマインドフルネスを森田療法に応用できないか検討してみたいと考えています。
2022.09.30
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現在別料金を支払うと、好きなナンバープレートがもらえます。いかに特定のナンバーにこだわっている人が多いかということだと思います。よく見かけるのは、0001、0007、0008、0088、0333、0555、0777、1111、3333、5555、7777、8888などのぞろ目である。その他、自分の好きな語呂合わせのものがあります。1122はいい夫婦。1188はいいパパ、いい母。2525はニコニコ。3776は富士山の標高だそうです。嫌われる番号の筆頭は4219です。「死に行く」と読めますから当然でしょう。この番号は友人から教えてもらって意識するようになりました。4989は、四苦八苦を連想させますので、避けたくなります。その他暗証番号と同じにしている人もいます。最近は誕生日などと合わせている人はあまりいませんね。不吉な番号のこだわりは、どうすることもできません。私は、1、11、111、1111という数字が嫌いです。それは家族の不幸がその数字に重なっていることに気づいたからです。1月11日、11月11日というのは、思い出すのも嫌な日なのです。その手の番号を見ると、自分なりの厄除けのおまじないをしています。厄除けをしないと、自分に不幸が降りかかってくると勝手に思っているのです。本を読んでいるとき、111ページは気になります。111ページは急いで読み進めるようにしています。集談会で7、77、7777がどうも苦手ですという人がいました。私は7はラッキーナンバーだと思っています。人によって忌み嫌っている番号は違うようです。日本人は4や9という数字を嫌う傾向があります。外国人は意味が分からないそうです。反対に13は嫌いという人が多いようです。数字にこだわって、生活や仕事に影響が出てくるようでは困ります。私の場合は、厄除けのおまじないは15秒くらいで終わります。それが済むとリセットできますので、問題はありません。ガスの元栓、水道、電球のスイッチ、クーラーの切り忘れ、戸締り、忘れ物の確認恐怖で苦しんでいる人がいます。こういう方はまず呼称確認を行う。それも1回ではなく3回とか5回とか回数を決める。私のようにおまじないを行えば、リセットされるのだという、変な確信のようなものが持てれば何とかなる人もいらっしゃるのではないでしょうか。もう一つ有効なのは、外出するとき確認が必要なものはいくつかあります。一つではないはずです。それらをすべてリストアップすることです。それを見て、一つ一つ丁寧に確認していくのです。ガスの元栓okというふうに、神経を集中して確認することが大事です。不安だという人は、確認に神経を集中していないことがあります。うわの空になっていると、不安が発生します。1回で安心できない人は、2回、3回まではおこなう。それ以上はやりすぎです。むしろ精神交互作用を強めてしまいます。それと玄関のカギは、よく確認すれば、隙間から施錠されているかどうかわかる場合があります。チェックする時のポイントです。そこまでいかなくでもドアノブを回してみれば施錠されているかどうかは分かります。確認不安は人間ならだれでも持っています。それが正常です。基本にのっとった正しい確認行動をとることが先決だと思います。それでもどうしても確認行為が治らない人は、生活の発見会に強迫行為専門の集談会がありますので参加することをお勧めします。
2022.09.29
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仕事は何のためにするのか。思いつくままにあげてみましょう。1、誰かの役に立ちたい。2、仕事を通して人に認められたい。3、仕事を通して自分の価値を感じたい。4、社会からダメな奴だと思われたくないから。5、親の期待に応えたいから。6、本当はやりたくないけど、生活の為。7、趣味や日常を楽しむためのお金を手に入れる手段。8、がむしゃらに仕事をしているときに、生きていると感じられるから。9、社会人としてやらなければいけないと思っているから。10、好きな仕事をしていると楽しいし、イキイキできるから。11、必要とされるのがうれしいから。(心がちょっぴり満ち足りる50のヒント 根本裕幸 原裕輝 スバル舎)人それぞれ仕事に対する思いは違うものだと思う。私の場合は6番目が主な理由だった。大学を卒業し、いつまでも親の世話になることは出来ないので、仕方なく就職した。最初は仕事を覚えるのに無我夢中だった。そのときは何の問題もなかった。仕事に慣れるとそのうち仕事に対する情熱はなくなった。惰性で仕事をしていた。目的や目標が持てなかった。しばらくして結婚し、子どもができた。家族の生活を守るために、仕事をしているだけで、仕事は苦痛そのものだった。月給鳥という鳥を演じていた。仕事以外に、職場の人間関係の悪化が追い打ちをかけた。部下の指導やマネージメントもうまくいかなかった。それでも、事務改善のリーダーに抜擢されたときは、俄然やる気が出て仕事が楽しみに変わった。ところがいかんせん長続きしなかった。本当はやりたくないが、生活の為というのは、最初のうちはそれでよかったと思う。ところがそれが退職まで40年も続くと、精神的にはつらいばかりである。イヤイヤ仕方なしというのは就職した時は全く問題がない。ところが仕事が慣れたにもかかわらず、イヤイヤ仕方なしというのは困ったものである。森田理論ではどのように考えるのだろうか。森田先生によると、自分の置かれた境遇によって決まってしまうことが多いという。好きだとか嫌いだとか言うのではなく、親の仕事に影響されて選択する。あるいは先生や友達に勧められて、「それもいいか」と思ってその道に入る。仕事は、だれでも最初は、疑心暗鬼、イヤイヤ仕方なしに取り組むことが多い。それで構わないと思う。森田理論でも言っているが、イヤイヤ仕方なく取り組むことに意義がある。挑戦しなければ、注意や意識が自己内省化して、悶々と苦しむだけになる。次に気分本位になってすぐに放り投げるのではなく、せめて1年から3年くらいはやってみる。これは森田理論学習も同様です。しがみついて興味や関心、問題点や気づきが生まれてくれば申し分ない。普通は仕事をしているうちに問題点や課題が見つかって、仕事にのめり込むようになる。そんなものが見つからないというのは、仕事に真剣に取り組んでいないのかもしれない。それでも、1年から3年くらい経って、どうもこの仕事は好きになれないという場合もある。やる気も出ない、目標も持てないというのはお先真っ暗になる。自分に合っていないと思えば、そこではじめて転職を考えるのはどうだろうか。次に森田では「ものそのものになりきる」ことをお勧めしています。目の前の仕事に一心不乱に取り組むことです。気が付いたら時間のことを忘れていた。自分の悩みのことを一時棚上げにしていた。注意や意識を外向きに持って行くことです。物事本位の生活態度の事です。さらに大事なことはこの態度を継続維持していくことです。仕事が好きになるかどうかは、ここらあたりにありそうです。職業選択に、完全、完璧ということは考えられません。ある程度のところで妥協して、その仕事と心中するつもりで付き合うことです。山あり谷ありうまくいかないのが常です。仕事を通じて大きな目標を設定できるようになれればしめたものです。人生観を確立するという段階にまで高めることができれば本望です。仕事に対する愛情や情熱が深まり、後から振り返ってみると、これが天職だったという状態になりたいものです。人間に生まれてよかったというのはこんなときです。
2022.09.28
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ヨーロッパでは、火薬を使った「発破」で鉱物資源の採掘やトンネルの採掘をおこなっていたのですが、日本ではそうしませんでした。火薬による発破を日本に伝えたパンベリーは、火薬の使い方を知りながら、日本人が石の採掘に応用しなかったことを不思議がったといいます。高い技術力を持ちながら、それを自然を征服するために使わなかったからです。それはなぜか?自然を破壊するなんて美しくないからです。じゃあ、何に使ったのか。みんなが楽しめる花火に使ったのです。これがもともとの日本人の感性なのです。日本人は、お茶を道にして茶道を生み出し、剣は剣道、書は書道、弓は弓道、華は華道、なんでもそれを道にしてきたのです。道とは、勝ち負けを争うのではなく、美しさの追及です。勝つか負けるかじゃない。損か得かでもない。美しいかどうか。かっこいいかどうか。これは突き詰めれば、みんなが笑い合えるかどうか、より多くの人を幸せにするかどうかです。(人生最後の日にガッツポーズして死ねるたったひとつの生き方 ひすいこたろう A-Works)これは、日本人が、便利か不便か、役に立つか役に立たないか、よいか悪いか、正しいか間違いか、勝つか負けるか、仲間か敵かという対立的な価値判断とは全く違う価値観を持っているということを説明していると思います。どんな価値観なのか。それが美しいか醜いか、調和がとれているか崩れているか、感動するか嫌悪感を催すか、味わい深いか無味乾燥かという価値観を持っているということだと思います。日本人はことさら対立をあおるのではなく、それを乗り越えて、調和、平和、幸福、感動を希求する習性を持った民族と言えるのではないでしょうか。外国では宗教が違えば、戦争も辞さないという考え方をします。是非善悪の価値判断が絶対的な物差しになります。征服するか征服されるか二者択一の世界で生きているのです。日本人も欧米人並みに是非善悪の価値判断という物差しを振り回す人もいますが、それとは違う価値観も根強く日本人の心の中に息づいているともいえるのではないでしょうか。森田理論に是非善悪の価値判断をしないで、事実を事実のままに見ることが大切であるというのがあります。この善し悪しとか苦楽とかいう事は、事実と言葉との間に非常な相違がある。この苦楽の評価の拘泥を超越して、ただ現実における、我々の「生命の躍動」そのものになりきって行く事ができれば、それが大学卒業程度のものでもあろうか。「善悪不離・苦楽共存」ともいうのもこの事である。(森田全集第5巻 653ページ)森田理論学習の中で、神経質者は二分法的な見方や考え方をする傾向が強いと学びました。これは完全主義という観念にとりつかれて、葛藤や苦悩でのたうち回っているというものです。100点でなければ、仮に90点、80点、70点という高得点であってもすべて0点とみなすというような極端な考え方の事です。白か黒かのどちらかに決めつけてしまうのは破滅的な考え方です。このような考え方を是正する一つの方法として、それが美しいか醜いか、調和がとれているか崩れているか、感動するか嫌悪感を催すか、味わい深いか無味乾燥かという見方を心がけるというのは如何でしょうか。一般的には、100点か0点に決めつけてしまうのではなく、事実をよく見て、20点から90点の間の正しい評価づけを行うというのが基本です。森田理論は相対立する考え方をことさら際立たせるのではなく、対立する考え方の調和を目指すという考え方なのです。どんなに悲惨な事実であっても、どんなに理不尽な事実であっても、最終的にはその事実を受けいれて、止揚していきましょうという考え方です。
2022.09.27
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事実を正しく見るためには、森田理論の両面観が役に立ちます。両面観という考え方を使って事実を正しく見るとはどういうことでしょうか。人間は言葉を使い、観念的な思考をする生き物です。観念至上主義に陥って、事実とのギャップで苦しんでいるのですが、自分ではそのことに気が付いていません。それが葛藤や苦悩を生み出しているのです。両面観を学習する前に、森田理論学習によって、「かくあるべし」という観念の押し付けによる弊害について学習することが肝心です。その弊害が理解できれば、「事実本位」に向かう足がかりができます。NHKのテレビ番組に逆転人生というのがありますが、最初に青い矢印がどんどん下降していきますが、それがあるときを境にして赤色に変わりぐんぐん上昇していきます。イメージとしてはこんな感じです。それをしっかりとイメージして取り組むことが大切になります。両面観を身につけると、事実の誤認が少なくなります。早合点、先入観、決めつけがなくなります。客観的な立場、第3者的な立場に立ち、バランスのとれた見方、考え方ができるようになります。それでは早速取り組むべき課題について説明します。・物事は具体的に見ていく。抽象的な見方、考え方は事実から離れていきます。・人の話を鵜呑みにしない。自分で現地に行って確かめる。実験をして確かめる。・ある考えが湧き起こった時、それとは違う考え方もあるはずだという考え方をする。ネガティブな感情が湧き起こった時、ポジティブな考え方、見方もあるはずです。それがセットになって初めて正しい認識ができるということを意識する。認知療法、論理療法というのは、この手法をとっています。・事実はさまざまな角度から見るようにする。円錐柱を正しく認識するには、上から見る、横から見る、下から見る、斜めから見ることで、正しく見ることができます。両面観は二方向で見ることですが、できれば多面観で見ていくようにする。・時間をおいて、改めて見直す。冷静になってから、見直すということです。こうすることで、両面観で見ることができるようになります。・環境や場所を変えて、改めて見直す。立ち位置が変わると考え方が変わることがあります。・他人の意見を参考にする。自分一人の考え方は、独りよがりになりやすい。信頼できる人の話を聞いて総合的に判断する。・相手の立場に立って考えてみる。意識して自分から離れて、相手の気持ちになって考えてみるということです。
2022.09.26
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神経質性格の人の中に、負けず嫌いでプライドが強い人がおられます。周囲の人と調和を目指すよりも、我が道を突き進む傾向が強い。私の人生はこの方向で行くと決めている人は問題がないのかもしれない。だが周囲の人とある程度のかかわりを持ちたいと思っている人は、少し緩めていく必要があると思う。今日はそれを森田理論で考えてみたい。あなたはプライドが高い人だと言われたことがある人は必見です。プライドの高い人は、他人は戦うべき相手と考えている節がある。他人と競争し、勝負を賭けて張り合う気持ちが強い。相手に勝って、周りの人から称賛されることに大きな喜びを感じている。征服欲、コントロール欲求が強いのかもしれない。チームや仲間を作って、お互いに助け合って目標を達成することはあまり視野に入っていない。孤立しても別に構わないと思っている。単独行動を好む傾向が強い。その方が気を使わなくて済むので、精神的に楽なのである。人生は一人になっても十分楽しむことができるはずだという思いが強い。ちなみにこの傾向は、強迫神経症の人が強いように感じています。不安神経症の人は、仲間を気にかけ大切にする傾向が強いように思います。ですから、強迫神経症と不安神経症のカップルはぶつかることが少なくうまくいく場合が多いように思います。負けず嫌いという性格は、目的達成という面ではプラスに働くことがある。同僚をライバル視して、闘争心に火がついて、必死に努力する人もいる。営業成績でライバルに勝って称賛されることに喜びを感じている。順調なときは、発言内容も行動も、積極的・活動的で魅力いっぱいの人間に見える。しかし短期間では爆発的なエネルギーを発揮するが、継続性に欠け、いずれ息切れする例が多いように思う。それは自分を無理やり鼓舞して行動に駆り立てているので継続性がないのかもしれない。自分の本心と乖離しているからかもしれない。負けず嫌いが裏目に出ると大変なことになります。他人が自分に寄り付かなくなり孤立してくる。人間関係が対立関係に陥りやすく、人から敬遠されるようになるのだ。最悪一日誰とも会話しないで過ごすようになると、心身ともに病んでくる。さらに自己内省力が強い人は、自分を責めて、劣等感で苦しむことになる。他人からの何気ない一言で大きく傷つく。あからさまに非難、否定、叱責、無視、軽蔑されるとひどく傷つく。そんな状況に陥ると、精一杯の抵抗を見せて、相手に反撃を加える場合もある。他人の悪い評価を気に病むようになると、行動は消極的、回避的になる。予期不安に振り回されて、行動することができなくなってしまう。自分を擁護してくれる人がいなくなると、孤独でさみしい人生を送ることになる。親や配偶者がいなくなると大変なことになる。ただし友人がいれば大丈夫です。ですから負けず嫌いは、ほどほどに抑えて他人との暖かい交流を楽しむ方がよいと思う。そうなれれば、肩の荷が下りて、もっと楽な生き方ができるのではなかろうか。ではどうすればよいのか。そういう性格だからどうしようもないことなのか。そうではないと思う。森田理論で考えてみたい。かくあるべしを押し付ける前に、相手の立場に立つことを心がけることである。傾聴、共感、受容、許容、感謝の気持ちを前面に押し出す。形から入るということです。イヤイヤ仕方なしでも結構です。相手の話など聞きたくないでしょうが、一息置くことを心がけるのです。自分の気持や感情、思考、欲望や要求を、いきなり相手にぶつける前に、できるかぎり我慢することです。自己主張する前に、少しだけ相手の言い分に耳を傾けてみようでよいのです。こうなりますと、殺気立った人間関係が格段に改善します。これを実行すると相手と自分が縦の人間関係ではなく、横の人間関係になります。ここがポイントです。縦の人間関係は、上下の人間関係です。「かくあるべし」を押し付けたり、押し付けられたりの人間関係です。これはまずいいです。横の人間関係は、譲ったり、譲られたりの平等な人間関係に変わります。こうなりますと、ひとまず敵対関係は解消されます。交渉や妥協や話し合いの余地がでてきます。ここをぜひ自分のものにしてもらいたいと思います。次に、人の役に立つことを見つけて行動するとさらに人間関係はよくなります。生活の中でちょっとした小さな親切行為を数多く実践するようにする。人の役に立つことを探し回っていると、相手と戦うことは考えなくなります。相手から親切な言葉がけをしてもらったり、親切なことをしてもらった時は、「ありがとうございました」と笑顔で感謝の言葉を伝えるようにする。
2022.09.25
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森田理論は、最終的には生の欲望を発揮していくことが重要だと説明されています。神経症的な不安は、その裏側に欲望が隠れている。不安ばかりに関わり合うのではなく、自分の欲望を再認識して、生の欲望を活性化していく。その方向に向かって歩みだしたとき、神経症はどんどん縮小していく。それは不安と欲望のバランスがとれてきたからだと思います。これに対して、篠田桃紅氏は欲望の抑制力が大切だといわれています。人間の欲望には果てしがない。人間は何かを得れば、その先のものを得たいと、永遠に欲が止まらないようにできている。あまりに欲望を満たそうとすると、周りが非常に困るし、最後は自分自身も欲望の虜になってしまう。食は飢えぬほど、家も雨が漏らぬ程度、立派なものを建てようとするから、欲望は限りなくなる。欲望が満たされると、そこに人は生きがいがあると思ってしまう。生きている以上、そうした欲望の虜になって暮らしてもしようがない。欲望というものとどういうふうにうまく付き合っていくか。人間の歴史への問いかもしれませんね。森田理論学習の中では、自動車のアクセルとブレーキの関係で説明されるところですね。自動車がいったん動き出したら、周囲の状況に応じて、ブレーキを活用することが欠かせません。人間にはもともと精神拮抗作用が備わっています。これは欲望の暴走を抑制する仕組みが完備されているということです。しかし欲望に弾みがついてしまうと、容易に暴走してしまうのです。一旦暴走を始めたものを止めることは至難の業です。脳の仕組みでいうと、ドパミン主導の報酬系神経回路が暴走してしまうことになります。これを抑制するのは、セロトニン神経系を活性化することが欠かせません。これについては、最新の脳科学で紹介しました。興味のある方は、ご覧ください。篠田桃紅氏は、次のように説明されている。持っているものに感謝すればいいのに、持っているものは当然で、無いものを欲しがる。賢い人は、達観して無いものねだりをしないんだと思う。自分はこの程度なんだと思って。(これでおしまい 篠田桃紅 講談社 137ページ)これは生活の中で応用できます。何かを欲しくなった時、自分はそれと同等なものを持っていないか。持っているものを修理、改良して役立てることは出来ないか。森田先生のお母さんは、森田先生が何かを欲しがった時、下の人を見なさい、下の人のことを考えなさいと諭されたそうです。森田先生は安易に新しいものに飛びつくのではなく、そのものの存在価値を最後まで活かしきるという考え方でした。生の欲望に邁進することができるようになったら、今度はそこから離れて制御能力を鍛えていかなければなりません。
2022.09.24
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7月号の生活の発見誌に興味深い記事があった。神経症の治癒を目指して、「精神交互作用」重点型と「思想の矛盾」重点型に分かれているという内容であった。精神交互作用というのは、自分の気になる不安に対して注意を集中するために、注意と感覚の悪循環が生まれて、アリ地獄にまっしぐらというものである。ここに注目すると、神経症の克服のためには、精神交互作用を断ち切ることが大切になる。そこから、不安はあるがままに受け入れて、なすべきをなすというのが神経症治療の方針になるというものです。これは50数年前に集談会が生まれた時から、これを金科玉条にように教えられました。実際これで救われた人も多かったのです。それで集談会から卒業した人も多かった。しかし、生きづらさは全く解消されませんでした。仕事や生活が大きく改善したにもかかわらず、神経症の葛藤や苦悩は相変わらずでした。その反省に立って、たしか2000年ごろ、観念優先の姿勢が肥大化して、事実を軽視する態度が、神経症の発症に関わっているのではないかという考え方がクローズアップされてきた。それに沿って「森田理論学習の要点」が改訂された。これは、森田用語で「思想の矛盾」と呼ばれている。私は最初の頃「思想の矛盾」という言葉の意味が全く分からなかった。今では、「かくあるべし」振りかざして、素直な感情を否定したり、現実で苦悩している自分、他人、自然を敵視する態度のことだと理解しています。観念優先で事実を軽視する態度のことです。この2つの視点は森田理論の核心部分です。車の両輪となって、森田理論を支えているものですから、甲乙つけがたいものです。ですから、どちらかに偏って、森田理論を理解しているとすれば、飛行機でいえば片肺飛行しているようなものだと思います。両方を均等に学習して、修養する必要があります。注意点があります。精神交互作用ですが、不安にとらわれて、神経症に陥るので、それを断ち切るために実践・行動しましょうというのは説得力がないように思います。不安のからくりが分からないと行動には向かわないからです。まず不安と欲望の関係性を学習することが肝心だと思います。神経症的な不安は、欲望があるから発生しているという考え方です。不安と欲望のバランスをいかにとるかというのが眼目となります。また不安の役割や特徴、過大な欲望は不安を制御力として活用するという考え方もしっかりと学習する必要があると考えます。これらが理解できると、神経症的な不安と格闘することはバカバカしいことだと思えるようになります。観念中心で事実を否定する態度についてですが、それをすると、葛藤や苦悩でのたうち回り、無念の人生で幕引きとなります。エネルギーの無駄遣いが起こり、いつまで経っても生の欲望への発揮のスタート地点に立てないということをしっかり学習したいものです。オリンピックでいえば、国内予選を勝ち抜いて、世界の舞台でスタート地点に立つということです。生まれ変わって人生の檜舞台に立つということです。事実本位を身に付けるための手法はいろいろありますが、まず「かくあるべし」をまき散らすことの弊害について理解することが先決だと思います。観念優先の態度の弊害が理解できるようになると、原点回帰ができるようになります。手法はいろいろとあります。このブログでも紹介しています。身につけるのはあなた次第です。
2022.09.23
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森田理論でいう不安の特徴を取り上げてみました。不安には現実的な不安と神経症的な不安があります。この2つをきちんと区別していくことが肝心です。区別できるようになると、不安への正しい対応が可能になります。現実的な不安は先延ばししていると、問題が大きくなって、破滅的な事態を招きます。たとえば、地震が来ることはある程度分かっているのに、なにも対応策を講じていないと、大きなリスクにさらされます。その他、不慮の事故に備えて生命保険に入る。自動車保険、火災保険、医療保険などに加入しておくとリスクを回避できます。現実的な不安への対応は、万が一の不幸な出来事から命や財産を守ります。それに対して、神経症な不安は欲望があるために、その反動として発生しているものです。欲望を暴走させないために、人間に元々備わっている機能が発動しているのです。森田理論では、その仕組みを精神拮抗作用として説明されています。もしこの機能が働かないと、双極性障害のようなことになります。現実感がなく、妄想や空想が膨らみ、欲望がどんどん暴走します。不安をなくするための行動は葛藤や苦悩を招きます。不安を取り除こうとしたり、逃げ回っていると、精神交互作用により、どんどん蟻地獄の底に落ちてしまいます。心掛けることは、やるべきことややりたいことを絶えず意識することです。基本は日常茶飯事に丁寧に取り組むことです。凡事徹底です。いきなり大きな目標に向かうことは、ザルで水を掬うようなことになります。労多くして、なかなか成果は上がらないでしょう。次に行動に際して、不安を活用して、慎重に行動するということです。サーカスの綱渡りのように、欲望と不安のバランスを取ることが肝心です。バランスを取りながら、絶えず前進していく態度が大切になります。森田理論はバランス、調和を意識しないと、存在すら危うくなってしまうという理論です。生きとし生けるもの、宇宙の仕組みは運動と調和によって成り立っています。
2022.09.22
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カーネギーの「道は開ける」という本に次のような逸話が紹介されています。弁護士のジェオリ・ルアナ氏はウィーンからスウェーデンに移り仕事を探していた。貿易会社で働こうとさまざまな会社に手紙を出した。そんなとき、ある会社から手紙が届いた。「私どもの仕事について、貴殿は愚かな思い違いをしております。新しい方の採用予定はありません。仮に必要でも、スウェーデン語を満足に書けない方は採用しません。貴殿の手紙は間違いだらけです」ジェオリ・ルアナ氏はその手紙を読んで、短気なドナルドダックのように怒った。このスウェーデン人はどうして自分が字も満足に書けないというのか。このスウェーデン人の手紙こそ間違いだらけなのだ。そこでジェオリ・ルアナ氏は、さらにその男の怒りを煽る手紙を書き始めた。やがて手を止めて、自分自身に問いかけてみた。「ちょっと待て。この男が正しくないと、どうして言い切れるのか。私はスウェーデン語を勉強してきたが、母国語ではない。知らずに間違えているかもしれない。それなら、仕事に就くためには、もっと勉強しなければならない。そのつもりはなかったかもしれないが、結果的にこの男は私に良いことをしてくれた。不愉快な手紙だったが、借りができたことは事実だ。だから、彼の好意に対し、お礼の手紙を書くことにしよう」ジェオリ・ルアナ氏は、それまで書いていた痛烈な内容の手紙を破り捨て、別の手紙を書き始めた。「採用を予定されていない中、わざわざお手紙いただき感謝いたします。御社について思い違いをして、申し訳ありませんでした。・・・私の手紙の文章に文法的な間違いがあったことには気がつきませんでした。大変お恥ずかしい限りです。お詫び申し上げます。これからは、スウェーデン語を一層熱心に勉強し、間違いを治そうと思います。改善のきっかけをつくっていただき、ありがとうございます」数日もたたないうちに、ジェオリ・ルアナ氏に再び手紙が届いた。そこには面接に来るようにと書いてあった。そして仕事をもらうことができた。この逸話を森田理論で分析してみたいと思います。最初に自分を非難する手紙を受け取って激怒しています。森田でいうと、怒りの感情は二次感情、初二念の考えと聞いたことがあります。その感情に従えば、事態は悪化して、欲求不満に陥ります。ジェオリ・ルアナ氏は、今一歩間をとって、一次感情、初一念、純な心を見つめ直しています。相手の態度に激怒したが、自分の方に非があるのかもしれない。それをわざわざ知らせてくれたのは、感謝以外の何物もない。そのことに対して感謝の手紙を送ろう。不快な事実をあるがままに受けいれて、今できる最善の手を尽くしたということです。森田理論の眼目の一つは、「かくあるべし」の押し付けをやめて、事実本位に移行するということです。事実本位に移行すると、エネルギーの無駄遣いが無くなります。そして冷静になり、そのエネルギーの有効活用を考えられるようになります。マラソンでいえば過酷な国内予選を勝ち抜いて、オリンピックのスタート地点に立つことができるようになるということです。惨敗することもあるでしょうが、スタート地点に立たないと、その後のドラマが生まれることはありません。悶々とした人生が延々と続くことになります。なお事実本位に近づく方法として、2021年7月11日から7月23日まで投稿していますので、興味のある方はご参照ください。
2022.09.21
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2022年8月号の生活の発見誌に「実践症候群」の記事があった。森田理論は実践・行動がすべてであると理解した人のことである。実践・行動しなければならないと自分を叱咤激励しても思い通りにできない。やがて、自分は意志が弱いダメ人間として自己嫌悪、自己否定するようになる。「実践しなければならない」が「思想の矛盾(かくあるべし)」そのものとなってしまう場合があり、これを「実践症候群」と呼んでいる。今まで、イヤだと逃げていたことを、気分本位にならないで、恐怖突入しなさいと言われても、なかなか実践・行動には向かわない。私の場合でいえば、飛び込み営業をしていた時に、対人恐怖症が出てきて、仕事をさぼっていた。また、営業窓口をしていた時、過去のミスや失敗がトラウマとなって、真剣に仕事に取り組むことができなかった。逃げたときは、一瞬ほっとするが、あとから後悔と自己否定感で苦しんでいた。これらは森田理論を学んでも、応用・活用することができなかった。この問題にどう対応していけばよいのか。私の場合は、いきなり本丸に取り組むことはしなかった。つまり対人恐怖症と戦わなかったということです。最初は1ヶ月の実践課題を作った。布団上げ、靴磨き、風呂の掃除、車の洗車、部屋の掃除などであった。その他、その気になればすぐにできることを選んだ。次に、気が付いたことをすぐにメモして、実践・行動に移すようにした。これは生活の発見誌に紹介されていた「紙切れ法」を参考にした。これを1年くらい続けていくうちに、しだいに行動実践の比重が高まってきた。小さな成功体験が増えてきて、実践・行動に弾みがついた。実践・行動は、まずは日常茶飯事の雑事に取り組むことではなかろうか。仕事でいえば、放り投げていた雑仕事に取り組むということではなかろうか。対人恐怖症の人は、挨拶をきちんとするところから始めることが肝心だと思う。これならだれでも意識すればできるようになるはずだ。このやり方は、症状の解消には手を付けないので、回り道をしているような気持になります。回り道をして果たして神経症の解放に結びつくのか疑心暗鬼に陥ると思います。しかしこのやり方は先輩たちの多くが成功体験を持っています。そのことを信頼して頼るしかないと思う。神経症の克服は「急がば回れ」という方針で臨むのが一番です。このやり方は、再発しない。不安と共存できるようになる。さらに神経質者の生き方を身につけることができます。森田では規則正しい生活をする。日常茶飯事に丁寧に取り組みましょうと教えてもらいました。森田先生の入院療法を見てみても、掃除洗濯、飯炊き、風呂を沸かす。動植物の世話をすることに取り組んでいました。「実践症候群」に陥っている人は、今までできていなかった難しい課題に、いきなりガチで取り組もうとしている。それは現実的ではないと思う。必要な時に、必要に応じて、必要なだけという気持ちが大切です。スローガンとしては「凡事徹底」を上げたいと思います。次に神経症的な不安の裏には強い欲望が存在しているという森田の考えをしっかりと理解することが大切だと思う。強い欲望は、欲求、手に入れたいもの、やりたい事、夢や希望などです。実践・行動というのは、その欲望を満たすための手段となるのです。不安を抱えたまま、生の欲望に邁進するのが、本来の人間の姿です。症状を取り除くことを目的として、実践・行動しているわけではありません。不安と欲望の単元は、不安の特徴や役割、不安と欲望の関係などとても大事な単元です。「実践症候群」に陥る人は、今一度基本に立ち戻ることをお勧めします。
2022.09.20
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引き続き稲盛和夫氏のお話です。人生をよりよく生き、幸福という果実を得るには、どうすればよいのか。そのことを私は一つの方程式で表現しています。それは次のようなものです。人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力つまり、人生や仕事の成果は、これら三つの要素の「掛け算」によって得られるものであり、決して「足し算」ではないのです。まず、能力とは才能や知能といいかえてもよいのですが、多分に先天的な資質を意味します。健康、運動神経などもこれにあたるでしょう。また熱意とは、事をなそうとする情熱や努力する心のことで、これは自分の意思でコントロールできる後天的な要素。どちらも0点から100点まで点数がつけられます。三つの要素の中で最も大事なものは考え方です。この考え方次第で人生は決まってしまうといっても過言ではありません。考え方という言葉は漠然としていますが、いわば心のあり方や生きる姿勢、哲学、理念や思想なども含みます。この考え方はプラス100点からマイナス100点まであります。いかに能力や熱意があっても、考え方の方向が間違っていると、掛け算をすればマイナスの結果しか出てきません。(生き方 稲盛和夫 サンマーク出版)この考え方を基にして神経質者の生き方を考えてみました。能力・・・私たちは神経質性格を持っています。森田理論学習をする前は、致命的な欠陥を持った性格だと思っていました。森田理論学習をしたおかげで、神経質性格は類まれな素晴らしい面があることが分かりました。感受性が強い。細かいことによく気が付く。分析力、洞察力に優れている。真面目で責任感がある。粘り強い。自己内省性がある。強い生の欲望を持っている。神経質性格を持っているだけで高得点が付けられると思っています。熱意・・・私たちはスッポンのように一旦食いついたら離さないという特徴を持っています。執着性が強いといわれています。執着性はプラスの活かし方とマイナスの活かし方があるように思います。神経症を克服しようとする熱意は相当なものがあります。これはマイナスの活かし方をしていると思います。森田理論の学習で、神経症は器質的な病気ではないということをしっかりと理解する。そして熱意を持つ対象を変化させることで、初めてエネルギーの有効活用が可能になります。考え方・・・これは森田理論学習で今までの認識の誤りを塗り替えることができました。大きく分けて二つの側面があると思います。まず不安に対する考え方が変わりました。不安には現実的な不安と神経症的な不安があることが分かりました。現実的な不安はすぐに解消に向けて行動を起こす必要があります。神経症的な不安は欲望の裏返しとして当然のごとく発生している。不安に手をつけるのではなく、欲望の充足に精を出すことが大切である。その際、欲望は限りなく暴走する傾向が強い。そのときはこの不安に学び欲望の暴走を制御するとよい。つまり不安と欲望はバランスを意識して生活することが肝心だということが分かりました。次に私たち人間は、大脳が高度に発達しているために、あまりにも事実、現実、現状を軽視して、観念主導で物事を推し進めようとする傾向が強い。森田理論では「かくあるべし」を自分、他人、自然に押し付けて、様々な問題、葛藤、苦悩を生み出していることを学びました。事実を非難、否定していると、そちらにエネルギーが吸い取られて、生の欲望の発揮のスタート地点に立つことができないと学びました。森田理論の「事実唯真」の考え方は、人類が平和にこの世で生きていくための哲学だと思います。森田理論は突き詰めて考えると、この2点に集約されるのではないでしょうか。この考え方は大きくプラスの加点が付くと思います。これが仮にプラス70点とすると、能力50点、熱意50点でも、掛け算していくと175000点となります。この森田の考え方が曖昧ということになると、30点、0点、悪くするとマイナスポイントがつくかもしれません。考え方が0点だと、神経質者としての生き方の合計点は0点です。仮にマイナス30点だとすると、生き方としてはマイナス75000点となります。能力を向上させ、情熱を持って取り組んでも、考え方が大きくマイナスに振れると人類は滅亡してしまうかもしれません。
2022.09.19
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稲盛和夫氏のお話です。人生では「知識より体得を重視する」ことが大切です。これは、いいかえれば「知っている」ことと「できる」ことはかならずしもイコールではない。知っているだけで、できるつもりになってはいけないという戒めでもあります。セラミックの合成にしても、この原料とこの原料を混合して何度で焼けば、このようなセラミックスができるということは本を読めばわかります。しかし、その理論どおりにやってみても思いどおりのものはできません。現場で何度も経験を積むうちにしだいに神髄が把握できる。知識に経験が加わって初めて、物事は「できる」ようになるのです。それまでは単に「知っている」にすぎない。情報社会となり知識偏重の時代となって、「知っていればできる」と思う人も増えてきたようですが、それは大きな間違いです。「できる」と「知っている」の間には、深くて大きな溝がある。それを埋めてくれるのが現場での経験なのです。(生き方 稲盛和夫 サンマーク出版 100ページ)森田理論の学習と行動は車の両輪であると学びました。森田先生ところでの入院療法は、実践・行動が優先されていました。そして後付けで森田理論を学んでいました。現代は森田理論学習が優先されているように思います。森田理論を正しく理解し、納得することに力点が置かれているように思います。問題は理論を理解するだけで、活用や応用にまで至らないことです。これは片手落ちということになります。車でいえば理論学習の車輪が、学習するたびに、大きなものに付け替えられている状態です。実践・行動、活用や応用の車輪は小さいままです。アンバランスです。それを前に転がしたとき、小さい車輪の周りを大きな車輪が空回りすることになります。これでは症状は克服できません。思いとは反対に、どんどん増悪していくということになります。森田理論を極めた人が、元気がなくなり、急に落ち込み、うつ状態になるという話を聞くことがあります。その人が規則正しい生活をしているのか、凡事徹底に取り組んでいるのかを見ていると、落ち込んでいる原因はすぐに分かります。つまり実践・行動、活用や応用が極めて不十分な場合が多いのです。あるいは移り気で継続性がない場合もあります。そういう人は、そのようには考えないで、森田理論の理解がまだまだ不十分だから、神経症が悪化したと考える傾向があるのです。従ってさらに理論学習にのめり込むという悪循環にはまっているのです。視点を変えることが必要になります。学習と行動の車輪は同じ大きさであるということが大切になります。小さい時は小さいなりに、大きくなれば両方の車輪を同時に取り換えていく必要があります。集談会に参加するような人は、真面目によく学習されています。この際学習は横に置いておき、実践・行動、活用や応用に力を入れることです。学習と実践のバランスをいかにとるかに注意を向けることが大切になります。そうすれば万事うまくいくようになっているのが森田理論です。目の付け所を間違えないようにしたいものです。
2022.09.18
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親戚の法事で次のような話が出ました。私のいとこで奥さんに先立たれて、今は一人暮らしをしている人の話です。70代の人ですが、農作業をしながら生活しています。趣味は競馬です。その人には3人の子供がいるのですが、いずれも家を出て生活をしている。その子どもたちは家には全く寄り付かない。連絡は完全に途絶えている。どこに住んでいるのか、見当はついているが、正確には分からない。それは子どもに厳しく当たってきたからだという。父親を鬼のような人だと思っているのだ。父親を毛嫌いして、もう実家には帰らないという決意を持って出ていった。そのつけが今頃になってやってきた。孫の顔を見てみたいが、かなわないだろうという。自分の子育ては完全に失敗だったと後悔の気持でいたたまれなくなる。私はその話を聞いて、それは子育てに失敗したのではなく成功したということではないか。すべての子供が親を当てにしないで自立できたということはたいしたものだ。後悔する必要はないと思う。自慢してもよい話ではないか。後悔しているというが、それは子どもに何かを期待しているやましい気持ちが見え隠れしているからではないのか。子どもが親を親とも思わなくなるというのは、寂しいものがあるが、親の務めは子どもが自立して一人で生きていけるようにすることだ。別に立派な親でなくてもよいと思う。だらしない親で、子どもから毛嫌いされるつまらない親であっても結構。子どもから反面教師にされるということは、子育てでは大切なことだ。身体を張って反抗するということは、子どもにとっては「あんな親だけにはなりたくない」という自立心の表れそのものだ。そんな子育てを貫いたということは、実感としては少し寂しいが、立派な子育てをしたということだ。あとは自分でやってくれと押し出してやればよいと思う。未練がましく、いつまでもなれなれしくしてはいけないと思う。テレビドラマの中で、どちらが親で、どちらが子供か分からないような友達関係のような親子が出てくるときがあるが、これは共依存の関係に陥っているのではないか。こんな親子関係では、子どもは家から出ていかない。いつまでも経済的に親に依存してしまう。その方が快適だからだ。経済的に自立できないということは、精神的に自立できないということと不可分の関係にある。2つの側面で自立できないと、社会の荒波を乗り越えていくことは極めて難しくなる。親が仮に亡くなってしまうと、太平洋の真ん中で羅針盤を失った船のようになる。親の援助を期待しないで、自分の力で生きているというのは素晴らしい。今の世の中を見ていると、子どもが自立したといっても、親の庇護のもとで生活している人がほとんどだ。子どもが生活に困ったと言えば、金銭的な援助をする。我が家でも子供が高速道路でやってくると高速代や燃料代は出してやっている。孫が大学に入るという場合は、多額の支援を当然のように期待している。家を建てると言えば、両方の親が相当入れ込んでいる。子どもは親の残した家や財産を相続するという前提で生活設計をしている。これではいつまで経っても、子どもは自立できない。そういう関係を続けていくことが本当に子どもにとって幸せなことなのか、今一度考えてみることが大切になる。キタキツネの母親は、子どもが赤ちゃんのうちは手取り足取り世話をして育てる。そして少しずつ狩りを教えていく。そして一人前になったと判断すると、母親は子どもを巣から追い出すという。子どもは名残惜しく巣の周りをうろついているが、母親は牙をむいて威嚇する。どうしようもなくなった子供のキタキツネは、断腸の思いで生まれ育った巣を離れて自立していく。これが自然界で繰り返されている現実なのだ。人間の子育てもこれに学ぶ必要があると思う。
2022.09.17
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私が自給野菜作りを推薦しているせいか、周囲に家庭菜園の話をする人が増えてきました。近くの市民菜園に申し込んだ人もいます。しかしこれは順番待ちでなかなか当たらないそうです。またあっても少々遠いのが難点です。でも探す気になればそのうちなんとかなるのではないでしょうか。家の前の小さな庭に花や野菜を上手に作っている人もいます。マンションのベランダでも工夫次第で楽しい場所に早変わりします。こまめに手入れをしている人の庭は近所の人が興味深く見ています。この場合はトウモロコシとかサトイモ、ゴボウ、アスパラ、オクラのように上に伸びる野菜がよいようですね、横に大きく広がる野菜は難しい。中にはビニール袋に土を詰めてミニトマトを作った人もいます。鉢に棒を立ててナスを作る人もいます。コンテナにネットを張ってキュウリやエンドウを育てている人もいます。余った野菜を農協に出したり、国道端に出して無人の販売をしている人もいました。野菜が高いときに、友人や隣近所の人におすそ分けすれば喜ばれます。私は「またですか」と言われたことがありましたが、やりすぎはダメなんですね。押し付けになるのです。小さな親切大きなお世話になるのでしょう。ラディシュや20日ダイコンのような野菜はすぐにできますね。はじめての人はここらあたりがお勧めです。野菜サラダに利用できます。野菜つくりをしている人は、加工食品の話でも盛り上がります。梅酒、ラッキョウ漬、梅干し、干し柿、味噌作り、豆腐作り、燻製、ピザ、うどんやそば打ち、魚の三枚おろし、お好み焼き、タコ焼きなどです。森田先生は奥さんとドジョウのさばき方で競争をしたことがあったそうです。1匹違いで奥さんの方が勝ったそうです。私は田舎に帰ると、草刈りや野菜の手入れをして、七輪でメザシやイカ、魚や肉を焼いてノンアルコールのビールを飲むのが楽しみです。集談会でも、例えば1年に1回くらいは、アジの3枚おろし選手権大会などがあってもよいのではないか。生活の発見会の総会の前日には、全国タコ焼き選手権大会など企画すると人が集まりますよ。各集談会や支部で予選を勝ち抜いてきた人たちで競争をするのです。または、全国カラオケ王座決定戦を企画する。そうだ、こちらの方が実現の可能性が高い。歌の先生を呼んで審査してもらうという案はいかかでしょうか。賞品はタナカサダユキさんに描いてもらったイラスト。考えただけでもワクワクします。参加した人は良い思い出と自信になります。こうした成功体験はきっと次につながります。私は集談会は森田理論学習だけで集まってはもったいないと思っています。昔から学習と行動は車の両輪だといわれています。ある程度学習した人は、今度は生活への方に視線を向けた方が有意義です。みんな好奇心が強くそれぞれに強みや特技を持っているわけですから、それを紹介する時間があってもよいと思います。それを披露しあうと、知らず知らずのうちによい影響を与えあうことになるのです。これを「生活森田」「応用森田」と呼んでいます。逆に言うと森田理論学習ばかりというのは、そのうち人が寄り付かなくなりますよ。長い目で見るとそうなっているというのが私の実感です。
2022.09.16
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6月の集談会で興味深いことを聞いた。以前に青木薫久先生のところに入院されていた方である。青木先生は目的本位ではなく、物事本位ということを言われた。これはどういう違いがあるのか。言葉遊びのような気がしないでもないが、興味が尽きない。森田では見つめて、問題点や課題に気付く。その解決に向けて努力する態度を勧めている。これは目的本位ということではないのか。6月号の生活の発見誌に、『気分や症状はどうであれ、必要な行動ができたかどうかで物事を判断することを「目的本位」といいます。いくら気分がすぐれなくても、必要な仕事が達成できればOK。逆にいくら気分が良好であったとしても、仕事が成し遂げられなかったらNGという姿勢です』と説明されています。この説明に異論があろうはずがありません。特に神経症でもがいている人は、頭の中が神経症のことで一杯で、日常茶飯事が手付かずです。そのことで益々観念と行動の悪循環を招いています。そのような人には、首に縄をつけてでも、規則正しい生活、日常茶飯事を丁寧にこなすことが大切になります。気分がすぐれなくても、イヤイヤ、仕方なく、気が向こうが向くまいが関係なしです。いわば強制的です。その取り組みはよい結果をもたらします。それでも行動しない、できない人が多いのです。ここでは目的本位というスローガンを掲げて行動力をつけることが大切です。ではそういう態度を続ていけば問題がないのかという疑問が湧いてきます。特に最悪期を脱した後に、神経症を治すための行動は事態の悪化を招きます。目的本位は「かくあるべし」と親和性があります。掲げた目標、課題を何が何でも達成しなければならないと叱咤激励することは、百害あって一利なしだと思います。この点森田先生はどのように指導されていたのか。この「なりきる」ということが「悟り」です。われわれは人生の欲望に対して、常に念掛け、あこがれながら、その目的を失わず、しかも何かとその現在現在の事柄に対して、力の及ぶ限りのベストを尽くしているのが、「物そのものになりきる」という自然の状態であります。そこにはじめて「努力即幸福」という心境があるのです。(森田全集第5巻 615ページ)つまり、最悪期を脱した後の行動は、「ものそのもになりきる」「一心不乱」「遊戯三昧」「目的を忘れた行動」「行動に没頭する」という姿勢・態度が肝心になるということです。これが青木薫久先生の言われていた「物事本位」になるということではないでしょうか。行動が停滞している時は弾みをつける意味で「目的本位」を意識していく。はずみがついたら「物事本位」に切り替えていく態度が望ましいというになります。
2022.09.15
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私はマンションの管理人として同じ棟で13年ほど働いてきました。この度、定年退職しました。それでも会社の好意で1年延長してもらいました。まだまだ働ける、この棟でずっと働き続けたいと思っていましたが、断腸の思いで辞めることになりました。その間居住者の3分の1は入れ代わりました。新しく入居された人たちにはできる限り支援をしてきました。その人たちから山のようなお菓子や飲み物やお酒や花束や餞別をいただきました。私にとっては予想外のことで大変驚きました。マンション中の噂になって、最後の日は和やかな挨拶ばかりで終始しました。中には携帯の電話番号を教えておいてくれという人までいました。入ったとき小学生だった子どもたちは、大学生、社会人として巣立っていきました。その成長を目の当たりにできたことは幸せなことでした。管理室で宿題をして過ごしていた子供が、大きく成長するのはあっという間です。感激したのは、小学生のとき母親が外出中で家に入れない子供の面倒を見たことがありました。その子が、「おじさん、その節はお世話になりました。どうして辞めるんですか」と挨拶に訪れたことでした。思わず感激して涙が出てきました。小さな親切は仕事上当たり前のことだと思っていましたが、相手にとってはいつまでも心の中に残っているのだなとしみじみと感じました。それからこの会社には、非難、叱責をくり返して誰も電話をしたがらない女性の統括責任者がいました。確かに手ごわかったです。情け容赦ない感じでした。私も何度も腹が立って、そのために退職の危機に立ったことがありました。この度、森田の感情と行動は区別するという理論を検証する事にしました。電話をして、「長い間大変お世話になりました。ご迷惑ばかりおかけして申し訳ありませんでした。体に気を付けてこれからも頑張ってくださいね」と言いました。すると不思議なことに、その女性が電話口で涙声になっているのです。これには驚きました。そして私が会社の懇親会で「獅子舞」を踊ってくれたことを懐かしく思い出しますと言い出しました。今までに聞いたことのない言葉でした。感情と行動を切り分けるというのはすごい効果があるというのを再認識しました。これは森田をやっていたおかげです。そうでなければ恨みつらみで電話することはなかったでしょう。私の定年退職の話は、他の管理会社に拡がっており、早速別の管理会社からオファをいただきました。今度の会社は定年がないから存分に働いてくださいと言われるのです。私もまだ働きたい気持ちがありましたので、引き続き働くことにしました。学校の先生でいえば、学校を変わるようなものです。ここで大きな目標を立てました。この度定年退職した棟よりも、もっと居住者に寄り添って絶大な信頼感を得るように頑張ってみようというものです。そのためには、居住者の顔と名前を早く覚える。笑顔での挨拶を心がける。依頼事項は素早くこなす。会社との連絡、清掃、植栽管理、点検作業、立ち合い作業はそつなくこなす。とくかく想定以上の仕事ぶりで成果を出したい。そして管理会社にも高く評価されるような仕事をしたい。とりあえず、ここ1年が勝負だと思っています。よい結果を1年後に報告できるように頑張りたい。
2022.09.14
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人間関係ではやってはいけないこととやった方がよいことがあるように思います。やってはいけないこと(べからず集)・挨拶することを軽視している。知らないふりをする。・葬儀や法事に行かない。香典などをけちる。・相手の名前を忘れる。・約束を守らない。ドタキャンする。・金銭問題を起こす、男女問題、酒癖が悪い。・自分の言いたいことばかりしゃべり、それを相手に押し付ける。・相手の話を別のことをしながらうわの空で聞く。・自分の間違いを認めない。言い訳、ごまかし、責任転嫁する。・カッとなって暴言や暴力をふるう。・相手を非難、否定、叱責、拒否、脅迫、強制する。・「あなたメッセージ」の会話ばかりする。・相手をからかう。無視する。仲間外れにする。やった方がよいこと・いつも相手に笑顔で挨拶を心掛ける。・傾聴、共感、受容、許容を心掛ける。・「私メッセージ」の会話を心掛ける。・相手の話に間違いや同意できなくてもすぐに反論しないでまずはよく聞く。・「ありがとう」という言葉を意識して使う。・相手の存在自体を評価する。感謝の気持ちを持って生活する。・余裕があれば、おすそ分けの気持ちをもつ。・親切にしてもらったらお返しをする。・相手が困っているときは、できるだけ援助する。・相手のよいところは積極的にほめる。・努力しているところを評価する。・相手の関心をつかむ努力をする。このほかにもあると思います。各自で考えてみてください。忘備録として持ち歩き、少し意識するだけで人間関係はよくなると思います。森田では、不即不離の人間関係をお勧めしています。それに取り組む前に、ここで上げたことが手抜きになっていると、ザルで水を掬うようなことになってしまいます。
2022.09.13
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以前、スピードスケートで活躍した清水宏保氏のお話です。筋肉は結構賢いのです。それにずるいところがある。何度も負荷を与えていると、筋線維に組み込まれた知覚神経が学習してしまって、それほど変化しなくなってしまう。だから毎年、トレーニング内容は変えています。常に新しいことに挑戦していくと、それが自信にもなる。トレーニングで一番大事なのは、やったことによる自信を得ることなのです。清水氏は、同じことを繰り返しているとマンネリになるといわれています。マンネリ化すると、興味がなくなる。やる気が湧き上がってこなくなります。私たちは集談会の森田学習で「学習の要点」を読み合わせて、意見交換をしています。しかし36年もこれをくり返していると、「さあ学習するぞ」というよりも、「またか」という気持ちになることがあります。それを打破するために、必ず自分の体験談を思い出して学習する。何処をどのように生活に活用・応用していくかという視点を持って学習するようにしています。表面的な学習は何の効果もないばかりか、嫌悪感が生まれてきます。森田先生は、マンネリ化は飽きがくると同時に、体の一部分を酷使するので疲労してくる。そういう時は、別の仕事に取り組むのがよいといわれています。頭を使う仕事から、体を動かす仕事に変える。「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にある」ということです。集談会では30分おきに仕事を変化させることを実践している人がいました。本を読んでいたとすると、次に洗濯や料理に手をつける。取り組む仕事の種類を変えていくということです。するとさまざまなことを手掛けることになり能率が上がります。私たち神経質者は、動き出すまでは時間がかかり、一旦動き出すと、ついのめり込んでしまうという特徴があります。このやり方は気分に左右された行動であり、生活のリズム感がとれません。次に、清水氏はトレーニングで一番大事なのは、やったことによる自信を得ることだといわれています。私たちは過去のミスや失敗、気まずかったこと、恥ずかしい思い出などをたくさん記憶しています。今度新たな行動をとるとき、これらのマイナスの記憶が邪魔をしてきます。それが生き長らえるために必要だった名残が今でも続いています。しかしこれでは、新たな挑戦、前向きな行動が抑制されてしまいます。ここでものを言うのは、過去の成功体験です。どんな小さなことでも構いません。それらが積み重なっているかどうかが肝心です。その成功体験が自信となって、マイナス記憶と対峙してくれているのです。私は集談会で世話活動を30年以上続けてきました。仕事のようにイヤで逃げ出したいことはあまりありませんでした。会社では失敗は許されませんが、集談会活動では大目に見てもらえました。ここでの成功体験は大いに仕事や人間関係の面で役立ちました。特に集談会単独で、心の健康セミナーを開催して、成功した体験は大いに自信になりました。その他、集談会の一泊学習会、泊を伴う支部研修会の開催の成功は、自分の血となり肉となってその後の生活に活きているように思います。老人ホームの慰問活動も小さな成功体験の積み重ねのたまものだと思っています。何よりお年寄りが喜んでくれるのがうれしい。慰問仲間は好奇心の強い人ばかりです。その人たちとの交流も楽しみです。自家用野菜作りも最初は失敗の連続でしたが、小さな成功体験を積み重ねていくうちに、自信をつけて上手に作れるようになりました。野菜作りは自分のことよりも、野菜たちが元気で成長するように一生懸命に世話をすることになりますので、そのときは神経症的な不安は全く出てきません。今では余った野菜のおすそ分けを楽しみにしてくれている人もできました。
2022.09.12
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「荘子」「知北遊」篇には、「人間の肉体は誰のものでもない、ひととき預けられたものである」とある。人間の身体も皆、自然界からの借り物であって、いずれは返さなければならないものである。(菜根譚 ナツメ社 156ページ)これは人間の身体は、市民菜園、レンターカー、事務機器、コンサートホールなどと同じように、レンタルしているようなものだという考え方です。借りているものは、期限がくれば返却しなければなりません。棄損したものを返すことになると、損害を弁償しなければなりません。人様のものですから、返却日まで細心の注意を払って大切に取り扱うことが欠かせません。はたして人間は自分の身体をそのように取り扱っているでしょうか。自分の身体は紛れもなく自分の所有物だと思っていることが多いのではないでしょうか。そう考えていると、不平不満が生まれてきます。理想と現実のギャップ気づくと自分を否定するようになります。たとえば、もっとイケメンや美人に生まれてくればよかった。スポーツ万能、頭脳明晰、能力が高く、リーダーシップのある人間に生まれてきたかった。家柄も立派で、戦争とは無縁な時代や国に生まれてきたかった。絶えず理想と現実が言い争いをするようになります。山崎房一さんは、「自分の最大の敵は自分」であると指摘されています。自分にとって、一番恐ろしいことは自分が他人の目で自分の欠点を責めたてて自分の存在を否定すること自分にとって、一番心強いことはどんなことがあっても自分が自分の味方になって自分を守ることです(心がやすらぐ本 PHP 70ページ)森田理論の学習の中で、「かくあるべし」という観念的、理想主義的な態度で、現実や現状を否定している態度が葛藤や苦悩を招き寄せていると学びました。私は、現状に不平や不満、グチ、自己嫌悪、自己否定の感情が湧き上がった時、次のように考えるようにしています。まずいい、上から下目線で「かくあるべし」を押し付けているぞ。自分の悪い癖が出て来たよ。自分に寄り添うことが一番大切だ。森田の基本は、事実に寄り添うことですよ。事実に寄り添って、下から上を見上げるようになりたいね。最悪な事態を想定してそれをあるがままに受け入れてみよう。キーワードは一休禅師の「大丈夫。心配するな。なんとかなる」です。次にマイナス感情にばかり浸っていると、未来に希望が持てなくなってしまう。バランスが崩れると、存在基盤が崩れて、空中分解してしまうのが宇宙の法則だ。森田の両面観や精神拮抗作用を思い出そう。マイナス感情が湧き上がったとき、ポジティブな感情を考えてバランスをとる必要がある。キーワードは「サーカスの綱渡りのイメージで生活しよう」です。集談会では、お寺の住職さんから「ほどほど道」という生き方を教えてもらいました。私たちはイヤのことが発生すると、それを大きく膨らませて、自分の人生に致命的なダメージを与えてしまうと考えてしまいます。それを周りから見ると、「悲観上手な天才」に見えてしまうのだそうです。実に滑稽で精神的に幼いピエロを演じているかということです。中庸の考え方、見方を身に付けるためには、集談会などで切磋琢磨する必要があると思います。ここでのキーワードは、「白と黒の間には無限の灰色の世界がある」ということです。灰色の部分に注目できるようになった人は、包容力を持った心の広い人に見えます。
2022.09.11
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先日NHKの「ダーウィンがきた」という番組を見た。南アフリカの南端ではイワシが大量に発生する。そのイワシが群れを作って南から寒流に乗って北に大移動するという。そしてある場所で向きを変えて、今度は暖流に乗って南下してくる。これをサーディン・ランというそうだ。その過程で様々な命の営みが繰り返されている。イルカは仲間同士で協力して、イワシを海面近くに移動させて捕食している。その後ろには獰猛なサメも控えて、おこぼれを狙っている。空からはカツオドリの襲撃がある。カツオドリの雛は海に出て飛行訓練をする。その雛が海に落ちると、すぐにオットセイの餌食になる。オットセイの子育て中は大量の食料が必要になるという。イルカがイワシに夢中になっているとそれを狙って近づいてくるシャチがいる。海のギャングと言われるシャチは仲間と連携して、イルカに体当たりしてくる。弱ったイルカはなすすべもなくシャチに捕食されます。そのほか、ニタリクジラもやってくる。一口で数1000匹というイワシを一飲みしています。弱肉強食の世界とは言え、こうした営みが日々繰り返されているのです。イワシはいつも逃げ回ってヘトヘトになっています。イワシを人間に置き換えてみるとどうでしょうか。イワシは弱者で常に命を狙われています。それも一方的です。長生きして子孫を残したいと思っていても、予期せぬ形で命が尽きてしまいます。こんなに理不尽なことが許されてもよいのか。イワシの胸中察して余りあるものがあります。私たち人間も天災と隣り合わせで生活しています。また思わぬ事故に巻き込まれて命を落とすこともあります。蓄えた財産を無くしてしまうこともあります。そして愛する人たちとの別れも待っています。他国から理不尽な戦争を仕掛けられることもあります。この世で生きていくことは、こうした理不尽な出来事に常に囲まれているということではないでしょうか。ここで肝心なことは、それらを受けいれていくことだと思います。好むと好まざるとにかかわらず、その道しか用意されていません。それを受けいれて、目の前の自分のできることに精一杯取り組んでいく。不安を抱えながら、前進することが大切になります。森田ではこのことを「生の欲望の発揮」と言います。もし人間の創造主がいるとすれば、そこに焦点を当てて、厳しく査定しているのではないか。私はそう思えてなりません。
2022.09.10
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岡田尊司氏のお話です。不幸にも母親から十分な愛情や世話を与えられずに育った結果、貧弱で不安定な愛着しか育まれないと、ストレスに敏感で傷つきやすくなり、人との関わりに苦労するだけでなく、配偶者との関係や子育てといった、もっとも密着した関りを要する関係においても困難を生じやすい。では、不幸にも親の愛情に恵まれなかった人は、不安定な愛着を抱え、一生苦しまなければならないのかと言えば、そういうわけではない。拙著「愛着障害」や「母という病」で述べてきたように、それは克服していくことができる。克服の方法の一つは、親とは別の第三者から安定した愛情や世話を受けて愛着の傷を癒し、安定した愛着を取り戻すことだが、もう一つの方法は、自分自身が愛情や世話を特定の対象に与え続けることである。(真面目な人は長生きする 岡田尊司 幻冬舎 207ページ)対人恐怖で苦しんでいる人は、他人への信頼感が持てない人である。それは生まれてから3歳くらいの間に母親との間に愛着の形成ができなかったのが原因の一つだといわれている。特に0歳から1歳6か月の間は母親が四六時中目を離さないで世話をする必要がある。不快なことがあれば、泣き叫ぶと母親が飛んできて、それを取り除いてくれる。母親は子どもの安全基地、母港として機能する必要がある。しかし不幸にして、愛着の形成が不十分で終わってしまうと、その後の人生は人間関係につまずくことになる。しかし岡田尊司氏は、克服することが可能だといわれているのである。1、親以外の人から人の援助を受けて、安定した愛着を取り戻すことです。私の場合は、生活の発見会の先輩会員の方でした。その方の特徴は、自分のことを非難されたことは一度もありません。私が実践課題の発表をすると、いつも励ましてくださいました。私の話をよく聞いてくださいました。アドバイスというよりは、自分が森田を学習して感じたことや生活の中で応用している話をしてくださいました。いつもにこやかで、話し方がとても柔らかい人でした。私は集談会の時は最初の頃はその方の側に近づくようにしていました。素晴らしいオーラがあり、参加者全員が一目置いていました。1ヶ月に1回しか会いませんでしたが、会社の中での人間関係や仕事の進め方で困った時は、今度の集談会で相談に乗ってもらおうと思っていました。いつもお会いしなくても、心の支えになってくれる人を持っていると安心感があります。今思うと私には、集談会の先輩が心の安全基地の役割を果してくれていたのです。ありがたいことで、それを思うと涙が出てきます。2、自分が他の生き物に愛情を与え、世話をしていくことです。親や配偶者や子供に、適度な距離を保ちながら、目を離さないようにする。何かあった時は積極的に手助けする。私の場合は集談会に参加し始めて6か月くらいから世話活動をしてきました。最初は図書係でした。その後はいろんな役割を経験しました。人の為にやっていたことが、不足していた貴重な社会体験の場になりました。それが広がって、町内会、マンションの管理組合の役員もしました。会社では中間管理職として部下の指導をしていました。しかしこれはうまくはいきませんでした。今考えるとマネージメントについて無知だったからです。管理職としての学習機会がなく自己流でした。仕事ではマンションの管理人のとりまとめもやっていました。これはみんなから頼りにされていました。頼りにされるとうれしいものです。趣味の会でも積極的に役割分担を果すようにしてきました。ペットでは、金魚やメダカを飼いました。水を替えたり餌やりをします。今はメダカがいるので何日も家を空けることができません。その他、自家用野菜の手入れをしています。現在は夏野菜も終わりに近づき、秋冬野菜の切り替えの時期です。水やり、土つくり、輪作体系、酸度調整、雑草退治、病虫害の予防、土寄せ、誘引、芽かきなど世話をすることがいっぱいです。世話をすれば野菜が応えてくれます。これらも愛情をかけ世話をすることにつながっているのではないかと思っています。このブログは、森田で救われ、神経質者の人生観を確立できたので、そのお返しのつもりで取り組んでいます。毎日1000人以上の人からのアクセスがあり、少しはお役に立てているのかなと思っています。今まで多くの人のお世話になってきました。今後は自分にしてもらった以上のことをしてお返しをしたいと思っています。それらが私が抱えていた愛着障害の克服につながっていたのだと思います。
2022.09.09
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ドイツ・マンハイム大学の心理学者フリッツ・ストラック教授が次のような実験を行いました。学生92人を3つのグループに分けて、次の表情をとってマンガを読んでもらった。1、鉛筆をそのまま口にくわえさせてからマンガを読んでもらうグループ。2、鉛筆を歯で横にくわえさせてからマンガを読んでもらう。3、手にペンを持ってから普通にマンガを読んでもらう。1のグループは、本人の意図とは関係なくしかめっ面になった。2のグループは、本人の意図とは関係なく笑顔になった。ムリに笑い顔をされられたグループが「マンガが楽しい」といった割合が高くなったという。3のグループは、比較のための無条件のグループだ。感情によって顔の表情が変わるのは当たり前です。意識して顔の表情筋を変えることで、感情が変わるというのが面白いところだ。特に口角(唇の両端)を上げるように心がけると、明るく前向きになる。反対に唇の真ん中を持ち上げて、口角を下げるとしかめっ面になる。普段写真写りが悪い人と思っている人は、口角を上げるだけでにこやかに微笑んでいるように見える。これはご自分でぜひ確かめてみてください。ジェームス・ランゲ理論では、「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」というのがあります。これは、身体の反応や生理反応が感情に影響を及ぼすのであって、感情が先ではなく行動や身体反応が先という理論である。これは森田先生も言及されていた。これは応用・活用してみる価値がありそうです。(週末号泣のススメ 安原宏美 扶桑社参照)私たちはネガティブな感情に振り回されることが多いわけですが、そんな時は意識して明るく前向きな表情をとるようにするとよいのです。顔の表情筋はいくつもあるそうですから、ネットで調べて活用してみてください。どんな感情が湧き起こってきても、形を整えることはとても大事なことです。ダメ、ムリ、できない、万策尽きたなどと言うネガティブな言葉を封印して、できるかも、きっと大丈夫、なんとか突破口を探してみようというふうにポジティブな言葉を使うように心がけたいものです。私は集談会で「靴がそろうと心がそろう」という話を聞いた。私はこの言葉を座右の銘にしている。大変に役に立っています。どんなに不快でも、感情は感情、行動は行動と分離して行動することで、その後の展開をある程度コントロールできるように思っています。人間関係を改善するには、案外ここらあたりにあるのかもしれません。感情と行動の分離は、一朝一夕で身につけることは困難ですが、その理屈が理解できただけでも森田を学習してよかったと思っています。10のうち1つでも2つでも応用できるようになると、自分の人生を変えるだけの力を持っています。
2022.09.08
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ある料理人のエピソードをご紹介しましょう。彼のお母さんはいわゆるネグレクト(育児放棄)で全然家事などをせず、彼自身、子どもの頃から家族のために料理を作らされていたそうです。しかも、小学生のときには彼が作った料理を食べて「まずい!こんなものを親に食わせるのか」とお皿を投げつけられたこともあるそうです。しかし、彼は両親やきょうだいにおいしいものを食べさせたくて必死に料理を頑張り、やがてそれを職業にしました。そして、腕を認められ、若くして店を持ち、人気店になり、賞をとったのですが、彼はその授賞式でこんなスピーチをするのです。「私はただ家族に、そして、目の前の人においしい料理を食べてほしくて必死だっただけです。そのうえでこの賞をいただけるのならば、私を料理人として育ててくれたお母さんに真っ先に感謝を伝えたいと思います。お母さん、ありがとう」(7日間で自己肯定感をあげる方法 根本裕幸 あさ出版 159ページ)普通親からこのような育て方をされたら、一生親を憎み続けると思います。とても「お母さん、ありがとう」という気持ちにはなれないと思います。ネグレクトのお母さんは、料理をしないだけではなく、掃除、ゴミ出し、洗濯、整理整頓、子どもの世話、近所付き合いもしていないと思います。そして家を空けて遊びまわっていたのではないでしょうか。そういう母親に育てられるとまともに育つことはほぼ不可能です。いさかいが絶えなくて、最悪の養育環境で成長することになります。そして親に反抗して、早晩家を飛び出すことになると思います。この方はそうはならなかった。最初はイヤイヤ、仕方なく料理をしていたのかもしれません。必死にやっているうちに、少しずつ腕を上げ、料理の面白さが分かってきたのでしょう。家族が喜んでくれるようになり、店を持ってからはお客さんに喜んでもらえるようになった。これは自分の置かれた境遇をあるがままに認めることができたからこそ可能になったのだと思います。非難、否定していると現実を素直に認めることは出来ません。相手を憎み、攻撃するエネルギーはどんどん蓄積されていきます。事実を素直に認めることができるようになると、エネルギーの無駄遣いはなくなります。理想と現実の乖離もなくなりますので、葛藤や苦悩もなくなります。そして、有り余ったエネルギーを現状改善ために使うことが可能になります。森田理論でいうと「かくあるべし」を振りかざして、現実を否定することがなくなり、地に足を着いて、生の欲望に目覚めて行動を開始したということだと思います。人間は大脳の前頭前野が高度に発達し、言葉をあやつり、観念優先の世界にどっぷりと漬かっています。それが人間に葛藤や苦悩、神経症を生み出していると教えてくれました。森田理論は事実の世界を優先する必要があるのではありませんかと問題提起してくれています。事実の世界を観念の世界の上に持ってくる。これが森田理論の目指している世界観です。森田理論学習で自分のものにしていきましょう。
2022.09.07
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感動の涙はストレスを緩和する効果があるという。涙の原料は血液だが、血液と較べると30倍も濃いある物質が見つかった。その物質とは、ミネラルの一種の「マンガン」です。マンガンは涙腺で作られることはありません。それなのに、原料の血液より濃いということは、身体の中から集められて濃縮オレンジジュースのように濃縮されているという。マンガンは骨を強くし酵素の働きを高める役割を果しています。しかし摂取し過ぎると気分が不安定になるなど、感情にストレスを及ぼす物質になります。チリのマンガン鉱山で働く労働者の中には、長期間マンガンを吸い込んだことによるマンガン中毒で、集中力の欠如や言語障害、記憶障害がひきおこされるそうです。進行すると、筋肉のふるえや衰弱など神経麻痺症も呈するという。マンガンは慢性うつ病患者の死後の脳にも散見されるそうだ。ですから感動の涙を流す機会の多い人は、うつ病を避けられる可能性がある。(週末号泣のススメ 安原宏美 扶桑社)感動の映画を見ていて、涙が止まらなくなったことは、多くの人が経験されているのではないでしょうか。私も何度も経験しています。理不尽で悲しい運命に翻弄されながらも懸命に生き抜いている人。困難な環境、境遇にさらされながらも、決して人生を投げださない人。自分の命が燃え尽きてしまうかもしれないにもかかわらず、他人のために尽くそうとしている人。命ある限り、前向きに生き抜くことが大切であると教えてくれる人。そんな映画やドラマを見ると、自然と感動の涙が出るようになっているのでしょう。感動の涙は感動する本を読んでいてもしばしば起こります。お気に入りの音楽を聴いていても起こります。演劇でもそうです。1週間のうちに1回くらいは感動の涙を流して、不安やストレスを追い出すように心がけることが大切なのではないでしょうか。そのためには、自分のお気に入りのDVDやCDや本をストックしておくことが大切になると思います。「週末号泣のススメ」という本には、号泣した映画、マンガ、本、音楽が紹介されていました。その中で私が見たのは「タイタニック」「ひまわり」「ショーシャンクの空に」「火垂るの墓」「千と千尋の神隠し」がありました。小説では三浦綾子氏の「氷点」、藤沢周平氏の「蝉しぐれ」「海鳴り」などがありました。
2022.09.06
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感情の法則2に「感情はその衝動を満足すれば、急に静まり消失するものである」とあります。この法則は「感情はそういうものか」と軽く受け流している人が多いのではないかと思います。この法則を生活の中で活用していく方法を考えてみたいと思います。本能的な欲望はそれが満たされれば、欲望はすぐに鎮静化してきます。しかし一旦覚えた快楽という経験は、その後何度でも繰り返すようになります。快楽という体験はしっかりと脳が記憶しているのです。ドパミンやβエンドルフィンなどでめくるめく快感に酔いしれてしまうのです。普段ストレスフルな状態に置かれている人は、一旦蜜のような味を経験すると癖になります。これは快楽という感情に脳が乗っ取られてしまうということです。乗っ取られてしまうと、自分の力ではコントロール不能となります。飲酒運転は正常な運転ができなくなりますが、それと同じようなことが起きてしまうのです。依存症で苦しんでいる人は、最初気軽な気持ちで始めたことが、どんどんエスカレートして歯止めが効かなくなるといわれます。依存症の特徴は2つあります。1、次の快楽を求めるときには、以前よりももっと強くて刺激的な欲望を追い求めるようになるのが普通です。量が少ないと以前のような快感が得られなくなるからです。抑制力が働かない人は、エスカレートするばかりになります。使用量が増えてくるのです。その結果体を壊し、経済的にもいき詰ります。家族や職場での人間関係に悪影響が出てきます。2、離脱症状が出てくることです。反省して依存症と手を切ろうとしても、そのとき何とも言えないイライラや不快感情に襲われるようになるのです。居ても立ってもいられない不快な感情になります。それから逃れるために、さらに依存症にのめり込むということになります。依存症に陥ることはなにもよいことがないのは本人が一番よく分かっています。でもなすすべがなくて苦しんでいるのです。この感情の法則2は、欲望との付き合い方に警鐘を鳴らしていると思います。アフリカの肉食獣は腹が空いてないときは、獲物が目の前にいても襲うことはありません。人間は欲望に火が付くとどこまでも追い求めてしまうという特徴があります。人間は欲望を無制限に追い求める動物なのです。森田理論は、不安を取り除くことにエネルギーを投入するのではなく、不安の裏返しである生の欲望に向かって舵を切ることが肝心であるといいます。まずはここに焦点を当てることが大切になります。次に欲望は無制限に追い求めてはいけないということです。欲望が動き出すと、同時に抑制や制御することにも力を入れた方がよいということです。その方が欲望と不安のバランスがとれてくるということになります。森田理論の調和、バランスを目指すという考え方は、宇宙の法則に合致する考え方となります。
2022.09.05
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自分に湧きあがってきた感情をそのまま態度にだすのは当然のことだと思っている人が多いのではないでしょうか。森田理論では感情と行動は別物という考え方です。森田理論の感情の法則によると、「感情は意志によってコントロールできませんが、行動は自分の意志によってコントロールすることができます」とあります。このことを、普段の生活の中で心掛けることはとても大切なことになります。私は長らく集談会に参加していますが、自分も含めてこの法則を自分のものにしている人は少ないと思います。この法則を身につけると、人間関係は大きく改善できます。感情のままに態度に出すというやり方は、幼児が駄々をこねているように見えます。普段いくら立派なことをしゃべっていても、感情に振り回された言動をとる人には近づかないのが鉄則です。そいう人と親しく付き合っていると、自分もその人に感化されます。腹立たしいことがあると、すぐに不満顔になる。すぐに反抗する。気がすすまない、気が変わった時、友人と約束したことをすぐに反故にする。嫌なことからすぐに逃げる。人が見ていなければ、仕事をさぼる。気分本位の態度は、感情のまま、気の赴くままに行動する態度のことです。人間は人生という舞台で迫真の演技をしているようなものだと思います。テレビや映画に出てくる俳優や女優さんは、感情に振り回されないで、役になり切って迫真の演技をしています。私の経験では、森田理論でこの感情の法則を理解して、意識して生活していると、腹立たしい感情はほぼ抑制できるように思います。それが普通の人です。取り立ててすごい人ではありません。感情と行動が直結している人は、動物と何ら変わらない人だと思います。集談会で失敗例や成功例を出し合って、考え合うことが大切になります。今までの習慣を変えることは大変なエネルギーが必要ですが、一旦ものにすればそれが新しい習慣として定着してくるのです。それが自分の生活や人間関係を守ってくれるようになります。
2022.09.04
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私たちの脳細胞は、毎日10万個ずつ死滅していると聞いたことがあります。それが正しいとすれば認知症になるかもしれないと心配になります。この問題に対して、久恒辰博先生は次のように説明されています。人生を100年として、毎日10万個ずつ脳細胞が死滅しても、その数は36億個程度です。しかし脳細胞は100億個から1000億個もあるのですから、全体から見ると3~30%という計算になります。また、脳科学の世界では長い間「脳の神経細胞は、大人になってからは減る一方で、決して再生することはない」と考えられてきました。しかし現代ではこの俗説は覆されています。記憶の中枢と言われる海馬では、新たな神経細胞が作り出されていることが確かめられています。とはいえ、年配者になると「物忘れ」や「やる気の減退」、「素早い判断力や柔軟な思考力の低下」などが起きます。さらに性ホルモンやドパミンなどの脳内物質のように、目に見えて減っていくものがあるのもたしかです。久恒辰博先生は、あなたの脳年齢を「記憶力」「発想力」「集中力」「抗ストレス力」「恋愛力」「やる気」という6つの視点から判定できると言われています。この6つの点数が高い人は、脳年齢が若いということになります。「大人の脳の鍛え方」(kkベストセラーズ)という本の中で、それら6項目について、それぞれ10個ずつのyes no問題を出しておられます。早速挑戦してみました。1項目10点満点です。「記憶力」8点、「発想力」8点、「集中力」8点、「抗ストレス力」5点、「恋愛力」3点、「やる気」6点でした。「記憶力」「発想力」「集中力」「やる気」の点数はまあまあだったと思います。これは毎日本を読み、このブログの原稿を作っていることが脳を活性化しているのではないかと感じました。その他、以前に紹介したセロトニンを活性化するための運動や習慣が好影響していると思っています。その内容は次のようなものでした。1、天気のよい日は毎日朝日を浴びる。2、ウォーキングを30分は行う。3、ストレッチ体操をおこなう。4、感動する音楽や動画をみる。5、トリプトファンを含む食事を心掛ける。6、規則正しい生活をして、睡眠をしっかりととる。それに対して「抗ストレス力」「恋愛力」は大いに問題があるようです。神経質性格は、小さな不安をことさら大きくしてとらわれてしまいます。森田理論ではとらわれることは自然現象ですから仕方ないと学びました。その場合、現実的な不安は問題の解決に向かって早めに対策を立てて取り組むようにする。神経症的な不安は欲望の裏返しとして発生しているので、不安には手を付けないで、生の欲望に向かって努力精進していくのが得策と学びました。一つの不安にかかわりすぎないようにして、つぎからつぎに発生する不安に飛び乗っていく態度が大事になります。これが不安やストレスに振り回されないコツになります。あとは実践により検証し体得することが肝心です。私の場合、「恋愛力」は昔から苦手です。女性と会話するのは、集談会と職場くらいです。用事があるときや仕事の時は支障はありませんが、雑談が苦手です。妹や娘とも他人行儀な会話になります。できたらカラオケなどで交流できればと思っています。その方が楽しいことは分かっていますが、いつもパスしています。どうも女性とは縁がないようです。でも若いころから比べると少しはましになりました。
2022.09.03
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「部長シンドローム」という言葉があります。「部長シンドローム」とは、「退職してからも、大会社の役付けだったことが忘れられず、何かにつけ命令したがったり、相手の言うことを馬鹿にしたり拒む人」を指すそうです。あなたにその傾向がないかどうかを判定する簡単なテストがあります。次のなかから、「その通りだ」と思うものをあげてみてください。1、年齢や性別に関係なく、誰にでも優しくすべきだ。2、何かしてもらったら、感謝すべきだ。3、いったん決めたことは最後までやり遂げるべきだ。3、何かしら社会の役に立つことをすべきだ。もっともらしいことばかりですが、実は、一つでも思ったら「部長シンドローム」の可能性があります。なぜなら「○○すべきだ」という考え方は、第3者に「自分と同じように考えるべきだ」「同じようにやるべきだ」という観念の押し付けだからです。これは森田でいうところの「かくあるべし」の押し付けのことです。「かくあるべし」は、個人の過去の成功や失敗体験をもとにして頭の中で考えた予測にすぎません。事実に裏打ちされた、確かな普遍性があるわけではありません。それを無理やり相手に押し付けて飲ませようとするのですからたまりません。たとえ成功確率が半々の場合でも、自分の考えを主張します。そして想定外の事態に陥った時、それは自己責任ですからと責任を回避してしまう。この方針で、他人ばかりでなく、自分自身にも縛りをかけているのです。自分に向けられると自己嫌悪、自己否定感が強くなります。自分の信念、意思、考え、目標、希望、夢をしっかりさせることは大切なことです。これに基づいて意欲が高まり積極的、建設的、創造的な行動が可能になります。しかし一方的に周りの人に押し付けることは百害あって一利なしです。あまりにも観念優先の態度が強い人は、「自分は正しい」「相手は間違っている」「自分の指示に従えば間違いない」と自己中心性が前面に出てきます。これが人間関係の対立を生み出していることに早く気付くべきです。観念と事実との間に大きな溝が生まれて、生きづらさや葛藤や苦悩を招いていることに早く気付くべきです。気付くだけでも大きな進歩だと思います。原因が分からないで悶々とした生活を送り一生を終える人も多いのです。私も森田理論学習をする前は、そんなことに全く気が付きませんでした。「かくあるべし」という観念優先の態度が神経症と関係があるとは考えてもみませんでした。それが分かったとき、どうすれば事実本位の生活態度を身につけていけばよいのかに関心が移りました。これは、2021年7月11日から7月22日まで投稿しました。題は、「かくあるべし」という観念優先の態度から、「事実本位」に近づく方法です。そして最近では、藤井英雄医師の提唱されている「マインドブルネス」の手法を森田理論に置き換えて、実践的に活用できるように提案しています。事実本位は理論を学び、活用する意識を持って生活すれば、かなりの効果があることが分かりました。今後もこの方面から投稿してまいります。
2022.09.02
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3月に会社に就職した人から相談の電話があった。2年くらい仕事が見つからなかったが、やっと見つかった仕事だったといわれていた。最近上司や同僚から仕事上のことで、叱責ばかりされている。辛いので辞めたいが、家族の生活のことを考えると辞めることができない。どうすればよいでしょうかという内容であった。森田理論ではどう対応すればよいのでしょうかという質問であった。私は返答に困った。こういう場合は、どんな状況でどんな叱られ方をしたのか具体的な話をしてもらわないと相談に乗ることは難しいのではないか。話しやすいことだけを抽象的に話すだけでは先に進めないのだ。普通の会社は、新しい人を採用した場合は、上司や先輩が手取り足取りで仕事を教え込むことになる。そうしないといつまでも経費ばかりかかって、会社の戦力にならないからだ。新人は最初は教えてもらった仕事に丁寧に取り組むことになる。そして少しずつ仕事の幅を広げて会社の風土になじんでいく。2年か3年で自立していくのではなかろうか。入って4か月くらいの人が、叱責ばかりで針の筵に坐っているようなものだという状況は異常としか言いようがない。被害妄想、疑心暗鬼に陥っているのだろうか。人が怖く、強固なバリケードを築いて、他人を寄せ付けないのかもしれない。絶えず自己内省して、自己嫌悪、自己否定しているようでは人間関係は針の筵に坐っているようになる。私も最悪期はこんな状態だった。会社のルールへの対応、挨拶、ものの言い方、受け答え、勤務態度については、問題はないのだろうか。入社して間がない人に、会社の全員がそんな態度をとるというのは、ちょっと考えられない。全員が冷たい態度をとるといわれるが、そういう人を採用することは考えにくい。対人関係で心掛けることは、次の3点を強調したい。いずれも森田理論学習の中で獲得したものばかりである。1、イヤな感情が湧き起こってもそのままにしておく。イヤな感情に基づいた売り言葉に買い言葉の対応は慎む。目の前の仕事に目を向けて真剣に取り組む。2、観念中心の「かくあるべし」を他人にも自分にも押し付けないようにする。事実を事実のままに受け止めて対応するようにする。3、挨拶は笑顔できちんと行うようにする。こういう場合、森田先生は、症状の為に安易に仕事を辞めてはいけないという考え方である。辞めると経済的な自立が叶わず、有り余った時間で自己否定するようになるからである。水谷君は大学受験を1年延ばすというのを撤回させた。山野井・行方・谷口君も、みんなわずかの違いで、職を離れるところだったのである。倉田百三さんは、強迫観念を治してから、しかる後に原稿を書こうと考えておられたのを、僕が勧めて、苦しいながらも原稿を書くようにした。あとになって見れば、その時の創作がかえって出来栄えがよかったとのことです。苦しいのを避けると、ほっとするのは一時だけで、神経症は益々悪化する。私は会社での人間関係が悪化したとき、集談会のアドバイスで気が楽になったことがある。それは、会社は良好な人間関係作りを目的として存在しているのではない。それぞれがきちんと仕事をして、会社に利益をもたらすことが求められている。会社が求めている人材は、与えられた仕事で期待以上の成果を上げてくれる人である。こういう人なら何人いてもよい。これが第一優先順位にならなければならない。良好な人間関係作りはその次にくる課題になる。あなたの仕事ぶりは上の空になっていることはありませんか。物そのものになって、一心不乱に仕事に取り組んでみましょう。神経質性格を活かして、たくさんの細かい仕事を丁寧にする事で十分です。私はどんなに人間関係が悪化しても、仕事で少しでも評価されるような人間になろうと決心した。そうなればクビになることはないだろう。それどころか、そんな自分でも評価してくれる人が少なからずいたように思います。また、対人恐怖症を抱えたまま、家族の生活を維持していくために、「月給鳥」という鳥になって餌をとってくることに専念しようとしました。目的をはっきりさせて、それに邁進すると心に誓うことです。私は「餌を運んでくる月給鳥」という話を集談会で聞いたことで、どんなに気が楽になったかとしみじみ思っております。神経質者はまじめで責任感が強いので、自分ではダメだと思っても6割程度の仕事はこなしているという話も自分を勇気づけてくれました。私は紆余曲折がありましたが、58歳まで何とか会社員として仕事をしました。そのときに早期退職優遇制度が始まったのです。私は迷わず手を上げました。でも今も別の仕事を続けているので、トータルで48年も会社員をしています。ヒヤヒヤの綱渡りのような会社員人生でしたが、終わりよければすべてよしという気持ちです。退職してしまうと、現役時代というのはあっという間だったというのが実感です。
2022.09.01
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