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森田先生や高良先生の入院療法には、作業療法が組み込まれていました。ご飯を炊く、料理をする、風呂を沸かす、庭掃除をする、家の修理をする。工作をする、拭き掃除をする、肥汲みをする、ニワトリやウサギにやるクズ野菜を拾ってくる、お使いをするなどです。高い入院費を支払っているのに家事をさせられていたのです。家族が見舞いにやってきて、その姿をみて憤慨して退院させたこともあったようです。本人もここまで落ちぶれたかと意気消沈する人もいたという。何のためにこんなことをさせていたのか。これはそれぞれの作業に取り組む中で、問題点や改善点、課題や目標を見つけ出すことを促していたのだと思います。そういう発見や気づきを得ると、工夫やアイデアが生まれて、意欲的になります。問題点や課題が明確になると、それを何とかしたいと思うのが人間の習性だと思います。この考え方は今の仕事が面白くないと考えている人には、それを改善するヒントになります。普通仕事は最初から意欲的になれるものではありません。自営業の人はともかく、一般的には人の役に立つこと、会社から指示命令されていることに取り組むわけですからなかなか意欲的にはならない。仕事はつらいものだと考えている人は、改善することをあきらめて、生活を維持するための必要悪だと考えている人が多いのではないかと思います。そういう人は、森田療法を参考にして、仕事を面白くするように取り組むことをお勧めします。目の前の仕事に取り組むときに、イヤイヤ仕方なしに取り組むよりも、問題点、改善点、楽しみを最低1つは見つけようと意識して取り組むようにするのです。そして見つけ出した宝の山を忘れないようにメモするようにするのです。すぐに改善できるものは即実行に移す。しかし実際には時間がない。仕事の流れがあって余裕が出てきたときに取り組むことが多いように思います。仕事が一段落したときに、そのメモを取りだして見る。そして段取りを組んで、効率よく取り組む。自分でできないときは、他人に相談する。他人と協力し合ってとり組む。納期があるものはスケジュール表に書き込んでおく。私は現在マンションの管理人をしていますが、巡回しているといろんなことに気づきます。鳥の糞がある。落ち葉が飛んできた。面格子に埃がたまっている。エレベーターの溝に埃がたまっている。クモの巣がある。ドアに手形がついている。面台が汚れている。雨が降って側溝の汚れが目立つ。解放廊下が黒ずんでいる。ドレンにゴミがたまっている。トイが外れている。ゴミ箱にごみが散乱している。収集されなかったゴミ袋がある。等々。これらを問題点として仕事がイヤになるのか、仕事を面白くする宝の山と捉えるのか、その後の展開が大きく違ってくると思います。仕事は1日の3分の1以上の時間をしめています。その時間が楽しみそのものになるのか、苦痛そのもののになるのかは、ちょっとした心がけ次第なのです。
2022.10.31
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現在家電量販店が各地で大量出店しています。その特徴は、どこも圧倒的な品ぞろえと低価格です。そして5年間無料補償を行っている。テレビ宣伝や新聞チラシの攻勢はすさまじいものがあります。これでは町の電気屋さんはとても太刀打ちできないと思いがちです。一般消費者も町の電気屋さん自身もそう思っています。その結果、大手量販店の系列店になっているところが多くなっています。そんな状況の中で生き残っている電気屋さんがあります。どんな戦略で生き残っているのか興味は尽きない。ひと言でいえば、地域密着型のサービスを徹底的に貫いているのです。たとえば、天井の照明の蛍光灯が切れた。年配の人は途方に暮れる。蛍光灯を買っても取り付け方が分からないこともあるのです。そんな時、町の電気屋に相談すれば、すぐに飛んできて取り換えてくれる。家電製品が故障した。すぐに診断してくれる。直せるものはすぐに修理をしてくれる。万が一修理不能の時は、その人に合った商品を紹介してくれる。古いものは引き取って持って行ってくれる。さらに取り扱い方や使い方を丁寧に説明してくれる。使っている途中で分からなくなっても、すぐに駆け付けて教えてくれる。これはパソコンなどでは重宝する。そして使い方の注意点も教えてくれる。ついでにスマホの使い方を尋ねると、サービスで指南してくれる。これなら少々高くても全然問題にならない。年配の人にとっては遠くの量販店よりも、近くの親切な電気屋さんの方が頼りになる。普通町の電気屋さんは、量販店の勢いに飲まれてしまって、前途を悲観してしまうのではないでしょうか。自己否定ばかりではお先真っ暗になります。この時必要なことは何か。自分の現状や状態を正しく見つめることです。品ぞろえ、低価格、補償内容ではとても太刀打ちできません。でも昔から地域に密着して、家族構成まで把握しています。その人たちに量販店ではできないサービスを提供することはできないか。一つはフットワークの良さで勝負する。とにかく素早い対応を売りにする。1時間でも早くをモットーにして行動する。そして、これでもかという懇切丁寧な対応を心掛ける。次に買ってくれた人には、きちんと設置してあげる。そして試運転をして使える状態にしてあげる。使い方や注意点を懇切丁寧に説明する。その後故障や使い勝手の悪さを抱えている人はいないか。量販店のように売ったら終わりではなく、売った後のアフターサービスを徹底する。この分野では量販店の追随を許さないという姿勢で臨む。自分の弱みや欠点に注目すると、将来に希望は持てなくなります。逆に自分の強みや長所を認識して、そこでお客様のニーズに応えるという姿勢に目をつけると、その後の展開は大きく変わってくるということではないのか。森田では神経質性格には、マイナス面とプラス面が同居していると学びました。プラス面は細かいことによく気が付く。分析力が高い。人の気持ちを理解できる。粘り強い。責任感が強い。真面目である。生の欲望が強く、目的や目標に向かって努力している人が多い。弱みや欠点、ミスや失敗に関わり続けるよりも、神経質性格のプラス面に視線を移し、存分に活かす方向で努力した方がよいと思われます。
2022.10.30
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和田秀樹さんのお話です。人生は実験である。そのように考えれば凝り固まった考えを捨てて新しいチャレンジをする勇気が湧いてくるでしょう。たまには失敗することがあっても構いません。上手な失敗の仕方や失敗した後の対処法を学べるからです。実験と考えれば失敗に対する備えもできるでしょう。「勝つに決まっている」のは実験ではありませんから、負ける心づもりもしておく必要があるのです。例えば投資家でも「負けるつもりがない」まま投資するのが一番危険です。いざ負けた時に立ち直れないほどのダメージを負うからです。恋愛で大やけどをするのも同じことで、フラれないと信じていると、フラれて大ショックを受けてしまいます。しかしそれも実験なのだと思っていればそうそうショックは受けないでしょう。うまくいくかもしれないし、うまくいかないかもしれないのが実験なのです。ただしこのときに、博打と実験の区別がつかないのはいけません。「ここで負けたらこのぐらいのダメージを負って、このくらいであればリカバリーできる」といった損得勘定は必要です。リカバリーできないほどダメージを負いかねないのが博打であり、リカバリーできるものが実験です。(適応障害の真実 宝島社新書 237ページ)私たちが神経症に陥るときは、生の欲望を発揮することを放り投げて、ひたすら不安や恐怖と格闘しています。そういう人がいったん欲望に向かって走り出したときはどうなるか。今度は失敗するかもしれないということが、頭から抜けてしまう。うまくいかなかったことを想定することができなくなってしまう。絶対成功するはず、うまくいかないということはありえないと考える。結果は非情です。いくら信じて疑わなくても裏切られてしまうのです。そのときにどうすればよいのか分からなくなり、パニックになるのです。たとえは悪いのですが、株のデイトレーダーの話を聞いたことがある。その人のやり方は、上昇中の銘柄に注目していた。その銘柄の勢いがいったん止まって、再び勢いを取り戻して前の高値を抜いてくる時を確認して仕掛けるというやり方だった。こういう銘柄は高値を更新しているので勢いがあります。そのままぐんぐん上昇を続ければ大きな利益が出ます。しかし反対に勢いが続かないで下落に転じることも多い。成功する確率は10~15パーセントくらいしかない。ほとんどの場合、トレードとしては失敗しているのです。ここでの対応の仕方がとても重要になります。失敗したときは、最初に自分が決めたルールに従って自動的に損切りをする。このトレードが成功するのは、85~90%の目論見が外れた銘柄に対して、あらかじめ決めてある損切りルールを実行できるかどうかなのです。虎の子の資金が減るのですから、普通の人は耐えられるものではありません。自分の判断ミスを潔く認めて、負けを受けいれることは断腸の思いです。デイトレードの世界で生き残っている人は、これを淡々と実行できているというのです。いずれ反転するかもしれないと考えてはいけない。いくら成長著しい銘柄であっても、日経平均が日々変動していて、その影響を大きく受けているわけです。このデイトレ―ダーが成功しているのは、成功するトレードで損切りを補って余りある利益を出しているからなのです。普通の人は利小損大でトレードの世界から追い出されている。そういう人が9割に及ぶという。成功している人は1割足らずです、損小利大が機能しないと、デイトレードの世界で生き残ることはできません。私たちはこのデイトレーダーに学び、生の欲望の向かっていくとき、想定通りに進展しないときがあることを考慮しておく必要があります。そのために不安を活用していくのです。森田理論の精神拮抗作用を応用していくのです。猪突猛進で最悪の事態が見えなくなるというのはあまりにも無謀です。思いどおりにいかないことがほとんどであると認識していると安心です。想定が外れたら、潔くあきらめてすぐに撤退する。そして次の新たな目標に向かって挑戦していく。あるいは態勢を整える。やり方を変えて再チャレンジする。思惑が外れても、再起可能なエネルギーを残しておくことが極めて大切になると考えます。
2022.10.29
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生活の発見会の集談会に参加していると、「人のために尽くす」という言葉がよく出てきます。神経症で苦しんでいる人は、考えることや実行することが自己中心に偏っています。この態度が神経症を悪化させていますので、それを緩和するためには、「人のために尽くす」ことが有効ということだと思われます。「人のために尽くす」行動は、立派で尊いことですが、継続的な実践は難しいのが実情です。実はこの言葉を森田先生は使われていません。森田先生が言われているのは、人の役に立つ人間になりなさいということです。日常生活の中で、自分のできる範囲で、無理なく人の役に立つことを実践する。・ゴミが落ちていたら片づける。・雨が降ってきたとき、傘を貸してあげる。・集談会で会場作りを手伝う。・簡単な世話活動を引き受ける。・使わなくなったものを貸してあげる。・役に立つ最新情報を提供する。・バスに乗る前に小銭を用意しておく。これなら実践可能だと思います。神経症で苦しんでいる人が、いきなり「人のために尽くす」ことを目標に掲げるのは少し無理があるように思います。それは自己犠牲が伴うからです。この点について、次のような発想の転換を図ることを提案します。人のためではなく自分のための目標に付け替えるということです。そうすると大いにやる気が出てきます。例えば、「他人の喜ぶ笑顔を見たい」「他人が感動の涙を出すほどの影響を与えたい」という実践目標に変えるというのはどうでしょうか。この実践目標に取り組むことになると、自分自身にやりがいが生まれます。それはこの目標が他人の為ではなく、自分自身のためにやっていることになるからです。しかもそれが結果として「人のために尽くす」ことにもなっているのです。この考えに立つと、行動に絶えず工夫や改善が生まれます。他人から言われたことを何とかやりこなすことも、それはそれで立派なことですが、相手からしてみると、それはやって当たり前でしょうということになります。例えば、レストランに行って値段に見合った料理が出てきた場合、支払った金額と同程度の料理だという気持ちになると思います。別に感謝、感動することはありません。ところが、思った以上においしい、接客態度がよい、盛り付けが見事である、またぜひ行ってみたいという気持ちになることもあります。これは料理人が、お客様のために手間暇をかけて食材を探し、仕込みに時間をかけて、腕によりをかけて調理している。お客様に喜んでもらいたい、感動を与えたいという気持ちがないとできないことです。それ以上に、想像をはるかに超える料理人の場合、予約を取るのが1年先というような場合もあります。あるいはそのお店に行列ができていて、食べるまで何時間も待つ場合もあります。また感動してそのお店に行くときにお土産を持参する人がいる場合もあります。そしてそのお店を周囲の人に大いに宣伝してくれる場合もあります。これは「人のために尽くす」というような言葉を乗り越えていると思います。こういう料理人は、「他人の喜ぶ笑顔を見たい」「他人が感動の涙を出すほどの影響を与えたい」という大きな目標を持っていないとできることではありません。「人のために尽くす」というのは、結果としてそうなっていたということだと思います。この言葉を掛け声だけで終わらせないためには目標の付け替えが必要になるのではないでしょうか。
2022.10.28
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論語の先進第11から22にある話です。弟子の子路が「聞いたことはすぐに実行してもよいものでしょうか」と訊くから、「両親もいることだし、相談しなければダメだよ、聞いたらソク実行なんて、とんでもない」と答えたのさ。その後で、弟子のぜん有が全く同じ質問をしたから、「聞いたらすぐに行うことだよ」と答えたんだ。そうしたら、たまたま両方の場に居合わせていた弟子の公西華が、「同じ問に先生が正反対の返答をしたのを聞いて、私は混乱しています。お教えください」って真顔でいうからね、「何の不思議があるもんか。ぜん有は消極的だから即断即行ぎみぐらいが適当だし、子路は人を押しのけてでも進む方だから、押さえ気味がちょうどよい案配なので、それぞれに相応しい回答をしたまでだよ」と手の内を明かしてやったよ。(高校生が感動した「論語」 佐久協 祥伝社 159ページより引用)これは目の前の状況や変化をよく見て、最も適切な対応を心がけることが大切だという話だと思います。臨機応変にその時の状況に対応することが肝心というわけです。状況に応じて対応していると、このエピソードのように、まるっきり反対の対応になることもあり得るということです。世の中の社会現象や自然現象は、刻々と流動変化しています。にもかかわらず、現状に満足してしまうとその状態を維持して守ろうとします。また自分の考え方に固執すると、その考えを他人に押しつけようとします。その結果、自分だけが変化の波から取り残されてしまうことになります。ここで大事なことは絶えず流動変化する波を観察し、その変化の波に素早く飛び乗っていくことです。できれば、仮説を立てて変化を先読みし、変化の前に飛び出るくらいの気概が必要になります。その仮説が間違っていれば、その時点ですぐに修正すればよいのです。進化論を唱えたダーウィンは、「この世に生き残るものは、最も力の強いものか、そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは変化に対応できる生き物だ」述べています。変化に対する考えを無視した生き物は、進化の過程で淘汰されてきたのです。森田先生も変化に対応して行動することをさまざまな角度から説明されています。例えば体操の時の休めの姿勢。片足で全身の体重を支え、他の方の足を浮かして、つま先を軽く地に触れている態度をとると周囲の変化に対して、迅速に適切に反応することができる。電車の中でも、休めの姿勢で立っていると吊革などをつかむ必要はなく、読書ができる。電車の動揺にも、決してじたばたすることはない。そのうえ、降りる駅や乗り換え場所を間違うこともない。スリに遭うこともない。手荷物を忘れたりすることもない。自分でも人力車に乗られたときは、ケガをしないような態勢を取られていたという。間違って放り出されたときは、柔道の受け身の姿勢を取りケガをしなかったという逸話も残っています。変化に対応する生き方は、外部に向かって精神が緊張状態にあり、自己内省力が悪循環することが避けられます。神経症的な不安が入り込む隙間がなくなるということになります。つまり神経症を回避できることになります。
2022.10.27
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私は長らく自己否定感で苦しんできました。自分の容姿、神経質性格、逃避的態度、能力、境遇、自己中心的態度などです。長らく森田に関わってきて、最近やっと自己肯定感、自己信頼感、自己許容感が持てるようになりました、今まで自分という一人の人間の中に二人の自分がいて、いつもけんかをしていたのですが、なんとか一人の自分にまとまってきたような感じなのです。これには、樹木希林さんの話が役に立ちました。樹木希林さんは、自分の身体は自分の持ち物という考え方は、なんだかおかしいという考え方をされている。自分の身体は神様から一時的に借りているものだといわれている。そこに自分の意識のようなものが入り込んでいると考えられている。借りたものはいずれ返却しないといけないものです。借りたものを乱暴に扱ってはいけないです。壊してしまうと損害賠償をしないといけません。また自分がお願いして借りたものにケチをつける人はいませんね。ありがたく利用させていただくという気持ちが大切でしょう。この考え方に立つと、自分の容姿、神経質性格、能力、境遇などを非難・否定することは筋違いということになります。自分では決して作ることのできない知的生命体を貸していただいたことに感謝しかないです。不平や不満を爆発させていると、そんなに不平不満があるのなら、すぐに返却してくださいと言われますよ。あるいは強制返上させられますよ。そしてまたどこかの惑星で生まれ変わることになった時、もうあなたには知的生命体を貸し出すわけにはいきませんといわれるでしょう。どうしても言われるのならゴキブリや蛇やムカデのような生命体でどうでしょうか。反対に貸していただいたことに感謝して、とことん活用し貸してもらったときよりもさらに良い状態にした人には、大きな評価点をつけられることでしょう。そして次はもっと優れた環境の下で、優れた能力を兼ね備えた知的生命体を貸し出してくださることでしょう。樹木希林さんのお話はあくまでも仮説です。死後の世界を経験した人はいないわけですから、仮説しか立てようがありません。でもこの考え方を採用すると、この世での生き方が変わってきます。自分を非難・否定することがなくなり、あるがままの自分を素直に認めて、精一杯生き切ることに転換することが可能になると思います。森田理論でいうと「かくあるべし」を封印して、事実本位の生活態度に近づくことが可能になります。樹木希林さんは個性派女優でしたが、私は優れた哲学者だと思っております。・一切なりゆき 文芸春秋・この世を生き切る醍醐味 朝日新書この2冊の本は私が大切にして何度も読んでいる本です。読むたびに感動と納得の気持を味わうことができます。
2022.10.26
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先日生活の発見会主催の生涯森田の学習会に参加しました。ZOOM開催でした。ZOOMというのは難しいと思っておられるかもしれませんが、送られてきたURLをクリックするだけで簡単に参加することができます。今回は全国から20名あまりの参加者がありました。生活の発見誌などでお名前だけはよく知っている方が多かったです。最初に今回のテーマである「生きがい」についての説明がありました。その後5名から6名程度の分科会がありました。分科会では、このテーマに関心のある方ばかりでしたので、とても有意義な話し合いになりました。私はこの会に参加して、改めて「生きがい」について自分の考え方が整理できました。「生きがい」については様々な考え方や意見がありますが、私の考えは、課題や目標、夢や希望を持って生活するということです。私は「生きがい」を2つに分けて考えています。まず日々の生活の中で小さな課題や目標を持つことです。次に、1年後、3年後、5年後、10年後を見据えて中期、長期の夢や目標を持つことです。この2つがセットになって機能していることが大切だと思っています。今日は日々の生活の中で小さな課題や目標を持つことについて投稿してみます。誰でもやってみたらよいなと思うことは日々たくさん思いつきます。また日々の生活の中で小さな感動や楽しみを味わうことも多いです。これは問題だな、なんとかしなければいけないなと思うこともあります。特に神経質性格の人は感度がよいので、より多くより深く感じます。これらは最初はごく小さなものです。それらを宝物として大事に取り扱っているかどうかが肝心だと思います。別のことに気を取られているうちに、すぐに忘却の彼方に飛び去ってしまうことが多いのではないでしょうか。こうなりますと、せっかくの宝の山を見失ってしまうことになります。メモしていないと、後で思い出そうとしても、なかなか思い出せません。素晴らしいひらめきを確実にキャッチするためにはメモすることが欠かせません。面倒でも、おっくうでも、これだけは意識する必要があります。習慣になるまで粘り強く取り組むことが大切になります。ここでは問題点、改善点、課題、楽しみを明確にするだけで十分です。これらのメモを見ていると、なんとかしたくなるのが人間の習性です。日々の生活の中で、生きがいを感じている人は、小さな思い付きをすぐにメモすることが習慣化している人だと思っております。そんな中から中期、長期目標が自然発生的に育っていくのではないでしょうか。
2022.10.25
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生活の発見誌9月号の岩木久満子氏の記事は大変参考になりました。この中で神経質性格の特徴について説明されています。これによると、大項目として、生の欲望と自己内省をあげておられます。生の欲望というのは、外に向けて自分を活かそうとする欲望のことです。自己内省は内向きに自分のことを考え悩む傾向があるということです。生の欲望に対応する小項目として、向上発展欲と自己保存欲があると説明されています。そしてそれぞれ下位項目でその特徴を取りあげられています。その説明が的確です。自己内省に対応する小項目として、自己観察と理知をあげておられます。私が面白いなと思ったのは、これらをよく見るとまるっきり反対の特徴です。つまり神経質性格には、相反する特徴が多分に含まれているということです。このように理解すると神経質性格の特徴が今まで以上によく分かります。例えば生の欲望に対しては、自己内省が対立している。天秤でいえば、右に生の欲望があって、左に自己内省があるようなものです。同じ重さのものを乗せないとたちまちバランスが崩れてしまいます。バランスが崩れると存在すること自体が不可能となります。生の欲望と自己内省力はセットで装備されていて、そのバランスを維持することが肝心です。この場合、まず生の欲望を発揮することが大切になります。その次には、自己内省力を働かせて、欲望を制御することが大事になります。生の欲望の小項目である向上発展欲には、自己保存欲が対立している。誰でも積極的、生産的、建設的、創造的な人生を送りたいという欲望があります。これが向上発展欲です。でも、新しいことに挑戦するにはリスクが伴います。現状に特段の問題がなく、ある程度満足していると、現状維持で十分ではないか。しんどいこと、面倒なこと、イヤなこと、エネルギーの浪費は避けたいという気持ちが出てきます。普通は気分に振り回されて、楽な方向に向かうことが多くなります。自己保存欲が前面に出てくると、向上発展欲は急速にエネルギーを失ってしまいます。これでは人間本来の生き方からは外れてきます。味わいのある人生を送りたいならば、相対立する別の側面にも焦点を当てて見ていかなければなりません。両面観の考え方です。そしていかにバランスを維持していくかが私たちの腕の見せ所となります。
2022.10.24
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今日はタマネギを植えました。今年は灌水設備があるので水やりは安心です。来年の5月末が収穫予定です。ミニトマトはまだまだ収穫できそうです。できるだけ引き延ばすつもりです。ダイコンの間引き菜、ラディシュなどを収穫しました。甘い柿も8個収穫しました。小作に出している田んぼの小作料として新米4袋いただきました。一袋30キロ入りです。店で買うと一袋1万円ほどします。早速子供に送ってやります。
2022.10.23
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9月号の生活の発見誌に次のような記事がありました。水谷先生の啓心寮を退寮するときのことです。水谷先生は、「家に帰ったら親兄弟に治ったと言いなさい」と言われていたという。仮に治っていなくてもそういうふうに言いなさいと指導されていたという。治った気がしなくても、家に帰り治った気になって生活していると、本当に治ってしまうといわれているのだ。退寮を言い渡された入院生は半信半疑で不安だったことでしょう。この記事を書かれた方は、退院してから、目の前の必要なことに手を出していけば、その後どんどん治っていくということだと説明されています。完全に治そうと考えていると治らない。むしろ神経症は悪化してくる。治ったふりをして生活すると、不思議なことに本当に治ってしまう。症状を治してから何かをやろうとすれば、悪循環にはまるので注意した方がよいと指摘されていました。今日はこの話を基にして治るとはどういうことかを考えてみたい。神経症に陥った人は、自分の症状1点にフォーカスしてのたうち回っています。頭の中で考えていることは、神経症を治すことばかりです。自分の日常生活や仕事のことは無頓着になっています。家族や他人のことを考えるゆとりは持てません。つまり考えていることが100%症状がらみということになります。私は治るということは、その割合が減少してくることだと考えています。90%になれば、10%だけは治っていると考えるのは如何でしょうか。20%、30%・・・と下がってきて、50%くらいにまで減少してくれば、本人の主観とは関係なく、もう神経症の克服宣言をしてもよい。神経症の克服以外のことを考えて、生活や仕事に本腰を入れて取り組むことができれば申し分ありません。神経症を最初から完全、完璧に治そうという人は、実現不可能な目標に取り組んでいるようなものだと思います。不安に振り回されやすいという性格傾向は変わらないわけですから、どうしても芯のようなものは残ります。神経症というのは完全に治るということはありえないと思います。神経質性格というものは、その人が持っている素晴らしい個性のようなものです。性格まで根こそぎ治してしまおうという考えは、やり過ぎだと思います。心配性というのは、感性が強く、高性能のレーダーを標準装備しているようなものです。それをプラスに考える必要があります。これは神経質性格以外の人がいくらお金を積んでも買えないものなのです。私たちは親からもらった素晴らしいこの宝物を、有効活用するように心がけていくべきだと思います。治るということを、このように考えると建設的な生き方ができます。それはエネルギーの活用方向が変わってくるからです。私は神経症が治ったのかと聞かれれば、いつも50%くらいは治ったと答えています。高らかに克服宣言をしているのです。それだけ治れば十分だ。その以上のことはしないように心がけた方が、トータルで見ると、より素晴らしい人生を築くことができるのだと考えています。
2022.10.23
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今年はカボチャが豊作でした。今日はカボチャマフィンを作りました。
2022.10.22
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人間は誰でも、ミスや失敗や失言をします。挑戦することに恐れをなして、逃げてしまったこともあるでしょう。自己中心で思いやりの欠けた態度をとってしまうこともあります。神経質性格に生まれたことを後悔する人もいます。紛争や戦争の絶えない国に生まれたことを後悔する人もいます。部下を育てることができなかった。グループのリーダーとしての職責を果たすことができなかった。他人を事故に巻き込んでしまった。適切な助言ができなくて、他人を窮地に追い込んでしまった。親に反発ばかりして冷たい態度をとってしまった。子どもをきちんと育てることができなかった。配偶者と喧嘩ばかりで、楽しい思い出がない。身体の疾患を抱えて、治療ばかりに明け暮れた人生だった。貧乏でその日食べていくのがやっとの人生だった。特に歳をとるとそれらが蓄積されて悪夢としてうなされることもあります。もう一度やり直すわけにはいかないだろうかと考えることもあります。これらの後悔は不安と同じように不快なものです。イヤなものですから、できたら自分の記憶から消してしまいたい。この態度は上から下目線で、自分の過去の不祥事を非難・否定している態度だと思います。観念中心で自分に「かくあるべし」を押し付けているので苦しくなっているのです。後悔することをそのように考えて、敵対していると、自分の人生は益々散々なものになるのではないでしょうか。反対に過去のミスや失敗や失言を、自分を成長させてくれる食料のようなものだと考えるのは如何でしょうか。あるいは勲章のようなものだと考えるのです。後悔の数が多ければ多いほど、たくさんの勲章をいただいたと考えるのです。それらは次の行動に移る時に、注意して行動をしなければいけませんよと教えてくれています。後悔を次に活かすことができれば、それは宝物に変わります。例えば、ワンクリック詐欺があります。あるいは、現在通販のクレジット決済の口座が停止されています。至急更新してくださいというメールが毎日のように届いています。現在すべて迷惑メールに隔離するようにしています。私は最初まんまとこの悪質メールに引っ掛かってしまいました。一晩のうちに多額の決済がされていました。クレジット会社が早めに気づいてくれて、支払いを停止してくれたために難を逃れることが出来ました。それがなかったら預金はすべて持ち出されていたことでしょう。後悔してもしきれないということになります。この経験が元になって現在どんどん送り付けられる悪質メールに引っ掛かることはありません。小さなミスや失敗の経験は、大きな後悔を防止する役割を果してくれていたということになります。エジソンは電灯のフィラメントを開発するのに5000回も失敗をくり返したといいます。最後は京都から取り寄せた竹で成功したと聞きました。もしエジソンが失敗だらけの試験の途中で自己嫌悪、自己否定で投げやりになっていたらどうでしょうか。失敗を次に活かすことができなくなりますので、永遠に成功することはなかったでしょう。失意の人生で幕引きとなっていた可能性が高い。後悔を嘆く必要は全く無いのです。自分に与えられた勲章なのですから。人生を楽しく彩ってくれたイルミネーションだととらえるようにすれば、悪夢でうなされることは避けられるようになります。ミスや失敗は自分を否定するために使ってはいけません。次の局面の参考材料として活用するという姿勢が大切になると思います。沢山の小さな失敗は、将来成功の基になると考えていれば、いくら失敗しても構わないはずです。そういう経験は貴重な宝物になるはずです。今まで順風満帆できて、初めての失敗が人生を左右するような重大な局面だったという人は悲惨なことになると思います。それこそ後悔してもしきれないということになります。ミスや失敗だらけの自分を、貴重な経験ができて、今の自分があると考えるようにしたいものです。
2022.10.22
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佐々木常夫氏のお話です。上司の指示通りに仕事をきちんとこなすことは、ビジネスマンとしては大切なことです。組織ではそれぞれのミッションというものがあります。やりたくなくてもやらなければならないこともたくさんあります。自分の気持はともかくとして、与えられたことをきちんとこなすのは、組織や社会に貢献するという意味でも、立派なことだといって間違いありません。(60歳からの生き方 佐々木常夫 海竜社 69ページ)誰でも自分の好きなことや面白いことは意欲的になれます。では生活のため、家族のために行っている仕事についてはどうでしょうか。自営業の人はともかく、会社勤めをしている人は、会社から指示命令されたことに取り組むわけですから、最初から面白いものではありません。佐々木常夫氏は、面白くない仕事であっても、真剣に取り組み職責を果たすのが社会人としてあたりまえのことであるといわれています。私の場合を振り返ってみました。最初は書籍の訪問販売の仕事でした。最初は意欲的でした。ところが冷たく断られ、虫けらを扱うような拒絶が続くうちに、すっかりやる気をなくしました。しだいに仕事をさぼるようになりました。最低限の仕事しかしていませんでした。会社の寄生虫なような存在でした。次の仕事は内勤の仕事でした。総務、経理、窓口営業などの仕事でした。営業の仕事にくらべて、ノルマがないので気が楽でした。しかし、無難に仕事をして給料をもらえれば十分と考えるようになったころから、仕事に対する情熱がなくなりました。それに輪をかけたのが、ある程度の年数を重ねると、中間管理職の仕事もするようになりました。この仕事はほとんど成果に結びつきせんでした。2つの職場で36年過ごしましたが、基本的に仕事は苦痛そのものでした。一時的にプロジェクトのリーダーに指名されたとき以外は、耐えがたきを耐え忍んで生活のために仕事につがみついていたのです。森田では、「ものそのものになれ」と教えてもらいました。しかしなまけ癖が身に付いてしまっているため、仕事ではそんな気持ちになれませんでした。それでも精神的に大きなダメージを受けなかったのは、仕事以外に目標を持って取り組むものを持ち続けていたからです。はっきり言えば、趣味や資格試験の挑戦です。旅行やグルメなどです。これがなければ、心身ともに使い物にならないほどの影響を受けていたと思います。今はマンションの管理人をしています。この仕事をして13年になります。ここでやっと仕事を面白くするコツを会得しました。私がこの仕事をするにあたり心がけていることは一つです。手掛ける仕事でごく小さな問題点や課題を最低一つは見つけて忘れないようにメモするということです。やるかやらないかというよりも、まずストックを溜めることです。例えば、エレベータの溝には埃がたまっています。これが問題点や課題です。それをすぐにメモしておきます。メモするとそれが忘却の彼方に飛び去って行くことを防止してくれます。そしてそれを何とか解決するように考えるようにしています。自分に妙案が浮かばなければ、管理人仲間に聞いてみます。こんな気持ちで仕事をしていると仕事が楽しくなるのです。心がけていることはごく小さな問題点や課題を見つけ出すということです。大きなものよりもこちらの方を重視しています。ものそのものになって一心不乱に取り組みなさいと言われても、なかなかその気になりません。この方法は具体的ですから取り組みやすかったのだと思います。毎日小さな宝の山を見つけることが生きがいになってきました。仕事が苦痛だという人がおられましたら、ぜひこれを応用することをお勧めいたします。
2022.10.21
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ある日の日曜日の起床から11時15分までの時間の有効活用の検証をしてみました。6時20分 起床、6時30分ごろ太陽が昇る。ベランダに出て朝日を体いっぱいに浴びる。8時まで 投稿原稿の点検と新しい原稿作成。その間はyou tubeプレミアムの音楽を流す。8時30分まで 洗面、着替え、歯磨きなど 簡単な朝食、ドジョウ掬いなどの一人一芸、傘踊り、ストレッチ、メダカへの餌やり、花への水やりなどを行う。9時まで 当日は集談会の開催日なので事前準備を行う。当日の自己紹介を考える。1ヶ月の出来事を日記を見て整理する。体験交流で話す内容を発見誌やここ1か月の投稿記事の中から2つほど選定して、話の組み立てを考える。9時から9時40まで アルトサックスの練習を行う。10時30分まで 近くの図書館に行く。借りていた本の返却と予約していた本の受け取りをする。11時まで カラオケの練習を行う。11時15分まで昼食。その後集談会に出席のため駅に向かう。振り返ってみると半日の間にいろんなことができていることが分かります。せわしないようですが、時間の効率的な使い方ができてうれしさ倍増です。集談会では30分おきに仕事の内容を変更していくと、緊張感が維持できて多くのことがはかどると教えてもらいました。岩田真理さんの「流れと動きの森田療法」の156ページにも、自分の横にタイマーを置き30分毎に仕事の種類を変えるという話が載っています。頭を使ったあとは体を動かすことをする。体を動かした後は頭を使うように意識して切り替えるということです。時には疲れないように昼寝もする。ここでのポイントは30分という時間を区切りとして次々に仕事を変えていくことです。森田先生は、「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にあり」と言われています。こうすれば有限の時間が有意義に活用できるようになります。この考え方を自分の生活に応用していくことが大切になると思います。
2022.10.20
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このことわざの意味は、衣類などにちょっとした破れ目が生じたときのことです。その破れ目を今日中に修繕しておけば、「一針」で済むのです。ここでの「一針」とは、「簡単な作業で済む」という意味です。しかし、「明日やればいい」と先延ばしてしまうと、その間に破れ目がどんどん広がってしまって「十針」も縫わなければならなくなる、というたとえです。この場合の「十針」とは、「簡単な作業ではすまなくなる。ますます面倒になる」ということです。面倒になるからこそ、「昨日のうちに済ませておけばよかった」と後悔することになるのです。このことわざも、「今日やることは、今日中に済ますことが大切だ。先延ばしすると、後で悔やむことになる」ということを言い表しているのです。(後悔しないコツ 植西聰 自由国民社 80ページ)今日やることを、おっくうだ、めんどうだ、体がだるくてやる気がしない、いつでもできるといった理由で先延ばしにすることはよくあります。今実行すればすぐにできることでも、先延ばしして簡単な作業では済まなくなることがあります。釣り糸が絡まって、ほぐすことができなくなるようなものです。ほぐそうとしても時間ばかりがかかり、そのうちますますこんがらがってしまうこともあります。イライラしてもうほぐすことをあきらめてハサミでバッサリ切って捨ててしまうことになりかねません。その日、その週、その月にやるべきことは、必ず期限内に済ませてしまうことは大切なことです。私はある卸会社で買掛金の支払業務をしていたことがあります。メーカーから請求に基づいてその月の支払額を確定する仕事でした。弊社の仕入れ額とメーカーの請求額が一致している場合は楽な仕事でした。ところが大きな仕入先にかぎって、差異が発生するのです。メーカーの請求額よりも弊社の仕入れ額が少ないのです。その差異は、一旦支払い保留にして弊社の仕入れ額で支払いをします。当然メーカーから、その支払い保留の理由をきびしく指摘されます。何処で差異が発生しているのか、支払明細書で詳しく説明することが求められました。私はこの問題に対して森田を応用しました。差異が発生した伝票を丁寧に扱うという考え方です。私はその差異を次月までには何とかすべて処理するようにしていました。いろんな問題がありました。単価違いなどは、弊社営業マンが後で交渉すれば何とでもなるといった安易な考えで、勝手に仕入額を低く見積もって計上しているのです。この場合は再交渉可能なのか、ムリなら弊社の負担になります。下手をすると原価割れということになりかねません。でも放置するわけにはいきません。そういったものが蓄積されると、実質処理は不可能になり、最終的に弊社の純損失につながります。それからクレーム商品の場合は、ほとんど再発注が絡んでいます。当然クレーム商品は返品処理をしなければなりません。しかし得意先や営業マンは、そのまま放置している場合が多い。急いで返品処理をしないと、メーカーは取り消し伝票を発行してくれません。私が直接乗り出して処理しないと解決しないのです。この差異は売り上げを締めて、メーカーの請求書と弊社仕入元帳を照合しないと分かりません。仕事をそつなくこなすコツは、違算伝票を当月中に確定し、次月中に問題点をすべて処理しておくことだったのです。1か月遅れとなりますが、期限内にやるべきことをめんどうがらずにきちんとこなすことなのです。差異伝票をお金のように大事に取り扱うことがコツでした。こういう仕事は神経質性格を持った人で、細かい仕事を丁寧にこなしていく人にとっては適職となります。細かいことが気にならない発揚性気質の人にはあまり向きません。神経質性格を活かすということは、細かい仕事に全エネルギーを投入するということになります。
2022.10.19
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どこの家にも多量のお知らせや通知書や請求書が送られてきている事と思います。役所や税務署、公共料金の請求書、通販を利用したときの利用明細書などがあります。それ以外にも「これは大事だ」と思うお知らせもあります。買い物をした時や病院にかかった時の領収書類も大量に発生します。生活の発見会や趣味の会に所属していると、大量のメールや書類が送られてきます。これらを整理することがめんどうだと思うのか、自分の腕の活かしどころだと思うのか、その後の展開に大きく影響してくるように思います。これらはきちんと整理整頓しておくとイライラしないで済みます。最初は大まかに分類することから始めるのは如何でしょうか。特にパスワードの整理と管理は極めて大切になります。これを失念すると大変なことになるのは誰でも知っています。いろんなパスワードはまとめて管理されている事と思います。一枚一枚の通知書をお金のように丁寧に扱っていると、探す手間がなくなります。そうなると、「たかが伝票、されど伝票」という気持ちになります。整理にあたっては、同じジャンルのものはひと固めにすることが肝心です。項目別にファイルするか、保管場所を決めてまとめておく。不用になったものは処分する。家電の取扱説明書、スマホやパソコン関係書類、CDやMDやDVDやカセット、カラオケやサックスの楽譜、趣味や一人一芸関係、資格関係、自家用野菜作り、加工食品関係は整理場所を決めていつでも取り出せるようにする。鍵やハンコ類、重要書類や通帳などは金庫へ保管。私は頻繁に発生するものは市販のファイルにとじ込みます。例えば、集談会の幹事会記録、ユーモア小話の収集、集談会でもらった講話のレジメなど。請求書や通知書のようなものは100均で買ってきた5段になった入れ物に項目別に分けて入れておきます。分類に困った時は、KOKUYOにA4ー1FというA4の個別ホルダーというのがあります。見出しが付けられるようになっています。これが整理に役立っています。閉じる手間は入りません。ただ分類した場所に入れているだけです。これを100均で手に入れた、書類保管箱に入れて整理しています。とくかく必要な書類は3分以内に引っ張り出すことができるというのが、得意技の一つとなりました。生活の発見誌は古いバックナンバーのものは、気に入った記事を項目別に分けて、スクラックブックに張り付けて、あらかた処分しました。森田の学習は項目別に分けて整理するという作業が役に立ちます。自分のお気に入りの記事や学習内容を書き込んだオリジナルテキストができるわけですから、学習が深耕できる筈です。森田全集第5巻は3冊に分解し持ち運べるようにしています。いつでもどこでも手軽に読めるようになりました。通しでいうともう15回くらいは繰り返して読んでいると思います。さらにどこに重要な話があったかをページ数とともに整理しました。このブログの記事を作るときに、大変役に立っています。整理名人というのは、森田の実践課題としてとても意義のあるものだと思います。書類をきちんと整理している人は、家の調度品などもきちんと整理されています。さらに家の中の掃除もきちんと行き届いていると思います。玄関先をきれいに掃除されている人は家の中もきれいです。神経症で悩んでいる人は、整理整頓に全力投球することをお勧めします。まずは送られてきた多量のお知らせや通知書や請求書の整理から取り組んでみませんか。
2022.10.18
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有田秀穂医師のお話です。セロトニン神経を一本の樹木に喩えるならば、リズム性運動によってセロトニン神経を鍛えることは、木の根に十分に滋養を与えて、しっかりとした根幹を作ることを意味します。一方、SSRIは、末梢の枝葉に作用する薬です。セロトニン神経の末端で再吸収ポンプの働きを阻害することによって、セロトニン神経が実際には弱っていても、あたかもセロトニンがシナプスに十分に分泌しているかのように見せかける働きをしています。セロトニンという木において、枝が萎え、葉が黄ばんできたときに、葉の色艶をよくする効果を発揮するもので、決して根や根幹に滋養を与えるものではありません。SSRIを使いつづけている限り、確かに一見セロトニン神経が元気を回復したかのような印象を与えるかもしれません。しかし、薬を長く続けているうちに、いつの間にかセロトニン神経の根が腐り、幹が朽ちていくのを見過ごしてしまう危険があります。どうしてもというときだけ薬を使って、普段は根気よくリズム性運動を続けて、セロトニン神経を根本から鍛えることをお勧めします。(セロトニン呼吸法 有田秀穂 高橋玄朴 地湧社 78ページ)私は有田先生に学び、毎日セロトニン神経系を鍛えています。1、朝日が昇ってくるのを待って太陽の光を体いっぱいに浴びます。2、毎日一万歩のウォーキングを行っています。マンションの管理人なので管理棟内をよく歩きます。スマホの万歩計で計測しています。別にウォーキングでなくても、リズム運動なら何でもよいそうです。ジョギング、水泳、自転車、腹式呼吸、ガムを噛むなど・・・。この本には丹田呼吸法がくわしく紹介してありました。瞑想や呼吸法に興味がある人はぜひ参考にしてください。注意点としては、リズム運動をするときは意識を集中することが大切です。負荷をかけないでだらだらと行っても効果はないそうです。時間は20分から30分くらいだそうです。3、セロトニンの原料は必須アミノ酸であるトリプトファンです。これはバナナ、納豆などの大豆食品、チーズなどの乳製品に豊富含まれているそうです。また脳内にトリプトファンが取り込まれるためには炭水化物が必要になります。セロトニン神経は昼間は常時出続けているものだそうです。セロトニン神経系の役割は、ノルアドレナリン神経系やドパミン神経系の暴走を抑える役割があります。不安にとらわれやすい神経質性格者にとっては、セロトニン神経系を鍛えることがプラスに作用します。疲労物質の乳酸が体内で増えると、自己抑制装置が作動して、再利用に備えて回収される仕組みになっているそうです。太陽の光を1時間から2時間浴び続けると、自己抑制が現れ、逆に元気がなくなりますので、長く浴びることは逆効果となります。その結果一時的にセロトニン不足に陥ります。リズム運動の強度が強すぎることややりすぎは禁物です。セロトニン神経は悪しき生活習慣で弱まることを忘れないでください。最終的には、リズム運動を自分の生活習慣として定着させることが大切です。最低でも3年間は継続してください。継続こそ力なりということです。
2022.10.17
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駅に行く途中で見かけました。朝顔に心を動かされることは今までなかったように思います。これも森田のおかげかなと思っております。
2022.10.16
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チンドン屋の仲間からお誘いがあり、傘踊りを始めました。そのうち老人ホームなどの慰問活動や祭りなどのイベントで披露する予定です。鳥取のシャンシャン傘踊りが有名です。傘が色とりどりに色付けされて、回すと鈴がなります。師匠は山口県から招きました。模範演技をスマホで動画撮影させてもらいました。その動画をスロー再生させて何回も繰り返して見ました。6つから7つの所作の組み合わせであることが分かりました。傘は基本的に常時グルグルと回します。手や足の運びを1から順番にできるまで練習します。師匠からは、傘の動きを止めたときの角度を45度にするように意識する。視線は上部の留め金をみる。上の手の位置は上部留め金の少し下に置く。手の開きは肩幅くらいにする。毎日15分くらい練習していると、ほぼできるようになりました。あとは忘れないために、毎日練習を継続することです。私はこれで、アルトサックス、獅子舞、浪曲奇術、ドジョウ掬い、腹話術、傘踊り、しば天踊り、傘回し、簡単な手品などがなんとかできるようになりました。毎日のルーティンワークとして楽しんでいます。将来はyou tubeにアップして、皆様に刺激を与えたいと思っています。名人芸でなくても、失敗するくらいの方が、かえって喜ばれるように思います。一人でも多くの人が、興味や関心を持って取り組んでくれることが願いです。
2022.10.16
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今日は秋晴れのもと、サツマイモ堀をしました。最高の気分転換になります。大豊作でした。大きいものは3キロ近くもありました。サツマイモのツルはそこら中に伸びますので、広い畑がないと難しかもしれませんね。早速近所へおすそ分けです。明日以降はサツマイモ料理が続きます。サツマイモのツルは炒め物にします。おいしいですよ。今日はダイコンの間引きもしましたが、間引き菜もおいしいです。
2022.10.15
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広島カープの監督に新井貴浩氏が就任した。その記者会見で素晴らしい話があったので紹介したい。・若手の底上げというか、力をつけさせることが大切だと思います。しかし若手だけでは勝てないんですよね。若手、中堅、ベテラン、外国人選手のバランス、何ごともバランスを大切にしていきたいなと思っています。・監督、コーチ、選手は目の前の戦いを全力で戦うんですが、例えば1年単位で考えてみた場合、序盤、中盤、後半を念頭に置いて、中期的、長期的な考え、そういうビジョンを持って戦いたいなと思います。いつまで監督を続けられるかは分かりませんが、3年先、5年先の目標を明確にして取り組んでいきたいと思います。・佐々岡真司前監督が退任会見で「何も残せなかった」と言っていました。そんなことはありませんよ。たくさんの若手を起用してくれました。特にピッチャー陣、彼らが芽を出して、つぼみにしてくれたのは佐々岡監督です。今度は自分が水をやって、花を咲かせていきたいです。私は森田理論のことを常に考えております。この会見から思いついたことを書いてみたいと思います。まずバランスということです。私は森田理論はバランスの理論だと思っています。いつも念頭にあるのはサーカスの綱渡りです。長い物干し竿のような棒を巧みに操りながら、バランスをとって慎重に前進しています。この棒の両端に欲望と不安という重りをぶら下げると森田理論の説明ができるのではないか。このバランスが崩れてしまうと、たちまち落下してしまいます。落下すると、綱渡りという芸は見るも無残な結果に終わってしまいます。これは森田理論では両面観、精神拮抗作用などの学習で出てきます。次に目標についてです。森田理論の基本的な考え方は、「今、ここ」を大切にする考え方です。凡事徹底といいかえてもよいと思います。私はそれに加えて、1年後、3年後、できれば10年後の目標を設定して取り組むとよいと思います。私は20年後の目標として、このブログを継続していくにしています。最初は10年の目標にして取り組みました。それが今年の末で達成できそうなので、新たな目標に設定したのです。中期、長期の目標を設定すると、生きる張り合いが持てることが分かっています。他人に対する思いやりですが、相手の持っているもの、強みや長所に注目して、それらが陽の目を見るように見守っていきたいと思います。具体的には自分の気持や意見を一方的に相手に押し付けないようにしたい。傾聴、共感、受容、許容、感謝の気持ちを持って付き合いたいと思っております。
2022.10.15
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森田理論は自分が持っていないものを欲しがる前に、自分が持っているものに光を当ててそれに磨きをかけていきましょうという考え方です。私の場合は、歯が丈夫で虫歯が1本もないというのがそれにあたります。歯が丈夫というのは、ある程度先天的なものがあります。親に感謝です。問題は、それが当たり前になると、手入れすることを怠るようになります。そして自分が持っているものに関心がなくなり粗末に扱うようになります。次に、他人にあって自分にないものを探し出して、それを欲しがるようになります。余裕があればかまわないと思いますが、その前に、自分の持っているものに焦点をあてて、それを活用することを考えることが先に来ないとまずいと思います。私は歯については森田理論を応用することを考えました。私はハゲなのですが、それは歯の手入れを尽くした後にしようと考えました。現在問題がなくても、定期的に歯医者に行ってメンテナンスをすることにしました。費用も保険適応で1回あたり1000円と手ごろだったからです。自分の強みに焦点をあてて、磨きをかけていこうと考えたのです。具体的は3ヶ月毎に歯医者に行って歯垢を取り除いてもらうことにしたのです。歯医者さん曰く。最低でも3か月ごとに歯垢を除去しないと、虫歯になりやすい歯になります。歯だけではなく、歯茎も弱ってきます。歯槽膿漏になりやすい。歯が悪い人は食べやすい柔らかいものを好んで食べるようになります。歯は鍛えないと、廃用性萎縮でますます弱ってきます。歯槽膿漏で歯を抜くしかない状態で来院されても、対症療法しかありません。歯科医院で定期的にメンテナンスをして、生涯自分の歯で食べることは、皆さんが考えている以上に大事なことです。歯医者さんは歯を丁寧に磨くことを指導してくれます。歯は上下、裏表、前歯奥歯があります。それらを意識してていねいに磨くことが大切です。ていねいに磨くと最低でも5分くらいはかかります。回数は朝、昼、夕食後の3回が理想です。そして歯は歯ブラシで磨いたら終わりではありません。次に歯間ブラシで歯と歯の間をそうじすることが大切です。歯間ブラシは大きさにより7種類あります。私の場合、上下前歯は4Sサイズ、上下奥歯は3Sサイズになるようです、そして最後にうがいをしてすっきりとしましょう。さらにキシリトールガムを噛むと歯が丈夫になります。顎関節を鍛えるので嚥下防止にもつながります。たかが歯磨き、されど歯磨きだと思いました。奥が深いのです。私は自分の持っているものに焦点をあてて、歯磨きを極めていこうと思いました。そこに焦点を当てていると、自分にないものにはあまり関心を払わなくなりました。そして自分の最大の持ち物である神経質性格をもっともっと活用していきたくなりました。今は活用しているといってもたかだか3%くらいだと聞いたことがあります。それを仮に10%くらいまでに上げとすごいことになると聞きました。神経質性格者として、これは大いに挑戦し甲斐があります。
2022.10.14
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10月号の生活の発見誌に次のような記事がありました。40日の入院療法の最も大事な条件は、このとらわれから離れることである。このとらわれから離れるには、どうすればよいのかといえば、一方には、常に目的物から目を離さぬことであるが、一方には、自分の心がとらわれから離れない時には、そのとらわれのままにとらわれていることも、同時にとらわれから離れるところの一つの方法であります。この部分だけを読んでいると何のことだかよく分かりませんね。この部分は森田全集の第5巻の244ページで森田先生が説明されています。前後の話を読んでみると、その内容がとてもよく分かります。まず、とらわれから離れない時には、とらわれのままにとらわれていることが大切だといわれています。この点については、船酔いの話で説明されています。さきほど船酔いの話が出たが、三沢君の、あの船の動き方を見張っていたのは、船にとらわれた状態で、そのままにとらわれている時に、船酔いを忘れることができる。これに反して、船のことは思わないようにとか、眼をそらしして、ほかの事を考えて、ことさらに気を紛らわせようとしたりすると、かえって船の事を忘れられないで、船に酔うようなものである。つまりとらわれている状態は不快で気分が悪いので、なんとか気を紛らせ、取り去ってすっきりしたいと考えると、精神交互作用でどんどんとらわれが強くなっていくといわれている。とらわれに対して反抗的な態度はとらないで、不快な気分をそのまま味わい尽くすという態度になるとよい。不快な感情と一体になるということです。次に目的物から目を離さないことが大切になるといわれています。これについては川にかかる丸木橋を渡る時、向こう岸に渡りたいという強い意志を持つことが大切になるといわれている。そのうえで先方の目標物をしっかりと見定めて、目標に向かって行動を起こすことが肝心であると説明されています。これは生の欲望の発揮のことです。神経症のとらわれから解放されるためには、不安はあるがままに受け入れて、目の前のなすべき課題や目標に向かって行動していくことが大事になります。森田理論では、神経症の不安は欲望の裏返しであるという考え方です。ですから不安を目の敵にして、不安を無きものにしようとすると、目的は達成できないばかりか、益々泥沼にはまってしまうということになります。森田理論の「不安と欲望」という単元を学ぶと、不安を抱えたまま、生の欲望の方にエネルギーを投入することが肝心であるということが分かります。自動車でいえば、アクセルを踏み込まないと自動車は前進しません。いつまで経っても目的地に向かうことは出来ません。アクセルは生の欲望の発揮のことです。大事なことは、まずはアクセルを踏み込むということです。でも下り坂でアクセルを踏み込むようなことをすれば、スピードが出過ぎて大事故になる可能性が高まります。一旦車が動き出したら、適宜ブレーキを作動させなければなりません。ブレーキは不安を活用するということです。神経症で苦しんでいる人は、ひたすら不安と格闘している人です。生活が停滞し、不安はどんどん強まり、神経症として固着してしまいます。原則として、不安には手を付けないで、生の欲望の発揮にエネルギーを投入することが大切になります。森田理論が教えてくれているのは、欲望と不安はあざなえる縄のようなもので、どちらも必要なものです。生の欲望を前面に押し出しながら、適宜不安活用して、欲望と不安のバランスを上手に取りながら、生活を前に進めていくことがあなたの腕の見せ所ということになります。
2022.10.13
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私はマンションの管理会社を変わり、また管理人の仕事をしています。管理会社を変わったことで大きな気づきがありました。今度の会社には管理人のサポート部隊が存在していたのです。以前勤めていた会社にはありませんでした。この関係の仕事は主に管理人担当の女性が一人でこなしていました。100名以上の管理人を相手にしているのですから、キャパオーバーでした。今度の会社は一つの部署になっていて、6人体制で重要な役割を果していました。例えば、親戚や講中の葬儀などで突発的に休まなければならないときがあります。それ以外にも自分や家族がケガや病気になって仕事ができなくなることもあります。そんなときこのサポート部隊がすぐに動いてくれます。この部署は、新人に対して仕事の進め方もていねいに指導しています。清掃のやり方、接客態度など、時間の使い方、報告書類など懇切丁寧でした。また定期的に管理棟を巡回して、管理人の相談にのっているのです。困ったことや分からないことはサポート部隊に相談すればよいのです。その他屋上などの危険個所の仕事、伸びすぎた植栽の伐採、高所の電灯の交換など相談すれば、サポート部隊がフットワークよく駆けつけて処理してくれます。管理人はサポート部隊がしっかりしていると安心して仕事ができます。マンションの管理組合に関することは担当営業マン、管理人の仕事に関することはこのサポート部隊、福利厚生に関することは人事・総務部と仕事の棲み分けができていたのです。私は以前の管理会社一筋で13年在籍していましたが、他の会社にこのような仕組みがあり、有効的に機能していることは全く気がつきませんでした。葬儀などで有休休暇を取りたくても、今日は代行要員がいないので無理だといわれたことがありました。仕方なく家内に参列してもらってあとで顰蹙をかったことがありました。そういう事が1度でもあると、次に同様のことがあっても、電話しづらくなるのです。管理人が棟内を巡回していると、不具合箇所や危険個所が見つかります。今までは、担当営業マンに連絡・相談していました。しかしキャパオーバーの棟を持たされていますので、手が回りませんでした。私は屋上などのドレンのつまり、エキスパンションのビス欠落、エレベータ地下ピットの水たまり、トイの破損、溝の掃除などの問題を抱えていましたが、報告してもなしのつぶてでした。私は管理組合と管理会社の間で板挟みになり苦労していました。マンション管理の仕事は、フックワークがとても大切です。依頼されたことを放置しているといつの間にか管理会社を変えられてしまいます。そのときに慌てふためいては遅いのですが、普段は気がつかないのです。これは仕組みの問題ですから、管理会社の管理者やマネージャーが気づいて手を打つ問題だと思います。その際役に立つのは、新しく入ってきた管理人だと思います。入社して半年くらい経った人です。新人は、感性が鋭いのです。新人は問題点があれば早く処理したいという気持ちを持っています。新人から、問題点や課題、気づきや発見をすくい上げていけば改善に結びつくと思います。すぐに対応すれば、管理組合から絶大な信頼感を獲得できるはずです。長年勤務している人は、残念ながらその感度が鈍っています。感情の法則3に「感情は同一の感情に慣れるに従って、にぶくなり不感となるものである」というのがあります。長年勤めている人は、残念ながら、慣れてしまって、新しい発想が湧き出ることは少なくなっているのです。
2022.10.12
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対人恐怖症は、人が怖いという感情が強くでてくる人です。他人は自分に危害をもたらす存在であるという気持ちが強い。この感情は不快な感情ですから、扁桃核から青斑核に送られます。ここからノルアドレナリンという神経伝達物質によって防衛系神経回路が作動します。この神経回路は専守防衛です。闘うか逃げるかのどちらかです。このときドパミン主導の報酬系神経回路はお休みしています。やる気が湧いてこなくなり、生産的、建設的、創造的な行動は抑制されます。他人が恐ろしいという感情は自然現象です。人間の意志の自由はありません。その感情を抱えたまま生きていくしかありません。どのような心掛けで生きていけばよいのでしょうか。対人恐怖の人は、職場や学校で、他人が自分をどのように取り扱うかに神経が集中しています。寝ても覚めても人間関係のことばかり考えているのではないでしょうか。仲間から嫌われないようにしたい。上司から叱責されないようにしたい。同僚から能力のない奴だと軽蔑されないようにしたい。そのことばかり考えていると神経過敏になり心が休まる時がありません。肝心の仕事の方は上の空になります。イヤイヤ取り組んでいるように見えます。その結果どうしてもミスや失敗が多くなります。それが仲間、同僚、上司に伝わり、ますます付け込まれるようになります。悪循環のスパイラルから逃れることは出来なくなります。ではどうすればよいのか。100%対人関係のことで頭の中がいっぱいという状態が問題だと思います。その比率を90%、80%、70%・・・と下げていくように頭を切り替えて実践していくというのはどうでしょうか。実はこの考え方は神経症を治していく方法の一つなのです。その方法として考えられることを思いつくままにあげてみましょう。1、仕事の方ではとるに足らないような小さな仕事を丁寧に行う。例えば1枚の伝票にお金を扱うように大事に扱う。書類をファイルして文房具をチキンと整理整頓する。気持よく仕事をするために、朝少し早く出勤して掃除をする。仕事仲間にはこちらから積極的に挨拶をする。2、次に日常生活は規則正しく丁寧に取り組む。凡事徹底です。時間の有効活用を心がける。就寝時間、朝起きる時間を一定にする。食事は買い出し、料理、片付けをきちんと行う。これが手抜きになってはいけません。整理整頓、掃除、洗濯をきちんと行う。3、次に集談会に参加している人は、世話役を引き受けて、みんなに喜ばれるように真剣に取り組む。4、ぺットなどを飼い、親身になって世話をする。観葉植物の手入れをする。自家用野菜作りを始める。5、趣味を作って取り組む。自分の興味や関心のあるものに取り組む。6、会社以外の楽しい人間関係を作る。趣味の会、カラオケ仲間など。7、健康維持のために運動やウォーキング、ストレッチなどを心がける。8、資格試験に取り組む。生涯学習を始める。好きなスポーツに取り組む。9、楽器演奏、一人一芸に取り組む。10、慰問活動などのボランティアに取り組む。これ以外にもいろいろとあると思います。ご自分でも考えてみてください。対人恐怖症は正攻法で対処するとますます悪化します。また、対人恐怖症は、人の思惑にとらわれやすいという性格傾向を持っているということですから、完全になくすることは出来ません。頭の中が100%対人不安で一杯だった状態が、徐々にその比率を下げて、それ以外のことにも頭が働くような方向を目指すのがよいのです。その下がった部分だけ対人恐怖症が治ったと考えるのです。そして50%くらいまで下がってきたら、それ以上の根治を目指すのは考えものだと思います。対人不安でビクビクハラハラしながらでも、人生を謳歌して楽しむ方に方向転換していきましょう。その方が味わい深い人生になります。最後に、森田理論が教えてくれた人間関係の極意を紹介しておきましょう。それは「不即不離」を応用することです。これは、親密になりすぎず、疎遠になりすぎない人間関係です。引っ付きすぎてもいけないし、離れすぎてもいけない。適度な距離感があり、広くて薄い人間関係のことです。コップに一杯の人間関係よりも、コップに少しだけの人間関係をたくさん作るという気持ちで生活するということです。人間関係は、必要な時に、必要に応じて、必要なだけを心掛けることです。この考え方もぜひ参考にして取り入れてみてください。
2022.10.11
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これは孔子の言葉です。森田先生も形外会で説明されています。成瀬さんのような方は、同じ不眠でも、まもなくこれから脱し、しかもこれを利用して、かえって仕事の能率を上げるというふうに、上達なさるのであるが、神経質のいたずらに不眠に執着するものは、ますます不眠の感にとらわれてしまって、仕事も何も、まったくできなって、下達してしまうのである。(森田全集第5巻 504ページ)ここで小人というのは、神経症に陥った自分を自己否定している状態といってもよいかと思う。こんな自分では社会に適応できない。不安にとらわれやすい神経質性格の改造に取り組む必要がある。何とか症状を克服して、悩んでいなかった元の自分に戻りたい。これは症状に陥った自分を上から下目線で眺めて自己嫌悪しているのです。自分という一人の人間の中に、対立する二人の自分が存在して反目し合っている状態です。観念優先の態度で「かくあるべし」を自分に押し付けているのです。完全主義が強く、事実や現実を否定して目の敵にしている状態です。こういう態度ではいつまで経っても神経症は治りませんね。それどころか神経症は益々悪化すると思います。これに対して君子は、二人の自分が一人の自分に統一されています。「かくあるべし」という観念の世界が、事実の世界にいつもかいがいしく寄り添っているという状態です。不安にとらわれやすい自分の性格を正しく分析して、素直に受け入れているのです。神経質性格に対して是非善悪の価値評価を下していません。確かに神経質性格は繊細で不安にとらわれやすいという面があります。それをマイナスの側面とすれば、プラスの側面もあると理解している人です。神経質性格は感受性が強く、分析力に優れ、リスク管理ができる類まれな優れた面があるととらえているのです。ですから神経質性格を社交性のある発揚性気質の性格に変えようなどとは思っていません。神経質性格をプラスに活かして生きていく方が肝心だと考えているのです。そのように考えられるようになると、自己嫌悪や自己否定がなくなります。エネルギーの無駄使いがなくなり、有効利用が可能になるのです。事実をあるがままに受け入れられるようになると、目標に向かうスタート地点に立つことが可能になります。目標に向かって貴重なエネルギーを全力投入できるようになります。それが自然の流れとなります。これが生きがいにつながるのです。実践・行動すれば、人間に生まれてよかったと思えるようになります。
2022.10.10
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我が家の柿はとても甘いです。豊作です。トマト、ナス、シシトウ、オクラはまだまだ収穫しています。秋ジャガ、白菜、ダイコン、サツマイモが大きくなっています。サツマイモは10月中旬に収穫予定です。今日は田んぼと畑の草刈りで忙しかったです。
2022.10.09
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この小説は歴史小説である。主人公は青江又三郎。彼は北国の小藩で、馬廻り組100石の武士だった。ある時、家老大富丹後の藩主毒殺の陰謀を知ってしまった。その話を許婚の由亀の父に話したところ、逆鱗に触れて殺されそうになった。許婚の由亀の父は家老の陰謀に加担していたのである。剣の得意な又三郎はやむなく由亀の父を斬って脱藩した。父は命が切れる時に、一人娘の由亀に又三郎を頼れと言い残した。ここが不思議なところだ。最後には二人は夫婦になるという設定である。又三郎は江戸の裏店に住んで、生活のために用心棒稼業を始めた。時あたかも赤穂浪士の吉良邸討ち入りの渦中であった。又三郎は赤穂の浪人からも、吉良邸からも生活をかけた用心棒の仕事を引き受けている。大石内蔵助の身辺警護をしたかと思うと、吉良上野介の屋敷の警護もしている。又三郎は赤穂浪士との付き合いが多かったため、どちらかというと赤穂浪士の肩を持っていた。討ち入りの前日に赤穂浪士の情けにより、吉良邸を出て難を逃れている。国元の家老大富丹後が差し向ける刺客とも闘い、さらに飢えと闘いながら孤軍奮闘で日々必死に生き抜いている。藤沢周平氏は20代で肺結核にかかり、療養に専念するために、教師の仕事を辞めざるを得なかった。追い打ちをかけるように、結婚した妻は一人娘の1歳の誕生日を待たずして病死している。自身も生涯病気と縁が切れなかった。そして60代の若さで亡くなっている。藤沢周平氏は、理不尽な運命に翻弄されながら、その怨念を小説で晴らしているようである。小説家という才覚がなければ、苦しい人生で終わっていたかもしれない。藤沢周平氏は小説を書くにあたり、存在する資料をくまなく調べ上げている。歴史的事実に忠実なのである。その執念は鬼気迫るものがある。その過程でどうしても合点がいかない空白の部分が生まれてくるという。その空白部分を自分の空想力を総動員して、連続性を持たせるのが小説家としての自分の仕事であると言っている。江戸時代の武士や町人の社会に材をとった小説が多い。生活苦、病気、災難、理不尽な仕打ちで七転八倒している人を取り上げている。そしてどんな状況でも命ある限り生き抜くことが肝心ですよと教えてくれている。不器用な生き方しかできない人が、人生をあきらめないで懸命に生き抜いている姿に読者は一筋の光明を見出すのである。ちなみにペンネームだが、藤沢というのは亡くなった奥さんの故郷の地名、周平はすべての人の安寧を祈念しているようである。私は藤沢作品のすべてに目を通す目標を持っている。その量は膨大である。どんな発見があるか今からワクワクしている。そして山形県鶴岡市にある藤沢周平記念館をいつかは訪れてみたい。
2022.10.09
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萩本欽一氏のお話です。ボケ・ツッコミの後に「ウケ」がないとダメなんだ「突っ込む」っていうよね。そこから世の中に出てきた言葉が「ツッコミ・ボケ」。これで笑い取るとね、世の中殺伐としてくるんだよ。この言葉だと、つまり相手がボケると突っ込む。つまりいじめる。ツッコミって「突く」ってこと。欠点を突くっていうでしょ。だから言ってみればいじめなの。ボケ役っていうのは、いじめを苦にしない、いじめに気付かないって人。坂上二郎さんを見てごらんなさい。全然気づいていないでしょ。いじめてるんだよ、あれ。いじめられているのに、「あ、そうですか」って平気な顔をしている。そこへどんどん突っ込んでいくんだよね。「わかっているのかい」「えーえ わかっていますよ」「何が」「それは、もうね、いろんなことが」「やっぱり、わかってないんだ」こんなふうに、なんにも間違いに気づいていないっていうのと、いじめを苦にしていないっていうのが、ボケ役の基本なんです。それを見ている人がみんなで笑うというのが今のお笑いの構造になっている。僕はテレビをやっている時に、「ツッコミ・ボケ」っていう言葉はやめてくれと言っていた。それを使うと殺伐とするから。いい笑いというのは、突っ込み、ボケた後、最後に「ウケ」っていうのがあるのだと、僕は繰り返してきた。「ウケ」っていうのは何かというと「救う」ということ。救われないとダメなんだ。だから必ずウケを一つ入れてくれ。このウケを大事にしてくれ。そう言い続けてきたの。(ユーモアで行こう 萩本欽一 KKベストセラーズ 34ページ)この話は「かくあるべし」を他人に押し付けて、勝った負けたと一喜一憂している人にとっては耳の痛い話かもしれません。他人を非難、否定、叱責すると、相手がダメージを受けて傷つくというのはなんとなく分かりますよね。それなのにそんなこと無視してしまいます。それどころか仲間を巻き込んでさらに追い打ちをかけてしまう。そして仲間内から追い出そうとしている。それはまずいいですよね。傷ついた人は一生その人のことを恨みますよ。本人は気づいていないかもしれませんが。私も以前学習会のインストラクターを引き受けたとき、ある人の仕打ちと仲間を先導して徒党を組んで非難してきたことをいまだに引きずっているのです。許そうと思っていても、思い出すたびに腹が立ってしかたがないのです。これが一生涯付きまとうのかと思うと気が重いです。自分を窮地に追い込んだ人は、もう忘れているかもしれません。そのときは事実を伝えたまでのことだ。自分にはなんのやましいことはないと思っておられると思います。今思うことは、「かくあるべし」を押し付けるのは、まず相手の気持ちを聞いた後にしてほしかったですね。さらに言えば、せめて萩本さんのいわれる「ウケ」を用意した後にしてほしかったです。救い、許し、許容、ねぎらい、信頼の言葉や態度の気持がない時に、「かくあるべし」を相手に押し付けてはいけないと思います。自分で言いにくかったら、誰か第3者にそのことを依頼してからにする。第3者にフローしてもらえばなんとかなりますよ。第3者を巻き込んで、一緒になって仲間内から排除してはいけないと思います。そうすれば相手と対立することは避けられます。そんなことができるような人は、物事本位になっている人です。人格否定ではなく根底には人間愛、人間に対する信頼感が育っている人だと思います。「かくあるべし」を他人に押し付ける人は、自分に対しても「かくあるべし」を押し付けている人です。自分で自分を否定しているのですから生きることが辛いはずです。自分に対しても「ウケ」を用意して行動することが大切になります。他人の批判にさらされても、自分で自分を擁護することは大事ですね。自分は自分の最大の味方になることです。この考え方は森田理論の核心部分を突いているのではないでしょうか。
2022.10.08
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私はマンションの管理人を始めて13年になるが、新しい管理会社の新規管理棟に移った。今まで以上に居住者に寄り添い信頼感を獲得して貢献したいと思っている。そういう目標を持っているとやる気がでて仕事が楽しくなる。今度は勤務時間が13時から18時までの5時間になった。バイク通勤が往復1時間かかるので6時間が仕事に関わる時間である。仕事内容としては、管理室内での受け付け業務、報告書作成、来客者の対応、営業などとの連絡調整の仕事が飛び飛びに1時間半くらいある。次の2時間は清掃、点検、立ち合いで体を動かす仕事である。1日1万歩以上は歩いたり、階段の上り下りがある。これがよい。管理棟内外の巡回拾い掃き、各階解放廊下の拾い掃き、蜘蛛の駆除、鳥の糞掃除、玄関・エントランス・メールボックス、管理室のモップ掛け、拭き掃除などがある。その後随時各階解放廊下と側溝の水モップ掛けである。最後にゴミ置き場の整理・水洗い、植栽への水やりの仕事へと続く。残りの1時間30分は2つに分けている。最初の45分は、曜日ごとに仕事内容を変えている。照明点検と交換、階段の清掃、各戸面台の清掃、事務室や掃除道具置き場の整理整頓、雑草処理などである。休憩をはさんで、最後の45分は2回目の巡回と日報の作成である。毎日同じ時間に同じ作業をくり返すように意識している。これらの作業のなかで問題点や気づきをできるだけ多く得るように取り組んでいる。これで5時間が有効活用できているように思う。暇を持て余すことがない。昼からの仕事なので朝起きてから出勤する12時20分までが自由時間となった。6時20分には起きて太陽の光をいっぱい浴びる。その後ブログの原稿作成を8時まで行う。8時から8時30分までには、着替えや洗面、簡単な朝食、ストレッチ、ドジョウ掬いや傘踊りなどの練習、メダカの餌やりや観葉植物の手入れ。おおむね8時30分から12時までは本読みにあてている。本はすべて図書館でネットで予約したものばかりです。その間you tubeプレミアムの広告なしの音楽をかけている。最近のお気に入りは、サックスインストルメンタル ラブソングソフトバックグランドミュージックです。時々眠くなると20分アラームをかけて仮眠をとることもある。18時30分に帰宅するとすぐに妻が作ってくれた夕食をとる。もちろん晩酌をする。1時間くらいすると急に眠くなる。そこで9時まで仮眠をとることにした。それから2時間30分の自由時間が確保できる。懸案の用事を済ませたり、藤沢周平の小説を読んだりしている。11時30分から入浴して12時には就寝している。時間の使い方が以前とはまるっきり変わってしまった。でも心がけていることは30分から1時間で仕事を変えることである。本を読むにしても、時間を区切って何冊の本を並行して読むようにしている。これは森田の「時間の性を尽くす」「休憩は仕事の中止ではなく仕事の転換にあり」という教えの実践になっている。一日が終わった時には日記に書ききれないほど様々なことがでてくる。心地よい満足感があり、明日も頑張ろうという気持ちになる。
2022.10.07
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私は集談会の休憩時間で流すBGMの担当をしている。集談会が始まる前や休憩時間にホッとするような音楽を流すのである。雰囲気を変えて場を和ませてくれる重要な役割だと考えている。さりげなく集談会をアシストしてくれる曲をいつも探している。曲目の選定はとても重要だと考えている。テンポのよい曲、一定のリズムを淡々と繰り返している曲、明るい曲、みんながよく知っている曲、懐かしい曲、耳に残っていてまた聞いてみたくなるような曲はないか。落着くところはイージーリスニングということになる。クラッシックでいえばモーツアルトやヘンデルやバッハやハイドンなどがよい。抑揚が少なく、淡々と一定のリズムを刻む曲を探している。私の大好きなベートーヴェンやマーラーは重すぎて向かない。今のところは歌が入っているのは除外している。強いてあげれば、知ってるつもり、涙そうそう、花、川の流れのように、乾杯、春がきた、みかんの花咲くころ、花ぐるまあたりはどうかと思っている。楽器でいえば、オカリナ、ケーナ、フルート、ソプラノサックスなどが味わいがある。喜多郎、ケニーG、クスコ、ジョージ・ウインストン、MALTA、レイモン・ルフェーブル、ポールモーリアなどに注目している。喜多郎のシルクロード、サウンドオブサイレンスをケーナで演奏した曲、オカリナ演奏によるチキチーター、ダニーボーイ、アメージンググレース、大きな古時計、ケニーGのソプラノサックスの曲、ルイアームストロングの素晴らしき世界、クスコのデザートアイランド、モーツアルトのアイネクライネナハトムジーク、ヘンデルの水上の音楽、ポールモーリアの恋はみずいろ、オリーブの首飾り、葉加瀬太郎のエトピリカなど。私は気に入った曲は小さな録音機に入れている。ソニーのPCM録音機だが私の必需品となっている。それには300曲くらいの好きな曲が入っている。私が余興の時に使うバックミュージック、お気に入りのカラオケ練習曲や歌謡曲、アルトサックスの課題曲、集談会でのBGM、森田先生の肉声も入れている。再生は1曲毎でもファイルごとにもできるようになっている。ファイルは30に分かれている。曲目は入れ替えが発生するので、このファイル管理はとても重要である。エクセルに打ちこんで、整理しなからいつも持ち歩いている。ドライブの時はこの表をみて、好きなファイルを選んで、リピート機能を使って楽しんでいる。ご機嫌なドライブが楽しめる。またこの録音機には部分再生機能があるので、カラオケ練習で重宝している。このような小さな楽しみを見つけ出すことが私の特技になってきた。宇野千代さんは、「小さなしあわせのかけらはそこら中に落ちている。ただそれを見つけ出すのが得意な人とそうでない人がいる」と言われていた。これからも小さな幸せ探しの名人を目指していきたいものである。
2022.10.06
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人間は誰しも課題や目標に向かって挑戦して生きていきたいと思っています。この生き方は、人間本来の生き方ではないでしょうか。人間はそのように生きていくように宿命づけられているように思います。ところが成長するにつれて、挑戦する気持ちが失われていきます。情熱というエキスが何かに吸い取られてしまうような感じです。そして現状維持に甘んじるようになります。しんどいこと、面倒なこと、エネルギーを使うこと、成功するかどうか半信半疑なことに敢えて取り組むことはバカバカしいと考えるようになります。そんなことに取り組むより、その時その時の人生を大いに楽しむ方がよいと思うようになります。これは課題や目標に向かう生き方ではなく、刹那的、瞬間的、享楽的、快楽的な生き方になります。それで満足している人は、葛藤や苦悩を抱えることはありません。しかし、よりよく生きることを目指している神経質者の場合はそうはいきません。この問題をどのように理解すればよいのでしょうか。これには最新の脳科学の知識が役に立ちます。2022年2月11日の投稿でも取り上げていますので、関心のある方は今一度ご覧ください。ここでは扁桃体が大きな役割を果していることが分かっています。脳に入ってきた情報を扁桃体が快・好きと判定するのか、不快・嫌いと判定するのかで、神経回路の活動部所が全く違ってくることが分かっています。これは同じ出来事でも、人によってどう判定するか違ってきます。その判定によって、積極的な行動に結びつく報酬系神経回路か活性化するのか、あるいは守りに入る防衛系神経回路が活性化するのかに分かれます。人間の場合、成長するにつれて失敗や挫折の記憶がどんどん蓄積されていきます。感情や思考は、その過去の記憶を基にして生み出されています。成功体験がほとんどない。失敗や挫折の経験が圧倒的に多ということになると、扁桃体は不快・嫌いと判定して、その情報を青斑核に送り、守りという防衛系神経回路を回しているのです。この脳の仕組みが、やる気が出ない原因を作り上げているのです。ここでもし扁桃体が快・好きと判定してくれれば、状況は全く違ってきます。その方法を教えて下さっているのが、西田文郎氏です。西田氏は次のように説明されています。脳というのは「リアルとバーチャル」を区別できないのです。たとえウソの入力でも、それを何度も繰り返しているうちに、やがてだまされてしまうのが私たちの脳です。とくに扁桃核は騙されやすいのです、これは男女の関係もそうですね。最初大嫌いだと思っていたのに、不思議なことに何となく付き合っているうちに大好きになっていたということが起こりえます。これを活用して、最初はウソでもいいので、プラス思考することです。今まで試合でずっと負けてばかりの相手に対して、「また負けしまうだろう。嫌な相手とあたってしまった」と考えていると、防衛系神経回路が作動してしまうので、また負けを呼び込んでしまいます。そのとき、「今度は絶対に勝つぞ。またとない雪唇の機会だ。挽回のときだ」という情報を何度も繰り返して扁桃核に送ってやると、扁桃核は「快・好き」と判定して、腹側被蓋野、エーテン神経系、つまり報酬系神経回路にその情報を送るのです。この脳の仕組みは大いに活用すべきであると考えます。「ツイてる!」という言葉もそうです。信じられないかもしれませんが、これは私たちの脳を肯定的にする最高の言葉です。ピンチのときも「ツイてる!」。調子の悪い時でも「ツイてる!」。ピンチとはツキのない状況ですから、そう思える人はほとんどいないでしょう。しかしウソでもいいのです。脳に肯定的な入力を行うことが大切なのです。(NO.1メンタルトレーニング 西田文郎 現代書林 104ページ)ウソでもいいので、プラス思考するというのは、意識しないとできるものではありません。最初はネガティブな感情や思考が湧き上がってくるのは仕方ありません。でもその後で、「しかし」「でも」「そうはいっても」という言葉を口にして、それを打ち消すことを考える習慣を作り上げることが大切になります。これは先日ご紹介した「イエスバット法」を身につけることだと思います。形を整えることに意識して取り組んでいくと、心も前向きに変化してきます。
2022.10.05
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今年は梅が豊作ですべて梅酒にしました。最近は毎日飲んでいます。至福の時です。
2022.10.04
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生活の発見誌7月号に次のような記事があった。森田先生は人間関係においては思いやりが大切なことを教えられ、「思いやりの心が生じてこなければ、神経質のとらわれが本当に治ったとはいえない」といわれている。また、「愛されることもうれしいいが、愛することはなおうれしい」とも言われている。対人恐怖の人の心は、「他人からよく思われたい」「他人から愛されたい」という自己中心的な心に偏っており、「人を思いやる」心、「人を愛する」心が発動しにくくなっています。しかもそのことに気づけなくなっていることに、対人恐怖で苦しまなければならない根本的な原因があるわけです。しかし神経症で苦しんでいるときは、思いやりの心は持てません。自分のことを考え、守ることで精一杯というのが現実です。思いやりの心についてどう考えていけばよいのでしょうか。「思いやり」に関連する言葉として、生活の発見会では、「人の為に尽くす」ということがいわれてきました。これについては、「森田理論学習の実際」という冊子には次のように説明されています。「人のためにつくす」というと、非常に大げさに考えて、「何か人のために役に立つことをしないといけない」と考えがちですが、このように大きく構えると、それがまたとらわれになります。従って大げさに考えず、人の立場、気持ちを考えながら行動する。つまり、人に迷惑をかけないように行動する、というように考えられればよいと思います。家庭の主婦であれば、気分はどうであれ、ご主人の出勤、子どもの学校に間に合うように起き、食事の支度をする。出かけるときは「行ってらっしゃい」と言葉をかけて送り出す、ということです。また夫であれば、家庭内の仕事はすべて奥さんの仕事と考えずに、布団の上げ下げ、風呂の掃除は自分がする、といった具合に。このようなことを心がけて行動すれば、自分にばかり向いていた注意が外へ向かうようになります。また主観的なものの考え方、見かたから、客観的な見かた考えかたができるようになります。「思いやりの心」「人の為に尽くす」というのは、大げさに考えると絵に描いた餅になってしまいます。無理することなく自分ができる小さなことというのがポイントになります。「思いやりの心」「人の為に尽くす」というのは、「己の性を尽くす」「物の性を尽くす」に通じます。これは森田理論の重要な考え方の一つです。その物の持っている存在価値や能力を見つけ出して、できるだけ居場所を見つける、できるだけ活躍の場を提供してあげるということです。これらは、日常生活の中で、他人に対して役に立つごく小さなことを見つけて、実践するということだと思います。小さな感動のおすそ分けを心がけるということだと思います。たとえば、集談会に参加して、神経症に苦しんでいる人の話を聞いてあげる。世話役を引き受けて、運営のお手伝いをする。ペットの世話をする。ベランダの草花の世話をする。自家用野菜を育てる。子どもの世話をする。親の介護をする。家事を分担して行う。人と会うときは挨拶をきちんと行う。笑顔を心がける。相手の名前を覚える。相手の話をよく聞いてあげる。他人との約束はきちんと守る。気分本位の行動は慎む。気に入っている森田図書の紹介を行う。読み終わった本を貸してあげる。森田理論を活用している人はその紹介をしてあげる。生活習慣病検診は毎年受ける。毎日ウォーキングなどの運動を行う。リズム感のある規則正しい生活を送る。ボランティア活動に取り組む。その他、小さな感動のおすそ分けはいくらでも思いつきます。そのためには、小さな最初の気づきを取り逃さないようにメモしておくことが肝心です。それを日々行動として積み重ねていけば、チリと積もれば山となります。人間関係が好転し、自分のやりがいや生きがい作りにもつながります。
2022.10.04
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先日テレビを見ていたら90歳くらいのおばあちゃんの紹介をしていた。元気いっぱいで、歩く姿は若々しかった。そのおばあちゃんは一人暮らしだった。でも孤立していない。病気や認知症とは無縁のようだった。1ヶ月10万円で生活しているという。娘さんはアメリカに住んでいて、ネットで会話している。覚えている内容を紹介してみよう。・朝起きるとていねいに化粧をしている。・規則正しい生活をしている。・家の中がきちんと整理整頓されていた。・スカーフが好きでいろんなものを取りそろえていた。・料理は自分で作っている。その日は野菜たっぷりの焼きそばだった。・毎朝近所の公園で行われている太極拳に参加している。・終わると仲間としばらく話をする。・庭でいろんな花を育てている。摘み取って花瓶に生ける。・健康マージャンの会に参加している。頭を活性化させるし、手先の運動になる。・ドラマを観るのが好きで、観た作品はきちんと整理していた。・ブログを作り毎日更新している。本も出している。こういう生活をしている心身ともに健康で、認知症とは無縁なのではなかろうか。私もこういうおじいちゃんを目指したい。できれば100歳まで生きたい。私の場合は、・マンションの管理人の仕事をできるだけ長く続けること。・このブログを生涯続けること。そのために本をよく読む。・地元の集談会にはずっと参加する。・全国対象の目的別モバイル集談会にも参加したい。・田舎での自家用野菜、果樹、花、庭作りを楽しみたい。・加工食品作りを楽しむ。・定期的に健康診断を行い、体のメンテナンスをする。・ウォーキングやストレッチは毎日定期的に行う。・老人ホーム慰問活動はできる限り継続する。楽器の練習を欠かさない。・一人一芸の練習を毎日行う・仲間とともにカラオケを楽しむ。家での練習を欠かさない。・ネットでの健康マージャンを楽しむ。・毎日少量の気に入ったワイン、日本酒、ビール、ウィスキーをたしなむ。・録画した質の良いテレビ番組を楽しむ。・you tubeプレミアムに入っているので広告なしの音楽を楽しみたい。・メダカの世話をする。ベランダの花を育てる。
2022.10.03
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コロナ下で使用会場が閉鎖されて、やむなくZOOMなどを使ったリモート集談会が全国各地で開催されるようになりました。現在はまだ初期段階で試行錯誤しています。さらに集談会の主力は対面集談会に戻りつつあります。しかし、リモート集談会は今までになかった利点もあります。そこで欠点と長所を整理して次の展開の準備をしておきたいと思います。長所・家に居ながら集談会に参加できる。交通費と時間の節約になる。・全国の学習仲間と瞬時につながる。仲間の輪が急に広がる。・時間の制限がなくなる。短時間の開催も可能になる。昼間でも夜間の開催も可能になる。・テーマが絞られた集談会に参加すると、得るものが大きくなる。・学習内容の濃い集談会になる可能性が高まる。・優れた学習仲間や講師に出会える機会が増えてくる。短所・人間同士の信頼関係が築きにくい。単発での人の集まりになりやすい。・相手のことがよく分からないので、自己開示ができにくい。表面的な話で終わってしまいやすい。傾聴、受容、共感、許容、感謝の気持ちが希薄になる。・自分自身の顔を画面としてみることになるので違和感がある。・ネットにつながることに最初から嫌悪感を持っている人も多い。・集談会で世話活動などの社会体験の場としての役割はなくなる。・集談会後の喫茶店や居酒屋での親しい交流はなくなる。・パソコンやスマホを持っていない人は参加できない。たとえ持っていてもwi-hiなどの通信料無制限でないと実質参加できない。・モバイルに強い人が存在するか、新たに養成する必要がある。・対面集談会とモバイル集談会を組み合わせる場合、ネット環境、パソコン持参、集音マイク、モニターなどを用意する必要がある。但し慣れれば10分以内で出来る。・多少の維持費がかかるが、その費用の負担の問題もある。私の関わり方について整理してみました。まずは月1回半日の対面集談会を重視します。地元の人で家族的でアットホームな人間関係のもとでの学習会に参加したい。みんなで役割分担をして、傾聴、共感、受容、許容、感謝を前面に押し出した会にしたい。森田理論学習は初心者を想定して、緩やかで継続性を重視したい。そしてみんなで刺激を与えあって、森田理論を生活に応用・活用して生活の質の底上げを図りたい。社会体験の場として活用したい。月1回の居酒屋での懇親会を楽しみたい。そのうえで年に1回か2回は、対面集談会とモバイル集談会を組み合わせた集談会を企画したい。これはハイブリッド集談会と言われている。そのための知識を蓄えて、テストをしたい。こうなれば森田を極めている人の話も企画することができます。さらにモバイルでのテーマ別ZOOM集談会に不定期で参加したい。魅力があるテーマで募集した全国の仲間がある程度集まれば、初めて会う人同士でも中身の濃いい集談会になることが予想できる。これだと目的をもって参加しているので、親密な信頼関係はあまり必要ない。但し森田理論学習を続けているという仲間であることは必要である。例え1回限りのモバイル集談会でも、得るものがあると判断すればメリットがある。私は生活の発見会が、定年退職した人がこれからの生き方を話し合う「生涯森田」のリモートワークに申し込んでいる。まさに目的がはっきりしている。今後はそういうテーマ集談会をいろいろと企画して実施していくことが必要になる。やり方しかたはこれから試行錯誤すればよい。テーマとして気づいたものをあげて見ると、・森田初心者の会 森田で神経症は治るの・神経質性格者の生きがいの持ち方・健康問題、認知症問題、介護問題・自立の問題、経済問題・高齢者特有の健康、経済問題、孤独との闘い・墓じまい、遺産の整理をどう進めるか・いろんな趣味の紹介・会社での人間関係の持ち方・夫婦の人間関係の在り方・子育てのポイント・子供との付き合い方・親との付き合い方・異性との付き合い方・隣近所の人との付き合い方、町内会とのかかわり方・仕事にどう取り組んでいけばよいのか・森田のポイントをどう考えるか・症状別の集談会・森田の応用や活用方法その他テーマはいくらでもあると思います。関心のある人が5人くらい集まれば役に立つ話し合いができるでしょう。だって、会員同士でこんな話ができる機会はほとんどないのですから。モバイルは大人数よりも6名から7名くらいがよいと思う。できれば1時間半か2時間で終わるような会だと気が楽です。運営方法は現在思案中です。モバイル集談会はテーマを明確にして、全国単位でフットワークよく運営されることがカギになっていくと思っています。楽しみで一杯です。
2022.10.02
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私たちはポジティブなことよりも、ネガティブなことを考えがちです。不安だ、怖い、めんどうだ、つまらない、面白くない、イヤだ、失敗したらどうしよう、やる気が出ない、できるとは思えない、失敗するに決まっている、緊張している、大変なことになった、ついてない、ツキに見放された。目の前にやるべきことがあっても、こんな気持ちや感情が湧き上がってくると手も足も出なくなります。これは脳の仕組みでいうと、ノルアドレナリン主導の防衛系神経回路が活性化して専守防衛に偏ってくるからです。防衛系神経回路は、扁桃体から青斑核を通して脳全体に広がります。最終的には前頭前野に行きつきますが、積極的、生産的、建設的、創造的にはなりません。その神経回路がドパミン主導の報酬系神経回路に切り替わらないと、行動は益々消極的、逃避的、回避的になってきます。それを改善するために「イエス・バット法」というのがあります。これはまずネガティブな感情をそのまま「イエス」といって受け入れます。次にそうはいっても(バット)という言葉で打ち消すようにするのです。たとえばスポーツ観戦で贔屓のチームが逆転負けを喫しました。それまでよい気分だったのに急に奈落の底に落とされた状態になります。こんなとき、「やっぱりだめだ。救いようがない。このチームでは応援する気にもならない。監督がの采配が悪い。どうしてあの選手を使うのか。選手も選手だ。少しは頭を使ったプレーをしたらどうか。今後しばらく観戦は見合わせておこう」このようにネガティブな感情はどんどん膨らんでしまいます。早速ネガティブ感情を「バット」で打ち消してみましょう。「確かにこのチームには弱いが、かもにしているチームもある。チームの順位だって今は真ん中あたりだ。客観的にみると箸にも棒にもかからないというほどではない。連敗するときもあれば、連勝する時もある。先日はこの監督のおかげで、思いもよらない逆転サヨナラ劇を見せてもらった。今回結果が出ていない選手も、勝ち星は上位にランキングされている。このままいけば何らかのタイトルを取る可能性がある。この次の奮起が期待できる。さらに応援していきたい」私たちは仕事で小さなミスをしたとき、すぐに取り返しのつかない大失態を犯してしまったと思いがちです。このままでは同僚や上司に顔向けできない。辞めてお詫びするしかない。場合によっては死んでお詫びしようか。客観的に見れば、致命的なミスではないのに、本人は自分の一生を左右するかのように膨らませてしまうのです。損な性格です。こんなことで退職していてはいくつ体が合っても足りない。そして次のミスや失敗を恐れて、積極的な攻めの仕事ができなくなってしまうのです。これでは無能な社員に甘んじてしまうことになります。ここでも「イエス・バット法」を活用したいものです。「ミス自体はほめられたものではないが、仕事をしている以上ミスはつきものだ。営業の仕事はほとんど失敗に終わっている。ミスをいかに素早くカバーするかが腕の見せ所だ。これによって得意先の信頼感が強固になることもある。完璧な人よりも欠点を持ち合わせている人の方が親しみが持てる。なんどもミスをしないように、対策を立てて今後に活かすことができれば、自分の成長にもつながる」「イエス・バット法」は、積極的、建設的、生産的な行動へと強力にアシストくれる手法となります。
2022.10.01
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