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次のような逸話があります。一匹のトカゲがいました。そのトカゲは、常々、カメをうらやましく思っていました。カメは頑丈な甲羅を背中に背負っています。そのトカゲは、「自分も、あんな甲羅が欲しい。甲羅があれば強そうに見えるし、敵に襲われても安心だ」と、カメをうらやましく思っていたのです。そして、「自分にも、あんな甲羅を背中につけてください」と、神様に祈りました。すると、神様は、空の上から、「おまえの願いを叶えてやろう」と言いました。そして、その神様は、トカゲの背中に甲羅をつけてやったのです。その瞬間、トカゲの願望は叶いました。しかし、そのトカゲは、ちっともうれしくありませんでした。そのトカゲは、「甲羅が重くて、早く走れない。動き回るのに邪魔になってしょうがない。こんなことになるんだったら、神様に、甲羅をつけてくれるようにお願いするんじゃなかったと後悔したのです。(後悔しないコツ 植西聰 自由国民社 96ページ)人間は自分と他人を比較して、他人の中に自分にないものを見つけるとつい欲しくなってしまいます。つい無いものねだりをしてしまいます。そのとき、自分が持っているものは、あるのが当たり前で、感謝することを忘れています。自分の持ち物、備わっている能力、健康な体、考える力などを軽視、無視して、粗末に扱うようになります。樹木希林さんは自分の体は神様からの預かりものだといわれていました。貸していただいているものを、それがよいとか悪いとか価値批判するのはお門違いです。貸していただいたものは、いずれ神様にお返ししなければなりません。返却するときに、使い物にならないくらいに手荒に扱っていていいのですか。そういう人には、またどこかの惑星に生まれ変わるとき、ちょっとあの人には、人間のような知的生命体として生まれ変わらせてあげるのは考えものだよね。みんなから嫌われる蛇くらいでいいんじゃない。あるいは蛇に食べられてしまうカエルくらいが適当よ、と思われるのではないでしょうか。形外先生言行録の中に、片岡武雄さんの古下駄の話というのがあります。縁側の下をもぐって掃除していたら、汚い古下駄が1個出てきたので、井戸のような深い穴(塵を捨てる穴)へ持って行って、ポイと投げ入れた。その途端書斎におられた(森田)先生に、ちらりと見られてしまった。今何を捨てたのか。はい下駄を捨てました。燃えないか。はい燃えます。早々に梯子を持ってきて、穴にはいり、拾いだしてきた。森田理論に「物の性を尽くす」というのがあります。これはそのものが持っている存在価値に光を当てて、居場所や働き場所を与える。その能力を命ある限り大きく花開かせていくというものです。物だけではなく、自分、他人、時間、お金もそうです。今現在、自分の所有物であっても、活用していないのであれば、活用できる人のところに移転して、その命を全うさせてあげることが大事なのですよと教えてくれている。我々は、「かくあるべし」を押し付けることが多いのですが、「物の性を尽くす」という考え方を身につけると、そのものの居場所や活躍の場を血眼になって探すことになるので、対立することがありません。むしろ相手から感謝し感激されるようになります。
2022.11.30
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武田勝氏は2006年から2016まで11年間、北海道日本ハムファイターズのサウスポーの主力投手として活躍しました。特に2010からの4年間は10勝以上を4年連続で達成しています。言うまでもなく10勝というのは一流投手の証です。それ以外にも8勝以上が3回あります。優れた投手だったのです、ローテーション投手として信頼される人だったのです。ところが、武田投手の平均球速は129キロだったそうです。高校生並みの球速だったのです。むしろそれより見劣りがする。現在1軍で活躍するピッチャーの速球が、140キロ後半から150キロ台がほとんどです。武田投手は、よくこれでクビにならなかったものだと思う。どんなことをして生き残っていったのか、興味は尽きない。彼の特徴は、利き腕の肘が「くの字」に曲がっていることです。両腕を前に伸ばしたときに、左だけが極端に曲がっています。これはアマチュア時代に左ひじを繰り返し故障し、欠けた骨がくっつき、そのまま固定されてしまったのだそうです。普通このような状態では、まともな仕事を続けることはできない。これを致命的な弱点、欠点と考えて、引退を考えるのではないでしょうか。自分で自分の欠点を嘆き悲しむようになると思います。それに輪をかけて、周りの人も厳しい目で見てくる。馬鹿される。軽蔑される。非難される。否定される。よほどのことがない限り、球団が契約してくれないと思います。武田投手は、致命的な欠点をあえて隠さず、長所として活かすにはどうすればよいかと発想の転換を図ったそうです。彼は短所の裏側には、必ず長所があるはずだと考えたというのです。それを見つけることができれば、プロ野球の選手として生きていけるはずだ。無いものねだりをしないで、あるものを鍛えて生き残ろうと考えたのです。彼は肘が「くの字」に曲がっていることが自分の強みだと考えたのです。速い球は投げられませんが、変化球なら十分通用する。彼はスライダーとシュートに活路を見出しました。武田投手と対戦した選手が次のようにコメントしています。彼のスライダーは一度ストライクゾーンを大きく外れるように見えるが、途中から方向を変えて内側に食い込んでくる。ボールと判断して見逃せば、ストライクになってしまう。きわめて厄介なボールを持っていた。これに対抗するためには、ボールのスライダーがきたと思った時、振りにいかないと相手の思うつぼとなる。独特の持ち球はスライダーだけではありません。スライダーとは反対に変化する、切れのよいシュートも持っています。右に左に変化する球を予測していると、129キロの速球でも遅れてしまう。武田投手は、「真っすぐの握りでわざと手首を寝かすだけでボールが勝手にシュートしてくれる。手首をひねらなくてもよいので、シュートを多投しても手首の故障を防げる」と言っています。武田投手は利き腕が「くの字」に変形していることを自分の強み、長所としてとらえ、それに磨きをかけることで、11年間プロ野球の世界で優れた成果を出し続けた人だったのです。この考え方は、神経質性格の人は大いに参考にしたいものです。神経質性格は小さな不安にとらわれて、葛藤や苦悩を抱えます。それをマイナスと捉えないで、類まれな優れた性格と捉えて、それに磨きをかけて勝負していくという考え方に転換するのです。感性が鋭い。慎重で用心深い。緻密である。リスク管理ができる。分析力が鋭い。生の欲望が強い。責任感が強い。粘り強さを持ち合わせている。このように神経質性格を弱点や欠点と考えないで、自分の強みや長所と考える。これは森田理論学習の「神経質の性格特徴」を学習すれば理解できます。それを活かして生きていくことになれば、有意義な人生を送ることができます。
2022.11.29
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福島正伸氏のお話です。私は、本当の強さというものは、「転んでも起き上がること」だと思っています。起き上がることさえできれば、何度でもまた、前進を続けられるわけで、そういう生き方をすることが本当の強さだと思います。たとえ99回負け続けたとしても、100回目に勝てばいいのです。さらに極端にいえば、1度も勝てなかったとしても、一生負け続けたとしても、最後まで挑み続ける生き方。つまり、転んでも立ち上がり続けるという生き方そのものが、人間としての本当の強さの証明なのだと思います。(1日1分元気になる法則 福島正伸 中経出版 128ページ)一流の経営者やスポーツ選手を見ていて思うのは、失敗しても簡単にあきらめない。彼らも最初のうちは失敗ばかりしています。しかし簡単にはへこまない。むしろ失敗を糧にしている。逆に失敗からエネルギーをもらっている。また二度と同じ失敗の鉄は踏まない。一つの成功で有頂天になったり、一つの失敗で一喜一憂していない。成功するために、これは絶対に避けるべき落とし穴をたくさん見つけている。成長し続けることに意味があり、数多くの失敗は成功のための基礎作りをしているのかもしれない。そういう人生を歩んでいる人だと思う。神経質性格で一度のミスや失敗にとらわれてしまう人がいる。それが簡単にトラウマになってしまうのである。他人からの非難や叱責に耐えられなくなってしまう。さらに本来自分の強力な味方であるはずの自分が、一緒になって自分をいじめてしまう。観念主導の強力な「かくあるべし」で、自分を非難、否定してしまう。そうなると、しだいに積極的な行動ができなくなってしまう。仕事に集中できなくなり、仕事から逃げ腰となる。恐る恐る仕事をするようになると、「おまえにはやる気が感じられない。イヤならやめてもいいんだぞ」といわれるようになる。自分ではなんとかしなければと思ってもどうにもならない。これは脳の仕組みから考えると分かりやすい。人間の脳は報酬系神経回路と防衛系神経回路が作動しています。一度の失敗で簡単にあきらめる人は、防衛系神経回路が過剰に活性化している状態です。危険やリスクを過剰に意識して、積極的に行動するよりも、身の安全第一を考えるようになります。消極的、回避的、否定的な言動が多くなり、覇気がなくなります。いくら意識で自分を鼓舞しても、体がついてこないような感じです。本人も苦しんでいるのですが、周りから見ると、情熱や意欲がない人に見えてくるのです。一度の失敗で簡単にあきらめてしまう人は、報酬系神経回路を活性化する方向に意識を向けることが必要になります。そのための方法は森田理論学習が教えてくれています。・規則正しい生活、凡事徹底を心がけて、小さな成功体験を積み重ねること。・短期、中期、長期の目標を立てて、理想を見失わないようにすること。・観念主導の「かくあるべし」を押し付けないで、事実や現状から出発する態度を身につけること。いいとこ探し、感謝探しの習慣を身につける。・人間関係での問題を抱え込まないようにするために、森田理論を活用していくこと。その手法は「人間関係」のカテゴリーで取り上げています。・セロトニン神経系が、報酬系神経回路と防衛系神経回路の暴走をコントロールしていますので、日常生活の中でセロトニン神経系を活性化する。その方法はこのブログでも何度も取り上げています。
2022.11.28
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今日は秋野菜の収穫をしました。ダイコン、ハクサイ、ジャガイモ、サトイモ、トマト、ネギ、ラディッシュなどです。趣味と実益を兼ねてとてもよい日になりました。
2022.11.27
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意味もなくやっていたものほど、実は自分の血となり肉になっている。意味もなくやる。これほど単純な動機はありません。本当にすきなものって、そこに目的がない。理由もない。ただやっているだけ。でも人生って、ムダなものほどムダじゃなかったりする。だからこそ意味がないことでも、バカなことでも、本気でやらないとダメなんです。本気でやれば、なんだってそこが運命の扉になるのです。(絶望は神様からの贈りもの ひすいこたろう 柴田エリー SBクリエイティブ 80ページ)雑事や雑仕事に取り組む時、意識的に手を抜いてしまうことがあります。自分はそんなつまらないことに関わり合うよりも、もっと価値のあるクリエイティブな課題や目標に専念したいと思いがちです。取り組むべき実践や課題に対して、是非善悪の価値判断を下しているのです。森田理論では、実践や行動に取り組む時は、「ものそのものになれ」と教えてくれています。これは一心不乱に取り組みましょうということです。実践・行動に集中していたため、症状を治すことは一時的に忘れていたという状況を勧めているのです。人生って、ムダなものほどムダじゃなかったりする。本気でやれば、なんだってそこが運命の扉になるのです。この言葉の意味するところは、森田理論を学習した人はよくお分かりだろうと思います。目の前のことに一心不乱に取り組むことで、感情が動き出してくることが大きいと思います。つまり気づきや発見、アイデアや工夫、興味や関心が生まれてくるということです。これについては、2013年1月27日に、雑草退治に応用した例を投稿しております。ぜひ読んでみてください。めんどうだ、おっくうだ、イヤだ、やれと言われたから仕方なしにやっているとすれば、感情がさらさらと動き出さないということです。感情が動き出さないと、そこにある感情は城の堀の水のように汚く淀んでしまいます。山の谷あいを勢いよく流れる小川の水は飲み水になりますが、堀の水はとても飲めるような代物ではありません。雑事、雑仕事、毎日繰り返される日常茶飯事に丁寧に取り組むことをお勧めします。私はこのことを「凡事徹底」と呼んでいます。集談会ではそういう報告を聞くことを楽しみにしております。
2022.11.27
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この言葉はマクスウェル・マルツ氏の造語だそうです。サイバネティックスという言葉は、ギリシャ語で「舵取り」という意味です。マルツ氏は「心のかじ取り」という意味で使われています。私たちは誰でも幸せな人生を送りたいと思っています。「幸せを手にする」という意味は「成功する人生を掴む」ということと同じです。では成功とは何でしょう。それは、「設定した目標を自ら納得のいく形で達成すること」なのです。人間は目標を持って行動するとき、その持てる力を十分に発揮するものなのです。そういう舵取りをする能力を人間は誰でも持っているといわれています。人間の脳と神経系は「目標のある行動」向かって行動するようにできているのです。(自分を動かす マクスウェル・マルツ 知道出版)目標、目的、課題を設定して、それを達成するために努力していくことが、幸せな人生につながる。この考え方に異議を唱える人はいないでしょう。でも、実現することは大変難しい。実践している人はごく一部の人たちです。今の日本人は、基本的な生存権や安全は確保されています。一方では享楽的、快楽的、嗜癖的、本能的、依存的な刺激にあふれています。そういう環境の中で、目標を設定して努力していくことは、火中の栗を拾いに行くようなものかもしれません。また大きな目標を設定すること自体が難しいという側面もあります。自分にとって目指すべき目標が何かがはっきりしない。森田理論は規則正しい生活や凡事徹底に取り組むことを目指しているのだから、特に大きな目標に取り組むことは不必要なのではないか。目標や課題を追い求めていると、肝心なものがおろそかになってしまうという話をされる人もいます。もともと目標や課題に挑戦する生き方と日々の生活を丁寧にこなすことは対立することなのでしょうか。これに対して私はどちらも欠かせないように思います。森田理論でいうように、日常茶飯事に丁寧に取り組むことは欠かせません。しかしそれだけでは片肺飛行しているようなものだと思います。短期目標、中期目標、長期目標を設定することも大事になります。2つがセットなって機能していることが大切なのではないか。森の中に入り一本一本の木を丁寧に観察することも大事ですが、森から離れて遠くから森全体を観察することも大事だと思います。例えば、私は森田理論学習を始めて36年になります。今の大目標は今後20年間このブログを継続することです。これが私にとってはこれが長期目標に当たります。中期目標としては、今までの投稿記事をジャンル別に整理することです。できればテーマごとに分かりやすく整理したい。短期目標は、毎日投稿原稿をアップすることです。それから投稿内容の質を上げることです。日々の生活を丁寧にする中でより良い投稿テーマを見つける。また森田理論に関係する本を毎日読んでヒントを見つける。さらに今まで投稿した記事をリニューアルしてよみがえらせる。規則正しい生活と凡事徹底、さらに目標を意識した生活を維持していく。この2つを車の両輪のように見立てて回して行くことを考えています。
2022.11.26
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「断捨離」の提唱者、やましたひでこ氏のお話です。死は肉体の究極の断捨離です。いずれ誰でも死んでいく。つまり誰でも最後はすべてのものを断捨離せざるをえない。所有物、資産、地位、名誉など、いつまでも手放したくないものもすべて強制的に断捨離させられる。配偶者、子供、親しい人との別れもそうです。その時多くの物を必要以上にため込んでいると、強制的な断捨離を迫られることは大きな苦痛になります。その苦悩から逃れるためには、日々の生活の中で、小さな別れを受けいれ、捨てる時の痛みや怖さ、後ろめたさを引き受けていくトレーニングをしておくことが大切です。つまり手にしたものをいつまでも抱きかかえて、絶対に手放さないという態度には問題があるということになります。死が近づいてきて、これからいよいよ向こうの世界に飛び込んでいくときに、全く準備なしで迎える場合と、手放す痛みや捨てるつらさを知っている場合とでは、精神状態が全く違ってくると思う。トレーニングを積んでいない人が、いきなり大きな問題をどんと抱えてしまうのはあまりにもしんどい。それこそ「手放し難きを手放せば、得るものを得る」と知っていたら、最後の大断捨離のときに恐れることなく、思い切り飛び込んでいける気がします。森田先生は「死は恐れざるを得ず」と言われました。死には肉体的な死、社会的な死があります。いずれの死も生命がなくなってしまうのです。命がなくなると、すべてのものを、一瞬のうちに失ってしまうのですから、耐えられないことです。人生の晩年を迎えた人は積極的に断捨離に取り組むことが必要だと思います。自分はまだまだだと思っていても光陰矢の如し。貯金、財産、借金、土地、建物、保険、登録団体など自分だけが知っていて、家族が知らないということでは、遺族が苦労します。特にいくつもの口座を持っている場合は、財産の確定ができない。せめて遺言書は書いておくべきです。それと自分の代で終わりという人は、墓じまいの問題もあります。墓掃除をする人がいなくて、墓が荒れ放題というのは先祖様に申し訳が立たない。また、家の中に、使わないものがたくさん眠っていることはありませんか。本は引き取ってくれるところがあります。衣類や靴やカバン、家具などはリサイクルに出して、必要な人に使ってもらいましょう。使わなくなった携帯やスマホ、パソコンなどが放置されていませんか。使わなくなった大型テレビ、冷蔵庫、クーラーはありませんか。これらは処分料金がかかりますが、その都度処分することが大切です。活用してくれる人に引き渡して、それらに居場所や活躍の場を与えてあげましょう。森田理論でいう「物の性を尽くす」の実践にもなります。身辺整理をして愛着のあるもの、必要なものに囲まれて暮らす生活は、心豊かな生活を楽しむことができるようになります。
2022.11.25
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世界最高峰のエベレストの登頂を目指す登山家には、登る前に、必ずやっておかなければならないことがあるそうです。それは「次の目標を立てること」なのです。エベレストは登山家にとって、最も厳しい山です。山頂までの登山行程があまりにも苦しいために、山頂に立ったときに、もうこれで思い残すことはない、と思ってしまうことがあるそうです。そのため、この山で亡くなる登山家の8割は、下山のときの遭難です。ですから、下山のときこそ、必ず生きて帰るという強い意志を持つことが必要になります。生きて帰ったら自分の体験を本にするとか、自分の記録を塗り替えるような次世代の登山家を育成する学校をつくるとか、まったく新しい冒険に挑戦するなど生きて帰る理由をきちんと持ってから登らないと、頂上に着いたあと、すぐにバーンアウトしてしまうのだそうです。(1日1分元気になる法則 福島正伸 中経出版 42ページ)次の目標を明確にしていないと、すぐに緊張感が弛緩状態に変わり、その後の生死さえも支配するということだと思います。森田先生は車酔いをする人に、もうすぐ目的地に着くというときが危ないといわれています。今まで緊張して気が張っていたのに、もう大丈夫だと気を緩めた瞬間に吐いたりする。冬に風邪をひくというのも、外の寒さで緊張していた状態から、帰宅して、炬燵に潜り込んでつい転寝をするというようなときが危ない。緊張状態から弛緩状態に切り替えるときは、徐々に切り替える必要がある。ソフトランディングを心掛ける必要があります。精神状態だけ急に切り替えても、身体面は急には切り替わらないということだと思います。森田理論では、やるべき課題や目標をより多くストックしていることが大切だといわれています。誰でもやったらいいなと思うことはいくらでも思いつきます。それをきちんとキャッチすることが大切になります。忘れないようにメモしておくことです。私たちは小さなことが気になるという特徴を持っているわけですから、その性格を活かすためには、雑事や雑仕事、日常茶飯事などに丁寧に取り組むことが必要になります。凡事徹底です。神経質性格を活かすということはそういうことです。朝起きて、今日はどんなことをして過ごそうかというのは問題だということです。退屈だな、何か面白そうなことはないかなと思うようになると問題です。次々と解決すべき課題や問題点を抱えている人はそれだけで幸せです。しんどいこと、気が向かない、面倒なことでも、安易に人に頼らないで自分で行う。そのためには、毎日決まった時間に決まったことをするというルーティンワークに丁寧に取り組むことが大切です。その中から小さな楽しみや喜びを見つけることができるようになればしめたものです。
2022.11.24
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元中日監督の落合博満氏のお話です。中日監督時代、選手にバッティング教えたことはほとんどない。打撃コーチも見ているだけで、教えることは何もしない。絶対変えなければいけないというときだけは、教えることはあった。その教え方ですが、「こういう方法もあるよ」というような言い方をしていた。これをやれ、こうしろという押し付けはしていない。本人に考えさせ、導く形をとっていた。ソフトバンクの柳田悠岐選手の打撃については、「よくこれで打てるなと思う。一番独特な打ち方をする選手。同じような打ち方の選手は記憶にない」でもそれでいいんじゃない。つまり彼が、自分に合った結果を出せる独自の打撃術を開発したということだよ。彼の代名詞は、フルスイングだけど、「力強いスイングができなければ、ボールは飛ばないしね」と理解を示している。また彼の打撃は、アッパースイングだけど、この打ち方はかつてはタブー視されていたものだ。彼はその常識を見事に覆した。痛快です。また柳田選手がスイングした際に、踏み込んだ右足の甲が投手側から見えます。昔は、これは修正すべき欠点だとみなされていた。コーチなどから「打った後に右足の甲を見せるな」と指摘されていた。でも柳田選手が今それをすると、膝を痛めてしまう。ケガをしてダメになってもだれも責任を取ってくれない。自己責任というのがプロ野球の世界だ。柳田選手は実績を出すことで、常識を変えていったといえる。落合さんは、プロ野球の世界で生きている人は開拓者のようなものだという。プロ野球選手としてスカウトされる人は、それなりにいいものを持っている。それを自分の力でどんどん伸ばしていける人が勝ち組となる。プロ野球の選手になることが最終目標だった人は、そこから伸びてこない。そこが出発点だと自覚して、努力精進した人が脚光を浴びる。勝ち星が伸び悩む、打率が上がらない、ホームランが打てないとき、ついコーチの助言に依存してしまうことがある。それは仕方がない面がある。でも基本的には、プロ野球選手になった人は、コーチの指導に過度に依存してはいけない。依存し過ぎて、自分の考えやスタイルを軽視すると墓穴を掘ることになる。落合氏は現役のとき、だれが何と言おうと「オレ流」を推し進めた人だ。一見すると、頑固で、融通の利かない、堅物のように見える。でもそれは違うと思う。自分の信念をもって、押し通すことが絶対に必要になる。自分の感情や気持ち、意思や理想、欲求や欲望、希望や夢を軽視・無視する人生に陥ってはならない。これは森田理論でいえば、課題や目標を持った生き方、つまり生の欲望を軽視した生き方は、人間本来の生き方から離れてしまうということだと思います。他人中心ではなく、自分中心の生き方を追求していかないと、後悔することになると指摘されているような気がする。
2022.11.23
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精神科医の藤井英雄先生のお話です。ネガティブな感情が湧き起こってきたとき、「ラベル張り」や「実況中継」が有効だと言われているのです。ネガティブな感情には、不安、怒り、イライラ、不愉快、悲しみ、嫉妬、怖れなどがあります。そんな感情が湧き上がってきたとき、その感情にどう対応しようかと考える前に、「ラベル張り」を行うのです。「いま私は不安になっています」「腹が立ってイライラしています」「不愉快な感情で苦しいです」「悲しい気持ちで、何も手に付きません」「相手に対して嫉妬心で一杯です」「怖くて体が固まっています」ネガティブな感情を言葉にして浮き上げるようにするのです。ここで肝心なことは、条件反射的な対応をとらないことです。ネガティブな感情が湧き上がっていることをしっかりと認識することです。実況中継は、台風や災害現場からのレポーターを参考にするとよいでしょう。現在大型の台風が近づいています。先ほどから風雨が強まり、ご覧のように海岸線は道路にまで波しぶきが押し寄せています。以上現場からの報告でした。台風が進路を変えてほしい。早く通り過ぎてほしい。「被害がないことを祈っています」などと、自分の希望や願いを訴えることはありません。状況をより正確に伝えることに神経を集中しています。不安、恐怖、違和感、不快感などのネガティブ感情も、現場からの実況中継のように、感情の事実の成り行きを淡々と報告するようにするのです。感情には良いも悪いもありません。ネガティブな感情を目の敵にしないで、そのまま受け取ることが肝心です。神経症的な不安は、欲望の裏返しとして湧き上がっているものです。不安を目の敵にして格闘するよりも、欲望から目を離さないようにすることが肝心です。特に日常茶飯事、雑事、雑仕事に丁寧に取り組むことが有効です。(自己肯定感が高い人になる本 藤井英雄 廣済堂出版)
2022.11.22
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アインシュタインは次のような言葉を残している。常識とは18歳までに培った偏見のコレクションである。ハッとする言葉である。なかなか鋭いことを言っている。この言葉は森田理論に関係する話だと思う。日本でいえば18歳は選挙権を与えられて、大人の仲間入りをする年齢である。18歳になると、責任ある大人として行動することが求められるということです。生まれてから18歳までのさまざまな学習や体験を通して、自分の行動パターン、思考パターン、信条、一般常識、普遍的で役に立つ知識、社会でのマナーやルール、人間関係のコツなどを身に付けていく。目の前に起きてくる問題や課題に対して、これらを活用して対応していく。過去の膨大なデータ記憶に基づいて、自動的に行動方針を打ち出している。アインシュタインはこの行動や思考パターンに疑問を投げかけているのである。そもそも個人体験に基づく行動パターン、思考パターンは、人によって大きく違う。ある人は右と言っているのに、別の人は左というようなことは日常茶飯事である。また人間は多かれ少なかれ認識や認知の誤りを犯す生き物である。同じようなパターンというけれども、以前と全く同じケースということはあり得ない。それなのに、人間は事実確認を怠り、長期記憶を信頼して行動方針を立てている。常識、先入観、決めつけ、早合点で意思決定し、事実誤認が発生した場合、そこに投入した資金や労力は無駄になるのではないか。また、否定的、ネガティブ、マイナスに判断して逃避した場合、チャンスをみすみす取り逃してしまうということが発生するのではないか。人間関係も悪化してきますし、メリットよりはデメリットが多くなります。このアインシュタインの考え方は、森田理論と同じです。森田理論の基本的考え方は、人間は大脳が高度に発達して、観念優先で事実を無視ないし軽視する傾向があるという。「・・・であるべきである」「・・・であってはいけない」という「かくあるべし」を自分、他人、自然に押し付けている。その結果、観念と事実の間には大きな溝が生まれている。その溝を埋めるために、観念を事実に合わせるという人は少ない。反対に事実を観念の世界に無理やり引き上げようとしている人は多い。そして葛藤や苦悩を抱えて苦しんでいる。事実の世界を第一優先順位にして、観念の世界は補助的に活用するというやり方に変える必要があるのではないか。森田先生の唱えられた「事実唯真」という言葉は、観念優先の態度から事実優先の態度に180度転換することを目指しています。そこでは人の話を鵜呑みにしたり、世間の常識や世論をそのまま信用したりすることはなくなります。また常識、先入観、決めつけ、早合点で将来の行動を選択することもなくなります。ある程度予想できることでも、今一度自ら足を運び、自分の目で確かめる。観察を徹底し、よく分からなければ、実験をして真相を確かめることになります。事実を正確につかむことができると、高い確率で正しい行動を選択できるようになります。森田理論学習での「事実唯真」の考え方は普遍的な真理だと思います。
2022.11.21
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少女パレアナは父母が亡くなり、母の妹の世話になることになりました。ところが最初はその叔母にあまり歓迎されませんでした。最初はカーテンも網戸もない屋根裏部屋で暮らすことになりました。でも少女パレアナはその困難な状況の中でも、それに振り回されるのではなく、「いいこと探し」をゲームとして取り組んでいました。それが周りの人たちにプラスの影響を与えていくという小説です。お手伝いのナンシーとの会話です。「それはね、慰問箱からでた松葉杖が始まりなのよ」「杖がですが?」「ええ、そうなのよ。あたしがね、お人形が欲しがっていたもので、お父さんが協会本部へ頼んで下すったんですけどね、お人形がこないで松葉杖がきちゃったの。係の人の手紙にはね、人形がないから杖を送る、誰か杖の要る子もあるだろうからって書いてあったのよ。そのときから遊びが始まったの」「でも、それはちっとも遊びにゃなりませんでしょうが、さっばりわかりませんね」ナンシーはじれ気味でした。「わかるじゃないの。ゲームはね、なんでも喜ぶことなのよ。喜ぶことをなんの中からでも探すのよ。・・・なんであってもなの」と、バレアナはますます熱心になって、「それだからそのときすぐ・・・杖から始めたの」「だから、おかしいんですよ。人形が欲しいのに松葉杖がきたからって、なにが嬉しいんです。嬉しいわけがないじゃありませんか」パレアナは手をたたいて、「それなのよ・・・それなのよ。あたしにも分からなかったけど、お父さんが教えてくだすったのよ」「じゃ、わたしにも教えてください」「だからさ、杖を使わなくてもすむから嬉しいの。ね、わかったでしょ・・・わかればとてもやさしいゲームなのよ」「へええ、妙なことでねえ」ナンシーはパレアナをしげしげと見つめて言いました。「妙じゃないわ・・・すばらしいわ」パレアナ情熱をこめて言いました。「それからずうっとやってるのよ。喜ぶことを捜しだすのがむずかしけばむずかしいほどおもしろいわ」(少女パレアナ エレナ・ポーター 村岡花子訳 角川文庫 40ページ)喜び探しを身近な人たちにどんどん広げて、多くの人をその輪の中に入れてしまうというお話です。最後にパレアナは交通事故で半身不随になるのです。するとパレアナに感化された人たちが次々とお見舞いに訪れるというのが感動ものでした。この小説を書いたエレナ・ポーターさんは、1863年アメリカで生まれました。母親と同様生まれつき病弱でした。高等学校を中途退学して、療養生活を余儀なくされました。健康になることだけが望みで、ひたすらそれに集中して、戸外生活をかなりしました。「少女パレアナ」は1913年50歳の時の作品です。この本は、アメリカ全土の人気を集め、すさまじい売れ行きを示しました。「あなたはパレアナをお読みになりましたか。あの喜びの本・・・」山小屋でも、都会のまんなかでも、喫茶店でも、教室でも、温泉宿でも、百貨店でも、いたる所で、喜びの遊びをする「少女パレアナ」は話題の中心でした。いつでも喜ぶということは、決して単なる「お人よし」でできることではなく、強い意志と努力が必要だということが読む人の心に深くほりつけられるのでした。残念ながら彼女は1920年57歳でご逝去されています。(同書解説 263ページ)この本を参考にして「いいこと探し」をしてみるという実践は如何でしょうか。
2022.11.20
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シクラメンがベランダに彩を添えてくれています。今日は午後から友達と飲み会です。その後カラオケ大会です。大いに楽しんで来ようと思っています。
2022.11.19
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早期緩和ケアの医師、大津秀一氏のお話です。緩和ケアは誤解されています。死の病を抱えた末期症状の人に対して、苦痛を緩和して楽にしてあげるというような消極的なとらえ方をされている人が多いと思います。現代の医療は、ほとんど完治しない慢性病や、以前の状態に戻すことが難しい老いの問題と向き合っています。その過程で、「治す」とはまた別のもう一つの重要な考え方である「苦痛を和らげ、心身をより良く保ち、元気に生活できる」ことを支える医療が育ってきたのです。それが緩和ケアなのです。緩和ケアが目指すものは末期に限りません。緩和ケアとは、本質的には生活の質を上げるアプローチであり、不安やストレスを抱える方、生きづらさを抱える方々に安心や前向きな心を与えるための手法なのです。苦痛や不安を放置せずに早く対処し、医療を通じて生活の質を向上させ、元気で長生きするために、早くから行う緩和ケア=「早期緩和ケア」の役割は重要です。「病気は治す」ではなく、「病気とともに生きる」「病気を根絶するために闘い続ける」のではなく、「病気を受け止め、残された人生を悔いなく生きるためのサポートをする」(人生を豊かにする「早期緩和ケア」 大津秀一 講談社現代新書)難病を抱えてしまうと、食欲がなくなり、痩せてきます。身体の痛みも発生します。体を自由に動かせなくなります。イライラして精神的に不安定になります。将来に希望が見いだせなくなります。自暴自棄になります。グチを言って家族を困らせるようになります。緩和ケアはそれらの問題に対して、患者に寄り添い、希望を見出して、いつまでも人間らしく生きることを支援します。私はこの話を聞いて、森田理論学習の考え方と同じだと思いました。森田理論学習は、神経質性格を持ち、不安にとらわれやすい人が、よりよく生きるための方法を自分で見つけ出すものです。神経症は器質的な病気ではありません。しかし、器質的な病気以上に心身を痛めつけ、生きがい喪失状態に陥ります。でもそれはきちんと森田理論の学習をすることで解消できます。生活の発見会の集談会に参加すれば、森田理論の基礎や応用が学習できます。そして先輩会員から森田理論の活用や応用方法が学べます。この学習が神経質性格者にどんなに福音をもたらしていることか。森田理論の学習と応用・活用がセットになると、積極的、建設的、生産的、創造的な人生に切り替えることが可能になります。誰でもその気になれば身につけることができますが、習得期間は様々です。私は森田理論をものにするのに約15年かかりました。今では3年くらいで自分のものにできると思っております。それは多くの先輩方が森田理論学習の方法や応用方法を整備されてきたからです。この期間が長いと見るのか、短いとみるのか人それぞれだろうと思います。私は神経質性格者で適応不安を抱えている方は、森田理論を人生の必須科目と捉えて、一通り学習することをお勧めします。そして実践は先輩会員から学んでいくのです。私たち先輩会員は、森田理論学習によってよみがえることができました。その体験を今現在神経症で苦しんでいる人たちに還元していく役割があると考えています。森田先生は自分の神経症体験を包み隠さず、今現在神経症で苦しんでいる人たちのために赤裸々に開示していく取り組みは、森田的な生き方をさらに強固にするといわれています。
2022.11.19
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樹木希林さんは自分の身体や財産などは自分の所有物ではないという考えを持っていました。これらは神様にお願いしてレンタルしているものだといわれているのです。使用者は自分であるが、所有者は自分ではないという考え方です。この考え方を採用すると、自己否定感がなくなるかもしれません。あまたある生き物の中から、自由に動くことができ、さらに高度に進化した脳を持っている生き物を貸与していただいたと考えるのです。貸与物にたとえ重大な瑕疵があったとしても、クレームをつけるような気持にはなりません。貸していただいたことに、ただただ感謝あるのみです。少々物足りないものがあっても、備わっている物を精一杯活用するだけです。自分の身体は自分の所有物と思っていると、そのようには考えられません。どんなに手荒に扱っても、自分の勝手でしょうという気持ちになります。粗末に扱っても構わない。乱暴に扱かっても文句をいわれる筋合いはない。自分自身が気に入らなければ、いくら非難しても構わない。最終的にどうにもならなくなれば自死してもよい。欠点や弱点だらけの容姿、能力、境遇、環境、疾患、生まれた国や時代などを目の敵にして自己嫌悪、自己否定している人もいます。神経質性格も些細なことが気になるので否定するような事にもなります。貸してもらったものと自分の願望が対立して葛藤や苦悩が生まれています。所有欲が強すぎると、自分の身体を慈しみ、いたわる気持ちが希薄になります。レンタルといえば、リース車両、事務機器、建設機械などがあります。その他賃貸住宅、宿泊施設、市民菜園などもそうです。必要な人にとっては、貸してもらえたということは大変ありがたいことです。感謝して、傷つけないように慎重に取り扱う義務が生じます。樹木希林さんは人間の体や財産も同じだといわれているのです。貸してもらったものを自分勝手に乱暴に取り扱うことは許されません。ましてや貸主に許可なく改造などをすることは許されません。現状変更はご法度です。そのままの状態で使用していくしかないのです。経年劣化は仕方ないとしても、善管注意義務が生じます。貸していただいたものを活用して、人様に役に立つものを生み出していく。貸主からすれば、貸してあげた時よりも一回りも二回りも立派な状態で返してもらうとうれしいはずです。また貸してあげたいという気持ちになるはずです。使用料金を安くして、もっと性能の良いもの、好条件の生き物を貸与してあげたいと思うようになると思います。私は仏壇の前で手を合わせて自分の信条を宣言するのが日課になっています。そうすると、自己否定感が消えて、不思議と感謝の気持ちが出てきます。自分の身体は私の所有物ではありません。神様にお願いして、この世で一時的にお預かりしているものです。貸していただいたこの身体を精一杯活用させていただきます。自分やってみたいことや人様に役立つことを手掛けてまいります。そして借りたものはいずれお返ししなければなりません。お返しする時は、借りた時よりもさらに磨きをかけてお返しするつもりです。その時がくるまで、どうぞよろしくお願いいたします。
2022.11.18
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山鳥重氏のお話です。形を見るにせよ、空間を見るにせよ、視覚はあくまで自己の過去を支えとし、自己の今を基準とした構造世界であって、個別の世界である。つまり、けっして客観的な能力を備えた世界でないことを知っておかねばならない。この目で見たのだから絶対に正しいとは言えないのである。(脳からみた心 山鳥重 NHKブックス 137ページ)森羅万象に人間的な解釈を適応しようとする心の動きは原始人も現代人も変わるものではない。いろんな現象に別の現象の徴候を見るのは人間の変わることのない本性である。人を見るときもそうである。相手を等身大の、そのままの存在として見ることはもっとも苦手なことである。逆に相手を分類し、ラベルを貼るのはわれわれの得意なことの一つである。つまり自分の尺度に合わせて、相手を解釈し、記号化してしまう。(同書 228ページ)山鳥氏は、事実の取り扱いについてはもっと慎重であるべきだといわれている。いかに事実を事実のままに正確に見ようとしても、事実全体を正しく見ることは出来ない。事実の確認には限界があるといわれているのだ。また人によって事実の見方は千差万別である。穴のあくほど事実を見たので、間違いないと判断しても、それはその人の見方でしかない。他人は別のところに焦点を当てて事実確認している場合がある。事実確認をして、相手の人物評価をしても、人間はプラス面とマイナス面を同時に持っている。醜悪硬軟併せ持っているのが人間の姿だ。ポジティブな面、ネガティブな面の両面を見ないと見誤ることがある。さらに置かれた状況や時間の経過とともにその人の状況は変化している。ある時点で下した評価は、いつまでも普遍性のある正しい判断とはいえなくなる。いつまでも以前の事実にとらわれていると、問題が生じる。十分事実確認して、これで間違いないと思っても、事実に対してはもっと慎重になる必要があるといわれているのではないでしょうか。私たちは森田理論の学習によって、観念優先で事実を軽視する生活態度が苦悩や葛藤をもたらしていることを学んだ。事実確認が不十分な状態のとき、先入観、決めつけ、早合点で分かったつもりになって対応することは間違いが多い。他人から聞いた情報は、すぐに鵜呑みにしない。面倒でも実際に現地に足を運んで自ら事実確認を行う。森田先生は、五高時代には実際に幽霊屋敷の探検をされている。また、熱湯に手を入れるパフォマンスを見たあとは、自分で実験をして真偽のほどを確かめておられます。自分の主張を相手にぶっつける前に、まず相手の気持ちや考え方を確認する。事実関係がよく分からないうちに、あいまいな対策を立てて実行した場合は、後で取り返しのつかないことになる。さらにその間違いを取り消そうとすれば、ますます混迷の度を深めてしまう。かって日航ジャンボ機が群馬県の山中に墜落したことがあった。事故機は以前に尻もち事故を起こした機体であったという。その原因究明をあいまいな推測で決めつけてしまったために大惨事となった。事実に対してもっと謙虚であるべきだったのではないか。森田理論を学習した者としては、事実を観念で捻じ曲げてしまうことは決して許されないことだと肝に銘じておきたい。
2022.11.17
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棋士の羽生善治氏のお話です。人間には思考を省略して考えることができる素晴らしい能力があるのですが、時にはそれが先入観や、偏見となって新しい発想を妨げることもよくある。(捨てる力 羽生善治 PHP文庫 90ページ)将棋の世界には定跡というものがあります。これは長い歴史の中で、こういう展開になれば、こういう流れで決着がつくというものです。定跡は長い時間をかけて練りこまれ、現在に伝えられているものですから信頼性が高いものです。ですから棋士は誰でも定跡の研究をしています。そしてそのパターンに入ってくると、無意識に定跡に従って黙々と駒を指すことがあります。素人相手だと何も考えなくても、定跡に従って黙々と指していけば難なく勝つことができます。しかし定跡通りに指しても、プロ棋士を相手にした場合は勝てないのです。過度に定跡に頼っているとカモにされてしまいます。それは定跡の攻略法も研究されているからです。定跡による先入観、決めつけ、思い込みは時として勝負の足かせになります。ここではまっさらな状態で、先入観なしに局面に対峙することが重要になります。自分独自のアイデアや判断力を付け加えることで初めて勝負の土俵に上がることができます。自分の感性やスタイル、個性や独自性を打ち出すと、それが他と差別化された強みに変わってくるのです。この考え方は、森田理論学習をしているものにとって参考になる話です。森田理論の学習をすると、多くの間違った考え方が修正できます。また神経質性格の活かし方もよく分かります。誰でも人生の羅針盤を手にしたような気持になります。たとえば、神経質性格の特徴では、神経質性格はプラスに捉えればこれほどはぐくみあいのある性格はないことがよく分かりました。感情の法則では、感情は自然現象であり人間の意志の自由はないことが分かりました。不安と欲望の単元では、神経症的な不安は、その裏に大きな欲望があることが分かりました。思想の矛盾の学習では、「かくあるべし」を押し付ける態度が、葛藤や苦悩を生み出していることが分かりました。人間関係は「不即不離」を活用していけばよいことも分かりました。これ以外にも数多くのことを学ばしていただきました。これらは将棋でいえば定跡のようなものだと思います。森田理論に出会い、定跡を学ぶことができたことは、とても幸運だったと思います。せっかく定跡を手に入れたのですから、ここにとどまっていてはもったいないと思います。今度は、この定跡を日常生活や仕事に十二分に応用し、活用する方向へ進んでいくべきではないでしょうか。森田理論学習と森田の実践・行動は車の両輪のようなものだといわれます。この車輪が同じ大きさのとき、力強く真っすぐ前に向かって前進します。しかし森田理論学習の車輪が大きなものに替えられても、実践・行動の車輪が小さいままだと、一向に前進しないで、そこに留まってグルグルと空回りするようになります。ある程度学習を積み重ねた後は、思い切って港を離れ、大海に漕ぎ出すことが大事になってくるのではないでしょうか。
2022.11.16
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これは簡易のサツマイモ焼き機です。本格的な石焼き芋というわけにはいきませんが、結構気に入っています。今年はサツマイモを植えた時、まだ灌水設備がなくて、2回も枯れてしまいました。3回目はうまくいきました。サツマイモはツルもとてもおいしいです。現在は、カボチャマフィン、焼き芋、梅酒と梅の実を楽しんでいます。それとまだまだミニトマトの収穫が続いています。真っ赤に熟れたトマトは密が詰まったリンゴみたいな感じです。
2022.11.15
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緩和ケア医師の大津秀一氏のお話です。30代の腎臓がんの患者である中林さんは、ある時から特殊な食事療法に執心しました。極端な玄米菜食で、中林さんはみるみる痩せてしまいました。がん治療中はただでさえ痩せやすいのです。しっかりとした栄養療法が必要であって、中林さんの場合は玄米菜食は逆効果でした。ただこのような時、難しいのは頭ごなしに伝えても事態は良くならないということです。人は信じているものを否定されると腹が立ちます。それで余計にそちらに傾倒したり、私のところから離れてしまって余計に危ない橋を渡る方向に行ってしまうこともあるのです。そのため私は、即座に対応しなければ命を失うということでない限り、強く否定したりはしません。「なぜそれに取り組み始めたのですか」私が尋ねてみると、中林さんがお話になったのはこうです。一家の大黒柱の自分が病に臥せってしまっていることに負い目がある。小さい子供のためにも、少しでも元気になって長生きしたいと、そういうことを熱を帯びた目で話されたのです。気持はよく分かります。そうなのですね、と受け止めつつも、様々なスタンスがあると思いますが、全面肯定しないのが私のスタンスです。しかし物事にはタイミングというものがあり、ぐっと耐えることも必要になります。何回かの外来を重ねた時、さすがに元気が出ないことに彼はポツリと言いました。「先生、やっぱりこのやり方じゃだめなのかな?」「そうですね。前にもお伝えしたように、タンパク質などをしっかり確保しないといけません。今の食事だと難しいかも知れませんね」彼は少しうつむくと言いました。「だよね?自分でもそうかとだんだんわかってきていた。でも玄米菜食をすすめてくれた先生は、がんの人を何人も治したということだから、自分もそうなりたいと思ったんだ。でもそれは目を塞いでいただけなのかもしれない・・・」しばらく彼は考えているようでしたが、振り切るようにこう言いました。「先生、元の食事に戻します」私は再び、がん治療中にふさわしい食事の内容についてお伝えしました。以後彼はしっかり必要な栄養素をとることに努め、体重も戻り、元の元気な生活に戻りました。(幸せに死ぬために 大津秀一 講談社現代新書 120ページ)この話は相手の間違った考え方や行動を変えさせるには、こちらの考え方を拙速に一方的に押し付けてはいけないということだと思います。強固な信念に支えられている考え方や習慣化している行動を無理やり変更させようとすれば、相手は嫌悪感をもたらし、精一杯の反抗を試みます。信頼関係がないときにいくら良いアドバイスをしても、相手は聞く耳を持っていないので、決して良い結果には結びつきません。こういう場合、自分が絶対に正しいと思っていても、適切な時期が来るまで、アドバイスは封印する必要があります。自分の経験や知識を相手に押し付けることは、百害あって一利なしと心得ておけば、ほぼ間違いありません。まず相手の信念や考え方をよく聞いて理解するように努めることが大切です。傾聴、受容、共感の気持が大事です。そうすれば信頼感が生まれてきます。自分の考え方を伝えるタイミングがくるまでひたすら待つことです。タイミングが来なければそれでもよしという気持ちを持つことが肝心です。相手が信念をもって行動していても、それが誤っていれば、いずれ問題が表面化してきます。改めて相談してきた時、あるいは八方ふさがりで打開策が見つからなくて右往左往している時を待つしかないと思われます。この状態になれば、援助を受け入れやすくなっています。こういう段階を踏んでいくと、初めて相手の間違った信念、習慣、行動を変えることが可能になります。相手がより良い方向に変身する姿を見ることは楽しいものです。アドバイスをするときは、ぜひともこのことを頭の中に入れておいてほしいものです。そうなれば、お互いの信頼関係がより一層深まります。
2022.11.15
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私の住んでいるマンションは自転車やバイクの置き場所は決まっていません。自由にどこにおいてもよいことになっています。多くの人は自分の駐輪場所はいつも同じです。私も自転車やバイクはいつも同じ場所に置いています。暗黙の了解でみんなが自分の指定席を決めているのです。問題は、転居してきた人や新しく自転車やバイクを買った人がいきなり割り込んでくることがあります。150軒もあるので頻繁に起こります。駐輪場所が指定されていないのですら、どこにとめようが自由なのです。しかし自分の指定席だと勝手に思っている人は心中穏やかではありません。自分の指定席だと思っているところに、他の自転車やバイクが置いてあると自分の権利が侵害されたように感じるのです。他の場所は他人が指定席のように使用しているわけですから、勝手に変更するといさかいになることが予想されます。その結果今度は自分の駐輪スペースがなくなるのです。結局無理やり自分のスペースを作りだしてとめることになります。でもすっきりしません。どんな嫌がらせが待っているかと不安になるのです。それは自分が長らく使用していると既得権を得たかのような錯覚に陥っているからだと思います。その権利を侵害されることは心外だという気持ちになるのです。対抗措置を取って自己主張しなければ、自分の居場所がなくなります。自分が引き下がれば、今度はその人に既得権が移ってしまう。それは承服しがたいことだと思ってしまうのです。それは既得権でも何でもないのですが、自分が勝手にそう思い込んで、その権利を主張しようとしているのです。安定した場所を一旦確保すると、今度はそれを死守することを考えるようになります。外部から侵略されることを警戒するようになります。中には自分の場所だといわんばかりに私物を置いている人もいます。そして実際に侵略されると、あからさまに対抗手段をとるようになるのです。一旦快適な生活や居場所を手に入れると、今度はそれを失うことを恐れるようになります。その権利を他人に奪取されないように、防衛することを考えるようになります。この態度は人間関係が悪化する原因を作り出しています。何か良い方法はないのでしょうか。森田理論で考えてみました。森田理論では変化を掴み、変化に素早く対応することを目指しています。一旦安定して居場所のよい状態になっても、時間の経過とともに、状況が変わり、その安定はいずれ失われてしまうということだと思います。この場合は、自転車やバイクが増えてきて、マンション全体の駐輪スペースが不足してきた。はみ出された人が、無理やり自分の駐輪スペースを作って止めようとするので、イヤな思いをする人が出てきた。つまり明らかに以前とは状況が変化してきたのです。その変化に対応する必要がでてきたということです。この問題はマンション全体の問題として、理事会や総会で議題として取り上げる必要が出てきたということだと思います。たとえば新たに駐輪スペースを増設する。その際駅の駐輪スペースを参考にする。他のマンションの事例を収集する。他のマンションでは自転車は2段にしているところもある。また駐輪スペースを自動車と同じように指定制にすることも考えられる。それ以外にもよい提案があれば、すべて出し合って、よりよい方法を検討する。結局は駐輪方法を変更するしかないと思う。変化への対応を無視して、自分の考えを頑固に他人に押し付けていると、そのうち犬猿の仲になってマンションに居づらくなる人が出てくる可能性がある。これだけは何としても避けたい。変化した状況にどう対応していくという方法をみんなで考えていけば、現在の問題は平和的に解決できると思う。
2022.11.14
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ベランダの菊が咲いてきました。友人からは大阪の国華園の菊祭りの写真も届きました。私も菊花展に行ってみようと思っています。
2022.11.13
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外出するときに、持ち物を忘れないように忘備録を見て点検されている方も多いでしょう。電灯、電源、ガスの元栓の確認、財布、スマホ、マスク、眼鏡、水筒、弁当、家の鍵、車のカギ、免許証、給油カード、ETCカード、メモ用紙とボールペン、鞄、必要書類などです。これらの一つでも忘れたら、その後の仕事や行動に支障が出るわけですから、忘備録によってチェックすることは大いに役立ちます。私はこの忘備録をいくつも作っています。例えば仕事を始める時の忘備録です。全部終わるのに30分みています。一つ一つチェックしていくと、うっかりミスが無くなります。それが終わると本格的な仕事に入ります。・スマホで出勤簿の打刻を行う。忘れないために5分前にアラーム設定している。・暗証番号を操作して事務所のカギを取りだす。・散水栓、管理人室のカギを首にかける。・メモ用紙とボールペンを身につける。・ポストから郵便物や伝言メモを取りだして整理する。・作業服に着替える。・名札を付ける・身分証明書を身につける。・監視カメラの動作確認を行う。・ゴミ袋の取り換え。・事務所の掃き掃除。机などの拭き掃除。その他空モップ掛け。・行き先表示板を切り替える。・湯沸かし器のセット。・カレンダーで今日の予定の確認をする。・勤務報告書、作業報告書の作成。・ゴミの収集予定の確認を行う。・玄関、エントランス、公共トイレの汚れ確認。退勤時はこれとは別の忘備録を作っています。今までの経験上、チェックすると気をもまなくて済みます。老人ホームの慰問時の持ち物についても防備録が役に立っている。サックス演奏に関わる忘備録、チンドン屋の衣装に関わる忘備録、獅子舞の忘備録、浪曲奇術の忘備録、腹話術の忘備録、ドジョウ掬いの忘備録、しば天踊りの忘備録、傘踊りの忘備録などです。それぞれ違います。忘備録を見て全部そろっているかどうかをチェックしないと落ち着きません。2度チェックして全部そろっていると安心して出かけることができます。一つでも忘れていると、パフォーマンスに穴をあけることになり、仲間に迷惑をかけることになります。忘備録というほどではありませんが、私は日記をもう15年くらい書いています。日記は10年連用日記です。これには夕食のメニューが細かく書いてあります。野菜の種まきや定植時期が書いてあります。野菜や果物の収穫の時期や加工食品作りをした日も書いてあります。それから花見やイベントの日付が書いてあります。家族の誕生日やご先祖様の命日がすべて書いてあります。これらを参考にして今年の予定を立てております。いまだ忘備録を十分に活用していない方はぜひ参考にしてみてください。
2022.11.13
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今は定期券を使うことはありませんが、以前は使っていました。そのときの話です。定期券が切れていることを知らないで、毎日、電車に乗っていた人がいました。それを忘れて堂々とふるまっていたときは、何も問題は起きなかったのです。ところが、ある日期限が過ぎていることに気づきました。その日の帰宅途中、たまたま定期券を買うお金を持っていませんでした。翌日定期を買うつもりで、切れている定期で通り抜けようとしました。今まで一度も見つからなかったのに、初めて改札係の人に呼び止められました。(人を許すことで人は許される 中谷彰宏 ダイヤモンド社)これは後ろめたいこと、人に知られたくない欠点や弱点、ミスや失敗などをごまかし、隠そうとする行為は、いくら上手に工作しても相手に簡単に見破られてしまうということだと思います。夜薄手のカーテンを引いた家の中は、外からは丸見え状態になります。ところが本人はそのことに気づいていないことが多いです。外にいる人からプライバシーが筒抜けになっているとは夢にも思いません。これと同じようなことが起きているのです。人間性を疑われて、後々人間関係に悪影響を及ぼします。例えば、大切な商談の時間に遅れてきて、「交通渋滞に巻き込まれて遅れてしまいました」と言い訳をするようなことがあります。極端な例では、「出かける前に急用が入りまして、そちらの方で時間がかかりまして、遅れてしまいました」などと言う。実際にそうだったかもしれませんが、相手からすると、「それを見越してどうして早く出発しなかったのか」という気持ちになります。「私よりもそちらの方が大事だったのか。ぬけぬけとよくそんなことが言えるものだ」と思われてしまいます。そういう人に限って同じ過ちを何度も繰り返しています。言い訳が2回、3回と重なるとお互いの信頼関係はなくなります。あるいは友人と一度は約束したことなのに、気が変わって直前になってドタキャンすることもあります。相手はスケジュール表に書き込み忘れないように細心の注意を払っています。あるいは宿泊や食事の予約を入れていることもあります。それらを自分の気分で、いとも簡単に反故にするというのは、信頼関係も何もあったものではありません。偽装工作をする人は、自分を正当化しようと、精一杯の言い訳を考えて発言しているのですが、その発言が報いられることはありません。むしろ反対にあの人は全く信頼のおけない人だ。要注意人物だとみなされます。今後の付き合いは見合わせよう。さらにそういう噂は仲間内で拡散されてしまうのです。みんなが懐疑的になってしまいますので、人間関係がうまくいかなくなります。本人はどうしてだろうと思っていますが、自業自得とはこのことです。森田先生は、都合の悪い事実をごまかす、ねじまげる、隠蔽する、報告を遅らせる、責任転嫁をすることを極端に嫌われています。事実唯真という考え方を大切にされているわけですから当然のことです。先生が大切にされている骨とう品などをつい落として割ってしまった場合、すぐに素直に報告して謝った方がよいのです。そのときにはひどく叱られても、一時的なことで済みます。すぐにその後の対応策に向かうので、精神的な葛藤や苦悩はなくなります。叱られることを恐れて、強力な接着剤でくっつけてしまう。誰かほかの人のせいにしてしまう。見つからないところに隠す。そっくり捨ててしまう。開き直って「弁償しますから許してください」と発言すると大変なことになります。また、そのことが後で分かったときには、ただでは済まないでしょう。壊してしまったこと、さらに事実を捻じ曲げたことに対して、二重の叱責が待っている。人間性に問題があり、森田適応外と判定されると、再起は難しくなります。この場合、自分にとって不都合な事実を認めることは、注射針を打たれるようなものだと思います。その瞬間は痛みが走りますが、その後の結果に思いを馳せて我慢して耐えることが得策です。事実を包み隠さず素直に認めて公表することは、精神的な葛藤や苦悩を抱え込まない方法となります。
2022.11.12
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朝ゴミ出しをしている女性の方は、化粧をしているかどうかはとても気になるところです。学習会のときに聞いた話です。ある女性の方が、ゴミ出しのとき十分に化粧をしていなかった。でも、運よく人に出会わなかったからよかったと発言された。これはよかった探しの中での発言だったようです。この方はラッキーだったようですね。普通はゴミ出し時間は、例えば朝の8時までとか指定されていて、それ以降に出すと積み残しになる場合があります。つまりゴミ出しは短時間に集中していて他人に合う確率はとても高いです。知り合いの人と鉢合わせになることはよくあることです。すると気まずいな、恥ずかしいなという感情が湧き上がってきます。その人に「化粧もしないでよく人前に素顔をさらして平気でいられるものだ」と思われているのではないかと不安になります。憂うつな気分になり、自己嫌悪、自己否定で苦しむことにもなります。「かくあるべし」を持っていると、ネガティブ感情はより強くなります。化粧をしていない状態で素顔をさらすことは恥ずべきことである。ゴミ出しができなくても、人前に出ることは控えるべきである。こんな気持ちになると、破れかぶれでゴミ出しに行くことになりかねません。こういう場合は、家に夫や子供がいれば、変わってもらうことが考えられます。次回からゴミ出しの日は、起床時間を早めて、化粧をしてゴミ出しをこなす。学習会では、このようなマイナス感情、ネガティブ感情に対しての対応方法が問題になりました。それらをあってはならない感情として忌み嫌う。取り除こうとする。この態度はマイナス感情に対して、是非善悪の価値判断を下しているのではないか。森田理論では、感情は自然現象なので、人間の意志の自由はないと言っています。感情の事実を観念で否定することは、自然現象に反旗を翻していることになります。勝てない相手とけんかをすると苦しくなるばかりです。マイナス感情、ネガティブ感情は、いくら不快であっても、そのまま受け入れるしか方法はないようです。どうすればそれが可能になるのでしょうか。私はその不快な感情を客観化することだと思っています。今不快な感情が自然に湧きあがってきて、気が動転している自分がいると第3者的な立場から自分を見るということです。このことをメタ認知という人もいます。マインドフルネスは「今、ここ」がキーワードですが、観念の世界に心を奪われないで、事実を事実のままに認識するというのが眼目となっています。不快な感情にすぐさま反応するのではなく、少し間を置くということです。少しゆとりをもつて、冷静になるということです。すると時間とともに感情は速やかに変化するようになっています。一つの感情にこだわるのではなく、谷あいを流れる小川のように、速やかに流し去るというのが森田の目指している方向です。
2022.11.11
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感情の法則の5は、「感情は、新しい経験によって、これを体得し、その反復によってますます養成される」です。この法則はどのように生活の中に活かしていけばよいのでしょうか。この言葉は、感情は実践や行動によって発生すると言われています。頭で考えているだけでは、新たな感情は生まれてこない。興味や関心、気づきや発見も見つけることは出来ません。素晴らしいアイデアや意欲もわいてきません。燃えるような生き方、情熱的な生き方はできません。人間本来の生き方はできないということになります。実践や行動によって、一旦感情が動き出すと弾みがついてきます。七輪の種火を大事に育てていくと、勢いよく火柱が立ち上がってきます。炭火が真っ赤になると、焼肉やバーベキュー等を楽しむことができます。感情の種火を大事に育てて、意欲に火をつけていくことが大切になります。実践や行動に向かうためには、最初は強制されて取り組むことでも構いません。そのうち我を忘れて一心不乱に取り組むようにすればよいのです。そのためには、何か最低一つは問題点や課題や楽しみを見つけてやろうという気持ちで取り組むことです。見つかったらメモしておく。さらにそれをストックして時々取りだして見る。すると興味や関心が高まり、意欲的な実践・行動に発展してくるはずです。ここで慎みたいことは、すぐに気分本位な態度で実践・行動から逃げてしまうことです。めんどうだ、やる気がしない、つらそうだ、しんどそうだ、どうせ失敗する、エネルギーを温存しておきたい、静観したい、楽をしたい、誰かがやってくれるだろうなどという気分に振り回されて、仕事をさぼり、日常茶飯事の手抜きをすることです。確かに逃避したときは、やれやれ難を避けることができたとホッとしますが、その後で何もすることがなくなります。人間は暇で特に何もすることがないということは一番つらいことです。この悪循環にはまってしまうと、カンフル剤を打つようなことを考えるようになります。刹那的、瞬間的、享楽的、快楽的、本能的な行為で穴埋めをしようとするようになります。そうしないと精神状態が不安定になるからです。最初の実践・行動は、イヤイヤ仕方なしにとりかかるしかありません。堪え難を堪えて、あえて踏み出す勇気を持つことです。ここは心配性の神経質性格者にとって、最初の関門ですが、なんとか通過してほしいところです。森田でお勧めしているのは、身の回りの小さな課題や問題点などにていねいに取り組むことです。これらは雑事や雑仕事といわれています。やろうと思えばだれでも取り組むことができるようなことです。小さな成功体験やささやかな楽しみを毎日たくさん味わうことができるようになることが目標になります。キーワードは凡事徹底です。神経症の人で、症状の苦しみから逃れるために、ハツカネズミが糸車を回すようにやみくもに行動する人がいます。これは神経症で苦しんでいる時は、一時的に大きな効果があります。しかしいつまでもこれを続けると、症状は治らないばかりか、最後には精魂を使い果たし、かえって神経症は悪化します。雑事や雑仕事は、必要な時に、必要に応じて、必要なだけを心がけて取り組みましょう。
2022.11.10
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感情の法則の4は、不快な感情に注意を集中すると、不快な感情はどんどんエスカレートするというものです。神経症というのは、人それぞれですが、ある特定の不安、恐怖、違和感、不快感などにとらわれて、精神交互作用(注意と感覚の悪循環)で蟻地獄に落ちてしまうようなものです。ここでの問題は、不安の対象を一つに絞っていることです。逆にいえば、不安の種をたくさん抱えていると、神経症には落ち込まないかもしれません。日々の生活を次々とこなしていると、多くの心配ごとや気になることが発生します。一旦は目の前の不安にとらわれてもよいのですが、いつまでも一つの不安にとらわれ続けることが問題になります。この問題を考える前提として、不安の内容を2つに分けることをお勧めします。不安には現実的な不安と神経症的な不安があります。現実的な不安は、解消に向けて行動すると不安は霧散霧消します。神経症的な不安とは対応方法が全く異なります。例えば、地震、交通事故、不慮の事故、生活習慣病などがあります。これらの不安があれば、事前に対策を立てて行動することです。もしもの時の被害を軽減できます。もしくは避けることができます。現実的な不安は取り除くために素早く行動することが不可欠となります。神経症的な不安は、不安を取り除こうとすると、不安は益々大きくなるものです。現実的な不安とは対応方法が違ってきます。感情の法則4で指摘しているのは、こちらの不安のことです。神経症的な不安は、欲望があるためにその反動として生まれてくるものです。ですから不安を抱えながら、欲望に重点を置いて行動することが大切になるのです。不安は欲望が暴走しないように抑止力、制御力として活用することが理にかなっています。つまり欲望と不安のバランスを維持することが肝心ということになります。神経症的な不安が強いということは、強い欲望を持っているということになります。神経症的な不安が多いということは、欲望の数も多いということになります。強い欲望は人によって違います。食べ物の好き嫌いがあるようなものです。たとえば、・他人から称賛されるような人間になりたい。・病気にならないで、長寿を全うしたい。・安心安全な衣食住が確保された生活を送りたい。・温かい家庭を築きたい。・リスクを避けて安全第一で生活したい。・恵まれた人間関係を築きたい。・その他対人恐怖症の人は、他人が自分をどう取り扱ったか、どう取り扱おうとしているかに注意や意識を集中しています。神経症的な不安はあまたありますが、対人的な不安にフォーカスしています。そしてその不安を取り除きたいと格闘しています。あるいはそのイヤな場面から逃げ回っています。そのとき目の前の日常茶飯事や仕事が手抜きになっています。つまり生の欲望の発揮が蚊帳の外になっています。これが問題です。この問題を解決する方法は、不安と欲望を区別することです。そして不安には手を付けないで、欲望の方に手をつけるのです。この方法をとることで万事うまくいくのです。まず人に評価されたいという強い欲望を持っているということを自覚することです。その欲望を達成するためにどんなことに取り組んでいけばよいのか、発想の転換を図ることです。次に欲望の達成に向かって、小さいことからコツコツ努力精進して成果を出すことです。小さな成功体験を積み重ねていくことです。そのような心構えで生活していると、しだいに不安と欲望のバランスが回復してくるのです。バランスがとれてくると神経症的な不安には振り回されことがなくなります。目指すべきは不安と欲望の調和です。森田理論はバランスや調和を目指している理論なのです。
2022.11.09
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3、感情の法則の3は、「感情は同一の感覚に慣れるに従って、にぶくなり不感となるものである」とあります。この法則は、もう少し深読みすれば活用方法が見えてきます。水泳をしている人ならば、市営プールに行って最初にプールの中に入るとき、水温の冷たさに身震いした経験を持っている方もいらっしゃるでしょう。しかし、しばらく泳いでいると心地よい水温だと感じるようになります。さらにしばらくすると、このプールは少し水温が高すぎるのではないかと感じることもあります。時間の経過とともに、刻々と感情が変化してきたということです。最初の感情に抵抗しないでそのまま放置していると、にぶくなり不感となるということです。これはお湯を張った湯船に浸かるときも同じです。この法則を日常生活で応用するためにはどうすればよいのでしょう。私たち神経質者は精細なことによく気が付くというのが特徴です。でも気がついても、それをメモなどに残さないと、忘却の彼方に消え去ってしまうということです。それでは神経質性格のよさを活用することは出来ません。にぶくなり不感となる前にきちんとキャッチして意識化する作業が必要になります。気づきをどんどんメモしていけばよいのです。スマホのメモ欄でも構いません。とにかくストックを溜めることです。次に時々メモ帳を取りだして見て確認する。問題点や課題が書いてあるわけですから、それらを見ていると感情が動き出してきます。集談会でも気づきをきちんとノートに書いている人がいます。それを家で読み返して、次の集談会で活用しようとしている人は見込みがあると思います。例えば、病気や心配事を抱えていた人に、どの後どうなりましたかと声をかけてあげるだけでも、信頼感が増します。逆に言うと、ノートを取らずに、ただ聞いているだけという人は、宝の山を見逃していることになるのではないでしょうか。
2022.11.08
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森田理論の感情の法則は、理解するだけではなく、実際に自分の生活の中で活用することが大事です。私の活用例をご紹介します。1、感情は自然現象であり人間の意志の自由はない。一方行動は意志の自由がある。どんな不快な感情が湧き起こっても手出し無用ということです。どんなに理不尽なことが起きても、基本的には受け入れるしかありません。感情は自然現象にまかせて、ただ感じるままにして、時間の経過を待つ。時間の経過が高まった感情を静めてくれます。普通はマイナス感情のままに、行動することが多いです。これをすると人間関係はすぐに壊れてしまいます。交通事故と一緒です。大破した車は廃棄せざるを得なくなります。大きなけがをすると、後遺症が残ることがあります。私は感情と行動は分離することを心がけて実行しています。マイナス感情に振り回されている自分を客観的に眺めて「間」を作るようにしています。あとで、「シマッタ」と後悔することが激減しました。人生というひのき舞台で、演技をしている役者というイメージを持っています。2、感情の法則2では、感情は本能的な欲望を満たすと、その感情は急速に消滅してなくなるとあります。この法則は、この言葉の裏を読むことが大切になります。喉が渇いたときに水を飲む、腹が減った時に食事をとる。飲みたい、食べたいという渇望は、目的を果たすとすぐに消えてなくなります。腹が立ったときはどうでしょうか。怒りの感情を売り言葉に買い言葉で、吐き出してしまうと、一瞬すっきりします。イヤな感情をダムの放流のように流してしまうと、イライラから解放されます。しかし、しばらくすると、反省や後悔の念で一杯になります。しかし、吐き出した後では、後悔あとを絶たずということになります。それから気が向かないことから、安易に逃げてしまうことがあります。気分本位の態度のことですが、これも気が休まるのはほんの一瞬だけということになります。その後で暇を持て余し、「シマッタ」と思っても後の祭りです。このような経験は誰にでもあるのではないでしょうか。本能的な欲望や怒りのなどの感情は、ストレートに言動として吐き出してはいけないということだと思います。自制心や抑制力が必要になります。しかし現実問題、自分で感情や本能の誘惑を断ち切るというのはむずかしい。神経症の人の場合は、単独行動はリスクが高まります。自制心や抑制力が育っていない人はどうすればよいのでしょうか。抑制力を持った人と一緒に行動すると効果があります。理性ある配偶者と一緒に行動する。営業の場合は同行営業に切り替えてもらう。集談会の仲間に抑制力の役割を果してもらう。その他心の安全基地と思っている人に抑制力を担ってもらう。そのときは、その人たちのアドバイスに素直に従うという態度が必要になります。
2022.11.07
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中内玲子氏のお話です。つい子どもをしかってしまうことが多い方は特に、「ありのままのあなたが大好き」という気持ちを、意識して言葉や態度で伝えましよう。子どもが赤ちゃんだった頃の話をしたり、写真や動画を見せてあげたりするのもいいでしょう。自分の写真でいっぱいになったスマートフォンの画像フォルダや、親が自分の写真を待受画面に設定しているのを見るだけでも、子どもはうれしいものです。お祝い事のときに撮った写真はそのままにせず、ぜひ額に入れて飾ってください。わが家では、キッチンに置いたデジタルフォトフレームに子どもたちが赤ちゃんのときからこれまでの写真データを入れてスライドショーで表示しています。子どもたちはそれを見るのが好きなようで、たびたびデジタルフォトフレームの前に集まっています。「これは誰かな。○○ちゃんだね。かわいいね」「はじめて『ママ』って言ってくれたときはうれしかったな」「初めて一人で歩いたときは、おじいちゃんもおばあちゃんも、みんな拍手して大喜びしたんだよ」と写真を見ながらいかに愛されているかを伝えるのです。小さいうちはこのように親の愛情を伝えてあげるだけでも自己肯定感を育めます。(世界一の子育て 中内玲子 フローラル出版 109ページ)子どもの自己肯定感を育むには、親の無条件の愛情が必要だということがよく分かります。私の知っている方は、子どもの笑顔いっぱいの小さい頃の写真を大きく引き伸ばしてシルク印刷にして玄関に飾っています。1Ⅿ角くらいの大きなものです。最初見たときは驚きました。子供が恥ずかしがらないだろうか。最初はお姉ちゃんの写真でしたが、中学生になると、次は弟の写真に替わっていました。これを見ただけで親が愛情いっぱいに子供を育てていることがよく分かります。子どもたちは、たとえ対人関係で傷つくようなことがあっても、いつでも心の安全基地に寄港することができるのだなと思いました。他人を信頼することができる素敵な大人になることでしょう。中国のお父さんで、女の子どもが生まれから、毎年1回記念写真を撮っていました。30年以上にわたり毎年欠かすことなく続いていました。これだけでも子育てに合格点はもらえるのではないでしょうか。赤ちゃんから少女、思春期の女の子、大学生を経て大人の女性へと、娘が成長してきた軌跡がとてもよく分かりました。素晴らしいお父さんですね。その女の子はとても愛情豊かに育てられたのだろうと思います。こういう子どもが親思いの子どもになり、その気持ちは子どもから孫へと引き継がれていくのでしょう。我が家の娘が嫁にいった家族は、二世代同居家族です。驚くことに何十年にもわたって年賀状は家族の集合写真です。この年賀状は異色です。10名くらいの家族の変遷が毎年見れるのです。とても仲のよい家族です。最近の孫の動画がよく送られてきます。娘はよいところに嫁にいったものです。孫も愛情豊かに育っていてうれしい限りです。自分の自己肯定感を増進するために、自分が小さいころの写真、親と一緒に楽しそうにしている写真、兄弟ではしゃぎまわっていた頃の写真、学芸会や運動会の時の写真、仲間と楽しく過ごしていた時の写真、楽しい旅行の時の写真、配偶者と知り合った頃の写真、子どもが生まれた時の写真、家族旅行で撮った時の写真、自分が目標に向かって頑張っていたころの写真などをスライドショーに整理するというのは如何でしょうか。写真にしてファイルするのもいいですね。私はこちらの方です。気に入ったyou tubeプレミアムの音楽を聴きながら、時々眺めていると落ち込んでいる時に効果があります。今は精神的に苦しいけれども、いつか這い上がってやるぞという気持ちになれるのです。それは自分の存在を捨てたものではないと再認識できるからではないでしょうか。
2022.11.06
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中谷彰宏氏のお話です。電話を切る時、相手が話している途中で、耳から受話器を離していませんか。電話は不思議なもので、耳から離れて、フックへ移動しているのが、相手にはよく分かります。「失礼いたします」と言っている「失礼」のあたりで、もはや、耳から離れて行って、「いたし」あたりでブツッと切れるのです。(人を許すことで人は許される 中谷彰宏 ダイヤモンド社 20ページ)いくらその前に意味のある会話をしていても、相手が最後にぶっきらぼうに電話を切ったとすれば、興覚めになります。せめて「失礼いたします」と言って1秒ぐらい待ってから切るのがよいと思います。しゃべりたいことだけを一方的にしゃべって、要件を伝えたらすぐに電話を切るというのはやりきれないものがあります。そんなことで人間性を疑われるようになってはマイナスです。小さな親切、小さな思いやり、小さな感謝の気持ちで生活することは、相手の為だけではなく、自分が日々穏やかに、気持ちよく生きていくために必要なことではないでしょうか。そういうことに気が回るようになれば、人間関係もよくなります。例えば車で自宅まで送ってもらうことがあると思います。そのとき、お礼を言うとすぐにすたすたと玄関口に向かうことはありませんか。相手が車を発進させて、車が見えなくなるまで見送ることを心がけたいものです。相手もあの人を自宅まで送り届けてよかったと思うはずです。小さな思いがけない感動のおすそ分けをもらったように思います。たまにバスに乗る人で小銭で支払うことがあります。下車する時になって財布を見ると1万円しかなかった。これではみんなが迷惑します。乗車する前に小銭を確かめておくことは、小さな思いやりにつながります。スーパーやコンビニなどで現金支払いの場合、レジに並んでいる時にコインを1円、5円、10円、50円、100円、500円と整理しておく。支払いの時は、整理しておいた小銭から出す。小銭も片付きますし、スピーディな支払いは、レジ係の人も、後ろに並んでいる人も実に気持ちがよいものです。私は以前酒屋に依頼してビール瓶をケースで配達してもらっていました。その中に冷えてますシールが貼ってあるビールを2本見つけました。すぐに飲めるビールがあると嬉しいものです。その心配りに、思わず座布団2枚と叫んでいました。小さな気配りは日常生活の中でいくらでも見つけることができます。相手に小さな感動を与え、感謝されるようなことを常日頃から見つけ出し、実践することが習慣化している人は、自分の生活が日々感動で満たされることになるのではないでしょうか。
2022.11.05
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森田理論は生活や仕事の中に応用・活用していくことが肝心だと思います。そのためには本人がその気になることが欠かせません。しかし、両者の間にはとても大きな壁があるように感じている。理論学習を深耕したことで満足してしまって、行動や実践、活用や応用にまで進まない。これは森田理論を学習して神経症の成り立ちが分かった時に、もう治ったかのような錯覚に陥っているということではなかろうか。理論の理解だけに留まってしまうと、いつまでも神経症から縁が切れない。反対にますます生きていくことが辛くなります。ではどうすれば、森田理論の活用や応用に進むことができるのか。最初は、森田理論の基礎や全体像を理解することが大切になります。これには生活の発見誌、新版森田理論学習の要点、森田関係図書などが数多く用意されています。そのほか公開講演会、you tubeなどもあります。系統的に順を追って学習すれば、あらかた理解できるようになります。その際、集談会には森田理論に詳しい人がいますので、集団学習が望ましい。次に森田理論に沿って「まとめ」をすることが必要になります。自分の神経症の成り立ち、認識の間違いなどを整理してみるのです。できればそれを集談会で発表してみる。「まとめ」の仕方は、学習の要点を参照してください。集談会のテキストですから400円で簡単に手に入ります。ここまでくれば、今度はいよいよ森田理論の活用や応用に入りましょう。どこをどういうふうに応用すればよいのかという疑問が出てくるかもしれません。そういうときは、集談会の先輩に聞いてみましよう。先輩方は宝の山です。私は、凡事徹底に取り組んで日々の生活を楽しんでいる先輩、自分が持っているものをとんとん活かすことに取り組んでおられた先輩の影響を大きく受けました。活用している先輩にはいろんなタイプの人がおられます。自分に合った先輩を見つけることが大切になります。先輩会員はどんなことに気をつけたらよいのでしょうか。自分の森田理論の応用方法や活用ぶりを具体的に話してあげる。なんども繰り返して説明する。1回話しただけでは相手に届かないことがあります。強制はできません。これは私メッセージの応用です。相手がどう行動するかは相手次第ということになります。これだと森田理論の押し付けになりません。仮に相手に届かなくても希望を捨てないことです。先輩会員の生活から学ぶことができる人は、自分の生活を大きく変えることが可能になります。森田理論の活用や応用は人まねから入るのが一番早いと思います。そのうちご自分でも活用方法を見つけ出してみんなに教えてあげて下さい。そういう話があちこちから出るようになると、大きな刺激を受けます。そしていつの間にか自然に自分の生活や仕事ぶりが変化してくるのです。生きることが楽しい、「我が人生に悔いなし」が我々の目指すところとなります。
2022.11.04
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昨日の続きです。マナー・・・「ほかの人に不快な思いをさせない」というマナーも、子どものうちからきちんと教えるべきことです。スーパーやレストランに行く前には、あらかじめ「騒いで言うことを聞かなかったら帰るよ」と伝えておきます。お店は子どもにとって楽しい場所ですから、外出先で子どものテンションが上がってしまってから注意しても遅いのです。そして、その約束を破ったら、すぐに帰ります。ある日レストランに行ったときのことです。隣のテーブルの2歳くらいの子どもが騒ぎ始め、お母さんが何回注意しても言うことを聞きませんでした。すると、お母さんは食事をお持ち帰りにして、すぐさまお店を後にしたのです。つぎにそのレストランでその親子を見かけたときは、その子は静かに食事をしていました。アメリカでは、「お店で騒いだら帰らなくてはいけない」ということを学習させるために、あえて小さな子どもをレストランに連れていく親も多いようです。しつけをするうえで、「今回だけは特別」「もう一つだけ」「あと一回だけ」。それまでルールを徹底してきても、このような「例外」を作ったとたん、ルールは崩れます。一貫性のない子育てをしていると子どもの意志力を鍛えることが難しくなります。子どもが我慢する習慣を身につけている最中に親がルールを破ってしまうと、意志力を身につける訓練がそこで後退してしまいます。母親と父親の間でも、しつけに関して一貫性を持つ必要があります。うちの娘は、お願いごとがあるとき、私に対しては普段通りの態度でお願いをするのに、夫には泣きながらお願いをします。これは、夫がかわいい娘に泣かれてつい要求に応えてしまったために、娘が「パパは泣けばお願いを聞いてくれる」と学習したからです。「ママはダメでも、パパはいいと言ってくれる」と学習させてしまうと、子どもの自制心を鍛えるのが難しくなります。(世界一の子育て 中内玲子 フローラル出版 211ページより引用)ここで子どものしつけをまとめてみたいと思います。しつけとは、子どもが大人になって、やるべきことから逃避したくなった時、あるいは欲望が暴走しそうになった時、自動的に制御機能が働くような人間に育てていくことだと思います。ダメなものはダメなのだと自分を律することができる人間になることは大切なことです。しつけとは、子どもが自分の身体をいたわり、他人に迷惑をかけないで社会にうまく適応できるようになるために、親や祖父母が一時的に子供と対立しても、心を鬼にして取り組むべき課題であると思います。森田理論では、人間には精神拮抗作用が備わっているといいます。欲望の暴走を自ら制御できる仕組みのことです。その制御機能をきちんと作動させるためにはしつけの役割は大きいと言えます。親になった人は、神経症と格闘しながらでも、子どものしつけにも心を砕いてほしいものです。また一旦しつけの時期を逃してしまうと、後で取り返しがつかなくなることを肝に銘じておきましょう。
2022.11.03
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親になったら、夫婦が協力し、子どもをきちんとしつけるという目標に向かって行動することが大切になります。子供のしつけは、子供の将来のために、親は心を鬼にして取り組まなければなりません。子供が立派な社会人として自立してくれれば、こんなにうれしいことはありません。しつけは親が強制力を持って、子どもを親に従わせることです。ともすると親子喧嘩になります。しつけ方が問題になります。喧嘩はお互いに気まずくなりますので、しつけを放棄してしまう親もいます。そして学校の先生に丸投げしてしまう親もいます。反対に過保護になる場合もあります。逆に過干渉になることもあります。間違いやすいのは、しつけは親が子供に「かくあるべし」を押し付けていることにはならないのかということです。本当にそうなのでしょうか。きちんとしつけないと、子どもが健全に成長して、きちんとした社会生活を送ることができなくなります。後の祭りになってしまいます。それは親にとっても、子どもにとっても不幸なことになります。今日は子どものしつけについて考えてみました。子どものしつけについては中内玲子氏のお話がとても参考になります。「ダメ」と言ったのに子どもに泣かれて言うことを聞いた場合、子どもは「泣けば親は言うことを聞いてくれる」と学習します。これは、「泣けば言うことを聞くよ」と教えているのと同じことです。私は「やるべきことはやる」「ダメなものはダメ」を徹底しています。私が決めている「やるべきこと」「やってはいけないこと」は、「安全」「健康」「衛生」「マナー」に関わることです。これらは一度悪い習慣が身につくと直すのが大変なので、幼いうちからしっかりとルールを守らせます。安全・・・駐車場で走り回るのは非常に危険ですから、「必ず手をつなぐ」というルールを守らせます。チャイルドシートやシートベルトも嫌がる子が多いですが、かといって「つけなくていいよ」とは言いません。子どもがどんなに嫌がっていても、安全のためにルールを守らせ、守らないとどんな危険があるかその都度伝えます。健康・・・好き嫌いをせずに食べる、早寝をして十分に睡眠をとるといった健康にかかわることも守るべきです。子どもがご飯を食べたがらない場合は食べるように食べるように促したうえで、30分など時間を決めて時間内に食べなかったら食事を下げます。ご飯を食べずに、食後のデザートを先に食べたがることもありますが、「デザートはご飯のあと」というルールを徹底します。食事のタイミングもルールを決めて、「もうすぐご飯だからお菓子はなし」「食事の時間にきちんと食べなければ、その後はお腹が空いても食べられない」と宣言し、その通りに実行します。夜は早寝を心がけ、平日でも週末でも同じ時間帯に寝ます。睡眠ルーティンをつくることを心がけ、子どもが寝たがらなくても、就寝時間を守れるように心がけます。3歳くらいまではお昼寝の時間も十分にとります。衛生・・・手を洗う、顔や体、髪の毛を洗う、歯を磨くといった衛生習慣も嫌がる子が多いと思います。かといって、汚れたままでは不潔ですし、肌トラブルや虫歯につながります。髪の毛を洗ったあとにお湯で流すのも嫌がる子が多いのですが、嫌がっても洗わないわけにはいきません。シャンプーハットを被せるおうちもあるようですが、それだと顔に水をつけることに慣れず、自分で顔を洗えるようになるまでに時間がかかることもあります。喩えなかれても、赤ちゃんのうちから水に慣れさせるほうが、のちのち親も子も楽になります。次のマナーについては明日の投稿とさせていただきます。(世界一の子育て 中内玲子 フローラル出版 208ページ)
2022.11.02
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不快な感情が湧き上がってきたときどのように対応されていますか。無意識にその不快な感情を取り除こうとされていませんか。汚いものや毒物が体についたときと同じような対応をとられていませんか。人間の習性とはいえ、このやり方は自分を苦しめていきます。ではどうすればよいのか。森田では不快な感情を価値批判しないで十分に味わうことだと言います。感情には良いも悪いもありません。感情は自然現象です。それなのに不快な感情だけを忌み嫌い排除しようとするのはどうなのか。巨大台風がきたときに、それに対抗する人はいませんね。柳の木のように暴風雨に身を委ねるしかありません。敢えて抵抗すれば、巨大な松の木だって倒壊することもあるのです。抵抗しなければ、命までとられることはないわけです。不快な感情は味わうだけにして、決して反抗しないことが肝心です。でも不快な感情を取り除くことが習慣になっている人が、不快な感情を価値判断しないでじっくりと味わうことができるでしょうか。私は習慣として固着しているものを変えることは大変難しいと思っています。味わう代わりに何か他に有効な手立てはないのでしょうか。これについては次の方法が有効だと思っております。それは不快な感情を客観化することだと思います。これは、不快な感情に取りつかれたとき、「今不快な感情にとらわれて気が動転している自分がいる」と第3者的立場になって自分自身を見つめるということです。これを実践すると、売り言葉に買い言葉的な軽率な言動が抑えられるように思っています。それはほんの少しだけ冷静になれるからです。少しだけ間合いが取れるようになれるのです。落語でもこの間はとても大切にされています。この間合いをとることが、その後の展開を大きく左右すると考えています。この考え方は、マインドフルネスの中に出てきます。マインドフルネスに詳しい精神科医の藤井英雄氏は次のように説明されています。一歩引いた視点から客観的に自分と自分の感情を観ることができれば、いずれ自己嫌悪も立ち消えになります。つまり不快な感情に振り回されることがなくなる。不快な感情に気づいていることがマインドフルネスではありません。不快な感情が湧き上がってきた自分の存在を、第3者的な立場から観ることができるようになることがマインドフルネスです。これは意識して訓練することで、誰でも身につけることができるのです。森田理論は「感情は自然現象で意志の自由はない」と言います。不快でネガティブな感情が湧き上がった時、その感情を選り好みしないであるがままに受け入れるための方法として大いに役立つと考えています。(詳しいことは、マインドフルネスの教科書、マインドフルネス「人間関係」の教科書 藤井英雄 クローバー出版をご参照ください)
2022.11.01
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