「無所住心」は、不安の取り扱い方について重要なことを教えてくれています。
仕事や日常生活や付き合いの中で、さまざまな気づきや発見があります。
問題点や課題もでてきます。改善点や改良点もでてきます。
不安もでてきます。不安の中には、すぐに対応して解決できるものもあります。
対応方法が自分では全く分からないものもあります。
つまり不安は時の経過とともに次々に発生しているのが現実です。
神経症に陥る人は、あまたある不安が存在しているのに一つに絞ってしまう。
これさえ取り除いてしまえば、人生バラ色になると思っている。
これを重大視して、さらに膨らし粉を使って大きく膨張させている。
自分の一生を左右してしまうかのように錯覚して、何とか取り除こうともがいている。最終的にどうにもならないと思うと逃げ回ることになります。
自分が気になる不安以外は蚊帳の外です。放りだして見向きもしなくなる。
森田先生はこのような不安の取り扱い方は間違いだと言われています。
実際には様々な不安が発生してくるわけですから、「あれも気になる、これも気になる」という状態にすることが大切になると言われています。
昆虫が触角を四方八方に張り巡らせてピリピリしているように、あらゆる周囲の情報をキャッチする。
緊張感を持って、「ハラハラドキドキ」している心境が理想的だと言われています。このような状態になると、電車に乗った時、吊革を持たなくても、転倒することもなく、スリにも遭わず、本も読めると言われています。
もう一つ大事なことを言われています。
たくさんの不安や心配事がある場合、それぞれの不安や心配ごとに一旦とらわれるわけですが、特段の問題はなし、あるいは確認済みになったものからはすぐに離れる。
そして次の不安や心配ごとに飛び乗っていくことが大切になる。
鴨長明が方丈記に書いているように「流れに浮かぶウタカタはかつ消え、かつ結びて留まるところなし」と同じことである。
注意や意識は水が流れるが如く自由自在に流転させていかなければならないと言われています。
その際、確認しても、問題が解決しない。
むしろ放置していると後々問題が大きく膨らんでくるものもあります。
そういうものは疑問は疑問として、その解決の時節を待つよりほかはない。
それを一つ一つ解決して、しかる後に次に進むというのはダメである。
後ろ髪を引かれるような気持になるけれども、次の不安や心配ごとに移っていくのが正しい取り組みとなる。
解決の目途が立たないものは、一時棚上げにしてとりあえず目の前のことに集中する。後日時間のある時に改めて考えてみる。詳しい人を探して相談してみる。
(森田全集 第5巻 764ページ参照)
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