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1週間ぶりに帰宅。やっぱり我が家は落ち着く。1週間、激しく疲れて、しっかり休む。やっぱり1日でもちゃんと休めると、明日もがんばろうって思える。休みの日までだらだらと仕事して、うまくいかなかった日もあったけど、どんだけ忙しくても、どんだけ仕事が多くても休みはやっぱり必要。きっと社会人4年目になってみて、休み方がうまくなった。家で寝てるだけとか、ぱあっと飲んだり遊んだりするとか、単にそういうことじゃなくて、自分の心が素直に休まるような休み方をすれば、たとえ短い時間でも疲れが消えていくことがわかった。スケジュールが如何にハードだとか、どれだけ寝てないだとか、そんなことは別にどうでもよくて、そんな中でどれだけちゃんとうまく休んでいい状態で仕事に向かえているかが大事。やりたくない仕事も山ほどあるけれど、ちょっとは月曜から仕事するのが楽しみでもある、と素直に言える。__________________________________________________________________やっぱりすごい先生はすごい。ホントにちゃんと人を見てるんだなぁと思う。こういう先生のもとで修行できるなら、今すぐにでも先生になりたい、と思うくらい。ホントに子どもに真剣に向き合う先生には、卒業した後にいろんな世界で活躍する教え子がいて、そういった教え子から、先生もまた新しい価値観を得たり、新しい考え方を学んだりして、新たな教育観で子どもに向かっていく。学校という場で、目の前の子どもに一生懸命になっている先生ほど、ちゃんと広い視野も自然と持ちあわせている。目の前の子どものために、と思えば思うほど、自然とそうなるんだと思った。_________________________________________________________________先手先手でやれば、何でも楽しい、ということが、改めてよくわかった。そして、やりたくないことでも、全く別の視点でやり方を変えてみると、面白くなることもわかった。やりたくないことの内容は無視してしまって、そのタスクが完了するまでのプロセスをゲームにしてしまう。これができれば、何でもやっていけそうだ。
2005年04月24日
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東京に行くたびに思う。何だろう、この東京という街は。きっと単に自分が意識しすぎなんだと思うけど、東京という街の感じが好きじゃない。なんか受けつけない。好きになりたいんだけど、どうも好きになれない。自然が恋しくなる。木とか、緑とか、そういう自然じゃなくて、人間として自然な、そんな感じ。全くもってうまく表現できないけど、そんな感じ。う~ん。何というか、東京って情報がやっぱり多すぎるんじゃなかろうか。そういう場所だと、僕みたいに心がしっかりしていない人間は、どーでもいい情報にたくさん振り回されて、いつの間にか自分の心がどっかにいってしまって。。。みたいな。そしてそういう人が東京にはたくさんいて、またどーでもいい情報やモノがたくさん生まれては消えていく。すごい自分勝手で悪い印象だけど。とまあ、こんな風に思ったり感じたりしながらも、どーでもいいモノをほったらかして過ごしていれば、東京でも心豊かに過ごせることもわかった。よくわからんが、そんなことを思ってみた。
2005年04月23日
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光陰矢のごとし。あっという間に一週間が終わる。こうやって、人生はあっという間に終わってしまうんじゃないかと思ってみたり。新しい可能性を感じると、わくわくする。人と違うことをやりたい。人と違うことができる環境はある。あとは自分次第やな。自覚しているが、どうやら褒められると調子に乗るらしい。まあそれで好調なら全然問題ないんだけど。気持ちが強すぎると、ヘンに空回りするのかも知れない。要は伝え方の問題のはず。できるだけシンプルに。
2005年04月14日
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よーく話が通じるようになって、すんごく共感することもあれば、1年たっても全然話が通じない相手もいる。まあ当たり前のことなんだけど、そんなことで喜んだりぐちったり。喜びが大きくなるぶん、腹立ちも大きくなる。きっと去年の今頃よりも喜怒哀楽が激しいはず。「楽しい」という感覚ではないけれど、「なんかこれはおもろいな」という感覚は増えてきた。「楽しもう」とヘンに意識するわけじゃなくて、「こうなったらおもろい」と自然に感じる。知識とか経験が積み重なったからなんだろうなと思う。なんだかんだで積み上げる土台がないと無理なんだな。英語の成績がめちゃくちゃ伸びたときも、さんざんガマンしながら単語と文法をやりまくっていた。そしたら半年たってやっと長文を読むのが面白くなった。仕事もそれと同じはず。一足跳びに大きなことをやりたいとか思ったりするけど、結局は下積みがないと、いつまでたってもできないってことだ。あと2年はまだまだ下積み。下積みでも、少しずつできることが増える喜びは変わらない。できることを増やしつつ、おもろい仕事を増やしつつ、やりたい仕事に自分を近づけていく。
2005年04月13日
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久しぶりに電子ピアノを開けた。といっても練習ではなく、クラシック鑑賞。夏のボーナスで買ったはいいが、結局練習はほとんどやらず。平日いないから休日だけ練習してもなかなかね、、、という言い訳に見事に負けてしまっている自分。そのうち、もう10年以上も前の感覚が少しずつでも戻って何曲かひけるようになれればいいやと思ってるから、まあ仕方ないと思いつつ。それにしても、あらかじめプログラムされている曲を聴いてみると、純粋に感動する。子犬のワルツなんて、よくもまぁこんだけ弾けるもんだとあきれる。でもって、クラシック音楽の良さも感じてみたりして、いい気分になれた。う~む。練習、、、再開する??
2005年04月10日
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昨年退職された先輩の結婚式2次会に参加した。お気に入りのスーツを着て出席した。いつものメンバーがみんな着飾っていて、ちょっと新鮮だった。たまにはいいもんだ。いい服を着ると、気分もよくなる。また新しい服でも買いにいこう。さくらが咲いていた。ウチのすぐそばの公園にある10本ほどのさくらの木が全部満開だった。遊んでいるのは、子どもたちだけ。絶好のお花見スポット。人ごみを気にしたり、帰りの電車を気にしたり、なぁ~んにも障害なく、のんきにお花見ができた。最高。それにしても、さくらって見れば見るほど、ホントに花がたくさんつくんだなぁと感動。枝という枝に、びっしりと花が鈴なり状態。よくよく見ると綺麗なもんだと感心した。近くの畑の菜の花も満開。薄着で花見。春を感じた一日でした。
2005年04月09日
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去年1年お世話になった顧問の先生に年度始めのご挨拶。軽くご挨拶の予定が、話が盛り上がってしまい、晩御飯に誘われた。教え子が経営するフランス料理の店へ。こちらが口を挟む間もなく、フルコースを注文され、何だかとっても申し訳ない気分。おいしい料理をいただきながら、たくさん話を伺った。前から他の人に聞いてはいたが、話を聞くうちに、あまりの趣味の広さにビックリした。進路部長としてある学校を生まれ変わらせたり、国語教師として指導のノウハウを県下に大きく広めたり、という「高校教師」としての仕事だけでなく、県でも指折りの規模の保育園の園長で英語教育をしていたり、フルートの奏者だったり、日本画で個展を開いたり、舞台の脚本を書いたり。。。それも、単なる趣味レベルでは全くないのがすごい。そのひとつひとつが、それだけで一人のプロとしてやっていけるだけのレベルに達している。一体この人は何なんだろう。話を聞くうちに、一人の人間がこれだけのことができるようになる、というのが、本当に信じられなくなった。しかも65歳という年齢を一切感じさせない振る舞いぶり。帰りの新幹線の中で、何度も思い出し、改めて尊敬の念を抱いた。僕らにとって「若さ」というのは大きな武器ではあるけれど、その「若さ」をおごってはいけないことを痛感した。単に年齢だけではないけれど、平たく言うと「人生経験」の圧倒的な差を強烈に感じた。ひとつひとつの瞬間を、本当に一生懸命だったり、楽しみながらだったりして全力で過ごしていくと、こういう人になれるんだろうか。いや、でもそれだけしてもなれないかも知れない。そんなことをあれこれと考えた。この1年半、幸運なことにいろんな場所で、本当に尊敬できる人にたくさん出会った。前の仕事をしていたら出会わなかったであろう、40代、50代、60代の人生の先輩。そして、自分よりも、2倍も3倍も生きている人に会って思ったこと。それは「生きる」ことによって、その人が得てきた経験とか、その人の主張とかは、自分たちよりもずっとずっと奥の深いもののはず。だからこそ、そういう人の話をもっとたくさん聞くべきなんだと思う。特に教育という分野はそうだ。「学校の教師は世間を知らなくて。。。」なんて簡単に言うけれど、確かにそういう部分はあったとしても、何十年という時間をかけて、何百人、何千人の子どもと接してきているという時点で、自分たちとは違う経験をたくさん持っていることは確かだ。子どもと接した時間・経験=教育のプロというわけではもちろんないけれど、それでも、それだけの時間・経験からくる主義主張は、一人のプロの言葉として、尊敬の念を持って耳を傾けるべきことのはずだ。教育は誰もが論じられる領域であるが故に、プロである「現場の教員」の言葉が軽んじられすぎるのだと思う。だけど、やはりそれは間違っている。たとえ退職した先生でも、時代は違えども、教育の根本にあるものはきっと現代に通じるものがあって、たくさん学ぶべきものがある。有名な先生でなく、一教師として定年まで過ごしてきた人でも、それは共通して言えることのはず。昔、三国志を読んでいてこんな場面があった。曹操が行軍の途中、長寿の村を訪ねたときに、「余は老人を尊敬する。これだけの激動の時代に、70年、80年という年月を生きてきたというだけで、それは何よりもすごいことで尊敬すべきことなのだ」と言ったという。小学生の頃に読んだことだけど、今でもその場面をなぜか覚えている。そう。まさにそうなんだと思った。今生きている80代、90代の人たちは、みな戦争を経験し、想像を絶するような苦労を通りぬけて、ここまで生きているはず。そう考えると、ひとりひとり尊敬できる人たちなんだと思う。自分も含め、最近の若い人間には、こういう年上の人を尊敬する気持ちが薄すぎるように思う。それは、年上の人から学ぶべきことを学ぼうとしていないということ。それは、結局自分にとって、一番もったいないことだ。今年も日々の仕事、生活の中で、たくさんの先輩に出会う。どれだけすごい先輩に出会えるか。これで自分の人生は大きく変わると思う。だからこそ、ひとつひとつの出会いを逃さぬように、ひとつひとつの出会いを無駄にしないように、この1年を過ごしていこうと思う。
2005年04月08日
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