全7件 (7件中 1-7件目)
1

.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『ビゴー画集―諷刺・風俗素描』という本を手にしたのです。パラパラとめくると、漫画調のもの、実写調のもの、風刺画、とジャンルも多彩で・・・画集と銘打ってあるとおり、とにかく線描画、銅板画のオンパレードなのが嬉しい。【ビゴー画集―諷刺・風俗素描】ジョルジュ・ビゴ-著、岩崎美術社、1973年刊<カスタマーレビュー>より今は亡き岩崎美術社からの「双書 美術の泉」からの1冊。出版社の倒産により現在は古書かバーゲンブックといった方法でしか入手できなくなっています。良質なシリーズでしたので他社からの復刊を望みたいですが、難しいでしょうね。<読む前の大使寸評>パラパラとめくると、漫画調のもの、実写調のもの、風刺画、とジャンルも多彩で・・・画集と銘打ってあるとおり、とにかく線描画、銅板画のオンパレードなのが嬉しい。amazonビゴー画集―諷刺・風俗素描巻末の解説の一部を、見てみましょう。p1~8<ジョルジュ・ビゴー探索:酒井忠康> 明治19年12月11日の『朝野新聞』に、いささか困惑ぎみの、つぎのような記述がある。 「先年我くにへ渡来し自今麹町五番町辺に住居する仏国の画工ビゴーは我東京市中を徘徊せる紙屑拾いあるいは新内語りなどの緒商人を呼び入れ日本人の最も賤しき状態を写してその本国へ送りやるとのことなるが、これ等は大いにわが国風に関し外人の軽蔑を受ける一端ともなるべければ何とか御免を蒙り度きものなり」。 当時の人たちが、おおやけには、国粋的感情のつよいころであったから、この「仏国の画工ビゴー」にたいする眼も、しぜん厳しいものになっていたのはありそうなことだ。しかし、かならずしもこういった厄介者あつかいにばかりされていたわけではない。ビゴー自身は、フランス人特有の愛嬌のある男で、なかなかの社交家であった。 シャレものではあったが、本質的な画家の眼をもった、かなり切れ味のいい人物である。どんな男かといえば、ビゴーはずんぐりした図体で、まる顔でラテンふうのドジョウひげを生やし、ときどき中折り帽子をかぶっては、ぶらり散見して歩いていたらしい。ニ、三度ビゴーに会ったことのある、長原止水の談によると、ビゴーは、畳の上に日本の机をすえ、マドロスパイプで煙草をすって、いかにも一癖ありそうな人物であったという。 この「一癖ありそうな」男は、パリはカルチェ・ラタンの小官吏の子として、1860年4月7日に生をうけている。早く父をなくし、母の手ひとつで育てられ、そのためか非常に淋しがりやだったそうである。母が余暇に絵筆をもったらしいから、その影響で画家となったのだろう。 1872年に美術学校に入り、肖像画で名高いカロリュス・デュランやレオン・ジェロームの指導を受けた。山本芳翠や藤島武二も。ここで学んでいる。やがて、ラ・ヴィ・モデルヌ社に入り、エミール・ゾラの『ナナ』の挿絵をかいたり、『ル・モンド・パリジャン』紙に挿絵を寄せながら、エドモンド・ド・ゴンクールなどと親交をむすんでいる。日本趣味の洗礼をうけ、1881年(明治14)の暮、日本にむかう。21歳から22歳ころのことである。 日本では、はじめ官職にあって、当面の生活は安定していたわけであるが、どういう理由からか、三味線をひき月琴を愛す好奇心の旺盛な「変な外人」として、粋な日々を送ることになる。■粋なお雇い外国人 ジョルジュ・ビゴーは、「」とか「」などと書いて、日本名にして得意がっていたが、来日したのは、1882年(明治15)1月15日のことである。『』の記事では、明治16年となっているが、『』には、明治15年の1月15日に来日し、10月15日から翌々年の10月14日までの2年間、陸軍士官学校の画学教師になっていることが書かれている。渡部修二郎『』にも同じ記録があり、月給60円のお雇い外国人のひとりだった。(中略)■『トバエ』、官憲を困惑さす さて、ビゴーといえばすぐ連想されるのは、『トバエ』のことである。明治20年(1867)2月から横浜居留地の海岸五番館クラブ・ホテル滞在中に発刊し、和紙に石板刷のもので26冊ほど出されている。月に2回の発行で、ちょうど1年ぐらい続いたことになる。 これもやはり風刺雑誌で、チャールズ・ワーグマンの発行した『ザ・ジャパン・パンチ』につぐものである。『ザ・ジャパン・パンチ』は、奇しくも、『トバエ』発刊の数ヶ月前に終刊している。ワーグマンの筆致にくらべると、ビゴーの『トバエ』は、したたかな諧謔味があって、暴露時代の今日のわれわれにはおもしろい。『トバエ』という名は、平安末期の画僧、鳥羽僧正の戯画にまつわる、いわゆる「鳥羽絵」からとったものだ。 はじめに述べたように、ビゴーの辛辣な政治風刺は、しばしば日本の官憲の眼にふれ、官憲の内部側にも、ビゴーに対する批判がないわけではなかった。(中略)トバエの数枚を見てみましょう。 彼自身、『トバエ』では第一号の表紙にピエロ姿で登場するのをはじめ、ときどき思いがけないところに自分の顔を出している。
2026.09.08
コメント(0)

.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館に予約していた『言ってはいけない中国の真実』という文庫本を待つこと8日でゲットしたのです。同じ著者の『上級国民/下級国民』という本を予約しているが、なかなか巡ってこないので、ちょっと前に刊行されたこの本を予約したら、即入手できたのです。【言ってはいけない中国の真実】橘玲著、新潮社、2018年刊<「BOOK」データベース>より崩壊説を尻目に急速な経済成長を遂げた人口13億の大国・中国。満州からチベット、内モンゴルまで、その隅々を旅した著者は、至るところで不動産バブルの副産物で「鬼城」と呼ばれるゴーストタウンに出くわす。高層ビルが林立する超モダンな廃墟が建てられる元となった「錬金術」の仕組みに着目し、日本と異なる国家体制、組織のあり方、国民性を読み解く新中国論。<読む前の大使寸評>同じ著者の『上級国民/下級国民』という本を予約しているが、なかなか巡ってこないので、ちょっと前に刊行されたこの本を予約したら、即入手できたのです。<図書館予約:(1/18予約、1/26受取)>rakuten言ってはいけない中国の真実人口ボーナスと人口オーナスが語られているので、見てみましょう。p193~196<生産年齢人口が減少するとバブルがはじける?> 日本は敗戦後にアメリカの占領下で経済の復興を成し遂げたから、アジアの国々のなかではもっとも早く人口ボーナスを享受することになったが、その分だけ人口ボーナスが終わるのも早かった。 団塊の世代がリタイアするようになると、若者よりも高齢者の数が多くなる逆ピイらミッド型の人口構成になる。そうなれば、働き手一人あたりの社会的な負担は重くなって可処分所得は減り、そのうえ将来の増税や社会保障の削減を見越して消費を控えるから景気が悪くなる。 人口が減れば必用な住宅の数も数なくなって、と院など一部を除けば地価も下落するだろう。このように人口構成が経済成長の重荷になった状態を「人口オーナス(負荷)」という。 長期的に見れば、人口ボーナスというのは需要の先食い(前借り)であり、人口オーナスでその儲けを吐き出すことになる。『老いていくアジア』で大泉氏は、日本の高度経済成長が人口ボーナスで説明できるように、1990年代以降の「失われた20年」は人口オーナスで説明可能だとしたうえで、東アジアの国々でも、いまや遅れてきた人口ボーナスが終わりつつあると述べる。 人口ボーナスの時期にちがいがある理由は、それぞれの国の現代史を見ればすぐにわかる。韓国は朝鮮戦争が、中国は膨大な餓死者を出した大躍進政策と文化大革命が、ベトナムはアメリカとの長い戦いがあって、本格的なベビーブームの時期が日本より「」と呼ばれた韓国、台湾、香港、シンガポールは日本からほぼ20年遅れて人口ボーナスが始まり、1980年代に「東アジアの奇蹟」を起こしたがこれらの国の出生率は日本よりも低く高齢化が急速に進んでおり、この1~2年で人口オーナスの時期に入ることになる。 文化大革命後にベビーブームの起きた中国は日本からほぼ30年遅れて人口ボーナスが始まり、1990年代からの改革解放による爆発的な経済成長につながった。中国の成長が他のアジア諸国を圧倒したのは、多産少子から少産少子への移行から生じる人口ボーナスとともに、農村から沿海部の都市への労働人口の大規模な移動が生産年齢人口の急増をもたらし、人口ボーナスの効果にレバレッジをかけたからだ。 しかしその中国も、一人っ子政策などの影響で少子高齢化が進むのも速く、2010年代からは人口ボーナスの効果はほとんどなくなり、早晩、人口オーナスの停滞期を迎えることになる。『言ってはいけない中国の真実』1:鬼城(ゴーストタウン)のメカニズム
2026.09.07
コメント(0)

.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『図説不思議の国のアリス』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると・・・この本にはアリスとキャロルのポートレート、キャロル自筆のイラスト、ジョン・テニエルの挿絵、アーサー・ラッカムの挿絵などがてんこ盛りであり、まさにビジュアル本という感じでおます。【図説不思議の国のアリス】桑原茂夫著、河出書房新社、2013年刊<「BOOK」データベース>よりおかしな住人の出自を探り、奇妙な論理を読み解く、魅惑のワンダーランドの完全ガイド。【目次】序章 不思議の国への招待(『不思議の国のアリス』の成立/地下の国こそ不思議の国 ほか)/第1章 アリスの「不思議の国」へー『不思議の国のアリス』を読む(ウサギ紳士に誘い込まれたアリス、深い穴を落下/いきなり小さくなったアリス ほか)/第2章 アリスの「鏡の国」へー『鏡の国のアリス』を読む(アリス、鏡の国でチェスの駒を驚かせる/鏡を通して見ればちゃんと読める文字 ほか)/第3章 アリスとキャロルと写真術(キャロルにとっての写真術/キャロルの時代の写真術 ほか)<読む前の大使寸評>この本にはアリスとキャロルのポートレート、キャロル自筆のイラスト、ジョン・テニエルの挿絵、アーサー・ラッカムの挿絵などがてんこ盛りであり、まさにビジュアル本という感じでおます。rakuten図説不思議の国のアリスジョン・テニエルの挿絵を、見てみましょう。p37<ドードー> このドードーの姿は、作者キャロルも、また少女アリス・リデルもともに親しんでいたであろう。クライスト・チャーチにある自然史博物館に掲げられたドードー像に生き写しである。すでに幻の絶滅動物に対するキャロルの哀惜の思いがこの登場の仕方からも伝わってくる。それにしてもうしろのほうからのぞき込むようにしているサルの存在も気になるところだ。物語にはまったく登場してこないのだから。アーサー・ラッカムの挿絵を、見てみましょう。p62~63<法廷は大荒れ。アリスは叫んだ!> 「平気よ! あなたたちみんな、ただのカードじゃないの!」 このとたん、すべての登場人物や動物たちはカードとなって空中に舞い上がり、アリスの上にふりかかった。そしてこれこそが、不思議の国での冒険のフィナーレであった。 夢はおわった。キャロル自筆のイラスト、見てみましょう。p57<ウミガメモドキ>(ルイスキャロル直筆のオリジナル原稿のイラスト絵より)キャロル自筆のウミガメモドキ。いわくいいがたいおかしさと不気味さがある。ウン いわくいいがたいというか、シュールやなあ♪『図説不思議の国のアリス』1
2026.09.06
コメント(0)

.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************<仏文書籍あれこれR1>最近、図書館で借りた本と、古い蔵書なんですが、仏文書籍について適当に集めてみます。なお、辞書や専門書は除外します。・『Voyage au centre de la Terre』2009年刊・『Au sud de la frontiere, a l'ouest du soleil』2008年刊・『Apres le tremblement de terre』2002年刊・『KAFU Le Bambou nain』1998年刊・Polaroids de Jeunes Filles(1994年刊)・LE JACASSIN(1970年)・Le Petit Prince(1968年)・L'histoire vecue de la seconde guerre mondialeII:Le siege(1963年)R1:『Voyage au centre de la Terre』を追加【Voyage au centre de la Terre】Jules Verne著、Livre De Poche、2009年刊<商品の説明>よりFollows Professor Lidenbrock, his nephew Axel, and their guide Hans as they venture deep into a volcanic crater in Iceland on a journey that leads them to the center of the earth and to incredible and horrifying discoveries<読む前の大使寸評>なんと言っても、l'edition originale の挿絵が大量に載っているのが嬉しい♪amazonVoyage au centre de la Terre***********************************************************************【Au sud de la frontiere, a l'ouest du soleil】村上春樹著、Distribooks、2008年刊<カスタマー・レヴュー>よりEcrit alors que Murakami est toujours en exil (a Princeton aux Etats-Unis), "Au sud de la frontiere, a l'ouest du soleil" n'est publie que quatre ans apres son predecesseur, le tres fumeux "Danse, danse, danse".En lisant la quatrieme de couverture, je prends peur: on craint le Murakami sentimentaliste qui avait a mon sens completement echoue dans "Norwegian Woods/La ballade de l'impossible".Heureusement, "Au sud..." n'a rien a voir.D'abord parce que le style est profondement resserre, et la chronique des 37 ans de la vie de cet homme, Hajime, ne prend que 200 pages environ. Pourtant on sait beaucoup de choses de lui a la fin du roman, et le lecteur est devenu, un peu, son intime.<読む前の大使寸評>おお 村上春樹作品の仏訳版ではないか・・・ということで借りたわけでおます♪尚、太子の借りたペーパーブックは、BUSSIERE CAMEDAN IMPRIMERIES社、2002年版のものでした。amazonAu sud de la frontiere, a l'ouest du soleil【太子注】この本の日本語原題は「国境の南、太陽の西」で、村上春樹の7作目の長編小説です。***********************************************************************【Haruki Murakami-Apres le tremblement de terre】Haruki-Murakami著、10*18、2002年刊<カスタマー・レヴュー>より①Un simple battement d'aile de papillon en Amazonie peut-il declencher par une reaction en chaine un tremblement de terre au Japon ? Cela tombe bien, Murakami nous le prouve dans cette suite de nouvelles, toujours aussi subtiles, profondes et surnaturelles ! Oui, un evenement peut bouleverser votre vien comme la lecture de mon commentaire et l'achat de ce roman que vous ne regretterez pas !②この短編小説集は、阪神淡路大地震の闇と少なからず孤独な心が通ずる主人公達の魂の再生の物語だと私は理解しました。最後の「蜂蜜パイ」の淳平は西宮市夙川出身で早稲田の文学部を卒業した短編専門の小説家、つまりそれはもう一人の有り得たかもしれない村上さんの姿でした。本書は読者の人生経験に即して深いメッセージを伝えることが出来る優れた短編小説だと思います。<読む前の大使寸評>「神の子どもたちはみな踊る」が含まれた短篇集であるが、「Apres le tremblement de terre」(大震災後)という書名の日本版なんてあったかな?amazonHaruki Murakami-Apres le tremblement de terre『Haruki Murakami-Apres le tremblement de terre』2:「蜂蜜パイ」の冒頭『Haruki Murakami-Apres le tremblement de terre』1:「神の子どもたちはみな踊る」の冒頭***********************************************************************【KAFU Le Bambou nain】Ccatherine Cadou訳、Picquier poche、1998年刊<「BOOK」データベース>よりデータなし<読む前の大使寸評>この本をチョイスしたのは表紙の浮世絵がキレイだったこと、それと錆びつきかけたフランス語のブラッシュアップになると思ったからです。amazonKAFU Le Bambou nain***********************************************************************【Polaroids de Jeunes Filles】Jean-Philippe Delhomme著、光リン社、1994年刊<商品の説明>よりフランスのイラストレーター、ジャン・フィリップ・デロームの作品集。1988年から1992年の4年間にわたり、フランスのファッション雑誌『グラムール』に連載された中から後半に掲載された作品95点をショートストーリーとともにまとめた一冊です。<読む前の大使寸評>日本の新書より大きくて細長い特殊サイズである。各ページの構成は。上半分にカラー画像、下半分にストーリー文章となっていて、これまた独特でおます。なお、私が借りた本の表紙はモノクロ(左側)の方です。yahooPolaroids de Jeunes Filles『Polaroids de Jeunes Filles』1***********************************************************************【LE JACASSIN】Daninos Pierre著、Le Livre De Poche、1970年刊<大使寸評>皮肉、かつお笑いの辞典であるが、この本だけで仏語を修めるものではありません(当然です)本屋ではHacshtte社のLE LIVRE DE POCHEシリーズがすぐ目に付くが、このシリーズは日本の角川文庫、岩波新書などよりもっとシェアが大きいシリーズなんでしょう。AmazonLE JACASSIN***********************************************************************【Le Petit Prince】Antoine De Saint-Exupery著、HEINEMANN EDUCATIONAL、1968年刊<「BOOK」データベースより>ふるさとの星を出発した星の王子さまは、命令好きの王さまの星や、うぬぼれ男の星などを旅します。最後に地球にやってきて、サハラ砂漠で飛行機を修理中のパイロットに出会います。心をとらえて離さない不思議な物語。<大使寸評>私が買ったのはHEINEMANN EDUCATIONAL社(英国)のハードカバーであるが、さすがにこの本はアマゾンで出なかったので、アマゾンのMariner Books社の情報を載せました。AmazonLe Petit Prince『星の王子さまのはるかな旅』2:砂漠の王さま『星の王子さまのはるかな旅』1:星の王子さまが生れたところ***********************************************************************【L'histoire vecue de la seconde guerre mondiale II : Le siege】Marabout社、1963年刊<裏表紙説明>よりEn 500 photos et 100 000 mots, cet ouvrage uni-que en son genre nous presente la -guerre 1940/45 comme une experience humaine complete, tant a l'echelle des nations que des individus. Chacun des quatre volumes forme un tout, mais, ensemble, ils tentent une exploration en profondeur de l'epoque contemporaine. L'histoire vecue de la seconde guerre mondiale donne une vision immediate et saisissante des divers aspects de la plus complexe, la plus tragique et la plus heroique epopee que l'humanite ait enduree.Ce deuxieme tome de l'histoire vecue de la seconde guerre mondiale s'ouvre sur la resistance acharnee de la Grande-Bretagne contre les as-sauts de la machine de guerre nazie. II se pour-suit par les hostilites dans l'Atlantique Nord et la Mediterranee, l'invasion des Balkans et de la Grece, le combat-poursuite dans les deserts d'Afrique, l'attaque-suicide de l'Allemagne contre la Russie et l'inhumaine cruaute des batailles d'hiver. Pearl Harbour et la suite des victoires japonaises en Extreme-Orient terminent le volume.<大使寸評>第2次世界大戦シリーズで日本にも言及しているので、軍事オタクにとって見過ごせない本である。フランスの書籍ECは古書に関しても、いけてるやん♪bibliopocheL'histoire vecue de la seconde guerre mondiale II : Le siegeフランス語リンク集/All Aboutフランス関連の蔵書
2026.09.05
コメント(0)

.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)このところ、早朝や夕刻にツバメが飛んでいるのを見かけるが・・・彼らの季節感は温暖化の影響で乱れていないだろうか? 我ら人類の季節感は既に壊れているのだが。*********************************************************今日は我が町のツバメたちが見えないぞ・・・どうやら昨日、旅に出たようです。とにかく温暖化のせいで、七十二候の「玄鳥去」から、実態が1ヵ月ほどズレているようです。ということで、以前の日記から復刻します。***********************************************************************日に日に、群れで飛ぶツバメが少なくなっているような、このごろですね。七十二候に「玄鳥去」というのがあるけど・・・どうも我が町生れのツバメたちは、もう飛び去っていて南の地域を移動中ということのようです。ネットでこんなサイトがありました。七十二候「玄鳥去(つばめさる)」。巣立ったヒナは、どんな旅に出るのでしょうかより■もう帰る巣のない幼鳥たち。「渡り」を前に、集団で暮らします 食糧や繁殖のため定期的に長距離を移動する『渡り鳥』。日本でもいろいろ見られます。ツバメなどの「夏鳥」は、春に来て子育てし、秋になると南の国に去っていきます。オオハクチョウなどの「冬鳥」は、越冬するために北の国から日本にやってきます。チドリなどの「旅鳥」は、北国で繁殖し南国で越冬するため、中継地点として日本を通りかかります。 人間の世界では、転々とする苦労人を「渡り鳥」と表現したりしますが、『渡り』の旅はまさに苦労の連続。嵐や天敵など危険もいっぱいです。ツバメたちも、毎回命がけで種の楽園をめざします。 5月下旬。生まれてからおよそ20日で巣立った一番子のヒナたち。ツバメは2回子育てをする親が多く、生まれた巣は、これから育つ弟妹(二番子)たちのもの。巣立った子の居場所はありません。 そこで、幼鳥たちは集まって、出発の日まで水辺のアシ原や大きな樹木などで集団生活をします。早く一人前にならないと、南の国に渡っていけません。渡り鳥としての自覚を高める寮生活といったところでしょうか。幼鳥は、尾が短いので遠くからでもよくわかります。 夏になると、2回目の子育てが終わった親鳥たちも集団に加わります。夕方、空にたくさんのツバメたちが集結して、日が沈むと一斉にねぐらに入っていきます。「集団ねぐら」は毎日少しずつ移動するうえ、夜明けにはツバメたちはもう飛び立っているので、なかなか見つけにくいようです。集団はだんだん大きくなり、秋には数千~数万羽もの大群になるといいます。■歩かないツバメ。渡り鳥を見送れる場所をご存じですか? ある日の明け方前に小グループで出発。親鳥から先に南へと旅立ち、幼鳥は渡る体力がつくのを待ちます。連れて行ってはもらえません。7月後半になると、ねぐらは親の割合が少なくなってきます。それでも10月頃までには、皆出発するようです。 渡りにはいくつかのコースがあるようです。まだ一度も通ったことのない何千キロもの空の道を、親もいないのに、幼鳥はどうやって迷わずに行けるのでしょう? ツバメには、目印のない海の上でも目的地に向かって飛び続けられるよう、太陽や地磁気によって方角を知る能力があるといいます。さらには、目的地に近づくと地形や目立つ建造物をたよりに正しい場所を見つけるのだそうです。生まれながらに「渡る力」が備えられていたのですね。 ツバメの体は、空中生活用にできています。食事はもちろん、水浴びすら下に降り立つことなく水面すれすれを飛びながら一瞬で(カラスもびっくりの瞬間行水で、水飲みとの区別がつかないくらいです)。大きな翼は長距離飛行に耐える丈夫さなのに、退化した足は弱くて歩くのが苦手。他の小鳥と比べて巣立ちまでの日数が長いのは、巣立ったらすぐ飛ぶ必要があるためです。 高速で飛びまわりながら小さな虫を見分ける目。飛んでいる昆虫をくわえとりやすいように大きく深く開く、嘴。上嘴には左右5本ずつくらいヒゲがあり、虫取りアミの役割をします。 飛行速度は時速45km、最高時速は200kmともいわれます。また、長い尾や翼のひと振りで、急旋回・急降下・停止飛行も思いのまま! 多くの渡り鳥が、気流が安定していて天敵に襲われにくい夜間に渡るなか、飛翔力に優れたツバメは、昼間に堂々と渡っていくのです。体力のついたツバメたちは南の地域を移動中のようだが・・・来年の春にまた帰っておいで。
2026.09.04
コメント(0)

.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『飛行士たちの話(新訳版)』という文庫本を、手にしたのです。おお この本は旧訳版で見た覚えがあるで・・・ということで、再度借りたのです。【飛行士たちの話(新訳版)】ロアルド ダール著、早川書房、2016年刊<「BOOK」データベース>より偵察飛行に向かってから二日後に帰投したパイロットは、その間の記憶を失っていた。だがある戦闘中、仲間が撃墜されたのを見た彼は不可解なことをつぶやき、何もかも思い出したと叫び出す。彼が見たこの世のものとは思えない光景とは?後世の作品に多大な影響を与えた幻想譚「彼らに歳は取らせまい」をはじめ、従軍経験をもとにしたデビュー作など、著者のストーリーテラーぶりを存分に味わえる10篇収録の処女短篇集!<読む前の大使寸評>おお この本は旧訳版で見た覚えがあるで・・・ということで、再度借りたのです。amazon飛行士たちの話(新訳版)ハリケーン「カティーナ」の続きを、見てみましょう。p173~176<カティーナ> 夕食後、われわれ三人はモンキーと一緒に格納庫に行った。モンキーが言った。「機銃掃射が気にはなるけれど、ドイツ軍は絶対に格納庫を攻撃してこない。なぜなら、格納庫の中には何もないってことを知ってるからだ。で、今からわれわれ4人で4機運んで、第二格納庫に隠しておこうと思うんだが」 いいアイデアだった。通常、ハリケーンは飛行場の周囲のあちこちに分散して駐機させる。ずっと飛ばしておければいいのだが、そういうわけにもいかない。その結果、一機ずつ敵に狙い撃ちされていた。われわれ4人はそれぞれハリケーンに乗り込み、タキシングして第二格納庫に入れた。全機格納すると、4人で力を合わせて巨大なスライドドアを閉めて鍵をかけた。 翌朝、太陽が山の背後から姿を見せるまえにユンカース87の一群が襲来し、第二格納庫は吹き飛ばされ、あっさりと地表から消え去った。彼らの爆撃は正確で、両脇の格納庫は被弾すらしなかった。 その日の午後、ピーターがやられた。ハルキスという村がユンカース88に爆撃されているという知らせを受けて彼が出撃したのだが、そのあと二度と彼の姿を見ることはなかった。陽気で笑顔を絶やさない男だった。ケント州の農場にいる母親が送ってくる淡いブルーの細長い封筒をポケットにしまい、それを肌身離さず持っているような男だった。 この中隊に配属されて以来、私はいつもピーターとふたりで同じテントを使っていたのだが、その夜も私がベッドにはいったあと、ピーターがテントに戻ってきた。信じてくれなくてもいい。そもそも信じてもらえるとは思っていない。それでもこれはほんとうの話だ。 いつも私のほうが彼よりさきにベッドにはいっていた。というのも、われわれが使っていたのは、ふたりの人間がすれちがうこともできないほど狭いテントだったからだ。ピーターは毎晩2分か3分ぐらい遅れてテントに戻ってきた。その夜、私はベッドに横になって考えた。(中略) まったくいつもと変わらなかった。どさっという音、簡易ベッドの木製の脚が軋む音。フライングブーツを片方ずつ脱いで地面に放る音。いつも片方を脱ぐのにもう一方を脱ぐ三倍の時間がかかる。そのあと毛布をめくるかすかな音と、ちゃちな造りのベッドが男ひとりの体重を支えて軋む音。 毎晩そういう音を聞いていた。同じ音を同じ順番で。その夜はベッドの上で上体を起こして声をかけた、「ピーター」暗いテントの中、私のその声はやけに大きく響いた。「やあ、ピーター。今日はついてなかったな」返事はなかった。 私は気味悪くも怖くもなかったが、指で自分の鼻に触れて、ちゃんと自分がそこにいるのを確かめたのを覚えている。そのあとは疲れていたので眠りに落ちた。 翌朝、隣りのベッドを見ると、人が寝た跡が残っていた。しかし、私はそのベッドをフィンにも見せなかった。ただ毛布をもとの位置に戻して、枕をふくらませた。 われわれがアテネ防空戦を戦ったのはその日、1941年4月20日のことだ。今後あれほど激しい格闘が繰り広げられることはないだろう。最近では、飛行機は航空団や飛行中隊といった編隊を組んで飛び、攻撃も指揮官の指令どおりに整然と系統だっておこなわれるからだ。戦闘機乗りがひとりで激しい空中戦を繰り広げるなど、今日ではまずありえない。しかし、アテネ攻防戦では、15機のハリケーンが30分にわたり、150機から200機のドイツ軍爆撃機と戦闘機を相手に美しくて長い空中戦を繰り広げた。『飛行士たちの話(新訳版)』1:カティーナこの本もロアルド・ダールがつなぐ輪R2に収めておきます。
2026.09.03
コメント(0)

.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館に予約していた『韓国むかしの味』という文庫本を、待つこと4日でゲットしたのです。カラー写真満載のビジュアル本であるが・・・どれもが味わい深い小さな店のレポートになっているのがええでぇ♪ 10年前の本なので、今その店があるかどうかは定かではないが。【韓国むかしの味】平松洋子著、新潮社、2011年刊<ブログのレビュー>より韓国全土を30年近く旅した著者の、むかしの味の記録。ガイドブックには載っていない、華やかではない、それでいて味わい深い庶民の味が紹介されています。それは大都市ソウルでも。「食べる旅は人に出会う旅でもある」との著者の言葉のとおり、出会った料理の作り手たちの、引き継がれた味、歴史、想いは、料理の味わいに深い感慨を与えています。<読む前の大使寸評>カラー写真満載のビジュアル本であるが・・・どれもが味わい深い小さな店のレポートになっているのがええでぇ♪ 10年前の本なので、今その店があるかどうかは定かではないが。<図書館予約:(7/05予約、副本3、予約0)>rakuten韓国むかしの味">仁寺洞 智異山の家庭式韓定食(二人前)韓国料理で意外だったのは、生野菜やナムルが美味しかったことです。そのナムルが気になるので、求禮の「ドンウォン食堂」を見てみましょう。p38~40野生であればあるほどナムルはおいしい「とびきりナムルがおいしい」と韓国全土に名を馳せる土地、それが全羅南道・求禮(クレ)だ。毎月3と8のつく日に開かれる求禮の五日市には、霊峰・智異山のふもとで採れた野草がいっせいに集まると聞き、市の立つ日に合わせて一路求禮に向かった。 早朝、市に入るなり目を見張った。トゥルプ(タラの芽)、コサリ(わらび)、コグマスン(さつまいもの茎)、カジュク(ニワウルシ)・・・露店にあふれている葉っぱ、野草、山菜は切り口まできりっと立って新鮮そのもの、豊富な量にも圧倒される。 長年、おなじ場所で露店を出しているソンさんに頼んで、うっすら霧の残る翌朝、自分の摘み場所に案内してもらった。市で偶然知りあったソンさんだが 「わたしの大学生の息子も調査研修で日本に行ったとき、ずいぶんお世話になったから」と、こころよく案内を引き受けてくれた。 ソンさんは63歳、夫のキムさんは65歳。智異山のふもとに代々譲り受けた土地があり、農薬も肥料も使わず、夫婦で野草(ナムル)を何十種類も栽培している。市場へ売りに行くのは妻のソンさんの役目だ。「ナムルは野生であればあるほどおいしい。野菜も人も、たっぷり陽を浴びて自然のなかで育ったものに勝るものはないから。農薬や肥料を使うと確実に育つけれど、からだによくないし、味もおちる。子どものころから土といっしょに育ちながら学んできました」 土地の手入れを引き受ける夫のキムさんが言う。「苦いものこそからだにいいから、ナムルも毎日かならず食べなくちゃいけないよ」 青空の下で味わった智異山のナムルはえぐみ、ほろ苦さ、噛めば噛むほどいろんな味わいが滲み出てくる。その求禮の「ドンウォン食堂」(現在は閉店)にとびきりの「ナムル名人」のハルモニがいると小耳にはさんだ。イ・ナムドクさん、68歳。もともとイさんは20年にわたって求禮一と評判を取った食堂の女主人だった。 名士や政治家までイさんの味を求めてやってくるうち、イさんの手は「ミウォンの手」つまり「味の素の手」と呼ばれ始めた。「おいしさが湧き出る」、そんな特別の手というわけである。『韓国むかしの味』2:生野菜やナムル『韓国むかしの味』1:普州式ピビムパプ
2026.09.02
コメント(0)
全7件 (7件中 1-7件目)
1


