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関さんのTPPは環境と雇用を滅ぼすを読んで、更にTPPの勉強をしようと思うのだ。(穀物メジャー憎しの大使はしつこいのである)私は一貫してWTOやTPPなど多国間の自由貿易協定には反対である。世界の平和と安定のために「貿易」は必要だが、「自由貿易」は不要なのだ。自由貿易はむしろ世界の安定を乱し、貧困と飢餓を生み出し、ナショナリズムと紛争を誘発する。万国の安寧のために必要なのは、財源として、またセーフティネットとして有益な、適度の水準の関税率を維持した上で行われる、節度ある貿易なのだ。どうしても関税を廃止するのならば、それをトービン税を含めた「国際連帯税」に取り換えるべきだろう。 もう何回も書いてきたが、自由貿易がいけない理由は多くある。しかし特に甚だしい、到底看過することのできない害悪は次の二つだ。重ねて記す。 (1)地球規模で環境破壊と資源枯渇を加速させること。 (2)国際的規模で失業者を増大させ、労働条件を悪化させること。 貿易自由化論者が訴えるように、確かに自由貿易は生産性を向上させる。輸出大企業の利益も増える。しかし、そうした自由貿易のメリットは、雇用条件の破壊と環境破壊という二大デメリットを補うことは到底できないのだ。この二つの破壊を放置することは、究極的には人類の存続そのものを不可能にしてしまうからだ。 ただし、工業製品、地下資源、農林水産物などではそれぞれ(1)と(2)の現れ方は異なる。ここでは工業製品と農林水産物を比較しながら論じてみよう。 (1)の環境破壊・資源枯渇の問題は、農林水産物の自由化の場合、あまねく発現する。農業や木材伐採や漁獲による経済学的な利潤最大点は、それらの資源を再生産可能なペースに維持するための持続可能な生産ラインを上回ってしまうからである。 それに対して、工業製品の自由化の場合、必ずしもそうではない。中国のように環境基準の甘い国が競争上有利になって生産量が拡大し、環境悪化を進めてしまう側面もある。他方で、エネルギー効率が高く、環境負荷の低い製品が競争に勝って、環境を改善する側面もある。このように正反両面あり、一概には言えないことになる。 (2)の失業の増大に関しては、農林水産物の自由化の場合、必ず進む。先進国と途上国とを問わず小規模農民を破滅させ、土地を奪い、プレカリアートの大群を都市の労働市場に押し流すからだ。地球規模で小規模自営農民が滅亡した世界は、まさに地獄絵図のようなものとなろう。 工業製品の自由化の場合は、失業に関しては一概には言えないことになる。失業が増える国もあれば減る国も出る。ただし労働生産性の向上は、一般的に失業を増やすので世界平均での失業を悪化させる。もっとも新産業のイノベーションの波がくれば失業を吸収する場合もある。イノベーションの波が来るか来ないかは経済法則とは別次元の問題なので、これも一概には言えないことになる。 ゆえに、百歩譲っても自由化の対象にするのは工業製品のみであり、農林水産物は自由化すべきでないということになる。これは普通に考えれば小学生でも納得できる自明の理であろう。納得できないのは経団連とマスコミと首相なのだ。 しかしながら、経団連にしたってマスコミにしたって、本音のところ大事なのは工業製品の市場自由化であって、農産物の自由化など些末な問題で、どうでも良いのではなかろうか。だったら経団連にしても、読売にしても朝日にしても、自由化するのは工業部門のみにして、農業は例外にしてほしいと訴えてもよいのではなかろうか。たとえ現実の外交交渉で敗北したとしても、あるべき理念としてそれを訴えることは可能なはずである。なぜそれが言えないのだろう? それが不思議でならない。 経団連やマスコミが農業自由化を訴えるのは、日本が農業市場を開放しないと、交渉相手の国も工業製品市場を開放してくれないと考えているからだろう。 しかし、途上国は農産物貿易自由化が自国の利益にならないことを、WTO以降の痛い実験結果によって次第にわかってきている。農産物輸出で貿易黒字を上げて豊かになることなど原理的に不可能ということを。途上国も着実に工業化しているので、今後は必ずしも自由化の対象に農産物を含めることを要求しなくなろう。ゆえにアジア諸国との間では、自由化するにしても農業を除外するなど、お互いに痛い部分は除きましょうという節度ある交渉が可能になろう。そうした節度のある国々との間で二国間貿易協定を結んでいくのが、日本経済にとって最良の策なのだ。 大問題なのは、農林水産業には競争力があるが工業には競争力のない、アメリカ、カナダ、オーストラリアといった「先進国」の存在である。農林水産業の貿易自由化に固執するのは、じつは途上国よりも、工業競争力のないこれら新大陸先進国なのだ。 これら新大陸先進国との自由貿易は、日本農業を必ず壊滅に追い込む。しかしながら、自国農業を灰塵にしてまで得られるメリットなど全くない。基軸通貨特権を失っていくアメリカは、今後ますます輸出市場としてのパイも縮小する一方だからである。 元来、先住民族を虐殺して土地を奪い、その上で大規模農業経営を実現したこれらの国の「農業競争力」など、歴史的正当性はないものである。 TPPに参加してはならない最大の理由は、TPPにアメリカとオーストラリアが参加しているという、まさにその事実にあるのだ。 勝ち馬から降りようとしない大手新聞、官僚、御用学者からは、このような論調は生まれないんでしょうね(ハ~)TPP「農業」を「たべもの」に置き換えて考えようなんてのもありました。ところで、病院で腑抜けにされてしまい、朝昼晩に食べる量が凡そ3割になってしまったので、力が出ないのです。(間食を入れると5割ぐらいか)腹いっぱい食べてリミットを知りたいところだが・・・このあいだみたいにダンピングになると怖いしな~。斯様に試行錯誤で適正喫食量を模索しているが、腹の痛みが薄れてきたたので、そろそろジョギングを復活するで♪
2011.01.29
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一日数本の隠れタバコとあいなったが・・・・根元まで吸うのがためらわれて、最近はかなり余して捨てているのです。(要するに、あまり旨くないせいもあるが)もったいない吸い方であるが・・・・この「もったいない」という表現を理解できるのは、日本人だけなのかも知れないんですね。英語には「もったいない」に相当する訳語がないらしいが・・・・・訳語がないということはその概念がないということで、この一言から察するに、彼我の間には案外と埋めがたい溝が横たわっているのかもしれない。感性が似ている韓国人であっても、違いを感じるのは食事の余し方であり、もったいないことしきりである。彼の地では、客人には余るほどの食事を提供する。この風習が理解できない間は、日本人はひたすら出された料理を食べ、そのあげく彼の地の人は無くなった献立を追加する。つまり、日本人の「もったいない」精神が理解できていないのである。日本人の「もったいない」精神は長年の農耕生活が育んできたと、ものの本にでているようだから、そのあたりについて考察を深めようと思っている。(「食の歴史と日本人」を鋭意読書中でおます)さ~ 疲れたので、もういっぷく。*********************************************************************************国会中継で、聞くとはなしに自民党議員の発言を聞いているが・・・・首相を追及する発言は、理論整然・・・お説ごもっともであり、思わず膝を叩きたくなるのです。野党という立場は、こんなにも鋭い発言ができるのか♪与党の辛い立場も理解できるが・・・要は民主党の劣化が目立ち始めたということなんでしょうね。(アメリカを認めるわけではないが)オバマ大統領の格調ある演説との落差は大きいな~
2011.01.28
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大手新聞がスクラムを組んだようにTPP参加に前のめりであるので、おかしいんじゃないかと・・・・TPPはトロイの木馬──関税自主権を失った日本は内側から滅びるを読んでTPPの勉強をしようと思うのだ。─TPPは実質、日米の自由貿易協定(FTA)とおっしゃいましたが、米国への輸出が拡大することは考えられませんか残念ながら無理です。米国は貿易赤字を減らすことを国家経済目標にしていて、オバマ大統領は5年間で輸出を2倍に増やすと言っています。米国は輸出倍増戦略の一環としてTPPを仕掛けており、輸出をすることはあっても輸入を増やすつもりはありません。これは米国の陰謀でも何でもないのです。オバマ大統領のいくつかの発言(※1)を紹介します。11月13日の横浜での演説で輸出倍増戦略を進めていることを説明した上で、「...それが今週アジアを訪れた大きな部分だ。この地域で輸出を増やすことに米国は大きな機会を見いだしている」と発言しています。この地域というのはアジアを指しており、TPPのGDPシェアで見れば日本を指しています。そして「国外に10億ドル輸出する度に、国内に5,000人の職が維持される」と、自国(米国)の雇用を守るためにアジア、実質的に日本に輸出するとおっしゃっています。米国の失業率は10%近くあり、オバマ政権はレームタッグ状態です。だからオバマ大統領はどこに行っても米国の選挙民に向けて発言せざるを得ません。「巨額の貿易黒字がある国は輸出への不健全な異存をやめ、内需拡大策をとるべきだ」とも言っています。巨額の貿易黒字がある国というのは、中国もですけど日本も指しています。そして「いかなる国も米国に輸出さえすれば経済的に繁栄できると考えるべきではない」と続けています。TPPでの日本の輸出先は米国しかなく、米国の輸出先は日本しかない、米国は輸出は増やすけれど輸入はしたくないと言っています。米国と日本の両国が関税を引き下げたら、自由貿易の結果、日本は米国への輸出を増やせるかもしれないというのは大間違いです。米国の主要品目の関税率はトラックは25%ですが、乗用車は2.5%、ベアリングが9%とトラック以外はそれほど高くありません。日米FTAと言ってもあまり魅力がありません。─中国と韓国がTPPに参加するという話が一部でありました中国は米国との間で人民元問題を抱えています。為替操作国として名指しで批判されています。為替を操作するということは貿易自由化以前の話ですから、中国はおそらく入りません。韓国はというと、調整交渉の余地がある二国間の米韓FTAを選択しています。なぜTPPではなくFTAを選んだかというと、TPPの方が過激な自由貿易である上に、加盟国を見ると工業製品輸出国がなく、農業製品をはじめとする一次産品輸出国、低賃金労働輸出国ばかりです。韓国はTPPに参加しても利害関係が一致する国がなく、不利になるから米韓FTAを選んでいるのです日本は米国とFTAすら結べていないのに、もっとハードルが高く不利な条件でTPPという自由貿易を結ぼうとしています。戦略性の無さが恐ろしいです。<関税はただのフェイント 世界は通貨戦争>米国は輸出倍増戦略をするためにドル安を志向しています。世界はグローバル化して企業は立地を自由に選べるので、輸入関税が邪魔であればその国に立地することもできます。現に日本の自動車メーカーは米国での新車販売台数の66%が現地生産で、8割の会社もあります。もはや関税は関係ありません。それに加えて米国は日本の国際競争力を減らしたり、日本企業の米国での現地生産を増やしたりする手段としてドル安を志向します。ドル安をやらないと輸出倍増戦略はできません。日米間で関税を引き下げた後、ドル安に持って行くことで米国は日本企業にまったく雇用を奪われることがなくなります。他方、ドル安で競争力が増した米国の農産品が日本に襲いかかります。日本の農業は関税が嫌だからといって外国に立地はできず、一網打尽にされるでしょう。グローバルな世界で関税は自国を守る手段ではありません。通貨なんです。─関税の考え方をかえる必要がありそうです米国の関税は自国を守るためのディフェンスではなく、日本の農業関税という固いディフェンスを突破するためのフェイントです。彼らはフェイントなどの手段をとれるから日本をTPPに巻き込もうとしているということです。─農業構造改革を進めれば自由化の影響を乗り越えられるという意見はどう思いますかみなさんはTPPに入れば製造業は得して農業が損をすると思っているため、農業対策をすればTPPに入れると思うようになります。農業も効率性を上げればTPPに参加しても米国と競争して生き残れる、生き残れないのであれば企業努力が足りない、だから農業構造改革を進めよと言われます。それは根本的に間違いだと思います。関税が100%撤廃されれば日本の農業は勝てません。関税の下駄がはずれ、米国の大規模生産的農業と戦わざるを得なくなったところでドル安が追い打ちをかけます。さらに米国は不景気でデフレしかかっており、賃金が下がっていて競争力が増しています。関税撤廃、大規模農業の効率性、ドル安、賃金下落という4つの要素を乗り越えられる農業構造改革が思いつく頭脳があるなら、関税があっても韓国に勝てる製造業を考えろと言いたいです。自由貿易は常に良いものとは限りません。経済が効率化して安い製品が輸入されて消費者が利益を得ることは、全員が認めます。しかし安い製品が入ってきて物価が下がることは、デフレの状況においては不幸なことなのです。デフレというものは経済政策担当者にとって、経済運営上もっともかかってはいけない病だというのが戦後のコンセンサスです。物価が下がって困っている現状で、安い製品が輸入されてくるとデフレが加速します。安い製品が増えて物価が下落して影響を受けるのは農業だけではありません。デフレである日本がデフレによってさらに悪化させられるというのがこのTPP、自由貿易の問題です。農業構造改革を進めて効率性があがった日には、日本の農家も安い農産物を出荷してしまうことになり、さらにデフレが悪化します。デフレが問題だということを理解していれば、構造改革を進めればいいなんて議論は出てきません。こういう議論をすると「農業はこのままでいいのか」ということを言い出す人がいます。しかし、デフレの時はデフレの脱却が先なのです。インフレ気味になり、食料の価格が上がるのは嫌なので農業構造改革をするということはアリだと思います。日本は10年以上もデフレです。デフレを脱却することが先に来なければ農業構造改革は手をつけられません。例えばタクシー業界が競争原理といって規制緩和の構造改革をしました。デフレなのに。その結果、供給過剰でタクシーでは暮らせない人が増えて悲惨なことになりました。今回は同じ事が起ころうとしています。
2011.01.25
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入院中はタバコを控えていたが、意志薄弱なもので隠れてタバコを吸い始めたのです。入院中は傷跡の痛みにかまけてタバコどころではなくて、退院時は結果的に禁煙が成就できていたんですが、これで元の木阿弥か?退院したあとに吸った1本は旨いというわけでもなくて、禁煙を継続することはたやすかったはずだけど・・・・ボケーとした年金生活者の有閑オジンにとっては、手元、口元がさびしくて・・・・要するに意志薄弱なんですな~。救われるのは・・・・家では吸わないで我慢できる本数なので、言ってみれば節煙中になるんでしょうか。(アホやで、禁煙のチャンスを棒に振ってしまったようです)ところで、有閑オジンは日参とまで頻繁ではないが、図書館に通いづめているのです。今日借りた3冊は・・・・・「食の歴史と日本人」川島博之著、東洋経済新報社・「人生の奇跡」J・G・バラード著、東京創元社・「美術手帳(奈良美智特集)」美術出版社・・・・田舎町の図書館にお任せの脈略の無い取り合わせとでも言うんでしょうか。
2011.01.25
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胃を全摘した場合には、不用意な食べ方をするとダンピングに陥る恐れががあると知識として知っていたけど、昨日そのダンピングに陥りえらい目にあったのです。昼食をとり1時間くらいたったとき、吐き気、寒気がして腎臓のあたりが痛くなり・・・安静にしていてもよくならないので、病院に電話して相談したが専門医でないのでらちがあかないのです。居ても立っても良くならず・・・結局、痛い痛いと喘いでいるうちに時間がたって復旧したわけです。食べ過ぎたときなど急に養分を吸収すると、体が血糖値を下げるように働くのがダンピングといわれる症状ですが、大使もひとなみにこのダンピングを体験したようです。(初体験の内科的症状には、さすがにパニックになった次第です)体調にまかせて大食いをすると、ダンピングに陥るとは・・・困ったものです。ちょっと、オタクな話になるが、長距離レースに出走する前には、カーボローディングといって炭水化物を採っておく必要があるんです。つまり食いだめをしてレースに臨むわけですが、多分このような準備は難しくなるでしょうね。食いだめがきかないなら、携行食を持ってレースに出るしかないのかな~?食べながら走るといっても、栄養補給のタイムラグとはどんなものかは、日々の練習でつかむしかないのだろうな~?まだ、傷跡が痛むのでジョギングは始めていないけど、レース対策に気をもむ(イラチな)大使である。ダンピング症候群【参考】ダンピング症候群は、胃の摘出手術後、食事を取った際におこるめまいや動悸、気分不良などいろいろな症状をきたす状態のことです。早期と後期に大別され、症状は一部にていますが病態が違います。【早期ダンピング症候群】 食後30分くらいの比較的早い段階でおこります。簡単にいうなら、浸透圧が原因でおこります。食事を取ったとき、塩分や糖分で濃度の高いものが腸に流れ込んできます。 通常は胃でためこまれて、少量ずつ腸におくられますが、胃がないため急激に流れ込みます。食物は濃度が高いため、腸管に通っている水分が食物側にすいこまれるのです。 このため、体から水分が急激に失われ、血圧がさがっていろいろな症状がでます。 また、急激に食べ物が腸にはいってくるため、腸がびっくりして急激に動きます。このため腹痛や下痢がおこることがあります。これも早期ダンピング症候群に含まれます。【後期ダンピング症候群】 これは血糖値やホルモン調節の不調でおこります。 直接腸に流れ込んだ食事は前述の通り濃いもので、これを腸管が吸収すると血糖値が急激にあがります。そのあがりすぎた血糖値を下げるためにすい臓からインスリン(血糖値をさげるホルモン)が分泌されます。しかし、あがった血糖値は一時的なものなので、大量のインスリンが分泌されると逆に血糖値が下がりすぎます。 このため低血糖の症状が出現します。手の振るえ、空腹感、動悸、めまい、発汗、意識障害などです。 この現象には糖分が食物から吸収されること、ホルモンが分泌されることといくつかの段階を踏むので、食事から2~3時間タイムラグがあります。このため後期ダンピング症候群と呼ばれています。
2011.01.24
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尖閣諸島事件といい、TPP参加といい・・・・どいつもこいつもこのところ鼻息のあらいG2のいうことは聞かないのがいちばんではないかと思う昨今である。だいたい交渉下手の日本だから、G2とWIN-WIN関係を築くよりは、双方の間をうまく動いて「脱G2」を図るほうがいいのではないかと思ったりするのです。文春新年号に、レアアース王(輸入専門商社の中村社長)のお話が載っていました。 私の経験をお話しよう。まず79年、上海にあった中国最大のレアアース工場を日本人として初めて訪問した時のことである。15キログラムもある鉛のコートをまとって入ると、現場作業員の手が放射能被爆のために、白子(白皮病)の症状を呈していたのを目撃した。 また、他の国では採掘した鉱石を工場に持っていってから精錬作業をするが、中国では鉱山そのものに硫酸を直接掛けることも多い。江西省の現場を見たことがあるが、鉱石中にレアアースはわずか0.2%しか含まれていないため、百トンの鉱石のうち、99.8トンもの残土が硫酸に汚染され未処理の状態で放置されていた。 さらには、内モンゴル自治区にある世界最大の白雲高山では数年前に、大雨で放射性物質が一斉に黄河に流れ出したこともある。他にも80年に訪れた広東省の鉱山では放射性のトリウムが大量に発生したにもかかわらず、ほとんど野積みになっていた。こういったことを枚挙に暇がないほど見聞きしてきた。 発展途上国では往々にして、自国民への小麦やコメなどの供給を抑え、飢えさせてでもそういった一次産品を輸出するという「飢餓輸出」が問題になることがある。中国も昔は自国民や環境を犠牲にしてでも、国益を最大化させようとしたわけである。 低賃金も相まって、中国のレアアースのシェアは急速に拡大した。一方、競争力を失った他国のレアアース鉱山は、次々と閉山を余儀なくされてしまった。66年以来、世界最大の生産量を誇っていたアメリカは85年にはその地位を中国に譲った。中国の最高実力者だったトウ小平が「中東に石油があり、中国にレアアースがある」と言って、その戦略的重要性を説いたのは92年のことである。 北京の政治指導者たちの思惑通り18年後の現在、中国は実に世界のレアアース生産量の97%を占めるようになった。 レアアース生産では、環境対策でいかに手を抜き、安価な生産を行うことで、シェア争いに勝ち抜くという図式があるようです。そういう非情な土俵では、中国とアメリカにかなう者がいないわけで・・・・今後のシェア争いが見物である。 中国はこの様に、尖閣諸島事件以前からレアアースのダンピングを図っていて、資源ナショナリズムという戦略的スタンスに立っていたわけであり・・・・・自国民の困苦より、統治組織の存続を重視する冷徹なスタンスには中華3000年の重みを感じるが・・・・中国の市民からは、行過ぎた資源ナショナリズムを見直すという動きは、期待薄なんでしょうネ。(多分、WTOの裁定などは、この強力なG2には無力ではないだろうか?) 実は中国政府の禁輸措置を受けて、中国以外のレアアース生産が採算ラインに乗ってきた。中国のダンピングによって一度は撤退していたアメリカのモリコープ社も、かっては世界最大の生産量を誇ったカリフォルニア州のマウンテン・パス鉱山で採掘を再開しようとしている。レアアース企業の株価も高騰し、中国の資源政策を「脅威」と見るだけでなく、「ビジネス・チャンス」と支持する企業も増加している。 もちろん、これからレアアース市場で何が起こるかはわからない。やっと世界中でレアアース資源開発が実現した後になって、資源の枯渇を心配しなくてよくなった中国が朝令暮改でダンピング攻勢を仕掛けてくる可能性も否定できない。 そのようなことがないよう、WTO(世界貿易機構)など国際社会の場を通じて、日本は欧米と協調して中国の動向を厳しく見守って行くことも必要である。 資源小国日本が「脱中国」を図るという発想だけで問題を解決するのは無理である。これまでも、日中はレアアースに関する技術開発で協調してきた歴史がある。今度もまた、貴重なレアアース資源開発や代替技術革新を共有してゆくことを提案したい。 なにより、尖閣問題後の国会の混迷ぶりを見る限り、現在の日本の首相や大臣に、中国や韓国首脳たちのような行動力や機動力があるとは思えない。奪おうとして、せいぜい奪われるばかりが関の山だろう。なるほど、環境対策などで中国に売り込みをはかるカードもあるわけか。レアアース王こと中村社長は、このように、「中国依存」でも「脱中国」でもなく、「中国抱き込み」の方向を提唱しています。中村社長は輸入商社社長という当事者であるだけに、これらの提言には商売というバイアスがかかっているとしても、傾聴に値する提言だと思った次第です。(でも、大使としてはどうしても「脱中国」に振れるのですが)
2011.01.21
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入院中に読もうと図書館でいろいろと借りた本のなかに「ランドラッシュ」があり、それを読み終えたので紹介します。TPPの賛否については、政権内、学者間、メディアでもほぼ2分していて、「第3の開国」などと大げさな表現もあり、一般の庶民にとってどっちにつくか迷うところ大であるが・・・・この本を読む限りでは、TPPに対してNOと言わざるを得ません。「ランドラッシュ」NHK食糧危機取材班、新潮社、2010年10月刊よりp16~18 わたしがウクライナを訪れた直後、「リーマン・ショック」が発生。世界は金融危機に襲われた。そのために、穀物価格を押し上げる要因のひとつだった投機マネーは一気に縮小する。未曾有の高騰を記録した穀物価格も、落ち着きを取り戻した。 ところが、外国企業によるウクライナ農地の囲い込みは、それでも終わらなかった。さらに、こうした動きは、ウクライナのみならず、世界各地で勃発していたのである。 リーマン・ショックの翌月(2008年10月)、あるリポートが発表された。国際的NGO「グレイン」が発表した「2008年食料・金融安全保障のための土地争奪」という名のリポートである。冒頭、こう記されている。「食糧危機と金融危機が同時に発生することによって、新しいグローバルな土地争奪が始まった。食料を輸入に頼る国の政府が、食糧生産のために海外の広大な農地を手に入れようとしているのだ。一方では、深刻化する金融危機のなかで、企業や投資家が海外農地への投資を重要な収入源と見ていっる。その結果として、肥沃な農地の私有化と集約化が進んでいる。このグローバルな土地争奪によって、世界各地で小規模農業と農村の暮らしが姿を消してしまうかも知れない」 グレインは、各国メディアの報道に加えて独自の調査を行い、世界で進行する農地争奪の実例を百件以上も紹介している。 さらに、翌09年4月にはIFPRI(国際食料政策研究所)が「外国投資家による途上国での農地争奪」というリポートを発表した。そのなかでIFPRIは「土地や水が不足し、しかも資金が豊富な食料輸入国、たとえば湾岸諸国は海外農地への投資にもっとも積極的である。また、多くの人口を抱え、食料安全保障の面で懸念を抱える国々も、海外での食糧生産のチャンスを欲しがっている」としてサウジアラビア、カタール、リビア、中国、韓国、インドなど20ヶ国が食糧確保のために広大な農地を海外で入手したと指摘する。 リポートは「こうした国々の投資の矛先は、生産コストがはるかに安く、土地と水が豊富な途上国に向けられている」とし、スーダン、エチオピア、パキスタン、フィリピン、カンボジア、トルコ、ウクライナなど24ヶ国を挙げている。 なぜ、通常の輸入によって食料を手に入れるのではなく、わざわざ海外の農地を囲い込むのか?それは、「穀物市場システム」への信頼が崩壊してしまったからだ。 実は2007年~08年の「世界同時食料危機」のとき、世界の穀物の流れに異変が起きていた。通常、小麦や大豆、トウモロコシなどは「穀物メジャー」と呼ばれる巨大な多国籍商社が生産国から大量に買い集めて、国際市場に供給する。この流れが麻痺したのだ。「市場の麻痺」をもたらしたのは、穀物生産国の「輸出規制」である。中国、インド、ロシア、ブラジル、アルゼンチンなどが穀物価格高騰の最中、輸出規制をおこなった。主要生産国17ヶ国のうち、なんと10ヶ国が「自由貿易」の建前をかなぐり捨てて、輸出を制限したのだ。 せっかく穀物価格が上がっているのに、なぜ輸出を規制したのか?自由貿易に任せていれば、高く売れる穀物はどんどん海外に流出する。しかも、国内の食料価格は国際価格に引っ張られて高騰する。これでは、自国の食糧供給が不安定に陥りかねない。だから、生産国は輸出規制に走ったのである。「世界同時食料危機」が起きるまで、穀物市場においては、「自由貿易」は自明のルールであり、空気のような存在だった。同時に「自由貿易の推進こそが食料の安定供給を保障する」という考え方が支配的だった。 その「信仰」が脆くも崩れたのである。 輸入に頼っていた国々では、ふたたびこのような食糧危機が起きたときに備えて、自分たちで食料を確保しようと、おのおのが海外農地の獲得に走り出した。これが「ランドラッシュ」だ。 また、中国のレアアース輸出制限にはビックリしたが・・・・仁義なき資源囲い込みに動きだした中国を見て、そんなの有りか?と、東亜のなかでも仁義の多様さ(仁義の無さ?)に恐れ入る大使である。 覇権を求めるG2であるが・・・この本にあるように食糧危機の元凶はアメリカなんですね。p224~225 現在、世界はつねに「北(先進国)では食料過剰」「南(途上国)では食料不足」の状態にある。食料は公平に分配されているわけではない。誤解されがちだが「世界同時食糧危機の」の2008年でさえ、農産物の総量は世界の人口を養うのに十分なだけ存在した。 このような「食料の南北格差」を解消するにはどうすればいいか。 先進国なかでも穀物を重要な輸出品とするアメリカは、ずっと次のように主張してきた。「食料の南北格差を解消するには、それぞれの国が『得意な産業分野に特化する』のが一番。だから、主食の穀物の生産はアメリカなどに任せ、途上国は農業よりも工業を発展させるべきだ。農業を行うにしても、コーヒーや綿花などに特化して外貨を稼ぐ方が得策だ。穀物はアメリカなどから安く輸入すればいい」 この考え、いわゆる「構造調整計画」は、世界銀行やIMFなどの国際機関によって実行に移された。途上国において主食の生産をやめ、工業化することを条件に、多額の援助を行ったのである。 外国企業も、国際機関の援助を追い風に次々と進出、大規模化・大型機械化を推し進めた。化学肥料や農薬を大量に使用、遺伝子組み換えを含む品種改良を進め、現地の在来種は次々と姿を消した。 その結果、途上国の農業は一変した。 「地産地消」の文化は破壊され、輸入依存体質へと変貌した。そして途上国はアメリカにとってのお得意様になった。 一方、農業大国アメリカの悩みは「穀物ができすぎる」ことである。途上国を輸入体質にすることで、余剰生産物のはけ口を創出することができた。その結果、アメリカ国内の農家は利益を増やした。 さらに大きな利益を得たのは、巨大アグリビジネスだ。肥料や農薬を作る農化学産業として知られるモンサント社やシンジェンタ社、穀物メジャーと呼ばれるカーギル社やADM社などである。 なかでもカーギル社は、アメリカ政府との間に太いパイプを持っている。アメリカでは「回転ドア」と言われるように、政権交代などの度に多くの民間人が政府入りするが、こうした制度の下で両者は相互に人材を行き来させ、「官民一体」でアメリカ産の穀物を世界に売りさばいてきた。 アメリカ政府は「自由貿易の旗手」を自認しながら、その実、農家への補助金など莫大な金を投入して穀物を安値で輸出している。そして、穀物メジャーは圧倒的な集配・貯蔵・運搬ネットワークを構築し、穀物流通を牛耳っている。こうしてアメリカは、世界の穀物市場における影響力を圧倒的なものにしてきたのである。 大使が子どもの頃から急速にパン食が広まったことや、今やアメリカ産穀物抜きの畜産が成り立たないことに、思い当たりますね。p226~228 穀物市場における「アメリカ覇権」。これを側面から支援したのが世界銀行やIMFなどの国際機関である。こうした国際機関による「アメリカびいき」が2008年の食料パニックを招いた、という指摘がある。 たとえばメキシコでは、トウモロコシの国際価格が暴騰したことで、主食のトルティーヤが買えなくなってしまった。国民の不満が一挙に高まり、大規模なデモにまで発展した。なぜこのような事態になったのか。 事の起こりは、80年代初頭に遡る。このとき、メキシコは債務危機に陥り、世界銀行とIMFから多額の資金を借り入れることになった。これが転落の始まりだった。世界銀行とアメリカ財務省は、メキシコに対し融資の見返りを求めた。それは、「関税の大幅な引き下げ」そして「自国農業への助成廃止」だった。 しかも、メキシコ政府の予算は、「世界銀行などへの返済を最優先」とされた。メキシコ政府の財布は、実質的に世界銀行やIMFが握っていたから、政府も自国民の救済を後回しにせざるを得なかったのだ。 そこへ、アメリカから補助金付きの安価なトウモロコシが大量に流入し、メキシコの農家は大打撃を受けた。こうして「トウモロコシ発祥の地」メキシコは、穀物メジャーから主食を買い入れる「純輸入国」へと転落した。自給力を奪われたメキシコは、2008年の「食糧危機」で」、為す術もなくパニックに陥ったのだった。 海外農業開発の現状に詳しい池上甲一・近畿大学教授はこう話す。「2007年から08年の食糧危機は、グローバリゼーションによる『国際分業』の結果であり、世界銀行とIMFが推進してきた『構造調整計画』の当然の帰結です。補助金付きの安い穀物を送り込まれた途上国では、小農民は競争力を失い、農村を捨てて都市に流入しました。このため、食糧危機で価格が上がったり、輸入が止まったりしても、国内の食糧生産基盤が完全に破壊されていたため、ただ飢えるしかなかったのです。『構造調整計画』によって、一時は減少傾向にあった飢餓人口が逆に増加した事実。これは、ほとんど知られていません」 付け加えれば、現在、世界銀行の総裁を務めるのはロバート・ゼーリックだが、彼はかってアメリカ政府の国務副長官、そして投資銀行ゴールドマンサックスの幹部を務めた人物だ。ゴールドマンサックスなどの金融機関は、穀物価格を押し上げた「投機」の主要プレーヤーでのある。そして、日本が主催した「責任ある国際農業投資の促進に関する高級実務者会合」を共同主催したのが、この世界銀行である。 また、国際開発経済・金融に詳しい毛利良一・日本福祉大学教授は「食糧危機の深層にはWTO(世界貿易機関)の存在がある」と言う。「WTOは『自由貿易を推進する』という美名の下に農産物貿易を国際ルールの下に置きました。そこではアメリカを始めとする『大農場国』が自分たちに都合のいいルールを『国際スタンダード』にしています。アメリカは、製造業に代わって新しく国家を支える産業としてアグリビジネスを選び、WTOを使ってそれを成功させました。その結果、穀物の生産がアメリカなど少数の国に集中し、食料供給の基盤そのものがいびつで脆弱なものになったのです。」 アメリカの穀物戦略に則り、国際機関の支えによって強固に形作られた「食料システム」。 食料危機は、図らずもそのシステムが持つ深い「病巣」を露わにしたのである。ここまで読むと、「構造調整計画」の光と影が見えてきます。アメリカが昨今、提唱するTPPは言って見れば環太平洋構造調整計画みたいなもので・・・・「アメリカ発の計画」ということに、先ず危うさと胡散臭さが頭に浮かぶわけです(大使の場合)TPPは、シンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイの4カ国によって2006年に発効し、APEC加盟国に参加の道を開いている。しかるに2009年、オバマ大統領がTPPへの関与を表明したことにより、TPPは「米国主導の一大経済連合」に変化するわけですね。これで若し、日本がTPPに参加するなら、実態は「日米FTA」のようなものになるわけで・・・・アホな日本が陰謀に陥るという危うい面ばかりが気になる(攘夷派の)大使である。関さんが「農産物関税を撤廃してはいけない理由」を述べています。
2011.01.20
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本日、傷跡の痛みは残っているけど、ほぼ予定どおりに退院しました。いちばん心配だった検査結果は「摘出した部位は早期癌の段階であり、転移は見られない」とのことで、不幸中の幸いのような結果に安堵しました。・・・・これで、心置きなくリハビリ、練習に励むことができるというものです♪ところで、手術はこんなでした。手術室に歩いて入り、装着していたウォークマンを看護婦に渡して、ベッドに横になったのです。さり気なく(そんなに感じた)、麻酔用のマスクを付けられて「ちょっと匂うけど呼吸してみてください」と言われて呼吸を数回繰り返していたら・・・・・麻酔が効いたらしく、起されたのは手術の終わった約5時間後でした。「あれ?数字を数えてくれと言われるのではなかったのか?」全身麻酔は2回目の体験であったが、前回と様子が違っているのです。これだと、なんかだまし討ちにあったような気がしないでもない。腹のあたりが痛いので、意識のない間に肝を抜かれたことが分かるのであるが・・・・(胃と胆嚢を抜かれたのです)医学の恩恵を受けていることに感謝こそすれ、だまされたなどと文句をいえる筋合いのものではない。(ま~文句言ってももう遅いけど)徐々に回りの様子が分かってくるのだが・・・・出入りのチューブが点滴用チューブを含めて都合6本もあり、ベッドに釘付けされたような有様である。とくに鼻と尿道の2本が煩わしかったが、手術の翌日にはこの6本のチューブを点滴スタンドにぶら下げて歩かされるわけです。とにかく、最近の手術ではベッドから追い立てるように歩かせるのが主流のようです。
2011.01.19
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約50年ぶりにUターンしたわが町は四国西南部に位置し、特に産業も無く、典型的な地方の中核都市と言えると思うのだが・・・・・中学卒業頃から、つまり町を出る頃から、「喫茶店と飲み屋の多い町だ」とは思っていたのです。その喫茶店と飲み屋を久しぶりに飲み歩いて感じるのだが・・・・喫茶店では、朝6時くらいから、ニワトリのような早起きさんがたむろしていて、つまり町の社交場としてビルトインされているのです。名古屋の喫茶店モーニング戦争はつとにしられるが(知らなかった?)、この町でも450円から500円で、コーヒー、トーストはもとより、サラダ、ゆで卵、味噌汁がついていてお得感が溢れています。(もっとも、これがもう全国スタンダードになっているのかも?)そして総じて中高年の客、どっちかと言えば老人客が多いのです。まったく老人あしらいが上手というか、初老の私としては居てて居心地がいいんですな~♪町興しプランナーの講演を聴くまでもなく、喫茶店と飲み屋は老人相手の商売として成り立っていたみたいなもので・・・・市場原理など知らなくても既に適者適存したようです。(恐るべし田舎町)飲み屋で景気をつけたあとは、お定まりのカラオケである。行き着けのカラオケスナックは、テレビドラマの撮影場所にもなったという由緒?ある店で、客層も広いようです。お客は、たまに若者もいるけど、ママのお友達のオバチャンが多いようですね。でも、時にはセミプロ級の歌が聴けたりして・・・・・「あの歌のうまいグループはどんな集まりなの?」とママに聞くと三味線の集まりだそうです。お師匠さんの演歌など小粋なもので、大使は「文化的じゃの~♪」と聞き惚れるわけです。こんな小さな町でも、三味線やお茶、お花の流派がはりあっているそうで、ある意味文化的なんですね。でも、誰々がくっついただの、別れただの・・・・このスナックが狭い町の情報集積基地のような役割を担っているのが、怖いところです。親友の家の家庭事情など、本人に直接聞くより詳しいぐらいなので・・・・私がどのように噂されているか・・・怖いですね。(恐るべし田舎町)ちなみに、この晩歌ったレパートリーは・・・・・ヨコハマ、黄昏・柳ケ瀬ブルース・あなたのブルース・さそり座の女・月の砂漠・・・・ナツメロばっかりで、すんまへん。明日入院だけど、ネットカフェでこんな日記を書いていて、いいんだろうか(笑)
2011.01.03
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あけまして、おめでとうございます。 入院中に読もうと図書館でいろいろと借りた本のなかに「日本語を書く部屋」があり、それを入院前に読み終えたので紹介します。 中国、台湾、韓国そして日本を体験したユダヤ人でもあるリービ英雄が語る日本語論とでも言うんでしょうか。(田舎町で唯一のインタネットカフェを見つけたので、予定外の日記更新となりました)「日本語を書く部屋」リービ英雄、岩波書店、2001年刊よりp161~164 1980年代後半、日本語は外からの越境者との関係のなかで、さらに豊かになるだろうと考える日本の文学者が、少数ながら現れはじめた。中上健次のように、「おまえも一緒に書け」とぼくを焚き付けておきながら、作品に容赦ない批判を浴びせた人もいた。日本語に対するガイジンの思い込みにすぎないという中傷は一度も聞かなかった。20年近く日本語を書けない要求不満のかたまりでいたぼくにとって、それはいちばんうれしいことだった。 文学の世界では、文化の内から外へというこの越境の動きが、地球上のあちこちでほぼ同時に起こった。英文学では、サルマン・ラシュディ、カズオ・イシグロ、ベン・オクリといった、アングロサクソンの一員でない作家たちが、生粋のイギリス人として生まれた作家よりも独創的な作品を発表するようになった。日本人の多和田葉子がドイツ語で小説を書き、「私はドイツ語の歴史を作っている」と発言した。彼女のコメントを感動を持って読んだのは、ぼく一人ではなかったはずである。 さらに正確を期していえば、越境は、ある文化の外部にいる者にだけ起こるのではない。日本人として生まれた人でも、日本語を書くためには、一度、「外国人」にならなければだめなのだ。「あたり前な日本語」の「外」に立って、自分の言葉に異邦人として対する意識をもたなければよい作品は生まれない。これは、一流と呼ばれる日本の作家なら誰もが感じている今日的表現の問題である。日本では、そういった普遍的な問題が、文字を通して、ほかの国よりはっきりと浮かび上がっているのではないか。地球レベルで表現することの重要性。その一つのモデルを、この鎖国の歴史をもった島国が提供するようになっているのではないだろうか。次に、漢字カナ交じりの日本語を愛してやまないリービ英雄から「万葉集」と「古事記」について、その魅力を教えてもらいましょう。p197~164 日本の中に、たとえば日本の国籍をもたずに、あるいはほとんどの日本の住民とは民族を異にする人が実際にいるにもかかわらず、近代の日本の中には、移民に相当するような言葉がなかった。そのようなことを思い出しながら、渡来人、帰化人というものの存在を知った。歴史学という文脈で読むと、ふつう渡来人、帰化人というと、お寺の様式であるとか、仏教であるとか、彫刻であるとか、つまり大陸の高度技術を日本に導入した人たちというニュアンスが主流的で、ちょっと、明治時代の日本の大学にいた英語の先生と同じような感じがしますね。渡来人、帰化人が、逆に日本の文化の内部に入りこむ、あるいは自分たちで日本文化の内部に参加をするということは、そういう渡来人像、帰化人像にはなかったはずです。 しかし「万葉集」を読んでいるうちに、山上憶良のような大きな歌人の存在に気づいた。古くからある議論なんですが、1970年代に国文学の研究でぼくの恩師である中西進先生が、その憶良が朝鮮出身者であるという大きな論証をしました。百済、ペクチェで生まれて、4歳のときに父親といっしょに渡ってきて、当時の政府の役人にもなって、遣唐使にもなるわけですね。そういうパブリックな役割を果たしただけでなく、歌をつくる。その歌は大陸的な発想を持った歌で、しかしそれを漢文、漢詩で書くのではなく、日本語で書くわけですね。 「万葉集」の日本語はなにかというと、基本的に漢字の熟語を排除して、つまり大陸から渡ってきた思想、抽象的な言葉を排除して、その結果としてもうひとつのネイティブの言葉として成り立つわけです。もちろん、「万葉集」の中に例外もあるんですが、「万葉集」の特徴をひとついうと、そういうことです。つまりそれが「大和ことば」なんですね。 それで、ぼくが憶良でなにが面白かったかというと、そういう大陸の出身者が大陸的な発想を、中国語ではなくて中国的なものを排除した日本語のなかで書いた。日本語が書き言葉となってから、おそらくその日本語の歴史のなかではじめてのバイリンガル的な現象が奈良時代におこった、ということに気がついたんです。p114~118 山田孝雄のような国粋主義的な思想家は、王政学として「古事記」を利用しているわけで、王たるもの、天皇たるものが実際にどう成り立っていくべきかを語りつづけてきたことがよく分かるわけです。 戦前のこの時期に、「古事記」の解釈が、このように大きく偏ってしまったのは日本人にとって不幸なことでしたが、戦後となると神話を解釈すること自体が、あまりに単純に否定されるようになりました。 でも、ぼくはいま、「古事記」を肯定せざるをえないと思っています。その理由は、戦前の「古事記」解釈によるものでも、戦後のそれによるものでもありません。むしろ本居宣長流の対抗、つまり中国大陸の抽象的な倫理学に対するアンチとして、ほんとうの人間の姿がここにあるぞと言いたくなった、そうした気持ちに近いんですね。抽象的な思想よりも感性を、英語でいうとセンシビリティー(sensibility)を大切にしている宣長に、ぼくは強く同感するんです。 こんなわけで、日本の神話とはなんだろうか、なぜ貴重なものなのかを考えようとすると、やはり宣長に戻ってしまう。宣長に戻るということは、宣長と「儒家」たちとの闘いに戻るという意味になります。よく言われているように、普遍的な思想に対するローカルな固有文化という対立構図がここにはありますね。 中国にしても、近代西洋にしても普遍主義を主張しつづけてきた。日本がそれに対して固有文化で対抗するという図式がいつの時代にもありましたが、それが宣長ほどの大批評家の手にかかると、固有が逆に普遍に見えてくる。まさにその例証が「古事記」なんです。神々の持っている人間性、人間が持っている神性、神々しさを「古事記」は語っているんですね。 次に、書かれたものとしての「古事記」という側面を考えてみる必要があるでしょう。 神話比較でよく例に出るのはアメリカ・インディアンの神話です。これはたしかに「古事記」と似たところはあるけれども、決定的に違う部分がある。どこが違うかというと、アメリカ・インディアンの神話は口承によるもので、口承されたオーラルテキストがあるんですが、「古事記」の場合は、そのオーラルテキストが、中国大陸から押し付けられた、あるいはあたかも高度技術のように輸入された文字によって書かれているということなんです。しかも外来の文字を使いながらも、和文脈で書こうとしている。書き手として太安万侶を任命したというのは卓見だったといえます。安万侶は中国の文献や「旧辞」とか「帝記」の類を読んでいたに違いない。それでいながら、非常にクリアーな世界を構築できる精神性を持っていたということはすごい。 「古事記」というテキストが出来上る過程を考えると、ぼくはワクワクしてきます。 「古事記」の中にはなんともいえない緊張感があるんですね。アミニズムそのものと、それを外国の文字をもって整理しよう、「近代化」しようとする力がせめぎあっている。ほんとうのところ、神話は外国の文字で書いてしまうと、もう神話そのものではありえないんです。 こんな風に考えると、「古事記」の成立はひとつの奇跡だと思えてきますう。世界中のどこでも見られるアミニズムが奇跡のように文字で記録されてしまった。だからこそ、「古事記」は神話と言うよりも、日本文学の起源といったほうがよく、その水脈は現代の日本の作家にいたるまで、ある緊張感としてずっと持続しているわけですね。 儒教とか論語に疎い大使であっても、漢字文化圏という括りはけっこう好きなわけで、リービ英雄という先達にひかれて、ここまで書き写してみました。手術後の結果には一抹の不安もあるのですが、現在のところ体調は良いので・・・・・なんとかなるでしょう。では、行ってきます。
2011.01.02
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