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『ガロ』という雑誌が今も続いているかどうか知らないが・・・ガロ(1993年8月号)が取り上げた「つげ義春女性を語る」という記事がええので、復刻して読み直してみましょう♪*********************************************************三宮センター街の古書店でゲットした『ガロ(1993年8月号)』という雑誌が積んどく状態になっていたので、読み始めたのです。まあ 12月はじめに喪中はがきを出してしまい、暇になったせいもあるんですが…この雑誌で「つげ義春女性を語る」という箇所を見てみましょう。p44<つげ義春女性を語る> 旅先で女性となんかあるってのは、マンガにはよく出てきますけれども、実際はないです(笑)。やっぱり女性が関わると旅のムードが壊れてしまいますよね。すごい通俗的になるんじゃないのかね(笑)。 どこかへ旅して、そこの女性と知り合ってそこに住み着いてしまって、なにかの職について暮らしたいという願望は昔からありましたけれども。それはまあ、一種の蒸発ですよね。 自分の作品に出てくる女性はわりと突き放した感じで描かれてますけれども、それは自分の蒸発的な願望の、そこへ住み着いた場合の手段みたいなもので精神的な部分は関係ないんですね。 だってもしその女性に惚れてしまったら、それは蒸発にならずにそこでまた新たな現実が始まってしまうわけですから。それはただ単に引越しをしたっていうのと同じ事になってしまいますからね(笑)。蒸発ではなくて。 好みのタイプっていうのも別にないんです。自分の作品っていうとなぜか女性について聞いてくる人が多いんですけど、ドラマを作る上で女性がいた方が話が作りやすいから出てくるだけでね。中年のぼてっとした女性が出てくるからって、それが好みっていうわけじゃなくて(笑)、ドラマの中で必用だからああいう描き方をしているだけなんです。飽くまでも自分の内面の問題を描いているだけで。 別になんとも思わないし理想のタイプなんてないんですね。好きだった女優なんかもいないですし。ですから以前、文春文庫の映画の本でアンケートを頼まれたときにも、男優では好みの人もいるんですけど女優は別にいないんですよ。だから女優の蘭にはいないって書いたんですけど。 フェミニズム運動なんかにしても女性にしてみれば男性の欠点も見えるでしょうけど、女性側からは気付かない部分っていうのは我々男性からすれば逆によく気が付きますからね。運動をやってる人からみれば、男には反省すべき点がたくさんあるんでしょうし事実あるとは思うんですが、女性にも反省すべき点はあるように思うんですよね。女性自身がそこに気付かないで男性を攻撃するというのはね。 自分なんかが思うのは、女性は本能的に支配されてる部分が多いっていうことですね。そのことを女性自身は絶対気が付かないですよ。やっぱり男と女は敵ですよ(笑)。北九州に住む女性読者を訪ねようということで、居所をひきはらって旅に出るというような大胆なところもあるつげさんの女性論でした(笑)。【ガロ(1993年8月号)】雑誌、青林堂、1993年刊<商品情報>より特集 「つげ義春」する!-映画『ゲンセンカン主人』公開記念:つげ義春インタビュー、赤瀬川原平・上野昂志・黒川創・川崎ゆきお・とうじ魔とうじ・高野慎三・ユズキカズ・安彦麻理絵・三橋乙揶・杉作J太郎/ガロ名作劇場17 勝又進「狸」/「パースペクティブキッド」刊行記念 ひさうちみちおインタビューイタガキノブオ/松井雪子/鳩山郁子/安部慎一/三本義治/友沢ミミヨ/唐沢商会/QBB/土橋とし子/沼田元氣/みぎわパン/ねこぢる/松沢呉一/高杉弾/中ザワヒデキ/四方田犬彦 etc.<読む前の大使寸評>三宮センター街の古書店でゲットした『ガロ(1993年8月号)』という雑誌なんですが…特集:「つげ義春」する!と銘打った本号が、売価で500円(定価550円)という優れモンでおました♪anamonガロ(1993年8月号)この記事もつげ義春ワールドに収めるものとします。*********************************************************■2016.12.18 つげ義春女性を語るhttps://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201612180000/
2026.04.27
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図書館で『クルドの夢 ペルーの家』という本を手にしたのです。日本の入管と言えば剛腕で知られ、また難民認定に関しては、そのシブさが特筆されるわけで・・・そのあたりが興味深いのでチョイスしたのです。<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【 クルドの夢 ペルーの家】webp画像につき開示できず 乾英理子 著 、論創社 、2021年刊<「BOOK」データベース>より日本で見かける外国人とは?コンビニや工場、夜の街、肉体労働の現場で働く人々。そして、働きたくても動くことが許されない人々。日本に来た理由は、本国が不況で働く場所がなかったり、戦火に追われ逃げ延びてきたりと様々だ。本書では、国を追われながらも難民として認定されず、「仮放免」というあいまいな身分で滞在するクルド人家族と、団地に暮らし日本での居場所を探す日系ペルー人家族への取材を通して、日本で暮らす外国人と日本人とがどう共存していけばよいのかを探る。 <読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/16672925/" クルドの夢 ペルーの家></a></td></tr></tbody></table>「第2章 長すぎる収容」の「2 絶望、罪業感、そして死」に入管と外国人労働者との戦いが載っているので・・・見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">p69~72<font color="brown">収容所内で人が死ぬ</font> 取材期間中に、予想もしなかったことが起きた。収容所内で死者が出たのだ。 2018年4月13日、東日本入国管理センターのシャワー室で、インド人のディーパック・クマルさんが首を吊って命を断った。 支援者によると、クマルさんは「短期滞在」の在留資格で日本に滞在し、難民申請をしたが不認定となり、オーバーステイとなって収容されていた。2017年7がつに収容されたというから、収容は9ヵ月を超える。仮放免が不許可になったと通知を受けた翌日の死だった。翌月には、あとを追うようにふたりが自殺未遂をした。 この1件を受け、収容者たちはハンガーストライキを行った。その数は100人を超え、前代未聞の規模となった。 抗議の動きは、収容所の外でも起こった。5月の夕暮れ、渋谷区のハチ公前広場にいつになく多くの人だかりができていた。「入国管理局は長期拘留をやめて」「人権守れ」と書かれたプラカードを持った人々が20人程度、スクランブル交差点のほうを向いて並んでいた。中央に立つ男性が、「ご通行中のみなさん、この人が自殺しました。9ヵ月、無期限で収容されていたからです」と、クマルさんの顔写真を掲げた。 クマルさんの死を悼んで入管へ抗議しようと、Twitterで「#FREEUSHIKU」というハッシュタグで呼びかけて集まった人々だった。特定の政党や団体に所属していない。お互いに初めて会う面々だ。SNSの力で、支援者など一部の人々以外にも情報が広がり、収容所の問題は少しずつ知られるようになってきた。入管の前ではなくハチ公前広場を選んだのは、渋谷の町を行き交う大勢の人々に知ってもらうためだろう。「私たちはいま入国管理局で自殺者が出ていることに抗議して、ここに立っています。強制収容所があることをご存知でしょうか。この人(クマルさんのこと)、日本で罪がないのに死んだ人です。クマルさんはひとりぼっちでシャワー室で芯でしまった。渋谷にも外国人がいますよね。友だちもいれば恋人もいるのに、ただ難民というだけで、日本が難民を受け入れていないので、収容所に入れて長期的に放りこんだままにしているので、多くの方が自殺したり病死したりしています」 メガホンの先を、大勢の人々が足早にとおり過ぎる。仕事終わりのスーツ姿の男女、渋谷に遊びに来た若者グループ、交差点で自撮りするさまざまな肌の色の外国人観光客・・・。抗議の声は、雑踏に消えていく。ときおり、怪訝な顔をして立ち止まる人もいた。(中略) メガホンは、収容所で支援活動をしているという男性に手渡された。 「こんなことでいいんでしょうか。これで国際社会? 日本はね、観光立国とかいって年間2000万人以上の外国人をいれています。お金を持ってくる外国人は日本にウェルカム、お金のない困った外国人は日本は排除する。そんなことでいいんでしょうか」 収容施設内で死者が出るのは、これが初めてのことではなかった。収容所や地方入管の収容場で命を落としたのは、2007年以降、クマルさんで14人目だ。 自殺とされるのは中国人やブラジル人、韓国人など5人で、ほかの人は病死や餓死とされている。入管が衣料を放置したことによる病気の悪化を疑われているケースもある。 2014年の3月に東日本入国管理センターで亡くなったカメルーン人男性は、入管職員の監視の元、息を引き取った。1カ月前から胸の痛みを訴え、めまいや不眠に苦しみ、診療を求める申出書を提出していた。 様子がおかしいことに気づいた同室者も、男性を医師に早く診せるよう懇願していたそうだ。それでも診療はかなわず、24時間、職員にカメラで監視される部屋(通称「懲罰房」)へ移された。男性はたびたび苦しみ、もがいてベッドから転げ落ち、監視カメラに向かって職員を呼び出すための「要件あり」と書かれたカードをかざした。だが、職員は対応しなかった。</TD></TR></TABLE><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202604240000/" 『クルドの夢 ペルーの家』1></a>
2026.04.26
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図書館で『クルドの夢 ペルーの家』という本を手にしたのです。日本の入管と言えば剛腕で知られ、また難民認定に関しては、そのシブさが特筆されるわけで・・・そのあたりが興味深いのでチョイスしたのです。<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【 クルドの夢 ペルーの家】webp画像につき開示できず 乾英理子 著 、論創社 、2021年刊<「BOOK」データベース>より日本で見かける外国人とは?コンビニや工場、夜の街、肉体労働の現場で働く人々。そして、働きたくても動くことが許されない人々。日本に来た理由は、本国が不況で働く場所がなかったり、戦火に追われ逃げ延びてきたりと様々だ。本書では、国を追われながらも難民として認定されず、「仮放免」というあいまいな身分で滞在するクルド人家族と、団地に暮らし日本での居場所を探す日系ペルー人家族への取材を通して、日本で暮らす外国人と日本人とがどう共存していけばよいのかを探る。 <読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/16672925/" クルドの夢 ペルーの家></a></td></tr></tbody></table>「第1章 “クルド難民”バリバイ一家」の「1 収容所で出会ったひとりの青年」にクルド難民一家の窮状が興味深いので見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">p22~27<font color="brown">「埼玉に集住する在日クルド人」</font> 歴史を振り返ると日本とは縁遠いように思えるクルド人だが、今の日本でも彼らは暮らしている。その数は、およそ3000人といわれる(日本クルド文化協会による)。公的な調査がおこなわれていないので、実際には何人いるのかわからない。国やじちたいによる外国人の調査では、国籍による分類がなされており、クルド人はトルコ人やシリア人にカウントされる。よって、国を持たない彼らの存在は見えにくい。 宗教も文化も違う日本にトルコからクルド人が多く集まったのは、日本とトルコが友好関係にあるからだ。日本は、戦後になってからトルコと経済的に協力関係にあり、文化交流もおこなわれ、ビザ免除措置をとっている。私たち日本人は、事前にビザを取得しなくてもトルコに入国でき、トルコから来日する人も事前にビザを取得する必要がない。 日本に暮らす3000人のうち、1000人以上が関東近郊に暮らしているという。なかでも多いのが埼玉県川口市だ。川口市は、東京都新宿区、東京都江戸川区に次いで全国で三番目に在留外国人の多い自治体である。市内に住む外国人は3万9270人で、市内人口のおよそ6%(2020年6月時点)を閉める。 外国人の多い理由は、ものづくりとして栄えた市の歴史にある。川口市は、江戸時代から鋳物産業が栄え、終戦直後には鋳物生産額が全国の三分の一を閉めた。溶解炉が林立する象徴的な風景は、吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』で有名になった。鋳物の中小企業では、全国に先駆けて1980年代から外国人労働者の受け入れを始めている。当初は韓国籍や中国籍の人々、そして技能実習精度が導入されるとベトナム国籍などの人々来日し、川口市は多国籍タウンとなっていった。 現在、川口市の在留外国人で中国・フィリピン・韓国・朝鮮・ベトナムに次いで多いのが、トルコ国籍の人々だ(2020年1月時点)。このトルコ国籍の人々のなかに、トルコ出身のクルド人が多く含まれているとみられる。実際、JR蕨駅近くを歩くと、コンビニやスーパーで中東系の顔立ちをした人々とすれ違い、ケバブのレストランや中東料理の食品店を見つけることができる。 2「難民」になれない <font color="brown">村は「地球のにおいがした」</font> 私が収容所で面会したバリバイ・ウェラットさんも、トルコ出身のクルド人だ。川口市内のアパートに、家族と暮らしていた。2018年㋄、私はウェラットさんから聞いた住所を頼りに、家族を訪ねた。 私がインターホーンを鳴らすと、花柄のスカーフを頭に巻いた母のヌリエさんがドアを開けてくれた。奥の部屋には大きな布が敷かれていて、そこに長男のワッカスさん、次男のエルジャンさん、三男のマズラムさん、次女のスザンさんが車座になっていた。 ウェラットさんは四男にあたり、五男にあたる9歳の弟がいることもわかった。ウェラットさんは独身だが、20~30代の兄や姉たちは結婚して子どもを育てており、日本での生活がずいぶんと根付いているように感じられた。 家族がまとまっていた雰囲気を、今も忘れることはできない。全員が2年近くも帰ってこなウェラットさんを思い、悲しみと怒りと失望と疲労の混じった目をしていた。 ヌリエさんに声をかけると、日本語のわからない彼女に代わって、息子たちが通訳をしてくれた。「自分の息子、家に帰ってきてほしいの。私の息子、何もしていない」 息子のひとりがこう付けくわえる。「ママももう年だから、いっぱいがまんができないんですよ」53歳だというヌリエさんは、愛する息子が収容されたことで強いストレスにさらされて体調も優れないようだった。 キッチンに立っていた次女のスザンさんが、真っ赤な色のお茶を淹れてくれる。砂糖を溶かして飲むのだと教えてくれた。トルコに住むクルド人の家庭の味だ。熱々でほんのり甘いお茶を飲みながら、スザンさんが日本語でこう言った。「日本に来ても、トルコと同じ、戦争になっているみたい。私、心、同じだよ」 来日したのは12年も前だという。何から聞いていいのか迷っていると、家族が来日した経緯を話してくれた。 家族が暮らしていたのは、トルコ南東部ガジアンテップ県にある小さなクルド人集落だった。父ムスタファさんは左官などの建設業をしながら羊を飼い、畑でキュウリやトマトを育てて自然と共に暮らしていた。子どもたちも協力してヨーグルトやチーズを作り、街に売りに行ったことを覚えているという。「きれいなところでした。地球のにおいがしました。村に入るとその土地のにおいがしました」母のヌリエさんはそう言いながら、懐かしそうに故郷で撮った家族写真を見せてくれた。樹の下で、穏やかな表情を浮かべる両親のかたわら、幼い子どもたちがじゃれ合っている。ムスタファさんは、クルド人としての民族意識を強く持っていた。街で親クルド政党のチラシを配ったり、息子たちにクルド民族の歴史を語ったりしていたという。そして1980年代以降、政府とクルド人勢力が対立するようになると、ムスタファさんたちの周辺にも争いの影が忍び寄ってくる。 1999年の10月下旬、村は憲兵に襲われた。政府と対立していたPKKをムスタファさんが支援したとの理由で、家を荒らされ、ムスタファさんを含む村人4人が逮捕された。ムスタファさんは拘束された際、電気ショックを受けるなどの拷問を受けたという。翌年以降もたびたび憲兵から家宅捜索を受け、ときにヌリエさんも殴られて連行され、娘のスザンさんを拘留中に出産する羽目になった。</TD></TR></TABLE>
2026.04.24
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図書館で『ウクライナ侵攻までの3000日』という本を、手にしたのです。この本には毎日新聞特派員が見たクリミア(クリム)と北方領土(クリル)が解説されていて興味深いので・・・チョイスした次第です。 *********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【ウクライナ侵攻までの3000日】webp画像につき開示できず大前仁 著、 毎日新聞出版、2023年刊<レビュー>より著者の大前さんは、毎日新聞の特派員として10年以上もモスクワに駐在した正にロシア通の方のようだ。その間2000年代後半から度々ウクライナを訪れ、2014年3月のクリミア併合から2022年2月の全面侵攻までを、特に2019年に行った精力的な取材を通じて線でつなぐ。学者と違い奥深さは少ないとしても、ジャーナリストとしての現地の声の集約などには説得力がある。 <読む前の大使寸評> 追って記入booklog<a href="https://books.rakuten.co.jp/rk/6917f178905c3dd99e6295d6f0b01e0a/">ウクライナ侵攻までの3000日</a></td></tr></tbody></table>「第4章 北方領土とクリミア」に日露の領土問題が出ているので見てみましょう。 ウクライナ侵攻の際に見せたロシアの領土意識の頑迷さに触れる思いがするのです。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">P95~99<font color="brown"><なぜ島を取り返したいのか></font>「そもそもクリルには、どれくらいの日本人が残っているのですか?」 まずは素朴な疑問から始まった。「1人もいません。ソ連が第二次世界大戦の後で全ての日本人を追い出してしまったからです」 私がこう即答すると、ナゴルニャクは一瞬言葉に詰まった。そして不思議そうに問い返してきた。「もう一人も住んでいないのに、どうして日本は島を返してほしいのですか?」 なぜ彼はこのような質問を発したのか? ソ連が1991年に崩壊してクリミアがウクライナ領になると、人口の6~7割を占める現地のロシア系住民は強く反発し、「本国への復帰」を訴えた。ロシア国内の愛国主義的な勢力もクリミア半島に多くの同胞が残されたと考え、「本国への帰還」を声高に唱えた。 そして運命の2014年3月。前月に起きたウクライナの政変が引き金となり、ロシアは力ずくでクリミアを取り戻したのだ。 ナゴルニャクはソ連崩壊直前に生まれ、独立したゥクライナで育ったが、常に自分がロシア人だとの意識を持ち続けていた。クリミア半島に取り残された身として「本国への復帰」を願い続け、5年前に夢がかなった。 一方で、すでに北方領土に日本人が遺されていないのに、日本政府が返還を求める理由を理解できないという。もはや同法が一人もいないのに、なぜ、その土地を取り戻そうとするのか? 彼は私にそう聞いてきたのだ。<font color="brown"><経済的な理由なのか></font>「それならば日本は経済権益から返還を求めているのですか?」 ナゴルニャクは質問を変えて、尋ねてきた。 答えはノーである。もし二島返還の方針に基づき、日本が歯舞群島と色丹島を日本領に編入し直せれば、排他的経済水域(EEZ)を広げられる。だが経済的な権益はこの程度に限られていた。 当時は日露両政府が北方領土での共同経済活動を始めようと検討していたが、この計画が実現したところで「利益はたかが知れている」(ロシアの担当官)。むしろ変換が実現すれば、日本は島を引き払うロシア人に補償しなければならず、支出の方が確実に多くなる。ナゴルニャクはそう説明した。 それではなぜ? 再び不思議そうな表情を見せたナゴルニャクに対し、次のような説明を試みた。「北方領土問題は日本にとって大事な内政問題なのです。そしてモラルの問題でもあります」 日本が当時のソ連と平和条約交渉を始めてから六十数年が過ぎていた。政府が北方領土返還の意義を訴え続けたことにより、すでに日本国内では「譲れない問題」となっているのだ。「ソ連が不法占拠したのだから、『法と正義』の原則に基づき引き渡してくるべきだ」。今でも大多数の日本人がこう信じて疑わない。 このような思考回路が定着した日本人にとって、北方領土とは「返還されるべき土地」である。またロシアとの2国間関係とは、常に領土問題というフィルターを通してでしか考えられなくなっていた。 私は苦労しながら、上記の点を説明すると、ナゴルニャクは納得した表情に変わった。なぜならば2014年にロシアに併合されるまで、クリミア問題は重要な内政問題だったからだ。自らも「本国への復帰」を唱えてきた手前、日本人の考えを理解できるというのだ。これは意外な反応だった。 一方でナゴルニャクは、ルースキーミール(ロシアの世界)と呼ばれる思想の信奉者である。これまでも取り上げてきたが、ソ連崩壊により各地に取り残されたロシア系住民とロシア本国のつながりを強調し、ロシアの影響圏の拡大を唱えるイデオロギーだ。 当然ながらナゴルニャクはクリミアがロシアに併合されたことを歓迎してきたし、北方領土の返還に真っ向から反対している。「どうせ日本は単独で平和条約問題について判断できないに決まっていますよ。アメリカが邪魔してくるだろうし」 そう鼻で笑ってみせた。 ロシアでは米国への嫌悪感がとどまるところをしらない。その同盟国である日本との間で平和条約を結べるのだろうか?「無理に決まっていますよ」 ナゴルニャクはそう繰り返した。<font color="brown"><絡み合う「クリム」と「クリル」></font> ロシアがクリミア(クリム)を併合したことは、北方領土(クリル)問題とも複雑に絡んできた。(中略) それはロシアがクリミア併合という国際規範を侵したにもかかわらず、日本としては北方領土問題の解決を優先しようとする姿勢の表われだった。露然ながら安倍をはじめとした官邸は対露交渉に前のめりだっただが、当時の日本外務省にも同調する者が少なくなかった証といえる。 一方でクリミアを取り戻したことにより、愛国心を高めたロシア国民は、従来よりも北方領土(クリル)問題で譲歩しなくなっていた。</td></tr></tbody></table><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202604120000/">『ウクライナ侵攻までの3000日 』1</a>
2026.04.22
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図書館で『ウクライナ侵攻10の焦点』という本を、手にしたのです。この本には朝日新聞取材班 が見たクリミア(クリム)と北方領土(クリル)が解説されていて興味深いので・・・チョイスした次第です。 *********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【ウクライナ侵攻10の焦点】webp画像につき開示できず 朝日新聞取材班(著) 、朝日新聞出版 、2023年刊<「BOOK」データベース>よりロシアのウクライナ侵攻は、全世界に衝撃をもって受け止められた。侵攻から1年の間に、現地では何が起きていたのか。ウクライナ入りした記者たちのルポを中心に、10の角度から戦争を浮き彫りにする。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17394527/">ウクライナ侵攻10の焦点</a></td></tr></tbody></table>「第2章 [占領]閉ざされた空間で起きた被害」に監禁された市民の過酷さが見えるので見てみましょう。 ウクライナ侵攻の際に見せたロシアの領土意識の頑迷さに触れる思いがするのです。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">P59~64<font color="brown">監禁された市民の見たもの</font>穏やかな日差しのなか、その村では子どもたちがキャッキアと走り回っていた。「学校はどこにある?」「あっちだよ」。女の子たちg教えてくれた方向に進むと、れんが造りの校舎がが現れた。屋根は崩れ、窓ガラスは割れている。木の扉を開き、階段を下りる。薄暗い地下室には絵本や布団が散乱していた。静まりかえリ湿った空気に、壁時計の病身のおとが響く。「ここに28日間、350人以上の住民がロシア軍によって閉じ込まれていたのです」と管理人の男性は言った。壁には手書きで、10人分の名前と日付が記されていた。(中略) 村にロシア兵がやってきたのは3月3日のことだった。兵士らは1軒ずつ民家を回り、地下室に隠れる住民たちにライフルを突きつけた。「学校の地下室に行け」 携帯電話や腕時計は、その場で撃たれて破壊された。「パソコンやスマホを隠していたら、あと10人殺すぞ」と脅された。 警察官や元兵士だと疑われた男子たちは、射殺された。少なくとも4人。釣り用の迷彩服を持っていただけに、ウクライナ兵だと疑われて命を落とした人もいたという。 3月6日までには、ほとんどの住民が学校の地下室に集められた。 大小7部屋に350人以上。最大の80平方メートルほどの部屋には175人が押し込められた。 廊下にも人があふれた。子どもたちは70人以上。最も幼い子は1歳半だった。地下室には子どもたちの泣き声が響きわたった。 地下室での生活は過酷をきわめた。歩いて通る隙間もないほで、部屋は人で埋め尽くされた。小さなベッドに子どもたちを寝かせ、多くの大人は座ったまま寝た。 外は雪が降る寒さ。それでも室内は熱気で蒸し風呂のようになった。暑さで福を脱ぐ人さえいた。小さな窓はいたで目張りした。新鮮な空気が欲しくても、激しいほうげきがそれを許さなかった。窓を破って砲弾の金属片が飛び込んでくる恐れがあった。電機はなく、懐中電灯の電池はじきに切れた。どの部屋も、ろうそく1本で灯をとった。トイレも無かった。部屋の隅にバケツを置き、布切れで隠しながら用を足した。恥ずかしさも、やがて感じなくなった。食料の備蓄も足りなくなった。ロシア軍がときおり提供するパンや携行食には人が殺到した。 暗がりの中、時間の感覚も失われていった。 幼稚園の先生を務めるバレンティナ・ダニロバさん(60)は、鉄のドアにきおくを刻み始めた。燃えかすの炭を使い、カレンダーを書いた。毎朝、日付を加えた。砲撃の激しい日には下線を引いた。隣には、死亡した人たちの名前を刻んだ。 最初は3月9日。90歳を超えた男性だった。翌10日にもう1人11日には2人。13日。17日にまた2人・・・。リストはどこまでも続くように思えた。亡くなった人の多くは70代以上の高齢者だった。 地下室には湿気と悪習が充満した。新鮮な空気が足りなかった。ロシア軍が地下室から出ることを赦すかどうかは「その日の彼らの気分次第」。外に出られても1日15分ほで。砲撃を恐れ、地下に閉じこもる人は多かった。 意味不明なうわごとを言ったり叫び始めたりすると、それが死の予兆だった。2日ほどすると、彼らは息を引き取った。ロシア軍の許可が出るまですうじつかん、亡がらとともに眠ることもあった。砲撃の合間をみて、遺体は外のボイラー室の並べられた。「正直、誰も生きて帰れないとおもっていました。ドアに記録を残したのは、誰かにここでの出来事を伝えるためでした」 ダニロバさんはそう言うと。遠い目をした。 住民たちを地下室に監禁する一方で、ロシア兵は学校の1階や周辺の民家に陣取った。 地下に自住民が閉じ込められているため、ウクライナ軍は学校を砲撃することができない。それをいいことに、ロシア軍は住民を「人間の盾」とし、学校を前線拠点にしていた。 ロシア兵は「我々はあなたたちを解放しにきた」「ナチはどこに隠れているんで」と、ロシア政府の主張に沿った定番のセリフを繰り返した。 偽情報を伝えるロシアの新聞を住民に配り、「ウクライナの多くの都市はすでに降伏している」と言いふらした。ときには子どもたちを外で遊ばせ、ロシア兵がお菓子を配るようすをビデオに収めた。ロシア兵の善良な振る舞いを発信するプロパガンダ作戦だった。 解放の日は突然やってきた。 3月30日。いつもより早く、朝10時にロシア軍は地下室のカギを閉めた。車両が騒々しく動く音や砲撃音が2時間ほど続き、やがて静寂に包まれた。 人々は、ドアを破って外に出た。学校の裏庭の並んでいたロシア軍の車両が消えていた。兵士もいなかった。まだ状況をのみ込めなかった。翌日昼、ウクライナ軍の部隊が村に到着した。 住民たちに笑顔が戻った。兵士と抱き合って涙を流した。多くの住民の生存を知り、ウクライナ兵は「まさか生き残っていたとは」と驚いた。長期間の監禁で、人々は歩くのも難しくなっていた。脚がむくみ、靴は切断しないと脱げない人もいた。 オルガ・メニャイロさん(50)は自宅でスマホを見つけ出すと、地下室に戻ってシャッターを切った。「写真を歴史に残すべきだと思ったんです」 地下室内に所狭しと座る人々の顔が並ぶ。疲れ果てた表情のなかに、少しの安堵感がみえる。</td></tr></tbody></table><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202604120001/">『ウクライナ侵攻10の焦点』1</a>
2026.04.16
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。 <予約中>・潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う(6/20予約、副本?、予約153)現在48位・エマニュエル・トッド『西洋の敗北』(8/01予約、副本14、予約288)現在103位・新川帆立『女の国会』(9/04予約、副本?、予約?)現在134位 ・関川夏央『昭和的』(9/26予約、副本?、予約?)貸出可能 ・『介護未満の父に起きたこと』(10/2予約、副本3、予約142)現在48位 ・十五年戦争小史(10/16予約、副本?、予約?) 現在17位 ・竹内幸恵『広告の昭和』(10/21予約、副本?、予約11) 現在4位 ・『山田洋次が見てきた日本』(11/05予約、副本?、予約12) 現在9位 ・朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』(11/13予約、副本?、予約500)現在366位 ・島本一平『ヒップホップ・モンゴリア』(03/01予約、副本?、予約0)・葬式坊主なむなむ日記 (04/08予約、副本1、予約0)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ<予約候補>・テレビプロデューサーひそひそ日記・素人校長ばたばた日記・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・伊予原新『藍を継ぐ海』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵・外山滋比古『思考の整理学』・ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』・街道をゆく「モンゴル紀行」「南蛮のみち」・畑正憲『どんべえ物語』:図書館未収蔵・ヤマザキマリ『水木しげる厳選集 異』:図書館未収蔵・書いてはいけない日本経済墜落の真相:図書館未収蔵・金水敏『よくわかる日本語学』・和田秀樹『70歳が老化の分かれ道』・世界はなぜ日本カルチャーに熱狂するのか:図書館未収蔵・石ノ森章太郎『漫画家入門』・是川夕『ニッポンの移民』・加藤喜之『福音派』・小泉凡『セツと八雲』<予約分受取:12/28以降> ・真山仁『タングル』(12/18予約、12/28受取)・「国境なき医師団」(8/21予約、1/22 受取 ) ・宙わたる教室(2024年12/28予約、1/22 受取 ) ・天気でよみとく名画(3/22予約、1/29 受取) ・3ヵ月でマスターする江戸時代(7/04予約、1/29 受取)・島本一平『ヒップホップ・モンゴリア』(03/01予約、03/12受取)**********************************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う】<img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/05895e22c5f5d3f33cf13a5002e3622b50b592e0.26.9.9.3.jpeg" border=0 name="insertImg" /> 舛友雄大著、東洋経済新報社、2025年間<「BOOK」データベース>より「潤」は、最近中国で流行っている言葉で、さまざまな理由からより良い暮らしを求めて中国を脱出する人々を指す。もともと「儲ける」という意味だが、中国語のローマ字表記であるピンインでRunと書くことから、英語の「run(逃げる)」とダブルミーニングになっている。「潤日」コミュニティー、多くの日本人が知らぬ間に、中国や日本、そして世界の変化に応じる形で急速に存在感を増しつつある。この全く新しいタイプの中国人移民たちをつぶさに訪ねて耳を傾けると、その新規性や奥深さを痛切に感じるとともに、日本の政治、経済、社会に見逃せないほどの大きなインパクトをもたらしつつある現状が見えてきた。 <読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(6/20予約、副本?、予約159)>rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17748858/">潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う</a></td></tr></tbody></table>(中略)<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【イン・ザ・メガチャーチ】.webp画像につき開示できず 朝井リョウ著、日本経済新聞出版 、2025年刊<「BOOK」データベース>より久保田慶彦(47)レコード会社勤務。とある能力を買われ、アイドルグループ運営に参画することに。武藤澄香(19)留学を志す大学生。内向的な気質に悩むうち、一人のアイドルに出会う。隈川絢子(35)契約社員。舞台俳優を熱烈に応援中だが、ある報道で状況が一変する。ファンダム経済を築く者、のめり込む者、のめり込んでいた者…三者三様の視点で浮かび上がる、人間の心を動かす“物語”の功罪。 <読む前の大使寸評>追って記入 <図書館予約:(11/13予約、副本?、予約504) >rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/18328668/">イン・ザ・メガチャーチ</a></td></tr></tbody></table> <table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【ヒップホップ・モンゴリア】.webp画像につき開示できず 島本一平著、青土社 、2021年刊<「BOOK」データベース>より「周縁」に響く怒りの韻(ライム)。知られざるモンゴルのリアル。青空と草原の遊牧民の国ーーそれは理想化されたモンゴル像に過ぎない。都市化と開発が進み、そしてヒップホップ、ラップが深く浸透した「ヒップホップ・モンゴリア」でもある。ラップの盛況ぶりからは、口承文芸・伝統宗教との接点、社会主義による近代化によって生じたねじれ、民主化以降の西側へのコンプレックスとナショナリズム、ゲットーから放たれる格差への怒りが見えてくる。新自由主義に翻弄され「周縁」に置かれた国家のリアルをすくい取り、叫びを韻に込めるラッパーたちの息遣いを伝える異色の人類学ドキュメント。 <読む前の大使寸評>追って記入 <図書館予約:(02/18予約、副本?、予約0) >rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/16585221/">ヒップホップ・モンゴリア</a></td></tr></tbody></table> table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【火星の女王】.webp画像につき開示できず 真山仁著、小学館、2022年刊<「BOOK」データベース>より <読む前の大使寸評>追って記入 <図書館予約:(11/13予約、副本?、予約504) >rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17288267/"></a>火星の女王</td></tr></tbody></table> <table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【葬式坊主なむなむ日記】.webp画像につき開示できず松谷真純著、三五館シンシャ 、2026年刊<「BOOK」データベース>より地球外知的生命の探求のため、人生をかけて火星にやってきた生物学者のリキ・カワナベは、スピラミンという物質の結晶構造の変化を発見する。いっぽう火星生まれの学生、リリーE1102は、地球に観光に行くことを夢みて遠心型人工重力施設に通っていた。地球で種子島在住の白石アオトは、ISDA職員として働きながらリリとの約束を思い出していた。カワナベの発見が世界を揺るがすとき、リリの身にも危機が迫りー地球と火星、遠く離れたふたつの星をめぐって人々の心が交錯していく壮大な人間ドラマ。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(04/08予約、副本1、予約?) >rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/18331987/"></a>葬式坊主なむなむ日記</td></tr></tbody></table>図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・デジタル朝日「好書好日」でめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202101200000/">予約分受取目録R26</a><a href="https://book.asahi.com/reviews/">好書好日トップ</a><a href="https://www.lib.city.kobe.jp/">図書館情報ネットワーク 蔵書検索</a>
2026.04.13
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図書館で『ウクライナ侵攻10の焦点』という本を、手にしたのです。この本には朝日新聞取材班 が見たクリミア(クリム)と北方領土(クリル)が解説されていて興味深いので・・・チョイスした次第です。 *********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【ウクライナ侵攻10の焦点】webp画像につき開示できず 朝日新聞取材班(著) 、朝日新聞出版 、2023年刊<「BOOK」データベース>よりロシアのウクライナ侵攻は、全世界に衝撃をもって受け止められた。侵攻から1年の間に、現地では何が起きていたのか。ウクライナ入りした記者たちのルポを中心に、10の角度から戦争を浮き彫りにする。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17394527/">ウクライナ侵攻10の焦点</a></td></tr></tbody></table>「第1章 [開戦]侵攻当初、何が起きていたのか」にプーチンの戦略が出ているので見てみましょう。 ウクライナ侵攻の際に見せたロシアの領土意識の頑迷さに触れる思いがするのです。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">P14~16 ウクライナに対するロシアの侵攻は、止められなかったのか。14年のクリミア半島併合やウクライナ東部への介入は、そのときも軍事力で国境線を変えてはならないとする国際秩序への朝鮮と受け止められていた。 欧米は、クリミア併合後にロシアを主要国首脳会議(当時G8)から排除し、さまざまな制裁を科した。 だが、エネルギーをロシアに頼る奥州では対ロシア政策で不協和音が生れ、個別にプーチン政権と関係を結ぼうとする国が出てきた。米国ではプーチン氏への好感情を隠さないトランプ大統領が誕生し、対ロシア政策が政治の駆け引きの材料になった。日本は北方領土問題解決の好機とみて国際的に孤立したプーチン政権に接近した。 このとき、米国や欧州各国が欧米以外の国々を巻き込んで、もっとも強くロシアに国際ルールの順守を促すことができれば、結果的に全面侵攻を防ぐことができたかもしれない。 ただ、全面侵攻直前の時期に関していえば、米国やNATOが交渉で侵攻を止められた可能性は極めて低かったというのが大勢の見方だ。 プーチン氏は、ロシアのペースで進んでいた米国、NATOとの安全保障をめぐる交渉でも、要求実現のため最後通告を突きつけることさえなく、一方的に打ち切っており、実際にその要求がどこまでプーチン氏にとって切実なものだったかにも疑問がある。欧米との交渉で時間を稼ぎながら、裏で着々と侵攻への準備を進めていたと考えざるを得ない。 ウクライナは本来、文化的・歴史的にロシアのものだった領土や住民を分け与えてできた「作られた国」だ・・・。プーチン氏は、侵攻3日前の演説でそう主張し、ウクライナをめぐるゆがんだゆがんだ歴史観も隠さなくなっていた。 2月24日、ウクライナは1991年の独立以来、最大の存亡の危機に立たされた。早朝のミサイル攻撃から間もなく、ロシア軍の戦車が東部、北部の国境を越えて地上戦を始めた。 中でも世界に衝撃を与えたのが、電撃的な首都キーウ制圧作戦だ。キーウ北近郊のホストメリの空港に大量の兵員輸送大型ヘリコプターが飛来。降り立った空挺部隊が空港を占拠し、ウクライナ軍と激しい銃撃戦になった。一部は少人数でキーウ市内にも侵入し、攪乱を狙ったゲリラ的な銃撃戦も始めた。 キーウではその日、防空シェルターになった地下鉄の駅に人びとが殺到。首都脱出をはかる車が大渋滞を作り、鉄道駅では西部に向かう列車に乗ろうとする人で一時的なパニックが起きた。 ただ、間もなく、短期間でウクライナのゼレンスキー政権の転覆を狙ったとされるプーチン氏のもくろみは外れる。 ホストメリのウクライナ軍部隊はロシア軍に一部のゲリラ部隊の首都侵入は許したが、それ以外は進軍を郊外で食い止めた。空港施設を破壊し、後続部隊の着陸も不可能にした。ホストメリの北30キロのデミディフ村では、ドニプロ川の水門を破壊し、一帯を水没させて、地上からキーウを目指し南下してきた戦車部隊を押しとどめた。 そして、プーチン氏のウクライナ侵攻は迷走を始める。ウクライナの市民と双方の兵士に多大な犠牲を強いながら。</td></tr></tbody></table>https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202604120001/
2026.04.12
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図書館で『ウクライナ侵攻までの3000日』という本を、手にしたのです。この本には毎日新聞特派員が見たクリミア(クリム)と北方領土(クリル)が解説されていて興味深いので・・・チョイスした次第です。 *********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【ウクライナ侵攻までの3000日】webp画像につき開示できず大前仁 著、 毎日新聞出版、2023年刊<レビュー>より著者の大前さんは、毎日新聞の特派員として10年以上もモスクワに駐在した正にロシア通の方のようだ。その間2000年代後半から度々ウクライナを訪れ、2014年3月のクリミア併合から2022年2月の全面侵攻までを、特に2019年に行った精力的な取材を通じて線でつなぐ。学者と違い奥深さは少ないとしても、ジャーナリストとしての現地の声の集約などには説得力がある。 <読む前の大使寸評> 追って記入booklog<a href="https://books.rakuten.co.jp/rk/6917f178905c3dd99e6295d6f0b01e0a/">ウクライナ侵攻までの3000日</a></td></tr></tbody></table>「第4章 北方領土とクリミア」に日露の領土問題が出ているので見てみましょう。 ウクライナ侵攻の際に見せたロシアの領土意識の頑迷さに触れる思いがするのです。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">P95~99<font color="brown"><なぜ島を取り返したいのか></font>「そもそもクリルには、どれくらいの日本人が残っているのですか?」 まずは素朴な疑問から始まった。「1人もいません。ソ連が第二次世界大戦の後で全ての日本人を追い出してしまったからです」 私がこう即答すると、ナゴルニャクは一瞬言葉に詰まった。そして不思議そうに問い返してきた。「もう一人も住んでいないのに、どうして日本は島を返してほしいのですか?」 なぜ彼はこのような質問を発したのか? ソ連が1991年に崩壊してクリミアがウクライナ領になると、人口の6~7割を占める現地のロシア系住民は強く反発し、「本国への復帰」を訴えた。ロシア国内の愛国主義的な勢力もクリミア半島に多くの同胞が残されたと考え、「本国への帰還」を声高に唱えた。 そして運命の2014年3月。前月に起きたウクライナの政変が引き金となり、ロシアは力ずくでクリミアを取り戻したのだ。 ナゴルニャクはソ連崩壊直前に生まれ、独立したゥクライナで育ったが、常に自分がロシア人だとの意識を持ち続けていた。クリミア半島に取り残された身として「本国への復帰」を願い続け、5年前に夢がかなった。 一方で、すでに北方領土に日本人が遺されていないのに、日本政府が返還を求める理由を理解できないという。もはや同法が一人もいないのに、なぜ、その土地を取り戻そうとするのか? 彼は私にそう聞いてきたのだ。<font color="brown"><経済的な理由なのか></font>「それならば日本は経済権益から返還を求めているのですか?」 ナゴルニャクは質問を変えて、尋ねてきた。 答えはノーである。もし二島返還の方針に基づき、日本が歯舞群島と色丹島を日本領に編入し直せれば、排他的経済水域(EEZ)を広げられる。だが経済的な権益はこの程度に限られていた。 当時は日露両政府が北方領土での共同経済活動を始めようと検討していたが、この計画が実現したところで「利益はたかが知れている」(ロシアの担当官)。むしろ変換が実現すれば、日本は島を引き払うロシア人に補償しなければならず、支出の方が確実に多くなる。ナゴルニャクはそう説明した。 それではなぜ? 再び不思議そうな表情を見せたナゴルニャクに対し、次のような説明を試みた。「北方領土問題は日本にとって大事な内政問題なのです。そしてモラルの問題でもあります」 日本が当時のソ連と平和条約交渉を始めてから六十数年が過ぎていた。政府が北方領土返還の意義を訴え続けたことにより、すでに日本国内では「譲れない問題」となっているのだ。「ソ連が不法占拠したのだから、『法と正義』の原則に基づき引き渡してくるべきだ」。今でも大多数の日本人がこう信じて疑わない。 このような思考回路が定着した日本人にとって、北方領土とは「返還されるべき土地」である。またロシアとの2国間関係とは、常に領土問題というフィルターを通してでしか考えられなくなっていた。 私は苦労しながら、上記の点を説明すると、ナゴルニャクは納得した表情に変わった。なぜならば2014年にロシアに併合されるまで、クリミア問題は重要な内政問題だったからだ。自らも「本国への復帰」を唱えてきた手前、日本人の考えを理解できるというのだ。これは意外な反応だった。 一方でナゴルニャクは、ルースキーミール(ロシアの世界)と呼ばれる思想の信奉者である。これまでも取り上げてきたが、ソ連崩壊により各地に取り残されたロシア系住民とロシア本国のつながりを強調し、ロシアの影響圏の拡大を唱えるイデオロギーだ。 当然ながらナゴルニャクはクリミアがロシアに併合されたことを歓迎してきたし、北方領土の返還に真っ向から反対している。「どうせ日本は単独で平和条約問題について判断できないに決まっていますよ。アメリカが邪魔してくるだろうし」 そう鼻で笑ってみせた。 ロシアでは米国への嫌悪感がとどまるところをしらない。その同盟国である日本との間で平和条約を結べるのだろうか?「無理に決まっていますよ」 ナゴルニャクはそう繰り返した。<font color="brown"><絡み合う「クリム」と「クリル」></font> ロシアがクリミア(クリム)を併合したことは、北方領土(クリル)問題とも複雑に絡んできた。(中略) それはロシアがクリミア併合という国際規範を侵したにもかかわらず、日本としては北方領土問題の解決を優先しようとする姿勢の表われだった。露然ながら安倍をはじめとした官邸は対露交渉に前のめりだっただが、当時の日本外務省にも同調する者が少なくなかった証といえる。 一方でクリミアを取り戻したことにより、愛国心を高めたロシア国民は、従来よりも北方領土(クリル)問題で譲歩しなくなっていた。</td></tr></tbody></table>
2026.04.12
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「ウクライナ侵攻」でしょうか♪<市立図書館> ・クルドの夢 ペルーの家・プラナカン・ウクライナ侵攻までの3000日・ウクライナ侵攻10の焦点<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【 クルドの夢 ペルーの家】webp画像につき開示できず 乾英理子 著 、論創社 、2021年刊<「BOOK」データベース>より日本で見かける外国人とは?コンビニや工場、夜の街、肉体労働の現場で働く人々。そして、働きたくても動くことが許されない人々。日本に来た理由は、本国が不況で働く場所がなかったり、戦火に追われ逃げ延びてきたりと様々だ。本書では、国を追われながらも難民として認定されず、「仮放免」というあいまいな身分で滞在するクルド人家族と、団地に暮らし日本での居場所を探す日系ペルー人家族への取材を通して、日本で暮らす外国人と日本人とがどう共存していけばよいのかを探る。 <読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/16672925/" クルドの夢 ペルーの家></a></td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【プラナカン】webp画像につき開示できず太田泰彦 著、日本経済新聞出版 、2018年刊<商品説明>よりプラナカンと呼ばれる異色の民が、東南アジアの国々にいる。 ある者は貿易で巨万の富をつかむ夢を抱いて。またある者は凶作と貧困から逃げ出すために。福建や広東の華人たちは、生死をかけてマラッカ海峡の新天地を目指した。男たちはマレー半島やスマトラ島、ジャワ島の妻と所帯を持った。熱帯の日差しを浴びて生まれ育った子孫が、やがて中国でもマレーでもない、万華鏡のように色鮮やかな独自の文化を開花させていった。彼らは、華僑とも異なる存在で、アジア経済界で隠然とした勢力を誇ち、その気高い美意識を誇る氏族の素顔は、いまなお謎に包まれている。19世紀には英国の東インド会社と手を組み、香辛料貿易、スズ鉱山、ゴム栽培で商才を奮った。あるいはアヘン取引、奴隷貿易によって無尽蔵の財をなした。富を現代に継ぐ末裔は、自らの歴史を封印したまま多くを語らない。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rk/b431baa55f2f3583b40e8bc44fdf020b/?variantId=b431baa55f2f3583b40e8bc44fdf020b">プラナカン</a></td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【ウクライナ侵攻までの3000日】webp画像につき開示できず大前仁 著、 毎日新聞出版、2023年刊<レビュー>より著者の大前さんは、毎日新聞の特派員として10年以上もモスクワに駐在した正にロシア通の方のようだ。その間2000年代後半から度々ウクライナを訪れ、2014年3月のクリミア併合から2022年2月の全面侵攻までを、特に2019年に行った精力的な取材を通じて線でつなぐ。学者と違い奥深さは少ないとしても、ジャーナリストとしての現地の声の集約などには説得力がある。 <読む前の大使寸評> 追って記入booklog<a href="https://books.rakuten.co.jp/rk/6917f178905c3dd99e6295d6f0b01e0a/">ウクライナ侵攻までの3000日</a></td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【ウクライナ侵攻10の焦点】webp画像につき開示できず 朝日新聞取材班(著) 、朝日新聞出版 、2023年刊<「BOOK」データベース>よりロシアのウクライナ侵攻は、全世界に衝撃をもって受け止められた。侵攻から1年の間に、現地では何が起きていたのか。ウクライナ入りした記者たちのルポを中心に、10の角度から戦争を浮き彫りにする。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17394527/">ウクライナ侵攻10の焦点</a></td></tr></tbody></table>
2026.04.09
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常日頃、ネパール人が作るインドカレーを愛顧しているのだが・・・ここで一歩踏み込んで香辛料貿易が載っている『「香辛料貿易」をめぐる戦い』という本を、再度読み直してみようと思うのです♪*********************************************************<img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/ffabefe1f0ec1490b1461983c5dfd6c926211ddb.26.9.9.3.jpeg" border=0 name="insertImg" /> 「香辛料貿易」をめぐる戦いが、ポルトガル、スペイン、オランダ、フランス、イギリスなどの間で繰り広げられたが、その経済的背景には、香辛料貿易が運送が容易な割に利益が大きいという事情があったのです。・・・そのあたりの状況について、ネットを覗いてみました。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50"><a href="https://www.y-history.net/appendix/wh07-023.html#wh1002-002">ハイパー世界史用語集「香辛料」</a>より インド、東南アジアが産地の、西欧の食生活で不可欠とされた産物。インド洋交易圏・東方貿易の主要な交易品であり、特に大航海時代以降の香辛料貿易は活発に行われた。 広い意味で香料ということもあるが、厳密には香辛料(スパイス)は口に入れて刺激を味わうもので、胡椒・丁字・肉桂(シナモン)・ナツメグ(肉ずく)・カルダモン・ジンジャーなどがある。それに対して狭い意味の香料は、香りを楽しむもので、乳香や白檀などであるが、これも東南アジアの特産であった。 これら香辛料類は育成に気候の適したインド、東南アジアの特産のものであったのでインド洋交易圏の主要な交易品であったことが『エリュトゥラー海案内記』などからもうかがえる。さらにムスリム商人によって紅海を経て地中海に運ばれ、レヴァント貿易(東方貿易)で主としてヴェネツィアの商人によってヨーロッパにもたらされ、肉食文化の中で需要が高まり、高額で取引された。一方、香辛料は南シナ海を経て中国にも運ばれていた。 15世紀に入り、オスマン帝国の地中海への進出によってレヴァント貿易が困難になると、香辛料を求めて直接アジアに進出しようとしたポルトガルによってアフリカ南端を廻るインド航路が開発され、ヨーロッパとの間の直接的な香辛料貿易が始まった。つづいてスペインやオランダ、フランス、イギリスなどが香辛料貿易に乗り出し、香辛料はさらに重要な交易品となった。 しかし、インドにおいてはイギリスの覇権が確立する過程で、イギリス東インド会社の扱うインドからの輸出は綿花や茶が主力となっていき、香辛料貿易はインドネシアに進出し、オランダ領東インドを植民地支配したオランダが主導権を握ることとなる。■香辛料の種類と産地 注意しなければならないのは、香辛料と言ってもその種類が多く、また種類ごとに産地が違うと言うことである。またその多くは現在でも産地の風土が限定されるためか、特定の土地に限られることが多い。胡椒は最も広く見られ、インドのマラバール海岸(カリカット、コチンなど)、東南アジアのスマトラ島などが有名であった。肉桂(シナモン)はセイロン島(スリランカ)の特産であった。丁字(クローブ)はモルッカ諸島のテルナテ、ティドーレなど5つの島でしか産出しなかった。肉ズク(ナツメグ)はモルッカ諸島の南のバンダ諸島でしか産出しなかった。 特に丁字・肉ずくの特産は香料諸島と言われ、16~17世紀にはポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスが激しくその利権を巡って争うことになる。■香辛料の需要 ヨーロッパでは12世紀頃から、牧草の枯れる冬の前に家畜を屠殺して保存し、食料とする肉食が一般化したが、塩漬けにされた肉を食べるには、胡椒などの香辛料でにおいを消さなければならなかったため、その需要が急速にのびた。つまり、肉の味付けと保存のために胡椒などの香辛料が必要であったので、特に上流社会で次第に多量に用いられるようになった。そしてこの香辛料貿易は、運送が容易な割に利益が大きかったので、貿易商人達は競ってその輸入を行った。</TD></TR></TABLE>「香辛料貿易」をめぐる戦いとしては、以下の本が興味深いのです。<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202011110000/">『カレーの世界史』1</a><a href="http://02219715.at.webry.info/201711/article_34.html">『東インド会社とアジアの海賊』4</a>:オランダ東インド会社の登場<a href="https://02219715.at.webry.info/202003/article_14.html">『スパイス戦争』3</a>:日本人海賊の登場運送が容易な割に利益が大きいと言えば、イギリス―清国間のアヘン貿易が酷かったようです。*********************************************************■2021.02.26 「香辛料貿易」をめぐる戦い https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202102260002/
2026.04.06
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宮崎駿編、金原端人訳の『ブラッカムの爆撃機』という本がええわけで・・・・以下の通り復刻して読み直してみようと思ったのです♪*********************************************************図書館に予約していた『ブラッカムの爆撃機』という本を、図書館に借出し予約してほぼ4日後にゲットしたのです。この本には、冒頭と巻末に宮崎駿の漫画を載せているサービス満点の試みがええわけで・・・また、訳者の金原端人さんが、当時の英軍パイロットの皮肉たっぷりの雰囲気を伝えています。【ブラッカムの爆撃機】ロバート・ウェストール著、岩波書店、2006年刊<「BOOK」データベース>よりイギリスの作家ロバート・ウェストールの作品集。大戦下の少年たちの友情と恐怖を描く「ブラッカムの爆撃機」の他、「チャス・マッギルの幽霊」「ぼくを作ったもの」の2編に、リンディ・マッキネルによる「ロバート・ウェストールの生涯」と宮崎駿のカラー書き下ろし「タインマスへの旅」を収録。<大使寸評>この本には、冒頭と巻末に宮崎駿の漫画を載せているサービス満点の試みがええわけで・・・また、訳者の金原端人さんが、当時の英軍パイロットの皮肉たっぷりの雰囲気を伝えています。<図書館予約:(6/27予約、7/01受取)>amazonブラッカムの爆撃機この本で著者ロバート・ウェストールの生涯を、見てみましょう。p212~214<ロバート・ウェストールの生涯> ロバート・アトキンソン・ウェストールは、1929年10月7日、イングランド北東部のノーサンバーランド州ノースシールズの、ヴィカレッジ通り7番に生れた。父親もロバートという名前で、近くのガス工場で整備工として働き、職長をしていた。母親のマギーは、生地店で働いていたが、1926年に結婚して退職した。 息子のボブ(ロバートはいつもそう呼ばれていた)はひとりっ子で、家族の愛情を一身に受けて育った。父のロバートもひとりっ子だった。ボブは父方の祖母が大好きで、「ナナ」と呼んで慕った。ナナと祖父は近くに住んでいて、幼少時代のボブに大きな影響を与えた。母方の祖母は未亡人だった。祖父のジョージ・レゲットは、ボブが生まれる3年前になくなっていたが、もとはイングランド東部、ノーフォーク州の羽振りのいい建築業者だった。(中略) ボブが三歳のとき、一家は郊外のボークウェル・グリーン地区に引っ越した。そこは当時、ノースシールズの中でも、緑豊かな野原にかこまれた地域だった。ボブは五歳になると地元のコリンウッド幼児学校に入学し、八歳でチャートン小学校に進んだ。が、このときすでに、同級生よりもかなり優秀な生徒だった。すでに字が読めたのだ。これは偶然の産物だった。 ボブは四歳の頃、父親の膝に抱かれて本を読み聞かせてもらっていた。ボブの父は十二歳まで初等教育を受けたきりで、読みながら指で文字をたどる癖があった。ある日、父が気づくと、ボブはひとりでもっと先を読んでいたので、妻とともに奇蹟でも起こったかのように驚いたという。 ボブは神童のようにもてはやされ、自信を持つようになった。父はまた絵も教えてくれて、ボブは息をするように自然に絵を描けるようになった。授業でも、ボブは真っ先に与えられた課題を終わらせるので、よく、することがなくなってしまった。そのため教師から、「自分で何かみつけてやっていなさい」といわれるようになり、本人いわく「ちび学者」になった。どんな本でも手あたりしだいに読んで、知識を吸収したのだ。 1939年、ボブが十歳になる直前に第二次世界大戦が勃発し、タインサイドはドイツ軍による空襲の標的となった。ボブは戦争に夢中になり、ラジオから流れる戦況のニュースに熱心に耳を傾けた。この時代は大体において、少年にとっては胸おどる時代だったようだ。ウェストール一家も他の家族と同じようにアンダーソン式防空壕を手に入れ、裏庭に組み立てた。この防空壕の中で、昼も夜も、夏も冬も、多くの時間を過ごした。 ボブの父は、昼間のガス工場での仕事に加えて、夜は防空監視員として活躍した。ボブは自転車に乗るようになり、じきに隣町のタインマスの地理にくわしくなった。タインマスは海辺の保養地で、歴史的な建物や史跡がたくさんある。この頃何度も訪れた城跡、修道院の廃墟、コリンウッド提督の記念碑、タインマス有志海難救助隊監視所などが、のちの彼の小説に登場することになる。 1941年9月、十一歳で、ボブは奨学金をもらってタインマス・ハイスクールに進学した。この学校のことを彼はのちに、「天の王国」のようだったと書いている。ボブは水を得た魚のように活躍した。この頃には背ものびてがっしりした体つきになり、ラグビーやテニスも楽しんだ。この学校で出会ったふたりの教師にボブは後々までずっと深い恩義を感じていたが、そのひとりをモデルにした人物が、彼の処女作『“機関銃要塞”の少年たち(原題The Machine-Gunners)』に登場している『ブラッカムの爆撃機』1https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202007090000/上記図に宮崎さんが訳文をつけています。【無線士ゲアリーの乗るG号機】 ドイツ上空時速200km(新幹線よりおそい) イギリス、ヴィカース社製、正式名ウェリントン中型爆撃機 1936年(昭和11年)初飛行、ゲアリー達の乗るⅢ型は最高速度408km/hとあるが、爆弾を積み、フル装備では200km/hが実用的な速度だと思う。 総生産機数11,461機(日本の零戦より多い!) 小説の1943年中頃には、旧型機としてドイツ爆撃からはずされようとしていた。クレフェルトの爆撃行約700機の内、ウィンピーは、もう1割位だったらしい。史実では、この作戦で9機のウィンピーが失われている。おそろしい損失率。
2026.04.02
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図書館で『プラナカン』という本を、手にしたのです。聞き慣れない『プラナカン』ということばが気になるので・・・チョイスした次第です。 *********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【プラナカン】webp画像につき開示できず太田泰彦 著、日本経済新聞出版 、2018年刊<商品説明>よりプラナカンと呼ばれる異色の民が、東南アジアの国々にいる。 ある者は貿易で巨万の富をつかむ夢を抱いて。またある者は凶作と貧困から逃げ出すために。福建や広東の華人たちは、生死をかけてマラッカ海峡の新天地を目指した。男たちはマレー半島やスマトラ島、ジャワ島の妻と所帯を持った。熱帯の日差しを浴びて生まれ育った子孫が、やがて中国でもマレーでもない、万華鏡のように色鮮やかな独自の文化を開花させていった。彼らは、華僑とも異なる存在で、アジア経済界で隠然とした勢力を誇ち、その気高い美意識を誇る氏族の素顔は、いまなお謎に包まれている。19世紀には英国の東インド会社と手を組み、香辛料貿易、スズ鉱山、ゴム栽培で商才を奮った。あるいはアヘン取引、奴隷貿易によって無尽蔵の財をなした。富を現代に継ぐ末裔は、自らの歴史を封印したまま多くを語らない。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rk/b431baa55f2f3583b40e8bc44fdf020b/?variantId=b431baa55f2f3583b40e8bc44fdf020b">プラナカン</a></td></tr></tbody></table>「第3章 日本が破壊したもの・支えたもの」から興味深いあたりを見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">P103~107<font color="brown"><英国と中国に協力した「罪」の代償></font> 最終的には6月25日に、5000万ドルの小切手を日本軍に上納する儀式が開かれた。その相手とは、当時の日本の新聞が「マレーの虎」と呼んだ人物。第25軍司令官、山下奉文中将である。 借入金を含めた5000万ドルの小切手が、リン・ブンケンから手渡された。プラナカンたちの血と汗の結晶が、山下の手に渡った瞬間だった。横浜正金銀行の小切手の現物が残っている。漢字で「林文慶」と書いたリン・ブンケンの署名が見える。 式の会場に山下が粗有れるまで、リン・ブンケンらは1時間以上、起立したまま待たされたという。山下は小切手を受け取った後、日本の対英米戦争の意義や日本人の道徳、美徳などについて1時間近く演説したという。 要求を突きつけてから実際の献金に至るまで、日本軍がシンガポールを陥落させてから約3ヵ月しかたっていない。なぜ、これほど急いだのだろう。 献金は第25軍の独断で実行されたようだ。計画の報告を受けた日本本土の陸軍省は、 <font color="brown"><ソチン虐殺事件></font> 日本による占領時代に、プラナカンの歴史は大きく道筋を変えました。その一つの大きな原因が、いまお話ししたように多くのプラナカン家庭の財産が失われたという事実です。 けれども、もう一つ失ったものがあります。プラナカンの人命です。私たちが「ソチンの悲劇」と呼ぶ事件のことをお話ししましょう。ソチン(Sook Ching)は中国語で「粛清」という意味です。そう、日本軍が多くの華人を粛清し、殺害した「ソチン虐殺事件」です。その史実を日本の学校ではあまり教えないようですが・・・。 日本軍はシンガポールに侵略前から「ソチン作戦」の実行計画を練っていたようです。侵攻後の素早い動きからみて、そう考えざるを得ません。1942年2月15日に日本軍がシンガポールを占領すると、彼らは直ちに「好ましくない華人」を見つけ出し、そして殺しました。 その「好ましくない華人」とは誰だったのか。日本軍は「プラナカン」とはいっていません。 しかし、多くのプラナカンが、自動的にこの分類に入りました。日本軍が捕獲と殺害の対象に指定したのは、特に中国の国民政府を資金的に支援していた人々だったからです。(中略)「粛清」は2月末から3月初めにかけて約2週間、続きました。18歳から50歳のすべての華人の男性は、島内のいくつかの登録所に出頭を命じられました。男性だけが対象です。彼らが「好ましい華人」かどうかを日本の軍人がその場で判断し、トラックで運び去りました。何が起きたのか・・・。埋められた大量の死体が後に発見されました。 南京大虐殺のシンガポール版という人もいます。被害者の人数は日本の見解では5000人だと聞いていますが、シンガポールとオーストラリアの歴史家は2万5000人~5万人と推定しています。</td></tr></tbody></table><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202603290001/">『プラナカン』1</a>
2026.04.01
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