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奈良の少年の放火殺人事件。少年院送致に決まったのですね。私はもうかわいそうでかわいそうで、涙が出そうなくらい。子供の頃から、毎日毎日父親に貼りつかれて勉強させられて、勉強できないとシャープの芯で頭さされて、殴られてけられて暴力振るわれて、やったら難しい勉強をえんえんやらされて、青春も子供時代の楽しい時間も何にもなしのあげく、今度は少年院で、その少年期の時間をすごさなきゃならないのか。その挙句、一生殺人者として、言われ続けるのでしょうか。 最近、数十年前に神奈川のS学園で起きた、高校生の少年の殺人事件が今一度、本となって出版されたために、ネット上でも、話題になっています。私がまだ、子供の頃に起きた事件ですから、そんな事件があったことなど、今回初めて知りました。 そして、そんな本をいまさらなんで出すんだろうとちょっと私は腹立たしい。作者は、当の殺人を犯した少年が大人になって、弁護士にまでなってしゃあしゃあと生きている事が許せないらしい。けれど、やっとこれだけの年月が経って、関係者たちの心から、当時の事件の傷がいくらかでも、薄らいできたかもしれないものを、もう一度ことを荒立たせるような事を何でするんだろう。当事者たちはどうかわからないにしても、その周りにいる身内、特に兄弟にいたっては、まったく責任がないのに、殺人者の兄弟としてずいぶんつらい思いをしただろうにと思うのに、その身内の人たちが、こんな本のせいでもう一度つらい過去を引っ張り出されるなんてちょっとあんまりなんじゃないのか。そこまで、この本の著者は考えないのだろうか。 当の殺人者が今、弁護士となって稼いでいるのに、謝罪も慰謝料の支払いもない事が許せないのだそうです。 でも、この本には矛盾点も多いらしいし、私自身ももなんとなく疑問が残る。 実際まだ、この本を読んだわけではないので、細かいことはわからないけれど、それでも、話の焦点が被害者側にばかり向けられている事がなんとなーく納得いかない。 家族に殺人者が出れば、父親は仕事を追われ、兄弟も又、世間からの非難を浴びるだろう。この少年に兄弟がいたかどうかわからないのでなんともいえないのだが、。そして、弁護士になったとしてもイコール金持ちとは限らない。ぜんぜん仕事のないびんぼーな弁護士だっているんだし、(『ドラゴン桜』の桜木健二もそういえば仕事のないビンボー弁護士だったっけ。)父親が自己破産したのも、わざとだと言うけれど、それはあくまで憶測で。実際仕事にならないでしょう。それでも、慶応、学習院とお金のかかる大学を出たという事で非難されているけれど、奨学金を受けていたかもしれません。 そのあたりの加害者側の部分ははたしてどうなんだか。まだ、本を読んでないのでそのあたり、考証されているのか、わかりません。なにしろ、図書館に予約したら、すごい予約数なんだもの。いつ読めるかわからない。やはり話題の本なんですね。 そして、その話題の学校に通う生徒たちだってこんな本がでたら、いい気持ちしないでしょう。今は、有名私立進学校として有名なんだけど、実はそのあたりでは、昔を知る人は首切り学校と呼ぶのだそうです。そんな事何も知らずに通う生徒さんたちはどうでしょう。それに、この事件のおきたS学園と今のS学院とは、実際のところほぼ別物のようなのです。それでも、そうやって過去の亡霊はあるのでしょうか。 事実を知らなければ、同じ学校と世間の人は見るでしょうし。いや、実は私も思いました。 それにしても、いろいろ他のサイトなど読んでいくと、当時のその学校もまたそうとう過酷な環境を作り上げていたようで、全寮制で、テレビを見る事も出来ず、食事の後も勉強の時間。きびしい戒律のカトリックの学校。被害者の少年にいじめられつづけた加害者の少年の状況を思うと、どちらもかわいそうでなりません。 それぞれどちらもたぶん、同じ条件でストレスをためて、一人は、いじめにはしり、一人は、殺人に向かったのだという事が。 少年犯罪の方が少女犯罪よりも、よく耳にするのは、やはり少年犯罪の方が多いからなのか。残虐性が高いから話題になりやすいのか。 男の子は将来家族を養っていき、あるいは、家をつぎ、親の面倒を引き受けていかなければならないその責任の度合いの高さもまた、少年にかかるプレッシャーの度合いを少女以上に高めているからなのでしょうか。 もし、私が加害者少年の母であれば、はたして、我が子をいじめ続け、殺人者にまでしてしまった相手の少年とその家族を一生許す事など出来ないように思います。謝罪もしたくないし、慰謝料もはらいたくない。それは被害者側の気持ちとおなじくらい。 そして、たとえ長い年月の末に被害者のしたことを許す事が出来たとしても、我が子がそこまで追い詰められていた事に気づかなかった自分自身だけは一生涯許す事は出来ないだろうと思うのです。子供というのは、自分が今おかれてている環境がどの程度のものなのか、なかなかに気づかないものだし、そこから抜け出す事も出来にくい。今時分がいる場がひどい状況である事にきづき、学校を抜け出し、大人たちにはむかえるほど強ければ、いっそこんな事件にはならない。だからこそ、母として我が子がそんな状況にあることに気づかなかった自分こそけっして許せないだろうと思う。 けれど、こんな本をわざわざいまいちど書いた著者とそれをさらにネットであおる某巨大BBSの人たちの偽善者振りにもものすごーく腹立たしい。 どちらがどう悪いかも、何をどうすればいいのかも、難しすぎて結論なんかとてもじゃないけど、でない。 殺人は悪いのはもちろんで、だから、悪いんだといってしまえば簡単だけれど、今現在自分の存在を否定しつづけ、自分の存在を危うくする存在を抹殺しようとする行為は、自己保存、自己防衛、の行為で、自己保存すら放棄してしまうにいたる今のいじめによる自殺とどっちがましなんでしょうねと聞いてみたい。 ただ、過酷な環境というものがいかに人の心をゆがませていくものか、それだけはわかる。そんな事件なんだろうと思う。 あまりにも、悲壮で細かいことを書き出す気にはなれません。詳細は他のサイトなどでご覧になってください。 参考サイト その1 その2 その3
2006年10月29日
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もうじきブログも一周年なんて書こうと思っていて、調べたら、とっくに過ぎてました。あほだ。10月10日でした。いやー10月の終わりごろかと勘違いしてました。 それでどのくらい書いたのか調べたら、なんとほんとにほぼ毎日。数えたら、書いてないのは、12回だけ。最初の頃の数日と葬式と旅行だけでした。 あとは、ほんとにせっせとセッせトせっせと毎日書いていて、われながらびっくり。日記なんて嫌いでろくすっぽ書いたことなかったのに、こんなに毎日一年間以上書いてたなんて。基本的に一日一回で、どうしてもかけない日はサボろうと思いつつ、ここまで書いていたとは、えー、後からの穴埋め日記は書いてないですからね。ブログってあとから、過去の日記書けるんですよね。デモ、ソコまではいいやと思って。それに、日記じゃなくて、記事だから。 いやもう、ほんとに。一年たっちゃいました。へへへ。
2006年10月28日
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舞台は古代から中世のあたりのイギリス。まだ、国として統一される以前。ブリテン島の民族とアイルランドの民族は反目しあっていた。ローマ帝国崩壊により、ローマの圧制からは開放されたものの、アイルランドからの勢力に屈服させられている日々。敵対するアイルランドを倒さなければ、ブリテン島コーンウォールに平和は来ない。そんな対立する二つの勢力に属する二人の男女の恋物語。 映画『キングアーサー』の少し後の時代の物語かもしれません。実は私この時代のお話大好きなのです。 久々のヒット。スゴーく良かった。以下、ネタバレ。そして、公式ページ ハーレクインヒストリカルを読んでるような感じでしょうか。なにしろ、ストーリーをまったく知らないので、二人は結ばれるのか、どうなるのか、はらはらし通しだったのでした。 『トリスタンとイゾルデ』は古くからイギリスに伝わる伝承の物語で、そののち、ワーグナーによって歌曲にされ、多くの人に親しまれている物語のようです。また、シェイクスピアの有名な戯曲『ロミオとジュリエット』の元ネタでもあるそうです。 もともとの伝承では、イゾルデの母親によって作られた媚薬を、間違えてトリスタンとイゾルデが飲んでしまったために、二人は恋仲になる。しかし、イゾルデはコーンウォールの領主マーク王の妃。というわけで、不倫のお話なんですね。このお薬を飲むところとか、二人の家柄が対立するものであるところが『ロミオとジュリエット』のモチーフになったのでしょう。 しかし、今回映画では、ストーリーが練り直されていて、媚薬は出てきません。毒を受けて、仮死状態になり、船に乗せられて流されたトリスタンが流れついたのが、イゾルデの住む城の近くの海岸。そこで二人が出会い、瀕死のトリスタンを看病するうちに二人は恋仲になっていく。わりに今見ていても不自然でない恋の展開です。そして、イギリス側の騎士であるトリスタンとアイルランドの王女であるイゾルデがお互いのことをまったく知らずに惹かれあっていくところがなんとも絶妙の設定です。みているこっちははらはらするもの。 そののち、すっかり回復して、イギリスに戻ったトリスタンがイゾルデの城を訪れ、イゾルデをコーンウォール王の妃として迎えるための試合に出る。二人はお互いが誰か知らない。イゾルデはトリスタンが勝てば自分の夫になると信じてはらはらしながら見ています。 しかし、運命は過酷ですね。トリスタンの勝利によってイゾルデがイギリスコーンウォールの王マークの妃になる事が決まってしまいます。 王妃となったイゾルデを忘れられずにいるトリスタンのぼーっとした愁いに沈む風情がいいんだよ。 そして、イゾルデの結婚のシーンがものすごく幻想的で素敵なのです。背中になにかの樹木(何でしょう。しらべるべき?)を飾って船に乗ったイゾルデが夫の待つ式場までいく。このシーンが素敵だった。 イゾルデが結婚した後も結局二人は、忘れられず、ふたたび、関係を持ってしまう。こりゃ絶対ばれるぞばれるぞと思っていたら、やっぱりばれちゃって。でも、この王様がイゾルデにぞっこんなんですよね。よっぽどいい女なんでしょうね。もちろん美人だけどね。だから一層二人の事を知った後は怒り心頭なんでしょうね。 でも、実は結婚する前から、二人は出会っていて、その時すでにひかれあっていたのだという話をイゾルデから聞いた王様は二人の事を許してくれます。そして、船に乗って逃げるように手配してくれます。いい男じゃないかー。イゾルデがトリスタンと出会っていなければ、そのまますんなり王様に惚れたんじゃないでしょうか。ほんと運命って皮肉。 ところで突っ込みたいのは、瀕死のトリスタンを助けるため、いきなり、イゾルデが裸になってトリスタンを抱きしめるシーン。いくら、相手は死にそうといっても見ず知らずの男相手に、うら若い乙女がこんな事って出来るものなのかなあ。私なんかだと、きっとどうしようどうしようとうろうろしてるうちに相手が死んじゃったなんてことになりそうです。 これってやっぱり運命? そののち、アイルランドが攻めてきて、トリスタンは死んじゃうんだよ。つまり最後はやっぱり悲恋なんですね。せっかく許してもらったのに。ああ、もったいない。 もう、最後まではらはらしまくりの作品でした。 伝承と変えてあったので、絶妙の設定をフルに生かしたラブストーリーとなっていました。現代社会じゃこんな悲恋もうないものね。 基本として、ランスロットとギネギィアの恋物語がどうしても浮かんできちゃいますけどね。似てるから。 この時代こんな事よくあったのかなあとか、思っちゃう。そういえば、源氏物語も父親の帝の妃と関係しちゃう物語だものね。こういうシチュエーションて、やっぱし一番面白いんでしょうね。禁じられた恋ほど盛り上がるものらしいし。 ところで、この映画見ててやっぱり、イギリスとアイルランドっていうのはねやっぱり別物なんだなあと、思いました。この頃からこんなに反目していて、今もイギリスとアイルランドってもめてるでしょう。ブリテンの中のほかのケルトとか、アングロとかいろいろいた民族はまとまってイギリスになったのに、アイルランドはどうしても、混ざらなかったという事はやはりまったく別の民族なんでしょうね。だとすると、やはり、アイルランドは無理に併合しないで、独立国家として、政治は分けたうえで連合国家にしといたほうが平和なんじゃないかと思うんだけど、ところで、今現在のブリテンはどうなってたっけかしら。 でも、映画の中では、アイルランドの方が強いんですよね。そのあと、イギリス本土の方は民族が連合して戦っていった事で、アイルランドより勢力を強める事が出来たのでしょうか。結束って大事ですねえ。 恋愛映画 トリスタンとイゾルデ@映画生活
2006年10月27日
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ままちりさんのところで、紹介されていて、すごく面白そうなので読みました。面白かったよ。ようするに、「あやかし」という妖怪がうじゃうじゃ出てくるお話。こういうお話は面白いですよね。江戸時代の商人の家が話の舞台なのも珍しい気がします。 この作品、日本ファンタジーノベル大賞の受賞作なのでした。日本ファンタジーノベル大賞というと、すでに17回も、行われている新人発掘のファンタジー分野。なんと第一回の受賞者は酒見賢一で、受賞作の「後宮小説」も面白かったです。非常に個性的に作品を書く人ですね。これは、当時アニメ化されて、テレビで放送されたのを見ました。ただ、原作はちょっと子供には読ませられない。そして、第二回の受賞者がいまでも、話題を振りまくりまくりの鈴木光司さん。そう、あの「リング」「らせん」を書いた人。受賞作「楽園」も、やはりアニメ化されて、見ましたよ。そのあと、ファンタジーというより、こわーい話になってきて、どんどん売れちゃってすごいですね。でも、第三回以降はあんまり目にしてなくて、すっかり忘れていたのでした。でも、ちゃんと続いていたのですね。で、今回の「しゃばけ」なんかアニメにしても、実写にしてもおもしろそう。映像化しないんでしょうかね。だって、この後もシリーズ化してて、5巻まででてるのです。 私この手の話好きです。 こんな風な、妖怪系のストーリーでは、 『百鬼夜行抄』 特に限定なく、いろんな怖い話が出てくるのよ。でも、私も不思議となんとか読めます。いろんな妖怪とか、出てくるのよ。でも、木についてる二匹の文長の妖怪とか、かわいいのです。『ワンゼロ』(佐藤史生作)とか近未来、コンピューターとあやかしという両極がお話の中で絡み合っているのがお見事です。『雨柳堂夢噺』 骨董屋さんの息子が主人公だったかな。お店の骨董についてるあやかしがかわいい。とかあります。みんなおもしろいよ。 しかし、この「しゃばけ」は、感想が面白い、しかない。面白いんだけど、そんなに訴えてるものがないんで、やっぱり、感想としては、面白いしかでてこない。 つまり、気楽にたのしく読めるお話ですね。でも、まあひいて言えばものを大切にしようとか、あと、江戸時代の暮らしの描写が多くて、そのあたりがよくわかる。大工が大切にしていたものを隣の人がちょっとした理由で割っちゃった。それが物語の発端です。ファンタジー
2006年10月26日
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女の子同士にだって友情はあるんだ。偶然に偶然が重なって、知り合ったばかりの見ず知らずの二人が同居を始めた。しらない他人と暮らすなんてすごい勇気がなかったら、イマドキとてもじゃないけど、出来ないだろうと思う。それなのに、そんな不自然でもなく、すんなり、見れちゃうのはなぜなんだろう。それはたまたま二人が同じ名前だったからなんて、そんな理由じゃないはずだ。 青春という言葉にすれば美しいけれど、実際は自分の未熟さゆえに招いてしまう数々の失敗や、マイナスや、後悔や、そして失恋。それゆえに味わう心の痛みをお互いにお互いがわかりあって、何気なく手助けし合える二人がうらやましかった。 これは、ラブストーリーだとばっかり思ってしまうけれど、本当は女の子二人の友情物語なんだよ。 奈々役の宮崎あおいがすんごくかわいくてびっくりでした。パート2では、女優さんかわっちゃうんだよね。残念。しんちゃん役が松山ケンイチで、全然存在感なくてね。これも、次は俳優変わるらしい。なるべくかわいい美少年でありますように。期待。 奈々は普通の女の子に見えるけど、原作では、高校生の時にすでにサラリーマンの彼氏とかいて、経験は豊富な女の子なんですね。でも、かなーりわがままです。章二君は優しすぎて、こういうタイプの女の子は重荷になっちゃうわけですが、映画だとそのあたりわかりにくいですねえ。原作だと、もっとゆっくり書いてあるので、なぜ奈々と章二が別れちゃうのか、わかりやすいんだけどね。だから、奈々みたいな女の子には、もっと強気で押しのつよいタイプが合うはずと、思ったら、ちゃんとそのあと、トラネスのたくみと結婚してる。やっぱり作者さんはそのあたりよくご存知。 原作はもっと冗長なんだけど、(それでも、面白いけどね。)それを、二時間枠の中にうまく収めて、キャラクター一人一人の状況設定も、無駄なく説明してあるし、原作の雰囲気も失ってないし、なかなか良く出来ましたのシナリオでした。 そして、原作では決して聴く事の出来ない、ナナやレイラの歌声も聴けてやっぱり映像化の甲斐はありました。しかも、ちゃんとリアルでも、この二人の歌はそこそこヒットしたし。いい歌入れてありますね。 これが、歌が売れてるという物語の設定とは逆にリアルでぜんぜん売れない詰まんない歌だったりすると、他がどんなにいい出来でもしらけちゃうから。そのあたりが音楽映画のポイントなんでしょうねえ。 原作知ってても、感動できるいい作品でした。やっぱり原作いいと、映画もいいね。てか、この原作はほんとにいい作品なんだなあと感心してしまった。結構たくさんでてくるキャラクターの一人一人の性格設定が、とても、細やかで、こういうとこちゃんとしてるからこそ全体が面白くなるわけで。 原作まだまだ続いてます。映画もシリーズ2が出てくるし。 次回作はどうかなあ。公式ページだよん。 日本映画、邦画NANA
2006年10月25日
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娘も中二の秋。そろそろ学校でも、受験の説明会です。三年生向けの説明会で、一、二年生の保護者も参加可能だったのです。 最近の高校受験は独自性の主張と確立のおかげで、おそろしく複雑です。こんな、説明会を聞きに行っても、いろいろ読んでも、なーんかいまいちわかりにくい。でもなにやら、どうも、受験当日の試験だけで決まったような昔とは全然ちがうらしい。前もって親ないしは、先生が志望校に行って、志望校の先生と、お話しないとだめみたい。「うちの子はお宅の高校を志望してます。模試の成績は、こんなで、学校の成績はこんなで、普段の行動は、こんなで、なんですけど、どうでしょう。いれてくれますか。」と、前もって、話をつけないと、当日の試験一発ではだめらしい。ほんとに前もって説明会とか行ってないと入れてくれない学校もあるらしい。 こうなるともう、受験というより、営業活動による、契約の成立って感じですね。しかも、生徒一人一人を先生が相手の学校に一校づつ出向いて、交渉してこないとならないらしい。 生徒はみんな志望校はほとんど違うんだから、生徒が150人いたら、その分だけ全部、行かないとならない。てことは、先生ってすごく忙しくないですか。なーんか最近の先生がイライラ気味で、いじめに走るような行動とるの無理ないような気がしてきます。(こんなこと書くとまた、クレームがきちゃいそうだけど。) 先生十数人で手分けして、生徒の志望校すべて、回るわけですから。一校で、一日つぶれますね。県によっては、もう、私立校への交渉は先生ではなく、親がすることになったそうですが、東京はまだみたい。都立校だって、倍率が上がり過ぎないように、中学校同士で連絡取り合って調整していたようですよね。最近はこのあたりかわったようでもありますが。 今現在私立は半分が推薦で決まるそうです。でもねまだまだ細かいことはよくわからない。だから、今回の進学説明会もこの時期に三年の親集めて、説明してもね。お母さんたちわかってるのかな。しかも、イマドキの母親は働いてたりして、忙しいから。こんな行事すら、全員参加のはずなのに、来ない。ヒトゴトながら、心配になってきたりして。 私立なんか前もって説明会とか、行ってないと、まずいところもあるらしいのに。まあ、このあたりまでしか細かい事情はまだわかんないけどね。 それにしても、今の先生こんなことばっかりしてたら、学校の行事とか、一番大事な授業とか、おろそかになってそうなんだけど、どうなんでしょう。それも、大事な受験の時期に。 そのほかにも、親が模試の結果をもって学校に相談にいったりとか、なんだか、受験て言うより、営業活動みたい。 私立の半分が推薦で決まって、都立の二割りが推薦で決まると、そのあと、本番の試験を受けないと決まらない生徒は二月ごろ、プレッシャーだなあ。 とにかくなんだか、はてしなく複雑で、私の頭はこんがらかりまくってます。 都立だって、学校ごとに成績の計算の仕方とか、ちがうので、大変そうです。 公立なんて、フランチャイズなんだから、全部同じでいいじゃんかよーと思わずわめきたくなった。安くてどこでも同じ味。お近くのお店へどうぞ。てね。 どこいっても、ほぼおなじ授業なんだから、とにかく、家の近くを受ければ良いやなんていう昔ののんきさとは違うなあ。 それというのも、「公立が落ち目なのは、ドコモみんな同じでそれぞれの学校ごとの個性がないからだ。学校としてのピーアールがたりないからだ。」なんて、誰かが批判したからだ。 それで、結局独自性とか言い出して、成績の計算法をいろいろ変えてみたり、ピーアールカードなんて作ってみたり、授業のカリキュラムを工夫してみたり、そして、とにかく、結局その結果どこの学校も進学校化しているご様子。ピーアールカードは今年から、効力薄れるみたい。点数化しないで、面接とか、同点の場合の切捨てのための資料にするんだって。 独自性の結果どの学校も進学実績あげるのに必死な進学校と化し、つまりドコモみんな同じ。しかも結局、都立高も私立に似てきただけのような気がします。 行きたい都立高が選べるようになったので、いくつか見てみたけど、結局どこも、帯に短し、たすきに流し。これだっていうところがない。 そして、選ぶ基準の最大のポイントは、我が子の頭と学校のレベルがかみ合うかどうか。そして、通うのに、遠すぎないところ。 つまり、昔の選び方と全然変わってない。どこの都立も進学校化をめざしてるんだから、個性も何もあったもんじゃない。 生徒を呼ぶために制服変えたりもしてて、つまり、私立とやってることは同じ。 キャッチフレーズもドコモここも結局にたりよったり。 求める側の要求にこたえてるんだから、同じになるのは当たりまえ。 それなのに、システムだけがやたら複雑化してくれて、めんどくさいことこの上ない。 なんだかなあ。 学校が大人によって作られてる。 でも、学校って生徒によって作られる部分もあるのに。 歴代の生徒たちによって作られてきた伝統は、文化祭や、クラブなんかに残っている。 先輩の作った自分たちの学校独自のいろんな行事を良いと思うからこそ後輩たちが引き継いでいく。 たまたま入学した生徒たちの好みによって作られていくクラブや、同好会や、サークルは、やはり学校ごとに違っていて、文化祭や、合唱祭も違っていて、そんな代々の伝統に引かれて、受験生たちは、その学校を志望する。それは、学校サイドが作るものとはまったく違う。 私立校が宗教や建学の精神によって学校サイドによってその校風を維持しているのとはまったく別に都立高校の個性とは生徒たちが作ってきたもの。 かつては、大学紛争が高校にも、波及して、その結果として、制服がなくなったり、校則が変わったり、そんな風にして、新しい校風が作られていったことを思うと、今の学校主体の都立高校の独自性の主張なんて、どれほどのもんですかと思わないでもない。 これから、中三になっていろいろ実際にやってみないとわからないけど、今現在私は、あまりにも複雑になった受験システムにちっとお怒り気味なわけです。 で、この話をだんなにしたら、びっくりしてました。そういえば、まだ全然説明したことなかったっけ。 高校受験
2006年10月24日
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この週末は珍しく忙しかった。中学校の進学説明会と、高校のお食事会と、塾の都立高校合同説明会が三日間にあったので。わたしは、ああいう人がひとつの部屋にいっぱいいるところに行くと、頭痛くなるんです~。二酸化炭素がいっぱいなんだもの。だから、家にいるときはほとんど寝てたの。来年はダブル受験なんで、だんだん忙しくなっていくと、ブログもだんだんお留守になっていくかもしれないです。 それにしても、最近の受験は学校の個性化のおかげで、システムがむちゃくちゃ複雑で、私は、頭がこんがらかりそうです。しかも、ダブルだから、なおさら。高校も大学も学校ごとにすべて違うので、ひとつづつチェックしなくちゃならない。来年私はどうなるかわかんないです。 それにしても、都立高校っておためごかしがないっていうか、結構うそつかないって言うか、自分の学校の実情をストレートに語ってくれて、良いなあと思いました。「うちの学校はいいんですよ~」と、とうとうと自慢ばかり語るような私立とは違う。 とくに、都立屈指のH高校なんか、ここだけ、校長先生じゃなかったのか何なのか、お話にしゃれたジョークとか入っていて、アカデミックな雰囲気を感じました。良いなあ。うちの子には関係ないんだけどさ。もうひとつのR高校はひじょーにカターイまじめなハナシップリで、ばりばり硬派でひたすらまじめに勉強する学校の雰囲気でした。ここは、知り合いが行ってるんだけど、話を聞くとすごく大変らしいですよー。 ほかにも、「うちはもう、ガラ悪いって言われちゃうんですよー。昔は良かったんだけど、最近はボロボロです」とか、と白状してて、文化祭見に行った私の感想もそうだったので、やっぱそうかーと思いました。包みかくさず、ほんとのこと行ってくれるところが良かった。で、結果ここもやめようかなととか考えちゃったりして。 こういうの聞きに行くとたった一人の先生でその学校の雰囲気って結構わかります。学校内部で見てると、先生たちはそれぞれ違うけど、外から見ると、その学校独特の雰囲気を先生たちは知らず知らずに身につけているので、そのうちの一人の先生を見るだけで、ほぼその学校の雰囲気がわかります。まず、はずれません。 大学受験だって、イマドキの複雑さでは、とてもじゃないけど、子供任せにはしてられないし。うーん。大変そうです。「行きたいところどこでもいいよ」っていったけど、全然どう決めればいいかわかんないみたい。子供なんてそんなものです。それでも、本人の志望を聞きつつ、話しアイです。 ところで、こんな本見つけた。学校や塾がくれる大学案内ってどうにも、めんどくさくて読む気しないんだけど、これは結構面白い。 普通の大学案内には書いてない大学の内情をリサーチして、聞き書きして本にしたって感じでしょうか。多彩なキャラがざわざわ行き交うヒューマンスクランブル明るく賢くエスタブリッシュに咲き誇る私大の華コンサバティブな優等生が集まる都心のこざっぱりまあまあの満足感を感じながら生きていける内弁慶ななどなどです。どこの大学か想像してくださいな。 でも、まだよく読んでないの。これをみた息子が「大学ってそんなにないんだね。」ですと。そうなんだよ、だから、とどこでも良いからとは言えないけど、とにかく引っかかってください。受験、入試
2006年10月23日
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地球に隕石が降り、人類の滅亡の危機が訪れることを知った政府は選び抜いた若者を冷凍睡眠によって遠い未来に送ることを決める。そして、7人を一チームとして、5チームが送り出された。その中で特に一チームは、過酷な未来で行きぬけるようにと前もって教育したチームであった。アウトドアや、サバイバル、医療から食料などすべての知識を仕込まれて徹底的に教育された彼らは、最後に七人だけが選ばれて、未来に行くことが出来る。そして、過酷な最後の試験が始まる。しかし、その試験はあまりにも過酷すぎて、試験が終わった時、選ばれた7人はすでに精神的にも肉体的にも疲弊し切ってしまっていた。 過酷な試験の後にげっそりと疲れきった7人の描写を見るに至って、私はやはりそうだよなと思うとともに、今の過酷な受験によって子供時代のすべてを費やして勉強した挙句、就職する頃には、すっかり疲れきって働く気も失せてしまったイマドキのエリートを想像した。ソコまで行かなくても、志望校に合格した頃には、すっかり勉強にいやになっている子供を思った。 まあ現代は、学校の教育内容の削減のせいで、学校の勉強だけでは、受験のための学習内容が不十分であるために塾に行かせざるを得ない状況がある。 しかし、それでも、中学一年からあるいは小学校の四年から週に三回も夜の家族の団欒をしてすごすはずの時間を塾に行かせるということがいやで、週一数学だけ塾通いというくらいである。どうしようかなと迷ってます。甘いのを重々承知で悩んでます。 週三日の通塾さらに、春夏秋の休みもすべてほぼ毎日塾があるとなると、子供はいつ、子供時代の無限の時間をのんびりと味わうのだろうかと、思い、合格する頃には、うんざりぎみの子供が頭に浮かんできて考えてしまうのである。 徹底的に仕込めば仕込むほどいいかというと必ずしもそうではないかもしれない。 この物語でも、訓練生たちを指導した教官の一人は、そのあまりの過酷さに疲れきった姿や、一緒に寝起きをともにした同胞が目の前で死んでもまったく気にもしないような訓練生の姿に疑問を感じ始める。 そして、自分の子供も、セブンシード計画のメンバーに入ることになっているのだが、彼らのような過酷な訓練はせずに、普通の愛情をかけて普通に育てたいと考えるようになる。そうして育てられたのが、この物語のヒロインの一人花である。 花は2巻から登場して、ごくごく普通の少女なのだけれど、読んでいると、なかなかどうして逞しい。元教官だった父親から、いろいろとサバイバルのための基本的なことは仕込まれてもいる。 親が愛情込めて、普通に育てていくことで得られる、内面的な強さというものは、過酷な訓練によって教えられた技術よりずっと、人の生きる力を育てるのではないかと、そういう物語なのだと思う。 現在9巻まで出ているけれど、まだまだ続きそうです。過酷な訓練を受けたチームがこれから、未来世界でどう生き抜いていくのか。 見ものですね。田村由美の漫画はハードでパワフルで面白いです。 9巻がなかった↑
2006年10月22日
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豊洲のララポートも、オープン。先々週行ったけど混んでました。(そして、今頃書いている私。)まさにウォーターフロント。目の前に運河があって、ララポートの建物と運河の間が公園。芝があってワンコロとお散歩。ララポートの中には犬専門のショップがあって、その前にはドッグランもある。でも、あの公園があるならドッグランはいらないのでは。と、思うくらい広くて気持ちよさそうでした。海外のショッピングセンターもいろいろ観てきて、日本にも同じようなおしゃれで素敵なショッピングセンターが後を追うようにでき始めて、外国のようで楽しい。ウォーターフロントのショッピングセンターは珍しいです。お台場もそういえばウォーターフロントだったっけ。なにやら、犬にやさしいショピングセンターみたいです。犬好きには天国です。でも、犬嫌いには…。やさしくないところともいえる。買い物に夢中で、ふっと振り返ると、でっかいシェパードが!きゃーーーーーーーーー!!!!!やめてね。 ハワイアンバーガーは食べたけど。並んだ。うまかったけど。あっちもこっちも混んでたから、スペアリブも、ドーナツも、チョコソフトもあきらめました。フードスーパーも満員。混んでるコン出る。でも、不思議と車はすんなりパーキングに入れました。夢みたい。だって、船橋のララポート周辺は、千葉の行政の悪さと、近所にある、競馬場と、オートレース場とイケアのおかげで混んでます。いつも。特に競馬場がオープンの時は。あそこの交差点。せめて、右折専用信号機がつけば、渋滞はずいぶん解消されるのに。どうして、誰も、船橋市とか、千葉県とかに苦情を言うとか、要請するとかしないのか、すごーく不思議。県境を越えた途端に走りにくいことこの上ない。これだから、千葉はーーーーーーーー。 いえ、豊洲の話題でしたっけ。きょうは。 とにかくハンズがはいってるから、これからは渋谷とか、池袋に行かなくてすむ。しかし。最近はハンズに行くほど欲しいものはないけど。 建物がですね、基本の三頭のほかに船の形をしたものが四つ。ウォーターフロントなショッピングセンターです。そのうえ、船着場もあるし、浅草から船でこれます。こんなのは初めてです。ここらがまさに、「湾岸アンダー」なんだよ。と、私はいいたい。って自分で勝手に名前付けました。 近々もう一回いって、手前の芝の公園もゆっくり散歩したいです。 東京
2006年10月21日
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最近ちょっと考える。ブログを書いている人、ブログを読んでいる人たちは、マナーってこと考えているかな。私もブログを始めたばかりの頃は、ブログってなんだっと思っていろいろと他のブログを読みに行きました。 そんな中で特に勉強になったのが、ここのサイト。 アクセスアップについて書いてあるんだけれど、他にも、ブログの基本的なルールやマナーも書いてあって、トラックバックを貼られたら、相手の記事を読んでこちらからも、貼り返すものだということも、コメントのやり取りが記事本体と一緒に記事を構成する重要な部分であることも、なるべく早めにレスしたほうがいいことも、知りました。 そのほかにもいろいろと書いてあったので、ひととおり読みました。 それでですね、このサイトの管理人さんは、なんと高校生なんですね。中学から、ホームページを作り出して、受験勉強をしつつ、サイトをしつづけ、さらに現在に至る。このサイトの文章や彼の主張、言わんとするところは結構うなづけるもので、本当に高校生ですか?と思うくらい見事なものです。 その一方でいい大人がネット上でマナー違反なことを堂々とやっているのも事実。 ネットと将棋に年齢は関係ないですね。 いえ、すごい人間というものは、若い頃からやはりすごいんですよね。 ネットにおけるマナーなんかもいろいろと書いてありました。勉強させてもらいました。 ところで、最近ブログをやっていると、マナーわかってますかと思うこと多いんで、ちょっと困ってます。 ブログの記事を読んでいて、その記事に反対の意見を持つこと自体はあることです。そのことをコメントに書くのはもちろん普通のことです。 問題はその先です。 でも、コメントのやり取りをして、意見の調整がつかないのであれば、そこで引くべきではないのでしょうか。私は、一回ないしは、二回、自分の意見を書いて、相手の意見がそりあわない場合はそこで引きます。 ソコのサイトはあくまで管理人さんのものであり、自分の意見が正しいと思ってもそれは、あくまで自分が正しいと思っているだけです。そのサイトは、その管理人が自分の意見を発表するためのものです。反対意見を書くにしても、やはり、節度と引き際は必要です。お互いに意見の合意がないとしても、とりあえず、反対の意見を書きこんだのですから、他の来訪者もその記事は読むわけですし、ソコまでが、限界だと、思うのです。それ以上にえんえとコメントをつけ続けるというのは、相手の家に入り込んで暮らしはじめるようなもの。 もし、自分でブログを持っているのなら、反対意見は自分のサイトで好きなように制限なく書けばいいのでないかと思います。その上でその記事を相手の記事にトラックバックする。本来トラックバックという機能はそのためにあるものです。実際には、あまり使われていないですけどね。 いままであった掲示板では、長文は書きづらかったし、匿名でもあったし、荒れる心配もあったし、ということで、その限界を乗り越えるものではないのかと思っていたのですが。でも、反論はあんまりトラックバック貼りませんけど。私は。 自分の意見が正しいと思っても、意に沿わない記事に対して、すべて否定し続けることは、言論の自由を規制するもの。怒りを感じたとしても、それをストレートに書いてしまうというのは、どうかと思います。徒党を組むかのように反対意見を書き並べていくのもどうかと思います。前に何人か書いてあれば私は、それ以上は書きません。書くにしても、表現は控えめにしてほしいです。かかれている記事に反論はあっても、それをし続けるれば、みんなが自分の本音をブログ上にかかなくなってしまうという危険性もマタ、あるのではないですか。(本音のない表面だけの気持ちいいブログばかりになってしまったら、おもしろくないんじゃないのかな。) そして、ブログを管理する側は、コメントを閉じてしまい、サイトを閉じてしまいます。ちょっと位の反論じゃびビラないような、タフな管理人ばかりじゃないですからね。 サイトを訪れ、記事を読んで、その過程でサイトを荒らすようなことはしないよう、気を配るべきものです。 それが最近、どうもそうじゃないなあと、見かけることが増えてきたようで、私はちょっと考えてしまいました。
2006年10月20日
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生涯忘れられないほどの相手に出会えるのなら、たとえ、それが悲恋であったとしても、人生の大切な宝石を手に入れたようなもの。 それは一生心の中で輝き続けるに違いない。 はっきり言って、私はめちゃうらやましいです。 江戸時代なので、好きな相手と結ばれないのは、仕方ないというか、そもそも好きな相手と結ばれるほうがめずらしいという時代なので、そのこと自体はまあ、普通かな、と、そう、思うわけですが。 それでも、できればやっぱり好きな人と結ばれたいよね。しかも、この物語の二人は家格もほぼ同じくらいの幼馴染なので、あんな事件さえなければ、結ばれていたかもしれないわけですし。 あこぎで強欲な家老と我が子だけがかわいい権力家の側室によっておこった跡継ぎ騒動にかかわり、切腹に追い込まれた文四郎の父。 武家としての仕事も失われ、ぎりぎりで、文四郎の家はおとりつぶしにならず、何とか暮らしていた文四郎に、ある日件の家老から呼び出しがかかり、復職となる。しかし、そんな喜びもつかの間。 幼馴染のフクは殿の側室となっており、フクの生んだ子供をきっかけに再び跡取り騒動が起こり、文四郎もまた、巻き込まれていく。 家老にフクの生んだ子供を盗み出してくるように言われるが、文四郎は、一連の状況をフクとその側近に伝え、なんとか、フクの子供を助け出そうとする。 フクの屋敷に踏み込んだ家老側の侍たちとの激闘の後、フクたちを助け出すことができる。 その後、己の欲得のために人の命など気にしない家老にせまり、親子二代にわたる怒りを家老にぶつけるシーンが爽快。 彼もまた、父と同じ事件に巻き込まれたことで父の気持ちに触れることができただろうか。文四郎自身のかかわった事件を通して、前半では描かれなかった文四郎の父の行動、父がつら抜こうとした義というものが見えてくるという二十重ねのような物語なのである。 ラスト、二人は最初で最後の告白をする。それぞれに自分が相手を恋い慕う気持ちの、その婉曲な表現がなんとも絶妙でみごとである。 木村佳乃の気品あふれる美しさとともに、二人がかわす言葉の一つ一つが美しい輝きとなって画面を流れていくようでした。 「あなたのお子が私の子で私の子があなたの子であるような、そんな道はなかったのでしょうか、と。」 ところで、物語の冒頭にこの二人が夫婦として登場しているというオツなシーンがありました。夫婦であったかも知れない二人が、夫婦になれなかったのは、たった一人のないしは二人の人間の、ただの欲望のせいでした。けれど、ソコまで悪意がなくとも、普段の何気ない行動が、誰か知らない人のあるいは身近な人の人生をかえてしまうかもしれない。ハンドルの切り間違いや、一瞬の判断ミスや、このくらい大丈夫といった過信。酒という欲望との葛藤。人の運命を変えるのは実は神ではなく人なのではないのかと、なるほどと思った一瞬でした。 最後にですが、一番最後の文四郎のキメゼリフが、予告編に使われていて、レンタルやさんでも、デモがずいぶん流されていたので、私はすでに覚えてしまうくらい何度も見て、聞いちゃってるので、「感動がうすれるじゃないかー」と言いたいです。最後の最後の感動のシーンを予告編に入れたり、デモで流したり、そんな、映画会社自ら、映画のネタばれをするようなことはやめてください。せっかくのいいシーンがすでに何度も見てるとなると、興ざめするし、感動しが薄れるし、やめてくれといいたい。のです。 ほかにも、映画の中のクライマックスの一番いいシーンとかを予告編に入れたり、最近そういうの結構あるよね。なんで、映画会社自ら、ネタバレするかな。いったい、宣伝部は何を考えてるのか。売れればいいんですか。製作側はせっかくがんばっていい作品作ろうとしてるのに。 「忘れようとしても、忘れ果てようとしても、忘れられるものでは、ございません。」 市川染五郎さん、名演でした。 あ、あたしもネタバレしてルなあ。公式ページです。 日本映画、邦画映画の感想
2006年10月19日
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「いい加減本気で対策とればいいのに」と思うけど、相変わらずなくならないようですね。いじめって。私もどちらかというと、いじめられる側。今思うと無理なかったのかなという部分も認めざるを得ませんけどね。でも、こんなにひどくはなかった。 いじめなんてもちろんいじめるほうが悪い。しかし、いじめる方に圧力かけてストップかけても、いじめられる側にある程度の要因なんかがあると、結局また、別の集団で同じ目にあう可能性もあるし。 いじめるのは悪いです。けれど、みんなあんまりいわなくなっちゃったけど、いじめられる側の子を修正することも大事なことだと思うんですね。 いじめられる子にある程度その要素がある場合がある。こういうのは、やはり、大人の力で修正した方がいいんだけど。 たとえば、英語にはじまる外国語というものは、というか、言語というものは、子供のうちから、日常的に接して身につけていく分には、感覚的に習得してしまうからいいのですけれど、ある程度大人になって、外国語として、習得するには、もう、文法という形にして、理論と理屈で学習させたほうがいいそうです。だから、中学や、高校で文法、文法と必死に勉強してるんですけどね。 いじめられる子もまた、これに似ていて、本来子供の頃から、感覚的に習得しているはずの、集団内でのルール、暗黙の了解のたぐい、をある一定の年齢までに身に着けているはずのものを、学びそびれてしまったのではないかと思います。本来言わなくてもわかるはずのもの、自然に知っているはずのものを、学びそびれてしまう。あるいは、本人には、まったく悪意はないにもかかわらず、他人を不愉快にするような発言をしてしまう。あるいは、自覚しているにもかかわらず、不快になるような言葉を発してしまう。内心まずいと思いながら、なぜかそういう行動をとってしまったり、発言してしまったりする。こいう子達が集団の中で浮き上がってしまったり、いじめられてしまったり、不登校になってしまう。 こうなるともう、彼らには、なかなか自分で自分を修正できない。また、まったくわかっていない場合など、どうして自分がいじめられたり、仲間はずれにされたりするのかわからない。 いじめる子をしかる一方でいじめられる側も何とかしてあげないと、大人という強権でストップをかけているうちはいいけど、社会に出れば、そんなことはしてもらえないのだから。やはり、なんとか、わかる大人が理詰めで、理屈で言葉で子供のうちに根気欲教えていくしかないのですね。場合によっては、保護者なども、子供を修正する力がない。気づいていない。気づいていて、何とかしようとしているのだが、どうしてもできない。というパターンがあります。こうなると、第三者的な存在が介入するしかありません。 しかし、そんなことのできる大人というもがはたしてどれほどいるか。このあたりが非常に難しい問題です。 子供に英文法を教えるように、社会生活のルールを理屈で教えていくしかないのでしょう。ただ、難しいのは、教える側の大人にとってもあまりにも当たり前すぎて、子供がわからないということが教える大人側にわからなかったりする。このあたりをどこまで見抜けるかなんだけどね。何で知らないの。こんなこと。とか、そんなこといったら、したら、相手が怒るだろうとか、不愉快になるだろうとか、そのあたり、明確に教えないとだめデスね。こういう子達は悪意でわざといってるんでも、行動してるのでもない場合があるのです。将来ニートにならないために。子供たちが幸せになるために。そして、他者をいじめるなんて行動を他の子にとらせないために。 アニメ「時をかける少女」を見ていてもですね。いじめられるパターンをもった男の子がでてくる。見てると、これはもう確かに意地悪されるな、いじめられるなという、雰囲気というか、行動というか、話し方というか、そんな独特のものをもっていて、無理ないのですね。こういう子を普通に行動できる子、普通の雰囲気を持った人間に修正してあげたい。 もっとも、このお話の中では、このいじめられっこの男の子はきちっといじめた相手にやり返してましたけどね。 最後にお断りですが、もちろん、ごくごく普通の子なのにいじめに会うという場合もあるわけで、私もひどいいじめは身近にまだ遭遇していませんので、これは一部のパターンについての意見としてお読みいただきたいと思います。 教育問題 いじめ
2006年10月18日
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面白かった。 かなり原作に忠実に作ってあったようで、変な変更もなく、楽しめました。 千秋先輩もノダメもびっくりするくらい原作の雰囲気に近い。 特に千秋先輩のタカビーなところとか、ナルシスティックなところとか、いかにもって感じで千秋先輩の性格と雰囲気がよく出ていた。 しかも、原作の殴られたり、ひっぱたかれたり、けられたりするギャグシーンがあそこまでドラマで再現されるとは、思ってもいなかったので、びっくりでした。特に千秋先輩の白目がよかったあ。二人ともピアノちゃんと本人が弾いてましたよね。すごく練習したとか。すごい難しそうなのに、カナリ、リアルで感心であります。わたしなんか楽器がすごく苦手だから、それだけで尊敬しちゃうんだけど。 次回が楽しみ。しかし、私は見忘れるからな。 早くのだめの着ぐるみが見たいわ。 デモ、ドラマは二人がパリに行く直前までで終わりみたい。原作はまだまだ続いてますからね。評判よければ、パート2ができるかもしれないし。 いやいや、とにかく、原作どうりで面白かった。特に千秋先輩がたまらん。主人公どう見ても、千秋先輩だったよね。 それで、原作をチェックしてみました。すごい。最初の展開から、原作どおりストーリーが再現されてる上に細かいエピソードまで再現されていて、ものすごく細かい。ただ、それは一巻の六、七割りのところまでで、その後はいきなり、ミルヒ先生がでてきて、話が二巻に飛びます。十数回程度の放送だから、すべて忠実に再現するのは、無理ってことかぁ。ミルヒ先生もできれば、外人さんの俳優使って欲しかったけど、あの正確だから仕方ないかな。ミルヒ先生とか、ほかのキャラクターはむちゃくちゃ派手に脚色されてますね。金髪ロンゲとか。今後原作を逸脱するような改変なく、なるべく原作どおりに作って欲しいとお願いします。 さて次回はどうかな~♪ のだめカンタービレ(ドラマ版) のだめカンタービレ
2006年10月17日
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原作レイ・ブラッドベリ。タイムパラドックスSF小説の基本的古典作品。 SFファンでレイ・ブラッドベリを知らない人はいない。と思います。そして、彼が書いた当時は、まだ、珍しいネタだったろうと思う。でもね現代、これだけ、タイムスリップ、タイムトラベル系の映画が作られた後なものだから、今更っていうか、ストーリーに練が足らないよって言われちゃうのですね。 時間飛びネタが最近やたらと多いのは何ですか。と思うくらい多いし、SFじゃない普通のドラマでも最近はやたら、時間飛んでるし、そろそろいい加減にして欲しいのですが。 でも、この作品は基本中の基本だし、ちゃんとSFですから。 時間を跳んだら、過去のものを持ち帰ったり、、何か残してきたりしてはいけない。これはもう、当然のお約束なんだけど、物語ですから、当然毎度のように破られるわけです。そして、ソーンなことをしちゃうとどうなるかという展開。 でもまだ、誰も、本当には時間を飛んだことはないし、タイムマシンはないし、本当にどうなるかは想像するしかない。 過去を変えた途端に現代も瞬時に変わるはずなんだけど、この映画では、過去から変化の波が時間を追って順番にやってくる。 実際タイムパラドックスによる変化がどうなるかをどう描くかはまさに、作家の腕の見せ所なんですけどね。今作品はご不満の方が多いです。わたしとしては、普通。並。というところでしょうか。そんなにすごくいいわけでもないけど、それほどひどいわけでもない。 時間の並によって順番に変化した後、ゴリラと恐竜をミッチャムしたような新生物とか、ピラニアが巨大化したような新生物とか、普通の恐竜とか、クリーターとしては結構よくできていたと思います。 ほんとにタイムパラドックスを犯すとどうなるんでしょうねえ。見てみたいけど、無理だからね。実際に起きたとしても、渦中にいたらわかんないし。 ところで私は、タイムパラドックスとは実はちょっとくらいならだいじょぶなんじゃないかと最近ちょっと考えました。 たとえば過去のものをひとつくらいうっかり持ってきたとしても、多分その物質によって未来に伝わるものは、別のものが成り代わって伝えるのではないのだろうかと。つまり、少しくらいなら、長い時間の間に修復されちゃうのではないのかなと思うわけです。たとえば、歴史の必然なんていうのもそうなのじゃないのかなと。 たとえば有名な発明なんかでも、その発明した人物がいなくなったとしても、ほかの誰かによっていずれは発明されていただろうなんてことはよく言われることです。 そして、広い海に墨汁を一滴落としても、いずれ拡散されて薄められてわからなくなってしまいます。 たらいに一滴の墨汁をたらしてもでは、水は黒くなりませんが、コップ一杯分くらい入れると、明らかに黒くなります。 時間への干渉も多分、程度問題なのでしょう。過去から花ひとつとってきたとしても、それによって伝えられたかもしれない、遺伝子とか、進化は多分ほかの花によって代行して行われ、、長い時間の後には、修復されてわからなくなってる可能性はあります。 でも、過去に行ってアレキサンダー大王殺しちゃったら、かなりまずいでしょうねえ。 というわけで、この話のラストはこの事態を起こさないように主人公が過去の自分にメッセージを送って、事態を回避しようとしています。しかし、この場は回避できたとしても、この先やはり同じ事態は起きるんじゃないのかな、と私は思います。誰かがかならず、タイムマシンを作る。そして、誰か必ず、タイムマシンで儲けようとする人間は存在するはず。そして、誰かかならず、過去のものを持ち帰ってきてしまうはず。そして、未来は、地球の歴史は変わってしまう。それこそ、歴史の必然て奴です。でも、タイムマシンはできないそうですから、安心してね。 まあそれは置いといて、私としては、緻密なシナリオによる時間飛びによるパラドックスの変化を描いたSFとか観たいなあ。 やっぱ時間飛びネタはSFで観たいです。 外国映画、洋画
2006年10月16日
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ワーナーマイカルの試写会が当たったので行ってきたんだけど、駄作だった。 あれはないでしょう。あれは。あのラストは女として許せないんですけど。やぱり、シナリオ書いてるのが男だからでしょうかねえ。女だったら、絶対あんなラストは書きません。命は大切にしなきゃいけません。第一、あんなことしたら、母親の方の命だって危ないんですよ。それをいくら未婚でも、大人の女性が知らないはずはないはず。第一、子供に親の人生の権利を剥奪する権利なんかないはず。もうものすごーく腹立ちました。命は大切にしなきゃいけません。 子供がわからなかった親の本当の姿と心を確認する物語なのに、親の意思無視して、あんなことしていいはずない。 ださくだからね。駄作だからね。ちょー駄作だからね。 大体最近時間飛びネタ多すぎな上に、この作品では、設定があまりにいい加減。宣伝では、地下鉄を降りたら、ソコは過去でしたっていう触れ込みなんだけど、実際には、いつでも、どこでも、タイムジャンプしてるし、ジャンプした時着てなかった服着てるし。いやもうつじつまあわせなんてどうでもいいというのがここまでくると、さすがの私もいいかげんにせーよと思います。地下鉄である必要は皆無です。 ただ単に過去の父親の姿をリアルに見せたかったというそのためだけのタイムジャンプですしね。 だいたい過去のおとーさん。何度も主人公と会ってるのに、時間がたつと主人公のこと忘れているらしい。わかりません。 ところで、ずーっとかかえていたあのでかいスーツケース。何でなんだろうと思ったら、ちゃんとストーリーに関与してました。気になっちゃって。そして、現代では、三流メーカーの品物でも、あの時代には、すごい貴重品だったんだよね。 それから岡本綾えんずるヒロインですが、あのばりばり気性の激しい両親を持ってどうしてあんなに線の細い、やわで繊細でやさしすぎる娘が生まれたのかも謎。でも、あなたもう少し母親の気持ちわかって欲しいんですけど。父親の気持ちだけわかればいいんでしょうか。お父さんの気持ちがわかってうれしいとびゃんびゃん泣いたすぐその後で母親の気持ち無視した行動をとるのはなぜなのか。矛盾がありすぎる気がします。たとえ、つらくても、悲恋でも、それを乗り越えてつよく生きていって欲しい。そうじゃないと物語のテーマはずれちゃうよ。でも、きれいな人だった。 うみゃあ。ほんと見に行って損したよ。夜わざわざ出かけたのにね。 それでも、大戦中にすでに地下鉄は走っていたということにびっくりして、家に帰って息子とだんなに聞いてみたら、 馬鹿にされた。 そんなこといったってねえ。知らないものは知らないよ。公式ページです。いまさら貼るのもなんだけど。 ↑これも同じ浅田次郎作品なんだけど、見てません。 名作らしい。これを見てマタ、考えようっと。 日本映画、邦画
2006年10月15日
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昨日のNHKで夜の七時半からやっていた『どうする医師不足!』を見ました。その感想です。最近お医者さんが減ってるそうです。地方の病院は、救急外来もできなくなってきているし、産婦人科は町にないし、小児科は閉鎖だし。 無理ないですね。だって、医者になるには、ものすごーくお金かかりますから。それも塾代とかを除いての話。 入学の時点で一千万の振込みだって。 何をどう考えたって、普通の家ではもはや、子供を医者になんてできません。それでなくても、医学部ッてものすごい難関でまず医学部に入るのもたいへん。 その挙句卒業するまで六年かかる。そして、学費も信じられないほどかかる。 こんなにお金かけて医者にしたら、間違っても地方の病院なんていかせられないです。 医学部をでたら、国家試験に受からなかったらすべておじゃんだし。 その後は、研修医として果てしなく過酷な仕事に果てしなく安い賃金。 いまや医者はエリートという意識ですから、田舎になんか行きたくない。 大学に残って、論文を書いて教授になる。 いまどき、医者になれるのは、お金持ちのぼんぼんくらいなものだとしたら、 地方に行く気もないし、患者の気持ちもわからないし、激務の救急医療もどうでしよう。 それでも、いい医者になろうと頑張ってる人も多いはず。 しかしさらにその先に、ちょっとしたミスで患者が死んだために裁判になり、莫大なお金を分捕られたりすると、それまでの血と汗と涙の努力はお釈迦ですね。その後の医療界での立場も悪くなるし、病院の経営はどんどん苦しくなるし。 ばかばかしくって医者なんてやってられない。 そして、お金をかけて、医者になっても、生涯働いても、はたして元が取れるのか。疑問です。病院づとめなら、所詮ただのサラリーマンだし。 医院を開業しても、お客さんが来ないとつぶれて赤字だし。 そのわりに今でも、難関高校では医学部受験だーっと大騒ぎしてるのはなぜなんでしょう。 お医者さんに聞きたい。世間が思ってるほど、お医者さんはもうかりますか? 田舎でも、都市でも、医者は足らないし、医者は激務です。 お医者さん増やしたいなら、医学部をもっと入りやすくして、もっと安くして、あるいは奨学金をバンバン出して、それでも、どうなのかな。ところで私の住んでいるところは医者多いです。実は。最近どんどん開業してます。大学病院も人減らしで、追い出されてくるのかもとか想像してます。 それと、ここは、子供の医療費かかんないし。 人間ミスはするものだし、あんまり裁判起こしたり、お金取らないほうがいいと思いますよ。医者への怒りはわかるけど、こんな風に医者が減ってきて、結局自分たちの首絞めてる。そんな感じ。 でも、自分の子供が医療ミスで死んだら、私ははたしてどうするかなあ。『ドクターコトー』見て、医者にあこがれる子が増えるといいですね。でも、実際には、医学部へ入ることの大変さに大概は挫折しちゃうんだろうけど。医学部新規開設は法規制が厳しいそうですし、医者は体力的にもハードだし、大変ですね。 ニュースから
2006年10月14日
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この記事は、ヤムヤムオレンジ協賛のブログ記事コンテストにエントリー中です。「Jelly Beans」収録の『Brand New Day』シェアブログyumyumに投稿経済制裁なんてなあ。 何でそんことするのかなあ。所詮男の人たちって非情だよね。北朝鮮の一般人には何にも罪はないのにね。もっと食糧とかの物資を補給してあげればいいのに。その上できっちりとこちら側のメンバーで現場の普通の人たちに手渡す必要があるんでしょうね。横流しなんかされたらいみないもの。国内にいっぱいあまってる中古衣料もどんどん支援してもってってあげられないのですか。日本ではごみだけど、向こうでは重要な必需品ですもの。 その上でね、食料品にはでっかく朝鮮語で日本製であることを明示しとくべきではないのでしょうか。 戦後アメリカの軍人さんたちがくれたチョコレートが、日本のフツーの人たちのアメリカへの好感度を上げる上でずいぶん役に立ったと思うんですけどね。つくづ戦略としてはすごいね。 不思議なのはどうして、兵器を作る材料が北朝鮮に入るのかなんだけど。材料がなければ作れないはずだし、誰がそれを売り渡すのですか。売り渡す人間がいる以上、それを許してる人間ないしは国があるわけで、それってアメリカ?とか考えたくなるじゃない。 そのあたりをびしーっと止めた上で物資の援助はやめるべきでしょうと思うのですが。 経済制裁が効く国なのか。疑問です。 でも、難しいんだろうな。いろいろとあって。 アメリカのとある場所にはお金持ちだけが住む、周りを塀で囲った街があるそうですが。ソコのお金持ち達がアメリカの実権を握り、経済を牛耳り、そして、その中に大統領をも好きなようにできる影の大ボスがもしいるとしたら…。 お金儲けのためには、日本やアジアやアフリカの普通の人間たちの命なんてどうでもいいんでしょうね。 日本にも軍を作らせたほうが。アメリカにとって便利だし、兵器も売れるし、儲かるし。 北朝鮮からちょっと日本に脅しをかけさせれば、日本は軍を作るために法改正するかもしれない。 というわけで、いろいろと裏から圧力をかけ、兵器を北朝鮮に寄付して、少しづつ日本を脅かして見せる。 そんなことをするには、あんなボケらーッとしたおじさんのほうが便利。 表面上はアメリカは日本の味方のフリもできましょう。 そろそろお金持ちの中近東も頭打ちですから。 韓国と朝鮮と中国と日本が喧嘩すれば、兵器はたっぷり売れるでしょうねえ。 韓国や中国の国民の教育レベルはまだまだですから、情報操作によって国民の心理を操作するなんて簡単なことです。 日本は敵なんだよと。 それにしても朝鮮も、もらった兵器がそろそろ賞味期限切れでやばいです。さっさと食べちゃわないと。じゃなくて、使っちゃわないと、さびてくるし。 アメリカのあるいはほかの各国の影の大ボスとか死の商人を何とかしないと、大変だよね。 ただね。大ボスをやっつけても、戦争が一番もうかるかぎり、マタ別のところから、沸いて出てくると思えます。こういう悪循環て何とかなんないのですか。 全世界が死の商人の市場です。自分たちさえ金持ちならいいのですから。 というわけで、そういう大ボスをやっつける主人公の話なんて、映画にしたら、面白そうだなあと思ってみたりして。ここまで半分空想ですが。(ウォールシテイは実在するそうです。実物がどんなものなのかはしらないです)自分だけがお金持ちになりたいと思っているうちは戦争はなくならない。そういうビックアップル教の布教が続く限り、やっぱり核爆弾は飛んでくるな。 核爆弾自体は使わないんだけどね。 それを使っちゃったら、お客さんがいなくなるもの。やはり、農民は生かさず殺さず。 みんなが普通に幸せなそんな地球がきますように。などと考えてみたりする。 ↑だんだん面白くなってきた。 ↑これも貼っておこう。ニュースからところで、アメリカのタワーレコードはつぶれそうらしいけど、日本のタワーレコードはまだまだ健在らしいです。そうなるとやっぱりこんなティーシャツの増産はだめかぁ。自分の分だけ作って着る分には、問題ないだろうけど。。↓これが大事なの。よろしくね。この記事に点数をつける
2006年10月13日
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自慢話とか、小難しい話というのは、だいたいいやなものなので、リアルの世界では、もちろん極力口にしない。 だからあえて、ネットの世界では、そういったリアルの世界では言い出せないようなことを書きたい、書いてすっきりしたい、と言うコンセプトの元にブログを書いている。 それでも、やはり過渡にならないよう抑えつつ、わがこの自慢を書いてみる。私個人としては、わがこの失敗談や、欠点をネットに書き立てることはよしとしないゆえに、そして、子供たち自身から「書かないように」と言う要請の元に、ブログを書いている。それでも、たまにちらっと書いちゃいまして、時々子供からチェックが入ったり、いやな顔をされたりする。だから、表面的な自慢話を書くのがせいぜいなんだけどね。もっと、もともとのことでは、エッセイストの木村治美さんがやはり、子供たちから、自分たちのことをいいことも悪いこともすべてひっくるめて、エッセイに書かないでくれといわれた話が書かれていて、主婦なので、どうしてもエッセイを書けば、子供のことは書かないわけにはいかないと言う現実とのジレンマが書かれていました。 そうは言っても、やっぱり、子供の話は面白いし、子育て中だから、興味あるし、ということで、いろいろと読みにいく。矛盾してます。第一、このての話題を書いてなかったら、ブログの面白さが半減するじゃん。 それでも、やっぱり、わが子の自慢なんていうのは、他人から見れば、不愉快であるのも事実。そう思うから、大概は自慢は書かないものなのだけれど、そういう嫉妬心ていうのは、ある意味むずかしいな。他人が自分の子をほめることに不愉快を感じるという親の心理はそのまま子供たちにも投影されていくわけだから、そうなると、学校という場の中で先生達だって、生徒を一人に限定してほめるのは難しい。この状況で、先生に対して、子供をけなしてばかりいると非難することはできない。だって、生徒の一人を全員の前で先生がほめれば、それは、ヒイキとして、ほかの生徒たちの不快感を作り出すだけだからだ。そして、一人の生徒に対しての先生のほめる言葉を聞く時、生徒の側は、そうじゃない自分を否定されているような、注意されているような逆説的に怒られている様な気持ちになってしまうからだ。特に日本にはそんな気風があるように思う。 外国では、一人の生徒を全員の前でほめても、ほかの生徒たちがそう感じるような雰囲気はないように思える。行ったことないけどね。他者の成功を喜んで受け入れる気風は、日本にはないのだろうか。これでは、先生たちは生徒を怒るか、大雑把に励ますくらいしかできない。たとえ、一対一で、個人的にほめたとしても、、たまたまソコを通りがかってその内容を他の生徒が聞いてしまった場合、やはり、ヒイキと認識される可能性は高い。これでは、とても、学校の先生たちは生徒をほめることなどできない。落ち合い監督はそのあたり、どううまくやっているのだろう。プロのプレイヤーの集団となれば、そんなみみっちいことで不快を感じたりなんてことはないんでしょうか。 保護者会でも、同じように、一部の生徒のよい部分を先生が実例として話す時、親たちはあまりいい気持ちにならない。できる子の話をされても、うちの子には関係ないし、どうせうちの子はと言う方向に思考は進んでしまう。 人前でほめられなくて、ネットでもほめられなくて、学校でもやりづらいとなれば、我が家で、誰にも聞かれないよう気をつけながら、そうっとほめるしかないのだろうか。なんだか、ちまちましたほめ方だなあ。 こうなると、今世論をにぎわす、ほめて育てるとは所詮お題目なのか。 ほめ言葉と言うものが、日本の社会の中で、かくも否定的な扱いをうけ、ねたみや、嫉みや、嫉妬や、反感ををまねく、その気風と黒い心理のその先にいじめに至る思考が作り出されるとしたら、いったい、いじめをする子供たちを非難できるだろうか。 それでもやはり、自慢話は不愉快だし、他者に対してのほめ言葉も不愉快に感じる。それは私も同じことだ。 おおらかに鷹揚に、自慢話を聞き取り、ほめ言葉に共鳴して、一緒に賛辞を送れるような気風を持った日本の社会は遠い。 私自身ちっと反省。 しかし、一方で、他人を不愉快にしないよう、自慢話などしないよう、他者に気を配れる日本のやさしさ、気遣いも私は好きなのだけれど。 親の教育
2006年10月12日
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ファンタジーとしては、つめが甘いと思うんですけど。 シネコンのおかげで映画界も活気を取り戻してきましたが、しかーし、シネコンというのは、ちょっと見に行きそびれるとすぐやらなくなったり、遅い時間になっちゃったりするので、安心できません。 今回も仕方なく、早い時間やってる映画という制約から、結局これにした。しかし、やっぱりなにやら出来具合はいまいち。 毎回この監督は「この謎は映画を見ないとわかんないよ」と言うようなつくりで客寄せするんだけど、毎回いざ見てみると結局なーんだという落ちなんですよね。しかも『サイン』とか、『ヴィレッジ』とおなじで、クリーターのつくりがダサい。白々しい。ネタバレにがっかりすることがわかっていながら、つい見ちゃうのは、やっぱり宣伝がうまいからなんでしょうか。 『ヴィレッジ』もきっと謎がわかるとなーんだとがっかりすることが予想できてたけど、見に行って、期待通りがっかりでした。十分予想できうる謎解きですからね。こんなパターンいままでにもいくらでもあるじゃん。という結末。そして、いまいちなクリーター。テーマは悪くなかったんだけどね。 今回の話も、物語の基本となる、伝承説話が中国(私は中国だと思ったんだけど、ほかのブログによると、韓国らしいです。よくわからないなあこのあたり)のものという設定なんだけど、これは、ネイティブアメリカンの伝承にしたほうがしっくりくると思うんですけどね。だって、舞台はアメリカだし、イーグルとか、いのししのような怪物とか、サルみたいな怪物とか。アメリカの土地の伝承の方がぴんときます。 世界的な規模の話にしたかったんでしょうけどね。 ライターはインド人(この人がシャマラン監督らしい。ほんとにインド人か不安…監督なのにこんないい役とってずるくない?)だし、伝承は(中国または韓国)のもの。今世界が注目するアジアの二大大国ですから。そのあたり言わんとするところがあるのでしょう。 それにしても、中庭にプールのあるマンション。すごく素敵。こんなところに住んでみたい。でも、うるさそうですね。ハワイのホテルみたい。しかもその中庭の中に草っ原や、森らしきものまであるしね。ストーリーはライターに彼の未来を予言として伝えるだけなので、別に彼女が伝えなくても、ライターはその本を書いて、後世に影響を及ぼせるのではないのか。ストーリーが命がけでここまできた必然が感じられなかった。 ライターが一番重要な役どころというのは、やはり映画はシナリオで決まるということでしょうか。私もそうおもうよ。それからヒーラー。ですね。映画は感動も大事。それから、ギルド。つまり製作スタッフですかね。人手も大事だわ。シンボリスト。きっかけ作りやネタ作りも必要でしょう。あるいは、映画評論家。シンボリストは映画評論家と、パズル解きと、その息子の三人にわかれて、分業されていたように見えます。でも、映画評論家さんは、最後に殺されてたみたいだから、いつも、えらそうに映画にけちつけられて、はらたってるそのお返しでしょうか。しかも、最後まで誰にも気づかれてないし。そして、ガーディアン。映画を興行してくれる大切な役どころでしょう。 というつまんないことを書いてるのも、この映画がいまいちだったから。 宣伝だけはいいんだけどね。いつも。 ところで、この監督の作品は小さな日常の狭い空間を通して世界を描くというパターンがすきらしいのだが、どうも、その空間から、世界を映し出すことに成功しているように見えない。こういう手法はありだろうとは思うのだが、この監督の場合は、世界を映し出すというより、世界を狭い小さな空間に押しこめているような箱庭的に世界をつくりだしている、そんな作品作りに見える。今回の『レディインザウォーター』がまさに箱庭。なにしろ、ひとつのマンションの中にプールという水の世界と草っ原、そして、森まである。世界を救うメッセージを伝える水の精ストーリー、世界を救う思想を書き残すことになるライター、そしてガーディアン、彼女を救うためだけに存在するヒーラー、ギルド、世界を救うというわりに、これらの人たちはみんなストーリーを救うためだけの存在であるために、物語に深みがない。世界観は美しいのに、もったいない。映画中でも、テレビの映像にイラン戦争(だったかしら)を映し出すことで世界とリンクしているようにしている狙いはわかるのだが、あえて、切り捨てたほうがよかったかもしれない。 そういったシャマラン監督独特の作風を考えてみると、これからは、箱庭的世界を重視して、逆に世界を一切無視し、作品中には表現せずに、箱庭のような狭く小さい空間の中に彼の考える独特の世界を徹底的に描き出すほうが逆に成功するのではないのだろうか。世界を描き出すことをやめ、彼独自の世界に埋没し、鑑賞者をその世界に引き込み、埋没させることで、逆に彼の描こうとする世界と、今現実にある世界の問題点を映し出すことができるのではないだろうか。 次回もっと徹底的に彼の世界を作り出し、見るものを取り込んで、抜け出せないほど圧倒的な世界観をスクリーンの上に描き出してくれることを期待したい。 公式ページ です。シャマランは、もう見ないようにしようかなあ。せめて、シナリオをプロと共同で書けば、もう少しよくなるのではないでしょうか。 外国映画、洋画映画の感想 ☆ファンタジー映画☆
2006年10月11日
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愛と狂気は表裏一体だというけれど、その愛が親のものであれば、その狂気もまた倍増しようというもの。 毎日ミナコさんのところでも紹介されていて面白そうだと思っていたら、こないだやっとビデオやさんで発見。ミナコさんのところの方がストーリーの説明はうまいよ。私ははしょってるから。というか、してない。以下ネタバレ書いちゃいました。 見てみました。 うーん。シナリオはこってますね。演技派の俳優そろえてあるし。といいますか、このくらい演技できる俳優さんそろえないと、ただでさえ、陳腐な話が陳腐を逸脱してしまうだろうなあと。そんな話ですね。 中学受験のために湖畔の貸し別荘に泊まる受験生3人とその親たち。そして、突然死体が出現するわけです。 はっきりいって、こんなばかげた勉強合宿をする塾なんてあるんでしょうか。基本線としては、ありえない。何だけど。 でも、世の中には、もしかしてあるかもしれませんけどね。 でも、これ中学受験なのに、ろくすっぽ勉強もしないで、体力つけるとか、親の面接の練習とか、しかも、先生はたった一人。なにをどう考えてもおかしい。 本来中学受験の合宿では、一日10時間から12時間は勉強させます。それも、ものすごく難しいから、一人の先生が全教科教えるなんてそうはできないと思う。だから、親まで呼びたてて、面接だ、バーベキューだなんてたらたらしたことやってる余裕なんてあるはずないと思うんですけどね。面接の練習なんて東京でやればいいじゃん。第一、こういう合宿というのは、受験生がいると、のんびり夏休みや正月が送れない家族のためだと私は思ってるんですけど。(いやこれは家族サイドの願望か)家族まで呼びたててどうするのでしょう。しかも、3家族ともほかの兄弟とかいないのですか。 いくら、試験問題をその筋からゲットしても、ちゃんと勉強してないと、無理だと思いますけど。それにこの話、季節はいつでしょう。長袖着てるけど、田舎のわりにそれほど寒くなさそう。こんないい季節なら、二学期あたりだから、学校があるはずで、合宿なんてできると思えません。 全員同じ靴はいてたり、同じ体操服着てたり。 とにかくはじからはじまで、全部おかしいので、もうこれは一種のファンタジーなんですね。「SAYURI」と同じ。どうりでヒットしないわけだなあと、思いました。 そういう数々の変を数え上げた上でなおかつ感想としては、最初から、役所広司演じる父親役が変。言動も変。最初の段階で「なんだこいつ。なんにもわかってないじゃん。どうみても、父親失格じゃん。」と思ってたら、話が進むうちにどんどんその変は増殖していって、周りの親たちがどんどん親としての本性をあらわにしていくのと対照的に父親としては果てしなく遠い変なやつに成り果てていく。 「子供はのびのび。受験なんていらない。普通の学校に行けばいいんだ」というあたりからすでにね。だって、中学受験しなくたって、高校受験はあるし、子供は勉強しなくちゃいけないものだし、のびのびなんてほとんど死語ですね。今の時代。高校受験だって、中学受験と同じ高いレベルの学校目指そうとすれば、中学受験と同じ、あるいはそれ以上のハードな勉強が待ってますから。イマドキ中学受験が異様な世界というのは、すでに時代錯誤。高校受験も同じように週三日の塾通いが常識となりつつあります。 で、のんびり育った挙句、女房子供ほっといて、愛人作るような男が育つんでしょうか。 さて、愛人を殺したのは、誰か。というと、どうも子供たちらしいんだけど、でも、そのちょっと前に出てくる子供たちの靴を映し出すシーン。靴が四足あったような気がするんだけど。本当の犯人はやっぱりあの塾先生(トヨエツ)なんじゃないのですか。などと考えてみる。 子供のためだと塾に洗脳されてなんでもする受験生の親の姿を揶揄しているようであります。 子供のためと隠蔽に余念のない親は、いくらでも、塾にだまされる受験生の普通の親とぜんぜんかわらないのです。 ここに書かれている物語は受験にからむ狂気ではなく、真実の親の本性であり、父親でありながら、いつまでも、本当には父親になりきれず、かといって浮気した相手の死体を捨てることにも平気でいられる男の未熟な姿であるとしたら、作者は何をいわんとしたんでしょう。とにかくこんな男とはまず結婚なんかしない方がいいと思う。役所さんはいい男なんだけどな。 それでつまり、役所広司演じるところの主人公は世間一般の常識と世論を代表しているようで、物語のスタートでは、中学受験に埋没している親の陳腐さを描こうとしているように見えるのですが、物語の進むうちに、わが子のために必死に殺人の隠蔽までする親たちの必死さが親の当然の愛情として映し出されていくにつれて、常識ばかりをもっともらしく語る主人公はだんだん浮き上がってその陳腐さを増していく。 これは、世間というものが受験とそれにかかわる親や子供を表面的にだけ見て、評することの浅慮さへの批判なのだろうか。主人公は物語中で終始、ほかの親や妻から、「おかしいのはあなたでしょう。」と言われ続ける。前半受験に我を失った親たちの狂気の言葉に聞こえるのだが、物語の進むにつれて、その言葉によって、本当におかしいのは、主人公だと語っていることがわかる。表面しか捉えずに、興味本位的な批判しかしない、世間常識への製作者側の本音なのだろうか。この映画の中で何度も繰り返されるこの言葉こそがまさに、監督の一番言いたかったテーマなのではないだろうかと、私は思うのだが、どうだろう。 ラスト、受験という世界に己を埋没させる覚悟をするにいたってやっと主人公は、父親として、一人の人間として本気で生きていこうとする。そういう一人の男の実はこれもまた、成長物語だといえる。 主人公の娘は無事に合格し、死体は見つからずに終わったらしい。 私もこんな状況では娘のために死体を隠蔽するかもしれない。 でも、やっぱり犯罪の隠蔽はやめたほうがいいんじゃないでしょうか。それにしてもこの映画、大宣伝ができなかったのは、無理ないですね。殺人は隠蔽されたまま、見つからずに終わっちゃってるし、子供の殺人も肯定されちゃてるんだもの。シリリオはいいできなんですけどねー。おしい。 日本映画、邦画 映画の感想
2006年10月10日
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その1からの続きです。いきまーす。51 無断リンクを張っていますか?また無断リンクはどう思いますか? 張ってます。少しだけ。 挨拶が面倒とか、私ふぜいのサイトにリンクしたくらいで いちいち断るのも気が引けます。52 日記サイトブーム(?)はいつまで続くと思いますか? どうでしょうねえ。もっと面白いものができれば、変わるよね。53 閉鎖したら困るっていう日記サイトはありますか? 基本的に一度開いたら、閉鎖はすべきじゃありません。54 「顔を見てみたい?」っていう日記執筆者はいますか?誰ですか? 見ないほうがいいと思う。55 「金を払ってでも読みたい」という日記サイトはどこですか? いや、お金払ってまで見なくても。ほかにいろいろやりたいことあるし。56 他人の日記を読む事以外にネットをどんな事に利用していますか? 通販。情報収集。料理レシピ。映画の上映チェック。 旅先のチェック。地図を見る。路線チェック。57 チャットや掲示板遊びはしていますか?どこでしていますか? チャットはしたことないです。 掲示板はかつては、インターエデュ。今はちょっとあきました。58 ブラウザを起動した時に初めに表示されるページはどこ? 楽天。または、ヤフー。59 あなたのサイトの事を知らないネット仲間、メル友などはいますか? いません。60 検索で自分のサイトはヒットしますか?その時のキーワードは? そりゃ、サイト名ですよ。61 あなたの日記で、これは消してしまいたいと思う日記は? 特になし。あったらとっくに消してます。62 あなたの日記で、これは自信作だ!(よく書けた!)と思う日記は? 美術は大事。63 過去の日記と比べて、あなたの日記の良くなったと思う部分は? わかんないですね。そんなの。64 逆に悪くなったと思う部分は? ない。65 過去の日記を色に例えると何色? セピア。66 自分のサイトの作成にあたり、何かエディタ等を使用していますか? アウトルックエクスプレス(ばかだわ)67 JavaScriptは使用していますか?また使用についてどう思いますか? それ何?68 スタイルシートは使用していますか?また使用についてどう思いますか? それなに?69 フレームは使用していますか?また使用についてどう思いますか? それなに?70 今のサーバーは満足ですか?移動を考えているサーバーはありますか? わかんないけど、ありません。71 自分のサイトのサイズは軽いと思いますか?重いと思いますか? 軽い。72 他OSユーザー(Mac、Linux等)を考えてサイトを作成していますか? ぜんぜん。わかんないもの。そんなの。73 NetScapeユーザーの事を考えてサイトを作成していますか? それなに?74 使用ブラウザは何ですか? わかんない。75 あなたの日記の使用フォント色、背景色はそれぞれ何ですか? さー。76 年齢は? いや。77 恋人(夫、妻)はいますか? います。78 職業は? 主婦。79 現在地は? トーキョー80 文系?理系? 文系81 ネット歴は? 三年くらい。82 動物占いの結果、あなたは? 小鹿ちゃんでーす。83 インドア派?アウトドア派? インドア。うっかりすると、一歩も外に出ずに終わる。84 PC機種、使用OS、デジカメの有無、接続形態、プロバイダーは? え、機種って何を言えばいいんだろう。デジカメなし。ADSLですね。ヤフー。85 英語は話せますか? リトル86 ちんちんはついてますか? 息子になら。87 髪の毛はありますか? あるよ。88 お肉はついていますか? たっぷりと。89 日記以外に欠かさず毎日心がけている事は何ですか? いろいろと。90 日記をやめませんか? しらない。91 日記を書くにあたり、自分なりのこだわりがあったら教えてください。 毎日書く。92 自分自身、どうして日記を続けていると思いますか? 願掛け。93 あなたの日記は「喜」「怒」「哀」「楽」のどれが一番多いですか? どれでショーねえ。ふつー。94 2ちゃん○るであなたの日記がボロくそに言われていたらどうしますか? 見に行きたい。95 メンバーオンリーの日記ページを作るとしたらテーマは? そんなのいい。96 日記サイトをやっていく上で大事な事って何だと思いますか? 自分が楽しけりゃいいのよ。でも、悪口はいや。97 日記サイトで「これだけはしちゃダメでしょ?」という事は何ですか? 他人のことを書きたてる。98 あなたの日記はSですか?Mですか? どっちでもない。99 誰にも読まれそうに無い日記のタイトルを付けてください。 つれづれ100 あなたにとって「日記」とは何ですか? 暇つぶし。人生とは遠大なる暇つぶしであります。はい、おしまい。やってみると、企業のデータリサーチであることがありありとわかりますね。でも、おもしろかったっと。データリサーチであることを逆利用することだってできる。つくってほしいもの、やって欲しいことを書き込んでおけばいいんだからね。 ブログの記事、ブログの話題
2006年10月09日
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MEMORIZERS のこんなところから、こんな質問見つけてきました。暇つぶしにやってみたの。ばかげてるから、めんどうだったら、スルーしてください。 1 日記をWebに公開したのはいつ頃? 去年の10月です。 2 日記をWebに公開しようと思った理由(きっかけ)は? 娘の同級生がやってると聞いてワタシもやってみようと思った。 3 日記サイトをやっていて良かったと思う時は? 欲求不満の解消になって、ストレスがたまりにくくなった。 おかげで他人に不用意に喧嘩を売らなくなったと思うの。多分。 4 日記サイトをやめたいなぁと思う時は? 時間がとられる。 5 得意なネタは? 映画と屁理屈。 6 苦手なネタは? スポーツ関係。 7 日記を書く時、自分の気持ちと読み手の気持ちは何対何? 9:1 ほぼ自分のためだ。わ。 8 読者からのメールは1週間に何通くらい届きますか? メールなんて来ないけど。コメントでもいいのかな。 9 何時頃更新する事が多いですか? 毎朝10時前後を目標に。10 日記での1人称は?(俺、僕、私、わたくし、あたし、自分) 私11 Hワード(Hな言葉)はどこまで書けますか? 表面12 日記には10段階だといくつくらいウソを書いていますか? かいてないもん。13 あなたのサイトには日記以外のコンテンツは何がありますか? わかりません。コンテンツってなに?14 あなたのサイトにキャッチコピーをつけるとしたら何? そのまんまタイトルずばりですから。15 複数のサイトを持っていますか? そんなにできません。16 日記を書く時は何分くらい時間をかけますか? 三十分から一時間かな。多分。たまに力作がかかる。17 「この人には読まれたくない」っていう人は誰ですか? 「厨房」って単語と「通りすがり」って単語が好きな人。18 いつ頃まで日記サイトを続ける予定ですか? できなくなるまで。19 会社(学校、家族)に自分のサイトが発覚。どうしますか? すでに家族にはばればれ。子供の学校がらみにはばれたくないですねえ。20 あなたのサイトはどこ(ReadMeなど)に登録していますか? 楽天21 1日に平均してどれくらいのアクセスがありますか? 200前後。でも、検索ロボットもカウントされてるからなあ。22 1日にどれくらいのアクセスがあったらいいですか? 多いほうがいいよ。そりゃ。23 カウンター(解析関係含む)はいくつ設置していますか? ひとつつけてみたけど、役に立たない。楽天は基本的につけられないみたい。24 アクセスアップのためにやっている事ってありますか? いろいろなところに登録したり、トラックバックしたり。25 1日に何回くらい自分のサイトのアクセス数を確認しますか? 5,6回。暇ですね。26 過去最高のアクセス数は?理由として考えらる事はありますか? 600くらいだったかなあ。中学受験ネタだったからだと思います。27 何のためにカウンター(解析関係含む)をつけていますか? 普通についてます。楽天は標準仕様みたい。28 読者からのメール1通をカウント数に換算するとしたらいくつ? メールはない。コメントなら、いくつだろう。29 自分の日記は1日分で何円くらいの価値があると思いますか? なくてもいいよ別に。30 アクセス数を普段より1000増やすとしたら、何をしますか? わからん。31 目標としている日記はありますか?どこですか? ないわ。私は私の好きなようにやるだけ。32 好きな日記を教えてください。 カヨさんとか、ままちりさんとか、猫ギター先生とか、 カミエス先生とか、まつさんとか、33 嫌いな日記はありますか?可能な範囲で教えてください。 ないです。見ないものそんなの。34 リンク先にすぐに日記が表示されないサイトはどう思いますか? なんなのそれ。35 バナーウィンドウの表示されるサイトはどう思いますか? わかりません。36 フォントいじりをやっているサイトはどう思いますか? もっとわかりません。37 「元○○○の日記」についてどう思いますか? なにそれ。38 日記読み日記(他人の日記についての日記)はどう思いますか? やなやつ。ほめてあるなら、いいやつ。39 他人の日記を読む時はどういう日記を中心に読んでいますか? とにかく面白いかどうか。それだけでしょ。40 あなたのWebブラウザに登録してある日記サイトはいくつくらい? 20くらいだったかなあ。41 1日に何度も更新するサイトをどう思いますか? みんな自分の好きなようにやればいいだけ。42 何カ所くらいのサイトからリンクが張られていますか? 20くらいでしょうか。43 定期的に読んでいる日記サイトはいくつくらいありますか? 20くらい。44 面白い日記はどんな内容の日記だと思いますか? とにかくいろいろ。45 つまらない日記はどんな内容の日記だと思いますか? 自分の意見がない。三行でおわり。つまんなかったという報告だけのもの。46 下ネタ日記は好きですか?どんなジャンルが好きですか? ぜんぜん。47 どんな時に他の人の日記を読んでいますか? 自分のが書き終わったら。48 「それだけはやめてくれ」という日記のネタは何ですか? 悪口。49 「それはもういいよ」っていう日記のネタは? 悪口。50 あなたの日記をボロくそに書いている日記があったらどうしますか? 考えたくない。長すぎたので続きます。→
2006年10月09日
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バトンが来たので、また懲りずにずーっとさかのぼっていってみた。すると今回は面白いことにバトンはずーっと続いているのだが、途中で変身しているのである。そこまでは普通のバトン。ただしやたらと質問が多い。答える方もまわす方も「おい、いい加減にしろよ」というくらい長い。だからなのかなんなのか、途中で、バトンの内容が今回回ってきたものに変えられていました。実際、バトンて変身していくけどね。めんどくさいところをすっとばしたり、ルールが微妙に変わってったり。 それで、さかのぼり調査はそのあたりでやめちゃいましたけどね。 私が嫌いなものってね、きゅうり なんですよ。ただの食べ物嫌い。だけど、すごく嫌い。ほかにもいろいろキライな食べ物があるんだけど、嫌いなものと聞かれるととにかくまずあげたくなるのがきゅうり。そのくらいキライ。卵サンドにはいってると、当然とりだしてから、食べます。でもね、それでも、サンドイッチにきゅうりのにおいが残っていていやなんだけど、しょうがないから、そのあたりは我慢して食べます。お行儀はこの上なく悪い。と、思います。でもね、やなんだもの。ちなみに何でも食べる健康優良児のようなうちのだんなも、内臓とラッキョウだけはだめなんですね。人間きらいなものって何かしっかあるもんで、そういう弱点があるからこそ、RPGにしろ、やたら強い敵とかエーリアンがでてくるSF映画かなんかでも、がんばってラストボスや、強敵を倒してハッピーエンドが迎えられるってもんです。 それから、私は、広田弘毅と浜口雄幸が好きです。日本のために自身を犠牲にしてがんばった総理大臣です。伝記とか読むと感動すると思うけど、あいかわらず、積読のまんま。でも、浜口雄幸は何年か前にNHKのドラマを見まして。たしか『男子の本懐』だと思うんだけど、とにかく息子と二人で感動しまして、それ以来ファンなのです。たしか、暗殺されて死んじゃったのかな。最後は。いや、銃撃されて、その時の傷がきっかけでなくなられたようですね。惜しいですねえ。そんでもってキライなのが、田中角栄。もう、このヒトが総理大臣になってからだよね。日本の政界、官界がおかしくなっちゃったのは。だれだよ。こんなやつ選んだのは。と、思うんだけど、。詳しくは、諸説吉田学校とか読んだ方がいいんでしょうねえ。いつのことやら。 広田弘毅は戦争回避のためにずいぶんがんばったんですけど、結局力及ばず、戦争ははじまり、しかも、戦後A級戦犯にされてしまったのだそうです。冤罪なんですけどね。でも、釈明せず、甘んじてその罪を引き受けたんでしょうか。泣けますね。もう、このあたりは息子からの聞きかじりなので、当てにならないけど。 皆様バトンありがとーございました。ペコリ。 読んでないのに、宣伝するなと、横で息子が怒ってます。ごめんなさい。 主婦のつぶやき・・・(*'-'*)
2006年10月08日
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子育てを一段落したある日、スーパーで、他人のベビーカーをすごく邪魔だと感じた。自分も今まで、ずーっとベビーカーを使ってたわけで、子育ての大変さも重々承知の上で、「じゃまだな、これ」と感じた自分の心理状態にすごく驚いた。 こないだまで、ベビーカー使いまくって、迷惑かけまくってたのは誰。ま、日本は狭いですからね。当然スーパーの店舗の中も狭い。その狭いところにベビーカーは確かに邪魔。しかも、母親は買い物と上の子への注意で精一杯だからね。 そのうえで「こんな風に感じるものなんだな」と思ったわけで、人間の思考はこんな風にできてるわけです。邪魔だと感じるかどうかは、その時の心理状態にもよるし。疲れてたり、いらいらしてたりすると、特にね。 子育ては大変だし、周りは理解と協力をした方がいいし、実際そう思うんだけど、そういう理想と現実のそれとは、全然別のところで、邪魔とか、うるさいとか感じることはまあ、本心なわけでして。本心に対しては、ちゃんと認識して、認めたほうがいいと私は思うわけですね。それは、つまり、それを否定するとうつ病になったり、過渡の心理的ストレスがかかったり、精神によくない。 これは、子供のこととはまた別に、たとえば家の中はきちんと整理整頓しておいたほうがいいけど、「体調が悪くてできない」とか、「性格的にどうしてもキライ」とか、「今日は何とかなく気乗りがしない」とか、考えるわけで、「ちゃんとしなきゃ」という気持ちと「めんどくさいやりたくない」と思う相反する気持ちがある。「やりたくないできない」という本心は素直に認めたほうがいい。そこで、ちゃんとできない自分を否定しちゃうところから、精神的破壊が始まるのですから。で、怠け者である自分を認識した上で、できる時は掃除片づけをする。 騒音に対して「うるさい」と思う。それはもう本心ですから。その上で、それをまあ、表に出さない。そういうスタンスが必要だなあと、思うんだけどね。 ところで子育て中は、どんなに迷惑になろうと気にしないようなある意味無神経さも必要だなあと思う。もちろん、迷惑をかけないようにある程度できるところまではするにしても、子供ですから、限度があります。どうしても騒ぐ。 私も子育て中は、こんなに大変てことは世の中の人たちみんなこうやってヒトに迷惑かけて育ってきたのに、迷惑がるなんておかしい。と、思ったものです。だから、ある程度迷惑は容認するしかないし、容認してもらうしかない。そのうえで、「うるさい」とか、「邪魔だな」と思う感情は本心です。 ところで、もっと面白いのは、わが子の成長とともに、自分の関心も移行していくということです。子供が赤ちゃんのうちはよその赤ちゃんも視界に入る。興味もわく。相手もできるし、気持ちもわかる。でも、わが子が幼稚園児になると、親の自分も目に入るのが幼稚園児になる。幼稚園のよその子とも、おしゃべりができる。これが、子供が小学生、中学生になると、やはり、気持ちはそっちに移るので、もう、幼稚園児はただの背景になり始めちゃうのですね。読み語りなんかも、わが子が小学生だからできたかもしれない。わが子が中学生になってくると、もう幼い子に気持ちをリンクさせにくくなってくるのです。だから、そこでもう卒業したほうがいい。てことで今は、中学生と、高校生しか目に入りません。人間てそんなものなんだなあと。わたしは、基本的に子供好きなわけじゃないから、子供が大きくなったら、もう無理ですねえ。 ちなみに、日本は大変そうでも、なかなか手伝ってあげにくい国です。妊婦さんやお年寄りに席を譲っても、座ってくれなかったりするし、ベビーカーが重そうでも、母親は一人でがんばっちゃってますね。声をかけても拒否されたり。 最近は外出しなくなってきたので、今はどうだかわからない。
2006年10月07日
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昨日は時間がなかったので、つめの甘い日記でした。おかげで、いろいろコメントがいただけました。なかなか楽しい。 ま、基本的に私は騒音、特に機械音が嫌いなんだなあとつくづく再認識。家でだんなが音楽かけてもいやなんですね。普段はしょうがないけど、体調の悪い時は、勘弁していただく。 ところが車の音とか、鈍い音というのは、わりと平気。意識からはずしているんですね。ヒトに言われて初めてうるさいことに気づくことがあります。また、うるさいと思う音というのも、ヒトによってちがうんだなあと、思いました。赤ちゃんが泣いたりするぶんには大変だねと思ったと思うんですけどね。 なにしろ、うちのはす向かいにある車の修理やさんは、日中、屋外での仕事でも、電話がかかってきたことがわかるように、電話音が屋外に聞こえるスピーカーをつけているのですね。電話が鳴るたんびにそのスピーカーが聞こえる。うるさいんですけど。ここは一応住宅街なんだけど、そんなところでも、貸し倉庫や、店舗、ガレージが混在する。日本てそんな国。うちの前には大型トラックもとまるし。電話番雇うには、お金かかるし、不景気ですから。普段はいいんだけど、やっぱ体調悪くて、昼間休んでるときにすごく耳障り。うとうとしてる時にこの音で覚醒しちゃうんだよね。 スピーカーをかけてる方は多分迷惑に感じているヒトがいるなんて想像すらしてない。迷惑っていうのは、実はかけてる方は意外ときずかないものです。電話かけて苦情を言おうかどうしようか悩んでいるところ。 ついでに言うと、先日明け方の四時ごろにお向かいの家でタイマーセットで音楽がかかった。時間になると、音楽がかかるラジカセのタイマーセットだと思うんだけど。二日目にさすがに切れました。私。だって、おきてすぐ消すならいいんだけど、音楽そのままにして、階下でご飯食べてたりするんだもの。やってるのは、多分、中学生か、高校生。そこは子供部屋だから。これが結構隣の家には響くんだよ。窓越しにうるさいと怒鳴ったんですね。私。だんなはそういうの平気だし、どんなに腹が立っても表立って行動とらないヒトだから。三日目はどきどきでしたが、さすがに静かだった。ほっとしました。都会に住んでるんだから、多少の騒音は仕方ないんだけど、夜はやめてください。電話番号わかれば、電話でもう少し穏便に苦情が言えるんだけどなあ。そういえば、その隣のおうちも夜の十二時くらいに子供のおしゃべりが聞こえる時がある。赤ちゃんの夜鳴きは仕方ないけど、4歳くらいの子供なら、いくらなんでも、寝かせておくべき時間。しかも、子供の声は高いので、とても耳に触る。最近は働く母が預ける保育園で、お昼寝をさせるために逆に子供が夜寝てくれなくなっちゃって困るというのをどこかの記事で読んだことがあります。そこのおうちも日中はほとんど子供の声は聞こえないので、きっと昼間は保育園なんでしょうね。でも、寝かせてね。子供なんだから。せめて。窓閉めてね。夏なんだけど。 夏はねー。窓開けっ放しで寝るから夜といえども、屋外のいろんな音が聞こえてきます。朝方、自動販売機に缶ドリンクを補充する音とか。クーラー入れるのはいやだから、開けっ放し。このあたりはもう仕方ないんだね。東京は音の街なんだなあ。 でももう、秋になったし、窓も閉めて寝るから、これからは寝苦しい夏の夜の不愉快や、騒音から、少しは開放されるでしょう。 それにしても、毎度うるさいとか言っててもしょうがないので、耳栓でも買おうかなあと考えてるこのごろ。ものすごーくいい耳栓て、ないかしら。 騒音が気になるのはある意味暇だからだな。 主婦のストレス
2006年10月06日
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昨日電車に乗っていて、座っていたら、左の方から、足取りの危ないおばあさんが歩いてきた。本当に小柄でアブなげで、これはいくらなんでも、席を譲らないわけにはいかないなと思っていた。席を譲っても、座ってももらえないことが多いので、お年寄りといえども、元気そうな場合はあまり席を譲ったりはしないのだけれど、今回はさすがに。しかし、私が席を譲る一歩手前で、私の左側に座っていて若い女の子がさっと席を譲ってあげた。おばあさんはうれしそうに譲られた席に腰掛けた。おお、日本もまだまだ捨てたもんじゃない。 その帰り今度は左側数人目のところに金髪の外国人の母親が子供と赤ちゃんを連れて座っていたのだが、その赤ちゃんのご機嫌取りのために、携帯の音楽をかけて聞かせているのである。はっきり言ってうるさい。赤ちゃんを電車の中で機嫌よくすごさせるために母親たちはものすごく苦労するのだけれど、それでも、今まで、日本のお母さんたちで、そんなことをしているヒトを見たことはなかった。「うるさいんですけど」っとはさすがにいえないので黙ってましたけどね。ま、子連れの大変さもわかるしね。でも、やっぱりうるさいんですけど。 日本人はマナー知らずが多いし、外国を見習えっていう世論が多いけど、昨日は、まったく逆を見ました。時代は変わってきたんですねえ。 でも、私の時なんて、もっともっともーっとものすごく回りに迷惑かけまくりで子育てしてきたんで、ほんとはなーんにいう権利ありません。私には。人様には恐ろしくてとってもいえません。ほんとに。
2006年10月05日
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ホームの崩壊をハウスの崩壊で見せてくれるなんてなかなかしゃれた趣向じゃん。この作品に関しては原作の絵本より面白かったです。 かつて小学校の読み語りで呼んだ『ジュマンジ』。面白い絵本でした。そして、映画化もされました。でも、この作品は映画化は話を膨らませすぎ。テーマがずれてしまっていました。そして、その続編として、数年後に出された『ザスーラ』は、テーマが出すぎていて説教くさくて、「ジュマンジ」ほど面白くなかった。でも、映画化されてみたら、こちらは原作より面白い。 宇宙が舞台の話なのですから、映画にはうってつけですね。ま、『ジュマンジ』も面白かったですけどね。 冒頭親子でキャッチボールをするシーン。なんともアメリカ的でハッピーなシーン。いいお父さんだなと感心して見てますと、だんだん子守に飽きてきた父親は声を荒げはじめてくる。実はこの家庭、母はいない。どうも離婚しているようです。一見幸せそうにみえるアメリカ映画にもすでにハッピーだけを描けない現実が忍び寄ってきているようです。 かつて、幸せで豊かなアメリカは、世界中にアメリカの幸せを真似するようにと、宣伝に余念がなかったものですが。だから、豊かで豪華な豪快なアメリカ映画をみながら、いつかあんな生活を手に入れるんだと憧れをこめて見ていたものです。 けれど、家庭崩壊、学校内暴力、離婚が当たり前の夫婦、家庭、そんなものが現実になり、世界的にもアメリカがその豊かさの追求のために世界中に戦争を仕掛けていることが、世界的に批判されている今、アメリカ映画を豊かで幸せな世界としてみることはできなくなっているわけです。そしてさらに、個人主義を追求するあまり、逆に個人の幸せが犠牲になっている現実を現代のアメリカに見ることができる。 原作では、この家庭の夫婦は二人でそろって知り合いのパーティーに出かけていきます。ごくこぐ普通の幸せな家庭です。その留守中に兄弟二人ではじめたゲームによる物語なのです。けれど、映画化するにあたって、設定は大幅に変わり、ママはいない。ママのいない家庭がすでにアメリカのスタンダードになっているという皮肉。 この家庭でも、家族はそれぞれ自分のしたいことだけをして、自分の希望だけで、生きて、暮らしている。母親はすでに別居しているし、父親は仕事優先で、休日の子供を家に残して出かけてしまうし、姉は弟たちの面倒を見ることより、ボーイフレンドと遊びに行く事が最優先。にいちゃんのウォルターも、弟なんて要らないと言って遊び相手もしないで、地下室に閉じ込めようとする。それぞれがそれぞれの願望だけで生きていれば家庭は崩壊するらしい。そして、「ザ・スーラ」のゲームをする中で、兄のウォルターは、願いをかなえられるカードを引いた時、他人のために自分の願いごとの権利を使うにいたって、自分自身をも救うことができる。自分の願望だけでは、生きていけないんだと言うのがこの物語のテーマのようです。 ところで原作には出てこない姉や、宇宙飛行士などの参加によってお話はふくらみを増し、ゾーガン星人はものすごく過激。おもちゃのようなちゃっちいロボットもパワーアップして、家は破壊されまくり。まあ、その、世界中から報復され返しているアメリカに見えないこともないですね。 原作は兄弟は仲良くしなくちゃね。という話でした。 世界は一家。人類はみな兄弟 なわけですから、アメリカも世界中にけんか売って、威張って兄貴風ふかしてないで、兄弟なかよく、世界中の国々とも仲良くしてほしいものです。 てことで、映画自体は単純に見た方がもちろん楽しいです。 映画の感想
2006年10月04日
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正しくは、『毎回質問が変わるバトン』だそーです。日々のブログにちょっとお疲れと飽きが来ていたところに毎日ミナコさんからバトンをいただきました。バトンでちっとリフレッシュして、また明日からのブログに生気を注ぎ込んでみよう。 《1》 回してくれた人の質問に答える。1.子供の頃からずっと好きなものはありますか? それはどんなもの? そりゃーなんたって漫画。日本が世界に誇る日本一の文化、漫画です。かつては漫画家になりたいと日々精進の青春のあの日。しかし、世の中にはすげーやつがいるもので、そんなやつを見ちゃったので、私は当然挫折しました。私が入っていた、高校の漫画サークルはそののち私の知る限りこの世に三人のプロの漫画家を送り出しました。つまり、名門クラブです。しかし、私はへたれでした。挫折しました。しかし、漫画にはまだ、読むって手段があります。毎日買ってくるのは、本より漫画の方が多い。本は積んどくしといても、漫画はつん読はまずありません。買ってきたら、一両日中に読破する。これは漫画読みの鉄則です。漫画を積読にしとくなんてやつがいたら、それは漫画マニアではない。とにかく漫画が読めるというそれだけで私は日本に生まれてよかったと思う。それは、茶漬けが食えるとか、おにぎりが食えるとかそんなことよりずーっと大事なことです。漫画のせいで我が家はつぶれそうです。でも、ブックオフに売り渡す気はもうとうありません。 2.あなたの映画のベスト3を教えてください。 ベスト3と、いわれても困る。いいと思うのはいろいろありますが。だって、映画はよく見るけど、別にマニアじゃないもん。以下順不同です。いい作品イコール好きにはならないもんね。 『ビューティフル・マインド』 『風の谷のナウシカ』 『…こまったー。でてこないよ。3.何でもいいので自慢話を♪ 照れてはなりません 笑 チョー頭のいい、顔のいい、かわいい、やさしい、おもしろいうちの長男とチョーかわいい、くて、 美人で、スレンダーで、抱き心地抜群のうちの娘と、チョーやさしくてばかなうちのだんなですかね。 《2》バトンを渡してくれた人にメッセージを書く いやもう、コンピュータのお仕事してるなんてすごい。毎回美しい画像を堪能しております。 しかも、ミナコさんのところにつくコメントはどれもこれも面白い。私のようなへたれが一緒になってコメント残していいのかとたじろぐ。でも、そこにまた、素敵にお返事がつくので、ミナコさんのブログにはミナコさんの人徳が染み出てくるよう。リンクをつけておけば、リンク伝いに染み出て来て、私のブログにもご利益があるのではと期待してます。 《3》次にバトンを渡す人への質問3つ 1.子供の頃からずっときらいなものはありますか? それはどんなもの? 2.あなたの好きな本のベスト3を教えてください。いやベストじゃなくても、頭に浮かぶやつてきとーに。3.好きな政治家または、嫌いな政治家(阿部さんは大丈夫なのか心配な今日このごろ、こういう質問するところがいかにもここのブログですねちなみに、現役にこだわりません)《4》バトンを渡す3人を指名する女性にお願いします。 ミントティさんママちゃん7279さんEBさんぴすけっとさんchamokayoさんファニーfuzzyさんざんすーさん 順番は最近コメントをいただいた順です。ここまでしか見れなかった。一応名前はかきましたが、めんどーとか、バトンはやってませんとか、まあ、いろいろありますから、やんなくてもいいよ。本来は三名くらいなんだけど、線引きできませんでした。 ところで今日は豊洲のララポートのプレオープンだそうです。行きたいけど、ちっとお疲れ気味なのでパス。残念。
2006年10月03日
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昨日はちょっと遠出。子供は留守番でしたけど。 春に逝った父が残した遺産のひとつに、隣の県の片田舎に買った小さな土地がありました。資産価値としては、ほんとに微々たる物。今は買った当時の金額より評価額はすごく少ない。何であんなところにあんなもの買ったんだろうと母がぶつぶつ言います。私がもらう土地でもありません。それでも、父が買った土地はどんなところだろうと、だんな様に頼んで見に行きました。実は子供の頃一度だけ連れて行かれたことがあって、うっすらと覚えているのですが、当然明確な記憶でもなく、子供でもあったので、どこなのかなんてその記憶からはわからない。なにしろ田舎なので、大体の場所しかわからなかった。多分このあたりいったいのどこか。もう少し調べるか、当の母と一緒じゃないとはっきりしたわからない。それほどのど田舎でもなく、少しだけ開けていて、少し人は住んでいる。ほとんどは、畑です。ときどき、農家が建っていて、いったい最寄駅にはどのくらいで行けるのか。そのあたりにスーバーも学校も見当たらない。およそ普通に住むには不便そうなところです。ところがそんなところなのに、ところどころに分譲の建売が建っているのです。近くまで行くと、そのあたりだけ、何件かの建売。本当にその部分だけ。しかも、なにやらすさんでいる雰囲気。家の周りとか、外観のメンテナンスとか、手直しとかも、してないのですね。もしかして空き家なのかなと思うくらい。でも、車がとまってたり、自転車がとまってたり、住んではいるらしい。きっともう、住んでいる人は高齢になってしまっていて、外観の修復なんてできないのかもしれません。父が買った時からの年数を数えれば多分そんな感じ。そんな分譲のほんの一区画を買ったのでしょう。確かに、役に立つのか、意味があるのか、わからないようなところです。母が嘆くのもわからないではない。でも、父がその土地を買った当時は、『日本沈没』なんて映画もはやっていました。地震が来る、来ないと騒がれてもいたんです。そして、私達が今住んでいるところはゼロメートル地帯なので、いくら固定資産税の高い都市部とはいえ、いつ水没するかわからない。父にとってはそれが不安だったのでしょう。東京といっても、下町はそんな場所。特に田舎とか、地方に親族を持たない我が家にすれば、そんな時逃げていく先がありませんから。だから、あんな田舎の僻地ともいえるようなところに土地を買ったのだと、思うのです。僻地と呼ぶのはちょっと失礼ですね。普通に住んでいるかたがたもいるのですから。このあたりもうしわけありません。でも、父にとっては、一種の保険。しかし、幸いなことに結局その土地は使われることなく、父の生涯は終わった。そんなところにほうほうの体で逃げて行かなくてすんで、無駄な買い物に終わったことは、実はいいことです。母は、相変わらず、不満げですが。でも、そういう場所に我が家を構えて住んでいる人もいるんですね。東京に生まれて育ちながら、東京にあわない私なんかは田舎に住みたいと思いながら、ああいう不便なところに住んでいる人がいる現実には、考えさせられてしまう、アマちゃんです。でも、とりあえず、高台の絶対水没だけはしない、自然に囲まれた場所。体さえ丈夫なら、住めば都かもしれない。東京は便利だけど、殺伐として、いや。田舎は自然があって空気もよさそうだけど、不便そう。考えちゃうんだわ。しかもね生まれたところ以外に嫁に行く度胸もなかったもんで。小心者なんだわさ。
2006年10月02日
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『ウェブ進化論』の中にはもちろんブログについても書かれていました。 作者の梅田さんによると、もちろんブログの価値や意義はあるようで、毎日朝三時間はブログを書いたり、他のブログを読んだりする時間に当てているそうです。梅田さんによると、ブログはものすごい数があって、その玉石混交の中から玉にあたるブログを探し当てることに意義があるというか、たくさんあるから、中にはいいものもあってそういう数パーセントのいいブログが出てくるからいいと書いてあったと思う。んだけど。 最近つらつらとブログを読んでると、確かに数行で終わる詰まんないブログ(ごめんね)もありますけど、ごくごく普通の人の書いたごくごく普通の日常が書いてあるブログにも、意外と面白いものがあったりして、別にトップブロガーの書くすごいものでも、ランキングインするようなすごいものでもない、地味に地道に書いてあるものにもいいものがあって。いままでだったら、有名作家とか、その関係の人しか書籍なんて出版できないから、そういう人たちのエッセイくらいしかなかったんだけど、ブログによってごくごく普通の人のごくごく普通の日常のつれづれとか、私の主張とか昨日みたテレビはペケだったとか、うちのだんながどうしてとか、うちの子がどうしたとか、並みの文章力さえあれば、ちゃんと面白かったりして、ナニゲナークふらっとたちよったブログに面白いものがあったりして、だから、そういう普通のもの、別に玉じゃなくても。いいと思うんだけどね。 要するに普通ならお友達になってある程度仲良くならないと聞かせてもらえないような裏話とか、参考になる話とか、役に立つ話とか、何気ない話とか。 友達でも、こんな話題は煙たがられるなと思うような話題でも、ブログならスルーされるだけだから、自分が書きたいという理由で書いちゃっても問題ないわけで、しかも、そんな話に以外にコメントがついたりして面白い。ちなみにすごーくいいことがかいてある、すごい記事に関しては、見事すぎで恐れ多くて、感動しても、コメントはかけなかったりなんてこともありですね。 とにかくも梅田さんによると、毎日とにかく書く。それだけでも、頭のいい訓練になるんだそうで、たまにブログ書くのめんどくさくなるとか、ちっょと頭が疲れてて、文章とか、ネタとかなんにも浮かばないとか、どうも、時間が取れないという時でも、そういうこと思い出してまあちょっと励みにして見たりもありでしょうかね。 『ウェブ進化論を語る』
2006年10月01日
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