全29件 (29件中 1-29件目)
1
![]()
今年もいろいろあったなと思うのですが、やっぱり一番なのは、父が亡くなったことです。でも、二月のことなので、なんかもう記憶のかなた。今年のことなんてぴんときません。 喪中欠礼のはがきとかきらいで全然やりませんでした。だから、年賀状がきたらきたでいいやーとか、思いつつ。ふだんやり取りしてないのに、あのはがきだけ届くのってむっとしませんか。あ、そんなのは私だけかな。 ブログをはじめて一年三ヶ月くらい。今年もすでに終わりです。 たくさんのアクセスと、たくさんのコメントありがとうございました。来年も続くかどうか、わかんないですけど、黙ってそっと読んでくださっている方もいるのかもしれないし、日々いただくコメントを励みに来年も書けるところまで書いていけたらいいなと思います。毎日読みに来てくださる方々は特にありがとうございました。いろいろと感謝感謝です。 なんとなく、始めたブログですが、毎日考えているいろんなことを、私の頭の中だけで終わりにしたくなくて、ブログの上に書き出してきた毎日。私の中で漠然としていたものが、文章という形を得て、残されていくのは、面白いものです。 来年もよろしくお願いいたします。
2006年12月31日
コメント(4)
![]()
なにやらものものしいタイトル。でも内容はそのまんまですから。 おとといの読売新聞を読んでたら、最近の死体は骨に色がついているんだって。緑色とか、ピンクとか、青とか。これはつまり、金属のせいらしい。生きている間にとったもので、体の中に金属が蓄積されていくんだって。 で、死体は焼いた後、墓に入れるほかにあまったものは、土にうめたり、さらには、海や山に散骨したりするので土壌汚染や環境破壊が怖いそうです。散骨は、確か日本では、法的に禁止なんだけど、ニュージーランドまで持っていって散骨してくれる業者があるらしい。 いまどきの人間はは死んだ後まで環境破壊してるんですね。怖いですね。 ちょっと前に読んだ『ホリック』でも、腐らない死体ってのが出てきた。この漫画は、オカルト系の話なんだけど、この部分に関しては、オカルトとか、摩訶不思議なものというより、実際の現実だなと思って、なかなか怖かった。 いまどきは食品にも防腐剤とかその他にもいろいろな添加物なんかも入ってるので、死体が腐らないんだって。昔は人が死んだら、腐らないようにいろいろと防腐処理とか対策とか大変だったのに、いまどきはもう体の中に防腐剤がたっぷり入ってるから、なんにもしなくても、腐りにくいらしい。思わず納得しちゃいました。怖いですねえ。科学が進んで、ドライアイスなんかのおかげだけではないらしいということのようで。もう、いまどきの現実ってそれだけですでに、ホラー、ですねえ。ひゅるるるるる。 死体の骨に色のつく理由には、抗生物質なんかもあるらしい。医者がきらいで、薬飲まないで済ませても、養殖えびとか、ブロイラーチキンとかの段階で抗生物質ばんばんはいってるから、それを食べていれば、抗生物質づけなのは必定ですしい。 除草剤にはいってる薬も体の中には蓄積されてるそうですよ。土にまかれた薬は雨によって川に流れ、川の水は水道水になって人間の口に入る。 こうなると、どんな手立てをとっても、もう現代社会の生活をする限りそれらの汚染物質から逃げるのは、無理なんでしょうかね。 で、こんな話を旦那としてたら、「給食にも、成長促進剤が入ってるらしいってどこかで聞いた。たしか、リジンとか、レジンとかそんな名前の物質らしい。」とかいいだしはじめて、 げげっ!! これはさすがに私も初耳です。 どっから聞いたのーって聞いてみたけど、出所は不明です。だから、確証ないし、どこまで本当かわかんないので、そのくらいの感じで読んでね。 しかし、だとしたら、給食費払わないいまどきの現状をそうそおこってもいられないような気がします。 私立にいった息子の身長がいまいち伸びたらないのも、公立中に入った娘が最近やたら身長伸びてきたのもだからなのかーと、思わず信じちゃいそうです。 これのせいで骨は何色になるのかなあ。 ところで関係ない話ですけど、この『ホリック』の中にはかかわるだけでかかわった人を不幸にする運命を生まれつきもった女の子というのが出てきます。のろいがかかってるとか、変なものがついてるとか、そんなのじゃなくて、普通の人間なんだけど、なぜか人を不幸にしてしまう運命を持っているとは、恐ろしい。すごくかわいくて、すごきいい子なんだよね。これが。でも、思わず、ありかもとか、思っちゃったよ。ただのオカルトより怖いです。 自分がそんなじゃないことに感謝。いやーでも、ほんとに大丈夫かなあ。あるいは…。 このネタが出てくるのは、もっと先の巻だったな。 何巻だったっけー。
2006年12月30日
コメント(4)
昨日の二時間ダイエットスペシャル観ましたか? なんか許せない作りだなあ。 テレビのダイエット番組ってやたら過酷なプログラムをやらせるでしょう。あんなに太ってるのに、あんな過酷なことやったら、絶対からだ壊しちゃうよ。番組でも、足痛めたり、ドクターストップがかかってたりしたでしょう。いくらやせても体壊したら意味ないでしょう。 精神を鍛えるんだとか言って、過酷なプログラムが多かったけど、あんなの出来なくてあたりまえ。根性ないとかいわれてもなあ。 栄養バランスを無視した過食とお菓子、スナックの食べすぎが原因なんだから、いっさい間食が出来ないような閉鎖されたところで、栄養バランスのよい食事をきちんと三食取らせて、軽い運動をこなす。これを時間をかけてやるのが一番いいはず。その上で、栄養学などの教育なんかが大切なんじゃないのかな。一ヶ月の過激ダイエットではそれほどやせなかったみたい。画面でも、まだ、太ってたし、スタッフもそのあと、あまりやせないし、みんな体調こわすしで、困っちゃったんじゃないのかな。 結局その後は、日本に戻って、大塚整形外科に助けてもらった感じ。全八ヶ月のうち、残りの七ヶ月は大塚整形の指導のおかげでやせたようだし、最初から、大塚整形のプログラムでダイエットをやった方がよかったんじゃないかな。 苛酷なダイエットを泣きながら友情を育てつつ、がんばっていくというドラマ仕立てにしたかったみたい。そんな番組の企画の生で体壊しちゃう出演者はたまったもんじゃないですね。 それで、結局たるんだお腹や二の腕の皮の部分は整形で、切り落としてるし。何だー、そんな裏技やってるんじゃ、ずるーい。過酷なダイエットを耐え抜いて、見事自力でやせましたっていう番組の宣伝と違うじゃん。反則技だよね。番組だから、お金出してもらってるけど、私ら一般人の場合、自腹切らなきゃならないわけだし。 脂肪吸引もしてるしね。 こんなことなら、最初から、大塚整形外科のダイエットプログラムに挑戦ていう企画でその経過をずーっと全部見せてほしかった。整形のほかにも、いろいろとダイエットプログラムや、アメリカのものほどには、きつくないプログラムがあるはずで、食事指導もあるはずだし。そういう医学的に計算されたダイエットを取り上げた番組が見たいんですけど。 ようするに、テレビをみて自分たちも実践できそうとか、一部だけでも、取り入れられそうとか。 ダイエットの最新研究なんかをとりあげたものとか。 とにかく挑戦者の体壊すような企画はやめてほしいな。 それと、途中でリタイアしたEさん。彼女こそ、大塚整形でやせさせてあげてほしかった。 ようするに、大塚整形の宣伝みたいな番組だった。結局過酷な運動だけじゃやせないんだよなあ。 高いんだよね。こういうのも。
2006年12月29日
コメント(6)
![]()
野良先生の話題はもう旬ではなくなったかな。『塾禁止』 誠意のある良心的な塾を熱心に一生懸命やってる個人塾の先生たちはこの事態にはかなり怒りを感じているんだろうな。と、思う。 でもねえ。そういういい塾に行ける子供はその塾に通えるところにすんでいる運のいいごく一部の子たちだけなんだよね。 大概の子供はとにかく自宅から通えるところにある塾の中から選んで行ってるわけだけど、ほとんどは大手のチェーン系の塾に行ってる場合が多いと思う。そして、その手の塾は上位生のクラスは、いい先生を当てるけれど、その下はアルバイトのほとんど力量のない学生教師を当てる。そして、子供たちの成績は塾通いによって上がることは少ない。高い塾代と、塾にかける時間と労力は大概の場合無駄に終わる。あげく、あがらない成績にいらだってやめてしまう場合も多い。 大手の塾の中位、下位のクラスの先生たちが力量のないバイトであることは、ちょっとしってる人なら当然の事実である。 そうやって無駄なお金と無駄な労力を塾に取られ、塾なんてたいして役に立たないという評価はじわじわと増えはじめているかもしれない。 たとえば食品であれば、買って食べてみて、まずければ、その一度でやめてしまえばすむことだ。 たとえばレストランだって一度入ってみてまずければ、二度と行かない。それだけのことだ。 けれど、塾というものは半年くらいは通わせてみないと、その成果はわからない。子供の時間は短いのに、その貴重な時間を半年も使わないと質の評価のできない塾というものは、だから水物なのだろう。 これでは、塾禁止なんて評価が下されるのも無理はない。 塾という業界ほど業界内の結束がなく、縛りがない業界も少ない。 それは塾という業種ゆえの特性なのか。 たとえば喘息治療の場合は、ある先生によって研究され、それまでの対処両方とは違う、発作を起こさないための毎日継続的に行う薬の投与によって発作を起こさなくすることで直していくという革新的な喘息ガイドラインがつくられ、全国の喘息治療の医師にあまねくもそのガイドラインは配布され、オープンにされている。だから、全国のどこの医者にかかっても、ほぼ同じ治療を受けることが出来る。 もしこれが、その先生がその方法を自分のいる病院の中でだけ行い、外部にはいっさい出さないということであれば、患者はその病院に行かなければ、その治療を受けることは出来ず、自宅の近くの医者では治らないとなれば、やっぱり、医者なんて当てにならない。ちっとも病気を治してくれないという評価になるはずだ。 これは、他の治療方法でも同じだと思う。 あるいは、弁護士の中坊公平先生のように、自分が依頼をうけた事件を自分の仕事の範囲を超えて、弁護士会全体で対応していくようなスタンスで、弁護士会を変えていこうとしたような、仕事を自分の事務所だけのものとはとらえないで、弁護士会、そして、社会全体にとって有効なものとなるような仕事のしかたはすばらしいと思う。 しかし、塾業界というのは、大手の経営のあり方に対して、誰もクレームをつけない。京伸スクールの事件のように質の悪い先生が雇用され続けている現実は相変わらず、是正されていない。 どこの業界だって、業界内の協会を作って同業者同士の連携を高め、同業者が質の悪い仕事をしないように監視していたり、修正したり、質やモラルを保つよう努力しているものだ。 しかし、大手塾の内実は変わらないし、それを是正しようとするような行動は塾経営者たちには、見えない。 あくまで、自分の塾に通う生徒にしかその関心は向けられていない。 自塾の生徒を可愛がり、成績が上がるように指導することはもちろんいいことなんだけれど、仕事が自分の塾の中のことだけで終わってしまい、同業者との連携が進んでいかない限り、塾という商売は、あいかわらず、水物の、世間から正当な評価を受けにくい業種でしかない。 どこの塾に行かせても、最低ラインぎりぎり受けることのできる質の良さ、安心して行かせられる塾というものに対しての信頼感がほしい。 そうでなければ、いつまでたっても、うそばかりで、成績のあがらないまま、高い塾代だけが苦しい子育て家庭の家計から搾り取られていくだけのように思える。 マックドナルドは全国どこに行ってもマクドナルドであって、高級なものではないけれど、最低限の質は、保障されていて、安心して食べることが出来る。それは、全国のマクドナルドに同じレシピが配布され、質の低下をチェックするシステムがあるからだろう。 マクドナルドと塾を比較してもしょうがないけれど、安心して手近な塾に行かせられるような、塾の質の保障、是正、修正を塾業界はいつやってくれるのだろう。 そういう姿勢がないかぎり塾はどこまでいっても、所詮、塾なんだ。
2006年12月28日
コメント(8)
![]()
学校の先生と面談すると、先生たちは、子供の欠点なんかあげつらって、私が必ず、なおしてみせますとか、ここがよくないけど、どうしたらいいでしょうとか、何とかしてくださいとか、いろいろとうるさい。私はちょっと位の子供の欠点なんてそのうち直るよと思ってるのに何でかなあと思ってたんだけど、要するにまあ子供とかかわる時間のスタンスが違うんだよなあ。 親の場合は、子供とは子供が生まれてから、自分が死ぬまでのすごく長い時間の付き合いだから、今ちょっとくらい子供に欠点があっても、そんな簡単に直らないし、大人になる頃にはそのうちなんとかなるかもとか、そんな感じで考えてるんだけどね。 でも、先生が子供の欠点にかなり必死なのは、職業のせいもあるけど、かかわる期間が短いための強迫観念に近いような感覚があるのかなあとまたまた考えた。 なにしろ先生の場合、子供とかかわるのは、大概は一年くらいしかないもんね。 自分がうけもつ子の一年の間にすべきことはしないと、と必死になるんでしょうかねえ。 とりあえずできるところまでやって後は次の先生に申し送りして長い目でみてもいいんじゃないですかねと思う。 その一年の間に生徒がよくならないからって誰もそれほど文句言わないと思うけど。 でも、いつも学校に苦情がくる原因になってる生徒なんてのもいるしねえ。 それでも、やっぱり子供はそんなにすぐには直らん。 先生、うちの子はとりあえず、適当でいいですから。
2006年12月27日
コメント(4)
![]()
子育て本もずいぶん読みました。あんなもの当てにならないということで人によってはきらいだけど、私は結構好きなのでよく読みました。たしかにあてにならないところも役に立たないところも実戦なんてとてもじゃないけどできないようなことが書いてあったりもするけれど、それでも何冊もいろんな人の書いた本を沢山読むとね、共通して書いてあることってのがあるんですね。 そういう共通した部分って言うのは、信じていいと思うわけです。 それで、そんな本の中で特に好きだったのが、平井信義先生なんだけどね。 要するに、彼が何冊もの本でかいている一番共通のことは、 「親の言うことを聞くよい子に育ててはいけない。」 これですね。親の言うことをよく聞くってのはつまり、自分ではなんにも考えないわけで、親にとっての都合のよい人間を製造するために子育てやってるわけじゃないんだし。 ていうか、私の親もわりとそんな感じの考え方の人だったような気がして、そんな風に育てられたような気がするんだな。母はうるさかったけど、父はわりかし、子供にうるさいことをやいのやいの言うのがきらいな人でした。 で、私もあんまり、うるさく子供にさしずしたり、しつけたり、言うこと聞かせたりするのがきらい。 それで気がつくとそういうことが書いてあるような子育て本を意図的にないしは、無意識にえらんでいるような気がする。そんでもってそういう本をいい子育て本だったって評価しているような気がする。 よくよく考えてみると、基本的な価値観はすでに自分の中にあって、その上で、そういう自分の価値観、子育ての方針にあったことが書いてある本に対して、いい本という評価を与えて、好んで読んでいるのかも知れない。 そうなると、絶対的に役に立つ子育て本なんてないのかも。 でも、実際には、子供なんて親の育て方ですべて決まるわけじゃないし、生まれつき持ってるものがあって、親が必死になってしこんでもどうしても身につかないこともあるし、親がちょっと間違えて育てたり、手を抜いたり、よくわかんなくて、教えそびえたりしたことなんかも、子ども自身が育っていく途中で、自分でみにつけたり、学んだり、修正していくこともあるし、環境なんかも影響するし。 つまりは、子育てなんてそんなに気を入れてやらなくても大丈夫なのかもしれない。 だったらほっぽらかしにして育ててもいいかもしれない。 でもやっぱりそうもいかないだろうな。 できる範囲で、いいと思う方法で子育てしていくしかないし、あとは運を天に任せるしかないかも。 そんなに必死にならないでも、子供は育つし、きりきりしないで、子供と一緒すごせる少ない時間を楽しく過ごすほうがいいと、思う。
2006年12月26日
コメント(8)
![]()
なんだか教育再生会議で、野依良治先生の言った爆弾発言が意外と話題みたい。 今朝もテレビでやってました。 「塾なんて禁止にしてしまえ。」 確かに無茶なこと言ってる。でも、ある意味ほとんどの人が思ってるけど、大きな声では言えない、本音だなあと思う。 確かに今現在、いきなりなくされたら、大概の人は困るだろう。でも、子供を塾に行かせながら、本音はしんどいと思っている親は多いはず。(ありがたいとも思ってるだろうけどね。)なんせ、お金はかかるし、それに塾のおかげで入試問題が必要以上に難しくなっていってしまう。 子供だけでやっていれば、子供のやることなんてたかが知れてるし、馬鹿なことでミスしたり、読みが甘かったり、やりこみがたりなかったり、対策がずれていたりする。 でも、塾がなくて、すべての子がそのレベルで受験に望むなら、全体がそんななのだから、入試問題がやたら難しくなることもない。 塾によってうまく指導してもらって希望の学校に入れるのはありがたい。 その一年だけの部分だけをみればたしかにそうなのだけれど。 難関校を目指して何年も塾に通って精神的に疲れきって、社会に出る頃にはすりきれてしまう子も多い。 社会が望んでいるのは、頭のいい、コミュニケーションのとれる人材なのだが、難関校を目指すための塾通いはその反対側の人間ができるような生活になるということはどうにも避けようがない。 社会の優秀な人材が塾の猛勉強によって、数多く擦り切れていくのは事実だし、あまりにももったいないし、社会的損失だ。 野良氏の言うように、数学や、英語の勉強より、理科や社会、音楽や芸術の方がよっぽど実生活に重要なことを教えているのに、受験のせいでそれらの大事な科目が軽視され、はずされてしまう。子供たち全体にとってのおおくな損失ともいえる。 社会や理科がはずされやすいのは、暗記科目として、やりこみの対象になってしまうこと、暗記なので、受験生の頭の良さを図りにくい科目だからだ。けれど、最近の入試数学はパターン暗記が増えてきて、数学でさえ、受験生の頭の良さは図れない。 こないだわが子と話していたら、学校で勉強してるのに、ミルクにレモンをいれたら、科学反応で固まるのも知らないし、姥捨て山の話もしらない。 野良氏の発言によって、この問題がより多くの人たちを巻き込んでデイスカッションされ、考え直されるのなら、それはそれでいい機会だと思う。 ただね。成績の悪い子だけ、塾に行くって事は、塾に行くイコール落ちこぼれとして、いじめの対象になったりしないのかなあと思う。 教育再生会議ってみんなで集まっていろいろ言ってる割に、肝心な本音って意外と論議されてないかもよ。 さすが、ノーベル賞受賞者だ。でも、野良先生をほめると塾の先生たちに怒られそうだ。 塾の先生たちも夜だけ子供との共有時間なんて、遠慮してないで、学校の先生になって、毎日一日中子供たちと過ごしたっていいんですぜ。塾が禁止になって塾が激減して、困った塾の先生たちが、みんな学校に就職したら、どうなるかなあ。おもしろそうだなあ。塾代もかかんなくなるし。夜塾に行かせなくても、すむし。 そういいつつ、うちの子たちも塾通い。塾に行っても、たいして、成績は変わんない気がする。塾って上位の子しか実質相手にしてないですからね。それでも、行かせるのは、塾の受験にたいするマネージメントや、模試の斡旋、志望校の相談や、裏事情を教えてくれそうだからなんだけどね。 そのあたりだけは、学校だけじゃあ困るんだなあ。さて、野良先生はこれからどう出るんでしょうね。
2006年12月25日
コメント(2)
クリスマスは毎年、ケーキを焼いて、ローストチキンを焼きます。 ずーっと毎年やってきたんだけど、最近ちょっと飽きたかぁ。 チキンは足じゃなくて、丸を焼くんだけど、子供たちが大きくなってきて、食べるようになったので、一匹じゃ足りないのよね。でも、だからって二匹も焼くのもちょっとなあ。 ケーキもスポンジケーキがどうしても、硬くなっちゃう。、もっとふわふわの柔らかーいやつ食べたいし、今年はお店で買おうかなあとちょっ迷ってしまいました。 こうなると、ネットでレシピ検索して、なにか独特のコツなんてものをチェックして、作り方を考え直した方がいいかも。 材料はいいから、変な添加物も入れないし、生クリームも動物性のものを使ってるので、だから、味は悪くないんだけどね。でも、スポンジが硬いのはいかんともなんとも、ねー。 で、レシピ検索してみました。どうも今までは、時間かけて焼きすぎだったみたい。もう少し時間少なくていいみたい。そうなのよね。外側が硬すぎだったもんね。で、牛乳とか、コーンスターチとかも入れるといいのかもしれません。 最近のケーキは昔みたいにふくらし粉とかは、入れないでしょ。 でも、チキンはやっぱり買ってきたものより、家で焼いた方が絶対おいしい。 ケーキはもう焼いたので今さましてるところ。後で、デコレーションします。といっても、生クリームと、イチゴだけだしね。それで、なにか抜群にかっこいいデコレーションて、ないかなあ。 ケーキやさんてほんとに上手に飾り付けてあるよね。うまいよね。うううん。 あとは、チキンを焼くのだわ。 クリスマスは、忙しい。明日は、レッグを焼くのです。
2006年12月24日
コメント(8)
![]()
ヤフー動画で無料配信していたので見てみました。 終戦の四年後くらいの製作なんですよ。日本が戦後の復興に必死だった頃にこんな映画作ってたんだなあとびっくりでした。 それでも、昔のものなので、今のようなすごい画面ではないのです。ほとんどのシーンはスタジオで撮っていて、戦闘シーンだけ、実際に戦場で撮影した本物を使っているのです。 そのわりに不自然でなく、うまく挿入されていて、しかも、太平洋戦争の実録のフィルムがみられる。やはり本物は迫力があります。それに、これ本当かなあとくだらない疑いをしないで、そのまま見られるもの。 なかなか参考になります。不謹慎だけど、面白いし、興味深い。 まだ本物の戦場で戦ったことのない兵隊たちが、厳しい隊長に鍛えられていく。最初は隊長に対して反感も感じていた隊員たちが、実際の戦場での隊長の勇気ある行動や判断力を見ていくにつれ、だんだん隊長を慕うようにもなり、一人前の兵士として成長していく。 ハワイ沖の島での戦闘そして、最後は硫黄島での戦闘です。 そして、ラストはまさにあの星条旗をすり鉢山にたてるシーンを隊員たちが見ているところ、そして、さあ、まだまだ続くぞと戦場に出ていくでシーンで終わります。 そして、その後に音楽とともに、われわれは祖国のために戦うんだという内容の歌詞が流れる。 びっくり。 戦争映画といえば、テーマは「反戦」と思っていたら、この映画はなんと戦争賛歌の映画。戦うのは大変だけど、それでも、自分たちは祖国のために戦うんだとそういうテーマなんです。 作中にでてくる日本兵は黄色い兵隊と呼ばれ、いかにも、憎憎しげな演出。明らかに悪いやつという描写です。 そして、硫黄島についた兵隊は浜辺の砂を手にとって見ながら、「こんな荒れた島を何で占領するんだ?」という。 硫黄島戦の戦略的な理由なんて全く知らないまま、いわれたままに戦ったいるだけなんだなあと。 少なくとも、当時、日本軍の兵士はみんなその理由を知っていたはず。うーん。日本側ほどの切迫感が全然ないんだよね。 日本兵とアメリカ兵は戦場での意識やスタンスがぜんぜん違うんだなあと、そういうのが、よくわかります。 作中、一人の兵士が隊長にむかって、「俺の息子は兵隊になんかしないぞ。ちゃんと大学に入れてもっとまともな仕事をさせるんだ。」というシーンがあって、ラストちかくでこの兵隊は死んじゃうんだけど、その時彼がもっていた十歳の息子宛の手紙を隊長がその場で、読むんですね。これこそまさに「硫黄島からの手紙」でしょ。タイトルはもしかするとここからなのかもしれない。 で、手紙は途中までしか書いてなくて、結局彼は息子に将来何になれとかこうとしていたのかわからないまま。いかにも意味深です。 大学に行けといいたかったのか。それとも、兵隊も悪くないといいたかったのか。 けれど、大学にいかせようと考えていた彼の手紙が結論のないままというのは、彼の中で迷いが生じた。兵隊もいいんじゃないかと考え始めた。そんな含みをもってラストシーンの歌が流れる。 硫黄島戦は大変だったけど、まだまだアメリカは戦争するから、祖国のためにみんな軍隊に入って戦おうぜと、まさにそういう作りなんですね。 これって今の北朝鮮とぜんぜん変わんないジャン。明らかに国策映画なんだもの。戦場の悲惨さなんてほとんど伝わってきませんよ。 部隊のメンバーが見た、星条旗のシーンはありありと、あの写真と全く同じポーズを俳優たちがとっているのです。 『父親たちの星条旗』は、まさにこの映画の裏番組というか、アンチテーゼとしてつくられたものだったのだとわかりました。 スピルバーグは、長い間この映画に対して、思うところがあって今回初めて、星条旗の真実を描いた映画を作ることで、やっとすっきりしたんじゃないのかな。 自分の愛する映画が国策や戦争の道具に使われたことへの怒りとか、あったのかもしれないなと。 戦争映画
2006年12月23日
コメント(2)
![]()
『しゃばけ』シリーズ第二段。 今度は短編集ですが、一巻で出てきた登場人物たちのその後なんかもわかってすっきり。 相変わらず面白くて読みやすい。 私は子供に厳しくするのがどうにも苦手で、過保護じゃないけど、甘い親だと自分では思っている。だから、いいのかなあ、もっときびしくしっかりしつけるべきなんじゃと常日頃不安な思い。 でもやっぱり、厳しいことはできない。 しかし、この物語の主人公一太郎は、江戸時代の江戸で大店の跡取り息子でありながら、体がチョー弱いために、やたら、過保護に育てられている。二人も手代がつきっきりで面倒を見てもらい、お金に困ることもない。 それでも、一太郎はわがままで、傲慢で、いやなやつとは程遠い、心根の優しい、人情のある人物である。 わがままに育てたり、物を与えすぎたりしたら、ろくなやつに育たないというのが、子育ての常識として、通っているにもかかわらず、こんなやさしい一太郎のような人物が育つなら、私も子供は思いっきり甘やかして育てたい。その方が楽だもの。 子供がほしがるものをだめーっといウより、ほいほい与えて、子どものうれしそうな顔を見たほうが、楽しいし、うれしいし、楽だもん。 それにしても、どうしてこんなやさしい人物に育つのかなあと、いろいろ考えてみると、私としては、やっぱり、周りに彼を心配しいつもきにかけ、近くから、遠くから彼をいつも愛している沢山の人たちに囲まれているからなのかなあと思う。 なにか行動するとき、自分を大切に思う人がいたら、やっぱり馬鹿なことはできないし、悪いことはできないし、わがまま勝手はしずらいだろうし。 彼自身体が悪くてつらい思いをしているせいもあるでしょうね。 病人てわがままなものというのも、通り相場だけど、そうじゃない人もいっぱいいるからね。 そして、彼自身、自分がつまんない存在価値のない人間にはなりたくないと必死なわけだ。 あやかしの助けを借りているとはいえ、数々の江戸の事件を解決するその聡明さもまた、彼をただのわがままものにしない理由なのかなあ。 甘い甘いといいながら、結構二人の手代は、一太郎にきびしいきがする。だからかも。やっぱ厳しくないとだめか。厳しいというより、とにかくよくみてる。ともいえましょうか。 この二人の手代。実はあやかしなんだけど、CLAMPの『ツバサ/RESERVoir CHRoNiCLE』にでてくる、ファイと黒鋼のイメージで読んでるとキャラぴったりなのよ。ふふふふふ。 最近私は、星占いとか、性格占いとか、なんだかもうばかばかしくなってきて、どうでもいいやと思うようになってきた。若い頃は何にもわかんなくて不安で不安で、いろんなことを占いや、目に見えないなにかの力のせいだと思うことで自分の不安をごまかしていたのかもしれない。でも、そんなものを信じてみてもしょうがないし、めんどくさいし、かったるいし、それより、うまくいかない現実を正直に受け止めた方が話が早いと思うようになった。悪魔のせいでも、運のせいでもない。 でも、それは別に目に見えないものを否定するということじゃない。 あやかしの話は面白いけれど、もし、本当にあやかしが今私に見えてしまったら。それはもう、謎でも不思議でも、目に見えない不思議なちからでも、存在しない得体の知れないものでもなく、はっきり目に見える現実になってしまう。 あやかしが現実になったら、それはもう、あやかしじゃないような気がする。 だからやっぱり、あやかしは見えないほうがいいみたい。 不思議なものはわからないままの方がいい。 そうして物語の中だけで、不思議な力を見せてほしい。 『四布の布団』では、やたら声のでかい店主が出てくる。あんまり声がでかくて、怖くて、いつも怒鳴ってばかりいるから、奥さんも従業員もびくびくびくびくしている。 彼は彼なりに、店を抱え、がんばらなきゃと必死でがんばってきたわけで、それは決してわるいことじゃない。でも、自分ひとりでがんばりすぎて、きりきりしてるものだから、その被害をまわりに及ぼしているんだけど、彼はそのことに気づいてない。 がんばるのもいいけど、しんどいなら、周りに助けを求めたり、泣き言を言ったりしたほうがいい世という話みたい。 私の母がこのタイプです。他人なんてあてにならないといってがんばるのはいいけど、途中で息切れして、周りに迷惑かけてるのに、いくらいってもわかんないんだよねえ。 『空のビードロ』は、一太郎の腹違いの兄松之助の話。当時の江戸庶民の生活がいかにぎりぎりで、仕事を失えばいつ野垂れ死にしても不思議じゃない。そんな時代のぎりぎりの生活ぶりや、人の心の綾がかかれていて、そして、せつない。 この二人が表紙ってめずらしいのよ。
2006年12月22日
コメント(2)

十何年も主婦業やってると、どうもやっぱり飽きてきて、だれてきて、いい加減になってきて手抜きになってきて、なんだかつまんないなあ、もっと意味のある仕事やりたいなあ、なんてそんな風に思い始めるもんです。掃除とか片付けとか、だんだん手抜きになってきまして。特にアイロンかけが嫌いです。ちなみにネタバレありありです。 でも、そんなのいかんなあ。自分に与えられた仕事はきちんと責任もって一生懸命やるべきなんだ。そうじゃないと命を落とします。この映画の人たちのように。 この映画にでてくる人物の三人もまた、二人は自害し、一人は失明した。なんでかっていえば、それはつまり自分の仕事を甘く見て、手を抜いていたからです。 主人公三村新之丞(木村拓哉)は、お毒見役という仕事をつまらないと思っている。武士らしくない。それよりはいっそ道場でも開いた方がいいとすら思っている。教える相手は武士の子でも、町人の子でも、下働きの子でも、とにかく剣を使うような武士らしい仕事であるなら、今のお毒見役のような、形ばかりの儀礼的な仕事よりよっぽどいい。 藩主の食事は必ずお毒見役が毒見をしているのだから、毒なんか入れても意味なさそうだし、いまさら、そんなことするやつはいないだろう。それでも、やっぱり、毒見はしないといかん。やめれば誰かが、また、毒殺を企てるかもしないし。それでも、ずーっとこんな仕事をやってると、だんだんだれてきて、形式的になってきて、みんなどことなく、緊迫感なし。 そこに油断があったのだろう。主人公三村は「貝の刺身」によって中毒となり、高熱の後、失明する。三村は貝を口にしてほどなく気分が悪くなる。横にいた同僚は気がついて、「どうした」と声をかける。それでも「いや大丈夫」といったその挙句、倒れてしまう。それに気づいた広式番が、すでに御前に上がっている料理の食事をとめに入る。 毒見役なら、まず自分の体調の異変にきずいた段階ですぐに「しばしおまちください」と声を発するべきであったはず。それ以前に口に入れた段階で、これはなにかおかしいと気づいてもいいはず。本当にプロであるなら、毒見役として、食べ物を口に入れた一瞬できずくべきものなのではないだろうか。しかし、三村は自分が倒れるまで、毒見役らしい仕事をしていたとはいえない。そういう仕事への甘えが実は彼を失明させたとも言える。口にした段階で、ほんの少しの体調の変化にきずいた段階で、上司に速やかに告げるべき仕事なのであるから。 彼は自分の仕事を侮り、手を抜いていた。それこそがまさに命取りとなったのである。 そして、この事件で、毒見広式番、樋口(小林稔侍)もまた、切腹せざるを得なくなる。彼は、高齢とはいえ、毒見の仕事の最中にあろう事かうたた寝までしている。毒見役五人の顔色や体調のチェックもなおざりなまま、形式どおりに、食事を藩主の午前に運んでしまっている。明らかに職務怠慢である。彼もまた、自分の仕事をたいしたことのない形式的なものに過ぎないと、軽んじていたのである。その結果、あと、数秒遅ければ、主君の口に赤粒貝の毒が入っていたかもしれないのである。 そして、その結果、自害せざるを得なくなってしまった。 仕事の失敗で命までなくなるなんて、大変な時代だなあなんてヒトゴトみたいに気楽にみてちゃいかんよ。今だって仕事ってのは、命がけでやるべきものだ。それをいい加減にやるから、逮捕されたり、裁判になったり、免職や辞職に追い込まれ、仕事をなくして、路頭に迷うなんてことになる。その挙句野垂れ死になんてのもありですよ。今現在。 そして、もうひとり、番頭の島田藤弥(坂東三津五郎)もまた、己の仕事を利用して、三村の妻加世(壇れい)の体をいいようにした。頼みごとにきた彼女を手篭め同然にし、その後もそれをたてに彼女に要求した。その挙句、夫三村の怒りをかって、そののち結局切腹となる。自身の仕事を自分の欲望のために使った。彼もまた、自分の仕事を甘く見ていたのだ。 そしてまた、妻加世もまた、島田に迫られた時、声を上げることもなく、されるままになってしまった。声が出なかったというのは、言い訳に過ぎないといったら、ちょっと厳しすぎるだろうか。彼女は夫のためといいながら、今現在の暮らしを維持したいという欲望の前に、妻として貞操をまもるという妻としての仕事を二の次にしたのかもしれない。そういう一瞬の心の好きに悪魔が入り込んだとも言える。 与えられた仕事はちゃんと命がけでやらなきゃいけないんだよなあと思った。 そうじゃないと、失明したり、切腹したり、離縁されたりなんてことになるんだよねえ。 三村は盲目の身でそれでも、妻と自分の無念を晴らすために島田との命がけの一騎打ちを果たす。 これが要するに武士の一分だとそうとってもいいんだけどね。でも、本当の一分は自分の仕事を命がけでやることです。 ラスト、三村は、離縁したはずの妻加世の存在を、その声を聞くでなく、足音を聞くでもなく、ただ彼女の作った料理の味だけで自分の家の中にいることに、きずいた。まさにお毒見役として、本領なのである。 だからこそ、感動の涙も出ようというもので、ハッピーエンドの少ない最近の映画の中でほっとする結末だったのです。もちろん、三村の目は失明したままだけどさ。でも、妻の料理が見分けられるようになったんだから、克服したと思いますよ。 私も妻として母として主婦として、自分の仕事を命がけでやらなきゃいかん。 でもやっぱりアイロンかけは嫌い。 中間・徳平が良かった。彼の仕事ぶりには、手抜きもだれもなく、ただ、ひたすらに三村と加世のために働く姿が好対照として、特に印象に残り、物語に深みが増したといえる。 武士の一分@映画生活 日本映画、邦画
2006年12月21日
コメント(6)
![]()
あさのあつこの『バッテリー』が大好きで、そのせいで買ったあさのあつこの新作です。高校生の女の子のお話。舞台は底辺校。主人公たちはあっけらカーンと日々を暮らしながら、卒業後に就職もおぼつかない自分たちの将来への不安を心のそこに沈めながら暮らしている。 こんな底辺校の授業にすらついていけず、勉強が大嫌いで、中退した女の子や、体が悪くて高校に入れたことすら奇跡だと親にちょー甘やかされている女の子。高校野球で天才と騒がれている兄の存在がこころに影を落とす男の子。 今ちゃんと勉強しないといかんのよとわが娘に悟らせるにはいいんじゃないかと思って娘に勧めたけど、娘はいやだといって読みません。こういう親のせこい計算に使われるために作者はこの本を書いたわけじゃないものね。 底辺校だろうと、進学校だろうと、高校時代なんてみんな不安で、将来どうなるかわかんないのは同じ。高校で天才野球少年なんて期待されたってプロになれない方が多いだろうし。 高校生と中学生の子供をもつ母として読みましたけどね。 私が高校の頃はここまで世の中景気悪くなかったしなあ。低羽化、私が高校の頃なんて就職のことなんて考えもしなかったしな。彼らの方がよっぽどしっかりしてるかも。 どんな学校でても、就職のおぼつかない現在ですからね。不安がいっぱいの現実はどうしようもありません。 たいした事件もなく、いまどきの高校生の日常と高校生の本音がなにげなーくだけど、すごくうまく書いてあってさらっと読める本でした。 主人公の女子高生の気持ちの描写など、さすがにあさのあつこらしいするどい指摘。こういう本当の本音を実にうまく書いて見せるところがあさのあつこはすごいんだよねえ。 書評、レビュー
2006年12月20日
コメント(0)
![]()
進研ゼミの高校入試説明会にいってきた。なかなかよかった。中学校の説明会とかより、ぜんぜんわかりやすいし、聞きやすい。さすがに民間企業は気合が違う。 しかし、話の対象はあくまで、上位校だけ。 底辺校に行く子供の親はもちろん、こんなものをわざわざ聞きにこようなんて気合はない。 そして、相変わらず、公立中学は親にわかるように親切な説明なんてぜんぜんしてくれないし。 真ん中へんの親はどうすればいいのかなあ。 そんでもって都立高校の過去問をくれた。数学だけだけど。息子にやらせてみたら、正答率ほぼ八割。都立って簡単だと思っていたんだけど、最近の都立は融合問題とかいろいろ工夫してあって以外に難しそう。各教科の平均が例年ほぼ60点なんだそうだ。以外に良問みたい。都立高校恐るべし。 高2の息子でも、どうしても解けない問題とかあったんですよ。 こうなると娘には六割も危ないかも。塾の月例試験の点数が悪いけど、問題が難しすぎだからなんて思ってたけど、甘いかもしれない。月例試験の問題が解けないようじゃ都立も危ないかもねえ。それにくだらないケアレスミスも多いみたいだし。こういうのは、ケアレスなんていうネーミングが悪いのよ。ケアレスっていうと、ちゃんとやればできるんだからって、そんな含みがあるもんね。もうちっとこれは危ないミスなんだぞーって気持ちになるようなネーミングはないものかなあ。ディンジャーミスとかねー。 て、わけで有意義な説明会だったと思うよ。 しかし、ついでに子供がためがちな進研ゼミの教材を確実に子供にやらせるテクニックとかも教えてほしかった。やらなきゃ役に立たないもの。 これが一番知りたいと思いませんか?
2006年12月19日
コメント(2)
![]()
こんなひどい三者面談は初めてです。娘と先生が話し始めて聞いていたら、「先生が君に恨まれたら怖いなあ」とか、のろいの人形がどうとかって話になってきて、目の前に親がいるのにそんなこと言い出す先生って何ナノ。 この先生は評判が悪い。よく生徒を殴るので、あと一回殴ったら、転勤ということになっているらしい。いま時言うことを聞かない腹の立つ生徒はいっぱいいるから殴りたくなる気持ちもわからないでもない。 でも、話を聞いていたら、話がどんどん悪い方へ悪い方へと行く。生徒の悪いところを見つけるのに必死という感じである。何でこんなに無理やり生徒を悪いやつに仕立て上げるんだか。そこには生徒への愛情なんてかけらもない。 生徒に対していつもこんな思考回路で接していたら、そりゃあ殴りたくもなろうというものだ。 生徒の心のそこにあるもの、生徒のとる行動がどんな感情から生まれているのかに対して、善意的な解釈はおよそなさそうである。この先生。見た目はニコニコしていて、優しそうな人のよさそうな人物に見えるのだ。私の人を見る目は役に立たないみたい。 つくづく公立中の先生の質は悪いんだなと思った。去年の担任の先生はこんなじゃなかった。 これじゃあ、公立中でいじめや自殺が連続するのも無理はない。子供が悪いとか言う前に、このひどい先生たちを一掃した方がいいんじゃないのかと思う。 教員の採用試験は民間企業の採用が終わった後の最後の土壇場におこなわれる。なんで、子供達を育てる重要な教員採用試験をそこまで民間企業に遠慮して日程設定しなきゃいけないのか。 子供の世界と少子化といじめを改善しようというなら、まず、民間企業に先立つ採用試験を実施すべきなんじゃないのかと思う。 そうじゃないといつまでたっても、民間企業でも採用されないかすしか教員にならない。
2006年12月18日
コメント(13)
![]()
硫黄島二部作を見た後でこんな映画を見ているなんてちょっとおかしい。 確か昔テレビで見たような気がするんだけど、ぜんぜん覚えていない。でも、ジャングルの中に架かった橋が爆破される話だったはずで、そのシーンだけがわずかに思い出されるのだから、たぶん見ているのだろう。 戦争映画としては、かなり有名な名作で、劇中に流れる「クワイ河マーチ」は、学校の運動会でもよく使われる有名な曲なので、曲を聞けば大概の人は知っているはずなのである。曲自体は快調なテンポの明るい曲で、映画のストーリーの悲惨な結末とは対照的で違和感がある。どうしてこんな軽快な曲が映画のテーマ曲にされたのかちょっと不思議。 現在のように残酷なシーンはほとんど出てこない。昔の戦争映画はほとんどヨーロッパ、アメリカが善というかかれ方をしていたものなので。そして、完全懲悪的な、最後には、爽快感を残すようなそんな牧歌的な時代の映画なのである。 しかし、今になってこの映画を見直してみれば、そんなお気楽な評価をしていていいのかどうか。日本とイギリスの将校同士の友情なんてそんなちゃっちい話とは私には思えなかった。そして、戦争映画というよりは、戦場という特異な場所を使うことによって描き出された、人間のもつプライド意識への揶揄を描いた話なのではないのだろうかと思う。 とにかく映画を見ていると、イギリス人将校のプライドの高さに驚くばかりである。それはあまりにも過渡なので、ある意味ばかばかしく、滑稽であり、思わず笑ってしまうほど。 一部隊まるまるが降伏して、タイの捕虜収容所にやってくる。アレック・ギネスの演じるイギリス人将校ニコルスン中佐はとにかくプライドが高い。「将校はジュネーブ条約で決められていて、労役は免除されているのだから、私は、労役なんかやりたくない」と拒否する。 しかし、日本人の斉藤大佐 (早川雪洲 )は、それを無視して、将校クラスもみんな労役につかせようとする。 その結果、ニコルスンは、オーブンと呼ばれる独房に幽閉される。 この時斉藤大佐は「やつは自分が偉いと思っているから働かないんだ」というのである。 この時斉藤大佐は日本の軍人が話のわからないばかだから、ジュネーブ条約を無視しているように見える。しかし、斉藤大佐は、実はイギリスに滞在していたことのある教養のある人物なんである。イギリスという国の内情をしっており、イギリスという国の中の貴族というもの、身分格差などをよく知った上で、ニコルスンのジュネーブ条約遵守を拒否しているのである。 イギリスの貴族はアメリカとは対称的に戦争が始まれば、まず戦場に向かうものらしい。しかし、貴族なので、入隊の最初から、将校の位を与えられる。自分達は貴族なのだから、庶民のような労役はしたくない。戦場でそんなことにならないようにという貴族サイドの要請によって取り決められたのが、ジュネーブ条約なのだとしたら、そんな西洋のご都合主義によって一方的に決められた条約なんてものを、貴族階級を持たない日本が守らなければならない道理なんかどこにもない。まして、将校クラスの捕虜はいっぱいいるし、彼らにも食事を与えなければならないのなら、働いてもらわないとたまったもんじゃないと思う。日本側にしてみれば。 つまり、斉藤大佐は話のわからない馬鹿だったから、ニコルスンの要請を拒否したわけではないのではないかと思う。 しかし、その状況で、炎天下に独房にいれられ、食事もないまま、それでも、労役を拒否しつづけるニコルスンのプライドの高さには恐れ入る。すごいねえ。 さて、しかしである。この捕虜収容所の重要な仕事はクワイ川に橋を架けることなのだが、なかなか思うように行かない。さすがに困った斉藤大佐はニコルスンを独房から出し、機嫌をとって、何とか橋の建設を手伝ってもらおうと考える。苦労の末、ニコルスンの説得に成功し、ニコルスンは二人の部下を使って橋の建設を始める。 ニコルスンは貴族のプライドによって労役を拒否したわけだが、橋の建設という「貴族のプライドを維持し、将校として、部下たちを指揮し、隊を統率する上でちょうどよい仕事」を得たことで橋の建設に夢中になる。 ところでここでポイントなのは、斉藤大佐はニコルスンが貴族だから、将校だから、それを認めて、彼を独房から出したのではないということだ。ニコルスンの技術力や知識に対しての敬意なのだ。ニコルスンはプライドゆえに労役を拒否していたはずなのだが、彼はそのプライドへの敬意でないにもかかわらず、斉藤大佐を許して、ご満悦になっている。橋の建設は、彼のプライドを満足させるのに十分な仕事だったようである。 しかし、ここで軍医がニコルスンに注意する。「この橋を建設することは敵(日本)を助けることになるんだぞ」と。しかし、ニコルスンは聞き入れない。 さて、同じ収容所にいたアメリカ人のシアーズ(ウィリアム・ホールデン)は脱走に成功したのだが、橋の爆破計画の重要な任務を与えられ、しぶしぶクワイ川に戻ってくる。 とうとう橋は完成し、そして、シアーズたちによって橋には爆破用のダイナマイトが仕掛けられる。 ダイナマイトの導火線にきづいたニコルスンは、発火装置のところまでやってくる。彼につれられて、斉藤大佐もやってくる。対岸でシアーズもまた、爆破の瞬間を待っている。 爆破スイッチのところにいたイギリス兵は、まず、斉藤大佐を戸惑うことなく殺す。しかし、イギリス人将校であるニコルスンをどうしても殺せない。時間は迫っている。早くしないと列車が橋を渡ってしまう。対岸にいたアメリカ兵のシアーズがやってきて、爆破をとめようとするニコルスンを殺す。イギリス兵も殺されている。 そして、最後の瞬間、傷をおったニコルスンが爆破スイッチの上にたおれかかり、橋は爆破される。 イギリス兵は日本人である斉藤大佐は躊躇なく殺せたのであるが、イギリス人将校であり、貴族であるのニコルスンはどうにも殺せなかったのである。そして、アメリカ人であるシアーズは、ニコルスンを殺すことに戸惑いがない。 シアーズは本来二等兵だったのだが、物語の中でずっと、中佐と偽っている。なぜかといえば待遇がいいからである。軍隊の階級というのは、正確な確認もなく、本人の言葉だけで信じられてしまう程度のものなのであり、それを罪悪感なく、偽証してみせるアメリカ兵のシアーズという人物の存在もまた、階級や貴族意識のばかばかしさを揶揄しているようである。ジュネーブ条約なんていうのはそんなものなのであろうか。 原作はフランス人のピエール・ブールによる。ブールは、大戦中、有色人(日本)の捕虜となった屈辱をこの物語によって描いたのであるが、そのブールの特権意識を揶揄したテーマに摩り替わった映画をイギリスが作っているとは、なんというか、その皮肉ぶりには恐れ入るばかりである。 「第二次大戦を背景に戦争の愚かさと人間の尊厳を描いた」というのがこの映画の映画評であるのだが、本当にそうなのだか。イギリス人将校と日本人将校の友情なんていうけど、そんなものこの映画のどこにあるんだか。ニコルスンは将校らしい仕事にご機嫌なだけで、斉藤は橋が着実に建設されていることにご満悦なだけだ。 結局最後は三人とも死んでしまった。彼らが死んだのは、戦争だからなのか。それとももっと別の理由からなのか。 戦争映画
2006年12月17日
コメント(0)

やっぱりヘンな日本がでてくるよー。 何とかして。イーストウッドは最初日本人の監督でこの作品を作らせるつもりだったらしい。でも、結局自分でやっちゃったみたい。監督はイーストウッドでもいいからさ、せめて大道具係りとか、シナリオとかは、日本人入れてほしいんですけど。 だって、ヘンだよ。硫黄島の島民が住んでるあの家。なんであんなに障子だらけなの。普段見てる時代劇と明らかに違うもの。障子って結構高級品なんだよね。それに弱い。建物の一番外周部にあんなにいっぱい使いませんてば。あんな外側の野ざらしのところに障子なんてつけたら、あっというまに穴だらけですから。障子ってガラス戸とおんなじじゃないんだよ。それとあいかわらず、島民がへんな帽子かぶってるし。 しかも、準主役の西郷さんの職業がパンやだし。 いったい、日本で個人経営の自家製パンのお店なんてこんな時代にあったんですかね。いまでこそ、店舗で焼いたパンを売ってるベーカリーは日本のそこかしこにありますが。私が子供の頃は、パンといえば『山崎パン』でしたし、そのあとですよ、町のパンヤさんができたのは。 所詮向こうの人が考えるとこういう設定になるんですよねえ。ぱんやなんてハイカラすぎるよ。日本でパンヤなんて貧しい一般庶民の商売なんかじゃないはずですから。せめて、豆腐やとかにしてくれたらよかったのにね。 こういう時代考証とか、いろいろとちゃんとやってほしいなあ。 で、ストーリ自体も前回の『父親たちの星条旗』ほどには感動もなく、気がついたら、見終わっていたというか、えーっとこのての話はいまさらっていうか、いままでテレビドラマで見てきた話の方が面白かったかなあとか。 私的にはいまいちかなあと。 主役は二人。栗林中将(渡辺謙)と、ただの平の兵隊さんの西郷さん(二宮和也)と。 この西郷さんがね。今までの日本の戦争ドラマにでてくるキャラクターと違うなあと。うーん。アメリカ人が日本人に化けて日本軍に混ざっているような感じがなぁ。 ものの考え方とか、しゃべり方とか感覚がね、今までの日本のドラマに出てきた純朴な普通の青年兵とちょっと違うんだな。 『墓穴を掘る』なんていうしゃれもね、日本人でこの当時でこんなこと思いつけるやついたのかなあと。今の日本でも、かなりめだつかな。二宮くん演じる西郷はいかにも今現在の日本の若者そのもので、立ち居ふるまいから、しぐさ、口の利き方まで。それも、まじめな青年じゃなくて、学校の教室の中にいたら、優等生ではなくて、あきらかに不良の部類に近いポジションのような。 この時代にこんなタイプの人間は珍しい気がして。 栗林中将や、バロン西の場合は将校で、しかも、洋行の経験があって教養もあるから、時代に対しておかしいことにきずいているのだけれど、西郷のようにごく普通の人間で特別な教養もなく、将校でもなく、外国も知らない、ごく普通の青年が、この時代この状況で、陸軍内部の感覚に染まらずに、この戦いの場で最後まで生き抜いたということがすごい。 すり鉢山内部での集団自決の場で彼とその友人だけが自決せずに逃げ出している。その後もアメリカに投降しようと考えもする。 なぜかといえば、彼が集団にそまらないタイプの人間だったからなのかなと。 学校の集団の中には、先生のいうことよくきき、学校の校則にも素直に従う優等生タイプの人間がいる一方で、規則に従うことをよしとせず、反抗し、ルール違反を繰り返し、不良のレッテルをはられる人間がいる。 思うに西郷くんはまさにこのタイプ。 集団自決でなんの疑問も持たずに真っ先に死んじゃうのが、優等生タイプのやつだろうなあと。 でも、いまどきの学校に優等生なんていないけどさ。 それで、西郷くんは、「硫黄島なんてさっさとアメリカにやっちゃえばいいんだ。」とか、考えるんですね。 実際、5日だろうが、30何日だろうが、守ってみたところでどうなったものでもないというのが、本当のところだなあと思うので、彼の発想はそういう時代を超えた価値観に瞬時に跳んでいたともいえる。 一方で将校であり、外国に行ったりもしている、その時代にしては、なかなかハイセンスな栗林中将もまた、当時太平洋戦争のばかばかしさには気づいていたわけで、それにもかかわらず軍人として、忠実に自分に与えられた仕事をこなしている。 彼がアメリカに行った折にかかわった多くのアメリカ人は彼にとって友人である。その友人を含む同じアメリカ人を非常に緻密な計画によって、二万人も殺している。彼が硫黄島でのゲリラ戦を計画し実行している段階で彼自身その戦略によって多くのアメリカ人を死に至らしめることは十分想像できただろう。 友人であるはずのアメリカの人間をより数多く殺すための計画。戦争なのだから、仕方ないといってしまえば仕方ないのだが、それでも、そういうことができるこのまさに精神の二重構造を内包しつつ、精神的に破綻をきたさないという、職業軍人としての怖さ。平和な世界なら、友をどううまく殺すかなんて計画を立てるのは明らかに異常性格なんだけどね。 そうして、その友人であるはずのアメリカ人を殺さなければならないのは、栗林にとって友人以上に大切な、家族、妻、子供を守るためのものだからだ。けれどそれは、もしかすると、言い訳に過ぎない。実際彼の妻と子供たちはこの時すでに、長野に疎開していたのだから。 友人を敵として殺さなければならない栗林の心の中の葛藤は、『父親たちの星条旗』で、主役のドクが衛生兵として、一緒に戦う同胞を、友人を、助け続ける姿と対称的だ。 ドクは、国家が見捨てる一兵士の命を救うのは、友として、同じ戦場で働く同胞としての自分なんだと。 そして、国家の命令によって、友を殺さなければならない栗林の心の葛藤と見事な対称をもってこの二つの物語は描かれる。 国家の命令によって、国債を売り、国家の命令によって、友を殺し、国家の命令によって友を助ける。 一個人の意思では抗いようのない国家とはではなんだろう。 戦争とは、国と国との戦いと一般には思われる。 けれど、本当にそうかといえば、必ずしもそうともいえない。古代中世の国レベルの戦争と、現代近代の戦争とはすでに様相を異にしてきている。 戦争を仕掛けているのは、国の中のごく一部の集団に過ぎない。太平洋戦争においては、日本陸軍の上層部であって、陸軍でも、下の方の普通の兵士はもちろん戦争なんかしたくないし、当時の日本の政府だって海軍だって戦争なんかしたくなかった。 今現在すでに戦争をしているのは、国同士ではなくて、それぞれの国の中の極一部の勢力が国という仮面をかぶって戦争を仕掛けているに過ぎない。そこにお国のためというもっともらしいお題目がついて、世界平和のためというお題目がつく。まきこまれる普通の人間はたまったものじゃない。それでも友や、恋人や子供のために、仕掛けてくる相手を振り払わなければならない。 たとえ国家が切り捨てたとしても、友達だから、助けるんだというドクと、大本営から切り捨てられたとしても、妻と子供のために戦いつづけようとする栗林は、おなじみたい。 ただねえ。こんな優秀な頭脳がこんなばかげたことに使われて、捨てられたことの腹立たしさはなんともいいがたい。もったいない。ばかばかしい。ついでに、これ→ 映画『硫黄島の砂』の感想それから、これも→ 映画『父親たちの星条旗』の感想 外国映画、洋画戦争映画硫黄島二部作 ↑ぜひ参加してください。硫黄島からの手紙@映画生活
2006年12月16日
コメント(13)
『硫黄島からの手紙』を見たんだけど、その記事を書くのにちょっと模索中。だって日本人の私としては、アメリカの話の方が新鮮で面白かった。で、今、あーでもないこうでもないと思索中なんだけどね。こないだ書いた『プラダを着た悪魔』も苦労しました。実は。見終わった直後はなーんも感想なかったもん。で、今日は『戦場に架ける橋』を途中で二度も寝ちゃいつつ、一日かけてみていた。面白かった。いまどきの映画みたいに残酷なシーンとかぜんぜんないんだもん。で、どう感想を書こうかなあとやっぱりこれも思案中です。
2006年12月15日
コメント(2)

たんなるファッション映画と思ってたんだけど、評判がいいので見たくなってしまいました。 結果、なかなかよかった。意外に見ごたえありました。ただ、ストーリー自体は特に新しさはないかなあというか、やっぱりこういう終わり方になっちゃうのかあというかんじだったでしょうか。 でも、そういうありきたりなストーリーでありながら、見せるし、面白い。製作者側に力量があるんでしょうね。 アン・ハサウェイがすごくかわいくて、きれいで。彼女の素敵なところを見せるための映画かなあ。目はでかいし、口はでかいし、細いし、スタイルいいしね。 ジャーナリストを目指すヒロインがそのための手段として人気ファッション雑誌『ランナウェイ』の編集長のアシスタントになる。彼女自身はファッションなんてものにはたいして興味がないから、ださいファッションで出社する。 そういう彼女に対しての編集長ミランダのセリフがすごいよかった。うならされた。 「『私はファッションなんてそんなものには興味ないわ』ということを表現するために着ているその安物の青いセーターのその色は、まさに私たちが企画して流行らせたものなのよ。」というセリフ。実はもっと長くて、そのブルーが流行った経緯をもっと詳しく説明していて、さすがファッションリーダーだなあと思わせられるんだけど、この言葉によってアンディは変わっていくわけですね。 ファッションセンスがサイテーであるにもかかわらず、アンディが採用された理由に、 「今まで雇ってきた子はファッションセンスはよかったけど、みんな頭が悪くて使いものにならなかった。あなたはファッションはひどかったけど、自己紹介のスピーチといい、頭の良さを感じさせた。だから、採用したのよ。」 というわけで、アンディはだんだん変わっていきます。そして、ミランダに認められていく。 ファッションなんて、あとからでも、磨けるのだから、まず勉強すること。頭脳を磨くことが大切ってことでしょうか。 アンディは最初はダサかったけど、それまでに鍛えた優秀な頭脳で、あっという間に仕事を覚えて、鬼編集長ミランダにも一目置かれるようになります。ファッションセンスもやがてちゃんと身に着けてしまいます。 そののち、同僚や仲間を切り捨ててでも、出世すること、自分の仕事を守ることを優先させるミランダに嫌気が差して仕事をやめてしまいます。 美を生み出す仕事。そのすばらしさに開眼したはずのアンディ。でも、美を作り出しながら、その過程でそのために自分自身が見えなくなっていき、醜くなっていることにも気づかなくなっていくとしたら、怖い。家族や友人を傷つけてまで、仕事にとらわれてしまうことが果たしていいことなのか。美を作る仕事は人を幸せにするためにしているはずなのに、いつのまにか、そのために自分が醜く、汚くなっていくことに気づいた時に、アンディは仕事をやめてしまいます。美しいプラダを着ていながら、その中身が悪魔のように醜くなってしまっているミランダを見るにいたって、彼女は自分もまた、ミランダのように、家族や友人を切り捨て、幸せになるための仕事が自分を知らない間に不幸に追い込んでいることに気がつくわけです。 仕事って本気でやればすごく大変だし、なにかの犠牲を伴ってしまうことは十分ありえる。でも、それをみんなが認めてしまったら、どんどんみんなが不幸になっていってしまう。気がついて、方向修正しなければいけない。人は幸せになるために、いろんな仕事をしている。人のために。自分のために。 そのあとアンディは念願の新聞社に採用されます。 ランナウェイで働いていた時の服はみーんなかつての同僚にあげてしまいます。 でも、きっとそのあと、新聞社で働いてベテランになったころに、アンディはやっぱりブランドのかっこいいファッションを、かっこいいスーツを、着こなしているはず。 ただ、今度は会社から与えられたものではなく、本当に自分の目で見て、自分で選んだ、本当にいいものをさらっと上手に着こなしているはず。 そして、仕事のために家族や友人が二の次になることに嫌気がさした、アンディだけど、ジャーナリストの世界だって、それは同じはず。本気で仕事をしていけば、家族や夫とのすれ違いはかならずあるはず。 その時彼女は今度は本気で悩まなきゃならないはず。そして、今度は本当に逃げ出せないはず。その時彼女がどんな結論を出すのか。 まあ、つまりこの映画は、これから社会に出て働く女性たちに向けたメッセージというところでしょうか。 ファッションばかりに夢中にならずにきちんと勉強すること。無茶な命令をだしてくる上司がいるのはどこも同じなこと。使えない新入社員にいきなり取引先からの仕事をさせられないのだから、上司は、まず、自分の私的な用事をやらせてみて、使えるかどうか試してるんだから、私用に使われているなんて思わずに与えられた仕事はきちんとやった方が、早く認めてもらって出世できること。与えられた仕事はどんなものでも、一生懸命やること。社会にでるならその場にあった服装をするべきであること。どんな仕事でも自分の仕事なら、その仕事をきちんと理解して愛情をもって接すべきであること。仕事が忙しくなっていった時、無我夢中で自分の大切なもの、恋人、友人、家族を失ってしまわないよう気をつけなければいけないこと。自分を守ろうとして、知らないうちに自分の周りの人たちをきづつけて人間として醜くなっていくことにならないように気をつけること。自分が本当にやりたい仕事を目指すこと。一番大切なものが何なのかを忘れないようにすること。 私が社会に出た時、こういうことぜんぶわかってなくて、散々でした。馬鹿だったなあとつくづく思う。当時このことがわかっていれば、もっといい人生があったかもと、相変わらず無茶なことを考えています。でも、今だから、わかるんだけどねえ。 ところで、会社の携帯を噴水に捨てちゃいけないと思うよ。それと、やめるときはいきなりじゃなくて、いつやめるかきちんと会社に通告して、次の人にきちんと引継ぎしなくてはいけません。【ネコポス発送可】エプロン/かわいいエプロン/大人用/Jessie Steele/ジェシースティール/大人用ジョセフィーヌ/花柄エプロン/楽ギフ_のし/楽ギフ_包装/結婚祝/誕生日/母の日/新生活/入学祝い/クリスマス/保育士エプロン/セレブ愛用価格:2,750円(税込、送料別)外国映画、洋画 プラダを着た悪魔@映画生活
2006年12月13日
コメント(11)
![]()
中二の娘は数学だけ塾に行かせてる。それなのに、月例テストの偏差値は下がるばっかりです。どうしたものかなあと思っていると、他の中二の塾生がばかばかやめてるらしい。どんどん人数が減っていって、このままだと、集団のお値段で個別指導になりそうだ。考えてみればある意味お徳です。でも、へたすると、つぶれるかもね。受験直前で通ってる塾がつぶれるのは困るなあ。 それで、娘の友達で一緒の塾のクラスの子が「いまの塾では成績がよくならない」と言ってよその塾に冬期講習だけ行くらしい。「お母さん今の塾高いんじゃないの。もっと安いところあるらしいよ。」と娘が言う。うーん。だいたい相場なんだけどなあ。 それで結局チラシを気をつけてみていたら、なにやら最近できた塾が冬期講習を無料にして生徒の募集を図っているらしい。しかも、今申し込むと12月分も無料ですよってまあ、なんて魅力的。これは確かに行かせようかな、なんて思うかも。どうやら、娘の友達が行くのもそこらしい。 そうは言いつつ、今行ってるところを変えるのはめんどくさいし、やっと慣れてきたところだし、なんてったって近いしねえ。室長先生ともだいぶ仲良くなってきて、娘によくしてくれるそうなきがするのに。(せこいか。) 娘に「その安い塾いってみる?」と聞いたら、「遠いからいやだ」と言った。だって別に電車乗ってくわけでもあるまいし。遠いといってもたかが知れてるんですけどね。 それで調べてみると、最近いろんなところにがんがん新規の教室を開いているみたい。つまり伸び盛りなんですね。なんでこんなに急成長してるんでしょう。ホームページを見てみると魅力的な自慢の言葉がいっぱい。素直に読んでると、わが子の成績ががんがん上がりそうで思わずうっとりしてきそうだけど、でも、この手の文章はどこの塾のホームページにもかいてあるしねえ。それに授業料は今の塾とたいしてかわらないし。こんなに急に教室増やしてて、教える側の先生は足りてるのかなあ。テキストとか、システムに自信があるのかな。 というわけで、うちの子は教室の閉鎖しそうな、いや、そんなことはいくらなんでもないか…今の塾の冬期講習に行かせておくことにしました。非常に消極的な母です。ちょこちょこ塾かえるのもやだし。あっちこっちの塾に行かせるとカリキュラムが重複したり、無駄も有りそうだし。だからといって、今の塾もあてにならなそうですが。どうもこのあたりには手ごろな塾が見当たらない。 やっぱ自分で勉強しないと成績は伸びないものねえ。でも、やらないけどさあ。娘よ。君の人生なんだぜ。
2006年12月12日
コメント(6)
![]()
男を裏切る時、女は赤いドレスを着る。 ショーン・コネリーは、もっとエレガントでスマートだったのになと思った人は多いはず。 007誕生の物語で、まだまだ未熟で若いボンドだから、破天荒なことはするし、向こう見ずなことはするしで、見ていていたいたしかった。 建設中の現場を壊しまくったり、追いかけてる相手をがんがん殴りつけて殺しちゃったり、戦争映画の戦闘シーンよりはるかに不快感があったのは何でなんでしょうね。 なんだか全体にどたばたしていて、下品だなとそういう感想になっちゃって。それでも、映画の人気度ランキングでは、一位なので、面白いと思った人は多かったみたい。もっとも、あの「太陽」が一位だったくらいだから、やっぱりランキングなんて当てにならない。 それでも、登場する美女の衣装がなかなか素敵。追いかけてる敵の奥さんと浮気するシーンで相手の人妻がきてた赤いドレスがすごくかわいかったのよ。胸はなかったけどね。 そのあとにでてくる財務省からきた女性も最初は黒い服を着てるのに、ラストで赤いドレスを着る。それまでずっと地味な黒か紫のドレスだったのに。 それはやっぱりボンドを裏切る複線だったのですねえ。 赤いドレスはかわいかったのにあぶないんだな。 ベニスで舟遊びって「ロシアより愛をこめて」のラストシーンと同じだよね。他にもいくつかシリーズに関係した場所が出てきたのでしょうか。 それにしても、今現在沈みそうなベニスが実際建物の底辺でたくさんのフロートによってなんとか維持してるんですね。あと、百年で沈むといわれてるけど今現在もう沈んでるジャン。 あのシーン。どうやってとったのでしょう。貴重なベニスの街を破壊しないのでしょうか。私はそっちのほうが気になっちゃって。 破壊しまくりの映画なのでね。私には爽快というより不快でした。 しかも、やっとカジノで勝ったのに、その時の仲間二人にも裏切られて、愛した女性はしんじゃって、なんかかわいそうなお話。 恋人の死によって精神的に成長したボンドを見る前に話が終わってしまったのでした。 やっぱり、ショーン・コネリーってすごかったんだなあ。と、実感しました。 外国映画、洋画 007シリーズ007 カジノ・ロワイヤル@映画生活
2006年12月11日
コメント(9)
![]()
金曜日、帰宅した息子がもう一度学校に行くという。明日から期末試験だというのに、これからもう一度学校に行って、忘れ物をとってくるという。何を忘れたのか聞くと、教科書やノートを数冊あげた。明日からテストで、貴重な前日の時間が二時間おじゃんではないか。 帰ってきたかばんの中には、教科書ノートがごっそりと入っていた。「一度じゃ持ち帰れない量だから、やっぱり仕方ないでしょ。」という。でも、すっかり疲れたらしくて、その日はさっさと寝てしまった。明日試験なんだけど…。 いや、普通はね、数日前から計画的に少しづつ持って帰っているものなんですけどね。普通の人は…。 どうせ、普通じゃないし。 それで、結局翌朝四時半に起きて勉強していた。 朝の「おきなさーい。」をやらなくてすんで、私は助かりました。 健闘を祈るぜ。
2006年12月10日
コメント(2)
月曜日の朝、地震があった。その日の夕方母と電話で喧嘩した。その次の日にも続きの喧嘩。息子の乗る地下鉄は人身事故で朝トラブルとなり、我が家の近くのマンションでは、夕方火事になった。 磁気嵐が吹いていたのかもと、私は相変わらず、くだらない想像をしています。 磁気嵐は人の心を不安定にする。 普通の風や嵐のように音や姿が見えず、普通の人間の五感ではわからない。 だから自分の気持ちが不安で、いやな気分になっていてもそのせいだなんて思いもよらない。 けれど、磁気嵐のふいている時は人の心が不安になる。 普段あまり電話をかけてこない母がめずらしく夕方電話してきたのも、磁気嵐のせいで、さびしくなっていたのかもしれない。 でもね磁気嵐のせいで、私の方もいらいらしていたのかもしれない。 最悪である。 こんな時は電話なんかかけずに家でじっとして体を休めた方がいいのかもしれない。 あったかくておいしいものを食べて、さっさと寝るに限る。 昔の人はこういうのを、「逢魔」あるいは、「通り悪魔」、「魔に取り付かれる」と言った。なかなかうまい。目に見えない、存在のわからないもの、人の心を不安にさせるもの。 磁気というのは、でも、地球上にあって、地震なんかでも、激しくなったり、磁場の強い場所があるらしい。これは、科学的な研究による。磁気嵐というのは、太陽のフレアが原因なんだそうですが。 姿の見えない魔が、科学の目で、磁気という正体を見せる。 うーん。天気予報みたいに、磁気予報なんてないのかな。 人とトラブらないようにご注意ください。とか、今日の自殺願望は磁気のせいによる気の迷いですから、あさってまでお待ちくださいとか、テレビでやってたら、面白いな。
2006年12月09日
コメント(6)
![]()
念願の映画。やっと見れました。 主要な登場人物4人 主人公 エヴァンその恋人 ケイリーケイリーの弟 トミー友達 レニー注 トミーはDVDでは、兄と訳されているけど、どう見ても弟に見えたのは私だけでしょうか。 一匹の蝶が羽ばたいた結果、地球の裏側で竜巻が起きる きみを救うため、ぼくは何度でも過去に戻る それは、神にも許されない行為 映画『サウンド・オブ・サンダー』では、過去の蝶を靴の裏で踏んづけてくっつけてしまったまま、現在に戻ってきてしまったために、現在が変わっていくという物語でした。なるほど。『バタフライ・エフェクト』というタイトルはここから来てるのか。と、思ったんですけど、それとも、蝶によってタイムパラドックスを説明した話があるから、『サウンド・オブ・サンダー』で、タイムパラドックスのきっかけのものを蝶にしてあったのか。わかりません。どっちがさき? というわけで、時間を跳ぶこの話はSFなのか? と言うとそうでもなくて、不幸になった恋人を救いたくて、何度もタイムリープにトライする主人公の話。なので、ラブストーリーかなあと思う宣伝文句なんだけど、実はその裏に現代アメリカの若者と子供たちに向けたお説教に近いお話。だから、話を無理なく設定し、引っ張っていくために主人公がこだわる理由にぞっこんの恋人のためのタイムリープという設定はぎりぎりというところでしょうか。 そして、やっぱりアメリカ映画なので、説教話としては、道徳や倫理を説く上で、やはりキリスト教は欠かせない。だよな、やっぱり。 だから、物語の中で、前半メインキャラクターたちが見ている映画が『セブン』であったりする。これはつまり、七つの大罪と七つの美徳を暗示しているわけらしいです。 他にも、主人公エヴァンが刑務所で同室の男の協力を得るために、彼を説得するため、過去に一瞬だけ跳んで両手に聖痕をつくるシーンがでてくる。 つまりここで彼はキリストとなったということか。同室のやたら信仰心の高そうな男はじゃあ、洗礼者ヨハネを意味してでもいるのでしょうか。悪夢のようにいじめられまくりの監獄の中で、彼だけはエヴァンに優しい。 物語は、自分の過去にだけ跳ぶ事のできる主人公エヴァンが、恋人ケイリーを救うために何度も過去に跳んで、現在を塗り替えていくものだ。 4人のメインキャラは、そのたびにいろいろな人生を与えられる。娼婦、犯罪者、障害者、がん患者、精神障がい者、身体障がい者などなど。 見ていると、結構ハードです。 さらに子供時代の彼らは、13歳のくせに、タバコは吸ってるし、よその家のポストに爆弾を入れてるし、犬は焼き殺すし、友達は殺すし、ひどいです。 とにかく現代アメリカの若者や子供ってこうなのか?ひどいなあ。アメリカってこれが当たり前なのかなあと思ってみてると、それがね。だんだんね。変わってくるの。 最初は、エヴァンだけが、大学生で、過去のことを思い出して、ケイリーに会いに行く。ケイリーは安い場末の店でウェイトレスをしている。エヴァンに悲惨な過去のことを聞かれて、自殺してしまう。エヴァンは、なんとかケイリーを幸せにしたくて、タイムリープをはじめる。 一度目のリープで、エヴァンとともにケイリーも大学生となっていて、美しいケイリーは幸せそうだ。ところが、そのために刑務所にはいってしまったケイリーの兄のトミーと、出くわして、彼を殺してしまったエヴァンは、今度は自分が刑務所にはいってしまう。 過酷な刑務所から脱出しようと二度目のタイムリープ。 以降タイムリープのたびにだんだん彼らの運命は悲惨になっていくように見える。しかし、順を追ってみていくと、実は四人の未来は少しづつよくなっている。最初大学生はエヴァン一人だった。けれど、パターン2では、エヴァンとケイリーの二人が大学生。パターン4では、四人とも大学生。そして、パターン6では、全員大学生で、しかも、エヴァンは医者。ケイリーはキャリアウーマンになっている。 パターン1 エヴァン 州立大学の大学生 ケイリー ウェイトレスそして自殺 レニー ひきこもり トミー 少年院そして工場の工員 パターン2 エヴァンと、ケイリー エリート大学生 トミー 少年院 パターン3 エヴァン 大学生 ケイリー 娼婦 トミー レニーに殺され死亡 レニー 廃人状態 パターン4 エヴァン 爆発のショックで手と足を失い障害者 ケイリーとレニー 大学生、恋人同士 トミー 信心深い大学生 エヴァンの母 肺がん患者 パターン5 ケイリー 死亡 エヴァン 病院にいる パターン6 全員大学生、卒業、 そして8年後 エヴァン 医者 ケイリー キャリアウーマン 物語としては、二人は結局結ばれない。悲しい悲恋の物語ではあるのだか、しかし、四人の人生はタイムリープを重ねるにつれて、じょじょによくなっているのである。 タバコをすったり、爆薬をしかけたり、そんなことしてると、将来はろくなことないよ。それより、きちんと正しい行いをしていけば、いい未来が待ってるんだよという、キリスト教をバックにした、説教というか、現代の若者に対しての実は訓話の物語なのである。 前半で彼らがみている映画『セブン』は物語の重要な複線となっている。エヴァンがタイムリープを繰り替えして作られる未来も7パターン存在する。と思うのですが、私は6つにしか分けられなかった。DVDニに入っているアナザーエンディングをいれれば、7つのパターンになるんじゃないかと思います。けどね。これは、七つの大罪におき変えられるのかも知れない。さらに最初の方でエヴァンが父の埋葬の帰りに車窓から見える墓場の中に、十字の墓のひとつがわずかに光る。エヴァンの手に作られる聖痕は、エヴァンをキリストと見立てている。神にしか許されない行為をキリストであるエヴァンは繰り返す。 キリストが人類の罪を背負って十字架に架かったように、エヴァンもまた、タイムリープのたびに他の三人が受けていた不幸をその身に引き受けてしまうようになっていくとも取れる。 細かいキリスト教の教えを知らないのだけど、もしかしたら、もっと他にもいろいろあるかも知れない。 ラスト、二人は結ばれない。彼は己の欲望を捨てることではじめて、ケイリーを救うことができる。 結ばれることができなくても、彼女の人生がしあわせなものであるのなら。 ラストシーンで二人がビジネス街の中ですれ違う。七歳の時に会ったっきりなのだから、ケイリーの方はエヴァンのことをもちろんわからない。けれど、エヴァンは、もちろん気がつく。最後の人生では、七歳で別れたきりだけれど、エヴァンの方はケイリーを忘れていない。忘れられるはずもない。 神様が、決して結ばれない、結ばれてはならない恋人に、最後に一度だけ、エヴァンをケイリーに、あわせてくれたのではないのかなと、ちょっと想像してみた。 やっぱり神様にはかなわない。 純潔をあらわすケイリーの真っ白なスーツ姿がなんともいえず、美しい。 まるで、花嫁衣裳のようで。 映画ビデオ、映画DVDバタフライ・エフェクト@映画生活
2006年12月08日
コメント(11)
![]()
やっと準新作扱いになって安くなったから借りてきた。 かちんこちんで融通の利かない県庁のエリートが、民間スーパーで働くうちにだんだん人間らしくなっていく。という話だと思ってたんだけど、それだけじゃなかった。前半は確かにそういう話なんだけど。 箱物行政とか、クレームをつけてくる民間団体とか、けちをつけるのが好きなマスコミとか、あたりまえだから、当然出てきたけど、お話自体は、必ずしも腐ってるのは、役所だけじゃないだろと、そういうお話だったのかなあ。 出向いた先のスーパーも、在庫だらけの倉庫とか、古い売れ残った食材で作られた惣菜とか、すごく当たり前なんだけど、エリート県庁さん(織田裕二)には、がまんできなかったみたい。 でも、「そんなこといってたら、採算取れないの。そしたらスーパーつぶれちゃうの!」と、指導係のパートのお姉さん(柴崎コウ)は怒り出しますけど。 ところがスーパーをつぶしそうになったのは、実はそういう危ない管理、経営体制でした。 在庫だらけの状況や、衛生管理のずさんさが警察や保健所、消防署などのお役所に摘発されて、スーパーは営業停止となったのでした。 それで、後半、県庁さんが活躍し始める。きちんとした、在庫管理。衛生管理。マニュアルづくり。ルールづくり。 婚約者にふられ、同僚に先をこされ、目指していたプロジェクトまではずされて、県庁さんは人生で始めての挫折を味わう。 今までずっとトップの成績でここまで来たんだぞと、すでに聞き覚えのあるようなセリフがやっぱり出てきた。実際官僚さんて、人生に一度も挫折しないで着たからこそ、ここまで出世してきたんだものね。 やっぱ、人間挫折は必要みたい。 少しづつ人間らしてなっていく県庁さんは県庁に戻って、新たな視点でお役所の仕事を変えていってくれるのでしょうか。 たのしみであります。 ラストで県庁の最上階のラウンジの職員専用のコーヒーは一杯百円と、有料になります。 物語中なんどもコーヒーを飲むシーンが出てくる。ところが途中から、県庁さんはそのコーヒーもスーパーでだしてくれる安いインスタントコーヒーすらも、飲まなくなる。何でだろうと思ってたら、こういうことだったんですね。 体制を大きく変えるのは大変だけど、でもまずは自分の目の前から。近いところから、変えていく。 できないなんて思わずに、懲りずに根気よく、あきらめず。気長に少しづつ。と、そういうことでしょうか。マザーテレサのように。 役所も民間もよくなるのも悪くなるのも、中にいる人間しだい。役所だからでも、民間だからでもない。と、そういうことのようです。 日本映画、邦画県庁の星@映画生活
2006年12月07日
コメント(2)
![]()
福井の海には巨大化したクラゲが大量発生し、捕れた魚もクラゲのせいでいたんで売り物にならないらしい。近年大量発生しているこのクラゲたちがなぜ生まれてくるのかといえば、急激に産業発展を続ける中国の汚染された排水のせいなのである。クラゲばかりでなく、公害の増加はものすごい。中国本土自体も水質汚染など多くの公害問題に悩み始めている。そして、その汚染された中国を浄化しようと、日本の企業が乗り出し始めている。日本の技術開発によって汚れた水をきれいにしようというのだ。そのひとつが細い管にさらに水の粒子だけが通ることのできる極小の穴を開けてそこに汚染された水を通すことで浄化しようというもの。実際中国に売り始めているようです。そのほかにも納豆菌を利用した浄化ブロックによって、水をきれいにしようというもの。これは最近日本でも売られています。熱帯魚の水槽などに入っていて、長期間水を替えなくても、浄化ブロックによってきれいになっているので大丈夫というもの。この浄化ブロックを中国の公園の汚泥だらけの池に沈めて、池がいかにきれいになっていくかも見ました。中国の公害はすごいけれども、それを技術力で浄化し、そして、ビジネスにしていってしまう日本の企業もすごい。なんでも金儲けの道具にしてしまうアメリカの資本主義もすごいけれど、必要とされればどんなものでも作ってしまう日本の科学技術力もすごい。人を幸せにしているのは、政治体制でも、お金でもなく、科学技術の力なんだ。技術を開発するあくなき力。沢山の勉強と、沢山の研究。学ぶことへの欲望と、なぜを見つめる魂と。うーん。科学ってすごい。『ガイアの夜明け』ホームページもどうぞ。
2006年12月06日
コメント(2)
![]()
先日書いた『マザーテレサ』の記事にままちりさんがマザーテレサの素敵な言葉を書いてくれました。とても素敵。 ところがその後、せれにてぃさんからのコメントで、それがマザーテレサのものではなく、アメリカの青年(当時19歳!!)が書いたものが口伝えで世界に広がっていったものであることを知りました。 ケント・M・キースの「逆説の10ヵ条」という詩というものだそうで、現在本も出ているようです。 タイトルは、「それでもなお、人を愛しなさい―人生の意味を見つけるための逆説の10カ条」 『人は不合理、非論理、利己的です。 気にすることなく、人を愛しなさい。 あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。 気にすることなく、善を行いなさい。 目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。 気にすることなく、やり遂げなさい。 善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。 気にすることなく、し続けなさい。 あなたの正直さと誠実さが、あなたを傷つけるでしょう。 気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい。 あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。 気にすることなく、作り続けなさい。 助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。 気にすることなく、助け続けなさい。 あなたの中の最良のものを、世に与えなさい。 けり返されるかも知れません。 でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。 ままちりさんが書いてくれたものをこぴぺしちゃった。 それでつまりこれがマザーテレサの言葉という誤解が生じたのは、マザーテレサが作った「カルカッタの孤児の家」の壁にその言葉は書かれていた。からのようです。 なるほど確かに、映画の中で見る(ほかにしらないもので)数々のマザーテレサの行為や、行動、言葉、励ましはここからのものが多いように思えます。 映画の中では、マザーテレサはたびたび「主が見守っています。主が助けてくれます。」といったような言葉を何度となく言うので、彼女の行為はキリスト教の教えによって支えられているかのように見えます。なにしろこの映画はイタリアの製作なので、バックにバチカンとかいそうだし。そのあたりの確証は探せなかったのですけどね。もっとも、確かに、マザーテレサはキリスト教の人間なのですから、キリスト教のバチカンが彼女をたたえる映画を作ること自体はいいんだけどね。けれど、映画を見ていると、彼女はキリスト教がたまたま一番近くにあったから、入ったけれど、宗教であれば、何でもよかったのかも。そして、カルカッタの救済活動をする時、バチカンから(だったかな)の許可がおりたからいいけれど、模試、反対されたり、許可が下りなかったら、キリスト教からでてでも、彼女は自分のやりたいことをやろうとしたはず。 マザーテレサの心を支えたのが、キリスト教だけではなく、十代の若者が書いた言葉の伝聞であったというのは、なかなか面白いことです。 そして、だれが言ったかではなく、その内容のすばらしさが評価されていったこともすばらしいですね。 何気なく書いた言葉が世界中に流布して、自分の知らないところで、誰かを助けて、大きな力になってるなんてちょっと感動。 いいことをしようとすると、非難されそうな今の風潮って悲しいですね。PTAの役員ですら、ばかばかしいといって知らん振りを決め込むことが多い世の中。 善行が非難されちゃってちょっとした悪いことがかっこいいことみたいに思われちゃってる世の中なので、ボランティアなんてのも名前ばっかりで、ぜんぜんねずかないし。 だから、そんな時勇気が出そうな言葉ですね。 アマゾンのレビューもすばらしいです。さすがアマゾン。楽天ブックスもがんばっね。 書評、レビュー
2006年12月05日
コメント(7)
![]()
終戦直後の東京裁判でただ一人、文官として、A級戦犯とされ、絞首刑台にのぼった元総理大臣、広田弘毅。 日本を愛し、戦争を嫌い、外交官としてその生涯を日本という国にささげた政治家の一生を、誠実に描いた名作伝記小説です。 日本のために働こうと思うなら、軍隊に入るよりも、外交官となって外国と平和交渉をすることを選んだ彼は、その後、その見識の高さと高潔な人がらゆえに、太平洋戦争真っ只中の熾烈な政界で、なんとか戦争を食い止めようと、請われるままに、総理大臣、外務大臣を歴任し、外交交渉に当たります。 しかし、時代の流れはこれほどの人物の熱意をもってしても、戦争をとどめることはできなかったようでした。 貧しい石屋の子に生まれたにもかかわらず、その優秀さゆえに帝大を卒業した広田は外交官になります。世界各地での任務をこなししていく中で、彼の努力とは裏腹に日本の陸軍は中国という国に戦争を仕掛けていくのです。 満州建国、北支事変、南京大虐殺。 いままで、知らなかった、近代日本の歴史をつくづく勉強することができました。 こんなひどいことをかつての日本は中国や朝鮮にたいしてやってたんですね。これじゃいまだにこの二国が日本に大して怒ってるの無理ないです。 読んでいると、いかにひどいことを当時の日本陸軍がやっていたのかとてもよくわかります。学校の授業では、時間不足も手伝って、あまり詳しくやらなかったので、ほとんどの人は知らないですね。きっと。たとえ、歴史の授業でやったとしても、いくつかの有名な事件の名称とその年を暗記して終わっちゃうもの。 つくづく現代人はもっと歴史の勉強すべきです。そして、古代、中世あたりばかり丁寧によりすぎ。明治までは、暗記とか試験無視してどんどん進めちゃえばいいのに。 話がそれました。 それで、当時の政府はどうしても、陸軍の専横をとめることができなかったのです。なぜかといえば、明治政府が作った法律のせいで、軍隊には、統帥権が与えられていたからです。国会でなにかを決めようとするたびに陸軍が邪魔をするのです。 戦争にならないように政府が必死の外交交渉を続けるにもかかわらず、それを片っ端から、チャラにしてどんどん戦争を仕掛けていったのが、当時の日本陸軍だったのです。 本当にひどい。これが、会議と選挙によって政治を行っているはずの民主主義の国とはいえないですね。当時は帝国主義だったっけ。 ただね、今の価値観で見ると、確かに陸軍が当時やっていたことはひどいことなんだけれども、当時の価値観でみれば、案外陸軍のやっていたことって、もしかすると、当時の近代国家としては、ふつうのこと。と、いえなくもない。だって、ヨーロッパ各国が世界中の国を植民地にして、豊かになったように、日本も満州に植民地を作って豊かになろうとしただけ。当時の満州はとても荒れた土地で、中国政府はあまり手をかけていなかったのです。けれど、その土地は狭い国土にすむ農耕民族である日本人の目でみれば、なんとも魅力的だったのではないでしょうか。 なにしろあのさむーい北海道すら、開拓していったのですから、満州という荒地だって日本人の手にかかれば、開拓していけるはず。実際、満州国建国の後、多くの日本人がやってきて、開拓していったようです。 日本は西洋を真似て植民地を作っただけ。 そして、さらに、日本建国以来長年の夢だった大陸への進出。かつての、はくすきのえの戦いとか、秀吉の朝鮮出兵、など、日本は長年、大陸を征服することにあこがれ続けてきたわけですから。 ただね。時間的にちょっとやるのが遅すぎた。すでに、地球という星の上の陣取り合戦は終盤になっていたようですから、もうそんなことやると、国際的倫理に反しちゃうんだよね。あと、百年早くやってたらねえ。もっともその頃は、江戸時代。日本は鎖国してますから。外国の侵入も日本が外国に出て行くことも大陸征服も、日本の政府みずから、ストップをかけちゃってたからねえ。 というわけで、日本の夢、陸軍の望みは世界レベルでは、却下されちゃったのですね。 でも広田弘毅が、もう少しそのあたりの陸軍の心情を読めるさばけた人間だったらどうだったかなと考えないでもないのです。 広田弘毅はとにかくまじめで、律儀な男でしたから。目の前の自分の価値観しか見てないというか。真面目すぎで、そうじゃない人間の気持ちが読めない。人間的には、すごくいい男なんだけどね。 外交官のときも、上司が勲章をもらって喜んでいる時に彼だけは、「おめでとう」の一言もいわず、だんまりを通して場をしらけさせ、上司の不興を買ってしまった。 外交官だから、接待や外交のためにいろいろと派手な遊びなどが必要なのが外交官なのですが、彼はそういうものが好きじゃなかった。そういううわっついたことがどうしても嫌いだった。 でもね。上司が喜んでると時にちょっと一言おめでとうくらい言えばいいのに。派手なことが嫌いなのは仕方ないとしても、そういう価値観はあくまで自分の中だけにして、他人にまでその価値観を強制している行為に私は思えました。頑固で融通利かないなあ。直情型っていうか。彼がもう少し融通のきくさばけた人間だったら、もう少し早く出世して、もしかして、彼の力で太平洋戦争を止められたんじゃないか。と、ちょっと考えちゃいました。 でも、時代の流れだしね。やっぱり太平洋戦争は日本の越えなければならない試練だったのでしょうか。 広田弘毅。いい男だと思うよ。いまどきこんなに男気のある男いないですねえ。惜しいなあ。 もっといい男が増えないかなあ。 ところで、今、日中でもめていることの原因がこの時の東京裁判によって断罪されたA級戦犯ですが。この裁判の様子もかなり詳しく書かれています。そして、アメリカ主導で、ほとんど、裁判長の独断で、裁判が進められているのです。対する弁護士側が、同じアメリカ人でさえ、その裁判のやり方に怒って、途中が投げ出して、帰国しちゃったりしているくらい。 そもそも、戦争裁判というのは、勝った側の国が負けた側の国を裁く。 これってどうよ。 たまたま勝っただけで、それなのに勝った方が正しいってことなんでしょうか。 そんなばかな。もし極悪非道な大国が戦争に勝って世界中の国をさばき始めたら、どうなるの。 東京裁判のあり方自体を疑問に思う声は結構あるようです。 そういういまひとつフェアじゃない裁判で決まっただけのA級戦犯が祭られているというだけで、靖国神社が問題になるというのも納得いかないですね。 実際、広田弘毅の有罪が決まった段階で、当の検事側ですら、「そんなばかな、広田はちがうのではないか」という意見が多数出たらしいですね。他はみんな元陸軍の、本当に戦争のきっかけとなった人物ばかりなので、そのあたりはいいんですけどね。 日中問題ってそもそも東京裁判あたりから、考え直さないと解決しないのでしょうねえ。 けれど、彼は裁判の間、いっさい証言はせず、自ら甘んじて有罪となることを覚悟していたのです。自分が死ぬことで、天皇陛下のお命が、助かればいい。 自分が助かろうとすれば、ほかの人間を悪者にしなければならなくなる。 広田はそれをいさぎよしとしなかった。息子の座右の書の一冊なんですけど、読んでみて、普段息子がいろいろと話していたことが実はここから来ているんだな、なるほどなと思った本でした。子供が読んでいるものを親も読んでみる。親子の会話と、心の交流を増幅させる意味でも意義深い行為です。身内が面白いと言った本なら面白い確立はかなり高いだろうしね。 分厚くて、中身も濃くて、非常に読み応えのある一冊ですが、読んで損はないと思うよ。 読書
2006年12月04日
コメント(0)
![]()
数日前、郵便受けに新聞と一緒に入っていた、会員制リゾートホテルのパンフレット。関東の数箇所に会員ならではの豪華ホテル。 しかし、入会金三百万円強。たかっ!!! しかも、これ払ってるのに、さらに、実際にとまる場合は、六千円強の宿泊料がかかる。なんで? それでも会員なんだから、いつでも泊まりたい時に泊まれるかなとか、こんな安い宿泊料でとまれるなら、年に何回も行けばお徳かもとか、老後にいいかもなんて考えて入ったりしちゃいけないわ。 こういうのっていざ予約の電話を入れると、いっつも必ず『その日は満室でして、』なんて断ってきて、結局ぜんぜん止まれないに違いない。 ぜーったい、危ない。詐欺だわ。 昔こういうのよくあったよなあ。最近いろんな詐欺が増えてきたけど、またこんな昔の手口の詐欺が出始め短でしょうかね。危ない危ない。 でも、としとってくると、ついこういうのにひっかかっちゃうんだよねー。ぜったい危ないと思うんだけどね。 ほんとうに最近いろんなさぎ増えました。危ない危ない。 で、しらべてみると、ホームページありました。たしかに。うーーーん。どこまで信用できるんでしょう。 でもさあ、これだけの入会費払えば、結構いろいろいけるよねえ。きまったところなんて飽きちゃうし。
2006年12月02日
コメント(4)
![]()
「硫黄島ってどこにあるの?」と、娘に聞かれまして、「えっとぉ、沖縄の先のほうかな。」と、答えたら、横にいた息子に「馬鹿じゃないの。なに言ってんの。硫黄島でしょ。ほんとに知らないの。小笠原諸島だよ。」と馬鹿にされました。「小笠原諸島って…。」「東京の真下でしょお。そことられたら、東京はめちゃくちゃあぶないんだよ。」と、教えられてしまいました。 そうかぁ。そうだったのかあ、私はてっきり沖縄の方にあるのかとばっかり思ってました。へんだなあ。そうだ。西表島と勘違いしてたのかも。おんなじ「い」ではじまるもんね。 というわけで、知識も補充して見に行ったのでした。 最近戦争映画ばっかりみてる気がする。だって、やってるんだもの。話題作だしい。 面白かったですよ。でも、面白いなんていう感想は不謹慎です。とても、ハードな戦闘シーンががんがんでてくる映画だからです。いままでいろいろ見た映画の中で、特にすごかったような気がします。硫黄島に上陸するアメリカ兵は、待ち構えていた日本側の砲撃、銃撃に、片っ端から、撃たれて死んでいきました。手だけ、足だけ、頭だけの死体、そして、ラストの方では、自決した日本兵の死体。手榴弾を飲み込んで、内臓がとびでているシーンなどとにかくすごかった。 さすがに年がいってるので、こんなハードなシーンみても、わりかし平気になりましたが、若い頃だったら見られなかったかもしれないなあ。 ところで、この映画は、戦場でのシーンも過酷ですが、実は強制的に本国に戻されて、国債販売キャンベーンをさせられた、星条旗のヒーローたちの心の葛藤の物語なのです。 硫黄島のすり鉢山の頂上に今まさに星条旗を立てようとする六人の兵士の写真。 とても有名な写真なのだそうです。当時のアメリカのほとんどの新聞に乗せられて話題となり、その話題性ゆえにアメリカの上層部がその兵士たちを呼び戻して、宣伝に使い、戦争のための経費を作るため、国民に国債を買ってもらうためのキャンペーンツアーをさせたのです。 彼らにすれば、ただ、旗を立てるのを手伝っただけです。にもかかわらず、「英雄」と騒がれて、国とマスコミに利用され、アメリカ中を回るツアーを続ける中で、彼らの心がきづついていく。本当の英雄とは、戦場で命がけで戦い、仲間を救い、戦争を勝利に導いた人間であるはずなのに、と。 すごいですね、アメリカって。こないだ見た『キングコング』も、すごかったけど、とにかくどんなものでも、人を集められるネタであれば、どれもこれも、金儲けの道具にしちゃう。本当に根っから、資本主義がしみこんだ国なんだなあと。こんな国だからこそ、資本主義が生まれて、根付いたのでしょうか。すべての価値は宗教でも、倫理で見なく、お金で決まる。そんな感じ。 彼らのツアーは、まるで、日本の新人アイドルや演歌歌手の地方巡業にそっくりです。ただ、歌手の場合、自分が売れたくてやっていることだから、まだいいんだけど、彼らの場合、国と軍からの強制でやってるので特につらそうなんですね。 一人は耐えられなくなって、軍にもどりましたが、インディアンであったため、その後の人生も悲惨なものでした。 このツアーの三人の兵士の人生はその後、一人は、白人だったけれど、ろくな仕事に就けず、一生掃除人でおわり、一人はインディアンゆえに悲惨な末路となり、ひとりはごく普通のアメリカ人として、結婚し、家族を持ち、それなりの一生を送りました。 アメリカって結構、階級社会なんだ。 自由、平等の国ってキャチフレーズとはうらはらに、とても、差別のはげしい国です。 一人は、『英雄』と、奉られる一方でインディアンとさげすまれ、差別され、悲惨な人生を送る。 あるいは、白人ではあっても、資格不足を理由にろくな仕事につけない。 アメリカっていう国は、高校をでたら、大学に行くか、軍隊にいくかなのですね。そして、大学に行けば、戦争にいかなくてもすむらしい。まさに階級格差社会。 日本はいま、こうならないように必死なようですが。 ところで、もう一点勉強になったのは、太平洋戦争当時、アメリカも経済的に厳しかったんですね。ということ。 日本が終戦間近に国中とても貧しくてお金なかったのはよく見聞きするんだけど、アメリカは余裕で戦争やってると思ってたんだけど、そうでもなかったみたい。必死に国民に国債を売って、戦争の予算をつくろうとしていました。彼らがやらされたのは、まさにそれです。それゆえに、仲間が今戦場で戦っているのに、自分たちはこんなところでなにやってるんだという自責もまた、あったようです。悲惨な戦場で命がけで戦わなくてすんでラッキーなんて発想はなかったみたい。 ところで、アメリカの場合、ベトナム戦争の後の兵士とか、いろいろと戦争自体よりも、祖国に帰ってきてからの兵士たちの心の傷を語る話は結構多いけど、太平洋戦争後に心に傷を負う元日本兵の話ってきかないなあ。なんでなんだろう。 せいぜい『男たちの大和』で、帰還兵が死んだ同胞の遺品をその母に届けた時、「何であんただけ生き残ったんだ」と責められてきずつく話くらいでしょうか。でも、これは他人から責められて生まれている痛みだけれど、アメリカの帰還兵の心の傷は自責の念から生まれているのですよね。 なにかすごく対象的ですね。 日本は本国自体も戦争でぼろぼろで、そこからの出直しに大変で、しかも、本国にいた一般の人たちとか、つまり全員、戦争の被害にあっている状況、しかも、被害者的な雰囲気だからなのでしようか。 一方アメリカはとても、悲惨な戦場とはうらはらに、どんな過酷な戦争にアメリカが参加していても、本国自体は、結構平和に豊かに暮らしているのですね。しかも、日本のように全員徴兵というわけでもない。だから、祖国に帰って我が家に帰ると、戦争の真実を全く知らない家族と暮らすことになる。そこで自分が経験した戦場のことをあえて語る気にはなれないし、語ったとしても、本当には伝わらない。幸せに暮らす家族のなかで、自分の中にある痛みは一生閉じ込められたまま、癒されることはない。 硫黄島でのことをいっさい家族に語ることのなかった父の心の内側を知りたいと思った息子がたどった硫黄島の真実。その本が映画化されたのが、この作品なのでした。 一見幸せそうに見えるアメリカの中にある闇の部分。兵士になるのは、社会の底辺にいる若者たち。 じゃあ、戦争に行かない社会の上層部いる人間たちは何を考え、何をし、何を望んでいるのか。 高校までは義務教育なので、受験もなく、大学受験も日本のように過激でもなく、一見自分自身で人生を選び取っていけるようにみえるアメリカですが、実はお金持ち用の私立の非常にレベルの高い高校もあるのです。そして、そこからは、必死に勉強した(それこそ日本の受験生以上に)生徒たちが上位の大学に入学していき、アメリカ社会の上層部に入り込んでいく。アメリカという国は実は彼らのためにありそうな気もします。 同一民族でもなく、アメリカ人である資格はアメリカという国の土地で生まれたからというだけのそんな国の中で、アメリカ人であることのアイデンティテイと、アメリカという国を維持し、定義づけるものはなんなのか。 アメリカってなんなんだと、考えさせられる、映画でした。 こちらもぜひ→映画『硫黄島からの手紙』の感想それからこれも→映画『硫黄島の砂』の感想 外国映画、洋画 戦争映画硫黄島二部作 父親たちの星条旗@映画生活
2006年12月01日
コメント(4)
全29件 (29件中 1-29件目)
1
![]()

