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ハリウッドの「イルマーレ」を観てから、観たいと思っていた韓国版「イルマーレ」見ました。こちらの方がシンプルかな。登場人物もハリウッド版と違って若いので、そういう意味では自然です。四十代の二人が愛だ、恋だといってて「さびしいの」とやってるのってどうもいまいちねー。あんたたちいい年してそんなことやってないで、さっさと結婚して、子育てでもしろよって気もしましたからねー。 ただ、韓国版のイルマーレ。おうちのデザインがいまいちかっこよくない。シンプルすぎる。基本のストーリーとエピソードは同じ。ただ、ハリウッド版ほどには、相手への気遣いややさしさが感じられないかなあ。そして、なんといってもラストが違う。わたしはこっちのラストの方が納得いかないというか。どういうことなのか。よくわからなかった。あのラストだと、この物語自体が存在しなくなってしまうのでは。個人的にはハリウッド版の方がよかったし、好きです。先に見たからなのかどうなのかは自分でもわからない。でもどちらもそれなりにいい作品だし、楽しめると思います。 でもね、韓国版のほうは女の子がちょっとわがまま。まー若い女の子なんてこんなものですから。やはりそういうところでリアルでしょうか。 ていうのは、時間差を利用して、自分の元彼と別れないようにしてほしいと主人公の男性に頼むからです。そのせいで彼が死んじゃうんですね。こっちの設定のほうが因果応報がびびっとくるかもしれないかな。 ラストまでちょっとはらはらするのは、どっちもおなじでしょうか。 どうせ海の上に住むなら、南国の暖かくて気持ちのいい所で暮らしたいですね。 てことを考えるとこの海の上の家ってタヒチの有名なホテルのコテージがもともとのモチーフなのかな。 あー。いいですねえ。 映画ビデオ、映画DVD韓流映画・ドラマ
2006年11月30日
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戦争映画もずいぶん観ましたが、湾岸戦争のものは初めてです。汚いスラングががんがん出てきて、いかにもアメリカの軍隊って雰囲気でしょうか。 物語は、湾岸戦争に行った海兵隊(ジャーヘッド)の狙撃部隊の戦争前から、終戦までお話。 海兵隊って言うからには、海軍なのじゃないの。これどうみても、陸軍みたいなんだけど。と、思ったら、海兵隊というのは、海軍所属の陸軍なんだそうです。不思議ですう。 このお話で特にポイントなのはですね。戦争自体では、人がほぼ死ななかったこと。死んだのは、戦争の前の練習中に一人と、戦争が終わってから一人。 うーん。戦争自体では誰も死んでないというのが、今までの戦争映画と違う。 練習にもかかわらず、実弾を頭の上でがんがん打たれて恐怖で立ち上がってしまい、弾にあたって死んでしまう、兵隊。 そしてもう戦争が終わって、アメリカに帰ってきた元兵士の死。 戦争というものが戦争自体によってだけ、人を殺すわけじゃないということでしょうか。私には、この部分が一番引っかかった部分なのでした。 湾岸戦争自体はたったの四日間なんですね。そこにいたるまでの練習の時間、開戦を予想して、現地での待機の時間の方が長い。そして、日々の練習で実践を待ちわびるようになっていく兵士たち。 早くやりたい。早く、撃ちたい。早く戦争したい。早く戦いたい。早く実戦に出たい。戦争の仕方を日々教え込まれていく中で、やっばり軍隊の人間て、戦うことを渇望するようになっていってしまう怖さ。でしょうか。 そして、いよいよ開戦。戦場で黒焦げになった死体に不快を感じたはずの主人公。にもかかわらず、実際に狙撃指令が出て、相手の司令官を狙撃する場に至る。ところが、狙撃直前、すれすれで別の部隊がやってきて、指令は中止となります。 今まさに狙撃を始めて実戦しようとしていた相手が戦闘機の爆撃によって殺されてしまったのです。いま、まさに自分がやろうとしていたことなのに。狙撃中止に対して「自分がやりたい、やらせてほしい」と涙を流して、懇願する主人公。これって殺人なんですけど。ただの、板にかかれた人型の練習用のターゲットとは違うんですけどね。 でも、戦場では、戦争では、軍隊では、殺人は普通のことでやるべきことで、悪ではなくなってしまう怖さでしょうか。兵士の一人ひとり、本人自身がそのことに気づかなくなっていく怖さでしょうか。 戦争が終わって、祖国に戻って平和な社会の暮らしの中で、普通の人間として暮らしても、戦場でのその時の自分の中にあった狂気を忘れることはありえない。 人を実際に殺すかどうか、ということ以上に怖いことなのかもしれない。 戦争映画
2006年11月29日
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全編、涙、涙、の感動大作でした。オリビア・ハッセー、美しいですね。ジュリエット、聖母マリア、マザーテレサ、こんなすごい大役を臆することなくどうどうと演じてしまう彼女はすごすぎ! 名前だけは知っていたマザーテレサですが、実際じゃあ、どんなことしたのかなんてのは、なかなかどうして知らないもんです。そういう大事なことを二時間チョイでみせてくれる映画ってありがたいものですねえ。『マザーテレサ』公式ページ 世界で一番スペシャルに階級社会のハードなインドという国。今現在中国と並んで、これからの世界を作っていくのじゃないかと話題の国ではありますが、でも、あいかわらず、カーストという階級社会は根強くあって、社会の底辺の貧困はこの映画の頃と変わらないんじゃないかと思う。 道端で、人が倒れていて死にそうでも、誰も振り返りもしなければ、気にとめもしない。インドでは、そんなことは当たり前すぎるくらい当たり前なことなので、すでにみんな慣れっこになっていて、そして、誰もがみな貧しいのだから、人のことどころではないようです。 そしてそういう社会の貧困は、今目の前にある人を一人助けたところで、どうなるものでもない。他にも、もっともっと死にそうな人、貧しい人達がいるのだから。社会の体制自体を変えていかない限り、本当の救いにはならない。そのくらいのことは誰でもわかるし、大概の人がそう考えるから、目の前に死にそうな人がいても、そのまま見てみぬ振りをして通り過ぎてしまうものだ。 もちろん日本ではそんなことありえません。すぐに誰かしかが救急車呼びますからね。道端で人が苦しんでいたら、誰かが声をかけますからね。そのくらい社会は整ってますからね。でも、そんなどころではないのがインドです。インドってそのくらい貧しいということなんですね。 けれど、マザーテレサは、ちょっと違う。いや、大きく違う。、かなーり違う。目の前に苦しんでいる人を見過ごせない。彼女はまず、「自分の目の前で苦しんでいる人を助けたい」と、思った。人間としてすごく当たり前で自然な感情です。大概の人がそれを押し殺してしまう、そんな中で、彼女は常に自分の本心に忠実であり続けた。それは、母性そのものです。彼女がマザーと呼ばれるのもだからなんでしょうか。自らのうちにある母性に忠実にその生涯を生きた人のようです。 人が何かをしたいと思ったら、まず自分一人で始めることなのだそうです。自分を信じて行動し続けていると、いつの間にか周りに賛同者が現れて、手伝ってくれるようになるそうです。 マザーテレサもまた、まずたったひとりで、自分の所属する修道院を出て、カルカッタの町の中で、救済活動を始めました。 死にそうな子供を病院に連れて行き、無理を通して、入院させ、助けました。 瀕死の人、捨てられた子供、貧しい人たち。 普通の人間なら、考えては見ても、「無理だ」、「不可能だ」と二の足を踏んであきらめてしまうのに、彼女はほとんどすべてのことに無理だとは考えない。絶対できるはずだと信じて行動していく。そして周りの人間をも、引きいれ、巻き込んでいく。たった一人で始めた「貧しい人を救いたい」という行為は、いつの間にかとても大きなものになる。新しい施設をつくり、ハンセン病者のための村を作る。新しいし修道会まで作ってしまう。ある意味実業家としての手腕のすごさを見るようです けれど、そこに、金儲けをしようとか、いい暮らしをしようとか、そんな意図は全くない。そして、人々が徐々に集まりやがて大きな集団となり、組織となっていきます。 しかし、組織というものが便利である反面その中の人間を縛るものであることも知っている。 だから、長い年月をかけて作った組織ですら、本来の意図とずれ始めていることにきずいた時、驚くほどあっさりと切り捨ててしまう。決して、初心からその軸足をずらすことのないその決断力は、本当にみごとです。 これだけのことをし続けるからには、かならず、クレームや、非難やトラブルがあるものですが、そんな時にも、うそをついたり、隠そうとしたり、暴力に走ったりしない。ただ、自分のありのままを示すだけなのだ。その姿勢がすごい。 目の前のかわいそうを捨てることなく救い続けようとしたマザーテレサのあり方はまさに母性そのもの、女性が持つ特性そのもの。その自分自身の心のそのままに生きた人なのでした。 「考えはしても、行動に移す人はいないものです。」 DVD同時収録のインタビューの中で、主演のオリビアハッセーの言葉です。 マザーテレサは、考えてそして行動したまさにそういう人でした。 そして、私も、私たちも、まあまあごく普通の人間なので、考えるだけです。だから、それを負に思う必要はないけれど、でも、せめて忘れないようにしたい。 何かをしたいと思ったら、まず、自分の目の前から、自分の近いところから。 映画ビデオ、映画DVDマザー・テレサ@映画生活
2006年11月28日
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いじめを見るのは楽しい。 不謹慎なこと書いてすみません。うーん。私の性格の悪さがとーってもよくわかる。ストーリーはこちらでどうぞ。 とにかくこのドラマ。何が楽しいって次はヒロインがどんないじめられ方されるのだろうっといろいろ想像して期待しながらはらはら見る。ってところが一番楽しくて、面白かった。「他人の不幸は蜜の味」ってよく言うけど。まさにそんな感じ。ヒロインがどんどんいじめられて、つらい思いに必死になるのを見れば見るほど楽しいと思うわけで、これこそまさに人間の原罪だなーっと。思ったんだけどね。 いじめドラマの元祖なんでしょうか。なにしろ、過去に放送した時、ものすごい高視聴率を稼いだ、伝説的なドラマだそうです。私も三浦綾子のエッセイだけは読んだことあって、この小説もタイトルだけは知っていたのです。なにやら、キリスト教の原罪を描いた大作らしいということで、いつか読んでみたいかなーと思いつつ、ものものしそうで、本音は引いていたんだけど、こんなにおもしいろ話とは思いませんでした。 もう楽しみにして見始めたものの、土曜日の前編が面白くて面白くて、もう、日曜の夜がめちゃ楽しみでありました。こんなに面白くて、のめりこんだドラマなんて相当久しぶりです。娘と二人できゃあきゃあ言いながら、見てました。横で何気にみてた、長男も「おもしろいじゃん」といってみてたくらい。ヒロインの石原さとみちゃん、かわいかった。で、陽子の恋人役とか、お兄ちゃんがほかの役はこれだけの配役なのに、この二人が不細工というか、もっといい男いないの?と、そのあたりが一番盛り上がりました。 まあね。思い起こせば、子供時代。毎月買ってた、小学館の『小学○年生』には、どの学年でも、かならず、連載されていた、女の子向けのバレエ漫画。あの頃は必ずバレエ漫画だったのだけど。必ず、バレリーナをめざすヒロインがなんかかんかで、毎月いろんな方法でいじめられるというお話。これが、各学年の雑誌に、漫画自体は違っても、基本のストーリーコンセプトは同じ。そして、私も毎号これが一番たのしみで、はらはらしながら、読んでました。 あの頃は、漫画にしろ、テレビドラマにしろ、とにかく、主人公がいじめられる話多かったな。いじめられまくり、次々と起こる苦境にも、主人公はくじけず、まけず、強く生きていく、こんな話多かったですね。そんでもってみてる側も主人公がいじめられるのをみながら、はらはらしてたものですが。最近そういうの減ったかもなあ。ドラマの中でいじめを見て、疑似体験をしてたんじゃないのかなと。いまだと、思いますね。ドラマの中のいじめでストレス解消してたかもしれない。でも、最近はそういうのないからね。現実でやるしかないんでしょうかね。 それにしても、時代の流れのせいで、微妙に違和感があるのは、殺人者の娘だというだけでせめられつづけるヒロインですね。あの当時では、この設定はそんなに違和感無かったんだけど。今見るとね。 殺人したのは、父親なのに、どうして、その子供が責められるわけ? 父と娘はぜんぜん別の人間で、別人格で、親のやったこと責められてもなあ。娘にはぜんぜんまったく責任ないしね。そういうまさにストーリーの根本が今の時代にはもうどうかなあという感じでしょうか。 今後はこういう設定では、ストーリーは作れないですね。ただ、つくづくいまから数十年前のことなのに、この頃はこんなに血のつながりが重要視されてたんだなと思います。それでも、現在でも、家族の誰かに殺人者とか出れば、やっぱ大変でしょうねえ。微妙ですねえ。 ところで人間て、ムカッとした時、怒りを向ける矛先がずれるものですね。 娘を殺された怒りは殺した相手に向けられるはずのものですが、どういうわけか、その殺人者の娘とそれからその時浮気していた奥さんにいく。浮気に腹立ってるなら、ストレートに奥さんを責めればいいのにね。こっそり、殺人者の娘を幼女にして、しかもそれを奥さんには内緒にして、こっそり日記に書いてたり。する。暗い。なんい陰湿。ねちねちねちねち。マーったくもう。殺人への怒りはとうの殺人者が自殺しちゃってもう向かう先が無いという。ことでしょうが。ヒロイン陽子の父は、浮気していた妻への怒りを、実の娘るり子を殺した殺人者の娘を育てさせることではらそうとします。せこいよ、ちょっと。 先日の奈良の放火事件でも、自分を追い込んでいる父親本人じゃなくて、義理の母と義理の兄弟を殺しているでしょう。 今話題のドメスティックバイオレンスも、日常のいらいらを奥さんを殴ることで晴らしてるわけですから。ターゲット間違ってますね。 ちゃんと考えないとね。何に対して怒っていて、じゃあどうすれば一番いいのか。 物語のテーマ、原罪。人間は生まれながらに罪を犯す可能性というか、要素を持ち合わせて、生まれてきてしまう。罪を犯す人の弱さと、それでも、それを許すことのできるひとの強さ。 次々に展開していくストーリーの中で余すところ無く語られていました。いまさら言うことも無い。ミリゃーわかる。 それにしても、ヒロインの陽子ちゃん。強いですね。十年くらいいじめられつづけてるのに、ぜんぜんくじけてないし、性格ゆがんでないし。ほんとになんで? いじめられ続けて、許しを願いながら、逆の立場になれば、なかなか相手を許せない。いじめられていた時には、あれほどつらい思いをしていた陽子が、いざ逆の立場になれば、やはり、自分を捨てた母をどうにも許せない。単に頑固で直情型の性格なだけだけど。 そういう心の部分が氷点なんだそうです。 うーん。昔やったドラマ。見たいですね。もっと緻密にいじめられる部分みれるかも。期待。 ↑なんと、続編もあるみたいよ。どうなんでしょうね。テレビドラマ
2006年11月27日
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松山ケンイチと藤原竜也の配役を逆にしたら、どうだったかなーと、映画を観ながら考えてしまった。かなり、よってる性格が意外と人気のエルちゃん。結構うまく化けてて、違和感もなく悪くないんだけど、この役をもし、藤原竜也が演じていたら…どうなの。 あまりにも人がよさそうで、やさしそうで、その上親知らずのせいでほっぺたはらしてるせいで、冷酷な性格のライト君がいまいちピンと来なくて不評ですが。エルちゃんメイクを施して、あのあぶないキャラを藤原君がのめりこんで演じたら…。でもって、チョー頭の切れる冷酷無比でジコチューなライトを松山君が演じたら、案外面白かったかもよとそんなこと映画みながらつい考えちゃいました。 かつて、『ガラスの仮面』でも、「二人の王女」の配役が巷の予想とは逆という設定で無茶面白くして見せた、美内すずえを思い出したのでした。 さて、本編ですが、もう、原作は終わってて、読んだのも数ヶ月前、前編見たのも数ヶ月前、で、すでに興が冷めちゃった私としましては、それでもまあまあ面白かったです。なにしろ、時間がたっちゃったので、細かいエピソードとか忘れちゃってる。ゆえに、前作とおなじく、オリジナルと変られている部分あったのですけど、もうすでにあんまり気にならなかった。というか、これはこれで楽しめばいいかーとそんな気分にすでになってましたので。 それと、エル編、ニア編と、原作では二部構成であったストーリーですが、原作でもニアはエルほどには人気が出なかったこともあって、今回映画では、ニア編削っていきなり、ラストにすっ飛ぶ構成もこれはこれでありかもとみょーに納得しちゃった結末でした。 ただね。原作では最後にニアがライトに勝てたことに関して、「エルは一人だったけど、僕たちは二人だったから、勝てたんだよ」という原作のニアのセリフが出せなかったということが、テーマを語る上で苦しかったでしょうか。 とはいっても、ニア編のラストでも、あれほど緻密な計画を立てていたライトがラストであっさりニアに負けてしまうんだけど、「ライトなら、ニアの裏工作だって読みきれたはずなんじゃないのか? 何でここでまけちゃうんだ?」という疑問が読者にも残りました。そしてこの映画のラストでも、同じ感想を持った人はいるようです。これは、エルだけで終わらせても、ニア編で終わらせても、同じように残る疑問でしょう。 なにしろそこまでに至るライトの計画の緻密さがすごいので、いきなりあっさり負けちゃうとやはり、見てる側は納得いかないんですねえ。 あまりにも緻密すぎるストーリーゆえの落とし穴といえましょう。 読者を納得させる結末はこの物語においては難しすぎる課題なのかもしれません。 でも、原作でも、後半はいまいちの評価だったので、ここでもニア編削って終わりにしちゃうのもありかなと思います。そして、エルファンとしては、エルの勝利で物語の終わる映画版はこれはこれで、ちょっと気持ちのいい終わり方ともいえます。勝ったけど、でも、エルちゃんは…。 あー面白かった。監督さん、スタッフのみなさん、ごちそーさまでした。 正しいことと思ってやっていることが周りにとっては迷惑なんてことはおうおうにしてあるものです。よく聞くのが親切のおしうり。で、それがエスカレートした究極の状況がライト演じるキラ様でしょうか。 正しいこと、正義は、180度逆転してみれば、悪になる。悪い人間を全部殺せば良い人間だけが残ってすみやすいいい社会がやってくるはず。それは絶対に正しいことだ。ライトが信じたのは、そういうことだけれど、では、本当にそうでしょうか。 彼が見落としているのは、善も悪もどちらも一人の人間の中にあってそれは人間すべてみんなそうであって、そして、人間が人間として存在するかぎり、決して消すことのできない人の業だということです。 彼は非常に優秀ですから、幼い頃から、ずっと優等生として生きてきて、トップの大学にも軽々と合格して理想的な人生を送っています。彼の人生には、挫折も迷いもない。だから、人の心の弱さや、そこから闇に入っていく心のずれを知らない。想像すらできない。彼にとっては、絶対の悪と絶対の善しかない。でも、どんな人間にも、光の部分と闇の部分があるのに。 だから、彼がその生涯をかけて、犯罪者たちを殺し続けたとしても、決して、犯罪者はいなくなることはない。そして、物語でも、ライトの死んだ後に再び犯罪は増えているのです。 ライトは自分こそが法だと言ったけれど、そして、キラが法であったとして、でも、所詮は人間なんだから、そこにはやはり、完全ではないものがある。そして、彼が善と信じた行為が、実は大量殺人として、悪と評価されたように、ライトが父からもらった六法全書が示す人間界の法もまた、人間の作るものである限り、完全ではないと父が語る言葉とは実は同じなんですね。 ライトの作るキラという法も、六法全書が示す人間界にある法もどちらも所詮人間の作るものなのだから、完全ではない。 だから、人間が行う行為もまた、それが悪であったとしても、それはやはり、その悪を行った人間が完全な悪なわけでもない。 それを完全な悪として、削除し続けたことにまさにライトの不完全性があるのです。 自分が気に入らないというだけで、犯罪者を削除し続けたところにまさにライトの自己中心的で浅慮で深い洞察のない人間としての未熟さがあった。 そんな不完全な人間にデスノートを使わせたらどうなるのか。 退屈な天才である人間より、退屈な死神のほうがやっぱり上手なんでしょうか。 所詮人間に死を操るなんて重過ぎる行為なんですね。人の命を少しでも救おうとする現代の医療の指針は正しいけれど、人がどこまで死と戦いうるのか。すでにないはずの命を形だけ永らえさせる行為もまた、無理に死を操ろうとしていて、重すぎるなあと思う。 人がかかわりうる死とのぎりぎりの境界線はいったいどのあたりなのか。難しいですねえ。 日本映画、邦画 映画「デスノート」について語る
2006年11月26日
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昨日は気のせい?と思いましたけど、今日は明らかにわかります。昨日がっばってかせいだ、私のアクセス数が昨日、そして、一昨日と同じ数字にもどってるじゃないかぁ。私のアクセスをかえしてくれー。やっとパソコンがやってきて、ブログ復帰したのに、今度はこれですかい?パソコンが壊れて、炊飯器がこわれて次は、ブログがこわれるなんてーーーー。さすがに我が家のものは壊れてないけど、なんか最近私にかかわるものがどんどん壊れている気がします。実を言うと、ここ数日で私のネックレスも片っ端から壊れた。ひとつぶちっとチェーンが壊れて、あっだめだこりゃもうと思って別のをつけたら、それも壊れたの。もー壊れ地獄ですう。なーんか私…の日ごろの行いが悪いんでしょうか。もうアクセスカウンターが直らないと、ブログの記事はアップしないからね。早くなおれーーーーー。では、楽天様よろしくお願いします。やっぱ、いろいろと容量やしすぎなんじゃないですか。だってカテゴリ50もいらないよ。いくらなんだって。見てよほら。↓ アクセス時間 利用者 70051 2006-11-25 01:14:03 ***.inktomisearch.com 70050 2006-11-25 01:06:29 ***.blogmura.com 70049 2006-11-25 01:03:08 ***.looksmart.com 70048 2006-11-25 00:54:45 *.ocn.ne.jp 70047 2006-11-25 00:50:31 ***.inktomisearch.com 70046 2006-11-25 00:43:27 ***.bbtec.net 70045 2006-11-25 00:41:43 ***.il24.net 70044 2006-11-25 00:32:40 *.point.ne.jp 70043 2006-11-25 00:30:48 ***.itscom.jp 70042 2006-11-25 00:19:12 ***.inktomisearch.com 70352 2006-11-24 23:59:40 ***.inktomisearch.com 70351 2006-11-24 23:52:50 ***.live.com 70350 2006-11-24 23:48:32 *.ocn.ne.jp 70349 2006-11-24 23:46:49 *.infoweb.ne.jp 70348 2006-11-24 23:43:43 *.infoweb.ne.jp 70347 2006-11-24 23:43:29 ***.bbtec.net 70346 2006-11-24 23:37:36 70345 2006-11-24 23:37:23 *.ocn.ne.jp 70344 2006-11-24 23:35:05 *.em-net.ne.jp 70343 2006-11-24 23:31:01 ***.bbtec.net 70342 2006-11-24 23:30:55 *.hi-ho.ne.jp 70341 2006-11-24 23:29:25 ***.bbtec.net 70340 2006-11-24 23:27:12 私のアクセスかえしてー。で、ブログなおったら、次は何が壊れるんだろう…こわい。
2006年11月25日
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最近の高校受験は英検とか漢検とか、影響するので、今の中学生は結構みんな受けてます。実際の受験の採点の時に三級以上をとっていればプラス一点とか、加点されるわけです。それで、娘は必死にというか、それなりにがんばってます。中学に入ってから、順を追って五級から、四級、三級とやってきました。三級は面接もあって、試験で英語での会話のやり取りがあるんだそうです。私なんかそんなの受けたことないし、やったことないし、私の頃はそんなのあってもみーんな知らん振りだったから。 でも、今は受験に影響するので、みんなやってます。学校でも、定期試験の後なんかに教室で団体受験します。 でもって、三級の筆記試験に受かったので、ちょっと遠目の高校の会場まで、面接試験を受けに行ったのでした。 ところでここでいつも娘と話し合いになっちゃうんだけど、ようするに試験場に何を着ていくかです。制服か、私服か。「結構みんな私服で来るらしいよ」と娘は言うのですけど、私は「制服でいきなさーい」と言いました。 いまどきのことなので、私服でも、かまわないと思うのですが、制服の方が試験官の心証はよくなるだろうと思うからです。およそ他人に対して、気配りしない私なんだけど、世間を見てきて、この年になったので、やはり、相手の心証をよくするというような計算はした方がいいとさすがに考えるようになりました。計算てやつですよね。 実際には関係ないかもしれない。でも、微妙にボーダーになった時、一点の差が明暗を分けることだってあります。三点にしようか、四点にしようかと試験官がその場で微妙に迷った時、制服で心証をよくしとくことが微妙に影響するかもしれません。 でも、そんなことはぜんぜん関係なく実力で勝ち取る方がもちろんいいでしょう。 ほかのおうちはどうなんでしょうね。今はそんなことぜんぜん気にしないのかな。ただね。ジーンズとかは、私服といえども、問題外。私服にしても、ある程度、礼節は考えるべきでしょうね。きれいできちんとした服っていうのは、大前提だと思うんだけど。私服といえども。でも、そんなことぜんぜん気にしないで、ジーンズで行かせるおうちありそうだなあ。このご時勢では。 でも、これから、学校見学とかもあるでしょう。昔、私はたしか制服でいったなーと思い出しました。 でもそれより問題なのは、試験場に遅刻して行ったこと。娘が友達同士で一緒に行こうねと約束してきてそれで、お友達のおうちの車で送ってくれることになったんですけどね。ただ、その待ち合わせの時刻が結構ぎりぎりの時刻になっていて、その時刻だと遅刻しそうな時間だった。いいのかな?と、思ったけど、送ってくれるっていうのに、時間の変更なんて要求しにくいし、微妙にだいじょぶそうでもあり、娘が約束してきてるのに、断らせるのもしずらい。で、悩んだけど、そのまま行かせました。そして、やっぱり。遅刻したんだって。 でも、筆記試験じゃなくて、面接だったので、大丈夫だったそうですが。 面接なので、時間通りにいっても、順番待ちはあったでしょうけどね。筆記試験では、こんな悠長なことさせられないわ。 とにかく、昨日ネットでみたら、合格してましたー。祝!!!!!!!!!!!!! 娘あっぱれ。よかったね。でも、ひやひやものでした。 さてー次は。2,5級。じゃなくて、準二級ですが、娘はやるのかなー。 でも、英検てやさしいから、ここまで受かっても、実際の英語力なんてお話にもならないのですけどお。
2006年11月24日
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パソコンも新品がやってきてやれやれと思ってたら、今度は炊飯器が壊れました。何気なくふたをあけたら、ばきっと。???と、思ってよく見たら、ふたと本体の接合部に近いところが両側割れてた。うーん。うまく説明できない。とにかく毎日使うものだから、いくらなんでも、パソコンみたいにのんきに修理に出してる余裕はないです。ま、とりあえず、電子レンジで炊ける簡易炊飯器はあるんですけどね。でも、パソコンほど高くないし、ってわけで、新品を買うことにして、→ 買ったのじゃ。 電気やさんてお店によって品揃えがぜんぜん違う。とりあえず、ジャスコに見に行ったけど、いまいちで、楽天のショップも見たけど、いまいちで、それで結局パソコンを交換してくれた例のお店で買ったのでした。品揃えの充実度もすばらしい。ぐんばつジャン。このお店。 テレビでコマーシャルがんがんいれてる大手チェーンシッョプよりもやはりぢ元のお店でしょう。 それにしても、電化製品て、発売して、一年ですでにお古なんですね。私は、発売されたばかりの新製品は買わないことにしてます。壊れやすいから。お客さんのクレームによる修正で、発売から一年くらいたったものの方が一番使いやすいと思うからです。てわけで、去年発売の、そして、それでもすでにメーカーにとってはお古になっている新品の炊飯器だよ。 新品の炊飯器で炊いた栗たっぷりの栗ご飯が今朝の朝ごはんでした。ごちそーさま。 それにしても、もう何にも壊れないでね。お金ないから。おねがいします。 ↑こんなやつ。でももっとやすいやつ。しかし、高いやつは9万くらいするのがあって、ご飯にそんなにお金かけたい人が世の中にはいるんだーと。ビックし。そんないいやつ買ったってどーせうちの家族にはわかんないよ。
2006年11月23日
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昔はやりましたね。アニメまでできたし。アニメの歌はいまでも、覚えてるよ。 最近タイム系の映画が多いけど、リバイバルものも多いですね。 それで、やっとこの作品見たわけですが、最新の技術で、作ってあるので、見ごたえありました。でも、昔キングコングの島に恐竜なんていたかなあ。キングコングだけがいて、島民に神様みたいに崇め奉られてて、ヒロインはそのいけにえにされたんじゃなかったかな。 今回は恐竜出てきて、キングコングと対決するんですよ。たしかに、巨大生物同士の対決シーンは見ごたえあるし、娯楽性もあるけど、こんなに恐竜が出てくると、キングコングというよりは、『ジュラシック・パーク』、『ドクターノオの島』、『強大生物の島』なんかの映画を見ているようなきがします。 しかも、ヒロインはキングコングにつかまれてキングコングが走っているわけなのです。キングコングにもたれて、走ってる間ぶんぶん振り回されてるヒロインはぜーったい、鞭打ちか全身骨折になってると思うんですけどね。あんなもたれ方して、振り回されているのに、ぜんぜん無事なヒロインはすごいですね。そのあたり、無茶ですね。つくりが。 恐竜はがんがん出てくるは、巨大な虫は出てくるは、登場する人間はかたっぱしから、殺されるはで、久しぶりに豪快なスペルクタクル映画でしたけど、なーんかいまいちスペクタクルとして楽しめなかったのは何でなんでしょうね。 ただね。あれだけ同胞が殺されてるのに、それでも、キングコングを捕まえて、もってかえって見世物にして金儲けに使おうなんて考えるあたりすごいよね。西洋人て。 かつて世界中をまたにかけて冒険して、世界中の国を植民地にして、世界を征服しようとした、西洋の人たちのバイタリティを見ているようです。あれじゃあ、世界中をヨーロッパに支配されたのも無理ないなあと思いましたけどね。 世界のほとんどの国は自分たちの国をでて、世界を冒険しようなんて発想なかったものね。西洋人だけが、外に出たいタイプの人種だったのでしょうか。 日本も豊臣秀吉の朝鮮出兵の失敗以降、外国へ出るのやめちゃったものね。江戸時代の鎖国は、外国の侵入を拒否したものと昔学校では習ったけど、そうじゃなくて、日本が外国へ進出しようとするのをやめたということだったのではないのかなと最近思います。なにしろ、お金と人間と労力の無駄遣いですからね。ほとんどの場合は。そんでもってたいがい失敗するし。以降日清戦争、満州事変までは、日本は鎖国となります。これは中世の暗黒時代と似てますね。 そうすると、本来日本も冒険好きな国だったのかもしれませんが。 それはいいとして、今現在キングコングを見世物にしようなんてしたら、動物愛護団体と自然環境保護団体からのクレーム、時代ゆえの倫理的社会批判が予想されますので、今はもうできませんねえ。 昔ってそーんな時代だったのですね。 映画ビデオ、映画DVD
2006年11月21日
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読みたい読みたいと思いつつ、なにしろ昔の小説なので、どうにも見つけられなかったのですが、ひょっこりうちの息子がブックオフで買ってきた。なぜ? そんなことはいいとして、なかなかハードな内容でした。先日の奈良の放火殺人事件とよく似てますね。もっとも、奈良の事件は勉強させてるのが父親で、しかも、暴力つきなので、なおさらひどいですが。 「東大さえ出れば、将来なんにでもなれる。そんな自由な人生を子供に与えたい。」という妄想を信じて、子育てに打ち込む母親と、三流大学出で人生に希望の見出せない父親。 「子育ての啓蒙書の通りに育てさえすればかならず東大に受かる優秀な子供が育つはずだ」と信じているこの母親はすごいです。が、確かに、あの手の本を読んでいると、このとおり育てればすごくいい子供が育ちそうだなっていう気になっちゃうものです。でも、実際、このての本は所詮机上の論理です。ですから、子育てには実際には他のいろいろな要素が絡んでくるので、本の通りには行かないし、子供は思うようには行動してくれないし、しかも本を読んでも実行する母親がその本に書いてあることをきちんと読み取れずに誤解のある解釈で実行してしまうというのもありえます。だから、本の通りになんてまずならないんだけどね。大概の人は途中で、飽きてくるか、めんどくさくなってやめますしね。 まあ、ほとんどの子育ての啓蒙書はごく一部の狭い視野でしか子育てを見ていないものです。大学のえらい先生たちが必死になってこんなくだらない研究を日夜やってるのかと思うと、ちょっとばかばかしくもなってくる。 ところで、東大出たら、もったいなくて、変な職業になんてまずつかせたくないと思うんですけど。普通は。 それにしても、この本。 母親の行動は非常に壮絶ではありますが、どうも、女性としての内面が描き出されていない。人間像の描き方が浅い。ただ本の通りに子育てをするんだということしか考えていない。ここまで妄信するからには、そこにいたるまでの彼女の人生の遍歴、感情の葛藤などがあるはずだと思うのですけど。あくまで作者が描こうとする「勉強と学歴ににおかしくなっていく母親と子供、家族」を描き出すために、「ストーリー構成に都合のよい人物」としてしか、描かれていないところに文学作品としての浅さを感じざるを得ないともいえます。 そして、父親。自分の人生にすでに未来を感じられなくなっている彼は、彼の人生を面白くしてくれそうだという理由で妻を選んでいます。自分の人生を充実させるのは誰でもない自分自身。じゃないのかな。そして、会社や人生で面白くない時、「いいんだ。自分には、将来東大に入るはずの子供がいるんだから」と思うことで自らの心を慰め、ごまかす。ちょっと父親として情けないですよねえ。サラリーマンてこんなものかなあ。この父親像は今現在もぜんぜん変わってないよね。あいかわらず。 さて、幼少期から一切の遊びの時間を削り取られてすべて勉強に向けさせられる長男。思うように伸びない成績にいらつく、母親、そして、子供。だんだん家庭内の状況は壮絶になっていきます。 この状況で、わが子ががすでにどうにもならないつらい状況に置かれていることに父親である彼は気づいていたはずだ。とめられたのは彼だけだったはずなのに、それでも、止めなかったのはなぜなのだろう。 長男が精神障害に陥って入院した段階で、たいがいの親なら、やめてると思うんです。まあ、小説だから、ちっょと過激に描いてあるかなと思いました。 でも、先日の奈良の事件のことを書いた雑誌の記事を読んでみると、この小説とそっくりなんですよね。現在でも、こんなことやってる親がいるんだと思いました。 しかも、この奈良の事件の父親が、彼の母親にやはり同じように育てられたそうです。いるんですね。小説のままの母親って今でも。実際勉強のし過ぎでおかしくなった子供たちや、使えない高学歴者を見て、社会的には、勉強のさせすぎがいかによくないか。子供時代の遊びがいかに大切か、この小説の出た当時、そういう反省が社会の中に生まれたはずなんだけど。長い時間の間にまた、過激な受験勉強の価値観が再生し始めているのでしょうねえ。 最近は、中学受験が再燃してますからねえ。危ない危ない。 それで、この本の物語は生まれる前から、優秀な子供を生むプロジェクトが始まってます。夫婦の食事療法からスタートです。そして、ずーっと母親がついて勉強。さらに、中学受験のための塾通い。しかし、入学はするものの、超難関私立校のなかで、思うような成績がとれずに、だんだん精神的におかしくなっていく長男はやがて、弟を殺そうと考える。 こわいですね。 ところでこの物語に中で、長男と対象的に育てられる次男が以外に成績がいいのです。知能指数も長男よりいいし。幼少期は遊んでばかり。にもかかわらず、一応塾に通って兄と同じ学校に受かってしまう。その後の成績も追いついてしまう。友達のいない長男とは逆に沢山の友達や、彼女。性格的にもごく普通の次男。 子供なんてほっといても育つということもまた、作者の言いたかったことのひとつなのでしょうか。 それにしても、この中に書いてあること。時々、読んでいて自分にも当てはまることがあって、ちょっとドキッとします。たとえば、子育ての啓蒙書に書いてあることを信じて自分の子育てにも応用したことありますものね。 受験に失敗したら、次は孫にもなんて考えちゃうところとか。 なるべく子供にうるさく言わず、好きなように、と育てたつもりだけど、やっぱり教育ママ的なところあったかもなあとちょっと反省します。 ただ、将来のことも大事だけど、子供時代の二十年くらいの歳月は、大人の三十年、五十年に匹敵するすごく大切な時間だと思うのです。その大切な二十年をなるべく大切に楽しく過ごしてほしい。と、母は、思うのです。勉強づけにだけはしちゃいかん。 該当する本のアフェリエイトがなくってね。これで、許してね。好きなんですよ。この小説も。↑今日の読書日記
2006年11月20日
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昨日娘の志望の都立高の説明会に行きました。 感想。 つまんなくて死にそうだった。 なにしろおにいちゃんの中学受験に始めて、行った学校数知れず、さすがにあきました。ここまでくると、いまどきの子供にしっかり勉強させるためのあれやこれやのハウツーはどこでも、同じなのですもの。飽きます。小テストとか、たっぷりの宿題とか。夏期講習のかずかずとか。わが校ではこんなことやってますという内容も特に目新しいものもないし。結局は、その差は授業の上手な先生がどのくらいいるかなんだけど、そんの入ってみなくちゃわかんないし。 しかも、最近バラスバンドの流行のおかげでどこの学校の説明会でも、吹奏楽部の演奏なもんで、あきました。生徒さんの紹介もいまひとつ。 やっぱりなんだかいまいちなんだよね。生徒がいまいち覇気がないような。 もっとも最近娘の塾での学力テストの偏差値も下がってきたからなー。そもそも受かるかどうかわかんないですね。 あー。ぜんぜんどこの学校にするか決まりません。困っちゃった。これだと、押さえの学校も決められません。 もうこれから、学校説明会とか行くのめんどくさい。どうしようかなあ。
2006年11月19日
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いまどきの日本の電化製品は壊れたら、まず捨てますねえ。直すより買った方が早いもの。で、パソコンも同じ。壊れたら、修理には何万円もかかるので、大体それなら新しいの買っちゃえということでしょうが、私はそれでも、くじけずに、修理に出しました。買ったお店まで持っていって、保証書もちゃんと出しまして、修理の見積もり費用が2000円。ついでにリサイクル手数料が3000円くらい。しかも、三週間はかかるといわれました。それでも、くじけずに修理に出しました。見積もりの結果四万弱かかるといわれましたけど、それでも、頼んだのでした。でも、そのあと、電話が来まして。修理の部品の調達にあまりに時間がかかるので、別の新製品との交換ではいかがでしょうか。ということで。しかも、お値段は修理の費用そのまんまでということで。うわあすごーい。さすが日本を代表するトップメーカーだわ。太っ腹。 ということで、修理代で新製品のパソコンがゲットなんだわ。それでも、前のパソコンの中には、とっても貴重な個人データが、いっぱい。バックアップはとってくれましたけどね。有料で。別料金で。でも、届いてみたら、どれがなんだかわからなーい。しかも、前のもの全部は新しいパソコンに入れたくないし。というわけで、前のパソコンのデータは来たけど、どうすればいいんだろう。見てもどれがどれだか、わかんないんだよーん。 そんでもって、個人情報なので、ハードディスクだけでも、返してほしいといったんだけども、それはだめですと断られちゃいました。先方さんで、責任もって処分しますということで、ま、いちおー大企業だしい、と、思ってハードディスクを返してもらうのはあきらめました。ああ、でも、我が家の企業秘密はちゃんと処分されたのでしょうか。 つくづく、考えてみると、パソコンて気楽に捨てられないんですね。だって、個人情報がいろいろ入ってるわけだし。一応消しても、専用の完全に削除するソフトでないと、本当には消えないと言うじゃありませんか。そうすると、そんな状態で、そこらに捨てるのは、こわい。たとえ、業者にリサイクル処分として、出したとしても、やっぱり怖い。 だから、もしかすると、パソコンて壊れても、捨てないでとっといたほうがいいんでしょうか。と、ふっと考えてしまいました。相変わらず、心配しすぎでしょうか。私。 それでもってとにかく、修理が大変なので、新品と等価交換になって、新品の新製品がやってきたのでした。DVDも見れるし、ナイスデス。画面も綺麗だし、前の物とほぼ同じ型ですので、使い勝手は同じ。だんなは通販で有名なデルがいいとか言ってたけど、やはし、大手は違うのか。それとも、みんなこんな対応してもらってるものなんでしょうか。前回のものはちょうどぴったし四年間でした。パソコンて普通どのくらい持つのでしょうか。みんなどのくらい使ってるんだろうね。
2006年11月18日
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ある日突然パソコンがパチット切れちゃって、パソコンは修理に出されていたのでした。おかげでブログもずーっとお休み。イライラのたまることたまること。それとも楽だったのかなあ。新しいパソコンてまだ慣れませんです。続きはまたあしただわ。毎日アクセス沢山ありがとう。続きはまたあとで。お休みなさいませ。
2006年11月17日
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