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――――― 老人の足元に、油か何かの液体で汚れた、厚手の大きなダンボールの箱が置いてあった。 箱の隣に立つ、中年の男が言う。「……CF3です。ミラノの中古車屋で発見しました……」 老人は膝を折り、静かに「そうか……」と呟きながら、箱の中身を丁寧に取り出した。 それは――、かつて老人が仲間たちと共に、魂を込めて作り上げた一台のロードバイク……だったものだ。フレームはひしゃげ、ハンドルは折れ、サドルは真っ二つに裂け、ペダルは片方を喪失し、ギアとチェーンは油の腐敗臭を放ち……《跳ね馬》は完全に削られ、消えていた。 ひとつひとつ――老人はダンボールから部品や、かつて部品であった物を取り出し、美しく磨かれた作業台の上に並べた。「……最初の持ち主は?」 何の抑揚もない口調で老人が聞いた。「……オーナーズクラブの情報では、中国人です……投機目的だったのかもしれません……」 中年の男の言葉にも抑揚はない……そう――不自然なほどに。「……そうか。……CF3よ。まだ……心はあるか?」 老人は、塗装が完全に剥げ、その葉が僅かに残っているだけの、かつて《クローバー》であったエンブレムに優しく触れた。そして、優しげな口調で――作業台に並べられた部品の全てに――語りかけた。 すると――『……エル……ネスト……さ……まあ……』 ――CF3と呼ばれた存在は微かに声を発し、老人の耳に届けた。親に叱られて泣いているような、純粋で無垢な、少女のような声だった。「……最後の成績は?覚えているかい?」 エルネストと呼ばれた老人は、ひしゃげて歪んだフレームを優しく撫でた。『……何年か…前………ベルギーの……ワロンヌで……14位、でした……』「……そうか、よく走り、よく戦ったね」 CF3と呼ばれた部品の声は、今にも消え入りそうなほど弱々しかった。『……エルネスト……様……私は……、使命を………果たせ……ました………か?』 その声を聞きながら――老人は、作業台に備えてある電動ドリルを取り出した。何かを察したのか、中年の男は呻き声を漏らし、視線を外し、目頭を手で覆った。「ああ……キミは立派に使命を果たした。私たちの工房の、誇りだ」 どこまでも――どこまでも優しい口調で、老人は答えた。掌は、ずっとフレームを撫でていた。『……ああ……神よ、私は……今――御身に………抱かれ……』「CF3……キミのことは忘れないよ。だから、もう……お休み……」 老人は、触れていた手を離した――離した刹那、『……もったい無きお言葉』とだけ聞こえ、全ては完全に沈黙した。そう。目の前の部品からは、もう何の言葉も、何の意思も感じなかった。 そして――老人は、ドリルの電源を入れ、フレームに微かに残った《クローバー》の葉を、削り取り――完全に消した。 エルネスト・コルナゴは嘆いていた。理由は本人ですら、わからなかった――だが……80歳を過ぎた今、この瞬間にも、涙が――とめどなく流れた。 ……使命を果たし倒れることは、この私の願望であり、『彼女』たちの運命だ……それが喜びであるはずなのに……しかし、しかし、それが……なぜだ?……この、儚い思いは……この、切ない思いは……この、やるせない思いは……どうして、私は、こんなにも悲しい……こんなにも、苦しい……。……私は、いや――私たちは、間違っていた……のか? 勝利こそ全て――………。 コルナゴはこれまで数多くのレーサーにロードバイクを提供し、幾多の輝かしい勝利を重ねた。地位も名誉も金も夢も、全てを手に入れたハズだった……のに、エルネストは嘆き、心を痛めていた。 エルネストは呻きながら、胸が締め付けられるような思いで、――世界のどこかにいる、ある特定の人間に、乞い、願い――祈った。「……我が工房の者と同様、『資格』を得た者よ、我が工房に来たれ……」 それは非常に困難で、非常に稀な人間だけが得られる『資格』だった。愛されし者が、愛すべき者に触れられている――その瞬間だけ、愛されし者は愛すべき者と、言葉と心を繋げられる。そんなことが、そんな奇跡のようなことができる人間は、本当に少ないことを……エルネストは知っていた。「……『資格』持つ者よ、来たれ………私が息子たちに教えた技術を、あなたにも教えよう……ひとりでも多く……ひとりでも多く……『彼女』たちを……娘たちを……愛してくれ………」 この地への道は、娘たちが知っている……だから……。 答えを……誰か……私に、誰か……。 エルネストはひとり――祈り続けた……。――――― 午前11時――。「2時間が経過しました。現在の距離は……68㎞。なかなかいいペースですね……」 あの女の声が、インカムと彼を通じエルの意識へと流れ込む。『ッ……カンに障る女だ。私にケンカを売ったことを、死ぬほど後悔させてやる』「……ずいぶんと、調子イイみたいだな?」 それは――普段通りの、いつものように、彼がエルに話しかける、ごく自然な口調だった。『まあな……さっきまでの陰鬱が、まるで嘘のように晴れた……お前のおかげかもな』「よく言うよ」彼は言いながら、またペダルを踏んだ。チェーンに力が伝わり、ホイールが勢いよく回転する。ギヤのシフトチェンジ、ハンドリング、カーブへの進入角度……全てが本当に調子がイイ。あの無能の整備も、評価を改める必要があるな……。エルは心の中で笑った。こんなにも完璧な状態で走行できるのは、たぶん、今日が初めてだ。 そう―― エル――CF1は――自らの意思で車体を動かし、彼の走行をアシストすることができたのだ。……ただ、それはごく小さな、ほんの微かな力の加減……実際、運転する彼ですら簡単に理解できるようなものではなく、あくまでも安全性の向上、ケガの防止という側面が強いのだが。 エネルギーこそ彼の脚力に依存しているが、その技術はもうひとりの創造主、エンツォ・フェラーリが企業、フェラーリ社のテスト走行にて会得した、《跳ね馬》の力――。走れば走るほど、エンブレムはより輝く……氏の言葉通りだ……。 この力を賜りし……偉大なるエンツォ様へ、心よりの感謝を。……彼と心が通じた今なら、この力をさらに引き出すことができるかもしれない。 ……そうだ……存分に見せてやるよ。あの女を、死ぬほど後悔させてやる……。『……シフトチェンジ、速度調整は私に任せろ。本当に、今日は調子がイイ……』「……これが正式なレースだったら、助けてくれたのか?」『バカ』 即答する。こんな力をレースで使えば……おそらく――私は、消える……死ぬ、と言ってもいい。エルネスト様は、規律と礼節を重んじる御方。決して許してはくれないだろう。「わかりましたよ。エル様」 コイツッ……こんな軽口を言うぐらいだ、まだ体力は大丈夫そうだな……しかし、本当に――変わったヤツだ、コイツは……。『……驚かないんだな。不思議に思わないのか?私と、会話していることに』 つとめて平静な声でエルは言った。『私は、道具だ。人間じゃない。化け物だとか、妖怪だとか、変に思ったりはしないのか?……それに……』「それに……?」『……いや、何でもない』 出かかったその言葉を、エルは心の中にしまい込んだ。 何を期待しているのだろう、エルは思った。私がどれほど気持ちを伝えようと、彼はそれを受け入れてはくれるかもしれない。けれど、それは昨日までの話だ。道具としてのCF1を愛してはくれても、己の意思を持つエルを愛してくれるとは限らない……そう考えていたエルの思いを――唐突に、彼がさえぎった。「たまにだけどな、聞こえてたよ、声」 彼はまた力を込めてハンドルを握り、エルは呆然と彼の顔を見つめた。「夢か幻だとずっと思っていた――けど、エルの声が聞きたくて、聞きたいから、走れた。走るたびに、声を聞くたびに思った……好きだってな……」 エルはしばらく呆然とし、少し笑い、少しだけ沈黙し、それからはっきりとした口調で『変わったヤツだ』と言った。「……もうひとつ、いいか?」 彼は前を見据え、ペダルを踏み、息を整えながら、力強く、「私は、お前を愛している」と言った。それは、つい2時間ほど前、レースを始める直前に、エルが彼に告げた言葉に相違なかった。 瞬間――嬉しさと恥ずかしさが猛烈に込み上げ、こらえ切れず、エルはまた……彼を見つめた。――あの、純粋で、儚げで、どこか美しい……そう、まるで、雨の中に放り出された子供のような――悲しい瞳をした男を……。 意を決し、叫ぶように彼へ告げた――。 今度は確実に、絶対に彼へと届くように――。『喜べっ!貴様のために走ってやるっ!だから私を愛せっ!私は、全身全霊で、お前を愛してやるっ!』 彼は呆気に取られたように一瞬だけ硬直し、「うわぁ……」とだけ呟いた。 エルの怒号が――彼の鼓膜を直撃した……。――――― これで2時間……。2時間で68㎞……。悪くない数字だ。むしろ、かなりいいタイムだ。プロのレベルとは思わないが、このレースをクリアするだけの成績に間違いはない。 彼は未だ、汗ひとつかいていないようにも見える……余力はまだまだありそうだ。 女はひたすら、彼と彼の乗るCF1を観察し続けていた。時折――彼が何かを喋っているようにも見えるが……アレは何かのルーティンか、それとも?……笑っているようにも見えるし、意味がわからない。 それに……ほら、まただ、また……見えた。 女には見えていた。CF1のギアが、彼の手を借りずにシフトチェンジを行っている……ように見えた。こんな芸当はプロの世界でも、手品の世界でも聞いたことがない。考えられる可能性はいくつかあるが……どれも正解と判断するには非常識すぎる気がする。例えば――純粋に、彼の操縦技術が高い、もしくは才能の開花とか?……けれど、それならあのシフトチェンジの謎の解明には遠い……。ありえない話だが、例えば……あのCF1にはAIが内臓されており、オートアシストのような機能が備わっている……とか?わからないな……。あの自転車を少し調べたが、それらしき機能は発見できなかった。スマホに連動したアプリ?いや……違うな……。 考えても考えても、女にはわからなかった。「つまり――実験と検証が必要、ということですね……」 女は微笑んだ。「……さあ、彼と自転車の運命や……いかに?……喜劇?……それとも、悲劇?」 女はまた微笑んだ。そして――本当に嬉しそうに、笑った……。 陸上競技場の掲示板を見る。時計の針は今、12時を指そうとしている。――――― パートeへ続きます。 すいません(ブログ始めてから謝ってばかりのような気が……)。忙しくて書くタイミングが難しくて、ダルくて、眠くて、なかなか更新できなくて……すいません。 話がユルユルになってきました。当時の私は何を考えていたのやら……。まあもう少しで終わりますから。もう、ちょっとだけですから。てかもうショートショートじゃねえし、短編じゃね?合掌……。 しかし……私の書く文てどうも『…』が多い気がする。表現上多用しているのですが、多すぎるとかえって見苦しい気もするし……、う~ん、まあいいか。ちなみに多分、このパート、一番文章が稚拙です――恥ずいぜ……ホント。 てなわけです。コメント・アドバイスよろしければぜひぜひ、お願いします……マジで。 駄文、失礼しました。今日のオススメ↓買お……かな。米津玄師 MV「orion」よろしければ……試聴だけでも……↓オススメボカロさん。こちらは今話がオモロければ…ぽちっと、気軽に、頼みますっ!!……できれば感想も……。人気ブログランキング
2017.02.27
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――――― 午前10時――。「変わったコトしてやがるな……」 陸上競技場の管理会社の社員は、観客席のイスの点検をしながら、呟いた。 400mトラックを男がひとり、黙々と自転車で疾走しているのが見える。自転車はロードバイク、鮮やかな赤と黒のツートンカラーであり、それなりに高価そうに見える。男は練習着にしては派手であり、競技用のヘルメットを着けていた。 400mトラックの円の中心には女が体育座りをし、手にはスマホを握りしめている。女は身動きひとつせず、時折スマホをのぞきながら、男が疾走する姿をじっと見つめている。時々、何かを囁くような仕草を見せるが……おそらくはインカムで男と何かを話しているのだろう。 イスにへばり付いたガムをスクレーパーで削り取りながら、社員の男は「競技場を使いたい」と申し込んで来た若い女のことを考えた。「ロードレースの練習に使いたい」と言っていたな……。確かに、ここの400mトラックは自転車競技の記録会などでも使用されるが……こんな長距離の競技は普通は外でやるもんじゃないのか?……社員の男はそう考えもしたが、疑問を口に出すことはしなかった。女の説明は理路整然としていたし、口調も滑らかであったし、問題点を探すことの方が難しそうだった。当然――いつものように申請書を記入してもらい、規定の料金をもらい、説明を受けてもらい……全て滞りなく許可を出した。自分の判断は間違っていない……ただそれだけを、社員は自らに言い聞かせた。 誰かが靴のままイスの上で応援したであろう痕跡を雑巾で拭きながら、社員の男は「入場口はどこですか?」とやって来た若い男のことを考えた。既に競技用の服に身を包み、どこか不安げな様子ではあったが、これも女から話を聞いていたのでゲートまでの道を案内した。無口で不愛想な男だ、そんな印象の男だった。 再び400mトラックに目を移すと、男は未だ疾走中であり、女は体育座りのままじっとして動かない。かれこれ1時間はそうしていた。その時、社員の男は、「そんなもんかな」と思っただけだった。 トラックを汚すような、やましいと思えるような行為はなく、むしろ問題はないはずだ……社員の男はもう一度、自らに言い聞かせた。そう――しいて思うならば……そんな変な練習、早く切り上げて帰ってくれ。そう考えただけだった。―――――「間もなく1時間が経過します。これまでの距離は……35㎞、です。さすがですね……」 インカムを口に当てた女が、疾走する彼とエルに告げた。「先はまだまだ長いです……どうです?そんな自転車なんて諦めて、楽になりませんか?」「……走ればいいんだろ」 彼はペダルを踏み続け、女はそれを嬉しそうに眺めていた。瞬間――エルは、この女の計画で自分と彼が利用され、更には自分におぞましい――この、おぞましく汚らわしい装置を取り付けた女の言葉を思い出した。「中身はフッ化水素酸です」 薄い笑みを浮かべて女は言った。「フッ化水素酸、まぁ簡単に言えば強酸、です……人類最高の発明のひとつ、無敵の炭素繊維にもダメージを十二分に与えることができるでしょう。フッ化水素と硫酸の化合物質であり、あらゆる金属を融解、液体の状態でもです。人体にとって極めて有害で、そうそう、韓国では3000人以上の死傷事故があったみたいです…………」 説明している間中、ずっと――女は微笑んでいた。 エルに取り付けられた装置――それは、いわゆるロードバイク用のトップチューブバック、というものに似ていた。サドル・ハンドル・ペダルを繋ぐ三角構造それぞれのフレームに、3か所。大きさは従来の携行型バックよりずっと小さく、缶コーヒー程度。3つ全てが上向きに取り付けられ、簡単には取り外せないよう、やや凝った仕掛けがされている。フレームを一周するベルトはナイロン製。繋ぎ目はバック本体に収納されており、ジッパー部にはナンバーセットのワイヤーロックが掛けられていた。 そして、中身は、女が自分の意志でいつでも滴り落とせる……カーボンすら融解させる劇薬。 やがて――、女は嬉しそうに告げた。「……私の提案するバイクトライアル、これをクリアすれば、あなたの勝ち、CF1は解放します」 彼は唇を噛み、拳を握りしめ、女を睨みつけ、「わかったよ」と短く答えた。それを聞いてエルは、悔しくて悔しくて仕方がなかった。こんな屈辱は生まれて初めてだった。畜生っ……この女っ……ナメやがってっ……。 彼の顔色をうかがいながら、女は楽しそうに言葉を繋いだ。「時間内に完走できなかった場合、もしくは私自身に何らかの攻撃、もしくはレースからの脱走、もしくは外部からの妨害が発生した場合、CF1のカーボンは溶けてしまいますが、よろしいですか?」 彼は女を見つめた。「……それと、レースには当然、豪華賞品が必要ですよね?もしこのレースにあなたが勝利したなら……そうですね、あなたの命令をいくつでも、何でも受けます。当然、あなたも同様にペナルティを負ってもらいますが……まあ、これはCF1とは無関係で構いません。どうです?」 彼は一瞬だけ目を閉じ、「……それは奴隷になれってことか?」と聞いた。「はい。互いの生殺与奪の権利を得る、という条件です」 女が言い、彼は顔を強ばらせたまま――無言で頷いた。「ふふふ……嬉しいですね」 女は本当に嬉しそうに笑った。エルにはそれが、心底――邪悪で汚らわしいものだと感じた。「……それで、バイクトライアルの内容は?」 彼はそう言って、握っていた拳を解き、エルのハンドルに手を掛けた。「まぁまぁ、ちょっと待って下さいよ……せっかちなのは女性にモテませんよ」 女がまた笑った。「私はね、知りたいんですよ……あなたに興味が湧いて、いろいろと調べたことがあるんです」「……?」「以前、あなたがツーリングを行った際の記録です。まぁ単に、私が尾行しただけというものですが……名古屋から大阪間の約180㎞……往復360㎞を約13時間で完走……これが、何を意味しているか、わかります?」 エルは自身の心がピクリと痙攣したのがわかった。この女……そこまで知ってやがったのか。「……信号待ちや道路の混雑、休憩をさし引いたとしても、相当な高記録……常時時速25~40㎞を維持し続けないと出せない記録……プロレース級です……あなたは別に競輪選手でもなければ、プロのロードレーサーでもない。レース観戦をしたり、専門書を読み漁っているわけでもない……誰かに、走り方を師事してもらったという記録もない……せいぜい部活動で街中をサイクリングしていただけの、素人だ……体力は、一般の成人男性よりはあるようですが……納得ができません」「………?」 彼は、女が何を言っているのかがわからず、ただ見つめ返すだけだった。「素人であるはずのあなたがなぜ、そんな記録を出せるのですか?……と聞いています」 彼は沈黙した。具体的な答えは、そう――彼自身にもわからないのだから。「……そうですか?……それじゃ、今からあなたに、それを見せては頂けませんか?」 女は手でトラックを指さし、「そこに、400mトラックがあります。あれを500周。合計200㎞あります。それを7時間で完走してください。休憩・補水はなし、時速は30㎞前後の維持でいけるはずですから、余裕ですよね?」と聞いた。 彼は女を見つめ、やがて――目を閉じた。「……賞品の件についてですが、どうです?私はこの約束を反故にするつもりはありませんよ?それとも、こんなお遊びはやめます?まあ、自転車だけは諦めてもらいますけど」 女は挑発するかのように笑った。 彼は大きくひとつ息を吐き、女を再び見つめた。 ――やめてくれ……頼む……。 エルは彼の顔を見上げ、彼が自分を諦めてくれることを願った。 ――やめてくれ……私は欠陥品なんだ。こんなレースなど何の意味もない……。 そう。このレースは何の意味もないのだ。女は自分を連れ去り、彼を恐喝する道具にし、劇薬を私の体に括り付けた……もしかすると、私はバラバラになって壊れ果てるかもしれなかった。だが――女がしたのはそれだけだった。どこかで大勢の人を殺したり、集合住宅に放火したり、豪華客船を沈めたりしたわけではなかった。女は、この世界で罪と呼ばれるようなことは何一つしていない……していたとしても軽微な、誰もがすぐに忘れてしまいそうな、イタズラのようなもの……。 ――私はそんなイタズラの犠牲になるだけの、ただのロードバイクで……欠陥品だ。 これは罪だ。これは罰なのだ。創造主からの使命を、ないがしろにし、忘れたから……。 ……道具のくせに夢を見て……道具のくせに希望を抱き……道具のくせに……愛、された、から。 ……意味がない……意味がない……だから、やめてくれ……私を、捨ててくれ……。 空を覆う雲の隙間から光が漏れ、競技場を照らし始めた。 生を放棄し、何もかもを放棄しようと彼に願った……。 その時―― ――エル……俺が、お前のことを諦めるわけないだろ? という、彼の声が聞こえた……彼と、心が通じ合った気がした。瞬間――纏わりついていた心の陰鬱が晴れ、まるで――たった今、生まれ変わったような気分だった。 どうして?……通じたのか?……何で?……でも……でも……本当、に? そして――エルは、これまで口に出せなかった――いや、口に出すわけにはいかなかった、自分の本当の気持ちを――伝わるか、伝わらないかはわからないけれど――声に出して伝えたい、そう強く思った。『……私は……私は……お前を……お前のことを――――』――――― 午前9時――。「……賞品の件についてですが、どうです?私はこの約束を反故にするつもりはありませんよ?それとも、こんなお遊びはやめます?まあ、自転車だけは諦めてもらいますけど」 彼は大きくひとつ息を吐き、CF1に触れながらそっと何かを囁き、顔を上げ、「……レースが終わったら、この……CF1の荷物を外してくれるのなら……アンタがその約束を必ず守るのなら……その、賞品も含めて……いいよ。やるよ」と言った。「……私は、あなたの体をズタズタに切り裂いたり、腕や脚や性器を切り落とすかもしれません……そういうことをされても、いいんですね?」 男はまた無言のまま頷いた。その怒り、悲しみを背負った彼の表情を見ただけで――女は、この後の展開を待ち遠しく思った。ゾクゾクする、とはこういうことを言うのだろう……。「さて……ちょうど9時です。それじゃあ始めましょう」 男は無言のままCF1に乗り込み――スタートラインが施された場所に着く。 女はトラックの円の中心に立つ。全ての道具、準備は整っている。 用意していた――号砲、爆竹のピストルを撃つ――。――――― パートdに続きます。 ……やっちまったぜ……畜生ーめ。 ……話を短くしきれないス……しょーもない私ス。 すいません。3話で終われなかった。 『エル』はなぜ女性なの?と聞かれましたが、答えはまぁ…イタリア男子は全世界の女性に優しい…ていうことですな……カミ様の配慮デス。……こういう小ネタも作中では結構削ってしまって……残念。まあ…気持ち切りかえて、最終までガンバリましょーかね……。 コメント、アドバイス、ネタ等、よろしければご提供願います。誤字脱字あればすいません、見つけしだい訂正します。でわ、ありがとうございました。 ……そして、スイマセンでしたっっ!早く終わらせますっ! 今日の2曲ww ↓ 運転中は危険かも? ↓ 脳漿炸裂ガール 乱躁滅裂ガール 最近買いました2枚↓オススメです。 こちらは今話がオモロければ…ぽちっと、気軽に、頼みますっ!!……できれば感想も……。人気ブログランキング
2017.02.23
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――――― 愛知県民サイクルフェスタ。 募集定員300名。参加費5000円。知多半島を2周、距離は約140㎞。想定所要時間は9時間。開始時刻は午前8時。交通法を遵守し、違反者はペナルティ。交通事故は自己責任。休憩は自由。サイクルコンピュータを基本採用し、順位を決定……。 ……立派な大会だね。 パソコンで大会の概要を見ながら、女は思った。実に誠実で、実に清々しい……順位や成績に関係なく、全ての参加者が自由気ままにサイクリングを楽しむイベント。大会は随所でテレビ中継され、和やかな雰囲気で進行し、みんなが手を繋いで一斉にゴールする隣人愛……これなら、企業のロゴを貼った者が優勝したとしても、誰も不機嫌にはならないだろう…………彼が参加できれば、の話だが。 女は口元を歪めて、笑った。「あはっ、あはははははっ」 ――笑いが込み上げて仕方がなかった。 こんな大会など、どうでもいいことだ。こんな大会への出場など、本当に、どうでもいい。 女は想像した。掌で下腹部をさすり、熱が上がるのを嬉しそうに楽しみ――また想像した。 男の顔を思い浮かべる――あの、純粋で、儚げで、どこか美しい……そう、まるで、雨の中に放り出された子供のような――悲しい瞳をした男を……。「ああー…早く……」 囁くほどの小さな声で、女は呟いた。 私は、知りたいのだ。 彼の思い、夢、希望……そして、その体に詰まった……何か。……そう。私は知っている。彼が……彼自身も知らない、何かとてつもない、不可思議なエネルギーで包まれていることを。 私は知りたい、彼の全てを知り、理解したい。それだけなのだ、私の願いはそれだけなのだ。そして、もしも――願わくば……絶望と苦痛に悶え、必死に助けを懇願する彼を……。「……最後は私にすがりつき、泣き叫び、許しを乞う……」 女は両手を優しく広げ、泣きながら跪く彼の体を抱きしめる、そんな自分の姿を想像した。「……私は全てを許し、導くのだ。自分には、私が必要だと……」 女は微笑んだ。 彼が、もうすぐ自分のものになる。 女はひたすら想像した。未来はもう、すぐそこにあった。 最高の舞台へ――準備は全て整っている。後は――彼を、そこへ連れてくるだけだ……。――――― ――レースは明日の朝だ。さすがに、これくらいの事はやらせてくれよ。 CF1のメンテナンスを彼にそう願い出たのは、多少なりとも、責任を感じていたからだ。 テナント契約の件は、たぶん、弁護士を雇うなりすれば問題ないはずだ。ヤツにはそう説明したが、「それは最後の手段にしてください」と言いやがった。負ければ自分がどうなるか、わかってるのか? バカなのか、アホなのか…不思議な野郎だ……。 自転車屋のオーナーである男性は、真剣な表情で――目の前にある、自身が知りうる最高級のロードバイクを見つめた。整備を買ってでた以上、これは仕事だ……と、自分に言い聞かせた。 ディスクブレーキの点検を終える。 カーボンフレームの微調整を終える。 タイヤの調整、ラグの調整、バランスの調整、空気圧の調整を終える……問題は無い。 チェーンの洗浄を始めるため、洗剤を用意する……。「こいつも……不思議な自転車だな……」 これまで無数のロードバイクを見て、触れて、売買してきたオーナーは、ひとり静かに呟いた。 ……コルナゴのFシリーズは現在5世代目に突入している。どれもが高性能かつ個性的……しかも《1》は、歴代の中でも性能と人気は群を抜いていると聞く……表現を変えれば、これはモンスターマシンだ。とてもあんなヤツが乗りこなせる代物ではない……はずだ。『伝説の有機体』と称されたコルナゴの最上位車……乗り手を選ぶ暴れ馬、か……。 プロでも乗りこなすのは難しいとされる、繊細な技術とパワーバランス……購入を考えるのはプロ中のプロだけ。素人が乗れば数メートル持たずに転倒するだろう……自転車屋のオーナーである俺でさえ、正直難しい……というか、こんな高級車、乗車するだけで金がかかるし……。 なぜだ……?アイツは――コレは父親から譲り受けた、としか言ってなかったが……。自転車競技は高校で辞めました、とか何とか言うし……悪いヤツじゃないんだが……わけがわからん。 チェーンの洗浄を終え、注油をする。 オーナーはあの――純粋で、儚げで、どこか美しい……そう、まるで、雨の中に放り出された子供のような――悲しい瞳をした男の事を思い出した。自分の会社の唯一の社員であり、店舗の存続を賭けたレースのドライバー……不相応なチャリに乗ってやがる、そう思っていただけのヤツに……自分の店の運命を託しちまうなんて……な。どうかしてやがるぜ、俺も、まったく。『同感だわ』 ……? ふと、何かを囁く、女の声が聞こえたような気がした。 そう。オーナーは知らなかった、目の前に佇むのは女性であること……。 そして――、店舗から離れた柱の影に、また――別の女が居たことに……。――――― ……これから、彼はどうなるのだろう? 比較的広い車の中で、暗闇しか見えない窓を見つめ、エルは考えた。 自分は翌朝、店を訪れた彼と共にレンタカーへ乗り込み、知多半島の県民レースに参加する予定だった。レースでは彼をできうる限りサポートし、入賞を目指すはずだった。あの女に結果を報告し、ひきつった顔を拝んで悦に入り、彼と喜びを分かち合う予定だった。 しかし――……実際は何もかもが嘘……いや、それも何かが違う……。女には明確な目的があり、私はその手段に利用されたのだ。目的の目標はおそらく……。 オーナーが帰宅した直後――、あの女は私の前に笑いながら近づき、鎖を断ち切り、私を車に押し込んで連れ去った。どこへ向かうつもりなのか……わからない。いったい、私をどうするつもりなのだろう?外国に売り飛ばすのか?分解し、バラバラにして捨ててしまうのか? ――そして……もう、二度と、彼とは会えないのだろうか……? 振り払えない不安と、かつてない孤独を募らせながら……エルは、走る車の窓の隙間から、少しだけ漏れる街の明かりを見つめ続けた。そうしていると、いろいろなことが頭を巡った。『キミは自転車乗りに愛を与え、希望をもたらす存在だ。我々の誇りだよ』 エルネスト様……創造主はそう仰り、私を日本へ送り出した。……それから5年、私は懸命に彼をサポートし、共に走り、共に生きた。そう。夢を見ていたのだ。彼がいつしかロードレーサーを志し、いつか私を創造主の元まで運んでくれるという夢……それがCF1として生まれた理由であり、使命だった……はずなのに……。 そう考えると、珍しく気が滅入った。 ……私は、欠陥品、なんだな。そう思った。 ……私は、自身を使って勝利を重ね……やがて塗装が消え、やがて誇り高い《跳ね馬》も、《クローバー》のエンブレムも消え、ボロボロになった私を「いらない」と言って捨ててくれるレーサーを期待していた。しかし……アイツは笑ってばかりいた……勝利や勝負に興味のない人間もいるのだな……最初はそう思っていた。私が適当に走り、適当にフレームをしならせ、適当にホイールを回していただけで、アイツは喜んだ。喜んで、私のフレームやフォークを優しく撫でた。触れられて、褒められて……私も嬉しかった。そう……喜んでいたのだ……。本来ならば、私は彼の成長と共に老い、勝利と共に朽ちる……つまりは死ぬ運命であった。それがロードバイクとしての喜びであるハズだった……それなのに……私は……平和と安心に……ただ、ただ……酔っていた……。 ……そういう意味では、私は本当に欠陥品なんだな……。 ……そういう意味では、私は長生きしているほうなのかな……。 こんなことは考えたくもなかった。だけど……もしも……例えば……私が人間の女であったなら……手と足があり、彼と違う形で出会っていたならば……もしも……私に声と顔があり、彼と心を通じ合わせることができたならば……運命は変わっていたのかもしれない……もっと違う形で、彼に愛を与え、希望をもたらすことができたかもしれない……そうだ……そうなのだ。エルは理解した。 ……エルネスト様……お許しを……私は……私は……。 真実を問う神へ、全てをさらけ出す使徒のように――――……エルは答えた。 ……はい……夢も……希望も……愛も……与えられていたのは……私のほう、でした……。 ああ…神よ……。 エルは自身の創造主に祈りを捧げた。これから彼に降りかかるであろう災いを、危惧しないではいられなかった。あの――純粋で、儚げで、どこか美しい……そう、まるで、雨の中に放り出された子供のような――悲しい瞳をした男の事を思い出した。 ……私はどうなろうと構いません……エルネスト様……あの女は危険です……。 ……どうか……彼に、御身のご加護を……。――――― 午前8時――。 愛知県民陸上競技場――。 収容人数15000人の観客席、陸上競技ならばほぼ全種目対応が可能、そして…今日のメインである、400mトラックがある。全天候型舗装であり、一般的な楕円形。完璧な会場だ。 女は唇を舐めた。もうすぐここに彼がやって来ると想像しただけで、また下腹部が熱くなるのを感じた。あの――純粋で、儚げで、どこか美しい……そう、まるで、雨の中に放り出された子供のような――悲しい瞳をした男の事を思い出した。 彼のことを調べ、調べ尽くした上でも――まだまだ知りたいことは山のようにある。それもこれも全て、今日、答えを聞かせてもらえるのだろうか……?「……あなた、どう思う?嬉しい?楽しい?それとも……怖い?」 傍らには、既に準備を終えた彼の愛するロードバイクが据え置かれていた。女は自転車競技に興味はあっても、別に特定の車種にこだわりがあったわけではない。ただ、少しだけ、このCF1と呼ばれる自転車が、羨ましかった。 こんなにも大切にしてもらえるなら……別に人間じゃなくても、嬉しいはずよね?違う? 大丈夫、彼は来る。予感がある、確信がある……この自転車を取り戻すためなら、彼は、必ず……。 最終的な準備も、無事に終了した。メールも送り、詳細も送った。もし、ここに彼ではなく警察が来るような事があれば、それはそれでいい。所詮、彼はその程度の男なのだ。遠慮なく……コイツを破壊し尽くしてやればいいことなのだ……。「さて――…」 女は軽く深呼吸をし、髪をかき上げ、衣服の乱れを整える――すると、背後から歩く人の気配がした。近くではない。おそらくは入場ゲートの付近からだ。当然、彼ひとりだ。「…………エル」 彼が何かを言っているようだが、残念なことにうまく聞き取れなかった。 まあ、いい……。これから存分に見せてもらうのだから……私のためだけの、最高のショーを。――――― パートcに続きます。 ↓を見た時は鳥肌が立ちました。そして、値札を見た瞬間……最高のホラーでした……。 一人称を繰り返す表現は楽だけど、徹底しないとダメですね。やはり客観的表現で文法を揃えたほうが私的には好きだし、書きやすい。……そろそろ話にムチャが出ています。笑ってください(涙)。その程度のヤツです(私が)。 長編を短くまとめる作業は思ったよりキツイ。しかし一度始めた以上――責任を全うすべきかと……過去作のリメイクは「やってみたはいいが…」感が強く、新鮮味がなくモチベーションが上がらないのが難点す。次作の構想も全て完成しているのに……みたいな。 ちなみに次の話はアパレル関係?の話。全て構想済み……早く書きたいけど……仕事が……。 今日のオススメ曲。↓ 千葉さ~ん…助けて……。 仙台貨物 ミクさんのオススメアルバム。すげーわ、この人たち。こちらは今話がオモロければ…ぽちっと、気軽に、頼みますっ!!……できれば感想も……。人気ブログランキング
2017.02.19
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――――― 彼が、私の鎖を解く。 体のあちこちに触れ、異変の有無を確かめる。 ……やがて彼は布を取り出し、そっと……私の体を拭き始めた。むず痒い気がしないでもないが、これは彼にとっては儀式みたいなものなのだろう。まあ、抵抗する気も起きないが。 彼は満足すると私を持ち上げ、丁寧に降ろし、足を開いて馬乗りになる。するなら早くしろ。私はそう思ったが、彼は少し焦らすように私を撫でる。コイツ…。 全ての儀式に満足したのだろう、彼が私の名を呼ぶ。偽りの名だ……しかし、この、あだ名なのか愛称なのかよくわからない、この名が――……私は嫌いではない。「……行こうか、エル」 私の創造主である、いわば神である人物の名から拝借したらしい――エル、これが私の名だ。 彼は――私のハンドルを固く握り、後方を確認し、ペダルに足を据え、ゆっくりと、力を込めて私を動かした。寸分の狂い無く力が伝わり――車輪が回る……いや、回してやっているのだ。この――変わり者で、頭のおかしい、バカな男のために……。 CF1――コルナゴ・フェラーリ。シリーズナンバー1。 それが――私が、私として生を受けた唯一にして絶対無二の、真の名である。 世界で初めてカーボンフレームを採用し、極限まで性能を高めたロードバイクの英雄たち。私はその中でもトップエリートである、フェラーリ社とのコラボモデル、CF1の名を持つ。神の名はエルネスト・コルナゴ、偉大なる父。 本来、こんな凡人、レースに出たのは高校生の時に数回だけという、どうしようもないヤツに使われるのは心外であり屈辱でもあった。だが――。「……やっぱりお前は最高だ」 彼がひとり、ペダルを踏みながら呟くのが聞こえた。 不思議な男だ……。私の言葉も、心も、何もかもが通じないくせに――このバカは……。――――― 準備は整った。女は満足げに頷いた。 後は――これらを彼に告げ、試練に臨む彼を――ただただ、見つめるだけだ。胸が躍る、それが自分でもわかる。もう、我慢できそうにない。 理不尽で、理解不能で、どうしようもない勝負を挑まれたら――彼は逃げ出すだろうか?わからない。そこまでは、誰にもわからない。……しかし、彼は受けるのだろう。ああ……。女は細く、美しい腕を肩に回した。自らの胸を抱き、彼の事を思った……。 あの日、通勤途中で自転車がパンクし、困り果てていた私を――あなたはイヤな顔ひとつせず、いとも簡単に応急処置を施し、名も名乗らず去って行った……。打算も情欲も無く、こんなにも優しく接してくれた男性は……彼だけだ。彼の顔を見つめるほど、知るほどに……他の、低俗で卑しくて下品な、そんな男どもとは何もかもが違う――純粋で、儚げで、どこか美しい……そう、まるで、雨の中に放り出された子供のような――悲しい瞳をした男だった。 好き? 女は女自身に問う。答えは……そう、なのかもしれなかった。そんな感情を異性に持つのは、実際、初めてのことだった。 ならば彼にも聞いてみよう。彼が、私の好意を受け取る、その資格があるのかどうかを。 尊大な考えだな、彼女は思った。――――― 何ともイヤな女だ――エルはそう感じた。 郊外にある大型のショッピングモールの一階にある、比較的小規模な自転車屋に、エルとエルの持ち主はいた。彼の仕事は自転車の修理と販売、社員は店長である彼ひとりとオーナーである中年の男だけ。エルは彼が仕事に従事している間は、円形のお立ち台の上に鎮座させられ、周囲はベルトのパーテーションで仕切られている。自慢のカーボンフレームは専用のホルダーで固定され、車輪には鎖も付いている。何とも窮屈な場所だ。 別に、私を客寄せに使うのは許せるが……しかしこの、『触らないで下さい』のプレートは何とかならないのか?なぜ手書きなんだ?エルはそう思っていたが、もちろん口には出せなかった。 事務所用の小部屋の中から声がする。「……残念ではありますが、テナント契約の延長は不可能、という結論に至りました」 女の口調は慇懃柔和な態度だが、どこか相手を小馬鹿にするような、何ともイヤな女だ。私も女の性別を与えられている。それらも関係しているのかもしれないが……。「そんなっ!毎月の賃貸料も、契約金も払っているじゃないか?話が違うっ!」 小部屋からオーナーの悲鳴じみた声が聞こえ、修理の作業を行っていた彼も、どこか心配そうに事務所を見た。オーナーという男の特徴は人柄の良さだけ、あの無能がここまで大きな声を出すとは……。「……半年前の通告はご覧になってますよね?」「……その時は、売上金の向上次第で再検討しますって、あの担当者が言っていたぞっ!」 無能が何を興奮しているのやら……まったく……。エルはあくびをした。口や喉といった器官は無いが、イメージとして体験はできる。「その担当者は半年前に退職しております。書面か何か――…それを証明することはできますか?」 本当にイヤな言い方をする……無能が哀れに思えてきた。徐々にオーナーの体から熱が引くのがわかる。声しか聞こえていなくても、エルにはそれが痛いほど伝わった。「……そんなものは、無い……だが、再検討はしてくれないか?売上だって去年より5%は上がっているっ!検討の余地くらいはあるはずだ。何ならここの社長さんにプレゼンしてもいい……頼みます……」 オーナーは頭を下げた。もはや立ち退きは既定路線だったのだ。エルは思った。 懇願など意味が無いだろ……。そう……そのはずだった。 だが――……、 この女は……、 こちらの予想を斜めに上回る――意味不明な提案を、した。「……この話は、私の独断で進めています。もし契約の延長を希望でしたら、ひとつ――……私の個人的願望を叶えてくれませんか?」「『は?』」オーナーとエルが同時に呟いた。最も、エルはイメージによる発言だが。「……あれを」 女はエルを指で示した。オーナーはまた「はあ?」とだけ繰り返した。 ……悪寒が走る。まさか……私の体が目的か?「……愛知県主催のアマチュア半島レースが近々あります。あれで――……」 女はアクリルの扉を開け、事務所を出た。オーナーも続く。「店長さん……」 女はどこか艶っぽい口調で彼を呼び、修理中の自転車の横にしゃがみ込み、ゆっくりと口を開いた。「CF1で、そのレースに参加して下さい」「……はあぁっ??」彼は悲鳴に近い――驚愕の声を上げた。―――――『どうしてっ、どうして、どうしてだっ!』 大会へのエントリーを済ませた後の帰り道、エルは執拗に彼を責めた。 理解できなかった。こんな、素人に毛が生えただけのようなトロい男が……レースだと?バカげてるっ!負けると確定しているような大会に、なぜ出場する価値があるのだ、私は晒し者になるなど死んでもゴメンだ。『あの無能に気を使ったのか?あの女に色目を使われたからか?私の立場も考えろっ!』 私のような、最強最高のバイクを使って惨敗するなど、愚の骨頂もイイトコだ……。『バカ野郎っ!死ねっ!どうすんだっ!腹を切れっ!』 似たような罵声を繰り返し、繰り返し彼に浴びせ続けた。クソッ、コイツ……。 エルの声が届いていたのか、いないのか……ペダルを踏みながら、彼は呟いた。「……ごめんな、エル。俺は、何か知らないけどさ、走ってみたくなったんだ……キミと」『……』 坂道に入り、ペダルを踏む力に強弱が入る。「……確かめたいんだ……俺に、キミに、乗る資格があるのか、どうか、さ……」『……』 エルは思い出していた。あの――、嫌味で陰険な女の出した条件、そして理由を。1、愛知県主催のアマチュアロードレース大会への出場。2、成績は3位以内が目標。3、CF1を必ず使用すること。4、ゼッケン、及び着用ヘルメット・パンツに当社モール街の広告を貼ること。 1、2、3、4の条件を全てクリアすれば、テナント契約は延長の方向で社長に進言すること。 なぜ、そんな提案をしたのか……理由は、大会はローカルではあるがテレビ中継されること。成績上位に入れば宣伝広告にも繋がり、モール全体の活性化を図れること。個人的には、ロードレースに非常に興味があること……。 以上が、女がオーナーに出した提案の全てであり、そして、彼にはもうひとつ……。『……忘れたのか?』 女が提案した最後の条件……もし、彼がそのことを忘れていたとしたら? 私は……たとえ杞憂だと知っていても、不安になる。不安になるよ……。 坂道を抜け、平坦な直線に入る――不意に、彼は、カーボンが溶けそうなほどに、熱く、エルのハンドルを固く握り締めた。同時に、力強い圧がペダルに込められ――チェーンが勢いよく回る……。「エル……お前は俺のものだ。誰にもっ、絶対にっ、渡してたまるもんかっ!!」 ――タイヤが嬉しそうに回転する……。私は……。《敗北、つまり失敗した場合、当然――あなたにもペナルティを受けてもらいます。 そうですね……ソレを、適正価格で私が買い取ります――》 エルはあの女の言葉を思い出した。怒りが湧く。どうしようもないほどの怒りが。私が人間であれば、容赦なく殴り、張り倒してしまいたくなるほどの、怒り。 彼から私を取り上げるという事、それはつまり――私から彼を取り上げるという事と同義だ。 ……クソッ、あの女の真意がわからない。だが、しかし……何だ?この苛立ちは……。 絶対に勝たねばならない……そう。レースという神聖な競技を汚すような、どんな手を使っても、何が何でも、何をしてでも勝つ、そう決めたのだ。 たとえ今後――、彼に嫌われて、忌み、恨まれようとも……絶対にだっ……。 エルは、彼と同じように――理由は多少違うかもしれないが、ようやく、覚悟を決めた。 いいだろう……、あの女の遊びにつき合ってやろうじゃないか、くそ野郎っ! ――――― パートbに続きます。 すいません。言い訳ばっかりです。 三部構成?にしました。調整後、アプします。 忙しくて、全然書く時間なくて……再度編集しなおすかも……。 高2の時に書いた長編自作の焼き直しです。当時のコレは某大手の新人賞に応募しましたが、佳作入選であっけなく終了。悔しい、というよりしゃーないなという感想。厨二病的すぎたかな? 人物造形は後出しジャンケン感が強く、個性ゼロの極端な人物ばかり……メモを何枚破り捨てたか記憶にありません。 ネタは面白いと思いましたが、いかんせん、ストーリー展開に無理が出てメチャクチャ。後に引けなくなり……無理くり終了させるという悪手を打つ当時の私……はあ……へえぇぇ……。 言うまでもなく、実在の人物・個人・製品名とは関係なしのフィクションです。検索されて質問されても困りますのであしからず。 あとがきもbに続きます。 本日のオススメ曲 ↓ 隠れた名曲として割と有名らしい。Local Busさんは本当に美しい曲が多い。 桜見丘 May'nさん↓ ダイナミックな歌声かつ、独特な歌詞を違和感無く歌い上げる猛者。オススメ。 こちらは今話がオモロければ…ぽちっと、気軽に、頼みますっ!!……できれば感想も……。人気ブログランキング
2017.02.17
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――――― 午後23時――。 陸橋の上に誰かが立っているのが見える。男性のようだ。 最初――彼女はそれを見かけた時、ただ陸橋の上を歩いているだけの人かと思い、すぐに視線を外し、いつものようにランニングを継続させた。 だが――瞬間、誰かは、唐突に、高さ15m以上はあろうかという高さから、飛び降りた。「えっ?ええっ?」 頭の中が真っ白になり、全身が総毛だった。 次の瞬間――何かがコンクリートの上に激突し、パァンッ!!と、まるで映画で聞くような銃の発砲音が聞こえた。「ひっ」 思わず身を引き、息を飲んで様子を見た。 微かに男性が動いているのがわかる。彼女は「ああっ!」と叫ぶと我を取り戻し、駆け足で男性に近寄った。 血だまりが広がる地面の上で、男性は無残な姿を晒していた。片腕と両足は折れ曲がり、肘と膝から骨の先端が飛び出している。全身から出血しているように見え、顔は地面に伏せていて見えない。唯一傷の無いように見える右手だけがピクピクと動き、アスファルトを血の滲む指で掻いていた。 猛烈な吐き気に耐え、「だ、大丈夫ですかっ?」と言って男性を抱き起す。動かさない方が良いとは思うが、うつ伏せよりは良いはずだと信じて。「しっかりして下さいっ!!しっかりして下さいっ!!」 ポケットからスマホを取り出し、液晶を起動させる。 青白い街頭が男性の顔を照らす。しかし顔面は血に塗れて赤黒く、目や鼻の区別すら困難だった。「どうして?……何で?……」 その時、男性が口を開いた。虚ろな目で彼女を見る。「…………ここ……は……どこ……だ?……」 救急への電話マークを押しながら、彼女は、「大丈夫ですからっ!!大丈夫ですよっ!!」と繰り返した。 男性は口からゴボリと血を流しながら、呟いた。「……ここは……ふ……じ………じゃ、な、い……」 えっ??何か言ったの??――救急の担当との通話中、男性は微かに何かを呟いた。 現在地と大まかな様態を緊急隊員に伝え、これから彼らの指示に従って応急手当をするはずだった。 そこで――……男性の体から全ての力が消えた。触れているだけで彼女にはわかった。男性がそこで息絶えたのが、彼女にははっきりとわかった。そして――男性が最後に告げた言葉も、彼女にははっきりと聞こえていた。『ここは富士山じゃない。俺はそこで死のうと思ったのに。何で、俺は、こんなところで……』――――― 翌日、午後22時――。 すでに路面は清掃され、男性が飛び降り自殺をした痕跡など一切が消えていた。こんな場所にはもう二度と来る気は無かった。別のランニングのコースもあるし、何よりも、そう…怖かった……しかし……。 昨日は警察の調書につき合わされ、睡眠もロクに取れぬまま出勤した。体調不良を理由に早退させてはもらったが、いてもたっても落ち着かない……原因はわかっていた。『こんなところで死ぬつもりは無かった……』 男が最後に告げた言葉が心にひっかかり、彼女はもう一度だけ足を運ぶ事に決めた。 別に探偵ごっこに興じるつもりは無い。また、なぜ助けられなかった、だとかの罪悪感は毛頭無かった。ただ気になっただけだ。この場所には何かがある、とだけ感じた。 彼女は生来、霊感が強いほうだとは思っていた。霊だとか妖怪だとかの存在は別に否定はしないが、肯定もしなかった。ただ見た場所、感じた場所に、何らかの未知のエネルギーが存在する事だけは理解していた。著名な神社仏閣に足を運ぶと、そこでエネルギーの強弱を感じる事が出来た。それは普通の、自分が普通の人間だと自覚している者が説明する、例えば……悪い予感、そんなものが強く心にひっかかる。 自宅から持参した懐中電灯のスイッチを入れる。LEDの無機質な光が辺りを照らす。 名古屋市へと通ずる周辺自治体、ベッドタウンからの幹線道路が架かる、とある地区のとある陸橋、その高架下に、彼女は立っていた。周辺は全て水田であり、建築物は一切無く、片側一車線の道路が伸びていた。 昨日、男性が飛び降りたのはちょうど道路と交差するアスファルト舗装の中心線付近。 この場に到着してから数分、交通する車両は皆無だった。 彼女は唇をなめた。ここに何かがあるのは間違いなかった。ひんやりとした冷気が背筋に走る。 何かあるはずだ。何か……そう、思いついたのは、アレ……。 彼女は昼間、早退したまま図書館へと向かい、そして、この場所を改めて調べていた――。 ライトを当てる。そこに――それがあった。 祠――そう。それは相当に古い、小さな犬小屋のような祠だった。 彼女はゆっくりと歩を進め、祠に近づいた。そこで初めて、すぐ横に電柱が立っており、街頭が灯っているのを確認した。ライトの光量をしぼりつつ、中をのぞき込んだ。 彼女は思い出した。正確には、地元の郷土史を頭の中で反芻した。 かつてこの水田地帯には狐塚があり、お稲荷様の像があった事。陸橋の建設工事に伴い、そこから移設された事。お稲荷様の特徴、伝承、伝説……導き出された答えは……。「……どうして私がここに来たか、教えてやろうか?」 彼女はひとり、呟いた。 自分のしている事――自分がこれから、この狐の石像に何かを話す事――……。 それら到底、誰からも理解されはしないだろう。 何の意味も無いこと、なのかもしれなかった。だが、彼女にはそうしなければならない理由はあった。それは……どうしても……。 眼前の稲荷像に向けて、再び言葉を発しようと口を開いた、次の瞬間――。 あああっ!!! 心の声が、叫びをあげる。 何かとてつもなく不吉で、とてもおぞましい、忌まわしいものが――彼女の背後から感じられた。 恐る恐る背後を振り向く。陸橋の照明灯がいくつも見える。 薄い光の中で、細い女の体が、宙に舞う。 肉が地面に叩きつけられる、あの、あの衝撃音を……彼女はまたも耳にした。 同時に――どこかで、楽しげな、ケダモノの、鳴き声を聞いた。――――― 翌日、午後22時30分――。 彼女はまたひとり、祠の前に立った。本当は昼間に来たかったのだけど、《狐》は夜行性だから、という理由で昨日も今日も同じ深夜に訪れた。稲荷様に気を使う、それが少しだけ可笑しかった。もちろん、笑顔など絶対に見せはしないけど。 ……ひとつ、はっきりとさせたい。 彼女は言った。「私は別に正義感ぶるつもりは無いし、死にたがるバカを助けようだなんて思わない。バカなヤツは女も男も大嫌いだ……ねえ、聞いてる?」 返事が来るとは思ってもいないので、彼女は続けた。「昼間、一応、いろんな人に頼んだわ。警察・病院・友達……みんな結構真剣に話を聞いてくれたんだけどね……ダメだね。この近くに一緒に来たら、みんな帰っちゃった」 そう。彼女が頼ろうとした人々は、別に彼女を疑っていたわけでは無かった。 誰もが真剣に彼女の話を聞き、彼女に協力しようと動いた人々がいた。しかし、この陸橋の近くに来た瞬間、誰もが彼女の話を忘れ、呆けたような表情をし、「何だかわからないけど、帰ろうか」と言った。「稲荷神……水の神であり、田の神。反面――いたずら好きな神様であり、人心を惑わす事もある、か……さすがだね」 当然、返答は無い。まあ、別に何も期待しちゃいないんだけどね。 彼女は指で陸橋を示し、続けた。「……今、あの陸橋の上、誰かが歩いてるんじゃない?……車かもしれないけど、たぶん、自殺願望のある人が…さ」 彼女は、ふぅ、と溜め息をついた。そして、決意したかのように、腕の袖をまくった。白く細い腕と、細い指の連なる手の甲が露出する。やがて膝を屈すると、頭を下げた。「私があなた様、稲荷大明神ゆかりの方に、お願いするなど、ふ、不敬の極みでございますが、どうか、お願いしたい事がございます……」 我ながらふざけた言い回しだ、と思いつつ立ち上がる。辺りに誰もいないことを確認し、目を見開き、息を大きく吸い、心の中で気合を入れ直し――彼女は叫んだ。「死にたいヤツを殺すのをっ、金輪際ヤメろっ!!死にたいヤツにはっ、死に場所くらい選ばせろっ!!」 彼女は―― これまで誰にも見せてこなかった――掌の中央から肘にかけての傷、リストカットなどという生ぬるいものではない。刃物で切り裂き、死のうとした、自身の自殺の痕跡を、石像の前に突き出した。 どうせ死ぬから殺してもいい。なら、ここで飛び降りて楽しませろ。 そんな考えを、断固として、認める訳にはいかなかった。 神様だからって……絶対に、絶対にっ、許せる所業ではなかった。 その日も、その数日後も、その数年後も、その陸橋では何の事故も自殺も無く、平和で安全な交通が流れていた。高架下では今でも街道が通っており、周辺では美しい水田が広がっている。 水田の傍には祠があり、お稲荷様の石像が建立されている。像の手前には定期的に地元住民がお供え物をしていた。油揚げやお菓子、米や餅が供えられていた。その中でひとつ、奇妙な小瓶があった。牛乳瓶程度の大きさで蓋もきちんとしてある。中央には針で開けた穴が空いていた。 誰がお供えしているのか? 地元の住民は不思議に思ったが、別に不審だとは思わなかった。特に危険物ではなさそうに見えるし、水田では毎年のように豊作が続いている。誰も小瓶の中身などには興味も無く、せいぜい酒か水、そんな認識しか持たなかった。「……新しい市長が都市開発を進めるって話、聞いた?ここもいつまでも水田じゃいられないかもね?……そろそろ勘弁してあげましょうか?もうイタズラは、やめる?」 彼女は優しげに問うと、像の手前の小瓶を取り上げた。中身はまだ少しだけ残っている。 彼女の飼う犬の小便……オシッコが入った小瓶を――。 了 どんなヤツでも弱点てありますよね(笑)……しかし、ちょっと適当すぎたな、この話。句読点が多くて読みにくいかな??いつか気が向いたら修正しマス。 名駅地下でミソカツ定食を食べながら構想。書きは7時間!!腰イタイ…。添削校正無し。ブラッシュアップすると1日仕事になってしまう……どうにも時間が無いス……。 シマらない文章ですいません。アドバイス・感想あればぜひ、コメント頼みます!! 話と全然関係ないけど、今日のオススメ曲はコレ↓ 青春ス。 また君に番号を聞けなかった 情緒あふれる歌声にシビれる。買ってしまった……。オススメでっす↓↑Aimer(エメ)さん。試聴だけでも価値ありますよマジで。こちらは今話がオモロければ…ぽちっと、気軽に、頼みますっ!!……できれば感想も……。人気ブログランキング
2017.02.11
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――――― 思えば――ここ最近はロクでもない事ばかりが続いているような気がする。 建物を出た瞬間、彼は深い溜め息を吐き、駐車場の隅にある自身の車に乗り込んだ。スターターを押し、やかましい排気音を聞きながら、彼はまた息を吐いた。俺は営業担当だ、文句ならSEに言えよ……。 施工業者のミスから排気ダクトが故障し、「新規開店なのにどうしてくれるんだ」とか「縁起が悪い」だとかで顧客に呼び出され、こっぴどくクレームを言われた後だった。2年間は保全期間内である事、早急に業者を呼び修理を行う事を伝え、謝罪し、自社メーカーの他の設備も総じて再点検を行い……今、やっと解放された。 速度メーター脇の時計を見る。深夜遅く、というよりもう夜明けに近い午前5時だった。運悪く、営業用のバネットは全車出払っており、仕方なく自家用車での出張対応になった。ガソリンのメーターが若干目減りしているように見え、彼は小さな舌打ちをした。ツイてねえな。シャツが汗で濡れ、顔は油脂で気持ち悪い。上司からのメールでは『施工の業者から連絡があった、即日に対応できるとの事。まあ明日の出勤は午後からでいい、報告書は夕方までに提出すれば問題ない。お疲れサン』とあった。正直、ありがたい。 ……せっかく昼出勤にしてもらえたのだ、とりあえず自宅でシャワーとメシと仮眠が欲しい。彼はアクセルを踏んだ。――――― 信号が黄色から赤に変わる。ブレーキを踏み、停車する。 アイドリングの際の排気音が、ラジオを超えて耳に届く。うるせえな……。 この車を買ったのはつい先々月――支払いを済ませ、納車が終わったのが20日前。友人が家族で経営する中古車屋で紹介された、格安のセダンだった。価格以外特に気に入った特徴もなく、ありふれた大衆車。日本中どこでも見かける事ができ、どこにでも売っている車種である。しかし……。 信号が青に変わり、アクセルを踏む。『しゅっぱーつ』 これだ。 最近、彼を悩ますストレスの原因が、今また現れた。「黙ってろよ……」 二言とも、彼の独り言であった。そう。彼がこの車に乗ってからというものの、独り言の数が異常に増えたのだ。それも乗車中に限定されての事である。社用車では無い。会社への出退勤、自家用車を運転する時でのみ、彼は独り言を頻繁に呟いた。呟きは時に笑い、時に悲しみ、時に怒った口調で……とにかくその数が異常であること、無意識化での言動という事はわかっていた。『だいじょぉーぶ?』 彼はまた呟いた。まるで唇と会話をしているような気さえした。仕方なく、内心を吐露するようにひとり……言葉を発した。「精神科に行こうか?ん……今は心療内科か?誰かに相談する事でも無いような有るような……やはりストレスが原因、なんだろうなあ……はあ……疲れる。それにしても、眠いし……眠い……」 夜通しで設備の点検を行ったため、実質不眠で働いたようなものだ。かれこれ24時間以上は起きている。普段から慢性的な睡眠不足とはいえ、さすがに眠い。 まばたきを繰り返していたその時――彼は突如として、驚きに襲われる。「――やばいっ!!」 アクセルから足を外し、すぐさまブレーキを踏み込む。ヘッドライトの視界の外、朝闇の内側から、何かの小動物――猫が飛び込んで来たのだ。『ひいちゃえ』 心にも思っていないことを、彼は平然と、ごく自然に呟いた。 嘘……だろ? 驚愕の末――その言葉は、その通りの結果になった。――――― 人生最悪の日だ。明け方、無人のコイン洗車場の片隅で、彼は思った。 震える両手でノズルを操り、高圧の水を車の底面めがけて噴射する。落ちていたブラシを拾ってタイヤの裏をこすると、水に混じってピンク色の液体が滴り落ちた。彼はそれをなるべく視界に入れぬよう、必死にブラシをタイヤに当てた。クソッ……何て日だ……ちくしょう。 おそらく、猫は車のグリル部分に衝突し、そのままタイヤに巻き込まれるような形で踏み潰された。骨を砕く衝撃が車体に伝わり、今も男の腕の中に残っている。散々な日だ。 再び車に乗り込み、車載の時計に目をやる。時間は既に朝の7時を回っていた。 帰社するだけならばもう着いていても良いのだが、彼の自宅は出先とは逆方向だったため、もう少しだけ移動しなければならない。 スターターを押し、気を入れ直して出発する。……心身共にぐちゃぐちゃだ。 もうこんな車乗ってられない。次の休み、アイツに相談しよう。安価につられて買ったはいいが、こんなメに遭うならば早々に買い替えるべきだ。手数料でも払えばアイツも納得してくれるだろう……。 信号待ちの間にスマホをいじり、簡単なメールを作成、アイツへ宛てて送信する。《朝からゴメン。起きたら電話くれ。車の事で相談がある》――申し訳ない気持ちが無いわけではないが……これ以上の疲弊は避けたい。もし車を変えても問題が起こるような、諦めて病院へ行こう。 幹線から住宅街の区画へ入る。自宅は近い。もう少しか……。 彼がそう思った矢先――また呟いた。『でんわ、でんわ、でんわ』 もはや慣れつつある独り言ではあったが、何か心にひっかかる気がして、助手席に置いたスマホを手に取り――瞬時に目をやる。 着信等の動きは無い……。 しかし……。 えっ? その何も映っていない液晶で、何か、何かの影が、蠢いた。 子供――そう。それは異様ななまでに表情の無い、6、7歳ぐらいの子供の顔だった。子供は液晶の画面いっぱいに顔をさらし、大きな瞳で彼を見つめた。「うわっ!」助手席にスマホを放り投げながら、彼は小さな悲鳴を上げた。それに応えるかのように自分の口が開いた。もちろん、それは自分の意志ではなかった。『でんわ、きてるよ。でれる?でれない?』 瞬間、彼は気がついた。 液晶に光が灯り、着信を教える名前が浮かんだ。先ほどメールを送った、友人の名が表示される。 手に取ろうと腕を伸ばす。だが、腕が動かない。不思議だった。ハンドルから手を放すことが出来なくなっていた。『ねえ、これ押していい?』 また呟いた。同時に手に力が戻り、スマホを手にする。だが、今度は指先に力が入らない。 違う……これは……。 次第に込み上げる恐怖に耐え、彼は前を見据え運転を続けた……続けざるをえなかった。 ………嘘だ……俺の、俺の体が動かない!!『これかなあ、このボタン、押しちゃうね』 自分で声を発し、自分で押したスマホのボタンは《スピーカー》と《留守録》のボタンらしかった。ラジオの音声はいつの間にか止まっており、若い男の声が響いた。『もしもーし、運転中か?』と言った。『例の車の件だけど、あれ用意したのもこっちの不手際でさあー、今お前が乗ってる車さ、アレ、事故車なんだよねー、悪かったね。しかも結構ヤバイ事故起こした車でさー、ほら、オヤジも最近まで海外旅行行ってたじゃん?車の詳細までわかんなくてさー、ほんと悪いケド、車ウチに持ってきてくんない?あれ廃車予定なんだわ。イイ車安く準備しとくからさー、金ももちろん返すからさ、な?とりあえず電話くれな?んじゃあな、よろしくー』「ふざけんな!!」彼がそう叫んだと同時に、電話は切れてしまった。 事故車だって?それもヤバイ事故って事は……。 強烈な恐怖が尿意となって、彼の股間を濡らした。手足も思うように動かない。 また何かを呟く予感がし、唇が震える。『ぼくたち、この車にひかれたの』 一瞬、頭の中が真っ白になった。直後に、車を降りようと必死に体を動かした。しかし、右足はアクセルを踏んだままピクリとも動かせない……何か生暖かいものが手足を挟み、重く、動けない……それは、まるで――子供が大人とじゃれ合い、まとわりつくような……。「助けてっ! 助けてくれっ!!」 彼は叫び声を上げた。これは夢かっ?こんな事があるはずがないっ!! 車は徐々にスピードを増し、あっという間に自宅の前を通り過ぎる。 恐怖に震えながら絶叫を繰り返す。心臓が高まり、喉がカラカラに乾く。声を止めた刹那――彼はまた呟いた。『がっこういこ、がっこういこ』 ……どうして……何が……子供?……ひかれた? 考えがうまくまとまらない。呼吸すらまともにできない。 ……この車に?……ぼく、たち?……たち?……まさか?『みんなひこ、みんなひいちゃお』 彼がそう呟くのを、彼自身がそう聞いた……。 午前7時45分――。 住宅街の外れには、かつて彼が通っていた小学校の正門が見えた。多くの児童が通学に集まり、門の内側へと消えていく。「……どうして俺がこんな目に……」数秒後、確実に起こるであろう惨事を前に、彼は無意識のうちにそう呟いた。「……どうして俺がこんな目に……」 児童たちの列は目の前に迫っていた。排気音が轟き、車体が宙に浮かぶほどのスピードを出す。 大声で助けを叫ぶ女がいた。 子供を抱えて建物に入ろうとする若い男がいた。 スマホで写真を撮ろうとする中学生がいた。 ちくしょうっ……何で俺が、何で俺が?……どうして?」 激しい怒りと憎しみの中で、彼は、自分に車を売りつけた、あの幼馴染みの顔を思い出した。どうして俺がこんなメに……それもこれも全部、あの野郎がこんなポンコツを俺に売りつけたせいだ!!と思った。 この子供たちもおそらく、今の自分かそれ以上の怒りや憎しみを持っている。憎悪の対象が生者であれば、幸せな者であれば、それだけで憎いのだ……誰かを利用してでも、何かを利用してでも憎む……それが俺であり、この車であったのだ……そして彼は、こうなった全ての怒りと憎しみを誰かにぶつけなくては気が済まなかった……許せない……許すことなど絶対にできやしない。 彼はこの事態が決着した後、友人とその家族に会いに行く事に決めた。 許さねえ。必ず自身と同じ恐怖を味合わせ、絶望と共になぶり殺す――たとえ自分が死んだとしても、そう……そう決めたのだ。 不意に、シートベルトがカチンと外れる。子供たちの誰かが外してくれたのだろうか?まあいい。これで心おきなく、殺しに行ける……。ドロドロとした黒い欲望が湧くのがわかる。 最後の瞬間――、何人もの児童が連なる列に車を突っ込み――跳ね飛ばされる人々を見ながら、ふと、彼は何か、何か得体の知れぬ気配を感じ、ルームミラーに視線を向けた。すると、そこには……。『ニャァァァァァァァ……ニャァァァァァァ……』 無表情で、猫の声を発する自分。『ニャァァァァァァァ……ニャァァァァァァ……』 後ろの席では、子供たちが満面の笑みで、大きな猫を抱えていた………。 ……そうか、ベルトを外してくれたのは、オマエかよ………。 了 今日のオススメはコレ。話には関係ないけど、コレを直前に聞いていれば『彼』の運命は違ったかも。 たいしたこだわりも無く英語タイトル(車ネタだけに…)。 営業の帰りに後輩に運転させて、眠ったフリして構想を考えたテンプレもの(笑)。特にひねりも無く普通の話(世にも奇妙な物語で似た回があったかも)。構想は半日、書きは4時間。添削・校正無し。ブラッシュアップする時間が無い……。整合性に欠けてる、ちょいヒドい。 何かアトバイスあれば、ぜひぜひコメント下さい。↑いろいろあったけど、やはり天才。即ポチ買いィィィ。
2017.02.07
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――――― 薄暗い路地裏の片隅で、若い3人の男が涙を流してうずくまっていた。誰もが顔を赤く腫らし、口からは血を吐き、1人は完全に気絶していた。残った2人は両手を合わせ、目の前の男に許しを乞いていた。「……もうこの街には来ねえ、だから、その…勘弁してくれ……」 品性を感じないその喋り方からも、若者たちの育ちの悪さを想像させた。「……うちのシマでイカサマをするとどうなるか、知らないわけは無いよな?」 男は冷酷な口調で言い放ち、手に持つナイフで若者の耳を切り裂いた。悲痛な叫びがこだまする……。 男の仲間が経営する賭博場で、イカサマが発覚したという通報があった。呼び出された男は報告のあった若者たち3人を路地へ連れ込み、ひたすらに制裁を繰り返した。ナイフで足の健を切り、腹を蹴り上げ、顔面を殴り続けた。そうなった経緯も全てはイカサマを行った若者たちの責任ではあるが……男は内心、どうでもいいとさえ思っていた。めんどくせえ……。 疲れていた。自身の心が疲弊しているのが、痛いほど感じられていた。 この後この若者たちから金品を巻き上げ、身分証を預かり、賭博のペナルティ分の支払いを強制――。そこまでしてようやく、男は家に帰ることができるのだ。とても面倒で、とても後味の悪い仕事。 男はマフィアの構成員だった。仕事はいたってシンプルだ。組織の関わる賭博場・風俗店・銃砲店・麻薬工場などで騒ぎがあった場合それを治め、口止め代わりに売り上げの数パーセントをふんだくる。そうして集めた金を組織へ上納し、改めて男の報酬へと降りてくる。危険と暴力に見合うだけの報酬かと問われれば、男はこう答えるだろう。「…最悪だ」 この広いスラムの街では金と力が全て。シンプルで合理的だとは思う。しかし、その単純さ故にバカが湧くのを止められないのもまた問題だ。この若者たちもそうだ。金と力の誘惑に惑わされ、働くという普通の選択肢を選べない人生……それを力で押し返そうとする俺も、クソみたいな人間だ。 うんざりだ。こんな街にはうんざりだ。若者たちから巻き上げた金を数えながら、男は思った。――――― 男には恋人がいた。名はベス。青い瞳に黒い髪を持つ、内気な性格の女だ。「おかえりなさい。今日は遅かったわね……」 ベスは男の頬にキスをし、「ちょっと聞いて」と言って男の手を握った。まるでダンスを踊るかのように廊下を抜けると、ベスは囁くように歌を口ずさんだ。「……新曲かい?」 男は尋ね、ベスは満面の笑みで首を縦に振る。 ベスには夢があった。作曲家、作詞家、歌手――とにかく音楽に携わる仕事に就きたい。そのためにも外国の有名な都市へ移り住みたい。そんな夢を持っていた。そんな夢を持つベスを、男は心から愛していた。結婚も誓い合っていた。生涯守ると約束した。ベスの夢を叶えてやりたい、男の望みはそれだけだった。他に何もいらないとさえ思っていた。「……いい曲だ。それに歌詞もいい……店に出したら、きっと売れるよ」 世辞ではない。ベスには音楽の才能がある。だからこそ悔しかった。金なら少しは蓄えもある、2人で外国へ行ってもしばらくは食っていける。しかし……。「愛してるわ」 ベスが言う。男も「愛している」と告げ、互いの唇を深く重ねる。愛している。心からそう思う。心からそう思うからこそ、男も決断を鈍らせていた。『女と外国へ行く、だから組織を抜ける』こんな世迷言をボスの前で抜かせば、間違いなく俺は始末される。口封じのためだ、ボスは平然とベスも殺してしまうだろう。最悪の結果になるのは火を見るよりも明らかだ……だが、どうしても……。 ベスから唇を離した瞬間――部屋の電話が鳴った。――――― 男は駅のロビーでベスが来るのを待っていた。 つい先刻、男はある人物との最後の密会を済ませていた。『報酬だ』と言われ手渡された書類をバックから取り出し確認する。多額の現金とは別に、パスポートと身分証の中身を見る。自分が偽造したわけではないパスポートを念入りに読み、暗記する。そこには男自身とは違う、名前も年齢も血液型も住所も異なる別人の情報が記載されていた。唯一の共通点は顔写真くらいだが、その完成度は男の知る偽造品とは別物だった。 「……これでようやく、終わる」 いや、始まるのだ。俺の人生は今からやっとスタートできる……。 そう。男はある人物と取引をした。組織の内部情報をリークすることで得る、自由。その人物は自分を警察関係と名乗ったが、男にとってはどうでもいい話だ。もはや確認する手段も無ければ、興味も無かった。ただ、絶対にバレない場所での密会を数度繰り返し、証拠を添えて教えただけだ。組織の構成・メンバーの詳細・街の各所にある秘密の倉庫とアジトの場所・麻薬の取引場所・警察幹部との癒着・癒着した警察官の名前・組織が殺害したと思われる死体の廃棄場……。 これまで隠してきた組織の秘密を全て話し、男の取引は成立した。護身のために用意した銃も、結局は使わずじまいだった事に、男は深く安堵した。 ベスには一足先に国境沿いのホテルで待機してもらい、今日――2人で国を出る。 生まれた故郷を捨てる事に迷いは無い。迷うのは故郷を愛しているか、否か、ただそれだけの違いであり、男は当然―後者である。愛しているのはベスただひとりであり、他は全てが有象無象だ。もし何かを忘れている事があるとすれば――……それは――……。「探したよ」 突然――背後から聞き覚えのある、男性の低いダミ声が囁いた。瞬間的に恐怖が体を支配し、背後を振り返る事ができない。「うっ……」うなじに訪れた一瞬の痛みの後――男の意識が遠のいた。 恐怖だ。男が忘れていた、絶対の恐怖。 自由への渇望が、恐怖からの鎖を緩ませていた……畜生、わかっていたハズなのに…………。――――― まどろみの中、男は覚醒した。目が自然と覚める、という訳でない事はすぐに理解した。寒く、服が濡れている……どうやら水を浴びさせられたようだ。「……知っていると思うが、俺は忙しい。お前に構っている時間も無いし、始末する案件も多い。お前が俺にしでかした事は、そいつがもう吐いたしな」 男性の低いダミ声が、薄暗い倉庫の壁に反響する。その声の持ち主は、男が最も忘れてはならない者――ボスのものだ。 男は冷たい鉄板の上で横たわり、手足はロープと手錠で縛られていた。顔を動かすと、近くの鉄柱にベスが見えた。ベスは鉄柱を抱くような姿勢で座り込み、両手にはやはり手錠がはめられていた。 ボスがそいつ、と呼んだそれを見る。頭部から脳漿が飛散し、全身に血の滲む穴が空いていた。一瞥して、それが銃器でハチの巣にされた事、死体であるという事、そして――先刻まで男と密会していた人物であると、男は悟った。「……ボス。今さら命乞いをする気はありません……」「あぁ?」 ボスは首を傾げ、一瞬躊躇するも、その先を言えとジェスチャーした。「俺はどう始末されようと構いません……しかし、そこにいる……彼女の命だけは…」 ボスはまた首を傾げ、今度は呆れたような口調で言った。「お前はこのクズ女にそこまでするほどのバカなのか?どこまでバカなンだ?このクズ女と、どう付き合えばそこまでのバカになれるンだ?」 ボスが何を言っているのか、男には理解できなかった。俺の事では無い。なぜ、ベスの事を?「……お前なあ、その女、お前の事ブチ殺すつもりだったンだぞ?……知らなかったのか?」 はあ?ベスが?俺を?殺す? ありえない。信じられるわけがない。「……嘘だろ?」男はそう呟き、ベスの姿に視線を向けた。ベスは目を見開いたまま、じっと床の一点を見つめていた。「……実を言うと、タレ込んだてめーの始末なんぞいつでもできる。問題はその女だ」「………」ベスは無言のまま顔を上げ、ボスを睨み付けた。「……そのクズは少なくとも3人、組織の男を殺してる。手口は簡単だ。娼婦かビッチに成りすましてウチの構成員に近づき、ヤッてる最中か最後に刃物でメッタ斬り。構成員の素性はメンバー間でも秘密が多いし、警察も組織も『マフィア関連の事件』で終わりだ」 ボスは胸ポケットから煙草を取り出し火を点けた――煙がゆっくりと天井へ上る。「ヤラれたヤツの情報をタレ流してたンだよ!てめーは!」 ボスの怒鳴り声が耳から脳へ、意識の深層へと突き刺さる。そんな……そんなバカな……。「サツから取引の話が来て、その女はしばらく雲隠れする事にでも決めたンだろ?その先で用済みのテメーなんぞ即始末だろーがっ! ……そんなハズが、ない。そんなハズが……ない……ないよな?「……ボス、聞いて下さい」「……黙れ、オメーらをどう殺すか考えてる」 どうすればいい?何を信じればいい?俺自身を、どう信じればいい? 男はベスに顔を向けた。 視線に気が付いたベスは、ただ、少しだけ、少しだけ、微笑んだ。 ベスは俺の事など愛してはいない……かもしれない。ただ利用されただけの男かもしれない。外国で殺されるかもしれない。だが、しかし、真実もある。男がベスを愛しているという、それだけは真実だ。 男は静かに、慎重に、深呼吸をし、そして言葉を選びながら、組織の長へ進言した。「ボス、彼女には才能があります。歌と音楽の才能です。組織の経営するパブやクラブでも、彼女はきっと役に立つはずです。芸能界や社交界での足かがり、きっかけとして、彼女を生かして働かせるという選択肢をっ!どうか、慈悲のある決断をっ!」 ガタガタと震えながら、男は最後まで言い切った。およそマフィアの構成員が吐くようなセリフではない。恥も外聞も無く、ただベスの命だけは救いたい。男の思いはそれだけだった。 ボスは微動だにせず、天井を見つめながらゆっくりと煙を吐いた。「一応、私からも伝えたいことがあるのですが、よろしいですか?」 思ったのとは違う方向からの声に男は驚きつつも、彼女の強い意志を感じて視線を送る。「やっと喋るのか?結局、お前の目的は何だったンだ?金か?」 男はそこで――これまでまるで聞いたことが無かった、ベスの、心の奥底からの声を――聞いた。「誰がっ!貴様らのような鬼畜の元でっ!働くわけがねえだろうがっ!パパとママを殺しっ!妹と私をレイプしてっ、そしてっ、それだけに飽き足らずっ!大事な、私の妹を殺したっ!!外道がっ!!外道がっ!!地獄に落ちろっ!お前ら全員っ、絶対に殺すっ!殺すっ!殺すっ!殺すぅ…………」 空気を切り裂くベスの絶叫は……激しい憤怒に呪われた女の絶叫は…… ついに最後まで発せられることは、無かった。 憎しみに染まる声を絶つ、一発の銃弾が、ベスの眼球を打ち抜いた。ベスは頭を大きくのけ反らせながら、そのまま元に戻ることなく、絶命した。 ボスは鼻息荒く、「気持ち悪い女だな」と吐き捨てた。「……そんな、ベス…。何で、何でだ?ボス……」「てめえの物差しで判断すンじゃねえ!!」 銃口が男に向けられ、そして火を放つ。「……それとな、お前の話でもあったけど、歌と音楽の才能だって?イイねえ、それ」 銃が火を放つ。「俺も興味あるのよ、歌」 銃が火を放つ。「だ、が、よおっ」 再度、銃が火を放つ。 びくりと男の背が反る。蟻に襲われた芋虫のように、男の体はビクビクと痙攣する。「俺が好きな歌姫様はなあっ、ジャパニーズボーカロイド!!って決めてンだよっ。このクソガキがっ!!」 銃弾の嵐が男の体へと打ち込まれる。彼の眉間・心臓・腹・股間・足、全身が血に塗れた。急激に意識が遠のき、視界全てが黒く沈む。「……GUMIさん、ミクさんたち、本当、あの子らの歌は素晴らしい……」 恍惚とした表情で、ボスが煙草に火を付ける。煙を吐く息遣いが静かに響く。 男にはもう何も見えない……。 何も感じない……。 死ぬ予感が、確信へと変わる………。 でも……最後にひとつだけ、ひとつだけ教えて欲しかった……。 ボスは煙草をもう一吸いすると、そのまま男の亡骸へと放り捨てた。「……ボカロは聞いてて楽しいぞお、人類最高の宝だ。クズ女の歌う歌よりずっとイイぞ」 ……違う、違う違う…。 俺が知りたいのは、俺が最後に聞きたい事は……。 ……ボーカ、ロイ…ド、って…何?…誰か、誰か教えてくれよ……。 了 電子の歌姫ことGUMIさんに捧げるショート。 構想1日、書き4時間。添削・校正やってません。ちょっと字数多くて食傷気味。 ……私の場合はラストからスタートを書く逆算スタイルですが、今回は珍しく最初から書きました。 ……誤解なきよう追伸しますが、これはあくまで『GUMIさんに捧げるショート』です。↑は先月購入CDです。GUMIさんはホント聞いてもらいたい。↓はお気に入りの曲のひとつです。GUMI&RINオリジナル LUVORATORRRRRY!こちらは今話がオモロければ…ぽちっと、気軽に、頼みますっ!!……できれば感想も……。人気ブログランキング
2017.02.03
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