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自転車置き場の屋根の下のコアシナガバチの巣が随分立派になってきた。たった一匹で作り始めて、今では10匹ほどいる。何でも最初に一匹だけで巣作りを始めるメスが、産卵するのは全部メスの働きバチだそうだ。その娘の働きバチと母バチが巣の世話をして、どんどん大きくなっていく。どんなシステムなのか翌年にオスのハチが生まれ、集団生活が本格化するらしい。こちらから巣をつついたり、巣の前でものを素早く動かしたりしない限り向こうから攻撃してくることはない。先日、直ぐ下を通った時に2~3匹が頭を攻撃しかかってたが、咄嗟にしゃがんで事なきを得た。社会性を持っている、ミツバチやスズメバチ・アシナガバチは巣を守る為に人を攻撃することはあるが、こちらから何もしなければ簡単にさされることは無い。どこまで大きくなるのか観察するにはいいけれど、自転車やバイクを出し入れする時に、チョット気をつける必要はある。我が家を選んでくれたと思えば可愛いもんだ。
2005.07.23
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依頼されていた「ステージ衣裳」が完成し、犬山までお届けに行ってきた。薬師如来の梵字をデザイン化して背中に大きく配し、山吹色・少し黄味がかった緑を基調にして裾に黒、片方の肩脇に赤をアクセント。色の重なりや構図の関係から、今回は「ローケツ染め」だけで表現した。 素材はやや厚みのある麻を使用することで、発色のよさと「切れ」を狙う。「楊柳」を使うことで、絞り染めと違って、ともすれば平板に成りがちなのを避けた。表面の変化が麻独特の「しわ」という欠点をを味に変えている。 結果的には満足のいくものとなり、依頼者にも気に入ってもらえたようだ。仕立て上がって、立体になるともっといい雰囲気が出るはずである。ステージで活躍する姿を早く見たいものだ。
2005.07.22
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皆さんは絞り染めに興味が有りますか?やってみたいと思っている人は結構多いと思います。もし「やってみたいけどやり方が分からない、習いに行くのも面倒」という方がありましたら、コメントください。日記上でレクチャーしようと思います。希望がなければやりませんので、是非にと思う方はその旨を書き込みしてみてください。あまり難しいことはここでは出来ませんが、そこそこの事は出来ると思います。基本がわかれば後は、数をこなすことで上手になっていきます。自分で表現したいことが出来るようになるまで、自分でやってみませんか?
2005.07.20
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アトリエプランギ 『サマーWAKUWAKU キャンペーン』 極細の麻糸で織ったのれん「透紋布」を抽選で一名様にプレゼントします。 チョット透け感のある涼しげな、高級な藍色の「麻のれん」です。 通常価格 21,000円 応募期間 7月20日~8月10日 ご応募お待ちしています。 http://www.e-hygge.com/file-a/tohmonfu.html
2005.07.19
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いつもの早朝ウォーキングで立ち寄る、大工の棟梁が青い「墨つぼ」を使っている。「墨つぼ」は材木に線を引いたりする時に使うもの。真綿に墨を含ませてあり、その中を車に巻きつけた糸を引っ張り通して墨を付け、端を固定して指ではじくと線が引ける。大工には必需品であるが、その名の通り「墨」色が普通。最近は西洋式なのか、形も違う黄色い粉が入っているものが売られてはいる。しかし旧来の墨つぼの形をしてて、中が青い色のものは初めて見た。聞くと、自分で考案したのだという。施主に、「何色ですみ付けるかね?」と聞いては楽しんでいるとか。オレンジでもグリーンでも何でもござれ。赤はきらいだからダメ、それ以外なら白でもいいんだと。『今日の二階は「青色」』、と建前の時など建材を仕分けるのにも都合がいい。「墨」の代わりに何が入っているのか、聞いた。答えは「チョーク」。チョークを粉にして水で練ってあるのだという。なるほどチョークならいろんな色が揃っている。学校の教室ではあまり見かけなくなったが、まだまだ色んなところに使われている。いいところに目をつけたもんだ。昔からの職人は、刃物は自分で研ぐし道具でも何でも、ないものは自分で作ってしまう。そういう習慣が有るから、必要が有ると直ぐにアイデアが浮かぶようだ。ドリルを固定して旋盤のように使い、角材を丸棒にしてしまう。また、解体した古い家の木目の詰んだいい檜の板があると、自分で集成材にリメイクしてうまく使う。工夫することで市販のものより格段に優れたものが、自分の手によって生まれていく。いつもそのアイデアに驚かされる。
2005.07.14
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「先ず身辺から初めよ。目が進めば手が進むのだ。手が進むから目が進むのではない。学校は技術を教える。教えられることには限度がある。大切なことは教えられない。 画家 中川 一政実際、制作の現場から離れていても、不思議と実力は上がっているものです。目が肥えるだけでなく、様々な経験が人間の厚みを増すのでしょう。ものを表現するということは、その人の全人格がそうさせる訳ですから、人間の中身が変われば当然作品も変わってきます。子育てのために絵筆を握れない、と焦る必要はないのです。子育てから得る大きな力が、テクニック以上のものを必ず与えてくれるはずです。心を傾けて一所懸命にそれをする事が大切なんだと思う。
2005.07.10
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「道を歩いている限り、発見は乏しい。或は貧弱な発見に狂喜しているに過ぎない。道が人の行動を規制しているように、私達の思考も道から多くの規制を受けている。」 串田 孫一道から外れることは常識から外れること。みんなが正しいと思っていることの中には、新しい何かは存在しない。人の行かない常識から外れたところにこそ、宝物が落ちているんだと。常識なんかクソ喰らえ、という生き方こそ人生の醍醐味なんだということ。
2005.07.08
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「私心を去って、素直にそう欲するならば、心に描いた夢は必ず実現するものである。どうしても二階に上がりたいという熱意は、ハシゴを思いつかせる。どうでもよい人にはハシゴは生まれない。才能がハシゴを作るのではなく、人間の熱意だ。」 松下 幸之助様々な人が同じようなことを言っている。夢を実現できた人は、決して諦めなかった人。どれだけその思いが強いか、その人にとってどれだけ重要なことか。実現できない願いは、ただの希望であって切実な願望ではない事が多い。絶対そうなるという思いを、如何に持つか。小さな欲を捨てて、唯一つの願望だけに絞って一心に努力する。これしかない。
2005.07.07
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「芸術家というものは、自分自身の中に万人に共通する何かを見出さねばならないし、またそれを自分以外の人にも通用する言葉に置き換えることが出来る人間を言う。」 ジャズピアニスト ビル・エバンス
2005.07.06
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「映画を見に行ってきた助監督の話を聞いても、ここが悪かったあそこが悪かったということばかり。お前いい加減にしろ、悪かった悪かったという事ばかり言ってても、そういうのはお前にとって何にもならないんだ。ここが良かった、あそこがよかったというなら、それを吸収して自分のプラスになるけど、けなすんなら何も言うな、黙ってろ、と言うんですよね。」 映画監督 黒澤 明 いいイメージを持つことで、どんどんプラスの方に寄って行くんだね。そのためには悪いところを見るんじゃなくて、いい所ばかりを探して頭に叩き込む事がいいらしい。そういえば映画評論家「淀川長冶」さんも言っている。どんなに下らない映画でも、どこか一つぐらいは良いところがあると。試写のときに、そこを一生懸命に探すんだそうだ。そうして見つけた、その映画の一番いい所だけを褒めるんだと。ついついけなす事で優越感に浸って、それだけで終わってしまっている事が多い。けなす事なんて誰にでもできる事なんだよ。
2005.07.04
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理不尽な目に会ったときに、どう対処するかは大きな問題です。自分では正しいと思っていることでも、相手から見ればそうではなかったかも知れない。相手にも言い分がある。「盗人にも五分の魂」。悪気はなかったとか、知らなかったとか、そんなつもりじゃなかったとか、言い訳はいろいろ。でも、よくよく考えてみればそれを防ぐ手立てはあったはず。そうなるかも知れないという読みが足りなかったか、相手を過信していたか。相手を良く理解していないのに、情に流されて曖昧なまま相手に任せてしまうということも。特に友人知人、親戚筋などの場合にえてしてこういうことが起こりやすいんだね。自分も先日そういう目に遭い、大変ショックだった。大いに反省したところ。問題が起きた時にその事実だけを捉えて、相手を非難するのは簡単なこと。相手も人間だ、ミスもする。そのミスをあげつらうことは誰の為にもならない。当人がミスと認め、誠意を持ってそのミスのリカバリーが出来ていればそれでいいんじゃないか。「罪を憎んで人を憎まず」だ。そう考えないと、喧嘩ばかりしていないといけない。いくら自分が正しく走っていても、対向車が突然飛び出して来ることだって有る。自分が正しいと思っても、理不尽なことは起こる。相手も自分と同じだ、という思い込みと過信が事故(問題)の根底にある。自分とは違うという前提で事に当れば、防げる事も多いのではないだろうか。相手の側に立って考えてみるという「想像力」が必要だな。「過信は、甘えである」これが実感。
2005.07.03
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「表現の世界ってのは、年をとることによって広がることは有っても、小さく減っていくって事はないと思っているよね。現実を感じる、反応する自分には終りがないからね。ま、もがくことはあるだろうけど、もがいた分だけ、又先が見えてくると思ってます。」 写真家 浅井 慎平 (42歳時)年をとるということは、熟すということ。ある種の意識を持って生きていれば、何らかのものが自然に蓄積されていくもの。長年月に経験したことのエッセンスが、ラーメンのスープのように混ざり合ってその人独特の味わいとなっていく。あっさり味もあればこってりしたものもある。どんな意識を持って生きて来たかによって、その味は違ったものになる。アッサリしているようであっても、けっこう深みのあるいい味を出しているものがある。長時間掛けて煮込んだものは、一朝一夕には出せないもの。年をとるというのは、世間という大鍋でゆっくりゆっくり煮込まれているようなものだ。
2005.07.01
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