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まずもって、勉強のできない子ほど、質問ができないのです。質問が無いと、教師はわからないことが無いと判断してしまいがちですが、もちろん、そんなことはないわけです。じゃ、何が問題かと言えば、質問をどういう切り口ですればいいか、ということがわからないのです。これは、頭がいい、悪いとは関係ありません。いわば、日本語の使い方がわかりません。というのと同じです。テクニックの問題なのです。まず、どういう前提で聞いたらいいのかを考えましょう。英語の質問をする場合、相手がいくつかの外国語を知っているのか、全く外国語の経験がないのか、で聞き方が違うわけです。前提条件の次は、どういうゴールを持っているのか、です。今、英検合格を目指しているのか、今度の小テストのクリアを目指しているのか、で聞きたい内容がガラッと違うわけです。さらに、それに関連しますが、ゴールを目指すのに、自分なりの仮説を持っていないと、質問をすることができません。いわゆる仮説思考です。仮説があるからこそ、それからの逸脱も合致もありえるのです。何か自分なりの予想をもつこと。これが無いと、質問はできません。仮説があればこそ、自分で調べるといことも起こるわけです。また、仮説があればこそ、誰に聞いたらいいかも予想ができるわけです。これらって、当たり前のことですよね。特に才能って必要ありません。でも、このキーポイントを気にしてるかどうかで質問力が大幅にアップします。質問力が増えれば、自動的にアタマに入ってくる情報量が劇的に変わります。そうすると、自動的に人生が変わるわけです。間違った仮説でも効果はあります。ジャンジャン変な仮説を立てましょう。ただし、どうせ仮説を立てるなら、自分に都合の良い仮説を立てることをおすすめします。こういう勉強をしたら、成績が良くなって、合格しちゃうんじゃないの?という都合のよい、ムシのいい仮説です。これが潜在意識にすごく働きかけるのです。これを悪い仮説にしちゃ、莫大な悪影響を受けてしまいます。合格しちゃうかも、とストレスとしてプレッシャーにならない程度の、イヒっていう仮説がめちゃくちゃおすすめです。
2020.03.31
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「目標」はストレスを与えるだけだから、要らないという説があります。しかし、「ブレインプログラミング」でも書いてありますが、人間の脳には、RASというシステムがあって、ここが、入ってくる情報のほとんどを捨ててしまっているのです。それを少しでも拾って活用するためには、意識的に気にしておく必要があります。「目標」ではなく、気にする「テーマ」をいっぱい持つように頑張ろう。「頑張る」のも違うかもしれませね。私が一番しっくりくる言葉は、「イタズラ」です。「イタズラしちゃおう」「イタズラを想像しよう」です。
2020.03.31
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さあ、新年度です。昨年頑張った人も、昨年挫折してしまった人はなおさら、今年に賭ける思いが盛り上がっていることと思います。しかし、のっけから、やる気を削ぐようですが、やる気に依存した学習って、ほぼ100%挫折します。あれ?やる気こそが学習の、特に受験勉強の決めてじゃなかったっけ?近年、「成功者の共通点にグリットが見られる」という理論が展開されて話題を呼びました。グリットは、才能や生まれながら備わった能力ではなく、「やり抜く力」と定義されており、アメリカの心理学者たちの間でも見直されているものです。グリットとは英語の略語で、困難に遭ってもくじけない闘志、気概や気骨などの意味を表す言葉で、社会的に成功している方たちが共通して持つ心理特性として、近年注目を集めています。つまり「やる気」です。いいじゃないですか。やる気をもっと高めて欲しい?しかし、やる気って目に見えないですよね。やる気というのは安定していません。昨日はやる気モリモリだったのに、今日はどうも集中できない。ということが往々に起きます。そうすると、やる気が出なかったことに、真面目な人こそ衝撃を受けてしまい、それがまたやる気を削いでしまうという悪循環がはじまります。実はこのやる気というのは、科学的にしっかりと定義されていないのです。このやる気を土台として計画を立てると土台から全崩壊の危険性をもったまま建築を始める恐ろしいことになります。やる気の神話を信じるのを止めましょう。やる気でなく、エネルギーを仕組みづくりに賭けましょう。これなら改善が可能です。目に見えます。どこまで進んだのか達成感を得ることができます。やる気は仕組みでコントロールできます。仕組みは安定した行動を産み出せます。私が受験の時は、気合で勝負をしました。瞬間最大風速を極大にすることに命を懸けました。しかし、それでは続いて数か月、1年と持たせられません。当然、大きな仕事を達成することは無理です。私も体力的にボロボロ。夢遊病者のようになりました。逆に今なら、科学実験でもよく使うのですが、時間をかけ続ければ、瞬間的にはほんの小さな弱い力でも、莫大なパワーを発揮する実験をお見せすることができます。具体的に言うと、綿棒を吹き矢の矢の代わりに、してストローの吹き矢を吹くのです。すると、小学1年生でも新聞紙に穴を開けることができます。瞬間最大風速を限界まで高めるのも、素晴らしい効果は確かにあります。しかし、その逆も効果があることを知っていると、作戦に幅が出ます。つまり、ゆっくりだけれども、ジワーっと継続し続けるんです。こちらの方が、圧倒的に安定した効果が期待できます。コツコツとやることを予め予定していれば、作戦の安定感は飛躍的に拡大します。つまり、時間さえ、いっぱいかけられれば、不可能なことは無いのです。運に頼る必要もないのです。今、我々がこのようにパソコンに向かってメッセージを発信したりしていますが、これって、小学生にはどんなに気合を込めたからって無理だったはずです。しかし、それから20年30年経った今は、何の気合もなく、普通にできてしまっています。赤ちゃんだって、歩くまでに1年とか2年とか時間をかけているのです。時間さえかけられれば、大概のことはできるようになるのです。つまりやる気に依存しないで成功を望むためには、「しっかり時間をかければ何でも可能なんだ」ということを理解しておくということです。その上で、1ミリの前進を喜ぶことができるようになるはずです。千里の道も一歩からです。いつかはゴールに到達できるんですから。今日はここまで。あと、自分への仕掛け作りについて、明日以降書いていきます。
2020.03.29
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教科書には、たいてい各節のはじめのところに、子どもと共に実験したり観察したりすべき事項がかいてあります。ところが、この実験・観察のところには、いきなり「こうしなさい」「ああしなさい」と書いてあって、子どもたち自身が自分の予想をもって意欲的に実験・観察に取り組めるように配慮して書いてないのが普通です。もっともこれは、教師が「教案」をつくるときにその点を考慮すれば、少しはなんとかなりますが、もっと困るのはその実験の指示のすぐあとに、実験の結果やそれからどんなことがわかるか、ということまで印刷されているのです。つまり、教科書は、実際に自分で実験をしなくても、その結果がどうなるか、教科書を読んだだけでもわかるようにできているのです。 ですから、予習をしてきた子どもたちは、実験の前から結果がどうなるか知っているのです。たとえ予習をしてこなくても、教室で教科書をひらけばすぐに、その実験の結果が目に飛び込んでくるのです。こういう「実験」で、私達が子どもたちに身に着けて欲しい、仮説と検証力が届けられるでしょうか? これから生きていく力を納得することができるでしょうか?たのしい実験を体験した子は、全員が「実験とは自分の考えをたしかめるものだ」「自分の考えを他人に信用させるためのものだ」と答えます。「あやふやな考えをたしかなものにするために必要なものだ」と。このような自主的・主体的な実験観をもってくれます。ところが、教科書を読むだけの勉強をした子は「教科書やお話だけではよくわからないから」と答えます。当然、これらの実験結果からどういうことが言えると思うか、という質問にもよく答えられません。教育の目標が仮説力を高めようということを意図されていないのですから。受験用の教科書ガイドなどは、最悪です。行きたい目的が違うのですから、上り列車と下り列車を間違うようなもんです。
2020.03.29
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教育産業に身を置いている者の一人として、現代の教育界で最も欠落していることは、何のために教育をしているのか、その目的だと思います。そんなこと当たり前でしょうか?子どもが幸せになるために決まっているだろう。じゃ、どうやって?学歴主義が幻想だということは、ずいぶん浸透してきていると思います。もちろん、人間って、幻想で生きているんだから、みんなに幻想を抱かせるために、いい学校に入るんだという考えを否定はしません。この考えが邪道なことは言うまでもないことでしょう。じゃ、子どもたちに勉強の必要性をどう説明しますか?現代の子供たちの将来の夢の第一位がユーチューバーです。人気のあるユーチューバーになるためにこそ、学問をしなければならない、と説得できますか?学歴が無くても、高収入を得る秘訣が、どの学校に行ったかではなく、何を学んだかによるわけですが、何を学んで欲しいと、あなたは言いますか?私は、学問の仕方を学んで欲しいし、学ぶべきだと訴えます。その学問とは?福沢諭吉先生が言った、「実学」です。「○○学」と出来上がった学問ではなく、自分で作り上げるあなた独自の学問だよ、と私なら訴えます。ユーチューバーになるための学問はもちろん、これから必要となる学問は、これまであった学問というより、これまで存在しないところに、新たに試行錯誤しながら、新しく気づきあげていく考え方がほとんどになります。そういう時、どういう態度が必要なのでしょうか?①仮説を立てて実験をする。②その実験結果の記録をちゃんと記録する。③その記録を元に、何を学んだらいいのかを考えて学習する。以下、この繰り返しです。どんな分野でもこのサイクルを習慣化することができた人が成功するのです。つまりどこでも生きていけるのです。これができれば、学歴と関係なく、どの分野でも一流になれるのです。この大きな意味での、本当の学問の仕方を教えることこそ、これからの不確実な社会で生き抜く力です。
2020.03.29
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前にやった実験授業の感想を読んでいたら、積極的に取り組んでくれてる女の子から、「じしゃく」もテストをやってほしいと書いてありました。「次の実験は「じしゃく」をやるよ」と予告してあったのです。そしたら、授業をする前からテストをしてね、ってお願いされちゃったわけです。そもそも私は、実験の後のテストには懐疑的でした。せっかく楽しんで終わったのに、最後に冷や水をかけることになるのでは、と心配だったからです。ある時、仮説実験授業の板倉先生が、「実験授業のあと、テストをすると子どもたちは楽しいと思う。」と発言されているのを聞いて、びっくりしました。ホントウかなあ?さっそく検証です。実験のあとのテストについて、評価を子どもたちに聞いてみました。そうしたら、29人中23人が「とても楽しかった」と答えてくれました。「たのしかった」も合わせると86%の子が高評価だったのです。「たのしい授業」は有名ですが、「たのしいテスト」というのもあるんだなあ。もちろん平均点は92点でした。こんなに出来がよかったら、楽しいのは当たり前?でもね、往々にして「もうやりたくない」と思わせるためのテストが一般的ですよね。学校のテストって、「これができない奴は、人間のクズだ!」っていっているきがするんですね。学校で習うことって、「知らなくてもいいけど、知っておくと人生楽しくなるよ」ってことばかりでしょ。そのルンルンの楽しい気分を届けるテストをしたいものです。
2020.03.28
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5年生に実験授業をやっていた時のことです。いつものことですが、実験をする前に予想を立てます。今日は「てことトルク」というテーマです。哲平君という子がいました。病気の関係から、1年からほとんど勉強しないできてしまったんです。国語でも算数でも机の上にアタマを置いて、寝ているのです。さて、理科の実験です。この実験のときは起きてこっちを見てくれていました。ところが、この問題を解くには、ちょっと計算が必要になります。この問題が出てきたところで、哲平君が「ぼく、やらないよ」って言いました。「やっぱりこの授業も拒否されるのか」って思っていたところ、「ぼくやらないよ。だって算数できないもん」「算数できないから、ぼく寝てよう」と哲平君。それに私はこう言いました。「哲平君。寝てていいから、薄目だけはあけておいてね。計算なんかできなくったっていいんだから。計算は電卓でやったっていいんだから。」そしたら、哲平君は黒板の問題をちゃんと写していたんです。で、答えは、残念ながら、間違っていました。しかし予想の発表の時、同じグループの他の子が説明してくれました。右が下がるか、左が下がるか、水平か、の問題です。「右回りのトルクが5センチ×4重りで20で、左まわりのトルクが6×3=18.だから右が下がる。」これを聞いたら、哲平君は予想を変えたんです。これは画期的なことです。そして、実験です。結果は右です。哲平君は当たりました。自分で計算しなかったにも関わらず、ちゃんと当たる喜びを味わえたのです。哲平君は起き上がっています。顔も明るい顔にもどっています。教科書の授業もちゃんと受けてくれました。「てことトルク」では70点だったけど、その前の「光と虫メガネ」や「音」のテストは両方とも100点だったのです。その時、哲平君はこう言っていました。「あ~あ、また100点だ」「ぼくはなんでこの頃100点ばかりなんだろう。この前も100点だったしなー。」何度も何度も言うのです。「あ~また100点だ」あれから4年以上経ちました。中学を卒業します。高校に受かったそうです。
2020.03.28
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私の慶應義塾大学合格勉強法をご紹介します。題して名詞カードメモ勉強法です。白い名詞カードの裏に覚えたいことを書くのです。しかし、小さな名詞ですので、いっぱい書けません。それで一部しか書けません。あとは思い出すのです。この思い出すという作業が記憶を鍛えます。記号や暗号でもOKです。イラストも効果的です。そして、いつでもどこでもアタマの中で繰り返すのです。すき間時間を使えます。机や環境を問いません。これが大きい。このカードを考えるべき課題にしてもバッチリです。どんどんアタマが良くなっていっているのを実感
2020.03.27
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年齢とともに、頭の回転が悪くなってきたなあ、と心配になるこの頃フィットネスは筋肉だけじゃないはずだ。脳みそも意識的に鍛えなくては。鍛えるにはスピードです。スピードの前に、考える量です。考える質が大事じゃないかと言う人が多いのですが、まず量だと思います。ブログの記事も、じっくり考えて1本書くよりも、不完全でもいいから3本、10本と書いてしまいましょう。そうするとスキルもアップしてきて、質も上がってきます。ということで、このブログもスピード最優先でアップしちゃいます。何を考えたらいいのかというと、何を考えるべきか?考えるのです。優先順位のつけ方を問うてみましょう。いろんな優先順位の考えがあるものです。そして、それをバリバリメモしましょう。結構これだけでも脳みそに負荷がかかることに気づくはずです。記憶力鍛えたい人は、いろいろ思い出しましょう。今日合ったこと。最近学んだこと。思い出すことを習慣にしましょう。受験生は効率的に勉強するには、どういう戦略を立てるかを考えましょう。複数の戦略を立てて、比較検討してみましょう。志望校に合格するための戦略です。何がキーポイントなのか考えてメモしましょう。戦略を時間をかけずに仮に立てましょう。時間をかけると、ひらめきが腐ってきます。気づきは生モノです。すぐに捌きましょう。また、情報をシャワーのように大量に浴びましょう。脳の回路が開きます。自分のひらめきに頼りましょう。先生がああいったから、参考書にこう書いてあったから、もいいのですが、それだけに頼らずに、それを足ががかりに、もっとすごいことを上乗せしましょう。仮説を立てましょう。仮説を立てない人はそもそもいません。今晩の夕食はあれかな?というのも仮説です。それらの仮説もメモしましょう。メモがアタマを鍛えます。ポイントはメモです。簡単に気軽にメモできるシステムを準備する必要があります。研究しましょう。必ず飛躍的に脳みそを鍛えてくれます。
2020.03.27
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昨日の「正解」は、今日、間違っているかもしれません。問いの設定が間違っていては、対話も、課題解決のアクションも、意味が小さくなってしまいます。そのような正解のない現代では、「与えられた問いを効率的に解くこと」よりも、「自分で問いを立て、周りに問いかけていくこと」が必要になってきます。そしてそれによって問いなくしては気づけない世界に私達を導いてくれます。問いは誰もが持っています。しかし、問うことは解くこと以上に、その人の価値観、知識、経験、状況への向き合い方に大きく影響を受けます。それで、質の高い問いを生み出すには、理論も技術も大切になってきます。自分が当たり前だと思っている正解を疑い、かつての正解の前提にあった「問い」そのものを批判的に考えること課題の本質を見極めたうえで、実践につながる論点を設定すること答の探求に周りの人たちも参画するように働きかけることこの3つを合わせることで、質の高い「問いかけ力」が生まれます。自分の問題意識を多面的に磨き、変化を起こす「問いかける力」を、身につけていきましょう。問う力は他の誰かと対話してこそ深まります。一人では身につかない「問いかけ力」を、対話の中で高めましょう!地域や組織を良くするために、目の前の問題を解決する糸口をみつけたい本質的な課題を見出す力がほしい質の高い問いの設定力現状のモヤモヤから問題をみつけるクリティカル・シンキング(良い意味での批判的思考)自分の問いを考える際の前提や思考フレームの見直し問いを一人で考えるのではなく周りと共に考える 1.問いかけ入門 ~今、問いかける力は、なぜ必要なのか?問いは、価値観と状況への向き合い方と密接に結びついているからこそ、問いには、答よりも個性が表れます。そして、問いを使って相手に迫ったり攻撃するツールにもなります。近年、「質問力」など「問い」への関心が高まっているのは、なぜなのでしょうか?また、自分ひとりで考えるのでも、一方的な問いでもなく、相手と自分が同じ舞台で話し合い、お互いの価値観を認め合う「問い」をつくるには、どうしたらいいでしょうか? 「問い」とは何かを考え、ポジティブに話を進めるために何が大切か、<問いの転換> 「どうしたらいいのですか?」 → 「何を考える必要があるのだろう?」<ヒントとなるノウハウ> アクティブ・リスニング、AI(アプリシエイティブ・インクワイアリー)2.関係性を育む問いとは?価値観や考えが違うと、正しさや優先順位も違います。しかし、「問い」は共有することができます。だから、答を生み出す議論よりも、問いへの考えをわかちあう対話の方が関係性をつくれるのです。表面的な対立、すれ違いの状況を乗り越えて関係性をつくるために、背景にある経験や価値観に着目し、その違いを生かし合えるような「問い」を考えます。<問いの転換> 「どうしてわかってくれないの?」 → 「一緒に何ができるかな?」<ヒントとなるノウハウ> 合意形成のファシリテーション 3.学びを促す問いとは?これまでの「教育」では正解や、解に間違えずに行きつく方法を教えてきました。そこでの「問い」は、試験=正解がわかっているものを確認する過程でした。しかし、これからの「学び」において求められるのは、自分で問いを立て、自分の行為を自分で意味づけする力です。教える・試すから、「学びを促す」に転換するための「問い」を考えます。<問いの転換> 「正しい解き方をわかりましたか?」 → 「あなたならどう解きますか?」<ヒントとなるノウハウ> ラーニング・ファシリテーション<問いの転換> 「目の前の問題をどう解決するか?」 → 「なぜこの問題は解決できていないの?」<ヒントとなるノウハウ> システム思考
2020.03.26
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昨日、脳に入る情報の99.9999%は脳の中のRASというシステム つまり脳にある情報フィルターによって捨てられていて、だからRASに必要な情報が何かを教えるだけで自然と情報が集まってくる。という説 引き寄せの法則系の最強本『自動的に夢がかなっていく ブレイン・プログラミング』の話をご紹介しました。では、どうすればRASに必要な情報を教えられるか。それは、「自分は本当はどうなりたいか」をはっきりと思い描くことだ。紙に書き、毎朝、毎晩それを声に出して読み上げるのだ。そうすればRASに必要な情報を教えることができる。つまり「思考は現実化する」を科学で解明したのだ。これらは、目標を持つことの重要性を言っているけれども、人間は、一度RASのスイッチが入ると、脳は異常なまでの集中力を発揮することは有名です。人間の集中力というのは、まるで超能力のようだ。このような力は、人工知能はまだ持っていないだろう。皆さんは、とてつもないアイデアが、突然閃いたような経験はないだろうか。「アイデアが降ってきた」などと言って、それが偶然やラッキーだと思っている方も多いと思う。しかし、それは単なる偶然ではない。脳が問いかけに対して答えを出した瞬間なのである。脳は、問いかけたことに対して答えを探してくれる。だとしたら、その機能を使って凄いことができるってこと。たとえば、苦手な人や嫌いな人がいたとして、その人に対して(仮に思っていなくても)「ありがたいな~」と、ひとり言でもイイから言うと、脳はその嫌いな人の「有り難かったこと」を探してくれるのです。「そういえば、昔、プレゼントを貰ったな」とか、「あのとき褒めてくれたな」と言った具合に。すると、苦手や嫌いな人が、少し有り難く思えてきます。逆に、「あの人ほんと嫌い」って、ひとり言でも言ったとしたら、嫌いな理由や根拠を探し出してくるのも脳です。問いかけに対して忠実に働いているだけなのです。「なんで私はできないんだろう」と問いかけたら、脳は自分がが出来ない理由を探し出そうとするので、「あそこが悪い、ここも悪い、全部悪い」とネガティブな答えを見つけ出し、落ち込みます。「どうしたら私もできるんだろう」と問いかけると、「運動して体を引き締めよう、勉強時間を変えてみよう」と、前向きな答えが見つかるでしょう。人に対しても同じですね。「何であの子はできないんだろう?」だと、悪いところ探しになります。「どうしたらあの子ができるようになるんだろう?」だと、教師の自分の課題が見つかります。このように、脳に問いかけるときの「問いかけ方」次第で、どちらも探してくるものですので、行き詰ったら「問いかけ方」を工夫してみるといいかもしれませんね♪
2020.03.26
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脳にはフィルターがあるのを知っていますか?脳は毎秒、四億ビットもの情報を処理していますが、そのうち意識的に処理される情報は、わずか二〇〇〇ビットです。残りの情報は意識にものぼらないで捨てられてしまうのです。 つまり、脳に毎日送られる情報のうち、99.999パーセントは、あなたの知らないうちに処理され、消えているのです。なぜなら、そうでもしなければ、日々を平穏無事に過ごすことなどできないからです。だから、人は進化の過程でRASというしくみを獲得したのです。すべての情報をふるいわけ、そのなかからいつでも自分にとって大事なものだけを拾い上げるツールを。もしも、そのうちの0.001%でも、有効活用できれば、私達は大天才になることができるのです。その方法が目標設定です。何をしたいのか、何が欲しいのか、何になりたいのかが、はっきりわかると、私達の脳のそのフィルターの部分は、そのための方法を何と探し始めるのです。 目標を心に決めると、それに関する情報が次々に目や耳に入り、くわしいことを知ることができるようになるのです。天才になるには実に単純な方法でいいのです。それなのに、実行する人はほとんどいません。ただネックがあります。心からの目標を見つけられないのです。何が自分のホントウにやりたいことなのかわからないのです。そのためには、自分の心に浮かんだことをドンドンメモしていく必要があります。どうやってそれを実現するかは考えずに、思いつくままにリストアップしていくのです。 目標のリストをつねにドンドン書き換えていくと、自分にとってどの目標が本当に大事なのか、あるいは大事ではないのかが見えてきます。 その時は、新しい項目を書き加えたり、すでに書いた目標を修正したり、削除したりします。やがて、何度読んでも輝きを失わない目標がいくつかあるのに気づきます。それが、あなたにとっていちばん大切な目標です。あと目標設定と同じような効果があるのが「問う」ことです。これについては別紙でまとめます。
2020.03.25
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ディズニーランドの創業者、ウォルトディズニーってもちろん知ってますよね。あの夢と魔法の王国を作った人です。彼は勤めていた新聞社をクビにされたことがあるって聞いたことがあります?その解雇した理由が面白い。興味深いんです。それが何と「想像力とオリジナリティが欠如した人間である」という理由だったんです。そのように会社から判断されたんです。すごいですね。どこを見てるんだ!!さらに彼は、ディズニーランドを建設するに当たってぜひ出資をして欲しいと、多くの企業にアタマを下げて回りました。実は、そこでもことごとく断れ続けます。建設にこぎつけたのは、何と300回以上融資を断られ続けたあとなのです。300回人から断られるというのは、どんな気持ちでしょう?スターバックスを世界的企業にしたハワードシュルツ 彼も242社から融資を断られ続け「あなたのアイデアには投資する価値がない」と大勢の前で言われ続けてきた過去を告白しています。ハリーポッターの作者JKローリングもその原稿を持ち込んだ出版社12社から「こんなもんは売れない」と判断され却下されました。何を言いたいかと言えば、他人からの判断っていうのは、極端に言えば、すべて幻想。デタラメということです。就職活動で50社落ちようが、自分の価値には何にも関係ないということです。自分の夢を変更する必要なんてないのです。もちろん、学校の先生が何を言おうが、さらには、友達に何と言われようが。さらには、自分の親から、ズタズタに引き裂かれるようなこを言われようが。それは幻想なのです。怖いのは、それを現実のものだと錯覚してしまうことなのです。想像と現実の区別がつかないという人間の性質は、賢く使えば私達を夢の世界に連れていってくれますが、心に傷をつけてお仕舞ということもありうるのです。とにかく、人の評価によって自分の夢をあきらめるのは馬鹿らしいということです。
2020.03.24
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人間は妄想の塊だということは、残念ながら現実です。逃れる術はありません。AIに魂を売り渡さなければなりません。その代わり、人間性というのを犠牲にしなければなりませんが。ということで、どうせ妄想から逃れられないのなら、私たちにとって、都合の良い妄想に囚われましょう。その妄想を潜在意識に落とし込んで、基本OSとして使ってしまいましょう、ということです。それは、感謝と幸せ感です。でも、どうすれば?コップにおいしいジュースやお酒を注ぎ込んでもらっているとイメージしましょう。それが、コップにいっぱいになっちゃって零れ出るとイメージしましょう。とてもうれしいというか、こんなにもらっちゃ悪いと思っちゃいますよね。おっと一滴こぼれ落ちます。おっとっとっと。その一滴に意識を集中します。不足や欠乏ではないのです。溢れているのです。でももらっちゃうわけです。こんなにはいらないけれど、くれるっていうなら、ありがたくもらっちゃいます。ということです。これをすべての事象についてイメージしてしまうのです。すべては、あふれた雫なのです。これを続けていくと、必ず潜在意識は書き換えられます。潜在意識が書き換えられれば、人生が劇的に変わります。これは、仏陀が言っている瞑想の世界とも通じるものと思います。おホノボノホの教えにも通じているように思います。つまり「ありがとう」「感謝します」をずーっと唱えることと同じです。また、いわゆる「フロー」の状態に通じているとも思います。「今」「ここに」の集中です。どうせ、妄想です。だったら、何でもアリなんです。
2020.03.24
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受験生の皆さんは勉強をしようっていう時、本を読もうとするでしょう。しかし、何かを覚えようとしてインプットだけして、アウトプットしてなければ、意味がないって知ってました?つまり、自分のアタマの中に情報を入れる作業だけではだめで、その情報を外に出さなければいけない、ということです。もっと簡単に言えば、「読む」「聞く」だけではだめで、「話す」「書く」「行動する」をしなければ効果はないということです。さらに、アウトプットはおまけでなくて、インプットよりもアウトプットの方を積極的にしなければだめだということです。インプットだけして勉強したつもりになってしまうのは、単なる自己満足です。それだけでは、周囲に何の影響も与えられません。ネットで情報発信もとてもいいことです。何を隠そう、今、私がこのようにブログで情報発信しているのも、私自身の勉強にすごくなっているのです。フェイスブックに、ユーチューブ。いろんな手段がありますね。私の場合は、科学実験授業。ここで数時間話す。これはものすごい勉強です。ですから、実は講師こそが最も勉強しているのです。学習代金をお支払いしなければならないくらいです。さらにさらに、私の本業である、家庭教師。これは生徒を出汁にして私自身が勉強することだったのです。まずは、アウトプットの基本法則インプットとアウトプットの最も効果の高い配合割合はいくらでしょう?答え 3対7です。意外ですね。インプットが3で、アウトプットが7なんです。7はやりすぎ?いやいや、人間って、アウトプットしていかなければ、ガンガン忘れていってしまう生き物なんです。今読んだばかりの本のことをあらためて発表しなければならない時、ほとんど詰まってしまいますよね。習ったばかりの数学の公式も、すぐには使えません。先生の話をよく聞いていたから大丈夫だ、というのは幻想です。ところが学校の勉強の常識はインプット7割アウトプットつまり試験が3割なわけです。だからインプット重視が体に沁み込んでいます。これを逆転しなければならないわけです。情報を入れるだけでは、情報が脳みその奥深くに入ってしまって、引き出されなくなってしまうのです。引き出して使っていくらなわけですから。だから入れる回路だけではなくて、引き出す回路を作ることが大事なんです。その回路を作るには、2週間に3回以上引き出してやればいいのです。そうすると、私達の脳みそは、この情報は重要っぽいと判断し、すぐ引き出せるところに収納しておいてくれるんです。アウトプット効果はフィードバックしても同様の効果があります。質問したり、意見を言ったり、さらに突っ込んだことを調べたりもめちゃくちゃ効果があります。別の角度からのツッコミをいれてもらうことも。つまり、討論は勉強の王道なのです。アウトプットのトレーニング方法1.ありのままを記録2.世間に発信すること1については日記を書くなど、人に見られることを気にしないで、どんどん書くこと。つまり体裁は気にしないで、エッセンスだけ短くメモちょっと気づいたことを即メモ そおうしなければドンドン消えていってしまう。2については、世間に発信するとフィードバックが受けられる。これが大きい。
2020.03.23
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歴史上の偉人と言えば、「偉人伝」にいろいろんな人が載ってますよね。しかし、現在進行形の今の社会で、私達が知っておかなければならない人なのに、意外とわからない人っているんじゃないでしょうか?ならないその1人が、アマゾンの創業者、ジェフ・ベゾスじゃないでしょうか。もちろん、ジョブスとか、マークザッカーバーグは有名になってますけど、ジェフ・ベゾスは、意外に知られていないような気がします。でも、GAFAだけは、現代を支配する役どころですから、これらのことは何としても知っておきたいものです。その中でも、アマゾンは、社会のインフラとして無くてはならないものです。何でも買えるよね、というものですが、物販から既にはみ出していますね。もちろん、アップルもフェースブックも広がっています。しかし、アマゾンの広がり方はヤバい。まず、創業者のジェフ・ベゾスを調べてみましょう。イーロン・マスクに近いものがあります。現代の偉人とは、こういうタイプなのかも。この人を研究することによって、あなたも次代のジェフベゾスになれるかも。私はなりたいですし、生徒たちにも教えたい。次の社会を作り上げていってもらいたい。まずは高校卒業から。アメリカのマイアミの高校を卒業します。しかも、いきなり優秀です。半端でなく優秀です。お母さんは、離婚して再婚します。再婚相手がマイクベゾスです。この義理のお父さんはエンジニアです。実のお父さんは、バイクショップのオーナーです。イーロンマスクのお父さんもエンジニアでしたね。ここちょっと似てるのかも、エンジニアを父に持つということが、ITに触れや子どもだったようです。高校を首席で卒業します。奨学金ももらいます。それでプリンストン大学に入学します。電気工学や計算科学を研究します。いわゆる理系ですね。しかも、この大学も優秀な成績で卒業します、完璧ですね。ですから、アメリカの大企業からもオファーをもらいます。「インテル」や大手の会計事務所からオファーがあったらしいです。しかし、それを蹴って、ベンチャー企業へ就職します。ここが面白いところですね。ベゾスの個性が垣間見えます。つまり、二つの性格をもっていることが。二面性があることが。これが土台にあるんじゃないでしょうか。金融関係のIT会社に入ります。これもベンチャーです。ここから、大手の銀行に2年くらい勤めます。その後またベンチャーに行きます。つまり、大企業に骨を埋めようとは最初から考えてはいなかったようです。そこで、出会いがあります。その会社の創業者です。この会社は、投資関係、つまりヘッジファンドです。金融関係、金融関係と続きます。ここでキーとなるのが、データです。データ重視の土台が見えてきます。その後の行動からもデータ重視が大きな大きな特徴と言えます。そこの社長から話かけられます。「これからはインターネットの時代らしい」と。それをベゾスはそれを調べます。何となくとかではなく、データで調べます。すると、すると、そのとき、つまり95年当時、1年間のネットデータの送信量が、2000倍になっているということをつかみます。それを知ったベゾスは、絶対にネット時代が来ることを確信します。そこで、彼は会社をすぐに辞めてしまいます。そしてアマゾンを創業してしまうんです。速いですねえ。この時、95年です。ウィンドウズ95の発売時。あの時、そんなドラマが影で繰り広げられていたんですね。イーロンマスクも大学院にいたのを自分で気づいて、辞めたのも95年何かありますね。IT長者たちがITの世界に行こうと決心した年と記憶されるでしょう。同じ状況は我々の周囲にもあったはずなのに、あなたは漫然と生きていなかったでしょうか?我々にも、同じチャンスが傍にあったのです。今もあるんじゃないか?いやきっときっとゴロゴロしているはずです。そしてネットの本屋を始めます。なぜ、最初が本屋か?実は、彼はもともと何でも売るネットショップを目指していたのです。いろいろ売るべき商品のリストアップしました。その上で、論理的に本から始めようと考えたそうです。どういうことでしょう?ネットショップがリアルの店よりも勝っているところって、何だろうと考えたんです。理由その1 腐らない。その2 価値が落ちない。価値がトレンドで落ちづらい。その3 書店の弱点をつける。 何か? スペースの限界があるということ。 つまり品ぞろえを無限に拡張できるということこの目の付け所すごいですね。その上で、たった3年でいろんなものを売るネットショップに拡大します。ベゾスは、「急成長」を目指していたんです。「ビッグになるには、速く大きくならなくては意味が無い。」アマゾンは何が新しかったのでしょう?1.ユーザーレビュー その前は無かったんだ。今、当たり前ですよね。2.類似品推奨3.全ランキング発表4.中古品販売5.1クリック注文
2020.03.22
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突然ですが、問題です。くだいた氷に食塩を入れると温度が下がります。では、同じように、砕いた氷に砂糖を入れてかき回したら、食塩のときのように、温度が下がると思いますか?それとも温度は上がるでしょうか?予想ア。温度が下がるイ。温度は変わらないウ。温度は上がる予想してから実験してみよう。やった人だけ体験できる未知の興奮がそこに。答えは明日
2020.03.21
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バシャール好きです。とにかくワクワクを追求しましょう!にメチャ同感します。ただし、何がワクワクなのか?で、ちょっと迷いますけどね。また、宇宙人のことは聞かなかったことにしましょう。でも、これを私は、健康メッセージだと思って聞くわけです。つまり心と体と周囲の状況すべてとうまく調和する方法を取り戻す教科書としてです。ワクワクは全てに効く万能薬だと思います。ワクワクする気持ちとは、人間の自然な状態なのです。本当の自分だよ、という道しるべです。カーナビです。だからこれに従うと、一番楽でリラックスができ、宇宙のパワーからサポートされるのです。しかも、このワクワクで生きている姿は、周囲の人にも良い影響を与えてしまいます。「立派に生きよう」と身構えなくてもいいのです。常にハッピーのオーラを出していれば、周囲に良い影響しか与えないのは当然です。だから、心配せずに、ワクワクに従いましょう。物事がスムーズに運ばないはずがありません。逆から言えば、本当の自分と一致しないことを続けていると、ハードモードの人生になってしまう。これは、宇宙が間違った道だと教えてくれているサイン。また、ワクワクが見つからないというのも、間違った道にいるサイン。どこで間違ったんだろう?瞬間瞬間、最もワクワクする道を選んでいないから。ワクワクする人生を送りたいけどワクワクすることなんて分からないしそんなものはないと思っている人はとても多いでしょう。だって完全にワクワクすることが分かっていたのならそれをやればいいわけですから誰も悩まないでしょう。ワクワクすることをやればワクワクするのならそんな簡単なことはありません。実際にどんなにワクワクすることをやったとしても、人はそれでワクワクするかというとそんなことはありません。人には感情があってその時の状況によって感じ方は違うはずです。例えば、自分にとって友達とカラオケに行くことがとても好きでそれが一番の楽しみだとします。そんな一番の楽しみだったとしても大好きな恋人との失恋の後にカラオケに行くとしたらどうでしょうか。それでもいつものように楽しめるでしょうか。それはなかなか無理な話だと思います。極端な話で言えば1億円の借金がある状態でどんなにワクワクすることをやったとしてもそれは楽しめないでしょう。人は何をやったからワクワクしたり楽しめるというものではないのです。その状況とセットでワクワクすることが決まるのです。逆にとても気分が良い時なら今まで嫌だったことでもある程度楽しめたりすることだってあるでしょう。それくらいその時の状況と気分によって人はワクワクすることというのは変わってくるのです。じゃあ厳密に言えばワクワクすることなんて一つもないということになります。それではワクワクすることなんて見つけることは出来ないと思ってしまいますが、ワクワクすることを見つける方法はあるのです。その方法というのは、ワクワクすることを見つけるのではなくてワクワクしないことをなくしていけば良いのです。ワクワクしないことをなくしていけば自然とワクワクすることだけが残っていきます。ですから、自分の中でワクワクしないもの=嫌いなもの、嫌なものをなくしていけば良いのです。カラオケ自体はワクワクするものだとしても失恋の後では楽しめません。他にもその場が会社の上司と行くカラオケだったらどうでしょうか。それでも気を使わなければいけないのでワクワク出来ないですし楽しめないでしょう。そうやって状況によって全然感じ方は違うのです。出来るだけ自分にとって嫌なことや不安なことなどの負の感情をなくしていけば残るのは良い感情だけになります。そういう状況を作ることが出来ればワクワクすることは自然と見つかりますし、何よりもそれだけでワクワクする状況になっているでしょう。ワクワクしない人生を送っているのならワクワクする人生に変えていく必要があります。そのために一番分かりやすくて、一番簡単な方法がワクワクしないこと、マイナスな感情をなくしていくことです。なかなかワクワクすることや楽しいことを見つけるのは難しいかもしれませんが、嫌いなことやつまらないことを見つけるのは簡単だったりします。そして嫌なことのない生活というのはそれだけでワクワクしますしワクワクするものばかりが残っていくのでとても充実した日々になるでしょう。せっかく人間として生まれてきているのですからわざわざ嫌いなことやワクワクしないことばかりの人生を送る必要はありません。自分が楽しいと思えるような人生にしたり、自分がワクワクするような人生を作っていく方が絶対に良いです。もちろんそのためには努力だったり思い切った行動が必要かもしれません。しかしその壁を乗り越えればワクワクした人生を作っていけるかもしれないのです。そんな未来が待っているときの努力というのは、すでにワクワクしているかもしれません。自分の心が勝手に向いてしまうような状況を自分で作りましょう。ワクワクというのは頭ではなく心で感じるものなのです。ワクワクする人生を送るために、勇気のある一歩を踏み出し、自分の人生を好転させていきましょう。
2020.03.21
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よく、気分屋というと、悪いイメージですが、「気分」という環境条件はとっても大事なことだと思います。また、脳の話ですが(すべて聞きかじり)「やる気の脳」は、そもそもは「快感の神経」といわれるA10神経によって駆動されるそうです。そして快感と目的意識がセットになり、互いに相乗効果を生み出しながら、脳全体の連係プレーをコントロールして、目的を達成していこうとするのです。 何を言いたいかといいますと、苦痛を伴う「やる気」は、本来のあるべき姿ではないのです。何よりも楽しそうなこと、おもしろそうなこと、ぜひやってみたい、チャレンジしてみたい、と強く望むものだけが「やる気の脳」に届くのです。そこで、問題なのは、同じ課題を見ても、「面白そう」と見えるか、「苦痛な課題」に見えるかは、そのときの気分によるところが大きいことです。こどもたちが、休み時間に校庭に飛び出して遊ぶドッジボールにしても、見る角度を変えれば、ボールをぶつけあう、苦行そのものです。作文や絵も、気分がよければ、どんどんはかどりますが、悪ければ、地獄の時間です。学校でも家庭でも、気分の管理にもっと注意を払うと、もっともっと良いことがおこるのではないでしょうか。私が参考にしているのは、デズニーランドの中の何気ない小物です。60分待ちなど、とんでもない苦行を強いているにも関わらず、行列そのものを楽しみの一つに変えているのは、立っている間に目に留まる小物の数々です。大きな演出でなくて良いのです。かえって、ほんの小さな小物の中に込められた、意外なメッセージに感激を覚えるものです。小さなものにこそ、オセロゲームのように、全体の気分を一気に白黒反転させる秘訣があります。クスっと笑うものがいいですね。私のところでは、トイレに「笑える言葉あそび」の文例を小さく貼っています。これで、スムーズに出るべきモノも出るというものです。面白がって、なかなかトイレから出てこないことも。でも、そのあとの表情は確実に柔らかくなっています。このHPのリンク集の「語学」のページのしろくま君のHPがおすすめです。ヒントになりますよ。また、私の机の上には、「社長」という木札がのっており、それを裏返すと「大魔王」になります。(ダイソーブランド)はてなランドは別名ダイソーランドとも言われています。階段をのぼると、過去のバカバカしい研究成果の数々。そして、意外にとっても重要だと思うのは、子どもたちの笑顔の写真です。それを見るたびに、子どもたちは(もちろん私も)楽しかった瞬間をフラッシュバックさせるのです。人間は思いだしただけで、カラダの反応は、その当時のものになります。夫婦関係をギリギリで支えるのも、一枚の写真だったりして…。授業中にも、ほんのちょっとでも、予期せぬ小道具が登場すると、一気にボルテージが上がります。パッチアダムスのように、もしもですよ、診察室に入ってお医者さんを見たら、ピエロの鼻をつけていたらどうします? どれほど患者さん救われるでしょうか。雰囲気変わるってもんじゃないですよね。痛さが一気に吹き飛んでしまいます。
2020.03.20
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人間は錯覚で生きています。そういう生き物なのです。錯覚を意識して、使いつくしましょう。人を説得したいなら、まず褒めろと言われます。これは自然に出るまで、練習です。練習してクセにまで落とし込んでしまうのです。陰口は百害あって一利なし。絶対にやめよう。フレミングテクニックを使って、相手の短所を長所に変えてあげよう。聴いてないふりをしても誉め言葉はボディーブローのように必ず効いてきます。人を褒めている言葉は、関係の無い人の意識にも必ず届いています。そして、褒めてもらえるように頑張り出します。相談を持ち掛けることも優れた褒め効果があります。相談することで相手への尊敬・信頼を表現できます。自分一人でできることでもあえて相談することです。生徒の皆さんは、ぜひ先生に相談しまくって下さい。褒めても信用されない場合もあるでしょう。そんな時には、繰り返し褒めることです。何度も繰り返し聞かせてあげると、それだけで、真実らしさが高まります。人は一度聞かされたことを再び聞かされると、それを「真実だ」と思い込む傾向があるのです。愛の告白も、時間が経ってから、「やっぱり好きです。」「ホントウに好きなんです。」と繰り返し言うことはとっても意義のあることです。男女で分けると、男性の方が褒めた時の効果が大きいんです。女性よりも男性を褒めましょう。第三者効果を狙った褒め言葉は、「本人には言わないでね。」と付け加えれば効果が大きくなります。「言わないで。」を付け加えた方が本人に必ず伝わります。より効果的に伝わります。教育上の褒め方は、その人の過去と比べての成長を褒めましょう。これにより、いつでも注目しているよ、というメッセージも伝わります。そもそも人は成長に喜びを覚える性質があるため、自分の成長を他人に言われることに、殊更喜びを覚えます。生徒に物事を聴くときも、生徒へのリスペクトが伝わるような聞き方をします。生徒の考えに興味深々であることを伝えましょう。相手の話に思いっきり食いつこう。相手の感情に共感しましょう。相手の感情を言葉にしてあげよう。。また、表情も目を大きく見開きましょう教育では、「教えてはいけません。」励ましましょう!!教えるよりも励ました方がずっと効果があります。正解をわかっていても、相手が自分で見つけられるはずだ、と励ましつづけましょう。もちろん、相手の問題を指摘するのもダメです。自分で悟らせましょう。
2020.03.20
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「いつもながらすごいね! 」「いやいや、たまたま運がよかっただけですよ。」褒められている同僚はいつも謙遜してはいるけれど、得している感じがする。「あの人は、きっと運がいい星のもとに生まれたんだ・・・」あなたも、私と同じようにそう感じたことがあるのではないでしょうか?実は、運がいい人と悪い人とでは、決定的な違いがあります。それは「行動パターン」。運のいい人は、運がよくなるような行動をとって、良い運気を呼び寄せています。もしも「自分はなんて運が悪いんだ! 」と思っているなら、れは自ら運が悪くなる行動をとっているからかもしれません。あなたが普段何気なくとっているその行動は、どちらなのでしょうか?「運を引き寄せる」科学があるのです。運がいい人、悪い人、それぞれの行動パターンの特徴と運がよくなる秘訣があるのです。ハートフォードシャー大学の心理学教授のリチャード・ワイズマンは「運のいい人」と「運の悪い人」を対象に調査を行い、両者の人生に異なる成果をもたらすのはまったくの偶然か、不気味な力か、それとも何か本質的な違いなのかを検証したのです。その結果、運は単なる偶然でも超常現象でもなく、その人の選択によるところが大きいことが明らかになったのです。機会を最大限に生かす行動をしなければ、運のいい人にも悪いことが起こるのだろうか? 実はそうだ。「人は、やらなかったことを最も後悔する」ということわざは真実である。 コーネル大学の心理学教授、ティモシー・ギロヴィッチによれば、人びとは、失敗したことより行動を起こさなかったことを二倍後悔するという。なぜだろう? 私たちは失敗を正当化するが、何も試みなかったことについては、正当化できないからだ。さらに、歳を重ねていくにつれ、人は良いことだけ覚えていて、悪いことは忘れてしまう傾向にある。そんなわけで、単純に多くのことを経験すればするほど、年老いたときに幸福感が増し、孫に聞かせる武勇伝も増えるというわけだ。運のいい人は、失敗についてくよくよ悩まず、悪い出来事の良い面を見て、そこから学ぶ。そう、彼らは楽観的な説明スタイルを持っている。このことは多くの研究によって裏づけられている。『幸運を祈って!』という気の利いたタイトルの研究では、おまじないやそれに類する行動(指を交差させて「頑張って(Break a leg)」と言うなど)、お守りなど、幸運を呼び寄せるとされる迷信は、実際にゴルフのスコアや、運動能力、記憶力、回文ゲームなどの能力を上げることが証明された。とはいえこれらは魔法ではなく、人びとに自信を与えることによって、そのパフォーマンスを向上させるのだ(だから友人の幸運を祈ろう。効果はてき面だ)。 こうした楽天主義は、運のいい人にいっそうグリット(何かに懸命に打ち込み、決して諦めずに最後までやり通す力)を与え、新しいことにより前向きに挑戦させるので、やがて時とともに、いっそう良い出来事が彼らに起こるようになる。よほど危険な試みでないかぎり、また、時折起こる悪い出来事を正当化できるかぎり、上昇スパイラルが続く。そしてあるときついに、大成功を呼び込むだろう。そんなわけで、常に新しいことにチャレンジしよう。そうすれば運に恵まれる。いつも同じことばかりしていると、これまでと同じものしか手に入らない。もし成功への明確な道筋がなく、あなたが達成したいことに関する手本も存在しない場合には、途方もないことをやってみるのが唯一の打開策かもしれない。そのことを示す話をしよう。「マシュマロ・チャレンジ」と呼ばれる簡単なゲームがある。簡単な材料を使って、4人のチームで18分以内に、マシュマロを頂点とした自立したタワーをつくり、その高さを競う。スキルマン(マイクロソフト社スマートシングス・ゼネラルマネージャーという仰々しい役職に就いている)が、創造性を鍛える課題として考案したものだ。スキルマンはこのゲームを、5年以上にわたってエンジニア、再興経営責任者(CEO)、経営学修士(MBA)をめざす学生など、700人以上の人びとを対象に実施してきた。一番成績が良かったのは誰だろう? なんと、幼稚園に通う6歳児だった(一番成績が振るわなかったのはMBAコースの学生たちだった)。園児たちは計画性に優れていたのだろうか?いや、違う。彼らはスパゲティの特性やマシュマロの硬さについて特別な知識を持っていたのだろうか? それも違う。では、園児たちが成功した秘訣(ひけつ)は何だったのか?ただがむしゃらに飛びついたのだ。ワイズマンの言う「運がいい人」のように、たくさんのことを次々と試した。彼らは何度試してもたちまち失敗したが、そのたびに、めきめきコツを習得していった。つまり、見本をつくっては試す、つくっては試す、つくっては試す……と、時間切れになるまでひたすらこれをくり返すのが、園児たちのシステムだった。定められた道筋がない場合には、このシステムが勝利をおさめる。シリコンバレーでも昔から「早く失敗して、損害を小さくしよう」と言われてきた。小さな実験をたくさん試して一番良いものを見きわめるというこのやり方が、身長120センチ以上の人々、つまり私たち大人にも有効なことは、研究によって証明されている。このやり方を早速取りいれるのはどうだろう? とても簡単だ。私たちはともすれば失敗を恐れすぎる。しかし失敗を避けようとすることに、それほど意味があるだろうか?この質問に答えるために、ほかにも幼稚園生が日ごろ考えていることを調べてみる必要がある。例えば彼らは、バットマンになりたいと考えている。バットマンになるのはもちろん簡単ではない。まず、武術の過酷な訓練を受けなければならない。しかし、成功との関連でもっとはるかに面白い質問はこれだ。 「どうすればバットマンであり続けられるのか」実はこれが、なぜ私たちは失敗をとても恐れるのかという疑問に答えてくれる。バットマンは、最も頻繁に引き合いにだされるスーパーヒーローの一人だ。バットマンは超能力を持たないふつうの人間だ。億万長者で、目新しい道具のコレクションを持っていることはたしかに強みだが、それがバットマンであり続ける、すなわち「1度として負けられない」という最大の難問の解決になるわけではない。プロボクサーで30勝1敗といえば凄い記録だが、バットマンのように相手が闇の戦士の場合には、その1敗が死を意味する。ゴッサムシティの悪党たちは、レフェリーが止めに入ることなど許さない。だから、バットマンであり続けるには、ただの1度も負けられない。失敗は許されないのだ。そこで、もしバットマンのように出来る限り万全に体を鍛えあげたとして、あなたはどのくらいの期間、連勝記録を維持できるだろうか? ありがたいことに、またも調査結果を活用できる(ああ、科学に感謝)。ヴィクトリア大学のE・ポール・ゼーアは、大まかな目安を得るために、トップクラスのボクサー、総合格闘技のファイター、プロフットボールのランニングバックの選手など、バットマン級のアスリートを対象に調査を行った。あなたはどのくらいの期間、無敗のバットマンでいられますか?答えは3年だった。そう、それだけ。ゴッサムシティの犯罪のほとんどが信号無視くらいで、邪悪な黒幕はめったにいないことを願おう。10年以上武術を極めたところで、この地域の悪を一掃する時間はあまり確保できそうにないからだ。幸い、あなたは無敗のバットマンになろうとしているわけではない。だが、あたかもそうであるかのように行動する人びとが少なくない。私たちは常に、落ち度があってはならない、一度失敗したら終わりだ、と思っている。しかし私たちはバットマンではない。何度でも失敗し、断念し、学ぶことができる。というより、それが学ぶための唯一の方法なのだ。
2020.03.20
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ここ数回、錯覚に気をつけようという話をしてきました。僕たちのまわりは錯覚だらけだ。それに打ちひしがれて自殺をするなんて、ナンセンスだぜ、という話でした。そのために、般若心経まで持ち出しました。ところが、「いや、逆だ。」「錯覚があるから人類は発展してきたんだ、」という話があることを知りました。もしもそうなら、真逆じゃないですか。公平性を保つためにも、ぜひこの話を聞いておいて下さい。それは、2017年ビジネス書大賞を受賞して世界的にもベストセラーとなった書籍「サピエンス全史」です。このサピエンス全史というのは、とにかく面白い!名著中の名著なんですが、ネックがあります。超大作過ぎるんです。上巻下巻合わせて約600ページです。それでしり込みする人も多いようです。ですから、この大作の極一部分、私が面白いと思った人類の発展の秘訣に絞って解説しましょう。地球上で我々ホモサピエンスだけが、圧倒的に反映したのは、なぜでしょうか?この本はこの勝因を解き明かします。その前に、この本の著者「ハラリ」さんが、めちゃくちゃアタマがいいんです。世界が認める超天才歴史学者なんです。その天才の視点で、人類の歴史を振り返っていきます。そうすると、学校で私達が教わってきた歴史とは結構ズレた世界が広がってきます。つまり、人類とはいったいどういう生き物なのか、ということです。結論から言うと、勝因は、3つの革命のお陰だというのです。1 認知革命 2 農業革命 3 科学革命 の3つの革命です。もちろん、順番はこの流れです。子の中で最も大きいのが、10万年前に起きた認知革命が土台を成しています。この認知革命がなければ、10万年前にホモサピエンスは絶滅していただろうキーポイントです。その当時、我々のライバルは、ネアンデルタール人の他、フローレス人などの3~4種の生き物がいたんです。学校では、ホモサピエンスはネアンデルタール人から進化した人種だと教わったかもしれませんが、全然違うのです。どっちが上とも一概には言えません。一説には、ネアンデルタール人の方が体力的にも、知能的にも上だったという説もあるくらいです。全く別の生き物だったのです。完全なライバルでした。血で血を洗う争いをしてきたのです。さらに、脳みそが他より良かったからでもないのです。激弱スペックだったのです。何で劇よわスペックで生き残れたのか?認知革命のおかげです。原因は不明です。なぜか、認知革命が起きたのです。その認知革命とは…?それが「ウソ」です。ウソを信じる力です。また、ウソをつく力です。我々ホモサピエンスという種だけがウソをつけるようになったのです。本のなかでは、虚構という言葉が使われていますが、つまり「ウソを語り」「そのウソをまんまと信じてしまうという力」のことです。まってくれ、ウソの力ってそんなに強いの?ショボくない?真っ先に絶滅するんじゃないの?ウソというのは、すんごい発明だったのです。これってウワサ話を信じて広める力だったのです。自分の眼でみたことがない噂の話を信じる力です。それで権力構造や社会ができてきたのです。ウソみたいな話を信じたからこそ、偉い人が生まれてきたのです。逆に言うと、他の人種は、ウワサ話を信じる力がなかったのです。そうなると、社会の規模が大きくなれません。「目で見たものしか信じない」では、50人くらいが限界です。つまり闘いに数の力で負けてしまうのです。ウソが巨大な力を産み出すのです。数の暴力で個々の力は強くなくても下克上を果たすのです。我々のホントウの強みは、頭の中にウソを信じる力が生まれたからだったのです。現在だってそうです。ウソのお陰で生き延びていられるんです。お金とか、国家もウソですよね。それらもウソなのに、大勢が信じていることができるから、社会が成り立っているのです。お金なんて、あんな紙切れにパワーがあるなんて、ウソですよね。あと宗教ですね。神様を誰も見ていないのに…。つまり、ウソのルールを作って、みんなで信じた結果凄いパワーが生まれたのです。ウソに守られてウソに生かされているんです。別名錯覚です。さ
2020.03.19
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お手伝いで受け持った教室では赤丸の要注意児童がいました。話は聞かない。自分の注意のおもむくままに、突っ走ってしまう。教室から出てしまうこともしばしばです。まるで黒柳徹子さんのトットちゃんです。当然、子どもたちにも仲間はずれされています。しかし、ここ私の週末塾では、彼が一番弟子、塾頭です。科学が大好きで(というより、科学しかアタマに入らない)いつもいつも、何か考えています。次第にリーダーシップも取れるようになってきました。昔の彼を知る学校関係者が、「彼はどうしてる?」とさも大変だろう、という風に、聞いてきます。私は、学校の先生を責めているわけはありません。先生の話を聞くと、それはたいへんだろう、と同情さえします。しかし、しかし、何かがおかしい、と思わざるをえません。彼の心の中には、鬱積したものがいっぱい詰まっています。彼は、彼の家族関係に起きた重大な問題も、自分のせいだと思っています。そして、嫌な目にいっぱい合って来ましたから、心理的なバリアも色々もっています。もちろん、私にも怒られます。追放されたこともあります。しかし、彼は着実に成長しています。「ドキドキするから楽しいんだ」、と彼は言います。ステキな言葉だと思い、塾のキャッチフレーズにも使わせてもらっています。でも、正確には、ドキドキを「一緒にする人がいるから」楽しいんです。お説教を何遍も言われるよりも、一緒にドキドキすることを体験すること。そして話を聞いてやることで、救われる子が大勢います。私たち大人は毎日の生活で、忙しいんですけれど、一人の子どもの可能性が開いていくお手伝いができることは、自分の未来を開いたことと同じようなものじゃないでしょうか。なぜなら、すべては一体ですから。彼の中に私が生きていくのです。社会で第一線でご活躍の方が一緒に遊びの指導をしてくれることは、計り知れない効果があります。現実の社会こそ。最高の遊び場でしょう。バリバリの第一線の方は、最もエキサイティングなプレイリーダーでもありますから。テレビゲームにのめり込んでいる子どもたちに、本当の遊びを伝えてあげたい。幼い目の先に、ワクワクした人生をイメージさせたいと願います。
2020.03.19
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勉強は、結局、主体的に取り組めるかどうかに決定的にかかっています。嫌いな子に砂糖をまぶして甘くしても、たかがしれています。でも、この勉強嫌いを直す方法は、実は簡単です。二つの作戦が必要です。まず、勉強をさせないことです。無理させないどころか、勉強したくてもできないくらいに追い込んでやります。できればお手伝いがいいでしょう。スポーツでもいいです。それをとことんやらせて、「勉強しなくてもいいよ」と言い続けます。もちろん、それだけでは、ダメです。次が大切です。それは、周りで勉強するといかに楽しいかをコソコソと語り合います。また、子どもの目を盗んで親が勉強している姿を見せます。いかにも、という風ではいけません。とっても内緒の道楽という感じにです。すると不思議なもので、必ず子どもは嗅ぎつけます。何かうまそうなものがあるぞ、と。しかし、ここで、すぐ説明し出したり、すすめたりしてはいけません。食レポの達人のように、臭いや期待はいっぱいもたせますが、試食はほんのちょっとか、またはゼロでいいのです。これで、もう、子どもの運命は決まったようなものです。艱難を排して、自分から学問に取り組むでしょう。塾なんかに頼らなくても、自分で勉強法を探します。そして主体的に取り組めば、学問はその本来の楽しさを必ずもっているのですから、きっとハマリます。納得します。ただ問題は、大人がいかに心から学問を楽しんでみせるか、です。どだい、学問はもうコリゴリと思っている親が子どもに尻をたたくことができるでしょうか?ですから、私は子どもの教育よりも、親に勉強の楽しさをまず教えた方が最も効率的ではないかと思っています。その意味でPTAの行事は、生涯教育の視点から、大人も意欲的に思わずのめり込んでしまう内容を用意しなくてはならないと思っています。そばで、お母さんが目を輝かせてニコニコしながら本を読んでいたら、関心をもたない子どもがいるでしょうか。雑感でした。
2020.03.19
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昨年、児童館の先生方の講習ということでとある県内の大学に行きました。テーマは「子どもたちと教師が共にワクワクできる授業の創造」です。 最初に私の趣味は何でしょう? という問題出しました。答えは手品です。手品はタネを買ってくれば良いから簡単です。室内の照明を落として、指が光るマジックをお見せsました。ただ光るだけでなく、手で作った光をもう一方の手でキャッチしてキャッチボールをしたり、口の中に入れて耳から出したり。水銀電池とLEDで光る指のサックをはめて見せただけだが、これからの授業の楽しさを予感してもらえば成功です。だいたい、子どもたちに、「大人しく授業を聞いていなさい」と注意している大人こそが、一時間でも、椅子に座って人の話を聞くことに苦痛を感じるものです。子どもにとっては学校にいる時間の中で授業を受ける時間が一番長いのです。一番長い時間が苦痛だったら大変です。ケアをしないと。 1コマ目の授業プランは「見えども見えず」①月の満ち欠けの様子を示す図(半月・満月・三日月など)を示して、どれが本物の三日月や半月かを予想してもらいます。学校の先生なのに、正解率は30%に満たないくらい。全問正解できたのは60人中一人だけでした。もちろん、いつも月をながめているはずなのに、なかなか見えないものですね。②次の問題は、「ありの足は何本か、」「体はいくつの部分に分かれているか」を予想し、「ありの絵を描きなさい。」先生方に恥をかかせては悪いから、早々に正解を描きます。正解率は50%くらい。小学校1年生に教えているはずなのに。三番目に問題は、③「家庭のコンセントの穴の長さは同じか、左の方が長いのか。」最後の問題は、④「信号機の3つの電灯の中で赤信号はどこか。」どれも、日頃目にしているものなのに、答えが分かれる。特にコンセントの穴の長さなんて同じに決まっているだろう!!と思ってる人が多い。本物のコンセントを見てみると、ナンと・・・?! 要するに問題意識が無ければ、いくらたくさん見ていても何も気がつかないのだ。レジュメには「問いかけなければ認識できない」と書きました。 2コマ目の授業プランは「『間違える』とはどういうことか」。覚えたことをはき出すだけなら、まちがうことはほとんどなくすことができる。でも、新しいことをやれば必ず間違う。だから間違ったら、新しいことに挑戦したんだと、自分をほめてやろう。間違えないのは新しいことをやらないからである。・・・ということで、「豆電球のガラスを割ってしまっても電池をつないだら、豆電球はつくでしょうか?」という問題を出します。答えは割れました。明るくつくが20名くらい、つかないは1名、暗くつくが30名、ちょっとつくがすぐ消えるが10名くらいと答えが割れました。「明るくつく」派はガラスの役目はフィラメントの保護だけだと考えていたようです。「暗くつく」派は、ガラスがフィラメントの光を反射・増幅させていると考えたようです。「すぐ消える」派は、電球の中にはフィラメントを燃やさない工夫がしてあることを知っている人たちでした。セロテープを巻いて、ガラスが飛び散らないようにしてペンチでガラスを割って3回実験しましたが、3回ともすぐに消えました。ここまでで既に実験が5つほど出てきたが、どれも本物か模型を使って実際に確かめました。「知らなきゃあ間違えるんです。「常に間違える」なんていったら大変なことなんで、たまにはあたるはずなんです。「間違える」ということは、いつかは「あたる」ということなんです。正しいことを見つけることができるようになるためなんです。だから、間違え方を教えるということは、どのようにすればいつかは新しいことを見つけられるか、ということを教えることです。」(板倉聖宣「仮説実験授業のABC」仮説社)3コマ目は授業書(仮説実験授業では、板倉聖宣先生の作られた「授業書」をもとに授業するのが普通)「自由電子が見えたなら」を元に授業をします。「1円玉は電気を通すでしょうか?」と問われて、ほとんどの参加者が教員であるにもかかわらず、3分の1くらいは電気を通さないという。これは大学生でも同様で、金属は電気を通すと小学校で学習したはずなのに。これは金属はなぜ電気を通すのかを教えないからです。原子の中には<電子>というものが含まれているのですが普通これは原子の中にそくばくされていて自由に動くことができません。でも、金属の原子の中の一部の電子だけはその金属の中を自由に動き回れます。これを自由電子(動けない電子は束縛電子)と言います。自由電子がたくさんあると、ものは皆、銀色の金属光沢を持つのです。だから、銀ぴか・銀ぴかのものは、その中にたくさんの自由電子が動き回っていると考えて良いのです。 「では、ケーキなどに乗っている1㎜ほどの銀色の粒は電気を通すでしょうか?」 「では、銀色折り紙はどうでしょう?」 「金色折り紙はどうでしょう」 「ビールの空き缶は?」 「アルマイトのヤカンの蓋は?」と授業は進んでいきます。 仮説実験授業は確かに楽しいし、板倉聖宣先生の書いた授業書を追試するだけだからとっつきやすい。けれども、内容が学習指導要領外である点が問題です。多くの教師は学習指導要領に示されている必修の内容を、子ども達に確実に習得させるために苦労しているのに、そのニーズに応えていないのだ。仮説実験授業は学習指導要領外の内容を教えようというのだから、興味はあってもそれを取り入れる時間的な余裕は無い。だから、(仮説実験授業に興味のある教師は、)学習指導要領に示されている内容を、仮説実験授業の手法で授業化し、追試し合うしかないと思う。 仮説実験授業の手法というのは、①答えがいくつかに分かれる発問をする。・・・ここに教師の技量が表れる。②既習経験や生活経験を元に予想し、その根拠を発表する。③全員をいずれかの予想に位置づけて、討論する。④実験をして予想を確かめる。 理科だけではない、国語も社会もこの手法で教えることができる。この日の1コマ目の授業で「見れども見えず」つまり、「問いかけなければ認識できない」ということを学んでもらいましたが、これは何の教科においても同じです。「読めども読めず」という状況にはよく遭遇します。 いつも見ている人のことがさっぱりわからない、ということも。やっぱり問いかけなければ錯覚してしまうのだ。
2020.03.19
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錯覚だらけのこの世で生きる道しるべ、それが仏教であり、エッセンスが般若心経です。そもそもこのお経の言いたいことが、形式にごまかされるなということですから、ロックにしちゃったものもスピリッツはそれなりに正解かもしれません。「生きること」それ自体が『般若心経』の世界を生きることにほかならないのですから、本当は何も難しく考える必要はないのでしょう。目の前に広がる世界のすべて、小石1つとってみても、そのすべてが「空」という真理を体現していることを感じで生きれば、それでいいのです。だから逆に、考えれば考えるほど迷いの深みにはまっていくようなものといえるかもしれません。『般若心経』は「空」の思想を説いた経典です。あらゆるものに自性はなく、変化を続けることが存在の本質としてある。しかしその真実を知ろうとせず、不変を求めたり、不変なるものが存在すると錯覚することで、真実との間に溝が生じ、そこから苦悩が生まれる。真実を知れば、人はもっと安らかに生きることができるというのに……。『般若心経』が「空」を説く理由はそこにあります。すなわち、執着から離れよ、執着すべきものなど何もない、ということが言いたいのです。1;現代語訳「般若心経ロック訳」超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?誰でも幸せに生きる方法のヒントだもっと力を抜いて楽になるんだ。苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。この世は空しいモンだ、痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。この世は変わり行くモンだ。苦を楽に変える事だって出来る。汚れることもありゃ背負い込む事だってあるだから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。この世がどれだけいい加減か分ったか?苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。見えてるものにこだわるな。聞こえるものにしがみつくな。味や香りなんて人それぞれだろ?何のアテにもなりゃしない。揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。それが『無』ってやつさ。生きてりゃ色々あるさ。辛いモノを見ないようにするのは難しい。でも、そんなもんその場に置いていけよ。先の事は誰にも見えねぇ。無理して照らそうとしなくていいのさ。見えない事を愉しめばいいだろ。それが生きてる実感ってヤツなんだよ。正しく生きるのは確かに難しいかもな。でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。愉しんで生きる菩薩になれよ。全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。勘違いするなよ。非情になれって言ってるんじゃねえ。夢や空想や慈悲の心を忘れるな、それができりゃ涅槃はどこにだってある。生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。この般若を覚えとけ。短い言葉だ。意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。今までの前置きは全部忘れても良いぜ。でも、これだけは覚えとけ。気が向いたら呟いてみろ。心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』心配すんな。大丈夫だ。2、般若心経 現代語訳 この訳は、ひろさちや氏によるものです。 観自在菩薩がかつてほとけの智慧の完成を実践されたとき、肉体も精神もすべてが空であることを照見され、あらゆる苦悩を克服されました。 舎利子よ。存在は空にほかならず、空が存在にほかなりません。存在がすなわち空で、空がすなわち存在です。感じたり、知ったり、意欲したり、判断したりする精神のはたらきも、これまた空です。 舎利子よ。このように存在と精神のすべてが空でありますから、生じたり滅したりすることなく、きれいも汚いもなく、増えもせず減りもしません。 そして、小乗仏教においては、現象世界を五蘊(ごうん)・十二処・十八界といったふうに、あれこれ分析的に捉えていますが、すべては空なのですから、そんなものはいっさいありません。また、小乗仏教は、十二縁起や四諦といった煩雑な教理を説きますが、すべては空ですから、そんなものはありません。そしてまた、分別もなければ悟りもありません。大乗仏教では、悟りを開いても、その悟りにこだわらないからです。 大乗仏教の菩薩は、ほとけの智慧を完成していますから、その心にはこだわりがなく、こだわりがないので恐怖におびえることなく、事物をさかさに捉えることなく、妄想に悩まされることなく、心は徹底して平安であります。また、三世の諸仏は、ほとけの智慧を完成することによって、この上ない正しい完全な悟りを開かれました。 それ故、ほとけの智慧の完成はすばらしい霊力のある真言であり、すぐれた真言であり、無上の真言であり、無比の真言であることが知られます。それはあらゆる苦しみを取り除いてくれます。真実にして虚妄ならざるものです。 そこで、ほとけの智慧の完成の真言を説きます。 すなわち、これが真言です。「わかった、わかった、ほとけのこころ。 すっかりわかった、ほとけのこころ。 ほとけさま、ありがとう」
2020.03.18
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私の行動が、現実との因果関係がホントウに無いんだったら、私にとって都合の良い、どんな行動をしてもいい、ということだよね。?そういうことだよね!?つまり、会社が倒産しようが、親が死のうが、ヘラヘラ笑っていていい、ということだよね。「こんな時に不謹慎な!!」と非難される筋合いは無いということ。だったら、健康のためにも、引き寄せの法則の原理から言っても、ニコニコ笑っちゃっていた方が何倍も私にとって、お得だというわけ。だって、どう考えたって、ブスットしているよりも、ニコニコしている方が血の巡りが良くなるし、運勢も良くなるでしょうが。神様だって、(いるかどうかは、別として、)聖書では「いつも喜んでいなさい。」」「絶えず祈りなさい。」「すべての事を感謝しなさい。」と神からの命令として伝えています。そもそも、因果関係があるということは、だから、そうしなきゃいけないということとは、全く関係が無い話です。「コロナウィルスがあるからオリンピックはしない」という因果関係もずいぶん怪しいものですが、「コロナだから子どもたちは外であそんではいけない」というのは、その何倍も怪しいです。それだけではありません。「コロナだから、飲み食いをするな」「コロナだから笑っちゃいけない」までになってきています。この「そんなの関係ない」という叫びは現代のことだけではありません。時空を超えて、お釈迦様から立ち上がってきたものです。
2020.03.18
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私達人間は、よく錯覚や勘違いをします。というより、錯覚をするのが極自然な状態なのです。何の因果関係もないものに、私達は、ストーリーを見出してしまうのです。本当は、全然動いていないただの紙に描かれた絵なのに、パラパラと連続で見せられると、活き活きと動き出しているように見えてしまうのです。アニメはだから、すべて錯覚の産物です私達は、今現実に見ているこの世界だって、つながって動いているように思っているけど、実は、アニメのセル画のように、バラバラになっているのかもしれません。いや、どう考えたって繋がっているぞ、というかもしれません。しかし、超細かく分析すれば、一瞬一瞬がバラバラなんだと、言う主張を否定できますか?音楽の世界だってそうです。胸を揺さぶり、涙を流させる感動的な交響曲だって、良く分析すれば、1音1音、ある周波数の振動にすぎません。それが寄せ集まったものです。そこに白鳥が躍っているのを見出すのは、人間の錯覚にすぎません。だから、人間がどんな感情を刺激されようが、どんな経験をしようが、その体験が「現実世界とホントウに一致しているか」なんてわかりません。さあ、ここまで来ると、デカルトの批判から生まれたイギリス経験論の登場です。つまり、「人間のアタマの中に浮かぶ知識や観念は、すべて経験の影にすぎない」という考え方のことです。実態ではない、というのです。この代表選手ヒュームは、デカルトの「疑う私の存在は確実」という真理に対して、以下のように反論します。「たしかに疑う私の存在は確実かもしれない。だが、そもそも、その『私』とはいったい何だろうか?デカルトの『我あり』という言い方だと、まるで『私』が肉体から離れた魂や霊などの精神的実体として存在しているかのようであるが、『私』という存在なんか「さまざまな知覚の集まり』にすぎないのだ。結局のところ、『私』とは、あるときは快適で、あるときは痛いといった、次々に現れる知覚が継続することによって生じている疑似的な感覚つまり錯覚にすぎないのだ。」つまり、「〇〇とはこういうものだ」という考えは、すべて経験によって形づくられているわけで、それがホントウの現実と一致しているかどうかは、何の保証もない、ということを言っているのです。この懐疑のまなざしは、ついに「神様」、そして「科学」にまで向けられます。そもそも、経験論という現実的で、合理的な立場の哲学体系であっても、神様を否定するような恐れ多いことを言う人は、誰もいなかったのです。しかし、ヒュームは、はじめて神様に対して「no!」を突き付けます。現実には存在しない概念は、すべて「過去の経験の組み合わせ」によってつくられた妄想か、錯覚だ。と言ってしまったのです。そして、さらにヒュームはその懐疑の刀を「科学」にまで振り下ろします。彼は、科学法則も経験上の産物にすぎず、現実世界と一致しているなんかわかったもんじゃない、と主張します。さすがにそれは、科学に慣れ親しんだ私達からすれば言い過ぎの間違った考えのように聞こえるでしょう。しかし、ヒュームの主張はどこまでも合理的で、説得力のあるものです。 たとえば、私達は、「炎は熱い」というのを絶対的な科学法則だと思っています。しかし、ヒュームに言わせれば、「火に触ると熱かった」という経験が繰り返された結果、火は熱いという因果関係があるのだと、人間が勝手に思い込んだだけにすぎないのだそうです。そして、その思い込んだ因果関係がホントウにあるのかどうかは人間にはわからない性質のものだ、と言うのです。結局のところ、人類が火に触って何億回やけどをしたからといって、次の百億一回目のときも同じ現象が起きるということは保証がないのです。それにもしかしたら、イタズラ好きな「妖精さん」がいて、人間が火に触ったときに妖精さんが、熱さを与えているだけかもしれません。だったら、その妖精さんを捕まえてしまえば、人間はもう火傷はしないのかもしれません。もし、「妖精さん」じゃ、あまりにも子ども騙しみたいだったら、「未知の物理現象X」だっていいでしょう。つまり、本当の熱の原因なんて人間にわからないのです。人間は科学の名を借りて信じ込むしかないのです。
2020.03.17
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錯覚について考えてきましたが、錯覚って本当に悪いもんなんでしょうか?ある本が思い出されました。発売から2か月を待たずに10万部を突破し、オリコンでも3週連続1位(自己啓発部門)になるなど、売れに売れているのが、『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』です。「錯覚資産」という概念を打ち出しています。運よりも実力よりも成功を大きく左右するという「錯覚資産」はテレビでもネットでも話題になり、いまの社会を読み解くキーワードの1つとなっています。まず「錯覚資産」とは、「人々が自分に対して持っている、自分に都合のいい思考の錯覚」及び、それを引き起こす事実のことです。この錯覚を引き起こしているのは、先日、アメリカの専門家が10くらいに分類したものを書きましたが、代表的なものが「ハロー効果」です。ハロー効果は、多くの心理学実験で確認された認知バイアスの1つで、「1つのプラス属性に引っ張られて、他の属性を過大評価してしまう」という現象です。たとえば「起業した会社が上場した」というプラス属性に引っ張られて、「言っていることの面白さ」という、あまり関係ない属性が過大評価され、記事やツイートが面白いものであるかのように感じられてしまうというタイプです。この錯覚は、その人にとって都合がよく、一種の資産として機能します。だから「錯覚資産」なのです。この錯覚資産という概念は、賛否両論を巻き起こし、さまざまな形の共感と誤解を生んできました。たとえば、以下のような誤解があります。・錯覚資産とは、経歴詐称もしくは“はったり”のことである。・錯覚資産なんて、すぐに化けの皮が剥がれるから、意味がない。・錯覚資産という概念は、社会を悪くする。・「錯覚資産」は「ブランド」を言い換えただけの言葉に過ぎない。・「錯覚資産」は「信用」を言い換えただけの言葉に過ぎない。・「錯覚資産」は「ハロー効果」を言い換えただけの言葉に過ぎない。誤解を解くために、これらを1つずつ見ていくことにします。 まず『錯覚資産とは、経歴詐称のことである』について。「錯覚資産って、要はショーンKみたいなことをするやつでしょ」などと言う人がけっこういますが、これは違います。経歴詐称は単なるウソですが、錯覚資産はウソとは別のものです。何1つウソをついていないのに、相手が勝手に思考の錯覚を起こすようなものが、「錯覚資産」です。「認知バイアスが思考の錯覚を引き起こすこと」と、「嘘をついて相手を騙すこと」は、まったく別のことです。ウソはいずれバレます。しかし、錯覚資産はウソではないので、バレようがありません。また、錯覚資産は、「はったり」でもありません。「はったり」とは「いい加減なことを大胆に本当らしく大げさに話すこと」です。それは「いい加減なこと」ではありませんし、「大げさ」でもありません。このように、「それ以上でもそれ以下でもない単なる事実」でありながら、認知バイアスによって他人に思考の錯覚を起こさせるようなものが、錯覚資産なのです。はったりをやっていると、いずれ信用を失います。しかし、錯覚資産ははったりではないので、信用を失うことはありません。次に、『錯覚資産なんて、すぐに化けの皮が剥がれるから、意味がない』ですが、これは、錯覚資産の使い方しだいです。たとえば、ITエンジニアが「高学歴」「前職は一流企業で立派な肩書」「イケメン」「背が高い」という錯覚資産で自分を過大評価させて採用されても、プログラムを書くのが遅く、書いたプログラムの実行速度が遅く、ソースコードが読みにくく、保守性が悪く、バグやトラブルが頻発すれば、実力がないことぐらい、すぐに分かります。「化けの皮が剥がれる」わけです。しかし、極めて優秀なITエンジニアであっても、「低学歴」「前職はしょぼい零細企業の平社員」「背が低い」などのマイナスの錯覚資産がある場合、面接官に実力を過小評価されてしまい、その会社で活躍できる実力があっても、採用されません。つまり、錯覚資産は、自分を過大評価させるためというより、過小評価を防ぐためにこそ、クリティカルに重要なものなのです。また、適度に自分を過大評価させた方が得な職種も多いです。たとえば、起業家は、投資家に出資してもらうために、目論見書や事業計画書を作り、投資家にプレゼンして回らなければなりません。それは、大変な時間とエネルギーが必要とされます。そのせいで本業がおろそかになってしまうほどの時間がとられることまであります。起業家は、錯覚資産で自分を過大評価させることで、事業計画書が多少しょぼくても、投資家に出資してもらいやすくなります。このため、出資を引き出すための労力を、大幅に節約することができます。同様に、営業マンも、錯覚資産で自分やプロダクトを適度に過大評価させることで、本来なら契約に3ヵ月かかるところを1ヵ月に短縮できたりするため、生産性が上がります。また、自分の企画したプロジェクトを社内で立ち上げたいときも、錯覚資産で、適度に自分を過大評価させることで、そのプロジェクトを上層部に承認してもらいやすくなります。錯覚資産を有効活用できるかどうかは、適切な運用ができるかどうかにかかっているのです。 次に「錯覚資産という概念は、社会を悪くする」という誤解について。錯覚資産について書いた『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』を読んだ人の評価は、次の両極端に分かれることが多いです。・読まないと損する、絶対読んだほうがいい本だ!・当たり前のことしか書かれておらず、ろくに内容のない本だ!錯覚資産をすでに息を吸うように自然に運用している人は、「こんなの当たり前」って思うと思います。つまり、この本は主に、これが「当たり前」でない人達に向けて書かれた本なのです。錯覚資産を使いこなしている人は、そうでない人に比べて、はるかに有利です。錯覚資産を使いこなしている人の方が、社内のおいしいポジションを取りやすいですし、昇進もしやすいです。これは、とても不公平なことです。錯覚資産という概念が広まることで、この不公平が解消されます。すでに錯覚資産を使いこなしている人にとっては、これは無意味な概念です。しかし、それ以外の人たちは、自分も錯覚資産を運用することで、いままで錯覚資産を使いこなしてうまくやってきた人たちと、同じ土俵に立つことが出来ます。その意味で、錯覚資産という概念は、世の中を良くするのではないでしょうか。もちろん、錯覚資産を悪用する人も、中には出てくると思います。しかし、錯覚資産を悪用している人は、昔からたくさんいます。錯覚資産という概念が普及すれば、錯覚資産に騙される人が減るので、むしろ、世の中全体から、錯覚資産による詐欺的な商法の被害者が減るのではないでしょうか。また、『「錯覚資産」は「ブランド」を言い換えただけの言葉に過ぎない』という誤解について。ブランディングの教科書を読めばすぐに分かりますが、「ブランド」は、きわめて重要な社会的機能を持っており、決して、「単なる錯覚」などではありません。エルメスのバッグの品質がいいのは、錯覚ではありません。たとえば、エルメスという「ブランド」は、高品質を「保証する」という機能があります。間違いなく高品質のものを買いたければ、ブランド品を買うのが確実です。この「保証する」という「機能」は、具体的なメリットであって、錯覚や勘違いではないのです。ブランド品が高い理由の1つは、この「保証料」が上乗せされているからです。ただし、ブランド品の価格は、品質料金と保証料金だけでは、説明がつかないほど高いです。それは主にブランドイメージの分の料金です。これは、パーセプション(知覚)の中にしか存在しない価値です。このパーセプション価値の主成分が、錯覚資産です。なぜ、ブランドという言葉だけでは不十分かというと、錯覚資産と、それ以外の価値を、分けて考えたほうが、高い解像度で、的確な判断ができるからです。たとえば、錯覚資産成分を分離して認識するように心がければ、錯覚資産で水ぶくれしたブランドではなく、より錯覚資産成分の少ない、実質的価値成分の大きいブランドの品を買うことができます。また、自分自身をブランディングするときは、「実力」と「実力があることの保証」から「錯覚資産」を分離して取り出し、それを意識的に運用した方が、うまくいきます。錯覚資産は認知バイアスによって構成されていますから、錯覚資産に影響を及ぼす認知バイアスのチェックリストを作り、それぞれの認知バイアスを使って、どのように錯覚資産を増やすのかの具体的な戦略とToDoリストを作ることができます。たとえば、自分が、より少ないコストで、より大きなハロー効果を作り出すことのできる実績を洗い出し、リスト化することができます。また、複数の認知バイアスを掛け算して錯覚資産を増幅するアクションプランも作れます。たとえば、自分のもっている実績のうち、大きなハロー効果を作り出すものをリスト化して、それらを、誰に、どのように知らしめることで、利用可能性ヒューリスティックの効果で、錯覚資産を何十倍、何百倍にも増幅するアクションプランを作れるのかの計画を立てることができます。誰に対して、どのように好感度を上げることによって、感情ヒューリスティックによる錯覚資産を、何十倍、何百倍にも増幅するかの具体的なプランも作れます。単に、「自分をブランディングしていこう」だと、解像度が低すぎて、具体的なアクションプランに落とし込みにくいです。「錯覚資産を複利で増やしていこう」であれば、上記のように、認知バイアスのチェックリストを作って、高い解像度で戦略とアクションプランを作り、具体的な行動に落とし込みやすいのです。「ブランド」に比べると、「錯覚資産」は、物理的、生物学的な現象に近いところにあるので、最新の科学研究の成果も取り込みやすく、地に足の着いた、具体的なアクションプランも立てやすいのです。もちろん、錯覚資産は、ブランドという概念を置き換えるようなものではありません。とくに自分自身をブランディングする場合、ブランドのうち、錯覚資産に相当する部分だけ、錯覚資産という概念で運用したほうがうまくいく、という話なのです。『「錯覚資産」は「信用」を言い換えただけの言葉に過ぎない』という誤解についても、同じです。「信用という財産を積み上げていこう」と考えているだけでは、具体的なToDoリストに落とし込むときに、見落としが多くなります。「信用」の成分を、錯覚資産とそれ以外の成分に分離し、錯覚資産部分だけ、別に運用したほうが、はるかに高い解像度で、的確に運用することができます。遥かにROIの高いToDoリストを作って、アクションをマネージメントすることができます。最後に、『「錯覚資産」は「ハロー効果」を言い換えただけの言葉に過ぎない』という誤解について。まず、錯覚資産の定義は、「人々が自分に対して持っている、自分に都合のいい思考の錯覚」というものですが、思考の錯覚を作り出すのは、ハロー効果だけではありません。さまざまな認知バイアスが、思考の錯覚、ひいては、錯覚資産を作り出すのです。ですから、「ハロー効果さえ理解していれば、錯覚資産の概念を理解する必要はない」というのは、誤解です。では、認知バイアスを理解していれば、錯覚資産は理解する必要はないのでしょうか?それは、人によると思います。錯覚資産などという概念を使わずに、利用できそうな認知バイアスのチェックリストを自分で作り、そこから最大限のメリットを引き出すためのToDoリストを作り、すでに、何十年も前から試行錯誤をしてきているような人たちには、錯覚資産などという概念は不要です。しかし、認知バイアスの本を読んで理解はしたが、それを利用して自分の人生を切り開くための、具体的な計画を立てたり、認知バイアスを利用し尽くすためのチェックリストやToDoリストを作っていないような人には、錯覚資産という概念は有用でしょう。 まとめます。ネットでは、以下の両極端の言説がよく飛び交っています。・錯覚資産という概念は(誰にとっても)重要だ。・錯覚資産という概念は(誰にとっても)無意味だ。この、どちらの言説も誤っています。「錯覚資産という概念が有用かどうかどうかは、人による」からです。あくまで重要なのは、「錯覚資産という概念が『自分にとって』有用なのか?」です。中島みゆきさんの歌の歌詞じゃないですが、「あなたが錯覚資産を運用できるようになることで、あなたを搾取できなくなる人たち」のポジショントークは信じないほうがいいです。大きな主語で語る他人の言説に惑わされることなく、あくまで、「自分自身にとってどうなのか」を、見極めたほうがよろしいかと思います。このコロナで日本の錯覚資産は大きく地に落ちてしまいました。互い的にも、国内的にも。しかし、これを立て直すのも、錯覚資産の使い方なのです。頑張りましょう。つまり日本人にとって都合の良い物語をドラマティックに作り上げましょう。
2020.03.16
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スポーツの世界で、「彼は波に乗っている」というときがあると思います。たとえば、バスケットの試合でシュートが連続でバリバリ入っている。その波に乗っているプレーヤーは、次のフリースローの時、いつもより、良い確率でシュートを決められるでしょうか?これはバスケットをしてきた人ほど、「波はある」として、「絶好調の彼は、シュートを決める」と判断してしまいます。私もそう思っていました。しかし、これは間違いです。厳密な科学的な実証研究の結果、「運の波」みたいなものはない、ということが証明されています。純粋にその人の技量の確率だけがあるのです。つまりサイコロを振るのと同じなのです。サイコロの1が3回続いて出ても、その人が何か持っているのではなく、偶然、続いただけなのです。確率計算ではじき出されるように現実は動いているのです。しかし!なぜ、人間は何かがあるように判断してしまうのでしょうか?コーネル大学の心理学の教授ギロビッチさんは、「人間はドラマが大好きだし、ドラマで物事を考えてしまう」からと言っています。同様に世界的なベストセラー「ファクトフルネス」の著者ハンス・ロスリングさんも同様のことを言っています。よく「子どもたちに、絵本の読み聞かせをしてやりなさい、」ということが言われます。確かに素晴らしいことなんですが、このシンデレラや浦島太郎の物語を理解する能力そのものが人間を誤判断に導くとしたら、大変な皮肉ですよね。この、誰もが持っている「ドラマチックな本能」について、教授たちは、人々の「勘違い」事例を用いて、それぞれのツボや抑える術を解説しています。以下、その10の本能についての要旨をまとめてみました。1.分断本能 さまざまな物事や人々は2つのグループに分かれていて、両者の間には決して埋まることのない溝があるはずだ、と思い込んでしまうこと。 目を引く極端な事例や数字、「平均の比較」による見せかけの分断に惑わされずに、「大半の人がどこにいるのか」を探すことで、分断本能を抑えることができる。本では、「途上国」や「先進国」という分断された見方の代わりに、世界中の人々を所得レベルに応じて4つのグループに分けるという考え方を提案している。2.ネガティブ本能 人が誰しも持ち得る、物事のポジティブな面よりネガティブな面に注目しやすいという本能。 世界は、「悪い」状態と、「良くなっている」状態を両立していると理解すること。そして、悪いニュースはドラマチックに報じられることが多いため、良いニュースよりも広まりやすいと考えること。ネガティブ本能を抑え、世界の現状を正しく理解するには、以上の2点が必要であるとされる。3.直線本能 グラフが直線を描くと思い込んでしまう本能。多くの人が「世界の人口は“ひたすら”増え続ける」と勘違いする原因にもなっている。 実際には人口以外のデータにおいても、直線のグラフが当てはまるケースは珍しい。「S字カーブ」「すべり台の形」「コブの形」、もしくは「倍増」する線が当てはまることの方が多い。直線本能を抑えて何らかの現象を正しく理解するには、グラフには直線以外にもさまざまな形があると知り、グラフに示されていない箇所を不用意に憶測しないよう努める必要がある。4.恐怖本能 人の目は自然と「恐ろしいもの」に吸い寄せられてしまうため、世界は実際の姿よりも恐ろしく見えてしまうという本能。 恐怖に囚われると、事実を見る余裕も無くなってしまう。しかし、確実にリスクがある「危険」なことと違い、「恐怖」はリスクがあるように「見える」だけである。リスクは「危険度×頻度」で決まるため、恐ろしさは無関係であることを知った上で、リスクを正しく計算することが恐怖本能の制御につながる。5.過大視本能 ある1つの数字だけを見て「なんて大きい(小さい)んだ」と勘違いするような、1つの実例を重視し過ぎてしまう考え方。「目の前にある確かなもの」に気を取られると本質を見失い、限られた時間や労力を無駄遣いしてしまう可能性がある。世界で起こる事柄の本質を見失わないためには、提示された数字を他の数字と比較したり割合を見たりすることで、過大視本能を抑える必要がある。6.パターン化本能 人は無意識に物事や状況をパターン化し、それをすべてに当てはめてしまうもの。パターン化は生きていく上で必要な思考の枠組みだが、誰しも分類の仕方を間違えたり、少数の例や一部の例外的な事柄を基に、グループ全体の特徴を決めつけてしまいがちだ。「ひとつの例がすべてに当てはまる」という思い込みは思考停止につながり、物事への理解を妨げるだけでなく、重大な機会損失にもつながる。 これを防ぐには、常に「自分の分類の仕方は間違っているかもしれない」と疑い、強烈な印象の「例外」にとらわれ過ぎていないか等、よく使ってしまう分類を見直し続ける必要がある。7.宿命本能 持って生まれた宿命によって、人や国、宗教や文化の行方は決まるという思い込み。物事が昔から今の姿であるのはどうにもならない理由があるからで、これからも永遠に変わらないし、変われない、という考え方だ。 実際には、「インターネットやスマートフォンの普及」のような急激な変化でないため実感できていないだけで、社会や文化は昔から常に変化し続けている。 宿命本能を抑えるには、小さな進歩を追い続け、自分の中の知識を常に新鮮に保つよう心掛けること。そして、自分の価値観を親や祖父母、子や孫世代のものと比べてみるなど、実際にどのくらいの変化が起こっているのか確かめることが有効とされる。8.単純化本能 世の中のさまざまな問題に対し、1つの原因と1つの解答を当てはめてしまう傾向のこと。1つの視点だけでは世界を正しく理解し、問題に対して現実的な解を見つけることはできないとされる。 自分の考え方が正しいことを示す例ばかりを集めたり、問題解決の一部に役立ちそうな専門知識を強引に振りかざすのではなく、専門や立場が異なる人々の意見にも謙虚に耳を傾ける。このようにケースバイケースで問題に取り組むことで、単純化本能を抑えることができる。9.犯人捜し本能 何か悪いことが起きたとき、単純明快な理由を見つけたくなる傾向のこと。誰かを責めたいという本能に囚われると、複雑な真実に目を向けることができなくなってしまい、将来同じ間違いをしてしまう可能性が高まる。 物事がうまくいかないときには犯人捜しをするのではなく、複数の原因やシステムを見直す。反対にうまくいったときにはヒーローではなく、社会基盤とテクノロジーに目を向けるよう努めることで、この本能を抑え込むことができる。10.焦り本能 目の前に危機が迫っていると感じると、すぐに動きたくなる本能。しばしば「今すぐ手を打たなければ、取り返しのつかないことになる」といった言葉で引き出される。焦り本能が顔を出すと、他の本能も引き出されてしまうので、冷静な判断力は奪われ、批判的に考える力も失われる。 これを防ぐには、まず一呼吸おいて自分の焦りに気が付くこと。そして「今すぐに決めなければならない」ことは滅多にない、と知ること。むしろ極端な予測に惑わされず、時間をかけて正確な情報やデータを収集し、冷静な分析に努める必要がある。「事実」を冷静に認識するために先入観や思い込みに囚われず、冷静な目で事実を見つめ直す。言葉にするとあっけなく、また誰もがその重要性については認識している。しかし、実際には物事を考える上で最低限知っておくべき、ともいえる簡単な事実すら共有できていない。本書でも触れられているが、世界に関する思い込みや、思考の癖をそのまま放置していると、ビジネスを展開する上でも大きな痛手となる。 データのオープン化が進む今、最新の事実に基づく正しい世界や物事の見方、本能の抑え方を学ぶことの重要性はますます高まっていくだろう。日本では、新たな学習指導要綱で重視する項目に「理数教育の充実」が掲げられ、文部科学省によって「観察・実験などによる科学的に探究する学習活動や、データを分析して課題を解決するための統計教育を充実」する方針が発表されている。『ファクトフルネス』でも教育の必要性について言及されており、世界の人々の暮らしを収入別に写真で見ることができる「Dollar Street(ドル・ストリート)」を子どもたちに見せるといった、具体的な提案も盛り込まれている。センセーショナルなニュースや思わず目を奪われてしまう文言に惑わされず、膨大なデータの中から数字や統計の読み解き方を身に付けたい。
2020.03.16
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人間はどうして間違った判断をしてしまうのだろうか?どうしてこんな考えになるのか?ということが私達の周りにはいっぱいです。どうしてギャンブラーは繰り返し損をしても「今度こそ儲かる」と信じるのだろう...。どうして占いは当たる(当たっているように感じる)のだろう...。どうしてルーキーには「2年目のジンクス」がつきまとうのだろう...。 人の心はさまざまな情報を自ら統合しつつ外の世界を認識しています。情報量は膨大ですから効率的に処理しなければならず、要らない情報は取り除かれ、重要な情報は他の情報と一緒にまとめられて単純な形にされます。この合理化の機能こそ、コンピューターには到底真似のできない、人の心のすばらしさです。 ところが、この優れた仕組みがあるが故に、無いものを認識したり、意味の無いものに意味を見出したり、人はしばしば迷信や誤信や過度な自信に、極めてあっさりと陥ってしまいます。これだけたくさんの情報が氾濫し、インターネットの普及によって誰もが簡単に情報にアクセスできる時代、情報の仕分けを教えるべき社会科学者の役割は大きくなるばかりです。物事を正確に判断するために子どもたちに教えておくべきことはいっぱいあります。・偶然に生じた出来事に意味づけをしてしまう・わずかなことから肯定的な情報を探し求める・信じていると、そのように物事は見えてくる・自分が信じたいものを信じようとする また、ひとを取り囲む環境の中にも誤信の要因を見出せます。テレビ番組やニュースなどを含む人づての情報のもつ歪みなどです。その情報には、誇張と省略が必ずあることを心にとめておかなければならない。人目を引く内容は、視聴率や雑誌の販売にも有効だが、誇張と省略によって魅力的にもみせるからです。 誤信しないためには、ひと特有の認識行動をよく理解し、それを矯正する心的習慣を身につけることです。また、「与えれた情報を越えた解釈」をする人間の能力は、コンピュータを上回ります。AIには、逆にできない技であり、これが人間の賢さなのだとも言えます。推論できることこそ、人間の優れたところなのですが、誤信を招き寄せる人間の落とし穴でもあり、これも認識行動ゆえなのです。超能力やスピリチュアルに宗教といった神の奇跡は限りなく全て、人間の認知機能による誤作動であるのに。圧倒的多数の人々が何かを信じています。最新の心理学で、認知機能が低い人間ほど、宗教や偏見にはまりやすい方という事が書いてありました。言葉は悪いですが、神秘的なものを信じてしまうのは、つまり愚か者、簡単に言えばバカなのです。そういう人は、それらを悪意をもって使いこなす人の奴隷になるのです。マスコミは、無数の事実の中から商業的に受ける内容、側面だけを故意に選んで、歪んだ情報を流します。人の心はさまざまな情報を自ら統合しつつ外の世界を認識しています。情報量は膨大ですから効率的に処理しなければならず、要らない情報は取り除かれ、重要な情報は他の情報と一緒にまとめられて単純な形にされます。この合理化の機能こそ、コンピューターには到底真似のできない、人の心のすばらしさです。 ところが、この優れた仕組みがあるが故に、無いものを認識したり、意味の無いものに意味を見出したり、人はしばしば迷信や誤信や過度な自信に、極めてあっさりと陥ってしまいます。 そんな人の心の不思議な性質について研究するのが認知・社会心理学であり、多くの実証研究がなされています。今後これらのことを中心に私自身が学び、授業に生かしていきたいと思います。 アメリカでの話題が多くなるでしょうが、日本人にも馴染みやすいトピックスを使って、最終的に冒頭の問いの答えに気づけるように頑張ります。 人の心についての知的好奇心を満たすだけでなく、迷信や誤信にできるだけ陥らない為にもぜひ読んでみてください。
2020.03.15
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コロナウィルスは、確かに現実の問題です。しかし、社会不安やパニックは、人間のアタマの中の問題です。つまり、イメージの問題です。ある意味、幻想です。だったら、気にしなければいいのでしょうか?いや、この幻想が現実的に大きなパワーを持っているのです。それどころか、幻想こそがこの世のすべての問題の根源だとも言えます。命を奪い合う戦争だって、幻想が生み出しているわけですよね。何も原子爆弾を落とし合わなければいけないほど、お互いを憎しみあっていたわけでもないのに、結果としてあの悲惨な大量虐殺を起こしてしまいました。あれも、幻想が引き起こした悲劇とも言えます。じゃあ、今回のコロナのどこが幻想なんだよ!?まず、「ウィルスが拡大している」という言葉、または言葉遣いが幻想です。普通、感染が拡大するというのは、1人が2人に感染させ、2人が4人に影響するというように幾何級数的に拡大するのが基本です。ところが、現在の日本の感染者数の伸びですが、二次関数的に伸びているのではなく、完全に一次関数です。それも「傾き」が極めて低いのです。他の国々と比較しても、他の国々も一次関数なのですが、傾きが日本の場合、圧倒的に低い。韓国・イタリア・フランス・イランがなぜ多いのかと言えば、これらの国は、中国とのビジネスが密接で、つまり中国人が多く出入りしているからです。いわゆる「一帯一路」です。この観点から言えば、日本のこの少なさは奇跡的です。中国人観光客の人数から言えば、日本ではこの何倍も増えていて当然です。「日本はウイルスをほぼ抑え込んでいる」というのが正しい見かただと思います。ところが、政府の取っていることは、またはアナウンスしていることは、危機感を煽ることです。もちろん、「注意しよう」だったらそれはもっともなことなんですが、経済的に実害が出ちゃうんです。最も被害を受けているのが、レストラン・ホテル。心理的に動かなくなってしまいます。もっと典型的なことが、学校や教育関係。学校が休みになっても先生たちは、月給ですから、生徒が来なくなれば、仕事が少なくなってある意味楽になるわけです。ところが、私、科学寅さんもそうなんですが、塾講師や講座の講師は、日給なわけです。モロ、収入に直撃なわけです。この政策を考えるお役人も月給。イベントの中止で収入がなくなるスタッフは日給。このギャップが積もりに積もると社会不安を引き起こす心配があります。あと、マスコミの問題もありますね。マスコミ関係者にとっては、視聴者にインパクトを与えた方が都合がいいわけです。そういう体質になっています。「みなさん安心しましょう。」で終わってしまったら自分たちの存在意義がなくなってしまうんです。武田邦彦の「ホントの話。」2020年3月13日放送だから、そんなに慌てふためくことではないのです。しかし、問題なのは、社会的なパニックです。人間の行動は科学的ではないことです。この観点からこれからしばらく書いていきます
2020.03.15
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これまで、当たり前の収入と思っていたことがゲットできない時代になってきました。嘆くだけでは問題は解決しません。第一、面白くありません。本田健さんの動画を観ました。困難な時代は、「次元上昇」のチャンスだと言うのです。何も、スピリチュアルな怪しい話だけではなく、意識のレベルを上げることです。我々の前に立ちふさがっている問題を解決するには、意識のレベルを上げるしかないのですから。困難な時代、つまり現在のような状況ですね、こんな時は、これまでの常識が通じないわけです。話は代わりますが、普段、私達は画期的なアイデア、またはメソッドを探しています。どうしたら、革新的にアップできるだろうか?ということを求めてアクセクしているわけです。ところが、困難な時代というのは、常識が通用しない時代です。強制的にこれまでのプログラムを強制終了させられているのです。これは、すんごくラッキーなことじゃないでしょうか?世の成功者は、ある時、急激にレベルアップをします。それは、大概とんでもない出来事がキッカケになっています。今、私達の前には、大きなチャンスが近づいてきているんです。誰かの相談に乗ってやること誰かを手伝ってやることが、職業の転換のキッカケになった人がいっぱいいます。それは意図した転職ではないことが多いです。キーワードは、ワクワクです。その流れの中での誰かと出会うかもしれません。これまた、画期的な変化のためには、誰かと出会っていることがほとんどです。出会いは偶然です。しかし、その偶然を予定してしまうのです。「きっとこういう人と出会うだろう」と未来日記みたいなものです。引き寄せの法則ですね。これまた、よく言われることですが、未来のことをできるだけ詳しく、アリアリと、見ているがごとくイメージするのです。普段、どうして引き寄せの法則を使うことができないのか、と言えば、できなかった時の恐れです。でも、考えてみれば、そんなの何も幻の恐怖なわけです。失敗したって、痛くも痒くもないわけです。ただし、その引き寄せのイメージ活動をするにしても、エネルギーが必要です。そのエネルギーはワクワク感です。ワクワクするから考え続けられるのです。イメージを膨らませ続けられるのです。今、世界は新しいパラダイムを求めています。だいたい、世界は70年ごとにリセットしているという説があります。今は、終戦から70年です。そしてさらに70年前は明治維新です。さらにその前の70年は大飢饉がありました。アメリカを中心とした資本主義からの次元上昇を求められているのではないでしょうか?
2020.03.14
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コロナで、パンデミックな世の中、みんなの収入が半減になる、というのも冗談ではなくなってきました。こういう時代には、どうやって生きれば、冷静に自分を保って最善な手を打っていけるでしょう?これから、どんな浮き沈みが私達を待っているのか、想像ができません。「史上初」というのがこれから起きる物事の冠につくようになるだろうことしかわからないからです。世界中の資産が半分どころか4分の1になりかねないと予想できたら、多くの人が鬱病になって、自殺を図りかねません。こんな時、私のお薦めは、ギリシャの哲学者、ストア学派の教えです。こういう時に必要なのは、スポットライトに照らされて、華々しい勝利を収めるチャンピオンの姿ではありません。自己破壊や自己麻痺の誘惑からどうやって逃れるかということです。つまり感情的なアップダウンを穏やかにする方法です。つまり私たちを計り知れない不幸が襲ったときに最低限守ってくれるセイフティネットのことです。これは、30年前に、私の会社と面目を完全に失おうとしていたとき、つまり私が自殺に誘惑にさらされていたときに、私をバカな決断から守ってくれた教えでもあります。ストア哲学と言います。2000年前の教えです。「結構です。」と逃げないでください。単純な教えなんですから。実際、多くのトップアスリート達がこれにハマって、使っています。ストレスがいっぱいの状況の中で、最善のパフォーマンスをするのに、有効だと言われています。この哲学のエッセンスは、「私達がコントロールできることと、できないこと」を、仕分けることです。明確に。そして、コントロールできることに集中することです。そのように訓練をすることです。これによって、悲劇に感情的に反応してしまうことを抑制できるようになります。これが大きな力になります。これが命を救うのです。ストア派の有名な哲学者セネカはこう言っています。「私達は現実よりも想像の中でより苦しんでいる」訓練方法も教えてくれています。私たちが最も恐れていることについて、真正面から見つめること。詳細にイメージすること。何が私達をすくみあがらせているのか、ハッキリさせること。それを紙に書きだしましょう。目標の明確化ならぬ恐怖の明確化です。そして、それへの対処方法も書き出しましょう。そして、もしそれをやらなかった場合の予想される結果も。最悪の予想される結果を列挙します。そしてその最悪を回避する方法も列挙していきます。また、最悪が起きたとき、それがいくらかでも軽減される方法も列挙しておきます。誰に助けを求められるかも、書き出しておきます。過去、同様な人が取った行動の記録もメモしておきます。歴史を勉強するのは、こういう時に役立つのです。今の私たちと似たような境遇の人はきっと存在したはずです。その人たちがどう行動したか。そしてこの難局を部分的でも乗り越えたとき、私たちにもたらされる利益はいったい何なのか?最後にダメ押し。もしこれらの対策を何ひとつやらなかった場合のコストは?ここまで書き出すと、きっと勇気が湧いてきます。
2020.03.13
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ある中学生が、独りぼっちだ、友達がいない、と悩みを打ち明けてくれました。しかし、私が見る限り、彼女には話し相手がいるし、一緒に弁当を食べる友だちもいるのです。何でそんなことを思うのでしょう?よく訊くと、彼女と話す人がいないのじゃなくて、彼女に質問する人がいないのです。彼女は外人でもなければ、文化的な背景も標準的な日本人です。あえて聞かなくてもいいじゃないか?そうじゃないのです。そこが盲点だということに気が付きました。人間は一人一人、みんな違うのです。同じ出来事に出会っても、人によって感じ方が違うわけです。それを表明できないと、自分のことをわかってくれた、というにはならないのです。つまり、質問されないと、自分のことをわかってくれない、ということに受け取られるんです。人が私の話を聞いてくれないという場合、人が私に質問してくれない、と同じことが多いと考えた方がよさそうです。友だちになるテクニックとは人に質問するテクニックなのです。人間が人工知能に勝てる部分は、問いを立てることだ、と聞きました。あなたはロボットに勝ってますか?「わかったつもり」になっていませんか?本当に相手のことをわかるために、真剣に質問を考えてみてください。これって、学校の先生にも当てはまるんですよ。だから、先生と良い関係を築きたければ、いっぱい質問することです。ただ、さっき言ったばかりのことを聞いたら、「おまえ、聞いてなかったな」と怒られますけどね。
2020.03.12
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「コーチング」は、スポーツの分野で用いられてきた言葉で、選手の潜在能力を高めることを目的とした「質問型」の指導方法です。スポーツにおいてもビジネスおいてもメンタルな部分が大切です。厳しい環境だからこそ選手やビジネスマンは、自ら考え、自ら行動する「自立型」の能力が求められます。普通は質問型よりも「教え込み型」つまり「ティーチング」で指導したほうが、上司も部下も楽ですし、短い時間で成果につなげることができます。しかし、それでは指示待ち社員・選手を生み、コーチの一方通行の指示に終始してしまいます。あえて質問型を行うことで、部下は自分で考え主体性をもって働く習慣が身にきます。また、ティーチングですべてに答えをもらっていた頃の「やらされ感」から解放されて、よりやる気をもって働けるようになります。質問型のコーチングによって、自ら考え実行できる人材を育てることができるのです。当然、学習の指導にも応用できます。 コーチングは、当然のことながら、コーチする側と受ける側に分かれます。 しかし、コーチを受けるべき人材は多くても、適切なコーチングができる人材は少ない のが現状です。
2020.03.11
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ヘビが隣の部屋にいると知らされただけで、体が硬直してしまう人が大勢います。それなのに、隣の部屋の扉を開けて、ヘビに近づいていって、触るにはどうしたらいいでしょう?不可能?いや、誰でもできるのです。段階を踏めば。スモールステップを順番に踏めば、だれでもかわいくて、美しいヘビをクビに巻き付けることができるのです。勉強が嫌いな子を見てきて、「勉強嫌い」というのも、「ヘビが嫌い」というのと同じだと気づきます。ヘビは噛みつくことがありますが、勉強は噛みつきません。噛みつくのは、先生や友だちだけ。さらに、人間は噛みついたりしません。噛みついてきたように思うのは、心が傷つけられるからです。つまり、幻想です。だから克服できるのです。教育って何だろう?子どもたちに未来へ立ち向かう勇気を与えるもののはずだ。だけども、恐怖を与えるものになっている。あれもできる、これもできるではなく、「あれができない」「あそこの部分が苦手だ」というのを恐怖心と一緒に記憶させるものになっている。学校が恐怖を与える場から、勇気を与えてくれる場に変身するだけで、どんなに社会が変わるだろう。
2020.03.11
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民間出身で都立中学校の校長先生をやった藤原和博さんが生徒が先生を評価するシステムを導入せよで「生徒は先生を見事に評価できている」と言っています。4段階評価でやったそうです。
2020.03.10
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こういうのはどうでしょう?「面白いか」参加したクラスの大半の子が、授業を面白かったと表明するか、楽しかったと表明するというのは?さらに圧倒的多数の子が「この授業がわかった」というかどうか、というのは?さらにオマケとして、この授業を主宰した教師が「またこれをやってみたい」というほどの楽しさ、面白さがあったかどうか、というのは?じゃあ、じゃあこれらを、どうやって採点するの?誰が?
2020.03.10
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何かを評価うるためには、良いものと悪いものの基準を決めなくてはなりません。スポーツでも勝ち負けの明確な基準があってこそ、より強くなろうとするのです。授業でも良い悪いの基準が必要です。では、授業の勝敗基準は何でしょうか?受験に成功すること?違いますね。受験を目標としない人も普通にいます。試験の点数をクリアすること?難しいですね。では、ダメな基準の方が合意しやすいのではないでしょうか?ダメな授業とはどんな授業でしょう?
2020.03.10
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世のプロスポーツ選手は、みんなコーチを必要としています。バスケットボール、テニス、卓球、みんなコーチがついています。将棋の棋士にもお師匠さんがいます。落語のお師匠さんもいます。どんな世界にも厳しい世界ほどコーチが必要です。手取り足取りのコーチというよりも、せめてフィードバックしてくれる人は必要です。フィードバックがないと、向上していくことができません。ところが、ある業界のプロの人たちは、そのフィードバックを受けることができません。少なくとも、組織的に受けられるシステムが出来上がっていません。でも、その向上は、死活問題なのに。その業界の関係者だけでなく、日本国の未来を左右する。さて、どこの業界の話でしょうそう、学校の先生達です。授業をするって、簡単なことだと思います?シナリオがあれば誰でもできることでしょうか?さて、先生たちを指導するには、どうしたらいいのでしょうか?先生方をサポートするにはどうしたらいいのでしょうか?誰が指導者になればいいのでしょうか?どんな情報が与えられればいいのでしょうか?このテーマについて考えてみたいと思います。
2020.03.10
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ある考えが真理か真理でないかの判定基準は何でしょうか?歴史的に人類がハマった大間違いが、「正義」です。天動説にしろ、地動説にしろ、あるいは進化論も、さらには原子論さえ、はじめは正義として登場してきました。次の間違いが、多数決です。「原子論は正しいのだけれど、それを小中学生に教えるのは、彼らが納得できるわけがないから教えちゃいかん」という考え方です。多数決という「真理」の基準は、正義の基準にはなりえても真理の基準ではありません。じゃあ、何なのか?それは実験です。「こういうようにらったらどうなると思いますか」という具体的な実験問題をいくつも出して、A・B・Cいろんな考え方があって、そして、いつも、ある仮説に従って考えた人が当たる。その考えが身についていない人は当たらない。そうなってはじめて、多くの人が、「ああそうか。Aの考え方にしなくちゃいけないのか」となってだんだんと」「そうかそうか」と思って考え方が変わっていくのです。手間暇がかかるのです。
2020.03.09
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常識的に言わずともわかっていると思うので、書きませんでしたが、「仮説思考」は科学ではありません。科学の重要なプロセスをぶっ飛ばした考え方です。それでも現実的に有効なことが多いので、お薦めしているだけです。薬もある一定の量までは、命を救うものですが、分量を間違うと恐ろしい毒になります。それを忘れなければ、大概の場合には、私たちを救ってくれます。
2020.03.09
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「歴史的緊急事態」と表明されるみたい。これはチャンス!オリンピックの収益はあくまで一時的。しかし、日本の信用力は未来永劫続きます。どちらをとるべきかは、議論するまでもないこと。チャンス!
2020.03.09
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仮説思考をすると、自動的にエッセンシャル思考をすることになるんじゃないかな?仮説思考は、情報が十分集まってない状態から結論に行っちゃうのだから、多くの人は気持ち悪くて当然だ。さらには、その不快感が本人だけではなく、周囲の人にも及ぼすことになる。しかし、この不快感が、反発・共感・賛成・驚きを生む。これが一気に議論を呼び込む。だから、あっという間に本質についての考察ができるんだ。もちろん、その議論自体が、間違った方向だと気づくこともあるだろう。でも、それでも、早い時期に間違いに気づくことは、メリットである。ただ、気をつけなければならないのは、子どもたちにクラスの討論会でこれを使うことである。押し付けになってしまう。授業が嫌いになってしまう。前提条件として、押し付けを徹底排除すること。たとえば、発言を促す行為も、やめる。(これは重大なことだと、私は思うので、別の日に特集します。)
2020.03.09
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問いかけるにしても、無闇に選択肢を羅列しては、エッセンシャル思考に反してしまいます。絞りこまなくてはなりません。どうやって?仮説思考です。独断と偏見で仮説を立ててしまうんです。
2020.03.08
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私たちの仕事の大分部がAIに取って代わられると予想されています。タクシーの運転手はもちろん、病院の医師や株のトレーダーなどの経験が必要とされているののでさえ。私たちは、遠い将来は、予測しようもありませんが、近未来のことは十分に予測しておかなければ、今の努力が無駄になってしまうかもしれません。逆に予測できれば、非常に有利なポジションに立てるのです。AIが苦手なこと。それは「問を立てること」です。残念ながら、「問い」の答えを見つけることは、AIには敵いません。つまり、与えられた条件から、最適解を見つけることでは、人類は生き残れないのです。選択肢の中から答えを選ぶのじゃダメなのです。「新しい選択肢を創造すること」なのです。「答え」ではなく「問いかけ」こそが、良質でクリエイティブなのです。この立場で現在の教育を見てみると、ぞっとします。私が家庭教師で教えて、薬科大学に見事合格した子から電話がきました。「大学をやめるんで、家庭教師の仕方を教えて欲しい、」というのです。「どうして?」「大学の先生がさっぱり教えてくれない」というのです。「先生というのは、例題を出してくれて、その解法を教えてくれるもんでしょう?」とっても不親切なんだそうです。開いた口がふさがりません。「大学というのは、答えを教えてくれるところじゃないんだよ」から教えなければなりませんでした。本当の学問を、子どもたちに教えましょう。私たちの常識をゼロから組み立てなおしましょう。
2020.03.08
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子どもたちは、先生の言葉を心に刻んでいるだけではありません。友だちの言動から多くのことを学んでいるのです。道徳的に立派なことを言う優等生が正しいわけでもないこと。多数派が正しいということでもないこと。自分の聞きかじりも、案外あてにならないこと。ふだんあまりできないと思っていた友達が、意外にすばらしい考えをもっていること。自分の考えに自信がなくて発言しなかったけれど友だちが同じ考えをもっていたこと。だったら、自分も発言すべきだったこと。だれそれ君みたいにみんなをあっと言わせるような考えを出せたら、かっこいいのになあ、とか。真理は案外単純なこと。良い授業は、先生の言動の何倍もの教訓を訓えてくれます。そして、この言葉でない教えこそ、一生ものになって、人生を支えてくれるのです。
2020.03.08
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コロナウィルスで学校が閉鎖になり、子どもたちが学校に行かないものですから世間の問題意識が、子どもの学習をどう継続させていくか?ではなく、「親が職場に行けなくなる」に代わってしまっています。これは本末転倒です。悩むなら、本質的なことについて悩みたいものです。同じようなことに、授業ができないことへの危機感があります。心ある先生は、子どもたちのために宿題をたくさん届けてくれます。しかし、授業ができないことへの悩みの声が聞こえないのはどうしたことでしょう。学習とは、ドリルや問題集をすることとは違うのです。授業の本質とは何でしょうか?私は「間違うこと」の中にこそ、お宝が隠されているのだと思います。いろんな子がいろんな立場で考えると、最もらしい意見がいろいろ出てきます。そして、テストでいつも100点を取っている子がいつも正しいわけでもない、と授業の中で体験できるわけです。日常生活を共に体験をすると、いろんな側面が見えてくるから、そこがいいのです。極端なことを言えば、先生がいつも正しいわけでもない、ということを印象深く学ぶこともできます。これは貴重な学びです。有名な科学の先生が、いつも素晴らしい研究をしているわけではない、ということを体験するのも大切な「学習」なのです。偉大な業績を上げている先生が、普段は、ヘンテコな事を考えていて、そのほとんどが間違っていることを見ること。これは、その子の人生を左右する大きなことです。そもそも、間違えないから立派だ、というのは、科学のことを知らない人の言葉です。くだらないことをたくさん考えているから、素晴らしいことにも出会えるのです。ダメな指導者は、くだらないことを考えません、くだらないこを考えないから間違えません。弟子の前で絶対に間違えません。しかし、第発見もしないのです。授業とは、間違いの素晴らしさを教える場なのだと思います。
2020.03.08
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伝染病と世界征服が密接に関係していたって知ってました?世界的なベストセラー「銃・病原菌・鉄」で言ってます。ヨーロッパで人工が増え、また家畜も増えたため、感染症も生まれ、それでペストなど多くの人が死にました。が、これは悲劇なんですが、時代が変わるとこれがメリットになっちゃうんです。ヨーロッパの人たちは、この病原菌への抗体を持ってしまうんで、この免疫力をもたない他の知域の人たちにとって、自分自身が、恐ろしい生物兵器になってしまいます。アメリカの原住民は、スペイン人が持ち込んだ病原菌のため、バタバタ死んでしまうのです。つまり長い歴史で観れば、何がメリットで、何がデメリットになるかはわからないんですね。今回のコロナだって、これで中国にもしかすると、民主主義が生まれるキッカケになるかもしれませんし、日本経済の再活性につながらないとも限らないわけです。唯一確かなことは、未来はわからないのですから、今を生き抜きましょう。生き残れば、黄金の世界が待っているかもしれないんですから。
2020.03.07
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