学校はこうあるべきだ、
こういう教え方をすべきだ、
という論議が盛んです。
しかし、教育は、目の前の子どもに真摯に向かうところに
真骨頂があるはず。
学校の在り方論も、日本の教育政策も
何々学習法も、すべて、「仮説」に過ぎません。
そもそも、科学の公理や定理もすべて疑うのが、 科学的態度です。
ましてや、人間の時代の思い入れや
政治的な思惑がたっぷり入った
教育論が、その子にとって、本当に良いのかどうか、
しっかり疑うべきです。
いや、ズレているのが当然です。
当然どころか、確実にズレています。
「学校を信頼して預けます」という言葉、
子どもを愛する親が決して発してはいけないと思います。
学校を全面否定するわけではありません。
が、学校や社会の教育上の常識を
鵜呑みにすることは、決して愛のあふれることではない、
ということは、確認しておくべきです。
たとえ、校長や担任が、実力のある信頼に足る人であれ、
その人に頼るという意識自体が、愛からはずれることだと思います。
教育者は、親や生徒を自分の信者にしてはいけない。
自立の援助こそが、正しい方向です。
依存関係を作る教育行政は、教育という名のもとの家畜化です。
高邁な理想や、あまりにも素晴らしい教育理念も
危険です。
それに、依存してしまって、現実を見られなくなるからです。
人間は、仮説がなければ生きられません。
しかし、それは、常に変化していなければおかしいのです。
変化こそが正しいのです。
だから、変化を抑制するもの、
すなわち、頭を固くするものは、すべて敵だと思って
ちょうど良いと思います。
正しい学校になる必要はないのです。
信用しないで賢くつきあう方法を学ぶべきなのです。
すべての規準は、あくまで、目の前の子どもです。
人間中心主義の政治と教育 2009.09.22 コメント(4)
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