学校の主人公は、学校体制なのか?
子どもなのか?
もし、子どもが主人公ならば、
子どもの人権に、もっと敏感になるべきでしょう。
子どもの人権を守るなら、
「~~する権利」だけでなく
「~~しない権利」もあると考えるのが当然です。
学校教育では、「~~する」のが、当然で、良いことだ、
という常識に立っています。
しかし、本当にそうか? と躊躇する心遣いが大切だと思います。
発言する権利があると同時に、
発言しない権利もあるはずです。
犯罪者でさえ、警察で、あの怖い、しばしば人権無視で叩かれる警察でさえ、
黙秘権というのがあります。
授業で、「黙秘権」を使たいと思いませんでしたか?
私は、学生時代、何度かトライしましたが、ことごとく失敗しました。
指名されて発言しないと、
少なくとも、「恥」をかかされます。
また、たとえば、朝礼で、一列に
一糸乱れず整列するのは、絶対に善なのだろうか?
整列しない権利もあるんじゃないだろうか?
「礼!」というかけ声とともに、アタマの下げ方をチェックされます。
しかし、礼をしない権利も、あるんじゃないだろうか?
礼の表現方法を統一すべきなんだろうか?
そもそも、命令されて、下げられるアタマに、
意味があるのだろうか?
ありがたみがありますか?
命令されて、「ありがとう」とお礼をされて、
それでもうれしいですか?
権威にあこがれをもっている人には快感なんでしょう。
私は、怒りがこみ上げてきます。
せっかく、心からの表現が出かかっているときに
上からの強制で、ぶち壊しにされるんですから。
さらに、今の教育を受ける権利がありますが、
現在の教育を受けない権利というのも、
いや、こっちこそ、大切に守られるべき権利じゃないでしょうか?
「朝礼で、一糸乱れず並ばなくてもいいんじゃないですか?」
という生徒の意見に、真正面から応えられる学校の体質こそ
教育的なものだと思います。
これが、もし、教師が、自分の意見を学校で言えるなら
もっと面白いものになるはずです。
しかし、教師も公務員であり、自分の考えよりも
組織の方針の方を優先するとたたき込まれているなら、
話は、全然別の次元ですね。
つまり、学校は、生徒が主役でないどころか、
教師も主役ではないのです。
さあ、夏休み、梅雨明けですね、
すっきりさわやか
みんな、みんな強くなあれ!
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