宇宙に存在するものに「分離」はない。
すべては、精妙な方法で「からみあって」いる。
と量子論は暗示しています。
実は、私たちは、全体として、ホールとして
深く相互に結びつけられた世界に生きています。
すなわち、文字通り、科学的に、世界は一つの可能性が高いのです。
日常、物体が分離して見えるのは、
私たちのある種の幻想なのだ、と考えられるのです。
ふと、思い出して、読み返してみました。
「神との友情」です。
「あなたが相対的な世界ーー私が相対性の領域と呼ぶところだーー
に入ったのが、絶対の領域では経験できないことを経験するためだ。
あなたが体験したがっているのは真の自分だ。
だが、絶対の領域では、真の自分を知っていても体験できない。
…
絶対の領域では、自分のどの面も体験できないのは、
そこには自分ではない面がないからだ。
…
じつは、あなたはすべてと一体なのだ。
それがあなたのすばらしさだ!
…
すべてと一体であるすばらしさを唯一、体験できるのは
すべてと一体ではないという状況、あるいは状態だ。
…
しかし、すべてと一体ではないという幻想は可能だ。
その幻想のために、相対性の領域が創り出されたのだ。
「不思議の国のアリス」のようなものだね。
そこでは、ものごとは見かけとは違うし、
見かけは真実ではない。
あなたのエゴは、この幻想を創り出す大きな道具あのだ。
残りのすべてと、ばらばらの自己を想像することができる仕掛けだ。
…
エゴが肥大して、ばらばらな自己しか見えなくなると、
一体となった自己を体験するチャンスが失われ、
迷ってしまう。
文字通り、幻想の世界で迷子になり、
いつかそこから脱出するか、
あるいは誰かが、引き出してくれるまでは、
迷ったままでたくさんの生を重ねなければならない。
それが、「あなた自信に連れ戻す」という意味だよ。」
この言葉の意味が、ようやくわかってきたぞ!
それと、世に言う、成功哲学の「思いは現実になる」というフレーズ
私たちが、即、宇宙なのだとしたら、私たちは、創造者であり、
意識している以外の魂の思いも含めれば、
「思いは現実になる」は、全くの真実であるわけです。
また、時空も、私の中の今という一点にたたみ込まれています。
さらに、多世界解釈への道も開けます。
思いが実現すると同時に、実現したのは、私の思いのせいであり、
心の底で、望んだことなのだ。
私たちは、神と限りなく一体であり、
過去にとらわれることなく、いつからでも、作りなおせる。
夢のまた夢の最高のものを、今から作れるのです。
ある意味、閉じた輪にいるのです。
別の表現で、鏡の部屋にいるのです。
子どもに幸せになって欲しければ、
幸せを教えなければなりません。
これぞ、幸せという感情に浸らせなければならないのです。
幸せに何かの条件をつけているうちは、
幸せの輪(閉じた輪)の中に入れないのです。
私は、神様と遊ぶ道を示された思いでいます。
ついに科学寅さんも、イカレテしまったか、…
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