ある知り合いの子が、
この春、東北大学に合格したのに、
それを蹴って、マンガの専門学校に行っちゃいました。
それはそれで、とっても、超弩級に素晴らしいことだと
拍手を贈りました。
しかし、これを聞いた、ある奥さんは、
「うちみたいな才能の無い子は、
勉強して、良い学校を出ないことには、
結局生きていけないから」
と猛勉強で有名な進学校に入れた理由を話します。
どうして勉強しなければならないのか?
小学校高学年にもなれば、
この疑問は、どの子ももってくるはずです。
ましてや、中高生になれば当然です。
しかし、これを真正面から問う子は少ないですね。
勉強するのが当然だ、
勉強しないと周囲から受け入れてもらえない。
私の存在価値がこれにかかっている、
となれば、勉強することをすべての前提に置いてしまって当然かもしれません。
しかし、それは、抑圧された勉強であり、
一種の脅しの中の勉強です。
「勉強できなくては、結局、幸せになれないから」
という言葉が、親から、自然に飛び出て来る環境ですから
子どもたちは、自分の幸せのための
仕方のない、ハードルだと認識してしまって当然でしょう。
これでは、もし、勉強ができなければ
自分を価値の無い者、世の中の敗者だと思わざるを得ず、
また、逆に、勉強ができれば、
それだけで、幸福を得られる権利を持ったのだと
高慢で鼻持ちならない人間になってしまいます。
どちらにしても、その子に幸せは来ないのです。
この何故、勉強するのか、という疑問に
学校が真正面から向き合っていない!
そこに受験があるから。
これしか、説明できていない。
受験・成績・評価・進路
それが、教師が生徒や親を支配し、コントロールする
唯一の土台だから、
それ自体に疑問を挟み込むことは、
自分たちの土台を揺るがすことです。
もはや、学校の論理の中だけでは、
子どもも親も、本当の幸せを見失ってしまうことは、明白です。
目を社会に向けると、
学校の論理の、何とちっぽけな
うすっぺらのことかと、気づきます。
もちろん、社会には、素敵なもの、醜いもの
善も悪もあります。
しかし、本当に素晴らしいものを
子どもにプレゼントしたいと思うなら、
本当の幸せに気づかせてやりたいと思うなら、
社会の輝いている人や場所に
どんどん接することができるように
し向けてやるべきでしょう。
「幸せ」と「勉強」は、全然別のものなのですから。
子どもに幸せになって欲しかったら、
「幸せ」を学ばせるべきなのです。
これに気づかない親は、
だから、ご自身が現在、不幸なのです。
私は、もともとの志であり、今は休止している
地域で作る体験学校
「ウィークエンドはてなクラブ」の精神を
穂波の郷クリニックと
その緩和ケア支援センターにおいて
復活させる決意をいたしました。
追って、プランを発表いたします。
また、このクリニックとの私のご縁についても
もう一度、アップいたします。
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