私は、最初、緩和ケア、すなわちホスピスケアをしている
穂波の郷クリニックに、ボランティアとして出入りするようになって、
まず、驚いたことは、
患者さんも、スタッフの人も、みんな笑顔だ、ということです。
ドクターと看護師との関係も、全く対等で、
お互いに名前で呼び合い、
病院というより、小さな家庭にいるようです。
まさに、ホスピタリティ、「温かいもてなし」の場なのです。
考えてみれば、ホスピタルも、ホスピスも
ホスピタリティからきた言葉で、その昔
聖地エルサレムへ向かう巡礼の人たちが
長い旅の途中でからだを休めるための施設のこと、
または、そのもてなしそのもののことを指す言葉でした。
だから、ヨーロッパでは、1000年以上の伝統をもっているわけです。
多くの場合、修道院の一部がその施設になっていて
シスターが巡礼者の面倒をみてきたのです。
ところが、現代では、ホスピスと言えば、
治癒の見込みのない段階に入った患者さんのケアを
行う場所になっています。
「現代ホスピスの母」と呼ばれる
シシリー・ソンダース女史は、
「ホスピスとは何ですか」
という問いに対して、
「ホスピスは建物ではありません。
中身、哲学です。」
と答えられています。
このクリニックは、在宅のケアに力を入れていますが、
クリニックに通ってくる体力のある患者さんは、
パジャマではなく、きちんと服を着て、
杖をつきながらでもやってきて、
治療の必要な人は治療をするけれども、
ほとんどは、おしゃべりをしたり、食事をしたり、
それより、他の人のために、奉仕活動をします。
普通なら、点滴をつけて、寝たきりになっていても
おかしくない段階の方々です。
ここの患者さんは、みな自分が助からないことを知っています。
でも、社会の一員として誇りをもってしゃんと生きていて、
閉じこもりません。
病人という枠に押し込められていないのです。
今を精一杯に生きているのです。
緩和ケアで、痛みが無いというのは、
すごいことです。
最期の最期まで、人間らしく生きられるのです。
だから、笑顔になれるのです。
何気なく、目の前で展開している出来事が、
実は、すごいことなんだ、と気付いたとき、
私は、もっと知りたいという欲求を抑えることができませんでした。
普通、日本では、「今、積極的に治療できることがない。」
という場合、実際問題、行くところがありません。
それより何より、本人もご家族もそれを認めたがりません。
だから、患者さんをベッドに縛り付けておくことになります。
でも、要は、患者さんを、一人の人間として尊敬し、
最期まで、生き方を尊重するという哲学の問題なんだ、
それから、すべて始まっているんだ、って気付きだしています。
そして、一人の患者さんに、結局、ご家族をはじめ、
クリニックのスタッフに、ボランティアの方々と
実に大勢の人々が関わりあうように、意図されています。
もう、血縁だけで、支えることは、困難な時代、
コミュニティで支えるという取り組みは、
日本の大きな指針、そのものだと、思います。
この医療機関の取り組み、(まあ、まだまだ、先進的なところですが)
これは、教育への指針でもあると、痛感しています。
不登校の中学生や高校生が、
ここで元気になっていくのも、
当然といえば当然といえるでしょう。
生徒を一人の人間として、
尊敬しているでしょうか?
あらゆる角度から、その子のつぶやきに
耳を大きくしているでしょうか?
そして、何より、その子の魂で何を叫んでいるか
何を求めているか、を見つめようと、
大勢の大人が、真剣に頭を寄せ合っているでしょうか?
ほんの小さな可能性も、あきらめずに
あらゆる手段で、働きかけようとしているでしょうか?
ここでは、どんなスタッフも、
私の職務外だから、勤務外だから、という言葉を吐きません。
情報伝達経路は慎重に選びますが、
誰もが、気付いたことを、主張できるのです。
ただ、人の気持ちを扱うところだけに、
普段、訓練を受けていない身には、
陰の緊張感が、たいへんです。
でも、サービス業というものは、本来、そういうものでしょう。
そして、実は、ここは、資本主義の次に来る社会を、先取りしている実験場なんじゃないかと感じています。
私にとって、大いなる科学実験の場なのです。
楽しさの伝染病 2009.08.06
自分を好きになる難しさ 2009.07.21 コメント(4)
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