よく文系の人には、理数系の人の感覚がわからない、と言われます。
また、逆に、理数系が好きな人が、英語や国語など、
あいまいな学問をやる気になるのか、わからない、
という話を聞きます。
もし、人間が文系・理数系を分けられるのなら、の話ですが、
私は、その境目が、法則を楽しむ心をもっているかどうか、
にあるような気がします。
科学法則や数学の法則というものは、
どんな環境や条件でも、成り立つものです。
(もちろん、限界条件はありますが)
まさに、バカの一つ覚えです。
え?、こんな条件でも成り立つの?
というところでも成り立ってしまうのです。
逆に、もし、こういう法則だったら、
こういうところでも、成り立つはずだから、
こうなっちゃうワケ?
と半信半疑で、予想をします。
そして、実験。
やっぱり成り立つんだあ!
これが、法則を楽しむ感覚だと思います。
法則を適用すると、常識や日常感覚では
想像できないことも、予想や予言ができて、
実際に試してみると、そうなる。
これに、たまらない面白さを感じます。
ところが、文系の人は、この一途さに、違和感を感じるのではないでしょうか?
バカの一つ覚えには、つきあってられない。
この世は、もっと複雑で、豊かな世界なんだって。
確かにそうです。
でも、だからこそ、この世界に、法則性があるとわかると
興奮するのです。
法則と気軽に言いますが、
そして、何々の法則というのを、学校でいっぱい暗記させられますが
あまりにも、学校では、それを軽く扱われています。
「法則」という限りは、どんな時でも、成り立つのです。
どんな場合でもですよ。
イタズラな子は、ここで、普通、ツッコミを入れたくなるはずです。
「じゃあ、こんな場合でも成り立つの?」って。
そうです。
そこにこそ、科学の楽しさの大きな部分があるのです。
それを試してみて、本当に成り立つことを確認したときの感激・感動。
「じゃあ、これでは?」
「だったら、あれでは?」
次々に思い浮かびます。
「これじゃあ、無理だろう?」
でも、成り立っちゃうのです。
この世に法則があるってことは、
学校のテストの暗記としてではなく、
「すんごい」ことなんです。
話は変わって、
学校での、特別な生徒相手の「実験」
面白いことになっています。
予期しない生徒も、押し寄せています。
俺にも、混ぜさせろ、って
本来の教室をサボって来てしまいます。
さあ、どうするか?
もともと、教師の指導に従わず、
エスケープばかりしている子たちです。
何とか、立場を逆転させたいと思っています。
さあ、どう料理するか?
科学は確率でしかない 2010.05.30
真理は多数決で決まらない 2009.09.01 コメント(2)
素直な心は科学を育む? 2009.08.14 コメント(3)
PR
Freepage List
Category
Comments