昨日、新しい家庭教師先に行って、
科学実験をして、盛り上がってきちゃいました。
あまり、喜びを表さない子だったそうですが、
久しぶりに笑顔を見たということで、私もとってもうれしかったです。
中学校でも、全然教師の話を聞かない問題生徒が、
つるんで、私の実験を待っています。
ま、その中身は、実験にかこつけて、
何か、うまいものが食えそうだ、という予想があるのでしょうが、
そんなことは、私は、小さいことだと思うのです。
とにかく、教師の企画に乗ろう、乗ってみようという
姿勢を引き出すだけで、大成功だと思うから。
だって、彼らを土俵に乗せるのが、問題なんだから。
土俵に上がらないのに、こっちだけ、
プッシュプッシュでも、どうしようもないわけで。
思えば、私は、この科学実験だけで、
ずいぶん修羅場を切り抜けています。
科学の他に、教育技術や思想・知識は
そりゃ、持っていると自認をしてはいるのですが、
いざとなると、実験です。
それも、プログラム的には、そういっぱいあるわけじゃありません。
まとまりがあるのは、せいぜい10個くらい。
しかも、その内の3つくらいで80%を占めると言ってもいいでしょう。
(細かいネタは、無数にありますよ)
でも、この必殺技があるというのが、生死を分けるんですね。
逆から言うと、
自分に確固とした、決め手があると、
その他が、あまり重要に感じられなくなるんです。
そして、大したことでないことに、気にしなくなれるっていうメリットがあるように思います。
人間は、自分勝手なもので、
自分が得意じゃないものは、重要じゃないと思えちゃう。
そして、切り捨てちゃう。
私なんか、まず、水泳。
金槌です。なぜこうなったかは、話すと長いのですが、
人間、魚じゃないんだから、泳ごうとするのが、間違っていると
割り切れちゃう。
また、音痴です。
でも、美しい音楽は聴き分けられるから、
これも、全然OKだと思えちゃう。
ファッションセンスや、女性にモテルとか、そういうのも、
学生時代から、とんと、切り捨てることができました。
常識的な社会的な名誉みたいなことも、
ほっとんど、気になりません。
人の上に立つ意欲、わっかりません。
総理の地位にしがみつく気持ち、理解できません。
だからこそ、今のこの変な科学寅さんがあるのだと思います。
人それぞれ、ズバっズバって、切り捨ててきているものがあるから、
生きていられるのだとさえ、思います。
そういう意味で、
学校になじめない子どもたちを前にして、
何か、一つでも、確固とした、自分の基盤を見つけさせてやりたいものだ、と
思います。
そうすれば、たとえ、学校の教育体制に順応しなくたって、
自信をもって生きていけると思います。
自信をもっていれば、人には迷惑をかけないものです。
暴れたり、公舎を破壊したりはしないものです。
呪いに言葉ばかり吐いていないで済みます。
何も、常識的な学校の価値観でなくていいのです。
一点突破です。
小さな穴を開ければ、そこから、世界が急に見えてくるものです。
教育では、何でも詰め込んでやろうという思想がありますが、
切り捨てる楽しさというのも、
学問にはあります。
数学なんかそうですね。
科学も、実は、そうです。
限定された見方だから、逆に、そこから、世界が広がるのです。
楽しさの伝染病 2009.08.06
自分を好きになる難しさ 2009.07.21 コメント(4)
PR
Freepage List
Category
Comments