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2月は今年に入って山陰では2回目の大雪が降って向こうの鳥取では33年ぶりに91cmを越した。ローカルニュースではこの話題がもちきりであった。その後降雪こそないがしっくりとしない天候が続いた。冬の花の変化もなくなんとなく2月も終わってしまったという感じです。※大雪被害が竹林に出ています。雪の重みであちこちの竹が割れて果樹に垂れ下がってそのままになっているので、ここ数日は伐採搬出を行っています。本来なら果樹の冬眠期の消毒の期間なのですが大急ぎでその方を先行しています。ーーーーーーーーーー晴れとはいえ北風が吹いて屋外作業は風邪をひきそうな日も多かったが今日は風もなく温かい陽光で急に春めいてきました。ーーーーーーーーーー本日が正月5日以来の検査日であったので出かけてみました。採血した後、結果は1時間以内でわかると思われるのだが、2,3時間も待たされるのは辛い。しかし、今日は検査のみで結果は明後日である。ーーーーーーーーーーーーーーー一つの検査になぜに2日もかかるのかというと、外来担当のHO先生は1週間のうち木曜日のみ外来診察、その他の曜日は入院患者担当なのかもしれない?検査部は検査部でスケジュールがあるものだから空いた日、時間を前もって予約しなければならない・・・・ーーーーーーーーーーーーーーしかし、ものは考えようで検査部の予約時間は30分も違わない!どんなに待っても30分程度だから、すぐ自分の受診となる。検査が済めば、もうそのまま帰ってもよい(支払いはあります)ーーーーーーーーーーー今回を時系列で示すなら自宅出発(8:10)→病院着(8:30)→採血→(9:00)→腹部エコー(9:30)→検査終了(10:00)→支払い(10:10)→終了わずか2時間で予定項目終了ということになった。※検査部では検査担当医と前回のデータを見ながらの所見を聞かせてもらえるから強いて木曜日に再度出かけることもないのであるが、採血結果説明、薬の処方箋を書いてもらって次期検査の日程を決定することがその主な内容なのだ。ーーーーーーーーーーーーーー診療工程があまりにも順調であったので、まだ昼食をとるわけにもいかず帰宅途中でスーパーに立ち寄って帰ることにしましたーーーーーーーーまもなく母の49日がやってきますが、例の「札うち」ですが、3,4回程度もすればよかろうと思っていたのですが、「札うち所要時間」はたかだか午前1時間程度なものなので、風雨のない日に「ドライブがてら」にやってとうとう7回まで行うことができました。父の場合は3回で終了であったのに、今回は最後の7顔まで行ったなんて・・・これも暇な2月だからできたのだと思いますね。
2017/02/28
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先週の<金土日>が大雪のピークで全国放送の頃から、4日も経っているのですが・・・TVのローカルニュースのトップはまだ先日の大雪関連の番組です。鳥取地方では<少なくても500台の車の立ち往生があった>とか<やっと本日登校となった>とか、兎に角大雪の話題でもちきりです。東の鳥取市は91cmを思えば当地の40cmはさほどの事でもないが、大体の道路は除雪が済んで平常通りとなりました。がひとたび脇道に入ると陽の差さない圧雪場所はなかなか融けない。我が家では、踏み固まれた圧雪は融けるには時間がかかるので、氷雪を砕く鍬でもって重宝しています。<砕雪道具?>左は本来はタケノコ堀用、右は開墾イチョウ鍬このように亀裂だけでも入れておけば空気の流通がいいので融けるのが早いです。<鎌倉も融けた>自宅でも作ったのにペチャンコになった大型スーパの店頭にはピラミッド! おもわず苦笑い!大山をUPしても頂上小屋が見えてこないのは3mの積雪に埋まっているせいか?町(米子)に小用があって出かけるとビックリ!<米川に雪解け水が>冬季は農業用水不要なので水は流れません・・・がこの用水路は弓ヶ浜半島(5里ケ浜 5×4=20km)を縦断する農業用水路です。 ※元禄~宝暦 60年間を費やして完成された冬季は水門が閉ざされて水流はまったくないのですが、こんなにまで雪解けとなって流れています。はやく融けて欲しいものですね。 エッ! 洪水? 雪解け水そこそこでのご心配はまったくありません
2017/02/16
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1月の山陰豪雪が済んで 立春、やれやれと思いきや、またもや大雪が降りました。ここ、山陰は日本海側、冬の季節風は寒く空はいつも鉛色・・・たまには降雪があっても2,30cm程度で決して豪雪地帯ではないことは過去の気象データの示すところです。ーーーーーーーーーーところが、今年はどういう訳か山陰地方は上空に強い寒気が流れ込んだ影響で10日から11日にかけて大雪に見舞われました。鳥取市では33年ぶりに積雪量が95cmを越す記録的な大雪になり交通路網がズタズタとなって広い範囲で交通がマヒしています<朝刊>午後3時になって届いた-----ご苦労さんです。幸いに金土日と週末に降り続いたのが不幸中の幸いか、大混乱は最小に抑えられていますが、移動中のかたにとっては大変お気の毒だったと同情しています。ーーーーーーーーー新聞で大雪の歴史をみると。現在は比較的温暖な、間氷期であるが、太陽活動の低下などで小氷期と呼ばれる時代があり、日本では江戸時代の初期がこの時代に当たる。1709年(宝永5年)1月、鳥取で積雪2.5mの記録があった。湖山池が凍結したとの記述。江戸時代の後期にも再び2メートル以上の積雪があって湖山池、宍道湖凍結の記録が残され(マウンダー極少期)豪雪が因幡、伯耆の住民を苦めたことが、うかがえる。改めて有数の雪国であることを認識したい・・・以上 日本海新聞(注)マウンダー極少期では:太陽活動が弱くなった時代で、日本では米が不作で大飢饉、西洋はテームズ川が凍結しその川面で遊ぶ西洋画ーーーーーーーーーーー住んでいる自分自身がそんなに「雪国」とは認識しないのは米子(伯耆)であるからでしょうか?私も5年ばかり鳥取の勤務の経験があり(昭和48-52年)1回だけ1mの積雪の経験があります。それは、1月の日曜日でした。朝から降った雪は夕方までに子供の鉄棒の高さまでに達した経験があって、「なんと鳥取はえらい地方だ!」と驚いたことを思い出します。ーーーーーーーーーー<積雪パターン>このお話は鳥取県内の話で恐縮なのですが、過去の経験上、降り始めは西方の米子側の積雪が多いのです。鳥取から出張帰りの社員は「今回の雪は米子地方が鳥取よりも多いようだ」というのが殆んどなのだが・・・・寒波が過ぎ去った2,3日後は鳥取の方が米子の約2倍の積雪! というのが大体のパターンでした。<今回の大雪>娘が鳥取市から送ってくれましたーーーーーーーーー西部(米子)には大山があると云っても局地的な降雪量であって平野部まで影響はしない。スキーヤーは雪のない道を走ってたっぷりと積もった積雪の大山で3月上旬ころまで大いに楽しんだものです。ーーーーーーーーーー今回の積雪はわが米子地方は40cm弱、鳥取は報道されたとうり95cm やっぱりその傾向が表れています。雪国だから仕方がないのだけど、JR山陰線を走ると(車両でも同じこと)米子-倉吉間は無トンネル、中部の倉吉から東には10個程度のトンネル、起伏の多い車道と地形的な違いが判る。ーーーーーーーーーーー昔のTVでは言わなかったのだが、この大雪の原因は(WA***現象)? <WA***現象?> 北朝鮮北方に高い山があって、そこに大陸からの冷たい寒気風が当たると方向を2分する。この二つが日本海上で「北西+北東」と合流して吹き付ける風向きが山陰、兵庫北部なのだもしそれが本当なら4,5年前の大晦日を襲った積雪90cm、R9が大渋滞で何百台の車両が立ち往生したことを思い出します。この度の大雪の説明がこのパターンとまったく同じことであったようです。(WA***現象)の言葉が気象用語としてまだ使われていなかったみたいです。ーーーーーーーーーーーーーーそれにしても大変な大雪に巡り合ってしまいました。そんなに低温ではなかったのです(平野部で深夜-2度程度)・こんな大雪でも水道破裂!、自動車事故は殆んどなかったようです。だから、みなさんTV報道が「大雪警報」を出しても、その時にはたしかに大空は、星空で冬の星座がオリオン星座が輝いていたんですから・・・ね?・それから2,3時間後2,30mの強風が吹いて大雪の始まりとなりました。ーーーーーーーーーーー私は大雪の期間中は屋敷内、生活道路の除雪を休憩を交えてボツボツとやっていました<チェーン装着>作業はこれに限りますネ確定申告もあるのですが、それは夕食後にやることにしてほぼ80%程度出来つつあります。例年なら、暖かいハウスでゆったりとやるのですが今年はそうもいきません。ハウスのなかも雪捨ての場所に早変わりとなってしまいました。ーーーーーーーーーーー母も大雪の間隙を縫うようにして逝ってくれました。 この大雪の中で…と思うと身の毛もよだちます。あの世でも、きっと「皆さんに迷惑をかけないでよかった、よかった」と喜んでいるの相違ありません。<やっと晴れ間が>・・・これで一安心、でも雪は止んでも・・・・
2017/02/12
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暖かな年明けでそのまま正月がが続き、平野部は勿論のこと、大山までも雪のない日が続いた前半だったが、後半はとんだ大雪となってしまった。「寒の最中なので融けまい」と思いきやその後の暖かさであれだけの積雪が一気に溶けてしまった。フーフー言いながら連日の雪明けもしないでも道路の除雪の雪とほば同時に一面の真っ白な平野部の雪も融けてしまったようだ。母がこの19日に亡くなり、葬儀後の色々な書類の届け出に終始してやっと一段落しました。幸いにも好天が続き雪も降らなかったのが幸いでした。49日までは喪中なので(現在も玄関には喪中札が貼ってあります)静かに毎日を送っていますがこの地方独特の「札打ち」があるのでそれを行っています。・初仏が49日間かかって暗い道を一人でトボロボと無事に「三途の川」にたどり着けるようにと、何冊も積まれた紙札に「南無地蔵大菩薩」と印刷されたお札の余白に新仏の戒名「百寿院縫雪貞心大師」と書きます何枚も何枚も書けば自然と戒名を覚えるであろうというのがその謂れです。一人当たり50枚程度書けば札貼りに出発ですそれを札所の貼り場に貼ってと1枚づつ貼る度に戒名を唱えますそうすることが、新仏が容易に三途の川土手に到着出来るように手助けをするのだと昔からの伝えです49日までは1本線香ですが三途の川までの1灯を頼りにいくのだ・・・と2本ではどちらを指標にするのか迷わないためなんだそうですね。この所作を日を変えて6回行って7日目の最終は赤札で終了!というのが標準パターンです。とても7回も行けない時は3,4回で終了(赤札)というのが多いようです。説明不足ですがその1回という単位とは札の枚数、人数制限はなし、服装、履物は自由、1日何か数か所の札所を廻って貼っても1回とする。その作業は概ね午前中で終了し揃って「精進落とし」と称してお食事処で精進料理で会食!ーーーーーーーーー専ら風習のことですので、これだ! というルールはありません。生前の縁者の「おつとめ」「親戚交流会」として現在も続いているようです。外はまだまだ「冬半ば」のようです 野鳥の声も聞こえません 向こうに三重塔がみえます ここは安来市清水寺です「精進落とし」を終えて札所を後にしました
2017/02/03
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