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香嵐渓・入り口には赤く香嵐渓と彫られた大きな石がモミジの下に。
香嵐渓と言うの名の由来は、昭和5年(1930年)に、当時の住職と町長が大阪の
毎日新聞社社長の来町の際に命名を求め、「飯盛山からの薫風は、香積寺参道の
青楓を透して巴川を渡り、香ぐわしいまでの山気を運んでくる。

飯盛山登り口。

太子堂。
太子堂は、聖徳太子の像を祀った仏堂の呼称。地元の大工さんが技術向上のため
作ったという説明板が。

春にはカタクリの群生地であるが、この日は錦の絨毯。

再び待月橋が眼下に。
彫刻家 はしもとみお の作品展示中。

猿回しの猿君も朝から頑張っていた。

3m以上の竹馬乗りを披露し、誇らしげ。

三州足助屋敷の茅葺き屋根から白煙が上がっていた。

香積寺(こうしゃくじ)の石碑。

紅葉のトンネルの階段を上る。
絢爛豪華な秋色が広がる香嵐渓の世界に吸い込まれる。

香嵐渓の最大人気の写真撮影場所。
輝く赤、黄は言葉を失うほどの絶景。

山門からの紅葉は、額縁の絵画の如し。

香積寺の山門には多くの観光客がBEST SHOT目指して。

香積寺本堂の巨大屋根。

本堂境内から入り口山門方面

香積寺の裏に廻り飯盛山をさらに上る。

飯盛山の中腹には、歴代住職の墓が。

十六羅漢石仏

石仏も紅葉見物。

歴代の足助城主・鈴木氏5代の墓。
写真手前から初代忠親、二代重政、三代重直、四代信重、五代康重の墓とのこと。

装束塚。
足助重範の娘・滝野が二条良基の死を伝え聞いた際に良基の残した装束を
埋めたと伝わる。山林に広場が開かれ、宝篋印塔(ほうきょういんとう)が
4基祀られていた。

豊栄稲荷 。

巨大な岩に赤い紅葉が舞い落ちて。

更に三ノ曲輪から山頂の主曲輪を見ながら飯盛山頂上を目指す。
飯盛城は平安末期に当地に土着した足助氏の城跡と言われている。
足助氏は後醍醐天皇の挙兵に応じて笠置山に馳せ参じ、北条幕府軍を相手に奮戦したと。

頂上のベンチに腰掛け一休みしながら、見上げて一枚。

飯盛山を下る。

緑も混じり、再び吸い込まれていく感が。

一面に赤の絨毯の上を下る。
モミジの葉が色なす路は、赤く染まる道のり。

木もれ日も美しい。
陽が当たると、色が映える幻想的な雰囲気を満喫。
木々の錦の彩りは、ここにしか見えない紅葉のコントラスト。
木々の鮮やかな賑わいは、いつまでもぼーとしていても飽きない世界なのであった。

風に落ち葉が舞い散る中を。

再び太子堂が下部に。

飯盛山を下りて、巴川沿いを再び戻る。
水面の白き輝きも見事。

水面の緑と赤の相対色のBEST MIX。

一ノ谷には日が射し、裏山の紅葉も絵に描いた如し。

青空、竹の緑、紅葉の赤の三段の配色。

香嵐渓の今年のポスター。

色ずく秋景色・燃える様な紅葉、錦秋香嵐渓・飯盛山は、一気に衣替えし
見頃の盛りを迎えていたのであった。
飯盛山の大自然の中に身を置けば魅了して心が和む時間であったのです。、
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