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先日、予定原稿の4分の1完了と書いたが、本日現在、3分の1まで進む。ただし、具体的なページ数で言うと、先日が15ページ、本日が20ページだからあまり進んでいない。 私の書き方はこうである。まず、アウトラインが決まったら、今自分の持っている知識で書いていく。これはある程度すらすらと書ける。問題はこの次である。条文や参考文献に当たる。これが結構時間が掛かる。今回は会社法関係の本なので特に注意をしている。また、条文等を参照していると気づかなかったことに気づく、そこで、アウトラインの軌道修正をしている。だから余計に時間が掛かるのだろう。本日の実質執筆時間は約3時間。3時間で5ページでは遅い。 正直なところ、今週、30ページまで(予定量の半分)進むと気持ちは楽になる。 今日は、新訳『星の王子さま』を読みながら寝ることとする。※ブログランキング、皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.31
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私の畏友に真言宗豊山派宝蔵寺住職・湯澤宥広師がいる。彼は私と大学が同門でありながらサラリーマンを経て仏教の道に進んだ変り種である。そのような経歴に裏打ちされているからであろうか、彼から啓発されることは多い。 田舎に住んでいると、地元の各種団体の役員を頼まれることが多い。私は不思議とその組織の変革時期にリーダーに選出されてきた。PTA会長の時もそうであった。私は、今後の十年間のPTAのあり方を考え、大きな組織変革と事業の改革に着手した。その時である。猛反対の嵐が吹きまくったのは。それを支えてくれたのが、妻の正子と湯澤師の言葉と役員の仲間たちだったのである。 従来のPTAは、何十年も前に設置された委員会に仕事を割り当てていたという傾向が強く、委員も、「当たったら仕方なくやる」というスタンスだった。本来、組織には目的があり、ビジョンがある。そして、それを達成するために組織化するのである。そこで、私は、PTAの存在意義と目的を再度明確化し、その達成のための委員会や事業の改廃を行ったのである。 そんなときの、湯澤師の言葉が「善きことをしても悪しきことをしても批判は受けるのである。それを恐れていては何もできない」ということであった。 臨時総会三回という難産の末、この変革案は通ったのであるが、反対者も半年後には「やって良かった」と言ってくれ、今まで以上に活性化した組織になったのである。 リーダーは、富士山の高みから周りを見渡すことができる。メンバーは、裾野や中腹から見ているので、その視界は部分的であり、限界もある。このため、リーダーとメンバーの認識ギャップは生じざるを得ない。リーダーは頂上からの見晴らしをメンバーに分かりやすい言葉で伝え、変革を促す責務がある。皆が見えないことを見えるように伝えていく、そして、変革の方向性を示していく、変革のエネルギーを糾合していく。このPTAの経験は私にとっても貴重なものとなったのである。 (注)本文は2003年7月にPHPから刊行された「我が心の支え」に掲載されたものです。※ブログランキング、皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.30
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全てのものは移ろいゆくものである。自然界はそれを我々に教えてくれる。こんこんと湧きいずる地下水が川の源流となる。それが大河となって海に注ぐ。そして、その水分は蒸発して雲になる。雲は雨を降らせ、地上へと到達する。それが、地下水となって・・・。という具合に、全ては循環し続けているのがこの大宇宙の法則なのだ。手に入れた水をいつまでも持ち続けることは不可能なのだ。それが蒸発したから(形を変えたから)といって嘆く必要もない。いつかはまた水となって戻ってくるからだ。この世の中で一瞬たりとも静止しているものはなく、変化し続けているのが常態なのだ。人間の細胞も毎日崩壊し、生成することの連続であり、この体の細胞は3か月ですべて入れ替わってしまうそうである。過去をわずらうことなく、未来を憂えることなく、『今、ここ』瞬間瞬間を輝かせて生きる以外にないのである。※ブログランキング、皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.29
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先日記したとおり、書籍の出版が決定した。昨日、原稿の執筆要領の連絡もあり、早速取り掛かっている。書籍の題名はもう少し伏せておきたい。多分4月下旬にはご披露できると思うが、書籍の内容から、スピードが必要なもので、共著とはいえ、原稿の締め切りが4月中旬である。一昨日から取り掛かり、自分の担当の約4分の1を完成させたが、自分の感覚からはまだ、10分の1のような気がする(全体を書いてある程度校正するからである)。 いずれにせよ、中小企業経営者にとって役に立つ本、特に身近に置いておき、疑問がわいたらさっと目が通せるようなものにしたいと考えている。今週が山かな?※ブログランキング、皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.28
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論語の中に、「学びて思わざれば、則ち罔し。思いて学ばざれば、則ち殆うし。」という言葉がある。知識をたくさん得ても、それを自分の中で思考しなければ活かし方がわからない。逆に思考するばかりでは独善的になってしまうということである。 在学中に公認会計士二次試験に合格し、「大学院に進んだら」という話もあった。しかし、私は不遜にも(ほんの一時期であるが)「もう学ぶべきものはない!」という気になったのである。ところがそのカラ元気はすぐに破られることになる。今にして思えばありがたいことである。そのためか、私は実務家でありながら、結構理論的な本も読むようになったのである。それが今の原稿執筆や講演に役立っていることは言うまでもない。 とかく、実務家は理論を軽視するきらいがある。役に立たないという。しかし、役に立たせようとしないから役に立たないのではないか。迷ったとき先人達の教えは結構その打開策のヒントになる。 我々の日常業務も数年経てばある一定の水準の仕事はこなせるようになる。問題は、その後である。その水準になって自らの勉学を怠る人は残念ながらそれがピークでそれ以上の成長はありえない。その時点で「思いて学ばざれば」になってしまうのである。もったいないことである。そういう人を見るにつけ、私は論語のこの一節を思い出すのである。 人間は一生勉強なのだ。これなくして、限りない成長はありえない。そして、勉強とは、自己と他者との対話なのだ。※ブログランキング、皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.27
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一昨日は静岡に出かけた。移動時間が多いときはまとめて読書ができる。恥ずかしながら、読了した本のタイトルを開示したい。『人性と経営』斎藤忠 致知出版社『人口減少時代の読み方』産経新聞社『貯蓄率ゼロ経済』櫨浩一 日本経済新聞社『明解!新会社法』九天社『他人を見下す若者たち』速水敏彦 講談社現代新書『仏弟子の告白』中村元訳 岩波文庫 これらのなかで、心に残ったことを2つ3つ。『仏弟子の告白』より「大海の上では、人は、小さな木片に乗っているならば、沈むように、怠け者と交わっているならば、立派に生きている人でも沈む。それ故に、努力もしない怠け者を避けよ。」「ゆっくりしていてよい時に急ぎ、急がねばならぬときにゆっくりする愚人は、正しい道理によって処置することができないので、苦しみを受ける。」「水道をつくる人は水をみちびき、矢をつくる人は矢を矯め、大工は木材を矯め、賢者は自己をととのえる。」「以前には怠りなまけていた人でも、のちに怠りなまけることがないなら、その人はこの世の中を照らす。」勇気を与えられる。また、原始仏教はなんと当たり前のこと(でもなかなかやりきれないこと)を説いていたのかと驚くばかりである。※ブログランキング、皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.26
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「朋 遠謀より来る有り。亦楽しからずや。」突然友達が遠い遠いところから尋ねてきてくれるのは楽しいことである。昨日はこの思いをした。 話は変わるが、幕末の偉人の生涯を見ると、師を求めて日本全国を旅したことが多く記されている。人と人との関係で人間が磨かれていくことは今も昔も変わらない。今と違って、交通機関もない時代に、この「真理」を求める「求道心」というエネルギーはどこから来ているのかと感嘆してしまう。あの時代の人たちは直感によって真実を嗅ぎ分けたとしかいいようがない。 これに対して、今は仕事等の忙しさにかまけて、本来やるべきことを見失っているように思う。あたかも、宝の埋まっていないところを一生懸命掘っているようなものだ。本人は一生懸命であるが、決して宝を掘り出すことはできない。宝のありかを直感によって見抜いてこそ、宝を手にすることができる。 本・セミナー等、今は幕末より宝を手にする手段は格段に多くなっている。しかし、同じ情報が目の前に現れたとき、チャンスをものにする人としない人。この差は何なのだろうか・・・。※ブログランキング、皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.25
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今日はパネルディスカッションのパネラーとしてお招き戴き、今から静岡に出かけてくる。一泊し、明日はお客様の経営計画発表会の記念講演講師として地元でやらせていただく予定であるので、ゆっくりできず、明日朝に帰ってくる予定である。今日はうれしいことがある。ブログで知り合った方と初めて会える。わざわざ時間を作っていただいておいでいただけること本当にありがたいことである。 さて、以前のブログでも記したが、いよいよ、会社法関係の書籍の出版が決まった。近日中に出版社からスケジュール等が伝えられるのであとは一気呵成に原稿を仕上げるだけである。今回は強力な共著者を得た。昨年JPNマネジメント実務資料(これはジャパン・プレジデント・ネットワーク会員向けのものであり、非売品)『役員のための保険の活用法とその実務』を一緒に著した税理士の増山英和先生である。先生とは十数年来のお付き合いであるが、日ごろから先生の業務に対する真摯な態度やアドバイスの的確性に感銘を受け、また、文才・そのスピード等申し分のない共著者を得たと思っている。 会社法に限らず、ここのところ国の政策や制度は大きく変わってきている。私はある役職からそのような政策等の変更には敏感にならざるを得ないが、実際の社会への浸透度は遅々たる歩みの感は否めない。制度変革が全て良いとは限らないが良いものはどんどん取り入れていく感性と実行力が経営者には必要なのではないか。会社の憲法である定款も従来の商法が既製服であれば、会社法はオーダーメイドである。現状分析と今後のビジョンを加味して経営者の考えを入れながら、定款や機関設計ができるようになったのである。ぜひ、このような制度をうまく活用したいものである。◎増山先生のブログ※ブログランキング、皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.24
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日本における商業道徳は江戸期の商人達の手によって確立された。今、童門冬二著『商いの原点』を読んでいる。この本の中で享保の改革を実践した徳川八代将軍吉宗の考えを次のように表現している。「かつて日本国民は他人に対する優しさ・思いやり・温もりを持っていた。それが元禄バブル時代には、自分さえよければいいというエゴイズムを前に出し、他人に対する思いやりを失ってしまった。いってみれば、これが心の赤字だ。単にバランスシートの赤字を克服するだけでは日本はよくならない。」 思えば、バブル時代には、国民の多くが土地や株に熱狂した。かつて日本の会社の社員達を「エコノミック・アニマル」と称した国があったが、高度成長時代の人々は理想と夢を持ちつつ、未来のためにと頑張ったのであり、これを「エコノミック・アニマル」と呼ぶのはいかがなものだろうか。しかし、バブル時代には確実に「エコノミック・アニマル」と化したのであった。バブルが弾けると、原因を追求しないまま、国の政策が悪いとの大合唱である。同時代に身を置いたものの一人として思うのだが、誰が悪いのではなく、誰もが誤っていたと思う。 今、我々に最も重要なことは童門氏の言うように「心の赤字」の解消である。商売を通じて、自分という存在が社会にお役に立つ喜び、自分が成長していく喜びを実感できなくてはならない。商人道を通じて人として生きる道を学んでいくことが大切なのだ。先日たちはすばらしい言葉を残している。「先義後利」。人間としての生き方を貫けば道は自ずから開け、利益は後からついてくる。 余談であるが、私は、お客様に対しても「どんどん儲けなさい」と申し上げている。これは、儲けが増えれば、当然雇用につながるからだ。心ある経営者が率いる企業に縁あって就職した人々は、ここで、商人道・人生道を学ぶきっかけができる。そして、それを実践することがその人にとっても幸せなことなのだから。※ブログランキング、皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.23
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この仕事について早いもので四半世紀が経過した。遅々たる歩みであった。しかし、理想を追求した歩みでもあった。まだ、道半ばでもある。 最初に就職した事務所の上司が、私に言うのである。「会計事務所は上場会社などにいけなかった人の職場だから・・・」と。理想に燃えてこの道を選んだ私にとってはショックであった。だから、今事務所経営では、「誇りの持てる職場」にしたいと考えている。 今、卒業や就職、入学の季節である。もしかしたら、自分の意に沿わない道を歩まざるを得ない人もいよう。しかし、人生はやり直しがきく。若いときの一時点で人生が決まるのではない。私も大学受験は、公認会計士になりたくて、当時合格者数の多かった早稲田大学商学部、中央大学商学部(会計学科)、明治大学商学部、法政大学経営学部を受験した。前の三つの大学はものの見事に落ちた。しかし、一番丁寧に学生の面倒を見てくれたのは法政だったのである。何が幸いするかわからない。 そして、今年度から明治大学大学院グローバルビジネス研究科と獨協大学経済学部で非常勤であるが教鞭をとることになった。ありがたいことである。とくに明治は落ちた大学のしかも大学院であるので喜びはひとしおである。二つともいろいろな方々から紹介を戴いて就任の運びとなった。紹介戴いた方々に心より御礼を申し上げたい。 50年近く生きてきて、つくづく世の中は正直だと実感している。セミナーの講師や書籍執筆もこの就任のきっかけのひとつとなっている。日々怠らない努力は誰かが見ているし、お天道様が見ているのだ。今回も様々な方々から、私に光を当てていただいた。50歳を過ぎたら、一生懸命やっている後進の人たちに光を当てる人間になりたいと思う。※ブログランキング、皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.22
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心理学によると、誰もが、7歳くらいのときに無意識のうちに「人生脚本」を書き、それに沿って人生を歩んでいくのだそうである。振り返ってみれば、確かに、この時期は自分と他人の関係の中から自分の位置を確かめ、また、自分の性格等を把握し始める時期のようだ。ところが、その脚本は自分に都合のいいものとは限らない。そのようなときに、例えば、成功を追い求め、今一歩で邪魔が入りそれを失うという脚本を書かないとも限らないのである。無意識に書いてしまうところが始末が悪いところでもある。悪く書かないという保証はないのだ。 ところが、心理学ではこうも言っている。「その時点まで戻り、もう一度書き直すこともできるのですよ」と。私がこれを知ったのは32歳の時だった。ああ、人間はやり直しがきくのだ、と自分にとって大きな福音となったことを覚えている。 いろいろな人を見ていると、この人生脚本を忘れている人、複雑すぎてかえって迷ってしまっている人等々多いように思われる。このような方に対しては、今一度人生脚本をつくりなおすことをお勧めしている。なお、そのためには、自分は何のために存在しているかという命題である「人生理念」「人生の意義」やゴールである「人生目標」無くしてうまいシナリオは書けないのも事実である。 企業も然り。経営理念や経営目標無きところに成功のシナリオを描けるはずがない。※ブログランキング、皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.21
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今、私は、単独著作、共著、分担執筆も含め、現在28冊の書籍を書いている(余談であるが、あまりにも矢継ぎ早に出版した年もあるので、ゴーストライターがいるのか、と質問されることもあったが、有名ライターではないのでいるはずもない。全て自分で書いている。また、仕事をしていないのだろう、とも言われるが、原稿執筆は、ほとんどが夜もしくは早朝、休日である)。そのなかには、キャッシュ・フロー経営に関する本も何冊かある。同様のテーマでセミナーの依頼を受けることもある。そうするとキャッシュ・フロー経営の専門家であるようなイメージがあるが、若いときは全く逆であった。 経営分析は公認会計士の三次試験(今年から試験制度は変わった)の試験科目であるし、その学習を通じて好きになったので、いろいろな本も読んでいる。その中に、資金が足りなくなる原因を説明しているものがある。これは法則であるからこのような行動を取れば資金が足りなくなるのは自明の理である・・・・はずであった。その一つに「過大設備投資による借入金返済負担増」というのがある。 今だから言えるのだが、お恥ずかしい話、独立して3年目、無謀にも借金で事務所を建てた。しかも、普段使う予定のない研修室を造りたいがため、当時の必要規模の倍のものだったのである。当然返済負担が追いつかず、その年の12月には職員に支払うボーナスの資金がなくなり、新たな借入をせざるを得ず、翌年からはその返済負担まで重なる始末。というわけで、その後4~5年は資金的には苦しい思いをしたのである。 本を読んだりセミナーを受講したりして知識としてはわかっていたはずなのにである。天は私のような凡人には体験で分からしめるのである。 セミナー等でこの話をさせていただくと、「説得力ありますね!」とお褒めの言葉を戴くことが多い。そりゃそうである。体験が一番なのだから。 この件は、他の点でも学びとなった。それ以来、新たな経営手法(経営計画の活用など)はまず、自分の事務所で試してみる。それからお客様に紹介する。ISO9001:2000もいくつか理由はあるが、まずは自分の事務所で試したいと思い早いうち(会計事務所業界では全国2番目)に取得した。様々な経営ノウハウは事務所で試す過程で、様々な成功・失敗のノウハウが蓄積された。それが活きたアドバイスに結びつくのだろう。単に本やセミナーなどで得た知識はしょせん薄っぺらいものである。もう一度繰り返す、体験が一番!※ブログランキング、皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.20
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私の本職は、公認会計士・税理士である。運が良いことに、大学4年のとき公認会計士の二次試験に現役合格した。三次試験も一回でパスした。こう書くと相当優秀な人間に思われがちだが、全くの正反対であった。受験時代から「センスがないねえ!」といろいろな先輩方から言われた。一人の人からだけでなく複数の人から言われたのでそれは当たっていたのであろう。確かに、会計士の試験を受かっても決算書の読み方のコツなどは良くわからなかったのである。これでは、会計のセンスがないと言われても仕方がない。特に二次試験の合格はラッキーとしか言いようがなかった。模擬試験でほとんど0点だった問題を復習し、半分程度取れるようになり、更に復習したら、この問題がずばり出た。満点に近い出来だった(と自分では思っている)。私より模擬試験の成績の良い人が落ちている。怖くなった。これは「ラッキー」以外のなにものでもない。だから、合格してから再度試験の復習をしたのであった(このような受験生はいないと思う)。 三次試験の科目である経営分析の問題にしても、まわりはやすやすと解いているのに私は、何度やってもダメだった(特に資金管理がチンプンカンプンだった)。理解度も遅かった。やはりセンスはなかったのかもしれない。しかし、勉強を通じて分かるようになる道筋を体得したように思う。おかげさまで、今、セミナーの講師や本を書いても「わかりやすい!」とお褒め戴くことが多いが、それは、若いとき理解に苦しんで七転八倒した賜なのである。 努力は天才に勝るといわれるが、その通りだと思う。センスのいい天才は、自分の理解は早く正確かも知れないが、自分が分かる分、伝えることはうまくできないのではないか。 50年近く生きてきて、つくづく思うのは、人間の能力はたいした差がないのではないか。では、その結果の差を生むのは努力しかないのではないか。方向性の間違っていない努力、そして、密度の濃い時間を活用すること。これにつきるのではないか。※ブログランキング、皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.19
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昨日のブログで最後に「生活」と記した。私だけが感じるのかもしれないが、世の中には生活していない人があまりにも多い。こう書くと「いや、毎日仕事をしているし、食事も取っている。立派に生活しているよ!」という反論が聞こえそうである。しかし、本当の生活の意味は「生」命の「活」性化なのである。日々充実している喜び、小さなことへの気づき、毎日少しづつでも成長している楽しみ、これらがあってこそ「生活」なのである。 しかも、これを「感じる」のは自分なのである。※ブログランキング、皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.18
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一昨日、テレビのニュースでカンボジアで音楽を教えているところが放映されていた。カンボジアはポルポト政権下で知識人や芸術家が弾圧され、それらを教える人が極端に少ないのだそうである。私がはっとしたのは、子供達の目の輝きである。当然経済的には日本よりも格段に恵まれていないのであろう。しかし、その目の輝きは残念ながら今の日本の子供達にはないのではないか。 PTA会長のときに学校に行ったところ、子供の教室の前に「将来の夢」という作文が貼ってあり、それを見て愕然としたことを思い出した。「特にない」というのがいくつかあった。しかもそれは女の子が多かった。夢と希望を持たないまま、どうしてこの社会をわたりえようか。 畏友の宝蔵寺湯澤宥広住職の話をしよう。彼はまったくのボランティアで「アフタースクール寺子屋」を開いている。ここでは遊びもするが、その後静座を行い、住職の法話もある。規律を乱した子供にはゲンコツもある(これが入校の条件でもある)。対話の中で、「なぜ戦争は起きるのか」という難しいテーマも語り合うそうである。子供たちは、「自分の考えを無理矢理相手に押し付けようとするから起きるんだ」ということも言い出すそうである。彼の哲学である「叱ることは語り合うことであり、伝えることである」の実践がこのような成果を産み出しているのだ。この記事は、昨年8月のプレジデント誌で取り上げられ紹介されている。このような取組みが日本の津々浦々に広がりをみせることを心から願うものである。 さて、人間を成長させる種としての夢と希望である。子供たちに「情けない!」と言う前に我々大人たちはどうなのか。「夢はあきらめるもの」と断定していないか。日常の生活に埋没していつのまにか希望を見失っていないか。子供たちの悪しき手本となっていないか。反省すべき点は多々多い。※ブログランキング、皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.17
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昨日はちょっと宗教かがったことを記したので、ちょっと自分の宗教観を記してみたい。以前、教祖を絶対視し始め、それを拝めといったらその宗教はにせものだと書いたことがある。 仏教で「八正道」といわれるように、古来、宗教等では「このようにすれば人生うまくいくよ。」といったメッセージを伝えてきた。これが宗教ではないかと私は考えている。日本語は良くしたもので、宗教の「宗」とは「うかんむり」+「示す」と書く。「うかんむり」とは「宇宙」のことである。すなわち、本当の宗教とは「宇宙の法則」を示す教えなのだ。そのなかに「我を拝めば幸福になる」などは絶対にないのである。 ちょっと冗談めいた余談になるが、私が理事長をつとめる税理士法人は、税理士法人報徳事務所という。もちろん「報徳」とは二宮尊徳の根本思想である「報徳一円」から戴き、21世紀の尊徳たらんとして命名したものである。ところが最初のころは、事務所の看板を見た人からどこの「宗教法人」が出てきたのか、といわれたのである。そのたび私は「賽銭箱を置いておきましょうか?」と冗談を言っていた。もっとも賽銭箱に金を入れて拝んでもご利益はないのだか・・・。 さて本題に戻そう。このようなことは、名経営者といわれた人は必ず理解していたようだ。例えば、経営の神様といわれた故松下幸之助氏は「大自然の理法」といい、平成の経営の神様といわている稲盛和夫氏はそのものずばり「宇宙の法則」といっている。 ものごとには法則があり、それに反してはますます不幸になるばかりだ。逆にこの法則に気づき、それを理解し活用すればものごとはうまくいくようになっているのである。なぜなら、宇宙そのものはたゆむことなく生成発展を繰り返しているのだから。※ブログランキング、皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.16
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共時性という言葉がある。例えば私は良く本屋に行くが、読みたい本が向こうから飛び込んでくることがある。悩んでいるとき、ふと手にした本の開いたページに答えが書いてあることがある。出合った相手の何気ない一言がヒントになることがある。このような事柄にハッと気づくか、素直に受入れるか、無視するかで、その後の人生は決まってしまうのである。人をして語らしめることがあるのである。このような現象を宗教的な表現では守護霊の導きというのだろう。このように表現することが不都合であるならば「大いなる存在」といえば良いのであろうか。 古来人はその大いなる存在を畏れていた。それに生かされていることにも感謝した。しかし、残念なことに、現在では、その感謝も畏怖もどこかに忘れてしまったようである。 自然をして語らしめることがある。一度だけであるが、私は樹と対話したことがある(というより樹の声を聴いたことがある)。その当時は忙しく、そして悩みを抱えていた。若葉繁る季節だというのに、それを愛でる余裕もなく、ひたすら車を走らせていた。そこに、突然、道脇の木々がキラキラと輝きだしたのである。そして、「頑張れよ」と励ましてくれたのである。その瞬間「すべてのものはつながっている」と実感し、そのありがたさに涙がとめどなく流れたのであった。 自然界は様々なことを我々に語りかけてくれているというのに気づこうとしない人間がいる。NHKを見ようとしても周波数が違っていれば見えないのと同様、自らが周波数を合わせなければ本質は見えてこない。 今年もまた、もうすぐその季節がまた廻ってくる・・・。※ブログランキング、皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.15
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めったに家族のことを書かないのだが桜木建二さんの昨日のブログ「大切なもの」に触発されて書きたくなった。 私の檀家寺は真言宗豊山派の宝蔵寺(ここの湯澤住職は私の畏友であり、別の機会に書かせてもらいたい。)である。ここでは、毎年寺の青年部主催で「寺子屋道場」を開催している。これは、仏教理念を基にした青少年研修の場であり、ゲーム等を交えながら人間としての生き方を教育するものである。私も青年部の一員でありお手伝いをさせていただいており、子供も小さいうちから参加していた。その中に「お大師様への手紙」という項目がある。これは、自分の夢を「お大師様への手紙」に託し、参加者の前で読み上げるものである。よく、自分の願いを紙に書いて読み上げることが実現の近道といわれているが、それと同様である。参加者は小学校3年生から6年生が中心であるため、「パン屋さんになりたい。」「おもちゃ屋さんをやりたい。」と書くのが普通である。 息子の番になった。息子は、小さいときに引っ込み思案であった(今はまったく正反対の性格になっている)。当然、指されても一言も話せないでいた。正直なところ情けないやら、でも、いつかはできるようになるかと考えていた。 修了後、指導者の先生から「お大師様への手紙」を見せていただいた。その中に書かれていたことは、「僕は大きくなったら、お父さんのような世のため人のためになる人間になりたい。」であった。子供はそう見ていたのか。ありがたいことであった。 仏教に「発心正しからざれば、万業も虚し」という言葉がある。初めの決意の方向性が違っていれば全てが虚しいものになってしまうということである。現代は、国語や算数の点取りを学力と錯覚して、人間として如何に生きるべきか、いわゆる「立志」を伝えることをしていないところに悲劇がある。我々親が子供達にこの大切さを伝えていかなければならない。そのためには、我々自身が「人間として如何に生きるべきかを」常に問いつつ日々を歩まなければなるまい。※ブログランキング、皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.14
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決算書の数字を前年対比で比較してああだこうだ言う人がいるが、素人だなと思う。経営分析の諸比率を駆使して説明する人がいる。これも素人だと思う。本物のプロとは「難しいことをやさしく語れる人」なのだ。 さて、冒頭の比較分析であるが、私は、これが悪いといっているのではない。概して素人は、例えば、前年と比較して「旅費交通費」が大幅に増加していると、「もっと減らさなくてはいけませんね。」などと知った振りして言う人がいる。時と場合にもよるのだが、「経費を減らせ」と言うだけの指導者を私は寡聞にして知らない。 さて、交通費が増えたのはなぜだろうか。もしかしたら、営業マンが新規取引先獲得に日参し、もう少しで新規が獲得できるかもしれないのだ。このように「数字」という結果には、経営者の意思決定と社員の行動というドラマが表現されているのだ。これらをくみ取っていける度量が我々に必要なのである。また、その質問の過程で、営業マンの行動様式が理解できるときがある。例えば、特定の営業マンの移動時間があまりにも多すぎる場合がある。その場合には、アポイントやスケジュールの管理の指導が必要な場合も出てくる。 決算書の裏側にはこのような人間のドラマが隠されており、その集約的表現であると気づいたとき、無味乾燥な数字の羅列の決算書に血が通い始めるのである。
2006.03.13
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人は人に見られると美しくなると言われるように、企業も多数の利害関係者から注目を浴びると美しくなろうとする。中小企業の赤字率が高いのは、利害関係者からの注目度が低く、緊張感が不足するからではないか。もっとも、よく見せようとして「粉飾決算」をしては大問題である。 さて、厳しい現実ではあるが、このように経営者は常に結果を求められる。利益を出せなければ経営者失格の烙印を押されても仕方がない。なぜなら、経営者は社会から、社員の力や仕入先の期待、金融機関の応援などのエネルギーを預かりながら、それ以上のエネルギーに転換することを付託されているからだ。このため、いきおい、結果を追い求めたくなるのはわかる。 しかし、このブログでも何度も記したように、結果には必ず原因があり、その原因をおろそかにしていてはいけないのである。木に例えれば、根っこの部分は目に見えないが一番大切な部分である。これが勢い良く張っており、水分や養分を継続的に吸い上げられれば木も安泰である。しかし、根っこが枯れていたり、腐っていては、例え今葉が茂っていようとも、早晩立ち枯れる運命にある。 この目に見えない部分は、経営理念や企業風土であるが、確実にエネルギーがある。また、この部分は目に見えない分だけ、良くも悪くも振れる。心したいものである。※今日は、アップが遅くなり申し訳ありませんでした。
2006.03.12
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苦しみを苦しみとして認識し、もがき、その結果苦しみから脱しきれない人の何と多いことか。 仏陀は「苦集滅道」と解く。苦の原因を追求し(集)、それを滅し、大いなる道(根本法則に則った生き方)を歩めということである。 本日は、これを企業経営に例をとって説明してみよう。冒頭の「苦しみを苦しみとして認識し、もがき、その結果苦しみから脱しきれない」にはこのような例がある。例えば、企業経営上、資金が不足しているなどである。資金が不足していればそれにとらわれもがく。しかし、そこに解決のすべはない。企業経営上、資金が不足する原因は、1.赤字体質2.売掛金の滞留、貸倒の発生3.在庫投資の過大、陳腐化4.設備投資の失敗5.過度な利益処分のいずれかしかない。これが複合的に出てくる場合もあるが、例えば、売掛金の滞留や貸倒の発生による資金不足であれば、今まで、回収がルーズであったり、売上高のみを重視したために、相手先の状況を検討せずに販売するなど、債権管理がずさんだったからなのである。このあたりの原因を追求し、原因を除き、新たな良因である原因を創らなければ良い結果は生じないのである。 この因果の法則を信じれば、結果を追い求めることなく、良因である種蒔きが大事であることに気づくだろう。 この良因の種蒔きができるか、結果ばかりを追い求めるかで、企業経営の成果は繁栄にも没落にも振れるのである。しかも、それを選択しているのは経営者自身なのである。 企業経営にも法則があるのであり、それを知らずして経営を行うことは命取りである。
2006.03.11
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私は仕事柄、多くの経営者の方々と出会うことが多いが、中には悩みや苦しみを抱えている人もいる。話を聞いてみると、大半はその悩みや苦しみを自分自身がつくりだしていることに気づいていない。どんなに大きな借金を抱えても平気な人がいる反面、ちょっと売上げが下がっただけで、悩み苦しんでいる人もいる。景気が悪いから悩みを抱えるのか。いやそのようなことはない。同じような状況下においても、平気な人と悩む人がいるのはなぜか。実は、現象は同じでありながら、「心」というフィルターを通すことで、それは悩みになったり、ならなかったりするのだ。つまり、悩みや苦しみは心の傾向性がつくりあげているというのが真実のようだ。 人間は一度手にしたものを失うことを恐れる。「猿を捕まえる」という話がある。ちょうど猿の手が入る穴に餌を入れておくのだそうである。猿は穴に手を入れ、餌を掴む。そうすると手が抜けなくなって、人間によって捕まって命まで奪われてしまうという話である。猿が命を奪われないためには・・・そう、手放すことしかないのである。このたとえ話は我々に大きな教訓を与えてくれる。一度手にしたものは永遠のものではない(全てのものごとは無常)のであるから、失うことを恐れてはならない。一度手にしたものでも、勇気を持って自ら手放すことも必要なのだということである。執着する心こそ、悩みの根本原因なのである。執着すると周りすら見えなくなる。自分が絶対で他が誤りと錯覚を起こしたとき解決の糸口すら見えなくなる。しかし、このような傾向性を持つ人の何と多いことか。 苦しみは自らの心がつくると喝破したのは仏陀であり、だからこそ、自己の心を鍛錬することの重要性を説いたのである。※ブログランキング、現在18位。皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.10
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経営理念は育てるものだとつくづく思う。当法人の経営の根本理念は、「自利利他」「報徳一円」であるが、そのひとつである「自利利他」は独立2年目に設定したものである。まだ、31か32の時だった。当然、その解釈は薄っぺらいものだった。しかし、時を経て、20年近く立つと、自分で経験したこと、書物や人からの教えにより、少しづつ自分の解釈に深みが増してきたように思う。深みが増すことによって、自分が経営理念に近づきつつあり、かつ、経営理念そのものが成長しているように思える。つまり、経営者の成長とともに経営理念も育っていくのだ。「自利利他」とは、わかりやすい言葉で言えば、「あなたの喜びが私の喜び」である。なぜ、「私」の対立概念である「あなた」の喜びを私の喜びとできるのか。これは、対立二元論では理解できない。一昨日のブログで記したとおり、目には見えないが、集合無意識下では、人々は繋がっているのである。これがなければ、「虫の知らせ」などは起きるはずはない。その次元で考えれば、自他は一体だということである。だからこのような解釈が成り立つわけである。私は、よく、ふっと人が頭に浮かんでくることがある。そうすると、果たして、その人からの相談の電話が鳴る、という経験をしている。つながっていなければこのようなことはあり得ない。 このように解釈すれば、逆に人の苦しみをわが苦しみととらえることができるのであり、その次の行動としては、その苦しみの棘を抜いてあげることである。これを「抜苦与楽」という。「抜苦与楽」を単に与えることと錯覚している人がいる。金がなければ金を与えるのか。食がなければ食を与えるのか。それが「与楽」なのか。違うのである。人は他から与えられることによって苦が除かれるのではない。自らの内面の内なる力で自分自身で苦を除けるようにしなければ意味がない。本当の「与楽」とは苦しみの原因を探り、自力でその解決をできるように支援することなのである。与えられるものより、自らの力で獲得したもののほうが大きな威力を発揮するからなのである。
2006.03.09
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ブログの原稿をワードファイルにしてみた。A4用紙で約30ページとなった。ちょっとした本では、60ページに相当する。「積小為大」だなとつくづく思う。一日一日の積み重ね、継続は偉大であると実感した。
2006.03.08
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ほんものの経営理念は借り物ではない。どのような美辞麗句を並べて額に入れておいたとしてもそれはお飾りでしかない。お飾りにはエネルギーがない。光がない。 ほんものの経営理念とは、経営者の人生理念が凝縮されたものであり、その意味で、経営者が命を与えることで機能し始めるものである。私は、約10年前の最初の単独著作である「継続MAS実践マニュアル」において、そのあたりを「これからはこの指とまれ」方式の企業経営になっていくことを記した。今、この感は益々強くなっている。人間が人間として生まれてくることすら奇跡であるし、同時代に生き、出会うことは更なる奇跡としか言いようがない。何らかの縁があると言わざるを得ない。 しかし、経営理念が分からず、去っていく人もいる。これもまた、大きな学びなのだろう。仏教では人間を「上根」「中根」「下根」と分けている。上根は仏陀の説教を聞いて悟ってしまう人、中根は、良くわからないと思いながら、数年後に「ああ、あのことはこういうことだったのか」と理解する人、下根とは、死んでも直らない、分からない人である。これは致し方のないことかもしれないが、伝わるよう最大限努力したいものである。※ブログランキング、現在16位。皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.08
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仏陀が入滅するとき、弟子のアーナンダは、「これから私達は何を頼りにしていけばいいのですか。」と問うたところ、仏陀は、「私が今まで説いてきた法を頼りにせよ。また、自分の心の中の答えを信じ、それを頼りにしていきなさい」と言ったといわれている。これを「自灯明」「法灯明」という。余談であるが、新興宗教の教祖が我は絶対であり、我を信ぜよ、といい始めたら、その宗教は間違っていると断定して差し支えない。 仏陀は、今まで説いてきた「法」、すなわち、「人間としての生き方」を指針とせよ、と言ったわけである。このように、人生生きるうえで指針となるものを持っている人は幸せである。企業経営も同様であり、元気な活き活きとしたところは、「経営理念」という判断基準を持っており、しかもそれは経営者の人生理念とシンクロしている。 また、仏陀は、「自分」を頼め、とも言っている。これを自我の自分を頼めと理解すると誤解がある。本当は自分の真我(本当の尊い自分=本尊)を頼めといっているのだ。ユングが言うように集合無意識下では、これは全てと同通しているのだから。 私は、経営者の方々に向かって、「本当の答えは皆様の心の中にあるのですよ。」とよく話す。これは実はこのことを言っているのである。ところが、本当の答えは外にあるとばかり勘違いして、新しいものを追ってみたりする。それがうまくいったとしても外から自分が得ようとすると飢餓感に苛まされる。しかし、本当の答えは自分の中に存在し、こんこんと湧きいずる泉のように、尽きることなく、自分を潤し、他人を潤しているのだと感得したとき、このような悩みから開放されるのだ。※ブログランキング、いよいよ現在21位。皆様の暖かいクリックをお待ちしております。※※ 夜見たら、18位に浮上! ありがたいことです。人気blogランキングへ
2006.03.07
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昨日は、人間の潜在意識の話だったが、これを企業に当てはめると、「企業風土」になる。初めて行った会社でも、「この会社は明るいな」とか「暗いな」など分かる。長期的な企業の成長と企業風土には大きな相関関係がある。概して、良好な企業風土が醸成されているところでは長期的に発展していくし、そうでない場合には衰退・没落の一途をたどる。これは良好な企業風土が人間力向上のための土壌となっているからである。 さて、企業風土はそこに集う人々の意識と行動と人間関係から成っている。手っ取り早い方法として「意識」を変えれば?と思うかもしれない。しかし、これが難物なのである。人間は生まれてから、習慣や教育などにより、誰もが意識するしないに関わらず、色眼鏡でものごとを見るようになっている(心の傾向性)。この色眼鏡を取り外すのは困難なのだ。今までの自分のあり方に気づき、反省しなければならないからだ。だから、いい講演を聴いても、その日は「感動した」などと言っていながら、次の日はケロッとして、日常に埋没してしまうのだ。 そこで、何を変えるべきなのかというと「行動」なのである。行動を変えることによって習慣となり、習慣は人格を変えていくのである。この方法が現代のOAである「お掃除」と「挨拶」なのである。日経ベンチャー2006年3月号でも、20代社員の6割は掃除をしたいというアンケートが出ている。逆に残り4割をどうするかである。企業風土が良好であれば彼らを感化することもできようが、それがまだ途上の場合は、腐ったリンゴは周りを腐らすことに注意しなければなるまい。採用時にはこの点も検討したいものである。※ブログランキング、皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.06
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私は幸福感とは目標達成の過程にあると思っている。世に「願望実現の法則」がある。これを唱えている人は大方、潜在意識に夢や目標を落とし込め、そうすれば実現するとしている。確かにその通りであるが、これには大きな落とし穴がある。我々凡人には難しいのである。なぜなら、途中の重要な過程が省略されているからである。潜在意識は自然界に例えれば「畑」であり、夢や目標は「種」である。この種を畑に蒔けば実を結ぶというのが「願望実現の法則」の骨子なのである。しかし、畑が荒れていたらどのような素晴らしい種でも生育することは難しい。 仏教ではものごとは「因縁」によって生ずるとし、この条件を「縁」とよんでいる。畑であれば、良好に耕されていること、適度な水・太陽の光・肥料などである。このような条件なくして実を結ぶことは困難である。 我々にとって条件とは2つある。潜在意識をクリーンにしているか。これは反省と瞑想で実現できる。もう一つの条件である、適度な水等は「努力」である。これらが欠落して願望実現は困難であると言わざるを得ない。
2006.03.05
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先日、T社にて社内セミナーをご依頼戴いた。同社は昨年の古河商工会議所主催の「経営革新講座」に参加され、見事経営革新の承認を受けている。これを企画したN専務は昨年の経営革新講座ばかりかJCや経営品質でご縁があった。 驚いた。本日、参加者の感想文を製本しお送りいただいたのである。私もいろいろとセミナー等は頼まれ、お礼状も戴くのであるが、ここまでやっていただいたのは初めてであり、私自身感動である。一人一人が直筆で時間をかけて書いていただいた。もちろん、全ての方々の感想文をここに転載するのは了解を戴いていないのでできないが、「感動した」とか「日々の仕事に活かしたい」とか、記されている。一生懸命やらせていただいた甲斐がある。 T社の益々のご隆盛をお祈りするばかりである。また、T社では当日セミナーで紹介した「ブッダの言葉」を参加者に配布されたそうである。すばやい実行力だと感服した次第である。※ブログランキング、いよいよ現在25位。一枚目に入りました。皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.04
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昨年、経営革新支援法等の三法が統合して、「新事業活動促進法」が制定され、施行された。これは中小企業支援法の基本理念を受けて、創業・経営革新・新連携の支援を行うというものである。この中心となるのは「経営革新」の支援であるが、これは、中小企業が新たな取組みを行うことで付加価値や経常利益を高めるビジネスプランを県等へ提出し承認を受ければ、税制措置等の支援策を受けることができるというものであり、今まで全国で2万社程度(平成17年11月現在)しか承認を受けていない。ある意味ではISOより希少価値がある。この法律の本質は、今までのなりゆき経営がうまくいかなくなった今、中小企業といえどもビジネスプランを立案し業績管理システムを導入し運営していこうという呼びかけなのである。ビジネスプランは、自社の理念を基本として、方針・戦略が明示され、それが県という第三者の評価を受けることから経営者のひとりよがりを防ぐことができる。当法人では、このようなことから、支援策の有無に関わらず積極的に無償でご支援させて頂き現在35社になった。 全国各地の商工会議所・商工会でも毎年「経営革新講座」を開催している。私も昨年は地元で講師を依頼され、その中で約20社の申請支援をお手伝いさせていただいた。それがここに来て続々と承認を受けた。その参加者から、承認の報告を戴く。わが事のようにうれしく、これを機にますます発展されることを心より願う次第である。 また、受講者の方々の真剣さが回を追うごとに増してくる。つくづく、経営革新は経営者の革新であり、経営者の革新とは心の革新であると実感する。※もっと詳しく知りたい方は、当法人ホームページ「情報ダウンロードコーナー」にて昨年私が執筆した「月刊税理」「速報税理」の論文をPDF形式にて無償でダウンロードできます。※ブログランキング、いよいよ現在25位。一枚目に入りました。皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.04
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株価やGDPの動向に一喜一憂たり、外部の情報の変化に自分自身が翻弄される。現代の社会はこのような側面を持っている。このような中で自分という本質を見失わず、それをもって社会に貢献していく姿は尊いものがある。この人生は決して、金を残したり、地位や名誉を得るためにあるのではない。また、それを超えて、自分の思想を後世に残し、その思想が後世の人々の生きる指針となれば、最も尊いことである。仏陀やキリストは正にこのようである。しかし、たとえ、自分で思想を体系化しなくとも、このような先人達の知恵を理解・体得し、その結果、幸福な生き方をしていけば、それを見ている人は模範とするだろう。生き様で周りを感化する。これが最も価値ある生き方なのではなかろうか。
2006.03.03
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当法人では、経営理念研究の第一人者である経営コンサルタントの佐々木直先生を主任講師としてお迎えし、「ハートフルビジネスカレッジ」全5回(45,000円)の開催を企画しています。佐々木先生には「人間性を高めながら業績を向上させ、業績を向上させながら人間性を高める秘訣」をご披露いただきます。 このカレッジは既に全国で600名を超える方々が受講されており、講義の中では特別講師として、松下社会科学振興財団前支配人高橋誠之助氏をお迎えし、松下経営哲学の真髄を学ぶ予定です。また、最終回には「報徳仕法に学ぶ利益向上策」と題し、私の講演もあります。 ご興味がありましたら、メールを戴ければ至急案内状をお送りさせていただきます。akaiwa@houtoku-tax.com※ブログランキング現在28位。上がりました。皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.02
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ヒューレット・パッカードの創業者の言葉に「時を刻むより、時計をつくる」というのがある。「時を刻む」とは、経営者がそこにいて、「ああせい、こうせい」と指示・命令することである。しかし、経営者の命は有限であり、いつか去るときが来る。そこに別の時計を刻む経営者が出てくると事態は深刻になる。これに対し、後者は、そこに経営者がいなくても、あたかも経営者がいるように(時計に針に則って)社員は行動していく。時計とは思想と仕組みであり、経営者の命は有限であろうとも思想は無限なのである。※ブログランキング現在32位。上がりました。皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.02
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今日は子供の卒業式。このため、久しぶりに仕事を休む。卒業とは終わりなのだろうか。いや、始まりなのである。子供のころは、数々の卒業式や入学式がある。進学や就職もある。卒業とは、今までの過程を修了し、次のステップへ進む始まりである。子供にはこのように強制的に卒業を繰り返させることで、環境や人間関係を変え、自分をステップアップさせる訓練をさせているようである。ところが、いざ社会人になると、この法則を忘れてしまう人が多い。人生の大目標があるにせよ、自分で自分の小さな卒業時点を決め、ステップバイステップで歩むべきなのだ。これを「未来に点を打つ」というのである。蛹が蝶になるように、人生においても大きく変わるときがある。違った世界が見えてくるときがある。「卒業」時期に点を打つと見えてくるものがある。今何をなすべきかが良く見えてくる。※ブログランキング現在36位。ちょっと上がりました。皆様の暖かいクリックをお待ちしております。人気blogランキングへ
2006.03.01
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