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ここ最近のハオロン、番組的に、おいしすぎです。さて、おいしいと言えば、ハオロンの水餃子。番組中で、「プロジェクトX」風に紹介されていたあの「水餃子」は、肉厚で、エビの味がしっかりでていて、まじでうまかった。そのまま、茹でて、ポン酢につけて食べるのもいいが、ちゃんとした水餃子にしてもうまい。さらに、醤油味、塩味系、トンコツ系のインスタントラーメンに入れたら、エビの味がでて、けっこういける味になる。また、豚肉とキャベツと一緒に茹でて、水を切って、それに、ポン酢やめんつゆをかけて食べるとこれまたうまい。あの、水餃子を最初に食べたのは、テレビでやっていた、亀戸天神より前で、しかも、大田区の「原っぱ公園」という、なにもない公園で行われたイベントだった。冬の寒い頃に、原付で1時間走った後に、その水餃子を食べたこともあって、無茶苦茶おいしくて、いきなりハオロンの水餃子ファンになってしまった。大量の在庫はあったけど、あれは、一度食べると、けっこうリピーターが出てくるんですよね。そんなこともあって、あれほど、たくさんあった餃子も、去年の夏までに一掃されてました。倉庫として、氷屋さんの冷蔵庫を借りていたのだけど、夏場は、氷屋さんの儲け時ということもあって、夏までに、水餃子の在庫を一掃しないということもあり、ハオロンが必死で売り切ったんだよね。最後の方は、既に食べたり買った人から、リピーターが出たりして、すごい勢いで売り切ってしまったという感じでした。番組を見て、あの水餃子のおいしさがフラッシュバックしてきただけに、今は、入手できないハオロンの水餃子が、また、食べたくなってきた。是非、再発売してほしい。とはいえ、100個入りとか、そういう単位でしか、買えなかったので、買ったら、買ったで、しばらく、水餃子生活になってしまうのが、ちょっと、つらいかも。
2004.05.31
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ある普通運転免許を持っている色弱の方に聞いた話だが、緑色は見分けにくくても、赤信号が見分ければ、運転免許が取れるそうだ。これは、止まるという信号を見分けることが、重要視されているからだ。それだけ、日本の道路交通では「止まれ」という事が重要なのだろう。他にも、日本の交通が、止まることを重視している事がいろいろある。たとえば、踏切であるが、日本では、必ず踏切の前の停止線で停止しないといけないが、海外では、遮断機が閉まったり、警報機が鳴っていない時は、踏切を渡る前に停止してはならない。日本の感覚で、停止すると、後続車があれば、追突されてしまうだろう。また、交差点の信号は、基本的に止まらせる事を重視している。タイやラオスでは、四つ角なら、原則的に止めて、一つずつ青信号にする方式が使われていたが、これらも、止めることを重視した考え方だ。それに対して、西洋でよくみかける、ロータリーというかラウンドアバウトは、車を止めずに交通を円滑化することを重視している。ほんと、日本って止める文化なのね。
2004.05.30
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ある会議が終わって、廊下に出ると、階段の脇に無造作に、バックやらが置かれている。誰の荷物かと思ったら、ある大学の先生の荷物だった。なぜ、そのように置いたのかを聞くと、無造作に置いた方が置き引きに遭わないからだという。日本人観光客は、海外に行くとき、貴重品をウエストバックに入れたり、クビからひもで吊したりする。しかし、厳重に注意しているにもかかわらず。スリにあったりする。それは、厳重に注意を払うことで、そこに、貴重品があるという事を他人に知らせているからなのだ。なるほど、相手の心理をついた、置き引き対抗策である。しかし欠点もある。それは、ゴミと間違えられて捨ててしまわれたり。テロ対策に慎重になっている日本では、不審物として警察沙汰になってしまう。何事も、いいこともあれば、悪いこともあるよね。
2004.05.29
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ある国での公共事業においての話です。この国は、いわゆる、開発途上国で、いわゆる先進国や世界銀行などの資金援助を得て、ある公共事業を行った。日本も、資金や技術の援助を行っていた。そして、支援をする期間が終わり、継続して、援助をするのかを決める、評価をする時期となった。このとき、普及率が85%に達していたために、日本は、分厚い調査報告書を三冊も制作した。ところが、カナダの支援機関である、CIDA(カナダ国際開発庁)は、たった3枚の報告書を出して、支援事業を打ち切ったのだ。その理由は、最下層の一番支援が必要な部分以外の85%に対し、公共サービスを提供するのは、公共事業として認められない。従って、調査し、新たな支援計画をする事を打ち切ったのだという。ちなみに、3枚の報告書といっても、一枚は、表紙。もう一枚は、裏表紙なので、実質1枚の報告書なのだ。公共事業は、人として生活する最低限のものを提供する役目がある。だからこそ、底辺をいかにカバーするかが肝心で、豊かな層をより豊かにするのは、公共事業の役目ではないと言える。日本の公共事業は、果たして、公共事業なのかどうか、身のまわりを見渡してみてはいかがでしょう。
2004.05.28
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甲良町での研修は、いよいよ最終日を迎えた。タイから持ってきた、案件を、甲良町で学んだ事で、改良して、より良い、地域活動のプロジェクトにしていく。プロジェクトの成果は、すぐに出るものではないとはいえ、研修最終日ということもあり、研究の発表が行われた。その、発表の一つの中に、興味深い事がいくつかあった。その一つが、「らしら」のプロジェクト、という事である。公共事業の多くは、陳情制度である。たとえば、議員を通して議会に持っていくにしろ、水道を通して欲しいと、水道局に言うにしろ、そのベースは、個人の要求であり、個人がやりたいことを陳情することによって、公共事業や開発が行われるということに陥りがちである。政治家も、個人の要望を受け、その要望に公共性を付加させることにより、公共事業として個人の要望をかなえてあげるというのが、一つの仕事になっていると言える。つまり、公共性は、あくまでも、議会での説得材料や、大義名分でしかなく、あくまでも、個人の要望の実現がベースなのである。これが、議員活動が利益誘導型に陥りやすい原因の一つである。そして、事業化に成功させると「わし」の事業という意識を持ってしまう。人によっては、自分の銅像までも建ててしまう。「わし」の事業だからこそ、その事業は、要望者以外の、利益を得られなかった人の反発を受けることになる。それは、同意を得るというプロセスを経ず、法律なりに基づいた形のみでしか、合意活動を行っていないからでもある。さて、このあるタイの自治体の発表では、住民主体で、いろんな討議や活動をし、全ての合意を受けたところで、はじめて、村のリーダーが「「わしら」のプロジェクト」だ、と宣言する事によって、はじめて本格的にスタートするという提案があった。「わしら」のプロジェクトと言えるように、地域での合意を得ることで、住民のプロジェクトへの参加が積極的になり、プロジェクトの実効性が上がる。しかも、プロジェクトの精神が、複数の住民から住民へと伝わるだけに、長く、その精神が伝わり、プロジェクトが継続性を持ち得やすくなる。それに対して、「わし」のプロジェクト、「わし」の事業は、その「わし」が死んでしまえば、「わし」が目的を達したり、環境が変わったことにより、その必要が無くなったとき、そのプロジェクトなり事業の精神が伝わらなくなる。また、「わし」のプロジェクト、「わし」の事業は、複数の人から伝わらないために、人々にその精神が伝わらない。だからこそ、機能しなくなる。たとえば、ある街に、ある人の陳情や、議員や首長の思いつきなどで、コンサートホールが出来たとする。しかし、これは、「わし」の事業である事が多く、その施設の役割、目的、機能などが、住民だけでなく、施設で働く職員にも伝わらないことが多い。だからこそ、コンサートホールに人を呼ぶなど、コンテンツに掛ける予算についても、議会でも、その趣旨や精神が理解されていないために、認められなかったりして、必要分が確保できなくなる。これが、箱物公共事業と揶揄される原因の一つである。どのようにして、「わしら」のプロジェクトとしていくのか、彼らの発想を、是非現実のものにしてもらいたい。
2004.05.27
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先週に引き続き、滋賀県甲良町で行われている、まちづくりのワークショップの撮影に行った。10日に始まったこの研修は、あと2日を残すのみだ。今日は、甲良町での最終日の研究発表の撮影の下見ということで、夕方に現地に入った。集会所の2階の会場に入ると、タイの老人が何か熱く語っているのが目に入った。何事かと思うまもなく、指導をしていた方たちが「大化けしたよ。これを、ビデオに撮ってくれ」と、歩み寄ってきた。私は、機材の積まれている車に戻り、今、準備が一番早くできる小型のビデオカメラを持ってきて、早速撮影に入った。さて、このタイの老人。研修生として、日本に来るぐらいだから、その村ではコミュニティの副委員長を務めてはいるが、学歴がない。しかも、今回の研修生の中で最長老だ。その他の研修生は、内務省の役人、副首長、助役、議長、議員など、蒼々たるメンツの中では、この老人は、地位も権力もない。それだけに、引け目があったのか、他の人の声が大きかったからなのか、なかなか研修がうまくいっていなかったそうだ。ところが、研修もあと残すこと2日になった日の午後に、この老人は、大化けした。彼は、ゴミ問題に関するプロジェクトに取り組んでいたのだが、ゴミ問題プロジェクトを成功させるためには、まず、味方をたくさん作るべきだと考気が付いた。そして、今まで研究し改良してきたゴミ問題のプロジェクトの内容以前の重大なポイントとして、住民主体の活動が重要なのかという事を、どのように広げるかに焦点を置いたプレゼンをしているのだ。ゴミの問題、無農薬農法、森林保護など、様々なプロジェクトを、タイから持ってきたのだが、いずれのプロジェクトも、住民が主体にならないと、うまく機能しないという要素が大きい。それだけに、多くの住民が様々なプロジェクトに参画してもらわないと、プロジェクト自体が成立しない可能性をはらんでいる。だからこそ、どのように、住民主体のプロジェクトの素晴らしさを伝え、住民の意識を高め、アクションしてもらうかが大切なのだ。そのことを、研修を通じ、自分でその本質の部分に気が付いたのだ。しかも、根本の部分を押さえただけに、どんな質疑応答も、堂々と答えることが出来る。これは、知識てはなく知恵のレベルに達している。知識というレベルでは、イレギュラーな質問をされると、回答に困ってしまう場合があるが、知恵となり自らのものになったものは、どんな質問でも、堂々と自分の位置で答える事が出来るのだ。さて、この老人が大化けした理由の一つは、首長であるとか、議員であるとか、知識を詰め込んで、大きな声を出して、引っ張っていかなければならない立場ではなく、いままで行った発言なり、行動に左右されず、自由な立場であった事が考えられる。議員などであれば、自分の出した政策なりに、どうしても固執してしまい、それをどうしても実現する方向で、直線的に物事を考えてしまったり、自分の主張を通すために必死になってしまい、自分ばかりになってしまい、物事をニュートラルに見ることが出来なくなったり、様々な事を吸収する力を失ったりする事がある。それに対して、この老人は、学歴も権力もない。それだけに、様々なことを吸収しやすかったのかもしれない。モノを掴むとき、既に手に握っているものがあったら、新しいモノは掴みにくい。だけど、何も持っていなかったら、手に持っているものを、どこかに置いたり、捨てたりすることなく、新しいモノを掴むことが出来る。この老人は、持っているモノが少なかったからこそ、新しいモノをすんなりと掴んだのではないだろうか。実は、他に大化けした人には、最年少の学生会員などがいた。このケースも、既に何か持っていなかったからこそ、新しいモノを掴んだのだろう。現代日本は、知識偏重社会であり、物質主義でもある。だからこそ、新しいモノを掴むために、古いモノを置いたり、捨てるのが、物理的にも、社会的にも、精神的にも難しくなっている。日本が成長するには、うまく、と古いモノを置いたり、捨てる事が肝要なのかもしれない。同時に、何でもかんでも、詰め込まない事も必要なのだろう。
2004.05.26
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西麻布のSHICという所に、ブラジル音楽を見に行った。いつものバンドなのだが、最近ブラジル人ベーシストが参加したことにより、しなやかにパワーアップした感じだ。さて、この会場で出会った、Web制作会社の若社長と、東京と大阪どからが良くないのかという話題になった。東京は、全国、全世界から、いろんな知恵者が集まっている反面。なにかにぶら下がれば、どうにかなるというような、ぶら下がり人間が山のようにいる。そして、知恵者が集まると同時に、情報が集まる。だからこそ、その情報に群がったり、翻弄される者が現れる。そのため、結果として、じっくりと自分を固めて、研究に没頭するという事が困難であったり、せっかくのアイデアも盗用される危険性をはらんでいる。これは、ものづくりにおいて、マイナスポイントである。ものづくりにおいては、土地の値段のことも含め、少し、地方都市の方が、独創的なものを生み出す環境があると言えよう。しかし、地方の多くは、東京にあこがれているため、東京の良い面を、そのまま真似て、自分の良さを消すだけでなく、東京の悪い面も真似てしまう傾向がある。そうなることにより、独自のものづくりが出来る環境を失うことになってしまう。その点、大阪は、独自の文化を持っていると言うが、実際の所、大阪も東京と同じ大都市で、いろんな知恵者が集まっている反面。なにかにぶら下がれば、どうにかなるというような、ぶら下がり人間が山のようにいる。しかし、今の関西では、多くの知恵者が東京に進出してしまい、そのため、全国に大阪文化が伝播していっているが、大阪には、豊かな大阪の幻想が、大阪に残り、実情はかなり寒いものがあると言えよう。しかも、大阪は、環状線の中にまともな大学が存在しない。東京では、大学が郊外移転したとはいえ、山手線の中に、有名な大学が山のようにある。大阪市内に大学がないことは、大阪の若者文化をスポイルしている。それでも、大阪の若者文化が存在していることは、それは、それで、大阪の若者文化の根強さを表してはいるものの、大阪が本来持ち合わせるだろう、パワーではないように感じている。そして、東京もそうだが、大阪には、祭りが少なかったり、若者が表現する場所が少ないのだ。昨年、阪神タイガースが優勝した時、多くの人が、汚い道頓堀に飛び込んだ。彼らは、本当の阪神タイガースファンかどうかは、疑問である。その証拠に、2年前のサッカーワールドカップで、日本が勝った時、多くの人が道頓堀川に飛び込んだ。彼らは、あくまでも、祭りを欲しているだけで、なにか、良いことがあることに乗じて、祭りをでっち上げて楽しんでいるのだ。それは、同時に、大阪の若者文化の弱さや、表現の場所や機会の少なさの表れでもある。その一方、東京では、適度に若者文化が存在するがために、その文化の中で完結してしまう人が多いように感じる。そして、それぞれの文化のレイヤは、一見、重なっているように見えるが、実は、各階層のレイヤにわかれているため、混じり合わない。せっかく、いろんな人が集まっているといいながらも、意外に出会わないのだ。東京にしろ、大阪にしろ、一長一短がある。しかし、関西出身の自分としては、大阪というか、関西が今ひとつ元気がないように感じるのは残念でならない。
2004.05.25
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アートイベントの検索サイト「POSTCARD」(http://www.postcards.jp)に、一枚の封書が届けられた。その中に、個展のチラシが同封されていた。だが、「POSTCARDS」は、その名のとおり、ハガキまたは、ハガキ大のものしか掲載しないという企画なので、残念ながら、この送られてきたチラシを掲載するわけにはいかない。しかし、せっかく、送られてきたものだし、もしかすると、会場にハガキがある可能性もあり、その個展が開かれている、会場に足を運んでみることにした。ここは、ギャラリーアートサロンII(http://www.artsalon.co.jp)というところで、千葉駅の西口から歩いていける所にあり、西千葉駅、西登戸駅からもほど近い、住宅地にある。JR千葉駅付近は、様々な商業施設が建ち並び、かつてのSF映画のように曲がりくねった高架軌道の上に、新交通システムが、ビルを避けるように走っているが、その一方で、西口は、寂れていて、すぐに閑静な住宅地になっており、典型的な地方都市のJRの駅の様相を呈している。そんな、住宅地の中に、喫茶店を併設したギャラリーがあった。今回は、高円寺ハートトゥーアート・エコーズ2に出展していた、谷口さんの銀座で行われた個展の会場で知り合った、板垣さんの個展が行われていた。谷口さんは、昆虫をモチーフにした作品を多く作っているが、この板垣さんも、昆虫や植物をモチーフにした作品が多い。今回は、油絵の作品と、油絵の作品と同じ構図だが、インクで書かれた絵に和紙やら布を貼り付けたものと、同時に展示していた。今回は、ギャラリーのうち2室を同時に使っているために、片一方は、油絵、そして、もう片一方が、インクで描いた作品と分けて展示。回っているうちに、これらが、対になっている事に気づき、もう一度、作品を見たくなるという、レイアウトになっていた。東京のギャラリーは、土地代が高いこともあるのか、狭いスペースを有効に使おうという感じが強いが、ここは、ゆったりと広く使っているという感じだ。そして、このギャラリーと、喫茶店が併設されているのも、面白い。ここには、各種美術関係書籍や、美術雑誌のバックナンバーが置かれている他に、ちょっとした、アーティストの作品なども販売されている。このギャラリーのオーナーが、飲食店のオーナーでもあるという事が、このアートサロンと併設した喫茶スペースを作る事への切っ掛けとなっていると思われるが、アート作品が、簡単に売れない状況の中で、他の収入源をもち、しかも、その収入源は、既に実績のあるものであるというのは、長く、アートサロンとして続けていくには、有利だと感じた。しかも、アーティストや、アートが好きな人が気軽に集まれる場所となっていて、作家さんと少しお話ししていると、次の個展をなさる作家さんがちょこっと顔を出し、今回の作家さんから、次回の作家さんを紹介してもらったりと、このアートサロンから、コミュニティが出来上がっていっているという事が見えていた。人が気軽に集まれる場所が、少ない日本の街にあって。このような、アートサロンの存在は、コミュニティの核の一つになるだろう。だが、個人の力というか、一企業の力や熱意でしか、コミュニティの核を作れていないという現状も同時に感じた。ここも、オーナーが変わったりすると、せっかく出来たコミュニティの核となる場も無くなってしまう確率が高い。これから、ここに集まる人が、どのようにアクションし、この場所を活性化させ、どのように運営に関わり、存続させていくのか、少し気になるところだ。
2004.05.24
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先日の滋賀県への出張の最終日が、四谷の新居の同居人の誕生日だった。しかし、自分も含め、残りの二人が、関西出張で、行き先は違えど、一緒に車で帰ってきたため、深夜となり、その日のうちに帰って来れなかった。残り一人は、どうも、カレーを作って待っていたようだった。四谷3丁目駅付近は、飲食店がたくさんあり、しかも、おいしい店が多いにもかかわらず、最近は、自炊が流行っていたりする。そんなこともあり、22日に、改めて、秘密で誕生日会を仕掛けた。四谷のケーキ屋でケーキを買い。近くのスーパー「丸正」で、ワインとムニエル用に鶏肉を購入。そして、鯛のカルパッチョを作るために、鯛一匹を裁いてもらった。その時、店員に、アラはいるかと、聞かれたので、即座に頭に「あら汁」が浮かんだので、アラも持って帰ることにした。ちょっとした、誕生会は無事終わり。翌朝は、昨日もらった鯛アラであら汁を戴いた。それにしても、朝から、あら汁とは、豪勢だ。しかも、滋賀県の醒ヶ井で買った無農薬米の炊きたてのご飯と相性ばっちり。朝から幸せだ。さて、その時点で、今夜、武蔵中原にあるお魚がおいしくて、よく、オフ会に使っている「北海」に行くことを、てっきり頭から抜けていた。昼から、千葉に行って、そのまま、総武線に乗って、新川崎=鹿島田経由で、武蔵中原に、定刻15分遅れで到着。既に、ゴーヤ泡盛を含め、いつものメンバーが3人揃っていた。その様子は、ゴーヤ泡盛のレポートに任せて・・・・さんざん、うまい、魚を食べた仕上げは、やはり「あら汁」だ。うまい、うますぎる。今朝、自分たちで作ったあら汁と、北海で、新鮮な魚をさばいた後のアラで、プロが作ったあら汁。それぞれ、おいしさが違う。あら汁で始まり、あら汁で終わる。ああ、気のあった仲間と、おいしい料理を食べる。生きているって感じ、幸せだなぁ。ちなみに、電車は逃しませんでした。
2004.05.23
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4月30日未明に、追突されて以来、はじめて、追突してきた車のドライバーと会った。彼は、飲酒運転の上に、停止している私のバイクに追突した。バイクの後席に乗っていたルームメイトは、腰椎、頸椎ねんざを負った。事故直後の彼の対応は、迅速さに欠けるものがあったが、今は、彼は、自分が全面的に悪い事を認め、いろんな手を使って、謝ろうとしているのがわかる。しかし、その、謝り方が、下手すぎて、こちらとしても、痛く感じる事ばかりだ。たとえば、私も、ルームメイトも、共に、関西に出張しているという事を言っておいたのに、休みが取れたということで、2時間かけて、私たちの家に来てしまったという事があった。彼は、事故直後に謝れなかったという事で、早く謝りたいという気持ちが強く、ついつい、来てしまったのだと思うが、居ないと伝えてあるのに、家に来られて、お見舞いを置かれても、こちらとしても、迷惑だし、気持ち悪いと思われても仕方ない。実のところ、撮影中に、彼が私の家に行こうとした際に、道に迷い、こちらに電話がジャンジャンかかってきたという事があり、とても困った事態に陥っていた。今日会ったのは、そういう事態を繰り返すのを避けるためだった。いずれにしても、示談で、慰謝料を決めないといけないわけで、その時、きっちり会う必要があると思うが、同乗者の怪我が治っていない今の段階では、適正な示談ができない。今日も、また、彼は、お見舞いのお菓子をもって、東京まで、2時間かけてやってきた。本当に不器用な人だ。謝りたい気持ちはわかるが、その気持ちを行動にした時、ついつい、逆に相手に気を遣わせたり、不愉快にさせたりしてしまう。謝りたい気持ちを行動にするというの表し方は、実に難しい。彼に対し、「本当は、謝ることで、あなた自身の気持ちを落ち着かせたいだけではないのか。だからこそ、こちらの生活をも脅かしかねない事をしている。それでは、私たちに謝っている事にならない」と、言いかけたが、その言葉を、自分の胸にしまい込んだ。そのかわりに、「いちいち、東京に出てきてもらうのも無駄だから、なるべく、電話などで、しかも簡潔にして欲しい」と言い、こちらの現状と示談の考え方について話し合った。
2004.05.22
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世の中、情報が満ちあふれ、情報を知っている者が、優位に立つような風潮がある。その風潮を、うまく皮肉った番組の一つが「トリビアの泉」という番組だ。「トリビアの泉」とは、フジテレビ系の人気番組の一つで、「無駄な知識」を披露し評価する番組である。この番組のタイトルの「トリビア」という言葉は、ロボット三原則など、SFの基本をつくったSF作家の一人、アイザック・アシモフの「人間は『無用な知識=トリビア』の増えることで快感を覚える唯一の動物である」という言葉から、きているそうだ。私が推測するには、もっともらしい引用を持ち出しているが、NHKの「ためしてガッテン!」のパロディ番組として作られたのではないかと思う。その理由は、この二つの番組には、かなりの共通点があり、大きく違うのは、「役に立つ知識」と「役に立たない知識」というポイントだけだからだ。共通点を列挙すると・ともに水曜日に放送している「ためしてガッテン」は、水曜夜8時、一方「トリビアの泉」は、水曜夜9時。・ネタを視聴者から集める「ためしてガッテン」では、NHKの内部からのネタ以外に、視聴者からの疑問を募集している。一方「トリビアの泉」は、視聴者からのネタが採用されると、賞金が最高十万円が与えられるという。・実験に基づいて、説得力を増す。「ためしてガッテン」、「トリビアの泉」は、共に、実験をしその様子をタレントに見せる。ちなみに、同じフジテレビ系列の「あるある大辞典」も同様の方式である。ちなみに、「あるある大辞典」のテーマと同様のネタは、その数ヶ月前に「ためしてガッテン」でやっている事がある。・ボタンを押す「ためしてガッテン」では、タレントが、知識を得たという事を表すために、右手で「ガッテン」ボタンを押す。このボタンは、押されると、「ガッテン」という声がするとともに、内蔵されたランプが点灯するしくみになっている。一方「トリビアの泉」では、「へえボタン」と言われるボタンが存在し。これも、タレントが、無駄な知識に対して、感心したという事を表す。この「へぇボタン」も、「ガッテン」ボタンと同様に、タレントが右手で押せる場所に配置され、押した瞬間に「へぇ~」という音声がするとともに、内蔵されたランプが点灯する仕組みになっている。有益な知識にしろ、無駄な知識にしろ、このつの番組は知識を得て、蓄積することが美徳という事が前提としてあり、その事によって成り立っている。もちろん「トリビアの泉」は、皮肉ってはいるものの、基本的には、知識がある方が美徳なのである。無駄だとわかっていながらも、賞賛してしまう。この矛盾が、この番組の魅力だと思う。オタクの世界では、無駄な知識が賞賛される傾向があるが、本人たちは、無駄だという事を忘れてしまうぐらい、熱中しているために、無駄だという感覚が、マヒしてしまっている所がある。そのため「トリビアの泉」のように、無駄な知識だという認識が薄く、無駄なのに賞賛してしまうという、人間のおかしさが感じられない。だからこそ、オタクの会話を、端から聞いていると、面白く感じにくいのである。しかし、当の本人たちは、知識を得ることの快感に酔いしれているのである。人間という生き物は、知識を積み上げるのが、本当に好きな生物だ。
2004.05.21
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甲良町の撮影が終わり、同居人も京都での用事が夕方に終わったこともあり、彦根で合流して、機材を積んだ車で一緒に東京に戻ることにした。今回は、行きも、一緒に関西入りしたので、結局は往復とも、同行することとなった。行きは、交通量の少ない中央道を使い、小牧から彦根までの何十キロにわたる、工事渋滞を避けるために、途中から国道22号線など、地べたを走り、醒ヶ井の道の駅で、お米を買ったりしたのだが、帰りは、同居人が、引っ越し寸前の交通事故の影響もあって、体調が悪かったら、途中で横になれる所が多い、東名高速を利用して帰ることにした。平たく言えば、東名高速のインターチェンジには、必ずラブホやモーテルがあるので、いざとなったら泊まれるという、安心感があるということだ。それにしても、夜の東名高速は、怖い。大型が、大型同士で、急に追い越しをかけるため、車線を変えてくるのだが、バックミラー(サイドミラー)からは、後続車のライトだけでは、距離感がつかめないのか、こちらの車に気が付いていないように見える。しかも、大型車には、速度制御装置付のものがあるが、その装置がついているのに、追い越しをしようとするので、追い越しに時間がかかり、それを後続車として、待っていると、うしろからの速い車に、車間距離を詰められて、煽られたりして、また危険な思いをする。そんな危険な環境にもかかわらず、多くの大型車が深夜に走っているのを見てしまうと、宅配便で、翌日に荷物が届いたり、スーパーに地方から新鮮な野菜が届いたりするのは、かなり、危険性を犯しながら、成立しているのだと実感する。引っ越したこともあり、家具などを、楽天などで買うと、東急百貨店の他は、偶然、神戸市、伊丹市、茨木市、東大阪市のお店で、これらは、殆どが、東名などを使って運んでくることになる。ほんと、運転手さん、ごくろうさま、である。しかし、また、普段通りに、スーパーでものを買ったり、通販でものを買ったり、郵便を送ったり、宅配で送ったりすると、高速道路を走った実感を感じなくなってしまう。プロの仕事は、当たり前の事を当たり前のようにするのが、究極のスタイルだと思う。だが、あまりにも当たり前すぎて、利用している者が、その有り難みを感じなく、リアリティなど感覚がマヒしてしまう。最近は、少し死語になりつつあるが、デフレってものの原因の一つは、この便利さが当たり前になった事で生じる、リアリティに対する感覚のマヒなのではないかと思う。そして、デフレのもう一つの原因である、減給も、異様と思える外注価格の値切りも、安い値段で受けてしまう人も、リアリティに対する感覚のマヒにより、適正な価値を評価し、算定できないからこそ発生しているのではないかと思う。夜の東名で、怖い思いをし、走ると、その度に「運転手さん大変だね」と思っても、いつしか、忘れてしまっている、自分が恐ろしいと思った。
2004.05.20
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滋賀県犬上郡甲良町での、タイへの研修の取材の2日目。今日は、取材2日目とはいえ、実際の研修は丁度中間点で、自治体関係者とタイ政府関係者とを分けて、別のカリキュラムが行われた。そして、対政府関係者に対しては「甲良町のまちづくり」の背景から、そのコンセプトまでを説明がなされた。それにしても、予定の半分あたりなのに、なぜ、今更、町の取り組みやら、条例の説明なのだろう。カリキュラムを組んだ人に直接は聞いていないが、おそらく、教えるより、まず「自分で学ぶ」そして「共に学ぶ」という事を優先したからではないかと思った。実は、甲良町の「まちづくり条例」の特徴は、住民主体のまちづくりを実施するために「学習活動を重ねる」ことを盛り込んでいることにあり、その理念が、研修のカリキュラムにも貫かれているのだと感じた。実は、この日まで、研修生は、自分たちがタイから持ってきた課題だけでなく、甲良町のある地区を何回もフィールドワークや、ヒアリングそして、それをいろんな切り口でまとめるという、地域学習のワークショップを、何度となく、繰り返してきた。そして、このワークショップは、基本的に研修生の自主性により運営されており、カメラマン泣かせの、これから、どういうことになるのかわからないという展開をみせるものでもある。その一連の研修を通し、自分の感覚として、甲良町を理解したうえで、はじめて、甲良町のとりくみの背景や、条例を学ぶというカリキュラムになっている。さて、甲良町の、住民主体のまちづくりを実施するために「学習活動を重ねる」という行為は、住民だけでなく、首長、行政、コンサルをも含めて行われている。これも、甲良町の特徴の一つだと言える。通常、首長、行政、コンサルは、住民を指導する立場として、上に立って、説明し、住民の質問に対し答えるという、上下関係をつくり住民に接する。しかし、甲良町の町長が、勉強会などにおいて、壇上や、前の特別な席ではなく、住民と同じ席に座って行われたりするなど、首長、行政、コンサルなども、住民と同じ高さで住民と「共に学ぶ」という姿勢で地域学習を受けているのである。そして、町の情報を共有しながら、まちづくりに対し、知恵を出し合うのだ。この段階で、首長、行政、コンサルなども、住民から学ぶことが多いそうだ。そういう形で、まちづくりの意志決定がなされるために、様々な、素晴らしい成果が生まれやすいのだと感じた。家庭内でも、学校でも、子供に教えられるという事があるが、それは、学習の場は、共に学ぶ場であるという現れなのだと思う。しかし、共に学ぶことは、とても、手が掛かることだし、忍耐強くなければならないし、大人として、教師としての、プライドが邪魔をする場合もある。それらを、うまく、押さえることで、共に学ぶ事が可能となり、より、すばらしい効果が得られるように思う。甲良町http://www.biwa.ne.jp/~kouracho/index.htm甲良町まちづくり条例http://www.biwa.ne.jp/~kouracho/public%20machijyourei%20bun.htm
2004.05.19
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撮影のために滋賀県甲良町に来ている。甲良町は、彦根市と隣接した、13集落から構成される、人口八千人少しの町である。その、小さな町に、タイの地方自治プロジェクトの研修生が訪れている。今夜は、そのタイの研修生と、甲良町の13の集落の代表の人々の意見交換会が行われた。さて、甲良町が、なぜ、地方自治プロジェクトの研修先に選ばれたのかというと、ここでは、住民の参画型のまちづくりを、長期にわたって行い、実績を上げているからである。その代表的な住民参加の取り組みが、住民主導の「せせらぎ遊園まちづくり」である。甲良町は、犬上川の扇状地に位置し、古くから人の住んでいた土地です。しかし、その扇状地という地形のために、干ばつや洪水が発生しやすく、その被害にもあってきた。また、扇状地は、水を吸いやすいために導水や農地の改良が必要で、ダムを造ったり、水路を造ったりして、安定供給できるようにしていた。その、安定供給の一環で、地下にパイプを通して水を、供給しようとい計画が持ち上がったとき、水を大切に思う住民からの声から、住民主導のまちづくりのプロジェクトがスタートした。甲良町の集落の中には、小さな水路が張り巡らされ、そこは、きれいな石垣で作られていたり、花が飾ってあったり、鯉が飼われていたり、水車があったり、保育園と隣接し子供が安心して水に触れることが出来る場所があったり、当番の人が水路の掃除をしていたりと、いたるところに、住民が参画し、創意工夫をしたものがみることが出来る。これらのプロジェクトは、水に対する愛着や、根気強い活動だけでなく、集落に一人は、建築関係の人がいて、プロとしての技術と知恵を使ったりと、集落に住んでいる住民の個性や能力を理解し、生かすことによって、なり得たものである。研修の合間に、この研修に、参加されていた、大学の先生から、興味深い話を聞いた。それは、役所の人が、住民の能力を把握していない事が多く、その先生が住んでいる地域は、知識人が多いのにもかかわらず、役所の人が、お仕着せのような型にはまった説明会をしようとした所、他の自治体の都市計画をやっている人がいたり、政府関係者がいたり、シンクタンクの人がいたりと、集まった住民のプロファイルを初めて知って、いきなり、説明する立場の人が、住民の意見に、逐一メモを取るような状態になるという、事があったそうだ。そういえば、私が生まれ育った、甲子園浜の埋め立てに関する環境アセスメント訴訟の時も、大阪の弁護士会の幹部が住民としていたりと、住民が蒼々たる面子だったのを思い出した。甲良町は、大学の先生の話ほど、派手さはないものの、地域住民の持っている知恵やノウハウを持ち込み、洗練されたまちづくりが出来た要因の一つであろう。そして、住民主導のまちづくりは、水路だけではなく、様々な面に波及している。学校として、安全基準に整合しなくなった、木造校舎を図書館として再利用したり。集落で事業を起こしてみたりとさまざまである。今回の各集落の代表が参加して行われた意見交換会では、「各集落むらづくり自慢話」がなされた。それは、それぞれの集落の代表者1.2名が、自分の集落の自慢と成功の秘訣を話すというものであった。それぞれの集落の人が、それぞれの自慢をする。それは、決して、ゆがんだ自慢ではなく、まちづくりをし、体験した身から出てくる自然な言葉での自慢だ。日本の多くの人は、今、住んでいる土地を自慢できないのではないだろうか。たとえ、自慢できたとしても、自分でやって、体験したというプロセスを得ていない自慢なので、本当に素直に自慢できない事が多いように感じている。自分が、自分の住んでいる土地を、素直に自慢できるのか?その自慢は、どこかから借りてきたものではないだろうか?みなさんも、手を胸に当てて思い起こしてみよう。
2004.05.18
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アースデイ東京と同時に代々木公園で行われた、グリーンリバー・アートinアースデイ東京2004の森のステージ2004『森から海へ』に、2日とも出演した、フォトグラファーでありインディアンフルートの"のなかかつみ" さんから案内を戴いて、恵比寿にある「縄」という店に行った。このイベントは、6 月 21 日の夏至の日に行われる、World Peace & Prayer Dayのプレイベントでもある。参考ページ http://www.wppd2004.org/このWorld Peace & Prayer Dayは、1996 年より、世界の 4 つの方角を巡り、6 月 21 日の夏至の日に、北米先住民の指導者の一人、チーフ・アーボル・ルッキングホースが行っているイベントで、地球の癒しと世界平和のために、国や民族、宗教の違いを越えて、共に世界各地の聖地に集まり、心をひとつに大きな輪をつくろうと世界中に呼びかけている集いです。チーフ・ルッキングホースは、彼らのセレモニーを通して、開催場所を決定し。2001 年アイルランド、2002 年南アフリカ、2003 年オーストラリア、そして今年 2004 年は日本の富士山で開催されることになりました。今回のイベントも、World Peace & Prayer Dayのセレモニーと同様に、火をおこすところから始まり、火が始まれば、聖なる木の葉を火に無言で捧げ、最後も、聖なる木の葉を、ただ無言で火に捧げ、お寺のように、その煙を体にかけてゆきます。静かに行われる儀式のバックで、のなかさんのインディアンフルートは、すごく心地よく、心に響きます。この日は、OTOさんと岡野弘幹さんのセッションをメインに、いろんなアーティストの方が出演している。会場にいたら、岡野さんが楽屋から出てきて、久しぶりに再会し握手を交わすこととなったりと、なんか、少し懐かしい雰囲気も味わった。さて、今回紹介する「あらわれ」は、その岡野さんの奥さんのダンサーのHIROKOさんのアルバムです。http://www.tenkoo.com/cd/araware.html何のために生まれてきたんだろう 何のために歩いているんだろう・・など、なんか、体に溶け込むような、やさしく、愛に満ちた、歌詞と歌声が、印象的で、何か癒されるアルバムです。このアルバムを聴き続けていると「いのちって何だろう」とふと考え、再認識させられるものがあります。
2004.05.17
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開設204日目に、カウント50000突破しました。これも、皆様のおかげです。どうもありがとうございます。一時は、ちょっと、テクニックを使って、カウントを稼ぐ方法を見つけたので、試してみたりとかしていたので、毎日平均300カウントが増えていましたが、海外への出張があってから、アクセスアップ対策をしないで、100-200コンスタントに増えるようになりました。これは、75件あるリンクの件数もあるのですが、最近では、mixiやGREE.jpなど、ソーシャルネットワーキングサイトからも、読めるようにしたため、楽天以外の人が見に来るようになりました。とはいいつつも、今までも、1/2は、楽天以外の人だったんですがね。これからも、発見したこと、今の気持ち、今の思い、今の考えを書き続けていきたいと思います。これからもよろしくお願いします。近々、楽天広場も、ブログとしての機能が充実し、アクセスアップがみこまれるようになとのことですが、100000達成は、いったい、いつになるだろうか。
2004.05.16
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事故から2週間。途中、ゴールデンウィークを挟んだため、保険会社が動かなかった期間があったが、修理のために預けていたバイクが直ってきた。後半部分の外装を、全て取り替えたために、カウルが、新車状態になっている。ただ、せっかく貼り付けた、白いリンゴマークが消えてしまったのが残念だ。それにしても、保険会社に連絡が取れてから、修理が出来上がるのが早かった。保険会社も、一日でも使えない日が長引けば、それだけ、お金を払う理由が増えるために、必死なんだろう。ここ、2.3日、追突してきた車の運転手から電話が掛かってきている。その理由は「会って謝罪したい」ということらしい。まあ、ちゃんとけじめをつけたいという、気持ちはわからないでもない。そして、公務員でありながら飲酒運転での事故という、失職する可能性のある出来事があり、かなりショックだと言うこともわかる。そのために、いろいろ手遅れになったのも、こちらとしては腹立たしいが、仕方がない。ただ、いまさら「会って謝罪したい」と言われても、事故の時に、なかなか車から出てこなかったり、とりあえずの謝罪の意の表現がなされていなかっただけに、そのときに、謝罪しておけば、わざわざ、改めて、お互いの時間を割いて、会いに来て、謝る事も、こちらからすれば、もっとスムーズに受け入れられたように思う。こちらも、事故の後の手続きや、調書とかの協力、通院などで、かなり時間を食っているわけだし。その分、引っ越しの作業や仕事など、様々な事がベタ送れになったり、バイクが使えないために、時間やお金のロスが発生しているわけで。さらに、月曜日から滋賀県に出張で、その準備もある。そんな時に、時間を空けて、「謝りたい」という、事故を起こした本人の気持ちの整理だけのために、自分の時間を割くのは、こちらとしも迷惑な話だ。それに、後ろに乗っていた友人も、まだ、病院に通っているわけだし、心も癒えていない・・・・。そんな状態で、事故を起こした人と会っても、無意味だし、事故の時の記憶が再び呼び起こされ、せっかく癒えてきたものが、もとに戻るだけだ。そんな状態で、単に「謝りたい」ということだけで、会いに来るというのは、じつに無意味だし、自分勝手すぎる。そう、それに、いろいろ時間が経って、そういう、次元ではない。なにか、問題が解決していくための、提案と共になら、時間を割いて会うメリットがあるんだけどね。だけど、そういう提案って、事故に遭った人間が、事故を起こした人に、指示をした場合、こちらとしては「謝罪の意志」を感じる事は出来ない。そして、一番怖いのが、こちらが、要求する事により、事故を起こした本人が、こちらからの要求をのむことによって、自らが被害者的な意識を持たれたら、こちらとして困るからである。だからこそ、電話では、そのあたりの事を、ノーヒントにして対応している。そして、かかってきた電話の返事として、来週出張だと言うことと、まだ、同乗者の心が癒えていないので、会える状態でないという事を告げている。とりあえず、何回も携帯に掛かってきていた電話が、一旦止んだ。今度掛けてくる時は、自分で気が付いて、謝るだけではなく、こちらにもメリットのあることや、何か解決する提案を出してきて欲しいところだ。とにかく、こんな時だからこそ、自分で考える事をして欲しい。非常時に活躍するはずの公務員なら、それなりのアクションをして欲しい。上司の人は、そのあたりは、しっかりしていた。それにしても、この人を見ていると、非常時に考え行動の出来ない人が多いんだなぁと、つくづく感じる。
2004.05.14
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ニューヨーク在住の、映像制作会社の方と会った。六本木から電話があり、こちらは、四谷三丁目にいたので、銀座で待ち合わせる事にした。地下鉄大江戸線が出来てから、六本木から新宿までが、一本の線路で繋がって新宿方面へは、便利になった。とはいえ、従来の地下鉄のほんとどが、日本橋、銀座、日比谷、霞ヶ関方面に行くのに便利なように路線が通っているために、銀座で落ち合った方が、渋谷とか、新宿で会うより、スムーズなのである。大江戸線も意外と便利なのだが、地下深くにトンネルが掘られているため、ホームまでのアクセスが良くなく、時間が掛かるのも良くない。待ち合わせ場所である、銀座駅の日比谷線と銀座線の乗り換えの付近で、待つこと5分で、映像会社の人が現れた。彼は、グリーンカードを持っている日本人なのだが、アメリカでの生活が長いため、なんとなく、表情が日本人でなく、ちょうどカルロスゴーンのように見える。彼を連れて、友人の経営している、銀座のエコショップに、番茶を買いに行ってから、近くの喫茶店で打ち合わせを始めた。今回は、彼の映像会社のコンセプト説明と彼の持っているコンテンツの紹介がメインだった。彼の今一番ウリのコンテンツは、従来の英会話とは違う切り口の英会話放送番組である。やっと、実物を見ることができた。このコンテンツは、以前関連した、以前、コンサル的に、辞書を作れるぐらいの英語教育の方のサイトの企画に少しだけ関連したことがあるが、その人の教育の特徴である、英語のコアとなる、動詞の使い方を、楽しく、具体的に表現しているという所に、共通点があるように感じた。また、モチベーションを大切にして、学べる点もあり、これは、幼児からの英語教育に有用だと思う。日本での放送契約がたくさん取れれば、多くの人に役立つコンテンツになると思う。彼の、これ以外の教育コンテンツについても、モチベーションを大切にした作りとなっている。やはり、モチベーションが無ければ、上達しないものだ。彼自身、英語が上達したのは、マネージャークラスにならないと、グリーンカードを取得がしにくい事もあり、そのために、昇進試験をパスしなくてはならず、いろんな本を読破していく時に、飛躍的に語学力がアップしたそうだ。あとは、自分が好きなこと、興味のあることで、集中した時だったという。私は、英語が出来ないが、自分の目的のために、英語を使わなければならないという状況がなかったから、上達しなかったという部分はあるのかな、と、単純に記憶テストが嫌いな自分を棚に上げながら、そう感じた。彼のコンテンツは、モチベーションを持って学んだ経験のもとに作られた、彼らしいコンテンツといえよう。それは、多くの人にも、役立つに違いない。ただ、放送業界も、ケーブルテレビなども、厳しい状況なので、しかも、近視眼的にしか物事を考えられなく、コンテンツを導入する体力や余裕がない。そのために、多くの視聴者に届かないという状況である。是非、多くの人に、目に触れるようにしたいですね。
2004.05.13
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新宿まで歩いていける、山手線内に引っ越して、10日を過ぎたが、交通便が良く、買い物に有利なように感じるが、意外に不便なことも、少しずつわかってきた。たとえば、近くに電気屋がない。サクラヤ、ヨドバシに駆逐されたのか、近くに電気屋がない。スーパーやコンビニでも、多少売っているが、ちょっとしたものが売っていない。また、日曜大工の店がない。荒物屋は存在しているのだが、ちよっとおしゃれなものがないし、商品に埃がたまっていて、いつから在庫かわからないものが平気で売られている。そういうのがいやなら、東急ハンズに行かなくていけなくなる。また、東急ハンズは、微妙に値段が高い。そして、家具なんかは、適度にデザインが良くて、安いものが売られていない。ACTUS、IDC、もとバージンメガストアのOIOIの家具専門館など、いろいろあって目の保養になるが。いま探している、安くて、適度にデザインがいいものがない。いずれにしても、過剰サービスであったり、値段がそれなりに高かったりするので、決め手にならないのだ。そんな、都心だからこそ、通販が便利なことに気が付いた。ベットなんか、品質は下がるだろうが、価格は1/3ぐらいで押さえられた。普通、通販は、地方や郊外で、手に入る店がないところで買うものだというイメージがあるが、多くの消費者が、都心に、非日常を求めたため、都心では、日常のものを手に入れる事が困難になっていることが発生し、結果として、都心ならではの、日常生活用品の通販が役に立つという状況が発生している。都心は、ビジネスに有利と言うことだけでなく、外食とかは、食材など、食べるものに関しては、都心は、選択肢が多く、とても楽しめるのは、生活においてメリットが大きいが、まさかそんな落とし穴があったとは・・・。これが、中野だったりとか、もうちょっと、周辺になると便利なんだろうな。
2004.05.12
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ここんところ、ソーシャルネットワーキングという言葉が、流行っている。これは、自分の友達、知り合いを、ホームページなどでリンクすることで、ネットワークを目に見える形にすることで、広げていこうというものだ。「楽天広場」の、「おすすめ新着」でのリンクも、似たような機能を果たすが、それを、もっと徹底したものと思って良い。そして、便利な機能として、楽天広場の日記を、簡単な設定で、活用できるという事だ。これは、楽天広場でのアクセスアップにも繋がる。さて、今、試しているのが、mixiとGREE.jpで、個人的には、mixiの方がフレンドリーで、GREE.jpの方がクールな感じがする。面白いのは、人脈の広い人に繋がると、いきなり、ソーシャルネットワークの規模が大きくなることで、GREE.jpでは、その数値が明確になって出てくるのが、とても面白い。とにかく、違うカテゴリーの、人脈の広い人を、何人かリンクすると、飛躍的に、ネットワークの人数が増える。また、プレゼンテーション能力というか、コミュニケーション能力の高い人と知り合うと、いきなり、ネットワークが広がる。mixiでは、10人少しから、2日で33人まで急増した。楽天日記を持っているなら、是非試してみてはいかかでしょう。参考サイト。ミクシィhttp://mixi.jpGREE.jphttp://www.gree.jp
2004.05.11
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来週、滋賀県に住民主体のまちづくりの研修やワークショップを撮影しに行くことになりそうだ。その打ち合わせとして、テレビ会議システムで、タイと東京を結んで、会議を行った。なぜ、タイと会議をするかというと、タイの4つの自治体から研修生を招き、滋賀県のある小さな町にて、その町の取り組みを学ぶと共に、そのプロセスを学ぶと共に、タイの自治体が持ってきたテーマについても、ワークショップを通じて取り組んでいく。滋賀県の町は、住民主体のまちづくりについて、20年もの歴史があり、かつての「ふるさと創生」の補助金も有効に使った町である。そして、人口が8000人程度と、タイの約6700あるという自治体の標準的な規模と一致している。そして、タイでは、日本のかつての自治省に当たる政府機関により、住民主体のまちづくりへの取り組みが行われており、さらに、日本の途上国への開発支援と重なり、日本での研修となったようだ。この研修は、今回が3回目で、1回目は、議員などの視察レベルという感じだったものの、2回目は、自治体の職員など現場に近い人が参加。その後、タイでも多少の成果を上げているところも出てきたところで、今回は、同じ自治体からの派遣とはいえ、構成員を変えて、さらに、実践的な研修となるようである。さて、住民主体のまちづくりは、行政レベルでのまちづくりと、コミュニティレベルのまちづくりと、そして、行政とコミュニティが連動したレベルというのがある。タイでは、行政組織は、しっかりしているようで、今のイラクのような無政府状態は極端だとしても、自治体の行政組織が機能していない事はない。そして、コミュニティ作りについても、タイでは、政策的に力をいれているらしい。さて、日本はどうなのだろうか。自治体は行政組織としては、それなりにしっかりしていて、定型業務はこなすが、根本から見直すという事が不得意のように見える。コミュニティについては、希薄になっているように思えてならない。今回モデルになっている自治体は、8000人規模という事なのだが、日本の人口の多くは、もっと大きな自治体に住んでおり、コミュニティレベルと自治体との規模の差が大きく、コミュニティと自治体との意識の差があり、話題を共有しにくいように感じる。そして、交通網の発達は、職場や買い物は隣町に行ってしまうなど、自分の住んでいる町との関係を希薄にしてしまっている。これは、同時に、コミュニティに対しての帰属意識の低下を招いている。さらに、今回視察する町は、市町村合併の渦に巻き込まれており。市町村が合併する事によって、コミュニティと自治体との意識のずれが拡大しそうだ。特に、いままで行ってきた、この町の取り組みが、市町村合併により、大きな町に取り込まれる事で、その良さが引き継がれない可能性がある。せっかく、モデルケースとして、海外に紹介するのに、その町が、ダメになってしまう可能性を持っているのはとても残念だ。だからこそ、いまのうちに、ノウハウを、伝えておく必要があると考えることができる。日本が、外国に対して、お手本になるのは、もしかして、今がチャンスなのかもしれない。補助金目当てと思われる、市町村の合併ブームだが、自治体の既得権がゆらぐ可能性があるわけで、今こそ、地方自治の見直しをするチャンスであり、コミュニティ・レベルから、住民主体のまちづくりにしていくに向いているかもしれない。ただ、補助金の出る期間が限られているために、充分に検討されないまま、合意の形成がなされないままに、合併が行われ、それに乗じて、住民主体のまちづくりにしていくチャンスを失う事も考えられる。住民レベルでの、合意形成のシステム作りが、早急に必要なのだが、時間切れになってしまうような危惧をしている。とはいえ、実際どうなのか、現場に行かないとわからない。今回は、この目で見るチャンスなので、ぜひ、取材が実現されることを願っている。
2004.05.10
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ここんとこ、閣僚や国会議員の国民年金未払いで、盛り上がっていますが。この、公人たる、閣僚や国会議員の未払いについて「個人情報」であるという事で、情報公開を拒否してきたという経緯がある。この「個人情報の保護」って、いったい、何なんでしょうね。先日、ある、雑誌が予約購読数に達しなかったために、もともとの出版社からの発売が見送りになり、他社から発売する事になり、金銭のやりとりはなかったものの、予告なしに、他社に名簿が渡ったことについての苦情が出るという事があった。苦情の連絡は、ゴキブリのようなもので、実際に不愉快に思っている人は、目に見えている件数の30倍はいると見ていい。有名な出版社じゃないから、面白ろおかしく叩けないから、マスコミが取り上げないだけで、Yahoo!BBの名簿流出とさして変わりない、経営者の個人情報保護への監督責任があるはずだ。しかも、これは、経営者の判断で行っただけに、経営者の責任は大きいと思う。それにもかかわらず、安易にステップを踏まずに、個人情報を譲渡してしまうのは、経営者の個人情報に対する意識の低さそのものである。また、最近は、勝手にメールマガジンやメーリングリストに登録してしまうという事もよくある。あるサイトに登録したら、急に怪しいメールが届き出すなんてのも、その一例である。私も、今から、7.8年前に懸賞サイトを運営し、何十万人もの個人情報を扱っていたが、その個人情報ほしさに、いろんな所から、圧力をかけられたことがある。アンケートに答えた人は、そのサイトを信用して、個人情報を記したわけだから、信用したときの約束事を守るのが、サイト管理者の仕事で。その信用があればこそ、アンケートに安心して答えてもらうことが出来る。ちなみに、私は、結果として、そのサイトの運営を辞めることにした。そういう経験をしているたげに、個人情報の保護への無責任さはまだしも、個人情報の保護についてのノウハウが蓄積されずに、同じ事件が起きる事にも、腹立たしく感じている。さて、個人情報の保護という事で言うと、楽天日記のカテゴリーの一つである「子育て系」でよく見られる、子供の写真も、少し疑問を感じる。幼児誘拐の多いアメリカでは、子供の写真の公開は、子供の誘拐に繋がるという事で、慎重に行っている人が多いという話を聞いたことがある。それに対し、この楽天日記を巡回していると、親の個人情報は、ひたかくしにしようとしていたり、写真を加工して個人が特定できないように工夫をしているのだが、子供は、ノーカットで、ペットと同様に、これ見よがしに掲載されている。子宝というぐらいですから、確かに、子供は自分にとって大切なもので、興味のあるものなので、他の人に見せたいという欲求があるのはわかる。だけど、それは、自らの子供を、誘拐のターゲットにされる確率を増やしたり、子供の持っている個人情報を、親が勝手に公開してしまっているという、子供の人権を侵害している行為になってしまっている。それだけ、個人情報の保護についての意識が高くないからこそ、公人の公開すべき情報の開示を要求できなかったり、職場に於いて個人情報を守ることが出来ないのかもしれない。また、個人情報を提供することによって、様々なサービスを受けることができるわけだが、個人情報とサービスの対価に関して、冷静に判断できる目を養う必要があると思う。そして、個人情報とサービスとの対価を見る目が育つ事により、個人情報をどう、管理していくかという、技術が活きてくるように思う。
2004.05.09
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中途半端に食事をしたので、今夜は、軽く寿司にしようということで、歩いて10分ほどの、一貫50円からの「びっくり寿司」に行った。まずは、生ビール。そして、気になるオススメメニューをチェック。「中トロのあぶり」いいねぇ。「活けたこ」いいねぇ。「かんぱち」いいねぇ。「かわはぎ」いいねぇ。「のれそれ」いいねぇ。ということで、全部頼んだ。板前さんが、「かわはぎ」は、お造りで、ウマズラハギだけどいいかと聞いてくる。もちろんOKした。「活けたこ」「かんぱち」が出てきた。これが、じつにうまい。そして、次は、「中トロのあぶり」これも、とろけるようにうまい。さらに、軍艦巻きの「のれそれ」がやってくる。これも、じつにうまい。もう、うまいの連続なのだが、ここでだめ押しで「かわはぎの造り」がででくる。お皿の上に、一匹のカワハギをおろし。尾頭付きで、きれいに肉が並べられている。じつに美しい。そして、すり鉢には、肝がはいっている。これを、ポン酢に入れて、それに、刺身をつけて食べると、ポン酢の酸っぱさが、肝によってクリーミーな食感になり、うまさを引き立たせる。いやあ、幸せだなあ。上がりを戴いて、お勘定となった。レジに次々打たれていく。300円、200円・・・・・3000円、しめて7500円なりん!? 3000円これは、たぶん、カワハギのお造りの値段だぁ。一貫50円からの店で、値段を気にせずに食べていたら、1品3000円とは、びっくり。さすが「びっくり寿司」よい子は、真似しないように。
2004.05.08
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事故から一週間経った。最初の内は、後ろに乗っけていた友人のことが心配だったのと、とにかく、手続き、とにかく、朝から、引っ越しということで、気が張っていたので、あまり気になっていなかった事や、ゴールデンウィークも重なり、なかなか病院に行けなかった。そんなこともあり、この日、やっと、お茶の水の大きな病院に行った。まず、総合受付に行き、どこで、診察を受けるか案内される。そして、エレベータを上がったところで、書類を渡して、また、受け取り、待合室で待つ。そして、名前を呼ばれたら、移動して、小さな待合室で待つ。しばらく待ったら、診察室に入って、伝票をもって、地下のフロアに。そして、書類を渡して、また、待合室で待つ。名前が呼ばれたので、小さな部屋に入って、待つ。そしてレントゲン。もとのフロアに戻って、書類を渡したら、待合室で待つ。名前が呼ばれたので、まだ、移動して、待合室で待つ。看護師さんが、ひっきりなしに、診察室のドアを開け閉めして、移動している。そして、やっと、診察室へ。そうしたら、開口一番に・・・「一緒に来た人にも言ったけど、この病院は、2.3時間と待ち時間が長いから、それがストレスになったら困るので、次回から、来るのかを検討して欲しい」だって。なんじゃこりゃ。そして、書類を持って、会計に・・・・また、待つ。番号がなかなか表示されない。やっと、番号が表示されたので、会計に・・・次は、薬局だ。薬局の巨大プラズマディスプレイに・・・「ただいまの待ち時間約60分」と書かれている。うっひゃ。まだ、食事を済ませていないので、食事をしに行く。しかし、館内の食堂は、バカ高いので、外に食べに行く。そして、帰ってきたら、薬が出来ていた。そんな時に、相手の保険屋から電話がかかってきた。「大きな病院の場合、保険会社から直接請求できないので、一時的に立て替えてもらうことになる」なんだそうだ。なんだこりゃ。お医者さんの言うとおり、この病院は、ストレスがかかるようだ。しかし、診断書は、大きな病院の方が、保険屋も信じてくれやすい。これはないよね。
2004.05.07
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先日書いたとおり、バイクに乗っていて、停止中に、追突されたにもかかわらず。怪我が最小限で済んだのは、バイクのパッシブセーフティが考えられていて、追突のショックを和らげた事が考えられる。フュージョンは、後席のうしろが約15-20cmほど、タイヤの後ろにも同じぐらいの長さ延びていて、さらに、車幅いっぱいに、四角いトランクがついている。おかげで、車体が長く、置き場に困ったり、取り回しが悪くなったりするのだが。これが、バンパーの役目をしているようだ。今回も、後ろが、ぐちゃぐちゃになったにも関わらず、マフラーの先端あたりまで、追突した車が、食い込んだ痕がみられるものの、後席の乗員に、直接ぶつかってはいなかったようだ。後席の乗員は、バックレストがあったため、急な加速により、後ろの車の上や、道路に、背中から、転落しなかった。今回乗っていた、ホンダ・フュージョンは、設計は、18年前発売されたものとはいえ、クラッシャブルゾーンを設けるなど、パッシブセーフティについて考慮されている。バイクは、遠くに見える特性があるから、距離感をあやまり、右直事故やら、追突事故に遭う可能性が高い。それだけに、オートバイメーカーは、いろんな安全性について、研究しているのだろうと感じた。
2004.05.02
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