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「無錫旅情18」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。梁山泊軍の戦いは作戦会議の中に朝廷の回し者が参加しており全ての作戦が明るみに出ており以後の戦いは失敗する。多くの梁山泊軍兵が死んだ中で生きて都へ凱旋した者の中にも容赦なく不幸は訪れた。梁山泊軍の総大将の宋江は凱旋後は高い官爵を与えられ楚州の司令官に任命された。だが不満に思っていた朝廷の悪臣たちの陰謀で毒殺されてしまうことになる。「中国の旅」
2011.12.31
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「無錫旅情17」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。梁山泊軍は4つの戦争を勝ち抜き首都に凱旋すれば当然のように英雄である。凱旋した者たち全員に朝廷から官爵が与えられ梁山泊軍の勇者達は誇り高かった。 水滸伝を読んだり見たりした人は結末がハッピーエンドには終わらないと分かる。最終段階では108人の豪傑の大半が罠にはまって戦死してしまう。討伐戦までは1人の死者もいなかったが朝廷からのスパイに手の内を読まれ最後の戦で59名が戦死し10名が病死した。「中国の旅」
2011.12.30
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「無錫旅情16」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。水滸伝では見方によっては悪が勝つという物語にも受け取られるが勝利を得たものが歴史を動かしていく存在になる。正直者が馬鹿をみるが当てはまる物語りで朝廷の中に巣くった輩はいつの世にも存在して後を絶たないのが常である。都に戻った梁山泊軍は休む暇なく河北の反乱者と戦うため出兵し次々と戦争を繰り返す事になる。どの戦にも勝利を収める事になるが梁山泊軍は心身共に疲れていたが朝廷に招安されたことで反乱者であった梁山泊軍が反乱者を退治する側に回り士気も上がり皆の力をまとめる事ができた。「中国の旅」
2011.12.29
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「無錫旅情15」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。水滸伝の梁山泊は朝廷に帰順が朝廷では梁山泊の山賊集団の扱いに困っていた。朝廷の悪臣たちは梁山泊集団を迎え入れることに反対の者も多かったからである。だが宋国北方の遼国が十万の兵を動員して宋国の領土に侵入して来たので朝廷では梁山泊軍を遼国と戦わせる事となった。梁山泊軍の処遇は進入を食い止めた後に再度検討する事で意思統一した。梁山泊軍の宋江はこの命令を受けたとき国の為に尽くしたいと考えていたので喜んだ。宋軍として戦争に臨んだ梁山泊の豪傑たちは思いのほか活躍し遼国を降伏させ都に凱旋した。「中国の旅」
2011.12.28
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「無錫旅情14」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。水滸伝の中で108人が星の生まれ替わりだと知った宋江は盛大な宴を設け役職分担を決めた。朝廷では梁山泊の山賊を退治するために何度となく討伐軍を派遣するがそのたびに撃退されてしまう。朝廷側は討伐ではなく梁山泊の山賊たち全員を称えて官爵や褒美を与えるという作戦に出た。強敵を朝廷の配下にしてしまうというものだが山賊の配下の者に話をつけようとしても武力で行使するだけで作戦は上手く運ばない。朝廷は朝廷から追われていた宋江に話をし宋江の号令で梁山泊は皆朝廷に帰順するのでる。「中国の旅」
2011.12.27
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「無錫旅情13」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。水滸伝のはじめに出てくる史進は一人前の腕前になり村々を困らせていた山賊たちを退治する。だが山賊の頭領3人と仲良くなったがそのために史進は役所の警察から追われ屋敷を捨て故郷から逃げ出した。 旅に出た史進は渭州という町の茶屋で駐屯軍の隊長の魯達と知り合う。魯達は後に魯智深と呼ばれる大豪傑で二人は酒を酌み交わし意気投合する。物語りは魯達の物語へと進んで行く。水滸伝は大豪傑が登場し次の大豪傑と出会い物語りが続いて行く。「中国の旅」
2011.12.26
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「無錫旅情12」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。水滸伝の物語で108の魔王が四方八方に飛び散ってより60年ほどが経ち時代は8代皇帝・徽宗の代になっていた。8代皇帝の世になり60年の歳月の間に108の魔王は完全に人間に生まれ変わる。108人の豪傑たちの物語が始まり、それぞれ東京dongjing)に集結することになる。水滸伝では108人の豪傑たちを一人一人順番に登場させ、その活躍ぶりを描いて行っている。最初に登場するのは華州の大庄屋の一人息子で九紋竜の史進で年齢は19才程、全身に9匹の青竜が彫ってあり、この村で武芸を習い旅立つ。「中国の旅」
2011.12.25
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「無錫旅情11」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。水滸伝は中国宋の千年前の時代の物語で中国宋の4代皇帝・仁宗の時代に都の東京(ドンジン)で疫病が大流行した。皇帝と政府の高官たちは道教の大本山の法主の祈祷で疫病払いをする旨使者として大将軍の洪信を派遣した。洪信が法主を迎えに来ると法主は自分一人で雲に乗り東京に向かった。洪信は折角道教の総本山へ来たので唐の時代に108人の魔王を封じ込めた伏魔の殿という祠を見たくなった。洪信は道士命じて無理矢理に伏魔の殿を開けさせ中にあった石碑をどけ、穴を掘らせたのだ。やがて黒雲が湧き上がり108の魔王たちが金の光となって飛び散り、人間に生まれ変わり梁山泊に結集するというのが水滸伝の始まり。「中国の旅」
2011.12.24
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「無錫旅情10」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。水滸伝のあらすじに書いてある事柄を抜粋すれば、空から火の玉が落ちて来た。その火の玉の落ちた場所から掘り出された一枚の石版に道教が説く天?星や地?星108星の名と豪傑たちの名が記されていた。梁山泊に集まった108人の豪傑たちは運命によって集まると定められていた。 石版に記されていた108人は梁山泊での順位通りに順番に記されていた。はじめに天?星36人の名前があり、次に地?星72人の名前があった。天?星というのは大親分であり、地?星というのは小親分である。108人が星の生まれ替わりだと知った宋江は盛大な宴を設け役職分担を決めた。「中国の旅」
2011.12.23
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「無錫旅情9」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。無錫にある水滸伝のテレビドラマのセットが保存してる水滸城へ来ている。山賊たちが集まり新しく梁山泊という新天地を生まれ変わらせたが最終は108人のうち残った者は10人ほどだった。水滸伝の物語の輪廻の部分などは同じく中国四大名著の紅楼夢の物語にも似た所があり何度も見る内に共感する。梁山泊を生まれ変わらせた豪傑が梁山泊を見る前に亡くなってしまったため七日七夜の供養を行った最後の夜に不思議なことが起こる。「中国の旅」
2011.12.22
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「無錫旅情8」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。中国の四大名著の一つの水滸伝は多くの庶民に愛読されてきた。梁山泊や主人公宋江のモチーフがキューバ島やカストロを象徴している。全共闘世代である北方の経験や心境を投影した革命戦記としての要素が漂う。 中国の多くの若い読者が水滸伝を読み胸に希望を膨らませ語り継がれて来た。だが水滸伝は中国政府として若者には刺激が強すぎると好ましくないとされた。政府に対して攻撃をしかける物語は非難され三国志などの名著を奨励した。「中国の旅」
2011.12.21
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「無錫旅情7」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。私が水滸伝を読んだのは学生の頃で何ともいえないほど吸い込まれて行った。水滸伝の梁山泊の事に触れてみると梁山泊の泊とは湖や池のことであり湖水にぐるりと囲われた一座の山が水滸伝の彼らのねぐらであり梁山泊だ。水滸伝の前半は108人が陸続と梁山泊に集まって来るまでの物語が描かれている。 梁山泊の108人は生まれも育ちも性格も違い荒っぽい大男から風流な青年もいた。また武芸自慢に書道の先生や医者やまた皇族に連なる貴人から百姓まで痛快な善を勧め悪を懲らしめる場面や酒に酔い知らない内に殺人を犯し追われる場面など実に面白い事件など経て梁山泊に集結する。 「中国の旅」
2011.12.20
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「無錫旅情6」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。水滸伝は北宋の末期1130年ごろの物語。物語は封印された108の星が開放され下界に転生し、その輪廻転生した108人がそれぞれ違う経緯を経て徐々に集まる。各地で108人は無法者にされ梁山泊に終結し朝廷の重鎮に対し攻撃を仕掛けるが朝廷側のスパイにより作戦がことごとく打ち砕かれ最後は滅んでいく物語である。「中国の旅」
2011.12.19
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「無錫旅情5」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。無錫水滸伝の物語では紫石街にて離れ離れになっていた武松が武大と再会をするカットで使用されたセット。武松は喧嘩をして人を殴り逃亡していたがてっきり死んだと思っていた喧嘩相手が生きている事を知り故郷に帰る途中に兄の武大に遭う場面であり武松は体も大きく武芸に長けていたため梁山泊の歩軍頭領となり南側第二の関門を守備していた。「中国の旅」
2011.12.18
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「無錫旅情4」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。中国山東テレビで放送した水滸伝は1996年中国で高い人気を得た。私は後にDVDに収録された水滸伝43話を購入して見たものの字幕が入っていなくまた山東の方言が強いようで難しかった。水滸伝の視聴率は中国全土で46%ほどだった。中国政府は水滸伝の物語の内容をあまり快くは思ってはいない。実話ではないが108人の豪傑が朝廷に逆らい歯向かうパワーをあまりよくは思っていないが大衆には絶大な支持を得た。「中国の旅」
2011.12.17
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「無錫旅情3」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。前夜ホテルで予約した地元観光ツアーでお決まりの無錫にある中央電視台のドラマ水滸伝や三国志のオープンセットに行った。太湖に接した無錫市街は典型的な中国の古い城壁都市であり中心を隋代以来の「大運河」があり京杭運河となった今でも多くの船が行き来する街でもある。「中国の旅」
2011.12.16
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「無錫旅情2」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。蘇州駅から列車を待つ事1時間掛かったが発車すると無錫まで20分ほどで着いた。無錫駅からタクシーに乗りホテルまで15分ほどで着いたがフロントでは予約が午後6時からになっていたのでキャンセルして他の旅行者を入れようかとフロントで相談していたところだった。ホテルを予約した折に電話番号を固定の電話のにしていたので連絡が着かなかったようである。四つ星ホテルなので旅行客の身なりもそれなりに小奇麗だった。部屋に通されたあと直ぐに外に出て酒の美味そうな飲み屋を探した。「中国の旅」
2011.12.15
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「無錫旅情1」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「無錫」の写真を公開しています。無錫という地名を聞いて思い浮かぶのは無錫旅情という歌ではないだろうか。君の知らない 異国の街で 君を想えば泣けてくる 俺など忘れて 幸せつかめとチャイナの旅路を 行く俺さ 上海蘇州と汽車に乗り 太湖のほとり 無錫の街へ歌詞をコピーペーストすることはあまり好ましい事ではないが敢えて船にゆられて 運河を行けば ばかな別れがくやしいよ あんなに愛して あんなに燃えてた命をかけたら できたのに 涙の横顔ちらついて 歴史の街も ぼやけて見える「中国の旅」
2011.12.14
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「周庄旅情41(終)」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「水郷周庄」の写真を公開しています。周庄バス停から蘇州駅まで向かい無錫行きの列車に乗るためのチケットを求めたが次の列車は満席だった。無錫のホテルをネット購入していた為に蘇州駅で1時間半待って後から来る列車に飛び乗ったが満席状態だった。その夜は無錫にて宿泊した。周庄の旅は終了したもののネットで調べた観光地点の全ては見れなかった。「中国の旅」
2011.12.13
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「周庄旅情40」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「水郷周庄」の写真を公開しています。元代中期ころ沈万三は周庄鎮の北側の白研江の水運を利用して西は京杭大運河へ東北は劉河から海に出て外国と貿易を行った。周庄の河筋は「井」という文字になり建物が河沿いに建てられ水路が街の中にある。元・明・清代に建設された古い橋が14個ありその中には国内で唯一の二重橋富安橋がある。周庄の河沿いに建てられた建物の約60%は明代、清代に建てられたものである。周庄は中国の水郷の美を代表していると表現した書に周庄は中国第一の水郷と記される。「中国の旅」
2011.12.12
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「周庄旅情39」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「水郷周庄」の写真を公開しています。「中国の旅」
2011.12.11
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「周庄旅情38」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「水郷周庄」の写真を公開しています。周庄と書かれた提灯が掛けられておりその風情ある河沿いを暫く歩くと周庄内に作られた古劇台入口に出た。重厚な入口を通り抜けると広場があり広場には木製のベンチが数多く並べられ劇の始まりを待っていた。古い劇と書かれていても京劇によく似た劇を披露してくれるので興味ある人はのんびりと見てみるのもよいかも知れない。私は前回訪れた折に見たので舞台の裏側に行き昔の打楽器を撮影した。「中国の旅」
2011.12.10
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「周庄旅情37」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「水郷周庄」の写真を公開しています。水郷周庄の旅も終わりに近づいて来た。水路に架かる石橋は街中に14座ある。石橋は元、明、清の3代の間に造られたものであり造形美は評価される。東西に掛る世徳橋と世徳橋が直角につながる永安橋とを合わせて双橋と呼ばれているが古代のカギのような形であることからカギ橋とも呼ばれる。「中国の旅」
2011.12.09
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「周庄旅情36」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「水郷周庄」の写真を公開しています。水郷周庄の街を大分歩き出口へ向う途中周庄大橋を渡り暫く進み橋のたもとの階段を降りきると写真の雲海塔の前に出られる。雲海塔の歴史もさぞ古いのだろうなと思っていたが1999年12月末に落成とあり周庄の街の九重の塔は解放の波の中で計画が立てられ6年の歳月の末落成した。「中国の旅」
2011.12.08
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「周庄旅情33」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「水郷周庄」の写真を公開しています。「中国の旅」
2011.12.05
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「周庄旅情32」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「水郷周庄」の写真を公開しています。「中国の旅」
2011.12.04
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「周庄旅情31」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「水郷周庄」の写真を公開しています。「中国の旅」
2011.12.04
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「周庄旅情30」 「中国写真ライフ」では、江蘇省「水郷周庄」の写真を公開しています。「中国の旅」
2011.12.02
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