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戦争状況の中で、立場が逆なら日本ももしかしたらアメリカと同じようなことをしたかもしれないので想像を絶する非道なことをしたアメリカ軍だけを責めるのは公平ではないかもしれないが、終戦直後学校では今までの日本の軍国教育は間違いでアメリカの民主主義を学びなさいと非道なことをしたアメリカ軍のことを悪く言ってはいけないと教育してきたので、アメリカ軍が如何に非道なことをしたか知らない人が多いので、その点について少し書かせて頂く。朝ドラ「おひさま」で空襲の模様、終戦時の模様が放映されている。今日外来にきた89歳の患者さんと「おひさま」の話をした。その人が言うには、あのテレビなんてものではない。東北大震災なども問題ではない。東京の空襲では10万人が殺され、川に飛び込んだ人も川が燃えており、皆焼かれてしまった。焼夷弾は全てを焼き尽くすので都民を皆殺しにするつもりだったと思われる。{昭和20年3月10日未明、爆撃機b29の130機が2時間にわたって東京を無差別爆撃、焼夷弾10万個を投下、下町を中心に死者8万人、負傷者11万人、焼失家屋26万戸、被災者100万人を出した。4月15日、5月25日にも大空襲があり、 東京の被災者は300万人を超えた}何というひどいことをしたのか想像を絶する悪行である。そんなことをしておきながらアメリカを正当化してアメリカは正しいとして日本人を教育したのである。信じられないことだがそのような悪逆非道のアメリカが正しく日本は間違っていたと思ってる人達が多いのである。教育の怖さをしみじみと思う。だからと言ってあらためて憎しみを持とうなどというつもりはない。どのような国とも過去のことは忘れて友好を深めていくことが大切だと思っている。しかし日本が悪かったから酷い目にあったのは当然だと思うのではなく、戦争中アメリカ人が戦争状態の中で狂気になり、殺人鬼になり、悪魔だったことも正しく認識する必要があると思う。
2011.06.30
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アメリカ、アイダホ州に先月渡った娘一家の住む家が決まってその写真と間取りがブログで紹介された。部屋は広いし、贅沢に子供に一部屋与えられ、全館共通の空調があり、そこまでは文句ないが、シャワーが上に取り付けたままでホースがないので全身にかけることが出来ない。水洗トイレだがウォッシュレットがついていない。部屋の広さや空調設備などからみてそれらが出来ないのは金がないからではない。アメリカ人はそれでいいと思っているのである。日本に旅行したアメリカ人が日本の便利さをみて真似したり持ち帰ったりしそうなものだが、何年経っても変わっていない。シャワーは上からだけでは全ての所にお湯がかからない。不潔だと思う。でも気にならないらしい。ウオシュレットも日本人が便利なものを使っていると知れば金がないわけではないのでアメリカにも普及しそうなものだがあまり普及していない。私がかってアメリカでホームステイ生活した時も全く同じ状況だった。また大学の食堂でパンを買うとビニールの手袋をして渡してくれたがお金を払うと同じ手袋のまま受けとっていた。日本人はお金は不潔なものとの観念があり、お金に触った手でパン等に触らないが、むこうの人は平気らしかった。国民性というのは文化の違いもあるが、DNAも違うのかもしれない。日本人はきめ細かいし必要以上に潔癖だ。一般に外人は日本人では考えられないような不潔なことも平気らしい。工業部門、医学部門、遺伝子関連の研究などの中でアメリカは日本を凌駕している部門が結構多い。衛生観念のない人たちなのにどうして?と思うが、よく考えてみると、日本人は細かいことやそれほど気にしなくてもいいことを気にし過ぎて本元の研究で後れをとっていることもあるのではないかと思った。日本人から彼らをみるとのんきで不衛生だが、彼らからみると日本人は気にしなくてもいいようなことを気にして神経質すぎると思っているかも知れない。
2011.06.29
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今朝の朝ドラ「おひさま」で春樹兄さんが戦死して陽子は悲しみに暮れる。子供の頃春樹兄さんが陽子に出した質問を思い出した。「辛くて苦しくて悲しくてどうしょうもない時はどうしたらいいか?」陽子は「笑う」と答えた。それが正解で亡きお母さんの教えだったとのことである。そのことを考えてみた。辛くて苦しい時は結構ある。その時笑えば解決するであろうか?解決しない。無理して笑おうとすれば顔がねじ曲がってしまう。どこで笑うのかの問題もある。一人になった時なのか?とても笑えない。人前で笑えというのか?無理していることがすぐ分かってしまい却ってまわりの人達を気まずい思いにさせてしまう。苦しい時には笑えという教えは尊い教えかも知れないが中々難しい。今日の話の中で「こころに太陽を持て」も出てきた。辛い時には「こころに太陽がある」を自覚することである。こちらなら分かるしそれを実行することも可能である。顔がひねくれることもない。辛くて苦しい時は?の本当の正解は「心に太陽を持て」だと思う。どんなに辛くても自分の心は太陽だ、太陽だと言い聞かせていれば、悲嘆にくれて自殺するということもなくなると思う。悲しみを抱えている諸君、苦しみにまみれている諸君、絶望の淵に立ってる諸君、心に太陽を持とうではないか!!
2011.06.28
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「心に残る医療」の体験記コンクールの入賞作品を読んだ。脳梗塞や脳出血の後遺症のおじいちゃん、おばあさんの介護や夫の介護などについて書いたものが多く、小学生の部、中学生の部、一般の部とあったが、殆ど女性が書いていた。脳卒中でで右半身不随と失語症になってしまった父親の面倒を見なければならなくなった娘、脳梗塞で口もきけなく手足も動かない夫の面倒を見なければならなくなった奥さんの話など突然の不幸に襲われ、自分の将来設計も何もなくなり大粒の涙にくれたこともあったとのこと、同情した。人ごとでなく自分もそのような病気で倒れるかも知れず、家内が大変だなと思った。そのような作品の中で「床屋のどんぐりさん」という作品が一番心に残った。おしゃれで毎月美容室でセットしてもらっていたダンデイな父親が50歳の誕生日後一カ月で脳幹出血で倒れてしまった。約2ヶ月後病院内の理容室で散髪してもらったらバリカン一つで丸刈りにされてしまった。いくら意識がないといっても娘としてはダンデイな父親でいて欲しかった。しばらくして療養型病院に転院したら、出張床屋どんぐりがあり、店主は父親と同じ年齢で病院や施設を専門に巡廻している人で、初めておあいしたどんぐりさんは返事をすることのできない父にとても優しい笑顔と声かけで接して下さり、バリカンでなくハサミで丁寧にカットしてくれた。どんぐりさんが父親を一人の客として接してくれたことが何ともありがたかった。倒れてから2年目に娘は結婚することになり、父親はどんぐりさんに綺麗にセットしてもらって車いすで参列し、本当にうれしそうだった。その一ヶ月後様態が悪化して帰らぬ人になってしまったが、亡骸が自宅に戻った時無理を承知でどんぐりさんに髪のセットをお願いしたところ早速駆けつけてくれて綺麗にセットしてくれてダンデイな父をあの世に見送ることができた。どんぐりさんは忘れられない人であり、感謝の気持ちでいっぱいとのことだった。病気の人を支えるのは医師や看護師だけでなく家族はもちろんだが、病院への送り迎えをしてくれる運転手さんや、クリーニング屋さん、床屋さん、売店のおねいさんなど様々な人が支え合っている。ここでは素晴らしい床屋さんとの出会いがつづられていたが、その他にも様々な出会いがあると思う。その出会いを大切にしていい思い出を残したいと思った。
2011.06.27
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腎移植に関連して暴力団に金を払ったとして医師が逮捕されましたが、患者がたまたま医師でしたがその患者の主治医だったらの立場で考えてみたいと思います。腎臓が悪くなると遅かれ早かれ次第に進行し、全く治る治療法は今はありません。蛋白制限などの食事療法などで、その進行を遅らせて天寿を全うする人もいますが、血液透析にお世話になる方が年々増えています。近年医学の進歩で腎移植が可能になり、透析患者の何割かの方が移植を受けています。生体腎移植は親、子、兄弟などの血縁者、または配偶者から腎臓の提供を受けて移植します。腎臓はひとりに2個あり、ひとつになっても腎臓の機能に問題がないため、1個を取り出してレシピエント(移植を受ける人)の体に移植します。 提供する側には手術に対する恐怖心などがあり、移植を受ける側にも、提供してくれた相手に負担をかけたという負い目の感情が生ずる場合があります。血縁者又は配偶者となっていますが、養子からはいけないという規定はありません。以前は血液型が同一との条件がありましたが今は血液型が違っても可能です。したがって誰でも好意で提供してくれる人がいたらOKです。70歳くらいまでOKですが健康で腎臓が悪くない人に限られます。今回のケースでも奥様が提供OKなら問題なかったケースですが患者の方から腎臓くれるかとは中々切り出せないものです。移植した後免疫抑制剤を服用しますが5年で70%、10年で50%位の人は透析しないで普通に暮らせます。しかも移植は保険適用され費用は数万円程度で済みます。それなら移植したいとなりますが死体腎の提供が少ない現状があります。提供したいと登録している人はいっぱいいますが死んだ時に連絡して腎臓摘出のため急行してもらう体制が整っていない面があります。生体腎では、提供する側が何となく怖い気持ちがあり、そう簡単に提供しない現実があります。今回の患者さん(医師)のケースに主治医は様々なアドバイスをしたと思いますがその中に養子縁組の話もあったかもしれません。その相手が暴力団だったというのが今回の事件を大きくしましたが、主治医としてはその患者さんのベストのことを考えて治療しますので移植の選択枝の説明は間違っていなかったと思います。移植は全国ほとんどの大学病院や大きな総合病院、腎臓専門病院で可能です。
2011.06.26
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朝ドラの「おひさま」で東京が空襲に遭い、安曇野から焼け野原の東京に決死の思いで友人を探しにいった陽子達だが、今度は安曇野にも空襲が襲ってきたところを放映していた。今度の東日本大震災はひどかったが東京および大都市の空襲はそれをはるかに超えるものだった。それが人間の手によって、人間の意志で行われたのだから東日本大震災を経験した我々はその何倍もの被害を人間が加えてきたことに改めて驚愕する。東京の惨状はひどいものだった。さらに安曇野のような田舎にまで爆弾を落とすとは何事か?!昭和20年終戦間際、私は4歳だった。防空壕から外に出て東の空が真っ赤に燃えていたのを覚えている。その頃のことはそのこと以外は何も覚えていない。小学校1年の記憶も作文で母はノミを獲るのが上手だと書いて学校に提出し、褒められると思いきや母にものすごく怒られたことは覚えているがその他のことは何も覚えていない。記憶とは何かショッキングなこと以外は皆忘れてしまうものらしい。後で聞いた話だがその明りは甲府が空襲にあい、全部焼かれてしまい多くの人が死んだ火事の明かりだったとのことである。田舎からリヤカーで生存者を捜しに行ったとのことだが何時田舎にだって爆弾が飛んでくるか分からない状況だった。何も覚えていない中で甲府の空襲の映像だけは覚えている。それがいかに酷いものだったかが分かる。自分が他人にひどいことをすることも恐ろしいが、他人が自分達にひどいことをするのも恐ろしい。戦争を仕掛けた日本にも責任があるように言われているが、責任がどうのと言う問題ではない。戦争は集団狂気、集団殺人鬼を生み出すものだと思う。戦争は絶対しないし、他で行われそうな場合も絶対阻止する気持ちで戦い、生きていかなければいけないと強く思っている。
2011.06.25
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生体腎移植は身内同士で行い金品の授受があってはならないと法律で決められているのに対して、医師が養子縁組をして暴力団員に1000万支払い、さらに1000万請求されたのでその話は断って別の養子縁組した人から腎臓をもらって移植手術を受けたことが明るみに出て医師らが逮捕された。最近旦那のために腎臓を提供した奥さん二人を診察した。腎臓は二つあるので、一つを病気で苦しんでいる身内に提供しても自分自身は大丈夫だが、痛い思いをしなくてはならずそう簡単に提供とはならない。そこでお金を出して提供してくれる人を探すことになるが、そこには暴力団がからまることが多い。暴力団は際限もなくお金を請求してくることが多く、移植を受けてからでもゆすられる可能性があり、絶対接触してはならないが、最初は暴力団と分からないで話が進んでいくことがあるので、恐ろしい。腎臓不全になると人工透析するか腎移植するしか生きる道はなくなるが、最近は腎移植の技術が向上し、移植を受けた人は透析しないで普通の生活が出来ることが多いので可能なら腎移植を受けたいが、腎臓提供者が少ない現実がある。私も死んだら腎臓を提供しますと登録してあるが、そのような登録者の死体腎もあまり活用されていないらしい。所で今度のような思いをしてまで透析ではなく移植を望むべきであっただろうか。透析は通常週3回3時間づつ透析しなくてはならず日常生活に制限が加えられるが最近では夜間透析をしてくれる所もある。ある医師は夜間に透析してもらい日常の医師業務を全く他の医師と同様にこなしている。私がかって受け持った方は透析しながら10年以上タクシーの運転手をしていた。透析の受け方によっては全く他と変わらないような生活が出来ることをもっと多くの人に認識してもらいたいと思う。自分は病人だと思って日常生活から後ずさりしている人達もいるがもっと前面に出て活躍してもらいたいと思う。
2011.06.24
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アイダホ州ボイジの州議事堂や、テーブルロックを見学に行ってきたとのメールがきた。来週の月曜日からはもう長女は幼稚園に通うという。長男の方はやはり来週から週2回保育園に通うという。まだおむつをしているけどいいのかなと思った。色々不自由なこともあると思われるので家内はもう送りものの準備をしていた。
2011.06.23
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ペチュニア:ナス科ツクバネアサガオ属、南アメリカ原産、花言葉;和らぐ心、変化に富む今日は殆どの地域で35度以上になり、夜になってもその暑さは衰えていない。テレビを観ると被災地の人のことを思いクーラーをつけないで我慢すると言う人がいた。節電が全国的風潮なので自分だけクーラーをつけるのは悪い気がして、こんなに暑いのにクーラーをつけた人は少なかったと思う。でもこれからはどうなるだろうか?人々の我慢も限界にきてだんだん使うようになるのではないかという見方と、クーラーをつけないで暮らしてみたら結構それなりに暮らせることが分かってこのままクーラーなしの生活を続ける人もかなりいるとの見方もある。いずれにしても今年の夏は節電ムードでかなり暑い夏になりそうだ。我慢の夏になりそうだが、我慢もほどほどにしてもらいたいと思う。律義に、他の人のことを思いやるのもいいが、自分が熱中症で救急車で運ばれたり、病気になったりすれば僅かな節電が何倍もの電力消費につながりかねない。自分だけ贅沢をしてはいけないと我慢するのはいいが、健康を考えながら賢明な節電対策をしてもらいたいと思う。
2011.06.22
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ヤマアジサイ:アジサイ科、原産日本、花言葉;乙女の愛、切実な愛外資系の会社に勤めている義息が転勤で6月15日にアイダホ州ボイシに旅立った。4歳の女の子、2歳の男子をつれて一家で出かけた。子供達が慣れない土地でどのように暮らすのか案じられるが、案ずるよりも産むが易しで、きっと大人たち以上に早く現地に同化するのではないかと思う。親子ともども健康に留意して様々なことを学んできてもらいたいと思う。任務を終えて何か月後かにどんな姿で帰ってくるか楽しみである。
2011.06.21
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昨日の大河ドラマ「江」では秀吉があれほど尊敬し、茶々に恋焦がれていながら手出しできない状況なども相談していた千利休と不仲になって行く場面が演じられていた。来週は千利休が切腹させられることになるらしい。千利休は信長に仕えた茶頭で、信長亡き後秀吉も様々なことを相談し、精神的支えだった人である。秀吉の側近石田三成は政治的にも影響力があった利休を快く思っておらず、あることないことを秀吉に告げ口していた。告げ口されたからと言って大恩があり、親友でもあった利休を殺してしまうとは秀吉もそれまでの男だったのだろう。秀吉は自分が短気を起こしたがゆえに利休を殺してしまったことを悔やみ、後年様々な後悔をしているが後悔先に立たずである。頂点を目指していた時には利休の意見も聴いていた。しかし頂点に立ち天下人になってからは明らかに増上慢になっていた。自分の言うことが聴けないならいくら利休でも許さないという偉い様になっていたのだと思う。今菅総理は野党から攻撃されるだけでなく身内からも早期退陣を迫れている。内閣総理大臣は天下人である。日本で最も偉い人である。その自覚が本人にも国民にもないように感じている。安倍、福田、麻生、鳩山は野党から攻撃されたり、行きずまったりしたらさっさと止めてしまった。天下人としての自覚が全くないと思った。色々な情報から推察するに菅総理は豊臣秀吉に近い人らしい。「総理大臣の指示が聴けないのか!?」といらついて癇癪を起こすことが多かったらしい。その点では天下人としての自覚はお持ちだとは思うが、その後のフォローや政策討議が不十分だったことが今回のような反発につながったのではないかと思う。秀吉も菅総理も、短気を起こさないように日頃から心がけることは勿論だが、短気を起こしてしまったら深呼吸を数回してもらいたい。さすれば正しい判断力が必ず湧いてくるものである。ドラマを観る限り、秀吉より家康の方が一枚上手で最終的に家康が長期政権が握れたのにはそれだけの理由があったのだと思う。今の時代に、秀吉(菅総理)の部下でありながら、天下をねらっていた家康のような人の出現を望んでいる。
2011.06.20
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メディカルトリビューン紙に五十嵐晴巳氏が祖父の教えについて書いており感銘を受けたので、それを紹介し、それに関連して私の父の教えも紹介しようと思う。おじいちゃん子で育った五十嵐さんは様々なことで祖父の影響を受けた。祖父から繰り返し、繰り返し、「自分以外はすべて先生だ。赤ん坊からだって教わることはある。天狗になるな。頭を下げて教えてもらえ。稲穂は実るほど頭を下げる」を聞かされた。医師になってからステロイドや抗真菌剤などで治らない患者さんを何とか直してあげたいと模索していた時、自分より20歳も年下で大学を出たばかりの製薬会社のMRさんが漢方薬の効果について説明してくれた。誰からも教えてもらいなさいという祖父の言葉を思い出してその方から漢方薬について様々に教えて頂いて、言われた通りに漢方薬を使ってみると、今まで苦労していた慢性湿疹の男性がとてもきれいに治ったり、何を塗ってもよくならなかった赤ちゃんの顔が1週間足らずですべすべに治ったりして驚愕の連続だった。それを契機に漢方の勉強を始め、多くの患者さんに喜ばれているが、そのきっかけは祖父の言葉、「自分を偉いと思わず誰からも教えてもらいなさい」だったと感謝している。私には祖父の印象はない。物心つく前に亡くなっており、祖父の言葉は覚えていないので、父のことを書かせて頂く。父の言葉として印象に残っているのは、「かかさんは太陽よ」「南方にはいくな」である。奥さんを大事にしなさいというのと、私が医療に恵まれない人達のためにアフリカに行きたいと言うのに対して、そこに行かなくても人様に尽くす道はある。アフリカに行って太陽である奥さんを泣かすべきではないという教訓であった。五十嵐さんは祖父の教えに忠実だが、私は未だにアフリカ等に行く夢は捨てていない。その原因は父にあると思っている。確かに父は南方行きは駄目だ、駄目だと事あるごとに言っていたが、子供の頃父の行動を見ていて、苦しんでいる人、困っている人には、なんの躊躇もなく手助けしていた。それがたとえ自分にどのような苦痛を与える事でも、負担のかかることでも何の報酬も期待しないで平気で働いていた。その父がアフリカ行きを何故反対するのかよく分からないのである。残される嫁を泣かせるべきではないという考えからだと思われるが、父がその行動を通じて私に教えてくれたのは、自分の身や利益を考えないで苦しんでいる人たちのために力になりなさいというものだたっと思う。家内のことを思っての教訓だと思うので、家内とよく話し合って理解が得られたなら自分のやりたいことをしたいと思っている。
2011.06.19
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イソトマ:キキョウ科イソトマ属、オーストラリア原産、花言葉;猛毒、誘惑、優しい知らせこの頃重症患者さんが多く、明るい気持ちでいようと思っても、知らず知らずのうちにストレスが蓄積され、そのせいか(それだけではないかもしれないが)夜間トイレに10回位起き、朝起きる時に、今朝も勤めに行かなくてはならないのかと一瞬打ちのめされたような感情に襲われる。患者さんを診るのは好きだしそのことで疲れる筈はないのだが、今受け持ちの患者さん達が重症で、あれこれ治療してもよくならないことが無意識の中で疲れを引き起こしているのかもしれない。その中で昨日入院させた57歳男性、数日前から右手、両足が猛烈に痛くて、熱もある、だるさは口では言えないくらいで夜も痛すぎて全然眠れない。入院はさせたがまたもや重症で悩まされるのかと思ったが、リュウマチ科を受診して、リュウマチ性多発筋痛症だろうと教えて頂いてステロイド剤(副腎皮質ホルモン)を投与した。今朝回診した時にはあの激しい痛みが消失してケロッとしていた。当院受診前に、近所の開業医を受診したが、熱があって体の節ぶしが痛いとのことで、風邪だろうと風邪薬を処方してくれたが全然よくならないと当院にきたが、極めて珍しい病気なので、風邪と思われたのも無理ないかも知れない。いずれにしてもケロッと良くなったのである。状態が悪くなる患者さんばかり診ていたので、精神力が落ち込んでしまったが、このようにケロッとよくなってくれると心は晴れ晴れとする。状態の悪い患者さんはいるが、このように良くなる人もいてバランスがとれるのだと思う。私にとってはこの患者さんは救いの神であった。
2011.06.18
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ベルガモット(松明花):シソ科多年草、北アメリカ原産、花言葉;強く正しい心、正義、公平、感受性豊か絶望することはよくある。仕事でのスキルがどんなに努力しても少しも上達しないこと、身内や親友が不治の病に倒れた時、自分の病気が治らないと知らされたとき、信じていた人に裏切られた時、習いごとやスポーツの技術が全く上達しない時、職場で首になり、収入が全くなくなった時、彼女に振られたなど、様々なことがある。これらのことがいくつか同時に起こって重なるとどん底に落とされて、生きていく気力を失くして自殺する人もいる。絶望の淵から這い上がってたくましく生きている人もいる。絶望から立ち直るには第1は時間である。時間がたてばその絶望もそれほど深刻ではなくなってくるものである。第2は冷静沈着な判断である。頭の中が真っ白になり、もうだめだ、どうすることもできないと思えても深呼吸して冷静になって静かに考えてみてもらいたい。必ず解決への糸口が頭に浮かぶものである。第3は自分および他人を神として認識することである。やること為すことすべてが失敗で、今までの血を吐くような努力が全く報われず、あまりにも惨めな自分を目の前にすると、しょげて、自信をなくし、今まで続けてきた努力を止めようとする人もいる。絶望である。しかし、わが身、他人共に神として認識できれば、たとえ失敗したり、けなされたり、首を切られたとしても、それで落ち込むことはない。自分の行いは全て神に尽くす行為であると考えれば失敗も失敗で亡くなるのである。これぞ起死回生の秘策である。
2011.06.16
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ヒメオウギ(姫扇)アヤメ科ヒメオウギ属、南アフリカ原産、花言葉;気品ある、青春の喜び、歓喜 石垣の所に咲きました。雨後で土がついていて少し汚れていてすみません。Y県医師会報6月号に井上勝六氏が「エロスと共に」という一文を書いていた。空海がもたらした真言密教の理趣経の内容は「男女交合の妙なる恍惚は清浄なる菩提の境地である」というもので、男女が抱き合って恍惚感にひたるのは菩薩だと説いている。一方曹洞宗の粗 道元は「女人をみて欲情が起きた時、自ら聖人ではないと悟るのが仏法を知るということだ」と説いている。どちらが本当の菩薩の境地なのであろうか?空海や親鸞は恍惚感を菩薩と言い、最澄や道元は厳格な禁欲を説く。その時代の庶民は偉い坊さんが真反対のことを説いているので、どちらを信じていいのか戸惑ったことだろう。今私が思うに、そのどちらも正しいのではないかと思う。男女が愛し合って抱き合っていながら、悪いことをしているのだろうか?申し訳ないなどと思っていては幸福境地はない。楽しむ時には無我の境地で楽しんでいいのだということだと思う。エロスは恥ずかしいことだと思う気持は捨ててしまいなさいは正しいことだと思う。だからといってエロスばかりにあこがれていたのでは人生は成り立たない。禁欲する時もあり、克己心を持って自らを高めていくことも大切である。昔の僧は何年、何十年と修行して悟りを得たと言われる。そのような僧が悟った境地を、何も修業しない欲にまみれた人間が勝手に解釈することは許されないことかも知れないが、現在風に解釈してみました。ご批判頂ければ幸甚です。
2011.06.14
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今朝は5時半から6時半まで資源ごみの分別当番で、ペットボトルやアルミ缶などを分別して袋に入れる作業をしてきた。何カ月に1回当番がまわってくるが、最初家内が出てくれたこともあるが、腰痛があるので以来ずっと私が出ている。今の季節だと丁度いいが冬の当番の時はきつかった。でも季節にかかわらず最近では結構楽しくなっている。以前は当番だと聞くとその前からゆうつになってしまったが、今は人間が少しはできてきたのか嫌ではなくなった。最初の頃はペットボトルのラベルをはがしてない人や、アルミ缶と鉄缶を分けてない人が結構いたが最近では少なくなった。今日ラベルをはがしてやったのは10本程度であった。鉄缶とアルミ缶の鑑別は難しいところがあり、こちらの方はかなり混ざっていたが以前に比べると少なくなっていたと思う。車いすを出していた人がいたが、業者に聞いたらOKとのことだった。それを使っていたお年寄りが亡くなってしまったのだろう。次は自分たちが使うことになると思うがそれまで保存しておくのは大変なので有価物に出したのだと思うがOKでよかった。次はいつ当番がまわってくるか分からないが「いやだなー」とか「ゆうつだなー」などと言わないで早起きしてがんばってこようと思う。
2011.06.14
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卯の花(ウツギ):ユキノシタ科、原産;日本、花言葉;謙虚、秘密「卯の花の匂う垣根にホトトギス・・」と歌われたあの卯の花である。我が家の垣根の所に咲いていた。人は生まれて成人し、だんだん年老いて盛を過ぎ、やがてとぼれるように死んでいく。青年時代、壮年時代まではまだ輝かしいイメージがあるが、老年時代、老衰時代となると衰退していくイメージがある。平均寿命が長くなり昔のおじいさんと呼ばれた年齢(60歳)が壮年になってきている傾向にあり、日本人の盛の年齢は何歳かを定義するのは難しい。一般的には20歳~55歳くらいまでと考えられるが近年では20歳~64歳くらいまでとの見方もある。そこから定年を65歳までに延長しようとの動きが出てきている。高齢になると記憶力や筋力、瞬発力などが衰えて若い者にはかなわないと思う人が多かったし実際にもだんだん衰えていった。今私は69歳である。一般的には当に老人で後ろに引っ込んでいてくれと言われる年齢である。しかし今不思議な感じがしている。と言うのは記憶力こそ衰えたが、判断力、忍耐力、向上心、仕事力、対人関係など今が最高の状態に感じられるのである。当直の仕事は大変である。今までは結構疲れたし、消耗したし、いやだなと思った。所が今は全然嫌ではないし、疲れもしない。今が盛りの気持ちである。対人関係では今までは結構苦手な人もいた。今は苦手な人はいない。それは全ての人は神様との認識からどんな人とも対応できる力が備わってきたからだと思う。高齢になって夜中に3度も4度もトイレに起きて睡眠時間が短いが、昼間眠いわけではなく、気力充実して仕事ができる。体力的にも仕事面でも今が最高である。よく最期が近い時、その直前に美しい花を咲かせると言われるが、最期が近いのでその直前にあざ花を咲かせてくれているのかも知れないが一般的には老人なのに今が盛りと実感できることに不思議な感じをもっている。それは今までの努力の積み重ねがあったからで全ての人に当てはまるとは限らないのかなとも思ってみた。実際、他の高齢者を全て詳細に調べた訳ではないので、69歳を人生最盛期と一般化することは出来ないが、少なくともそう感じている人間がいることを紹介させて頂いた。
2011.06.12
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今、朝6時、救急車で昨夜10時ごろ昏睡で来院した57歳男性と明け方2時ごろ救急車で来て入院しためまいと高血圧の77歳女性を病棟に診に行ってきた。昏睡の人は血糖が600位あり糖尿病性昏睡と診断してインスリンを点滴して血糖を100位まで下げたがまだ意識はない。めまいの人はかなり症状が改善していた。昨夜は13人救急患者がきたが多方面に渡った患者さんがきた。午前1時40分に来た37歳男性は左足背を虫に噛まれて痛くて眠れないという。確かに2ヵ所赤くなっていてムカデなどに噛まれたのかもしれない。痛み止めと点滴をしたが、まだ痛いといっていた。虫さされと思われる患者さんはもう一人いた(15歳女性)が今の季節は多くなるだろうと思われた。9時で次の当直者と交代になる。もう少しだ。気を緩めないで最後のお勤めを完了しようと思う。一晩中付き合ってくれた看護師に感謝する。
2011.06.12
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今日は当直である。19歳の女性が友達同士が激しく喧嘩しているのをみて過呼吸状態になって救急車で運ばれてきた。点滴しているがまだ眠ったままで反応がない。職業人は生産業、販売業、サービス業その他すべてミスなく最高の仕事をしようと心がけて、心身をすり減らしながら仕事をしている。医者の仕事も同じである。今は治療方針はガイドラインとして示されていることが多く、どこの病院でも、どの医師でも治療法は殆ど変わらない。ガイドラインに沿って最高の治療法をしていても入院患者さんが思ったより具合が悪くなっていると心が落ち込む。その人のことを思っていると外来の患者さんで6ヶ月間インターフェロン治療した後ウイルスが消えていると期待していたのに、ウイルスが消えていない現実があり、自分の責任ではないことは分かっていても落ち込む。そのことを思っていると次から次に外来には問題を抱えた患者さんがくる。一人ひとりに真剣に対処するのが仕事する人の任務だが、上記のように前の患者さんのことが気になって目の前の患者さんがおろそかになることがある。入院患者さんにしても、インターフェロンの患者さんにしても気にしたからどうかなるというものではない。しかし結果が悪いと自分にどこか落ち度があったのだろうかなどとあれこれ考えてしまうものである。原発事故現場で働く人たち、教育現場で働く人たち、食料品生産に携わる人たち、自分のベストを尽くして働いてくれている。過去の失敗を反省することはあっても、過去のことにこだわって目の前の現実の仕事に集中できないようなことがあってはならない。それは仕事する人のいろは(基本)である。私にも色々気になることはあるが、目の前の患者さんに集中していこうと思う。
2011.06.11
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マツムシソウ(松虫草)別名スカビオサ:マツムシソウ科マツムシソウ属多年草、日本原産花言葉;感じやすい、けな気、失恋、不幸な恋人は何かを信じて生きている。自然や太陽を神とあがめている民族もいる。祖先を神とあがめている人達もいる。宗教指導者を神と崇めている人達もいる。男根や女体を神と崇めている種族もある。いずれの神もそれを崇めたてまつり信仰する人達を幸せにし、護ってくれると想像される存在である。しかし現実にはその信仰の対象に莫大なお金を貢がなければ護ってくれないと教えたり、神の意志に従順でなければ功徳はないと教えて、戦争や、人殺しも神の意志なら行うべきで命を捨てて神に仕えれば最後は必ず幸せになれると教えるものもある。神は一つの場合と複数の場合がある。其の人にとっての神がなんであるかによってその人の幸、不幸は決まる。その人にとっての神が自爆や人殺しを是とするならそれを実行するかもしれない。人々の心の中にある神は絶対的なものである。私の神は人間である。その貴い人間を宗教の名のもとに自爆テロで殺す人達がいる。私にとっては全ての人は貴く、崇めたてまつる存在である。それなのに其の貴い人間を無差別に殺す人達は無知で救い難い人達で、それを指導している人達は人間の価値がない人達であろう。宗教の名の元に多くの残虐行為が行われており、いかに有害な宗教がこの世に存在しているかが分かる。真の神は人々を幸せにしてくれるものであり、無条件で貴い存在である。人そのものが神である、其の神を大切に大切にしながら生きていくことが人類にとって最も大切なことと信ずる。
2011.06.09
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ディモルホセカ(アフリカキンセンカ):キク科ディモルホセカ属、南アフリカ原産、花言葉;誠実、変らぬ愛、健やかな心昨日の続きである。67歳男性、食欲がないと言って外来に来た人である。咳も出るとのことで、胸部レントゲンを撮ったら結節影あり、CT検査で肺腫瘍と、肝臓腫瘍が確認された。いずれも転移性腫瘍の可能性が高く、大腸がんが肺や肝臓に転移することが多いので昨日大腸鏡検査をしたら、直腸がんだった。結果をどのように話したらよいか随分迷ったがありのままにお話しした。ショックでどうすることもできない状況になってしまうのではないかと恐れていたが、「検査の順番や内容から大体そうではないかと思っていました。あとどのくらい生きられますか?」と観念したように平静な状況で聴いてきた。多くの重症受け持ち患者さんの内の一人で心が重かったが、昨日どの患者さんも神様なのだと気が付いたら心が軽くなったと書いた。病名を告げる時にも神様に告げるつもりでお話しした。そして結果的に其の人は平静で心配しつくしていた私を救ってくれた。やはり神様だったのだなと思った。今後のことについて聞かれたので抗がん剤療法で直腸がんも転移がんも小さくしてから直腸がんを手術すると話した。抗がん剤は副作用があるのではないかと聞かれたので今主に使われるTS1は副作用が少なく効果が大きいことを話した。効き方には個人差があり、がんが殆ど分からなくなるくらい小さくなる人もいるがあまり効果のない人もいることも話した。この人だけでなくまだまだ重症患者さんを沢山受け持っている。全ての患者さん、外来受診者、いやそれ以外の人も含めて全ての人は神様なのだと思って生きていけば、あまり落ち込むこともないと本日も確信した。
2011.06.08
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パッションフルーツ:トケイソウ科トケイソウ属 南米原産、つる性多年生熱帯果樹、花言葉;聖なる愛、信じる心三波春夫がお客様は神様と言ったが、芸を突きつめていくとそうなるのかなと思っていた。医学を突きつめていくと患者さんは神様になることを本日気がついた。今重症患者さんを大勢受け持っている。今日も慢性関節リュウマチで顔がむくみ体のあちこちにジョクソウの出ている大変重症の患者さんが入院してきた。今入院している患者さんだけでも大変なのに、また重症が入院してきて内心これはたまらない、自分が壊れないで持つだろうかと思った。でもこの時上のことがひらめいたのである。重症であろうが軽症であろうが、患者さんは神様である。自分が重症患者さんに参る、参らないは関係ない。目の前にいるのは神様である。神に使えるように全精力を尽くして対応していけばいいのである。心がずっと軽くなった。重症患者さんだと思うと消耗してしまう。神様だと思うと力が湧いてくる。この場合の神様とは何か御利益を与えてくれる神様ではない。御利益とはまったく関係なく、崇め奉る存在である。看護師などもその神様の病気を良くしようと働いてくれているのだから、患者さんと同じく神様である。大事にしなくてはと思った。午後は大腸鏡の検査だったが、今検査させて頂いているのは神様であると考えたら乱暴な検査は出来ないし、見落としも許されない。今まで以上に緊張したが、受診者を神様と考える時大腸鏡検査そのものが神に仕える行為となり、最高に充実した検査ができた。技術も向上した。疲れも感じなくなった。もしこのブログを医療関係者が目にとめてくれたなら、患者さんは神様と認識して見てもらいたい。技術が飛躍的に向上するし、体が楽になること請け合いである。かりそめにも医療に従事している人は患者さんは神様と思うべきである。
2011.06.07
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ラベンダー:シソ科常緑低木、地中海沿岸原産、花言葉;清潔、優美、期待、あなたを待っています。自分のまわりは整理整頓されて片付いていた方が気分よく仕事出来ることは分かっていても、2~3日もすると机の上は書類だらけで何があるのかさっぱり分からなくなってしまう。勤め先でも家でも同じだが、家の方がひどい。今日は日曜日なので、思い切って整理してみた。机の上のものを片付けようにも本箱は一杯で押し込むところはどこもない。仕方ないので本棚の中で本が並んでいる上の方に横にして入れた。何とか片付いたがまた2~3日するとぐちゃぐちゃになってしまう。片ずけると色々な書類が出てくる。年金の減額通知など重要なものもあった。同級会の案内で往復はがきによる返事の締切日が迫っているものもあった。全く時間がないわけではないのに整理整頓が後回しにされニッチモサッチモいかなくなくなってしまう。今後はパソコンを開いたりブログを書いたりする前に必ず机の上を整理しようと思う。
2011.06.05
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ギンバカゲロウ(コツラ):キク科 コツラ属、南アフリカ原産、花言葉「失われた希望」「はかない恋」サンデーモーニングを観た。寺島さんはいつも適切な意見を言ううので尊敬していたが、今回は見解が浅いなと思った。出席者の大半は今回の管降ろしは時期もいけないし大義もなく、国民のためと言うより別の動機で動いており、嘆かわしいと言っていたが、寺島さんは管総理に指導力がなく、決断力もないと批判していた。そういう面があったとしてもそれを今あげつらって首相交代の大騒ぎをすべき時であろうか?野党が時期を弁えず、いやこの時とばかりにこの時期をチャンスとして攻撃してくるのはやむ負えないとしても与党民主党内で鳩山前総理などが「辞めると言った、うそつきだ」などと攻撃するのは国会議員として恥ずかしい行為だと思う。政治にはかけひきはつきものである。裏取引した内容を公の場で発言するのは総理の人格を毀損するだけでなく、自らがいかに人格未熟者であるかを露呈しているようなものである。管総理を降ろして具体的に誰に総理になって貰いたいかも念頭になく、ただ管降ろしだけをしようとしている人達の成熟度を問いたい。次の総理に誰がなるか分からないが、並大抵のことではない。人を批判することは簡単だが、自分でやってみてどんなに大変かが分かる。その時投げ出す人が今までは多すぎた。批判されようが大風がこようが後ろ向きにならずに突き進んでくれる人を期待している。こう述べている私も鳩山さんや寺島さんを批判している訳だが、批判する権利は誰にでもあると思う。問題は批判したその人間が相手以上の責任感を自覚し、その立場に置かれた時責任ある態度と精神が保てるかをきちんと自覚しているかが問題だと思う。人を批判するならまず自分がその立場でやってみてどうなのかを充分認識したうえで批判してもらいたい。それが人を批判する時の鉄則だと思う。
2011.06.05
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チドリソウ(千鳥草):キンポウゲ科デルフィニユウム属、ヨーロッパ、北アメリカ原産、花言葉;陽気、軽やか今日勤めの帰りにゴルフ練習場に寄ってきた。ゴルフをしない人からみると止まった玉を打つのに何回も練習場に行きそれでも真っすぐに打てないなんて信じられないと思うかもしれない。何事もそうだが、外からみると馬鹿な奴らだ、能力のない奴らだと思えてもいざ自分がやってみると中々難しいものである。私も時々練習場で打って見るが真っすぐ飛ぶ方が珍しいくらいで曲がったりチョロチョロ転がったりしてしまう。我ながらいかに能力のない人間かと思ってしまう。ところが今はインターネットという何でも教えてくれるツールがある。安藤秀さんと言うプロが壁の作り方、体の回転の仕方などを教えてくれていた。今日はその教えに基ずいて玉を打ってみたら真っすぐ飛ぶし飛距離もグンと伸びた。自分とは別人の感じがした。基本を理解していなければ何回練習場に通っても同じである。今まで何でこの当たり前のことを知らなかったのだろうと思った。スイングする時は腰を一緒に回す。しかも手の動きに先んじて腰を回す。それによって結果的に壁を作ることができるのだ。安藤秀さんに感謝すると同時にインターネットにも感謝する。
2011.06.04
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ツル性のミニバラ:夢乙女朝起きた時、家内が「花を植えてある鉢が汚いので花が映えない」と独り言なのか私に買いにいけというのかわからないが呟いていたので、私は自分の感じたまま「鉢など古い方がいいのだ、苔むした方が趣があっていい」と言ったら冗談かと思ったのか嘲笑われた。人の感じ方は全く違う。私には鉢を綺麗にしなければならないという感覚は全くない。新しい鉢を買ってまだ使える鉢を庭の片隅に積み上げておく方がずっと見苦しい。古くも新しくも使える鉢は勿体ないので使ってもらいたい。花が綺麗であればいいので、鉢を綺麗にしたら花が目立たなくなると思ったりする。家内は真反対に考えている。綺麗な花は古ったらしい鉢でなく綺麗な鉢でなければならないと考えている。お互いに考え方の違う相手を馬鹿ではないかと思う。でも結局家内は車の運転が出来ないので私が運転して買いに行きまだ使える鉢を積み上げたり捨てたりすることになる。情けないのかそれでいいのか分からない。人生もっと大きな問題がいっぱいあるので、こんなささいなことでは言い争いしないでいようと思うが不合理だと思うこともある。
2011.06.03
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ホタルブクロ:キキョウ科、原産;日本、中国、朝鮮、花言葉;誠実、正義、忠実未曾有の大震災の復興に当たっている時に、不信任案等を出してる場合かと憤慨していた人が大半だと思うが、実際に提出された。そして結果は震災対策に一応のめどがたった段階で身を引くとの首相の言葉が功を奏して否決された。秘訣は当然だが、このような時に権力闘争や内部抗争をしている時間などないことに気づかない国会議員が多くいたことに失望した。これを機に災害復興により真剣に取り組んでもらいたいと思う。がれきを海に捨てて埋め立てや防波堤の建設の一部にすべきだとの意見があるが、早急に検討してもらいたいと思う。
2011.06.02
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家内が昨年友人から一枝のバラをもらってきて挿し木をしたものが今年このように見事に花開いた。その途中の手入れのことは知らないが見事な花も其の最初は挿し木から始まることを知った。今年も玄関にツバキを何本か挿し木している。来年はこのバラのように咲くのであろうか?家内は花を好きで腰痛持ちなのに重い植木鉢をエッチラオッチラ持ち運んだりしている。重いものを動かす時は言ってくれと言ってあるが私に悪いと思ってか自分で動かしてしまって、後で腰が痛いと呻いていることもある。それはともかく、1年間愛情込めて手入れをすれば元々数センチの小さな枝も生長してこのような美しい花を咲かすのである。遺伝子的には親枝と全く同じなので頂いたのと全く同じ花を咲かせてくれる。仕事や、芸術、スポーツなどで一花咲かせようと多くの人は努力している。挿し木のように1年で結果の出るものもあれば数年かかるものもある。いずれにしても水をやったり暑さ寒さ凌ぎなどをしていれば決まった年月がくれば花が咲くのである。私たちの挑戦も必ずいつかは花咲く時が来ることを信じて水をやりながら頑張ろうではないか!
2011.06.01
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