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昨日お話した立待岬の写真と、先日ご紹介した石川啄木が好んで散策したと伝えられている大森海岸の写真をご紹介しますが、まずは海について少し書きたいと思います。
海と言えば、エルトゥールル号の話を思い出します。大阪の大学時代、夏休みに先生の実家にみんなで遊びに行った時のことです。
先生の実家は和歌山なんですが、そこでエルトゥールル号の遭難碑が建てられている場所を見学しに行きました。
エルトゥールル号の遭難事件はこちらをご覧いただきたいのですが、
簡単に概要をお話すると、明治時代のある日、和歌山県の串本沖でトルコの大型船が嵐のために沈没し、約600人が行方不明となりました。
そのうち、助かったのはわずか69名。
その時、地元の村民は、総出で救出された人々の介抱にあたったそうです。
Wikipediaによると、
「この時、台風により出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリ すら供出するなど献身的に生存者たちの回復に努めた。この結果、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され生還することができた。」のだそうです。
この時のエピソードがすごくて、寒さのあまり今にも死にかけている人々を救うために、村民は人肌で、体温のあたたかみで人々を温め、その甲斐あってなんとか69名を助けることができたのだとか。
(この辺のエピソードは、こちらのURLにくわしいです。 http://www.locopoint.net/love_peace/ertugrul.html )
この話には後日談があって、事件から約100年後のイラン・イラク戦争の時のことです。
「そのエピソードとは、イラクのイラン上空の航空機に対する無差別攻撃宣言に対し、
イラン国内に取り残された日本人が自衛隊の海外派遣不可の原則のために自衛隊機による救援を受けられなかったうえ、
日本航空の組合の反対により日本航空機による救援もできないという危機的状況での出来事で、
このとき、イランの日本大使館の野村豊大使がトルコ大使館のビルレル大使に窮状を訴えると、
大使は「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」と答え、
大使の要請を受けて派遣されたトルコ航空機によって215名の日本人全員が救出され、無事にトルコ経由で帰国できた」のだそうです(Wikipediaより引用)。
人間というのは、どこで助けられるかわかりませんね。
それが、自分達の代ではなく、自分の子、孫、ひ孫の代に、自分達がしたことによって助けられるということもあるんですね。
これは、いわゆるスピリチュアルなことにも通じてきます。
善行、陰徳を積むことが、巡り巡って自分に返ってくるという霊的事実です。
当然ながら、その逆もまた然りです。
シルバーバーチなんかは、これは自然法則だと言っています。
できることなら、善行を積んでいきたいですね。人間として。
<立待岬にて>



<大森海岸にて>





遠くに見える山は、函館山で、左端が上でご紹介した立待岬です。
昨日ご紹介した神社も立待岬からわりと近いところにあります。
あの神社の御神体は、函館山全体なんでしょうね。