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興味深いコメントをいただきましたのでこちらでご紹介したいと思います。
>数カ月前ポジティブ信仰マンと出会ったことがあります。物事をポジティブに考えるかネガティブに考えるかどちらかと訊かれ、物事にネガティブもポジティブもない、大事なのは真実を見る心を持っているかです、と答えた覚えがあります。二元論では何事も表裏一体。
ポジティブ信仰者の心には常に不安感があり、そこにつけ込んだ商売は数多くありますね~。古今東西変わらない人間の心のクセが脈々と受け継がれているように思います。
なぜなら、二元性の枠内から逃れられないという現実を直視されておらず、ポジティブ、ネガティブという人間的な見方(人間なら誰もがしてしまう見方)そのものを否定されているからです。
ポジティブな見方、ネガティブな見方というのは、人間であるかぎり確かに存在しています。なぜなら、我々は「人間をやめることはできない」からです。二元性の枠内で物事を把握するというのは、人間的なものの見方から生まれてくるものだからです。
だからこそ、バシャールやセスなども、ポジティブ、ネガティブという人間的な見方が存在する前提で、「できるだけポジティブに。」と言ったり(バシャールの場合)、「善か悪かいずれかをとるかと言われれば、もちろん善をとったほうがよい。」(セスの場合)と伝えてきているわけです。
彼らは少なくとも我々よりははるかに進化した存在ですが、我々の置かれた立場に合わせてそういった見方をあえてしてきているわけです。まずは、我々が二元性の枠内で生きていることを素直に認めることが必要なんだと思うんですね。
すなわち、まずはポジティブ、ネガティブそのものを素直に受け入れることが大切なように思います。
その上で、ポジティブな部分だけに偏らずに、ネガティブな自分自身を見つめてそれを許していきましょうと。それが、ポジティブとネガティブの統合へと向かうには必要なのではないかと思うわけです。
あと、ポジティブ信仰の人が常に不安だとおっしゃっている点も、私は疑問です。
ぶっちゃけた話、私にはポジティブ信仰のバシャールが常に不安だとは思えないからですよ(笑)。
バシャールは地球人ではないから同列には考えられないという批判がきそうですが、ここで言いたいのはそういうことではなく、
ポジティブ信仰=常に不安である
ということには、かなり論理の飛躍があるということです。
というか、直接的な関連性はない気がします。
なぜなら常に不安だからポジティブを意識しているわけではないからです。
(ちなみに、ここでいう「不安」を別の言葉で言い換えれば「ネガティブ」になるでしょうね。つまり、これだけを見ても人間である限り二元性を完全には払しょくできないことがわかります。)
しかもポジティブ信仰の人が常に不安だと言いきってしまうと、まるでポジティブを意識されている方だけが不安感を抱えているかのような誤解を与えかねないですよね。
不安というものも、人間なら誰しも大なり小なりある、少なくとも今まで生きてきた中で誰しもあったはずのものなので、取り立てて問題にする必要はないように思いますけどね。
つまり、ポジティブ信仰=常に不安=悪いこと、
というこの図式自体ちょっとおかしい気がしますね。
不安など誰にでも多少はあるものですから。
人によっておかれた状況は様々ですから、困難にまさに直面されている方の場合、不安感を感じたとしてもむしろそれは当たり前です。
大切なことは、不安感を感じていたら、それを見つめて、「大丈夫だよ~」と自分を許して愛していく作業のほうだと思いますけどね。
ありのままにみつめるというのは、そういうことではないかと思うのです。
また、スピリチュアルな商売において、ポジティブ信仰の人を狙い撃ちにしたようなものが存在するというのも、私としては初耳です。
繰り返しますが、常にポジティブであることが悪いことだとは私は思いません。
ただ、それだけでは不十分だということです。
すなわち、ありのままの自分をみつめてはじめて、自分自身が生み出してきた負の部分を手放し、二元性を解消する道(アセンション)に向かうことができるのではないかと思うのです。
そのためにも、自分が置かれた状況というものを素直に認めることがまずは大切な気がします。
すなわち、我々が今、人間として今ここに生きているという事実です。言い換えれば、我々は二元性の枠内で生きているという事実です。
まずは素直にこれを認めたうえで、ポジティブ・ネガティブといった二元性の統合化を目指していくことが大切なのではないでしょうか。