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以前から思うのは、ヘミシンクで見る映像というのは、例えば太陽系の惑星なんかもそうですが、実際に見る映像と非常によく似ている場合があります(もっとも、これは個人差がありますからご注意ください)。
1年以上も前に盛んに私がルシアさん達と共同探索を毎週していた頃は、私達の体験が非常に「まれ」な体験の連続でしたので、唯一の検証方法は仲間うちでの互いの体験の比較ぐらいでした。
ところが、時間がたつにつれ、様々な他の方々、特に最近では伊勢白山道さんやKagariさんを知るようになり、そのブログを拝見させていただくと、体験当時は空想だと思っていたことがまんざら的外れでもないと分かってきました。
こういったことは、最近のムー大陸・邪馬台国の話や、卑弥呼の話なんかでもそうです。
私は、自分でヘミシンクで体験してから、あとで他の方の情報と比較するという作業を徹底して行ってきました。
ですが、後日の検証でとても偶然とは思えないような体験の一致がみられるのです。
ちなみに、伊勢白山道さんやKagariさんのブログを読み始めたのは、今年の春からです。
ヘミシンクで共同探索なんかをされたことがある方なら分かると思いますが、体験の一致というのは、たいていは同じような服装の人や物を見たとかその程度の一致だけであることが多く、それ以上の高度な情報の一致というのは、ほとんどありません。
ですが、今までの私のブログの特に日本神界のところと、たとえば伊勢白山道さんのブログとを比較させていただくと、大変に興味深いことがわかってきます。
全く別の人間が、同じようなことを語っている部分が少なからずあるからです。
先日の伊勢さんの記事にも大変驚きました。レイラインの話です。
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20100915
最近私がお話している出雲から奈良を経て伊雑宮へと続くアマテラスの神気の流れの移り変わりと、伊勢さんが重要だとおっしゃる、北京から朝鮮半島を経て出雲を通り、奈良の三輪山を経て伊雑宮へと通じるレイラインがぴたりと一致していたからです。
しかも、北京から始まっているというのが重要だと感じます。
太古の神気の流れというのは非常に複雑でして、もともとは日本で生まれたものが中国に伝わり、それが逆輸入のような形で日本に伝わってきていた時期があったと感じられるからです。
加えて、最近思うのは、そういった外見的な情報の一致も興味深いですが、それ以上に重要なのは、伝える中身なのではないかということです。
私の場合特に、メッセンジャーとしての役割に徹することが重要だと考えています。
ですから、建前としては、すべての内容は私自身の見解として書いていますが、実はそうではなく、最近のブログに顕著なのは、高次からのメッセージを「書かされている」という側面です。
もちろん、私は自分で記事を書いているという感覚ですが、実は高次からのメッセージを降ろしている場合が少なくないということです。それがいいか悪いかではなく。
特に最近は、自分のためだけにブログを書いていません。
自分のためだけならほぼ毎日ブログを書くなんてことはしませんし、だいたい高次からのサポートなしには、ここまでネタが尽きることなく続けられない気がします。
でも、これからも、私に何らかの役割が与えられている限り、ブログを書いていきたいと考えています。
特に、神社に行ってカタチだけ参拝することに終始するのではなく、「その内奥にある部分」にご注目ください。
それは、「神前に向かうことは自分自身の神性な部分と向き合うことに等しいのだ」ということです。
すなわち、神前に向かうことは、自分自身を見つめることほかなりません。
ぜひ皆さんも、伊勢神宮あるいはお近くの神社に行かれてご自分の内面を見つめてみてください。
神性な神気にふれてみてください。
ご自分の内にある神性な部分を感じてみてください。
神性さを発揮することは、大それたことではなく、日常生活の中にあります。
日常生活における人と人との触れ合いの中で、喜怒哀楽を発揮し、生かされていることに感謝してみてください。
それがどんな生き方であっても、神性さを発揮できることであれば、それはその人にとってかけがえのないものです。
自分のために生き、他人のために生き、日々の生活の中に喜びを見出してみてください。
喜びだけでなく、慈愛、思いやり、やさしさ、直観的な創造性、英知、ユーモア、好奇心・・・
日々の生活の中には、そういった神性さの発揮へのチャンスがあふれています。
そしてそれらは、生かされていることへの感謝から始まります。
それは「感謝行」が他人を評価すること(自分でなく他人ばかり見つめること)から抜け出す最も有効な方法だからです。
最も強力に内在する神性な部分に目を向けさせます。
相手とのやり取りの中に、神性さを「鏡」として見出せるか。
そういった瞬間瞬間での気づきは、すべてを変容させる可能性があります。
「今ここ」での気づき、その積み重ねこそが、未来の自分を創っていくのですから。
楽しんで生きましょう。




