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物事を始めるときややめる時には、決断力等を含めた勇気が必要なことがあります。
今日思いついたのは、スピリチュアル的にみた「勇気」の持つ意味についてです。
勇気について思い当たると言えば、ドイツの詩人ゲーテの言葉です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%86
彼の言葉で次のようなものがあります。
「財貨を失ったことは僅かを失ったことだ。
気を取り直して新しく手に入れなければならない。
信頼を失ったことは多くを失ったことだ。
再び得るには多くの努力が必要だろう。
勇気を失ったことはすべてを失ったことだ。
もはや埋葬されるしかないだろう 。」
ゲーテが言いたかったのは、たいていのことは、いつだってやり直せるのだから、まずは決断し、行動しなさい、そうすれば道は開かれるだろうということなのかもしれませんね。
ゲーテとほぼ同時代に生きた芸術家で、まさに勇気を象徴する人物に、ベートーベンがいます。
ベートーベンは、人生のある時期に、音楽家にとって死に等しいともいえる難聴(なんちょう)の病にかかりました。
Wikipediaによれば、
「20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり)が徐々に悪化、26歳の頃には中途失聴者となる。
音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』を記し自殺も考えたが、
強靭な精神力をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意思を得て新しい芸術の道へと進んでいくことにな」ったとされています。
そして、40代になると難聴が悪化しほぼ耳が聞こえない状態になったようですが、
日本で非常に有名な交響曲第9番(第九)をはじめとする数々の傑作が生み出されたのだとか。
すごいですね。
耳が聞こえないのにどうやって音楽を生み出せるのでしょうか。
想像を絶します。
ベートーベンの残した交響曲第五番「運命」にまつわる話でこんなものがあります。
あるとき、弟子の一人がベートーベンに、「先生、出だしのダダダダーンは、何を表しているのでしょうか?」と尋ねると、
ベートーベンは、「それは、運命が扉をたたく音だ。」と答えたそうです。
つまり、その当時、ベートーベンは、作曲家にとって致命的ともいえる耳の聴力を失いつつある感覚を「観察しながら」、それを曲にしたのです。
なんともすさまじい精神力ですね。
真っ先に目をそむけたくなるような部分に自ら焦点を当てて、困難をばねにして逆に傑作を生みだすんですから。
現代人にとっても、ベートーベンの生き方に見習うべきところは多い気がします。
ベートーベンだけでなく、この当時出現した作曲家の中には、人生においては苦難の連続を経験しつつも、たぐいまれなる作曲を続けた人が多いです。
たとえば、モーツァルトなんかもそうです。
ある意味、苦難という「闇」を曲という「光」に変えたのだと見ることもできるように思います。
セスのいうように、これらのたぐいまれなる作曲家が多次元的能力に精通していたということはあったにしても、
苦難に満ちた人生において、それをものともせずに数々の楽曲を残し続けたという点は、今の私達からみても生きる希望を与えてくれるように思います。
ましてや、死後200年近くを経てもなお、我々に曲を通して生きる希望を与え続けているわけですから、霊的にみても人類に対するその功績には計り知れないものがあるように思います。
魂に根差した行動には、勇気が含まれているように思います。
それは男性・女性を問いません。
そして、その勇気は時には、他の人にも生きる希望を与えてくれます。
これも一つの神性の表れといっていいと思います。
人生においては、新たな決断を迫られることがあります。
それは、ベートーベンが直面した勇気の数百分の1にすぎないかもしれませんが、ある意味において勇気が必要となります。
そして、そこには、その人にとっての神性さが表れているように思います。
そうやって人は生きていくんですね。
ゲーテの残した「勇気」の詩をきっかけに、ふとそんなことを考えてみました。
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