PR
Freepage List
Calendar
生きていることの喜びは、目に見えません。
しかし、確かにその存在は心の動きとして感じられます。
そして、スピリチュアル的にみれば、生きる喜びとは私そのものだと言っていいように思います。
なぜなら、それは神性の表われにほかならないからです。
魂には、本来一切の拘束はありません。
拘束があるのは(あると感じているのは)、他でもない、自分自身で作り出しているからです。
だから、自由に生きたらいいんだと思います。
誰の人生でもない、自分の人生なんですから。
ある「ことば」を人に投げかけ、それを相手が受け取り・・・そうやってコミュニケーションが成立していきますね。
ですが、コミュニケーションの手段はこれだけではありません。
思いやり、慈愛、やさしさ、そういったものを行為を通して投げかける。これもコミュニケーションなんだと思います。
それはまさに、本来の私達のあるべき姿です。
私達は、究極的には愛そのものとしての本質を持っています。
愛とは生きるエネルギーです。
生命の喜びです。
それは理屈ではなく、心の奥底からの衝動によって行われます。
どんな小さな思いやりでも、それは人としてかけがえのないものです。
私達は、そうやって生きてきました。
そして、これからもずっとです。
