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現代社会では癒しを求める人が増えてきているように思います。
それは、社会全体がある意味の転機を迎えつつある前兆でもあります。
一人一人が自分の魂に素直になりつつ、個が全体の一部であるという意識を取り戻していく時代への前兆です。
そういった背景における「癒し」です。
一般に癒しを求めるというのは、与えられることを指します。
「自分が」癒してもらうのだ、と。
しかし、スピリチュアルな見方からすれば、これでは全体像を示していません。
癒しとは、自らが癒しつつ自らも癒してもらうというセットになっているのが実情です。
なぜなら、そういった相互関係こそがこの宇宙全体の実相であり自然法則だからです。
ですから、自分が「癒してもらいたい」と思うのであれば、まずは「自分が」癒すのです。
そこになぜ?とか余計な理屈は不要です。
シルバーバーチは依然、何事も動機が大切だと言ったことがありました。
何かの行為をする前提となる心の内、動機の部分です。
もちろん、それはそうだとは思うのですが、上の文脈で言っているのは、与えればそれがめぐり巡って自分に返ってくるのだという因果律について述べています。
みなさんも、人生の中で思わぬ好転がしたことがある人がいるかもしれません。
私なんかもそうです。
スピリチュアル的にみれば、それらは決して偶然ではなく、与えた分だけ幸福が返ってきているのだという見方が十分に可能です。
ただしそれは、物質的な価値観における幸福だけではありません。
その人の人生において、トータルな視点からみてプラスとなるものすべてが含まれます。
ですが、全体としてみれば、その人自身にとってみても、確かに人生が好転していると感じられることでしょう。
怪我の功名なんていうことわざもありますしね。
人間万事塞翁が馬、なんていう故事もあります。
しかし、その根底には、日々の生活におけるものの考え方や心の持ち方に人生好転の秘訣がありそうです。
一言でいうとそれは、感謝想起、これに尽きるように思います。
物質的な幸せを求めても限界があります。
いくら金を持っていても、精神的に貧しい人もいれば、お金がなくても精神的に裕福な生活をしている人がいます。
感謝想起というのは、そういった最も根本的な精神状態にまでさかのぼって、その人なりの幸福感を導くことができるものだと思います。
自分自身の内面を見つめそこに神我を見出し、また他人とのかかわりの中で日々生活をしている時には、他人の行為の中に神我と見出します。
他方で、自分が今ここにいるだけで幸せなのだという基本的価値観を感謝想起によって呼び起こします。
その「思い」から生じた波動は、自分に伝わり、他人に伝わり、世界全体へと広がっていきます。
たとえそれがどんなに希薄に思えたとしても、確かにそれはどこまでも伝わっていくのです。
自分が認識できる世界というのは、そうやって形造られていきます。
どこか素晴らしい世界が自分とは別にあって、そこに頑張れば移行できるというのではなく。
自分にとっての幸せというのは、最初から自分の心の中にあるというのが真相です。
それを現象世界に投影してみて認識します。
そのような認識のもっとも根幹部分にかかわってくるものが、感謝想起なのです。
自分が与えたものがめぐり巡って自分にかえってくるという法則も、それと密接にかかわってきます。
癒されたい方。
自ら癒してみてください。
それこそが、あなたの求める癒しなのですから。
