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ことばにならないかすかな印象をことばに変換している点があることをご理解ください。
ことばそのものに特別な意味はありません。
感覚的に感じ取ってみてください。
私が再びバシャールとコンタクトを取ろうとすると、どこからか「自分自身を見つめなさい。」という印象が返ってきました。
そこで私は、自分自身を見つめ始めました。
すると、見えてきたのは、4,5歳くらいである自分自身のすがたです。
自分とは、なんと幼いのかと思いました。
しばらく私はずっと自分自身の内側に意識を向けていました。
光を求めて何かを探し続けていたのです。
ふと自分自身の姿を振り返りました。
すると、自分が菩薩の化身のような高貴に満ちた姿をしているではありませんか。
今の自分よりもはるかに意識が拡大した状態です。
でも、次の瞬間、人間の姿が現れました。
その時思いました。
そうか、菩薩も人間としての体験を求めて、たくさん今ここに誕生しているのだなと。
本来我々は、菩薩と呼ばれる高貴な存在と一体なわけです。
我々が今ここに存在していることそれ自体が、菩薩として存在して体験を積んでいる状態なのです。
体験とはそれぐらい貴重なものだという話です。
でも私は、私という存在はあってなきがごときものであることにその意識状態下では感じていたので、そのことの意味について深く探求したいと思い始めました。
それについて深い回答を得られる存在は・・・
私には、自分自身の別側面であるブッダに回答を求めるのが適切だとなぜか思いました。
ずっとブッダにフォーカスしていきますと、光り輝く中に人らしき姿が現れてきました。
いわゆる仏像とは似ても似つかぬ姿です。
私には表情しか見えなかったんですが、私には日本人に見えました。
インド系の顔ではなかったです。
30代くらいの、悟りに到達した直後を思わせる若い姿でした。
ブッダはいまどこにいるのかを聞いてみました。
すると、ブッダは今、8次元~9次元に存在しているように感じられてきました。
ですが、ブッダ自身にその答えを求めると、こんな感じです。
ブッダは、いかなる領域にも存在している。
様々なところに、空気のように溶け込んでいる、のだとか。
ブッダは今、何をしているのかと聞いてみると、こんな印象が返ってきました。
「あなたとともに生きている。」
ブッダによれば、ブッダはいかなるところにもあまねく存在していますから、当然、一人一人の人間の中にも存在しているわけです。
それで、私達が生きているときに、同時にブッダも私達を通して生きている、言葉にするとこんな感じです。
印象としては、人間だけではなく、生きと生けるものすべてを通して、ブッダは生きている、そんな印象がありました。
あと、次元の話が先ほどでましたが、私はバシャールから言われたことが気になっていました。
それは、今の人間が7次元にいる存在までしかコンタクトがとれないということです。
それに関する印象をブッダに投げかけてみると、私はその時、確かに7次元においてブッダの意識と交流していたのですが、どうやらそれは、私の高次が間に介在して、さらなるう高次元の領域と交流を図っているような状態だったみたいです。
ブッダは言います。
7次元とは、はじまりにすぎないと。
次元というのは、そこからずっとかなたまで続いているのだ、そんな印象が返ってきました。
ブッダはあるがままに生きることが大切だと言います。
でも、それはいったどういう意味なのか?
ブッダは言います。
あるがままに生きるとは、あなたそのものであるということだと。
あなたそのものであることが、あるがままであることなのだと。
あるがままであること=生命そのものといってもいいでしょう。
いかなる脚色をも必要としない、それ自体の姿です。
また、求めないことだとも言われました。
何かを求めているうちは、あるがままではありません。
あるがままであることとは、求めないことなのだと。
ブッダに、あなたが地球で生きていた当時の教えについての印象を投げかけてみると、こんな印象が自分自身の中心から湧き起こってきました。
我々=ブッダ自身が投げかけてきた印象と言い換えてもいいです。
「・・・そんなちっぽけなことはどうでもいい。
真理は我々自身の中にあり、これからは、我々一人ひとりがブッダとして生きる時代なのだから。」
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