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非物質的な情報というのは、時として断片的にやってくることがあります。
受け取った情報をどのように理解するか、この辺に一つの難しさがあります。
今回は、古代日本にあったいくつかの王朝の流れについて少し見てみたいと思います。
まずは、今私が住んでいるところからです。
私は今、田舎に住んでいるのですが、目の前に山があります。
小さな山です。
そうですね、標高100mはないくらいです。
初めてここを訪れた時、あの山は古墳ではないかとなぜか思いました。
まあ、なんとなくそう感じたわけですが、最近、偶然にも、その山が実際に古墳であることがわかりました。
全くの偶然に、古墳の入り口であると書かれた標識を見つけたのです。
古墳は山の稜線(りょうせん:山の高いところを結んだ線)沿いにあるらしく、全部で9基あるとのことでした。
つまり、目の前に見える小高い山全体が古墳だったわけです。
早速私は、その古墳の入り口から山に登っていきました。
階段はあるのですが、結構な急斜面を10分くらいかけて登ると、頂上に着きます。
そこに、3基の古墳がありました。
のちにリーディングしたところ、「593」の文字が見えてきました。
古文献にある年代とかなり符号していました。
この古墳は、6世紀後半から7世紀前半にかけて作られたもので、もともとこの山の頂上には祭場が作られていたようです。
祭場主は女性で、名前は私には「伊与(イヨ)」と読めるような文字が見えました。
女性の服装は、日本風ではなく、どちらかというと古代中国を思わせるような色合いでした。
赤、緑、青、黄、など、色とりどりの装飾が施された服装をしています。
当時のこの一帯は、200~300ほどの集落を形成していたみたいです。
人々は農耕が主体の質素でつつましやかな生活をしていたみたいです。
その地域一帯を治めていたのは、先ほどの女性だったみたいですが、それほど中央集権的な権力は持っていなかったと感じます。
占いというものを非常に重視し、農民の生活に不可欠な天候などあらゆる出来事を占いによって占い、それを生かしつつ、この地域の人々は暮らしていたと感じます。
どちらかというと、この地域を治めていたというより、みんなから頼りにされていた存在、そんな印象があります。
女性の一族は、約7代にわたって(約150~200年くらい)この地を治めていたようです。
さらに視点を広げていきますと、当時(今から約1400年前)このあたりには小規模な似たような集落があって、各地に点在していたみたいです。
さらに視野を拡大していきますと、出雲の印象が感じられてきました。
出雲は古代の日本において別格であり、「神代から続いていた」という印象がやってきました。
神代っていつだろう?と探っていくと、紀元前4~5世紀辺りを指しているみたいです。
年代を探る方法にはいくつかあるんですが、今回は以前ご紹介した、ものさしを使う方法です。
紀元前0年を第三の目に固定します。
そこから左のほうが紀元前、右が紀元後です。
探りたい年代を思います。
すると、特定された後の年代が紀元前0年だった位置に現れてきます。
話を戻すと、出雲王朝は古く、日本の王朝の歴史では別格的な存在だったみたいです。
そうかといって、それほど大規模な地域にわたる支配というのは感じられず、いわゆる出雲のあの辺り限定だったように私には感じられます。
なんとなくですが、この当時の出雲の王朝には神々しさが漂っています。
さらに視点を広げていき、私は大和王朝や伊勢、さらにはムー大陸とのかかわりについても探っていきました。
すると、まず大和ですが、紀元後2、3世紀あたりに栄えた感じがあります。
特に印象に登ってきたのは、「二ギハヤヒ」、そして「物部氏」です。
二ギハヤヒについては、以前過去の記事でお話ししたことがありました。
いわゆる大和王朝は、この二ギハヤヒとなんらかのかかわりがあったみたいです。
ちなみに、二ギハヤヒは人格神すなわち、実際に過去に人間として生きていた人物が神格化された存在です。
あと興味深いのは、大和王朝と物部氏とのかかわりです。
物部氏についても、以前ニギハヤヒの記事あたりでお話ししたことがありましたが、今の天皇家とも深いかかわりがあるとされている一族です。
最後に伊勢すなわちアマテラスについてみてみると、紀元後4,5世紀あたりの印象が強く感じられます。
あくまでも私見ですが、この時代にアマテラスが生み出されるなんらかの歴史的要因があったのかもしれませんね。
余談ですが、この辺の情報をリーディングしていますと、白色と銀色とが混在した神々しい光の柱が見えてきました。
それはもう、出雲王朝の神々しさの比ではありません。
この地はどこなのだろうかと深く見ていきますと、今の伊勢神宮の外宮のあたりのようです。
これはもう、人間だけの関与ではなく、より大きな地球意識レベルの関与を感じました。
神々しさが並みではなかったです。
さらに日本全体に視点を広げていき、他の注目すべき王朝を探していきました。
すると、幣立神宮や、伊勢の伊雑宮(いざわのみや)、東北地方にあった縄文文化、四国にあった王朝が見えてきました。
これらの起源は古く、古代ムー大陸にまでさかのぼります。
時空の連続性があるのかどうか(かつて私はないと言いました)はともかく、意識の起源は古代ムー大陸にあり、複数の地域に同時期に文化が伝播して、その地域に継承されていったみたいです。
なお、四国にも、一般には知られていない、ムーから引き継がれた王朝があったみたいです。
何らかの理由でそれらは多次元的にも封印されていると感じますが、これから時代がすすむにつれ明らかにされていくでしょう。
多くの人々がいて、我々が今ここにいます。
どの時代の人々も、我々と同じように現実世界に直面し、その時代を生き抜きました。
我々はどんな時代を生き抜くのでしょうか。
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