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>文章にして表現した事によって、
本当はスムーズに変化していける所を、
表に表現した事よって、訂正する事に葛藤を感じるような感覚。
今自分が正しいと思っている事も、
1ヵ月後は別なふうに変わっているという事を経験するので、
思想家や哲学者のように、文章に表現するという行為が、
自分の成長にとって、足枷になるのではないかと考えたりもします。
だって凄い労力を使って自分の思想を1冊の本にまとめて、
公に公開したら、自分の思想を変えるのは葛藤を生むでしょ。
有名になって、優越感は得られるかもしれないけど、なんと生き苦しい事か。
諸行無常的な感覚からすると、自分の思想を書き表す事自体、
自然の摂理に反しているような気がするのです。
レイキヒーリングがネガティブだとかポジティブだとか。
レイキヒーリングがネガティブであり続ける事も、
ポジティブであり続ける事も不可能なんじゃないかなと思うのです。
高次が高次であり続ける事も、低次が低次であり続ける事も。
日本の天皇家がシリウスと深い関わりがあり続ける事も。。。
「日本の天皇家がシリウスと深い関わりがある」と書かれていれば、
ふ~んそうなんだなあと信じてしまいます。
ただ、それを信じ続ける事は依存的というか狂信的という事のようにも思えるのです。
諸行無常的な視点からすれば、この信じ続けるという事は自然の流れに抗っているようにも思えるのです。
「日本の天皇家がシリウスと深い関わりがある」事を信じれば、
「日本の天皇家がシリウスと深い関わりがない」という意見は異端でしょ。
そんな分別された世界を私のハートは望んでいないのです。
私は、自分を表現することで(つまりブログを書くことで)葛藤は感じません。
公にさらすことで別に優越感もないし、息苦しさもないです。
ですから、言いたいことはわからなくはないですが、それは他人の宿題ですよ。
そもそも、生きていることそのものが、自分の思想を書き記す行為とも言えます。
そうだとすれば、「自分の思想を書き表す事自体、自然の摂理に反する」ということにはならないでしょう。
また、私が言ったこと(たとえばレイキのこととか天皇家のこととか)で葛藤を感じるようであれば、解決策は簡単です。
葛藤を感じるならば、私のブログを読むのをやめることです。
あなたのハートに従ってください。
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