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私は仕事柄、国語の試験問題の解答を作らなければならなかったりするんですが、出題された文章などを見ていますと、我々は本当に無意識のうちに自分のI/Tメンバーとのつながりや過去生などについて考えているのだなと感じさせられることがあります。
たとえば、こんなのがありました。
ある著名人がエッセイとして書いたものなんですが、その人は普段は講演を良くするらしいんですけど、ある時、他の講演者と一緒にパネリストとして参加したことがあるそうです。
おそらくは、講演者が順番に話していくからなんでしょうか、他の講演者が話している時は暇だというんです(笑)。
それで、自分の時間が来るまで、講演を聞いている人の顔を見ながらいろんなことを考えるらしいんですが、ある時、人の顔を見ながら、自分がもし今とは全くことなる環境に生まれて、性別も異なり、まったく違った人生を送っていたとしたらどうだろうと考えたそうです。
女性で子育てをしていたかもしれないし、また、金持ちの場合もあるだろうし、貧乏な場合もあるだろう。
その日暮らしの生活の中でも、ささやかなことに喜びを見出して生活していくかもしれない。
でも、その日常の中の喜びを嬉々として楽しめたら、どんなに素晴らしい人生だろう。
そんな感じで、要は違った人格を「味わって」いたみたいです。
これはどこか、トータルセルフの中の別のパーソナリティをほうふつとさせます。
実際、トータルセルフ内にいるパーソナリティとは、我々は本来は一体であって、この現実世界に生きている間にも、潜在意識間では常に情報のやり取りがあると私は考えています。
それは、ふとした瞬間に相手の存在に「気付く」ことで知ることがあります。
今はもうしていませんけど、ヘミシンクの練習に瞑想を取り入れていた時には、自分の別側面であると感じられる自分を、私も感じていたことがありました。
もちろん、非物質界のことを言っていますから、科学的・客観的証拠などはなく、ただそのように感じられるということなんですけどね。
それは、たとえば生きている人の想念とは異なっています。
もちろん、他のパーソナリティも、別のどこかで「生きている」んですけどね。
でもそれは、私とは異なる現実世界もしくは次元にいるパーソナリティだと感じられます。
あるいは、うたた寝というか、うつらうつらしている時なんかにもこれを感じることがあります。
ただ、こういう時には、自分の意識状態をコントロールできませんから、妙な次元にも行ったりもしますけどね。
おそらく作家と呼ばれる人達は、かなりの部分、非物質界から情報を得ているんじゃないかなと思います。
象徴(シンボル)として印象を受け取り、それを文章化する際にはその作家の文才というかオリジナリティが発揮されますから、その人自身の作品ではありますけどね。
実際、リチャード・バックの『かもめのジョナサン』なんかは、本人も言っているように完全にスピリチュアルな作品だと思います。
リチャード・バックは、セスのチャネラーであったジェーン・ロバーツとも交流があり、『かもめのジョナサン』が生まれる経緯について本の中に書かれていたりします。
それにしても、去年の冬至を過ぎた後の年末の10日余りの間は、かなり夢見の世界で潜在意識下での交流があったのかもしれません。
私もそんなには覚えていないんですけど、いまだかつてなかった夢の中で示唆的な情報を得るということが、あの期間だけありましたから。
我々が意識できる現実世界はほんのわずかですから、我々はこうしている間にもたとえばガイドなどからいろんな情報を無意識レベルでは受け取っているんだと思います。
たとえばそれがパネリストであれば講演中に、作家であれば執筆活動中に、ヘミシンカーであればヘミシンク中に情報として受け取っているのかもしれませんね。