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前回の日記以後、少々間が空いてしまいましたが。第四回バッチフラワーコンフェランスの第二部で文章で提出された質問の内、私宛のものがあと4通残っています。今週の土日と来週の土日に青山のバッチホリスティック研究会ではBIEP(バッチ国際教育プログラム)のレベル3が開催されており、レベル3に関しては私も去年から講師として参加しています。本日第1日目の生徒さんの中では、1人だけが8月20日のコンフェランス第二部に参加された方でしたが、第二部の私の講演に関しては、「あまりに早口で盛りだくさんの話しであったために理解し難かった」ということと「マイクの関係で会場の後ろでは聞き取りにくかった」という2点をご指摘頂きました。反省して今後の参考にさせて頂きます。また、バッチホリスティック研究会としては、プラクティショナー研修や、より広く、深くバッチフラワーレメディーについて皆さんに知って頂く目的で、今後定期的な特別講義を青山で開催してゆく予定です。年に1回のコンフェランスでは学びきれない内容を企画してゆきますのでどうぞご期待下さい。さて、残りの質問です。(本日は残り4つの内の1つについてお答えします)質問:「暝眩(めんげん)反応」について先生のご意見を伺いたく質問いたしました。よく他の方からも、「どこからが暝眩反応で、どこからが違う反応だと判断すれば良いのか?」と質問を受ける事があります。具体例が思いつかないので、回答されにくいかと思いますが、先生ご自身はどのようにご判断なさっておられるのでしょうか?また、このようなことにまつわる事でプラクティショナーおよびバッチフラワーレメディーを使う人がぜひ知っておいた方が良いと思われる事がありましたら、ぜひ教えて下さい。答え:バッチフラワーレメディーの使用における一番明確な暝眩反応は、レメディーのネガティブな指標に相当する感情状態が、レメディーの服用によって一時的に噴出するという反応です。この場合は、『排出浄化プロセスとしての感情表出』が生じていると考えられます。この際にこれが「暝眩反応」に相当すると判断される根拠の一つは、レメディーを服用した本人が、その変化そのものを「レメディーによって誘発された反応である」と自覚できる事が多いという点にあります。そして、そのような自覚があると同時に、暝眩反応においては、本人の意識的な忍耐の及ぶ範囲でそのプロセスが経過する(終了に至る)場合が多いということも指摘できます。このような反応が生じた場合のための大切な注意点は、『レメディーを服用して生じる変化が(感情の変化であれ、身体的排泄の増加などの変化であれ)自分で意識して耐えられる限度を超えていると少しでも感じた場合には、レメディーの服用そのものを一時中止して下さい』と、クライエントの方にお伝えしておくべきだという点です。バッチフラワーレメディーの服用が引き金になって感情の排泄や身体的排泄が増加した状況の場合、レメディーの服用を中止することで、それらの変化も間もなく消失します。この、暝眩反応からの回復が迅速である点も、バッチフラワーレメディーによる暝眩反応が、漢方薬などを服用した場合の暝眩反応とはやや異なる点だと私は感じています。もう一つの要点は、バッチフラワーレメディーによる暝眩反応は、「レメディーの選択」が掘り下げるようなカウンセリングに基づく場合に生じ易くなり、よりシンプルで表層の感情にだけ焦点を会わせたコンサルテーションに基づく場合は生じにくいという点です。バッチフラワーの安全性と非侵襲性は、レメディーが植物の花から作られるそのプロセスにあると同時に、シンプルなコンサルテーションの中で本人が自覚し、意識化した感情にだけ焦点をあてるという事実に由来しています。その単純さを保つ事が、実はレメディーの最大の効果を引き出す秘訣です。私の医院でのレメディーコンサルテーションでは、他のプラクティショナーの方々の報告と比較してかなり暝眩反応を生じる頻度が多いと感じられます。その最大の理由は、私が患者さんの内部にある問題をぎりぎりの所まで引き出してしまうカウンセリングを行っているためだと認識しています。ただ、幸いな事はレメディーのコンサルテーションだけで通院して下さっている患者さんの中で、今までにおいては「耐えられない」暝眩反応を報告した方はほとんどいないという点です。そして、私のコンサルテーションがそのようなレベル(つまり多少掘り下げるカウンセリングになる状態)で実施されているゆえに、多くの身体症状を伴う慢性疾患に対してもレメディーの有効性を確認できるのだと思われます。バッチフラワープラクティショナーの方々にぜひ実践して頂きたいことは、『自分がコンサルテーションにおいて何を行っているのかを意識するように心がける』ということです。つまり「自分が行っている事が、レメディーについての相談を受けるという単純なコンサルテーションなのか、あるいは、カウンセリングなのか。」「もし掘りさげるカウンセリングをおこなっているのなら、そのカウンセリングがもたらす弊害を、きちんと補う形でレメディーを使用出来ているかどうか。」「自分のアドバイスやコンサルテーション、あるいはカウンセリングが、クライエント自身の認識の速度やプロセスを妨げる形になっていないか。」などを常に意識するように心がけて頂きたいのです。現在の日本では、多くのセラピーが行われ、カウンセリングに関しても百花撩乱の様子ですが、私が知る限りにおいては、多くのセラピーはしばしば侵襲的になりがちで、バッチフラワーコンサルテーションのような安全性と単純性を保つ事が出来ないものが多いのです。その点から言ってもバッチフラワープラクティショナーは、博士の遺した「科学や理論という呪縛から自由になり、これを純粋なまま受け入れることのできる人が、この「神からの贈り物」の恩恵を享受することができます。」という言葉を大切にして、その実践にあたって頂きたいのです。(質問への回答はこのブログでも継続しますが、今後、バッチホリスティック研究会のホームページや、ニュースレターにも掲載してゆく予定です。)
2005年08月27日
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8月20日の第四回バッチフラワーコンフェランスの第二部にはおよそ130人の参加者があり、会場はレメディーについてもっと学びたいという熱気が感じられる良い集まりでした。今回はコンフェランス事務局の予測違いのために、第二部の会場が第一部の会場よりも小さなものとなってしまい、かなりの参加申し込み者を満席のためにお断りせざるを得なかったという事でした。来年からは、今回第二部として行ったレメディーの臨床研究や症例報告、体験報告の部分をより拡大して、今年よりも広い会場を確保する予定です。今年参加できなかった方々も来年にはどうぞお集り下さい。当日会場から提示された質問できちんとお答え出来なかった質問とそれに対するお答えです。質問:精神疾患の患者さんで、症状が快方にむかい、抗精神薬を止めるとき、バッチフラワーとの併用からバッチフラワーのみの服用にするなどした臨床的使用例はありますか?回答:私のクリニックは内科、心療内科、小児科を主な標榜科として開業していますので、原則として明瞭な統合失調症の方や、重篤なうつ病の方はおいでになりません。ただ、本人がご自身の病状を認識できないまま、内科をめぐった果てに当院においでになったり、別の精神神経科に何年も通院しているものの、改善が不十分に感じるということで、精神神経科に通院しつつ、新逗子クリニックにレメディーのアドバイスを求めて来訪されるという事はしばしばあります。現在も実際に何人かの患者さんが通院しておられます。その範囲での経験だけをもとにして申し上げれば、ほとんどすべての患者さんが、ご質問にあるように、最初は『向精神薬とバッチフラワーレメディーの併用』で治療を開始し、比較的急速な回復の後に『最後にはレメディーだけの治療』となり、『治療を終了するか、レメディーだけを継続される』という形になります。ただ、このような患者さんの治療にあたり心得るべき事は精神神経科で「統合失調症」や「うつ病」「躁病」などと診断されている患者さんの場合には、最初は決して抗精神病薬や抗うつ薬を中止してはいけないという点です。過去において通院が継続できなかった患者さんのほとんどが、自己判断でそれらの薬剤を早すぎる時点で中断した方々でした。一方、精神神経科への通院を終了する事が出来た方々もおられますが、それらの方々の通院治療に要した期間は、人により半年から3年、5年の範囲でかなり幅があります。これらの患者さんの半分程度は10年以上の間精神神経科に通院して来た履歴をお持ちですので、その1/3、あるいは半分といった治療期間で本来的な回復に至ったという事になり、私としては良い治療成績だと感じています。バッチ博士は体の病気を自我と魂あるいは、自我とハイアーセルフが争った結果の結実であると語っておられますが、その意味では、精神神経科の疾患も中枢神経という物質レベルに結実した長く深い葛藤の結果だと推定されます。以前の日記にも書きましたが、自分の内部に生じた別の生命体が主人を死なせてしまうと言う点でも、癌とうつ病は良く似ています。どちらも葛藤が物質化した結果だと推定されます。ですから、「物質に対しては物質を」ということで、一時的な火消し役としては抗精神病薬も必要であると私は感じています。葛藤の物質レベルへの噴出を、西洋薬やホメオパシーのレメディーでコントロールしながら、内面の葛藤を『自分の魂の力と導きによって』解消するための手助けがバッチフラワーレメディーだということが言えるでしょう。今回のコンフェランスでは、予定したとおり、『なぜレメディーはこれほど強力な力を示すのか』、『なぜ38種類で完成された体系だと言えるのか』について、私の現在の認識を示しました。30分の講演枠ではとうてい説明し尽くす事は出来ませんでしたので、今後可能な範囲でこの日記でも述べて行きたいと考えています。質疑応答は、また別の日に続きます。
2005年08月22日
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8月20日の土曜、四谷駅前の会場で第四回バッチフラワーコンフェランスが開かれ、何とか無事終了できました。 準備のためにここしばらく日記もお休みしていました。私は講演者の1人として参加しましたが、第二部の会場から寄せられた質問に、短い質疑応答の時間では、ごく一部しかお答えできませんでした。 そんな訳で、明日から何回かにわけて、このブログで、当日お答えできなかった質問に答えてゆきたいと考えています。無記名のご質問もありましたが、もし私の答えをこのブログで読んで、「あ、私の質問だ」と思う方がおられましたら、どうぞさらなるご質問か、ご感想をお寄せ下さい。
2005年08月21日
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断食の真の意味について、スブドのラティハンをこの世界に伝えてくれたバパは以下のように述べている。(バパについては、http://www.bekkoame.ne.jp/~sam/SUBUD/origin.html)『神様は”郵便配達人”に私たちがこの世で生活するのに必要なものを配達させます。例えば、似合いの配偶者、子供、家、才能に合った職業、自分や子供たちの輸送手段(乗用車など)といったものです。配達人の鞄には私たちに必要なものがすべて詰まっています。彼は遅れないように熱心に配達します。しかし、ハートと知性の影響を受けて、私たちは性急にあれやこれやと、止めどもなく要求をふやして、いつも満足していません。そこで、私たちはのたうち回り、周囲に激情の濃霧を発生させます。そのために、配達人は私たちのところに来る道が判らなくなります。神様が私たちに与えようと望まれるのは《天運》です。本当は、私たちには天運こそが起こるべきなのです。人間のハートと知性が低級な諸力(鉱物力、植物力、動物力など)の影響を受け、天運に到達するのに必要な〈神様のご意志に対する全託〉を困難にするので、人間には《運命》が起こってしまいます。そこで、人間の生活が天運ではなく運命に支配されるのです。バパがスブド会員に断食するのを勧めるのは、食欲に支配されていない時には、皆さんの周囲の霧が薄らいで、郵便配達人が皆さんの所への道を見つけ易くなるからです。』ここにバパが述べられた事は、本当に真実です。断食には胃腸を清浄にするだけではなく、私たちのハートと知性に影響を及ぼす低級な諸力からの影響を弱めるという効果があり、その結果、私たちは、私たちの本来の「人間的な願い」を達成する可能性を高める事ができるのです。
2005年08月02日
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人は道徳を他人から教えてもらう事は出来ない。それは霊的認識を人から教わる事が出来ないのと同じである。ただ、認識に至る道を指し示してもらう事が可能であり、その道を歩むかどうかは歩む本人の選択にかかっている。高橋巌先生が訳された『シュタイナー宇宙的人間論』を昨日読み終えた。7月18日に早稲田のフォーラムスリーを訪ねた際に購入した本である。理解する者には、すばらしい洞察を与えてくれる本と言える。その本の最後の章、第12講に霊的、道徳的なものの源泉という段落があり、シュタイナーは前段で『道徳的、霊的なものに対する感情は、ますます背後に退いてしまい、近代文明は、たとえば教育において、ますます外的事情に眼を向けるようになりました。ですから、「いつもはどうなのか」「何が規則なのか」「どんな掟があるのか」「法律はどうなのか」、などと考えます。良心に根差した内的な衝動に注意を向けることはめったにありません。自分で方向と目標を定める、ということは、近代文明の中ではますます少なくなり、その結果、霊的、道徳的なものが、今日では多かれ少なかれ因襲的、伝統的なところでしか生きられなくなったのです』と語り、第12講で次のように述べる。『人間性における道徳的、霊的なものの本来の源泉は、人間の相互理解の上に立てられた人間愛だけなのです。』と。彼は『Oness』の認識だけが人間愛の源泉であると述べているのだ。そして、真の道徳的、霊的な感覚というものは、この認識に由来する「内的な衝動」によるものであり、外部環境や他人によって押し付けられるものではないということもここで明らかに説明している。この後の段落でシュタイナーは古今の秘儀参入者が取り上げたもう一つの重要な命題、『人間の相互無理解と憎悪はどこから立ち現れるのか』についても語っている。それらを、人間の構成要素と、地球領域の構成要素との兼ね合いから具体的に説明している。すばらしい。
2005年08月01日
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