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12月4日(木)前川佐美雄歌集「捜神」(148)著者:前川佐美雄発行:平成四年六月三十日 野極(自昭和二十三年 至昭和二十七年)昭和二十三年(12)贈りもの(6)夜を一夜うなされゐしが朝あけて鳴く鳥聞きぬはかなきものをわかき日の悔しきことのかずかずは神にも言はねけだものどもよわれかくてここに老いゆくほかなしと石よりも白く平たくをりぬ背をむけて否むならねばしばしばも自由のくには面おもはゆきかも新しき生きざまのげにたはやすく野山自在の草のはびこり (つづく)
2025.12.04
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12月4日(木) 与謝晶子の歌(191)(注)歌友である渡辺つぎさんは、平成二十九年九月六日、百六歳六か月にて永眠されました。「伊豆遊草」には、伊豆におけるおける与謝野晶子の膨大な数の歌が収録されています。その中から出来る限り抜き書きしたいと思います。熱海詠草――(14)『冬柏』六巻三号・昭和十年二月海くらし知らぬ他界に囚はれてある初嶋のここちこそすれ雨の音初川のおと傘さして少女の通ふ園の足おと隣して朱に染むと云ふことも無し幾いろの梅雨にひたれど十字架の受難に近き嶋と見ゆ上うへはくろ雲海は晦冥くわいめい (つづく)
2025.12.04
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12月4日(木)歌集「蟲のゐどころ」(45)発行所:(株)角川書店著書:植松法子発行:平成十九年二十五月作者は、わたしが静岡県歌人協会の常任委員のとき副会長をなさっていました。歯に衣着せぬ歌評で、わたしと対立する場面もありましたが、色々勉強させられました。1994年角川短歌賞の佳作に入選されています。 Ⅱ純林(8)囀鳴てんめい(1)葉洩れ日を稚鮎のやうに走らせて春をさらさら流るる歩道雲雀ひとつふいに消えたる中空に囀鳴はなほ煌めきてゐるプランターに育つ七種の香るもの目に楽しみて口に喜ぶ (つづく)
2025.12.04
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12月4日(木)能村登四郎 俳句の楽しみ(抜粋:後藤)(101)発行所:日本放送出版協会(俳句入門)第三章 名句を味わう(11) 忌日をうたう(3)松籟の武蔵ぶりかな実朝忌 石田波郷源実朝は、『金槐和歌集』の作者であり、中世和歌の「ますらおぶり」を起したことでも著名で、毎年、鎌倉で実朝忌が行われています。「松籟」、松に吹く風、またそれが立てる音を詠って、何となく早春の鎌倉を思い起こさせられるという用意があります。(注)実朝は、陰暦の一月二十七日に暗殺されました。(つづく)
2025.12.04
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12月4日(木) 昭和萬葉集(巻十四)(203)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年)Ⅲ(36) 仕事の歌(28)医師たち(2)高橋希人診断のつかぬ患者をかへしたる日暮の部屋の本の金文字長門 莫年々に複雑化し行く診断法開業医一人の限界が来る幕張りて浜に老婆を解剖し二十二年それより広島を見ず熊坂年成照りかげり映さぬ菊の薫りつつわが診療の長き一日胃カメラなどに情熱燃やす日も町医さびつつ淡き哀しみ (つづく)
2025.12.04
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12月4日(木)「幸福論」(ヒルティ)(第三部)(837) 発行所 岩波書店(1935年5月15日)(注)あくまでも、訳にい忠実にしていますがい、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)し孫たちに幸いあれ(16)(前日)(15)人は神の霊にすすんで従う心構えでなければなりません。この霊は人間について多くのことを忍びそして受容れますが、叛逆や、意識的な、あるいは故意の不従順や、卑怯や、なすことが出来るのにしないなどということは、許されません。例えますと、この霊の指揮下に入る場合は、敵や味方の状況を顧みることなく、軍隊式の即座の服従を必要とします。聖霊が命令を下すときは、それを妨げる「事情」などいっさい関知しません。成功するかしないかなど問題にせず、命令にただ従う勇気と決意とを必要とします。(よりつづく) 神の霊に従えば、いったい何が与えられるでしょうか。まず、精神の健全はもとより、常にとはかぎりませんが、身体の健康の増進が得られるでしょう。いずれにしましても、次の三つのものは与えられるでしょう。第一に、何ともいいようのない生の喜び、人間やものごとに対する恐怖からの解放(これは、普通では得られないでしょう)や、地上の幸福の大部分を成している憂いのない境地を得ることです。第二に、興奮をともなわない、一種の火のような熱情と生気を得ることです。これもほかの道では求めても得られないでしょう。第三は、人間に対する力です。世の中で特別の地位に立たずとも個人として権威を有する人が、いつの時代でもいましたように、現代でもやはりいます。そういう人からは、何か生気があふれ出て、他の誰にも従わない人たちさえも、この人にはよろこんで従うでしょう。 (つづく)
2025.12.04
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12月4日(木)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があきります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。信仰の綱わたしは聖人でもないし、義人でもありません。わたしは神様の義を慕う人間であり、神様のたすけや援助を切に求める人間です。わたしの出来ることは、ひとつしかありません。それは、神様がいかに恵み深いかを信じることです。そして、この信仰がわたしをすべての罪より清めることが出来ないなら、わたしが清まる道はほかにひとつもないということです。信仰、キリストにおいて顕われた神様の恵みを信じること、これがわたしのすべての徳と言えるものです、誇れるものです。もしこの信仰の綱が切れてしまったならば、わたしは奈落の底まで落ちて行くでしょう。
2025.12.04
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後藤瑞義入選歌・入選句(よみうり文芸) ひとたびの秋しか知らぬ子の墓を囲み今年もヒガンバナ咲く 下田市 後藤瑞義(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十二月三日 入選 梅内美華子 選) 黙々と信濃を思ふ林檎かな 下田市 後藤瑞義(読売新聞静岡版 よみうり文芸 十二月三日 入選 上田日差子 選)
2025.12.03
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12月3日(水)前川佐美雄歌集「捜神」(148)著者:前川佐美雄発行:平成四年六月三十日 野極(自昭和二十三年 至昭和二十七年)昭和二十三年(11)贈りもの(5)あら馬のはやるが如きむなしさを繰り返し来し今日のおとろへいくたびか豹変もせりあはれなるわが生きざまの今はゆるがぬ散れるだけ花よ散れよと桃の花振りはらひしをまた瓶かめに挿すうらぶれて目星しき何もあらざるを人あながちに押し込みきたる花咲きて長閑のどかなりしは昨日かも一夜明けて今朝は着るもののなき (つづく)
2025.12.03
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12月3日(水) 与謝晶子の歌(190)(注)歌友である渡辺つぎさんは、平成二十九年九月六日、百六歳六か月にて永眠されました。「伊豆遊草」には、伊豆におけるおける与謝野晶子の膨大な数の歌が収録されています。その中から出来る限り抜き書きしたいと思います。熱海詠草――(13)『冬柏』六巻三号・昭和十年二月梅の花靄を破れど危ふけれ海より来るは厚き雨雲あまぐも花咲ける伊豆に残らず海にのみ余寒残りて雨を送れる都より友を迎へて聞く雨のうらなつかしくなりにけるかな夕ぐれに一休庵へ遊ばんと告げて人去る立春りつしゆんの雨雨降れば出でて桜を池に見ず遥かに恋ひしみよし野のごと (つづく)
2025.12.03
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12月3日(水)歌集「蟲のゐどころ」(44)発行所:(株)角川書店著書:植松法子発行:平成十九年二十五月作者は、わたしが静岡県歌人協会の常任委員のとき副会長をなさっていました。歯に衣着せぬ歌評で、わたしと対立する場面もありましたが、色々勉強させられました。1994年角川短歌賞の佳作に入選されています。Ⅱ純林(7) 五分のかがやき(1) 天日はほがらほがらと差しわたりオホイヌノフグリささめき笑ふ 百合鷗キンクロハジロを早々に帰していまだ冬なるながれ あかねさす紫雲英畑の方形を見下ろしてゐる第二東名 密を吸ふ目白を振子のごと揺らししだれ桜は五分のかかやき わが薊にあゆみ止めたる人の影ときのま朝の障子に映る (つづく)
2025.12.03
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12月3日(水)能村登四郎 俳句の楽しみ(抜粋:後藤)(100)発行所:日本放送出版協会(俳句入門)第三章 名句を味わう(10) 忌日をうたう(2)河童忌や河童のかづく秋の草 久保田万太郎 「河童忌」という芥川龍之介の忌日のほかに「秋の草」という季語があります。昭和二年七月二十四日に自殺した文学者芥川龍之介、河童は作品の名であり、龍之介は好んで自分を河童と呼び、河童の絵を描いています。 このように忌日とは別にその季節のものを詠みこみます。忌日だけを詠むと、それだけでは季節がつかみにくいのです。 (つづく)
2025.12.03
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12月3日(水)昭和萬葉集(巻十四)(206)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅲ(46)仕事の歌(29)医師たち(1)浜野基斉ほほゑみしのちはさまよふいのちにてまたひとしきり雨の強まる父に母にかすかに笑みしその顔を父ならぬわがかなしみやまず手術などしなくていいとわれ言ひきうれしげなりし顔おもひ出づむしばまれつくしし十六歳の顔透きとほり来つ夜明けに近く寝台に揃へられたるスリッパは息あるうちに脱ぎしままなり (つづく)
2025.12.03
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12月3日(水)「幸福論」(ヒルティ)(第三部)(836) 発行所 岩波書店(1935年5月15日)(注)あくまでも、訳にい忠実にしていますがい、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)し孫たちに幸いあれ(15)(前日)(14)次ぎに、ひとは神の力をいたずらに受けるのではありません。ただ瞑想するために、静かな聖者としておだやかな隠遁生活を送るために、それ(霊)を受けるのではなく、働くために受けるのです。ところが、多くの人たちは、いや、最もすぐれた人たちでさえ、実はまだこの霊を欲していないのです。彼らは自分自身の仕事、また他人にかかわる仕事をこれまで自分の力で果たしてきて、当然のことながら、それにうみ疲れております。そういう仕事は死ぬほどひとを疲れさすものです。しかし、神の力による仕事はそうではないのです。それはひとを活気づけ、また力を強めます。だから、あなたは仕事をするのを恐れてはいけません。しかし、ただ自分の力で生きることを恐れなければならないのです。(よりつづく) 人は神の霊にすすんで従う心構えでなければなりません。この霊は人間について多くのことを忍びそして受容れますが、叛逆や、意識的な、あるいは故意の不従順や、卑怯や、なすことが出来るのにしないなどということは、許されません。例えますと、この霊の指揮下に入る場合は、敵や味方の状況を顧みることなく、軍隊式の即座の服従を必要とします。聖霊が命令を下すときは、それを妨げる「事情」などいっさい関知しません。成功するかしないかなど問題にせず、命令にただ従う勇気と決意とを必要とします。(つづく)
2025.12.03
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12月3日(水)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があきります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。聖書そのもの聖書そのものを読むようにしなさい。聖書についてだけを多く読んではいけません。生命は聖書そのものにあるのです、聖書論にあるのではありません。聖書についてとかく疑問を持つ人は、たいてい聖書自体を読んでいるのではなくて、聖書について聞いたり読んだりしている人が多いのです。
2025.12.03
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12月2日(火) 前川佐美雄歌集「捜神」(147) 著者:前川佐美雄 発行:平成四年六月三十日 野極(自昭和二十三年 至昭和二十七年) 昭和二十三年(10) 贈りもの(4) はてしなく心堕ちゆくときありて憎まねばならぬ世をば忘れつ かくありてわれは亡びむほろびゆく明日の仕度も悲し世のなか あすあすと明日を望みに生きて来て明日のねがひに終わらむとする わが庭の梅の古木(こぼく)は苔つけて冬そそけだてどたれも憎まず 何ひとつ清(すが)しきこともなし得ずてわが生(よ)の末の見え来(きた)るはや (つづく)
2025.12.02
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12月2日(火) 与謝晶子の歌(189)(注)歌友である渡辺つぎさんは、平成二十九年九月六日、百六歳六か月にて永眠されました。「伊豆遊草」には、伊豆におけるおける与謝野晶子の膨大な数の歌が収録されています。その中から出来る限り抜き書きしたいと思います。熱海詠草――(12)『冬柏』六巻三号・昭和十年二月春の夜やおはさば鞍馬上人が山の清水を召しぬべきころわれ起きて物を書く夜に鳴弦めいげんをする泉あり春の夜の山咲く梅に雨のあたれるけはひなど甘あまく苦しき春の夜の山山の色波の色さへ灰ばめど雨を帯びつつ梅清きかな誤りて余寒の雨を降らすなり日を失へる東海とうかいの雲 (つづく)
2025.12.02
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12月2日(火)歌集「蟲のゐどころ」(43)発行所:(株)角川書店著書:植松法子発行:平成十九年二十五月作者は、わたしが静岡県歌人協会の常任委員のとき副会長をなさっていました。歯に衣着せぬ歌評で、わたしと対立する場面もありましたが、色々勉強させられました。1994年角川短歌賞の佳作に入選されています。Ⅱ純林(6) テリトリー(2) 枯草の茂みかそけき音のして声なくたてり頬白一羽 山繭を耳輪のやうに揺らしつつすつからかんの欅となりぬ 行く先へ先へ飛びゆきわれを窺ふ尉鶲(じょうびたき)ここはお前のテリトリー 紅梅を紅海とわが読み違へかかへきれない紅梅の花 (つづく)
2025.12.02
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12月2日(火)能村登四郎 俳句の楽しみ(抜粋:後藤)(99)発行所:日本放送出版協会(俳句入門)第三章 名句を味わう(9) 忌日をうたう(1) 人の死を悼む忌日に関する季語。忌日そのままですと季節がわからない場合があります。そこで、季節の季語を別に付けるのです。三河女と早苗取らうよ業平忌 松本たかし 「早苗取」といいう季語を加えます。在原業平は陰暦の五月二十八日に死んでいます。ちょうど田植えの時期です。「三河女(みかわめ)」は、業平が東下りの時に三河の八ツ橋で、かきつばたの歌を詠んでいるので、からませたのでしょう。 (つづく)
2025.12.02
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12月2日(火) 昭和萬葉集(巻十四)(200)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅲ(45) 仕事の歌(27)商人の歌(2)真下盈子商談に入れば如才のなきことばわれとは別のわれが語りつ岩瀬すゞへ養老年金もらひし喜び先づ言ひて我が店のネルを買ひてくれたり花井千穂商品に乏しき知識うら愧(は)ぢてとまどへば買はず客の去りゆく児玉英子吾が店の魚さげをれば行きあひしみしらぬ人に軽く会釈す但馬初枝連れ立ちて仕入せしより嫁と吾打解けて寒き夏を商ふ
2025.12.02
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12月2日(火)「幸福論」(ヒルティ)(第三部)(835) 発行所 岩波書店(1935年5月15日)(注)あくまでも、訳にい忠実にしていますがい、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)し孫たちに幸いあれ(14)(前日)(13)なおまた、神の霊を受けるために必要なものは、謙遜です。ひとはあるがままの自分自身をはっきりと見て、もはや自分の力には頼らず、すすんで他からの力を受け容れる心構えをしなければなりません。(よりつづく) 次ぎに、ひとは神の力をいたずらに受けるのではありません。ただ瞑想するために、静かな聖者としておだやかな隠遁生活を送るために、それ(霊)を受けるのではなく、働くために受けるのです。ところが、多くの人たちは、いや、最もすぐれた人たちでさえ、実はまだこの霊を欲していないのです。彼らは自分自身の仕事、また他人にかかわる仕事をこれまで自分の力で果たしてきて、当然のことながら、それにうみ疲れております。そういう仕事は死ぬほどひとを疲れさすものです。しかし、神の力による仕事はそうではないのです。それはひとを活気づけ、また力を強めます。だから、あなたは仕事をするのを恐れてはいけません。しかし、ただ自分の力で生きることを恐れなければならないのです。 (つづく)
2025.12.02
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12月2日(火)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があきります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。成功の秘訣わたしが世の中の物事に打ち勝った時、わたしのところに神様がやって来るのではないのです。わたしは、神様に最初から頼り切って世の中の物事に打ち勝つのです。わたしが、義の人になって初めて神様に受け入れられるのではないのです、わたしは、神様に頼り切って初めて義の人になるのです。同じように、神様に頼って智者となり、勇者となるのです。わたしは、なんと考え違いをしていたのでしょうか。わたしは、活き活きとした水の源のような神様を捨て、穴のあいた水溜のような自分に頼っていたのでした。
2025.12.02
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12月1日(月)前川佐美雄歌集「捜神」(146)著者:前川佐美雄発行:平成四年六月三十日 野極(自昭和二十三年 至昭和二十七年)昭和二十三年(9)贈りもの(3)雨つゆを凌げば足るといきほひしかの日を思へまた言はじかも儚はかなみてをるかも知れずある時は眼鏡の中がしよぼしよぼとして今更に何をか言はむひとの顔ひとのすがたのこの世に似ねばえせもののときめく時とおし黙りこころ憎しむかたくななればしかすがに悲しきかなや声なかぬ冬の田螺たにしのかたくなに似る (つづく)
2025.12.01
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12月1日(月) 与謝晶子の歌(188)(注)歌友で熱海詠草――(11)ある渡辺つぎさんは、平成二十九年九月六日、百六歳六か月にて永眠されました。「伊豆遊草」には、伊豆におけるおける与謝野晶子の膨大な数の歌が収録されています。その中から出来る限り抜き書きしたいと思います。熱海詠草――(11)『冬柏』六巻三号・昭和十年二月目に馴れてわが何と無き時などに恋しかるべきうす色の梅和田山と同じかたちに年経たる赤芽の欅ならぶ春かな留(と)めまほし山に花咲きよきほどの灯あるところに送る車もえにしだの花咲くやうに漁り火は末の細れど筋を作れる岬の灯三つ町の灯といさり火のすこしほのめく水口(みなくち)の宿 (つづく)
2025.12.01
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12月1日(月)歌集「蟲のゐどころ」(42)発行所:(株)角川書店著書:植松法子発行:平成十九年二十五月作者は、わたしが静岡県歌人協会の常任委員のとき副会長をなさっていました。歯に衣着せぬ歌評で、わたしと対立する場面もありましたが、色々勉強させられました。1994年角川短歌賞の佳作に入選されています。Ⅱ純林(5)テリトリー(1)左うなじのわが黒子より一代を隔てて右のうなじのほくろ癖のやうに手をやるうなじの黒子にて一生ひとよ正眼に見ることなけむガラス板に並べ干さるる河豚の鰭 月下の海にねむる尾の鰭 (つづく)
2025.12.01
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12月1日(月)能村登四郎 俳句の楽しみ(抜粋:後藤)(98)発行所:日本放送出版協会(俳句入門)第三章 名句を味わう(8) さくらの句(7)花衣ぬぐやまつはる紐(ひも)いろいろ 杉田久女花時に女性のよそおう着物を「花衣」といいます。いずれも花に負けない美しいものでしょう。また花見に外出して戻った時の疲れを「花疲れ」といいます。日本語だけのもつ情感を含んだ言葉でしょう。女性が和服の盛装をするとき、腰に帯以外のさまざまな紐を巻きつけます。それがそのまま苦痛をともない、「花疲れ」ともつながります。女性の業苦を匂わせる句です。 (つづく)
2025.12.01
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12月1日(月) 昭和萬葉集(巻十四)(199)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅲ(44) 仕事の歌(26)商人の歌(1)得能賀衛燈のもとに帳簿散らかして息づけり梅漬けの塩多く売れたり塩売れて久びさに空きし倉の隅鼠の穴あるに石つめふさぐ雨漏れば屋根裏に昼の燈をつけて濡れたる塩の袋を数ふ市田めぐみ刺繍ある白きエプロンに神通し初荷売らむと店先に立つ明日菊江仕入日は明日なり銭をかぞえみる銭箱に銭の音たてながら (つづく)
2025.12.01
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12月1日(月)「幸福論」(ヒルティ)(第三部)(834) 発行所 岩波書店(1935年5月15日)(注)あくまでも、訳にい忠実にしていますがい、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)し孫たちに幸いあれ(13)(前日)(12)最後にこの霊は、永生に対する唯一の、まったく確実な保証でもあります。 なおこの霊を受けるために、わたしたちの側からみて必要なものは、次のとおりです。 およそ神とその霊が存在し、神はこの霊をとおして地上のわたしたちのもとに宿ることができる、という確固たる信仰がなければなりません。この信仰がなければ、その霊をいくら待っても無駄なのです。初めからそういう信仰を持つことは出来ないと、多くの人はいうでしょう。それは、確かにある程度は真実でしょう。聖霊によらなければ、誰もほんとうに信じることはできないからです。あなたは信じようとして、それを願い、そのために他の一切を犠牲にする覚悟をしなければなりません。あなたが本当に望むのであれば、あなたの信仰を妨げている邪魔物を取り除きなさい。それは、他人には分からなくても、あなた自身がはっきり知っていることです。(よりつづく) なおまた、神の霊を受けるために必要なものは、謙遜です。ひとはあるがままの自分自身をはっきりと見て、もはや自分の力には頼らず、すすんで他からの力を受け容れる心構えをしなければなりません。 (つづく)
2025.12.01
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12月1日(月)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があきります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。愛の利殖人に愛されたいと望むならば、人を愛する事です。私たちは、自分が人に施した愛以上には人から愛をうけることは出来ないからです。ですから、わたしたちは人から自分自身の愛を受けるのにすぎないのです。自分から出た愛が他人に渡って再び自分にかえってくるとき、その愛はもとの形とは違っています。愛も貨幣のように、人の手を経て増殖します。愛の乏しい人は、愛を与えない人です。人に愛を求めるだけで、愛を与える事をしない人は、ついには愛の守銭奴となり、愛の欠乏でもって滅んでしまいます。
2025.12.01
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11月30日(日)前川佐美雄歌集「捜神」(145)著者:前川佐美雄発行:平成四年六月三十日 野極(自昭和二十三年 至昭和二十七年)昭和二十三年(8)贈りもの(2)かなたなる氷ひ雲ぐもの奥のうす日ざしあな寒さみと言ひて盧のきをはなれず生きがたく艱なづみつつ来しがさりとても今を歎きて言はざるものをみづからを足蹴あしげになしてくるしみし二十年前はたとせまへと今のおのれとわれとわが身を責め立てて裁さばきなす底苦しさよ真顔まがほなれどもあな低く卑しくなりし顔よなとあたりを見ればわれさへありて (つづく)
2025.11.30
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11月30日(日) 与謝晶子の歌(187)(注)歌友である渡辺つぎさんは、平成二十九年九月六日、百六歳六か月にて永眠されました。「伊豆遊草」には、伊豆におけるおける与謝野晶子の膨大な数の歌が収録されています。その中から出来る限り抜き書きしたいと思います。熱海詠草――(10)『冬柏』六巻三号・昭和十年二月臙脂えんじなる房ふさ長きかな立春りっしゅんを明日と云ふ日の山ざくら花東海は梅花の百もものくれなゐを集むる台の末に青かり紅梅のしだれ咲くべき木なれども蕾の珠のさし傘がさ今日は水口みなくちの屋根の間に大鳥おおとりの趣おもむきにしも乗れる海かな温泉の靄塗るほどに塗るほどに曇りけらしな大空の壁 (つづく)
2025.11.30
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11月30日(日)歌集「蟲のゐどころ」(41)発行所:(株)角川書店著書:植松法子発行:平成十九年二十五月作者は、わたしが静岡県歌人協会の常任委員のとき副会長をなさっていました。歯に衣着せぬ歌評で、わたしと対立する場面もありましたが、色々勉強させられました。1994年角川短歌賞の佳作に入選されています。Ⅱ純林(4) 心の吹雪(2) *(2) 出奔は遅きに失し足裏ゆ波は引きゆく小石を鳴らし 足裏の砂利を滑らせかへる波すこし沈みしわたしを惜きて 白波を立てて海面(うなも)を駆けりゆく兎もやがて消えゆくものを 「帰るとは心の吹雪」拾ひたる小石を捨ててそこより家路 (つづく)
2025.11.30
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11月30日(日)能村登四郎 俳句の楽しみ(抜粋:後藤)(97)発行所:日本放送出版協会(俳句入門)第三章 名句を味わう(7) さくらの句(6)花散って又しづかなり園城寺 鬼貫園城寺は近江の三井寺の別称。名刹で見る花もまた趣がふかいものです。一もとの姥子の宿の遅桜 富安風生「姥子うばこ」は箱根の奥の静かな温泉宿です。もう桜もすっかり終わった時、山の湯宿の庭にひっそりと咲いているのは、哀れなものであります。(つづく)
2025.11.30
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11月30日(日) 昭和萬葉集(巻十四)(199)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅲ(43) 仕事の歌(25) 鉄道員(3)御供平佶喚声に吾らをののしり挑発すこのこゑにわが兄もをるべし攻撃を受けてしりぞく自由なく全学連のただまへにたつ石つぶて防ぐとおろす防石面に操車場の燈のひかり交錯す一小隊は乗務員確保二小隊は組合員排除ぬかるなといふ分断排除二列目の右かかれまで聞きて突進すスクラムの中砂ぼこり風に吹かれてのこるもの赤旗プラカード運動靴片方(つづく)
2025.11.30
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11月30日(日)「幸福論」(ヒルティ)(第三部)(833) 発行所 岩波書店(1935年5月15日)(注)あくまでも、訳にい忠実にしていますがい、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)し孫たちに幸いあれ(12)(前日)(11) しかし、この霊は人間をよく知っていて、欺かれることがありません。たんに奇蹟を行ったり、華々しいことをしたいためにこの霊を得たいと願う者をも、この霊はよく知っています。そして、そのような人のもとにはこの霊は訪れません。また、この霊を受けるにはまだ弱すぎて、ふたたび背きそうな者にも、与えられません。なぜなら、この霊をさらにもう一度授けられることはむずかしいからです。(よりつづく) 最後にこの霊は、永生に対する唯一の、まったく確実な保証でもあります。 なおこの霊を受けるために、わたしたちの側からみて必要なものは、次のとおりです。 およそ神とその霊が存在し、神はこの霊をとおして地上のわたしたちのもとに宿ることができる、という確固たる信仰がなければなりません。この信仰がなければ、その霊をいくら待っても無駄なのです。初めからそういう信仰を持つことは出来ないと、多くの人はいうでしょう。それは、確かにある程度は真実でしょう。聖霊によらなければ、誰もほんとうに信じることはできないからです。あなたは信じようとして、それを願い、そのために他の一切を犠牲にする覚悟をしなければなりません。あなたが本当に望むのであれば、あなたの信仰を妨げている邪魔物を取り除きなさい。それは、他人には分からなくても、あなた自身がはっきり知っていることです。(つづく)
2025.11.30
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11月30日(日)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があきります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。善きことをする道悪というのは、神様より離れて存在する事です。神様とともにあるのであれば、どのような事も、どのような行いも、ひとつとして善でないものはないのです。私たちは、悪を避けようとするよりは、むしろ神様とともになることに努めるべきなのです。そうすれば、私たちは、自然と善をするようになって、悔い改める苦痛を感じる必要がなくなるのです。
2025.11.30
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11月29日(土)前川佐美雄歌集「捜神」(144)著者:前川佐美雄発行:平成四年六月三十日野極(自昭和二十三年 至昭和二十七年)昭和二十三年(7)贈りもの(1)今よりはおのれが主しゆたる心をば外にやるなと咲く梅も見ず新しくひらけ来む世を頼めどもおづおづとして身のたのしまぬしばしばも己れを責めて罪なふもあはれはかなき罪なひにしてわれいまださんげの涙ながすあり懺悔さんげの涙はああ言ひがたき照りぐらき氷ひ雲ぐもの空に難はばめられ今日も家ゐるこころかたくな (つづく)
2025.11.29
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11月29日(土) 与謝晶子の歌(186)(注)歌友である渡辺つぎさんは、平成二十九年九月六日、百六歳六か月にて永眠されました。「伊豆遊草」には、伊豆におけるおける与謝野晶子の膨大な数の歌が収録されています。その中から出来る限り抜き書きしたいと思います。熱海詠草――(9)『冬柏』六巻三号・昭和十年二月なつかしき小室こむろの山よ鞭上げて川奈かはなの崎を此処に駆けしめ春早し東の海のきりぎしをけづり落して植ゑたる桜思ふなり川奈の崎にかかりたる靄の及ばん山荘の窓山を出で梅のなかより身を転じ見る紫の五つの岬山に居て木この間まの家を見るよりも心ときめく小さき舟にも (つづく)
2025.11.29
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11月29日(土)歌集「蟲のゐどころ」(40)発行所:(株)角川書店著書:植松法子発行:平成十九年二十五月作者は、わたしが静岡県歌人協会の常任委員のとき副会長をなさっていました。歯に衣着せぬ歌評で、わたしと対立する場面もありましたが、色々勉強させられました。1994年角川短歌賞の佳作に入選されています。 Ⅱ純林(3)心の吹雪(1)ニューヨークの高層ビルが爆破され地球はくまなく埃をかぶるびんらでぃんびんらでぃんと歌ふ声揺籃はそつと揺すられたるや *(1)色褪せたる青筋揚羽吹かれゐて十月朔日風の冷たきひとりなるホテルに聖書取り出だし羊を一匹づつ放ちやる (つづく)
2025.11.29
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11月29日(土)能村登四郎 俳句の楽しみ(抜粋:後藤)(96)発行所:日本放送出版協会(俳句入門)第三章 名句を味わう(6) さくらの句(5)したゝかに水をうちたる夕ざくら 久保田万太郎風雅なたたずまいの家の門のあたりの打ち水、いずれ客を迎えるためのものでしょう。咲き満ちた桜も今はしずかな夕影をまとっています。さくらと松濡れゐる時は睦むごと 能村登四郎「さくら」は女性、「松」は男性という見方もあります。 (つづく)
2025.11.29
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11月29日(土) 昭和萬葉集(巻十四)(198)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年)Ⅲ(31) 仕事の歌(23)鉄道員(2)宮坂万次蒸気機関車に別れ惜しみてのぞく火室火格子より冷えし風吹き上げぬ汽車を牽(ひ)きたくましかりき蒸気機関車引かれゆきつつ線路に軋(きし)む荒木茅生霧に着きし列車遅延の報を書く車掌が若き肩濡らしゐて宮崎信義車窓(まど)に ホームに立つ私がうつる 少し駅長らしくなったな挙手する白い手袋が車窓にうつり三十年が列車と共に去っていく赤い尾燈を追うてホームに立っている 三十三年の勤めが残る (つづく)
2025.11.29
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11月29日(土)「幸福論」(ヒルティ)(第三部)(832) 発行所 岩波書店(1935年5月15日)(注)あくまでも、訳にい忠実にしていますがい、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)し孫たちに幸いあれ(101)(前日)(10)ひとはこの霊が訪れるのを待っていなければなりません。このことは、千八百年前とまったく同じです。人間の心の状態が、それを迎えうるまでに成熟し、それを願う気持ちが切実であれば、おそらく直ちにこの霊は訪れるでしょう。しかし、いずれにせよそれは純粋に神の賜物です。あらゆる人が、学問のあるなしにかかわらず、老人でも若者でも、男でも女でも、みなこの霊を受けることができます。この霊は人間のあいだに少しも外的な差別を設けません。(よりつづく) しかし、この霊は人間をよく知っていて、欺かれることがありません。たんに奇蹟を行ったり、華々しいことをしたいためにこの霊を得たいと願う者をも、この霊はよく知っています。そして、そのような人のもとにはこの霊は訪れません。また、この霊を受けるにはまだ弱すぎて、ふたたび背きそうな者にも、与えられません。なぜなら、この霊をさらにもう一度授けられることはむずかしいからです。 (つづく)
2025.11.29
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11月29日(土)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があきります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。偉大なる事業神様によってなす事業は、すべて大きな事業となります。神様によってなしたコロムウエルの政治は偉大な政治です、神様によって画いたラファエルの絵画は偉大な絵画です、神様によって彫んだミケランジェロの彫刻は偉大な彫刻です、神様によって作ったハイドン、ベ-ト-ベンの楽曲は偉大な楽曲です、神様によって施したペスタロッジ、フレ-ベルの教育は偉大な教育です。神様によらないないで、偉大なことはなし得ないのです。また神様によらなければ、偉大なることも理解出来ないのです。
2025.11.29
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11月28日(金)前川佐美雄歌集「捜神」(143)著者:前川佐美雄発行:平成四年六月三十日野極(自昭和二十三年 至昭和二十七年)昭和二十三年(6)氷雲の空(2)あからひく学生よ君もおちぶれて人の泥棒に鋲かねうちて賃うるわれは説く学生よ君ら眉あげよあこがれもてと短くをはるあこがれのあはれは知らず齢としたけしをみなの友をさびしく思ほゆあたたかく山茶花垣に冬日さしむかしの母のいとなみが見ゆ若者のみだれを言ふな罪とがはおのれ一つにありと生くべき (つづく)
2025.11.28
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11月28日(金) 与謝晶子の歌(185)(注)歌友である渡辺つぎさんは、平成二十九年九月六日、百六歳六か月にて永眠されました。「伊豆遊草」には、伊豆におけるおける与謝野晶子の膨大な数の歌が収録されています。その中から出来る限り抜き書きしたいと思います。熱海詠草――(8)『冬柏』六巻三号・昭和十年二月海を見て千里せんりの国を思ふらん伊豆のホテルのくれなゐの蘭少女子が椿の花を貫きて懸くると思ふくれなゐの蘭薔薇の花まろしと見つつとどまれば海の風吹く芝の坂かな影のごと同じ姿の岬をば後ろにすなり魚見が崎は其処となく霞の中に寄る波がゆすりこそすれ磯山の路 (つづく)
2025.11.28
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11月28日(金)歌集「蟲のゐどころ」(39)発行所:(株)角川書店著書:植松法子発行:平成十九年二十五月作者は、わたしが静岡県歌人協会の常任委員のとき副会長をなさっていました。歯に衣着せぬ歌評で、わたしと対立する場面もありましたが、色々勉強させられました。1994年角川短歌賞の佳作に入選されています。Ⅱ純林(2)純林(2)どこまでも橅ばかりなるやさしさに耳から透けてゆく私が青葉闇ぬつて聞えるほととぎす帰るといふことこんなにさみしい橅の森出でてまた会ふ白き花ゆふべまぶしくこの世を照らす (つづく)
2025.11.28
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11月28日(金)能村登四郎 俳句の楽しみ(抜粋:後藤)(95)発行所:日本放送出版協会(俳句入門)第三章 名句を味わう(5) さくらの句(5)花の雨竹にけぶれば真青なり 水原秋櫻子花時の雨を「花の雨」という美しい言葉で呼びます。美しく咲いた花に対して竹の緑が雨に濡れる姿は、鮮烈で目がさめるような光景です。チチポポと鼓打たうよ花月夜 松本たかし 花の月夜にさそわれて久しく打たなかった鼓をしらべるのも、また風雅の世界です。 (つづく)
2025.11.28
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11月28日(金)昭和萬葉集(巻十四)(201)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅲ(41)仕事の歌24)鉄道員(1)佐藤 寛北風に変りし夜更け貨車を組むわれらの合図遠くこだます福田 貢ゆつくりと牛積む貨車を突放とつぱうし雪降る中に入換終へぬ野崎幽也突放の貨車ゆらゆらと流れゆく中に雪かづく貨車ひとつあり京 至郎人轢ひくきし汽笛をふけば夜の谷に木霊こだまは遠く響き合ひたり小谷輝男ラッセル車通すと真夜中醒めてをり吹雪にガラス戸の高鳴る部屋に (つづく)
2025.11.28
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11月28日(金)「幸福論」(ヒルティ)(第三部)(831) 発行所 岩波書店(1935年5月15日)(注)あくまでも、訳にい忠実にしていますがい、簡略化や意訳や表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)し孫たちに幸いあれ(10)(前日)(9)まず第一に、ひとはこの霊を自分で獲得することはできないということです。また、この霊は生まれつきの才能ではありません。あるいは、人間的な伝承によって到ものでもありません。それは、外からやってくる事実です。そして、それ自体としては説き明かすことができません。しかし、この霊が与えられるとき、それはキリスト教の最上の、そして唯一の完全な証しです。この霊を持つ人は、もはや一瞬たりともキリスト教の真理性を疑うことはありません。(よりつづく) ひとはこの霊が訪れるのを待っていなければなりません。このことは、千八百年前とまったく同じです。人間の心の状態が、それを迎えうるまでに成熟し、それを願う気持ちが切実であれば、おそらく直ちにこの霊は訪れるでしょう。しかし、いずれにせよそれは純粋に神の賜物です。あらゆる人が、学問のあるなしにかかわらず、老人でも若者でも、男でも女でも、みなこの霊を受けることができます。この霊は人間のあいだに少しも外的な差別を設けません。(つづく)
2025.11.28
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11月28日(金)内村鑑三「一日一生」より(注)文語は口語にし、意訳しています。また聖書の聖句にも、わたしの解釈的なものが含まれる場合があきります。お手元の聖書でご確認してください。また、ここに記載されていることは、すべてわたし自身(後藤瑞義)に向けてのことです。勝利の生涯艱難を避けようとしてはいけません、このことに勝とうとしなさい。しかし、自分ひとりでこれに打ち勝とうとしてはいけません、神様によって打ち勝とうとしなさい。神様が艱難をわたしたちに下し給うのは、わたしたちによって神様が御自身のちから(能力)とめぐみ(恩恵)とをあらわそうとするためなのです。
2025.11.28
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