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3/31 Tue懐の深さ人間を練るのにいちばんいいのは、自分に反発する人、こっちの言うことを聞かない人にぶつかったときです。そういう人に出会うと、「人というものは一筋縄ではいかないものだ」と思い知らずにいられません。なんでも「はい」「はい」と言うことを聞いてくれる人と違って、いちいち突っかかってきたり、こっちのアラばかり探しだそうとしているような人に真正面から取り組んで、「なんとかしてこの人に分かってもらいたい」と真剣になると、その突っぱっている態度の裏に隠された、その人の寂しさや弱さが、だんだん見えてくるようになるのです。その相手の心が見えると、もう他人事ではなくなるのですね。実際に、さまざまな人とぶつかり、取り組んでみて、「なるほど、人の心というものはこういうものだったのだ」とつかめると、腰がすわってきます。どんな人に対しても、たじろぐことがなくなります。それが、懐の深さになるのです。人間の本当の心の中が分からなくては、本当の思いやりは生まれません。それでは、人がついてきてくれないのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.30
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3/30 Mon苦しい時が正念場夫婦仲がこじれた上に、子どもが急に乱暴になって「これが自分の子か」と恐ろしくなるような言葉を親に投げつけてくる。「もう、どうしたらいいのか分からなくて……」と訴える方がいました。しかし、そうして追い詰められ「自分の力では、もうどうにもならない」とせっぱ詰まって初めて、人の言葉を本気で聞く気になってくるのですね。仏さまは「一切衆生はわが子。私が必ずみんなを救護(くご)してあげます」とお約束くださっています。それなのに、どうしてこんなつらい目に遭わされるんだろう、と恨みたくなることも人生にはしばしばあります。次から次へ不幸が重なって、「神も仏もあるものか」と捨てばちになりかけるときもあります。しかし、仏さまは決して私たちをお見捨てになることはありません。苦しみを与えられるのも仏さまのお見守りで、いまこそ自分をしっかりと見つめて、自分を変えなくてはならない時だ、と教えてくださっているのです。崖っぷちに追い詰められた時こそ、正念場です。また、その時こそまわりの人が声をかけてあげなくてはならない大切な時なのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.29
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ちょっとした心がけで生まれる平安私たちは家庭にあって、朝から夜まで、どのような気持ちで過ごせばよいのでしょう。このことがよく示されている『あいさつ』という詩がございます。キリスト教プロテスタントの牧師さんがつくられたものです。「自分から/先に/おはようございます/ありがとう/すみません/さようなら/太陽のように/小鳥のように/明るく/和やかに/ただ/一言のあいさつから/今日のいきがいが/始まる/金も/時間も/かからず/ほほえみの/真心だけ」本当にそうだと思います。特別に何かお金をかけたり、時間をかけてするようなことではありません。当たり前のことではありますけれども、こうしたことが家族の中でできれば、本当にこれは斉家(家庭をととのえる)そのものだと思います。私たちが安らかな気持ちで、幸福な人生を送るということは、何か特別に難しいことをしなければならないのではなく、ほんのちょっとした心がけによってできるということであります。『佼成新聞』より
2009.03.29
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3/29 Sun世界の人に好かれる国アメリカでの調査で、「日本製品は非常によい」と答えた人が七三パーセントだったのに、「好きな国」となると、カナダの九四パーセントに対して、日本は六一パーセント、ヨーロッパ諸国に比べても極端に低いという結果が出たそうです。日本製品への評価もさることながら、世界の人に好かれる日本人になる努力が、より大切なのではないでしょうか。軍備拡張競争が、自国の防衛どころか経済の破綻を招き、国を危うくしてしまうことが分かってきたいま、どうしても新しい真の安全保障をつくりださなくてはならなくなっています。その安全保障のいちばんの基礎は、やはり人と人との信頼関係です。国と国の間で互いに好感情を持ってくれる友人をどれだけつくれるか、そのための努力こそ大切です。その友だちづくりには、お互いが共通の目的を持って、共に行動することが欠かせないと思うのです。世界の国々の経済の建て直し、地球の環境破壊防止など、いわば地球規模の人類の大問題も、世界の人びとが心を一つにして取り組むことができるようになれば、そうした難題が互いの心をつなぎ合わせるための好機に変えられていくのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.29
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3/26 Thu枝葉より幹が大事一日中、口角あわを飛ばして議論しても、結局、なにもまとまらないといった会議が、ときどきあります。大筋とは関係のない枝葉のことばかりにこだわっているわけです。事を運ぶのに自分がどれだけ貢献できるか、犠牲を払えるか、その腹を決めて話し合えば、たちまち結論が出るのに、逆に、できない理由を滔々と論じているのです。なぜそんなことになるのかと見ていると、つまりは自分の立場が不利にならないようにと汲々としているのです。木も成長しすぎると枝葉が繁りすぎて、風も通らず、日も差さなくなって衰えてしまうものですが、組織も、うっかりすると伸びすぎた枝葉のほうばかりを大事にして、それぞれが自分の部署のことにばかりこだわって本筋を見失ってしまうことが起こりがちなのです。立正佼成会がめざしているのは、人びとを仏道に入らしめ、自他共に仏道を行じて真の幸せにいたるところにあります。その本筋をしっかりと見すえて、どの枝を払い、何を守るか、賢く判断していかなくてはなりません。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.26
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3/25 Wed六十点で満点お姑さんにどこからも文句をつけられないようにとがんばりすぎて、ノイローゼになりかけたお嫁さんが、「家事は完全になんかできるものじゃないの。六十点満点でいいんです」と教えてもらって気が楽になり、「なるほど、そうだ」と心を決めてしまったら、お姑さんと気持ちが通い合うようになった、と話してくださる方がおられました。ボロを出すまいと気張っていたときは、知らず知らずお姑さんに対して身構える姿勢になっていたわけです。それでは努力すればするほど、お姑さんとの間はおかしくなってしまいます。人の上に立つリーダーの場合も同じなのですね。「下手なことを言って、揚げ足をとられてはならない」と、いつも身構えてばかりいるのでは、部下がついてきてくれません。少しの隙も見せないという人は、冷たそうで、近づきがたい人に見えてしまうのです。六十点か七十点満点でいいのだ、と腹の中をさらけだせるようにならないと、本当に大勢の人の信頼を集めるリーダーにはなれません。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.24
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3/24 Tue下り坂も一生懸命に米ソの冷戦が終わり、世界はすぐにも平和になるのかと思ったら、なかなかそうはいきません。湾岸戦争が火を噴き、東欧諸国やソ連で政治・経済の混乱が続き、日米間の摩擦も強まる一方といった報道が相次いでいます。世界は危機的な様相をさらに深めていくのではないか、と危惧する人も多いのですが、こういうときにいちばん大事なのは、枝葉の情報に振り回されて大局を見失わないことです。世界の大きな流れを見定めなくてはならないのです。ものごとは一気になるものではありません。川の流れも一気に流れ下るのでなく、右へ左へと大きく蛇行して海へ注ぎます。登山も、登り道だけでなく、ときには谷に下る道も一生懸命に歩かなくては、めざす頂上に着けません。世界が平和と安定へ、独裁から真の民主主義へと向かっていることは間違いない事実です。しかし、なんの努力もせずに平和は実現するものではありません。人びとが宝の山へ向かう険悪道でへたばりかけたとき、化城を浮かび上がらせて人びとの気力を奮い起こさせたリーダーの役を、世界の宗教者が力を合わせてつとめなくてはならないと思うのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.23
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【心の電話相談室のご利用について】最寄りの「心の電話相談室」をご利用ください。費用の自己負担は電話料金のみです。●佼成カウンセリング相談室03-3381-1199(毎日AM10:00~PM3:00)●佼成千葉県心の電話相談室043-234-8761(毎週火、金)●佼成埼玉県心の電話相談室048-825-8661(毎週月、木)●佼成神奈川県心の電話相談室045-312-6189(毎週月、水、金、日)面接相談有り(要予約)●佼成大阪府心の電話相談室06-6447-5533(毎週金曜日はお休みです)
2009.03.22
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2009.03.22
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3/23 Mon不平が自分を苦しめる「口は禍の門」といいます。うっかり口にした言葉が、災難の元になるわけです。『懺悔経』ともいわれる『仏説観普賢菩薩行法経』には、「舌根は五種の悪口の不善業を起す」と説かれ、また八正道の「正語」の教えでも、妄語(もうご=嘘)、両舌(りょうぜつ=二枚舌)、悪口(あっく=わるぐち)、綺語(きご=いいかげんな言葉)など、すべて自ら禍を呼び寄せる元になる、と戒めています。とりわけ修行の妨げになるのは、不平を口にすることではないでしょうか。不平というものは、いったん口から出すと、その言葉によって自分の不平不満が倍にも三倍にもふくれ上がっていきます。そればかりでなく、まわりの人にも悪い影響を及ぼしてしまうのです。自分の口ひとつで、なにもかもつまらないものにしてしまうわけです。これが自ら苦をつくりだす「苦語」です。それとまったく逆に、どんなことにも満足して、それをいつも口に出して言うことにしている、という方がおられました。毎日の奥さんの料理でも「うまい、うまい」と口に出して言うと不思議においしくなるものだといわれるのです。同じ口から不平の言葉が出るか感謝の言葉が出るかの違いで、人間関係も環境も、まるで違ったものになってしまいます。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.22
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2009.03.22
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【佼成カウンセリング相談室のご利用について】●相談内容1.家族関係や人間関係の悩み、神経症、心身症、法律的問題、子どもに関する諸問題などのご相談に応じます。2.面接時間は60分。相談内容はすべて秘密厳守です。3.面接相談、親と子の相談、遊戯療法、箱庭療法などが無料で受けられます。●申込み方法電話予約制です。03-3381-1135(代)へご連絡ください。●受け付け毎日(AM10:00~PM3:00)、年中無休です。●費用すべて無料です。●住所〒166 東京都杉並区和田2-3-14●交通手段【新宿駅より】◆地下鉄丸丿内線「荻窪」行き「中野坂上」乗り換え「中野富士見町」下車徒歩10分◆西口19番のりば 京王バス「佼成会聖堂前」行き「母子寮前」下車徒歩1分【中野駅より】◆南口3番のりば 京王バス「永福町」行き「母子寮前」下車徒歩1分
2009.03.22
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3/22 Sun耕された心カルチャー教室が大はやりです。カルチャーとは教養や文化のことで、「耕す」という言葉が語源だそうです。心が柔らかく耕されていてこそ教養ある人といえるのではないでしょうか。よく耕された土は、すべてを受け入れてはぐくみ育てるように、豊富な知識を具えるのは、それによって偏見や固定観念を離れて、ものごとをさまざまな角度から見られるようになるためなのです。ところが、うっかりすると逆に、たくさん詰め込んだ知識をこれみよがしに振りかざして、それで人を見下したり、人の言葉には耳も貸さないという態度をとってしまう人がいるのですね。『法華経』には「諸の有ゆる功徳を修し柔和質直(にゅうわしちじき)なる者」という言葉があります。本当によく耕された人となるためには、知識を学ぶのと一緒に、人に奉仕する実践が必要です。それが功徳を積むことです。人の幸せのために働くことなどなにひとつしようとせず、ただ自分を偉く見せるための勉強であっては、心を耕すどころか、博識で武装した独善的な人間になってしまいます。「学んだことの証は変わることである」という言葉があります。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.22
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3/21 Sat一か月だけの入会お釈迦さまの降誕会に、横手教会の教会長さんが、たいへんおもしろい説法をしてくださいました。かつて、教会長さんは会社の先輩に佼成会の道場に誘われて入会をすすめられたのですが、道場の会員さんの姿を見て、「世の中には、こんなにだまされやすい人がいるのか」と、あきれてしまったというのです。しかし、日ごろ尊敬している先輩のすすめなので、断わる口実に「一か月だけでやめさせてもらえますか」と条件をつけて、入会したのだそうです。ところが、『人間らしく生きる』という私の著書をすすめられて読み、大会で私の説法を聞いてすっかり安心してしまい、一か月経って、先輩から「もう一か月経ったんだから、やめてもいいよ」と言われても、やめるどころか、それから二十数年間“ご法漬け”になって、とうとう教会長のお役をさせてもらうようになったという説法でした。道元禅師は「正師を得ざれば、学ばざるに如かず」とおっしゃっています。教えのありがたさは、いっぺんに分かるものではありません。道案内役の私たち一人ひとりが、自ら光を発して道を照らし、案内してあげなくてはならないのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.20
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3/20 Fri心の奥底の求めアルコール依存症の人や拒食症の少女などを見ると、「こうなっては、とても自分たちの手には負えない」と思ってしまいますが、そうして周囲を拒絶している人も、「私は弱い人間なんだから、しっかり抱いてほしい」と、体で愛を求めているのだと専門の先生からうかがったことがあります。仏さまは「衆生の深心の所行を知つて、通達無礙(つうだつむげ)なり」とおっしゃられます。人は、言ったりやったりすることと、心の深いところで求めているものとが違っていることがしばしばあるのです。みなさんも人に優しくしたいと思いながら、つい邪険にしたり、善いことをしなくてはと思いながら、怠け心に引きずられることがあるのではないでしょうか。とんでもない悪事をおかしてしまう人でも、良心のかけらもないという人はいません。いけないことだと知りながら心ならずも悪に引き込まれて苦しんでいる、その奥底の心を見ようとせずに、表面の言動だけで人を裁いてはならないのです。まず自分自身の心を深く見つめることができなくては、人と苦しみを共にする同悲は生まれません。その慈悲がなくては、人は救えないのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.19
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3/19 Thuだれからも好かれる人春四月は、新しい出会いが多い時です。とりわけ若い人たちは、職場での新しい上司や同僚との人間関係が心配で、「人に好かれる方法はないものか」と苦心している人もいると思うのですが、いちばん確実な方法は、こっちが相手を本当に好きになってしまうことです。よく「私はどうして異性にもてないんだろう」と悩んでいる人がいますが、そういう人は、自分のいいところだけを見せようと格好ばかり気にしているのですね。すましこんだり、高尚な話をしたりして、肝心な相手を少しも見ていないのです。それよりも相手を好きになってしまうほうが早道です。人は自分に好意を持ってくれる人を自然に好きになるものなのですから。法華経には、三十三身を現じてどんな人も救わずにおかない観世音菩薩が登場しますが、その名の「観世音」とは、相手の心、相手の願いを見通すという意味です。「私は口下手でお上手を言えないから」とあきらめている人がいますが、「愛語」とは、多く話すより聞くことを多くすることといってもいいでしょう。だれの、どんな話にも親身になって耳を傾けられるようになったら、だれからも好かれる人になります。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.18
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父はわかくして子は老いたる法華経の従地涌出品に「父は少くして子は老いたる」という一節が出てまいります。私は最初、何のことかさっぱり分からなかったのです。常識的には、逆ではないか。子は若いけれども、父は老いているということではないかと。しかし、その後、いろいろ学ぶことで分からせて頂くことができました。どんな子供でも、親から可愛い、可愛いと思われて育ちます。全ての子供は、親の思いというものを頂いています。その子供が、立場を転換して、逆に親を思うようになる。子供が成長し、ちょうど親が子供を思うように、今度は子供が親を思う。人格的な向上を果たすということです。「父は少くして子は老いたる」という表現には、法の華が開くとき、たとえ親不孝してきた子供たちでも、必ず親に孝行するようになる、人間はそのように変化していくということが表されているのであります。『佼成新聞』より
2009.03.18
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3/18 Wed欲を捨てる法お彼岸は、苦しみや迷いの絶え間のないこちらの岸から、仏さまの世界(彼岸)にいたりたいという願いを新たにする日です。仏さまは「この経を聞く人で、成仏しない者は一人もいない」とお約束くださっていますが、この経とは法華経のことです。法華経は、どんな人にも仏になりたいという願いを起こさせ、仏さまの世界に導いてくれる教えなのです。しかも仏さまは、迷いのこちら岸にいる私たちに、「その欲を捨てなければ救われません」と強圧的に命令されるのでなく、逆に、施しの喜びを教えて、いつのまにか欲の心から離れられるように導いてくださいます。また、人のことをうらやんだり、すぐに怠け心に引きずられてしまう私たちに、人生の本当の喜びを教えてくださって、精進せずにはいられないように導いてくださるのです。仏教は、あれをしてはいけない、これもしてはならないと禁じる教えではないのです。楽しく、易々と仏さまの世界に到達できるように導いてくれる教えが仏教なのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.18
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3/17 Tue仏さまは大衆の中にNHKの大河ドラマ『太平記』の原作者の吉川英治さんが、「われ以外みなわが師」という言葉を生涯のモットーにされていたことは、よく知られています。吉川さんは横浜のドックの職工をはじめとして、二十もの職業を転々としながら独学をされた方ですが、「大衆は大知識」と、よく言われていたそうです。みんなの中に入って、みんなの気持ちで書かなければならない。テクニックではごまかせない、と身をけずる努力をした、と語られています。吉川さんの書かれる文章が大衆に希望を与え、大衆に愛され続けているのは、この努力から生まれたものでしょう。教えてやるのだ、引っ張り上げてやるのだといった姿勢では、多くの人を感動させることはできません。真宗中興の祖といわれる蓮如上人は、「上臈(じょうろう)ふるまひにては成へからす」と、常に戒められていました。貴族ぶったり尊大に構えていると、民衆にそっぽを向かれてしまうと言われ、ご自分も門徒の人たちと席の上下なくすわって、一人ひとりの話に耳を傾けられたのです。その民衆の中にこそ仏さまがいらっしゃることを教えておられたのですね。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.16
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3/16 Mon身についた習慣の力たとえば柔道の投げ技にしても、また野球のバッティングやゴルフのスイングにしても、「こうやるんだ」と教わって、すぐ、そのとおりやれるものではありませんね。毎日、繰り返し繰り返し練習して自分の身について初めて、試合でその技が出てきます。信仰も同じで、理屈は一度聞けば分かりますが、それを本当に自分のものにするには、毎日毎日の行が欠かせません。とかく人は、その気さえあればなんでもできるように錯覚しがちなのですが、習慣の力の大きさを忘れてはならないのです。よい習慣も悪い習慣も、それが身につくと、人の意志も、判断力も、その人の人生までも支配してしまいます。よい習慣が身につくと、ことさら意識して努力しなくても、やすやすと事が成っていきます。逆に、悪い習慣がついてしまうと、自分の意志に反してずるずると引きずられていってしまうのです。毎日出会う人、出合うことに対する見方、考え方、行動が自然に教えにかなうようになっていく習慣づけがどんなに大切であるかが分かります。習い性にしてしまうその訓練の場がサンガであり、道場なのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.16
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"念々唱題常懺悔"宗教の世界は、世間的な肩書きとかさまざまなものを取り去って、その奥にあるいのちを見つめるものです。比較対照する、評価する世界ではないのですから、みんなが安心して生きていくことができる、それが宗教の世界であります。しかし、なかには、このことが分からずに、いつも不平不満で生きている人もおります。そうした人間が、安らかな気持ちになるには、どうしたらよいのでしょうか。懺悔経(さんげきょう)の中に「端坐して実相を思え」という一節がございます。実相を思うとは、背が高かろうと、低かろうと、本来、みなが根本、根源のいのちを仏さまから頂いていることに気づきなさいということです。そして「一切の業障海(ごうしょうかい)は皆妄想(みなもうぞう)より生ず」。人間の尺度というものは、結局妄想の世界であり、実相を思うことによって、それらが消滅し、安らかになることができるということであります。私たちは、いつもお題目を唱えております。お題目は、私たちが仏さまに帰依し、大乗の教えを常に自らの心に打ち込んでいくということの表れの一つです。そのお題目が、単に形式的になってしまいますと、いのちの根源には至らず、ただ声だけ出して唱えることにもなってしまいます。その意味で、私たちの日常生活は、"念々唱題常懺悔(ねんねんしょうだいじょうさんげ)"という言葉になるのではないかと思います。お題目を唱えても、また不平不満が出てきて、そのたびに懺悔をするという繰り返しです。しかし、その中で、大乗の教え、いのちの根源を見つめる気持ちが段々と強くなり、やがては安らかな心になっていくのであります。『佼成新聞』より
2009.03.14
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3/15 Sun老けこみ方の違い私が立正佼成会の会長になったのは三十一歳の時でした。頭も黒々としていたのですが、五十年余も説法してきますと、屋根もだいぶいたんでまいりました。しかし、これは自然現象ですから、ちっとも苦にはなりません。今日まで、人さまに一心にご法を説かせていただいてこれたことがなによりもありがたくて、その日その日に起こったことを日記に書いたあとに、「今日も楽しく終わった。ありがたいお手配だった」と書き加えるのです。こうして毎日の変化を感謝で素直に受け止める生き方が、そのまま「生老病死を度(ど)し涅槃を究竟(くきょう)する」ことだといってもいいのではないか、と私は思うのです。年のわりに老けこんでしまう人と、とてもその年には見えない人とがいますね。その差が、年とともに開いてきて、五十歳を過ぎるとプラス・マイナス十歳以上になるといいます。それは気力の差が大きく影響しているように思えます。どんな変化も感謝で受けようとする心から、謙虚さ、優しさ、楽しさがあふれてきます。幸せの源泉は、そのへんにあるのではないでしょうか。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.14
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3/14 Sat水勢に逆らわず全長五四〇〇キロメートルにも及ぶ中国第二の大河である黄河は、中国古代文明の生みの親ですが、暴れ始めると、すべてを押し流す狂暴な川に一変してしまいます。堯(ぎょう)の時代、その治水を命じられた鯀(こん)は、九年もかけて堅固な堤防を築きましたが、出水で決壊し、失敗してしまいます。そのあとを受けた禹(う)は、流れを防ぎ止めようとせず、水勢に逆らわずに水の道を造って誘導する方法で、見事に成功したのでした。人を導くのも同じなのです。人が不平を漏らすのは、何かわけがあるからです。それが自分勝手のわがままにみえても、「不平があるのなら、不平のままでけっこう。みなさんの言いたいこと、聞きたいことを、なんでも話し、聞かせてください」と、まず耳を傾けていく。そんなことは取るに足りないことだと押さえつけようとすると、表面は従っているようにみえても、内に鬱積したものが、いつか爆発してしまいます。もつれた糸をじゅんじゅんに解いていってあげるのが、上に立つ人の役目です。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.13
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3/13 Fri自らを度す心ご主人のお酒やたばこの量を、なんとかして減らしたいと願っている奥さん方が多いのではないでしょうか。経済的なこともさることながら、なによりもご主人の健康が心配で、つい口うるさく言ってしまうのですが、なかなか聞いてもらえません。子どもの勉強も同じで、口で言って聞かせて、すぐにやってくれるのなら苦労はないのですが、そうはいきません。人は自分がその気にならないかぎり動きだすものではないからです。どうしたら、その気になってもらえるかです。一日に百本も吸っていたたばこをやめようとして何度も失敗していた人が、きっぱりとたばこをやめることができたという話を聞きました。その決め手になったのは、隣の部屋で奥さんが、「お父さんは、たばこをやめて今日でもう十日目ね。尊敬するわ」と、子どもたちと話しているのを聞いたことだったというのです。その、たったひと言が、なによりもの励ましになったわけです。『無量義経』には、この経は「菩薩の未だ発心(ほっしん)せざる者をして菩提心を発(おこ)さしめ」とあります。「自ら度する心を起こさしめる」秘訣は、このへんにありそうです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.12
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3/12 Thu人の喜びを喜べる人「妻の前で、間違っても他の女性のことをほめないことにしているんです」と言う人がおられました。ご主人のお母さん、つまり奥さんにとってはお姑さんの料理をほめても、奥さんが自分へのあてつけのようにとって、ひがむというのです。女性のひがみとはちょっと違うかもしれませんが、人の喜びをわが喜びとし、人の苦しみ悲しみをわが苦しみ悲しみとすることは難しいことなのですね。人の苦しみに同情することはできても、人がほめられたり、抜擢されて昇進したりするのを心から喜んであげるのは至難なことなのです。口では「おめでとう」と言いながら、心の中は「あの人がほめられるくらいなら、私だって」という思いがわいてくるのです。人は自分では気づかずに人のアラを探す虫眼鏡を持ち歩いているといいます。自分よりかなりすぐれた人を見ても、「まあ、私と同じくらいかな」としか見えない。自分と同じ程度の人は、はるかに下のように見えてしまうわけです。人の喜びをどれだけ喜べるかが、自己中心をどれだけ克服できているかのバロメーターになるのではないでしょうか。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.12
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-------------------------------------------------------------------------------- ホーム トレイルウォーカーについて 参加者の皆様へ ファンドレイジング ボランティア 協賛 --------------------------------------------------------------------------------HOME > トレイルウォーカーについて - トレイルウォーカーとは トレイルウォーカーとはトレイルウォーカー2009、開催決定!オックスファム・トレイルウォーカー・ジャパン2009の開催日程が決定しました。日本での第3回目の開催となるトレイルウォーカー、皆さまのご参加をお待ちしております。日 程 2009年5月22日(金)~24日(日)22日、、午前9時、および9時30分 スタート!(注1) コース 神奈川県小田原市から山梨県山中湖村までの100km2008年度のコースをもとに、一部修正予定詳細は、こちらをご覧ください。 参加受付 250チーム(1,000名) (先着順) 参加費 1チーム 60,000円 (1人あたり 15,000円) 参加資格●18歳以上(イベント当日)●4人1チームを構成して申し込むこと(注2)●1チーム12万円以上の寄付金を集める(ファンドレイジング)●山歩きに耐えうるトレーニングをすること 申込受付 参加登録受付中!ご登録は、こちらから。 注1:参加チーム数の増加に伴う、スタート直後の混雑解消のため、9:00と9:30の2回に分けた時差スタートを実施します。詳しくは、こちらをご覧ください。 注2:登録時にメンバーが4人揃っていなくても申込可能です。 イベント概要オックスファム・トレイルウォーカー -世界でもっともすばらしいチームイベント■自分の体力への挑戦 :標高差1200mの100kmの行程を48時間以内で完歩。■仲間とのかけがえのない経験:4人1チームで参加。事前のトレーニングからイベントの当日まで、励ましあってゴールを目指します。■貧困から立ち上がろうとする人々への支援:1チームあたり12万円以上の寄付金を集めます(ファンドレイジング)。 オックスファム・トレイルウォーカーは4人1組のチームで参加する世界的に行われているウォーキング・イベントです。自分の体力に挑戦すると同時に、参加をきっかけに寄付金を集めて国際協力に貢献するというもうひとつの挑戦が用意された企画で、これまでにオーストラリア、ニュージーランド、イギリス、香港で開催され、日本でも2007年5月に第一回目のイベントが開催されました。第二回目となる2008年には、200チーム、793名が参加し、70,497,250円もの寄付金が集まりました。寄付金は、国際協力団体オックスファムの実施する途上国の紛争・災害時の緊急支援、教育・農業支援などの国際協力活動に使われ、人々が貧困から立ち上がるために役立てられています。集められたご寄付の使途に関する詳細は、こちらをご覧ください。トレイルウォーカーの主催は、民間の国際協力団体、オックスファム・インターナショナルと(特活)オックスファム・ジャパン。貧困問題の解決に向けて世界100ヶ国以上で活動するオックスファムは世界的に高く評価され、今までノーベル平和賞に3回ノミネートされています。トレイルウォーカーについて トレイルウォーカーとは コースについて 世界のトレイルウォーカー 【2007年度】参加者インタビュー 2008年度公式記録 【2008年度】参加者インタビュー --------------------------------------------------------------------------------お問い合わせ E-mail : trailwalker@oxfam.jp Tel : 03-3834-1940 Fax : 03-3834-1025 [ トレイルウォーカー事務局(平日10時~18時) ]All rights reserved (C) Oxfam Japan. Oxfam Japan is a member of Oxfam International.
2009.03.11
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3/11 Wedお手本の大切さよく人さまから「開祖はどんな人に会ってもよいところを見られ、どんなことに遭っても、いいほうに解釈されますが、何か秘訣があるのですか」と尋ねられることがあります。秘訣といえるかどうか知れませんが、私はいつも、仏さまなら、こういう人にどう対されるか、こういうことに対してどう考えられるかと思い起こして、その真似をさせてもらおうとつとめてきました。子どもは親の真似をして大人になりますね。弟子はお師匠さんをそっくり見習って一人前になっていくわけです。みなさんも、「あの人のようになりたい」と思うお手本があったら、そっくりその人の真似をしていれば、いつのまにかそうなってしまうのです。毎日出会う人、出合う出来事の一つ一つを、経典に照らしてそこに示されたとおりに実行していくのが、本当に法華経を読誦すること、つまり身読です。約二千五百年前に入滅された仏さまは、私たちの肉眼では見ることはできませんが、経典に示されたとおりに実行すると、目の前にその仏さまがありありと見えてくるのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.11
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3/10 Tue仲間との出会い毎朝のテレビ小説を見ていても、「こういう考え方になれば、あの人もすぐ幸せになれるのに」と、歯がゆくなることがあるのですね。みなさんのまわりにも、そういう人がおられると思うのです。狭い自分の見方・考え方に凝り固まって、自分で苦しみをつくりだしているわけです。そういう人を、自分の力だけでは説得する自信がなくても、「道場にご案内すれば、教会長さんがおられる、支部長さんがおられる、親身になって心配してくださる仲間がたくさんいる」と信じきっていれば、ひと声かけて法座にお連れしないではいられなくなります。みんなの力で、そういう本物のサンガをつくりだそうではありませんか。「大歓喜を生じて自ら当に作仏すべしと知れ」という言葉が『法華経』の「方便品」にあります。腹の底から揺さぶり動かされるような感動を覚えると、人は百八十度変わってしまうのです。その感動というのは、人と人の心が本当に通い合ったときに生まれます。それが魂の出遇いであり、道場がその出遇いの場になってこそ本物のサンガといえましょう。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.10
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いのちの根源はみな同じいま大聖堂の周りには、たくさんの花が咲いております。そして側には草も生えています。そうしますと私たちは、きれいな花の咲いている側にある草は雑草だということで、抜いてしまいます。人間が勝手に、これは花、これは雑草、と決めてしまっているのです。草は自らを雑草だなどと思っていないわけですし、人間と同じように、草も花も、みな宇宙のいのち、大きないのちの根源から生まれ、この世に現れているのであります。こちらはきれいだから大事にしよう、そちらは雑草だからあまり大事ではない。大乗仏教は、そうした人間の尺度を取り去っていくものです。人間も雑草といわれる草も、いのちのもとは、みな同じである。この世に存在するすべてを合掌礼拝するということが、本来の大乗仏教の教えだと思うのであります。『佼成新聞』より
2009.03.08
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3/8 Sun意柔軟(こころにゅうなん)でいられる秘訣(ひけつ)先日、ある新聞社から「あなたの好きな言葉」「座右の銘」ともいうべきものがあったら、六百字ほどの原稿にまとめてほしいという依頼がありました。私どもが所依の経典としている『法華経』には、すばらしい言葉がたくさんあります。その中から私は「意柔軟」という言葉を選んで、原稿にまとめました。意柔軟とは、心が柔和であることで、がんこの反対です。これは軟弱とはまったく違います。真理に対して素直であり、従順であることです。とりわけ昨今は自己主張と対立に明け暮れる人びとが多くなっているように思えるのですが、それは、なんでも枠(わく)にはめ込んで考え、自分の主義主張に凝(こ)り固まっているからではないでしょうか。そのため素直に相手の意見に耳を傾けることができない。これでは自分の進歩向上は望むべくもありません。自分のいるそのすべての場所が道場であるという考え方は、意が柔軟であってこそ可能になります。それでなくては、一切から学ぶという姿勢、いたるところが道場であるという考え方は生まれてこないのです。それが生涯(しょうがい)教育だといってもいいと思うのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.07
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3/7 Sat皺(しわ)の間の宝物会の創立当初から修行を積み重ねてこられ、ご法を広めてくださった方々が一堂に会して、創立記念日をお祝いできました。たくさんの懐かしいお顔を拝見して、思いだした話がありました。かつて武名をとどろかせた武将の一人が、伊豆の伊東にこもって隠居の日々を送っていることを聞いた武田信玄は、「私の話し相手になってもらえまいか」と使いをやります。「いや、私はもう年老いた隠居の身。もはや私の話などなんの役にも立ちますまい」と武将が固辞すると、信玄はさらにこう懇願するのです。「老人には皺と皺の間に経験という宝物がひそんでいる。それを役立ててほしいのだ」その信玄の言葉に感激して甲府へ出向いた武将が、さまざまな経験談を語るその話を、信玄は、逐一書き留めながら耳を傾けたと伝えられています。「皺の間の宝物」とは、いい言葉ではないですか。「古老を尊ぶ国ならば、衰亡することはない」と教えられたお釈迦さまのお言葉も思いだされます。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.06
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3/6 Fri万人を住まわせる大建築立正佼成会創立五十五周年を迎えて、法華経に遇いえたときの感激が、昨日のことのようによみがえってまいります。私の恩師の新井助信先生は、孔子さまの教えに心酔されていた漢学者でした。その先生が法華経を勉強されて、「これは万人を住まわせる大建築だ。それに比べると、孔子の教えはよく整えられた盆栽ともいえよう」と感嘆され、「法華経は、さまざまな教えのすべてに、そのところを得させ、すべてを生かす教えだ」とおっしゃって、講義してくださったのでした。その新井先生の講義をうかがって、私は「これだ!」と全身が震える思いがしたものでした。私はそれまで、六曜の法則、修験道の荒行、姓名鑑定など、人を残らず救える道を求めて遍歴してきたのですが、ついに、そのすべてを包含して、しかも百パーセント人を救うことができる教えに出遇えたのです。まさに手の舞い足の踏むところを知らぬ感動で、もうじっとしていられなくなってしまったのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.06
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3/5 Thu逆縁も功徳何か事が起こると、「さあ大変」と言うのが口癖になっている人がいますが、いつもお話しするように、私は逆に、難問がくると「これは、おもしろくなってきたぞ」と自分に言い聞かせるのです。そこの紙一重の差が大事だと思うのです。さあ大変と思うと、腰が引けてしまいます。反対に、「ようし」と心を決めると、すぐ行動が起こせるのです。行動を起こせば、必ずどこかに道が開けてきます。それで自信がついてくるわけです。創立記念日を迎えて心によみがえってくるのは、恩師の新井助信先生に「仏教は苦滅の道」であると学んで、「どんな苦も救うことができる教えを見つけたぞ」と、躍り上がらんばかりだった当時の感動です。その苦滅の道のかなめは、自分に不利なこと、つまり逆縁をも仏さまのご功徳であり、善縁なのだと受け取れるようになることにあります。その考え方で、私はなにごとにも対してきました。それができなくては、本当の宗教者とはいえないと思うのです。とりわけ幹部のみなさん方に、そこのところを、しっかりと心に刻みつけておいてもらいたいのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.04
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仏になる教育教育の目的は、知識の習得だけでなく、立派な人間をつくることにあります。人格完成こそが教育の究極の目的です。その人格の完成は、ただ知識を詰め込むだけでできるものではありません。宗教的な情操教育が伴わなくてはならないのですが、その宗教が教育界で軽視されているのが現状ではないでしょうか。人格の完成とは、仏教の言葉で言えば「仏になる」ことです。人間は本来的に一人でいることができない存在です。人と一緒に社会をつくって生きていく。そのためには、社会のしつけをしっかり教えなくてはなりません。第一に、自分のものと人のものの違いをしっかりと教えること。それから、自分の力で立つこと。転んでも自分で起きること。そして、人は一人で生きていけないのですから、まず人のことを考えること。それを教えるのが、そのまま宗教教育であるといっていいと私は思うのです。大学出の秀才なのに自分のことばかり主張して人に嫌われ、相手にされない人がいます。それでは大学まで出てもなんにもなりません。宗教教育の必要性は、ますます高まっているのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.03
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3/3 Tue無舌居士(むぜつこじ)幕末から明治にかけての噺家(はなしか)・三遊亭円朝(さんゆうていえんちょう)師匠は、自作の人情噺や怪談噺で人びとの人気を博しましたが、この円朝師匠は天竜寺管長の滴水(てきすい)和尚から「無舌居士」という居士号を贈られています。噺家にとって舌ほど大切なものはありません。その噺家に滴水和尚は「舌頭(ぜっとう)を離れて話す」という公案(こうあん)を与えたのです。それは、技巧に走って舌先だけで話すことを戒(いまし)め、ただ無心に、自分がしゃべっているという意識さえもなく噺と一つになる噺家をめざせ、といった意味だったのでしょう。当時、得意の絶頂にあった円朝師匠が、それを流暢(りゅうちょう)な舌に頼って驕(おご)ってはならぬという戒めとさとったときに、滴水和尚は円朝師匠に無舌居士の号を贈ったのでした。私たち宗教者も、うっかりして真心の伴わぬ舌先だけの説法になっていることはないか、自らを戒めたいものです。マンネリ化した建て前だけの言葉で話していることはないか、常に自分を振り返って戒めなくてはなりません。口先だけで人を真の覚醒(かくせい)に導くことはできません。心したいものです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.02
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3/2 Monまず人さま佼成会を創立したばかりのころは、私はまだ牛乳店をやっていたのですが、朝から晩までご法のことばかりしているものですから、仕事のほうは手抜きになってしまい、営業成績はどんどん落ちていってしまいます。一家の家計を預かる家内が不安がって、「お父さん。信仰もいいですが、これでは困ります。いいかげんにしてください」と苦情が出始めます。その家内に、私は「己を無にして人さまのことを考えるのが菩薩行(ぼさつぎょう)というものなのだよ」と言い聞かせるのですが、家内は、「あすのお米もないというのに、少しは家のことも考えてからにしてください」と反論します。そこで私はさらに、家内にこう言って聞かせたものでした。「よく考えてごらん。人はみんな自分を第一にして生きているけれども、それでもなかなか思いどおりにいかずに苦しんだり、争ったりしているのだよ。自分中心では決して幸せにはなれないと、みなさんが教えてくださっているのだ。教えどおりに、まず人さまと考えていればなんの心配もいらないのだよ」と。それは、いまも少しも変わらぬ私の確信なのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.01
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3/1 Sun仏祖に至る道祖師仏教という言葉があります。道元(どうげん)禅師、法然(ほうねん)上人、親鸞(しんらん)上人、日蓮(にちれん)聖人などを祖師とする仏教のことで、それぞれの時代の民衆に対して祖師方が、自分の信念と情熱を傾けて仏さまの教えの神髄(しんずい)を説かれたのが礎となって各宗派が生まれ、今日に至っているわけです。ところがつい最近まで、同じお釈迦さまの教えを説きながら互いに反目したり、なかには、お釈迦さまよりお祖師さまのほうが偉いのだと平気で言い、そう信じている人もたくさんいました。しかし日蓮聖人は、お釈迦さまを「教主」とされ、教えの主であるお釈迦さまあっての仏教であり、そのお陰の自分であると明言しておられます。仏祖(ぶっそ)あっての祖師ということになりましょう。私たちは、そのお祖師さまを通してお釈迦さまの教えに直参(じきさん)することこそ大切です。それであって初めて同じ仏教徒として共通の理想をめざすことができます。そして、その教えの神髄を極める努力の中で、世界の他の宗教とも力を合わせていくことこそが宗教のあるべき道であると理解できていくのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.03.01
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