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8/31 Mon求めてこそ与えられる満腹のときは、どんなにご馳走を並べられても食欲がわきません。「私に世界一おいしい料理を食べさせてくれた者には、どんな褒美でもとらせるぞ」という王さまの命に応じた料理人が、「必ず王さまが満足される料理を差し上げます。そのかわり、でき上がるまではどんな注文もつけないでください」と王さまの約束を取りつけて三日間王さまを待たせ、一杯のおかゆで王さまをうならせてしまったという話があります。胃が空っぽになって体全体が食べ物を欲するようになれば、どんなものも、この上ないおいしい料理になるわけです。逆に、あり余るほどふんだんに物が与えられていると、求める意欲がわかなくなってしまいます。物だけではありません。こちらに求める気持ちがないと、どんなによい言葉も耳元を素通りしてしまい、心になにも残りません。勉強でも、仕事でも、スポーツでも、全力を振り絞って打ち込むと、必ず壁に突き当たることがあるのですが、その壁を打開しようと必死になったときに、自分の人生の宝物になる言葉や教えに出遇えるものです。求めてこそ与えられるのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.31
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8/30 Sun忍辱とは受け入れることリーダーとは、さまざまな人の考え方、さまざまな力を生かして、一つの秩序と調和をつくりだしていく人といえましょう。それでこそ事が成るわけです。その調和をつくりだすのに、いちばん大切なのが「忍辱(にんにく)」です。忍辱というと、じっと耐え忍ぶことのように考える人が多いのですが、それだけではありません。こちらは不動の信念を持っていて、それを貫くために、さまざまな考え方、さまざまな立場を受け入れる積極的な生き方が忍辱です。土佐藩主の山内容堂は、はじめ「忍堂」と号していました。それを、忍堂では人間がまだまだ小さいと言われて、容堂に改めたのだそうです。自分と反対の意見を主張する人に手こずると、「この人さえいなければ」と考えたくなりますが、「この人こそ、自分を磨いてくれるために、仏さまが遣わしてくださった人」と拝む。忍ぶのではなく、受け入れるのが本当の忍辱なのですね。「気は長く、心は広く、腹立てず、自分は小さく、他人は大きく」という古歌があります。どれだけの人を受け入れられるかで、自分の器が決まります。「忍耐とは希望を持つ技術だ」と言われる人もいます。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.30
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8/29 Satまず、やって見せる「やってみせ、言ふてきかせて、させてみて、ほめてやらねば人はできぬぞ」という慈雲尊者の言葉があります。人に何かを教えようとするとき、私たちは、つい言って聞かせることが先になってしまうものです。失敗を改めさせようとすると、すぐにお説教になってしまうのですが、お説教は短いほど効き目があるといいます。長いお説教を聞いていると、何度も同じことを繰り返しているのですね。お説教をするほうは正論を説いているのですから、自分の正論に酔ってしまいがちなのですが、聞かされるほうは、失敗した自分の過ちはよく分かっているのですから、逃げ場のないところに追い詰められて、「早く終わってくれないか」と、それしか考えられなくなってしまうのです。口で言って聞かすだけなら、どんな立派なことも言えます。しかし慈雲尊者は、言って聞かせるより、やって見せるほうが先だと言われます。実際にやって見せるとなると、そう簡単ではありません。お手本を見せ、繰り返し繰り返し実際にさせてそれを見守ってあげる。できたら惜しみなくほめてあげる。そういう老婆心があって初めて人は変わってくれるのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.29
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8/28 Fri苦楽をともにする心仏教は、いくら経典を読んだからといって、それだけでは本当に分かるものではありません。人さまをご法に導き、手どりをしてみて、初めて仏教が本当に分かってくるのです。人の心が本当に分からないと、仏さまのお慈悲がどんなに深いものかが分からないのです。お役をいただいて大勢の信者さんをお預かりする人は、なおさらです。こっちが「ああしてほしい」「こうしてほしい」と考えても、人は思うようには動いてくれません。「どうしたら、みんなに分かってもらえるのだろう」と悩んだり苦しんだり、ときには、投げだしたくなってしまうことがあるかもしれません。自分の力の限界を思い知らされることもあると思うのですが、それが、自分を成長させてくれる学校なのですね。そうした心の葛藤を通してこそ、人さまの心が少しずつ見えるようになってくるのです。すると、仏さまがどんな思いで私たち一人ひとりの目覚めを待っていてくださるか、そのお慈悲の深さが身にしみてきます。その仏さまの思いが分かっただけ、自分に仏さまのお慈悲の心が具わってくるのですね。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.28
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「人格完成」とは人格完成とはどういうことであろうかと、私なりにいろいろと考えてみたことがございます。その答えとして私は、結局、本当に自分の愚かさに気づいて神仏に帰依することのできる人間になる、ということではないかと思います。神仏に帰依する人は、おそらく人といさかいを起こしてけんかをしたり、あるいは日ごろ不平不満などは言ったりしません。この人生が本当に不思議で有り難いと、感謝をして生きる人――そのような人こそ神仏に帰依する人ではないかと思うのです。『佼成新聞』より
2009.08.27
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8/27 Thuマイナスがプラス人生には、さまざまな困難があります。その困難に押しつぶされる人もいれば、それをバネに飛躍する人もいます。その違いは、「くじけるものか」と気力を奮い立たせるか、「もうだめだ」と投げだしてしまうか、その違いだと思うのです。どんなことにも、よい面と悪い面が表裏になっています。それを、よいことと悪いことの二つに分けて、これは自分にとってプラスになる、いやマイナスだ、と決めつけてしまうのは、そのときの目先のことしか見ていないからです。それを、もう一度裏返してみる。反対側からも見る習慣をつけるのが、仏教の智慧、人生の極意といえましょう。松下幸之助さんは、貧乏だったこと、学歴のないこと、病身だったことを成功のバネにされた方でした。そのどれをとっても、ふつうなら大きなマイナス要素です。「自分くらい恵まれない人間はいない」と意気消沈しかねないところですが、松下さんは、それを活力に変えられたのです。若さには、つまずきがつきものです。受験の失敗や失恋も、その裏に得難い人生の宝が隠されていることを忘れないでほしいのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.27
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8/26 Wed手をつなぐとき宗教にはそれぞれの信仰の対象、本尊がありますが、そのそれぞれの信仰対象やご本尊の優劣を論じて争うのは愚かなことです。もはや、そういう時代ではありません。すべての宗教は人を救い、幸福にすることをめざし、この世界を平和に導くことを究極の願いとしています。その点では違いはありません。人類が核戦争の危機にさらされているときに、宗教者が互いの教義や本尊の優劣を競い、言い争ってなんになりましょう。心を開いて、自己の改めるべきは改め、他に学ぶべきは学び、それによって互いに力を合わせて人類的危機に対さなくてはならないのです。いまこそ人類全体のために貢献する宗教の原点に立ち返らなくてはならない時です。「私は、一つのことをしようとして失敗した。あなたも、何かをやろうとして失敗した。だが、手をつないでやれば成功するだろう」という言葉があります。そうした謙虚さをもって立ち上がることです。世界宗教者平和会議開催の真の意義は、まさにそこにあります。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.25
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私たちは毎日いろいろな人に出会いますが、出会う相手をすべて、自分に何かを教えてくれるために出現した人だ、と受け止めるのです。人だけでなく、身の回りに起こることも、同じように受け止めるのです。 法華経には、仏様がさまざまな姿をもって私たちを救い、導くと示されています。ですから、仏さまは、この人、このことをとおして自分に何を教えてくださるのだろうか、と思いをめぐらせてみるのです。 自分にいつも文句をいういやな上司でもあっても、自分がその上司の下で働くようになったのは、仏さまがその人をとおして何かを教えてくれるためではないか、と考えてみる。困った問題にぶつかっても、これで自分に何かを学ばせようとされているんだと勇気をふるい起こす。短い言葉でいえば「森羅万象これ一巻の経」ともいえましょう。(『もう一人の自分』)
2009.08.25
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8/25 Tue親子の絆親子の絆というものは、そんなに簡単に切れるものではありません。これまで、なんでも親の言うとおりになっていた子が、急に反抗するようになることがあります。するとお母さんは、わが子がもう自分の手の届かないところへ行ってしまったように思い込んで、落胆し、嘆くのですが、子どもの反抗は、子どもが成長している証拠なのです。親は、子どものいちばん幸せな道を考えて、いろいろ心配し、アドバイスしてあげているつもりなのですが、子どもはある年ごろになると、いちいち親に指図されることに身動きできないような息苦しさを感じ始めるのです。一度、親の手を振りきってしまわないと自分が成長できないように、感じてしまうのです。つまり、これまでのように親子が直接つながっている絆ではなく、新しい形の絆を求めて、子どもは反抗し始めるわけです。こうして何度も絆を結び直して親子の結びつきが強まっていくのです。わが子を信じて、その選択を温かく見守ってあげるのも親の愛情です。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.24
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8/24 Mon鬼の心と仏の心私たちの心の中には鬼の心も仏の心もあって、うっかりしていると、すぐに鬼の心に引きずられてしまうのです。鬼の心というのは、よいことをしなければと思いながら、つい怠け心のほうに引きずられてしまう心です。また、人のことをうらやんだり、ねたんだりする心も、それです。悪いことや嫌なことは、みんなまわりのせいにして、人を責めたり憎んだりするのも鬼の心です。それでいつもカッカしているから、頭に角がニョキニョキと生えてくるわけです。心が顔に表われてしまうのです。この鬼の心が疫病神で、その自分の心が不幸を呼び寄せてしまいます。鬼は外にいるのではなくて、自分の心の中に住みついているのですね。それを追いだしてしまわなくてはなりません。どうしたら自分の心の中の鬼を追いだせるのか。まず、人を見たら、いつもニッコリと笑うこと、つまり、どんな人にも笑顔で対せるようにと心がけて、それを習慣にしてしまうのです。そして、いつも人さまの身になって考えることです。そう心がけていると、いつのまにか角が消えて、仏さまのような柔和な顔になってくるのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.24
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懐かしいもの一つ今はめったに見られないけれど、しっかりと記憶に残り、やさしい思い出とともに心に刻まれているものがある。三角パックもその一つだろう。三角形の容器にストローをさして飲んだ牛乳やジュース。それは、コップで飲むよりも、なぜかおいしく、楽しい瞬間だったような気がする。この三角パックは日本から遠く離れた北欧の国スウェーデンで生まれた。幻想的な森と豊かな海に恵まれたこの国からは、数多くの優れた発明が生み出されてきたのをご存知だろうか。ノーベル賞の創始者、ノーベルもこの国の出身である。そして、数ある発明の中で三角パック、テトラ・クラシックの発明は、世界に影響を与えた一つであるといっていいだろう今までの容器の概念を覆す四面体の紙容器の発明は、飲料容器に革命をもたらし世界中に浸透した。それだけではない。容器産業と流通業界において新時代を築いたパイオニアといってもいいだろう。その発明にかかわった先駆者たちの筆頭が、テトラパック創設者ルーベン・ラウジング博士その人である。 戦争中、ガラスやブリキ板が不足し、必要に迫られて生まれた紙容器「サテロ」。このサテロは戦後もテトラパック社の主力商品のひとつになっていた。エリックの脳裏には、無意識のうちにこのサテロの円筒形が焼きついていたのだろう。さまざまな形を試してはみたが、常にこのサテロの形状が頭から離れなかった。そして結局ヒントを与えてくれたのもこのサテロだった。蓋をするかわりに、円筒形のフォームの先をつぶしたらどうなるだろう?それから丸い底を上に向け垂直に封をしたらどうなるだろう?----そうだ、四面体になる!!」四面体は幾何学的フォームとしてはだれもが知っているが、この形状の容器は今までに見たことも聞いたこともない。もしかしたら長い間求めていた答えがここにあるかもしれない。エリックは手ごたえのようなものを感じていた。早速実験に取り組んだ。四面体の稜線の長さを全部同じにしてみたら----。上司の勧めもあり、エリックはこの奇抜なアイデアをラウジングに見せることにした。ラウジングの目の前に差し出されたのは、だれもが全く思いもよらなかった斬新な形、四面体。ラウジングはこの新奇な形にある可能性を確信した。社内にもそのただならぬ雰囲気は伝わった。社内はエリックが考え出したこの四面体の話で大いに盛り上がったのである。ラウジングはすぐさま検討したあと、開発に着手することを決定。わずか数週間後の1944年3月27日には、王立特許申請局に最初の特許申請を出している。のちにテトラパックが液体食品のパッケージングのリーダーなっていくスタートはここにある。リックの若さ、パッケージに先入観のないこと、技術的な問題にとらわれなかったこと、そして柔軟な発想力がこのような斬新な形状を思いつく基盤になった。この天才的なアイデアはもちろん称賛に値する。のちに四面体の発明者として国王カール・グスタフ16世から、栄誉ある工業化学アカデミー協会の金メダルが授与されている。しかし、それだけではない。ラウジングの人材を見抜く洞察力、すぐさま実行に移す勇気と行動力、これらが果たした功績も大きいといえるのではないだろうか。彼の賢明な決断がなかったら、今日の躍進はあり得なかったのだから。ダイヤモンドの原石は見つかった。しかし解決すべき問題は次から次へと際限なくでてくる。どんなふうに中身を詰められる紙容器にしたらいいのか?液体を入れても漏れない紙は? 中身を安全かつ衛生的に保つには?・・・。包装に関してはさまざまな経験をつんでいたが、液体を入れる紙容器に関しては全く未知の分野であった。製品化に向けて、新たなる試練が再び始まったのである。
2009.08.23
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8/23 Sun青年の活力源どうしたら青年が自分からやる気になってくれるんだろう、と悩んでいる人がおられるのではないでしょうか。青年の自発的な活動の原動力は、この教えは、どこのだれに説いてもぜったいに間違いない教えだという確信です。自分はどういう存在なのか、どう生きるのが人間の正しい生き方なのか、それが納得できると、青年はすばらしい力を発揮します。私が新井助信先生とめぐり会ったのは、二十八歳のときでした。その先生の法華経の講義をうかがって躍り上がらんばかりの歓喜を覚えたのですが、それは、「ここにあらゆる苦を解決できる道があった」という感動でした。それから私は新井先生のお宅へ日参し、それこそ一年三百六十五日、盆も暮れも休まずに先生の講義を聞き続けたのでした。いまの時代を生きる青年たちの日常生活に合わせて、三法印(さんぽういん)から始まって四諦(したい)、八正道(はっしょうどう)、十二因縁(じゅうにいんねん)、六波羅蜜(ろくはらみつ)と順序を踏んで、きちんと説いてあげれば、「これこそ現代のあらゆる人の苦しみを解決できる道だ。現代の世界を救う道だ」と分かってもらえます。そうなったら、青年はじっとしていろと言われても、じっとしてなどいられなくなるのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.23
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8/22 Sat聞いただけ聞いてもらえる「あの人の言うことなら間違いない」という信頼関係ができてしまうと、互いに相手を受け入れる心になっていますから、ひと言ひと言が、砂が水を吸うようにしみ込んでいきます。逆に「この人はどうも……」という感じを持たれてしまうと、どんなによいことを話しても、聞いてもらえません。その信頼感をつくらなければと考えて、自分の博学ぶりをありったけ開陳したりする人がいるのですが、そんな無理をするよりも、相手の話を聞くことに徹していけばいいのです。ただし、相手の話を本当に聞くというのは、博学をひけらかすよりずっと難しいのですね。本当に相手に共感できないと、聞いたことにならないからです。大事なのは、「そういう考え方もあるね」「そんな事情もあったんだね」と、相手の気持ちが理解できたことを、口に出して伝えてあげることです。すると「この人は私のことを本当に分かってくれているんだ」と、相手が心の突っぱりをはずしてしまうのです。その信頼関係さえできれば、間違いに気づいてもらうのはわけもないことです。素直に聞いた分だけ素直に聞いてもらえる、と肝に銘じていれば間違いありません。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.21
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8/21 Fri一歩、そしてまた一歩比叡山の千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)を成し遂げられた叡南俊照(えなみしゅんしょう)阿闍梨(あじゃり)が、「一日に四十キロも歩くのだと考えるとゾッとしますが、あのお堂まで、あの石仏までと目標を定めると歩けるのです」と新聞紙上で述べておられました。千日回峰行は、比叡の峰や谷を毎日三十キロから四十キロ歩いて霊跡や野仏を礼拝してめぐる行で、延べ千日間、一日も欠かさずに続ける荒行です。途中で挫折したときは自決も覚悟するという厳しい行なのですが、その行も、まず第一歩、そして次の一歩と、一歩ずつ踏みだすことで成し遂げられるわけです。道は人が目的地にいたるためのものです。仏道という道は、その大道をあゆめば仏になれる道なのですが、私たちは、つい横道にそれたくなってしまうのですね。こっちのほうがおもしろそうだと誘惑にそそのかされたり、もっと得になる道があるのではないか、と欲に引きずられてしまう。それで、石ころだらけの険しい道へ踏み込んで難儀をしているのです。まず、あそこまでと身近な目標を定めて、一歩また一歩と足を運び、その足を止めないことです。それを続けていくと、仏道ほど楽しくて安心な道はないことが分かってきます。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.21
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入り船型? 出航型?履物を揃えるにも「入り船型」と「出船型」があって、家に入ったそのままの形は「入り船型」ですから、外に出掛ける時に時間がかかるのです。家に入った時に「出船型」に揃えておく。そうすれば何かあった時にすぐ出られるわけです。脱いだ時にきちっと揃える習慣を身につけると、経済的にルーズにならず、けじめをきちっとつける人間になることにつながると言われます。誰にでもできそうなことですが、この足元の基本的なことが、実は重要な意味合いを持ってくるのであります。『佼成新聞』より
2009.08.19
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8/20 Thu目の前の仏を拝むお釈迦さまは法華経で、すべての人に成仏の保証を与えられています。その条件として、たとえば舎利弗(しゃりほつ)尊者に対しての授記では、「舎利弗よ、あなたは無数の仏につかえて菩薩行に励み、未来世に華光という名の仏になって人びとを救うことになります」と語られます。万億の仏の供養が成仏の条件としてあげられているわけで、私たちには、ほど遠いことのようにも思えます。しかし、そのお手本が具体的にちゃんと示されているのです。それが常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)の礼拝行です。常不軽菩薩は出会う人出会う人を拝みぬきます。自分をののしる人にも、暴力を振るう人にも、仏を見ていくのです。私たちは、家庭で、職場で、社会で、数えきれない人に出会います。その一人ひとりに仏さまがいらっしゃるのです。その仏さまを拝んでいくのが万億の仏を供養することだともいえましょう。自分を守ることに汲々とするのでなく、出会う人のすべてに喜びを与えていける自分になる決意をしようではありませんか。まず、自分が光り輝く存在にならなくてはなりません。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.19
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8/19 Wed人を信じる力の結集この一年の私の最大の喜びは、なんといっても第六回世界宗教者平和会議の開会式への列席でした。バチカンの世界司教会議ホールに、ヨハネ・パウロ二世教皇猊下をはじめ世界の宗教者が集って、世界の困難に立ち向かう決意を語られる光景を目の前にして、全身が揺さぶられるような感動を覚えました。学問にせよ芸事にせよ、また武道やスポーツであれ、一つのことを通してものごとの深さを知り、人間というものを突き詰めていってその核心をつかむと、万事に通ずる真理がつかめます。そこに達すると、かたくなさが消え、どんな人も、どんなことも受け入れ、生かしていくことができる寛容さが具わるのです。宗教の道も同じで、信じる教えを突き詰めてその核心にいたると、心の底から人を信じきって、あらゆる人との協力が惜しみなくできるようになってきます。この衆力を結集すれば、二十一世紀には必ずや、戦争のない平和な世界を実現させることができます。そのために全力を尽くさなくてはなりません。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.19
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8/18 Tueついていてくれる人信仰でいちばん大事なのは「道に入る」ことです。しかし、教えられたことを実際にやってみようとすると、なかなか、そういっぺんにできるものではないのを思い知らずにいられません。ところが、目の前にお師匠さんの生きたお手本があると、くじけずに、何度も何度も繰り返して、それがやり通せるようになっていくのですね。生きた真理は、それを体得した人の言葉で、その人の生き方を通して実際に見せてもらうことで、初めて自分のものになり、おのずと道に入っていけるようになるのです。人はだれしも、その人生で幾度も岐路に立たされます。そのときに、どういう人が自分のそばについていてくれるかが、なによりも大事なのです。最近、悲惨な事件の報道があとを絶ちませんが、この人たちの人生の岐路に、ひと言、助言をしてあげる人がいてくれたら、と胸が痛みます。みなさん方に、ぜひともその助言をしてあげられる人になっていただきたいのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.17
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8/17 Mon不惜身命第六十五代横綱推挙の使者を迎えた貴乃花関が、「相撲道に不惜身命(ふしゃくしんみょう)を貫きます」と決意を述べて、「不惜身命」という法華経の言葉が、多くの人に知られるようになりました。日蓮聖人は、「命と申す物は一身第一の珍宝也。一日なりともこれをのぶるならば千万両の金にもすぎたり」と、その尊さを教えられ、この最高の宝である命を仏に捧げることで聖人・賢人といわれる人は成仏されたのだと教えておられます。不惜身命とは、命を軽々しく投げだすことではありません。悟りを得るため、それを万人に及ぼすために、楽をしたい、出世したい、名誉を得たいといった小さな我の欲望を犠牲にすること、それが身命を惜しまぬことです。道を究めるのには、目標をしっかりと定めて、まず自分が自分に約束したことを守り、それを貫き通さなくてはなりません。なんの目標も持たない人生は、その場その場の安楽を求めるだけで、あっという間に年月が過ぎ去ってしまい、「自分の一生はなんだったのだろうか」と悔やむことになってしまいます。目標が定まると、苦労が苦労でなくなります。苦しみを一つ一つ乗り越えていくのが楽しみになるのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.17
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まず自分から信じて前進親鸞聖人は、「親鸞は弟子一人ももたず」という言葉を残されています。自分はただ一途に師である法然聖人のもとで信仰をしているだけである。とても人に教える資格がない、ということだそうです。その親鸞聖人が浄土真宗を開かれると、大勢の弟子がついていったわけです。このことは、私たちがまず、師の教えを信じて前進することが大切であり、後輩はそれを見て自発的にその後についてくる、ということを教えてくれているのではないでしょうか。それが、教育ということではないかと思うのです。『佼成新聞』より
2009.08.15
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8/16 Sun無償の愛赤ちゃんが三歳くらいになるまでは、お母さんがありったけの愛情を注いであげることが大切です。それによって母親へのぜったいの信頼が生まれ、それが人間全体への信頼感に育っていくからです。しかし、そうした愛情を注いで育てたわが子が、だんだん親の干渉を嫌うようになり、やがては親を拒み、親から離れていくようになってしまいます。お母さんにとって、こんな残酷なことはないように思えます。しかし、忘れてならないのは、子どもの成長とともに親の愛情のかけ方も、また一段ずつ高まっていかなくてはならないことです。わが子をいつまでも自分の思いどおりにしたいというのは、手塩にかけたわが子は自分のもの、と考えているからではないでしょうか。これは執着です。愛は、うっかりするとすぐ自己中心の執着になってしまうのです。自分の思いどおりになればかわいいけれども、思いどおりにならないと憎くなる、といった一面も持っているのです。心から子どもの幸せを願う無償の愛であれば、親の手を離れて自立していくわが子を、静かに見守ることができるはずです。ひたすら相手のためを考える知恵ある愛情を慈悲というのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.15
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8/12 Wed回り続ける世の中の争いのもとは、誤解、恐怖、嫉妬の三つが原因だといわれます。そこから怨念が生まれてきて、それが原因で、さまざまな争いが起こります。国と国の紛争も、民族や人種間のいざこざも、そうです。また、身近な職場や家庭でのトラブルも一緒です。私たちの心は、ときには仏さまのような清らかな心になるかと思うと、また、ムクムクと煩悩の心が起こってきてしまいます。京都の清水寺貫主(かんす)の大西良慶師は、「欲も中に入れ、愚痴も中に入れ、善も中に入れて、ほどよう和え物にするのが和なん」と言われていました。平和は、争いを避けて静かにそっとしていれば自然にやってくるというものではありません。さまざまな矛盾や対立を含みながらも、そこにバランスを保たせていく、そのたゆみない努力によって初めて平和が維持されていくのです。それは、回り続ける独楽に似ているともいえましょう。その回転する力が衰えたら、独楽は倒れてしまいます。回り続けること、それが精進です。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.12
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8/11 Tue行学二道いまの社会には、知識の豊富さでは驚嘆するような人がいくらでもいます。ところが、そういう人が人生の問題で迷い、決断ができずに、ノイローゼになったりしていることが多いのです。情報洪水のいまの世の中は、才覚のある人ほどご苦労が多くなってしまうわけです。私たちは、よい話を次から次へと聞かされて、自分ではかなり悟ったつもりになっています。しかし、知識として知っているだけでは、まだ本当に自分のものにはなっていないのですね。よいことを聞いたら、そのとおり実行してみなくては、なにごとも本当には分からないのです。私は、「これはいい話を聞かせてもらった」と思ったら、すぐに、そのとおり実行してみるのです。すると、もっとよく分かってきます。身についてしまうわけです。「教えどおりに信じ、実行しよう」というのが信仰なのですね。情報社会になればなるほど、自分の信じるものをしっかりと心に持つことが大切で、それには、行学の二道がどうしても必要なのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.10
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8/10 Mon人の振り見て苦を滅するには「まず苦を見すえること」というのが、お釈迦さまの教えです。ニワトリをコの字型に囲った金網、つまり、うしろだけが開いている囲いの中に入れて、その金網の前にエサを置いても、ニワトリは目の前の金網に突き進むだけで、うしろから回り込んでエサを取る知恵は働かないそうです。人間も、賢いようで同じようなことをしているように思うのです。困った問題にぶつかってせっぱ詰まれば詰まるほど、そのうずの中に巻き込まれて、右往左往してしまいます。自分で自分を苦にくくりつけているわけです。たとえば離婚寸前まで追い込まれた夫婦は、互いに憎しみにしばられて、自分ではどうにもならなくなっているのです。その奥さんをお誘いして一緒に手どりに歩いてもらうと、不思議に、ご主人への不満を訴える奥さんにぶつかるのですね。その話を聞かせてもらっているうちに、ハッと気づいてもらえることがあるのです。一度、自分の離婚話から離れて人さまの家庭を見せてもらうと、自分の家庭を客観的に見るゆとりが持てて、これまでと、まるで違った見方ができるようになってくるわけです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.09
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8/9 Sun仏さまの懐に抱かれる自分の目で見て確かめられるものでなければ信じない、という人がいます。しかし、それでは大事なものを見落としてしまいはしないでしょうか。私たちがふだん聞いている音は、自分の耳に合ったごく一部の音にすぎず、周波数がうんと高かったり低かったりすると、聞こえません。自分の耳に聞こえる音が、すべてではないわけです。それと同じで、この世界は私たちには感受できない広大な広がりをもっています。仏さまのお姿は私たちの肉眼では見えませんが、教えどおりに行じると、仏さまの存在がはっきりと見えてきて、その大きな懐に抱かれている自分に気づかずにいられません。 信仰をしている私のいちばんの幸せは、仏さまがいつも一緒にいてくださるのを感じられることです。その幸せを、私は最近、さらにしみじみと思わずにいられないのです。ですから、生きているうちは仏さまのみ心のままに生きてなすべきことをなし、ご用が済めば仏さまのもとへ帰らせていただくのだ、と私は心に決めています。これほど安心な生き方はないと思うのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.08
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8/8 Sat一つの網目が初めから、善い人間、悪い人間の違いがあるのではなく、それぞれに、そうなる因縁の積み重ねがあって、いま、それが現われているわけです。ですから、いまどんな姿を見せていようが、自分がその人にとって善い縁になっていこうと志願する。それが菩薩行だといってもいいと思うのです。私たち立正佼成会の会員は、会員綱領として「菩薩行に挺身することを期す」と唱えます。菩薩行というと、なにか特別のことをしなくてはならないように考えがちですが、ご近所でも職場でも、どんな人に出会おうと自分がその人の善い縁になっていこうと心がけることが、そのまま菩薩行です。社会の問題でも、国同士の問題でも、まったく同じです。信仰者は正邪を裁くのではなく、どんな人をも救いに導くのが使命であることを忘れてはなりません。ここに千の目を持つ網があるとします。その一つの網目が自分だったとして、それは千分の一の値打ちしかないと考えたら大間違いです。あなたの一人の働きかけが、千の網目に働きかけ、影響を与える縁になっているのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.07
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8/7 Friわが子に具わる宝不登校が小・中学生にも広がって、その数が年々増える一方だと報じられています。わが子が学校に行かないようになってしまったら、親は、それは心配です。なんとしても学校へ行かせなければ、と躍起になるのも無理はありません。「どうして、学校へ行くくらいのことができないの」と子どもを責めてしまうのですが、そこで、ちょっと自分を抑えて、「繊細で気持ちの優しい子は、いっときこんなこともあるものだ」というくらいの、大きな心で見てあげてほしいのです。「よい学校、よい成績だけで子どもを評価するのは、枝ぶりや花だけで木のよし悪しを見ているようなものだ。大事なのは、どんな土地からも養分を吸い上げ、悪条件にも耐えられる根が育っているかどうかで、そこを見てやらなければならない」といわれる人がいます。そういう目で見ると、子どもの評価が、まるで違ってくるのではないでしょうか。外側からは見えない宝を、子どもはそれぞれに持っています。そのかけがえのない宝を引きだし、伸ばしてあげるのが、親の役目です。独り立ちする力を具えれば、子どものときの小さなつまずきなど、いくらでも取り返せます。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.06
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8/6 Thu得意を引きだす自分に閉じこもる孤独な人は、人間の本性が善なるものであることが信じられないために他人を受け入れられず、自分もまわりに受け入れてもらえないものと決めつけている場合が多い、と心理学の先生が分析しておられます。最近の若い人の中には、そういう孤独地獄に陥っている人が、ずいぶん多いように思えます。苦に閉じこめられている人をよく見ると、そこから抜けだす道があるのに、それに背を向けて、自分でその道をふさいでいることが多いのです。『無量義経』の「説法品」に「自ら出ずること能(あた)わず」という言葉がありますが、人は、自分の考え方から自分一人ではなかなか抜けだせないものなのです。だれかが手を差し伸べて、人は信じられるものだ、と知ってもらわなくてはなりません。その人が興味を持っていること、得意にしていることを聞きだしながら、「ぜひ力を貸してほしいんです」とお願いすると、心を開いてもらえるものなのですね。燃えている家の火に気づかずにいる子どもたちを救うために、子どもが欲しがっていた羊(よう)車、鹿(ろく)車、牛(ご)車の三車を用意された仏さまの方便力を思いだしてほしいのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.06
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8/5 Wed二つのお手本だいぶ教えが身についたつもりでいても、現実にさまざまな問題にぶつかると、元の木阿弥で凡夫に逆戻りして、泣いたり、わめいたりしてしまうのが私たちです。仏教の教えの根本は縁起、つまり縁によってすべてが起こるという教えです。縁とは出会いのことで、その出会いを、よいほうに転じられるかどうかが、私たちの修行だといってもいいでしょう。そのためのお手本が、どんな嫌なことにぶつかり、嫌な人に会っても、それを自分を本物にしてくれるお師匠さんと受け取る「提婆達多品(だいばだったほん)」の教えであり、そして、いまかりにどんな姿をしていようと、この人も必ず仏になる人だと、すべての人を拝む常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)の礼拝行です。日蓮聖人は、「仏種(ぶっしゅ)」という言葉をよくお使いになられました。私たちはみんな、仏になる種を与えられているのですが、それに水を与え、陽に当ててやらなくては、芽を出し、成長し、花を咲かせることはできません。この二つのお手本を、事にぶつかるたびに思いだして、それを善い縁と受け止め、また、自分も人さまの善い縁になっていこうと心がけることで、だんだん信仰者として本物になっていくのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.05
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8/4 Tueまず自分が善い縁に親に対する子どもたちの注文の第一が、「夫婦げんかをしないでほしい」、そして「離婚の話は絶対にしないで」だったという調査結果があります。よく、夫婦で言い争って、「ねえ、お母さんが怒るの分かるでしょ。本当にお父さんは自分勝手なんだから」などと、子どもを自分の味方に引き込もうとする人がいますが、子どもは両親のどっちがいいか悪いかなど、どちらでもかまわないのです。この世には、初めから善い人、悪い人がいるわけではありません。善い縁に触れれば善い人になり、悪い縁に触れれば悪い人になってしまいます。相手次第で人がどんなに変わるものか、それをいちばんよく見せてくれるのが、長年連れ添う夫婦ではないでしょうか。子どもたちは、両親のどちらの言い分も、また、どちらのわがままもちゃんと見ているのです。法華経の修行を突き詰めていくと、「まず自分を変えて相手に変わってもらう修行」だといってもいいと思うのです。人が本当に変わるのは、本人が変わろうと本気になったときです。その本気を引きだすのが、まずこっちが変わって相手の善き縁になることなのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.04
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8/3 Mon百考は一行にしかず文章のいちばんの基本は、なによりもまず自分の言いたいことが相手に分かるように書くことだといいます。どんな名文であっても、相手が理解できないのであっては、なんにもならないわけです。ご法の説法でも、いかに滔々と教えを説いても、ハトに豆鉄砲で、聞いている人が目を白黒させているようでは、むなしい言葉になってしまいます。説法は、教えを実行する決意をしてもらうためのものです。それには、だれもが「なるほど」と分かることが、まず第一の条件です。「これを実行すれば、必ずこういう功徳がいただけますよ」「あなたも、こう変われるのですよ」と言いきれる力強さが大切です。それが欠けると、信が生まれないのです。どんなに知識が増えても、この肝心の信がなくては、人は実行に踏みだせないのですね。「百聞は一見にしかず」といいますが、さらにいえば、百見は一考にしかず、百考は一行にしかずです。百の知識も、一つの行がなくては本当に生きてきません。行とは行動することなのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.02
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8/2 Sun形につき従う心頭の中だけで、なんとかして信仰者らしい考え方、生き方ができるようになりたいと考えても、なかなかできるものではありません。ですから、まず形のほうを整えてしまうのです。朝起きたら、経典読誦のお勤めをして、それから会社へ出かける、商売に取りかかる、家事を始める、というように生活の形を整えてしまうと、おのずと気持ちがゆったりと、穏やかになってきます。人に逆らったり、がんこに自分を押し通すというような気持ちがなくなってくるのです。心は形につき従うものなのですね。そうして教えられたとおりに毎日の生活の形をつくって、一年、二年、三年と続けていくと、それがすっかり身について、自分のものになってしまいます。気がついてみると、いつのまにか、考え方も、まわりの人への接し方も、それまでの自分とは違ってきているのです。やるときは、ノドをからしてお経をあげるかと思うと、あくる朝は、眠いからお勤めはお休みだ、というのでは、いつまでも同じところで足踏みしているだけで、ちっとも前進しません。生活の形が乱れたままでは本物になれないのです。庭野日敬著『開祖随感』より
2009.08.02
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