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一昨日メッセージをいただいた皆さんありがとうございました。ご心配をお掛けしました。・・・後で返事に伺います。一昨日は、これでひと安心などと書いてしまいましたが、帰ってニュースを見ていると、想像以上の被害に驚いてしまいました。3000人近い人たちが避難していたとは・・・。自分のことばかり考えているといけませんね。被害に遭われた皆さん、お見舞い申し上げます。
2005/03/22
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ニュースで皆さん知っていると思いますが、午前11時頃福岡で地震が起きました。私は久しぶりに今日は休んでいて、まだ布団の中で寝ていました。自宅は、福岡市内から40キロ程距離があり震度5弱の揺れでしたが、さすがに飛び起きましたね。揺れが収まって年寄りのことが気になり別室に行きましたら、私の名を何回も呼んでいたそうですが、全く気付かず、親不孝者と言われる始末でした。久しぶりにゆっくり寝れると、昨日からそれだけが嬉しかったのですが、そうは問屋が卸しませんね。ニュースを見ていると福岡市内はかなり揺れたようですし、特に玄海島は被害が大きく自衛隊に出動要請があったようです。北部九州は、比較的に地震が少ない所で、台風のことは心配しても地震のことで不安になった経験などありませんでしたから、他人事と考えることがあったと思います。危機意識を日頃から持っていなくては、と反省させられました。現在は、自宅と福岡市内のほぼ中間地点にある会社にいますが、被害はなく少しばかり安堵しています。しかし、社員の一人が今日は福岡市内で工事をやっているので、心配です。緊急時には携帯電話は必要不可欠と言いますが、緊急時に繋がらない携帯電話はなんなのか?。社員の携帯に何回電話しても繋がりません。これは大きな問題ですよ。連絡が取れるまで会社で待つことにします。それではまた。《追記》先程社員と連絡が出来ました。ケガもなく仕事をしていたそうです。これでひと安心。今日は、これで帰ります。
2005/03/20
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『人生が二度あれば』・・・などとは言いたくない。1970年に、八百長疑惑「黒い霧事件」で永久追放された元西鉄ライオンズのエースだった池永正明さん(58)に、35年の歳月を超えて漸く「復権」の道が開かれたようだ。子供の頃、テレビで大騒ぎになっていたのを覚えているが、あれから35年、余りに時が経ち過ぎた。プロ5年間で103勝を挙げた池永さんは当時、現金100万円を預かったことは認めたが、八百長行為に関しては一貫して否定している。多くの支援者があり、嘆願書を何度も提出したが、いずれも却下されてきた。歴代のコミッショナーは、任期中にこの問題を解決しようとはぜず、自分の保身のみを考えてきたのではないだろうか。それにしても、35年は長すぎる。 池永さんは、下関商業高校出身で在学中の2年時には、甲子園の春は優勝、夏は準優勝と輝かしい実績を残し、鳴り物入りで西鉄ライオンズに入団。1965年は、新人でいきなり20勝を上げて新人王、3年目は23勝で最多勝を獲得。高卒としては、今の西武の松坂を超える『怪物』だったのです。彼は、強気でいわゆる竹を割ったような気性で、男気のある人でした。先輩から「助けてくれ」と頼まれ、その場で先輩の顔を潰す訳にもいかず、新聞紙に包まれた金を受け取ってしまったのです。脇が甘いと言ってしまえばそれまでですが、後で返せばいいという判断が、命取りなってしまいました。ネット上で見てみると、事件が発覚した当初池永さんは、比較的罪は軽いと思われていたようですが、当時の新聞社の争いの格好の餌食となり、まさかの『永久追放』となってしまったのが真相のようです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この八百長をすっぱ抜いたのが報知新聞で、当時九州を支配していた新聞は西日本新聞であったのだが、全国制覇を目指す読売にとってこの八百長問題は、おししいネタだった。これを大々的に報じることで九州を支配してしまおうと、そのターゲットを九州に本拠を置く西鉄に絞り、潰しにかかった。なんと朝日新聞もこの八百長をネタに虎視眈々と九州を狙いはじめた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・巨大メディアに屈服した機構側は、「見せしめのスケープゴート」が必要だった。それが5年で100勝した『大物』池永さんだったのです。それから35年の歳月が流れてしまいました。何より残酷だったのは、池永さんはその後プロゴルファーを目指すのですが、『永久追放』の看板が邪魔して許されませんでした。西鉄に同期入団した尾崎将司選手は、プロゴルファーに転身し見事に成功しているのを考えると、中学時代陸上でも全国のトップクラスだった天賦の運動能力を持つ池永さんだったら、ジャンボ尾崎以上になれたのではないでしょうか。そして、今回の復権をいわゆる『堅気』で迎えられたのは、奇跡と言っていいのではないでしょうか。天職をもぎ取られ、天賦の才を生かす道も閉ざされ、普通なら腐って真っ当な人生など送れません。八百長事件で同じように『永久追放』になったYさんが、1998年に亡くなった時、池永さんは、こう答えています。「そうですか。ヤスさんが亡くなったですか。ヤスさんとは電話で話をしたことがあるのです。ヤスさん、負けたらいかんどって。亡くなってから復権してもらっても、なんもならんですよ。ヤスさんも可愛そうやった」 この言葉に、池永さんを支援してきた人が何故後を絶つことなく多かったが分かります。男の美学を感じます。最近、天職とかやりたいこと好きなことで仕事するとか、よく言われているようですが、池永さんのように天職をもぎ取られても、目の前のことを一生懸命に35年やり続けていれば、誰も見放すこともないということでしょう。目の前のことを一生懸命になれないのに、天職ややりたいことを一生懸命やるはずがない、と思うのですが如何でしょう。池永さんの第二の人生が、素晴らしいものになるように祈るばかりです。いや、今までの池永さんの人生そのものが素晴らしい限りです。それではまた。
2005/03/17
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今日は、外注さん5人に工場に入ってもらって、忙しくしておりました。おまけに、社員はまだ現場から帰って来ない状況ですので、昨日の続きは後日書きます。それではまた。
2005/03/06
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一週間前の日記で体調が良くないことを書きましたが、現在絶好調とはいかないまでも、何とか頑張っています。コメント頂いた皆さん、ありがとうございました。先ずは、睡眠時間をなるべく増やすように心掛けて、後は食事と適度な運動ですね。今日も取引先の社長から脅かされてしまいました(笑)。今倒れたら、全て終わりになってしまいますからね。・・・・こう書くと余りに大袈裟です。同情を買うような内容になってしまいました。先日の日曜日は久しぶりに休みましたが、明日の休日も出勤です。まだまだ体力気力、衰えることはありません。ウ~~ン・・・体力は、ちょっとばかし衰えたかも?(笑)。さて、今日の本題です。数日前の栢野さん(九州ベンチャー大学)のメルマガに、興味深いことが書かれていました。栢野さんのメルマガの一部↓・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・これは尊敬する講演家・田中真澄先生から聞いた話ですが、1,00の百乗=1、1,01の百乗=2,7、0,99の百乗=0,36★つまり1×1=1。今日と同じ事を百乗=百ヶ月=7年間たっても1のまま。現状維持。 しかし、今日は昨日にプラス0,01%頑張ろうという努力を毎日やってると2,7=7年後には約3倍に。逆に今日は昨日よりもホンの少し0,01%手を抜くか=0,09の百乗=百ヶ月続けると0,36=今の1/3になると。★これは単なる算数ではなく、これは!という人や会社は0,01%の努力をし続けていますね。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この話は、田中真澄氏が最初に言われたかは知りませんが、昨年、この日記のリンク先のシャルドネさんから教えてもらって知っていました。昨年7月46歳の時に書いた日記『あなたに先があると思いますか?』、これに対する見事な回答でした。・・・・もうすぐ午後10時になります。今日はとりあえず終わりにして帰ります。・・・続きは明日。お楽しみに?(笑)。
2005/03/05
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